現在12日。
午前中に今年初めて布団を干し、さっき布団を取り込む直前に同じく今年初めて掃除機をかけた。キッチンの掃き掃除は週に1度のペースでやっているものの昨日うちのに、もっとやれ、と怒られたのでキッチンにも掃除機をかけた。シャキ神様降臨。小動物2は極度に掃除機を怖がる。居間に掃除機をかけているときは、自分の寝床のひとつに座ってじーっと眺め、その後は出窓に座ってじーっと眺め、キッチンに掃除機をかけ始めたあたりでバス・トイレのドアの傍に座って眺めていた。怖いけど見たい、といった心境か。そして玄関近くに掃除機を動かすと、まるで追い詰められたかのように玄関に行き、玄関間際に掃除機を動かすと、むささびのように狭い玄関の壁から壁へと移動して私のPCデスクの下を潜って居間に逃げて行った。怖いなら近付かなきゃいいのに……よく解らん。
小動物2はともかく、上記に書いたように去年立てた目標は余り達成できていない。掃除然り、入浴然り。辛うじて食器洗いを翌日に持ち越す回数が減ったことと、キッチン・コンロ周りを毎回使うたびに水跳ねを拭くようになったことくらいか。あと、家計簿を継続してつけていること及び無闇な買い物をしなくなったこと。生活リズムも整っていないし、だるい日が多く体も余り動かしていない。3日に1日は家から1歩も出なかったりする。相変わらずのヒキコモリである。その中でうちのが最も不満に思っていることは、入浴回数が殆ど増えていないことである。うちのはよく寝言を言う。その中で、寝返りを打って私の方を向いたときに、クサッ! と言うことがある。しかも3回繰り返したりする。入浴しないと相当に頭が臭くなるらしい。自分では気付かない。ただ、脂が浮いてきているなと思ったときは他者に迷惑をかけないように帽子を被って出かける。以前。臭いとき用の帽子があるからダメなのではないか、と思い立って臭いとき用の帽子を捨てた。それは臭いとき用の帽子が春夏秋物だったこともある。今はニット帽のひとつを臭いとき用にしている。季節に背かない帽子になったことだけが進歩。根本的解決には程遠い。他の家事云々はともかく、嗅覚に訴える私の頭皮の匂いがうちのには一番の悩みであるらしく先日切々と、もっと風呂に入ってくれと頼まれた。去年、年が明けたら2日に1回は風呂に入ると言っていたじゃないか! すまん、大風呂敷を広げた、無理だ。話し合い。
なんで風呂に入らないの? 面倒だから。みんな入ってるよ! はあ……。ちゃんとキレイにしてくれよ! そんなに汚いかなあ。汚いよ! でも人に迷惑はかけてないよ。俺が迷惑してるんだよ! はあ……。頼むから入ってくれ。でもそんなにガミガミ言われたら入る気が余計なくなるよ。じゃあどうすればいいんだよ! 叱る教育じゃなくて褒めて伸ばす教育を。……そんじゃ、1回風呂に入ったら500円やる。お母さんみたい。え? 中高生の頃、前回の定期試験よりもいい点数が取れたらお小遣いくれてた、だからなんかその方法は嫌だなあ。こんな話し合いをして、結局はこう落ち着いた。毎月、入浴目標回数をクリアできたら日帰りで近場のクアハウスや温泉に連れて行ってもらう。まず、今月の目標は週に1回。来月は週に2回。そうやって毎月ハードルを高くして、最終的には2日に1度は入れるように、と。中途半端なことが嫌いな私は、入浴したら徹底的に洗わないと気が済まない。そして徹底的に洗うとなれば時間も労力も使う。因って2日に1度の入浴は心身が持たない。更に、1度入る→翌日入らない→翌々日も入らない、となるとどうせ目標通りに事が進んでいないのだからもういいや、と逆完璧に邁進。するとまたうちのが怒る→凹む→抑うつ状態に陥り気力が失せて入浴どころではなくなる。
とにかく私は怒られるのが苦手なのだ。先日の診察時に主治医に話したこと。希死念慮は起きていないけれど、ここ最近死に纏わることばかりを考えてしまう。例えば先日のこと。買い物に行くのに陸橋を渡った。その陸橋は幅が狭く且つ見通しが悪い。歩きながら私が考えていたこと。あー、反対側から刃物を持った人がきたら逃げられないなあ、でも人通りの全くない陸橋ではないから死体はすぐに見つけられるだろうし腐りはしないなあ。帰宅時にガードレールに供えられた花束を見つけた。あー、ここで人が死んだのか、一瞬だったのかなあ、それならいいなあ。何かにつけてこんな感じ。何かにつけて死について連想し、それで楽に死ねるのならいいなあ、と。家でひとりでいるときにも、何をする訳でもなくぼんやりと漠然と死について考えていたりする。先日、うちのが仕事の都合で会社に泊まった。その日の泊まりはうちのひとりだったらしい。淋しいからメールをくれ、とメールを送ってきた。陸橋を渡ったときに考えたことを書いて返信した。暫くしてうちのから電話があった。大丈夫? うん。きっと自傷したりしていないか心配してくれたのだろう。パキシルが増えてから、自傷したいという気持ちは湧いてきていない。けれど漠然と死について考えることが増えた。考えようと思って考えている訳ではないので、今は死について考えることが必要な時期なのかもしれない。と、常にぼんやりしている。死について考えることは非常に消耗する。入浴する気力など使い果たしてしまう。また死ぬということは無になるということであり、無になったら入浴もへったくれもあったものではない。ここのところ、頭痛と吐き気が続いている。体調不良。今日は無理でも明日か明後日には入浴しなければならない。気が重い。学生時代迄は毎日のように入浴していたし、入浴に完璧は求めていなかった。いつだったか記憶にないが、ある日入浴後にタオルで体を拭いたときに、落としきれていなかった垢であろうもろもろが出てきたことがある。激しい不快感に襲われた。完璧入浴への強迫観念はそれからだったと思う。先日うちのと話をしていて、風呂あがりにタオルで体を拭いているときにもろもろが出てきたら気持ち悪くないか? と訊ねた。うちのは、完璧に落としきらないくらいで丁度いいんだよ、と答えた。そんなものなのだろうか。例えそうであっても、今の私には耐えられない。いつか平気になる日がやってくるのか。
午前中に今年初めて布団を干し、さっき布団を取り込む直前に同じく今年初めて掃除機をかけた。キッチンの掃き掃除は週に1度のペースでやっているものの昨日うちのに、もっとやれ、と怒られたのでキッチンにも掃除機をかけた。シャキ神様降臨。小動物2は極度に掃除機を怖がる。居間に掃除機をかけているときは、自分の寝床のひとつに座ってじーっと眺め、その後は出窓に座ってじーっと眺め、キッチンに掃除機をかけ始めたあたりでバス・トイレのドアの傍に座って眺めていた。怖いけど見たい、といった心境か。そして玄関近くに掃除機を動かすと、まるで追い詰められたかのように玄関に行き、玄関間際に掃除機を動かすと、むささびのように狭い玄関の壁から壁へと移動して私のPCデスクの下を潜って居間に逃げて行った。怖いなら近付かなきゃいいのに……よく解らん。
小動物2はともかく、上記に書いたように去年立てた目標は余り達成できていない。掃除然り、入浴然り。辛うじて食器洗いを翌日に持ち越す回数が減ったことと、キッチン・コンロ周りを毎回使うたびに水跳ねを拭くようになったことくらいか。あと、家計簿を継続してつけていること及び無闇な買い物をしなくなったこと。生活リズムも整っていないし、だるい日が多く体も余り動かしていない。3日に1日は家から1歩も出なかったりする。相変わらずのヒキコモリである。その中でうちのが最も不満に思っていることは、入浴回数が殆ど増えていないことである。うちのはよく寝言を言う。その中で、寝返りを打って私の方を向いたときに、クサッ! と言うことがある。しかも3回繰り返したりする。入浴しないと相当に頭が臭くなるらしい。自分では気付かない。ただ、脂が浮いてきているなと思ったときは他者に迷惑をかけないように帽子を被って出かける。以前。臭いとき用の帽子があるからダメなのではないか、と思い立って臭いとき用の帽子を捨てた。それは臭いとき用の帽子が春夏秋物だったこともある。今はニット帽のひとつを臭いとき用にしている。季節に背かない帽子になったことだけが進歩。根本的解決には程遠い。他の家事云々はともかく、嗅覚に訴える私の頭皮の匂いがうちのには一番の悩みであるらしく先日切々と、もっと風呂に入ってくれと頼まれた。去年、年が明けたら2日に1回は風呂に入ると言っていたじゃないか! すまん、大風呂敷を広げた、無理だ。話し合い。
なんで風呂に入らないの? 面倒だから。みんな入ってるよ! はあ……。ちゃんとキレイにしてくれよ! そんなに汚いかなあ。汚いよ! でも人に迷惑はかけてないよ。俺が迷惑してるんだよ! はあ……。頼むから入ってくれ。でもそんなにガミガミ言われたら入る気が余計なくなるよ。じゃあどうすればいいんだよ! 叱る教育じゃなくて褒めて伸ばす教育を。……そんじゃ、1回風呂に入ったら500円やる。お母さんみたい。え? 中高生の頃、前回の定期試験よりもいい点数が取れたらお小遣いくれてた、だからなんかその方法は嫌だなあ。こんな話し合いをして、結局はこう落ち着いた。毎月、入浴目標回数をクリアできたら日帰りで近場のクアハウスや温泉に連れて行ってもらう。まず、今月の目標は週に1回。来月は週に2回。そうやって毎月ハードルを高くして、最終的には2日に1度は入れるように、と。中途半端なことが嫌いな私は、入浴したら徹底的に洗わないと気が済まない。そして徹底的に洗うとなれば時間も労力も使う。因って2日に1度の入浴は心身が持たない。更に、1度入る→翌日入らない→翌々日も入らない、となるとどうせ目標通りに事が進んでいないのだからもういいや、と逆完璧に邁進。するとまたうちのが怒る→凹む→抑うつ状態に陥り気力が失せて入浴どころではなくなる。
とにかく私は怒られるのが苦手なのだ。先日の診察時に主治医に話したこと。希死念慮は起きていないけれど、ここ最近死に纏わることばかりを考えてしまう。例えば先日のこと。買い物に行くのに陸橋を渡った。その陸橋は幅が狭く且つ見通しが悪い。歩きながら私が考えていたこと。あー、反対側から刃物を持った人がきたら逃げられないなあ、でも人通りの全くない陸橋ではないから死体はすぐに見つけられるだろうし腐りはしないなあ。帰宅時にガードレールに供えられた花束を見つけた。あー、ここで人が死んだのか、一瞬だったのかなあ、それならいいなあ。何かにつけてこんな感じ。何かにつけて死について連想し、それで楽に死ねるのならいいなあ、と。家でひとりでいるときにも、何をする訳でもなくぼんやりと漠然と死について考えていたりする。先日、うちのが仕事の都合で会社に泊まった。その日の泊まりはうちのひとりだったらしい。淋しいからメールをくれ、とメールを送ってきた。陸橋を渡ったときに考えたことを書いて返信した。暫くしてうちのから電話があった。大丈夫? うん。きっと自傷したりしていないか心配してくれたのだろう。パキシルが増えてから、自傷したいという気持ちは湧いてきていない。けれど漠然と死について考えることが増えた。考えようと思って考えている訳ではないので、今は死について考えることが必要な時期なのかもしれない。と、常にぼんやりしている。死について考えることは非常に消耗する。入浴する気力など使い果たしてしまう。また死ぬということは無になるということであり、無になったら入浴もへったくれもあったものではない。ここのところ、頭痛と吐き気が続いている。体調不良。今日は無理でも明日か明後日には入浴しなければならない。気が重い。学生時代迄は毎日のように入浴していたし、入浴に完璧は求めていなかった。いつだったか記憶にないが、ある日入浴後にタオルで体を拭いたときに、落としきれていなかった垢であろうもろもろが出てきたことがある。激しい不快感に襲われた。完璧入浴への強迫観念はそれからだったと思う。先日うちのと話をしていて、風呂あがりにタオルで体を拭いているときにもろもろが出てきたら気持ち悪くないか? と訊ねた。うちのは、完璧に落としきらないくらいで丁度いいんだよ、と答えた。そんなものなのだろうか。例えそうであっても、今の私には耐えられない。いつか平気になる日がやってくるのか。
負の連鎖
2004年2月7日 家族・メンヘル・健康など 日記をつけ始めて一週間もあいたのは初めてか。で、その間何をしていたかと言うと、某巨大掲示板にて普段行きつけない板に出向きひたすらROMしたり、寝たり、ROMしたり、食べたり、ROMしたり……。何やってんだ、他にやることあるだろう! と自分の重い腰を無理矢理引っ立てては本屋に行って立ち読みしたり漫画を買ってきたりととにかく自堕落でした。反省。風邪ひいたり生理痛だったりってのを差し引いてもちょっとアレな一週間でした。因ってコレといったこともなかったので、この一週間分は思いつく侭にだらだらと。この一週間のリアルでの出来事で特筆すべきこと……。うちのと喧嘩したことくらいか。私はひとり暮らし時代に小動物らを飼い始め、ことある毎に周囲の友人知人に、私よりも小動物らを可愛がってくれる彼氏・旦那でなきゃ困るし嫌だ、と言ってきていた。うちのは小動物らをとても可愛がってくれている。小動物らはいわば私の連れ子のようなものであり、可愛がってくれていること自体にはとても感謝している。が、差をつけ過ぎで腹が立つことが少なからずある。むしろ日々腹が立っている。記号で表すならば、小動物2>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>小動物1≧私、くらい。確かに、今でも、私よりも可愛がって欲しいとは思っている。けれどここ迄差をつけてくれなくて結構。希望としては、小動物1・2≧私。
うちのはDVの気があり、手をあげはしないけれど精神的に私を追い詰めるのが得意。うちでよくある出来事として、うちのが私にする、追い詰める為だけの質問、というのがある。例えば、今日は小動物2と遊んだか? という質問。どう答えてもお気に召さないらしい。遊んだ、と答えると本当に遊んでいても、嘘つくな。遊んでいない、と答えると、遊んでやれ。どう答えても怒られるので先日は答えないでいた。すると声を荒げて、返事しろ! 私は大声が苦手だ。特に自分に向けられる大声はどんな内容であれ威嚇されているように思えて萎縮してしまう。単純に大声は怖い。類似質問に、昼寝した? というのもある。した、と答えると、お前はぐうたらできていいよな。していない、と答えると、嘘つくな。答えないと(以下略。睡眠障害があるのも、不眠期と過眠期を繰り返しているのも知っているのに……。この手の質問をされると、親を思い出す。うちのの嫌な部分と親の嫌な部分は似ていて私はもしかして無意識のうちに自ら、負の連鎖、を求めてしまっているのかと悩んだ。ので、うちのと話をした。
夏頃に籍を入れる予定である。両家の親や小姑のことはさて置くも、ふたりの間で解決しておかなければならない問題がひとつある。所謂、家族計画。私は自分の抱えている病気と環境のことを考えて子供は欲しくないと思っている。負の連鎖の恐怖。反して、うちのは将来的には子供を欲しいと思っている。いらねっての。結婚後に子供の有無について問題が表出する夫婦の話もよく見かけるので、数日前に真面目に話し合ってみた。私の主張。
・処方薬の都合により近年の妊娠は無理
・子育てに際してお互いの母親が取った行動は真逆であるものの根源は似ており負の連鎖が怖い
うちのからの質問。
・いつ断薬できるの?
・断薬しなくても某芸能人のとこは子供ができたぞ?
・負の連鎖に関してはふたりで協力すればどうとでもなるでしょ?
うちのは楽観的過ぎる……。断薬がいつになるかなんて私が知りたい。主治医に訊いてくれ。某芸能人の処方薬迄私は知らん。例え同じ薬だったとしても、私の処方薬は妊娠に関して精子には影響は見られずとも母体には多大な影響があるのだ。そして負の連鎖。私の持つ恐怖心をまずはおまいが取り去る努力をしてくれよ、と。例えば大声。確かに私は大声に対して過敏かもしれない。けれどこの過敏さがなくならなければ子供も大声に対して萎縮するように育ってしまうだろう。それから稼いでいる者=偉い、の発想。私はこの考え方が大嫌い。これは悪さをしている子供の親が、子供のすることだから、と言うのに通ずると思っている。子供のすることだから、と大目に見るのは他者であり、少なくとも自分の子供の悪さに対しての言い訳に使う言葉ではない。稼いできてくれている人=うちのに感謝するのは私。自分で言ってしまっていることに違和感を感じていないのは危ない。また片付け物。うちのはその辺に靴下を脱いでほっぽらかしにする。子供に示しがつかん。
うちのの意見。薬に関してはまあ了解。大声はなるべく出さないようにする。稼いでいる者=偉い、の発想に対しては、事実じゃん。片付け物に関しては、お父さんは働いているんだからいいの、でいいじゃん。……話にならん。物事への発想の諸々が食い違っているのが、この話し合いでよく解った。いや、前々から思っていたことが決定付けられた、といった感じか。取り敢えず、私が断薬できて負の連鎖を断ち切る勇気が出た後でじゃないと子作りはできないし、そのことでうちのの実家の防波堤になってくれないと困る、と主張してみた。渋々了解はしてくれたけれど果たしてどうなることなら。今のところうちはセックスレスだし、私の断薬もいつになることやらだし、うちのは昨日辞職表明をしたようだしで、現実問題として子供云々は何年も後の話である。ただそれ迄にうちのの躾け直しと、うちのの実家が絡んだ話になったときの防波堤となってもらえるかどうかがこの話の根本だったのだ。防波堤はどうにかなりそうな気はするけれど、躾け直しに関しては気が遠くなる。私も躾け直してもらわなければならない部分が多々あり、お互いに直すべきところを直せていければベストだけれど問屋がそのように卸してくれるか。私は時間はかかるかもしれないけれど、心身の調子が良ければどうにかできる自信がある。理に適っていることならば納得して行動できるから。またこの、理、がネック。うちのにも私にも、社会通念としての、理、が大きく欠けている。欠けているところをフォローしあえるか。私は欠けている自覚があるので、常識や普通を教えてもらった上で理に適っていると思えば順ずるし、これ迄もそしてきたつもり。うちのは……理と気付かぬ環境遺伝の間で彷徨っているように見える。私から見て負の環境遺伝と思える部分を指摘しても、なかなかそれを認められないようだ。負の環境遺伝と見て育った常識の区別がなかなかつかないらしい。解る。私もそうだ。今でもその狭間で混乱を生じることがある。それでも私は昔よりは少しだけ客観性を身につけた。うちのにも身につけて欲しい。ふたりとも似た複雑さで、そして親が真逆の解決策を取って育てられた。この溝は深い。一緒に埋めていければいいのだけれど。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
うちのはDVの気があり、手をあげはしないけれど精神的に私を追い詰めるのが得意。うちでよくある出来事として、うちのが私にする、追い詰める為だけの質問、というのがある。例えば、今日は小動物2と遊んだか? という質問。どう答えてもお気に召さないらしい。遊んだ、と答えると本当に遊んでいても、嘘つくな。遊んでいない、と答えると、遊んでやれ。どう答えても怒られるので先日は答えないでいた。すると声を荒げて、返事しろ! 私は大声が苦手だ。特に自分に向けられる大声はどんな内容であれ威嚇されているように思えて萎縮してしまう。単純に大声は怖い。類似質問に、昼寝した? というのもある。した、と答えると、お前はぐうたらできていいよな。していない、と答えると、嘘つくな。答えないと(以下略。睡眠障害があるのも、不眠期と過眠期を繰り返しているのも知っているのに……。この手の質問をされると、親を思い出す。うちのの嫌な部分と親の嫌な部分は似ていて私はもしかして無意識のうちに自ら、負の連鎖、を求めてしまっているのかと悩んだ。ので、うちのと話をした。
夏頃に籍を入れる予定である。両家の親や小姑のことはさて置くも、ふたりの間で解決しておかなければならない問題がひとつある。所謂、家族計画。私は自分の抱えている病気と環境のことを考えて子供は欲しくないと思っている。負の連鎖の恐怖。反して、うちのは将来的には子供を欲しいと思っている。いらねっての。結婚後に子供の有無について問題が表出する夫婦の話もよく見かけるので、数日前に真面目に話し合ってみた。私の主張。
・処方薬の都合により近年の妊娠は無理
・子育てに際してお互いの母親が取った行動は真逆であるものの根源は似ており負の連鎖が怖い
うちのからの質問。
・いつ断薬できるの?
・断薬しなくても某芸能人のとこは子供ができたぞ?
・負の連鎖に関してはふたりで協力すればどうとでもなるでしょ?
うちのは楽観的過ぎる……。断薬がいつになるかなんて私が知りたい。主治医に訊いてくれ。某芸能人の処方薬迄私は知らん。例え同じ薬だったとしても、私の処方薬は妊娠に関して精子には影響は見られずとも母体には多大な影響があるのだ。そして負の連鎖。私の持つ恐怖心をまずはおまいが取り去る努力をしてくれよ、と。例えば大声。確かに私は大声に対して過敏かもしれない。けれどこの過敏さがなくならなければ子供も大声に対して萎縮するように育ってしまうだろう。それから稼いでいる者=偉い、の発想。私はこの考え方が大嫌い。これは悪さをしている子供の親が、子供のすることだから、と言うのに通ずると思っている。子供のすることだから、と大目に見るのは他者であり、少なくとも自分の子供の悪さに対しての言い訳に使う言葉ではない。稼いできてくれている人=うちのに感謝するのは私。自分で言ってしまっていることに違和感を感じていないのは危ない。また片付け物。うちのはその辺に靴下を脱いでほっぽらかしにする。子供に示しがつかん。
うちのの意見。薬に関してはまあ了解。大声はなるべく出さないようにする。稼いでいる者=偉い、の発想に対しては、事実じゃん。片付け物に関しては、お父さんは働いているんだからいいの、でいいじゃん。……話にならん。物事への発想の諸々が食い違っているのが、この話し合いでよく解った。いや、前々から思っていたことが決定付けられた、といった感じか。取り敢えず、私が断薬できて負の連鎖を断ち切る勇気が出た後でじゃないと子作りはできないし、そのことでうちのの実家の防波堤になってくれないと困る、と主張してみた。渋々了解はしてくれたけれど果たしてどうなることなら。今のところうちはセックスレスだし、私の断薬もいつになることやらだし、うちのは昨日辞職表明をしたようだしで、現実問題として子供云々は何年も後の話である。ただそれ迄にうちのの躾け直しと、うちのの実家が絡んだ話になったときの防波堤となってもらえるかどうかがこの話の根本だったのだ。防波堤はどうにかなりそうな気はするけれど、躾け直しに関しては気が遠くなる。私も躾け直してもらわなければならない部分が多々あり、お互いに直すべきところを直せていければベストだけれど問屋がそのように卸してくれるか。私は時間はかかるかもしれないけれど、心身の調子が良ければどうにかできる自信がある。理に適っていることならば納得して行動できるから。またこの、理、がネック。うちのにも私にも、社会通念としての、理、が大きく欠けている。欠けているところをフォローしあえるか。私は欠けている自覚があるので、常識や普通を教えてもらった上で理に適っていると思えば順ずるし、これ迄もそしてきたつもり。うちのは……理と気付かぬ環境遺伝の間で彷徨っているように見える。私から見て負の環境遺伝と思える部分を指摘しても、なかなかそれを認められないようだ。負の環境遺伝と見て育った常識の区別がなかなかつかないらしい。解る。私もそうだ。今でもその狭間で混乱を生じることがある。それでも私は昔よりは少しだけ客観性を身につけた。うちのにも身につけて欲しい。ふたりとも似た複雑さで、そして親が真逆の解決策を取って育てられた。この溝は深い。一緒に埋めていければいいのだけれど。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
和服への夢と現実
2004年2月6日 メイク・ファッション・ピアス 現在7日。
少し前にフリーマーケットでライヴ用に袴を買った話を書いた。買ったときはライヴ用だから上はバンドTでいいや〜と思っていたのだけれど、ドラマー脱退につき次のライヴはいつになることやら。今月頭にオフィシャル・サイトが更新されており、すわ新ドラマー決定か? と思いきや、愛しの君の別バンドのライヴ予定が組まれていた。そのライヴは明日。当然ながら激しく行きたい。今回の告知では出演予定時間迄がご丁寧に書かれていた。今迄は日時だけだったのに。前回のように酔っ払って救急車の世話になるバカが出ない為の対策か? と思った。真相は知らないけど。で、思った旨と行きたい旨をうちのに伝えると、物凄い勢いで莫迦にされた。自意識過剰! はい……。命張って目立って同じ小屋にまた行くのか? そうですね…。暫くライヴは自粛しようとは思わんのか? 仰せの通りでございます……。でも観たいし聴きたいんだよ! 今回のバンドは今迄小屋に予約を入れても毎回なんだかんだで行けなかったブルースのなんだよ! でも確かに前回倒れた小屋に行くのは恥ずかしい。どうしたものか。明日うちのが休日出勤するなら行こうかな、とやはり諦め切れない。客層も前回私が倒れたときと似た感じだろうし、羞恥心は確かに刺激される。でも手拭い巻いて行きたいなあ。明日の夕方迄悩もう。
と、上記のように今回は袴が活用できるメイン・バンドのライヴではない。袴が日の目を見られるのはいつだ? と考えてふと思った。上に和服を着れば普段でも着られるじゃないか。私が和服を着た記憶があるのは、七五三・成人式の記念写真・卒業式の3回。全て他者に着付けてもらったので全く知識はない。知識どころか七五三は記憶にないし、成人式の記念写真は撮りたくない・着付けが苦し過ぎで本気で泣いてしまい泣き顔の写真しか残っていないので封印しているし、卒業式のときは谷崎の書いたナオミのイメージ再現。興味を持ったらすぐ検索。うへー……。和服と襦袢と帯があればいいってもんじゃなかったのか。半襟だの、単だの、袷だの、道行だの、単語しか知らなかった物がわらわら出てきた。なんで廃れてきたのかよく解った。洋服に比べて着付けが面倒だから、洋服に比べて高価だからだとしか思っていなかったけれど、それ以外にも廃れて然るべき事情がこうもあったとは。着物の選び方や帯の結び方ひとつでも同好の士と思える人たちの間で着物や人そのものへの値踏みがあったり、買おうと思っても呉服屋の軟禁もどきがあったり。そりゃ二の足踏むわ。昨今、地味に流行っているアンティーク・リサイクル着物でも呉服業界の因習が根強く残っている模様。怖い怖い。
以前、某大手チェーンの呉服屋でうちのが仕事の都合で男性用の和服一揃えをレンタルし、足袋を購入したことがあった。今回調べて初めて知ったことだけれど、悪名高き呉服屋だったらしい。悪評をいろいろ読む以前にかなり苛々させられた。一度レンタル+小物購入をしただけで2〜3ヶ月に1度のDMと電話攻撃に遭っていたのだ。DMは捨てればいいだけだけれど、電話には本当に迷惑した。最初の頃。呉服屋(仮名)の仮名(仮名)ですが、うちの(仮名)さまはいらっしゃいますか? いいえ。奥様でいらっしゃいますか? いいえ。お母さまでいらっしゃいますか? いいえ。妹さんでいらっしゃいますか? いいえ。お姉さまでいらっしゃいますか? いいえ。……どちらさまですか? おまいこそどちらさまじゃ! とは言わず、何でしょう? と慇懃無礼に。このたび当呉服屋でセールを云々。いえ、今特に入用ではないので。そうですか、では。何度か回数を重ねて、呉服(中略)セールを云々、用があればこちらから出向きますんで。そうですか、では。もう少し回数を重ねて。呉服(中略)セールを云々。今、忙しいんですけど。いつならご都合がよろしいですか? さあ……。夜ならよろしいでしょうか? 用があれば(以下略。最後。呉服(中略)何ですか? このたび当呉服屋で閉店セールを云々。あの〜。云々云々云々云々。あのですねっ! 用があればこっちから行くってこの間も言ったでしょ? そちらでは相手の都合も訊かずに用件を押し付けるように話すんですか? 相手の都合を訊いてから話し始めませんか? 用があればこっちから行くって何度も言ってますよね? ガチャッ!! このガチャッ!! は向こうのガチャ切りなのが凄い。相手の都合を考えずに話し始め、こちらが文句を言うと一方的に逆切れ。そりゃ閉店にもなるわ。
しかし私が被った迷惑DM及び電話はマシだった模様。むしろレンタルと足袋購入という本来の目的のみで帰れたという当然のことが、非常に稀なことだったらしい。この呉服屋の手口。まず欲しい物を比較的スムーズに選ばせる。そして会計に手間を取る。比較的というのは他の呉服屋と比べての話。手間を取るのは手口。わざと清算を引き伸ばし、その間にセールストークを繰り出すようだ。客は欲しい物の金額を払い終えて商品を受け取る迄は店を出られない。その間にあれはどうですか、これもどうですか攻撃。他チェーン店だと、有無を言わさぬ反物ぐるぐる巻きの刑に処せられたりもするらしい。刑を逃れるにはキッパリとした意思伝達か、買います発言のみ。そりゃ客足も遠のく筈だ。なら大手チェーンではなく小規模なところならいいのかというと、そういう店はそういう店で敷居が高いらしく、一見さんはとっとと帰っとくれ、という対応が少なくないとか。また着付け教室にも多くの罠が。アルバイト商法やらマルチ商法やら。日本の伝統民族衣装である呉服。見た目は百花繚乱、中身は魑魅魍魎。芽生えた興味が一気に引い……ていなかったりする。リサイクルを上手く利用できればフルセット3万程度で揃えられたりもできるようだし、着付けも本やネットで学習しつつ独学でもどうにかなることを知ってしまった。しかもリサイクル呉服の豊富な街がさほど遠くない場所にある。ネットオークションで、とも思ったけれど最初はやはり見て触って買った方が安心な気がする。はんなりと着こなして淑やかな仕草で街を行き、家では割烹着を着て家事。いいなあ! と脳内妄想は止まない。問題は中途半端な今の髪型と金だ。私が無精者で嵌り易く飽き易いことはどっかの棚にあげたまま、どの棚か忘れた。ことにしたい。
BGM/アルバム「無限の住人」
少し前にフリーマーケットでライヴ用に袴を買った話を書いた。買ったときはライヴ用だから上はバンドTでいいや〜と思っていたのだけれど、ドラマー脱退につき次のライヴはいつになることやら。今月頭にオフィシャル・サイトが更新されており、すわ新ドラマー決定か? と思いきや、愛しの君の別バンドのライヴ予定が組まれていた。そのライヴは明日。当然ながら激しく行きたい。今回の告知では出演予定時間迄がご丁寧に書かれていた。今迄は日時だけだったのに。前回のように酔っ払って救急車の世話になるバカが出ない為の対策か? と思った。真相は知らないけど。で、思った旨と行きたい旨をうちのに伝えると、物凄い勢いで莫迦にされた。自意識過剰! はい……。命張って目立って同じ小屋にまた行くのか? そうですね…。暫くライヴは自粛しようとは思わんのか? 仰せの通りでございます……。でも観たいし聴きたいんだよ! 今回のバンドは今迄小屋に予約を入れても毎回なんだかんだで行けなかったブルースのなんだよ! でも確かに前回倒れた小屋に行くのは恥ずかしい。どうしたものか。明日うちのが休日出勤するなら行こうかな、とやはり諦め切れない。客層も前回私が倒れたときと似た感じだろうし、羞恥心は確かに刺激される。でも手拭い巻いて行きたいなあ。明日の夕方迄悩もう。
と、上記のように今回は袴が活用できるメイン・バンドのライヴではない。袴が日の目を見られるのはいつだ? と考えてふと思った。上に和服を着れば普段でも着られるじゃないか。私が和服を着た記憶があるのは、七五三・成人式の記念写真・卒業式の3回。全て他者に着付けてもらったので全く知識はない。知識どころか七五三は記憶にないし、成人式の記念写真は撮りたくない・着付けが苦し過ぎで本気で泣いてしまい泣き顔の写真しか残っていないので封印しているし、卒業式のときは谷崎の書いたナオミのイメージ再現。興味を持ったらすぐ検索。うへー……。和服と襦袢と帯があればいいってもんじゃなかったのか。半襟だの、単だの、袷だの、道行だの、単語しか知らなかった物がわらわら出てきた。なんで廃れてきたのかよく解った。洋服に比べて着付けが面倒だから、洋服に比べて高価だからだとしか思っていなかったけれど、それ以外にも廃れて然るべき事情がこうもあったとは。着物の選び方や帯の結び方ひとつでも同好の士と思える人たちの間で着物や人そのものへの値踏みがあったり、買おうと思っても呉服屋の軟禁もどきがあったり。そりゃ二の足踏むわ。昨今、地味に流行っているアンティーク・リサイクル着物でも呉服業界の因習が根強く残っている模様。怖い怖い。
以前、某大手チェーンの呉服屋でうちのが仕事の都合で男性用の和服一揃えをレンタルし、足袋を購入したことがあった。今回調べて初めて知ったことだけれど、悪名高き呉服屋だったらしい。悪評をいろいろ読む以前にかなり苛々させられた。一度レンタル+小物購入をしただけで2〜3ヶ月に1度のDMと電話攻撃に遭っていたのだ。DMは捨てればいいだけだけれど、電話には本当に迷惑した。最初の頃。呉服屋(仮名)の仮名(仮名)ですが、うちの(仮名)さまはいらっしゃいますか? いいえ。奥様でいらっしゃいますか? いいえ。お母さまでいらっしゃいますか? いいえ。妹さんでいらっしゃいますか? いいえ。お姉さまでいらっしゃいますか? いいえ。……どちらさまですか? おまいこそどちらさまじゃ! とは言わず、何でしょう? と慇懃無礼に。このたび当呉服屋でセールを云々。いえ、今特に入用ではないので。そうですか、では。何度か回数を重ねて、呉服(中略)セールを云々、用があればこちらから出向きますんで。そうですか、では。もう少し回数を重ねて。呉服(中略)セールを云々。今、忙しいんですけど。いつならご都合がよろしいですか? さあ……。夜ならよろしいでしょうか? 用があれば(以下略。最後。呉服(中略)何ですか? このたび当呉服屋で閉店セールを云々。あの〜。云々云々云々云々。あのですねっ! 用があればこっちから行くってこの間も言ったでしょ? そちらでは相手の都合も訊かずに用件を押し付けるように話すんですか? 相手の都合を訊いてから話し始めませんか? 用があればこっちから行くって何度も言ってますよね? ガチャッ!! このガチャッ!! は向こうのガチャ切りなのが凄い。相手の都合を考えずに話し始め、こちらが文句を言うと一方的に逆切れ。そりゃ閉店にもなるわ。
しかし私が被った迷惑DM及び電話はマシだった模様。むしろレンタルと足袋購入という本来の目的のみで帰れたという当然のことが、非常に稀なことだったらしい。この呉服屋の手口。まず欲しい物を比較的スムーズに選ばせる。そして会計に手間を取る。比較的というのは他の呉服屋と比べての話。手間を取るのは手口。わざと清算を引き伸ばし、その間にセールストークを繰り出すようだ。客は欲しい物の金額を払い終えて商品を受け取る迄は店を出られない。その間にあれはどうですか、これもどうですか攻撃。他チェーン店だと、有無を言わさぬ反物ぐるぐる巻きの刑に処せられたりもするらしい。刑を逃れるにはキッパリとした意思伝達か、買います発言のみ。そりゃ客足も遠のく筈だ。なら大手チェーンではなく小規模なところならいいのかというと、そういう店はそういう店で敷居が高いらしく、一見さんはとっとと帰っとくれ、という対応が少なくないとか。また着付け教室にも多くの罠が。アルバイト商法やらマルチ商法やら。日本の伝統民族衣装である呉服。見た目は百花繚乱、中身は魑魅魍魎。芽生えた興味が一気に引い……ていなかったりする。リサイクルを上手く利用できればフルセット3万程度で揃えられたりもできるようだし、着付けも本やネットで学習しつつ独学でもどうにかなることを知ってしまった。しかもリサイクル呉服の豊富な街がさほど遠くない場所にある。ネットオークションで、とも思ったけれど最初はやはり見て触って買った方が安心な気がする。はんなりと着こなして淑やかな仕草で街を行き、家では割烹着を着て家事。いいなあ! と脳内妄想は止まない。問題は中途半端な今の髪型と金だ。私が無精者で嵌り易く飽き易いことはどっかの棚にあげたまま、どの棚か忘れた。ことにしたい。
BGM/アルバム「無限の住人」
生活感完全排除頽廃的享楽趣味
2004年2月5日 思想もどき 現在4月5日。
某うぷろだでDLした「情熱大陸」の安野モヨコ特集をやっと見た。自宅はともかく仕事部屋が小悪魔! 本人は当然のことながらロンパースちゃんではなく、小悪魔でもなかったけれど心掛けが小悪魔っぽくて参考になってしまった。なってしまった、というのは本来そんな番組ではないから。私が思ったモヨコの心掛けの小悪魔っぽさ。その日のメイクが決まらなければ仕事もパシッと決まらない、という部分。仕事をするだけなのにメイクとファッションに拘る。しかも必ず10cmヒールを履く。必然性がないのに10cmヒールは小悪魔要素のひとつな気がする。因みに私は10cmのヒールなんかもってはいない。か、買うか……? ショート丈の毛皮のコートも小悪魔っぽかった。うん。小悪魔に毛皮は似合う。むしろ必須アイテム。しかもショート丈ってのが小悪魔らしい。ここ迄要素を満たしていながら、何故にモヨコは小悪魔ではないのか。それは造作も然ることながらやはり、所帯、が見え隠れするからだ。監督の為に、仕事に出る前に昼食を用意する場面があった。小悪魔は人に尽くしてはならない気がする。尽くすにしても、結果として人の役に立っちゃった、であり、わざわざ他者の為に行動などしてはならない。小悪魔の行動原理は、自分が楽しいから、でなくては。頽廃的享楽趣味。一番楽しいのはビール呑みながら麻雀打ってるとき、と軽く言ってのける加賀まりこ。これぞ小悪魔。因ってモヨコのインテリア趣味及びメイクやファッションへの拘りは小悪魔的であっても、もっと底の方にあるべき小悪魔要素が欠けていて失格。
「月曜日のユカ」は未見だけれど、評判を聞くに主人公はかなりの小悪魔っぷりを発揮しているらしい。そして主人公を演じた加賀まりこの当時も今のようなオバチャン・テイストは皆無で、ひたすらに小悪魔な外見を駆使して小悪魔な行動をしていたようだ。当時の彼女の画像をネットで見たことがある。確かに小悪魔。今も彼女の外見はかなり小悪魔だと思う。惜しむらくはたまに性格に滲み出るオバチャンっぽさ。年月とはなんと惨いものなのだろう。人間、生涯一小悪魔でいることは不可能なのだろうか。黒澤優もそのうち母親宜しくオバチャンっぽくなってしまうのだろうか。悲しい。黒澤優→葉月理緒菜→広田レオナという私の小悪魔年代別理想は、未だその先が見出せていない。加賀まりこを広田レオナの先に置くことはできない。オバチャン・テイストさえなければ……。黒澤優も広田レオナも、何もしなくても男女共に人々が何故か傅いてしまうような雰囲気を持ち合わせている。昔はともかく、今の加賀まりこにその雰囲気はない。小悪魔たるもの、親っ跳ねに振り込んでも悔しがったりしてはならないのだ。広田レオナの旦那は吹越満。広田レオナ曰く、結婚してくれなきゃ死んじゃう! とプロポーズされ、死んじゃうのは可哀相だなあ、と思って結婚したとか。こうでなければ! ここ迄相手に言わしめさせてこその小悪魔なのだ。……私には到底無理そうなのが悲しい。泪を禁じ得ないくらいに悲しい。
今迄の日記の中で、小悪魔要素のひとつとして乳の大きさを挙げてきた。ふと気付いたのだが、黒澤優はそれ程乳は大きくない気がする。葉月理緒菜に至ってはヌード写真集で披露したように貧乳だ。因みに私の乳も葉月レベル。乳の大きさはもしかしたら小悪魔の条件への重大要素ではなく、附属要素なのかもしれない。貧乳でも小悪魔になれる可能性はありそうだ。一縷の希望、発見か! 貧乳でも小悪魔実現可能とする。葉月理緒菜と私の違いを考えてみよう。歳は同じ。これはどうでもいいことで、それはさて置き、違い……色気か。乳に頼らない色気。常に眠たげな目にポイントがありそうだ。私も常に眠たげである。しかし本当にいつも眠いからであり、天性の眠たげな目元ではない。小悪魔の目は眠たげならいいというものではなく、パッチリしていればいいというものでもない。気だるげな色気がそこには必要だ。この、気だるげ要素が私にはない。私にあるのは、だるそう、であり決して、気だるげ、とは似ても似つかないものである。だるさ、という共通点はありながら大きく違うそれの正体は一体何なのだろう。ダラか。私の醸し出すダラ加減が敗因なのか。
気だるげながらも意志の強そうな色気のある目。作為的にどうこうできるものではなさそうだ。整形したって作り出せっこなさそうな目。うーむ。これに似たものを作り出す残された手段は、心掛け、しかなさそうだ。似たもの、しか作れなさそうなのがまた悲しいけれど。ぼんやりしつつ感情を余り感じさせない、けれど強い眼力を持っていそうなそれに、ダラな心が出てはならない。ダラは小悪魔には禁忌だ。頽廃的享楽を楽しむ人に、ダラな気持ちは皆無だろう。ダラ要素を消し去らなければ。ダラを消し去りつつ、シャキになってもいけない。その匙加減が何とも難しそうだ。ダラやシャキの持つ生活感を失くす。これか! と起きたてのパジャマ姿でスラメタ聴きつつ煙草片手にこれを書いている私。小悪魔はパジャマなんて着ていなさそうだよなあ。寝るときは裸かシースルーやレースをふんだんに使ったベビードールを着ていそうだ。和製小悪魔なら浴衣。私のようにパジャマのゴムが伸びてきたからといって、ゴムを入れ替えもせずにちょっと引っ張り出して結んで調整など小悪魔にあるまじき行為だろう。しかもパジャマの素材がネル。ネル素材はパジャマはもとより、小悪魔なら普段も着てはならない気がする。自分の持っている衣類を思い返す。ネル素材、多いな。ああ、トレーナーやパーカも着なさそうだ。小悪魔なら。HR/HMも小悪魔は聴かない気がする。逆に嫌っていそう。よく解らないけれど、テクノとかハウスとか、若しくはクラシックを好みそうである。私が持っているハウス……某巨大掲示板発のムネオハウスくらいだ。ダメにも程がある。遠い。小悪魔への道のりは、私には余りに遠い。ならば方向転換をして天使というのはどうだろう。天使もHR/HMは嫌いっぽい。そもそも私は天使っぽさには憧れていないし。私が小悪魔になりたいのは何故だろう。他者を翻弄できそうだからか? そう考えると、私の諸事情を肯定してしまう理由を欲しているかのようだ。違う! 生活感のない色気が欲しいだけなのだ! 何から頑張ればいいのかよく考えてみよう。考える、という行為こそが小悪魔らしくないのは解っている。解っているけれど、天性の小悪魔要素を持ち合わせていない今の私にできるのは考えること、そして努力だけだ。
BGM/「Kill Again」「Overt Enemy」「Love To Hate」など
某うぷろだでDLした「情熱大陸」の安野モヨコ特集をやっと見た。自宅はともかく仕事部屋が小悪魔! 本人は当然のことながらロンパースちゃんではなく、小悪魔でもなかったけれど心掛けが小悪魔っぽくて参考になってしまった。なってしまった、というのは本来そんな番組ではないから。私が思ったモヨコの心掛けの小悪魔っぽさ。その日のメイクが決まらなければ仕事もパシッと決まらない、という部分。仕事をするだけなのにメイクとファッションに拘る。しかも必ず10cmヒールを履く。必然性がないのに10cmヒールは小悪魔要素のひとつな気がする。因みに私は10cmのヒールなんかもってはいない。か、買うか……? ショート丈の毛皮のコートも小悪魔っぽかった。うん。小悪魔に毛皮は似合う。むしろ必須アイテム。しかもショート丈ってのが小悪魔らしい。ここ迄要素を満たしていながら、何故にモヨコは小悪魔ではないのか。それは造作も然ることながらやはり、所帯、が見え隠れするからだ。監督の為に、仕事に出る前に昼食を用意する場面があった。小悪魔は人に尽くしてはならない気がする。尽くすにしても、結果として人の役に立っちゃった、であり、わざわざ他者の為に行動などしてはならない。小悪魔の行動原理は、自分が楽しいから、でなくては。頽廃的享楽趣味。一番楽しいのはビール呑みながら麻雀打ってるとき、と軽く言ってのける加賀まりこ。これぞ小悪魔。因ってモヨコのインテリア趣味及びメイクやファッションへの拘りは小悪魔的であっても、もっと底の方にあるべき小悪魔要素が欠けていて失格。
「月曜日のユカ」は未見だけれど、評判を聞くに主人公はかなりの小悪魔っぷりを発揮しているらしい。そして主人公を演じた加賀まりこの当時も今のようなオバチャン・テイストは皆無で、ひたすらに小悪魔な外見を駆使して小悪魔な行動をしていたようだ。当時の彼女の画像をネットで見たことがある。確かに小悪魔。今も彼女の外見はかなり小悪魔だと思う。惜しむらくはたまに性格に滲み出るオバチャンっぽさ。年月とはなんと惨いものなのだろう。人間、生涯一小悪魔でいることは不可能なのだろうか。黒澤優もそのうち母親宜しくオバチャンっぽくなってしまうのだろうか。悲しい。黒澤優→葉月理緒菜→広田レオナという私の小悪魔年代別理想は、未だその先が見出せていない。加賀まりこを広田レオナの先に置くことはできない。オバチャン・テイストさえなければ……。黒澤優も広田レオナも、何もしなくても男女共に人々が何故か傅いてしまうような雰囲気を持ち合わせている。昔はともかく、今の加賀まりこにその雰囲気はない。小悪魔たるもの、親っ跳ねに振り込んでも悔しがったりしてはならないのだ。広田レオナの旦那は吹越満。広田レオナ曰く、結婚してくれなきゃ死んじゃう! とプロポーズされ、死んじゃうのは可哀相だなあ、と思って結婚したとか。こうでなければ! ここ迄相手に言わしめさせてこその小悪魔なのだ。……私には到底無理そうなのが悲しい。泪を禁じ得ないくらいに悲しい。
今迄の日記の中で、小悪魔要素のひとつとして乳の大きさを挙げてきた。ふと気付いたのだが、黒澤優はそれ程乳は大きくない気がする。葉月理緒菜に至ってはヌード写真集で披露したように貧乳だ。因みに私の乳も葉月レベル。乳の大きさはもしかしたら小悪魔の条件への重大要素ではなく、附属要素なのかもしれない。貧乳でも小悪魔になれる可能性はありそうだ。一縷の希望、発見か! 貧乳でも小悪魔実現可能とする。葉月理緒菜と私の違いを考えてみよう。歳は同じ。これはどうでもいいことで、それはさて置き、違い……色気か。乳に頼らない色気。常に眠たげな目にポイントがありそうだ。私も常に眠たげである。しかし本当にいつも眠いからであり、天性の眠たげな目元ではない。小悪魔の目は眠たげならいいというものではなく、パッチリしていればいいというものでもない。気だるげな色気がそこには必要だ。この、気だるげ要素が私にはない。私にあるのは、だるそう、であり決して、気だるげ、とは似ても似つかないものである。だるさ、という共通点はありながら大きく違うそれの正体は一体何なのだろう。ダラか。私の醸し出すダラ加減が敗因なのか。
気だるげながらも意志の強そうな色気のある目。作為的にどうこうできるものではなさそうだ。整形したって作り出せっこなさそうな目。うーむ。これに似たものを作り出す残された手段は、心掛け、しかなさそうだ。似たもの、しか作れなさそうなのがまた悲しいけれど。ぼんやりしつつ感情を余り感じさせない、けれど強い眼力を持っていそうなそれに、ダラな心が出てはならない。ダラは小悪魔には禁忌だ。頽廃的享楽を楽しむ人に、ダラな気持ちは皆無だろう。ダラ要素を消し去らなければ。ダラを消し去りつつ、シャキになってもいけない。その匙加減が何とも難しそうだ。ダラやシャキの持つ生活感を失くす。これか! と起きたてのパジャマ姿でスラメタ聴きつつ煙草片手にこれを書いている私。小悪魔はパジャマなんて着ていなさそうだよなあ。寝るときは裸かシースルーやレースをふんだんに使ったベビードールを着ていそうだ。和製小悪魔なら浴衣。私のようにパジャマのゴムが伸びてきたからといって、ゴムを入れ替えもせずにちょっと引っ張り出して結んで調整など小悪魔にあるまじき行為だろう。しかもパジャマの素材がネル。ネル素材はパジャマはもとより、小悪魔なら普段も着てはならない気がする。自分の持っている衣類を思い返す。ネル素材、多いな。ああ、トレーナーやパーカも着なさそうだ。小悪魔なら。HR/HMも小悪魔は聴かない気がする。逆に嫌っていそう。よく解らないけれど、テクノとかハウスとか、若しくはクラシックを好みそうである。私が持っているハウス……某巨大掲示板発のムネオハウスくらいだ。ダメにも程がある。遠い。小悪魔への道のりは、私には余りに遠い。ならば方向転換をして天使というのはどうだろう。天使もHR/HMは嫌いっぽい。そもそも私は天使っぽさには憧れていないし。私が小悪魔になりたいのは何故だろう。他者を翻弄できそうだからか? そう考えると、私の諸事情を肯定してしまう理由を欲しているかのようだ。違う! 生活感のない色気が欲しいだけなのだ! 何から頑張ればいいのかよく考えてみよう。考える、という行為こそが小悪魔らしくないのは解っている。解っているけれど、天性の小悪魔要素を持ち合わせていない今の私にできるのは考えること、そして努力だけだ。
BGM/「Kill Again」「Overt Enemy」「Love To Hate」など
帰結
2004年2月4日 家族・メンヘル・健康など 現在4月4日。
昨日は久々に、出て行く! と大声を出した。ことの発端は仕事の付き合いで呑みに出掛けたうちのからの帰るコール。電話を受けた私はそのとき夕飯は済ませていたものの小腹が空いており、モスチーズバーガー買ってきて、と頼んだ。うちのは、やだ、と答えて電話を切った。40分程経った頃、うちのがコンビニ弁当を手に帰宅した。余り楽しい呑みではなかったらしく絡まれた。うちのは絡み酒なのだ。ちょうど草食動物の小屋掃除をしていた私にうちのは、買ってきてやったから食え、とのたまった。それはそれは偉そうに。恩着せがましく。往々にしてうちのは怒りっぽく、恩着せがましい。金にも煩い。なので普段は聞き流してハイハイと返事をしている。ところが私も昨日はカチンときてしまった。私は空腹だった訳ではなく、小腹が空いていただけだったのだ。そこにボリューム満点のお弁当。しかもおかずに私の苦手なマスタードがかかっていやがる。4年半も生活を共にしていて私がマスタードを食べられないことくらい知っているだろうが! うちのの絡み口調に適当に返事をしていると、どうも何かが癇に障ったらしく絡むに留まらずに怒り始めた。その内容がまた酷い。弁当代を出せと言うだけでなく、一昨日の話の蒸し返しだったのだ。
一昨日、私の不入浴に伴う他者への迷惑についてうちのが文句を言ってきた。文句とは違うか。フツーの苦言、なのだろう。フツーの人には。けれども私にとって入浴は大変につらいことである。気力体力が余程充実しているときでないと実現不可能な、そして準備にも時間がかかる、例えるならばマラソンと迄は言わないものの400m中距離走の大会に参加するかの如く、過酷なことである。入浴は日常のことではなくイベント。日常のことでなくなっているのは、誰よりも私がつらい。入浴していないことで行動範囲も狭まり、何処かに出掛けるにも何となく肩身の狭い思いをしている。抑うつで入浴ができなくなり、入浴ができないことで抑うつ感が強まる悪循環。うちのもそれは理解してくれている。しかしここ数日はかなり責められていた。迷惑だ、公害だ、と。尤もである。悪いのは入浴していない私だ。申し訳なく思う。それでも。そこ迄言わなくても……と言いたくなる程に酷い言葉を浴びせかけられた。他者からすれば、大した言葉ではないかもしれない。それでも私の心にはキツかった。そこに絡み酒が入った日にはもう。泣いた。そして、出て行く! と言って煙草と本を持った。そんなに私のことが迷惑なら出て行く! 結局なんだかんだ言ってあんたは私を思い通りに動かしたいだけだ! うちのが止めて、事なきを得たけれど。
何がキツかったか。具体的にどういう流れでそこに至ったかは興奮状態だったこともあり記憶にない。しかし言葉そのものは覚えている。お前はそうやってわざと俺と親を重ねてみている。何の為にここにいるんだ。うちのは意図していなかろうが、この質問は私の諸事情の根源に関わるものだ。考えたこともなった。うちのと親に共通点が多くあるとは思っていた。けれど、わざと重ねて見ていたという意識は全くない。うちののことが好きだから、共にする生活が心地良いから私はここで暮らしいてる。それは確かだ。その中で生活を共にしているうちのに親との共通点を見つける度に、負の環境にあった者は無意識に似た負の環境に自らを置く、というありがちなDV被害者のようなパターンに自分が陥っているような気はしていた。この世に全く共通点がない人間はいないと思う。似ていないように見えても何処かしら共通している性質があったりする。それは負には限らない。優しいとか、利口だとか、そういうことで共通している場合もあるだろう。けれどうちのと親は短所ばかり似ている。と思っていた。わざと、という言葉でハッとした。私は無意識のうちにうちのと親の短所を重ねて見ていたのか。もしかしたらうちのの短所の中でも親に似ていない短所は、取るに足らない短所なのかもしれない。親に似ているが故に肥大して見えているだけ、いや、私の脳内で肥大しているだけなのかもしれない。先日、親とお茶を飲んでいてそこに私と同じ癖があることが発覚した。喫茶店でお茶を飲み終えて席を立つほんの少し前に、もう一本だけ、と私は煙草に火を点ける。親も同じことをしていた。長所でも短所でもないただの癖だけれど以前うちのに、いつもお前はもう一本ってのがあるな、と言われたことがあったから共通していることに気付いたのだと思う。指摘があって初めて気付くこと。うちのの短所、特に親と共通していると私が思っている部分に大幅な見直しが必要そうである。特に、自分の思い通りに相手を動かしたがっている、というところ。うちのの短所だと私が思うことで一番引っかかっているのはここだ。親との共通点でもある。その内容が理不尽なのかそうでないのか、杓子定規でない考えを持つ必要があることが解った。
今日の昼間、うちのと近所の某ファミレスに行った。お互いに違うデザートのセットを注文。飲み物と一緒にナイフやフォークが運ばれてきた。食器の下に敷かれた紙に印刷された文字を読む。内容は、恋愛にも食べ物にも新鮮さが必要、というものだった。うちのと私が付き合い、同棲して4年半。新鮮さはあるだろうか。何処かで読んだ書き込みを話題に出してみた。その書き込みの内容。旦那が自分と結婚した理由は、こんな面白い生き物はそうそう落ちていないので拾った。そうそう落ちていないと思われる人なら、飽きられることは考え難い。うちのはなかなかに面白い人間なので私は飽きていない。たまに呆れることはあるけれど。うちのは私に飽きがきてはいないだろうか。問うたところ、飽きてはいないらしい。安心。けれど匂いには飽きた、と。風呂に入れということか。昨日の今日で解っている。でも外で言わないでくれ。デザートを食し、隣のスーパーで買い物をし、家で一服してからやっと2時間弱の時間をかけて入浴した。匂いか。毎日とっかえひっかえフレグランスを変えればいいのかな。フレグランスを日々つけ変えるということは、毎日の入浴を要する。どう足掻いても、入浴、にことは帰結するらしい。
昨日は久々に、出て行く! と大声を出した。ことの発端は仕事の付き合いで呑みに出掛けたうちのからの帰るコール。電話を受けた私はそのとき夕飯は済ませていたものの小腹が空いており、モスチーズバーガー買ってきて、と頼んだ。うちのは、やだ、と答えて電話を切った。40分程経った頃、うちのがコンビニ弁当を手に帰宅した。余り楽しい呑みではなかったらしく絡まれた。うちのは絡み酒なのだ。ちょうど草食動物の小屋掃除をしていた私にうちのは、買ってきてやったから食え、とのたまった。それはそれは偉そうに。恩着せがましく。往々にしてうちのは怒りっぽく、恩着せがましい。金にも煩い。なので普段は聞き流してハイハイと返事をしている。ところが私も昨日はカチンときてしまった。私は空腹だった訳ではなく、小腹が空いていただけだったのだ。そこにボリューム満点のお弁当。しかもおかずに私の苦手なマスタードがかかっていやがる。4年半も生活を共にしていて私がマスタードを食べられないことくらい知っているだろうが! うちのの絡み口調に適当に返事をしていると、どうも何かが癇に障ったらしく絡むに留まらずに怒り始めた。その内容がまた酷い。弁当代を出せと言うだけでなく、一昨日の話の蒸し返しだったのだ。
一昨日、私の不入浴に伴う他者への迷惑についてうちのが文句を言ってきた。文句とは違うか。フツーの苦言、なのだろう。フツーの人には。けれども私にとって入浴は大変につらいことである。気力体力が余程充実しているときでないと実現不可能な、そして準備にも時間がかかる、例えるならばマラソンと迄は言わないものの400m中距離走の大会に参加するかの如く、過酷なことである。入浴は日常のことではなくイベント。日常のことでなくなっているのは、誰よりも私がつらい。入浴していないことで行動範囲も狭まり、何処かに出掛けるにも何となく肩身の狭い思いをしている。抑うつで入浴ができなくなり、入浴ができないことで抑うつ感が強まる悪循環。うちのもそれは理解してくれている。しかしここ数日はかなり責められていた。迷惑だ、公害だ、と。尤もである。悪いのは入浴していない私だ。申し訳なく思う。それでも。そこ迄言わなくても……と言いたくなる程に酷い言葉を浴びせかけられた。他者からすれば、大した言葉ではないかもしれない。それでも私の心にはキツかった。そこに絡み酒が入った日にはもう。泣いた。そして、出て行く! と言って煙草と本を持った。そんなに私のことが迷惑なら出て行く! 結局なんだかんだ言ってあんたは私を思い通りに動かしたいだけだ! うちのが止めて、事なきを得たけれど。
何がキツかったか。具体的にどういう流れでそこに至ったかは興奮状態だったこともあり記憶にない。しかし言葉そのものは覚えている。お前はそうやってわざと俺と親を重ねてみている。何の為にここにいるんだ。うちのは意図していなかろうが、この質問は私の諸事情の根源に関わるものだ。考えたこともなった。うちのと親に共通点が多くあるとは思っていた。けれど、わざと重ねて見ていたという意識は全くない。うちののことが好きだから、共にする生活が心地良いから私はここで暮らしいてる。それは確かだ。その中で生活を共にしているうちのに親との共通点を見つける度に、負の環境にあった者は無意識に似た負の環境に自らを置く、というありがちなDV被害者のようなパターンに自分が陥っているような気はしていた。この世に全く共通点がない人間はいないと思う。似ていないように見えても何処かしら共通している性質があったりする。それは負には限らない。優しいとか、利口だとか、そういうことで共通している場合もあるだろう。けれどうちのと親は短所ばかり似ている。と思っていた。わざと、という言葉でハッとした。私は無意識のうちにうちのと親の短所を重ねて見ていたのか。もしかしたらうちのの短所の中でも親に似ていない短所は、取るに足らない短所なのかもしれない。親に似ているが故に肥大して見えているだけ、いや、私の脳内で肥大しているだけなのかもしれない。先日、親とお茶を飲んでいてそこに私と同じ癖があることが発覚した。喫茶店でお茶を飲み終えて席を立つほんの少し前に、もう一本だけ、と私は煙草に火を点ける。親も同じことをしていた。長所でも短所でもないただの癖だけれど以前うちのに、いつもお前はもう一本ってのがあるな、と言われたことがあったから共通していることに気付いたのだと思う。指摘があって初めて気付くこと。うちのの短所、特に親と共通していると私が思っている部分に大幅な見直しが必要そうである。特に、自分の思い通りに相手を動かしたがっている、というところ。うちのの短所だと私が思うことで一番引っかかっているのはここだ。親との共通点でもある。その内容が理不尽なのかそうでないのか、杓子定規でない考えを持つ必要があることが解った。
今日の昼間、うちのと近所の某ファミレスに行った。お互いに違うデザートのセットを注文。飲み物と一緒にナイフやフォークが運ばれてきた。食器の下に敷かれた紙に印刷された文字を読む。内容は、恋愛にも食べ物にも新鮮さが必要、というものだった。うちのと私が付き合い、同棲して4年半。新鮮さはあるだろうか。何処かで読んだ書き込みを話題に出してみた。その書き込みの内容。旦那が自分と結婚した理由は、こんな面白い生き物はそうそう落ちていないので拾った。そうそう落ちていないと思われる人なら、飽きられることは考え難い。うちのはなかなかに面白い人間なので私は飽きていない。たまに呆れることはあるけれど。うちのは私に飽きがきてはいないだろうか。問うたところ、飽きてはいないらしい。安心。けれど匂いには飽きた、と。風呂に入れということか。昨日の今日で解っている。でも外で言わないでくれ。デザートを食し、隣のスーパーで買い物をし、家で一服してからやっと2時間弱の時間をかけて入浴した。匂いか。毎日とっかえひっかえフレグランスを変えればいいのかな。フレグランスを日々つけ変えるということは、毎日の入浴を要する。どう足掻いても、入浴、にことは帰結するらしい。
小悪魔の条件
2004年2月3日 メイク・ファッション・ピアス 現在4月3日。
まだ小悪魔について考えている。小悪魔の好む色は黒とピンクではなかろうか。ピンクもベビーピンクなどの優しい色ではなくどぎついマゼンタピンク。そして思い出したのが中学時代。当時傘をなくした私に、親が新しい傘を買ったきてくれた。その傘は黒地にキツいピンクの水玉。派手さが恥ずかしくてイヤだった。今思えば、小悪魔が持つには適した傘のように思う。但し、ワンタッチ傘でなければ。ワンタッチで開く傘を持つのは小悪魔失格だ。小悪魔は面倒でも手でちゃんと開く傘を持たねばならない。また折り畳み傘も小悪魔らしくない。急な雨に鞄から折り畳み傘を取り出す姿は所帯染みて見える。ダメだ。小悪魔は、万が一に備えて、の行動はしてはならないのだ。雨が降ってきちゃった、いいわ濡れていきましょ。これぞ小悪魔! また日傘も小悪魔の美意識にはない気がする。日焼け止めをしっかり塗っておき、さんさんとした日差しの中を闊歩していそうだ。折り畳み傘と日傘、一気に処分してしまおうか……。しかし私の折り畳み傘は見かけに惚れたヴィヴィアンの白い傘。捨てるには勿体無い。日傘はピンクペースの輪郭のハッキリしない水彩画のような辛うじて花柄に見えるような折り畳み傘と、500円という安さに惹かれて購入した黒い短めの傘。前者も後者も小悪魔禁忌アイテム。後者は捨ててしまってもいいけれど、前者は気に入っている。迷う……。また私の所有している雨傘はグレーベースの和柄のケイタマルヤマのが1本。シビラのが数本。ノーブランドの白地にピンクのが1本。どれも小悪魔らしくない。特にシビラ。シビラは小悪魔アイテムじゃないだろう。小悪魔ならヴィヴィアンかアナスイではなかろうか。けれど、シビラの傘は持ち手に限ればちょっと小悪魔テイスト。柄は全然小悪魔じゃないのに。どうしたものか。
アースカラーの衣類も小悪魔に反していると思う。小悪魔はクッキリパッキリした、カラーベースでいうところの冬の色に春や夏の色を挿し色にして着ていそうだ。私のパーソナルカラーは冬。折角のパーソナルカラーを活かした着こなしができていない。もっと言えば苦手だ。私が黒を基調に服を選ぶと何故か軽やかさが皆無となる。シフォンなど素材をちゃんと考えてもダメ。タッパが服に負けてしまっている気がする。やはりヒールの高い靴に慣れる必要がありそうだ。いっそ似合わなければ方向転換もし易いかもしれない。なのに似合うのだ。似合うにも拘らず、思い通りに着こなせない。こんな悔しい話って……。キツいピンクは着こなせる。赤もOK。それでも黒と合わせると何故か途端に野暮ったくなり田舎のヤンキーのようになってしまう。小洒落た感じで黒とピンクを着こなす。これが今のテーマである。無難な青系ばかりに逃げてしまう現状をどうにかしたい。タッパはどうにもならない。メイクはどうにでもなる。問題はやはり綺麗にヒールを履きこなせる健康な体と真っ直ぐの姿勢だ。
この春夏、ランジェリーテイストのキャミやワンピースが流行るらしい。そしてビニール素材の小物。ランジェリーテイストは小悪魔らしいじゃないか! と喜びもつかの間。試着する迄もなく似合わないことが解っている。ランジェリーっぽい服は、乳がなければ非常に貧相に見えるのだ。ただでさえ薄っぺらい上半身をこれ以上薄く見せるのは避けたい。小悪魔は肉感的でなければならない。ほんの少し不健康な肉感。決して健康的であってはならない。ほんの少しの不健康さが色気に繋がっている気がする。私は不健康さには自信があるが、ほんの少しどころではない不健康というのも問題だ。不健康は不健康でもその匙加減は大変に難しい。大体小悪魔がメンヘル系の薬を手放せないってのはどうなんだ。小悪魔が飲む薬はピルだろう。煙草と矛盾するけれど。ちょっと不健康、でも肉感的な色気があり、謎めいている。これぞ小悪魔! 私の対極にいるのが小悪魔なのか? 対極と書くとまるで私が天使っぽいようだが、断じてそんなことはない。ただのオバチャンだ。年齢の問題ではなく、姿勢や生活がオバチャン。若しくはオッサン。違う。私はオバチャンやオッサンではなく小悪魔になりたいのだ! 目指すところは市原悦子ではなく広田レオナなのだ! 家政婦ではなく家政婦を使う立場。ずぶずぶの所帯ではなくほんのりと危うい香り。このほんの少しとかほんのりというのが解らん。頭では想像できるけれど、実践する為に何が必要なのかがさっぱり解らん。
また小悪魔は肌が透き通るように白く、荒れた箇所など決してなさそうである。白いっちゃあ白いけれど、私の肌は荒れている。このニキビ痕が憎いったらない。美白に励まなくては。そして小悪魔には無駄毛もなさそうである。永久脱毛……は無理なのでせめて除毛しよう。春だし、もうすぐ夏だし。尤も小悪魔は除毛だの何だのせずとも元々体毛が薄そうである。比べて私は……泪なくして語れない体だ。乳はないしタッパもないし肌は荒れて見えるし体毛も濃いし。嘆いていても小悪魔にはなれない。それに小悪魔は嘆いたりしなさそうだ。乳は寄せて上げて、ヒールを履きこなして、美白に励み、除毛しよう。これも違う気がする。小悪魔はこんな努力もしなさそうだ。そのときそのときを気侭に生きていそう。ネイルもさっきの私のように頑張って長さを揃えてスクエアオフにファイルで削ったりせず、サロンでお任せにしていそうだ。そうだ。小悪魔は貧窮することなどなさそうだ。だから気軽にエステやサロンに行ける。何故だ。想像する小悪魔は定職についてはいない。でも何故か金はある。住んでいる部屋も豪華。朝食はシリアル、夕食はアルコール。……人間か? それ。いやいや、喜怒哀楽はハッキリしていそうだ。それだけでなく我侭で周囲を翻弄し、それでも周囲は怒らずに何故か小悪魔の周りには人が絶えない。笑うときもきっと大口を開けて笑ったりせず、フフッと口元だけで笑うのだろう。嬉しいときも目と口元だけで表現。怒ったときや悲しいときはこっそりとひとりになって感情処理をするに違いない。小悪魔になりたくていろいろ書いてきたけれど、これ、私じゃない。今ある私の外見や性格を全て捨てなければ、小悪魔にはなれない。程遠いなんてものではなく、別物。それでいいのか? いい。それでも小悪魔になりたい。この目標=小悪魔、が今の私の唯一の前向きな目標だし。当分はこれで行こう。
まだ小悪魔について考えている。小悪魔の好む色は黒とピンクではなかろうか。ピンクもベビーピンクなどの優しい色ではなくどぎついマゼンタピンク。そして思い出したのが中学時代。当時傘をなくした私に、親が新しい傘を買ったきてくれた。その傘は黒地にキツいピンクの水玉。派手さが恥ずかしくてイヤだった。今思えば、小悪魔が持つには適した傘のように思う。但し、ワンタッチ傘でなければ。ワンタッチで開く傘を持つのは小悪魔失格だ。小悪魔は面倒でも手でちゃんと開く傘を持たねばならない。また折り畳み傘も小悪魔らしくない。急な雨に鞄から折り畳み傘を取り出す姿は所帯染みて見える。ダメだ。小悪魔は、万が一に備えて、の行動はしてはならないのだ。雨が降ってきちゃった、いいわ濡れていきましょ。これぞ小悪魔! また日傘も小悪魔の美意識にはない気がする。日焼け止めをしっかり塗っておき、さんさんとした日差しの中を闊歩していそうだ。折り畳み傘と日傘、一気に処分してしまおうか……。しかし私の折り畳み傘は見かけに惚れたヴィヴィアンの白い傘。捨てるには勿体無い。日傘はピンクペースの輪郭のハッキリしない水彩画のような辛うじて花柄に見えるような折り畳み傘と、500円という安さに惹かれて購入した黒い短めの傘。前者も後者も小悪魔禁忌アイテム。後者は捨ててしまってもいいけれど、前者は気に入っている。迷う……。また私の所有している雨傘はグレーベースの和柄のケイタマルヤマのが1本。シビラのが数本。ノーブランドの白地にピンクのが1本。どれも小悪魔らしくない。特にシビラ。シビラは小悪魔アイテムじゃないだろう。小悪魔ならヴィヴィアンかアナスイではなかろうか。けれど、シビラの傘は持ち手に限ればちょっと小悪魔テイスト。柄は全然小悪魔じゃないのに。どうしたものか。
アースカラーの衣類も小悪魔に反していると思う。小悪魔はクッキリパッキリした、カラーベースでいうところの冬の色に春や夏の色を挿し色にして着ていそうだ。私のパーソナルカラーは冬。折角のパーソナルカラーを活かした着こなしができていない。もっと言えば苦手だ。私が黒を基調に服を選ぶと何故か軽やかさが皆無となる。シフォンなど素材をちゃんと考えてもダメ。タッパが服に負けてしまっている気がする。やはりヒールの高い靴に慣れる必要がありそうだ。いっそ似合わなければ方向転換もし易いかもしれない。なのに似合うのだ。似合うにも拘らず、思い通りに着こなせない。こんな悔しい話って……。キツいピンクは着こなせる。赤もOK。それでも黒と合わせると何故か途端に野暮ったくなり田舎のヤンキーのようになってしまう。小洒落た感じで黒とピンクを着こなす。これが今のテーマである。無難な青系ばかりに逃げてしまう現状をどうにかしたい。タッパはどうにもならない。メイクはどうにでもなる。問題はやはり綺麗にヒールを履きこなせる健康な体と真っ直ぐの姿勢だ。
この春夏、ランジェリーテイストのキャミやワンピースが流行るらしい。そしてビニール素材の小物。ランジェリーテイストは小悪魔らしいじゃないか! と喜びもつかの間。試着する迄もなく似合わないことが解っている。ランジェリーっぽい服は、乳がなければ非常に貧相に見えるのだ。ただでさえ薄っぺらい上半身をこれ以上薄く見せるのは避けたい。小悪魔は肉感的でなければならない。ほんの少し不健康な肉感。決して健康的であってはならない。ほんの少しの不健康さが色気に繋がっている気がする。私は不健康さには自信があるが、ほんの少しどころではない不健康というのも問題だ。不健康は不健康でもその匙加減は大変に難しい。大体小悪魔がメンヘル系の薬を手放せないってのはどうなんだ。小悪魔が飲む薬はピルだろう。煙草と矛盾するけれど。ちょっと不健康、でも肉感的な色気があり、謎めいている。これぞ小悪魔! 私の対極にいるのが小悪魔なのか? 対極と書くとまるで私が天使っぽいようだが、断じてそんなことはない。ただのオバチャンだ。年齢の問題ではなく、姿勢や生活がオバチャン。若しくはオッサン。違う。私はオバチャンやオッサンではなく小悪魔になりたいのだ! 目指すところは市原悦子ではなく広田レオナなのだ! 家政婦ではなく家政婦を使う立場。ずぶずぶの所帯ではなくほんのりと危うい香り。このほんの少しとかほんのりというのが解らん。頭では想像できるけれど、実践する為に何が必要なのかがさっぱり解らん。
また小悪魔は肌が透き通るように白く、荒れた箇所など決してなさそうである。白いっちゃあ白いけれど、私の肌は荒れている。このニキビ痕が憎いったらない。美白に励まなくては。そして小悪魔には無駄毛もなさそうである。永久脱毛……は無理なのでせめて除毛しよう。春だし、もうすぐ夏だし。尤も小悪魔は除毛だの何だのせずとも元々体毛が薄そうである。比べて私は……泪なくして語れない体だ。乳はないしタッパもないし肌は荒れて見えるし体毛も濃いし。嘆いていても小悪魔にはなれない。それに小悪魔は嘆いたりしなさそうだ。乳は寄せて上げて、ヒールを履きこなして、美白に励み、除毛しよう。これも違う気がする。小悪魔はこんな努力もしなさそうだ。そのときそのときを気侭に生きていそう。ネイルもさっきの私のように頑張って長さを揃えてスクエアオフにファイルで削ったりせず、サロンでお任せにしていそうだ。そうだ。小悪魔は貧窮することなどなさそうだ。だから気軽にエステやサロンに行ける。何故だ。想像する小悪魔は定職についてはいない。でも何故か金はある。住んでいる部屋も豪華。朝食はシリアル、夕食はアルコール。……人間か? それ。いやいや、喜怒哀楽はハッキリしていそうだ。それだけでなく我侭で周囲を翻弄し、それでも周囲は怒らずに何故か小悪魔の周りには人が絶えない。笑うときもきっと大口を開けて笑ったりせず、フフッと口元だけで笑うのだろう。嬉しいときも目と口元だけで表現。怒ったときや悲しいときはこっそりとひとりになって感情処理をするに違いない。小悪魔になりたくていろいろ書いてきたけれど、これ、私じゃない。今ある私の外見や性格を全て捨てなければ、小悪魔にはなれない。程遠いなんてものではなく、別物。それでいいのか? いい。それでも小悪魔になりたい。この目標=小悪魔、が今の私の唯一の前向きな目標だし。当分はこれで行こう。
小悪魔オーラ
2004年2月2日 メイク・ファッション・ピアス 現在4月2日。
昨日友人とメッセで話していたら、小雪のオーラが欲しい、なんぞと言い出した。小雪とはモデル上がりで現在は女優として活躍している女性のことだ。私にとって小雪とは、四角い人、でしかない。因って、なんであんな四角くなりたいの? と訊ねた。彼女は別に四角くなりたい訳ではないらしい。なんというか、透明感? そんなものを小雪に感じ、そのオーラが欲しいと言う。解らん。四角いオーラしか感じない……。藤原紀香は中央集中オーラしか感じず、セクシーだの健康美だの、増してや峰不二子を感じない。あくまで、真ん中密集パーツ、だ。だからオーラもそれになる。同じように、小雪が発しているのは四角オーラだとしか思えないのだが、彼女にとっては透明感らしい。そしてその小雪オーラの源として、野菜ばかり食べていそう、と感じた彼女はシチューを作ったと言う。クリームシチューで、具はブロッコリーとスナックエンドウとマカロニ。作る迄は小雪をイメージし、作っている最中からは何故か男の料理になってしまい、あれこれと手を加えたものの失敗してしまったらしい。料理の失敗はともかくとして、小雪のオーラが欲しい、という発言に安彦麻理絵を思い出した。最近読んだ彼女の漫画に、顔は中谷美紀で雰囲気はジェーン・バーキンになりたい、という科白があったからだ。友人は私と同い年、安彦は30代半ばである。安彦の近影を見るに中谷美紀とはお世辞にも言えず、友人も小雪のオーラを持ち合わせてはおらず、もっともっと意志が強そうなイメージである。中身はちょっと違うのだが。それにしても女って成長しない……。そして常にないもの強請り。
そんな私も同じようにないもの強請りである。私の顔立ちはスッキリサッパリ系だ。体は幼児体型。コンプレックスは乳のなさ。なので巨乳小悪魔系に憧れる。露骨な小悪魔で例えるなら、広田レオナ。強か小悪魔で例えるなら広末涼子。特に広末は強かにも清純にも取れそうでお得感がある。こんなところでお得を求めてどうするよ、というのは棚に上げる。でまあ、露骨な例の広田レオナだ。独断で赤口紅が妖艶に見える女性ナンバー1。黒のシースルーのベビードールが似合う女性ナンバー1でもある。私が赤口紅を塗ると、お嬢ちゃんママのコスメをイタズラしちゃダメよ〜になり、黒ベビードールなんか着た日にゃあバケツで塩水をぶっ掛けられることだろう。自覚はある。私はどう転んでも広田レオナにはなれない。ならば広末でどうだ……も何も、あれは外見ではなく天性の小悪魔オーラだ。しかも小悪魔だけでなく天使オーラも出し入れ自在。広田レオナと広末涼子の共通点は、どちらも肉が好きそう、だ。私との共通点発見! って食生活だけであんな色気が出せる筈もない。後10cm乳がでかければ人生違っていたかもなあ、と常々思っている。むしろ違っていたに違いない。2cm3cmでは今と変わらないだろう。10cm! カップにして後3ランク上! 整形以外で乳を10cmでかくする術があるなら私はどんな努力も惜しむまい。ケツは立派だ。自画自賛になるけれど、パンツがパシッと決まるケツをしている。それだけに乳のなさが目立って見える。どう足掻いても問題は乳に帰結する。
今日、数年ぶりにダイエット本を購入してきた。昔買ったダイエット本はダンベル体操と食生活を取扱ったもの。今日のは1mウォーキングの本だ。ダイエットをする為に買った訳ではない。肩凝り腰痛及び姿勢の悪さを矯正したいのだ。小悪魔は姿勢が良さそうな気がする。猫背になるのはバーのカウンターのみ! いや、バーなんて行かないんだけど。今は呑めないし。まあ姿勢を良くするところから、自分自身に何か変化があればいいなあ、と。いい音楽は綺麗な生活から、ではないけれど、姿勢を良くすることで活発さを多少なりとも取り戻し、肩凝り腰痛などという生活染みた悩みを解消しよう、という目論見だ。小悪魔に生活感は不要。生活そのものは営まなければならないけれど、雰囲気から生活感が滲み出てはならないのだ。姿勢が悪いと生活感があるように見える。姿勢が良いとそれが薄れる気がする。気のせいかもしれないけれど、そう思ってしまったのだから仕方がない。だからまず姿勢矯正である。
親が少し前に、杖をつかないと歩けない、と言っていた。それが3週間ばかり整体に通い、何もなくても歩けるようになったばかりか体に柔軟性迄つけた。しかしその整体は実家の近くであり、ということはうちからは遠い。なのでできることからコツコツと、の精神で姿勢矯正。小悪魔は健康そうな気がする。病院というところは不健康な人が集まる場であり、不健康というのは生活感がある気がする。今通っている病院はともかく、その他の病院には近づきたくない。そして小悪魔は歯並びはさて置き、白い歯をしていそうである。煙草は吸うけれど白い歯。虫歯の存在は小悪魔には禁忌だ。虫歯を治療しなければ小悪魔にはなれない気がしてきた。歯医者に行かねば。しかし私の想像する小悪魔は凄い。不健康な生活をしつつ物凄く健康そうだ。今のところ、パッと見の雰囲気での小悪魔オーラに憧れている私。叶う日なんてこないとは思うけれど、きてしまったら部屋も小悪魔っぽくしなければ気が済まなくなりそうである。黒と紫ベースのデコラティブなアナスイの雰囲気を持った部屋か、赤と黒と白をベースにしたシンプルな部屋か。生成りや茶色は使わなさそうである。所帯染みた花柄も論外だ。これって物凄く金がかかるのではなかろうか。それでもやってのけてこその小悪魔なのだろうなあ。ああ、健康グッズなんかもあってはならないだろう。靴もスニーカーやビルケンなんかは絶対に履かず、最低5cm以上のヒールばかり履いていそうだ。なのに良い姿勢。日々の入浴はきっと常にバブルバス。香りは薔薇だな。決して六一○ハップなんか使わない筈だ。そのバブルバスの中でボディブラシで軽く洗うだけだろう。……書いていて凄い思い違いが混ざっていそうな気もしてきたけれど気にしない。小悪魔になりたい。小悪魔オーラの魅惑を振り撒きたい。そんなことを思う20代後半の春。小雪オーラを目指す友人の方が健康的に思えてきた。
BGM/アルバム「見知らぬ世界」
昨日友人とメッセで話していたら、小雪のオーラが欲しい、なんぞと言い出した。小雪とはモデル上がりで現在は女優として活躍している女性のことだ。私にとって小雪とは、四角い人、でしかない。因って、なんであんな四角くなりたいの? と訊ねた。彼女は別に四角くなりたい訳ではないらしい。なんというか、透明感? そんなものを小雪に感じ、そのオーラが欲しいと言う。解らん。四角いオーラしか感じない……。藤原紀香は中央集中オーラしか感じず、セクシーだの健康美だの、増してや峰不二子を感じない。あくまで、真ん中密集パーツ、だ。だからオーラもそれになる。同じように、小雪が発しているのは四角オーラだとしか思えないのだが、彼女にとっては透明感らしい。そしてその小雪オーラの源として、野菜ばかり食べていそう、と感じた彼女はシチューを作ったと言う。クリームシチューで、具はブロッコリーとスナックエンドウとマカロニ。作る迄は小雪をイメージし、作っている最中からは何故か男の料理になってしまい、あれこれと手を加えたものの失敗してしまったらしい。料理の失敗はともかくとして、小雪のオーラが欲しい、という発言に安彦麻理絵を思い出した。最近読んだ彼女の漫画に、顔は中谷美紀で雰囲気はジェーン・バーキンになりたい、という科白があったからだ。友人は私と同い年、安彦は30代半ばである。安彦の近影を見るに中谷美紀とはお世辞にも言えず、友人も小雪のオーラを持ち合わせてはおらず、もっともっと意志が強そうなイメージである。中身はちょっと違うのだが。それにしても女って成長しない……。そして常にないもの強請り。
そんな私も同じようにないもの強請りである。私の顔立ちはスッキリサッパリ系だ。体は幼児体型。コンプレックスは乳のなさ。なので巨乳小悪魔系に憧れる。露骨な小悪魔で例えるなら、広田レオナ。強か小悪魔で例えるなら広末涼子。特に広末は強かにも清純にも取れそうでお得感がある。こんなところでお得を求めてどうするよ、というのは棚に上げる。でまあ、露骨な例の広田レオナだ。独断で赤口紅が妖艶に見える女性ナンバー1。黒のシースルーのベビードールが似合う女性ナンバー1でもある。私が赤口紅を塗ると、お嬢ちゃんママのコスメをイタズラしちゃダメよ〜になり、黒ベビードールなんか着た日にゃあバケツで塩水をぶっ掛けられることだろう。自覚はある。私はどう転んでも広田レオナにはなれない。ならば広末でどうだ……も何も、あれは外見ではなく天性の小悪魔オーラだ。しかも小悪魔だけでなく天使オーラも出し入れ自在。広田レオナと広末涼子の共通点は、どちらも肉が好きそう、だ。私との共通点発見! って食生活だけであんな色気が出せる筈もない。後10cm乳がでかければ人生違っていたかもなあ、と常々思っている。むしろ違っていたに違いない。2cm3cmでは今と変わらないだろう。10cm! カップにして後3ランク上! 整形以外で乳を10cmでかくする術があるなら私はどんな努力も惜しむまい。ケツは立派だ。自画自賛になるけれど、パンツがパシッと決まるケツをしている。それだけに乳のなさが目立って見える。どう足掻いても問題は乳に帰結する。
今日、数年ぶりにダイエット本を購入してきた。昔買ったダイエット本はダンベル体操と食生活を取扱ったもの。今日のは1mウォーキングの本だ。ダイエットをする為に買った訳ではない。肩凝り腰痛及び姿勢の悪さを矯正したいのだ。小悪魔は姿勢が良さそうな気がする。猫背になるのはバーのカウンターのみ! いや、バーなんて行かないんだけど。今は呑めないし。まあ姿勢を良くするところから、自分自身に何か変化があればいいなあ、と。いい音楽は綺麗な生活から、ではないけれど、姿勢を良くすることで活発さを多少なりとも取り戻し、肩凝り腰痛などという生活染みた悩みを解消しよう、という目論見だ。小悪魔に生活感は不要。生活そのものは営まなければならないけれど、雰囲気から生活感が滲み出てはならないのだ。姿勢が悪いと生活感があるように見える。姿勢が良いとそれが薄れる気がする。気のせいかもしれないけれど、そう思ってしまったのだから仕方がない。だからまず姿勢矯正である。
親が少し前に、杖をつかないと歩けない、と言っていた。それが3週間ばかり整体に通い、何もなくても歩けるようになったばかりか体に柔軟性迄つけた。しかしその整体は実家の近くであり、ということはうちからは遠い。なのでできることからコツコツと、の精神で姿勢矯正。小悪魔は健康そうな気がする。病院というところは不健康な人が集まる場であり、不健康というのは生活感がある気がする。今通っている病院はともかく、その他の病院には近づきたくない。そして小悪魔は歯並びはさて置き、白い歯をしていそうである。煙草は吸うけれど白い歯。虫歯の存在は小悪魔には禁忌だ。虫歯を治療しなければ小悪魔にはなれない気がしてきた。歯医者に行かねば。しかし私の想像する小悪魔は凄い。不健康な生活をしつつ物凄く健康そうだ。今のところ、パッと見の雰囲気での小悪魔オーラに憧れている私。叶う日なんてこないとは思うけれど、きてしまったら部屋も小悪魔っぽくしなければ気が済まなくなりそうである。黒と紫ベースのデコラティブなアナスイの雰囲気を持った部屋か、赤と黒と白をベースにしたシンプルな部屋か。生成りや茶色は使わなさそうである。所帯染みた花柄も論外だ。これって物凄く金がかかるのではなかろうか。それでもやってのけてこその小悪魔なのだろうなあ。ああ、健康グッズなんかもあってはならないだろう。靴もスニーカーやビルケンなんかは絶対に履かず、最低5cm以上のヒールばかり履いていそうだ。なのに良い姿勢。日々の入浴はきっと常にバブルバス。香りは薔薇だな。決して六一○ハップなんか使わない筈だ。そのバブルバスの中でボディブラシで軽く洗うだけだろう。……書いていて凄い思い違いが混ざっていそうな気もしてきたけれど気にしない。小悪魔になりたい。小悪魔オーラの魅惑を振り撒きたい。そんなことを思う20代後半の春。小雪オーラを目指す友人の方が健康的に思えてきた。
BGM/アルバム「見知らぬ世界」
現在4月2日。
知人が転職に失敗した模様。友人は治験の短期バイトに行ったまま連絡が取れない。知人はきっと何らかの新天地を遅かれ早かれ見つけられるだろうが、心配なのは友人である。この友人、上京してから貯金を食い潰し、取り敢えずということで短期バイトを始める、と言っていた。その内容が治験と聞いて私は止めた。何の治験だかハッキリしていなかったからだ。治験に纏わる聞いたことのある怖い話をして止めたが、連絡がこないところをみると……いやはやどうなったことやら。連絡がないのは構わないけれど、無事でいてくれないと。治験は必要なことだし、治験の存在を否定はしない。しかしその具体的内容も判らぬままに飛び込んでいった友人の生死は気になる。バイトの話を聞いてしまっているので、便りがないのは良い便り、とは思えない。メールを出してみようかと思わなくもないけれど、返信がなかったらと思うと行動に出るのが怖い。心配なので、もしこれを読んだらアクセスしてきて欲しい。
別の友人は先日彼女に振られたとか。聞くも悲しい振られ方だった。かつて聞いた失恋話の中で2番目にキツかった。その友人は所用で大変忙しく、彼女とのデートや電話の時間が殆ど取れなかったらしい。そして一段落着いたとき、彼女には新しい彼氏ができていた。その彼氏は友人の友人だという。淋しかったから、がそっちに靡いた理由だ。しかもその彼女は友人に対し、これからもお兄ちゃんのように接して欲しい、なんぞと抜かしてきやがったとか。自分の恋人を隙を狙うかのように口説いて掻っ攫う奴なんて友人ではないと思う。友人は今後その友人とどう接するか逡巡しているようだった。切れよ! と諭した。また甘ったれた彼女もスルーしろよ! と。振られた側が、これからも友達でいて、的発言をするのは解る。けれど振っておいてそれはないだろう。しかも友達ですらなく、お兄ちゃん、だ。友人ののろけを散々聞いてきたこともあり、非常に腹立たしかった。友人が周囲の人間にこの失恋話をしたところ女性たちの意見は、保守的な女だ、と彼女のことを評されたらしい。私は保守的だとは思わなかった。ただの我侭である。友人はかなり落ち込んではいたが、次の当てがあるようで。若いっていいなあ。
過去に聞いた中で一番酷かった失恋話は私の学生時代の友人の話だ。彼女は奥手で学生時代に恋愛経験はなく、社会に出て初めて好きな人ができた。彼には既に彼女がいた。それでも告白したところ、やはり振られてしまった。今余り上手くいってはいないけれど彼女のことが好きだから、と。これだけなら、言ってしまえばよくある話。彼女は職場の同性の彼氏持ちの友人に恋心を打ち明け、いろいろと相談していたらしい。数週間後、彼女が好きだった人が婚約した。相手はその相談していた友人だった。お互いに浮気として付き合い始めて本気になり、結婚に至ったらしい。いけしゃあしゃあとそいつらは、彼女を前に婚約を発表した。二重につらい。失恋、そして友人の裏切り。彼女が間もなく退職したのは言う迄もない。その後留学し、日本に戻ってから転職し、そこで彼氏を作ったけれど、次の転職で彼女は遠くに引っ越してそのまま自然消滅したと言っていた。引っ込み思案ながらキャリアウーマン志向の強い、仕事熱心な子である。今は疎遠になっていて年賀メールの遣り取りくらいしかしていないけれど、そろそろ新しい彼氏はできただろうか。できていると私も嬉しい。
それにしても酷い仕打ちと言ってしまえる振り方をできる人間のなんと多いことか。某巨大掲示板某板などを見ていると、酷い仕打ちを受けた経験のある者は少なくないことが判る。大多数が受けていなければ稀なこと、と括れる話ではない。少数でも、この手の傷は受けた者にとっては深く、立ち直り難い。またときには異性不振に陥ってしまったりもする。得てして振った側には悪意がないところがまた性質が悪い。未必の故意、という言葉がある。こういう悪意のなさはそれに匹敵するのではなかろうか。相手が致命的な傷を追うかもしれないことなど、ほんの少し想像すれば考え至る筈だ。それなのに自分の恋に浮かれて他者は二の次三の次。悪質だ。またこの手の傷を負う羽目になってしまった者に限っていい奴だったりする。少なくとも私の周りでは、いい奴ばかりがこんな目に遭っている。いい奴故に復讐など考えない。自力で傷を癒そうといじましく努力し、時間をかけてどうにか立ち直る。見ている私はもどかしく、傷を負わせた相手を痛い目に遭わせてやりたいと考えるのだけれど、彼らはいい奴だからそんなことは考えない。私は愚痴を聞くことしかできない。
思い返せば、私も昔は酷いことをしてきた。言い訳は、だって好きになっちゃったんだもん! だ。だから上記のような酷い目に遭わせてしまう者の気持ちも解らないではない。それでも私は時を経て分別が付くようになった。していいこと、悪いこと。してしまった後の適切な事後処理、不適切な事後処理。それくらいは解るようになった。過去に私が酷い目に遭わせてしまった人々には心の中で謝罪している。直接の謝罪は、却って相手につらい過去を思い出させることにもなってしまうから。それに会っても私には頭を下げることしかできない。断罪。贖罪。ひっそりと心の中でだけする。友人らを泣かせた相手も、いつか犯した未必の故意の酷さに気付く日がくるのだろうか。きて欲しい。気付かずにのうのうと生き続ける者にはいつか天誅が下る、と信じたい。私の現状、これは昔の罪の償いなのか? まさかね。反省しているから良い、とは思っていない。ただ今できることは過去を省みつつ、今一緒にいるうちのを大切にすることだけだ。自分が傷付けてしまったこと、自分が傷付けられたこと。それらを糧に生きていくしかない。私を傷付けた人々もこれ迄に気付いただろうか。私が傷付けてしまった人々は立ち直ってくれただろうか。確認する術はない。皆が今そのときを、自分と他者を大切にしつつ生きていくにはどうすればいいのだろう。答えは各々が見つけてゆくしかない。またもしかしたら、こういうことに出会わず、出会っても気付かずに生きている人々こそが幸せなのかもしれない。厚顔無恥が最強だったりする不条理な世の中だ。
BGM/アルバム「見知らぬ世界」
知人が転職に失敗した模様。友人は治験の短期バイトに行ったまま連絡が取れない。知人はきっと何らかの新天地を遅かれ早かれ見つけられるだろうが、心配なのは友人である。この友人、上京してから貯金を食い潰し、取り敢えずということで短期バイトを始める、と言っていた。その内容が治験と聞いて私は止めた。何の治験だかハッキリしていなかったからだ。治験に纏わる聞いたことのある怖い話をして止めたが、連絡がこないところをみると……いやはやどうなったことやら。連絡がないのは構わないけれど、無事でいてくれないと。治験は必要なことだし、治験の存在を否定はしない。しかしその具体的内容も判らぬままに飛び込んでいった友人の生死は気になる。バイトの話を聞いてしまっているので、便りがないのは良い便り、とは思えない。メールを出してみようかと思わなくもないけれど、返信がなかったらと思うと行動に出るのが怖い。心配なので、もしこれを読んだらアクセスしてきて欲しい。
別の友人は先日彼女に振られたとか。聞くも悲しい振られ方だった。かつて聞いた失恋話の中で2番目にキツかった。その友人は所用で大変忙しく、彼女とのデートや電話の時間が殆ど取れなかったらしい。そして一段落着いたとき、彼女には新しい彼氏ができていた。その彼氏は友人の友人だという。淋しかったから、がそっちに靡いた理由だ。しかもその彼女は友人に対し、これからもお兄ちゃんのように接して欲しい、なんぞと抜かしてきやがったとか。自分の恋人を隙を狙うかのように口説いて掻っ攫う奴なんて友人ではないと思う。友人は今後その友人とどう接するか逡巡しているようだった。切れよ! と諭した。また甘ったれた彼女もスルーしろよ! と。振られた側が、これからも友達でいて、的発言をするのは解る。けれど振っておいてそれはないだろう。しかも友達ですらなく、お兄ちゃん、だ。友人ののろけを散々聞いてきたこともあり、非常に腹立たしかった。友人が周囲の人間にこの失恋話をしたところ女性たちの意見は、保守的な女だ、と彼女のことを評されたらしい。私は保守的だとは思わなかった。ただの我侭である。友人はかなり落ち込んではいたが、次の当てがあるようで。若いっていいなあ。
過去に聞いた中で一番酷かった失恋話は私の学生時代の友人の話だ。彼女は奥手で学生時代に恋愛経験はなく、社会に出て初めて好きな人ができた。彼には既に彼女がいた。それでも告白したところ、やはり振られてしまった。今余り上手くいってはいないけれど彼女のことが好きだから、と。これだけなら、言ってしまえばよくある話。彼女は職場の同性の彼氏持ちの友人に恋心を打ち明け、いろいろと相談していたらしい。数週間後、彼女が好きだった人が婚約した。相手はその相談していた友人だった。お互いに浮気として付き合い始めて本気になり、結婚に至ったらしい。いけしゃあしゃあとそいつらは、彼女を前に婚約を発表した。二重につらい。失恋、そして友人の裏切り。彼女が間もなく退職したのは言う迄もない。その後留学し、日本に戻ってから転職し、そこで彼氏を作ったけれど、次の転職で彼女は遠くに引っ越してそのまま自然消滅したと言っていた。引っ込み思案ながらキャリアウーマン志向の強い、仕事熱心な子である。今は疎遠になっていて年賀メールの遣り取りくらいしかしていないけれど、そろそろ新しい彼氏はできただろうか。できていると私も嬉しい。
それにしても酷い仕打ちと言ってしまえる振り方をできる人間のなんと多いことか。某巨大掲示板某板などを見ていると、酷い仕打ちを受けた経験のある者は少なくないことが判る。大多数が受けていなければ稀なこと、と括れる話ではない。少数でも、この手の傷は受けた者にとっては深く、立ち直り難い。またときには異性不振に陥ってしまったりもする。得てして振った側には悪意がないところがまた性質が悪い。未必の故意、という言葉がある。こういう悪意のなさはそれに匹敵するのではなかろうか。相手が致命的な傷を追うかもしれないことなど、ほんの少し想像すれば考え至る筈だ。それなのに自分の恋に浮かれて他者は二の次三の次。悪質だ。またこの手の傷を負う羽目になってしまった者に限っていい奴だったりする。少なくとも私の周りでは、いい奴ばかりがこんな目に遭っている。いい奴故に復讐など考えない。自力で傷を癒そうといじましく努力し、時間をかけてどうにか立ち直る。見ている私はもどかしく、傷を負わせた相手を痛い目に遭わせてやりたいと考えるのだけれど、彼らはいい奴だからそんなことは考えない。私は愚痴を聞くことしかできない。
思い返せば、私も昔は酷いことをしてきた。言い訳は、だって好きになっちゃったんだもん! だ。だから上記のような酷い目に遭わせてしまう者の気持ちも解らないではない。それでも私は時を経て分別が付くようになった。していいこと、悪いこと。してしまった後の適切な事後処理、不適切な事後処理。それくらいは解るようになった。過去に私が酷い目に遭わせてしまった人々には心の中で謝罪している。直接の謝罪は、却って相手につらい過去を思い出させることにもなってしまうから。それに会っても私には頭を下げることしかできない。断罪。贖罪。ひっそりと心の中でだけする。友人らを泣かせた相手も、いつか犯した未必の故意の酷さに気付く日がくるのだろうか。きて欲しい。気付かずにのうのうと生き続ける者にはいつか天誅が下る、と信じたい。私の現状、これは昔の罪の償いなのか? まさかね。反省しているから良い、とは思っていない。ただ今できることは過去を省みつつ、今一緒にいるうちのを大切にすることだけだ。自分が傷付けてしまったこと、自分が傷付けられたこと。それらを糧に生きていくしかない。私を傷付けた人々もこれ迄に気付いただろうか。私が傷付けてしまった人々は立ち直ってくれただろうか。確認する術はない。皆が今そのときを、自分と他者を大切にしつつ生きていくにはどうすればいいのだろう。答えは各々が見つけてゆくしかない。またもしかしたら、こういうことに出会わず、出会っても気付かずに生きている人々こそが幸せなのかもしれない。厚顔無恥が最強だったりする不条理な世の中だ。
BGM/アルバム「見知らぬ世界」
現在2月1日。
日記の仕様が変わった。前の方がシンプルで良かった。いろいろカスタムするのが好きな人は楽しかろうが、私は面倒だ。気が向いたら弄る……かな? どうだろう。そして新機能、全部なくても困らない。個人的に良くなったと思える部分は日記を書くにあたっての枠が広くなったことくらいか。文庫的活字文体で徹底したいのでタグも使わないだろうから下のボタンが少し邪魔に感じるけれど。他の人の日記を見ると、早速カスタマイズしている人が多くいたので、今回の仕様変更にあたって私のような感想を持つ人間の方が少数派なのかもしれない。もし、私が仕様変更を自由にできたとしたら気持ち表示を廃止、自己紹介欄のリンクを複数可能にする。それ以外だと、読む人がフォントの大きさを変えられるようにするとか。映画「ドラッグストア・ガール」のオフィシャル・サイトがそうなっていて親切だと思ったから。
今、通常以上に面倒気質が発揮されている。事は昨夜に起因する。夜、洗濯をした。やっつけるか、と重い腰を上げてから実際に洗濯機をちゃんと回し始める迄にかかった時間は約1時間。うちでは洗濯機の上に汚れ物を入れる洗濯籠を置いており、洗濯機を使うときは、その籠に入った洗濯物を分別するところから始まる。選別の種類はタオルと下着・靴下・Tシャツやカットソー・シャツ・パンツやスカート。汚れ具合などではなく、干すときに楽をできるように分別するのだ。洗濯の回数は大体週に2回。1回の洗濯につき2〜3回回す。今日はタオルと下着とパンツで1回、Tシャツとシャツで1回だった。タオルも下着もその他もどれも複数枚である。分別をして籠をどかす→洗濯機に電源を入れてコースを選んで開始ボタンを押す→蛇口をひねって水を出し始めて少し溜まったら洗剤投入→汚れ物投入→洗濯機の蓋を閉める→2回目の濯ぎの際に柔軟材投入→蓋を閉める→終了音がなったら取り出す→2回目を同様に開始→その間に1回目の洗濯物を干す→……、とそのときの洗濯物の量に合わせて繰り返される。今回は蛇口をひねって水を出すときに大惨事が起きた。どうも洗濯籠をどかすときに蛇口とホースの継ぎ目に衝撃を与えてしまったらしく、気付かぬままに水を出し始めたら物凄い勢いで周囲に水が飛び散った。この水を拭くのがまた大変。我が家の洗濯機は室内置きであり、洗濯機を置くスペースの余白部分、右には傘が10本近く、左にはビニールのショップ袋に入れられた私のブーツが4足、手前には靴の箱の山。全部どかして雑巾で拭き掃除。私がしたかったのは洗濯だけであり、掃除なんかしたくなかったのに。物の移動と拭き掃除で約1時間取られた。他者から見たらきっと洗濯籠を適当に扱った自業自得だろう。でも当事者にしたら天災のようなものである。因みに右側に置いていた傘はどれも豪雨の中で使ったかのようにびしょ濡れになっていた。
天災・大惨事と言えば、昨夜も酷い目に遭った。昨夜はうちのの帰宅後、近所のファミレスでバースデイ・ディナーとしてオムライスとパンケーキをうちのにご馳走してもらった。美味しい+夕飯の支度をしなくて済んだと機嫌良く帰宅し、ネットでちょっと遊び……うっ。トイレに駆け込む。何も出ない。死ぬ程具合が悪い。布団に入る。うっ。トイレ。何も出ない。もう一度布団に、うっ。トイレ。出た。上の方からオロロロロロロロロロロロロ〜と大量に。口を漱いで布団に戻る。うっ。トイレ。何も出ない。布団に戻ってやっとうとうと……うっ。トイレ。再びオロロ(以下略。何に中ったことやら解らないけれど、誕生日の夜になんでこんな目に会わねばならないのか。我が不運を恨みつつ、うちのに、明日の午前中に医者に行ってこい、と言われ頷いてやっと寝られた。病院に行ってこい、と起こされたのは午前8時。もう吐き気はない。そして私は病院嫌い。大丈夫、と再び寝ようとしたらうちのが文句を言い出した。本当に大丈夫なんだな! じゃあもう具合悪いとか風邪とか言うなよ! 熱を計るのも禁止! 医者に行く程ではないという意味での、大丈夫、だったのに酷い言われようである。適当にうんうんと言ってまた寝て、次に起こされたのは昼前。腹減った。バースデイ・イヴにデリバリしたピザの残りを出す。コーヒーは? 面倒くせえなあ、もう! と反発したりはせず、へいへいとお湯を沸かして淹れて出し、再び布団へ。あんた食べないの? いらない、全部食べちゃっていいよ。いらないと言ったのは、空腹でなかったことが半分、前々日の残り物でありまた中ったら嫌だったのが半分。私が寝ている間にうちのが何度か話しかけてきた記憶はあるが内容は覚えていない。起きたのは19時半頃。うちのからの、遅くなるから先に飯食っててコール。私が寝ている間に休日出勤した模様。帰宅してから、明日呑みに行く、とうちのが言い出したのでバレンタインにチョコと一緒に渡す予定でクローゼットの奥にしまっていたラベンハムのジャケットを、半月早いけど、と渡す。当然、バレンタインはもうチョコだけだからね! と念を押す。とても驚かれ、非常に喜ばれた。驚いたのは、バレンタインはチョコだけだと思っていたのにそれ以外のプレゼントを相当早くから用意されていたことと、昨今私からもらったプレゼントの中で格段に高価な物だったこと。高価と言っても新品ではないけれど。喜ばれたのは、ちょうど欲しいと思っていた形のジャケットだったから。サイズもぴったりで一安心。
何故食中りしたのかを分析。外食だし、別メニューではあるけれど食事を共にしたうちのはなんともなかったことから出された物はきっと傷んではいなかったと思われる。ただ傷んではいないけれども危なかった物なのかもしれない。同じ食事をしても中る人と中らない人がいる。この差は、そのときの体力差である。食事の時点での私の体調は訳一週間も長引いている風邪っぴき、プラス昼に久々に親に会うにあたっての極度の緊張から一気に開放されたという精神状態の激しい起伏でストレスを募らせていた。風邪は勿論のこと、ストレスも体力を消耗させる。これらの体力消耗要素により、通常なら中らない程度の物に中ってしまったのではなかろうか。誕生日イブは存分にダラしていい日、誕生日当日は気が済む迄ダラしていい日、アフター誕生日は十分にダラしていい日、と脳内決定していたのに当日とアフターはそこ迄ダラできなかったので、2日分纏めて、今日は心置きなくダラしていい日としたい。余談。愛しの君のバンドの10年程前のツアーパンフとその他グッズと雑誌記事スクラップのセットのネットオークションが昨夜終了した。参戦する余地のない高値となっていた。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
日記の仕様が変わった。前の方がシンプルで良かった。いろいろカスタムするのが好きな人は楽しかろうが、私は面倒だ。気が向いたら弄る……かな? どうだろう。そして新機能、全部なくても困らない。個人的に良くなったと思える部分は日記を書くにあたっての枠が広くなったことくらいか。文庫的活字文体で徹底したいのでタグも使わないだろうから下のボタンが少し邪魔に感じるけれど。他の人の日記を見ると、早速カスタマイズしている人が多くいたので、今回の仕様変更にあたって私のような感想を持つ人間の方が少数派なのかもしれない。もし、私が仕様変更を自由にできたとしたら気持ち表示を廃止、自己紹介欄のリンクを複数可能にする。それ以外だと、読む人がフォントの大きさを変えられるようにするとか。映画「ドラッグストア・ガール」のオフィシャル・サイトがそうなっていて親切だと思ったから。
今、通常以上に面倒気質が発揮されている。事は昨夜に起因する。夜、洗濯をした。やっつけるか、と重い腰を上げてから実際に洗濯機をちゃんと回し始める迄にかかった時間は約1時間。うちでは洗濯機の上に汚れ物を入れる洗濯籠を置いており、洗濯機を使うときは、その籠に入った洗濯物を分別するところから始まる。選別の種類はタオルと下着・靴下・Tシャツやカットソー・シャツ・パンツやスカート。汚れ具合などではなく、干すときに楽をできるように分別するのだ。洗濯の回数は大体週に2回。1回の洗濯につき2〜3回回す。今日はタオルと下着とパンツで1回、Tシャツとシャツで1回だった。タオルも下着もその他もどれも複数枚である。分別をして籠をどかす→洗濯機に電源を入れてコースを選んで開始ボタンを押す→蛇口をひねって水を出し始めて少し溜まったら洗剤投入→汚れ物投入→洗濯機の蓋を閉める→2回目の濯ぎの際に柔軟材投入→蓋を閉める→終了音がなったら取り出す→2回目を同様に開始→その間に1回目の洗濯物を干す→……、とそのときの洗濯物の量に合わせて繰り返される。今回は蛇口をひねって水を出すときに大惨事が起きた。どうも洗濯籠をどかすときに蛇口とホースの継ぎ目に衝撃を与えてしまったらしく、気付かぬままに水を出し始めたら物凄い勢いで周囲に水が飛び散った。この水を拭くのがまた大変。我が家の洗濯機は室内置きであり、洗濯機を置くスペースの余白部分、右には傘が10本近く、左にはビニールのショップ袋に入れられた私のブーツが4足、手前には靴の箱の山。全部どかして雑巾で拭き掃除。私がしたかったのは洗濯だけであり、掃除なんかしたくなかったのに。物の移動と拭き掃除で約1時間取られた。他者から見たらきっと洗濯籠を適当に扱った自業自得だろう。でも当事者にしたら天災のようなものである。因みに右側に置いていた傘はどれも豪雨の中で使ったかのようにびしょ濡れになっていた。
天災・大惨事と言えば、昨夜も酷い目に遭った。昨夜はうちのの帰宅後、近所のファミレスでバースデイ・ディナーとしてオムライスとパンケーキをうちのにご馳走してもらった。美味しい+夕飯の支度をしなくて済んだと機嫌良く帰宅し、ネットでちょっと遊び……うっ。トイレに駆け込む。何も出ない。死ぬ程具合が悪い。布団に入る。うっ。トイレ。何も出ない。もう一度布団に、うっ。トイレ。出た。上の方からオロロロロロロロロロロロロ〜と大量に。口を漱いで布団に戻る。うっ。トイレ。何も出ない。布団に戻ってやっとうとうと……うっ。トイレ。再びオロロ(以下略。何に中ったことやら解らないけれど、誕生日の夜になんでこんな目に会わねばならないのか。我が不運を恨みつつ、うちのに、明日の午前中に医者に行ってこい、と言われ頷いてやっと寝られた。病院に行ってこい、と起こされたのは午前8時。もう吐き気はない。そして私は病院嫌い。大丈夫、と再び寝ようとしたらうちのが文句を言い出した。本当に大丈夫なんだな! じゃあもう具合悪いとか風邪とか言うなよ! 熱を計るのも禁止! 医者に行く程ではないという意味での、大丈夫、だったのに酷い言われようである。適当にうんうんと言ってまた寝て、次に起こされたのは昼前。腹減った。バースデイ・イヴにデリバリしたピザの残りを出す。コーヒーは? 面倒くせえなあ、もう! と反発したりはせず、へいへいとお湯を沸かして淹れて出し、再び布団へ。あんた食べないの? いらない、全部食べちゃっていいよ。いらないと言ったのは、空腹でなかったことが半分、前々日の残り物でありまた中ったら嫌だったのが半分。私が寝ている間にうちのが何度か話しかけてきた記憶はあるが内容は覚えていない。起きたのは19時半頃。うちのからの、遅くなるから先に飯食っててコール。私が寝ている間に休日出勤した模様。帰宅してから、明日呑みに行く、とうちのが言い出したのでバレンタインにチョコと一緒に渡す予定でクローゼットの奥にしまっていたラベンハムのジャケットを、半月早いけど、と渡す。当然、バレンタインはもうチョコだけだからね! と念を押す。とても驚かれ、非常に喜ばれた。驚いたのは、バレンタインはチョコだけだと思っていたのにそれ以外のプレゼントを相当早くから用意されていたことと、昨今私からもらったプレゼントの中で格段に高価な物だったこと。高価と言っても新品ではないけれど。喜ばれたのは、ちょうど欲しいと思っていた形のジャケットだったから。サイズもぴったりで一安心。
何故食中りしたのかを分析。外食だし、別メニューではあるけれど食事を共にしたうちのはなんともなかったことから出された物はきっと傷んではいなかったと思われる。ただ傷んではいないけれども危なかった物なのかもしれない。同じ食事をしても中る人と中らない人がいる。この差は、そのときの体力差である。食事の時点での私の体調は訳一週間も長引いている風邪っぴき、プラス昼に久々に親に会うにあたっての極度の緊張から一気に開放されたという精神状態の激しい起伏でストレスを募らせていた。風邪は勿論のこと、ストレスも体力を消耗させる。これらの体力消耗要素により、通常なら中らない程度の物に中ってしまったのではなかろうか。誕生日イブは存分にダラしていい日、誕生日当日は気が済む迄ダラしていい日、アフター誕生日は十分にダラしていい日、と脳内決定していたのに当日とアフターはそこ迄ダラできなかったので、2日分纏めて、今日は心置きなくダラしていい日としたい。余談。愛しの君のバンドの10年程前のツアーパンフとその他グッズと雑誌記事スクラップのセットのネットオークションが昨夜終了した。参戦する余地のない高値となっていた。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
ベリー・ハッピー・バースデイ
2004年1月30日 家族・メンヘル・健康など 昼過ぎから親に会ってきた。説教もされず、うちのと別れろとか病院を変えろなどの主張もされず、実に和やかに、拍子抜けする程に穏やかな数時間を過ごしてきた。都内某鰻屋で待ち合わせて、両親と会食。近況報告と主用であった郵便物の受取。風邪、大丈夫? と問われ、ちっとも大丈夫ではないけれど押し隠して、大丈夫、と答えた。出かける際、うちのにもらったピアスをつけていったところ親が気付き、それかわいいね。うちのにもらった。ここから少しうちのの話。でもその中でうちのへの悪口などは出ず、どこも不況だし大変だねえ、と。鰻、美味でした。デザートがついていなかったため喫茶店に場所を替えて3人で雑談。内容は、何かあったら連絡してこい、何もなくても連絡してきて構わない、部屋もちゃんとそのまま残してあるからいつ帰ってきてもいい、などの暖かい言葉をかけられる。泪を堪えるのに一苦労。昼休みを延長して迄付き合ってくれた父親とはそこでお別れ。またな、と言って父親は仕事に戻った。長く話してくれて有難う。感謝。白髪、増えていたね。ごめん。
その後、母親がアイブロウペンシルとマスカラが切れていると言うので買い物に付き合う。途中にあったポール&ジョーに寄り、限定コンパクトミラーの在庫を訊くも普段からチェックしているブランドではなく逆にまだ発売日前とのこと。因ってそこでネイルカラーを2本購入。約1ヶ月遅れの母親への誕生日プレゼントである。その間にマスカラを購入していた親に渡す。長く水仕事をしてきて荒れて不恰好になっている手を親はやや恥じている。この手に塗っても……、と言う親に大高姐さんの心持で一喝。この手だから塗るのっ! 有難う、と受け取ってくれた。親が使っているアイブロウは、昔私が薦めたイプサの物。リニューアルしたことを伝え、エレガンスに切り替えては? と提案するもイプサに拘っていた。なら隣のデパートへと行こうとするも、親は少し離れたデパートへ行きたがった。商品券があるのでそれを使いたい、と。成る程、とそちらに向かいつつ親が紙袋からいろいろ出してくる。革の3連ブレスレット、凝ったビーズの指輪、そして細工の細かいシルバーと陶器でできたブローチ。小さい物ばかりなのは、うちのに今日会うことを伝えて欲しくなかった=家にあっても不自然ではない物、という気遣いだったのだろう。今日会うことは言ってきたの? と訊かれたときに、限定コスメを物色しに出かけると伝えた、と答えたのは正解だったようだ。現実には、うちのは私の今日の出かける正しい目的を知っており且つ昼に、そろそろ起きないと間に合わないよ! と電話をしてきてくれるという気遣いを見せてくれた。皆が私に気を遣ってくれている……。私は何もできていないのに。嬉しいやら情けないやら。親が拘っていたデパートに到着してイプサへ。イプサのカウンタでリニュ前のアイブロウペンシルを出してもらい、ストックを含めて親は2本購入していた。それじゃあまだあるけれどストック用にパウダーの方も、とお願いするも生憎そちらは品切れ。親は会計時に商品券を出さなかった。ん? 買い物後、あんた欲しい物は? と問われる。そういうことかあ。けれども何も想定しておらず、デパート内をふらふら。A.P.C.で可愛いスカートを見つけるも決め手に欠けたので保留。ふと目に入ったのがツモリの猫パッチワークの財布。可愛い! でもツモリの財布の札入れ部分は仕切りなしだし……うーん、あ、数年前に父親にクリスマスプレゼントにもらったA&Aの化粧ポーチがまだ壊れてはいないけれど年季が入ってきている。そろそろ買い替えてもいい時期かな、と売り場を見に行く。テリア柄の色違い発見。でも色味がイマイチ気に入らない。店員さんが言う。限定カラーなんですよ。限定……限定には弱い。でもやっぱりこの色は気に入らない。再び財布売り場に戻り、ツモリの財布に決定。最後の1点で在庫はないとのこと。でもいいや、とそれを買ってもらった。大事に使おう。そして隣のハンズに行き文具フロアにて、うちのに前から頼まれていたシステム手帳のレフィル購入。うちのの、とは言わなかった。うちのの為の買い物に付き合わされた、と親に思わせたくなかったから。会計を済ませ、トイレタリーフロアで親が気に入っているのに取扱店が少ない歯磨き粉を購入。私が払う予定だったのに払われてしまった。しかも私の分迄買ってくれてしまった。親がトイレに行っている間にそのフロアを眺めていると、ナイアードのビーワックスリップクリームを発見! ここにあったのか! 親は手も肌も唇も荒れている。会計をして、ハイ、と渡した。
別の喫茶店でお茶を飲んでいるときに、親が私に白い封筒を渡してきた。中身はお札だ。お小遣いじゃないからね、と言われる。これは交通費。何かあったときに、どんな時間でも困らずに帰ってこれるように手をつけないように。了解。大事に保管しておこう。そして祖母の話。もう車椅子にも乗れなくなってきているそうだ。会いたい気持ちを伝えると、じゃあ一緒に今度会いに行こう、と。去年の、会ってくれるな、発言が解禁された。春頃に一度祖母の元に行こうという話になった。嬉しい限り。親との雑談の中で、うちのの過去が許せないのは解るんだけど、うちののことが全面的に嫌いなの? と訊ねてみた。イエス・ノー以外の返答。あんたが苦労をしそうな相手ではあると思う、あんたならもっといい男を見つけられそうなのに、あんたの全てをそのまま受け入れてくれる人がいるんじゃないの、とは思う。らしい。親は盲目。うちのの親も、私の親も。結婚は楽をさせてくれる相手とするものではなく、一緒に苦労をしてもいいと思える相手とするもの。お互いに不満は多々あれどもうちのは私にとってはいい相手だし、精神病のダラ似非奥をここ迄受け入れてくれる人は金の草鞋で探しても見つかるまい、と思っている。私がそう思えているのだからいいんだ、と思った。親が、嫌い、と断言しないということは、一部が嫌いなだけなのだろうということも何となく理解できたし。
別のデパートのイプサに行き、アイブロウパウダーの在庫を探してもらうもやはり完売、別のデパートに迄電話で問い合わせてくれた。結局なかったけれども、親は満足げだった。別デパートに迄、こちらから頼まなくても問い合わせをしてくれるような親切さが、イプサに親や私を惹きつけるのだ。同デパートのアユーラに予約してあったパウダーを引き取りに行き、デパ地下で親は夕食の買い物、私は父親用のバレンタインチョコを購入。そして駅で見送り。帰宅して暫くしてから親から電話があった。今日はお疲れさま、いろいろ有難う、とお互いに言い合う。そして親が、またお茶飲もうね、と言ってくれた。去年の入院時の別れの際に、また、という言葉は親からも父親からも出なかったのに。うん、と答えた。そして叔母が今朝、私に誕生日おめでとうメールを送ってくれていると聞いたので、届いていないけれど叔母に電話してお礼を言い、春頃におばあちゃんとこに行こうと思っている、と話すと喜んでくれた。昨日の必要以上の苛々は、今日、親と会うにあたっての必要以上の緊張からのものだったように、今は思う。うちの、ごめん。うちのからも、両親からも、叔母からも祝ってもらえた誕生日。過去もずっとそうだったけれど、何ら変わりなく見えるけれど私には、今年の誕生日が過去最高の誕生日だった。
その後、母親がアイブロウペンシルとマスカラが切れていると言うので買い物に付き合う。途中にあったポール&ジョーに寄り、限定コンパクトミラーの在庫を訊くも普段からチェックしているブランドではなく逆にまだ発売日前とのこと。因ってそこでネイルカラーを2本購入。約1ヶ月遅れの母親への誕生日プレゼントである。その間にマスカラを購入していた親に渡す。長く水仕事をしてきて荒れて不恰好になっている手を親はやや恥じている。この手に塗っても……、と言う親に大高姐さんの心持で一喝。この手だから塗るのっ! 有難う、と受け取ってくれた。親が使っているアイブロウは、昔私が薦めたイプサの物。リニューアルしたことを伝え、エレガンスに切り替えては? と提案するもイプサに拘っていた。なら隣のデパートへと行こうとするも、親は少し離れたデパートへ行きたがった。商品券があるのでそれを使いたい、と。成る程、とそちらに向かいつつ親が紙袋からいろいろ出してくる。革の3連ブレスレット、凝ったビーズの指輪、そして細工の細かいシルバーと陶器でできたブローチ。小さい物ばかりなのは、うちのに今日会うことを伝えて欲しくなかった=家にあっても不自然ではない物、という気遣いだったのだろう。今日会うことは言ってきたの? と訊かれたときに、限定コスメを物色しに出かけると伝えた、と答えたのは正解だったようだ。現実には、うちのは私の今日の出かける正しい目的を知っており且つ昼に、そろそろ起きないと間に合わないよ! と電話をしてきてくれるという気遣いを見せてくれた。皆が私に気を遣ってくれている……。私は何もできていないのに。嬉しいやら情けないやら。親が拘っていたデパートに到着してイプサへ。イプサのカウンタでリニュ前のアイブロウペンシルを出してもらい、ストックを含めて親は2本購入していた。それじゃあまだあるけれどストック用にパウダーの方も、とお願いするも生憎そちらは品切れ。親は会計時に商品券を出さなかった。ん? 買い物後、あんた欲しい物は? と問われる。そういうことかあ。けれども何も想定しておらず、デパート内をふらふら。A.P.C.で可愛いスカートを見つけるも決め手に欠けたので保留。ふと目に入ったのがツモリの猫パッチワークの財布。可愛い! でもツモリの財布の札入れ部分は仕切りなしだし……うーん、あ、数年前に父親にクリスマスプレゼントにもらったA&Aの化粧ポーチがまだ壊れてはいないけれど年季が入ってきている。そろそろ買い替えてもいい時期かな、と売り場を見に行く。テリア柄の色違い発見。でも色味がイマイチ気に入らない。店員さんが言う。限定カラーなんですよ。限定……限定には弱い。でもやっぱりこの色は気に入らない。再び財布売り場に戻り、ツモリの財布に決定。最後の1点で在庫はないとのこと。でもいいや、とそれを買ってもらった。大事に使おう。そして隣のハンズに行き文具フロアにて、うちのに前から頼まれていたシステム手帳のレフィル購入。うちのの、とは言わなかった。うちのの為の買い物に付き合わされた、と親に思わせたくなかったから。会計を済ませ、トイレタリーフロアで親が気に入っているのに取扱店が少ない歯磨き粉を購入。私が払う予定だったのに払われてしまった。しかも私の分迄買ってくれてしまった。親がトイレに行っている間にそのフロアを眺めていると、ナイアードのビーワックスリップクリームを発見! ここにあったのか! 親は手も肌も唇も荒れている。会計をして、ハイ、と渡した。
別の喫茶店でお茶を飲んでいるときに、親が私に白い封筒を渡してきた。中身はお札だ。お小遣いじゃないからね、と言われる。これは交通費。何かあったときに、どんな時間でも困らずに帰ってこれるように手をつけないように。了解。大事に保管しておこう。そして祖母の話。もう車椅子にも乗れなくなってきているそうだ。会いたい気持ちを伝えると、じゃあ一緒に今度会いに行こう、と。去年の、会ってくれるな、発言が解禁された。春頃に一度祖母の元に行こうという話になった。嬉しい限り。親との雑談の中で、うちのの過去が許せないのは解るんだけど、うちののことが全面的に嫌いなの? と訊ねてみた。イエス・ノー以外の返答。あんたが苦労をしそうな相手ではあると思う、あんたならもっといい男を見つけられそうなのに、あんたの全てをそのまま受け入れてくれる人がいるんじゃないの、とは思う。らしい。親は盲目。うちのの親も、私の親も。結婚は楽をさせてくれる相手とするものではなく、一緒に苦労をしてもいいと思える相手とするもの。お互いに不満は多々あれどもうちのは私にとってはいい相手だし、精神病のダラ似非奥をここ迄受け入れてくれる人は金の草鞋で探しても見つかるまい、と思っている。私がそう思えているのだからいいんだ、と思った。親が、嫌い、と断言しないということは、一部が嫌いなだけなのだろうということも何となく理解できたし。
別のデパートのイプサに行き、アイブロウパウダーの在庫を探してもらうもやはり完売、別のデパートに迄電話で問い合わせてくれた。結局なかったけれども、親は満足げだった。別デパートに迄、こちらから頼まなくても問い合わせをしてくれるような親切さが、イプサに親や私を惹きつけるのだ。同デパートのアユーラに予約してあったパウダーを引き取りに行き、デパ地下で親は夕食の買い物、私は父親用のバレンタインチョコを購入。そして駅で見送り。帰宅して暫くしてから親から電話があった。今日はお疲れさま、いろいろ有難う、とお互いに言い合う。そして親が、またお茶飲もうね、と言ってくれた。去年の入院時の別れの際に、また、という言葉は親からも父親からも出なかったのに。うん、と答えた。そして叔母が今朝、私に誕生日おめでとうメールを送ってくれていると聞いたので、届いていないけれど叔母に電話してお礼を言い、春頃におばあちゃんとこに行こうと思っている、と話すと喜んでくれた。昨日の必要以上の苛々は、今日、親と会うにあたっての必要以上の緊張からのものだったように、今は思う。うちの、ごめん。うちのからも、両親からも、叔母からも祝ってもらえた誕生日。過去もずっとそうだったけれど、何ら変わりなく見えるけれど私には、今年の誕生日が過去最高の誕生日だった。
現在、30日早朝。
今日は誕生日。昨日はプレ誕生日。なので家事はしなくていいデイに設定し、夕食はピザのデリバリ。正確には、家事をできなかったデイ。熱がずっと37.0℃前後で安定している。喉の痛みもピークは越えたようだが、まだなくなってはいない。ずっと背中に妙な汗をかいている。じめじめして気分が悪い。けれど入浴する元気はなく、ずっとババシャツをじめじめさせている。風邪による発汗ならば汗をかいたら着替えるのが定石。でも着替えない。洗濯物が増えるのが嫌だから。しかも今回風邪をひき始めてから風邪薬も飲んでいない。こめかみの辺りが締め付けられているように痛い。体調が悪い上に機嫌も悪い。両方共うちのが悪い。風邪はうちのに移されたし、機嫌はうちのに損ねさせられた。誕生日を迎えて心機一転、といろいろ考えていた出鼻を片っ端から挫かれた。でもこの苛々っぷりはちょっと変。生理が近い所為もあるのかもしれない。
まず終電でうちのが帰宅。誕生日おめでとう、〜歳だね。いちいち歳を言わんでいい! ハイ、ケーキ。……コンビニのかよ。数年前、誕生日にコンビニケーキを出されて激怒していたのは誰だったか、と問いたかったが我慢。やや不服そうにしてみせると、コレじゃ嫌だったら明日自分で買ってきなさい。何が悲しくて自分のバースデイケーキを自分で買わにゃならんのか! 俺、近々会社辞めて自分で起業するから。ハア? 俺が無限責任者であんたが有限責任者ね。ちょっと待て! 会社を辞めるのや起業の目論見はいい。今社内で起きているゴタゴタの内容は前から聞いていたし。しかしだな、実際には名義だけとはいえ、おいそれとそんな役職に就くことはできん! 私自身にかかるリスクを自分で調べるから時間をくれ、と保留。このリスクをきちんと調べるには勉強が必要そうであり、厄介である。これが私の〜歳最初の仕事なのか。私が考えていた心機一転の開始が遅くなるじゃないか。心機一転にあたり思い描いていたプラン及びその内容を相談するも、飲んで帰ってきた上に家でも1本空けたうちのは、ちっとも真面目に聞いてくれやしない。おまけにパジャマですっぴんの私を、〜歳最初の写真だー、などと撮ろうとする。勘弁してくれ! 今は肌も荒れているしパジャマだし、こんなのが最初の写真になるのは嫌過ぎる。おまけに日付が変わって誕生日になってすら私よりも小動物をちやほや。いちいち苛々。碌な〜歳を送れそうにはない……。
誕生日を迎え、〜歳になった、と当然判っているけれど他者にその数値を言われると嫌な気分になる。これは加齢が嫌だということではなく、精神的には未だ思春期を引き摺っているモラトリアムな私にとって年齢を具体的に言葉にされると、実年齢相応の精神的強さを持っていないことが恥ずかしいからだ。数字とは残酷な物で、幅がない。〜という答えが導き出されたら〜でしかないのだ。精神的にはコドモなのに世間的には大人を求められていることを実感させられる。諸事情解寛への道のりが遠い私にとって、これは苦痛でしかない。うちのは私がハッキリと歳を言われるのを嫌がる理由を女性に多い、オバチャン扱いをされたくない、という若さ頼りの自意識と勘違いしているらしい。違うのに。むしろ私は、ある程度の年齢を重ねた大人が他者、特に子供などに、オニイチャン・オネエチャン、と呼ばせたがる図を醜く思っている。加齢は素直に受け止め、歳相応に振舞うべきだ、と。若さが取柄というのはみっともないことであり、そこにしがみつくのは潔さが感じられない老醜とすら思う。私の年齢はオネーチャンとオバチャンの中間の値で、中途半端である。その中で若さに拘らず且つ加齢に甘えず自然に歳相応に背筋を伸ばして振舞えるのが理想だと考えている。が、如何せん中身が伴っていないのだ。精神年齢=実年齢なら、意地でも上記のように振舞う。でも諸事情でモラトリアム……。因って自分の精神年齢の幼さへの自覚が、実年齢を恥ずかしく思わせているのだ。いつか、堂々と胸を張って自ら年齢を言えるときを迎えたい。
また年齢を言いたくない理由がもうひとつある。学生時代から描いていた人生設計をこなせなかったからだ。こなせなかった事実は変えられないものであり、それはそれとして認めるべきである。でもできない。何か悔しい。私の人生設計とは、24歳で結婚・26歳で出産、だった。うちのと出会ったのが24歳になる少し前。その時点で叶いっこなかったのは重々承知であり且つ今現在子供は要らないと思っている身として、人生設計の狂いに拘るのは滑稽だろう。自分の人生設計が上記のような部分以外にも大きく狂っており、それを素直に受け止められない自分がいる。偏屈ではなくモラトリアム。まだ何か、それが違う形であっても夢を持って人生再設計をできるのではないかという希望を捨てきれずにいるのだ。そこで心機一転。この心機一転のきっかけを与えてくれたのは、昨日の日記に書いたアレな校長だ。余りのアレっぷりに40本近いコラムを全部読んでしまった。昨日の日記を書いた時点で読んでいたのは5本程度。全部読んで解ったのは、この人物は多くの偏見に囚われており、自己愛が強く自慢好きで、男尊女卑思考の持ち主であり、老人最優先思想だということ。どんなオブラートに包まれていても所詮はオブラート。中身は丸見えである。そして全部を読んでみて大変面白く思った部分がある。大半のコラム、主張したいこと=オチは正しいのだ。道筋が違えばオチもけったいな物になることが大概であると思うのだが、正しいオチに持って行く迄の道筋が出鱈目。ツッコみどころ満載なのに正しく気分の悪いコラム。凄い思想と文才の持ち主である。悪い意味で。あ、予想通りの処女崇拝者だったことも追加。そして一番引っかかった部分。ピアス・茶髪は莫迦の象徴のような文脈。今でこそ地毛の黒髪だけれども一時期は茶髪・金髪にしており、現在ピアスホールを5つ持つ私は、この人物から見たらかなりの莫迦に見える筈である。そしてこんな奴は幾ら勉強をしようとしても、人としての基本がなっていないので利口にはなれまいと判断されると思われる。そんならちょっと勉強を始めてみようかな、と思った次第。今日明日中に参考書と問題集でも買ってこよう。その際の悩み。何から手をつけるか。資格取得系か学校教育系か。このことを昨夜、うちのに相談したかったんだけど……。
今日は誕生日。昨日はプレ誕生日。なので家事はしなくていいデイに設定し、夕食はピザのデリバリ。正確には、家事をできなかったデイ。熱がずっと37.0℃前後で安定している。喉の痛みもピークは越えたようだが、まだなくなってはいない。ずっと背中に妙な汗をかいている。じめじめして気分が悪い。けれど入浴する元気はなく、ずっとババシャツをじめじめさせている。風邪による発汗ならば汗をかいたら着替えるのが定石。でも着替えない。洗濯物が増えるのが嫌だから。しかも今回風邪をひき始めてから風邪薬も飲んでいない。こめかみの辺りが締め付けられているように痛い。体調が悪い上に機嫌も悪い。両方共うちのが悪い。風邪はうちのに移されたし、機嫌はうちのに損ねさせられた。誕生日を迎えて心機一転、といろいろ考えていた出鼻を片っ端から挫かれた。でもこの苛々っぷりはちょっと変。生理が近い所為もあるのかもしれない。
まず終電でうちのが帰宅。誕生日おめでとう、〜歳だね。いちいち歳を言わんでいい! ハイ、ケーキ。……コンビニのかよ。数年前、誕生日にコンビニケーキを出されて激怒していたのは誰だったか、と問いたかったが我慢。やや不服そうにしてみせると、コレじゃ嫌だったら明日自分で買ってきなさい。何が悲しくて自分のバースデイケーキを自分で買わにゃならんのか! 俺、近々会社辞めて自分で起業するから。ハア? 俺が無限責任者であんたが有限責任者ね。ちょっと待て! 会社を辞めるのや起業の目論見はいい。今社内で起きているゴタゴタの内容は前から聞いていたし。しかしだな、実際には名義だけとはいえ、おいそれとそんな役職に就くことはできん! 私自身にかかるリスクを自分で調べるから時間をくれ、と保留。このリスクをきちんと調べるには勉強が必要そうであり、厄介である。これが私の〜歳最初の仕事なのか。私が考えていた心機一転の開始が遅くなるじゃないか。心機一転にあたり思い描いていたプラン及びその内容を相談するも、飲んで帰ってきた上に家でも1本空けたうちのは、ちっとも真面目に聞いてくれやしない。おまけにパジャマですっぴんの私を、〜歳最初の写真だー、などと撮ろうとする。勘弁してくれ! 今は肌も荒れているしパジャマだし、こんなのが最初の写真になるのは嫌過ぎる。おまけに日付が変わって誕生日になってすら私よりも小動物をちやほや。いちいち苛々。碌な〜歳を送れそうにはない……。
誕生日を迎え、〜歳になった、と当然判っているけれど他者にその数値を言われると嫌な気分になる。これは加齢が嫌だということではなく、精神的には未だ思春期を引き摺っているモラトリアムな私にとって年齢を具体的に言葉にされると、実年齢相応の精神的強さを持っていないことが恥ずかしいからだ。数字とは残酷な物で、幅がない。〜という答えが導き出されたら〜でしかないのだ。精神的にはコドモなのに世間的には大人を求められていることを実感させられる。諸事情解寛への道のりが遠い私にとって、これは苦痛でしかない。うちのは私がハッキリと歳を言われるのを嫌がる理由を女性に多い、オバチャン扱いをされたくない、という若さ頼りの自意識と勘違いしているらしい。違うのに。むしろ私は、ある程度の年齢を重ねた大人が他者、特に子供などに、オニイチャン・オネエチャン、と呼ばせたがる図を醜く思っている。加齢は素直に受け止め、歳相応に振舞うべきだ、と。若さが取柄というのはみっともないことであり、そこにしがみつくのは潔さが感じられない老醜とすら思う。私の年齢はオネーチャンとオバチャンの中間の値で、中途半端である。その中で若さに拘らず且つ加齢に甘えず自然に歳相応に背筋を伸ばして振舞えるのが理想だと考えている。が、如何せん中身が伴っていないのだ。精神年齢=実年齢なら、意地でも上記のように振舞う。でも諸事情でモラトリアム……。因って自分の精神年齢の幼さへの自覚が、実年齢を恥ずかしく思わせているのだ。いつか、堂々と胸を張って自ら年齢を言えるときを迎えたい。
また年齢を言いたくない理由がもうひとつある。学生時代から描いていた人生設計をこなせなかったからだ。こなせなかった事実は変えられないものであり、それはそれとして認めるべきである。でもできない。何か悔しい。私の人生設計とは、24歳で結婚・26歳で出産、だった。うちのと出会ったのが24歳になる少し前。その時点で叶いっこなかったのは重々承知であり且つ今現在子供は要らないと思っている身として、人生設計の狂いに拘るのは滑稽だろう。自分の人生設計が上記のような部分以外にも大きく狂っており、それを素直に受け止められない自分がいる。偏屈ではなくモラトリアム。まだ何か、それが違う形であっても夢を持って人生再設計をできるのではないかという希望を捨てきれずにいるのだ。そこで心機一転。この心機一転のきっかけを与えてくれたのは、昨日の日記に書いたアレな校長だ。余りのアレっぷりに40本近いコラムを全部読んでしまった。昨日の日記を書いた時点で読んでいたのは5本程度。全部読んで解ったのは、この人物は多くの偏見に囚われており、自己愛が強く自慢好きで、男尊女卑思考の持ち主であり、老人最優先思想だということ。どんなオブラートに包まれていても所詮はオブラート。中身は丸見えである。そして全部を読んでみて大変面白く思った部分がある。大半のコラム、主張したいこと=オチは正しいのだ。道筋が違えばオチもけったいな物になることが大概であると思うのだが、正しいオチに持って行く迄の道筋が出鱈目。ツッコみどころ満載なのに正しく気分の悪いコラム。凄い思想と文才の持ち主である。悪い意味で。あ、予想通りの処女崇拝者だったことも追加。そして一番引っかかった部分。ピアス・茶髪は莫迦の象徴のような文脈。今でこそ地毛の黒髪だけれども一時期は茶髪・金髪にしており、現在ピアスホールを5つ持つ私は、この人物から見たらかなりの莫迦に見える筈である。そしてこんな奴は幾ら勉強をしようとしても、人としての基本がなっていないので利口にはなれまいと判断されると思われる。そんならちょっと勉強を始めてみようかな、と思った次第。今日明日中に参考書と問題集でも買ってこよう。その際の悩み。何から手をつけるか。資格取得系か学校教育系か。このことを昨夜、うちのに相談したかったんだけど……。
googleで、札幌南高校・東京経済大学卒業。、とキーワードを入れて検索すると、ある人物のプロフィールが出てくる。そのプロフィールの一番下に、教育論、と銘打たれたリンクが貼られており、コラム一覧のページに飛ぶ。某所にてこのコラム一覧のうちのひとつが貼られており、読んでみた。一見、尤もらしいことが書かれている。しかしこの人物は偏見の塊であると思われる。上昇志向・固執癖・自分の記憶が全て・時代の流れを認めない。戸塚宏と変わりなくすら思える。いや、戸塚の方がマシかもしれない。よく知らないけど。尤もらしく日本語の乱れについて述べる、その文章に日本語の乱れが見られる。その日本語の使い方こそが、おまいの言いたい日本語の乱れに値するんじゃないのか、と。ペットを慈しみ死を悲しむ、けれどペットが死に至る過程である自分の家族らのペットへの配慮は棚上げ。おまいらがちゃんと気を遣っていればそんな事故は防げたんじゃないのか、と。犬が凍死? 戸締りしとけや! 猫が琴の下敷きに? 猫がちょっかいを出さない場所にしまっとけや! ペットを飼育するにあたっての常識を身につけてから出直せ。阿呆か。この人物は日本の北の方にある学校の校長を務めているらしい。私なら絶対にこんな校長のいる学校には通いたくない、また自分に子ができたとしても絶対に通わせたくない。通わせない。自己愛の強い教育者は子供の人格形成に悪影響を与える、というのが私の持論だ。私の日記をこの人物が読むことはなかろうが仮に読んだとして、今時の若者の戯言、と一笑に付すだろう。
この人物のコラムの全てがちゃんちゃら話にならない訳ではない。例えば良質な子供番組が減っていること。例えば勤労への知識が足りない子供について。またアルファ・シンドロームを人間の親子関係に当て嵌めて論じる視点はなかなかだと思った。あくまで視点だけだけれども。そして上記のように、まず自己愛ありき、なので幾つかいいことを書いていても、その他のコラムの歪みで説得力が半減してしまっている。茶髪・ピアスを嫌うオトナは少なくない。私の知る茶髪・ピアスを嫌うオトナは、親からもらった体を弄ることへの反感、を示していた。要は、子供は親の所有物であり子供の、個、を認められない大人になりきれないオトナだと私は思っている。この人物は茶髪・ピアスへの否定に、社会不適合性を持ってきて論じている。尤もらしく読めるけれども、説得力はない。またピアスホールを作ったりピアスを装着することで脳細胞の減少は3倍早くなる、と述べている。科学的ソースを出してからものを言って欲しい。海外の論文、という言葉ほど胡散臭いソースはない、なんてことにこの人物は気付いていないのだろう。
小〜高校生の化粧についての否定コラムもあった。私も肌が綺麗な頃からの基礎物以外の化粧品を使うことには否定的である。第二次性徴期などにニキビで悩む子がニキビの隠し方の相談を掲示板でしている場合、私はまずニキビの質を判断した上でアクネケアまたは保湿の基礎化粧をちゃんとすること、無理に隠そうとすると悪化に繋がることを自分の経験に基づいてレスをし、メイクについての相談を見かけた場合はスルーしている。否定的であっても、若いうちからお化粧なんて! とは言わない。書かない。自己判断ありきと考えてスルー。この人物のコラムでのエピソードのひとつに、メイクをした女子高生に暴言を吐いた、というものがあった。そして暴言を吐いた自分を、卑下したポーズを取っていたけれど、その裏に良識的な紳士気取りの姿が見え隠れして非常に気味が悪かった。メイクを施す女子高生を嫌うのはいい。個人の自由であり、美意識の違いだ。けれど、その美意識の違いを暴言という形で擦違いざまに見知らぬ女子高生らに投げつける、その行為に変質的なものを感じた。こんな人物が教育者として堂々としていられることが激しく疑問だ。教育者は聖職者たれ、とは思っていない。教育者もひとりの人間であり、主義思想の自由はあって当然。ただ私なら、紳士気取りを拙いレトリックで覆い隠して女子高生に暴言をぶつけたことを自慢げに語る教育者など、決して信用できないという話である。
学生時代、私は担任教師に嫌われる生徒だった。不登校ではないけれど学校にこないし、授業中に寝ていたり競馬新聞を読んだりしているし、何も言わずに帰ったりするし、定期試験の点数は悪いし。定期試験の成績が悪いのに、県内統一などでは標準の点数を取れることがまた癪に障っていたらしい。学力は標準なのに、授業に関心がないということが数値で証明されるから。担任教師とは仲が悪かったけれど、学年主任や教頭などとは仲が良かった。それも担任教師にとっては嫌な存在だっただろう。校則に関係ないことで注意を受けただの、希望校受験を頑なに担任が受け付けないだのと話していたし。校則に関係ないことで受けた注意は下着についてである。中学生のとき、校則で決められた白いブラウスの下に白×紺のストライプのタンクトップを着ており、派手だからやめなさい、と。穴あき紐パンを穿いていた訳でなし、余りにも些細でくだらないと思った。志望校受験を反対されたのは高校時代。担任が志望校の志願書をどうしてもくれないので、担任を飛ばして学年主任のところにもらいに行った。この2教師とは違う、中学3年のときの担任教師には最も酷い仕打ちを受けた。その担任教師は卒業式の後、クラスの生徒全員に手紙を書いて渡してた。私への手紙だけ宛名なし……。書かれていた手紙の中身は、もっと協調性をつけて視野を広く持ってください。確かに協調性は欠落していた。今も協調性はない。けれど、教師って生徒にはせめて上辺だけでも公平に接するものではないのか? 協調性がなくて視野が狭いのはあんたもじゃないのか? 帰宅後、親に怒られた。そんなもん受け取ってくるな! プライドはないのか! 投げ返してくればよかったのに! 確かにその通りである。その日のうちに手紙は処分したと記憶している。
話は全く変わり、今日の昼間のこと。父親から電話があった。着信拒否設定をしていたことを疑われたのでしどろもどろで否定。話したのは短時間。最初は親と同じく、元気にしてるのか? という確認。最後に、電話が繋がらなくて心配してた、何かあったらちゃんと電話してこいよ! 父さんはお前のことちゃんと考えてるから! と。また滂沱の涙。逡巡の末、こんな風に考えが纏まってきている。
養子縁組解消の書類に判を押させることは踏み絵だった(過去に過ちがある相手と一緒になる覚悟の確認)
↓
親らにとってはうちのの過去は許せないけれど好き同士を引き離しても現在私は治療中であり且つ病気の一因として親の存在がある以上、如何ともし難い
↓
事実上の絶縁という形を取りつつ遠くから私(とうちのも)を見守る
ということで落ち着いてるのかな?と。これが正解かどうかは不明。けれどこう考えたことでほんの少しだけれども根無し草感が薄れてきた気がしてきている。
・私は形はどうあれ心配されている=見捨てられてはいない
・うちのの下に私がいることを黙認=うちののことを全否定はしていない
ということではないだろうか。心配をかけていることへの申し訳なさはあるけれど、心配してもらえていることがこんなに嬉しいことだったとは。昔は親が、心配、という言葉を持ち出すだけで、心配してくれなんて頼んでない! 心配しているフリを押し付けんな! と思っていたのに少なくとも今は全然そんな感情が出てこない。情緒欠落の一部が改善されてきている……んだといいなあ。
この人物のコラムの全てがちゃんちゃら話にならない訳ではない。例えば良質な子供番組が減っていること。例えば勤労への知識が足りない子供について。またアルファ・シンドロームを人間の親子関係に当て嵌めて論じる視点はなかなかだと思った。あくまで視点だけだけれども。そして上記のように、まず自己愛ありき、なので幾つかいいことを書いていても、その他のコラムの歪みで説得力が半減してしまっている。茶髪・ピアスを嫌うオトナは少なくない。私の知る茶髪・ピアスを嫌うオトナは、親からもらった体を弄ることへの反感、を示していた。要は、子供は親の所有物であり子供の、個、を認められない大人になりきれないオトナだと私は思っている。この人物は茶髪・ピアスへの否定に、社会不適合性を持ってきて論じている。尤もらしく読めるけれども、説得力はない。またピアスホールを作ったりピアスを装着することで脳細胞の減少は3倍早くなる、と述べている。科学的ソースを出してからものを言って欲しい。海外の論文、という言葉ほど胡散臭いソースはない、なんてことにこの人物は気付いていないのだろう。
小〜高校生の化粧についての否定コラムもあった。私も肌が綺麗な頃からの基礎物以外の化粧品を使うことには否定的である。第二次性徴期などにニキビで悩む子がニキビの隠し方の相談を掲示板でしている場合、私はまずニキビの質を判断した上でアクネケアまたは保湿の基礎化粧をちゃんとすること、無理に隠そうとすると悪化に繋がることを自分の経験に基づいてレスをし、メイクについての相談を見かけた場合はスルーしている。否定的であっても、若いうちからお化粧なんて! とは言わない。書かない。自己判断ありきと考えてスルー。この人物のコラムでのエピソードのひとつに、メイクをした女子高生に暴言を吐いた、というものがあった。そして暴言を吐いた自分を、卑下したポーズを取っていたけれど、その裏に良識的な紳士気取りの姿が見え隠れして非常に気味が悪かった。メイクを施す女子高生を嫌うのはいい。個人の自由であり、美意識の違いだ。けれど、その美意識の違いを暴言という形で擦違いざまに見知らぬ女子高生らに投げつける、その行為に変質的なものを感じた。こんな人物が教育者として堂々としていられることが激しく疑問だ。教育者は聖職者たれ、とは思っていない。教育者もひとりの人間であり、主義思想の自由はあって当然。ただ私なら、紳士気取りを拙いレトリックで覆い隠して女子高生に暴言をぶつけたことを自慢げに語る教育者など、決して信用できないという話である。
学生時代、私は担任教師に嫌われる生徒だった。不登校ではないけれど学校にこないし、授業中に寝ていたり競馬新聞を読んだりしているし、何も言わずに帰ったりするし、定期試験の点数は悪いし。定期試験の成績が悪いのに、県内統一などでは標準の点数を取れることがまた癪に障っていたらしい。学力は標準なのに、授業に関心がないということが数値で証明されるから。担任教師とは仲が悪かったけれど、学年主任や教頭などとは仲が良かった。それも担任教師にとっては嫌な存在だっただろう。校則に関係ないことで注意を受けただの、希望校受験を頑なに担任が受け付けないだのと話していたし。校則に関係ないことで受けた注意は下着についてである。中学生のとき、校則で決められた白いブラウスの下に白×紺のストライプのタンクトップを着ており、派手だからやめなさい、と。穴あき紐パンを穿いていた訳でなし、余りにも些細でくだらないと思った。志望校受験を反対されたのは高校時代。担任が志望校の志願書をどうしてもくれないので、担任を飛ばして学年主任のところにもらいに行った。この2教師とは違う、中学3年のときの担任教師には最も酷い仕打ちを受けた。その担任教師は卒業式の後、クラスの生徒全員に手紙を書いて渡してた。私への手紙だけ宛名なし……。書かれていた手紙の中身は、もっと協調性をつけて視野を広く持ってください。確かに協調性は欠落していた。今も協調性はない。けれど、教師って生徒にはせめて上辺だけでも公平に接するものではないのか? 協調性がなくて視野が狭いのはあんたもじゃないのか? 帰宅後、親に怒られた。そんなもん受け取ってくるな! プライドはないのか! 投げ返してくればよかったのに! 確かにその通りである。その日のうちに手紙は処分したと記憶している。
話は全く変わり、今日の昼間のこと。父親から電話があった。着信拒否設定をしていたことを疑われたのでしどろもどろで否定。話したのは短時間。最初は親と同じく、元気にしてるのか? という確認。最後に、電話が繋がらなくて心配してた、何かあったらちゃんと電話してこいよ! 父さんはお前のことちゃんと考えてるから! と。また滂沱の涙。逡巡の末、こんな風に考えが纏まってきている。
養子縁組解消の書類に判を押させることは踏み絵だった(過去に過ちがある相手と一緒になる覚悟の確認)
↓
親らにとってはうちのの過去は許せないけれど好き同士を引き離しても現在私は治療中であり且つ病気の一因として親の存在がある以上、如何ともし難い
↓
事実上の絶縁という形を取りつつ遠くから私(とうちのも)を見守る
ということで落ち着いてるのかな?と。これが正解かどうかは不明。けれどこう考えたことでほんの少しだけれども根無し草感が薄れてきた気がしてきている。
・私は形はどうあれ心配されている=見捨てられてはいない
・うちのの下に私がいることを黙認=うちののことを全否定はしていない
ということではないだろうか。心配をかけていることへの申し訳なさはあるけれど、心配してもらえていることがこんなに嬉しいことだったとは。昔は親が、心配、という言葉を持ち出すだけで、心配してくれなんて頼んでない! 心配しているフリを押し付けんな! と思っていたのに少なくとも今は全然そんな感情が出てこない。情緒欠落の一部が改善されてきている……んだといいなあ。
複雑に混乱っ……!
2004年1月27日 家族・メンヘル・健康など 現在28日。
昨日はちゃんと午前中に米・発泡酒・夕飯のおかず・ウーロン茶・洗剤・柔軟剤の買い物に行けた。買った米は、コシヒカリブレンド。表示を見ると、コシヒカリ100%、と書かれていた。訳が解らず店員さんに尋ねたところ、コシヒカリであることには変わりないけれど、いろんな産地のコシヒカリが混ざっている物だとか。米の品種の表示なんて疑わしい物だと思っている故に常に一番安い米をうちでは買っている。だからどうでもよかったのだけれど、ブレンド且つ100%が不思議だっただけ。店員さん曰く、美味しいですよ。今夜食べてみよう。美味しくなくても、不味くなければ構わない。買い物の帰り道に道端に落ちていた「賭博黙示録カイジ 逆襲地獄編」を1冊拾った。読んで面白かったので、漫喫ででも読破したいところ。体調不良なのに頑張って買い物に行った所為か熱が上がった。因って日がな1日だらだらとだらけて過ごす。喉の痛みが酷い。煙草が沁みるだけでなく、痰を切るときに喉の粘膜ごと剥がれているんじゃないかと思うような痛みに襲われる。でも出さない訳にもいかず、もうだるいわ痛いわ。この… 風邪の間だけでも… 禁煙すればいいのかっ……! しかしっ… それは敗北っ…! 風邪への完敗っ……! 勝たなければならない… 嗽っ! 嗽で… 痛みに打ち勝つのだっ……! 早く風邪を治して漫画喫茶に行ってこよう。
買い物後、のんべんだらりと過ごしているといつの間にか夜になり、うちのからの帰るコールが入った。そのときに携帯電話を見て驚愕。不在着信14件、メール1件。ずっと家にいたのに不在着信とは……親からだった。着信拒否設定をしていたので着信音が鳴らず気付かなかったのだ。メールも親からで、用件が書いてあった。私宛の郵便物が溜まっているので電話をくれ、とのこと。このことをうちのに話すと、早く住民票を移してしまえ、と言われた。ので、面倒だ、と答えると喧嘩を経て話し合いになった。各種手続が面倒だという気持ちが全く無い訳ではない。しかしそれ以上に思うところがあっての住民票移動の保留をしていたのだ。現在、うちのとの入籍にうちのの実家からストップがかかっている。そんな状態で今住んでるとこに住民票を移してからもし振られたりしたらそれこそ私の根っこが……という不安感、去年末の入院騒動のときに親が戸籍をそのままにしてくれているという親心を見せてくれたりしたことへの複雑な気持ち。これらは最近迄自分の中で、もやもや、としか表現できず、表現可能になっていた昨夜でも、こんなことを言ったら実家に帰りたがっているように思われるかもしれない、という気持ちがありなかなか言えなかった。これは絶縁の判子を押したときやうちののお姉さんに事の次第を説明したとき必要以上に、気丈に振舞わなきゃ、と頑張りすぎたツケかもしれない。そのときは、うちのに絶縁を後悔しているとも思われたくない、うちののお姉さんに精神的に病んでる子はちょっと……とも思われたくなかったから。どうにか肩肘張らずに生きていきたいものである。
昨夜うちのと話していて、俺も実家も入籍という形にはあまり拘ってなくて今、ふたりで一緒にいる事実があれば焦らなくていいじゃないかという考えだ、と教えられた。そして私は、形がないと不安がなくならない、と言った。うちのはちゃんと私の気持ちを理解してくれたと思う。だからといってうちのの実家をスルーして入籍はできないけれど。私が親に対していろいろ思っていることを知ったうちのは、実家に戻りたければ戻っていいんだぞ、と言ってくれた。けれどいろいろ思うところはあっても戻りたい気持ちはなく、その辺が上手く言葉にできずもどかしい。うちの親に関する話の中で、私はこういうことを言った。
・苗字が何度も変わったことへの配慮を見せてくれていることもあり、地に足が付いていない感もあり自分から住民票の変更をするのはつらい
・入院して親とふたりになったときに、いつもあんたのこと考えてるから、と言われたことが凄く嬉しかった
するとうちのからこんな話が出てきた。
・病院であんたが目を覚ます前にあんたのお母さんが、内緒にしといて、ってことだったけど、またこういうことがあったら連絡して、って俺に言ってた
諸々ひっくるめても、親への嫌悪感や恨みつらみが消えた訳ではない。産んでくれて有難う、という気持ちは遅い思春期真っ只中の私には微塵もない。でも、何か、があるのだ。年月とか記憶とか、はたまたそういう言葉では言い表せない、何か。
うちのの話を聞き、親がうちのの過去の一部に拒絶をしているけれど、上記のようなことをうちのに言う=うちののことを全面的に嫌っている訳ではないということだと思ったし、私も絶縁されて親に捨てられた気になっていたけれどそうではなかったことも解った。頭では。それでも心がその理解についていけていない。私の根無し草感はいつなくなるのだろう。かなり時間を要するのは確かだろう。今朝、親に電話をした。まず、元気にしてる? という心配の言葉。これだけでも心に沁みるなんて私は今、相当に弱っているのだろう。そして用件である郵便物について話し、迷惑だろうから住民票を移そうかと思う、と切り出す予定だったのだが親から、送る? それとも会って渡す? なんて台詞が! 当然のように、私宛の郵便物を送るから、という話だけだと思っていたのに、会って渡す? なんて言われてしまい即座に、会ってくれるの? と問い直してしまった。すると、だってあんた明後日誕生日でしょ。私の親の誕生日も今月だったのだけれど、私は絶縁されてるし……と何もしなかったのに。取り敢えず今日・明日と安静にして明後日の誕生日当日に会ってこようかと思っている。嬉しさもあり、でもそれと同時にいろんな複雑な気持ちが湧き上がってきて、今、激しく混乱してる。親は私と会うことをうちのに言って欲しくないようだった。言わずに会った方がいいのか。しかしそれには何となく後ろめたさもある……どうしよう。とにかく今は親が会ってくれるのが嬉しくて仕方がない。親への複雑な感情を抱えているのに、なんでこんなに嬉しいのか、自分で自分が解らない。
昨日はちゃんと午前中に米・発泡酒・夕飯のおかず・ウーロン茶・洗剤・柔軟剤の買い物に行けた。買った米は、コシヒカリブレンド。表示を見ると、コシヒカリ100%、と書かれていた。訳が解らず店員さんに尋ねたところ、コシヒカリであることには変わりないけれど、いろんな産地のコシヒカリが混ざっている物だとか。米の品種の表示なんて疑わしい物だと思っている故に常に一番安い米をうちでは買っている。だからどうでもよかったのだけれど、ブレンド且つ100%が不思議だっただけ。店員さん曰く、美味しいですよ。今夜食べてみよう。美味しくなくても、不味くなければ構わない。買い物の帰り道に道端に落ちていた「賭博黙示録カイジ 逆襲地獄編」を1冊拾った。読んで面白かったので、漫喫ででも読破したいところ。体調不良なのに頑張って買い物に行った所為か熱が上がった。因って日がな1日だらだらとだらけて過ごす。喉の痛みが酷い。煙草が沁みるだけでなく、痰を切るときに喉の粘膜ごと剥がれているんじゃないかと思うような痛みに襲われる。でも出さない訳にもいかず、もうだるいわ痛いわ。この… 風邪の間だけでも… 禁煙すればいいのかっ……! しかしっ… それは敗北っ…! 風邪への完敗っ……! 勝たなければならない… 嗽っ! 嗽で… 痛みに打ち勝つのだっ……! 早く風邪を治して漫画喫茶に行ってこよう。
買い物後、のんべんだらりと過ごしているといつの間にか夜になり、うちのからの帰るコールが入った。そのときに携帯電話を見て驚愕。不在着信14件、メール1件。ずっと家にいたのに不在着信とは……親からだった。着信拒否設定をしていたので着信音が鳴らず気付かなかったのだ。メールも親からで、用件が書いてあった。私宛の郵便物が溜まっているので電話をくれ、とのこと。このことをうちのに話すと、早く住民票を移してしまえ、と言われた。ので、面倒だ、と答えると喧嘩を経て話し合いになった。各種手続が面倒だという気持ちが全く無い訳ではない。しかしそれ以上に思うところがあっての住民票移動の保留をしていたのだ。現在、うちのとの入籍にうちのの実家からストップがかかっている。そんな状態で今住んでるとこに住民票を移してからもし振られたりしたらそれこそ私の根っこが……という不安感、去年末の入院騒動のときに親が戸籍をそのままにしてくれているという親心を見せてくれたりしたことへの複雑な気持ち。これらは最近迄自分の中で、もやもや、としか表現できず、表現可能になっていた昨夜でも、こんなことを言ったら実家に帰りたがっているように思われるかもしれない、という気持ちがありなかなか言えなかった。これは絶縁の判子を押したときやうちののお姉さんに事の次第を説明したとき必要以上に、気丈に振舞わなきゃ、と頑張りすぎたツケかもしれない。そのときは、うちのに絶縁を後悔しているとも思われたくない、うちののお姉さんに精神的に病んでる子はちょっと……とも思われたくなかったから。どうにか肩肘張らずに生きていきたいものである。
昨夜うちのと話していて、俺も実家も入籍という形にはあまり拘ってなくて今、ふたりで一緒にいる事実があれば焦らなくていいじゃないかという考えだ、と教えられた。そして私は、形がないと不安がなくならない、と言った。うちのはちゃんと私の気持ちを理解してくれたと思う。だからといってうちのの実家をスルーして入籍はできないけれど。私が親に対していろいろ思っていることを知ったうちのは、実家に戻りたければ戻っていいんだぞ、と言ってくれた。けれどいろいろ思うところはあっても戻りたい気持ちはなく、その辺が上手く言葉にできずもどかしい。うちの親に関する話の中で、私はこういうことを言った。
・苗字が何度も変わったことへの配慮を見せてくれていることもあり、地に足が付いていない感もあり自分から住民票の変更をするのはつらい
・入院して親とふたりになったときに、いつもあんたのこと考えてるから、と言われたことが凄く嬉しかった
するとうちのからこんな話が出てきた。
・病院であんたが目を覚ます前にあんたのお母さんが、内緒にしといて、ってことだったけど、またこういうことがあったら連絡して、って俺に言ってた
諸々ひっくるめても、親への嫌悪感や恨みつらみが消えた訳ではない。産んでくれて有難う、という気持ちは遅い思春期真っ只中の私には微塵もない。でも、何か、があるのだ。年月とか記憶とか、はたまたそういう言葉では言い表せない、何か。
うちのの話を聞き、親がうちのの過去の一部に拒絶をしているけれど、上記のようなことをうちのに言う=うちののことを全面的に嫌っている訳ではないということだと思ったし、私も絶縁されて親に捨てられた気になっていたけれどそうではなかったことも解った。頭では。それでも心がその理解についていけていない。私の根無し草感はいつなくなるのだろう。かなり時間を要するのは確かだろう。今朝、親に電話をした。まず、元気にしてる? という心配の言葉。これだけでも心に沁みるなんて私は今、相当に弱っているのだろう。そして用件である郵便物について話し、迷惑だろうから住民票を移そうかと思う、と切り出す予定だったのだが親から、送る? それとも会って渡す? なんて台詞が! 当然のように、私宛の郵便物を送るから、という話だけだと思っていたのに、会って渡す? なんて言われてしまい即座に、会ってくれるの? と問い直してしまった。すると、だってあんた明後日誕生日でしょ。私の親の誕生日も今月だったのだけれど、私は絶縁されてるし……と何もしなかったのに。取り敢えず今日・明日と安静にして明後日の誕生日当日に会ってこようかと思っている。嬉しさもあり、でもそれと同時にいろんな複雑な気持ちが湧き上がってきて、今、激しく混乱してる。親は私と会うことをうちのに言って欲しくないようだった。言わずに会った方がいいのか。しかしそれには何となく後ろめたさもある……どうしよう。とにかく今は親が会ってくれるのが嬉しくて仕方がない。親への複雑な感情を抱えているのに、なんでこんなに嬉しいのか、自分で自分が解らない。
体調不良の根無し草
2004年1月26日 家族・メンヘル・健康など 現在27日。
今年初めて、出勤するうちのを見送れた。うちのに、病院に行ってこい、と半ば強引に起こされたからだ。私は昨日から風邪をひいている。週末のうちのの風邪と酷似。巷では高熱が出るインフルエンザと腹にくる風邪が流行っているらしいが、うちでは微熱が続く喉にくる風邪だ。うちだけ異空間なのか? そんなことはどうでもよく、単純に微熱続きのだるさと、喉に煙草が沁みるのがつらい。ハナミズもずるずるだ。頭痛も続いている。だるー。余りにだるく、昨日はほぼ1日中寝ていた。多分起きていたのは6時間未満。うちのの帰るコールが入る直前に見ていた夢は酷かった。まず、近所で私がレイプされる。そして交番へ。事情聴取が始まる少し前にうちのから携帯電話へ帰るコール。事の次第を説明すると、ふーんじゃあ俺先に帰ってるから。なんて冷たい男なんだ! とレイプされたこととうちのの非道さに泪が止まらない私……というところで目が覚めた。現実の帰るコールでは、風邪をひいて非常に具合が悪いと告げたところ、何か買ってって欲しいものはある? と言ってくれたのでプリンと桃缶を要望。実際にはプリンとおむすびと茶碗蒸しを買ってきてくれた。夢とのギャップもあり嬉しさ倍増。有難くいただき、昨日は早めに就寝。起きたら熱は多少下がっていた。油断せずに今日は暖かくしていよう。病院は……嫌いだから行かない。近所の内科は私には効かない薬しかくれないし、何かしらの薬を処方されるとなると普段飲んでいる薬を告げねばならず、その内科は眠剤や精神系の薬の話をすると偏見の目で見るから嫌。寝てりゃ治るだろう。
とはいえ、今日はずっと寝ている訳には行かないのがつらい。まずうちの米櫃が空に近いので米を買いに行かねばならず、うちのが主食代わりにしている発泡酒ももう残り少ないので買いに行かねばならず、ウーロン茶ももうないので調達に行かねばならず……なんで体調不良真っ盛りのときに限って重い物ばかりが切れているのか。泣きっ面に蜂状態。ああ、クリーニング屋に出した洗濯物も仕上がっているし、洗濯洗剤や柔軟材の詰替え用もなくなっている。これらはそのうちでいいや。小動物の餌も今度。100均に公共料金の領収書入れも買わなきゃだけどまた今度。買わなきゃリストで思い出した。平干し用のネットが欲しい。これがあればニット類をクリーニングに出さなくて済むようになる。近所のスーパーでは取扱っていないことはリサーチ済みで、私が知る限りダスキンのサイト以外では見かけたことがない。けれど私はネットオークション以外の通販には慣れていない。近所にダスキンがあるのだけれど、そこで売ってはいないものか。体調が復活したら調べてみよう。取り敢えず米と発泡酒とウーロン茶優先。布団に戻る前に買いに……行けるか?
昨夜の夕食時、久々にうちのから会社のゴタゴタを聞いた。上の人間が社会人とは思えない幼稚さであり、うちののスケジュールは休日出勤や徹夜を前提に組まれているとか。またしょうもない騙しなどもあるらしく、うちのはほとほと会社に嫌気が差しているらしい。そして年内には転職なりフリーになるなりすることを視野に入れて、今後を見据えているようだ。うちのはこのご時世と年齢だけを考えれば、標準以上の年俸をもらっている。しかし多忙さを鑑みると年俸との釣り合いは取れていない。そりゃあ嫌気も指すだろう。世の主婦は旦那が転職を考えたりしているとき、どういう意見をノベルのだろう。私は一貫してこう答えている。収入は減っても最低限の生活が保てるならいいよ。私が働いているんじゃないから任せる。自分がいいと思う道を選びなよ。基本としては、働く本人の自由意志に任せたいのだ。ただ、昨夜は初めて条件を付けた。好きにしていいけど、実家に帰って同居は勘弁な。舅・姑・小姑らと上手くやっていく自信がない。そもそも今現在、好感情を抱いていない。うちのは、私の実家のゴタゴタやそれに纏わる私の心情を先日理解してくれたようで、この条件を了解してくれた。
うちのの実家の人たちは根っこはいい人なのは解っているつもり。でも私の病気について、うちのがちゃんと説明しても正しい理解が得られるとは思えない。今も理解しようとしてくれている気配を私は感じない。私自身からの説明は拒絶されている状態。皆、どうも私をうつ病だと思っている模様。以前、そうではない、と説明したのだけれど、抑うつ状態を伴う病気とうつ病の違いが解らないらしい。そして解ってくれようともしていないように感じる。私の親もうちのの親も、我が子に対する欲目を持っている。嫌だ嫌だ。うちのは、もし自分が説明しても親や姉らの理解が得られなければ、ああそうですか、と後は放置して私と一緒にいてくれると言ってくれている。有難や。先日、私が根無し草状態であることへの不安感についてうちのに泣きながら話した。そのときうちのはちゃんと聞いてくれた。そして私の中では根無し草状態でなくする為に根っこ=入籍が欲しいと考えていることを話すと、うちのからこんな意見が返ってきた。正直なところ、本当に入籍していいものかどうか悩んでいる、と。これは私のことが嫌いとか病気に対する不安などに基づくものではなく、私の親の心情を慮ってのことらしい。年末の私の入院騒動で発覚した、絶縁の現状。書類に判を押させはしたものの事実上の絶縁に留めてくれている。ということは、私とうちのが入籍した場合、事実上の絶縁状態が続いたとしても戸籍上はうちのと私の実家の間に、親戚関係が生じる。親と私の絶縁は、うちのの過去の過ちを私の親らが拒絶したからだ。それでも戸籍の問題で幼い頃から苦労やつらい思いを重ねてきた私への配慮として、事実上の絶縁。そんな状態にあって、ふたりの意思だけで私の親らを戸籍上だけとはいえ親戚関係に巻き込んでよいものかどうか。難しい問題ではある。私個人の意見としては、結婚は個と個の問題。しかし今の世間ではまだ家と家との問題という面が強く残っている。うちのの中では、後者の側面への割り切りができていない模様。致し方ないことではあるが、じゃあ私の根無し草であることへの不安感は……とループ。遅くとも夏頃には根っこの存在を実感できるようになりたい。
今年初めて、出勤するうちのを見送れた。うちのに、病院に行ってこい、と半ば強引に起こされたからだ。私は昨日から風邪をひいている。週末のうちのの風邪と酷似。巷では高熱が出るインフルエンザと腹にくる風邪が流行っているらしいが、うちでは微熱が続く喉にくる風邪だ。うちだけ異空間なのか? そんなことはどうでもよく、単純に微熱続きのだるさと、喉に煙草が沁みるのがつらい。ハナミズもずるずるだ。頭痛も続いている。だるー。余りにだるく、昨日はほぼ1日中寝ていた。多分起きていたのは6時間未満。うちのの帰るコールが入る直前に見ていた夢は酷かった。まず、近所で私がレイプされる。そして交番へ。事情聴取が始まる少し前にうちのから携帯電話へ帰るコール。事の次第を説明すると、ふーんじゃあ俺先に帰ってるから。なんて冷たい男なんだ! とレイプされたこととうちのの非道さに泪が止まらない私……というところで目が覚めた。現実の帰るコールでは、風邪をひいて非常に具合が悪いと告げたところ、何か買ってって欲しいものはある? と言ってくれたのでプリンと桃缶を要望。実際にはプリンとおむすびと茶碗蒸しを買ってきてくれた。夢とのギャップもあり嬉しさ倍増。有難くいただき、昨日は早めに就寝。起きたら熱は多少下がっていた。油断せずに今日は暖かくしていよう。病院は……嫌いだから行かない。近所の内科は私には効かない薬しかくれないし、何かしらの薬を処方されるとなると普段飲んでいる薬を告げねばならず、その内科は眠剤や精神系の薬の話をすると偏見の目で見るから嫌。寝てりゃ治るだろう。
とはいえ、今日はずっと寝ている訳には行かないのがつらい。まずうちの米櫃が空に近いので米を買いに行かねばならず、うちのが主食代わりにしている発泡酒ももう残り少ないので買いに行かねばならず、ウーロン茶ももうないので調達に行かねばならず……なんで体調不良真っ盛りのときに限って重い物ばかりが切れているのか。泣きっ面に蜂状態。ああ、クリーニング屋に出した洗濯物も仕上がっているし、洗濯洗剤や柔軟材の詰替え用もなくなっている。これらはそのうちでいいや。小動物の餌も今度。100均に公共料金の領収書入れも買わなきゃだけどまた今度。買わなきゃリストで思い出した。平干し用のネットが欲しい。これがあればニット類をクリーニングに出さなくて済むようになる。近所のスーパーでは取扱っていないことはリサーチ済みで、私が知る限りダスキンのサイト以外では見かけたことがない。けれど私はネットオークション以外の通販には慣れていない。近所にダスキンがあるのだけれど、そこで売ってはいないものか。体調が復活したら調べてみよう。取り敢えず米と発泡酒とウーロン茶優先。布団に戻る前に買いに……行けるか?
昨夜の夕食時、久々にうちのから会社のゴタゴタを聞いた。上の人間が社会人とは思えない幼稚さであり、うちののスケジュールは休日出勤や徹夜を前提に組まれているとか。またしょうもない騙しなどもあるらしく、うちのはほとほと会社に嫌気が差しているらしい。そして年内には転職なりフリーになるなりすることを視野に入れて、今後を見据えているようだ。うちのはこのご時世と年齢だけを考えれば、標準以上の年俸をもらっている。しかし多忙さを鑑みると年俸との釣り合いは取れていない。そりゃあ嫌気も指すだろう。世の主婦は旦那が転職を考えたりしているとき、どういう意見をノベルのだろう。私は一貫してこう答えている。収入は減っても最低限の生活が保てるならいいよ。私が働いているんじゃないから任せる。自分がいいと思う道を選びなよ。基本としては、働く本人の自由意志に任せたいのだ。ただ、昨夜は初めて条件を付けた。好きにしていいけど、実家に帰って同居は勘弁な。舅・姑・小姑らと上手くやっていく自信がない。そもそも今現在、好感情を抱いていない。うちのは、私の実家のゴタゴタやそれに纏わる私の心情を先日理解してくれたようで、この条件を了解してくれた。
うちのの実家の人たちは根っこはいい人なのは解っているつもり。でも私の病気について、うちのがちゃんと説明しても正しい理解が得られるとは思えない。今も理解しようとしてくれている気配を私は感じない。私自身からの説明は拒絶されている状態。皆、どうも私をうつ病だと思っている模様。以前、そうではない、と説明したのだけれど、抑うつ状態を伴う病気とうつ病の違いが解らないらしい。そして解ってくれようともしていないように感じる。私の親もうちのの親も、我が子に対する欲目を持っている。嫌だ嫌だ。うちのは、もし自分が説明しても親や姉らの理解が得られなければ、ああそうですか、と後は放置して私と一緒にいてくれると言ってくれている。有難や。先日、私が根無し草状態であることへの不安感についてうちのに泣きながら話した。そのときうちのはちゃんと聞いてくれた。そして私の中では根無し草状態でなくする為に根っこ=入籍が欲しいと考えていることを話すと、うちのからこんな意見が返ってきた。正直なところ、本当に入籍していいものかどうか悩んでいる、と。これは私のことが嫌いとか病気に対する不安などに基づくものではなく、私の親の心情を慮ってのことらしい。年末の私の入院騒動で発覚した、絶縁の現状。書類に判を押させはしたものの事実上の絶縁に留めてくれている。ということは、私とうちのが入籍した場合、事実上の絶縁状態が続いたとしても戸籍上はうちのと私の実家の間に、親戚関係が生じる。親と私の絶縁は、うちのの過去の過ちを私の親らが拒絶したからだ。それでも戸籍の問題で幼い頃から苦労やつらい思いを重ねてきた私への配慮として、事実上の絶縁。そんな状態にあって、ふたりの意思だけで私の親らを戸籍上だけとはいえ親戚関係に巻き込んでよいものかどうか。難しい問題ではある。私個人の意見としては、結婚は個と個の問題。しかし今の世間ではまだ家と家との問題という面が強く残っている。うちのの中では、後者の側面への割り切りができていない模様。致し方ないことではあるが、じゃあ私の根無し草であることへの不安感は……とループ。遅くとも夏頃には根っこの存在を実感できるようになりたい。
一足早く
2004年1月25日 メイク・ファッション・ピアス 現在26日。
昨日は月に1度の近所でのフリーマーケット開催日。珍しくうちのの動きが悪く、私が先に出かけた。収穫はとんぼ玉の付いたヘアゴム5つ・赤いマフラーひとつ・ピアスひとつ・スワロだったかチェコビーズだったかの指輪ふたつ。とんぼ玉が高かった。全て作家の手作り1点物なので仕方なし。髪を切りに行きたいのだけれど、新規ピアスホールが安定していない為3月迄行けないのだ。いや、行こうと思えば行けるのだけれどブラシやタオルで引っ掛けられても困るし、美容師さんに引っ掛けないようにしなきゃという気遣いをさせてしまうのも申し訳ないし。なので最近は中途半端な髪を後ろでひとつ結びにし、サイドをピンで留めていることが多い。某所で簪がちょっとしたブームになっており、和物好きの私は簪も好きなので使いたいけれどそこ迄の髪の長さもなく諦めていた。そんな矢先に目の前に出てきたとんぼ玉ヘアゴム。飛びつくに決まっている。もうひとつかなり欲しいとんぼ玉があったけれど、予算の関係で泣く泣く諦めた。と、会場を一回りしたところでうちのが登場。一緒にお出かけ。
土曜の夜、私の誕生日プレゼントについて話し合った。うちのからの提案はデジカメか携帯電話機種交換。私の希望は自転車かアクセサリ。衣類や靴は悉く却下された。携帯電話の機種交換もかなり魅力的ではあったけれど、日々進化し続けているこれは、またそのうちに機種交換をしたくなる日または壊れて交換せざるを得ない日がくるだろう。となると、プレゼントとしてもらった場合、非常に気まずくなりそうな気がしたので1晩悩んでやめにした。一緒に出かけて電車に乗ったり歩いたりしつつ、頭の中では自転車かアクセサリかで悩み続けていた私が決断したのは、無印良品で自転車を見たときである。なんかショボい……。そして無印に行く前に私はアナスイにて念願のアイブロウパウダーを購入しており、コスメフロアの隣のアクセサリフロアの華やかさに魅力を感じていた。ショボい物より華やかな物。過去に実用的過ぎるプレゼントが多かったので、たまには色気のある物。それに自転車だとメンテナンスもしなければならず面倒だ。決定。無印で日用品や食料品の買い物終了後にお茶を飲み、デパートに戻った。肝は、10倍速、である。先日、3倍速や5倍速で物を選んでもうちのは不機嫌になった。特に今回はプレゼントしてもらう立場。不機嫌になられたら最後、何もなしということになりかねない。売り場をアナスイのアクセサリコーナーに絞り、真剣に物色。最初に気を惹かれたのは、ピンクの蝶のピアスとネックレスのセット。指輪を付けて2万くらい。どう? とうちのにお伺いを立てる。ちょっと若作りじゃないか? 煩い。ほっとけ。でも飽きがきそうではある。傍に置かれていた透明感のあるブルーのような紫のようなピアスに目が行った。ビーズ付きチェーンが付いている物で、店員さんに説明・実演してもらったところ、チェーンは取外し及び長さ調整変更可能。しかもチェーンのみを他のピアスとも組み合わせることができる。なんて多機能なんだ! コレ! とお揃いのブレスレットも。指輪もありますが? と薦められたけれどひとつの思惑があり断った。お揃いのヘアピンがあれば……と訊くも生憎なく、ピアスとブレスを買ってもらった。感謝感謝。会計時、うちのが私の耳元で囁いた。DVD-Rじゃなくていいの? ああ! それも欲しい! でも色気の欠片もない。焼く物の内容はともかく本体には。それはホワイトデイによろしく、と受け流した。
それから前夜にうちのと相談の上、プレゼントではなく家電として、で購入決定したデジカメを買うべく電器屋へ。うちのが脳内購入決定していた物は煙草の箱より小さい、最も携帯性に優れた200万画素。その隣に2000円だけ高い300万画素の物があった。大きさは私の折り畳み型携帯電話と同程度。うちのは携帯利便性=お手軽感で200万画素の方に決めていたのに、2000円差で100万画素も違う、特に携帯性が悪いとも思えない隣の物に私の気は向いた。2000円で100万画素アップという貧乏根性故である。うちのは機械類に詳しい。私は門外漢。店頭でいろいろ比較し、店員さんにも説明をもらい、フラッシュの性能が違うということが私の中で決定打となり、300万画素の方を購入。うちのは腑に落ちない顔をしていた。正にPCヲタが貧乏根性の強いダラ似非奥に説き伏せられた奇跡的瞬間。うちのはまさか私が、違う物の方がいい、と言ってくるとは思っていなかったらしい。その後、バラエティショップにて思惑であった私へのサブ・プレゼントとして、先日見かけて健康グッズ好きの私が滅茶苦茶気になっていた姿勢バランスシリーズのスリッパ・クッション・ピロー計3点を買ってもらい、デパ地下で夕食の惣菜を購入し、帰宅。その間、うちのはずっと腑に落ちない顔をしていた。私はご機嫌。
うちのの機嫌が戻ったのは、某巨大掲示板にて昨日購入したデジカメの評判を読み、その後画像や動画をを試し撮りし始めてから。小動物らの画像を撮るのは勿論のこと、私がメイクを落としている姿を撮ってはギトギトしていると笑い、ちょっとここ通りますよ、のポーズと表情をさせては似てると笑い……。名誉の為に書かせてもらうが断じて私は、ちょっとここ通りますよ、に似てはいない。むしろ、うちのの方が、クマー! である。うちではデューク更家のことを8モナと呼んでいる。語源は私が某スレでそのように呼ばれていることを知り、激しく納得したから。健康グッズ好きな私は各種健康療法にも興味があり、今最も気になっているのは8モナの1mウォーキングだ。興味を持つ=実践する、ではない。そのうちやろうかなー、と思いつつ雑誌での特集記事スクラップを見ている日々。そろそろ本当にやってみようか、と思い始めたのだけれど、今、私は今年最高の腰痛に苦しんでいる。メインプレゼントのピアスとブレスレットは誕生日に開けようと保管してあり、昨日はプレ・プレゼント3点のみを開けて使い始めた。スリッパは大変快適。足指迄行き届いていないながらも、土踏まずの辺りはビルケンの靴並みにフィットしている。そしてこの日記を書きながらスリッパを履き、クッションを尻の下に置いている。このクッションが腰痛の火種。姿勢矯正を謳っている所為か高反発。座り心地は宜しくない。高反発で硬いから腰痛に襲われているのではない。恐らく正しく背筋を伸ばして座ることに慣れればつらくない筈だ。猫背だから本来負荷がかかるべきでない場所に余計な負荷がかかっているからこそ、つらいのだろう。長年の姿勢の悪さがこれで矯正され、定着する迄にどれ程の月日がかかるのか。それ迄に飽きなければいいが……。1mウォーキング実践は猫背が治らなくとも、この腰痛が去ってからになるだろう。今は無理。絶対無理。この後、寝つく迄の間にピローを試すのだが肩凝りにならないことを祈るばかり。
服装/セレクト物のネル生地花柄ピンクのツインカットソー+A.P.C.のデニムパンツ+モナミピエルロのベージュのレザージャケット+赤いマフラー+ベージュに折柄の入ったポンポン付ニット帽+青い海軍物スエードブーツ+1点物ショルダートート
メイク/ティント乳液っぽい某下地→オイルクレンジングマスカラベース→ピエヌ・ディープラッシュマスカラの黒→ランコム・カラーフォース236→ランコム・ジューシーチューブ14
昨日は月に1度の近所でのフリーマーケット開催日。珍しくうちのの動きが悪く、私が先に出かけた。収穫はとんぼ玉の付いたヘアゴム5つ・赤いマフラーひとつ・ピアスひとつ・スワロだったかチェコビーズだったかの指輪ふたつ。とんぼ玉が高かった。全て作家の手作り1点物なので仕方なし。髪を切りに行きたいのだけれど、新規ピアスホールが安定していない為3月迄行けないのだ。いや、行こうと思えば行けるのだけれどブラシやタオルで引っ掛けられても困るし、美容師さんに引っ掛けないようにしなきゃという気遣いをさせてしまうのも申し訳ないし。なので最近は中途半端な髪を後ろでひとつ結びにし、サイドをピンで留めていることが多い。某所で簪がちょっとしたブームになっており、和物好きの私は簪も好きなので使いたいけれどそこ迄の髪の長さもなく諦めていた。そんな矢先に目の前に出てきたとんぼ玉ヘアゴム。飛びつくに決まっている。もうひとつかなり欲しいとんぼ玉があったけれど、予算の関係で泣く泣く諦めた。と、会場を一回りしたところでうちのが登場。一緒にお出かけ。
土曜の夜、私の誕生日プレゼントについて話し合った。うちのからの提案はデジカメか携帯電話機種交換。私の希望は自転車かアクセサリ。衣類や靴は悉く却下された。携帯電話の機種交換もかなり魅力的ではあったけれど、日々進化し続けているこれは、またそのうちに機種交換をしたくなる日または壊れて交換せざるを得ない日がくるだろう。となると、プレゼントとしてもらった場合、非常に気まずくなりそうな気がしたので1晩悩んでやめにした。一緒に出かけて電車に乗ったり歩いたりしつつ、頭の中では自転車かアクセサリかで悩み続けていた私が決断したのは、無印良品で自転車を見たときである。なんかショボい……。そして無印に行く前に私はアナスイにて念願のアイブロウパウダーを購入しており、コスメフロアの隣のアクセサリフロアの華やかさに魅力を感じていた。ショボい物より華やかな物。過去に実用的過ぎるプレゼントが多かったので、たまには色気のある物。それに自転車だとメンテナンスもしなければならず面倒だ。決定。無印で日用品や食料品の買い物終了後にお茶を飲み、デパートに戻った。肝は、10倍速、である。先日、3倍速や5倍速で物を選んでもうちのは不機嫌になった。特に今回はプレゼントしてもらう立場。不機嫌になられたら最後、何もなしということになりかねない。売り場をアナスイのアクセサリコーナーに絞り、真剣に物色。最初に気を惹かれたのは、ピンクの蝶のピアスとネックレスのセット。指輪を付けて2万くらい。どう? とうちのにお伺いを立てる。ちょっと若作りじゃないか? 煩い。ほっとけ。でも飽きがきそうではある。傍に置かれていた透明感のあるブルーのような紫のようなピアスに目が行った。ビーズ付きチェーンが付いている物で、店員さんに説明・実演してもらったところ、チェーンは取外し及び長さ調整変更可能。しかもチェーンのみを他のピアスとも組み合わせることができる。なんて多機能なんだ! コレ! とお揃いのブレスレットも。指輪もありますが? と薦められたけれどひとつの思惑があり断った。お揃いのヘアピンがあれば……と訊くも生憎なく、ピアスとブレスを買ってもらった。感謝感謝。会計時、うちのが私の耳元で囁いた。DVD-Rじゃなくていいの? ああ! それも欲しい! でも色気の欠片もない。焼く物の内容はともかく本体には。それはホワイトデイによろしく、と受け流した。
それから前夜にうちのと相談の上、プレゼントではなく家電として、で購入決定したデジカメを買うべく電器屋へ。うちのが脳内購入決定していた物は煙草の箱より小さい、最も携帯性に優れた200万画素。その隣に2000円だけ高い300万画素の物があった。大きさは私の折り畳み型携帯電話と同程度。うちのは携帯利便性=お手軽感で200万画素の方に決めていたのに、2000円差で100万画素も違う、特に携帯性が悪いとも思えない隣の物に私の気は向いた。2000円で100万画素アップという貧乏根性故である。うちのは機械類に詳しい。私は門外漢。店頭でいろいろ比較し、店員さんにも説明をもらい、フラッシュの性能が違うということが私の中で決定打となり、300万画素の方を購入。うちのは腑に落ちない顔をしていた。正にPCヲタが貧乏根性の強いダラ似非奥に説き伏せられた奇跡的瞬間。うちのはまさか私が、違う物の方がいい、と言ってくるとは思っていなかったらしい。その後、バラエティショップにて思惑であった私へのサブ・プレゼントとして、先日見かけて健康グッズ好きの私が滅茶苦茶気になっていた姿勢バランスシリーズのスリッパ・クッション・ピロー計3点を買ってもらい、デパ地下で夕食の惣菜を購入し、帰宅。その間、うちのはずっと腑に落ちない顔をしていた。私はご機嫌。
うちのの機嫌が戻ったのは、某巨大掲示板にて昨日購入したデジカメの評判を読み、その後画像や動画をを試し撮りし始めてから。小動物らの画像を撮るのは勿論のこと、私がメイクを落としている姿を撮ってはギトギトしていると笑い、ちょっとここ通りますよ、のポーズと表情をさせては似てると笑い……。名誉の為に書かせてもらうが断じて私は、ちょっとここ通りますよ、に似てはいない。むしろ、うちのの方が、クマー! である。うちではデューク更家のことを8モナと呼んでいる。語源は私が某スレでそのように呼ばれていることを知り、激しく納得したから。健康グッズ好きな私は各種健康療法にも興味があり、今最も気になっているのは8モナの1mウォーキングだ。興味を持つ=実践する、ではない。そのうちやろうかなー、と思いつつ雑誌での特集記事スクラップを見ている日々。そろそろ本当にやってみようか、と思い始めたのだけれど、今、私は今年最高の腰痛に苦しんでいる。メインプレゼントのピアスとブレスレットは誕生日に開けようと保管してあり、昨日はプレ・プレゼント3点のみを開けて使い始めた。スリッパは大変快適。足指迄行き届いていないながらも、土踏まずの辺りはビルケンの靴並みにフィットしている。そしてこの日記を書きながらスリッパを履き、クッションを尻の下に置いている。このクッションが腰痛の火種。姿勢矯正を謳っている所為か高反発。座り心地は宜しくない。高反発で硬いから腰痛に襲われているのではない。恐らく正しく背筋を伸ばして座ることに慣れればつらくない筈だ。猫背だから本来負荷がかかるべきでない場所に余計な負荷がかかっているからこそ、つらいのだろう。長年の姿勢の悪さがこれで矯正され、定着する迄にどれ程の月日がかかるのか。それ迄に飽きなければいいが……。1mウォーキング実践は猫背が治らなくとも、この腰痛が去ってからになるだろう。今は無理。絶対無理。この後、寝つく迄の間にピローを試すのだが肩凝りにならないことを祈るばかり。
服装/セレクト物のネル生地花柄ピンクのツインカットソー+A.P.C.のデニムパンツ+モナミピエルロのベージュのレザージャケット+赤いマフラー+ベージュに折柄の入ったポンポン付ニット帽+青い海軍物スエードブーツ+1点物ショルダートート
メイク/ティント乳液っぽい某下地→オイルクレンジングマスカラベース→ピエヌ・ディープラッシュマスカラの黒→ランコム・カラーフォース236→ランコム・ジューシーチューブ14
現在26日。
土曜の話。幸いにもうちのはインフルエンザではなく、疲労からの喉にくる風邪だった模様。それは喜ばしいことなのだが、私よりも体温が低いくせに、やれだるい、やれ具合悪い、だのと抜かすのがやや気に障る。こっちはだるいのが常なのでいちいち言わないように心掛けるようになっただけで、基本的にはいつもだるいんじゃ! 今のおまいよりもきっと私の方が具合悪いんじゃ! などとは言わずに、渋々と眠剤が抜け切っていない体を起こして着替えてマクドナルドに昼食を調達に行き、ついでにうちのの為にホットレモンだのアミノなんちゃらというノーカロリーのペットボトルだの煙草だのを買い帰宅。もそもそと昼食を摂り、うちのが再び布団に入った。うちではいつも寝入り端に諍いが起きる。うちのの床に就く時間はまちまちであり、私は大概明け方に床に入る。まちまちなのに、うちのは寝るときに私が傍にいないと布団から嫌味を言い始めるのだ。既にその嫌味もパターン化しており、最初は、一緒に寝ようよー。次に、俺のこと嫌いなんだろー。最後に、規則正しい生活を送れ! とくる。最初とその次はいい。構って欲しいんだなあ、と可愛くすら思える。因って、嫌いなんだろー、が出てから寝付かれる分にはさほど腹も立たない。が、規則正しい云々が出てくると腹が立つ。うちのの寝る時間が一定していれば説得力もあるけれど、2時に寝たり4時に寝たりしている奴に規則正しい云々言われても、それは違うだろ、と。単に同時間に行動を共にして欲しいだけちゃうんか、と。
常々そんな調子なので、昼食後にうちのが布団に入った際、私も進んで布団に入った。そして寝た。起きたら20時。うちのに、夕飯まだー、と起こされたのだ。ふらつきながら起きてスーパーに買いだしに行った。土曜の夕食は鍋物と数日前から決定していたので買い物は簡単……ではなかった。うちでは滅多に鍋物をしない。何故なら椅子を出さねば届かない収納場所にカセットコンロと土鍋をしまっており、私がそれらを取るのが面倒だから。うちのは鍋好きで、年に数回の鍋物の為の買い物時はいつも一緒にスーパーへと行っていた。土曜のうちのは風邪っぴきだったので一緒に行ってはくれず、私ひとりでスーパーへ。買い物籠を手に取り店内を歩きつつ途方に暮れた。はて、鍋の材料ってなんだっけ? 葱と白菜は入っていたと思う。あと椎茸。それから鶏肉。あ、豚しゃぶ用の肉が安くなってる。これも使うか。豆腐は絹ではない。木綿か焼きか。迷って焼きとうふを籠に入れ、近くにあったがんもどきも鍋に付き物のような気がして籠へ。魚介コーナーへ行き生食用の海老を発見。水炊きでありながらしゃぶしゃぶであり、また肉ではなく海老をしゃぶしゃぶっぽく食すのはオツな気がした。なので海老を手に取り、それから魚河岸あげ。鍋に合うかどうかは判らなかったけれど好きだから。最後に雑炊用の卵も。買い物終了。
帰宅してカセットコンロと土鍋を出し、キッチンのガスコンロにて土鍋に少なめに水を張り昆布投入。出汁取り。その間に野菜等を切った。ダラ似非奥の私にしては珍しく椎茸には十字の飾り切りも施し、土鍋の湯が沸き浮いてきた昆布を取り出し、鍋に野菜やとうふや揚げ物類を投入。蓋をしてしばし待つ間に米を研ぎ早炊き設定でスイッチを入れたところで鍋に鶏肉も投入。またしばらく煮て居間に用意したカセットコンロ上へと土鍋を移して食事開始。失礼なうちのは受け皿に対して、ちゃんと洗ったか? 鍋に対して、ちゃんと昆布で出汁は取ったか? などと訊いてきた。最近段々解ってきた。うちのは失礼なのではなく、無礼なのかもしれない。失う為には最初は礼が存在していた筈だ。その気配が見えない。それはともかく、当然ちゃんと受け皿は洗っていたし、上記のように出汁も取った。土鍋の蓋を開け、うちのはきょとんとした。どうして鶏が煮えてないの? 最後に入れたから。間違っているらしい。どうも鶏は最初に入れるものなのだそうだ。今回私は昔、実家で鍋について話しているときに親から聞いたことを思い出しながら作った。親曰く、水は少なめにして白菜をよく煮てそこから水分を出させた方が美味しい。これが私の中の基本になっていたので、最初に野菜類を入れたのだ。違ったのか。ひとつ勉強になった。
魚河岸あげは本来は鍋に必要ではないらしいけれど、好評だった。その代わり、がんもどきが要らない、と。次からはやめよう。ふたりで鍋を突付いてしばらくしてから、葱が入ってたのか! と驚かれた。白菜の下に隠れて見えていなかったのだ。そして葱には存分に火が通りとろっとしていた。私は長ねぎでも玉葱でもとろっとしている方が好きなのでこれでいい。うちのは葱にシャキシャキ感を求める。知らん。海老のしゃぶしゃぶは失敗。食べられなくはないのだけれど、外側は熱々で内側は冷や冷やという非常に口内が戸惑う結果に。従ってしゃぶしゃぶ状にして食すのは諦めて投入して煮えるのを待った。長時間食していると中身が減ってくる訳で、すると底も見えてくる訳で。以前、私は鍋を焦がさせたら日本一だか世界一だかと書いたことがある。土鍋にも通じていた。葱やとうふが焦げていた……。焦げをお玉で削ぎ落としてさて雑炊にと言うところで、うちのがお腹いっぱいと言い出した。なので雑炊は日曜に持ち越し。で、昨日の昼にまた、ごはんはー? と起こされて眠剤が抜け(中略、雑炊を作った。何かが足りない。醤油を垂らす。まだ何かが足りない。ああ、卵を落とし忘れた。うちのは不満気だったけれど、まあいいではないか。食えない物を出した訳でなし。それにしても買い物で途方に暮れた割には大した失敗もなく、そして鍋物はとても簡単だと知った。コンロと土鍋をしまうのも面倒なので暫く鍋類にしようかと思案中。また同じ水炊きでは芸がないし、牡蠣の土手鍋か鴨鍋か……高くつくなあ。鮟鱇鍋が食べたいけれど国産物の鮟鱇は近所には売っていない。取り敢えずはおでんかな。ダラ奥の多くが鍋祭・おでん祭を開催する理由がよく解った。因みに買出しから食卓に鍋を出す迄にかかった時間はちょうど1時間だった。楽ちん。
服装/セレクト物のネル素材ピンク地花柄ツインカットソー+A.P.C.のデニムパンツ+モナミピエルロのベージュのレザージャケット+ピンクの厚手のマフラー+パトリックの紺のスエードスニーカー
土曜の話。幸いにもうちのはインフルエンザではなく、疲労からの喉にくる風邪だった模様。それは喜ばしいことなのだが、私よりも体温が低いくせに、やれだるい、やれ具合悪い、だのと抜かすのがやや気に障る。こっちはだるいのが常なのでいちいち言わないように心掛けるようになっただけで、基本的にはいつもだるいんじゃ! 今のおまいよりもきっと私の方が具合悪いんじゃ! などとは言わずに、渋々と眠剤が抜け切っていない体を起こして着替えてマクドナルドに昼食を調達に行き、ついでにうちのの為にホットレモンだのアミノなんちゃらというノーカロリーのペットボトルだの煙草だのを買い帰宅。もそもそと昼食を摂り、うちのが再び布団に入った。うちではいつも寝入り端に諍いが起きる。うちのの床に就く時間はまちまちであり、私は大概明け方に床に入る。まちまちなのに、うちのは寝るときに私が傍にいないと布団から嫌味を言い始めるのだ。既にその嫌味もパターン化しており、最初は、一緒に寝ようよー。次に、俺のこと嫌いなんだろー。最後に、規則正しい生活を送れ! とくる。最初とその次はいい。構って欲しいんだなあ、と可愛くすら思える。因って、嫌いなんだろー、が出てから寝付かれる分にはさほど腹も立たない。が、規則正しい云々が出てくると腹が立つ。うちのの寝る時間が一定していれば説得力もあるけれど、2時に寝たり4時に寝たりしている奴に規則正しい云々言われても、それは違うだろ、と。単に同時間に行動を共にして欲しいだけちゃうんか、と。
常々そんな調子なので、昼食後にうちのが布団に入った際、私も進んで布団に入った。そして寝た。起きたら20時。うちのに、夕飯まだー、と起こされたのだ。ふらつきながら起きてスーパーに買いだしに行った。土曜の夕食は鍋物と数日前から決定していたので買い物は簡単……ではなかった。うちでは滅多に鍋物をしない。何故なら椅子を出さねば届かない収納場所にカセットコンロと土鍋をしまっており、私がそれらを取るのが面倒だから。うちのは鍋好きで、年に数回の鍋物の為の買い物時はいつも一緒にスーパーへと行っていた。土曜のうちのは風邪っぴきだったので一緒に行ってはくれず、私ひとりでスーパーへ。買い物籠を手に取り店内を歩きつつ途方に暮れた。はて、鍋の材料ってなんだっけ? 葱と白菜は入っていたと思う。あと椎茸。それから鶏肉。あ、豚しゃぶ用の肉が安くなってる。これも使うか。豆腐は絹ではない。木綿か焼きか。迷って焼きとうふを籠に入れ、近くにあったがんもどきも鍋に付き物のような気がして籠へ。魚介コーナーへ行き生食用の海老を発見。水炊きでありながらしゃぶしゃぶであり、また肉ではなく海老をしゃぶしゃぶっぽく食すのはオツな気がした。なので海老を手に取り、それから魚河岸あげ。鍋に合うかどうかは判らなかったけれど好きだから。最後に雑炊用の卵も。買い物終了。
帰宅してカセットコンロと土鍋を出し、キッチンのガスコンロにて土鍋に少なめに水を張り昆布投入。出汁取り。その間に野菜等を切った。ダラ似非奥の私にしては珍しく椎茸には十字の飾り切りも施し、土鍋の湯が沸き浮いてきた昆布を取り出し、鍋に野菜やとうふや揚げ物類を投入。蓋をしてしばし待つ間に米を研ぎ早炊き設定でスイッチを入れたところで鍋に鶏肉も投入。またしばらく煮て居間に用意したカセットコンロ上へと土鍋を移して食事開始。失礼なうちのは受け皿に対して、ちゃんと洗ったか? 鍋に対して、ちゃんと昆布で出汁は取ったか? などと訊いてきた。最近段々解ってきた。うちのは失礼なのではなく、無礼なのかもしれない。失う為には最初は礼が存在していた筈だ。その気配が見えない。それはともかく、当然ちゃんと受け皿は洗っていたし、上記のように出汁も取った。土鍋の蓋を開け、うちのはきょとんとした。どうして鶏が煮えてないの? 最後に入れたから。間違っているらしい。どうも鶏は最初に入れるものなのだそうだ。今回私は昔、実家で鍋について話しているときに親から聞いたことを思い出しながら作った。親曰く、水は少なめにして白菜をよく煮てそこから水分を出させた方が美味しい。これが私の中の基本になっていたので、最初に野菜類を入れたのだ。違ったのか。ひとつ勉強になった。
魚河岸あげは本来は鍋に必要ではないらしいけれど、好評だった。その代わり、がんもどきが要らない、と。次からはやめよう。ふたりで鍋を突付いてしばらくしてから、葱が入ってたのか! と驚かれた。白菜の下に隠れて見えていなかったのだ。そして葱には存分に火が通りとろっとしていた。私は長ねぎでも玉葱でもとろっとしている方が好きなのでこれでいい。うちのは葱にシャキシャキ感を求める。知らん。海老のしゃぶしゃぶは失敗。食べられなくはないのだけれど、外側は熱々で内側は冷や冷やという非常に口内が戸惑う結果に。従ってしゃぶしゃぶ状にして食すのは諦めて投入して煮えるのを待った。長時間食していると中身が減ってくる訳で、すると底も見えてくる訳で。以前、私は鍋を焦がさせたら日本一だか世界一だかと書いたことがある。土鍋にも通じていた。葱やとうふが焦げていた……。焦げをお玉で削ぎ落としてさて雑炊にと言うところで、うちのがお腹いっぱいと言い出した。なので雑炊は日曜に持ち越し。で、昨日の昼にまた、ごはんはー? と起こされて眠剤が抜け(中略、雑炊を作った。何かが足りない。醤油を垂らす。まだ何かが足りない。ああ、卵を落とし忘れた。うちのは不満気だったけれど、まあいいではないか。食えない物を出した訳でなし。それにしても買い物で途方に暮れた割には大した失敗もなく、そして鍋物はとても簡単だと知った。コンロと土鍋をしまうのも面倒なので暫く鍋類にしようかと思案中。また同じ水炊きでは芸がないし、牡蠣の土手鍋か鴨鍋か……高くつくなあ。鮟鱇鍋が食べたいけれど国産物の鮟鱇は近所には売っていない。取り敢えずはおでんかな。ダラ奥の多くが鍋祭・おでん祭を開催する理由がよく解った。因みに買出しから食卓に鍋を出す迄にかかった時間はちょうど1時間だった。楽ちん。
服装/セレクト物のネル素材ピンク地花柄ツインカットソー+A.P.C.のデニムパンツ+モナミピエルロのベージュのレザージャケット+ピンクの厚手のマフラー+パトリックの紺のスエードスニーカー
急いては事を……
2004年1月23日 メイク・ファッション・ピアス 現在、24日。
昨日は病院の待ち時間と帰りに久々にいろいろとコスメを購入。待ち時間には病院近くのDSで魔女の熱情と東京の夜と素直を購入。診察後に、某デパートにてアユーラの限定プレスト予約、狙っていたランコムのチークはオレンジ系だったのでスルーして、隣の某デパートのエスティローダーで持参していた葉書を出して誕生日プレゼントをもらい、ポール&ジョーでネイルを試して欲しくなるも我慢し、バラエティショップでエテュセのパフ・シンシアローリーのリキッドの白・舞妓はんのお粉・コンシーラを購入。シンシアは某デパートで買いたかったのだが、既に撤退していた。シンシア撤退の噂、白に近いグレーから黒に近いグレーに脳内変換。アナスイのアイブロウパウダーは近日中に購入の予定。あと、魔女のシャドウとグロスが思いの他よかったので数色買い足ししたい。エスティからきていた葉書では、何も購入しなくても、と書かれていたけれど流石に気が引けるので何かしら購入するつもりだったものの時間がなく、また今度ゆっくりきます〜と笑顔で去った。何を買いに行くか考えなければ。カウンタ対応の悪評高いブランドだけれど、私は嫌な思いをしたことなし。昨日もサンプル乞食のような形になってしまったけれど、丁寧に対応してもらえた。だからこそ、何を買おうか考えようという気になっている。今年のプレゼントはパフュームスプレー。なかなかに好みの香り。去年もらったボディスプレーも良い香りで勿体無くてまだ使っていない。いい加減に使わないと品質が劣化しそうだ。
ポール&ジョーで我慢したのは、似た色がアナスイにもあるかも、と思ったからだ。価格帯が似ていてどちらもアルビオン系列だから。単品しか発売していない物ならともかくブランドコスメで、ひとつだけ持っている、という状態がとても嫌でならない。なので気になる物は多くとも、高価なサンローランやソニアには手を出し難い。そしてこの性分故に昨日は今迄ツールセットしか持っていなかったシンシアの物を買ったと言っても過言ではない。エスティのもシャドウ下地しかないので何かしら早く購入したい所存。それともエスティのをさっさと使い切ってイプサにアイテムを移行するか。でも基礎物じゃあるまいし、大量に使える物でもない。やはりリップか何かを買って名前を刻んでもらおう。そうしよう。そのうち。スティラはまだハンキーが置かれていなくて助かった。スルーしたい代物だけれど、実物を見てしまうとパケ買いしてしまいそう。スティラはやり口が汚いし、ハンキーその物の評判は悪いし、私自身もトライパンやブックが好きなのだけれど、見ると負けそうな悪寒。しかもスティラは私がポイントカードを持っているデパートに入っている。好きなアナスイ・イプサ・アユーラは入っていない。これらが入っていたらポイントは貯まるし、買い物も纏めてできるし非常に便利になる。その分、余計な物迄買ってしまいそうなので入っていなくて正解なのか。ポール&ジョーが入って嬉しかったけれど、ブランドメインのMAがどうも嫌い。そして価格帯は似ているし、アナからポールに移行しようかと思ったのに、今日初めて本格的にテスターを見て初めて知ったこと。なんでカラースティックがこんなに細いんだ! アナスイの1/4くらいしかないじゃないか! やっぱり21日に買いに行けばよかった。甘かった。ポールへの移行はやめてミスエレかエレガンスにしよう。このデパートでベネフィットが復活してくれれば……。夢のまた夢。
ベネフィットが撤退する際、ベネティントなど多数の欲しい物があった。けれど全部揃える経済的余裕はなく、かといってひとつだけ買っておこうという気には上記性分故になれず、泣く泣く見送った。正解だったと思う。きっと幾つか買ったところで順次なくなっていく筈であり、そうなると最終的にはコスメボックスに何かしらひとつだけが残ることになり、その物の居心地が悪くなりそうだから。現在、居心地が悪そうにしているのは、エスティ・クラランス・セルフィット・ガリュ・ルミュウ・ルティーナ。全て色物。カバーマークもルースパウダーしかないけれど、これは持ち歩き用に別のケースに移し変えている為、脳内ではふたつあることになっていて平気。また基礎物はライン使いに拘っていない。昔はラインでなければ気に食わず、色物はひとつしかなくても構わなかった。いつ立場が逆転したのだろう。記憶にない。エスティはそのうち何かしら買う予定。クラランスは相当前からペンシルアイライナーを買うつもりでいたのに、何故かいつも後回しになっている。早く買わねばフィックスマスカラが切ない。ガリュはまだ生き残っているのか? というくらいに見かけず、セルフィット・ルミュウ・ルティーナは今持っている物以外に他に欲しい物がないので困っている。セルフィットから貧乏臭さが消え、ルミュウが色物を展開し、ルティーナがブルーベース向けの物を出してくれればいいのに。ボビィ・シュウ・MAC・ブルーム・ボーテドコーセーなどは手を出したいけれど、欲しい物が多く且つ集め始めるとやたらと金がかかりそうなので現在我慢中。
とまあ、昨日はコスメ類を買ってきて、道中に衣類・服飾小物の店も覗いたりした訳だが、コスメ以外は全て我慢。ひとつ無性に欲しくなったレモンイエローのカーディガンに遭遇。安い。ブルーベースでも似合いそうなこの手のパッキリした黄色にはなかなか巡り合えない。けれど現品のみの難あり商品だったので諦めた。私に編み物の才があれば買っていたに違いない。そしてあちこち覗いているときにふと後悔の念が過ぎった。先日、自分でブーツを購入した話を書いた。それはバーゲン中に買ってしまった方がいいと思ったからだ。けれども昨今、バーゲンは1月中やっているところが多い。……やはり誕生日プレゼントにねだるべきだったか。誕生日迄もう少し。何をねだろう。欲しい物はたくさんあるが、今現在どうしてもコレ! という程の物はうちのに既に拒否されたボディピアス以外にはない。私の誕生日が21日だったらアナの廃盤商品の欲しい物全部だったかも。ビュルデサボンで見た白いムートンジャケットが可愛かったけれど、付き合い始めでもあるまいし3万強はねだりにくい。ツモリの5万強のブーツも論外。ホコモモラのハーフコートかスナオの春物の靴は共に2万弱で無難か。けれど靴や衣類を減らさせたがっているうちのは頷くまい。鞄は既にふたつもらってヘビーローテーョンさせているので今更感がある。300万円相当の「最後の世界大戦」は自分で見つけてきたら買ってやる、と言われているけれど現在10冊程度しかこの世に残っていないと言われている代物が容易く発見できる筈もなく。このままではプレゼントをデジカメにされそうだ。うちのは今、私にデジカメをプレゼントしたがっている。私は特に欲しくないのに、単に自分が欲しいからだ。要らん。お手頃価格のネック細めのアメストを探す旅にでも出たい。あ、旅に出る為のチャリを希望してみようか。
昨日は病院の待ち時間と帰りに久々にいろいろとコスメを購入。待ち時間には病院近くのDSで魔女の熱情と東京の夜と素直を購入。診察後に、某デパートにてアユーラの限定プレスト予約、狙っていたランコムのチークはオレンジ系だったのでスルーして、隣の某デパートのエスティローダーで持参していた葉書を出して誕生日プレゼントをもらい、ポール&ジョーでネイルを試して欲しくなるも我慢し、バラエティショップでエテュセのパフ・シンシアローリーのリキッドの白・舞妓はんのお粉・コンシーラを購入。シンシアは某デパートで買いたかったのだが、既に撤退していた。シンシア撤退の噂、白に近いグレーから黒に近いグレーに脳内変換。アナスイのアイブロウパウダーは近日中に購入の予定。あと、魔女のシャドウとグロスが思いの他よかったので数色買い足ししたい。エスティからきていた葉書では、何も購入しなくても、と書かれていたけれど流石に気が引けるので何かしら購入するつもりだったものの時間がなく、また今度ゆっくりきます〜と笑顔で去った。何を買いに行くか考えなければ。カウンタ対応の悪評高いブランドだけれど、私は嫌な思いをしたことなし。昨日もサンプル乞食のような形になってしまったけれど、丁寧に対応してもらえた。だからこそ、何を買おうか考えようという気になっている。今年のプレゼントはパフュームスプレー。なかなかに好みの香り。去年もらったボディスプレーも良い香りで勿体無くてまだ使っていない。いい加減に使わないと品質が劣化しそうだ。
ポール&ジョーで我慢したのは、似た色がアナスイにもあるかも、と思ったからだ。価格帯が似ていてどちらもアルビオン系列だから。単品しか発売していない物ならともかくブランドコスメで、ひとつだけ持っている、という状態がとても嫌でならない。なので気になる物は多くとも、高価なサンローランやソニアには手を出し難い。そしてこの性分故に昨日は今迄ツールセットしか持っていなかったシンシアの物を買ったと言っても過言ではない。エスティのもシャドウ下地しかないので何かしら早く購入したい所存。それともエスティのをさっさと使い切ってイプサにアイテムを移行するか。でも基礎物じゃあるまいし、大量に使える物でもない。やはりリップか何かを買って名前を刻んでもらおう。そうしよう。そのうち。スティラはまだハンキーが置かれていなくて助かった。スルーしたい代物だけれど、実物を見てしまうとパケ買いしてしまいそう。スティラはやり口が汚いし、ハンキーその物の評判は悪いし、私自身もトライパンやブックが好きなのだけれど、見ると負けそうな悪寒。しかもスティラは私がポイントカードを持っているデパートに入っている。好きなアナスイ・イプサ・アユーラは入っていない。これらが入っていたらポイントは貯まるし、買い物も纏めてできるし非常に便利になる。その分、余計な物迄買ってしまいそうなので入っていなくて正解なのか。ポール&ジョーが入って嬉しかったけれど、ブランドメインのMAがどうも嫌い。そして価格帯は似ているし、アナからポールに移行しようかと思ったのに、今日初めて本格的にテスターを見て初めて知ったこと。なんでカラースティックがこんなに細いんだ! アナスイの1/4くらいしかないじゃないか! やっぱり21日に買いに行けばよかった。甘かった。ポールへの移行はやめてミスエレかエレガンスにしよう。このデパートでベネフィットが復活してくれれば……。夢のまた夢。
ベネフィットが撤退する際、ベネティントなど多数の欲しい物があった。けれど全部揃える経済的余裕はなく、かといってひとつだけ買っておこうという気には上記性分故になれず、泣く泣く見送った。正解だったと思う。きっと幾つか買ったところで順次なくなっていく筈であり、そうなると最終的にはコスメボックスに何かしらひとつだけが残ることになり、その物の居心地が悪くなりそうだから。現在、居心地が悪そうにしているのは、エスティ・クラランス・セルフィット・ガリュ・ルミュウ・ルティーナ。全て色物。カバーマークもルースパウダーしかないけれど、これは持ち歩き用に別のケースに移し変えている為、脳内ではふたつあることになっていて平気。また基礎物はライン使いに拘っていない。昔はラインでなければ気に食わず、色物はひとつしかなくても構わなかった。いつ立場が逆転したのだろう。記憶にない。エスティはそのうち何かしら買う予定。クラランスは相当前からペンシルアイライナーを買うつもりでいたのに、何故かいつも後回しになっている。早く買わねばフィックスマスカラが切ない。ガリュはまだ生き残っているのか? というくらいに見かけず、セルフィット・ルミュウ・ルティーナは今持っている物以外に他に欲しい物がないので困っている。セルフィットから貧乏臭さが消え、ルミュウが色物を展開し、ルティーナがブルーベース向けの物を出してくれればいいのに。ボビィ・シュウ・MAC・ブルーム・ボーテドコーセーなどは手を出したいけれど、欲しい物が多く且つ集め始めるとやたらと金がかかりそうなので現在我慢中。
とまあ、昨日はコスメ類を買ってきて、道中に衣類・服飾小物の店も覗いたりした訳だが、コスメ以外は全て我慢。ひとつ無性に欲しくなったレモンイエローのカーディガンに遭遇。安い。ブルーベースでも似合いそうなこの手のパッキリした黄色にはなかなか巡り合えない。けれど現品のみの難あり商品だったので諦めた。私に編み物の才があれば買っていたに違いない。そしてあちこち覗いているときにふと後悔の念が過ぎった。先日、自分でブーツを購入した話を書いた。それはバーゲン中に買ってしまった方がいいと思ったからだ。けれども昨今、バーゲンは1月中やっているところが多い。……やはり誕生日プレゼントにねだるべきだったか。誕生日迄もう少し。何をねだろう。欲しい物はたくさんあるが、今現在どうしてもコレ! という程の物はうちのに既に拒否されたボディピアス以外にはない。私の誕生日が21日だったらアナの廃盤商品の欲しい物全部だったかも。ビュルデサボンで見た白いムートンジャケットが可愛かったけれど、付き合い始めでもあるまいし3万強はねだりにくい。ツモリの5万強のブーツも論外。ホコモモラのハーフコートかスナオの春物の靴は共に2万弱で無難か。けれど靴や衣類を減らさせたがっているうちのは頷くまい。鞄は既にふたつもらってヘビーローテーョンさせているので今更感がある。300万円相当の「最後の世界大戦」は自分で見つけてきたら買ってやる、と言われているけれど現在10冊程度しかこの世に残っていないと言われている代物が容易く発見できる筈もなく。このままではプレゼントをデジカメにされそうだ。うちのは今、私にデジカメをプレゼントしたがっている。私は特に欲しくないのに、単に自分が欲しいからだ。要らん。お手頃価格のネック細めのアメストを探す旅にでも出たい。あ、旅に出る為のチャリを希望してみようか。
現在24日。
先日、華倫変の「デッド・トリック!」上下巻が発売されているのを見て昨日「モンキーターン」26巻と共に購入。どうやらこれが遺作らしい。去年自殺したと知り、立ち読みで済ませてしまった電気羊が最後だと思っていたので驚いた。近々購入しよう。因みに、公式発表で死因は心不全となっているけれどきっと自殺。根拠なし。友人の兄と話をしていた中で山本直樹が好きだと言ったときに、なら華倫変もきっと嵌るよ、と薦められたのをきっかけに知った漫画家だ。「デッド・トリック!」の解説に友人の兄の名が出てきていてびっくりした。面識があったのか。いいなあ。ともあれ華倫変。寡作な漫画家である。薦められて「カリクラ」を読み、それ以降殆ど見かけなかった。内容は鬱々とする物でクッキリと好みが分かれるだろう。それ以前に、非常に絵が下手で手にも取らない人が多いのではなかろうか。ヘタウマとかでなく、下手。それでも読ませる内容を描ける漫画家であり、私はとても好きだった。華倫変本人がトリップ付で某巨大掲示板に書き込みをしていたと知ったのは死後のことである。残念。ネット上でもいいから1度話をしてみたかった。本人のサイトも死後に知った。無念。そして合掌。「デッド・トリック!」そのものの出来は正直なところ宜しくないと思われる。解説によると編集に踊らされて描いたと誤解されているが本人の意思で描いたものだったらしい。あの絵でその転向には無理があったと思う。あの絵は、「カリクラ」的内容でしか許容できない絵柄ではなかろうか。内容自体はベタではあるが悪いとは思わない。キャラもちゃんと立っているし、動かせている。ただ、絵柄とミスマッチ過ぎるのだ。もっと言わせてもらえば、華倫変の絵柄は短編でないと読んでいてキツイ。短くどろどろしたものを描かせたら物凄くいいのに、何故あんな転向を図ったのか。そのときの心の動きが気になる。私の中では、心の動きが気になる作家とならない作家が区別されている。華倫変は前者である。
同じ前者にこれまた故人の青山正明がいる。作家ではなくエディター兼ライターだが。うちのも青山正明が好きだった。一緒に仕事をしていた時期があったらしい。激しく羨ましい。以前私が出入りしていた某出版社の担当編集者氏も一緒に仕事をしていたことがあるらしい。激しく羨ましい。知り合いの知り合い、と言える存在だけれど私は直接面識がなく、1点を除いてただただ尊敬するエディター兼ライターだった。椎名誠は野暮である。青山正明が学生時代に作ったものを読んだうちのが私に、好きなジャンルを扱っていいとしてお前にこれくらいのものを作れるか? と訊いてきた。うちのは、俺は無理だ、と言っていた。私もうちのには無理だと思う。悩んだ末におこがましくも、気力があればできるかもしれない、と答えた。青山正明がそれを作ったのと同年齢で同程度のものを作れるか、と問われたら絶対に無理だ。業界内で経験を積んで、時間だけは有り余っている今なら気力があればできるかもしれない。けれど、それには条件が付く。今の私の能力で、青山正明がそれを作ったのと同時代に発行できるなら。うちのの問いの真意は、自分の興味のある物事を自分の持っている知識で茶化したりしつつ何処迄面白可笑しく他者に読ませる自信があるか、ということである。ネックは、茶化したり、の部分。約20年の時を経て、創作活動はメタと化してしまった。今、当時青山正明が作ったものを読んでみて、面白可笑しくはあるけれど斬新さはない。それは茶化しの部分が、既に数多の創作者によってパクら……いや、パスティーシュ的に使われてきて、最早出尽くした感すらあるからだ。青山正明の使う茶化しの方法は昔からの私も得意とする方法であり、青山正明の存在を知ってしまってからは、もう定番と化している方法なのだなあ、と知った。気付くも気付かずもメタである。となると、私が今同程度のものを作るにあたり最も必要なのは、斬新さ、となる。解り易い例を出せば、鶴見済の「完全自殺マニュアル」。これが発行されて以来、様々なマニュアル本が出た。マニュアル内の項目紹介も酷似しており、ネタを変えただけのパクりじゃねえか、と思わされる本も多数。むしろ、そっちの方が多数。人々に受ける斬新な物はパクられる運命にあるのだと思う。
私が学生時代に夢を頓挫したのは、自分には0から1を作る力はなく、1を10や100にする力が強いと気付いたからだ。青山正明は1を100にも1000にもする方法を0から1へと導いた。本当に偉大な人だった。活字系創作者として或るジャンルに於いて全てを持った人だったとすら思う。努力の賜物もあるだろうが、天賦の才の方が大きかったのではなかろうか。また茶化し方だけでなく、扱っていたネタ自体も当時としては斬新な部類に入ったと思われる。タブーとされていつつ、でも人々が突いてみたい且つ茶化してみたいことを片っ端からやってのけていた気がする。それらのネタは今、鬼畜系、などと括られてアングラなサブカルの中央に近いところに位置しているように思う。と、書いていてふと思った。先日も日記で、サブカル、という単語を使った。言わずもがな、サブ・カルチャーの略称だ。ではメイン・カルチャーとは何だ。メインあってのサブであり、アングラだ。昔働いていた職場の面子と呑みつつ、メイン・カルチャーとはなんぞや? という話題が何度も出た。そして毎回、メインなんてない、という答えに行き着いた。では現存するカルチャーは、全てサブ・カルチャーなのか。ならば何故わざわざ、サブ、という単語が付くのか。会話の中で誰かが言った。今あるメインと思われているカルチャー全てが元はサブだった。ならば現存するメイン・カルチャーの前にメインだったものは何だったのか。私を含め誰も答えられなかった。無知集合体。
今、街中でも某巨大掲示板の名を耳にすることがある。或る雑誌では社会学者が某巨大掲示板を基に小論を発表した。私が某巨大掲示板を知り出入りするようになったのは4年強前。うちのに教えてもらったのがきっかけだ。うちのはその前の某大掲示板から今の某巨大掲示板に流れてきた者であり、今でも某巨大掲示板にアングラ幻想を持っている。私も一昨年迄はそう思っていた。早い・安い・美味いの店で、極々フツーの人がねぎだくを注文している姿を見てしまい、驚愕し、その後にもう某巨大掲示板はアングラではないのだと思った。その思いは、別の早い・安い・美味いの店で、PCの使い方も知らないようなカップルの男がねぎだくを注文し、女が何それ〜? などと訊き、男が、裏メニューみたいなもんだよ、と自慢げに語り始めたのを聞いて思いから確信に変わり、また別の(以下略の店で持ち帰り用にでこの話に半信半疑だったうちのの為にねぎだくを、私用に汁だくだくを注文したら、入れ物のシールに、ねぎだく、つゆだく、と印刷されているのを見て決定付けられた。今や某巨大掲示板もメイン・カルチャーのひとつなのだろうか。少なくともまだ、つゆだくだく、は定着していないようだが。
先日、華倫変の「デッド・トリック!」上下巻が発売されているのを見て昨日「モンキーターン」26巻と共に購入。どうやらこれが遺作らしい。去年自殺したと知り、立ち読みで済ませてしまった電気羊が最後だと思っていたので驚いた。近々購入しよう。因みに、公式発表で死因は心不全となっているけれどきっと自殺。根拠なし。友人の兄と話をしていた中で山本直樹が好きだと言ったときに、なら華倫変もきっと嵌るよ、と薦められたのをきっかけに知った漫画家だ。「デッド・トリック!」の解説に友人の兄の名が出てきていてびっくりした。面識があったのか。いいなあ。ともあれ華倫変。寡作な漫画家である。薦められて「カリクラ」を読み、それ以降殆ど見かけなかった。内容は鬱々とする物でクッキリと好みが分かれるだろう。それ以前に、非常に絵が下手で手にも取らない人が多いのではなかろうか。ヘタウマとかでなく、下手。それでも読ませる内容を描ける漫画家であり、私はとても好きだった。華倫変本人がトリップ付で某巨大掲示板に書き込みをしていたと知ったのは死後のことである。残念。ネット上でもいいから1度話をしてみたかった。本人のサイトも死後に知った。無念。そして合掌。「デッド・トリック!」そのものの出来は正直なところ宜しくないと思われる。解説によると編集に踊らされて描いたと誤解されているが本人の意思で描いたものだったらしい。あの絵でその転向には無理があったと思う。あの絵は、「カリクラ」的内容でしか許容できない絵柄ではなかろうか。内容自体はベタではあるが悪いとは思わない。キャラもちゃんと立っているし、動かせている。ただ、絵柄とミスマッチ過ぎるのだ。もっと言わせてもらえば、華倫変の絵柄は短編でないと読んでいてキツイ。短くどろどろしたものを描かせたら物凄くいいのに、何故あんな転向を図ったのか。そのときの心の動きが気になる。私の中では、心の動きが気になる作家とならない作家が区別されている。華倫変は前者である。
同じ前者にこれまた故人の青山正明がいる。作家ではなくエディター兼ライターだが。うちのも青山正明が好きだった。一緒に仕事をしていた時期があったらしい。激しく羨ましい。以前私が出入りしていた某出版社の担当編集者氏も一緒に仕事をしていたことがあるらしい。激しく羨ましい。知り合いの知り合い、と言える存在だけれど私は直接面識がなく、1点を除いてただただ尊敬するエディター兼ライターだった。椎名誠は野暮である。青山正明が学生時代に作ったものを読んだうちのが私に、好きなジャンルを扱っていいとしてお前にこれくらいのものを作れるか? と訊いてきた。うちのは、俺は無理だ、と言っていた。私もうちのには無理だと思う。悩んだ末におこがましくも、気力があればできるかもしれない、と答えた。青山正明がそれを作ったのと同年齢で同程度のものを作れるか、と問われたら絶対に無理だ。業界内で経験を積んで、時間だけは有り余っている今なら気力があればできるかもしれない。けれど、それには条件が付く。今の私の能力で、青山正明がそれを作ったのと同時代に発行できるなら。うちのの問いの真意は、自分の興味のある物事を自分の持っている知識で茶化したりしつつ何処迄面白可笑しく他者に読ませる自信があるか、ということである。ネックは、茶化したり、の部分。約20年の時を経て、創作活動はメタと化してしまった。今、当時青山正明が作ったものを読んでみて、面白可笑しくはあるけれど斬新さはない。それは茶化しの部分が、既に数多の創作者によってパクら……いや、パスティーシュ的に使われてきて、最早出尽くした感すらあるからだ。青山正明の使う茶化しの方法は昔からの私も得意とする方法であり、青山正明の存在を知ってしまってからは、もう定番と化している方法なのだなあ、と知った。気付くも気付かずもメタである。となると、私が今同程度のものを作るにあたり最も必要なのは、斬新さ、となる。解り易い例を出せば、鶴見済の「完全自殺マニュアル」。これが発行されて以来、様々なマニュアル本が出た。マニュアル内の項目紹介も酷似しており、ネタを変えただけのパクりじゃねえか、と思わされる本も多数。むしろ、そっちの方が多数。人々に受ける斬新な物はパクられる運命にあるのだと思う。
私が学生時代に夢を頓挫したのは、自分には0から1を作る力はなく、1を10や100にする力が強いと気付いたからだ。青山正明は1を100にも1000にもする方法を0から1へと導いた。本当に偉大な人だった。活字系創作者として或るジャンルに於いて全てを持った人だったとすら思う。努力の賜物もあるだろうが、天賦の才の方が大きかったのではなかろうか。また茶化し方だけでなく、扱っていたネタ自体も当時としては斬新な部類に入ったと思われる。タブーとされていつつ、でも人々が突いてみたい且つ茶化してみたいことを片っ端からやってのけていた気がする。それらのネタは今、鬼畜系、などと括られてアングラなサブカルの中央に近いところに位置しているように思う。と、書いていてふと思った。先日も日記で、サブカル、という単語を使った。言わずもがな、サブ・カルチャーの略称だ。ではメイン・カルチャーとは何だ。メインあってのサブであり、アングラだ。昔働いていた職場の面子と呑みつつ、メイン・カルチャーとはなんぞや? という話題が何度も出た。そして毎回、メインなんてない、という答えに行き着いた。では現存するカルチャーは、全てサブ・カルチャーなのか。ならば何故わざわざ、サブ、という単語が付くのか。会話の中で誰かが言った。今あるメインと思われているカルチャー全てが元はサブだった。ならば現存するメイン・カルチャーの前にメインだったものは何だったのか。私を含め誰も答えられなかった。無知集合体。
今、街中でも某巨大掲示板の名を耳にすることがある。或る雑誌では社会学者が某巨大掲示板を基に小論を発表した。私が某巨大掲示板を知り出入りするようになったのは4年強前。うちのに教えてもらったのがきっかけだ。うちのはその前の某大掲示板から今の某巨大掲示板に流れてきた者であり、今でも某巨大掲示板にアングラ幻想を持っている。私も一昨年迄はそう思っていた。早い・安い・美味いの店で、極々フツーの人がねぎだくを注文している姿を見てしまい、驚愕し、その後にもう某巨大掲示板はアングラではないのだと思った。その思いは、別の早い・安い・美味いの店で、PCの使い方も知らないようなカップルの男がねぎだくを注文し、女が何それ〜? などと訊き、男が、裏メニューみたいなもんだよ、と自慢げに語り始めたのを聞いて思いから確信に変わり、また別の(以下略の店で持ち帰り用にでこの話に半信半疑だったうちのの為にねぎだくを、私用に汁だくだくを注文したら、入れ物のシールに、ねぎだく、つゆだく、と印刷されているのを見て決定付けられた。今や某巨大掲示板もメイン・カルチャーのひとつなのだろうか。少なくともまだ、つゆだくだく、は定着していないようだが。
充実通院
2004年1月21日 家族・メンヘル・健康など 現在24日。
昨日、ずっとさぼっていた通院を再開。今年初。30分以上も待たされたからか、単に主治医の機嫌が良かったのか、前回と打って変わってえらく真剣に話を聞いてくれ、また私が上手く表現できなかったもやもや感を、そうそう! と激しく同意できる言葉に変換してくれたり、挙句お茶迄出してくれた。緑茶、PDに……いや、気にすまい。私の発作は主に諸事情に起因するので、広場不安やカフェインには刺激されないし。今回話してきたのは、
・予期不安の時間が長くなり、今年に入ってやや大きい発作を数回起こしていること
・被害妄想かもしれないけれどうちのの親や姉らから結婚反対の意思を沈黙で示されているような気がすること
・うちのの姉の旦那も以前親と絶縁状態にあり、絶縁した本人が一番つらい、とうちのに言っていながら自分の身内優先で蔑ろにされている感じがすること
・友人本人は悩んでおり、大変だなあと心配したりしつつも悩みの内容故に、居場所がたくさんあっていいなあ、と妬んでしまう部分が多少なりともあること
・入浴や洗濯や掃除など各々必ず順番通りに完璧にやらないと気が済まない故に、完璧にできないと判っているときが多く、逆完璧として何もできない日々が多いこと
・一時期マシになっていた気分の浮き沈みがまた激しくなり、先日希死念慮に襲われたけれどピアスホールが完成していないことへの貧乏根性が強く自傷も何もしなかったけれど、ピアスとは自身の体を傷付ける行為であり、まるで前以って自傷していたような気分になったこと
など。じっくり聞いてくれ且つ的確な言葉への変換や無理のないアドバイスをもらえて嬉しかった。もう通院を始めて1年なんだよなあ……。この1年のうちに快方傾向の報告は何回できただろう。片手に余る程度しか思い出せない。数ヶ月かけて1歩進んで5歩下がり、といった状態。
主治医と話をしてもやもやの正体が、孤独感や蔑ろにされている感だと解った。自分で認めたくなくて言葉にできなかったんだろうと思う。主治医以外の人に同様の置換をされても強がってしまったかもしれない。どうやら親との絶縁以来、私は淋しかったようだ。他人事のような書き方なのは意地である。少し前に短い日記を書いている。このとき、うちのと喧嘩をしていた。きっかけは他者から見たら本当に些細なことである。自分でも過剰反応だと解っていた。でも逃避衝動が強く、どうしようもならなかった。うちのが謝罪メールをくれても信じられず、仕事中に電話をかけてきてくれても逃げた。怒りではなく、恐怖心からである。うちのは口が悪い。悪気がないのは重々承知していても、振幅の激しい私の心の針が弱い方向へと触れているときは、拍車がかかってしまうのだ。傷つけられるのが怖くて、布団の中で丸くなって現実逃避。相手に傷つけるつもりがないのが解っているのだから、勝手に傷ついているように見えるかもしれない。けれどどちらにしても自分にとっては同じ傷であり、同じ痛みなのである。年々臆病になってきている気がする。鋼の心臓は何処に行ってしまったのだろう。
私の抱える孤独感・蔑ろにされている感について、職場でインフルエンザをうつされてきたにも拘らず、うちのはよく聞いてくれた。主治医に話してもやもやが明瞭な単語に置き換えられたことで少しだけ晴れ、話す気はなかったのだけれどひとつの単語が引金になった。うちのが何気なく言った、仕事辞めるから一緒にうちの実家に帰るか。仕事を辞めたい若しくは辞める、というのはうちのの口癖のようなものである。それだけなら別に気にならなかったのだが、その後に続いた、実家、というのが引っかかった。私は親と絶縁してから、他者が口にする、実家、という単語に過剰反応してしまう諸々の感情を押し殺してこざるを得なかった。もやもや、としか表現できていなかったから。それが明瞭な単語に置換可能となった故の、感情爆発である。うちのと私は事実婚状態だ。イコール入籍していない。実家と事実上絶縁した現状、働けない現状、私の居場所はここしかなく且つちゃんと養ってもらっているのに根無し草という思いが消えない。うちのと話しているうちに気がついた。友人知人には複数の居場所がある。彼氏乃至彼女乃至女房乃至旦那の下、職場など、そして実家。私にはここしかない。ここしかないのに、うちのの実家からの圧力を感じる。圧力は気のせいかもしれないけれど、そういう気がするのだから仕方がない。そしてその圧力の奥に、利用された感と親の欲目を感じる。孤独な上に蔑ろ。不愉快な感情しか出てこない。うちのには悪いが、きっと結婚してうちのの家族と付き合いをしても私はうわべの付き合いしかできないだろう。馴れ合い禁止、殺伐歓迎。少なくとも今はそんな気持ちである。
入浴などに関して、強迫神経症でしょうか? と主治医に訊いたところ、ちょっと違う、と返答された。主治医曰く、ストレス発散を無駄な方向に使っている、とのこと。もやもやした気持ちに基づくエネルギーが、自分でもおかしいと自覚できるところにでも発散させなければならない心境らしい。これら強迫的なものは何年も前からあった。それこそ実家にいたときからそうである。ずっと何かしらの、もやもやを抱えて生きていたのか。今は孤独感など、昔はきっと親からの依存や抑圧などだろう。いきなり習慣を変えようとすると余計にストレスになるので少しずつ変えられるようにしまょう、と言ってくれた。例えば、私は入浴に関して完璧を求める為に2時間程を要する。これを日々、1時間50分に、次は1時間40分にしていきましょう、と。できるだろうか? でもやるんだよ! の精神が必要そうである。そして、主治医はこうも言ってくれた。この説明でうちのの理解が得られなければ、あの母親と暮らしてみれば判ると医者が言っていたと言っておけ、と。私の主治医はやはり親のことをアレだと思っている模様。実際にアレだけれど。因みに昨日通院再開できたのは、一昨日の夜に2時間程かけて入浴したからである。それ迄ばっちくて出かけるに出かけられなかったのだ。
服装/ケイタのパッチワークシャツ+イエナのグレーのカーディガン+eの紫色膝下丈レザースカート+茶色のアーガイル柄ハイソックス+キャベツの茶色いブーツ+ポーターの茶色い鞄+レトロ物臙脂色コート+アンティーク風ラリエット
メイク/目尻にのみ魔女・熱情→魔女・素直
昨日、ずっとさぼっていた通院を再開。今年初。30分以上も待たされたからか、単に主治医の機嫌が良かったのか、前回と打って変わってえらく真剣に話を聞いてくれ、また私が上手く表現できなかったもやもや感を、そうそう! と激しく同意できる言葉に変換してくれたり、挙句お茶迄出してくれた。緑茶、PDに……いや、気にすまい。私の発作は主に諸事情に起因するので、広場不安やカフェインには刺激されないし。今回話してきたのは、
・予期不安の時間が長くなり、今年に入ってやや大きい発作を数回起こしていること
・被害妄想かもしれないけれどうちのの親や姉らから結婚反対の意思を沈黙で示されているような気がすること
・うちのの姉の旦那も以前親と絶縁状態にあり、絶縁した本人が一番つらい、とうちのに言っていながら自分の身内優先で蔑ろにされている感じがすること
・友人本人は悩んでおり、大変だなあと心配したりしつつも悩みの内容故に、居場所がたくさんあっていいなあ、と妬んでしまう部分が多少なりともあること
・入浴や洗濯や掃除など各々必ず順番通りに完璧にやらないと気が済まない故に、完璧にできないと判っているときが多く、逆完璧として何もできない日々が多いこと
・一時期マシになっていた気分の浮き沈みがまた激しくなり、先日希死念慮に襲われたけれどピアスホールが完成していないことへの貧乏根性が強く自傷も何もしなかったけれど、ピアスとは自身の体を傷付ける行為であり、まるで前以って自傷していたような気分になったこと
など。じっくり聞いてくれ且つ的確な言葉への変換や無理のないアドバイスをもらえて嬉しかった。もう通院を始めて1年なんだよなあ……。この1年のうちに快方傾向の報告は何回できただろう。片手に余る程度しか思い出せない。数ヶ月かけて1歩進んで5歩下がり、といった状態。
主治医と話をしてもやもやの正体が、孤独感や蔑ろにされている感だと解った。自分で認めたくなくて言葉にできなかったんだろうと思う。主治医以外の人に同様の置換をされても強がってしまったかもしれない。どうやら親との絶縁以来、私は淋しかったようだ。他人事のような書き方なのは意地である。少し前に短い日記を書いている。このとき、うちのと喧嘩をしていた。きっかけは他者から見たら本当に些細なことである。自分でも過剰反応だと解っていた。でも逃避衝動が強く、どうしようもならなかった。うちのが謝罪メールをくれても信じられず、仕事中に電話をかけてきてくれても逃げた。怒りではなく、恐怖心からである。うちのは口が悪い。悪気がないのは重々承知していても、振幅の激しい私の心の針が弱い方向へと触れているときは、拍車がかかってしまうのだ。傷つけられるのが怖くて、布団の中で丸くなって現実逃避。相手に傷つけるつもりがないのが解っているのだから、勝手に傷ついているように見えるかもしれない。けれどどちらにしても自分にとっては同じ傷であり、同じ痛みなのである。年々臆病になってきている気がする。鋼の心臓は何処に行ってしまったのだろう。
私の抱える孤独感・蔑ろにされている感について、職場でインフルエンザをうつされてきたにも拘らず、うちのはよく聞いてくれた。主治医に話してもやもやが明瞭な単語に置き換えられたことで少しだけ晴れ、話す気はなかったのだけれどひとつの単語が引金になった。うちのが何気なく言った、仕事辞めるから一緒にうちの実家に帰るか。仕事を辞めたい若しくは辞める、というのはうちのの口癖のようなものである。それだけなら別に気にならなかったのだが、その後に続いた、実家、というのが引っかかった。私は親と絶縁してから、他者が口にする、実家、という単語に過剰反応してしまう諸々の感情を押し殺してこざるを得なかった。もやもや、としか表現できていなかったから。それが明瞭な単語に置換可能となった故の、感情爆発である。うちのと私は事実婚状態だ。イコール入籍していない。実家と事実上絶縁した現状、働けない現状、私の居場所はここしかなく且つちゃんと養ってもらっているのに根無し草という思いが消えない。うちのと話しているうちに気がついた。友人知人には複数の居場所がある。彼氏乃至彼女乃至女房乃至旦那の下、職場など、そして実家。私にはここしかない。ここしかないのに、うちのの実家からの圧力を感じる。圧力は気のせいかもしれないけれど、そういう気がするのだから仕方がない。そしてその圧力の奥に、利用された感と親の欲目を感じる。孤独な上に蔑ろ。不愉快な感情しか出てこない。うちのには悪いが、きっと結婚してうちのの家族と付き合いをしても私はうわべの付き合いしかできないだろう。馴れ合い禁止、殺伐歓迎。少なくとも今はそんな気持ちである。
入浴などに関して、強迫神経症でしょうか? と主治医に訊いたところ、ちょっと違う、と返答された。主治医曰く、ストレス発散を無駄な方向に使っている、とのこと。もやもやした気持ちに基づくエネルギーが、自分でもおかしいと自覚できるところにでも発散させなければならない心境らしい。これら強迫的なものは何年も前からあった。それこそ実家にいたときからそうである。ずっと何かしらの、もやもやを抱えて生きていたのか。今は孤独感など、昔はきっと親からの依存や抑圧などだろう。いきなり習慣を変えようとすると余計にストレスになるので少しずつ変えられるようにしまょう、と言ってくれた。例えば、私は入浴に関して完璧を求める為に2時間程を要する。これを日々、1時間50分に、次は1時間40分にしていきましょう、と。できるだろうか? でもやるんだよ! の精神が必要そうである。そして、主治医はこうも言ってくれた。この説明でうちのの理解が得られなければ、あの母親と暮らしてみれば判ると医者が言っていたと言っておけ、と。私の主治医はやはり親のことをアレだと思っている模様。実際にアレだけれど。因みに昨日通院再開できたのは、一昨日の夜に2時間程かけて入浴したからである。それ迄ばっちくて出かけるに出かけられなかったのだ。
服装/ケイタのパッチワークシャツ+イエナのグレーのカーディガン+eの紫色膝下丈レザースカート+茶色のアーガイル柄ハイソックス+キャベツの茶色いブーツ+ポーターの茶色い鞄+レトロ物臙脂色コート+アンティーク風ラリエット
メイク/目尻にのみ魔女・熱情→魔女・素直
行けども行けども
2004年1月20日 メイク・ファッション・ピアス 某所にて某URLが晒されているのを発見。大丈夫だとは思うけれど、前例があるので悪しきことが起きないよう祈るばかり。いろいろ考えるとまた脳内悪循環スパイラルに陥るので考えない。楽しいことを考えよう。楽しいこと……今、気になっているマスカラがある。最近発売されたばかりのヴィセのマスカラ。2000円ということは、DSなら1600円以下で購入可能。評判上々にて欲しいと思っているのだけれど、気に入らない点がひとつ。イメガが嫌い。大手コスメブランドには大概イメージガールがついている。ヴィセのイメガは長くハマが勤めている。それ故に私はヴィセを購入しない。ドーリィシリーズのときは小指の爪の先程度に小悪魔に扮したハマをかわいいと思ってしまったけれど、基本的に嫌いなので結局何も購入しなかった。特に気に入ったアイテムもなかったし。テスティモのイメガは最近ヨネから山田優とやらに代わったようだ。彼女をよく知らなかった私はCMを初めて見たとき、篠原涼子が若返った、と思ってしまった。似ている気がする。特に口元。ヨネにしても山田にしても特に好きではないのでテスティモ商品も殆ど持っていない。目元のコスメアイテムにピエヌは多い。伊東美咲も鼻フック風味で好きではないのだけれど、資生堂は好きなのだ。カネボウ・コーセーはどうも資生堂の後追いばかりしている気がして、イメガもそうだが企業の姿勢が余り好きでない。という訳で、今私の睫はキラキラしている。
何が、という訳で、なのかと言うと、近所のDSにて今日迄資生堂カウンセリング商品が33%オフだったので、ピエヌのディープラッシュマスカラの17番リピート用と今更ながらに限定にも関わらず賛否両論の所為か在庫があったプリズマライズマスカラを購入してきたのだ。このプリズマライズマスカラ、見た目はラベンダーがかった淡いピンク色。つけるとピンクは消えてグリーン系のラメが光る。見た目もつけた感じも可愛い。今つけているのはテスターであり、まだ買ってきた現品はつけていない。テスターを試し、コイル型コームが2種ついている点が気に入った。つけたときの光り具合も。以前持っていたFSPのマスカラアクロバットよりも偏光具合がよろしい。コームもピエヌの方が使い易い。マスカラアクロバットのはコームの目が粗くいちいち歯間ブラシに取らなければならないのが面倒だったけれど、こちらは細かいコームがついているのだ。以前、マスカラアクロバットのオレンジをつけて出かけた際、うちのに、睫に埃が付いてる、と言われて以来ラメマスカラは使わなくなっていた。プリズマライズマスカラでも同様の指摘を受けそうだが、今度はもう自己満足アイテムと割り切って使う予定。いいんだ、ライヴ用にするから。……しかし果たして次のライヴはいつ行われることやらという不安はあるけれど。ドラマーが脱退してから次の活動予定の発表がないのに、ライヴ用アイテムが今回のマスカラやら先日の袴やらと増えていっている。早くこれらアイテムに日の目を見せたいものである。
ディープラッシュマスカラはリピート用、と書いた。実はマスカラをリピートするのはこれが初めて。大概のマスカラはつけ難さや滲みなどでお蔵入り、気に入る物に出会っても使いきる頃には飽きてしまう。ディープラッシュマスカラも多少滲む。けれど、クラランスのフィックスマスカラに登場願う程ではなく、滲んでも綿棒でちょっと拭えば取れるし、何よりコームが使い易い。昨今、コーム型マスカラは増えてきているけれど私の知る限り、このディープラッシュマスカラのコームが最も目が細かい。丁寧につければ別途コームが不要なので急いでいるときに特に重宝している。これが廃盤になったらどうしようというくらいに頼っている。落ちなさ具合ではFSPのマスカラカールが最強だったけれど今はもうないし、フィックスマスカラを使えばどのマスカラも落ちなくなるけれど艶が減るのとクレンジングのし難さで、できれば使いたくない。それにポイントクレンジングが必要な物はどうしても睫を傷める気がする。なので普段使いのマスカラにはフィルムタイプを多用。今はビューコスのボリュームとファイバーウィッグの併用が多い。どこかでボリュームとロング効果を兼ね備えた艶もあるフィルムタイプの目の細かいコーム型マスカラが発売されたら乗り換えるだろうなあ。こういうマスカラを望んでいるのは私だけではない筈。Kパレットにボリュームロングのフィルムタイプがあるようだけれど、個人的に余りいいイメージがない。男性からしたらたかが睫な話だろうけれど、コスメ好きの女性にとってはされど睫なのだ。
私は物忘れの激しさと妄想好きが相俟って、買い物リストをほぼ毎日作っている。以前、遺言状に棺に入れて欲しい物リストを書いているときにうちのに、また何か買おうとしてる! と怒られるくらいにしょっちゅうだ。スーパーなどに食料品や日用品を買いに行くときもだし、デパートに行くときも買い物リストを作る。現在財布に入れているリストは今月から来月にかけて欲しい物リストだ。全てコスメ。アナスイの明日で廃盤になるであろう物2種、同じくアナスイで明後日新発売される物、明々後日ランコムから限定発売される物、2月の頭にアユーラから限定発売される物。その他諸々で計10個以上。廃盤と限定が優先なのは当然としても、新製品も気になる。多々ある新製品の中で非常に心惹かれている商品に、舞妓はんのお粉、という物がある。桜の香りがする白系ルースパウダーだ。自分の肌がブルーベースと判明して以来、ずっとカバーマークのブルベ用ルースパウダーを愛用しており、今もまだまだ残っている。でも飽きてきた。舞妓に桜。なんとも心躍るフレーズ。これに恋コスメ紛いのことが書かれていた日には絶対に買うまいと思えるけれど、どこぞの某コスメ・アーティストのセカンド・ブランドのようなキャッチはつけられていない。そのうち利用者にその手のレッテルを貼られる可能性はあるけれど。いい香りなんだろうなあ、崩れにくいんだろうなあ。カバマのルースとブレンドしたら、透明感も出そうだなあ。ブレンドを視野に入れると大きい方を買った方がいいのだろうか、と書いているうちにすっかり買う気になってしまった。いかんいかん。その前にアナスイとランコムとアユーラだ。そしてこの間洗って干していたら小動物に悪戯されてどこかに消え失せたエテュセのパフ。ああ、ボディショップで新しく出たストロベリーのシリーズも気になる。……気合を入れてメイクしようと着飾ろうと、うちのは褒めない性質なのでつまらん。行けども行けども針の山、ならぬ自己満足、か。
BGM/アルバム「頽廃藝術展」
何が、という訳で、なのかと言うと、近所のDSにて今日迄資生堂カウンセリング商品が33%オフだったので、ピエヌのディープラッシュマスカラの17番リピート用と今更ながらに限定にも関わらず賛否両論の所為か在庫があったプリズマライズマスカラを購入してきたのだ。このプリズマライズマスカラ、見た目はラベンダーがかった淡いピンク色。つけるとピンクは消えてグリーン系のラメが光る。見た目もつけた感じも可愛い。今つけているのはテスターであり、まだ買ってきた現品はつけていない。テスターを試し、コイル型コームが2種ついている点が気に入った。つけたときの光り具合も。以前持っていたFSPのマスカラアクロバットよりも偏光具合がよろしい。コームもピエヌの方が使い易い。マスカラアクロバットのはコームの目が粗くいちいち歯間ブラシに取らなければならないのが面倒だったけれど、こちらは細かいコームがついているのだ。以前、マスカラアクロバットのオレンジをつけて出かけた際、うちのに、睫に埃が付いてる、と言われて以来ラメマスカラは使わなくなっていた。プリズマライズマスカラでも同様の指摘を受けそうだが、今度はもう自己満足アイテムと割り切って使う予定。いいんだ、ライヴ用にするから。……しかし果たして次のライヴはいつ行われることやらという不安はあるけれど。ドラマーが脱退してから次の活動予定の発表がないのに、ライヴ用アイテムが今回のマスカラやら先日の袴やらと増えていっている。早くこれらアイテムに日の目を見せたいものである。
ディープラッシュマスカラはリピート用、と書いた。実はマスカラをリピートするのはこれが初めて。大概のマスカラはつけ難さや滲みなどでお蔵入り、気に入る物に出会っても使いきる頃には飽きてしまう。ディープラッシュマスカラも多少滲む。けれど、クラランスのフィックスマスカラに登場願う程ではなく、滲んでも綿棒でちょっと拭えば取れるし、何よりコームが使い易い。昨今、コーム型マスカラは増えてきているけれど私の知る限り、このディープラッシュマスカラのコームが最も目が細かい。丁寧につければ別途コームが不要なので急いでいるときに特に重宝している。これが廃盤になったらどうしようというくらいに頼っている。落ちなさ具合ではFSPのマスカラカールが最強だったけれど今はもうないし、フィックスマスカラを使えばどのマスカラも落ちなくなるけれど艶が減るのとクレンジングのし難さで、できれば使いたくない。それにポイントクレンジングが必要な物はどうしても睫を傷める気がする。なので普段使いのマスカラにはフィルムタイプを多用。今はビューコスのボリュームとファイバーウィッグの併用が多い。どこかでボリュームとロング効果を兼ね備えた艶もあるフィルムタイプの目の細かいコーム型マスカラが発売されたら乗り換えるだろうなあ。こういうマスカラを望んでいるのは私だけではない筈。Kパレットにボリュームロングのフィルムタイプがあるようだけれど、個人的に余りいいイメージがない。男性からしたらたかが睫な話だろうけれど、コスメ好きの女性にとってはされど睫なのだ。
私は物忘れの激しさと妄想好きが相俟って、買い物リストをほぼ毎日作っている。以前、遺言状に棺に入れて欲しい物リストを書いているときにうちのに、また何か買おうとしてる! と怒られるくらいにしょっちゅうだ。スーパーなどに食料品や日用品を買いに行くときもだし、デパートに行くときも買い物リストを作る。現在財布に入れているリストは今月から来月にかけて欲しい物リストだ。全てコスメ。アナスイの明日で廃盤になるであろう物2種、同じくアナスイで明後日新発売される物、明々後日ランコムから限定発売される物、2月の頭にアユーラから限定発売される物。その他諸々で計10個以上。廃盤と限定が優先なのは当然としても、新製品も気になる。多々ある新製品の中で非常に心惹かれている商品に、舞妓はんのお粉、という物がある。桜の香りがする白系ルースパウダーだ。自分の肌がブルーベースと判明して以来、ずっとカバーマークのブルベ用ルースパウダーを愛用しており、今もまだまだ残っている。でも飽きてきた。舞妓に桜。なんとも心躍るフレーズ。これに恋コスメ紛いのことが書かれていた日には絶対に買うまいと思えるけれど、どこぞの某コスメ・アーティストのセカンド・ブランドのようなキャッチはつけられていない。そのうち利用者にその手のレッテルを貼られる可能性はあるけれど。いい香りなんだろうなあ、崩れにくいんだろうなあ。カバマのルースとブレンドしたら、透明感も出そうだなあ。ブレンドを視野に入れると大きい方を買った方がいいのだろうか、と書いているうちにすっかり買う気になってしまった。いかんいかん。その前にアナスイとランコムとアユーラだ。そしてこの間洗って干していたら小動物に悪戯されてどこかに消え失せたエテュセのパフ。ああ、ボディショップで新しく出たストロベリーのシリーズも気になる。……気合を入れてメイクしようと着飾ろうと、うちのは褒めない性質なのでつまらん。行けども行けども針の山、ならぬ自己満足、か。
BGM/アルバム「頽廃藝術展」