株価上昇の裏に見る絶対評価導入の緊急性並びに必要性
2003年10月31日 雑感・所感 現在30日から31日に日付が変更されたばかり。
本日、西洋では南瓜の行灯を持って黒装束を身に纏った餓鬼共が隣り近所を回って脅迫をしつつお菓子を分捕るという行事が実行されるようである。西洋の皆様、気をつけてください。日本にそんな行事がなくて本当に良かった。大人しく南瓜の煮付けでも食すのが秋の夜長の正しい日本人の姿である。
そんな秋の夜長の大半を私はひとりで過ごしている。うちのが帰宅しないのだ。楽である。小言も言われなければセクハラもされず、好きなことをして遊んで夜更かしをしていても嫌味を言われない……淋しい。今夜はタクシーで帰宅すると言ってはいたが本当に帰ってこれるのだろうか? 尋常ではない仕事量に追われ、物凄く忙しそうである。昨日の朝、数日振りに顔を合わせた。げっそりとげんなりと帰宅し、早々に床に就き、90分だけ睡眠を取ってまた背中に哀愁を漂わせつつ出社した。朝ごはんも「作ってくれ」と言いつつ1/3程度しか食べなかったので栄養剤を飲ませて見送った。顔色が緑がかっていた気がする。死に体とはあのような姿のことを言うのだろう。代わりたくても手伝いたくても無理な話であり、本人に頑張って貰うしかない。本気で退社したいようである。生活できるだけの収入が得られれば転職してもらっても私は一向に構わない。うちのの会社はこのご時世にしてはいい給与を出してくれている。しかし仕事量とその給与を秤にかけると決して高くない。むしろ安い。うちのの仕事による会社の収益を思えば、後ン十万から百万くらい上げてくれても良さそうである。とにかくうちのはよく働いている。会社に服役しているかのように。
うちのと私が付き合い同棲を始めた当初、私の親はうちのを嫌っていた。「碌な男じゃない。まともな男ならこんな女とは付き合わない」と言われた。私はワコか。この話には主治医も呆れていた。こうやって自己肯定という物は親によって私の手から遠ざけられて続けている。現在進行形。同棲開始から早4年。今、私の親は異様な迄にうちのに感謝をし信頼しきっている。私に実家で生活されるのは迷惑そうなので、うちのの元に置いておきたいのもあるだろう。それにしても話す度にうちのを褒める。「あんないい人はいない。裏切ってはいけない」と変化した。私の親はうちののとんでもない裏を知らない。教えていないのだから知らなくて当然なのだが、それでもこう毎回うちのの絶賛を聞かされていると、全てを白日の下に曝け出してやりたくなってくる。できない。曝け出したが最後、私はうちのに一生会えなくなってしまうだろう。親は私をここに置いておきたいと思い、私もこの安楽地にできる限り長くいたいと思っている。根拠は違えど利害は一致。一致していないのはうちののみであり、私に出て行って欲しそうな気配を見せることがたまにある。気持ちはとてもよく解る。私だってこんな女に居座られたら甚だ迷惑であり、警察を呼んででも追い払いたいところだ。塩も撒く。けれど私はうちのではないので知ったことではない。私のやっていることは押しかけ女房ならぬ押し込み強盗のようだが、今後改善を試み……ではなく心がけるというところでどうにか上手く気持ちに整理をつけて欲しいと願っている。できればペットを飼っているような気持ちで接して欲しい。諸事情により、一人前の大人として扱われると対応に困るのだ。
友人たちはうちのの裏を知っている。一度はそれで底値に至ったが、現在は回復どころか高値になる一方だ。皆が口を揃えて「あんたと長年一緒に暮らせる男なんてあの人しかいないよ。大事にしなきゃダメだよ」と言う。面白くないことこの上ない。私は私なりにうちのを大切にしているつもりなのに、他者の目には多分に不足しているように映っているらしい。現状の数万倍尽くさなければダメなようだ。今より数万倍尽くす私を想像してみる。私ではなくそれは尽くしマシーンである。全ての行動に心が篭らなくなりそうだ。そもそも私と長年一緒に暮らせる男がうちのしかいないとはどういうことだ。まるで不細工な捨て猫のような言われようではないか。気に入らない。私と長年連れ添いたいと思う男はこの世に山と……いないか。うちのですら、最近はこう思ってくれているかどうか不安である。うちのが私を飼っていて良かったと思うのは、寝る前にマッサージをしてもらっているときらしい。一応書いておくが、性感ではなく凝りを解す為のマッサージである。私は自身が肩凝り腰痛の十年選手なので、素人にしてはそちらの腕がいいようだ。精々大切にしよう。私が持つ数少ない技術のひとつだ。いつか他の形でも役立つ日がくるかもしれない。今、もうひとつ思い出した。近所の馴染みの野良猫が病気になった際に動物病院に連れて行ったときも、俺にはできない良いことをしたと褒められた。この野良猫の話はまた後日改めて書きたいと思うが、取り敢えず私が野良への餌付け反対派であることだけはここでも述べておく。
私の株価は現在、底値に近い価格で安定している。うちのは1分1秒毎に私の周囲の人間が高値にしていく。社員数が万を越す一部上場企業並みにうちのの株価は高い。4年の月日でこれだけ急上昇しているなんて何かの罠ではないか? ブラック・マンデーはいつだ? と不安になる程に高い。うちのと付き合い始める前は私の株価ももう少し高かった気がする。今では株式市場からいつ落ちるか、もしかしたら有限が株式の振りをして潜り込んでいるのではないかというくらいだ。そこで考えた。私は自他共に認めるダメ人間である。平均点が低い。うちのはダメな部分は私の比でないくらいにダメなのだがそのダメさは余り人目に付かず、長所は他者にも見え易く表面化している。因ってうちのの詳細を知らない人間は株価を上昇させる。近くに私という比較対象がある分うちのの株はより上昇し、うちのという比較対象がある分私の株価はより下落する。時代の問題なのか学校によるのかは知らないが、私が義務教育課程を受けていた頃は相対評価がされており、その先は絶対評価に変わった。人への評価も絶対評価にすべきだと主張したい。うちのの評価が高いのは嬉しくもある。高い評価を得られる男と付き合っているのは私にとって良いことだ。けれど私への不当な低い評価は戴けない。評価が低いのはダメ人間故に仕方がないが、今の評価は低すぎる。不当だ。
料理だけでなく、主婦にも「さしすせそ」がある。裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除。私は事実婚状態の似非主婦であり子供はいないので躾はともかく、他のよっつはこなせる。但し心身が共に好調なとき限定。心身のどちらかが不調だとこなせない。従って自然と我が家では釦の取れかけた服が増えたり、食事がコンビニ弁当になったり、着用済みの衣類が山積みになったり、部屋に埃が溜まったりする。心身共に好調というときが本当に稀なので仕方がないのだ。以前にも書いているが、上記事項に関して私は一切気にならない。うちのを始めとする他者は気にするらしい。なので私は尽くしていない、となる。できるだけのことはやっているのにこの評価、やはり不当である。絶対評価の導入を求める。1日はライヴである。前回は行けなかったが、今回は悪意の小心者の影に怯えず、愛しの君が作業服に身を包んで演奏し歌う姿を拝みに行きたい。心身の状態を整えねば。ライヴハウスは私にとって非日常の場なので意識的に心身の状態を整えてでも出かけるが、うちのとの生活は日常なのでそこ迄しない。できる範囲で構わないから、と日本人口の9割は知っているだろうあの歌でさだまさしも言っているのだから日常はそれでいい筈だ。日々死なないことで精一杯な私のできる範囲は猫の額程度に狭い。
BGM/「頽廃藝術展」
本日、西洋では南瓜の行灯を持って黒装束を身に纏った餓鬼共が隣り近所を回って脅迫をしつつお菓子を分捕るという行事が実行されるようである。西洋の皆様、気をつけてください。日本にそんな行事がなくて本当に良かった。大人しく南瓜の煮付けでも食すのが秋の夜長の正しい日本人の姿である。
そんな秋の夜長の大半を私はひとりで過ごしている。うちのが帰宅しないのだ。楽である。小言も言われなければセクハラもされず、好きなことをして遊んで夜更かしをしていても嫌味を言われない……淋しい。今夜はタクシーで帰宅すると言ってはいたが本当に帰ってこれるのだろうか? 尋常ではない仕事量に追われ、物凄く忙しそうである。昨日の朝、数日振りに顔を合わせた。げっそりとげんなりと帰宅し、早々に床に就き、90分だけ睡眠を取ってまた背中に哀愁を漂わせつつ出社した。朝ごはんも「作ってくれ」と言いつつ1/3程度しか食べなかったので栄養剤を飲ませて見送った。顔色が緑がかっていた気がする。死に体とはあのような姿のことを言うのだろう。代わりたくても手伝いたくても無理な話であり、本人に頑張って貰うしかない。本気で退社したいようである。生活できるだけの収入が得られれば転職してもらっても私は一向に構わない。うちのの会社はこのご時世にしてはいい給与を出してくれている。しかし仕事量とその給与を秤にかけると決して高くない。むしろ安い。うちのの仕事による会社の収益を思えば、後ン十万から百万くらい上げてくれても良さそうである。とにかくうちのはよく働いている。会社に服役しているかのように。
うちのと私が付き合い同棲を始めた当初、私の親はうちのを嫌っていた。「碌な男じゃない。まともな男ならこんな女とは付き合わない」と言われた。私はワコか。この話には主治医も呆れていた。こうやって自己肯定という物は親によって私の手から遠ざけられて続けている。現在進行形。同棲開始から早4年。今、私の親は異様な迄にうちのに感謝をし信頼しきっている。私に実家で生活されるのは迷惑そうなので、うちのの元に置いておきたいのもあるだろう。それにしても話す度にうちのを褒める。「あんないい人はいない。裏切ってはいけない」と変化した。私の親はうちののとんでもない裏を知らない。教えていないのだから知らなくて当然なのだが、それでもこう毎回うちのの絶賛を聞かされていると、全てを白日の下に曝け出してやりたくなってくる。できない。曝け出したが最後、私はうちのに一生会えなくなってしまうだろう。親は私をここに置いておきたいと思い、私もこの安楽地にできる限り長くいたいと思っている。根拠は違えど利害は一致。一致していないのはうちののみであり、私に出て行って欲しそうな気配を見せることがたまにある。気持ちはとてもよく解る。私だってこんな女に居座られたら甚だ迷惑であり、警察を呼んででも追い払いたいところだ。塩も撒く。けれど私はうちのではないので知ったことではない。私のやっていることは押しかけ女房ならぬ押し込み強盗のようだが、今後改善を試み……ではなく心がけるというところでどうにか上手く気持ちに整理をつけて欲しいと願っている。できればペットを飼っているような気持ちで接して欲しい。諸事情により、一人前の大人として扱われると対応に困るのだ。
友人たちはうちのの裏を知っている。一度はそれで底値に至ったが、現在は回復どころか高値になる一方だ。皆が口を揃えて「あんたと長年一緒に暮らせる男なんてあの人しかいないよ。大事にしなきゃダメだよ」と言う。面白くないことこの上ない。私は私なりにうちのを大切にしているつもりなのに、他者の目には多分に不足しているように映っているらしい。現状の数万倍尽くさなければダメなようだ。今より数万倍尽くす私を想像してみる。私ではなくそれは尽くしマシーンである。全ての行動に心が篭らなくなりそうだ。そもそも私と長年一緒に暮らせる男がうちのしかいないとはどういうことだ。まるで不細工な捨て猫のような言われようではないか。気に入らない。私と長年連れ添いたいと思う男はこの世に山と……いないか。うちのですら、最近はこう思ってくれているかどうか不安である。うちのが私を飼っていて良かったと思うのは、寝る前にマッサージをしてもらっているときらしい。一応書いておくが、性感ではなく凝りを解す為のマッサージである。私は自身が肩凝り腰痛の十年選手なので、素人にしてはそちらの腕がいいようだ。精々大切にしよう。私が持つ数少ない技術のひとつだ。いつか他の形でも役立つ日がくるかもしれない。今、もうひとつ思い出した。近所の馴染みの野良猫が病気になった際に動物病院に連れて行ったときも、俺にはできない良いことをしたと褒められた。この野良猫の話はまた後日改めて書きたいと思うが、取り敢えず私が野良への餌付け反対派であることだけはここでも述べておく。
私の株価は現在、底値に近い価格で安定している。うちのは1分1秒毎に私の周囲の人間が高値にしていく。社員数が万を越す一部上場企業並みにうちのの株価は高い。4年の月日でこれだけ急上昇しているなんて何かの罠ではないか? ブラック・マンデーはいつだ? と不安になる程に高い。うちのと付き合い始める前は私の株価ももう少し高かった気がする。今では株式市場からいつ落ちるか、もしかしたら有限が株式の振りをして潜り込んでいるのではないかというくらいだ。そこで考えた。私は自他共に認めるダメ人間である。平均点が低い。うちのはダメな部分は私の比でないくらいにダメなのだがそのダメさは余り人目に付かず、長所は他者にも見え易く表面化している。因ってうちのの詳細を知らない人間は株価を上昇させる。近くに私という比較対象がある分うちのの株はより上昇し、うちのという比較対象がある分私の株価はより下落する。時代の問題なのか学校によるのかは知らないが、私が義務教育課程を受けていた頃は相対評価がされており、その先は絶対評価に変わった。人への評価も絶対評価にすべきだと主張したい。うちのの評価が高いのは嬉しくもある。高い評価を得られる男と付き合っているのは私にとって良いことだ。けれど私への不当な低い評価は戴けない。評価が低いのはダメ人間故に仕方がないが、今の評価は低すぎる。不当だ。
料理だけでなく、主婦にも「さしすせそ」がある。裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除。私は事実婚状態の似非主婦であり子供はいないので躾はともかく、他のよっつはこなせる。但し心身が共に好調なとき限定。心身のどちらかが不調だとこなせない。従って自然と我が家では釦の取れかけた服が増えたり、食事がコンビニ弁当になったり、着用済みの衣類が山積みになったり、部屋に埃が溜まったりする。心身共に好調というときが本当に稀なので仕方がないのだ。以前にも書いているが、上記事項に関して私は一切気にならない。うちのを始めとする他者は気にするらしい。なので私は尽くしていない、となる。できるだけのことはやっているのにこの評価、やはり不当である。絶対評価の導入を求める。1日はライヴである。前回は行けなかったが、今回は悪意の小心者の影に怯えず、愛しの君が作業服に身を包んで演奏し歌う姿を拝みに行きたい。心身の状態を整えねば。ライヴハウスは私にとって非日常の場なので意識的に心身の状態を整えてでも出かけるが、うちのとの生活は日常なのでそこ迄しない。できる範囲で構わないから、と日本人口の9割は知っているだろうあの歌でさだまさしも言っているのだから日常はそれでいい筈だ。日々死なないことで精一杯な私のできる範囲は猫の額程度に狭い。
BGM/「頽廃藝術展」
昨夜、友人と話をしている最中に途中で遮られた。「ちょっと失礼かもしんないけど」と言う。構わない。こんな切り出され方をされては却って「失礼と思うなら言うな」などとは言えない。「いいよ、何?」と訊くしかない。友人は言った「音楽の聴き方、上手くなったね」。失礼かも、の前置きは友人が私よりも年下であり、年上の人間を褒めるのはどうかと思ってのことだったのだろう。彼は私よりも5つ年下であるが、私よりも多くの音楽に触れて育ち、また今現在バンド活動をしている。自分よりもその物事に精通している者に褒められることは非常に嬉しいことである。精通していない者に褒められるのも勿論嬉しい。私は他者に褒められることが大好きなのだ。自己の存在を自身で認められない者にとって、他者からの賞賛は自己肯定の礎となる。それが他者への依存に他ならないのは重々承知であり、根源の解決にはなっていないが、日々死なないことで精一杯の人間には大切な物なのだ。この日記を読んでくれている友人らからもお褒めの言葉を幾つか頂戴している。それらの言葉は私の励みになり、生きる糧にもなっている。私の日記は読みづらい筈である。約3000文字という文字数制限をオーバーする日も少なくない。それでも読んでくれているというだけでも有難く、更に褒められると調子付く。世の中には褒められて伸びる人間と貶されて伸びる人間がいるとされている。私はそのどちらでもない。褒められれば喜んで現状満足に陥り、貶されると凹んで使い物にならなくなる。私を伸ばすのは自らの意思のみである。
さて、昨夜の友人との会話の主題は何であったか。彼と私の共通項は同じバンドが好きということであり、昨夜も音楽談義であった。彼が或るバンドを知っているか、と私に訊いてきた。以前の日記でパクりバンドと述べたあのバンドであったので知っていた。アルバムを一枚聴いて見限っていたが。彼はそのバンドも好きらしい。ならば、と聴き直す為に複数の音源を頂戴してそこからはその音源を聴きつつの会話となった。パクりバンドと私が言うのは、私の好きなバンドが10年以上前からやっていることを、そのバンドは安易に後追いしているだけだと思っていたからである。改めて聴いてその認識が誤っていたことが判った。私の好きなバンドはオリジナリティとはまた別に数々の味があり、その味のひとつに土着性がある。それがない。洗練されている。機材もいい物を使っていそうで、それに頼っている感もあり音は都会的である。平たく書けば、私の好きなバンドの音よりもより現代的且つ聴き易くなっているのだ。けれどもやはりオリジナリティは見出せなかった。これらのことを彼に述べた。彼の気に入っているバンドを悪く言う気のはやや気が引ける行為であったが、自分の抱いた感想を嘘と遠慮で覆い隠すのは更に自身に気が引けるので正直に、ここに書いた以上に詳細に述べた。そして彼から出てきたのが冒頭の言葉である。彼との付き合いはそろそろ半年になろうか。当時の私は自分の感性のみで好き嫌いを分けて音を聴き、楽曲構成や機材のこと迄考えることはなかった。耳が肥えた訳ではないと思う。出戻りファンとなってからの日常が私の耳と文章力を向上させているのだろう。
学生時代、何冊もの参考書や問題集を相手にするのではなく良い一冊で徹底的に勉強した方が効果的であり効率が良いと複数の教師に言われた。嘘だと思った。一冊を繰り返すと何頁の何問目の回答は〜〜だと記憶してしまう。それでは意味がないと考えていたのだ。あのとき素直にその言葉を聞いて勉強していれば今頃はハーバードを卒業し……などと夢物語を語りたくなる程にその教師らの言葉が正しかったことが、昨夜の友人の言葉で実感できた。継続は力であるのと同様に昔から抱いていた誤解が解けたのだ。反復練習は意味のある行為だ。日記を書きつつ音楽を聴いていた日は、必ず最後にBGMを記している。これらを一通り見れば判るように、私はしょっちゅう同じ物を聴いている。理由はふたつ。ひとつはそのアルバム若しくは楽曲が好きだから。もうひとつはPC内にmp3として保存せずにCDRに焼いてしまった音源やCDとして購入した物を収納ケースから取り出すのが面倒だから。よってBGMが余り代わり映えしていない。これが有効であったらしい。
反復して聴いていると、さらっと聴き流すことができなくなる。楽曲構成も覚えれば歌詞も覚える。そして毎度同じ聴き方をしていれば飽きがくるので聴く際に重点を置く場所を日によって変えるようになった。トータルバランスを聴く日もあれば、ギターソロに耳を傾ける日もあるし、私の耳が苦手とするベース音拾いを試みる日もある。そして自己満足の一環として知人のサイトにてライヴレポートを書かせて貰うことも稀にあり、他者の書いたレポと比較して私には決定的に音楽・楽器その他諸々の知識が足りないことも判り、悔しかったのでほんの少しではあるが音楽について勉強するようになった。好きなジャンルであるHR/HMだけでなく、最新号及び最新刊を楽しみにしているのだめ効果で僅かながらクラシックの知識を得られているのも良い影響となっている気がする。少なくともプログレと言う概念を二方向から知ることができ、好きなバンドの楽曲の中で最も好きな一曲が、好きなのに何故か違和感を感じる楽曲であったことの原因が判明した。日記をつけ始めた当初、HNを何となくと誤魔化していたが、ここにこのHNがその好きな楽曲のタイトルであることをきちんと書く。本当はHNなど記号のひとつであり、出自を書いたりはしたくなかったのだがそうも言っていられなくなった。他者がこのHNをどう読んでいるかは知らないが、私が言うところのパクりバンドのボーカルがこのHNと同名だったことを昨夜知ってしまったのだ。誤解されたら堪らん。私が好きなのはそっちじゃない! こっちだ!
日記をつけ始め、まだ量が多くないので日々自分の日記を読み直しては細かい部分に修正を加えている。PCでの変換ミスは言う迄もなく、言葉足らずな部分に補足を加えたり、不明瞭な言い回しを訂正したりしている。読み返すたびに語彙の貧困さを始めとし表現力の乏しさ、構成パターンの少なさ、悪しき癖を感じて落ち込む。同時に苦手だった分野や過去に文章化していなかった分野に踏み込めていることの実感も伴い、それらが上手く書ききれているかどうかは別として、新規開拓を試みている自分自身の心境変化に驚きを覚えたりもしている。これも手を変え品を変え、日記という物で日々反復して文章訓練している賜物であろう。最近友人らから貰うメールによく私自身の変化の指摘が書かれている。どうやらかなり前向きになっているらしい。気分変調が激しいので常に前向きではいられないのが難だが、全体的に以前のような投げやり感が薄れているらしい。良き哉、良き哉。
BGM/アルバム「封印廻濫」
さて、昨夜の友人との会話の主題は何であったか。彼と私の共通項は同じバンドが好きということであり、昨夜も音楽談義であった。彼が或るバンドを知っているか、と私に訊いてきた。以前の日記でパクりバンドと述べたあのバンドであったので知っていた。アルバムを一枚聴いて見限っていたが。彼はそのバンドも好きらしい。ならば、と聴き直す為に複数の音源を頂戴してそこからはその音源を聴きつつの会話となった。パクりバンドと私が言うのは、私の好きなバンドが10年以上前からやっていることを、そのバンドは安易に後追いしているだけだと思っていたからである。改めて聴いてその認識が誤っていたことが判った。私の好きなバンドはオリジナリティとはまた別に数々の味があり、その味のひとつに土着性がある。それがない。洗練されている。機材もいい物を使っていそうで、それに頼っている感もあり音は都会的である。平たく書けば、私の好きなバンドの音よりもより現代的且つ聴き易くなっているのだ。けれどもやはりオリジナリティは見出せなかった。これらのことを彼に述べた。彼の気に入っているバンドを悪く言う気のはやや気が引ける行為であったが、自分の抱いた感想を嘘と遠慮で覆い隠すのは更に自身に気が引けるので正直に、ここに書いた以上に詳細に述べた。そして彼から出てきたのが冒頭の言葉である。彼との付き合いはそろそろ半年になろうか。当時の私は自分の感性のみで好き嫌いを分けて音を聴き、楽曲構成や機材のこと迄考えることはなかった。耳が肥えた訳ではないと思う。出戻りファンとなってからの日常が私の耳と文章力を向上させているのだろう。
学生時代、何冊もの参考書や問題集を相手にするのではなく良い一冊で徹底的に勉強した方が効果的であり効率が良いと複数の教師に言われた。嘘だと思った。一冊を繰り返すと何頁の何問目の回答は〜〜だと記憶してしまう。それでは意味がないと考えていたのだ。あのとき素直にその言葉を聞いて勉強していれば今頃はハーバードを卒業し……などと夢物語を語りたくなる程にその教師らの言葉が正しかったことが、昨夜の友人の言葉で実感できた。継続は力であるのと同様に昔から抱いていた誤解が解けたのだ。反復練習は意味のある行為だ。日記を書きつつ音楽を聴いていた日は、必ず最後にBGMを記している。これらを一通り見れば判るように、私はしょっちゅう同じ物を聴いている。理由はふたつ。ひとつはそのアルバム若しくは楽曲が好きだから。もうひとつはPC内にmp3として保存せずにCDRに焼いてしまった音源やCDとして購入した物を収納ケースから取り出すのが面倒だから。よってBGMが余り代わり映えしていない。これが有効であったらしい。
反復して聴いていると、さらっと聴き流すことができなくなる。楽曲構成も覚えれば歌詞も覚える。そして毎度同じ聴き方をしていれば飽きがくるので聴く際に重点を置く場所を日によって変えるようになった。トータルバランスを聴く日もあれば、ギターソロに耳を傾ける日もあるし、私の耳が苦手とするベース音拾いを試みる日もある。そして自己満足の一環として知人のサイトにてライヴレポートを書かせて貰うことも稀にあり、他者の書いたレポと比較して私には決定的に音楽・楽器その他諸々の知識が足りないことも判り、悔しかったのでほんの少しではあるが音楽について勉強するようになった。好きなジャンルであるHR/HMだけでなく、最新号及び最新刊を楽しみにしているのだめ効果で僅かながらクラシックの知識を得られているのも良い影響となっている気がする。少なくともプログレと言う概念を二方向から知ることができ、好きなバンドの楽曲の中で最も好きな一曲が、好きなのに何故か違和感を感じる楽曲であったことの原因が判明した。日記をつけ始めた当初、HNを何となくと誤魔化していたが、ここにこのHNがその好きな楽曲のタイトルであることをきちんと書く。本当はHNなど記号のひとつであり、出自を書いたりはしたくなかったのだがそうも言っていられなくなった。他者がこのHNをどう読んでいるかは知らないが、私が言うところのパクりバンドのボーカルがこのHNと同名だったことを昨夜知ってしまったのだ。誤解されたら堪らん。私が好きなのはそっちじゃない! こっちだ!
日記をつけ始め、まだ量が多くないので日々自分の日記を読み直しては細かい部分に修正を加えている。PCでの変換ミスは言う迄もなく、言葉足らずな部分に補足を加えたり、不明瞭な言い回しを訂正したりしている。読み返すたびに語彙の貧困さを始めとし表現力の乏しさ、構成パターンの少なさ、悪しき癖を感じて落ち込む。同時に苦手だった分野や過去に文章化していなかった分野に踏み込めていることの実感も伴い、それらが上手く書ききれているかどうかは別として、新規開拓を試みている自分自身の心境変化に驚きを覚えたりもしている。これも手を変え品を変え、日記という物で日々反復して文章訓練している賜物であろう。最近友人らから貰うメールによく私自身の変化の指摘が書かれている。どうやらかなり前向きになっているらしい。気分変調が激しいので常に前向きではいられないのが難だが、全体的に以前のような投げやり感が薄れているらしい。良き哉、良き哉。
BGM/アルバム「封印廻濫」
さっき薬局に行ってきた。私の主飲料であるサントリーのウーロン茶は通常その薬局で購入している。コンビニと比較して1本あたり100円安い。混んでいるときと暇なときが極端な薬局で、さっきは混雑していた。それはいい。問題は客層である。女子高生やコギャルとヤンキーを足して2で割ったような連中が多かった。それもいい。どんな恰好をしていようと私に迷惑はかからない。目頭に入れられた白い「く」形のアイラインを暈してやりたくて仕方がなかったが余計なお世話である。しかし無闇にでかい声はどんなに嫌でも耳に入ってくるのだ。私は不必要に声のでかい人間が嫌いである。医療技術の進歩により、先進国の人間は長生きを半ば強制的にさせられている。如何に長生きを強いられようとも身体機能の衰えは止められない。その衰えのひとつとして聴覚機能の低下がある。簡単に言うと、耳が遠くなるのだ。耳が遠くなると自分の声も聞き取り難くなるらしく、自然と声が大きくなる。仕方がないことである。なので老年者の声の大きさには寛容である。いずれ自分も通る道。
若年者の多くは聴覚に問題がない筈である。なのにやたらとでかい声を発する連中がいる。無論、緊急時などは大きな声を発する必要がある。必要性を伴う大声はいいのだ。不必要な大声が許せない。さっき薬局で不運にも遭遇した大声を発していた連中に必要性があったとはとてもではないが思えない。「えーっ! うっそー!」「やだあー!」。書くのも恥ずかしい程にベタな台詞であるが、本当にこう言っていたのだ。喧しい! 黙れ! 死ね! と言いたかったが言えなかった私は悔しいが弱気な人間である。何故、彼女らは周囲の迷惑も顧みずに大声を発するのだろう。強く自己主張をする際に大声を発することはままある。演説時の声の強弱の付け方などはその顕著な例であろうが、彼女らは薬局で演説をしていた訳ではない。仮に演説をしていたとしても上記のような台詞が出てくる演説は聞くに値しない。では聴覚が衰えているのだろうか。その可能性はゼロではない。ウォークマンを始めとする携帯用音楽再生機器の発達により、若年者にも難聴傾向があるとどこかで読んだことがある気がする。あの手の機器は本人しか楽しくなく、周囲にかける迷惑が大きい。音漏れだけでなく、難聴傾向による大声など。撲滅されればいいのに。撲滅は大袈裟か。携帯するにあたって免許制にするくらいが妥当かと思われる。是非とも行政に於いて免許制を導入して欲しい。
話が逸れた。無闇な大声の話である。面倒なので結論から書く。無神経なのだ。自分とその仲間しか視野に入っておらず、自らの発する声が近くにいる第三者の耳にも入ることが全く考えられていないのだ。私は無神経な人間が嫌いであり、往々にして無神経な人間は無闇に大声を発する。因って無闇に大声を発する人間も軽蔑する。私はPDと諸事情により、時として神経過敏となり他者の声に過剰に反応してしまうことがある。病む前から無闇に大声を発する人間を嫌悪の対象としていた私だが、メンタル面で患っている者には特にこの傾向は少なくないと思う。彼女らはそういった人間もこの世で生活しており、また街や道で遭遇することを欠片も考えていないに違いない。この世とは様々な人間がいて成り立っており、全ての人間が自分と同じ性格や傾向を持ち合わせている訳ではないのだ。こういった視点が全く欠如している。患者の全てが松沢病院などに収容されている筈がないではないか。と言っても、彼女らは松沢病院の存在も知らないだろうが。
8月だったか、主治医に怒鳴ったことがある。その日は炎天下であり、徒歩で通院している私は通院途中から予期不安に襲われ、クリニックに辿り着いたときにはへろへろになっていた。私の通うクリニックは個人経営であり、精神科・心療内科・神経科・内科を標榜している。多くの患者は精神科・心療内科カテゴリに括られるが、稀に内科カテゴリの患者もくる。因みに予約制ではなく早い者順に診察するクリニックだ。待合室に入ると3人の先客がいた。ひとりは私並みにへろへろだったので一切迷惑はかけられていない。問題は残るふたりのババアである。彼女らはとても健康そうで顔色もよく快活であった。恐らく内科の定期健診か何かできていたと思われる。ふたりは友人同士だったようで仲良さ気に会話を弾ませていた。主題は健康に良く簡単で美味しいジュースの作り方。ふむふむ、病院の待合室に適した題材の会話……ではない。帰れ! そんなに元気ならもっとでかい病院に行け! 精神科・心療内科カテゴリの患者の多い病院でみのもんたから仕入れたようなくだらない話をでかい声でするな! 病院でもこんな具合だ。どこにでも無神経な人間は有無を言わさず侵入してくる。順番がきて診察室に入る際、ドアが閉まりきる前に私は大声で言った。「勘弁してください! あのババアら、何とかしてください!」。ドアが閉まりきる前にというのは、ババアらにもこの声が届くように計算した上でのことである。日記だからババアと書いているのではない。「」内の言葉をそのまま主治医にぶつけた。主治医はババアらに注意をしてくれた。一旦声は止み、それからひそひそ声での会話になり、また大声に戻った。私はまた主治医に文句を言った。主治医はもう一度ババアらに注意をしてくれた。リピート。もう諦めて早々に診察室を出た。私が出てきたときのババアらの視線はいろんな意味で忘れられない。精神疾患患者として、私がこれから老いてゆく上での反面教師として。
その昔、私は他者に注意をするのが得意であった。例えば通路の真ん中で立ち話をしている人に「ちょっとどいてください」、図書館や映画館で騒いでいる人に「静かにしてもらえませんか」など。病んでから言えなくなった。一度某ディスカウントショップにて会計が済んだものの人が多過ぎて身動きが取れなくなっていたところ、明らかに私より若いネーチャンに「ちょっと〜、通るんならさっさと通ってもらえますぅ〜?」と言われたときは文句を言いつつも通路を空けてくれたことへの感謝と同時に、自分の無力さに脱力した。或る友人に言われて初めて気が付いたことがある。「黒猫が怒っているところを見た記憶が殆どない。悔しがっているところは何度も見ているけれど」。別の友人にこの話をしたら彼女にも肯定された。自分の過去に思いを馳せてみて、確かに怒っていないことに気が付いた。私の諸事情は町沢静夫が言うところの内向性である。町沢は嫌いだが。私が過去に本気で怒れた相手は、歴代の彼氏たちのみである。親に対しても怒ったことは何度もあるが本気とは言えない。言葉のそこかしこに遠慮が潜んでいた。私は怒りを言葉にして相手にぶつけたり発散したりすることを抑圧されて育ったのだ。上記クリニックのババアらの件にしてもそうである。当人らに怒ってはおらず、主治医に悔しさをぶつけているだけだ。進歩していない。私の友人らはよくできた人間たちなので、今後も彼ら彼女らに怒ることはないだろうが、適切な場面に於いては怒れるようになりたいものである。今日得た教訓は、外に出る際には必ずパキを服用しておこうということである。パキは感情を平坦にしてくれるので、飲み忘れていなければ彼女らの大声にもここ迄過敏にはならなかった筈だ。感情が平坦になることで喜怒哀楽の実感は減る。因って怒ることもそうそうないだろう。私が本気で怒れる日を迎えるのは、パキの減薬・断薬に成功してからなのだろうか。尤も怒や哀はないに越したことはないのでそれも良し。そして「助けて!」「火事だ!」以外の大声は禁止とする。
BGM/アルバム「桜の森の満開の下」
若年者の多くは聴覚に問題がない筈である。なのにやたらとでかい声を発する連中がいる。無論、緊急時などは大きな声を発する必要がある。必要性を伴う大声はいいのだ。不必要な大声が許せない。さっき薬局で不運にも遭遇した大声を発していた連中に必要性があったとはとてもではないが思えない。「えーっ! うっそー!」「やだあー!」。書くのも恥ずかしい程にベタな台詞であるが、本当にこう言っていたのだ。喧しい! 黙れ! 死ね! と言いたかったが言えなかった私は悔しいが弱気な人間である。何故、彼女らは周囲の迷惑も顧みずに大声を発するのだろう。強く自己主張をする際に大声を発することはままある。演説時の声の強弱の付け方などはその顕著な例であろうが、彼女らは薬局で演説をしていた訳ではない。仮に演説をしていたとしても上記のような台詞が出てくる演説は聞くに値しない。では聴覚が衰えているのだろうか。その可能性はゼロではない。ウォークマンを始めとする携帯用音楽再生機器の発達により、若年者にも難聴傾向があるとどこかで読んだことがある気がする。あの手の機器は本人しか楽しくなく、周囲にかける迷惑が大きい。音漏れだけでなく、難聴傾向による大声など。撲滅されればいいのに。撲滅は大袈裟か。携帯するにあたって免許制にするくらいが妥当かと思われる。是非とも行政に於いて免許制を導入して欲しい。
話が逸れた。無闇な大声の話である。面倒なので結論から書く。無神経なのだ。自分とその仲間しか視野に入っておらず、自らの発する声が近くにいる第三者の耳にも入ることが全く考えられていないのだ。私は無神経な人間が嫌いであり、往々にして無神経な人間は無闇に大声を発する。因って無闇に大声を発する人間も軽蔑する。私はPDと諸事情により、時として神経過敏となり他者の声に過剰に反応してしまうことがある。病む前から無闇に大声を発する人間を嫌悪の対象としていた私だが、メンタル面で患っている者には特にこの傾向は少なくないと思う。彼女らはそういった人間もこの世で生活しており、また街や道で遭遇することを欠片も考えていないに違いない。この世とは様々な人間がいて成り立っており、全ての人間が自分と同じ性格や傾向を持ち合わせている訳ではないのだ。こういった視点が全く欠如している。患者の全てが松沢病院などに収容されている筈がないではないか。と言っても、彼女らは松沢病院の存在も知らないだろうが。
8月だったか、主治医に怒鳴ったことがある。その日は炎天下であり、徒歩で通院している私は通院途中から予期不安に襲われ、クリニックに辿り着いたときにはへろへろになっていた。私の通うクリニックは個人経営であり、精神科・心療内科・神経科・内科を標榜している。多くの患者は精神科・心療内科カテゴリに括られるが、稀に内科カテゴリの患者もくる。因みに予約制ではなく早い者順に診察するクリニックだ。待合室に入ると3人の先客がいた。ひとりは私並みにへろへろだったので一切迷惑はかけられていない。問題は残るふたりのババアである。彼女らはとても健康そうで顔色もよく快活であった。恐らく内科の定期健診か何かできていたと思われる。ふたりは友人同士だったようで仲良さ気に会話を弾ませていた。主題は健康に良く簡単で美味しいジュースの作り方。ふむふむ、病院の待合室に適した題材の会話……ではない。帰れ! そんなに元気ならもっとでかい病院に行け! 精神科・心療内科カテゴリの患者の多い病院でみのもんたから仕入れたようなくだらない話をでかい声でするな! 病院でもこんな具合だ。どこにでも無神経な人間は有無を言わさず侵入してくる。順番がきて診察室に入る際、ドアが閉まりきる前に私は大声で言った。「勘弁してください! あのババアら、何とかしてください!」。ドアが閉まりきる前にというのは、ババアらにもこの声が届くように計算した上でのことである。日記だからババアと書いているのではない。「」内の言葉をそのまま主治医にぶつけた。主治医はババアらに注意をしてくれた。一旦声は止み、それからひそひそ声での会話になり、また大声に戻った。私はまた主治医に文句を言った。主治医はもう一度ババアらに注意をしてくれた。リピート。もう諦めて早々に診察室を出た。私が出てきたときのババアらの視線はいろんな意味で忘れられない。精神疾患患者として、私がこれから老いてゆく上での反面教師として。
その昔、私は他者に注意をするのが得意であった。例えば通路の真ん中で立ち話をしている人に「ちょっとどいてください」、図書館や映画館で騒いでいる人に「静かにしてもらえませんか」など。病んでから言えなくなった。一度某ディスカウントショップにて会計が済んだものの人が多過ぎて身動きが取れなくなっていたところ、明らかに私より若いネーチャンに「ちょっと〜、通るんならさっさと通ってもらえますぅ〜?」と言われたときは文句を言いつつも通路を空けてくれたことへの感謝と同時に、自分の無力さに脱力した。或る友人に言われて初めて気が付いたことがある。「黒猫が怒っているところを見た記憶が殆どない。悔しがっているところは何度も見ているけれど」。別の友人にこの話をしたら彼女にも肯定された。自分の過去に思いを馳せてみて、確かに怒っていないことに気が付いた。私の諸事情は町沢静夫が言うところの内向性である。町沢は嫌いだが。私が過去に本気で怒れた相手は、歴代の彼氏たちのみである。親に対しても怒ったことは何度もあるが本気とは言えない。言葉のそこかしこに遠慮が潜んでいた。私は怒りを言葉にして相手にぶつけたり発散したりすることを抑圧されて育ったのだ。上記クリニックのババアらの件にしてもそうである。当人らに怒ってはおらず、主治医に悔しさをぶつけているだけだ。進歩していない。私の友人らはよくできた人間たちなので、今後も彼ら彼女らに怒ることはないだろうが、適切な場面に於いては怒れるようになりたいものである。今日得た教訓は、外に出る際には必ずパキを服用しておこうということである。パキは感情を平坦にしてくれるので、飲み忘れていなければ彼女らの大声にもここ迄過敏にはならなかった筈だ。感情が平坦になることで喜怒哀楽の実感は減る。因って怒ることもそうそうないだろう。私が本気で怒れる日を迎えるのは、パキの減薬・断薬に成功してからなのだろうか。尤も怒や哀はないに越したことはないのでそれも良し。そして「助けて!」「火事だ!」以外の大声は禁止とする。
BGM/アルバム「桜の森の満開の下」
天は二物を与えずと言われるが嘘である。私には好きな女の子がいる。断じて同性愛者ではない。好きと言うよりも憧れと表現する方が正しいか。言わずもがな、彼女はかわいい。身長は小柄な私よりも低く140cm台後半であり、ぽっちゃり迄は行かないが、柔らかそうな身体をしている。実際に触ってみると女性らしい柔らかさであった。彼女が酔って抱きついてきたときには押し倒してやろうかと思った程だ。私はオッサンである。彼女は巨乳である。オッサンなので私は巨乳も好きだ。当然顔もかわいい。彼女自身は一重なのを余り気に入ってはいないようだが、全体的にかわいらしい雰囲気の締めになっているようでその一重もチャームポイントだと思っている。頭も良い。偏差値としては私と同じ学校の出身なのであくまで並み程度ではあるが、回転が良いのだ。言いたいことはハッキリと言うタイプであり、現彼氏からは、何で怒っているかちゃんと伝えてくれるところが好きだ、と言われているらしい。自分の喜怒哀楽をきちんと言葉で表現できる女性は実は少ないので、それも長所である。喜怒哀楽の怒や哀を表現するのは難しいのだが、上手くできているようだ。そして声もかわいい。鈴を転がすような、と言うと流石に褒め過ぎだが、所謂女の子らしい声をしており且つ落ち着きも兼ね備えた声である。仕事も紆余曲折を経て今は学生時代から目標としていた仕事についている。とにかく素晴らしい。彼女は歳の離れた兄二人を持つ末っ子の一人娘として育てられた。親は過保護ではないらしく、むしろ放任に近い育て方をしたようで自立心も旺盛だ。他者に複雑な家庭環境と評される私の家庭とは対極にある。と思っていたが違ったらしいことが数ヶ月前に判明した。
私が我が家庭について愚痴を溢していたときに思いもよらぬ台詞が彼女から出てきた。私を産むときに親は迷って堕ろそうとしていたんだけれど、お祖母ちゃんに止められて産んだらしい、と。茶の間で親とテレビを観ていたときにいきなり何の前触れもなく言われて困惑したと言っていた。当然だろう。あんたなんか産まなきゃ良かった、という台詞を感情的になった親が発することはままあるらしい。しかし和やかな茶の間で唐突にこんな話を切り出されては対応に困るというものだ。ふーん、としか言えないだろう。彼女は祖母に特に可愛がられていたと言う。彼女自身も今は亡き祖母に懐いていた。親とも兄とも祖母とも良好な関係で育った彼女が昔から羨ましかったが、こんな裏話があったとは! この話をされてからも特に親と険悪な関係になってはいないようである。彼女がひとりの大人として成長した証だろう。
他者の家庭環境に興味を持つ者は多い。話の取っ掛かりとして兄弟姉妹の有無や親の性格を訊いてくる人もいる。訊かれたら答える。しかし私の場合に於いてはそこから話が進むことは殆どない。訊いてきた方から、ごめん、と言って話を遮るのだ。稀に突っ込んで訊いてこようとする者もいる。そういう者は大概好奇心という衝動を抑えきれない無神経な人間なので、こちらが一線を引く為に話は進まない。もっと稀にこちらが軽く一通り話した上で同情してくる者がいる。安易に同情をする人間を私は軽蔑している。同情という感情は、自らが相手よりも優位な立場にあることへの安堵に他ならないと私は確信している。同情とは得てして優越感と同義なのである。猫十字社の名作・小さなお茶会から学んだひとつである。文庫版にこの話は収録されていない。今は入手困難であるが、誰もに読む価値がある漫画だと思う。私はこの漫画から多くの物事を学び、また成長させてもらった。子供の頃は読解力が追いついていなかった故に登場猫物の可愛さにのみ惹かれて読んでおり、いつの間にか手放してしまった本であるが大人になってプレミア価格にもめげずに再入手して読み返し、様々なことが解った。墓場まで持って行きたい本のひとつである。
家庭環境の話に戻る。親の離婚・父の死去後の私はひたすら、普通の家庭、に憧れていた。自らの普通ではないと言われる環境を嫌ってやまなかった。内田春菊が壊れる前、岸田秀に傾倒していた頃に描いた名作のひとつに幻想の普通少女という漫画がある。普通とは一体何なのか? 今の私は一言で説明できる。普通とは幻想。普通などというものはこの世に存在していないのだ。冒頭に書いた憧れの友人。普通の家庭に育ったと私は誤解していた。その他の友人知人。皆、普通の家庭環境で育ったと思っていた。皆に詳細を訊いてはいないが、きっと裏がある筈だ。その裏を本人が裏と理解しているかどうかは別の話である。自らを、普通、と称する者は少なくない。家庭環境を、普通、と称する者も同様である。普通というのも便利な言葉のひとつである。しかしこの世に普通などひとつも存在してはいないのだ。あらゆることを普通と称する人間には二種類いると思われる。説明するのが億劫なので普通という便利な言葉でお茶を濁すのが一種類。もう一種類は本当に普通だと信じている人間。前者は処世術のひとつの手段として普通という言葉を操っている筈であり、後者は莫迦である。物事に正面から対峙することを避けているのだ。対峙を避ける人間が真理を見つけることはできないだろう。そして仮に真理に到達できたとして、それを真理と自覚はできまい。真理に到達しながらそれを自覚できないのは勿体無い話であり、私はそんな損をしたくはないのであらゆる物事に対峙し、様々なことを考えるのだ。
昨日の日記に書いた、私は多趣味ではない、というのは語弊があったのでここに訂正する。私の趣味は現在みっつある。みっつが多いかどうかは別として、私の趣味は読書・麻雀、そして物事を正面から考えて自分の言葉に置き換えることである。私の文章を読む上で、行間をも読む必要はない。私は言葉に辞書通りの解釈しか与えない。その辞書が新明解という点に問題がある気がしないでもないがそれはさておき。余談だが、まったりと過ごす、という表現が私は大嫌いである。まったりとは味覚表現のひとつであり、雰囲気表現の言葉ではない。学生時代にこのまったりについて当時の友人と大喧嘩をしたことがある。なので私をよく知る者は、私の前では雰囲気表現にまったりという言葉は用いない。私をよく知らない愛しの君はステージ上でまったりという言葉を雰囲気表現によく使う。過去、2度は聞いている。苛立つ。しかも愛しの君の書く詩のウリは言葉への拘りではなかったのか……? ついでに一昨日の日記にも訂正をしておく。色彩について述べておきながらオチを形状に持って行ってしまった。莫迦である。ティアードスカートやフリル、という部分は、パステルカラーや所謂シビラカラー、とすべきであった。衣類小物の形状についてはまた後日改めて書きたいと思う。
BGM/「鼓魂彩祭」
私が我が家庭について愚痴を溢していたときに思いもよらぬ台詞が彼女から出てきた。私を産むときに親は迷って堕ろそうとしていたんだけれど、お祖母ちゃんに止められて産んだらしい、と。茶の間で親とテレビを観ていたときにいきなり何の前触れもなく言われて困惑したと言っていた。当然だろう。あんたなんか産まなきゃ良かった、という台詞を感情的になった親が発することはままあるらしい。しかし和やかな茶の間で唐突にこんな話を切り出されては対応に困るというものだ。ふーん、としか言えないだろう。彼女は祖母に特に可愛がられていたと言う。彼女自身も今は亡き祖母に懐いていた。親とも兄とも祖母とも良好な関係で育った彼女が昔から羨ましかったが、こんな裏話があったとは! この話をされてからも特に親と険悪な関係になってはいないようである。彼女がひとりの大人として成長した証だろう。
他者の家庭環境に興味を持つ者は多い。話の取っ掛かりとして兄弟姉妹の有無や親の性格を訊いてくる人もいる。訊かれたら答える。しかし私の場合に於いてはそこから話が進むことは殆どない。訊いてきた方から、ごめん、と言って話を遮るのだ。稀に突っ込んで訊いてこようとする者もいる。そういう者は大概好奇心という衝動を抑えきれない無神経な人間なので、こちらが一線を引く為に話は進まない。もっと稀にこちらが軽く一通り話した上で同情してくる者がいる。安易に同情をする人間を私は軽蔑している。同情という感情は、自らが相手よりも優位な立場にあることへの安堵に他ならないと私は確信している。同情とは得てして優越感と同義なのである。猫十字社の名作・小さなお茶会から学んだひとつである。文庫版にこの話は収録されていない。今は入手困難であるが、誰もに読む価値がある漫画だと思う。私はこの漫画から多くの物事を学び、また成長させてもらった。子供の頃は読解力が追いついていなかった故に登場猫物の可愛さにのみ惹かれて読んでおり、いつの間にか手放してしまった本であるが大人になってプレミア価格にもめげずに再入手して読み返し、様々なことが解った。墓場まで持って行きたい本のひとつである。
家庭環境の話に戻る。親の離婚・父の死去後の私はひたすら、普通の家庭、に憧れていた。自らの普通ではないと言われる環境を嫌ってやまなかった。内田春菊が壊れる前、岸田秀に傾倒していた頃に描いた名作のひとつに幻想の普通少女という漫画がある。普通とは一体何なのか? 今の私は一言で説明できる。普通とは幻想。普通などというものはこの世に存在していないのだ。冒頭に書いた憧れの友人。普通の家庭に育ったと私は誤解していた。その他の友人知人。皆、普通の家庭環境で育ったと思っていた。皆に詳細を訊いてはいないが、きっと裏がある筈だ。その裏を本人が裏と理解しているかどうかは別の話である。自らを、普通、と称する者は少なくない。家庭環境を、普通、と称する者も同様である。普通というのも便利な言葉のひとつである。しかしこの世に普通などひとつも存在してはいないのだ。あらゆることを普通と称する人間には二種類いると思われる。説明するのが億劫なので普通という便利な言葉でお茶を濁すのが一種類。もう一種類は本当に普通だと信じている人間。前者は処世術のひとつの手段として普通という言葉を操っている筈であり、後者は莫迦である。物事に正面から対峙することを避けているのだ。対峙を避ける人間が真理を見つけることはできないだろう。そして仮に真理に到達できたとして、それを真理と自覚はできまい。真理に到達しながらそれを自覚できないのは勿体無い話であり、私はそんな損をしたくはないのであらゆる物事に対峙し、様々なことを考えるのだ。
昨日の日記に書いた、私は多趣味ではない、というのは語弊があったのでここに訂正する。私の趣味は現在みっつある。みっつが多いかどうかは別として、私の趣味は読書・麻雀、そして物事を正面から考えて自分の言葉に置き換えることである。私の文章を読む上で、行間をも読む必要はない。私は言葉に辞書通りの解釈しか与えない。その辞書が新明解という点に問題がある気がしないでもないがそれはさておき。余談だが、まったりと過ごす、という表現が私は大嫌いである。まったりとは味覚表現のひとつであり、雰囲気表現の言葉ではない。学生時代にこのまったりについて当時の友人と大喧嘩をしたことがある。なので私をよく知る者は、私の前では雰囲気表現にまったりという言葉は用いない。私をよく知らない愛しの君はステージ上でまったりという言葉を雰囲気表現によく使う。過去、2度は聞いている。苛立つ。しかも愛しの君の書く詩のウリは言葉への拘りではなかったのか……? ついでに一昨日の日記にも訂正をしておく。色彩について述べておきながらオチを形状に持って行ってしまった。莫迦である。ティアードスカートやフリル、という部分は、パステルカラーや所謂シビラカラー、とすべきであった。衣類小物の形状についてはまた後日改めて書きたいと思う。
BGM/「鼓魂彩祭」
座右の銘は逃げではない
2003年10月27日 思想もどき のび太は偉大なる作家である。彼の日記にはこう書かれている。
「朝起きて、昼寝して、夜寝た。」
どのような賞賛の言葉を浴びせてもこの日記を前にしては翳んでしまう。文章を書く上で、長文よりも短文の方が難しいと言われている。ひとつの言葉でより多くのことを表現し、長文では許される無駄を片っ端から排除しなければならない。小説の世界でも長編よりも短編に名作は少ないと感じる。それがのび太はどうだ。たった一行でその日一日の全てを要約できる才を持つ。少し学べば素晴らしい俳人になれるであろう。世で彼の才能はあやとりと射撃しか認められていない。しかし私は彼に多大なる文才を見る。彼のように無駄を省ききった文章を書けるようになりたいと思うものだが、これでは仕事が来ないのが難である。適度な無駄を散りばめなければ商業的には成り立たないのだ。そう思うとやはりのび太は作家よりも詩人に近いのか。この才が埋もれているのは非常に勿体無い。是非花を咲かせるべきである。
人生は死ぬ迄の暇潰し、との名言を残したのは故・青山正明である。恐らく彼も胡蝶の夢の住人であったのではないか。この明言を逃げと捉える者も多い。つまらん人間である。人生に於いて何に重きを置くか。誰しもがモラトリアム期に考えることだろう。学問・仕事・恋愛など形而上の物事に重きを見出すことこそ逃げではないかと私は考える。人間の脳の7〜8割は眠っていると考えられている。形而上の物事に重きを置く人間は9割を眠らせているのではないだろうか。それを悪いとは思わない。彼らは生活という物に重きを置いているに他ならず、また生活がなければ生きていくことそのものが困難だからだ。けれど世捨て人とも称される私は青山正明に激しく同意する。正に今の私の現状がそうであるからだ。生きていくことに精一杯な人間は多いだろう。その反面、その日一日死なずに生き延びることに精一杯な人間もおり、私は後者である。人生に価値などない。死ねば全ては無になる。どのような生き方をしようと、どのような死に方をしようと、基本的に人は土へと帰る。私はいつ土に帰っても構わない。残されたひとつの夢は私という人間がこの世に生きていた証を残すことであり、それが叶えば自ら土へと帰る可能性もある。この世は余りにも私にとって生き難い世界なのだ。主治医も、私にとってこの世は生き難い世界だと明言している。
少し前、近所のビルから空を飛ぼうとしたことがある。そのとき眠剤を入れて眠気が来るのを待った。眠気がきたところで恐怖心を薄めて飛ぼうとしたのだが、眠気がくる前に空から銀色の粉が舞ってきた。それを掴もうとしているうちに目が冴えてしまい、未遂に終わった。この話を親にしたとき、親はこう言った。あんたが死んだら私も死ぬわよ。阿呆かと思った。これが私の希死念慮に歯止めをかけられると思っているのか。自らの存在価値が他者である私にそれ程迄の影響を持っていると何を根拠に信じられるのか。自意識過剰。これらをひっくるめて主治医に話した。主治医が述べた意見は新鮮且つ衝撃であった。君の親は自分の人生を君に依存している。成る程。逆転の発想である。私の存在が親自身の存在価値であり、それを失ったら自分も生きていられないということだったのか。親を生かせる為に希死念慮を押さえ込もうとは思わないが、とにかくこの意見は新鮮であった。
話は戻る。形而上の学問・仕事・恋愛などに重きを置いて生きている人々はそれらに依存しているのではないか。リストラに遭い廃人のようになってしまったという人の話をメディアはよく取り上げる。彼らは自らの存在価値を仕事のみに依存していた為、それを失うと同時に廃人と化すのであろう。何に重きを置くかは個々の問題であり関与する気は更々ないが、ひとつ言えることはあると思う。ひとつの物事のみに重きを置くのは大きな危険を孕んでいる。長くこの世に留まりたければ、重きをやや軽くして分散させておく方が利口だろう。これを逃げ道と呼ぶ人もいるかもしれないが、生き延びるための知恵である。何かを極めるにはそれに没頭しなければならない。それのみに重きを置く必要が生じる。しかしながら、何かを極める必要がある人間がこの世にどれだけいるか、果たして疑問である。貴方の代わりはいない。こんな台詞は嘘だ。虚言に惑わされてはならない。生き延びるには多芸でなくとも多趣味であるに越したことはない。
と書き綴りつつも私は現在多芸でも多趣味でもない。別にこの世に留まりたいとは思っていないし、周囲に死ぬなと言われているから生きているだけなのでいいのである。死なないことで精一杯。ひとりだけ、昔働いていた職場で尊敬できる人がいた。中間管理職にあった50代の女性だ。彼女の仕事は私からは要領が悪く見えたがまあそれはともかく懸命にこなし、部下を大切にする為、上司に媚び諂うこともなく、人の世話を焼くことが好きであり、人に頼られれば実に親身になってくれる人であった。当然ながら人望も厚い。彼女は私を大切にしてくれたのでいろいろと話を聞いてもらった。彼女自身の苦労話も聞かせてもらった。彼女は多趣味でもあった。乙女心と大人としての自覚や責任を両立させていた女性。家庭も持っていた。仮に私が後20年、30年と生きるならば彼女のようになりたいと思う。容姿は年齢相当であるが内面から輝いており、自己卑下と自信のバランスを非常に上手に取っていた。職場から去って今は疎遠ではあるが、私は今でも彼女が好きだし尊敬している。
定年を迎え仕事を失っても、彼女は活き活きと生活するに違いない。多趣味なので仕事に割かれていた時間をそちらに当てて、より充実した日々を過ごすであろう。子供をひとりの、自分とは別人格の人間と捉えていた。彼女はきっと子供が自殺未遂をしても我が親のような発言はしないに違いない。単純に未遂で終わったことを喜びそうだ。私の親も苦労人であり、その点では彼女との共通項があると言える。違いは多趣味かどうかだ。多趣味な人間は依存事項が多いのでそれらに気持ちが分散される。私の親は趣味らしい趣味もないので私への依存が強く、別人格だと理解はしていても納得ができていないようだ。なので親の発する言葉の多くは私の中で上滑りしている。私に親身になっている自分が好き、という気持ちが見え隠れする点に嫌悪を覚えることもある。私は親を嫌いではないが、苦手ではある。依存されるのは重い。私の抱えている諸事情は環境遺伝されると言われている。思えば確かに私の親にもその傾向が見て取れる。普通は治療に取り組まずとも40代にもなれば自然と解寛されると言われている諸事情であるが、50代半ばの私の親に解寛の気配は見えない。更に私の親は私にはない諸事情をもうひとつ持っていそうである。私は医者ではないので正しい診断はできないが、きっと合っているだろう。
人生は死ぬ迄の暇潰し。激しく同意する。私は諸事情の解寛の目処が立っていないことに加え、元々子供嫌いなので遺伝子を残す気はないが、もし、仮に、子供を持ったとしたら書初めでこの言葉を書かせたいと思う。病んだ親が不健全な子供を育てることになりそうだ。やはり子供は持たない方が私には懸命であろう。うちのは欲しそうだが諦めてくれ。パキやソラや各種眠剤等を服薬している限りは叶わぬ夢だし、今は希死念慮を押さえるという約束を守ることで精一杯なのだ。ついでにこの日記の所在を探すのもできれば勘弁して欲しい。
「朝起きて、昼寝して、夜寝た。」
どのような賞賛の言葉を浴びせてもこの日記を前にしては翳んでしまう。文章を書く上で、長文よりも短文の方が難しいと言われている。ひとつの言葉でより多くのことを表現し、長文では許される無駄を片っ端から排除しなければならない。小説の世界でも長編よりも短編に名作は少ないと感じる。それがのび太はどうだ。たった一行でその日一日の全てを要約できる才を持つ。少し学べば素晴らしい俳人になれるであろう。世で彼の才能はあやとりと射撃しか認められていない。しかし私は彼に多大なる文才を見る。彼のように無駄を省ききった文章を書けるようになりたいと思うものだが、これでは仕事が来ないのが難である。適度な無駄を散りばめなければ商業的には成り立たないのだ。そう思うとやはりのび太は作家よりも詩人に近いのか。この才が埋もれているのは非常に勿体無い。是非花を咲かせるべきである。
人生は死ぬ迄の暇潰し、との名言を残したのは故・青山正明である。恐らく彼も胡蝶の夢の住人であったのではないか。この明言を逃げと捉える者も多い。つまらん人間である。人生に於いて何に重きを置くか。誰しもがモラトリアム期に考えることだろう。学問・仕事・恋愛など形而上の物事に重きを見出すことこそ逃げではないかと私は考える。人間の脳の7〜8割は眠っていると考えられている。形而上の物事に重きを置く人間は9割を眠らせているのではないだろうか。それを悪いとは思わない。彼らは生活という物に重きを置いているに他ならず、また生活がなければ生きていくことそのものが困難だからだ。けれど世捨て人とも称される私は青山正明に激しく同意する。正に今の私の現状がそうであるからだ。生きていくことに精一杯な人間は多いだろう。その反面、その日一日死なずに生き延びることに精一杯な人間もおり、私は後者である。人生に価値などない。死ねば全ては無になる。どのような生き方をしようと、どのような死に方をしようと、基本的に人は土へと帰る。私はいつ土に帰っても構わない。残されたひとつの夢は私という人間がこの世に生きていた証を残すことであり、それが叶えば自ら土へと帰る可能性もある。この世は余りにも私にとって生き難い世界なのだ。主治医も、私にとってこの世は生き難い世界だと明言している。
少し前、近所のビルから空を飛ぼうとしたことがある。そのとき眠剤を入れて眠気が来るのを待った。眠気がきたところで恐怖心を薄めて飛ぼうとしたのだが、眠気がくる前に空から銀色の粉が舞ってきた。それを掴もうとしているうちに目が冴えてしまい、未遂に終わった。この話を親にしたとき、親はこう言った。あんたが死んだら私も死ぬわよ。阿呆かと思った。これが私の希死念慮に歯止めをかけられると思っているのか。自らの存在価値が他者である私にそれ程迄の影響を持っていると何を根拠に信じられるのか。自意識過剰。これらをひっくるめて主治医に話した。主治医が述べた意見は新鮮且つ衝撃であった。君の親は自分の人生を君に依存している。成る程。逆転の発想である。私の存在が親自身の存在価値であり、それを失ったら自分も生きていられないということだったのか。親を生かせる為に希死念慮を押さえ込もうとは思わないが、とにかくこの意見は新鮮であった。
話は戻る。形而上の学問・仕事・恋愛などに重きを置いて生きている人々はそれらに依存しているのではないか。リストラに遭い廃人のようになってしまったという人の話をメディアはよく取り上げる。彼らは自らの存在価値を仕事のみに依存していた為、それを失うと同時に廃人と化すのであろう。何に重きを置くかは個々の問題であり関与する気は更々ないが、ひとつ言えることはあると思う。ひとつの物事のみに重きを置くのは大きな危険を孕んでいる。長くこの世に留まりたければ、重きをやや軽くして分散させておく方が利口だろう。これを逃げ道と呼ぶ人もいるかもしれないが、生き延びるための知恵である。何かを極めるにはそれに没頭しなければならない。それのみに重きを置く必要が生じる。しかしながら、何かを極める必要がある人間がこの世にどれだけいるか、果たして疑問である。貴方の代わりはいない。こんな台詞は嘘だ。虚言に惑わされてはならない。生き延びるには多芸でなくとも多趣味であるに越したことはない。
と書き綴りつつも私は現在多芸でも多趣味でもない。別にこの世に留まりたいとは思っていないし、周囲に死ぬなと言われているから生きているだけなのでいいのである。死なないことで精一杯。ひとりだけ、昔働いていた職場で尊敬できる人がいた。中間管理職にあった50代の女性だ。彼女の仕事は私からは要領が悪く見えたがまあそれはともかく懸命にこなし、部下を大切にする為、上司に媚び諂うこともなく、人の世話を焼くことが好きであり、人に頼られれば実に親身になってくれる人であった。当然ながら人望も厚い。彼女は私を大切にしてくれたのでいろいろと話を聞いてもらった。彼女自身の苦労話も聞かせてもらった。彼女は多趣味でもあった。乙女心と大人としての自覚や責任を両立させていた女性。家庭も持っていた。仮に私が後20年、30年と生きるならば彼女のようになりたいと思う。容姿は年齢相当であるが内面から輝いており、自己卑下と自信のバランスを非常に上手に取っていた。職場から去って今は疎遠ではあるが、私は今でも彼女が好きだし尊敬している。
定年を迎え仕事を失っても、彼女は活き活きと生活するに違いない。多趣味なので仕事に割かれていた時間をそちらに当てて、より充実した日々を過ごすであろう。子供をひとりの、自分とは別人格の人間と捉えていた。彼女はきっと子供が自殺未遂をしても我が親のような発言はしないに違いない。単純に未遂で終わったことを喜びそうだ。私の親も苦労人であり、その点では彼女との共通項があると言える。違いは多趣味かどうかだ。多趣味な人間は依存事項が多いのでそれらに気持ちが分散される。私の親は趣味らしい趣味もないので私への依存が強く、別人格だと理解はしていても納得ができていないようだ。なので親の発する言葉の多くは私の中で上滑りしている。私に親身になっている自分が好き、という気持ちが見え隠れする点に嫌悪を覚えることもある。私は親を嫌いではないが、苦手ではある。依存されるのは重い。私の抱えている諸事情は環境遺伝されると言われている。思えば確かに私の親にもその傾向が見て取れる。普通は治療に取り組まずとも40代にもなれば自然と解寛されると言われている諸事情であるが、50代半ばの私の親に解寛の気配は見えない。更に私の親は私にはない諸事情をもうひとつ持っていそうである。私は医者ではないので正しい診断はできないが、きっと合っているだろう。
人生は死ぬ迄の暇潰し。激しく同意する。私は諸事情の解寛の目処が立っていないことに加え、元々子供嫌いなので遺伝子を残す気はないが、もし、仮に、子供を持ったとしたら書初めでこの言葉を書かせたいと思う。病んだ親が不健全な子供を育てることになりそうだ。やはり子供は持たない方が私には懸命であろう。うちのは欲しそうだが諦めてくれ。パキやソラや各種眠剤等を服薬している限りは叶わぬ夢だし、今は希死念慮を押さえるという約束を守ることで精一杯なのだ。ついでにこの日記の所在を探すのもできれば勘弁して欲しい。
色彩感覚DNAによる誤解排除作戦
2003年10月26日 メイク・ファッション・ピアス ブルーベース、特に冬はこの季節に困る。秋らしい茶系の色合いが似合い難いのだ。ブルベ冬が得意とする色は黒・赤・紫などの強い色であり、同じ黒・赤・紫でも淡いパステルカラーのような色合いになると変わってくる。そしてこれらの強い色は扱いが難しい。色同士が喧嘩し易く、下手な合わせ方をするとただの派手な人になる。と知ったのは最近である。昔は淡い色合いの服やメイクを好んでいたがイマイチ評判が芳しくなかった。オレンジ系メイクをした日には頗る顔色が悪く見えるのが不思議でならなかった。ブルーベースと知り、やっと合点がいった。ブルーベースにとってオレンジ色は鬼門なのである。なので避けるようになった。私のワードローブは今、黒・赤・紫・青系、そしてその中でもくっきりした色が大半を占めている。飽きてきた。
日本人の主食は米だ。白米は美味しい。けれど毎日毎食が米では飽きがくるのでパンやパスタも食す。色も同じである。毎日同じ色に囲まれていれば飽きがくるのは自然なことだ。そして形にばかり拘るようになり、色への挑戦がなくなるのもつまらない。人間、他者を見るときにまず目が行くのは顔であろう。因ってメイクは今迄通りの路線を崩せない。こちらは崩さなくても自分の中で飽きがきていないので良い。またカラーコスメには様々な質感及びテクスチャ、個々での発色の違いもあるから良いのだ。問題は衣類及び服飾小物である。こちらも様々な素材やデザインがあるのだが何故か飽きてきた。飽きがきた原因は、元来私がパステルカラーや所謂シビラカラー好きという要因が強いからだと思われる。まずはオレンジ色のスニーカーを購入してみた。苦手な色を使う際に顔から遠い位置に置くのは定石である。メイクに苦手色を取り込まないのもこれが理由である。購入したもののサイズが合わなかったという理由で、親が最近くれたパンツとシャツがたまたまオレンジ色を使ったものだった。親はベースカラーの概念を知らない。説明するのが面倒なので教えていない。これらのアイテムは練習素材に適している。オレンジ1色ではなくベースがあった上にオレンジで柄が作られている物なので取り入れやすいのだ。
日本人のファッションセンスは海外のそれに比べて劣っているという説が根付いている。モデル等のインタビュー記事でも「参考にしているのは海外ファッション誌のスナップ」という答えをよく見る。けれど本当に日本人のセンスは劣っているのだろうか? どこかで「日本人は色合わせが上手である」という話を読んだことがある。根拠は平安時代に遡る。その昔、日本人は和装をしていた。着物である。着物には重ねが使われる。襟元を幾重にも重ね、少しずつずらして下の襟の色を見せる。グラデーションを利用するような無難なものだけでなく、奇抜とも言える色合わせもある。しかし上手い、と感心できる綺麗さがある。また着物を締める帯も多彩だ。この色の着物にその帯を持ってくるか! と思わされることも多々ある。原色・パステル自在に操る平安人は凄かった。その血を継いでいる現代人にも色彩センスのDNAは宿っている筈だ。宿っているだけでは意味がない。宿って眠っているそれを叩き起こしてこそ意味があるというものだ。
色彩の際たる教師は自然である。白い雲が流れる青い空の下に茶色の木が立つ。その木には緑の葉が茂り黄・赤・橙などの花を咲かせて実を成らす。空は時間によって赤から黒を経て青へと至る。葉も緑から赤や黄に季節に伴い色を変化させる。青系グラデーションから緑系を経て黒へと至る海の隣には灰色の砂浜があり、臙脂色のヒトデや茶と白のマーブル模様の貝を背負ったヤドカリがいる。海の中にはメタリックな鱗を持った魚や彩り鮮やかな熱帯魚、えげつない色合いの深海魚迄の多種魚類が生息している。これらの自然を見、個々の単色の好みは別として、この色にその色はないなあ……と思う者はいないだろう。三原色だ補色の関係だなどという理論は全て後付けである。知っておくに損はない。しかし知らなくても影響はない。ブルース・リー理論。考えるんじゃない、感じるんだ。そう思いつつも好みはある。私は黒い靴に茶色い靴下は納得できない。黒い鞄に茶色い靴もナシだ。白と生成りもナシだし、ピーチとピンクの同時使いもナシだ。個人的好みの問題なのかどうかは知らない。ただ、私にとってはナシだ。
また最近迄トップに濃い色を持ってきてボトムに淡い色を持ってくるのもナシだった。バランスが悪く思えてならなかった。バランスというよりも安定感と表現した方が判り易いか。地に足を付けると言うように、下の方に濃い色を使う方が安定感があるように思えてならなかった。なので白いスカートや黒いシャツは持ってはいても全然出番が回ってこなかった。街で人を見る。雑誌を見る。淡い色のボトムに濃い色のトップスを合わせている人は少ない。少ないが、いる。その中の半分くらいの人は特に安定感を失ってはいない。色だけの問題ではないことに気がついた。ボリューム感や素材感の使い方が上手いのだ。タイトな濃緑のトップスに生成りのボリューム感あるパンツを合わせていたりする。インディゴデニムに逃げない。透け感のある濃色トップスにツイードやヘリンボーンの淡色ボトムを合わせる。そして淡色で大きめの帽子を被る。小物使いも上手いのだ。何を着ても印象の変わらない人がいる。つまらない。当人も楽しくないだろう。私は楽しくない。なのでインパクトある物に逃げて変化を付けていた。インパクトある物には大きな欠点がある。一度着たらすぐに人に覚えられてしまい、またあの服を着ている、と思われてしまうのだ。癪である。なので着回し。だから色合わせ。こういう勉強は楽しい。
着飾る、という言葉には余り宜しくない印象がある。けれども大概の人は第一印象をパッと見で決める。ある程度の着飾りは必要である。或る友人と私とに共通点がある。他人様に持たれる第一印象が中身と余りにも違うという点だ。友人は捌けた人格にも関わらず気難しそうに見られるらしい。私はひねくれ者なのに優しそうに見えるらしい。友人が生む誤解を私は羨ましく思う。外見が莫迦の篩い落としに一役買っているからだ。そして気難しそうに見える人間が実は捌けた性格だと知られたら好印象を持たれる。私は逆だ。ひねくれた底意地の悪い性格なのに人懐っこく優しそうに思われる。と或る会社で勤め始めたとき、大きな猫を5匹程被って仕事をしていた。いい歳なのに人見知りするので打ち解ける迄に少々時間を要した。その時期とても貧乏だった為、昼食代を浮かせようとお弁当を持参していた。これも災いした。トイレでの化粧直しでアナスイやスティラを多用していたのも災いの一因かと思われる。打ち解けてから同僚が言った台詞がこれだ。「前職はお花屋さんだと思っていた」。本人を前に爆笑させてもらった。私の前職はエロ・博打系のフリーライター兼エディターであり、一時期はホステスや風俗もしていた。お花屋さんなんてかわいい印象の仕事は生まれてこの方したことがない。今後もしないだろうし不向きだという自覚があるのでできないだろう。
その職場ではジーンズが禁止されていた為、スカートを穿いていくことが多かった。ツモリの花柄縮絨ミドル丈スカートやレッセパッセの中綿入りロングスカート、コキュの刺繍入りモヘアカーディガンなどを着て行ったときには老若問わずかわいいと褒められた。私はかわいい服が好きなのだ。友人は学生時代から何度も外見と内面を近づけようとしている。しかしそう上手くは行っていないようだ。私は……ティアードスカートやフリルを嫌いにならない限りこのような印象を持たれ続けるのだろう。損である。人懐っこそうな優しそうな印象の人間が実は風俗上がりでエロ・博打好きだと知ったら人は落胆する。こんな人だと思っていなかった、…
日本人の主食は米だ。白米は美味しい。けれど毎日毎食が米では飽きがくるのでパンやパスタも食す。色も同じである。毎日同じ色に囲まれていれば飽きがくるのは自然なことだ。そして形にばかり拘るようになり、色への挑戦がなくなるのもつまらない。人間、他者を見るときにまず目が行くのは顔であろう。因ってメイクは今迄通りの路線を崩せない。こちらは崩さなくても自分の中で飽きがきていないので良い。またカラーコスメには様々な質感及びテクスチャ、個々での発色の違いもあるから良いのだ。問題は衣類及び服飾小物である。こちらも様々な素材やデザインがあるのだが何故か飽きてきた。飽きがきた原因は、元来私がパステルカラーや所謂シビラカラー好きという要因が強いからだと思われる。まずはオレンジ色のスニーカーを購入してみた。苦手な色を使う際に顔から遠い位置に置くのは定石である。メイクに苦手色を取り込まないのもこれが理由である。購入したもののサイズが合わなかったという理由で、親が最近くれたパンツとシャツがたまたまオレンジ色を使ったものだった。親はベースカラーの概念を知らない。説明するのが面倒なので教えていない。これらのアイテムは練習素材に適している。オレンジ1色ではなくベースがあった上にオレンジで柄が作られている物なので取り入れやすいのだ。
日本人のファッションセンスは海外のそれに比べて劣っているという説が根付いている。モデル等のインタビュー記事でも「参考にしているのは海外ファッション誌のスナップ」という答えをよく見る。けれど本当に日本人のセンスは劣っているのだろうか? どこかで「日本人は色合わせが上手である」という話を読んだことがある。根拠は平安時代に遡る。その昔、日本人は和装をしていた。着物である。着物には重ねが使われる。襟元を幾重にも重ね、少しずつずらして下の襟の色を見せる。グラデーションを利用するような無難なものだけでなく、奇抜とも言える色合わせもある。しかし上手い、と感心できる綺麗さがある。また着物を締める帯も多彩だ。この色の着物にその帯を持ってくるか! と思わされることも多々ある。原色・パステル自在に操る平安人は凄かった。その血を継いでいる現代人にも色彩センスのDNAは宿っている筈だ。宿っているだけでは意味がない。宿って眠っているそれを叩き起こしてこそ意味があるというものだ。
色彩の際たる教師は自然である。白い雲が流れる青い空の下に茶色の木が立つ。その木には緑の葉が茂り黄・赤・橙などの花を咲かせて実を成らす。空は時間によって赤から黒を経て青へと至る。葉も緑から赤や黄に季節に伴い色を変化させる。青系グラデーションから緑系を経て黒へと至る海の隣には灰色の砂浜があり、臙脂色のヒトデや茶と白のマーブル模様の貝を背負ったヤドカリがいる。海の中にはメタリックな鱗を持った魚や彩り鮮やかな熱帯魚、えげつない色合いの深海魚迄の多種魚類が生息している。これらの自然を見、個々の単色の好みは別として、この色にその色はないなあ……と思う者はいないだろう。三原色だ補色の関係だなどという理論は全て後付けである。知っておくに損はない。しかし知らなくても影響はない。ブルース・リー理論。考えるんじゃない、感じるんだ。そう思いつつも好みはある。私は黒い靴に茶色い靴下は納得できない。黒い鞄に茶色い靴もナシだ。白と生成りもナシだし、ピーチとピンクの同時使いもナシだ。個人的好みの問題なのかどうかは知らない。ただ、私にとってはナシだ。
また最近迄トップに濃い色を持ってきてボトムに淡い色を持ってくるのもナシだった。バランスが悪く思えてならなかった。バランスというよりも安定感と表現した方が判り易いか。地に足を付けると言うように、下の方に濃い色を使う方が安定感があるように思えてならなかった。なので白いスカートや黒いシャツは持ってはいても全然出番が回ってこなかった。街で人を見る。雑誌を見る。淡い色のボトムに濃い色のトップスを合わせている人は少ない。少ないが、いる。その中の半分くらいの人は特に安定感を失ってはいない。色だけの問題ではないことに気がついた。ボリューム感や素材感の使い方が上手いのだ。タイトな濃緑のトップスに生成りのボリューム感あるパンツを合わせていたりする。インディゴデニムに逃げない。透け感のある濃色トップスにツイードやヘリンボーンの淡色ボトムを合わせる。そして淡色で大きめの帽子を被る。小物使いも上手いのだ。何を着ても印象の変わらない人がいる。つまらない。当人も楽しくないだろう。私は楽しくない。なのでインパクトある物に逃げて変化を付けていた。インパクトある物には大きな欠点がある。一度着たらすぐに人に覚えられてしまい、またあの服を着ている、と思われてしまうのだ。癪である。なので着回し。だから色合わせ。こういう勉強は楽しい。
着飾る、という言葉には余り宜しくない印象がある。けれども大概の人は第一印象をパッと見で決める。ある程度の着飾りは必要である。或る友人と私とに共通点がある。他人様に持たれる第一印象が中身と余りにも違うという点だ。友人は捌けた人格にも関わらず気難しそうに見られるらしい。私はひねくれ者なのに優しそうに見えるらしい。友人が生む誤解を私は羨ましく思う。外見が莫迦の篩い落としに一役買っているからだ。そして気難しそうに見える人間が実は捌けた性格だと知られたら好印象を持たれる。私は逆だ。ひねくれた底意地の悪い性格なのに人懐っこく優しそうに思われる。と或る会社で勤め始めたとき、大きな猫を5匹程被って仕事をしていた。いい歳なのに人見知りするので打ち解ける迄に少々時間を要した。その時期とても貧乏だった為、昼食代を浮かせようとお弁当を持参していた。これも災いした。トイレでの化粧直しでアナスイやスティラを多用していたのも災いの一因かと思われる。打ち解けてから同僚が言った台詞がこれだ。「前職はお花屋さんだと思っていた」。本人を前に爆笑させてもらった。私の前職はエロ・博打系のフリーライター兼エディターであり、一時期はホステスや風俗もしていた。お花屋さんなんてかわいい印象の仕事は生まれてこの方したことがない。今後もしないだろうし不向きだという自覚があるのでできないだろう。
その職場ではジーンズが禁止されていた為、スカートを穿いていくことが多かった。ツモリの花柄縮絨ミドル丈スカートやレッセパッセの中綿入りロングスカート、コキュの刺繍入りモヘアカーディガンなどを着て行ったときには老若問わずかわいいと褒められた。私はかわいい服が好きなのだ。友人は学生時代から何度も外見と内面を近づけようとしている。しかしそう上手くは行っていないようだ。私は……ティアードスカートやフリルを嫌いにならない限りこのような印象を持たれ続けるのだろう。損である。人懐っこそうな優しそうな印象の人間が実は風俗上がりでエロ・博打好きだと知ったら人は落胆する。こんな人だと思っていなかった、…
拘りの集大成
2003年10月25日 メイク・ファッション・ピアス 金曜、天才ファミリーカンパニーのスペシャル版5巻を買うべく書店に出向いたのだが、なかった。ので、GREEN全4巻・噂真・美的・Springを購入。美的はVoceと共に紐で縛ってあり中を見ての判断は不可能。迷ったのだがVoceの付録にカネボウの文字が見えたので美的を買った。失敗した。私はカネボウの化粧品が余り好きではない。最大手ドメブラである資生堂の後追いばかりをしているような印象が根付いている。因ってどこのサンプルかは判らないが恐らくカネボウではなかろうと読んでの美的購入である。美的のサンプルは資生堂であった。が、資生堂は資生堂でもナプキンである。激しくいらん。本誌そのものは11月から始まるコフレ及び限定品特集があったので読み応えはまあまああったが、きっとVoceでも同じ特集は組まれていただろう。クリスマスコフレ及び限定品は、去年に比べればどこも無難な品揃えに思えた。しかし何かしら買ってしまうだろう。大高姐さんも薦めていたイヴ・サンローランのパレットが気になるがやや高い。同じく姐さんお薦めのスティラのハイライトを買うか。使わなさそうである。MACのパレットかイプサのマスカラキット、アユーラの聖彩コフレあたりを買ってしまいそうだ。またはスティラのリップグレイズセット。アナスイのリップ及びシャドウパレットもかわいい。けれど小さい。因みに一昨年のアナスイのリップパレット・シャドウパレットは購入したものの大半が残っている。最有力候補はイプサのタイムリセットのセットである。これは前回も購入し今も愛用している。リピートした訳ではない。単純に、まだ、残っているのだ。減りが遅いのはいいことだ。今度は美容液ではなくクリームのセットにするか……と思っているが、ひとつ難点がある。タイムリセットシリーズはとても優秀である。アクアは水分補給に素晴らしい力を見せてくれるし、美容液は保湿キープ力が強いのにこってりしすぎておらず、軽さが魅力だ。問題はクリームである。これも保湿力・ハリの取り戻しに力を発揮してくれる。ザーネと同程度に。ザーネはドラッグストアで500〜1000円で購入できる。タイムリセットは8000円くらいする。量もザーネの方が多い。ならばザーネで良いではないかと思うのが常人だろうが、容器が違うのだ。ザーネの容器はかわいくない。イプサの容器は機能的且つかわいい。化粧品、特に基礎物購入の理由なんてこんなもんなのだ。
Springを購入したのは表紙が深津絵里だったからだ。彼女もブルーベースの冬なので着こなしやメイクに於いてとても参考になる。今回は本誌の中で3種の黒いコートを着ていた。かわいい。今年30歳になったようだが、かわいい。私の愛用している黒コートはツモリの無難なステンカラーコートだが、今回深津が着ていたコートも欲しくなった。値段を見る。55万円……。私が持っている服の中で最も高価な服は親に貰った約8万円のインポート物コートである。ピンク地に大きなフェイクファーの白い襟が付いたとてもかわいいコートで、私の普段のファッション傾向に合わないためクローゼットで眠っている。私は高い服は購入しても貰っても、勿体無い気持ちが先に立って着られないのだ。清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したヴィヴィアンウエストウッドのカーディガンがある。ラグタグで2万円前後だったと記憶している。多分これが自腹で購入した中で一番高い服だ。勿体無いので滅多に着ない。人から貰った服で2万8千円のホコモモラのカーディガンがある。ホコモモラが今より高かった時代のものだ。勿体無くて着られない……。正に宝の持ち腐れ。本当に腐りそうなので今年こそはいろいろ着たいものである。が、きっとネットオークションで購入した100円の古着テイスト満載なニットや同じく500円で購入したスサデボンボンのダッフルコートが活躍しそうだ。安い物は何の気兼ねもなく着られて良い。この夏、最も活躍したのはフリーマーケットで400円で購入したオゾンロックスのTシャツだった。そんなものだ。
なので莫迦なうちのは、お前にはユニクロがお似合いだと言う。ユニクロの服は大変につまらない。無難でクセがないし、多色展開がウリではあるがその中に似合う色がどれだけあるというのか。何より多くの人が同じ物を購入し、着ているというのが嫌でたまらない。街中で同じ物を着た人間と擦れ違うときに気まずさを覚えるのは私だけであろうか? 以前、電車内で私がそのとき持っていたポーターの鞄と全く同じ物を持った人を見たことがある。どうにも嫌な気分になったので車両を移動した。その鞄はとても使い勝手のいい鞄なのだが、それ以来使用頻度が格段に落ちた。その鞄を持った人をライヴ会場でも見たことがある。そのときは私は違う鞄だったのでまあ良かったのだが、今後その鞄の使用頻度は更に落ちるであろう。定番物の怖さはここにある。流行に乗ると来年は着られない。だからといって定番物に頼ると街で同品を持った及び着た人との遭遇率が高上。この折り合いをつける物を探すと、流行には乗らず、適度にクセのある物に落ち着くのは自然なことだろう。それを我が道と呼ばれるのは、私にとって誇らしい。手本がないのでセンスを磨かねばならない。流行や定番への依存は楽であるが、そこには落ち着き、いや正直に書くならば、陥りたくない。
昨日、数年前に私が巨大掲示板某板に立てたスレッドを久々に読み返した。所有衣類等を減らしたいという趣旨のスレッドである。当時の私はうちのに怒られて、衣類等を減らさなければならなかったらしい。スレに書き込んでくれた人たちからは、流行を過ぎた物を処分しろという意見が多かった。けれど私は流行は追っていないので無理なのだ。先日、ネット上で或るコラムを読んだ。内容は定番物にこそ流行が反映されているというものだ。例えば黒のタートルニット。定番である。が、そのシルエットは毎年変わっている。一言で黒のタートルニットと言っても、ゆったりしたものが多く出回る時期もあれば身体のラインの出るものが出回る時期もある。定番という言葉に惑わされてはならないという話である。目から鱗が落ちたと思えた程に新鮮な意見に感じた。そして自分の衣類をチェックしたが定番の中の流行に沿った物は見当たらなかった。私が衣類を減らせる日はいつ来るのだろう。
ついでに衣類に関してひとつ悪癖が現れてきた。固執的完璧主義。同じ物をふたつ買うことはないのだが、似た物が欲しくなってきたのだ。例えばブラックジーンズ。1本しかなければそれがダメになったらどうしよう、と思うのだ。なので似た物をもう1本買う。私の所有衣類の中には微妙に違う物が多い。デニムのスカート然り、ピンクのスカート然り、シャツ・ブラウス・Tシャツ……。どれも他者から見れば、これがあればあれらは要らないだろう、と見えるに違いない。当人にとってはその、微妙な違いこそが大事なのである。だってここが違うんだもん! となる。他者がそこ迄見てはいないのは承知だ。小さなフリンジの有無や袖口の折り返しの有無などあってもなくても、ファッションに余程精通していない者から見ればトータルバランスに影響は及ぼさない。解っている。解ってはいるのだが、この小さな拘りの集大成が私の服装に大きく影響していることを主張したい。主張には実践を伴う必要もある。入浴及び着替えをしなければ。
Springを購入したのは表紙が深津絵里だったからだ。彼女もブルーベースの冬なので着こなしやメイクに於いてとても参考になる。今回は本誌の中で3種の黒いコートを着ていた。かわいい。今年30歳になったようだが、かわいい。私の愛用している黒コートはツモリの無難なステンカラーコートだが、今回深津が着ていたコートも欲しくなった。値段を見る。55万円……。私が持っている服の中で最も高価な服は親に貰った約8万円のインポート物コートである。ピンク地に大きなフェイクファーの白い襟が付いたとてもかわいいコートで、私の普段のファッション傾向に合わないためクローゼットで眠っている。私は高い服は購入しても貰っても、勿体無い気持ちが先に立って着られないのだ。清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したヴィヴィアンウエストウッドのカーディガンがある。ラグタグで2万円前後だったと記憶している。多分これが自腹で購入した中で一番高い服だ。勿体無いので滅多に着ない。人から貰った服で2万8千円のホコモモラのカーディガンがある。ホコモモラが今より高かった時代のものだ。勿体無くて着られない……。正に宝の持ち腐れ。本当に腐りそうなので今年こそはいろいろ着たいものである。が、きっとネットオークションで購入した100円の古着テイスト満載なニットや同じく500円で購入したスサデボンボンのダッフルコートが活躍しそうだ。安い物は何の気兼ねもなく着られて良い。この夏、最も活躍したのはフリーマーケットで400円で購入したオゾンロックスのTシャツだった。そんなものだ。
なので莫迦なうちのは、お前にはユニクロがお似合いだと言う。ユニクロの服は大変につまらない。無難でクセがないし、多色展開がウリではあるがその中に似合う色がどれだけあるというのか。何より多くの人が同じ物を購入し、着ているというのが嫌でたまらない。街中で同じ物を着た人間と擦れ違うときに気まずさを覚えるのは私だけであろうか? 以前、電車内で私がそのとき持っていたポーターの鞄と全く同じ物を持った人を見たことがある。どうにも嫌な気分になったので車両を移動した。その鞄はとても使い勝手のいい鞄なのだが、それ以来使用頻度が格段に落ちた。その鞄を持った人をライヴ会場でも見たことがある。そのときは私は違う鞄だったのでまあ良かったのだが、今後その鞄の使用頻度は更に落ちるであろう。定番物の怖さはここにある。流行に乗ると来年は着られない。だからといって定番物に頼ると街で同品を持った及び着た人との遭遇率が高上。この折り合いをつける物を探すと、流行には乗らず、適度にクセのある物に落ち着くのは自然なことだろう。それを我が道と呼ばれるのは、私にとって誇らしい。手本がないのでセンスを磨かねばならない。流行や定番への依存は楽であるが、そこには落ち着き、いや正直に書くならば、陥りたくない。
昨日、数年前に私が巨大掲示板某板に立てたスレッドを久々に読み返した。所有衣類等を減らしたいという趣旨のスレッドである。当時の私はうちのに怒られて、衣類等を減らさなければならなかったらしい。スレに書き込んでくれた人たちからは、流行を過ぎた物を処分しろという意見が多かった。けれど私は流行は追っていないので無理なのだ。先日、ネット上で或るコラムを読んだ。内容は定番物にこそ流行が反映されているというものだ。例えば黒のタートルニット。定番である。が、そのシルエットは毎年変わっている。一言で黒のタートルニットと言っても、ゆったりしたものが多く出回る時期もあれば身体のラインの出るものが出回る時期もある。定番という言葉に惑わされてはならないという話である。目から鱗が落ちたと思えた程に新鮮な意見に感じた。そして自分の衣類をチェックしたが定番の中の流行に沿った物は見当たらなかった。私が衣類を減らせる日はいつ来るのだろう。
ついでに衣類に関してひとつ悪癖が現れてきた。固執的完璧主義。同じ物をふたつ買うことはないのだが、似た物が欲しくなってきたのだ。例えばブラックジーンズ。1本しかなければそれがダメになったらどうしよう、と思うのだ。なので似た物をもう1本買う。私の所有衣類の中には微妙に違う物が多い。デニムのスカート然り、ピンクのスカート然り、シャツ・ブラウス・Tシャツ……。どれも他者から見れば、これがあればあれらは要らないだろう、と見えるに違いない。当人にとってはその、微妙な違いこそが大事なのである。だってここが違うんだもん! となる。他者がそこ迄見てはいないのは承知だ。小さなフリンジの有無や袖口の折り返しの有無などあってもなくても、ファッションに余程精通していない者から見ればトータルバランスに影響は及ぼさない。解っている。解ってはいるのだが、この小さな拘りの集大成が私の服装に大きく影響していることを主張したい。主張には実践を伴う必要もある。入浴及び着替えをしなければ。
昨夜、友人からクレームが来た。先日書いた、世界観がダメらしい、というのは間違いだそうである。声がひっくり返るボーカルがダメだという。それは味だと説明したが、まあとにかく彼女にとって世界観はOKであるが声がNGということでどっちに転んでもダメには変わりない。
昨夜から今朝にかけて、この友人のクレームに始まり私は3件のクレームを受けた。上記がひとつ。後のふたつはネットオークション絡みである。まずは箱への宛名の貼り間違いによる発送先取り違えのミスが発覚。先に届いた人の方からメールが来た。着払いで返送するので再度送ってくれという。当然である。問題は取り違えられたもうひとりがきちんと返してくれるか、またそれ以前にそちらが郵便事故に巻き込まれていないかだ。届いたら返送してくれる旨のメールを出したがまだ返信は来ない。不安である。それから私の出品物を落札してくれた方に商品についた煙草の匂いがきつかったというのがひとつ。前以って喫煙者だとは書いているのでそれを承知での落札ではあったろうが、承知の上でも苦言を呈したい程であったようだ。私はチェーンスモーカである。
映画館が苦手である。煙草が吸えないからだ。喫煙しながら鑑賞できる映画館があれば足繁く通うかもしれないが、ない。数年前迄、新宿昭和館という二番館があった。任侠物などの二番館落ちを3本立てで組む映画館だった。何度か観に行ったことがある。最初は衝撃を受けた。スクリーンが綺麗に見えないのだ。古い映画館だからというのも一因ではあるが、もっと大きな原因があった。前方で喫煙しつつ鑑賞している客が何人もいたのである。どの映画館にもあるように壁に禁煙とプレートは貼られていた。そのプレートは普通は綺麗であるが、昭和館に於いては脂に塗れた物だった。前方の喫煙者に注意をするものはひとりもいなかった。観客も映画館職員も。今なら流石は任侠映画館!では私も一服しつつ……となるかもしれないが、若かった当時は消防法とか大丈夫なの? と余計なことを考えつつ映画を見ていた。実に野暮である。昭和館では暗黙の了解で喫煙が認められていたようだ。そこに消防法だのなんだのと、心の中の話であっても持ち出すのは野暮であったと今は思える。表千家には表千家、裏千家には裏千家の流儀があるように、昭和館ではそれが流儀だったのだ。昭和館が繁栄していた時代、良い時代だった。
学生運動に全共闘。私はこれらを知識としてしか知らない。その時代に生まれたかったと思う。誰もが自分のこと・他人のこと・国のことに懸命であり、自らがメッセージを発することに全力を使い、他者のメッセージを全身で受け止めていた。今の日本でメッセージの送受に総身総意の姿勢で取り組む者はどれくらいいるのだろう。1%もいないと私は見ている。あの時代の歌が好きである。高田渡に岡林信康。彼らはメッセージを全身から発し、聴く者も全身で受け止めた。メッセージの送受に音楽という手段が使われていたのだ。彼らの歌は当時の匂いを発している。私はその当時を知識としてしか知らないのに、それでも唄う高田や岡林らだけではなく、それらをリアルタイムで聴いていた者らの力迄感じる。彼らの歌は消費されていない。しかし彼らは既に表舞台にはいない。
同時代、井上陽水はメッセージ性があるのかないのか判らないような歌を発信していた。アンドレ・カンドレ時代のビューティフル・ワンダフル・バードには風刺を感じるし、陽水となってからの人生が二度あればはストレートに心に突き刺さる。日本初のミリオンセラーは彼の氷の世界という歌だ。彼の声は独特であり肌に纏わり、耳から入って脳味噌の皺の隙間に留まる。曲調はキャッチーで歌詞は謎である。基本は色恋の歌だ。高田や岡林が世相を反映した歌を歌っていた頃、陽水は世相に囚われず色恋を歌い続けた。これが陽水が今でも受け入れられ続けている理由だとどこかで読んだことがある。確かに色恋は普遍的なものかもしれない。だが私はこれまでに心に突き刺さる色恋の歌を聴いたことはない。纏わりついてはきても、突き刺さってはこないのだ。私の感受性が鈍いのであろうか。
ヒットチャートというものがある。上位を占めているのは色恋の歌、明日へ未来への希望の歌ばかりだ。げんなりする。それらの歌の大半に独自性を見出せない。その者がその楽曲を歌う必然性が判らない。キャッチーな曲に耳に心地良い言葉を副詞で繋いだ歌詞を乗せ、取って付けたような一節を挟みそこに英語を加える。これらの殆どはスポイルされる消費型音楽だと思う。ヒットチャートに一度乗せ、落ちてきた頃に似たパターンの楽曲をまたチャートに乗せる。音楽は完全に使い捨て商品へと変化してしまったのだろうか。否、チャートの上位で需要と供給のバランスの根源のレベルが低下しているだけだと思いたい。需要者も供給者も誠心誠意、全身全霊で音楽と取り組んでいないのだと思う。しかしそれを悪いとは言わない。ヒットチャート上位の音楽は既に芸術枠で括られる音楽ではなく、職人の世界になっているのだろう。
ライターという職業がある。ライターは大きくふたつに分けられる。記名ライターと無記名ライターだ。文責の所在をどこに置くかが大きく変化する。無記名ライターに求められるのは常に65点の原稿である。100点は求められない反面、60点を取ることは許されない。そして締切厳守。自分のカラーを出す必要はなく、むしろ出さないほうが良い。万人に読み易い65点をキープできる文章力とスピードが求められるのが無記名ライターなのだ。記名ライターや作家と大きく違う部分である。記名ライターや作家は65点をキープしなくても良い。常に高い点数を保てるのは理想であるが、極論を承知で述べる。10点の原稿を99本出しても、残りの1本で100点が取れれば認められるのだ。しかしその1本がベストセラーになることは本当に稀なことではある。
ヒットチャート上位の音楽と無記名ライターの仕事は限りなく近いのではないだろうか。上位にはいつも似た名前、似たタイトルが上っている。没個性が求められるのが職人の世界であり、芸術となり得る個性を出せる者でもそれが100回に1回なら名前が知られていない分、ヒットチャートには上れなくなる。今現在裕福に暮らしているのは職人であろう。けれど職人の仕事が後世に残るであろうか? 陽水は天性の声と勘に恵まれており、また継続が力となったパターンであるが、そこまでの才と持続力を持ち得るヒットチャート常連はどれ程いるであろう。一握りもいないに違いない。一過性の、消費される物の生産に空しさを覚えないのだろうかと思うことがある。きっと消費される物を造っている自覚はなくオリジナリティとメッセージ性に溢れていると勘違いしているものが半分、空しさを訴えても周囲スタッフに丸め込まれるのが半分か。前者にはさっさとスポイルされて欲しい。後者には頑張って欲しい。周囲との戦いで得たことを次の仕事・作品に活かせる筈だ。それを待っている者も少ないが、存在している。含まれたメッセージに圧倒されたい。スポイルされる物に価値はない。衝動を感じさせない物は後世には残らない。様々な衝動を全身で受け止められるだけの体力は常に、私は残している。
BGM/「夜叉ヶ池」「猟奇が街にやってくる」「心の火事」など
昨夜から今朝にかけて、この友人のクレームに始まり私は3件のクレームを受けた。上記がひとつ。後のふたつはネットオークション絡みである。まずは箱への宛名の貼り間違いによる発送先取り違えのミスが発覚。先に届いた人の方からメールが来た。着払いで返送するので再度送ってくれという。当然である。問題は取り違えられたもうひとりがきちんと返してくれるか、またそれ以前にそちらが郵便事故に巻き込まれていないかだ。届いたら返送してくれる旨のメールを出したがまだ返信は来ない。不安である。それから私の出品物を落札してくれた方に商品についた煙草の匂いがきつかったというのがひとつ。前以って喫煙者だとは書いているのでそれを承知での落札ではあったろうが、承知の上でも苦言を呈したい程であったようだ。私はチェーンスモーカである。
映画館が苦手である。煙草が吸えないからだ。喫煙しながら鑑賞できる映画館があれば足繁く通うかもしれないが、ない。数年前迄、新宿昭和館という二番館があった。任侠物などの二番館落ちを3本立てで組む映画館だった。何度か観に行ったことがある。最初は衝撃を受けた。スクリーンが綺麗に見えないのだ。古い映画館だからというのも一因ではあるが、もっと大きな原因があった。前方で喫煙しつつ鑑賞している客が何人もいたのである。どの映画館にもあるように壁に禁煙とプレートは貼られていた。そのプレートは普通は綺麗であるが、昭和館に於いては脂に塗れた物だった。前方の喫煙者に注意をするものはひとりもいなかった。観客も映画館職員も。今なら流石は任侠映画館!では私も一服しつつ……となるかもしれないが、若かった当時は消防法とか大丈夫なの? と余計なことを考えつつ映画を見ていた。実に野暮である。昭和館では暗黙の了解で喫煙が認められていたようだ。そこに消防法だのなんだのと、心の中の話であっても持ち出すのは野暮であったと今は思える。表千家には表千家、裏千家には裏千家の流儀があるように、昭和館ではそれが流儀だったのだ。昭和館が繁栄していた時代、良い時代だった。
学生運動に全共闘。私はこれらを知識としてしか知らない。その時代に生まれたかったと思う。誰もが自分のこと・他人のこと・国のことに懸命であり、自らがメッセージを発することに全力を使い、他者のメッセージを全身で受け止めていた。今の日本でメッセージの送受に総身総意の姿勢で取り組む者はどれくらいいるのだろう。1%もいないと私は見ている。あの時代の歌が好きである。高田渡に岡林信康。彼らはメッセージを全身から発し、聴く者も全身で受け止めた。メッセージの送受に音楽という手段が使われていたのだ。彼らの歌は当時の匂いを発している。私はその当時を知識としてしか知らないのに、それでも唄う高田や岡林らだけではなく、それらをリアルタイムで聴いていた者らの力迄感じる。彼らの歌は消費されていない。しかし彼らは既に表舞台にはいない。
同時代、井上陽水はメッセージ性があるのかないのか判らないような歌を発信していた。アンドレ・カンドレ時代のビューティフル・ワンダフル・バードには風刺を感じるし、陽水となってからの人生が二度あればはストレートに心に突き刺さる。日本初のミリオンセラーは彼の氷の世界という歌だ。彼の声は独特であり肌に纏わり、耳から入って脳味噌の皺の隙間に留まる。曲調はキャッチーで歌詞は謎である。基本は色恋の歌だ。高田や岡林が世相を反映した歌を歌っていた頃、陽水は世相に囚われず色恋を歌い続けた。これが陽水が今でも受け入れられ続けている理由だとどこかで読んだことがある。確かに色恋は普遍的なものかもしれない。だが私はこれまでに心に突き刺さる色恋の歌を聴いたことはない。纏わりついてはきても、突き刺さってはこないのだ。私の感受性が鈍いのであろうか。
ヒットチャートというものがある。上位を占めているのは色恋の歌、明日へ未来への希望の歌ばかりだ。げんなりする。それらの歌の大半に独自性を見出せない。その者がその楽曲を歌う必然性が判らない。キャッチーな曲に耳に心地良い言葉を副詞で繋いだ歌詞を乗せ、取って付けたような一節を挟みそこに英語を加える。これらの殆どはスポイルされる消費型音楽だと思う。ヒットチャートに一度乗せ、落ちてきた頃に似たパターンの楽曲をまたチャートに乗せる。音楽は完全に使い捨て商品へと変化してしまったのだろうか。否、チャートの上位で需要と供給のバランスの根源のレベルが低下しているだけだと思いたい。需要者も供給者も誠心誠意、全身全霊で音楽と取り組んでいないのだと思う。しかしそれを悪いとは言わない。ヒットチャート上位の音楽は既に芸術枠で括られる音楽ではなく、職人の世界になっているのだろう。
ライターという職業がある。ライターは大きくふたつに分けられる。記名ライターと無記名ライターだ。文責の所在をどこに置くかが大きく変化する。無記名ライターに求められるのは常に65点の原稿である。100点は求められない反面、60点を取ることは許されない。そして締切厳守。自分のカラーを出す必要はなく、むしろ出さないほうが良い。万人に読み易い65点をキープできる文章力とスピードが求められるのが無記名ライターなのだ。記名ライターや作家と大きく違う部分である。記名ライターや作家は65点をキープしなくても良い。常に高い点数を保てるのは理想であるが、極論を承知で述べる。10点の原稿を99本出しても、残りの1本で100点が取れれば認められるのだ。しかしその1本がベストセラーになることは本当に稀なことではある。
ヒットチャート上位の音楽と無記名ライターの仕事は限りなく近いのではないだろうか。上位にはいつも似た名前、似たタイトルが上っている。没個性が求められるのが職人の世界であり、芸術となり得る個性を出せる者でもそれが100回に1回なら名前が知られていない分、ヒットチャートには上れなくなる。今現在裕福に暮らしているのは職人であろう。けれど職人の仕事が後世に残るであろうか? 陽水は天性の声と勘に恵まれており、また継続が力となったパターンであるが、そこまでの才と持続力を持ち得るヒットチャート常連はどれ程いるであろう。一握りもいないに違いない。一過性の、消費される物の生産に空しさを覚えないのだろうかと思うことがある。きっと消費される物を造っている自覚はなくオリジナリティとメッセージ性に溢れていると勘違いしているものが半分、空しさを訴えても周囲スタッフに丸め込まれるのが半分か。前者にはさっさとスポイルされて欲しい。後者には頑張って欲しい。周囲との戦いで得たことを次の仕事・作品に活かせる筈だ。それを待っている者も少ないが、存在している。含まれたメッセージに圧倒されたい。スポイルされる物に価値はない。衝動を感じさせない物は後世には残らない。様々な衝動を全身で受け止められるだけの体力は常に、私は残している。
BGM/「夜叉ヶ池」「猟奇が街にやってくる」「心の火事」など
20代後半から30代前半、企業に属する者はひとつの転機を迎えることが多いようだ。責任の伴う立場に立たされるようになるらしい。最近、私の身近な人間でふたり、責任ある立場に立つか否かで悩んでいた及び悩んでいる者がいる。ふたりの共通項は、責任の伴う立場には立ちたくない、と主張していることだ。理解はできる、納得はできない。ふたりともそれだけの力があると見込まれて打診を受けた筈なのだ。私は彼らの仕事振りを現場では見ていないので想像でしかないが、素の彼らを見て確かにそれだけの力を持っていると思う。何故自分の力を出し切ろうと思わないのか、何故自分の裁量の幅を広げたいと思わないのか、何故責任という言葉の前で逃げ腰になったり二の足を踏むのか。実に勿体無い話である。彼らにとっても、企業にとっても、彼らの部下になる筈だった人間たちにとっても。裁量の幅は広ければ広い程いいに決まっている。給料も上がれば上がる程いいに決まっている。これらの利益を捨てて迄、彼らは責任を負いたくはないと言う。現代っ子だ、と思った。
野心。野望。競争心。向上心。戦後、これらの心持は世代が重なるにつれ薄れていっていると言われている。個人差はあるが、全体として見れば確かにそうだろう。私の含まれる世代は相当に薄まっている。その中でこれらのモチベーションの高い人間はやはり少ないらしい。彼らに言われた。私は心持を失ってはいない。いつかビッグになってやる、と言って本当にビッグになったのは矢沢永吉である。彼の著書・成り上がりはセールスも良くドラマ化もされた。それに引き換えジョニーは……余談だが、私はつい最近、某ライヴに行く迄、何故かジョニー大倉はキャロル解散後、石倉三郎と名を変えて俳優になっていると思っていた。私の中で男の中の男と言えば、加山雄三でもなければアントニオ猪木でもなく長淵剛でもない。硝子のコップを肴に日本酒を呑む男・石倉三郎なのだ。いや、矢沢もジョニーも石倉もどうでもいい。野心の話である。力があるのに野心を失って小さく纏まっている人間を見ると非常にもどかしさを覚える。事なかれ主義は嫌いだ。
この日記をつけ始めてから、以前書いた0か100かの思考を治す為の行動療法に見切りをつけた方がいいように感じ始めている。自分の思いや考えをこの場で言語化していること及び身近な人間のいろいろな話に因っている。0か100か思考を治し、広く浅くの人間関係を身につけるということがどんな弊害を含んでいるのかを考えた。広く浅くということは、世に憚る莫迦をも受け入れるということに等しいのだ。そんな人間関係が果たして自分に必要だろうか。即断できた。社会で歓迎される円滑な人間関係は広く浅くである。社会とは多くの莫迦とほんの少数の利口で成り立っている。広く浅くは莫迦に喜ばれる人間関係に他ならない。大体利口な人間と知り合ったとき、浅くの関係で済ませたいと思うか。否。では広く深くの人間関係を築くことはできるか。否。余程の幸運に恵まれた者でない限り周囲に莫迦は蔓延っている。莫迦を避けて生きたいという気持ちを捨てられなければ狭く深くを通すしかないのだ。器用な利口なら莫迦を上手くあしらいつつ、広く浅くと深く狭くを使い分けることができるのだろう。私は不器用な人間なので、できない。莫迦に迎合したくはない。愛しの君の歌詞で、他人を羨み自分を蔑み未来を忘れて何処へ行こうか、という一節がある。この冒頭を、他人を蔑み、と間違えそうになることが多々あるらしい。熱く大きな自己愛を自己否定の風呂敷で包んでいるような愛しの君のことだ。きっと間違って口にしかける歌詞の方が本音に近いのだろう。こういったタイプの人間は、多くの人間と接しなければならない場所に属することがとても難儀である。
莫迦はミスをしたり過ちを犯したりするものだ。責任を回避し続けていれば莫迦の尻拭いはしなくて済むだろう。処世術と自己防衛の果ては責任回避の事なかれ主義に行き着くのか。行き着いてそれで納得して留まるのか。留まったらそこから先に道は作れるのか。
留まることを否定はしない。時には留まらなければならないこともあるだろう。今の私は留まらなければならない時期である。しかし留まり続ける気は更々ない。少し前はもう一生このままでいいと思っていた。自覚しないうちにどこかで転機を迎えたらしい。絶対に先に進む。社会に出て仕事をするうちに私はふたつの夢を持った。ひとつは数年前に既に叶っている。もうひとつは未だ叶っていない。叶える。どれくらい時間を要するかは不明である。目処は皆無。それでも叶えると思い続け、小さな歩幅ででも進んでいくしかないではないか。私は企業に属せない。そして私の原稿は20点か100点かのどちらかだ。ここでつけている日記は20点である。20点でも書かなければならない。100点の原稿が書ける心身の状態を迎えたそのとき、技術が追いつかないのでは話にならないのだ。継続は力なり、という言葉を昔は信じていなかった。出戻って、離れていた時期の愛しの君らの活動を追い、継続は力であることを知ることができた。有難う。感謝の気持ちを惜しまない。
人々に消費されたくない。様々な柵に囚われたくない。納得できる形で残る物を作りたい。その為に生じる軋轢ならば甘んじて受け止めようではないか。単純な開き直りではない。思考回路を修正して世に迎合しようと努力し、その後に得た結論なのだ。昔はこういった努力なく自らの思考に絡め取られていた。やっと自分がモラトリアム期の最中にあることを自覚できるようになった。ここからである。今の私が立つ場所は最底辺。ならば後は這い上がるのみである。這い上がるに必要な基礎体力作りの場がここである。ネットに馴染み過ぎた文体を活字用文体に直し、顔文字などは全て排除。私の文章の弱点は構成力にある。身につけよう。数年前、私は自分の原稿に絶対的な自信を持っていた。羞恥心を煽られる若気の至りの極み。それでも最低ラインは優にクリアしている。世には、てにをは、すらもまともに扱えない物書きが溢れている。根拠なき自信を持っていた頃の原稿を読み返し、至らなさは感じた。けれど文章に力があった。その頃の力を取り戻したい。
知人に絵のモデルを頼まれたことがある。因みに着衣である。その知人に何故私にそれを依頼するのか訊いた。「目に力があるから」との答えを頂戴した。根拠なき自信に支えられていた頃の話だ。恥ずかしい自信が目にをも力を与えていたのだろう。この歳になり、もう根拠なき自信は通用しない。確固とした自信を身に付けなければならない歳になっている。今度私の目に力が宿るときは、確固とした自信に支えられた光を宿していると信じたい。信じつつ、次の一歩を踏み出す先を、踏み出す時期を逃さぬように慎重に足元と前方を見据えるのだ。
BGM/「相剋の家」「ダイスを転がせ」「流星ビバップ」など
野心。野望。競争心。向上心。戦後、これらの心持は世代が重なるにつれ薄れていっていると言われている。個人差はあるが、全体として見れば確かにそうだろう。私の含まれる世代は相当に薄まっている。その中でこれらのモチベーションの高い人間はやはり少ないらしい。彼らに言われた。私は心持を失ってはいない。いつかビッグになってやる、と言って本当にビッグになったのは矢沢永吉である。彼の著書・成り上がりはセールスも良くドラマ化もされた。それに引き換えジョニーは……余談だが、私はつい最近、某ライヴに行く迄、何故かジョニー大倉はキャロル解散後、石倉三郎と名を変えて俳優になっていると思っていた。私の中で男の中の男と言えば、加山雄三でもなければアントニオ猪木でもなく長淵剛でもない。硝子のコップを肴に日本酒を呑む男・石倉三郎なのだ。いや、矢沢もジョニーも石倉もどうでもいい。野心の話である。力があるのに野心を失って小さく纏まっている人間を見ると非常にもどかしさを覚える。事なかれ主義は嫌いだ。
この日記をつけ始めてから、以前書いた0か100かの思考を治す為の行動療法に見切りをつけた方がいいように感じ始めている。自分の思いや考えをこの場で言語化していること及び身近な人間のいろいろな話に因っている。0か100か思考を治し、広く浅くの人間関係を身につけるということがどんな弊害を含んでいるのかを考えた。広く浅くということは、世に憚る莫迦をも受け入れるということに等しいのだ。そんな人間関係が果たして自分に必要だろうか。即断できた。社会で歓迎される円滑な人間関係は広く浅くである。社会とは多くの莫迦とほんの少数の利口で成り立っている。広く浅くは莫迦に喜ばれる人間関係に他ならない。大体利口な人間と知り合ったとき、浅くの関係で済ませたいと思うか。否。では広く深くの人間関係を築くことはできるか。否。余程の幸運に恵まれた者でない限り周囲に莫迦は蔓延っている。莫迦を避けて生きたいという気持ちを捨てられなければ狭く深くを通すしかないのだ。器用な利口なら莫迦を上手くあしらいつつ、広く浅くと深く狭くを使い分けることができるのだろう。私は不器用な人間なので、できない。莫迦に迎合したくはない。愛しの君の歌詞で、他人を羨み自分を蔑み未来を忘れて何処へ行こうか、という一節がある。この冒頭を、他人を蔑み、と間違えそうになることが多々あるらしい。熱く大きな自己愛を自己否定の風呂敷で包んでいるような愛しの君のことだ。きっと間違って口にしかける歌詞の方が本音に近いのだろう。こういったタイプの人間は、多くの人間と接しなければならない場所に属することがとても難儀である。
莫迦はミスをしたり過ちを犯したりするものだ。責任を回避し続けていれば莫迦の尻拭いはしなくて済むだろう。処世術と自己防衛の果ては責任回避の事なかれ主義に行き着くのか。行き着いてそれで納得して留まるのか。留まったらそこから先に道は作れるのか。
留まることを否定はしない。時には留まらなければならないこともあるだろう。今の私は留まらなければならない時期である。しかし留まり続ける気は更々ない。少し前はもう一生このままでいいと思っていた。自覚しないうちにどこかで転機を迎えたらしい。絶対に先に進む。社会に出て仕事をするうちに私はふたつの夢を持った。ひとつは数年前に既に叶っている。もうひとつは未だ叶っていない。叶える。どれくらい時間を要するかは不明である。目処は皆無。それでも叶えると思い続け、小さな歩幅ででも進んでいくしかないではないか。私は企業に属せない。そして私の原稿は20点か100点かのどちらかだ。ここでつけている日記は20点である。20点でも書かなければならない。100点の原稿が書ける心身の状態を迎えたそのとき、技術が追いつかないのでは話にならないのだ。継続は力なり、という言葉を昔は信じていなかった。出戻って、離れていた時期の愛しの君らの活動を追い、継続は力であることを知ることができた。有難う。感謝の気持ちを惜しまない。
人々に消費されたくない。様々な柵に囚われたくない。納得できる形で残る物を作りたい。その為に生じる軋轢ならば甘んじて受け止めようではないか。単純な開き直りではない。思考回路を修正して世に迎合しようと努力し、その後に得た結論なのだ。昔はこういった努力なく自らの思考に絡め取られていた。やっと自分がモラトリアム期の最中にあることを自覚できるようになった。ここからである。今の私が立つ場所は最底辺。ならば後は這い上がるのみである。這い上がるに必要な基礎体力作りの場がここである。ネットに馴染み過ぎた文体を活字用文体に直し、顔文字などは全て排除。私の文章の弱点は構成力にある。身につけよう。数年前、私は自分の原稿に絶対的な自信を持っていた。羞恥心を煽られる若気の至りの極み。それでも最低ラインは優にクリアしている。世には、てにをは、すらもまともに扱えない物書きが溢れている。根拠なき自信を持っていた頃の原稿を読み返し、至らなさは感じた。けれど文章に力があった。その頃の力を取り戻したい。
知人に絵のモデルを頼まれたことがある。因みに着衣である。その知人に何故私にそれを依頼するのか訊いた。「目に力があるから」との答えを頂戴した。根拠なき自信に支えられていた頃の話だ。恥ずかしい自信が目にをも力を与えていたのだろう。この歳になり、もう根拠なき自信は通用しない。確固とした自信を身に付けなければならない歳になっている。今度私の目に力が宿るときは、確固とした自信に支えられた光を宿していると信じたい。信じつつ、次の一歩を踏み出す先を、踏み出す時期を逃さぬように慎重に足元と前方を見据えるのだ。
BGM/「相剋の家」「ダイスを転がせ」「流星ビバップ」など
今頃私は都内某ライヴハウス前で開場待ちをしている予定だった。が、今こうして家で日記をつけている。体調が芳しくない。起きてからずっと予期不安に襲われている。無理に出かけたら道中またはライヴの最中に発作が起きる確率がかなり高い。なので念の為、こうして家で安静にしている。予約してあるのでライヴハウスには申し訳ないが致し方ない。シャンシャンを経験してみたいという好奇心の為にパキを数日抜いたのが裏目に出た。何も今日その裏目が出なくても昨日や明日でもいいではないか。実に勝手な言い草である。今頃、愛しの君は都内某ライヴハウス内かその近辺にいるのだろう。観たかった。聴きたかった。今日の不調はこれだけではない。私の体調不良は精神的なものに大きく左右される。先日、外馬に乗り損ねた者に恨まれたと書いた。その者らがどこの誰か私は知らない。しかしながらライヴハウスで遭遇する可能性は多々ある。避けたい。ずっと避け続けるのは困難であるが、とにかく今日は嫌である。いろんな人に疑いの目を向けてしまいそうだ。私が狭量なのだろうか。狭量ではないと思いたい。ないに違いない。誰だってあんな目に遭えば凹む筈だ。友人を得たのは嬉しく、またそれで苛々鬱々もかなり晴れたが、かなりの範疇であり完璧に晴れた訳ではない。精神的に億弱な私にはやはりかなり応える悪意であった。
そのせいかパキ断薬を試みていたせいか、はたまた効果を実感できないレスタスの服薬をさぼっているせいか、今日の私に現実感はない。元々現実感の薄い人間である。離人症も疑ったが違うようだ。上手く言い表せないのがむず痒いのだが、端的に言うと私には夢と現の区別が付いていない。主治医にもこの話はしてある。主治医曰く、そう思っている自分が現実。しかし夢の中でも同様のことを考えている自分がいる。ではそれも現実ということになり、私の中に夢という観念はなくなり全てが現実となってしまう。こう言うと主治医はやや困っていた。主治医にとって私は扱いにくい患者であろう。勝手に薬の知識を得てくるし、勝手に服薬調整するし、訳の解らないことを言うし。まあそういう人間を相手にするのが主治医の仕事だ。主治医の話もよく解らない部分がある。お互い様だ。
夢と現の話である。思う故に在り。コギトなんちゃらかんちゃらの訳だ。これは正確な訳であり一般的には、我思う故に我在り、と訳されている。本当は主語はない。この思想は、上記主治医の発言と同じである。そう思っている自分が現実、と。思う故に在りという言葉は有名である。しかしこの思想よりももっともっと前に中国の思想家が唱えた思想がある。胡蝶の夢、という思想。これは今こうしている自分が現実のように思うのが人であるが、そうでない可能性もあるのではないか。こうしている自分は胡蝶の夢の中の存在であり、夢に登場する胡蝶こそが本来の我ではないかという思想だ。私は思う故に在りには同意できない。反して胡蝶の夢にこそリアルを感じる。眠りに付く際、毎日のように考えることがある。私は今から夢の世界に行くのだろうか? それとも現実に帰るのだろうか? 答えは出ない。いや、出ているのかもしれないが、その答えに同意もできなければ実感も伴わないのだ。
夢と現の区別について、誰しも子供の頃に混乱したことはあるという。朝起きて、みんなが消えていたらどうしよう……。子供の頃に一度は思ったろう。大多数の人間は大人になるに従い、このようなことは考えなくなるらしい。現実に追われて考える余裕がなくなるからだそうだ。そして自分を追っている諸々のある場所こそが現実であると認識できるようになるらしい。私は大人であるが認識できていない。昼夜を問わず夢と現について考えている。某巨大掲示板某板にてこのような感覚を持った人間がスレッドを立てた。数人の同士が現れた。私もそのひとりである。同士とはいえ、各々の夢と現の曖昧さは微妙に違っていることがそのスレの成長と共に判明してきた。スレ住人は少ない。ここ数日はやや多忙だったこともありそのスレは見ていないのだが、もしかしたらもうdat逝きになっているかもしれない。それ程に住人の少ないスレである。住人が少ないということは、この手の感覚を持っている人間が少ないということに等しい。皆、夢と現の区別が付いているようだ。
私はそのスレでひとつの仮定を提示した。喫煙者は口唇期を抜けきっていないという説がある。口唇期とは肛門期などと同様に子供の成長過程に於いて訪れる通過儀礼のようなものだ。夢と現の混乱は子供の頃は皆が持つらしいのに、成長と共に区別が付くようになる。ということは、この感覚を大人になっても引きずっている者は、何らかの成長に於ける通過儀礼を飛ばしてしまったのではなかろうか? 立証したいと思うが追求していくのが怖い気もしており、簡単な文献を購入したものの未だ読んではいない。仮に立証できてしまったら私の諸事情がまた拗れる可能性を秘めている。卵と鶏、どちらが先か。立証できた暁には諸事情が少し解れる可能性もある。ふたつの可能性を天秤にかけ、億弱な私は今現在前者の可能性を強く感じているため、敢えて勉強を怠らしている。
以下は以前うちのに送ったメールである。
通勤通学に足を動かす常人たちの中
同じ方向に歩きつつ違う方向に足を進める自分
生きるために食事をとる常人
生かされるために食餌を摂る自分
明日の為に睡眠をとる常人
明日がないから睡眠をとれない自分
夢と現の区別がつく常人
夢が現で現が夢の自分
孤独 閉塞 不足 快感 不快感
人という字は人という字であり人でしかない
記号 それは記号 それは意味を失った記号
昨日今日明日 前後左右不覚
歪んだ平衡感覚 失った時の概念
喜怒哀楽 無無無無
表現は虚言で嘘は得
気になる 気にならない 気にならない 気にならない
思う故在り 胡蝶の夢こそ真実を語り
時を失い羽ばたく胡蝶
胡蝶が自分 胡蝶は自分
今いる自分はまやかしであり蜃気楼であり
全ての概念を無くしたときこそ思え在り得る
概念たる概念とは……そもさん!
-------------------------------------------
説破してください。
メールの件名は無題。説破はされていない。できないようだ。私の卒論は或る小説を元にした記号論であった。今でも記号という物についてよく考える。全ては記号である。あなたは誰ですか? この質問に正確に答えられる人間に出会ったことはない。私も答えられない。きっと利口は思う故に在りに基づいた回答をしてくるだろう。しかし思う故に在りという思想に否定的な私にはその回答に満足はできない。そして胡蝶の夢に囚われている自分はこの質問を前には口を閉ざすしかない。あなたは誰ですか? の質問に対して名前を始めとし、自らの育ちや境遇、職業などに基づいて回答してくる人間は莫迦の極みである。名前や職業は言うまでもなく、育ちや境遇すらも言葉に変換された時点で全て記号と化す。言葉という記号は便利な物であるが、言葉にした時点で記号と化す為に回答から遠ざかってしまう。死ぬ前には正確な解答を出したい。その反面、名前その他で回答しきれた気になれる莫迦に羨望してならない。どちらが幸せなのだろう。
そのせいかパキ断薬を試みていたせいか、はたまた効果を実感できないレスタスの服薬をさぼっているせいか、今日の私に現実感はない。元々現実感の薄い人間である。離人症も疑ったが違うようだ。上手く言い表せないのがむず痒いのだが、端的に言うと私には夢と現の区別が付いていない。主治医にもこの話はしてある。主治医曰く、そう思っている自分が現実。しかし夢の中でも同様のことを考えている自分がいる。ではそれも現実ということになり、私の中に夢という観念はなくなり全てが現実となってしまう。こう言うと主治医はやや困っていた。主治医にとって私は扱いにくい患者であろう。勝手に薬の知識を得てくるし、勝手に服薬調整するし、訳の解らないことを言うし。まあそういう人間を相手にするのが主治医の仕事だ。主治医の話もよく解らない部分がある。お互い様だ。
夢と現の話である。思う故に在り。コギトなんちゃらかんちゃらの訳だ。これは正確な訳であり一般的には、我思う故に我在り、と訳されている。本当は主語はない。この思想は、上記主治医の発言と同じである。そう思っている自分が現実、と。思う故に在りという言葉は有名である。しかしこの思想よりももっともっと前に中国の思想家が唱えた思想がある。胡蝶の夢、という思想。これは今こうしている自分が現実のように思うのが人であるが、そうでない可能性もあるのではないか。こうしている自分は胡蝶の夢の中の存在であり、夢に登場する胡蝶こそが本来の我ではないかという思想だ。私は思う故に在りには同意できない。反して胡蝶の夢にこそリアルを感じる。眠りに付く際、毎日のように考えることがある。私は今から夢の世界に行くのだろうか? それとも現実に帰るのだろうか? 答えは出ない。いや、出ているのかもしれないが、その答えに同意もできなければ実感も伴わないのだ。
夢と現の区別について、誰しも子供の頃に混乱したことはあるという。朝起きて、みんなが消えていたらどうしよう……。子供の頃に一度は思ったろう。大多数の人間は大人になるに従い、このようなことは考えなくなるらしい。現実に追われて考える余裕がなくなるからだそうだ。そして自分を追っている諸々のある場所こそが現実であると認識できるようになるらしい。私は大人であるが認識できていない。昼夜を問わず夢と現について考えている。某巨大掲示板某板にてこのような感覚を持った人間がスレッドを立てた。数人の同士が現れた。私もそのひとりである。同士とはいえ、各々の夢と現の曖昧さは微妙に違っていることがそのスレの成長と共に判明してきた。スレ住人は少ない。ここ数日はやや多忙だったこともありそのスレは見ていないのだが、もしかしたらもうdat逝きになっているかもしれない。それ程に住人の少ないスレである。住人が少ないということは、この手の感覚を持っている人間が少ないということに等しい。皆、夢と現の区別が付いているようだ。
私はそのスレでひとつの仮定を提示した。喫煙者は口唇期を抜けきっていないという説がある。口唇期とは肛門期などと同様に子供の成長過程に於いて訪れる通過儀礼のようなものだ。夢と現の混乱は子供の頃は皆が持つらしいのに、成長と共に区別が付くようになる。ということは、この感覚を大人になっても引きずっている者は、何らかの成長に於ける通過儀礼を飛ばしてしまったのではなかろうか? 立証したいと思うが追求していくのが怖い気もしており、簡単な文献を購入したものの未だ読んではいない。仮に立証できてしまったら私の諸事情がまた拗れる可能性を秘めている。卵と鶏、どちらが先か。立証できた暁には諸事情が少し解れる可能性もある。ふたつの可能性を天秤にかけ、億弱な私は今現在前者の可能性を強く感じているため、敢えて勉強を怠らしている。
以下は以前うちのに送ったメールである。
通勤通学に足を動かす常人たちの中
同じ方向に歩きつつ違う方向に足を進める自分
生きるために食事をとる常人
生かされるために食餌を摂る自分
明日の為に睡眠をとる常人
明日がないから睡眠をとれない自分
夢と現の区別がつく常人
夢が現で現が夢の自分
孤独 閉塞 不足 快感 不快感
人という字は人という字であり人でしかない
記号 それは記号 それは意味を失った記号
昨日今日明日 前後左右不覚
歪んだ平衡感覚 失った時の概念
喜怒哀楽 無無無無
表現は虚言で嘘は得
気になる 気にならない 気にならない 気にならない
思う故在り 胡蝶の夢こそ真実を語り
時を失い羽ばたく胡蝶
胡蝶が自分 胡蝶は自分
今いる自分はまやかしであり蜃気楼であり
全ての概念を無くしたときこそ思え在り得る
概念たる概念とは……そもさん!
-------------------------------------------
説破してください。
メールの件名は無題。説破はされていない。できないようだ。私の卒論は或る小説を元にした記号論であった。今でも記号という物についてよく考える。全ては記号である。あなたは誰ですか? この質問に正確に答えられる人間に出会ったことはない。私も答えられない。きっと利口は思う故に在りに基づいた回答をしてくるだろう。しかし思う故に在りという思想に否定的な私にはその回答に満足はできない。そして胡蝶の夢に囚われている自分はこの質問を前には口を閉ざすしかない。あなたは誰ですか? の質問に対して名前を始めとし、自らの育ちや境遇、職業などに基づいて回答してくる人間は莫迦の極みである。名前や職業は言うまでもなく、育ちや境遇すらも言葉に変換された時点で全て記号と化す。言葉という記号は便利な物であるが、言葉にした時点で記号と化す為に回答から遠ざかってしまう。死ぬ前には正確な解答を出したい。その反面、名前その他で回答しきれた気になれる莫迦に羨望してならない。どちらが幸せなのだろう。
味覚読解力音楽同一視
2003年10月21日 本・映画・音楽など 20日付の続きである。現在22日早朝。
敗戦国にはスラッシャーが多いというのが持論である。他にも提唱している人がいるかどうかは知らない。日本やドイツは他国に比較してスラッシャーが多いと聞いてそう思っただけなので持論と言える程の代物でもない。私の好きなバンドはプログレからポップ・ナンバー、スラッシュ迄多種多様な音作りをする。私はこのバンドのスラッシュ・ナンバーを聴いてからスラッシュに嵌った。なのでうちのはこのバンドはスラッシュ色が強く、プログレ好きの自分の聴く物ではないと思っている。実際にはプログレ色の方が強いバンドだ。アルバムを聴くと判る。なので数枚聴かせてみた。感想は、演奏は下手ではないが歌がダメ。褒めない人なので下手ではないと言うことは、上手いということである。20日付の最後の友人の歌へのダメ出しと、うちののダメ出しは違う。友人の言うダメな部分は世界観である。これはバンド・カラーなので受け付けない人にとっては嫌悪の対象にもなりかねない物で、それ故にコアなファンしかいないと言っても過言ではない。うちのが言うダメは私が良さを語っている最中に「でも訛っているし」。一蹴。意味合いは違うが友人にもうちのにもダメということは共通している。
私は自分の好きな物を人に薦めたがる癖がある。読んで気に入った本はボロボロになるまで人に貸しまくり、いいと思った音はとにかく聴けと薦めまくる。本の趣味は良いと自負している。他者からも大概面白かったとの感想を得られている。しかし音楽の趣味に於いては他者とは相容れない一線があるようだ。私が好きになるバンドやミュージシャンには、何故かイロモノ色が強い物が多い。なので他者からはイロモノ扱いを受ける。学生時代に嵌っていたバンドも、出戻りファンとなった今現在好きなバンドも同世代前後の人間で名前を知らない人はまずいないくらい著名なバンドである。けれど皆、名前を知っているが故に音を聴いてくれないのだ。音を聴けばただのイロモノでないことは判る筈なのに既に音まで知り尽くされたように扱われる。不思議でならなかったので考えた。
例として今現在好きなバンドを挙げる。このバンドはデビューの方法が限りなく、所謂企画物に近い扱いであった。それ故にか、世に出てきた当初のインパクトは強かった。強すぎた。その方法でのデビューをしたのは彼らであり、その方法を採ったが為に偏見を持たれるのは彼らの責任である。最新アルバムでひとつバンドから明言があった。ロックは色物である。きっとデビューのときから一貫しての姿勢を言葉にしただけであろう。それはいい。その姿勢が自分たちの生活を苦しめているのも承知の筈だ。イロモノ結構。どんな扱いを受けようと、私は音が好きだから聴き続けるし、愛しの君が脱退しない限りライヴにも足を運び続けるに違いない。私は出戻ってからデビュー時から最新迄の全てのアルバムを聴いた。好みでない曲が混ざっているアルバムも勿論ある。しかし全体としては特筆するに価する完成度を見せている。そしてその完成度はアルバムが新しくなる毎に増していっているのだ。
これは何を意味するか。彼らの音楽は成長・発展をし続けているということに他ならない。停滞はあっても後退はない。停滞期に於いても最低基準を軽くクリアするクオリティである。冷静に考えると凄い話なのだ。人は成長するものである。年齢や環境により成長の程度は変化するだろう。それでも成長はしている。これは多くの人間が頭で、身体で判っていることだと思う。けれどそれと同じことが音楽にも言えるということ迄は考えが至らない人の方が大多数であるようだ。彼らは実力を持ってデビューし且つ活動を続けている中で成長し続けている。デビュー当時と現在では世界観も変化しているし音自体も変わっている。楽曲の完成度は当時から高かったが、その比でないくらいの高さだ。なので鮮烈なデビュー当時の彼らの姿しか知らない人々にこのバンドの名前を言っただけで、ああ知っているけど好きじゃない、と言われるのは非常に苛立つ。確かに当時は好きだと思わずイロモノという感想しか抱かなかったかもしれない。けれどそれから10数年、その人々も成長しただろう。バンド自体も成長している。今聴けば当時とは違う感想を持つかもしれない、とは思わないのかと激しく疑問であるが、思わないらしい。
成長過程に於いて味覚の変化は有名である。私は未だに餓鬼舌でプリンや卵焼きが大好きだったりするのだが、多くの人は味覚が変化している。子供の頃には食べられなかった山葵や辛子が美味しく感じられるようになっているらしい。私は食べられないが、そういう人が多いことは知っている。本を読むにあたり、これは学生時代に読んでおく本だ、或る程度歳を取れば解るようになる本だ、と言われることがある。音楽には同じことが言えないのか? 言える。断言する。個人差があるとは思うが、昔は受け付けなかった音を年月を経て聴き直すことにより受け付けられるようになる人もいるに違いない。その世界観や姿勢により好き嫌いの分かれるバンドだ。解っている。しかし今一度聴き直して欲しい。聴き直すことにより私のように出戻る人や新たにファンとなる人も絶対にいる。これも断言する。若年層の一部で或るバンドがコアな人気を得ている。深夜番組でそのバンドが紹介されているのを見たことがある。新鮮なオリジナリティがどうのこうのと言われていたと記憶している。違うだろ! 明らかにこのバンドのカラーを引きずって……むしろパクり? というスタイル及び音ではないか!! そのバンドのメンバーは私の好きなこのバンドのファンだと公言しており、ライヴ会場でそのメンバーを見たという人もいる。なのに何故こちらには目を向けられないのか。非常に無常で無情な話である。
若年層のファンが増えていると書いた。彼らはこのバンドのデビュー当時を知らない。何かのきっかけで音を聴き、好きになってから遡って知識を得てデビュー当時を知る。若年層のファンにイロモノとして見ている人は少ないと思う。そもそもイロモノと認識したらそこで止まり、ファンにはならないだろう。若年層のファン数人と話をしたことがある。皆、このバンドを独特の世界観を持った実力派として認識していた。我がことのように嬉しい。若さは柔軟性を兼ね備えていると書いた。バンドそのものはイロモノ色を捨てていない。最新アルバム発売にあたって上記で書いた明言をしたのだから当然である。けれど柔軟性を持つ若者はその発言に留まらずに音に飛び込んでゆく。そして時代は変わっている。世代としての考え方が変化している。その為か狂信的にはならない傾向が見て取れる。彼らより年上の出戻りファンである私は、恥ずかしいオバチャンと思われないように振舞いたいと思う。洒落の通じるオバチャンと思われれば本望……できればオネエチャンと思って欲しいか。
BGM/アルバム「無限の住人」
敗戦国にはスラッシャーが多いというのが持論である。他にも提唱している人がいるかどうかは知らない。日本やドイツは他国に比較してスラッシャーが多いと聞いてそう思っただけなので持論と言える程の代物でもない。私の好きなバンドはプログレからポップ・ナンバー、スラッシュ迄多種多様な音作りをする。私はこのバンドのスラッシュ・ナンバーを聴いてからスラッシュに嵌った。なのでうちのはこのバンドはスラッシュ色が強く、プログレ好きの自分の聴く物ではないと思っている。実際にはプログレ色の方が強いバンドだ。アルバムを聴くと判る。なので数枚聴かせてみた。感想は、演奏は下手ではないが歌がダメ。褒めない人なので下手ではないと言うことは、上手いということである。20日付の最後の友人の歌へのダメ出しと、うちののダメ出しは違う。友人の言うダメな部分は世界観である。これはバンド・カラーなので受け付けない人にとっては嫌悪の対象にもなりかねない物で、それ故にコアなファンしかいないと言っても過言ではない。うちのが言うダメは私が良さを語っている最中に「でも訛っているし」。一蹴。意味合いは違うが友人にもうちのにもダメということは共通している。
私は自分の好きな物を人に薦めたがる癖がある。読んで気に入った本はボロボロになるまで人に貸しまくり、いいと思った音はとにかく聴けと薦めまくる。本の趣味は良いと自負している。他者からも大概面白かったとの感想を得られている。しかし音楽の趣味に於いては他者とは相容れない一線があるようだ。私が好きになるバンドやミュージシャンには、何故かイロモノ色が強い物が多い。なので他者からはイロモノ扱いを受ける。学生時代に嵌っていたバンドも、出戻りファンとなった今現在好きなバンドも同世代前後の人間で名前を知らない人はまずいないくらい著名なバンドである。けれど皆、名前を知っているが故に音を聴いてくれないのだ。音を聴けばただのイロモノでないことは判る筈なのに既に音まで知り尽くされたように扱われる。不思議でならなかったので考えた。
例として今現在好きなバンドを挙げる。このバンドはデビューの方法が限りなく、所謂企画物に近い扱いであった。それ故にか、世に出てきた当初のインパクトは強かった。強すぎた。その方法でのデビューをしたのは彼らであり、その方法を採ったが為に偏見を持たれるのは彼らの責任である。最新アルバムでひとつバンドから明言があった。ロックは色物である。きっとデビューのときから一貫しての姿勢を言葉にしただけであろう。それはいい。その姿勢が自分たちの生活を苦しめているのも承知の筈だ。イロモノ結構。どんな扱いを受けようと、私は音が好きだから聴き続けるし、愛しの君が脱退しない限りライヴにも足を運び続けるに違いない。私は出戻ってからデビュー時から最新迄の全てのアルバムを聴いた。好みでない曲が混ざっているアルバムも勿論ある。しかし全体としては特筆するに価する完成度を見せている。そしてその完成度はアルバムが新しくなる毎に増していっているのだ。
これは何を意味するか。彼らの音楽は成長・発展をし続けているということに他ならない。停滞はあっても後退はない。停滞期に於いても最低基準を軽くクリアするクオリティである。冷静に考えると凄い話なのだ。人は成長するものである。年齢や環境により成長の程度は変化するだろう。それでも成長はしている。これは多くの人間が頭で、身体で判っていることだと思う。けれどそれと同じことが音楽にも言えるということ迄は考えが至らない人の方が大多数であるようだ。彼らは実力を持ってデビューし且つ活動を続けている中で成長し続けている。デビュー当時と現在では世界観も変化しているし音自体も変わっている。楽曲の完成度は当時から高かったが、その比でないくらいの高さだ。なので鮮烈なデビュー当時の彼らの姿しか知らない人々にこのバンドの名前を言っただけで、ああ知っているけど好きじゃない、と言われるのは非常に苛立つ。確かに当時は好きだと思わずイロモノという感想しか抱かなかったかもしれない。けれどそれから10数年、その人々も成長しただろう。バンド自体も成長している。今聴けば当時とは違う感想を持つかもしれない、とは思わないのかと激しく疑問であるが、思わないらしい。
成長過程に於いて味覚の変化は有名である。私は未だに餓鬼舌でプリンや卵焼きが大好きだったりするのだが、多くの人は味覚が変化している。子供の頃には食べられなかった山葵や辛子が美味しく感じられるようになっているらしい。私は食べられないが、そういう人が多いことは知っている。本を読むにあたり、これは学生時代に読んでおく本だ、或る程度歳を取れば解るようになる本だ、と言われることがある。音楽には同じことが言えないのか? 言える。断言する。個人差があるとは思うが、昔は受け付けなかった音を年月を経て聴き直すことにより受け付けられるようになる人もいるに違いない。その世界観や姿勢により好き嫌いの分かれるバンドだ。解っている。しかし今一度聴き直して欲しい。聴き直すことにより私のように出戻る人や新たにファンとなる人も絶対にいる。これも断言する。若年層の一部で或るバンドがコアな人気を得ている。深夜番組でそのバンドが紹介されているのを見たことがある。新鮮なオリジナリティがどうのこうのと言われていたと記憶している。違うだろ! 明らかにこのバンドのカラーを引きずって……むしろパクり? というスタイル及び音ではないか!! そのバンドのメンバーは私の好きなこのバンドのファンだと公言しており、ライヴ会場でそのメンバーを見たという人もいる。なのに何故こちらには目を向けられないのか。非常に無常で無情な話である。
若年層のファンが増えていると書いた。彼らはこのバンドのデビュー当時を知らない。何かのきっかけで音を聴き、好きになってから遡って知識を得てデビュー当時を知る。若年層のファンにイロモノとして見ている人は少ないと思う。そもそもイロモノと認識したらそこで止まり、ファンにはならないだろう。若年層のファン数人と話をしたことがある。皆、このバンドを独特の世界観を持った実力派として認識していた。我がことのように嬉しい。若さは柔軟性を兼ね備えていると書いた。バンドそのものはイロモノ色を捨てていない。最新アルバム発売にあたって上記で書いた明言をしたのだから当然である。けれど柔軟性を持つ若者はその発言に留まらずに音に飛び込んでゆく。そして時代は変わっている。世代としての考え方が変化している。その為か狂信的にはならない傾向が見て取れる。彼らより年上の出戻りファンである私は、恥ずかしいオバチャンと思われないように振舞いたいと思う。洒落の通じるオバチャンと思われれば本望……できればオネエチャンと思って欲しいか。
BGM/アルバム「無限の住人」
この日付は父の命日だが、記している今は22日早朝である。
今夜はライヴだ。先日チケットぴあで予約したチケットをコンビニで券にしてきた。発売開始から1時間半後に取れたチケット。一般入場番号1桁台前半であった。昨日、やっとFC入会の振込用紙が届いた。私の宛名は愛しの君の筆跡に限りなく近い。と思いたいのだがご本人なのだろう。やはりFCスタッフはいないという噂は本当らしい。金は要らん、手伝わせろ! と思うが怖くて言えない。怖いのは愛しの君ではない。メンバーを神格化した一部の狂信的ファンである。本気で怖い。近付かなければいいのだと思っていたのだが、そういうものではないらしい。被害妄想の可能性も3%くらいあるが、先日神格化した狂信的ファンの小心者に、とんでもない悪意に満ちたイタズラをされてしまったのだ。もしその小心者の正体が判ったらどうしてくれよう。打ち首獄門にしても私の腹は納まらないだろう。
ネットオークションにお宝詰め合わせセットが出品されていた。通常、私は即決価格設定をしていない出品者に対して即決価格を訊ねたりはしない。私も出品することがあるので、出品者の気持ちもある程度解るからだ。誰だって自分の物が10円で売れるよりは10000円で売れる方が嬉しかろう。しかしこの冷静さを一気に沸騰させてしまう程のお宝の数々。訊いた。答えが返ってきた。吹っかけられる覚悟での質問であり、また即決そのものを否定される覚悟もあった。なのにその出品者は善意の人であった。神認定。サバスだ。予想の1/6の価格を提示してきた。安っ! 放っておけば落札価格はその提示額の4倍には達したであろう。想定外の安値提示により交渉開始。交渉は成立し、現在そのお宝の数々は私の手元にある。しかしこれにより一部の人間に恨みを買ったようだ。そしてその中に悪意の小心者がいた。
出品者の即決額提示により、私以外にも即決の申し出が複数あったらしい。しかしサバスは神である。天国への階段を私の為に作ってくれた。天国への階段はサバスではないが。メール交渉もあったようだが、質問欄にその額で譲って欲しいと書いた者もいた。そのお願いへのサバスの回答は素晴らしく、完璧だった。あくまで私にとっては。最初の方の返事を待っているところなので。サバースッ!! 即決申し出をした人の中には倍額提示をした人もいたかもしれない。いや、いたに違いない。私ならそうする。しかしサバスは金に揺るぐ精神の持ち主ではなかったのだ。早い者勝ちの理論。外馬に乗り損ねた者に恨まれた。それが発覚したのは昨夜である。予兆はその数日前、交渉成立の翌日からあったのだが、私はそれを予兆だとは思っていなかった。甘かった。
知らない者から私のフリーメールアドレスにアクセスがあった。HNは違うが、あの知人だろうと勝手に予測していた。昨夜私がPC前にいたときに、その者もPC前にいたのでまずは訊いてみた。どちらさまですか? 全く知らない人だった。混乱。そのアドレスを知った経緯を訊き出す。某巨大掲示板某板某スレに貼られていたから登録してみたのだと言う。普段行かない板。知らないスレ。教えてもらったスレを見ると名無しが本文なしでメール欄に私のフリーメールアドレスを貼っていた。そのアドレスを知っている者は10人もいない。その中の誰かに嫌われたか? しかしここ迄の悪意を見せられるなら幾ら鈍い私とてその知人と接しているときに気付いただろう。思い当たらない。某巨大掲示板の該当板に出入りしているその者はネットに或る程度は精通していると見て、ひとつ質問をした。予想通りの答えが返ってきた。やはり手抜きや安直な発想に基づく行動はいけない。パスを変えていたのはせめてもの救いか。
その者は私が小心者の悪意に満ちたイタズラにより迷惑を被った被害者だと知り、アドレス登録を外そうかと申し出てきてくれた。そんなことは最早どうでもいい。苛々鬱々、更にそれに勝る立腹中の私は心当たりを語りつつ、その者に愚痴をこぼした。その者もよく聞いてくれた。サバスが結んだ縁とはなんと不思議なものだろう。断じて小心者が結んだ縁だとは思わない。いろいろと話すうちにその者と私の音楽の趣味が共通していることが判明した。オリコン糞喰らえ! スラッシュ万歳! 偶然の出会いでこうも意気投合していいものか。その者が私の好きなバンドに興味を持ったようなので音源などを幾つか送った。どっぷりと嵌ったようだ。またその者がくれた音源もなかなかに私好みであり、どちらさまですか? から始まった会話は延々4時間続き、大変に盛り上がった。互いがやや似た境遇にあることも意気投合の要因のひとつであろう。朝には歌、夜には恋。その者と恋に落ちることはまずないだろうが、朝には歌である。様々な意味でサバスに感謝する。悪意の小心者に告ぐ。悪意は私の友人を増やしてくれた。ウイルスはひとつもこなかった。エロサイトの宣伝メールは2通きた。宣伝メールは単純に鬱陶しさを感じたが、それよりも新たな友人ができたことの方が大きい。因みにそのスレは今夜には既にdatに逝っていた。
新たな友人は私よりも若い。ネット上のみの付き合いで一番仲のいい友人も私より若い。若さは得てして柔軟性に富んでいる。ネット上のみの付き合いで一番仲のいい友人は元々私と同じバンドのファンである。新たな友人も恐らく嵌る。両者共に男性である。やはり私は異性との会話の方が弾む。女の大半は莫迦だから嫌いだ。男女の話ではなく、若さの話である。私の好きなバンドはもう15年程活動し続けている。デビュー当時からのファンもいるが、私のような出戻りもいる。そして若年層にもライトなファンが増えつつあるようだ。もっともっと若年層のファンが増えて欲しい。さすれば年季の入った狂信者の影も翳んでくるというものだ。そのバンドはこれまでコアなファンに支えられてきた。少し語弊があるか。コアなファンしかいなかったに等しい。今迄はそれはそれで良しと思っていたが、今回のイタズラでライトなファンの必要性を私は強く感じた。サバスから購入した商品の中にファンの姿が垣間見える物がある。それが欲しくて購入したも同然なのだが、蓋を開けると恐怖に慄く物だった。メンバーたちはファンに対し、どんな感情を持っているのか本気で知りたくなってきた。訊いたところで教えてはくれまいが。時として不気味さを感じることもあることは想像に難くない。その物だけでなく私自身が他ファンを見て、また他ファンから他ファンの話を聞いて、私がメンバーなら解散を考えるくらい不気味な諸々を知った。狂気の沙汰である。バンドの世界観からして一般受けしないのは解っている。それにしてもここ迄狂気に満ちなくてもいいではないか。日本人の耳の疎さというものも同時に実感される。私の或る友人はこう評す。ギターは上手いが歌が嫌。彼女は自身もバンドを組んでいた経験がある。私よりも余程耳は肥えている。その彼女でもこうである。否定はしないが、肯定もできない。
今夜はライヴだ。先日チケットぴあで予約したチケットをコンビニで券にしてきた。発売開始から1時間半後に取れたチケット。一般入場番号1桁台前半であった。昨日、やっとFC入会の振込用紙が届いた。私の宛名は愛しの君の筆跡に限りなく近い。と思いたいのだがご本人なのだろう。やはりFCスタッフはいないという噂は本当らしい。金は要らん、手伝わせろ! と思うが怖くて言えない。怖いのは愛しの君ではない。メンバーを神格化した一部の狂信的ファンである。本気で怖い。近付かなければいいのだと思っていたのだが、そういうものではないらしい。被害妄想の可能性も3%くらいあるが、先日神格化した狂信的ファンの小心者に、とんでもない悪意に満ちたイタズラをされてしまったのだ。もしその小心者の正体が判ったらどうしてくれよう。打ち首獄門にしても私の腹は納まらないだろう。
ネットオークションにお宝詰め合わせセットが出品されていた。通常、私は即決価格設定をしていない出品者に対して即決価格を訊ねたりはしない。私も出品することがあるので、出品者の気持ちもある程度解るからだ。誰だって自分の物が10円で売れるよりは10000円で売れる方が嬉しかろう。しかしこの冷静さを一気に沸騰させてしまう程のお宝の数々。訊いた。答えが返ってきた。吹っかけられる覚悟での質問であり、また即決そのものを否定される覚悟もあった。なのにその出品者は善意の人であった。神認定。サバスだ。予想の1/6の価格を提示してきた。安っ! 放っておけば落札価格はその提示額の4倍には達したであろう。想定外の安値提示により交渉開始。交渉は成立し、現在そのお宝の数々は私の手元にある。しかしこれにより一部の人間に恨みを買ったようだ。そしてその中に悪意の小心者がいた。
出品者の即決額提示により、私以外にも即決の申し出が複数あったらしい。しかしサバスは神である。天国への階段を私の為に作ってくれた。天国への階段はサバスではないが。メール交渉もあったようだが、質問欄にその額で譲って欲しいと書いた者もいた。そのお願いへのサバスの回答は素晴らしく、完璧だった。あくまで私にとっては。最初の方の返事を待っているところなので。サバースッ!! 即決申し出をした人の中には倍額提示をした人もいたかもしれない。いや、いたに違いない。私ならそうする。しかしサバスは金に揺るぐ精神の持ち主ではなかったのだ。早い者勝ちの理論。外馬に乗り損ねた者に恨まれた。それが発覚したのは昨夜である。予兆はその数日前、交渉成立の翌日からあったのだが、私はそれを予兆だとは思っていなかった。甘かった。
知らない者から私のフリーメールアドレスにアクセスがあった。HNは違うが、あの知人だろうと勝手に予測していた。昨夜私がPC前にいたときに、その者もPC前にいたのでまずは訊いてみた。どちらさまですか? 全く知らない人だった。混乱。そのアドレスを知った経緯を訊き出す。某巨大掲示板某板某スレに貼られていたから登録してみたのだと言う。普段行かない板。知らないスレ。教えてもらったスレを見ると名無しが本文なしでメール欄に私のフリーメールアドレスを貼っていた。そのアドレスを知っている者は10人もいない。その中の誰かに嫌われたか? しかしここ迄の悪意を見せられるなら幾ら鈍い私とてその知人と接しているときに気付いただろう。思い当たらない。某巨大掲示板の該当板に出入りしているその者はネットに或る程度は精通していると見て、ひとつ質問をした。予想通りの答えが返ってきた。やはり手抜きや安直な発想に基づく行動はいけない。パスを変えていたのはせめてもの救いか。
その者は私が小心者の悪意に満ちたイタズラにより迷惑を被った被害者だと知り、アドレス登録を外そうかと申し出てきてくれた。そんなことは最早どうでもいい。苛々鬱々、更にそれに勝る立腹中の私は心当たりを語りつつ、その者に愚痴をこぼした。その者もよく聞いてくれた。サバスが結んだ縁とはなんと不思議なものだろう。断じて小心者が結んだ縁だとは思わない。いろいろと話すうちにその者と私の音楽の趣味が共通していることが判明した。オリコン糞喰らえ! スラッシュ万歳! 偶然の出会いでこうも意気投合していいものか。その者が私の好きなバンドに興味を持ったようなので音源などを幾つか送った。どっぷりと嵌ったようだ。またその者がくれた音源もなかなかに私好みであり、どちらさまですか? から始まった会話は延々4時間続き、大変に盛り上がった。互いがやや似た境遇にあることも意気投合の要因のひとつであろう。朝には歌、夜には恋。その者と恋に落ちることはまずないだろうが、朝には歌である。様々な意味でサバスに感謝する。悪意の小心者に告ぐ。悪意は私の友人を増やしてくれた。ウイルスはひとつもこなかった。エロサイトの宣伝メールは2通きた。宣伝メールは単純に鬱陶しさを感じたが、それよりも新たな友人ができたことの方が大きい。因みにそのスレは今夜には既にdatに逝っていた。
新たな友人は私よりも若い。ネット上のみの付き合いで一番仲のいい友人も私より若い。若さは得てして柔軟性に富んでいる。ネット上のみの付き合いで一番仲のいい友人は元々私と同じバンドのファンである。新たな友人も恐らく嵌る。両者共に男性である。やはり私は異性との会話の方が弾む。女の大半は莫迦だから嫌いだ。男女の話ではなく、若さの話である。私の好きなバンドはもう15年程活動し続けている。デビュー当時からのファンもいるが、私のような出戻りもいる。そして若年層にもライトなファンが増えつつあるようだ。もっともっと若年層のファンが増えて欲しい。さすれば年季の入った狂信者の影も翳んでくるというものだ。そのバンドはこれまでコアなファンに支えられてきた。少し語弊があるか。コアなファンしかいなかったに等しい。今迄はそれはそれで良しと思っていたが、今回のイタズラでライトなファンの必要性を私は強く感じた。サバスから購入した商品の中にファンの姿が垣間見える物がある。それが欲しくて購入したも同然なのだが、蓋を開けると恐怖に慄く物だった。メンバーたちはファンに対し、どんな感情を持っているのか本気で知りたくなってきた。訊いたところで教えてはくれまいが。時として不気味さを感じることもあることは想像に難くない。その物だけでなく私自身が他ファンを見て、また他ファンから他ファンの話を聞いて、私がメンバーなら解散を考えるくらい不気味な諸々を知った。狂気の沙汰である。バンドの世界観からして一般受けしないのは解っている。それにしてもここ迄狂気に満ちなくてもいいではないか。日本人の耳の疎さというものも同時に実感される。私の或る友人はこう評す。ギターは上手いが歌が嫌。彼女は自身もバンドを組んでいた経験がある。私よりも余程耳は肥えている。その彼女でもこうである。否定はしないが、肯定もできない。
祭り好き
2003年10月19日 メイク・ファッション・ピアス 先日、一番の仲良しと話していて、私らの読むファッション誌がないという話題になった。彼女と私のファッション傾向は違うが共に無いのだ。歳相応の雑誌をめくると箆棒に価格が高い物しか掲載されておらず、歳以下の雑誌をめくると若過ぎて似合わない物が多い。そもそも両誌共に趣味に合わない。私は強いて選んでmini・nonnoなのだ。もっと役立つ雑誌が存在すれば当然移行する。どこかかが発刊してくれないものか。いっそ自分でどこかに企画書を持ち込んで社会復帰の足掛かりにするかとも思った。が、やめた。服に限った話では無いが、人の趣味とは多種多様である。私が企画書を持ち込み運良く発刊に至ったところで、私と同傾向のファッションを好む同志がどれほどいるかの数字が読めない。彼女と私の間では、読むファッション誌がないということは共通認識としてあるが、きっと彼女は私が企画した雑誌は読まないであろう。趣味が違うからだ。こうなるとひとりに一誌と云う話になる。無理だ。なのでやめた。追記するならアナスイのレザースーツとタバサのワンピースとサマンサモスモスのブラウスを同列に扱いたいという雑誌に広告費を出す企業はまずなかろう。
女性にとってファッションと切り離せないのがメイクである。私の初メイクは実に乱暴で酷いものであった。中学時代の友人にメイクを教わらされてやってみたのを今も覚えている。スキンケアもしていない頃だった。中学生で貧乏だったのでチープセルフコスメ、メイベリンのリキッドファンデーションと口紅を買った。当時はその友人の知識に基づいてのみのメイクだったので、下地も何も付けずにファンデーションを塗りたくり紅を引いた。なかなかいいかも? と思った。今となっては美意識の欠片も無かった自分が恐ろしい。ファンデーションで能面のように立体感を無くし、口だけが激しくピンクの何がいいものか! 元来不精な私はそれ以来口紅だけを愛用していた。リキッドファンデは付けるのが面倒だったからだ。唇が荒れ易く紅を引く前に必ずリップクリームを付けていたのは偶然の産物であるが、今も唇への色素沈着は余り無い。高校生になり彼氏が出来てから自ら進んでコスメを購入した。PJラピスのリップとネイル、エルセリエのプレストパウダー等。スキンケアもするようになった。しかし知識無く自己流なので化粧水のみであり、乳液で蓋をする必然性など知る由もない。
19歳になり、就職活動の為にメイク用品一式をイプサで揃えた。化粧液の容器が化学室にある薬剤瓶のような形だったのを気に入ったからだ。メイク用品と同時にその化粧液も購入した。化粧液が1本で化粧水と乳液の役割をしてくれる手軽さやフェイスカラーがアイシャドウとチークを兼ねる便利さも気に入ったし、そのとき担当してくれたイプサのBAさん自身の顔も名前も覚えていないが、その親切さには今も感謝している。彼女が私を適当にあしらうBAなら今の私はない。彼女に正しいメイクを教わってからも転々とした職場がどこも男社会だったこともあり、メイク自体は余りしなかった。ホステスやM嬢をしていた時代も余りメイクはしなかった。濃い目の紅を引いてさえいれば男性はきちんとメイクしているかのように勘違いしてくれたからフルメイクの必然性を感じなかったのだ。男も莫迦だ。
今の私は自他共に認めるコスメオタクである。基礎物・メイク物何でもござれだ。フルメイクには2時間を要する。スキンケアもメイクも楽しい。その楽しさを教えてくれたのは某巨大掲示板の化粧板である。某巨大コスメクチコミサイトはその後に知った。クチコミサイトが先ならもしかしたらコスメが嫌いになっていた可能性もある。あちらでは何でもござれにはなれなかっただろう。餓鬼のポエムにげんなりしていたに違いない。先に某巨大掲示板を知ったことは本当にラッキーだった。何でもござれの知識の殆どは化粧板で得た。各アイテムの用途から必要性、各コスメブランドの特徴、ブランドの撤退や新生及び限定商品やコフレの情報、裏技的な物事等。そして大高姐さんの存在もブラシの選び方も自分がブルーベースであることも。ブルーベースだと判定してくれたのはカバーマークだが、そもそもカラーベースというものの存在を知らなかったのだ。カラーベースを知ったことでファッションもメイクも失敗アイテムの購入が確実に減っている。私のコスメ知識の9割8分は化粧板のお陰であり、残りの2分がVoce・美的と某クチコミサイトだ。
限定商品にときめく。これは衣類小物等のアンティーク物や一点物好きにも通じる。同じ物を多くの人間が使っているという現象が嫌なのだ。その反面、祭も好きでマジョリカマジョルカの赤ライナー祭に乗ったりもする。FSP各アイテムも然り。そんな限定や新色に煽られる莫迦の敵の二大巨頭がスティラとランコムだろう。毎月のように限定色や限定商品を出してくる。一時期、私はスティラに貢ぐ為に働いているのではないかと思っていた。けれど貢ぎたくてたまらなかった。うちのには散々莫迦にされた。一歩立ち止まった今は確かに莫迦だったことを素直に認められる。ファッションブランドとコスメブランドに変わりは無いのだと目が覚めた。ファッションブランドはシーズンごとに様々なアイテムを出してくる。翌年の同シーズンに同じ物を出してはこない。言ってしまえばファッション業界では、そのブランドの定番商品を除く全てが限定品なのだ。何故コスメブランドではそれが特化されてしまっているのだろうか。コスメの色物は季節に適した色はありつつも基本的には通年使える物だからだろう。以前、スティラの限定、カバナガールシリーズのバナナダイキリとストロベリーダイキリを購入した。そのバナナダイキリを使ったときに気付いた。スティラの限定品パッケージは基本的にとても可愛い。しかしカバナガールシリーズは三種のトライパンが出されたが、三種とも同じパッケージだった。可愛いには可愛いが使う際にストロベリーダイキリと間違えてしまう。そしてスティラのシャドウは質も色も悪くはないが特別良くもない。バナナダイキリはベージュからブラウンの三色のアイシャドウで成り立っている。探せば何処かのブランドに同じ色はありそうで、そちらの方が質も良いかもしれない。私は化粧直しの際にアイシャドウは弄らないのでトライパンを持ち歩くことはない。可愛いパッケージは自己満足である。しかし他色との区別がし難くては魅力は半減する。やっと理性を取り戻した。
イプサ・FSPのシンプルさ、アユーラの素朴さ、A&A・白鳳堂の機能性と安定感、ランコムのアダルトな雰囲気、アナスイのデコラティブな雰囲気が好きだ。スティラの可愛さも変わらず好きだ。しかしもう限定や新色に踊らされはしまい。既に私のメイクボックスに足りない物は無い。後は適度に楽しむだけである。この秋は上記赤ライナー、ランコムの限定リップ&チークスとやはり限定色のチーク、アナスイの新色リップジャーを買っただけだ。アナスイのリップジャーは5000円以上購入時の特典であるバニティポーチ目当てに、前々から欲しかったリップブラシ2本だけではポーチプレゼントへの価格に達しない為に購入した。まだ冷静さを取り戻し切ってはいないのかもしれない。が、楽しいから良いのだ。
BGM/アルバム「無罪モラトリアム」「加爾基 精液 栗ノ花」
女性にとってファッションと切り離せないのがメイクである。私の初メイクは実に乱暴で酷いものであった。中学時代の友人にメイクを教わらされてやってみたのを今も覚えている。スキンケアもしていない頃だった。中学生で貧乏だったのでチープセルフコスメ、メイベリンのリキッドファンデーションと口紅を買った。当時はその友人の知識に基づいてのみのメイクだったので、下地も何も付けずにファンデーションを塗りたくり紅を引いた。なかなかいいかも? と思った。今となっては美意識の欠片も無かった自分が恐ろしい。ファンデーションで能面のように立体感を無くし、口だけが激しくピンクの何がいいものか! 元来不精な私はそれ以来口紅だけを愛用していた。リキッドファンデは付けるのが面倒だったからだ。唇が荒れ易く紅を引く前に必ずリップクリームを付けていたのは偶然の産物であるが、今も唇への色素沈着は余り無い。高校生になり彼氏が出来てから自ら進んでコスメを購入した。PJラピスのリップとネイル、エルセリエのプレストパウダー等。スキンケアもするようになった。しかし知識無く自己流なので化粧水のみであり、乳液で蓋をする必然性など知る由もない。
19歳になり、就職活動の為にメイク用品一式をイプサで揃えた。化粧液の容器が化学室にある薬剤瓶のような形だったのを気に入ったからだ。メイク用品と同時にその化粧液も購入した。化粧液が1本で化粧水と乳液の役割をしてくれる手軽さやフェイスカラーがアイシャドウとチークを兼ねる便利さも気に入ったし、そのとき担当してくれたイプサのBAさん自身の顔も名前も覚えていないが、その親切さには今も感謝している。彼女が私を適当にあしらうBAなら今の私はない。彼女に正しいメイクを教わってからも転々とした職場がどこも男社会だったこともあり、メイク自体は余りしなかった。ホステスやM嬢をしていた時代も余りメイクはしなかった。濃い目の紅を引いてさえいれば男性はきちんとメイクしているかのように勘違いしてくれたからフルメイクの必然性を感じなかったのだ。男も莫迦だ。
今の私は自他共に認めるコスメオタクである。基礎物・メイク物何でもござれだ。フルメイクには2時間を要する。スキンケアもメイクも楽しい。その楽しさを教えてくれたのは某巨大掲示板の化粧板である。某巨大コスメクチコミサイトはその後に知った。クチコミサイトが先ならもしかしたらコスメが嫌いになっていた可能性もある。あちらでは何でもござれにはなれなかっただろう。餓鬼のポエムにげんなりしていたに違いない。先に某巨大掲示板を知ったことは本当にラッキーだった。何でもござれの知識の殆どは化粧板で得た。各アイテムの用途から必要性、各コスメブランドの特徴、ブランドの撤退や新生及び限定商品やコフレの情報、裏技的な物事等。そして大高姐さんの存在もブラシの選び方も自分がブルーベースであることも。ブルーベースだと判定してくれたのはカバーマークだが、そもそもカラーベースというものの存在を知らなかったのだ。カラーベースを知ったことでファッションもメイクも失敗アイテムの購入が確実に減っている。私のコスメ知識の9割8分は化粧板のお陰であり、残りの2分がVoce・美的と某クチコミサイトだ。
限定商品にときめく。これは衣類小物等のアンティーク物や一点物好きにも通じる。同じ物を多くの人間が使っているという現象が嫌なのだ。その反面、祭も好きでマジョリカマジョルカの赤ライナー祭に乗ったりもする。FSP各アイテムも然り。そんな限定や新色に煽られる莫迦の敵の二大巨頭がスティラとランコムだろう。毎月のように限定色や限定商品を出してくる。一時期、私はスティラに貢ぐ為に働いているのではないかと思っていた。けれど貢ぎたくてたまらなかった。うちのには散々莫迦にされた。一歩立ち止まった今は確かに莫迦だったことを素直に認められる。ファッションブランドとコスメブランドに変わりは無いのだと目が覚めた。ファッションブランドはシーズンごとに様々なアイテムを出してくる。翌年の同シーズンに同じ物を出してはこない。言ってしまえばファッション業界では、そのブランドの定番商品を除く全てが限定品なのだ。何故コスメブランドではそれが特化されてしまっているのだろうか。コスメの色物は季節に適した色はありつつも基本的には通年使える物だからだろう。以前、スティラの限定、カバナガールシリーズのバナナダイキリとストロベリーダイキリを購入した。そのバナナダイキリを使ったときに気付いた。スティラの限定品パッケージは基本的にとても可愛い。しかしカバナガールシリーズは三種のトライパンが出されたが、三種とも同じパッケージだった。可愛いには可愛いが使う際にストロベリーダイキリと間違えてしまう。そしてスティラのシャドウは質も色も悪くはないが特別良くもない。バナナダイキリはベージュからブラウンの三色のアイシャドウで成り立っている。探せば何処かのブランドに同じ色はありそうで、そちらの方が質も良いかもしれない。私は化粧直しの際にアイシャドウは弄らないのでトライパンを持ち歩くことはない。可愛いパッケージは自己満足である。しかし他色との区別がし難くては魅力は半減する。やっと理性を取り戻した。
イプサ・FSPのシンプルさ、アユーラの素朴さ、A&A・白鳳堂の機能性と安定感、ランコムのアダルトな雰囲気、アナスイのデコラティブな雰囲気が好きだ。スティラの可愛さも変わらず好きだ。しかしもう限定や新色に踊らされはしまい。既に私のメイクボックスに足りない物は無い。後は適度に楽しむだけである。この秋は上記赤ライナー、ランコムの限定リップ&チークスとやはり限定色のチーク、アナスイの新色リップジャーを買っただけだ。アナスイのリップジャーは5000円以上購入時の特典であるバニティポーチ目当てに、前々から欲しかったリップブラシ2本だけではポーチプレゼントへの価格に達しない為に購入した。まだ冷静さを取り戻し切ってはいないのかもしれない。が、楽しいから良いのだ。
BGM/アルバム「無罪モラトリアム」「加爾基 精液 栗ノ花」
お洋服はうれしい?
2003年10月18日 メイク・ファッション・ピアス 今年一番嬉しかったのは、一度だけ会ったことがあるうちのの友人が私のことを「可愛いだけではなく綺麗な彼女」と評してくれたことである。可愛く綺麗。最強! ではない。一度でかい猫を被って会っただけの相手なので私の本性を知らないのだ。私を熟知している人間は皆、私をこう評する。黙っていれば可愛いのにね。どうも口を開くと可愛くないらしい。うちのはその友人の言葉を聞き、もう二度と会わせまいと決意したようだ。私もその人には幻想の私のみを知っていて欲しい気もするので会わなくて良い。
私の母親は美人である。老いた今でも彼女の同世代の一般女性と比較すれば美人の部類に入るだろう。若かりし頃はモデルやイメージガールを勤めたこともあったらしい。今は亡き実の父親も石原裕次郎似のいい男だった。両親の写真を仲の良い友人に見せたとき、友人は写真に見入り、それから私へと視線を移して「可哀相に……」と述べた。それでも一応は十人並みよりもやや上に位置する程度の容姿は持っていると他者に認識はされている。しかしこれも成人してからの話である。十代の頃の私は酷かった。私ならあんなのに勃たないと断言できる。当時の彼氏たちは頭が沸いていたに違いない。中学生の頃が一番酷かった。容姿に気を配るのは莫迦のすることだと思い込み、お洒落やメイクには一切興味を持たず、本ばかりを相手にしていた。義務教育を終え、少しばかり色気づいてパーマをかけてみたりした。だが基本的には変わらなかった。様々な物事への知識欲の方が強く、容姿は二の次三の次。変わったのは彼氏が出来てからだ。好きな相手には可愛いと思われたいのが女心である。お洒落やメイクにやっと興味が湧いた。皆が通る道だとは思うが、最初は勘違いから始まる。
まず最初に私の気を惹いた服はピンクハウスだった。カネコイサオによって少女の狂気の象徴として表現されたフリルやピコレースを狂気だとは気付かず、単純に可愛いと思い身に纏いたくてたまらなかった。しかしそれは金銭的に叶わぬ夢であり、また叶わなかったことを今は良かったと思っている。有難う、価格設定の高いピンクハウス及びワンダフルワールド。その後、設立されてまだ間がなく、価格設定も今より低めだったパウダーに興味を持った。リアルな動物プリントが売りでチャイナテイストが薄かった頃だ。私がバイトをして自分の稼ぎで初めて買った服はパウダーの乳牛プリント長袖カットソーだった。10年は着たであろう。シチューを作っているときに大きなシミを作ってダメになり、やっと処分した。気に入った服は何年でも平気で着る。基本的に流行を追わないのである程度の年月は着用可能なのだ。それからシビラ・ホコモモラ・ツモリチサト・ズッカ・コムデギャルソン等を経てミルク・ヴィヴィアンウエストウッド・ヒステリックグラマー・オゾンコミュニティーに興味が移り、現在はスナオクワハラとなったi.s・コキュ・スカラー等に加えアンティーク物を好むに至る。またセレクトショップ物や一点物、インディーズ物も好きである。ピンクハウス同様、興味を持ったブランドの服全てに袖を通してはいない。特にヴィヴィアンなどは高価すぎてTシャツやツインニットが限界である。数年前、ヴィヴィアンでとても気に入ったコートがあったが20万を軽く超える価格でとてもではないが手が出せなかった。今でも欲しい。似合うかどうかは別である。
好きなものと似合うものは別だ。これに気付き、両者の折合いを付けられるようになる迄に人はどれ程の年月を要するのだろう。私は5年以上かかったように思う。私が好きな服や小物はクセのある物である。しかしどうもシンプルな物の方が似合うらしい。その折合いがアオザイ+デニムであり、シンプルなカットソー+バルーンスカートであり、シンプルな服上下+クセのあるアクセサリや小物だ。数ヶ月前、友人に会い、翌日メールを貰った。昨日の恰好、可愛かったよ。私の折合いは成功しているようだ。うちのに感謝している。うちのは褒めない人間だ。可愛いと言う代わりに普通と言い、変だと思った物はボロクソに貶しまくる。かなり鍛えられた。また服の扱い方を教わった。以前の私はデニムパンツを毎回穿くたびに洗濯していたのだが、一緒に暮らすようになりその行為を注意された。それではいつまで経ってもヒゲができないではないか、と。デニムパンツにヒゲで味を出すということを知らなかった私はひとつ賢くなった。そして服への扱いがぞんざいなことも注意をされた。私は部屋の埃が気にならないように、衣類の色褪せや変色等も余程酷くならない限りは気にならない人間であるが、うちのはこういったことに煩い。うちのの衣類も私が洗濯して畳んで片付けて……と管理するようになり煩く言われるようになった。白いシャツにはカバーをかけないと煙草の脂で変色する、たまにしか着ないスーツを出しっぱなしにしていると日で色褪せる等。ついでに私は服の皺も余り気にならない。大阪の杭道楽・京都の着道楽・神戸の履き道楽。私の母親は京都の出の着道楽であり、その血を継いだ私も着道楽である。徒に大量の衣類を保有している。母親と私の違いは収納の仕方だ。母親の収納は丁寧であるが、私の収納は最早収納とは呼ばれない。ただの詰め込みであるらしい。これと同様にうちのの服を詰め込んでいたら怒られた。母親とうちのは似ている点が多い。細かいことに煩い。皺が気になるようだ。なのでうちのの衣類は極力皺にならないように収納するようになり、私の衣類も以前よりはほんの少し皺が減った。私にとっては皺なんてどうでもいいことなのだが。
流行を取り入れるようになったのは最近である。我が道を行く服装に限界を感じたのだ。私の手持ちの服は悉くレイヤードスタイルに向いていなかった。レイヤードに興味を持った。散々莫迦にしていた所謂スカパンをしてみたくなったのがきっかけだ。私は貧乏性である。1000円しか違わない同柄同色の二種のシャツがあったとする。違いは長袖か半袖か。ならば長袖を買う。同じく同価格同形の二種の服が在ったとする。違いは柄物か無地か。ならば柄物を買う。その方が得な気がするからだ。従ってほんの少し前まで私のクローゼットは柄物ばかりであった。ダメである。上下で違う柄物を合わせるのはとても難易度が高いのだ。トップス同士・ボトムス同士も然り。なので手持ちの服を活かせそうなシンプルな物を敢えて購入するようになった。そして大きく変わったのは靴・帽子・ベルト等の服飾小物に拘るようになったことである。小物で流行を取り入れればいいことに気付いた。また服に小物をプラスすることでより洒落て見えることにも気付いた。ファッション誌の素人スナップ写真に真似したいと思う物は殆どないが、ヒントを得ることは多い。流行のヒントはmini、着回しのヒントはnonno。歳相応の雑誌でないことは承知だ。
明日に続く。タイトルは高橋直子著「お洋服はうれしい」より。
私の母親は美人である。老いた今でも彼女の同世代の一般女性と比較すれば美人の部類に入るだろう。若かりし頃はモデルやイメージガールを勤めたこともあったらしい。今は亡き実の父親も石原裕次郎似のいい男だった。両親の写真を仲の良い友人に見せたとき、友人は写真に見入り、それから私へと視線を移して「可哀相に……」と述べた。それでも一応は十人並みよりもやや上に位置する程度の容姿は持っていると他者に認識はされている。しかしこれも成人してからの話である。十代の頃の私は酷かった。私ならあんなのに勃たないと断言できる。当時の彼氏たちは頭が沸いていたに違いない。中学生の頃が一番酷かった。容姿に気を配るのは莫迦のすることだと思い込み、お洒落やメイクには一切興味を持たず、本ばかりを相手にしていた。義務教育を終え、少しばかり色気づいてパーマをかけてみたりした。だが基本的には変わらなかった。様々な物事への知識欲の方が強く、容姿は二の次三の次。変わったのは彼氏が出来てからだ。好きな相手には可愛いと思われたいのが女心である。お洒落やメイクにやっと興味が湧いた。皆が通る道だとは思うが、最初は勘違いから始まる。
まず最初に私の気を惹いた服はピンクハウスだった。カネコイサオによって少女の狂気の象徴として表現されたフリルやピコレースを狂気だとは気付かず、単純に可愛いと思い身に纏いたくてたまらなかった。しかしそれは金銭的に叶わぬ夢であり、また叶わなかったことを今は良かったと思っている。有難う、価格設定の高いピンクハウス及びワンダフルワールド。その後、設立されてまだ間がなく、価格設定も今より低めだったパウダーに興味を持った。リアルな動物プリントが売りでチャイナテイストが薄かった頃だ。私がバイトをして自分の稼ぎで初めて買った服はパウダーの乳牛プリント長袖カットソーだった。10年は着たであろう。シチューを作っているときに大きなシミを作ってダメになり、やっと処分した。気に入った服は何年でも平気で着る。基本的に流行を追わないのである程度の年月は着用可能なのだ。それからシビラ・ホコモモラ・ツモリチサト・ズッカ・コムデギャルソン等を経てミルク・ヴィヴィアンウエストウッド・ヒステリックグラマー・オゾンコミュニティーに興味が移り、現在はスナオクワハラとなったi.s・コキュ・スカラー等に加えアンティーク物を好むに至る。またセレクトショップ物や一点物、インディーズ物も好きである。ピンクハウス同様、興味を持ったブランドの服全てに袖を通してはいない。特にヴィヴィアンなどは高価すぎてTシャツやツインニットが限界である。数年前、ヴィヴィアンでとても気に入ったコートがあったが20万を軽く超える価格でとてもではないが手が出せなかった。今でも欲しい。似合うかどうかは別である。
好きなものと似合うものは別だ。これに気付き、両者の折合いを付けられるようになる迄に人はどれ程の年月を要するのだろう。私は5年以上かかったように思う。私が好きな服や小物はクセのある物である。しかしどうもシンプルな物の方が似合うらしい。その折合いがアオザイ+デニムであり、シンプルなカットソー+バルーンスカートであり、シンプルな服上下+クセのあるアクセサリや小物だ。数ヶ月前、友人に会い、翌日メールを貰った。昨日の恰好、可愛かったよ。私の折合いは成功しているようだ。うちのに感謝している。うちのは褒めない人間だ。可愛いと言う代わりに普通と言い、変だと思った物はボロクソに貶しまくる。かなり鍛えられた。また服の扱い方を教わった。以前の私はデニムパンツを毎回穿くたびに洗濯していたのだが、一緒に暮らすようになりその行為を注意された。それではいつまで経ってもヒゲができないではないか、と。デニムパンツにヒゲで味を出すということを知らなかった私はひとつ賢くなった。そして服への扱いがぞんざいなことも注意をされた。私は部屋の埃が気にならないように、衣類の色褪せや変色等も余程酷くならない限りは気にならない人間であるが、うちのはこういったことに煩い。うちのの衣類も私が洗濯して畳んで片付けて……と管理するようになり煩く言われるようになった。白いシャツにはカバーをかけないと煙草の脂で変色する、たまにしか着ないスーツを出しっぱなしにしていると日で色褪せる等。ついでに私は服の皺も余り気にならない。大阪の杭道楽・京都の着道楽・神戸の履き道楽。私の母親は京都の出の着道楽であり、その血を継いだ私も着道楽である。徒に大量の衣類を保有している。母親と私の違いは収納の仕方だ。母親の収納は丁寧であるが、私の収納は最早収納とは呼ばれない。ただの詰め込みであるらしい。これと同様にうちのの服を詰め込んでいたら怒られた。母親とうちのは似ている点が多い。細かいことに煩い。皺が気になるようだ。なのでうちのの衣類は極力皺にならないように収納するようになり、私の衣類も以前よりはほんの少し皺が減った。私にとっては皺なんてどうでもいいことなのだが。
流行を取り入れるようになったのは最近である。我が道を行く服装に限界を感じたのだ。私の手持ちの服は悉くレイヤードスタイルに向いていなかった。レイヤードに興味を持った。散々莫迦にしていた所謂スカパンをしてみたくなったのがきっかけだ。私は貧乏性である。1000円しか違わない同柄同色の二種のシャツがあったとする。違いは長袖か半袖か。ならば長袖を買う。同じく同価格同形の二種の服が在ったとする。違いは柄物か無地か。ならば柄物を買う。その方が得な気がするからだ。従ってほんの少し前まで私のクローゼットは柄物ばかりであった。ダメである。上下で違う柄物を合わせるのはとても難易度が高いのだ。トップス同士・ボトムス同士も然り。なので手持ちの服を活かせそうなシンプルな物を敢えて購入するようになった。そして大きく変わったのは靴・帽子・ベルト等の服飾小物に拘るようになったことである。小物で流行を取り入れればいいことに気付いた。また服に小物をプラスすることでより洒落て見えることにも気付いた。ファッション誌の素人スナップ写真に真似したいと思う物は殆どないが、ヒントを得ることは多い。流行のヒントはmini、着回しのヒントはnonno。歳相応の雑誌でないことは承知だ。
明日に続く。タイトルは高橋直子著「お洋服はうれしい」より。
自己申告必須及びフェイク禁止令
2003年10月17日 雑感・所感 女って莫迦ばかりだ……。同性だがそう思う。同性だからこそ思うことなのかもしれない。Aについて訊いているのにZの話をし始めたりする。私は話が飛んでも面白ければそれで良しという考えの持ち主ではあるが、大概に於いて、否、99.999999……%の確率でつまらない。つまらん奴は一生墓の中で黙っていろ! とは流石に言い過ぎなので、つまらん奴はせめて私の前に現れないで欲しい、と切に切に願ってやまない。目に見えなければいないも同然なので気にならない。だが現実とは惨いもので、つまらん奴に限って自分はユーモアのある人間だと思っていたりする。性質が悪い。更に自らが公序良俗の見本のような気持ちでいたり迄する。そしてこれらの勘違いを主張したがる。死んでしまえばいいのに、と本気で思う。昔からそう思い続けている。
今現在、私と親しい友人たちは皆長い付き合いである。一番長い付き合いの友人はもう10年以上の仲良しだ。彼女は大変に利口だ。他の友人たちも男女を問わず利口。学生ではなくなってから、友人たちと会ったり話したりする機会は格段に減っている。皆、違う道に歩みだすのだから仕方がない。社会に出てから同じ会社の同僚として知り合い親しくなった連中もいる。それでもどちらかが退社すればやはり話す機会は減る。けれど、数ヶ月ぶりで、数年ぶりで会っても友人らと過ごす時間は楽しく有意義である。面白い連中ばかりだから当然だ。莫迦と話す為に時間を割くのは無為なので自然と疎遠になる。きっと疎遠になった相手は私を莫迦だと思っているのだろう。莫迦の莫迦たる由縁である。先日書いた「莫迦が羨ましい」という話と矛盾しているように読めるかもしれない。でも矛盾は生じていない。
死ね! と本気で思っている莫迦の何が羨ましいか。莫迦は、死ね! と本気で思われていることに気付かない頭の持ち主なのだ。さぞかし楽だろうと思う。生きる上での気苦労が格段に少なかろう。だから羨ましい。無知の知。自らが無知だと気付かない人間はどこまで行っても無知のままだ。気付いた時点で無知から一歩進む。莫迦はこんなことは考えないらしい。考えずに自分は真っ当な人間だと漠然とした自信を持って生きている。自信を持つには何らかの根拠があるべきではないか。若ければ漠然とした、または勘違いも甚だしい自信が基となり真の自信へと繋がる何かを身に付けられる可能性がある。しかし或る程度年齢を重ねた上で漠然とした自信を持っている人間のなんと多いことか。そしてそれが同性である可能性の高いことといったらもう、自分の子宮を取り外して莫迦の耳にでも捻じ込んでやりたい程だ。男尊女卑の思想に基づき、女は莫迦だと言う男もいる。最も女に嫌われるタイプの一種かと思われる。しかし私は同意する。男尊はともかく、女卑に激しく同意する。女は卑しくいやらしい。遣ること為すこと言うこと書くこと、森羅万象に於いて男よりも劣っていると思う。私自身、男には敵わないと確信している。大きな括りで男女を比較しての話だ。両性共に莫迦は存在している。けれども比率として、莫迦な女>莫迦な男、という式が成り立つに違いない。こんなことを書く程に私は女に失望している。
悲しきかな、私には人を見る目が欠如している。他者を信用する迄の、利口だと認識する迄の時間軸が狂っている。周囲の利口な友人たちに比べ、私は他者を信用したり利口だと認識する迄のスパンが短過ぎるようだ。だからこのような落胆にしょっちゅう陥る。利口そうだと読んで近付き、嗚呼、莫迦だったのか……と思わされることが多々多々多々多々ある。莫迦は判別し易いように、額にでもきちんと、莫迦です。と書いておいてくれなければ私が誤解してしまうではないか。迷惑だ。利口な振りをする技術に長けた莫迦が多過ぎる。額に書くのが恥ずかしければ、初対面の時点で自己申告して欲しい。莫迦は莫迦なりに振舞ってくれればいいのに利口そうに見えるフェイクレザーに身を包む。フェイクは嫌いだ。革は本革。合皮は否定。同じ本革でも豚革より牛革、牛革より羊革。ファーならラビットよりミンクの方がいいに決まっている。世界的な環境だの何だのはどうでもいい。私に優しい世界になれば、私は嬉しい。莫迦は莫迦らしくすっこんでいろ。
利口かもしれないと思っていた知人が莫迦であることが発覚した。しかもここ最近連続で複数人の莫迦が芋蔓式に見つかった。落胆。しかし私は少しだけ寛解したようだ。フェイク利口を身に纏っていた莫迦を発見した場合の対処法が変わった。昔ならすぐさま縁切り。共通の知人たちにも縁切り宣言。これらが症状だという知識を得たので縁切り宣言はしていない。無視したり慇懃無礼に接したりしている。相手が私の思惑に気付かなくても構わない。今の私は莫迦を練習台に他者との距離感を測る訓練中なのだ。利口な人間からは別の形で得るものがあるが、莫迦から何かを得ようと思ったら練習台になってもらうくらいしかなかろう。莫迦と鋏は使いよう。莫迦は莫迦故に練習台にされていることにも気付かない。やはり莫迦はいい。中には莫迦が露呈したことで私とより仲良くなったと勘違いする莫迦もいるだろう。そういう莫迦は他の莫迦よりも一段高い練習台だ。莫迦として私の成長に役立って欲しい。諸事情に因り私は他者との距離感を測るのが下手である。幼少時から距離感を測る訓練をしてこなかったツケが大人になった今、きている。今の私が測れる距離感は恐らく5歳児のそれくらいではないだろうか。ここから一朝一夕で年齢相応迄成長するのは流石に無理だ。義務教育終了後相応のそれを身に付けるのが今の目標である。その程度に測れれば社会復帰も目前だ。何故なら莫迦には義務教育終了後相当のそれで対処できるであろうし、利口に対してはそもそも距離感を測る必要がない。
BGM/不本意だがうちのが聴きいていた何かのサントラが耳に入ってきていた。普段私が好んで聴いている音とは違うタイプの音だったものの嫌いではない。うちのが余りにも私の好みに外れたCDをかけ始めたら、私は大音量でスレイヤーを流して応戦する。うちのは私よりも耳が肥えていると一般的に言われる趣味の持ち主なのだ。明日は早起きして年末ライヴのチケットを取らなければならない。当然、私の好きな音を聴きに、想い人を観に行くのである。うちのも私も音楽好きではあるがきっと一生連れ添ったとしても一緒にライヴやイベントに行くことはないだろうと共通認識されている。それはそれで良し。
今現在、私と親しい友人たちは皆長い付き合いである。一番長い付き合いの友人はもう10年以上の仲良しだ。彼女は大変に利口だ。他の友人たちも男女を問わず利口。学生ではなくなってから、友人たちと会ったり話したりする機会は格段に減っている。皆、違う道に歩みだすのだから仕方がない。社会に出てから同じ会社の同僚として知り合い親しくなった連中もいる。それでもどちらかが退社すればやはり話す機会は減る。けれど、数ヶ月ぶりで、数年ぶりで会っても友人らと過ごす時間は楽しく有意義である。面白い連中ばかりだから当然だ。莫迦と話す為に時間を割くのは無為なので自然と疎遠になる。きっと疎遠になった相手は私を莫迦だと思っているのだろう。莫迦の莫迦たる由縁である。先日書いた「莫迦が羨ましい」という話と矛盾しているように読めるかもしれない。でも矛盾は生じていない。
死ね! と本気で思っている莫迦の何が羨ましいか。莫迦は、死ね! と本気で思われていることに気付かない頭の持ち主なのだ。さぞかし楽だろうと思う。生きる上での気苦労が格段に少なかろう。だから羨ましい。無知の知。自らが無知だと気付かない人間はどこまで行っても無知のままだ。気付いた時点で無知から一歩進む。莫迦はこんなことは考えないらしい。考えずに自分は真っ当な人間だと漠然とした自信を持って生きている。自信を持つには何らかの根拠があるべきではないか。若ければ漠然とした、または勘違いも甚だしい自信が基となり真の自信へと繋がる何かを身に付けられる可能性がある。しかし或る程度年齢を重ねた上で漠然とした自信を持っている人間のなんと多いことか。そしてそれが同性である可能性の高いことといったらもう、自分の子宮を取り外して莫迦の耳にでも捻じ込んでやりたい程だ。男尊女卑の思想に基づき、女は莫迦だと言う男もいる。最も女に嫌われるタイプの一種かと思われる。しかし私は同意する。男尊はともかく、女卑に激しく同意する。女は卑しくいやらしい。遣ること為すこと言うこと書くこと、森羅万象に於いて男よりも劣っていると思う。私自身、男には敵わないと確信している。大きな括りで男女を比較しての話だ。両性共に莫迦は存在している。けれども比率として、莫迦な女>莫迦な男、という式が成り立つに違いない。こんなことを書く程に私は女に失望している。
悲しきかな、私には人を見る目が欠如している。他者を信用する迄の、利口だと認識する迄の時間軸が狂っている。周囲の利口な友人たちに比べ、私は他者を信用したり利口だと認識する迄のスパンが短過ぎるようだ。だからこのような落胆にしょっちゅう陥る。利口そうだと読んで近付き、嗚呼、莫迦だったのか……と思わされることが多々多々多々多々ある。莫迦は判別し易いように、額にでもきちんと、莫迦です。と書いておいてくれなければ私が誤解してしまうではないか。迷惑だ。利口な振りをする技術に長けた莫迦が多過ぎる。額に書くのが恥ずかしければ、初対面の時点で自己申告して欲しい。莫迦は莫迦なりに振舞ってくれればいいのに利口そうに見えるフェイクレザーに身を包む。フェイクは嫌いだ。革は本革。合皮は否定。同じ本革でも豚革より牛革、牛革より羊革。ファーならラビットよりミンクの方がいいに決まっている。世界的な環境だの何だのはどうでもいい。私に優しい世界になれば、私は嬉しい。莫迦は莫迦らしくすっこんでいろ。
利口かもしれないと思っていた知人が莫迦であることが発覚した。しかもここ最近連続で複数人の莫迦が芋蔓式に見つかった。落胆。しかし私は少しだけ寛解したようだ。フェイク利口を身に纏っていた莫迦を発見した場合の対処法が変わった。昔ならすぐさま縁切り。共通の知人たちにも縁切り宣言。これらが症状だという知識を得たので縁切り宣言はしていない。無視したり慇懃無礼に接したりしている。相手が私の思惑に気付かなくても構わない。今の私は莫迦を練習台に他者との距離感を測る訓練中なのだ。利口な人間からは別の形で得るものがあるが、莫迦から何かを得ようと思ったら練習台になってもらうくらいしかなかろう。莫迦と鋏は使いよう。莫迦は莫迦故に練習台にされていることにも気付かない。やはり莫迦はいい。中には莫迦が露呈したことで私とより仲良くなったと勘違いする莫迦もいるだろう。そういう莫迦は他の莫迦よりも一段高い練習台だ。莫迦として私の成長に役立って欲しい。諸事情に因り私は他者との距離感を測るのが下手である。幼少時から距離感を測る訓練をしてこなかったツケが大人になった今、きている。今の私が測れる距離感は恐らく5歳児のそれくらいではないだろうか。ここから一朝一夕で年齢相応迄成長するのは流石に無理だ。義務教育終了後相応のそれを身に付けるのが今の目標である。その程度に測れれば社会復帰も目前だ。何故なら莫迦には義務教育終了後相当のそれで対処できるであろうし、利口に対してはそもそも距離感を測る必要がない。
BGM/不本意だがうちのが聴きいていた何かのサントラが耳に入ってきていた。普段私が好んで聴いている音とは違うタイプの音だったものの嫌いではない。うちのが余りにも私の好みに外れたCDをかけ始めたら、私は大音量でスレイヤーを流して応戦する。うちのは私よりも耳が肥えていると一般的に言われる趣味の持ち主なのだ。明日は早起きして年末ライヴのチケットを取らなければならない。当然、私の好きな音を聴きに、想い人を観に行くのである。うちのも私も音楽好きではあるがきっと一生連れ添ったとしても一緒にライヴやイベントに行くことはないだろうと共通認識されている。それはそれで良し。
硝子が入っていないかのように
2003年10月16日 雑感・所感 夕方、学生時代の友人から電話があり「今から仕事で黒猫の家の近くに行くのでお茶でもどう?」と誘われた。急に誘われると困惑する。よく電話やメールをする友人たちは私への当日誘いはしてはいけないことを知っているが、今日誘ってくれた友人とは暫くメール等していなかったのでその掟を知らなかったのだ。なのでばっちいまま会った。ばっちい帽子で更にばっちい頭を隠し、数日起きているときも寝ているときも着っぱなしのカットソーにブルゾンを羽織り、同様に寝るときも穿きっぱなしのジーンズ姿で。基本的に私はばっちい。眉や産毛や腋の処理はしているが、入浴は余りできない。入浴そのものは大好きだ。実家の風呂や銭湯だと2時間程かけてゆっくり入る。その後のスキンケアやボディケアも怠らない。しかし入浴に対するやる気そのものが今は沸かないし、そもそも昔から入浴の必然性を感じていなかった。不精なのも確かに原因のひとつだ。入浴しなくて死んだ人間はいない。掃除も然り。入浴も掃除も私にとっては他者への配慮なのである。ばっちい人間と遭遇する人は不快感を持つであろう、ばっちい部屋に招かれる人間も不快感を持つだろう。従って私にとって入浴及び掃除は人に不快感を与えない為の気配りに他ならない。因って日常の行為に入浴や掃除は含まれない。着替えないのも洗濯物を増やさない為だ。ここに書いた他者にうちのは含まれていない。うちのにとって入浴や掃除は自分の為のことらしい。自分が不快感を覚えない為にそれらをこなすそうだ。私は入浴しなくても掃除しなくても不快感を感じない。それがうちのには解せないとか。そしてうちのは私の中で他者として認識され、不快感を与えられないようにして欲しいらしい。善処したい気持ちはあるが諸事情により行動が伴わない。うちのはその諸事情を理解はできても納得はできないようだ。
昔から入浴の手順は変わらない。脱衣→メイククレンジング→洗顔→プレシャンプー→シャンプー→身体を二度洗う、または垢すり後に身体を一度洗う→泡を流す前に無駄毛処理→トリートメント→歯磨き→トリートメントを流す→足裏を専用洗浄剤で洗う→洗顔。浴室を出たらまず髪と身体の水気を取る→下着をつける。その後スキンケアに取り掛かる。精製水スプレーでカルキ流し→拭き取り化粧水→美白化粧水→保湿化粧水→美白美容液→化粧液→保湿パック。次にボディケア。全身にボディ用化粧水→ボディローション→肘・膝・踵・脛にボディバター。その後ヘアケア。ヘアミルクを頭皮に付かないように気をつけつつ髪に馴染ませる→ドライヤーで髪の根元を乾かす。最後にハンドケア。ネイルとその周辺及び手荒れの酷い場所にオリブ油を馴染ませる→ハンドクリームを擦り込む。時には入浴前にガスールパックや椿油パックをしたり、入浴後に美容液パックもする。面倒であるが、いざ入浴となるとこの全てをこなさなければならない。世間的にはこなさなくてもいいらしい。或る友人に「1回の手順を1/4にして毎日入浴すればいいのに」と言われたことがある。うちのも同様のことを言う。しかし私には「1/4にする」ということが何故かできないのだ。固執的完璧主義なのだろう。
今日会った友人は兼業主婦である。旦那との仲も良く仕事も順調。当然ばっちくみすぼらしい私と違って身綺麗でもあった。暫く連絡を取り合っていない間に入院したりなんだりという苦労もあったようだが、今は社会復帰できている。話題の中心はお互いの病気の話。彼女が私を見て発した第一声は「痩せた?」だった。確かに痩せた。少し前まで体重は減少する一方であり、最近になってやっと安定してきてはいるものの私的適正体重にはあと8kg足りない。昔は食事が大好きだった。付き合った男性の殆どに「黒猫の食べている姿は嬉しそうで美味しそうで、こっち迄嬉しくなる」と言われた。今は処方された漢方薬が合ったのか、どうにか一日に少量ではあるが二食は摂れるようになった。最早、食事ではなく食餌である。一番酷いときは食べ物を見ただけで喉に閉塞感を感じ吐き気を催した。痩せゆく私を見てうちのは心配してくれた。親に会ったときには泣かれてしまった。それくらい貧相な身体をしている。元々Eカップには程遠い貧乳の主だが、更に小さくなっている。痩せて良かったことはきつかったスカートがまた穿けるようになったことくらいか。主治医曰く、私の諸事情は幼児期からの親子関係に問題があるらしい。体重減少について相談した際に幼少時の食事の思い出について訊かれ、答えた。主治医は会ったこともない私の親を非常に嫌っている。私が話したエピソードでその嫌悪感を増したようだ。私だけでなく友人も以前より痩せていた。人は病むと痩せる傾向がある。心か身体かは別としての話だ。
友人を駅の改札まで見送ってから帰宅した。会っている間は彼女に対し羨望の気持ちでいっぱいだった。仲良しの友人の日々が充実しているのは喜ばしかったが、卑しい私には羨ましさの方が強かった。そして帰宅の道中から今、私は自分への失望に満ちている。ベタな言い方だが、彼女は輝いて見えたのだ。それに引き換え私はくすんでいる。瞳も肌も心も。社会と接することは大切なのだ。私のように家で朦朧としていてはいけないのだ。ライヴ会場で他の観客に「かわいい」と褒められたことがある。嬉しかった。しかしそれは偽装した私だ。真の私はくすんでいる。曇った窓硝子は丁寧に磨けばまるで硝子が入っていないかのように透明になる。磨かなければ埃が付着して曇りゆくだけだ。窓硝子の埃は気にならないが、自分が曇っているのは嫌だと時々思う。今日友人に会い、その時々の一時を迎えた。磨かねば。明日早くに入浴しよう。先週は通院をさぼったので明日こそは行かなければ貯薬が切れる。
BGM/「記録シリーズ(金沢・松山・水戸)」及び同「(東京・大阪)」
昔から入浴の手順は変わらない。脱衣→メイククレンジング→洗顔→プレシャンプー→シャンプー→身体を二度洗う、または垢すり後に身体を一度洗う→泡を流す前に無駄毛処理→トリートメント→歯磨き→トリートメントを流す→足裏を専用洗浄剤で洗う→洗顔。浴室を出たらまず髪と身体の水気を取る→下着をつける。その後スキンケアに取り掛かる。精製水スプレーでカルキ流し→拭き取り化粧水→美白化粧水→保湿化粧水→美白美容液→化粧液→保湿パック。次にボディケア。全身にボディ用化粧水→ボディローション→肘・膝・踵・脛にボディバター。その後ヘアケア。ヘアミルクを頭皮に付かないように気をつけつつ髪に馴染ませる→ドライヤーで髪の根元を乾かす。最後にハンドケア。ネイルとその周辺及び手荒れの酷い場所にオリブ油を馴染ませる→ハンドクリームを擦り込む。時には入浴前にガスールパックや椿油パックをしたり、入浴後に美容液パックもする。面倒であるが、いざ入浴となるとこの全てをこなさなければならない。世間的にはこなさなくてもいいらしい。或る友人に「1回の手順を1/4にして毎日入浴すればいいのに」と言われたことがある。うちのも同様のことを言う。しかし私には「1/4にする」ということが何故かできないのだ。固執的完璧主義なのだろう。
今日会った友人は兼業主婦である。旦那との仲も良く仕事も順調。当然ばっちくみすぼらしい私と違って身綺麗でもあった。暫く連絡を取り合っていない間に入院したりなんだりという苦労もあったようだが、今は社会復帰できている。話題の中心はお互いの病気の話。彼女が私を見て発した第一声は「痩せた?」だった。確かに痩せた。少し前まで体重は減少する一方であり、最近になってやっと安定してきてはいるものの私的適正体重にはあと8kg足りない。昔は食事が大好きだった。付き合った男性の殆どに「黒猫の食べている姿は嬉しそうで美味しそうで、こっち迄嬉しくなる」と言われた。今は処方された漢方薬が合ったのか、どうにか一日に少量ではあるが二食は摂れるようになった。最早、食事ではなく食餌である。一番酷いときは食べ物を見ただけで喉に閉塞感を感じ吐き気を催した。痩せゆく私を見てうちのは心配してくれた。親に会ったときには泣かれてしまった。それくらい貧相な身体をしている。元々Eカップには程遠い貧乳の主だが、更に小さくなっている。痩せて良かったことはきつかったスカートがまた穿けるようになったことくらいか。主治医曰く、私の諸事情は幼児期からの親子関係に問題があるらしい。体重減少について相談した際に幼少時の食事の思い出について訊かれ、答えた。主治医は会ったこともない私の親を非常に嫌っている。私が話したエピソードでその嫌悪感を増したようだ。私だけでなく友人も以前より痩せていた。人は病むと痩せる傾向がある。心か身体かは別としての話だ。
友人を駅の改札まで見送ってから帰宅した。会っている間は彼女に対し羨望の気持ちでいっぱいだった。仲良しの友人の日々が充実しているのは喜ばしかったが、卑しい私には羨ましさの方が強かった。そして帰宅の道中から今、私は自分への失望に満ちている。ベタな言い方だが、彼女は輝いて見えたのだ。それに引き換え私はくすんでいる。瞳も肌も心も。社会と接することは大切なのだ。私のように家で朦朧としていてはいけないのだ。ライヴ会場で他の観客に「かわいい」と褒められたことがある。嬉しかった。しかしそれは偽装した私だ。真の私はくすんでいる。曇った窓硝子は丁寧に磨けばまるで硝子が入っていないかのように透明になる。磨かなければ埃が付着して曇りゆくだけだ。窓硝子の埃は気にならないが、自分が曇っているのは嫌だと時々思う。今日友人に会い、その時々の一時を迎えた。磨かねば。明日早くに入浴しよう。先週は通院をさぼったので明日こそは行かなければ貯薬が切れる。
BGM/「記録シリーズ(金沢・松山・水戸)」及び同「(東京・大阪)」
チャイルディッシュとセクシャリティ 後編
2003年10月15日 本・映画・音楽など 少し前に観た深夜番組に「小倉優子ファン」が数人出ていた。彼らは彼女と一発……等とは思わず、結婚したい……等とも思わず「友達になりたい」と言っていた。その気持ちは解る。芸能人であれ身近な相手であれ、好みの異性がいればお近づきになりたいものだ。しかし中にはそんな謙虚な皮を被った尊大な夢は描かず単純に、ゆうこりんと一発! と冗談半分に思っているファンも多いことは想像に難くない。きっと 一発! と思っている者も仲間内でしかそんな話はすまい。その場に小倉優子を神聖化しているファンがいることが判明していればそんな直接的な話題は避ける筈だ。神聖化が良いことかどうかは別として、避けられなければ大人として少し問題あり。TPOである。けれどその場が皆冗談半分で一発云々と盛り上がれる連中のみだったら? 全てを語るは野暮である。
ところで、フライングVやツーネック等の特殊モデルを除く一般的なギター及びベースの形は何を模しているか。それを知れば男性ミュージシャンに発情する女性ファンの多さも納得出来るだろう。ミュージシャンを神聖化したり猫の脱ぎ方を知らなかったり野暮な猫しか飼っていなかったりするのでなければ。様々なコードを矢継ぎ早に押さえる左手とピックで素手で弦を弾く右手。それを見て連想するコト……。他人様のそういう連想すら許容範囲外なチャイルディッシュな人はもう置き去って、上記の連想はむしろ自然なことと言えまいか。もっと言えばセクシャリティを感じさせないミュージシャンは駄目ではないか。楽器をきちんと扱えていないということに繋がるのではないか。演奏姿にセクシャルなものを感じさせるプレイヤーであることは、いいミュージシャンの条件のひとつだと私は思っている。以前、と或る雑誌で取ったアンケートを見せてもらったことがある。女性が男性を見てセクシャルなものを感じるパーツはどこか、という物だ。指・手という回答が多かった。女性には着衣の状態でも乳房や臀部等の記号として解り易い性的パーツがあるが、男性には無い。しかしながら指・手にセクシャルなものを感じる女性が多いらしい。私もそのひとりだ。楽器に限った話ではなく、煙草を燻らせる指や運転時にハンドル操作をする手にもセクシャリティを感じる。手指そのものについて述べるならば、筋張った手に細長い指、そしてその先に乗った短く切り揃えられた爪が好みだ。多少見栄えの悪い太目の指の方が実は器用な人が多く、或る面での実用性に於いては有効なのは承知だが形の好みとして。今、私が密かに恋心を抱いている人の手指は理想形と言える程に好みである。あの手で、あの指で触られたいと思う。自然な発想だろう。握手をしてもらったこと、また手を繋いでもらったことがある。あの少しひんやりとした感触は忘れられない。忘れたくない。その握手・手繋ぎ以来、自傷行為が格段に減った。自分の手が宝物のひとつになったからだ。また握手なり手繋ぎなりしてもらうべくハンドケアも以前よりマメにするようになった。ネイルケアにキューティクルオイルは不要。日本薬局方のオリブ油で事足りる。そしてハンドクリームはザーネからメディカルケアへ移行。ザーネは馴染みが早いのが利点だが、持ちが悪く何度も付け直さなければならない。メディカルケアは寝る前に塗って一晩経てば一日持つ。オススメ。
「ミーアンドジェーン・ドゥウ」という漫画がある。中山乃梨子にしてはご都合主義なオチの短編だ。内容を要約すると、売れているバンドのファンの女性が自分の好きなギタリストを拉致して飼って紆余曲折の末に両想い。記号的少女漫画の世界の話。現実に実行したら犯罪。しかし夢を見せてもらった。私が今、恋心を抱いている相手はギタリストだからだ。長く活動をしているのにお世辞にも売れているとは言えないが。そもそも今現在、本人たちに売れたいという思いがあるのかどうかすら疑問。ファンとしてはメンバーがバイトをしなくてもいい程度には売れて欲しいような、そうなるとライヴチケットが取り難くなるから売れないままでいて欲しいような何とも複雑な気持ち。
無論のことだが、そのギタリストの姿形だけが好きな訳では無い。作られる多彩な楽曲・安定感が在りつつも挑発的なプレイ・音程が常に危うい唄、それらも当然全て込み込みで好き。先日、その人についての裏話を少しだけ聞き齧った。かなりショックな話であり涙腺が固くなっているにも拘らず泪が出そうなほどにキツイ話だった。そのときまで自分では只のミーハー気分のつもりだった。当初のだめが千秋の王子キャラをからかっていたに近い気持ちでいたつもりだったのだ。しかしどうやら違ったらしい。のだめにとっては千秋との連弾が引き金だが、そんな引き金なかったのにその人は私の心を侵食してきていたようだ。侵食されればされるほどに切なくなる及び癒される。恋心とは実に不思議なものである。
やっと日付が追いついた。ここまでの日記は全て15日に記された物である。
BGM/アルバム「修羅囃子」「無限の住人」等
ところで、フライングVやツーネック等の特殊モデルを除く一般的なギター及びベースの形は何を模しているか。それを知れば男性ミュージシャンに発情する女性ファンの多さも納得出来るだろう。ミュージシャンを神聖化したり猫の脱ぎ方を知らなかったり野暮な猫しか飼っていなかったりするのでなければ。様々なコードを矢継ぎ早に押さえる左手とピックで素手で弦を弾く右手。それを見て連想するコト……。他人様のそういう連想すら許容範囲外なチャイルディッシュな人はもう置き去って、上記の連想はむしろ自然なことと言えまいか。もっと言えばセクシャリティを感じさせないミュージシャンは駄目ではないか。楽器をきちんと扱えていないということに繋がるのではないか。演奏姿にセクシャルなものを感じさせるプレイヤーであることは、いいミュージシャンの条件のひとつだと私は思っている。以前、と或る雑誌で取ったアンケートを見せてもらったことがある。女性が男性を見てセクシャルなものを感じるパーツはどこか、という物だ。指・手という回答が多かった。女性には着衣の状態でも乳房や臀部等の記号として解り易い性的パーツがあるが、男性には無い。しかしながら指・手にセクシャルなものを感じる女性が多いらしい。私もそのひとりだ。楽器に限った話ではなく、煙草を燻らせる指や運転時にハンドル操作をする手にもセクシャリティを感じる。手指そのものについて述べるならば、筋張った手に細長い指、そしてその先に乗った短く切り揃えられた爪が好みだ。多少見栄えの悪い太目の指の方が実は器用な人が多く、或る面での実用性に於いては有効なのは承知だが形の好みとして。今、私が密かに恋心を抱いている人の手指は理想形と言える程に好みである。あの手で、あの指で触られたいと思う。自然な発想だろう。握手をしてもらったこと、また手を繋いでもらったことがある。あの少しひんやりとした感触は忘れられない。忘れたくない。その握手・手繋ぎ以来、自傷行為が格段に減った。自分の手が宝物のひとつになったからだ。また握手なり手繋ぎなりしてもらうべくハンドケアも以前よりマメにするようになった。ネイルケアにキューティクルオイルは不要。日本薬局方のオリブ油で事足りる。そしてハンドクリームはザーネからメディカルケアへ移行。ザーネは馴染みが早いのが利点だが、持ちが悪く何度も付け直さなければならない。メディカルケアは寝る前に塗って一晩経てば一日持つ。オススメ。
「ミーアンドジェーン・ドゥウ」という漫画がある。中山乃梨子にしてはご都合主義なオチの短編だ。内容を要約すると、売れているバンドのファンの女性が自分の好きなギタリストを拉致して飼って紆余曲折の末に両想い。記号的少女漫画の世界の話。現実に実行したら犯罪。しかし夢を見せてもらった。私が今、恋心を抱いている相手はギタリストだからだ。長く活動をしているのにお世辞にも売れているとは言えないが。そもそも今現在、本人たちに売れたいという思いがあるのかどうかすら疑問。ファンとしてはメンバーがバイトをしなくてもいい程度には売れて欲しいような、そうなるとライヴチケットが取り難くなるから売れないままでいて欲しいような何とも複雑な気持ち。
無論のことだが、そのギタリストの姿形だけが好きな訳では無い。作られる多彩な楽曲・安定感が在りつつも挑発的なプレイ・音程が常に危うい唄、それらも当然全て込み込みで好き。先日、その人についての裏話を少しだけ聞き齧った。かなりショックな話であり涙腺が固くなっているにも拘らず泪が出そうなほどにキツイ話だった。そのときまで自分では只のミーハー気分のつもりだった。当初のだめが千秋の王子キャラをからかっていたに近い気持ちでいたつもりだったのだ。しかしどうやら違ったらしい。のだめにとっては千秋との連弾が引き金だが、そんな引き金なかったのにその人は私の心を侵食してきていたようだ。侵食されればされるほどに切なくなる及び癒される。恋心とは実に不思議なものである。
やっと日付が追いついた。ここまでの日記は全て15日に記された物である。
BGM/アルバム「修羅囃子」「無限の住人」等
チャイルディッシュとセクシャリティ 前編
2003年10月14日 雑感・所感 世の中には呆れることが多々ある。某巨大掲示板某板某スレでの大の大人の罵り合う姿、某クチコミサイトでリアル中坊と同化してはしゃぐ大人の姿。しかしこれらは私に実害はないので許容範囲。実害があったら腹が立つ。実害とは何か。野暮な人間の私への物言いである。私が定義する野暮な人間とは、そこ等に落ちている常識らしきものというという半透明の旗を、さも自作した丈夫な帆布の旗のように振りかざして正論らしきものを小声で言う大人である。チャイルディシュ。大人ならば世間で曖昧に定義されているように錯覚されている常識や正論は知っていて当然であり、そのギリギリの線上で遊ぶのが楽しいのではないか。そういった遊び方を知らないだけならいい。ただ遊んでいる人間に文句を言うな。私の前にそんな野暮は現れない。小声だから私には届かないのだ。小声というのがまたいやらしさを醸し出している。嫌悪の対象だ。小声で正論らしきものを振りかざす。小声で言いつける。余りにも弱気。余りにも安直。余りにもチャイルディシュ。
B子ちゃんたちが職員室に行き担任教師に言いました「先生。Aくんたちが校庭いっぱいを使ってボールで遊んでいたので私たちは遊べませんでした。校舎の陰から見て遊ぶのを諦めました。Aくんたちはいけないと思います」。義務教育課程の現場ではよくあることだろうし、またアリだと思う。しかし大人になったらナシだ。阿呆か。B子たちの非を挙げてみる。まず1点。その場でAたちに「私たちもここで遊びたいんだけど」と交渉しなかったこと。次。その学校の生徒であれば校庭を使う権利はあるのだから、Aたちが遊んでいようと端から遊び始めて次第にB子らが遊ぶ範囲を広げていけたこと。もうひとつ。後になって担任教師にこそこそと出来事を告げたところで、そのときそこで遊べなかったことには変わりないので意味がないということ。最後。Aたちがボール遊びをしているためボールが飛んできたら嫌だと思うなら、中庭や屋上で遊ぶという手段を考えられたこと。私が担任教師なら以上のことをB子たちに教える。しかし教師によってはB子たちから名前が出てきたAのみを呼び出し「或る子たちから聞いたんだが、校庭いっぱいを使ってボール遊びをするのは良くない。他の遊びたい子たちのことも考えなさい」と説教をするのだろう……。Aたちの非が私には思いつかない。「私たちもここで遊びたいから場所を空けて」「ボール遊びは飛んでくると危ないから他の遊びにして」とB子たちがAに交渉していたと仮定する。そしてAたちがそれを断った、または無視した。そうなるとAたちにも非はある。校庭は皆の物だから占拠する権利はない。上の例え話を大人の言葉に置き換える。自分たちの権利を堂々とは主張せず且つ他の選択肢の模索もせず、後になって他者への依存で解決を求める人間がいるということだ。そして依存された他者もまた他者に解決を求める悪循環。
私や私の友人が好むギリギリの線上での遊び方の一例。
友人1「彼氏が〜〜で困っちゃってさあ」
私「そんなの△△じゃない?」
友人2「そうだよ。大体1は彼氏と週に何回?」
1「△△かあ。週に一度かな?」
私「足りてる?」
1「内容が濃いから足りてるよ」
私「どんなことすんの?」
2「でかい?かたい?」
1「×××とかねー。大きさは…普通?って違うよ! 私は〜〜で困ってるんだってば!」
2「だからそれは△△!終了!×××までするのかあ。ふうん」
私「1がどのくらいのを普通と思っているのかが問題だ」
1「えー?(手で示しつつ)これくらい?」
2「大きさよりも硬さだろう!」
こんな会話を居酒屋でする。誰かの家でするのは楽しくない。公の場であり他の客や店員も存在する居酒屋でやや大きめの声でこんな脈絡があるようでない会話。身振り手振りをつけてなら尚楽しい。これが通夜の席なら遊びにはならない。顰蹙モノなんて言葉では済まされないだろう。或る芸人が自分の父親の通夜の席で酔って「二人羽織り〜」と寝かされている故人を操りだし、参列していた他の芸人たちに大ウケしたという話を聞いたことがある。これは芸人だからアリなのだ。一般人である私にはナシだ。こんな芸人に私はなりた……ではなく、TPOの話である。通夜の席で上記の会話はナシだ。しかし居酒屋ではアリ。酔って騒いで良い場だからである。ここでもし隣席の客たちが「お前ら、こんなところでそんな話をするなよ!」といちゃもんを付けてきたら、その客たちこそ野暮だと私は思う。聞こえよがしに「凄い会話してるねぇ〜」なんて言うのは更に野暮だ。私はシモネタを本気で嫌っている人間に出会ったことがない。上記友人1も2も私も皆、世間的にはシモネタってなんですのん? という猫を被って生活している。川原泉の名作、笑う大天使の柚子・史緒・和音並みにでかい猫を背負っている。当然である。ところが被る必要がない相手・場所だと判断されれば背負われた猫は自ら降りてゆく。基本的に猫は粋である筈だ。
B子ちゃんたちが職員室に行き担任教師に言いました「先生。Aくんたちが校庭いっぱいを使ってボールで遊んでいたので私たちは遊べませんでした。校舎の陰から見て遊ぶのを諦めました。Aくんたちはいけないと思います」。義務教育課程の現場ではよくあることだろうし、またアリだと思う。しかし大人になったらナシだ。阿呆か。B子たちの非を挙げてみる。まず1点。その場でAたちに「私たちもここで遊びたいんだけど」と交渉しなかったこと。次。その学校の生徒であれば校庭を使う権利はあるのだから、Aたちが遊んでいようと端から遊び始めて次第にB子らが遊ぶ範囲を広げていけたこと。もうひとつ。後になって担任教師にこそこそと出来事を告げたところで、そのときそこで遊べなかったことには変わりないので意味がないということ。最後。Aたちがボール遊びをしているためボールが飛んできたら嫌だと思うなら、中庭や屋上で遊ぶという手段を考えられたこと。私が担任教師なら以上のことをB子たちに教える。しかし教師によってはB子たちから名前が出てきたAのみを呼び出し「或る子たちから聞いたんだが、校庭いっぱいを使ってボール遊びをするのは良くない。他の遊びたい子たちのことも考えなさい」と説教をするのだろう……。Aたちの非が私には思いつかない。「私たちもここで遊びたいから場所を空けて」「ボール遊びは飛んでくると危ないから他の遊びにして」とB子たちがAに交渉していたと仮定する。そしてAたちがそれを断った、または無視した。そうなるとAたちにも非はある。校庭は皆の物だから占拠する権利はない。上の例え話を大人の言葉に置き換える。自分たちの権利を堂々とは主張せず且つ他の選択肢の模索もせず、後になって他者への依存で解決を求める人間がいるということだ。そして依存された他者もまた他者に解決を求める悪循環。
私や私の友人が好むギリギリの線上での遊び方の一例。
友人1「彼氏が〜〜で困っちゃってさあ」
私「そんなの△△じゃない?」
友人2「そうだよ。大体1は彼氏と週に何回?」
1「△△かあ。週に一度かな?」
私「足りてる?」
1「内容が濃いから足りてるよ」
私「どんなことすんの?」
2「でかい?かたい?」
1「×××とかねー。大きさは…普通?って違うよ! 私は〜〜で困ってるんだってば!」
2「だからそれは△△!終了!×××までするのかあ。ふうん」
私「1がどのくらいのを普通と思っているのかが問題だ」
1「えー?(手で示しつつ)これくらい?」
2「大きさよりも硬さだろう!」
こんな会話を居酒屋でする。誰かの家でするのは楽しくない。公の場であり他の客や店員も存在する居酒屋でやや大きめの声でこんな脈絡があるようでない会話。身振り手振りをつけてなら尚楽しい。これが通夜の席なら遊びにはならない。顰蹙モノなんて言葉では済まされないだろう。或る芸人が自分の父親の通夜の席で酔って「二人羽織り〜」と寝かされている故人を操りだし、参列していた他の芸人たちに大ウケしたという話を聞いたことがある。これは芸人だからアリなのだ。一般人である私にはナシだ。こんな芸人に私はなりた……ではなく、TPOの話である。通夜の席で上記の会話はナシだ。しかし居酒屋ではアリ。酔って騒いで良い場だからである。ここでもし隣席の客たちが「お前ら、こんなところでそんな話をするなよ!」といちゃもんを付けてきたら、その客たちこそ野暮だと私は思う。聞こえよがしに「凄い会話してるねぇ〜」なんて言うのは更に野暮だ。私はシモネタを本気で嫌っている人間に出会ったことがない。上記友人1も2も私も皆、世間的にはシモネタってなんですのん? という猫を被って生活している。川原泉の名作、笑う大天使の柚子・史緒・和音並みにでかい猫を背負っている。当然である。ところが被る必要がない相手・場所だと判断されれば背負われた猫は自ら降りてゆく。基本的に猫は粋である筈だ。
何の記念日でもあるまいに
2003年10月13日 雑感・所感 実はこれを書いている今は10月15日である。どうも一日に一回しか日記を書けないようなので書きたいことがたくさんあるときや文字数制限をオーバーしてしまったときは遡った、または先の日付で書くしかないらしい。
日記というのは正月とか誕生日とか所謂区切りとなる日からつけ始めるのが本来の姿だと、私は決め付けている。しかし今日は私にとって何の記念日でもない。でも何となく今日から。本当に便利な言葉だと思う。何となく。日記のタイトルもHNもプロフィールも何となくこれにした。いや、何となくではなくれっきとした由来はあるのだけれど、解る人だけ解ればいいので何となくとしておく。何故何となく今日から日記をつけ始めたのか。答えは、思い立ったからである。吉日。私は諸事情により日々これといって何もできず朦朧と暮らしいてる。この朦朧とした日々が始まり既に半年以上経つ。いかんのではなかろうか。朦朧としていては人間は莫迦になる。莫迦はいい。楽だ。後日書くが本当に莫迦はいい。羨ましさすら覚えるほどに。しかし莫迦の尻拭いや莫迦の所為で自分が不愉快な思いをするのは御免被りたい。そういったことに気を揉むのは面倒だし厄介だし苛々するし鬱々としてくる。そんな気分を晴らすには泣くのが一番手っ取り早い。泪には心の荒んだ部分を洗い流す浄化作用がある。けれど今の私は泣けない。パキの副作用により感情の起伏が平坦になっているため、涙腺が固くなってきている。ならばどこでその苛々や鬱々を晴らせば良いのか。これ迄は友人たちにメールをしたり電話をしたりして晴らしてきた。いけない。そうそう付き合わせてもいられない。中島みゆき。そこで思いついたのが日記である。
私は日記と相性が悪い。小学生時代の夏休みに強制的に課される絵日記も最後の一日で全日分描いた。天気は二学期になってからクラスメイトに写させて貰った。有難う、そのときのクラスメイト。もう名前も覚えていないけれど。そして人生に於いて過去に何度も区切りの日から日記をつけ始めたことがある。何度もということは毎度続かなかったからに他ならない。続かなければまたつけ直すしかないので何度もなのだ。ここ数年はそんな無駄な挑戦はしなくなっていたのだが、今回は続けたいと思う。毎度思うことだけれど。まあ、続いたらいいなあくらいの気持ちで。このような一念発起に至った理由は、朦朧とした日々にメリハリを付けたくなったからだ。数ヶ月前からライヴというものに出向くようになった。きっかけは行動療法の実行とメリハリの欲求である。昔はライヴに行く人間の気持ちが全く以って解せなかった。何度も聴けるCDを買えてしまう金額以上をたかが数時間の為に何故払えるのかが解らなかった。今は解る。CDと生音は明らかに違う。生音は身体全体に響くのが快感である。初ライヴを経験した日には、今迄の人生に於いて損をしていた気すらした。それくらい、今はライヴが好きである。しかし当然ながら私の好きなバンドが毎日ライヴをしてくれる訳はない。ライヴのない日々は相変わらず朦朧と日々を過ごす。飽きてきた。なので一日に一度、必ずやらなければならないことというものを自分に課してみようと思った。どうせ課すなら掃除や洗濯にしろという意見は却下である。浄化作用を伴わないので。文章を書く行為にも泪を流すのと同様に浄化作用があると思う。認知療法の基本もまずは書くことからだ。ここで認知療法をする訳ではないが。また私は以前は文筆業を営んでいた。今はその世界から遠ざかり、文章力は落ちる一方である。特に長文。文章を書いて生活していた頃は日記をつけるのは無駄だと思っていた。日記を書いてもギャラが発生しないからだ。当時の私の文章にはギャラが発生するだけの力があった。今はもうない。なので文章の勘を取り戻す作業も兼ねている。今も稀に仕事を請けることがあるが、あくまで心身に負担がかからない程度の簡単な仕事しか請けられない。しかしながらその手の簡単な仕事を請けたときに、不愉快な思いをさせられることが多々ある。やはり簡単な仕事は莫迦の役割であり、利口な人間はその程度の仕事には関わらないのであろう。莫迦な編集者にあたるといつかまた現場に復帰したいという気持ちが湧く。その日の為の予行練習も兼ねての日記。
さてタイトル。こんなタイトルではあるが恋愛日記に非ず。恋愛ってなんですか? というくらい色恋沙汰から遠ざかってかなりの年数が経つ。HIV等の検査を受けシロの判定を貰ってから行為が怖くなった。スルことでシロがクロになるかもしれないと思うと、できない。誰とでもヤッていた頃の自分が今は信じられない。うちのともできない。申し訳なくも思うが、うちのは検査を受けていないので推定シロであり、確定シロではないからだ。また諸事情とパキの副作用に拠り現在の私はシモへの欲求が皆無に等しい。うちのには外で欲求を処理してきて欲しいと思う。思うだけでは無く言ってもある。後はうちのが決めることだ。私から性欲がなくなってかなり経つ所為か、私の諸事情の所為か、うちは殺伐としている。吉野家並みに。無戒秀徳並みに。殺伐。相剋の家である。大概に於いて悪いのは私らしい。それはさておき、色恋沙汰はなくとも恋心がなくなったら女は枯れると思う。青木るえかに激しく同意する。新しい服を着るとき、限定コスメを予約するとき、ときめく。楽しい。女に生まれて良かったと感じる。けれどお洒落やメイク以上に女を輝かせるものは恋心であろう。両想い・片想いは問わない。当人の中に恋心があるかないかが問題なのだ。今の私には仄かな恋心がある。相手はうちのではない。うちのへの恋心は愛へと変化を遂げている。恋と愛は違うのだ。愛は情に近く、恋に情はない。恋にあるのは慕ではなかろうか。この歳になって周囲に夫婦が増えてきた。皆、恋から愛、愛から情への心情変化を遂げたらしい。なので恋は他所に求める。私の周囲の既婚者たちは所謂不倫をしている者が多い。しかも婚前からの付き合いが続いているパターンだ。ならばそっちと結婚すれば良かったのにと思うのは事実婚状態とはいえ、私が未だ独身だからか。
無戒秀徳は好みである。眼鏡だから。しかし眼鏡を外した無戒が好きかと問われれば答えは否だ。目付きも声もギターもいい線を行っているのだが輪郭が違うのだ。よく「○○さんの好みってどんな人?」という会話がある。誰でも一度のみならずしたことがあるだろう。私も数え切れない程その手の会話をしてきた。当初は「眼鏡をかけていて目付きが悪くてサラッと嫌味が言える人。芸能人で言えば松尾貴史」と答えていた。しかし悲しき哉、松尾貴史を知らない人が余りにも多かった。「キッチュ」「大島渚の真似をする人」と説明をして半分の人が解ってくれたかどうか。ある程度この手の会話の回数をこなしてからは「ちぃ兄ちゃんの頃の福山雅治」と答えるようになり、眼鏡好きだということは理解され易くなった。目付きが違うのだが白衣も好きなので妥協点が福山雅治なのだ。男声は気持ち高めのテノールが気持ちいい。うちのは眼鏡でテノールだ。もし眼鏡でなく且つバスだったら付き合っていなかったかもしれない。一時期、うちのが脱眼鏡してコンタクトにしようとしていたので必死で止めた。それくらい眼鏡が好きだ。うちのと眼鏡のどちらが好きかと問われれば眼鏡と答えるかもしれない。また上記のような会話をしていた頃に比べ、今はもう少し好みが煩くなった。眼鏡が必須なのは変わらないが、後は髭があり、和服……甚平、袴、訪問着等が似合うこと。モンペも可である。頭髪への拘りは薄くなった。河童禿でなければ良しとする。今、私の好みにぴったり嵌っている男性がひとりいる。敢えて名前は出さない。解る人には解るだろうし、解らない人には松尾貴史以上に知らない存在なのは明白だ。
BGM/「恋は三角木馬の上で」「…
日記というのは正月とか誕生日とか所謂区切りとなる日からつけ始めるのが本来の姿だと、私は決め付けている。しかし今日は私にとって何の記念日でもない。でも何となく今日から。本当に便利な言葉だと思う。何となく。日記のタイトルもHNもプロフィールも何となくこれにした。いや、何となくではなくれっきとした由来はあるのだけれど、解る人だけ解ればいいので何となくとしておく。何故何となく今日から日記をつけ始めたのか。答えは、思い立ったからである。吉日。私は諸事情により日々これといって何もできず朦朧と暮らしいてる。この朦朧とした日々が始まり既に半年以上経つ。いかんのではなかろうか。朦朧としていては人間は莫迦になる。莫迦はいい。楽だ。後日書くが本当に莫迦はいい。羨ましさすら覚えるほどに。しかし莫迦の尻拭いや莫迦の所為で自分が不愉快な思いをするのは御免被りたい。そういったことに気を揉むのは面倒だし厄介だし苛々するし鬱々としてくる。そんな気分を晴らすには泣くのが一番手っ取り早い。泪には心の荒んだ部分を洗い流す浄化作用がある。けれど今の私は泣けない。パキの副作用により感情の起伏が平坦になっているため、涙腺が固くなってきている。ならばどこでその苛々や鬱々を晴らせば良いのか。これ迄は友人たちにメールをしたり電話をしたりして晴らしてきた。いけない。そうそう付き合わせてもいられない。中島みゆき。そこで思いついたのが日記である。
私は日記と相性が悪い。小学生時代の夏休みに強制的に課される絵日記も最後の一日で全日分描いた。天気は二学期になってからクラスメイトに写させて貰った。有難う、そのときのクラスメイト。もう名前も覚えていないけれど。そして人生に於いて過去に何度も区切りの日から日記をつけ始めたことがある。何度もということは毎度続かなかったからに他ならない。続かなければまたつけ直すしかないので何度もなのだ。ここ数年はそんな無駄な挑戦はしなくなっていたのだが、今回は続けたいと思う。毎度思うことだけれど。まあ、続いたらいいなあくらいの気持ちで。このような一念発起に至った理由は、朦朧とした日々にメリハリを付けたくなったからだ。数ヶ月前からライヴというものに出向くようになった。きっかけは行動療法の実行とメリハリの欲求である。昔はライヴに行く人間の気持ちが全く以って解せなかった。何度も聴けるCDを買えてしまう金額以上をたかが数時間の為に何故払えるのかが解らなかった。今は解る。CDと生音は明らかに違う。生音は身体全体に響くのが快感である。初ライヴを経験した日には、今迄の人生に於いて損をしていた気すらした。それくらい、今はライヴが好きである。しかし当然ながら私の好きなバンドが毎日ライヴをしてくれる訳はない。ライヴのない日々は相変わらず朦朧と日々を過ごす。飽きてきた。なので一日に一度、必ずやらなければならないことというものを自分に課してみようと思った。どうせ課すなら掃除や洗濯にしろという意見は却下である。浄化作用を伴わないので。文章を書く行為にも泪を流すのと同様に浄化作用があると思う。認知療法の基本もまずは書くことからだ。ここで認知療法をする訳ではないが。また私は以前は文筆業を営んでいた。今はその世界から遠ざかり、文章力は落ちる一方である。特に長文。文章を書いて生活していた頃は日記をつけるのは無駄だと思っていた。日記を書いてもギャラが発生しないからだ。当時の私の文章にはギャラが発生するだけの力があった。今はもうない。なので文章の勘を取り戻す作業も兼ねている。今も稀に仕事を請けることがあるが、あくまで心身に負担がかからない程度の簡単な仕事しか請けられない。しかしながらその手の簡単な仕事を請けたときに、不愉快な思いをさせられることが多々ある。やはり簡単な仕事は莫迦の役割であり、利口な人間はその程度の仕事には関わらないのであろう。莫迦な編集者にあたるといつかまた現場に復帰したいという気持ちが湧く。その日の為の予行練習も兼ねての日記。
さてタイトル。こんなタイトルではあるが恋愛日記に非ず。恋愛ってなんですか? というくらい色恋沙汰から遠ざかってかなりの年数が経つ。HIV等の検査を受けシロの判定を貰ってから行為が怖くなった。スルことでシロがクロになるかもしれないと思うと、できない。誰とでもヤッていた頃の自分が今は信じられない。うちのともできない。申し訳なくも思うが、うちのは検査を受けていないので推定シロであり、確定シロではないからだ。また諸事情とパキの副作用に拠り現在の私はシモへの欲求が皆無に等しい。うちのには外で欲求を処理してきて欲しいと思う。思うだけでは無く言ってもある。後はうちのが決めることだ。私から性欲がなくなってかなり経つ所為か、私の諸事情の所為か、うちは殺伐としている。吉野家並みに。無戒秀徳並みに。殺伐。相剋の家である。大概に於いて悪いのは私らしい。それはさておき、色恋沙汰はなくとも恋心がなくなったら女は枯れると思う。青木るえかに激しく同意する。新しい服を着るとき、限定コスメを予約するとき、ときめく。楽しい。女に生まれて良かったと感じる。けれどお洒落やメイク以上に女を輝かせるものは恋心であろう。両想い・片想いは問わない。当人の中に恋心があるかないかが問題なのだ。今の私には仄かな恋心がある。相手はうちのではない。うちのへの恋心は愛へと変化を遂げている。恋と愛は違うのだ。愛は情に近く、恋に情はない。恋にあるのは慕ではなかろうか。この歳になって周囲に夫婦が増えてきた。皆、恋から愛、愛から情への心情変化を遂げたらしい。なので恋は他所に求める。私の周囲の既婚者たちは所謂不倫をしている者が多い。しかも婚前からの付き合いが続いているパターンだ。ならばそっちと結婚すれば良かったのにと思うのは事実婚状態とはいえ、私が未だ独身だからか。
無戒秀徳は好みである。眼鏡だから。しかし眼鏡を外した無戒が好きかと問われれば答えは否だ。目付きも声もギターもいい線を行っているのだが輪郭が違うのだ。よく「○○さんの好みってどんな人?」という会話がある。誰でも一度のみならずしたことがあるだろう。私も数え切れない程その手の会話をしてきた。当初は「眼鏡をかけていて目付きが悪くてサラッと嫌味が言える人。芸能人で言えば松尾貴史」と答えていた。しかし悲しき哉、松尾貴史を知らない人が余りにも多かった。「キッチュ」「大島渚の真似をする人」と説明をして半分の人が解ってくれたかどうか。ある程度この手の会話の回数をこなしてからは「ちぃ兄ちゃんの頃の福山雅治」と答えるようになり、眼鏡好きだということは理解され易くなった。目付きが違うのだが白衣も好きなので妥協点が福山雅治なのだ。男声は気持ち高めのテノールが気持ちいい。うちのは眼鏡でテノールだ。もし眼鏡でなく且つバスだったら付き合っていなかったかもしれない。一時期、うちのが脱眼鏡してコンタクトにしようとしていたので必死で止めた。それくらい眼鏡が好きだ。うちのと眼鏡のどちらが好きかと問われれば眼鏡と答えるかもしれない。また上記のような会話をしていた頃に比べ、今はもう少し好みが煩くなった。眼鏡が必須なのは変わらないが、後は髭があり、和服……甚平、袴、訪問着等が似合うこと。モンペも可である。頭髪への拘りは薄くなった。河童禿でなければ良しとする。今、私の好みにぴったり嵌っている男性がひとりいる。敢えて名前は出さない。解る人には解るだろうし、解らない人には松尾貴史以上に知らない存在なのは明白だ。
BGM/「恋は三角木馬の上で」「…
子供にとって居心地の良い場所と代償行為
2003年10月12日 家族・メンヘル・健康など これを記しているのは10月17日である。
子供の頃から他者との距離感の取り方が下手だった。他者と接するとき、自分の中でその他者に対して大好きか大嫌いかを決める。中間はない。そして大好きな他者には大好きな相手として、大嫌いな他者には大嫌いな相手として接することしかできない。他者からも大好きか大嫌いかの極端な評価を得易い。私のことが大好きな人よりも大嫌いな人の方が多いだろう。そして私のことを大嫌いだと言ったり思ったりする人間のことは私も大嫌いなので、それはそれで構わない。問題は私を大好きと大嫌いのどこかの中間点に置いている他者の存在だ。何を考えながら私に接しているのか全く解らない。はっきり言ってしまうと居心地が悪く気味も悪い。自分が相手に対してどう接していいかが解らないからだ。少し前迄これは性格だと思っていたが違っていた。寛解には数年はかかりそうである。
距離感、というものである。この世には二種類の人間がいると思っていた。
・最初に自らを曝け出し、こんな私で良ければ仲良くしましょうタイプ
・徐々に自らを曝け出し、相手の反応を見つつ曝す範囲を決めるタイプ
思っていた、と書いたが実際にこの二種しか存在しないと今も思っている。私は言わずもがな前者だが、世間には後者が多数らしい。私が後者を厭らしい人間だと思うのは、或る友人に言わせると「変なところで純粋だから」だそうだ。ストレートな言葉に直すと、子供じみている、大人の人間関係の築き方を知らないということだろう。私のことを好いてくれている奇特な人たちは、このような子供じみた純粋さが好きらしい。純粋と言うと言葉が綺麗だが要は子供なのである。先日書いたチャイルディッシュとは違う意味で。そしてこの子供じみた純粋さ故の上記箇条書き前者という自己は、性格ではなく症状だったことが数ヶ月前に判明した。早く治したいが、主治医はその前にもうひとつの身体的症状を止めるのが先だと主張する
身体的症状と関連している精神的症状の表面化のひとつに依存がある。私の場合はコスメ購入→衣類及び服飾小物購入→パチンコ→コスメ……と常にこの3点のどれかに依存している。少し前に共同貯金を10万ほど使い込んでいたことがバレた。北への資金となる銀玉やランコムの限定品やナショナルスタンダードのスカートなどへとその金は化けていった。バレたとき、うちのは怒った。当然である。現在の私は無収入であり、共同といえどもうちのが朝から晩まで働き、ビールから発泡酒へ、ドゥニームから無印良品へと節約して貯めた金である。「出て行け」と言われた。これも当然だろう。しかしながら「出て行け」と言われても行く場所が私には一箇所しかない。逝ったら出棺時には相剋の家を流してください、という恐山の向こうである。実家という選択肢はない。主治医も「もし本当に出て行かざるを得ない状況になったら一人暮らしをして生活保護を受けなさい」と薦めてきた。調べたところ、三等身以内に私を養える経済力がある人間がいる場合は生活保護を受けられないことが判った。なので「出て行け」=実家へ強制送還となり、諸事情が更に更に拗れることは明白。やはり、出棺時は……と書置きしておかなければという話になる。
上記の依存癖は症状である。以前うちのに「こんな諸事情を背負った私のことが本当に好きか?」と訊いた。「諸事情込みで好きだ」と答えてくれた。言質。ならば依存が症状であることを理解してもらえれば良いのだ。会話やメールでくどくどと解説を繰り返したのは勿論のこと、生活の中でも私が思い付く限りの誠意を見せて「出て行け」は却下された。納得はしてくれていないが理解はしてくれる人なのだ。一番苦労したのは「楽しくてしたことではない」という点の解説である。一般的にパチは道楽と解釈されている。パチ屋に足を運ぶ人の大多数は本当に道楽であろうが、そうではないのに足が向いてしまう人間も確実に存在し、私もそのひとりだったのだ。道楽ではないのにパチ屋に行く人間の心境は多種多様であろう。そんな個々の心境迄は知らない。私の場合の心境はこうだ。日常の殆どを家の中でひとりで過ごす。ひとりでいるのは決して苦痛ではないが、ときに淋しくなることもある。すると様々な思いを経て希死念慮発動。希死念慮は念慮のみに留めておかなければならないらしい。その理由は理解も納得も出来ていないが、実行に移したら実家へ強制送還と宣言されているからには留めておく必要がある。因って他者と接したくなるのだが如何せん私は他者と接するのが苦手であるし、また数少ない親しい友人たちとて平日の昼間に暇を持て余している者はいない。そこで思いつくのがパチ屋なのだ。他者の存在と喧騒がある。なのにその他者らと会話を交わす必要はない。回ろうが回るまいが孤独にハンドルを固定しているだけで銀玉が撥ね、釘にぶつかりながら流れ落ちてゆく。ドル箱が詰まれるかどうかはどうでもいいことで、他者の存在と喧騒を味わいつつ銀玉の流れを見ることが目的であり、パチ屋に身を置くと心に平穏が訪れた。
高校時代に博打を覚えた。まず競馬。パチにも手を出したがCR機登場及び羽根物の衰退と共に足を洗い、また競馬に専念。これは社会進出の際の仕事にもなった。その後は麻雀。これも一時期仕事にしていた。CR機が全盛となってからのパチは、私が宝くじと同様に莫迦にしている博打の一種である。博打をしない人間に競馬や麻雀とパチの違いは判らないらしい。しかし絶対的な違いが有る。博打に運は付き物だが、競馬・麻雀はそれにデータという知識や牌の動きなどから同卓の他者の心を読むという頭脳労働が伴う。パチも羽根物全盛の頃は釘を読む頭脳労働が主だったが、CR機に於いては釘読み以上に台の設定の影響が強くなりどの台を選ぶかという運の要素の方が大きくなった。村田渚同様に私も頭脳労働を伴わない博打は嫌いなのだ。頭脳労働を伴わず運に頼る博打を好む者を莫迦にする傾向もある。それは今もだ。こうも莫迦にしている鉄火場に足を運ぶのが私にとって楽しい筈がない。私にとってパチは自傷の代償行為なのだ。
冒頭から締めへと大きく内容が変化しているのは、書き始めたときの心境に少し変化があったからである。
BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」「桜の森の満開の下」
子供の頃から他者との距離感の取り方が下手だった。他者と接するとき、自分の中でその他者に対して大好きか大嫌いかを決める。中間はない。そして大好きな他者には大好きな相手として、大嫌いな他者には大嫌いな相手として接することしかできない。他者からも大好きか大嫌いかの極端な評価を得易い。私のことが大好きな人よりも大嫌いな人の方が多いだろう。そして私のことを大嫌いだと言ったり思ったりする人間のことは私も大嫌いなので、それはそれで構わない。問題は私を大好きと大嫌いのどこかの中間点に置いている他者の存在だ。何を考えながら私に接しているのか全く解らない。はっきり言ってしまうと居心地が悪く気味も悪い。自分が相手に対してどう接していいかが解らないからだ。少し前迄これは性格だと思っていたが違っていた。寛解には数年はかかりそうである。
距離感、というものである。この世には二種類の人間がいると思っていた。
・最初に自らを曝け出し、こんな私で良ければ仲良くしましょうタイプ
・徐々に自らを曝け出し、相手の反応を見つつ曝す範囲を決めるタイプ
思っていた、と書いたが実際にこの二種しか存在しないと今も思っている。私は言わずもがな前者だが、世間には後者が多数らしい。私が後者を厭らしい人間だと思うのは、或る友人に言わせると「変なところで純粋だから」だそうだ。ストレートな言葉に直すと、子供じみている、大人の人間関係の築き方を知らないということだろう。私のことを好いてくれている奇特な人たちは、このような子供じみた純粋さが好きらしい。純粋と言うと言葉が綺麗だが要は子供なのである。先日書いたチャイルディッシュとは違う意味で。そしてこの子供じみた純粋さ故の上記箇条書き前者という自己は、性格ではなく症状だったことが数ヶ月前に判明した。早く治したいが、主治医はその前にもうひとつの身体的症状を止めるのが先だと主張する
身体的症状と関連している精神的症状の表面化のひとつに依存がある。私の場合はコスメ購入→衣類及び服飾小物購入→パチンコ→コスメ……と常にこの3点のどれかに依存している。少し前に共同貯金を10万ほど使い込んでいたことがバレた。北への資金となる銀玉やランコムの限定品やナショナルスタンダードのスカートなどへとその金は化けていった。バレたとき、うちのは怒った。当然である。現在の私は無収入であり、共同といえどもうちのが朝から晩まで働き、ビールから発泡酒へ、ドゥニームから無印良品へと節約して貯めた金である。「出て行け」と言われた。これも当然だろう。しかしながら「出て行け」と言われても行く場所が私には一箇所しかない。逝ったら出棺時には相剋の家を流してください、という恐山の向こうである。実家という選択肢はない。主治医も「もし本当に出て行かざるを得ない状況になったら一人暮らしをして生活保護を受けなさい」と薦めてきた。調べたところ、三等身以内に私を養える経済力がある人間がいる場合は生活保護を受けられないことが判った。なので「出て行け」=実家へ強制送還となり、諸事情が更に更に拗れることは明白。やはり、出棺時は……と書置きしておかなければという話になる。
上記の依存癖は症状である。以前うちのに「こんな諸事情を背負った私のことが本当に好きか?」と訊いた。「諸事情込みで好きだ」と答えてくれた。言質。ならば依存が症状であることを理解してもらえれば良いのだ。会話やメールでくどくどと解説を繰り返したのは勿論のこと、生活の中でも私が思い付く限りの誠意を見せて「出て行け」は却下された。納得はしてくれていないが理解はしてくれる人なのだ。一番苦労したのは「楽しくてしたことではない」という点の解説である。一般的にパチは道楽と解釈されている。パチ屋に足を運ぶ人の大多数は本当に道楽であろうが、そうではないのに足が向いてしまう人間も確実に存在し、私もそのひとりだったのだ。道楽ではないのにパチ屋に行く人間の心境は多種多様であろう。そんな個々の心境迄は知らない。私の場合の心境はこうだ。日常の殆どを家の中でひとりで過ごす。ひとりでいるのは決して苦痛ではないが、ときに淋しくなることもある。すると様々な思いを経て希死念慮発動。希死念慮は念慮のみに留めておかなければならないらしい。その理由は理解も納得も出来ていないが、実行に移したら実家へ強制送還と宣言されているからには留めておく必要がある。因って他者と接したくなるのだが如何せん私は他者と接するのが苦手であるし、また数少ない親しい友人たちとて平日の昼間に暇を持て余している者はいない。そこで思いつくのがパチ屋なのだ。他者の存在と喧騒がある。なのにその他者らと会話を交わす必要はない。回ろうが回るまいが孤独にハンドルを固定しているだけで銀玉が撥ね、釘にぶつかりながら流れ落ちてゆく。ドル箱が詰まれるかどうかはどうでもいいことで、他者の存在と喧騒を味わいつつ銀玉の流れを見ることが目的であり、パチ屋に身を置くと心に平穏が訪れた。
高校時代に博打を覚えた。まず競馬。パチにも手を出したがCR機登場及び羽根物の衰退と共に足を洗い、また競馬に専念。これは社会進出の際の仕事にもなった。その後は麻雀。これも一時期仕事にしていた。CR機が全盛となってからのパチは、私が宝くじと同様に莫迦にしている博打の一種である。博打をしない人間に競馬や麻雀とパチの違いは判らないらしい。しかし絶対的な違いが有る。博打に運は付き物だが、競馬・麻雀はそれにデータという知識や牌の動きなどから同卓の他者の心を読むという頭脳労働が伴う。パチも羽根物全盛の頃は釘を読む頭脳労働が主だったが、CR機に於いては釘読み以上に台の設定の影響が強くなりどの台を選ぶかという運の要素の方が大きくなった。村田渚同様に私も頭脳労働を伴わない博打は嫌いなのだ。頭脳労働を伴わず運に頼る博打を好む者を莫迦にする傾向もある。それは今もだ。こうも莫迦にしている鉄火場に足を運ぶのが私にとって楽しい筈がない。私にとってパチは自傷の代償行為なのだ。
冒頭から締めへと大きく内容が変化しているのは、書き始めたときの心境に少し変化があったからである。
BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」「桜の森の満開の下」