現在、5月18日。
一昨日の夜、うちのが正式に禁煙発言及び行動開始。鬱陶しいこと、この上なし。夕食を作る気力がなかったので近所のファミレスへ行った。私は禁煙する気は更々ないので喫煙席へ。席についてオーダを決めつつ煙草を吸っていると、これ見よがしに人の煙を手で払い、ふーっふーっと追いやる。そして喫煙者の悪口開始。マナーが悪い奴が多いだの、頭が悪そうに見えるだの。おまいもつい数時間前迄はその一員だったろうが。おまいも禁煙しろ。出たよ……巻き込むなっつってるのに。適当にあしらって、食事をして買い物をして帰宅。うちのは居間でフリスクを食べ、私はキッチンのPCデスクに向って祭参加。初のリアル爆撃に、毒男らの反応を楽しむ。暫くしてうちのから、眉の手入れの要請。うちのの眉のトリミングは私の仕事なので、チャチャッとやっつけて祭に戻る。そして数時間後、そろそろ寝る、と言いつつうちのが私の傍にやってきて、煙草一本頂戴、ときたものだ。それ見たことか。さっきのファミレスでの発言を謝ったらやる、と言うと素直に、ごめんね。私の煙草を1本取って火をつけて、思い切り吸い込み、やっぱりないとダメだわ。脆い。うちのの意思は脆過ぎる。今日帰宅してからは吸っていない。会社でも吸わなかったと言っているけれど、果たしてどうだか甚だ疑問である。そして今夜は吸わずに寝られるか? うちのはどうやら禁煙が成功したら嫌煙になりそうなので、このまま喫煙者でいてもらいたいものだが。ついでに、うちのが昨日数時間で禁煙に失敗したのは私にはちょっといいこと。禁煙記念日が命日ってのは、何だかイヤだ。あ。以前、うちのと私が籍を入れる日を、私の実の父親の誕生日か命日にしようと考えていて、親や叔母に反対されたことがある。そうか、こういうことなのかもしれない。
昨日は夜中からカレーを作り始めて、明け方に眠った。もっと早くから眠剤を投入していたのだけれど、妙にハイテンションでちっとも眠気がこなかったのだ。ぼんやりしていると、後ろで草食が、メシくれ、水くれ、と容器を鳴らす気がする。けれど鳴らない。数日前迄はあんなに煩く感じていたあのガタガタという音が、こんなにも生活の中に溶け込んでいたなんて。ふと、小屋を見る。いない。逃げたか? そんな筈はない。友人がメールで書いてきてくれたこと。喪失感がうまく沸いていないのでは。確かにそうだ。喪失感がない。聴覚視覚では感じるけれど、気持ちの中で草食は現在進行形で存在していて、聞こえない、見えない、と五感で認識できたときにしか、草食がいなくなったことを実感できないのだ。何処かにぽっかりと穴が開き、昨日一昨日はずーっと上の空だった。ペットロスの鬱が襲ってくるのは、まだまだ先らしい。ひたすらに私の背後の静寂が落ち着かない。気配、というものの大きさを感じてしまう。気配の重大さは、なくしてから解るものらしい。友人やネット掲示板に慰めてもらった。喪失感を共有できるのは救いになる。後悔の念はきっと不出来な飼い主だった私への、草食からの最期の復讐。そんなものを残してくれなくても、一生草食のことを忘れたりしないのに。莫迦な子程可愛い、と思いつつ育ててきたけれど、もしかしたらこんな手の込んだ復讐をするなんて、莫迦ではなかったのかも。いろんなことが悔しい。まだ思考能力が不全且つ不安定なので、短め。
一昨日の夜、うちのが正式に禁煙発言及び行動開始。鬱陶しいこと、この上なし。夕食を作る気力がなかったので近所のファミレスへ行った。私は禁煙する気は更々ないので喫煙席へ。席についてオーダを決めつつ煙草を吸っていると、これ見よがしに人の煙を手で払い、ふーっふーっと追いやる。そして喫煙者の悪口開始。マナーが悪い奴が多いだの、頭が悪そうに見えるだの。おまいもつい数時間前迄はその一員だったろうが。おまいも禁煙しろ。出たよ……巻き込むなっつってるのに。適当にあしらって、食事をして買い物をして帰宅。うちのは居間でフリスクを食べ、私はキッチンのPCデスクに向って祭参加。初のリアル爆撃に、毒男らの反応を楽しむ。暫くしてうちのから、眉の手入れの要請。うちのの眉のトリミングは私の仕事なので、チャチャッとやっつけて祭に戻る。そして数時間後、そろそろ寝る、と言いつつうちのが私の傍にやってきて、煙草一本頂戴、ときたものだ。それ見たことか。さっきのファミレスでの発言を謝ったらやる、と言うと素直に、ごめんね。私の煙草を1本取って火をつけて、思い切り吸い込み、やっぱりないとダメだわ。脆い。うちのの意思は脆過ぎる。今日帰宅してからは吸っていない。会社でも吸わなかったと言っているけれど、果たしてどうだか甚だ疑問である。そして今夜は吸わずに寝られるか? うちのはどうやら禁煙が成功したら嫌煙になりそうなので、このまま喫煙者でいてもらいたいものだが。ついでに、うちのが昨日数時間で禁煙に失敗したのは私にはちょっといいこと。禁煙記念日が命日ってのは、何だかイヤだ。あ。以前、うちのと私が籍を入れる日を、私の実の父親の誕生日か命日にしようと考えていて、親や叔母に反対されたことがある。そうか、こういうことなのかもしれない。
昨日は夜中からカレーを作り始めて、明け方に眠った。もっと早くから眠剤を投入していたのだけれど、妙にハイテンションでちっとも眠気がこなかったのだ。ぼんやりしていると、後ろで草食が、メシくれ、水くれ、と容器を鳴らす気がする。けれど鳴らない。数日前迄はあんなに煩く感じていたあのガタガタという音が、こんなにも生活の中に溶け込んでいたなんて。ふと、小屋を見る。いない。逃げたか? そんな筈はない。友人がメールで書いてきてくれたこと。喪失感がうまく沸いていないのでは。確かにそうだ。喪失感がない。聴覚視覚では感じるけれど、気持ちの中で草食は現在進行形で存在していて、聞こえない、見えない、と五感で認識できたときにしか、草食がいなくなったことを実感できないのだ。何処かにぽっかりと穴が開き、昨日一昨日はずーっと上の空だった。ペットロスの鬱が襲ってくるのは、まだまだ先らしい。ひたすらに私の背後の静寂が落ち着かない。気配、というものの大きさを感じてしまう。気配の重大さは、なくしてから解るものらしい。友人やネット掲示板に慰めてもらった。喪失感を共有できるのは救いになる。後悔の念はきっと不出来な飼い主だった私への、草食からの最期の復讐。そんなものを残してくれなくても、一生草食のことを忘れたりしないのに。莫迦な子程可愛い、と思いつつ育ててきたけれど、もしかしたらこんな手の込んだ復讐をするなんて、莫迦ではなかったのかも。いろんなことが悔しい。まだ思考能力が不全且つ不安定なので、短め。
草食。
享年5歳半。
今迄いろいろ有難う。まだ実感がないけれど。最期は苦しまずに眠るように逝ったとか。もっと一杯遊んだりすればよかった。後悔の念はきっといつになっても晴れはしないだろう。こんな小雨降る日に逝くなんて出来過ぎだ。
享年5歳半。
今迄いろいろ有難う。まだ実感がないけれど。最期は苦しまずに眠るように逝ったとか。もっと一杯遊んだりすればよかった。後悔の念はきっといつになっても晴れはしないだろう。こんな小雨降る日に逝くなんて出来過ぎだ。
現在5月16日早朝。
さっき帰宅。ぐだぐだになっていた生活を正す為、昨日は昼から寝て夜に1度目覚めるも強引にもう1度寝て、早朝5時半過ぎに起床。起きて草食にごはんを……と思ったら、草食が動かん! 触ると冷たい。ごはんを差し出しても反応がない。え? 揺り動かすも反応なし。うちのに声をかけて起こす。うちのが飛び起きて草食小屋へ。慌てふためく私にうちのが、まだ息してるよ、と。急いで24時間営業の動物病院に連絡をしてタクシーで連れて行く。動物病院でまずは体重測定。先月よりも800g減っていた。気付かなかった。トイレを覚えない草食は常に足元や尻が汚い。先々日、草食の足と尻とお腹を洗った。そのときに抱いて風呂場に連れて行ったのだけれど、体重減少には気付かなかった。飼い主失格か。病院で草食に点滴と注射を打ってもらう。獣医さん曰く、骨髄か脾臓に疾患があり血液が造れなくなっていて貧血状態になっている、とのこと。選択を迫られた。連れて帰ってペットボトルを湯たんぽにして体温上昇を待ちつつ見守るか、それとも入院をさせるか。この動物病院はかかりつけではなく、数年前の夜中にやはり草食が動かなくなったときに救急で連れて行ったところだ。そのときは、今夜が山だ、と言われたけれど選択の余地なく入院となり、どうにか持ちこたえてくれた。今回、選択肢を与えられたのは、回復の見込みが余りに薄いからだ。どう高く見積もっても回復する可能性は20%。なら、長年一緒に暮らしてきたことだしおうちで看取れた方が良くないですか、看取れなくて後悔しませんか、と。混乱して泣いていた私には選択ができず、うちのに一存。入院させてきた。うちで看取ろうとしてもその瞬間に立ち会えるかどうかは判らないし、可能性があるなら病院に任せよう、ということで。
次回の注射は午前9時とのこと。その時間迄頑張ってくれるかどうか、解らない。動物病院からの連絡がいつあるかも判らない。連絡をくれるときは、持ち堪えられたと判断できたときか、死んだときのどちらからしい。混乱しつつも私の気持ちは、看取る方に傾いていた。草食の内臓疾患は治らないものらしい。持ち堪えても今後は毎日投薬しつつの闘病生活だ。これからも苦しむのなら、いっそ……と。草食は現在5歳半。獣医さんに草食の一般的寿命を聞くと、6〜8年とのこと。極端に若い訳でもなく、今がうちの草食の寿命なのかもしれない、と思った。診察台で撫でる草食の体は冷たい。普段なら腹や後ろ足を撫でると怒るのに、今朝の草食は何処を撫でられても怒れない。悲しかった。場所によって撫でさせてくれない草食を偏屈だと思っていたけれど、撫でさせてくれることがこんなに悲しかったなんて。これなら怒って蹴られた方が遥かにマシである。最近になってやっと懐いてきた草食。これからが蜜月だと思っていた。今日が山である。持ち堪えてくれるかどうか。うちのは信じていると言った。私は……。
前回草食を救急でこの病院に連れ込んだときは、栄養失調だった。草食に牧草を食べる習慣を身に付けさせようと、私がペレットから牧草へと強引に餌を切り替えたのだ。ペレットがなければ嫌でも牧草を食べるだろうと思っていたが、甘かった。持ち堪えてくれてからは、強引な切り替えをやめてペレットと牧草の両方をあげる形に戻した。ずっと嫌々食べていた牧草を喜んで食べるようになってくれたのは、ここ半年から1年くらいの話。かかりつけの動物病院で相談して、ペレットはおやつのような扱いで2〜3日に1度、基本のごはんは牧草にしていた。うちのは今日、動物病院に連れて行く迄のタクシーでの道中、それが良くなかったのではないか、と言っていた。牧草を主に切り替えてからの私の草食への栄養管理は、間違っていなかったと今も思う。ペレットを主にしていたところで、内臓疾患が防げたとは思えない。ただ。獣医さんに糞の状態を訊かれた。下してはいなかった。けれど、糞の大小にここ1週間ばかり、変動はあった。牧草を主に食べていた日は大きく、ペレットや野菜を食べた日は小さかった。私は食べ物が違う所為だとしか認識していなかったのだけれど、内臓に毛玉ができている兆候だったらしい。気付かなかった。牧草を食べるようになってから、草食の糞は大きくなっていた。それ以前のペレットや野菜しか食べなかった頃の糞は元々小さかったのだ。ということは、子供の頃から、もしからした生まれつき内臓疾患はあったのかもしれない。動物にも年に1度の血液検査やレントゲン撮影が義務付けられていたら、早期発見・早期治療ができたのだろう。いや、飼い主が自主的に動物病院に検査に赴くべきなのか。判らない。小さな体には、検査自体がかなりの負担になる。何にしろ今は、草食の病気に気付けなかった自分の節穴を恨むしかない。
草食にも骨髄バンクがあればいいのに! 私の体が草食の代わりに蝕まれても構わない。草食にいらぬちょっかいを出して、また怒られたい。元気になって戻ってきたらまた一緒に散歩に行きたい。今度はもっとこまめに散歩に連れて行く。もっともっと一緒に遊ぶ。もっともっともっと小屋の環境も良くする。どうか、また小屋に戻ってきて欲しい。うちの草食は生命力が強い。前回の山もどうにか越えて戻ってきたのだ。きっと今回だって戻ってくる。しかし。診察台の上で草食は、ときどき手足をバタつかせていた。貧血で眩暈を起こしている状態。つらいのだろう。苦しいのだろう。今日預けてきたのは、延命治療だ。日頃私とうちのは、助からないと解っていながらの延命治療には反対している。今回山を越えたところで、草食が苦しむ日はまたくる。前回は餌の切り替えに失敗した私の責任であり、今回のような延命治療ではなかった。草食の為の骨髄バンクはない。脾臓に疾患があったとしても、きっと手術はできない。治らない病を抱え、毎日血液増殖の為の薬を飲まされて生き長らえさせることは、飼い主の自己満足ではないか、とも思う。草食にはその薬の意味は解らないのだ。毎日嫌な物を無理矢理食べさせられる、としか思わないだろう。そしてそれは治す為の薬ではなく、処置としての薬。寿命に近いところ迄、草食は生きた。今日中にまた体温が上がり立ち上がれるようになれば、戻ってきてくれる。それでもその後の闘病生活は、草食自身に意味のあることなのか。飼い主のエゴに他ならないのではないか。草食は私が初めて飼ったペットで、雑食は後からきた子だ。草食を飼う前、私はペットと飼い主の関係についていろいろ考えた。動物を飼うという行為は、所詮人間のエゴではないのか、と。けれども1度ペットショップに連れてこられたり里親として出された子は、誰かが飼わなければ、嫌な言葉だけれど処分されることになる。処分=死。サラブレッドもそうだけれど、人間に飼育されることでしか生きていけない動物がいる。飼われることでしか生きていけないようにしてしまったのは、人間の責任だ。私はその責任の一端を、今回の延命治療で果たせるのか。答えなんか出ない。動物を擬人化して考えてはならない、と常々思ってはいる。それでも草食の手足をバタつかせる行動を、生きていたい、という足掻きと捉えて獣医さんに預けて待つ。それしか今はできない。
さっき帰宅。ぐだぐだになっていた生活を正す為、昨日は昼から寝て夜に1度目覚めるも強引にもう1度寝て、早朝5時半過ぎに起床。起きて草食にごはんを……と思ったら、草食が動かん! 触ると冷たい。ごはんを差し出しても反応がない。え? 揺り動かすも反応なし。うちのに声をかけて起こす。うちのが飛び起きて草食小屋へ。慌てふためく私にうちのが、まだ息してるよ、と。急いで24時間営業の動物病院に連絡をしてタクシーで連れて行く。動物病院でまずは体重測定。先月よりも800g減っていた。気付かなかった。トイレを覚えない草食は常に足元や尻が汚い。先々日、草食の足と尻とお腹を洗った。そのときに抱いて風呂場に連れて行ったのだけれど、体重減少には気付かなかった。飼い主失格か。病院で草食に点滴と注射を打ってもらう。獣医さん曰く、骨髄か脾臓に疾患があり血液が造れなくなっていて貧血状態になっている、とのこと。選択を迫られた。連れて帰ってペットボトルを湯たんぽにして体温上昇を待ちつつ見守るか、それとも入院をさせるか。この動物病院はかかりつけではなく、数年前の夜中にやはり草食が動かなくなったときに救急で連れて行ったところだ。そのときは、今夜が山だ、と言われたけれど選択の余地なく入院となり、どうにか持ちこたえてくれた。今回、選択肢を与えられたのは、回復の見込みが余りに薄いからだ。どう高く見積もっても回復する可能性は20%。なら、長年一緒に暮らしてきたことだしおうちで看取れた方が良くないですか、看取れなくて後悔しませんか、と。混乱して泣いていた私には選択ができず、うちのに一存。入院させてきた。うちで看取ろうとしてもその瞬間に立ち会えるかどうかは判らないし、可能性があるなら病院に任せよう、ということで。
次回の注射は午前9時とのこと。その時間迄頑張ってくれるかどうか、解らない。動物病院からの連絡がいつあるかも判らない。連絡をくれるときは、持ち堪えられたと判断できたときか、死んだときのどちらからしい。混乱しつつも私の気持ちは、看取る方に傾いていた。草食の内臓疾患は治らないものらしい。持ち堪えても今後は毎日投薬しつつの闘病生活だ。これからも苦しむのなら、いっそ……と。草食は現在5歳半。獣医さんに草食の一般的寿命を聞くと、6〜8年とのこと。極端に若い訳でもなく、今がうちの草食の寿命なのかもしれない、と思った。診察台で撫でる草食の体は冷たい。普段なら腹や後ろ足を撫でると怒るのに、今朝の草食は何処を撫でられても怒れない。悲しかった。場所によって撫でさせてくれない草食を偏屈だと思っていたけれど、撫でさせてくれることがこんなに悲しかったなんて。これなら怒って蹴られた方が遥かにマシである。最近になってやっと懐いてきた草食。これからが蜜月だと思っていた。今日が山である。持ち堪えてくれるかどうか。うちのは信じていると言った。私は……。
前回草食を救急でこの病院に連れ込んだときは、栄養失調だった。草食に牧草を食べる習慣を身に付けさせようと、私がペレットから牧草へと強引に餌を切り替えたのだ。ペレットがなければ嫌でも牧草を食べるだろうと思っていたが、甘かった。持ち堪えてくれてからは、強引な切り替えをやめてペレットと牧草の両方をあげる形に戻した。ずっと嫌々食べていた牧草を喜んで食べるようになってくれたのは、ここ半年から1年くらいの話。かかりつけの動物病院で相談して、ペレットはおやつのような扱いで2〜3日に1度、基本のごはんは牧草にしていた。うちのは今日、動物病院に連れて行く迄のタクシーでの道中、それが良くなかったのではないか、と言っていた。牧草を主に切り替えてからの私の草食への栄養管理は、間違っていなかったと今も思う。ペレットを主にしていたところで、内臓疾患が防げたとは思えない。ただ。獣医さんに糞の状態を訊かれた。下してはいなかった。けれど、糞の大小にここ1週間ばかり、変動はあった。牧草を主に食べていた日は大きく、ペレットや野菜を食べた日は小さかった。私は食べ物が違う所為だとしか認識していなかったのだけれど、内臓に毛玉ができている兆候だったらしい。気付かなかった。牧草を食べるようになってから、草食の糞は大きくなっていた。それ以前のペレットや野菜しか食べなかった頃の糞は元々小さかったのだ。ということは、子供の頃から、もしからした生まれつき内臓疾患はあったのかもしれない。動物にも年に1度の血液検査やレントゲン撮影が義務付けられていたら、早期発見・早期治療ができたのだろう。いや、飼い主が自主的に動物病院に検査に赴くべきなのか。判らない。小さな体には、検査自体がかなりの負担になる。何にしろ今は、草食の病気に気付けなかった自分の節穴を恨むしかない。
草食にも骨髄バンクがあればいいのに! 私の体が草食の代わりに蝕まれても構わない。草食にいらぬちょっかいを出して、また怒られたい。元気になって戻ってきたらまた一緒に散歩に行きたい。今度はもっとこまめに散歩に連れて行く。もっともっと一緒に遊ぶ。もっともっともっと小屋の環境も良くする。どうか、また小屋に戻ってきて欲しい。うちの草食は生命力が強い。前回の山もどうにか越えて戻ってきたのだ。きっと今回だって戻ってくる。しかし。診察台の上で草食は、ときどき手足をバタつかせていた。貧血で眩暈を起こしている状態。つらいのだろう。苦しいのだろう。今日預けてきたのは、延命治療だ。日頃私とうちのは、助からないと解っていながらの延命治療には反対している。今回山を越えたところで、草食が苦しむ日はまたくる。前回は餌の切り替えに失敗した私の責任であり、今回のような延命治療ではなかった。草食の為の骨髄バンクはない。脾臓に疾患があったとしても、きっと手術はできない。治らない病を抱え、毎日血液増殖の為の薬を飲まされて生き長らえさせることは、飼い主の自己満足ではないか、とも思う。草食にはその薬の意味は解らないのだ。毎日嫌な物を無理矢理食べさせられる、としか思わないだろう。そしてそれは治す為の薬ではなく、処置としての薬。寿命に近いところ迄、草食は生きた。今日中にまた体温が上がり立ち上がれるようになれば、戻ってきてくれる。それでもその後の闘病生活は、草食自身に意味のあることなのか。飼い主のエゴに他ならないのではないか。草食は私が初めて飼ったペットで、雑食は後からきた子だ。草食を飼う前、私はペットと飼い主の関係についていろいろ考えた。動物を飼うという行為は、所詮人間のエゴではないのか、と。けれども1度ペットショップに連れてこられたり里親として出された子は、誰かが飼わなければ、嫌な言葉だけれど処分されることになる。処分=死。サラブレッドもそうだけれど、人間に飼育されることでしか生きていけない動物がいる。飼われることでしか生きていけないようにしてしまったのは、人間の責任だ。私はその責任の一端を、今回の延命治療で果たせるのか。答えなんか出ない。動物を擬人化して考えてはならない、と常々思ってはいる。それでも草食の手足をバタつかせる行動を、生きていたい、という足掻きと捉えて獣医さんに預けて待つ。それしか今はできない。
現在、5月10日。
一昨日、10年以上の付き合いになる友人とメッセで会話。うちの近所で行われている工事について散々愚痴を溢させてもらった。菓子折りは勿論のこと挨拶のひとつもなく、建て壊し及び再建築がいつの間にか開始された。これがまた煩い。激しく煩い。難聴になったり気狂いになっりしたら診断書付の内容証明で慰謝料を請求しよう! と、うちのと怒りあう程に煩い。私が日常の中で一番長くいるこの場所、PCデスクから直線距離にして20mもない場所で朝から晩迄ドンガラと騒ぎ立てる。やり場のないこの怒りはいつ迄続くのか。あんなこんなの私のストレッサーについて話して友人に、ストレスはないか? と訊いてみた。友人は、ストレスは特にないけれど楽しくない、とのこと。突っ込んで話を進めていくと、予め誰かが用意した、ほらコレは楽しいことだよ、的な物に対して一切楽しさを見出せないとか。これは私も同じなので気持ちはよく解るつもり。遊園地や大作と呼ばれる映画など、殆ど面白いと思えない。ほらココが叫ぶところ、ほらココは笑うところ。そんなのは人それぞれであり、いちいち反応すべきところをセッティングされているものは詰まらない。こういう共通点がこの友人と長く続いているポイントのひとつなのかな、と思った。で、そんな風に他者に楽しいという感情を半ば強要された何かを楽しめない者は、もっと違うものに楽しみを見出すしかない。これがなかなか難しい。そこで私が提案したのは、ランナーズ・ハイのようなものを求めたらどうか。生活から適度に距離があるもの。密着しすぎていてもよくないし、離れすぎていてもよくない。私がヨガやウォーキングを始めたように、友人も走ったりしてみてはどうか、と。すると友人は前々からヨガに興味があったと言い出した。流れは然るべくして私が通い始めた教室の話になる。URLを送り、行ってみての感想や長所・短所を話した。彼女の家からも遠くないこともあり、1度体験レッスンに行ってみようかな、となった。彼女は彼女でヨガ教室を探していたらしい。そして幾つかの教室に1日体験を申し込んだり申し込もうとしたりしたが、なかなか上手く行かなかったようだ。というのも、友人の仕事には定休日というものが存在しない。シフト制なので休みがまちまちであり、勤務時間もまちまちであり、毎週決まった時間にレッスンを受けるのは不可能なのだ。この難点に私が通いだした教室は、無期限のチケット制導入で上手く対応している。
そんな話をした翌日である昨日、うちのと共に2回目のレッスンに行ってきた。私たちが行った回の前はそれなりの生徒さんがいて、私たちが受けた回の生徒はうちのと私のふたりだけ。良かった。大人数でのレッスンはなるべく避けたい。私は口呼吸が身についていて鼻呼吸は意識しないとできず、呼吸に意識を集中するとポーズが上手く取れない。それ以前に体が硬いので呼吸云々を別にしてもポーズは下手だ。他の生徒さんの足手纏いになることは想像に難くない。レッスン開始から暫くすると自分の世界に入る。隣にいるうちのが気にならなくなる。が、先生の声を聞いていると、どうやらうちのも、体が硬かったり男性特有の骨格及びぽっちゃりした体型についている贅肉が邪魔をして、上手くポーズを取れていないらしい。もしかしたら先生からのアドバイスは私へのものより、うちのへのものの方が多かったかもしれない。私は独学していたことが多少なりとも役立っているようだ。立ちポーズが一通り終わると、水飲み休憩。そのとき先生に、貴方方は日本一体が硬いカップルかもしれない、と苦笑された。私は、日本一体が硬い、と言われ慣れているのだが、うちのにはショックだったようだ。けれどこの話やレッスン中の会話で、この先生がいい先生だと思った。体が硬く呼吸も下手な生徒は、教える側にしたら厄介だ。なのに厄介払いをしようとはせず、何かのポーズにふたりして苦戦しているときに、これは教えるこちらの課題ですね、と言っていた。体が硬い=ヨガに不向き=いない方がマシな生徒、ではなく、厄介な生徒=教える側が勉強しよう、と考えてくれるのは嬉しい。また口呼吸が身についている私に、鼻の通りが良くなる市販薬も教えてくれた。この日記を書き終えたら、それを買いに行く予定。それにしても私は腹筋を使うポーズが悉くできない。生まれてこの方、仰向けに寝て頭の後ろに手を置き腹に力を入れて臍を見る腹筋運動はできるけれど、上体を起こす腹筋運動はできたことがないのだ。背筋については問題ないようだけれど。腹筋と膝を伸ばすことが目下の課題である。鼻呼吸とポーズが連動しないことを相談すると、まずはポーズを覚えてそれから鼻呼吸を合わせるようにした方がいい、とのこと。次回からは余裕を持ってできるポーズのときのみ鼻呼吸を意識して、それ以外では遠慮なく口呼吸でやらせてもらうこと決定。
レッスン後、うちのとお茶を飲んで外食して帰宅。お茶を飲みつつ話しているときに、ひとつ気付いたこと。私は寝ポーズのときに方向転換をして屍のポーズに移る際にくらくらする。三半規管が弱いんでしょうかね、などと先生と話していた。うちのは、ホットヨガ故に暑さの所為もあるのではないか、と言っていた。それで成程、と。屍のポーズに移る際のくらくらは何かに似ていると思っていた、その謎が解けた気がした。バスなどの乗り物は大概涼しめの温度設定になっている。その方が乗り物酔いを避け易いからだ。暑い車内は酔いを増幅させる。何かに似ている、の正体は、暑い車で本格的に酔う間際の感覚、だった。元々が乗り物酔いし易い体質。納得である。ヨガは自律神経に訊くという。先生曰く、片足で立つポーズは特に自律神経の弱まりに効くらしい。自律神経と三半規管は関係しているのかどうか、私はまだ知らない。自律神経が正常になるうちに三半規管も強くなればいいなあ、と思った。また先生はPDについても調べてくれたらしい。うちのが言うには、病気持ちの生徒に何かあったら困るからだろう、とのことだが、私は入ったばかりの生徒への気遣いと受け取り、嬉しくなった。ただやはりまだまだ先生のPDへの理解は甘い。PDといえば広場恐怖が主な症状であり、やはりそこに着目してしまったようだ。私のは親との諸々で、主に精神的衝撃を受けたときに発作が出ると説明した。尤も、最近は騒音ストレスの為か、日常的に予期不安状態が続いているのだが。騒音から離れ、暑い教室で文字通り滴る汗をかいた後は気持ちがいい。久々に昨日は熟睡できた。良き哉、良き哉。
一昨日、10年以上の付き合いになる友人とメッセで会話。うちの近所で行われている工事について散々愚痴を溢させてもらった。菓子折りは勿論のこと挨拶のひとつもなく、建て壊し及び再建築がいつの間にか開始された。これがまた煩い。激しく煩い。難聴になったり気狂いになっりしたら診断書付の内容証明で慰謝料を請求しよう! と、うちのと怒りあう程に煩い。私が日常の中で一番長くいるこの場所、PCデスクから直線距離にして20mもない場所で朝から晩迄ドンガラと騒ぎ立てる。やり場のないこの怒りはいつ迄続くのか。あんなこんなの私のストレッサーについて話して友人に、ストレスはないか? と訊いてみた。友人は、ストレスは特にないけれど楽しくない、とのこと。突っ込んで話を進めていくと、予め誰かが用意した、ほらコレは楽しいことだよ、的な物に対して一切楽しさを見出せないとか。これは私も同じなので気持ちはよく解るつもり。遊園地や大作と呼ばれる映画など、殆ど面白いと思えない。ほらココが叫ぶところ、ほらココは笑うところ。そんなのは人それぞれであり、いちいち反応すべきところをセッティングされているものは詰まらない。こういう共通点がこの友人と長く続いているポイントのひとつなのかな、と思った。で、そんな風に他者に楽しいという感情を半ば強要された何かを楽しめない者は、もっと違うものに楽しみを見出すしかない。これがなかなか難しい。そこで私が提案したのは、ランナーズ・ハイのようなものを求めたらどうか。生活から適度に距離があるもの。密着しすぎていてもよくないし、離れすぎていてもよくない。私がヨガやウォーキングを始めたように、友人も走ったりしてみてはどうか、と。すると友人は前々からヨガに興味があったと言い出した。流れは然るべくして私が通い始めた教室の話になる。URLを送り、行ってみての感想や長所・短所を話した。彼女の家からも遠くないこともあり、1度体験レッスンに行ってみようかな、となった。彼女は彼女でヨガ教室を探していたらしい。そして幾つかの教室に1日体験を申し込んだり申し込もうとしたりしたが、なかなか上手く行かなかったようだ。というのも、友人の仕事には定休日というものが存在しない。シフト制なので休みがまちまちであり、勤務時間もまちまちであり、毎週決まった時間にレッスンを受けるのは不可能なのだ。この難点に私が通いだした教室は、無期限のチケット制導入で上手く対応している。
そんな話をした翌日である昨日、うちのと共に2回目のレッスンに行ってきた。私たちが行った回の前はそれなりの生徒さんがいて、私たちが受けた回の生徒はうちのと私のふたりだけ。良かった。大人数でのレッスンはなるべく避けたい。私は口呼吸が身についていて鼻呼吸は意識しないとできず、呼吸に意識を集中するとポーズが上手く取れない。それ以前に体が硬いので呼吸云々を別にしてもポーズは下手だ。他の生徒さんの足手纏いになることは想像に難くない。レッスン開始から暫くすると自分の世界に入る。隣にいるうちのが気にならなくなる。が、先生の声を聞いていると、どうやらうちのも、体が硬かったり男性特有の骨格及びぽっちゃりした体型についている贅肉が邪魔をして、上手くポーズを取れていないらしい。もしかしたら先生からのアドバイスは私へのものより、うちのへのものの方が多かったかもしれない。私は独学していたことが多少なりとも役立っているようだ。立ちポーズが一通り終わると、水飲み休憩。そのとき先生に、貴方方は日本一体が硬いカップルかもしれない、と苦笑された。私は、日本一体が硬い、と言われ慣れているのだが、うちのにはショックだったようだ。けれどこの話やレッスン中の会話で、この先生がいい先生だと思った。体が硬く呼吸も下手な生徒は、教える側にしたら厄介だ。なのに厄介払いをしようとはせず、何かのポーズにふたりして苦戦しているときに、これは教えるこちらの課題ですね、と言っていた。体が硬い=ヨガに不向き=いない方がマシな生徒、ではなく、厄介な生徒=教える側が勉強しよう、と考えてくれるのは嬉しい。また口呼吸が身についている私に、鼻の通りが良くなる市販薬も教えてくれた。この日記を書き終えたら、それを買いに行く予定。それにしても私は腹筋を使うポーズが悉くできない。生まれてこの方、仰向けに寝て頭の後ろに手を置き腹に力を入れて臍を見る腹筋運動はできるけれど、上体を起こす腹筋運動はできたことがないのだ。背筋については問題ないようだけれど。腹筋と膝を伸ばすことが目下の課題である。鼻呼吸とポーズが連動しないことを相談すると、まずはポーズを覚えてそれから鼻呼吸を合わせるようにした方がいい、とのこと。次回からは余裕を持ってできるポーズのときのみ鼻呼吸を意識して、それ以外では遠慮なく口呼吸でやらせてもらうこと決定。
レッスン後、うちのとお茶を飲んで外食して帰宅。お茶を飲みつつ話しているときに、ひとつ気付いたこと。私は寝ポーズのときに方向転換をして屍のポーズに移る際にくらくらする。三半規管が弱いんでしょうかね、などと先生と話していた。うちのは、ホットヨガ故に暑さの所為もあるのではないか、と言っていた。それで成程、と。屍のポーズに移る際のくらくらは何かに似ていると思っていた、その謎が解けた気がした。バスなどの乗り物は大概涼しめの温度設定になっている。その方が乗り物酔いを避け易いからだ。暑い車内は酔いを増幅させる。何かに似ている、の正体は、暑い車で本格的に酔う間際の感覚、だった。元々が乗り物酔いし易い体質。納得である。ヨガは自律神経に訊くという。先生曰く、片足で立つポーズは特に自律神経の弱まりに効くらしい。自律神経と三半規管は関係しているのかどうか、私はまだ知らない。自律神経が正常になるうちに三半規管も強くなればいいなあ、と思った。また先生はPDについても調べてくれたらしい。うちのが言うには、病気持ちの生徒に何かあったら困るからだろう、とのことだが、私は入ったばかりの生徒への気遣いと受け取り、嬉しくなった。ただやはりまだまだ先生のPDへの理解は甘い。PDといえば広場恐怖が主な症状であり、やはりそこに着目してしまったようだ。私のは親との諸々で、主に精神的衝撃を受けたときに発作が出ると説明した。尤も、最近は騒音ストレスの為か、日常的に予期不安状態が続いているのだが。騒音から離れ、暑い教室で文字通り滴る汗をかいた後は気持ちがいい。久々に昨日は熟睡できた。良き哉、良き哉。
うちのがこの日記を読んだのか、共通の趣味、について提言してきてくれた。けれどどれも自分の今最も関心のあるダイエットに纏わるものばかり。最初はスポーツクラブでのプールについてふたりで調べてみた。が。よく考えてみると、私は少なくとも年内、プールは避けたい。ピアスホールが完成し、数時間つけなくても閉じない迄完成してからでなくては、プールは無理だ。しょぼん。プールが使えないなら、私にとってスポーツクラブやジムは無価値。ピアスをつけたままでできること……調べに調べて、初心に帰る。去年だったか、独学でヨガをやっていた。詳しい解説とgifアニメのあるサイトで学びつつ、ヨガをする前の準備体操と太陽礼拝迄を行っていたのだ。そうだ、ヨガならいいのではなかろうか。そう思って調べたら、なんと一駅先にヨガ教室を発見。近いし、去年の秋にオープンしたばかりで綺麗だし、何よりヨガの中でもホットヨガというのが良い。うちのは最初乗り気ではなかった。もっと解り易く、運動してるぜ! 的なものを求めていたから。ヨガの良さを、私は人と競ったりしないで馴れ合いのない環境で運動をしたいことと自分のペースでできること、そしてダイエットにも効果があることなどとなんだかんだと説明し、とにかく体験レッスンだけでも受けてみようよ、ということで昨日申し込んで今日行ってきた。
体験レッスンは15時から80分。一駅先迄ふたりで歩き、途中でバスタオルや水分などの持ってくるよう言われていた物を購入しつつ歩いた。到着して名前を書いて体験レッスン料を支払い、着替えて教室内へ。暖かい。床暖房と普通の暖房で大体40℃程度にしてあるとか。ヨガマットは持参の必要もなければレンタルも無料で良心的。更衣室も広くはないけれど清潔で好感が持てた。時間迄、レッスンを始めたいと思ったふたりの動機と体調などを説明。15時になってレッスン開始。私たち以外の生徒はもうひとりだけだった。鏡張りの方を向いて先生のポーズや呼吸を真似する。ここで照れが出てしまった。写真も嫌いな私は、運動している自分を鏡で見るのも苦手。とにかく恥ずかしくて照れ臭く、にたにたしてしまう。にたにたは、吹き出して笑い出すのを堪えた為。この最初の呼吸がもう上手くできない。手が離れたり、顎が上がったり、鼻炎持ちの私は鼻呼吸がつらくて呼吸そのものが乱れたり。先生は、無理なく心地良く身体が伸ばせること、に重点を置いているようで、できない私を叱ることもなければ口呼吸もOKにしてくれた。これでかなりやり易くなった。それから見様見真似でいろんなポーズを取っていく。どうやら独学をしていたことと背筋力だけはあることで、まるっきりついていけないのでは、という当初の不安は払拭された。背筋を使うポーズについては、先生からお褒めの言葉を戴けたり。隣でやっていたうちのも苦戦していた。うちのは所謂、普通の運動、が身体に染みこんでしまっているようで、ヨガ特有の動きがピンとこないらしく、なかなか上手くポーズを取れなかった模様。それでも先生がフォローを入れてくれて、どうにか追いついている形。もうひとりの生徒さんの足手纏いなふたり……。
前半は立ちポーズ中心。2〜3分位の休憩を挟んで後半。今度は寝ポーズが中心。柔軟性や腹筋力を求められる物がつらいのは勿論のこと、何がキツイってひとつのポーズ終える毎に挟まれる、屍のポーズ。ポーズを終えて屍の体勢を取る間の自由な動きが一番キツかった。これはちょっと意外。私は自分で準備体操と太陽礼拝をしていた頃に最後に屍のポーズを取っていたので、先生に言われた首の向き以外に問題はなかったが、うちのはいちいち掌の方向を注意されていた。最初に予備知識として教えておけば良かったな、とさっき後悔。屍のポーズは掌を上向きにするのだ。うちのは仰向けに寝たら掌を床につける癖が、いつの間にかついていたらしい。背中に手を回して両手を繋ぐポーズに柔軟性が追いつかないときは、タオルを使ってもいいと教えてもらえたのが私には目から鱗だった。成程ね。独学でやっていたとき、これが非常にキツかったのに一気に解消された。やっぱり鏡の前で動く・先生に教わる、このふたつの効果は独学では決して得られない。とても為になった。運動前からじんわりと汗が滲み出て、運動中には滝の汗。先生が着替えとして下着も持ってくるよう言っていたのが実感できた。頭のてっぺんから足の先迄汗だくだく。けれど大変に気持ちの良い汗。一番最後のポーズのときは先生が私には見学しているように言われた。これはもうくたくたになっていたことと、柔軟性のなさで不可能だということが解られていたからだろう。見ていると、寝ポーズで首だけで全体重を支えるポーズ。確かに私には不可能だ。そのうちできるようになれると嬉しいだろうなあ。
レッスン後、更衣室でもうひとりの生徒さんからこの教室についていろいろ聞いてみた。いつも生徒は少なめで時にはマンツーマン。設備はいい。続けたければとにかく家や職場から使いところを探すのがポイントよ、と独自のスポーツを続ける為のコツ迄ご披露戴いた。シャワーを浴びて、うちのと落ち合い相談。さて、入会するかしないか。直ぐに意見は一致して、入会した。後から切り替えもできるということで、取り敢えずはふたりともチケット制で入会。お金を払って教室を出た。うちのは顔が真っ赤。舐めていた、と言っていた。ヨガにこれ程の運動量があるとは思っておらず、柔軟体操に毛が生えたもの程度に考えていたらしい。そして、いやーこれは効くわー、と。誘った甲斐あり。そして近所にこんないい教室があったことが何よりのラッキーだった。帰宅途中に発見したアジア料理屋で夕食を取った。会話の中心は当然、今日の体験レッスンについて。レッスンの内容は言わずもがなとして、うちのは更衣室のシャワールームにあったパックスナチュロンのボディソープがお気に召した模様。今迄うちで使っていたボディソープが近所の薬局からなくなってしまったことだし、詰め替えの予備がなくなればこれに切り替えてもいいかもしれない。女性用更衣室内シャワールームにも同じ物があり、私も使ってみて好感触だった。夕食を食べて、雑貨屋と薬局に寄って買い物して帰宅。私はすぐさま就寝。自分で思っていた以上にくたくたになっていたらしく、すぐに寝付けた。不眠解消にも良さそうだ。お稽古事なんて何年ぶりだろう。ひとりではないから続けられそうな予感。まずは今月、ちゃんとふたりで週に1度は行くことが目標である。
服装/セントジェームスのコバルトブルーバスクシャツ+i.sの前面シースルーピンクレースプリント白Tシャツ+QTO*Pの黒×ピンクスパッツ+スカラーの前スリットピンクスカート+cavacavaのノーヒールパンプス+モナミピエルロのオフホワイトレザーカバーオール+ピンクのストール+のだめバッグ
体験レッスンは15時から80分。一駅先迄ふたりで歩き、途中でバスタオルや水分などの持ってくるよう言われていた物を購入しつつ歩いた。到着して名前を書いて体験レッスン料を支払い、着替えて教室内へ。暖かい。床暖房と普通の暖房で大体40℃程度にしてあるとか。ヨガマットは持参の必要もなければレンタルも無料で良心的。更衣室も広くはないけれど清潔で好感が持てた。時間迄、レッスンを始めたいと思ったふたりの動機と体調などを説明。15時になってレッスン開始。私たち以外の生徒はもうひとりだけだった。鏡張りの方を向いて先生のポーズや呼吸を真似する。ここで照れが出てしまった。写真も嫌いな私は、運動している自分を鏡で見るのも苦手。とにかく恥ずかしくて照れ臭く、にたにたしてしまう。にたにたは、吹き出して笑い出すのを堪えた為。この最初の呼吸がもう上手くできない。手が離れたり、顎が上がったり、鼻炎持ちの私は鼻呼吸がつらくて呼吸そのものが乱れたり。先生は、無理なく心地良く身体が伸ばせること、に重点を置いているようで、できない私を叱ることもなければ口呼吸もOKにしてくれた。これでかなりやり易くなった。それから見様見真似でいろんなポーズを取っていく。どうやら独学をしていたことと背筋力だけはあることで、まるっきりついていけないのでは、という当初の不安は払拭された。背筋を使うポーズについては、先生からお褒めの言葉を戴けたり。隣でやっていたうちのも苦戦していた。うちのは所謂、普通の運動、が身体に染みこんでしまっているようで、ヨガ特有の動きがピンとこないらしく、なかなか上手くポーズを取れなかった模様。それでも先生がフォローを入れてくれて、どうにか追いついている形。もうひとりの生徒さんの足手纏いなふたり……。
前半は立ちポーズ中心。2〜3分位の休憩を挟んで後半。今度は寝ポーズが中心。柔軟性や腹筋力を求められる物がつらいのは勿論のこと、何がキツイってひとつのポーズ終える毎に挟まれる、屍のポーズ。ポーズを終えて屍の体勢を取る間の自由な動きが一番キツかった。これはちょっと意外。私は自分で準備体操と太陽礼拝をしていた頃に最後に屍のポーズを取っていたので、先生に言われた首の向き以外に問題はなかったが、うちのはいちいち掌の方向を注意されていた。最初に予備知識として教えておけば良かったな、とさっき後悔。屍のポーズは掌を上向きにするのだ。うちのは仰向けに寝たら掌を床につける癖が、いつの間にかついていたらしい。背中に手を回して両手を繋ぐポーズに柔軟性が追いつかないときは、タオルを使ってもいいと教えてもらえたのが私には目から鱗だった。成程ね。独学でやっていたとき、これが非常にキツかったのに一気に解消された。やっぱり鏡の前で動く・先生に教わる、このふたつの効果は独学では決して得られない。とても為になった。運動前からじんわりと汗が滲み出て、運動中には滝の汗。先生が着替えとして下着も持ってくるよう言っていたのが実感できた。頭のてっぺんから足の先迄汗だくだく。けれど大変に気持ちの良い汗。一番最後のポーズのときは先生が私には見学しているように言われた。これはもうくたくたになっていたことと、柔軟性のなさで不可能だということが解られていたからだろう。見ていると、寝ポーズで首だけで全体重を支えるポーズ。確かに私には不可能だ。そのうちできるようになれると嬉しいだろうなあ。
レッスン後、更衣室でもうひとりの生徒さんからこの教室についていろいろ聞いてみた。いつも生徒は少なめで時にはマンツーマン。設備はいい。続けたければとにかく家や職場から使いところを探すのがポイントよ、と独自のスポーツを続ける為のコツ迄ご披露戴いた。シャワーを浴びて、うちのと落ち合い相談。さて、入会するかしないか。直ぐに意見は一致して、入会した。後から切り替えもできるということで、取り敢えずはふたりともチケット制で入会。お金を払って教室を出た。うちのは顔が真っ赤。舐めていた、と言っていた。ヨガにこれ程の運動量があるとは思っておらず、柔軟体操に毛が生えたもの程度に考えていたらしい。そして、いやーこれは効くわー、と。誘った甲斐あり。そして近所にこんないい教室があったことが何よりのラッキーだった。帰宅途中に発見したアジア料理屋で夕食を取った。会話の中心は当然、今日の体験レッスンについて。レッスンの内容は言わずもがなとして、うちのは更衣室のシャワールームにあったパックスナチュロンのボディソープがお気に召した模様。今迄うちで使っていたボディソープが近所の薬局からなくなってしまったことだし、詰め替えの予備がなくなればこれに切り替えてもいいかもしれない。女性用更衣室内シャワールームにも同じ物があり、私も使ってみて好感触だった。夕食を食べて、雑貨屋と薬局に寄って買い物して帰宅。私はすぐさま就寝。自分で思っていた以上にくたくたになっていたらしく、すぐに寝付けた。不眠解消にも良さそうだ。お稽古事なんて何年ぶりだろう。ひとりではないから続けられそうな予感。まずは今月、ちゃんとふたりで週に1度は行くことが目標である。
服装/セントジェームスのコバルトブルーバスクシャツ+i.sの前面シースルーピンクレースプリント白Tシャツ+QTO*Pの黒×ピンクスパッツ+スカラーの前スリットピンクスカート+cavacavaのノーヒールパンプス+モナミピエルロのオフホワイトレザーカバーオール+ピンクのストール+のだめバッグ
現在4月14日。
うちは狭い。狭いのに物欲王と物欲女王がいるので更に狭い。そこで私は考えた。まず、半間分しかないクローゼットの有効活用。今、クローゼットには衣類と服飾小物が詰まっている。クローゼットの扉の前には雑食動物のタオル製寝床がひとつ。私がクローゼットから物を出そうと思ったときに限って、雑食がそこで寝ている。雑食を起こすのを憚り、結局部屋に積んである衣類専用箱に入っているものばかりを着る羽目になる。クローゼットに入れてある衣類は、畳んでしまい難い物だけでなく、脂や埃で汚したくないちょっと高い衣類も入っている。正に宝の持ち腐れ。勿体無いので着たい。この寝床さえなければもっと気軽にクローゼットの中の物を使えるのに……。そして今、ひとつの籠を捨てようとしている。雑食用の籐籠製キャリー。このキャリーは物凄く可愛い。けれど既に壊れており、ただの雑食用寝床と化している。この籐籠製キャリーだって、常日頃から寝床として使われているのならば、私だって処分しようとは思わない。実際には、気まぐれにしか使われていない。数ヶ月に1度、そこで寝ているのを見るかどうか程度。要らないのではないか? 私がそう考えても不思議はあるまい。この籐籠製キャリーは居間の衣類ラックの下に置いてある。このキャリーを捨て、そこにクローゼット前の寝床を移してみた。只でさえ、雑食の寝床は多い。1匹しかいないのに、タオル製寝床・寝床にしかならない籐籠製キャリー・衣類箱の上に畳んで置いてあるタオルケット、少なくともこの3箇所は雑食専用の居場所だ。更に出窓や布団でごろごろしていたりもする。1箇所くらい減らしてもいいではないか。籐籠製キャリーを退かしてタオル製寝床をそこに置いた。雑食の反応は如何に。
暴れている。居間とキッチンを行き来して、うちのと私の顔を悲しそうな目で見ている。切ない声で鳴いている。捨てるなと? でも実際、殆ど使ってないだろ! うちの近辺の燃えるゴミの日は月曜と木曜。さっき退かした籐籠製キャリーは、現在ベランダに出してある。1日様子をみる予定。使っていないけれど自分専用と理解している物への執着心か、それとも配置転換による戸惑いによるものか。前者なら元の配置に戻すかもしれないが、後者なら容赦なく木曜に捨てる。いちいちこんなことを書いているのは、私自身が雑食の哀愁漂う目にやられて、直ぐにでも元に戻してしまいそうだからだ。ここに書くことで強い意志を、と。書いているうちに雑食が少し大人しくなってきた。今、元々タオル製寝床があった場所で毛繕いをしている。ここが私のメインの場所じゃ! と自己主張しているかのようだ。とにかく、明日いっぱいは様子をみる! ここに宣言! どうせ滅多に使っていなかった物じゃないか! うちの迄が雑食の胸の内を代弁しているかのように、好き勝手に私を責めてくる。あたしのばしょー! あたしここがすきなのー! かなしいよー! 知らん知らん!! 本心なんか解りゃしない。と、自分に言い聞かせる。 人間と共生しているのに、いつ迄も姫気分でいてもらっては困るのだ。
……クローゼットの中の衣類って、本当に必要なのだろうか? 物への執着について、私は雑食の欲求よりも自己の欲求を優先しようとしているだけではなかろうか。我侭なのは誰だ? クローゼット前に置いていたタオル製寝床で寝ている雑食に、勝手に憐憫を感じて退かさずにいた自分に罪はないのか。今後、寝ているときに起こされて物を出し入れされることと、まず使わないながらも人間に比べて格段に少ない自分の持ち物を捨てられるのとどちらがマシなのだろう。私は自分が寝ているときに起こされるのは嫌いだ。雑食もきっと嫌いだろう、とは思う。だからといって、物を捨てることとごっちゃにしていいものだろうか。答えが出せない……。籐籠製キャリーが壊れていなければ、迷いなく置いておく。だが、壊れているのだ。キャリーとしては使い物にならなくなっているのだ。使い物にならず、でもそれに執着心を持つ。人間同士なら、会話をして解決策を見つけ出せるだろう。今回の相手は動物。観察して気持ちを汲み取る努力しかできない。ハッキリと雑食の口から、すてていいよー、若しくは、すてちゃだめー! と言われればこんなに困らずに済むのに。去年だったか、ペットの言葉や気持ちが解るという商品が発売された。使い物にならないらしい。飼い主がペットの気持ちを最も知りたいのはどんなときか。それは、体調が悪いかどうかではないだろうか。動物は人間と会話を交わせないので具合が悪くても自ら、病院に連れて行って、とは言えない。特に種によっては限界迄我慢してしまう習性があり、飼い主が動物の体調不良に気付いたときには手遅れということも少なくない。こういう役割を、上記の道具は全く果たしてくれないらしい。単純に、大好きだわん、楽しいにゃん、くらいしか表示されないとか。所詮、玩具だ。今、雑食が移動されたタオル製寝床で丸くなっている。やっと落ち着いたらしい。やはり籐籠製キャリーは捨てる方向で考えよう。大丈夫そうだね、とうちのに話しかけた。うちのの返答は含みのある口調で、にやにやしつつ、そうかな? なんでこう偏屈なんだろう。大丈夫そうだね、と言っているのだから、そうだね、と素直に返してくれればいいものを。含みのある物言いをされるとまたいろいろと考えてしまうではないか。
文句があるなら自分で空間有効利用について提案してきてくれ。うちは狭いんだ。尤も。元々うちは狭くなかった。ここに初めて私が来たとき、とてもシンプルで広い部屋だった。狭くなったのは私と動物2匹が転がり込んでからだ。独り暮らし用の部屋にふたりと2匹で住もうとすれば、狭くなるのは道理である。しかも物欲王と物欲女王。物欲王は、その名の通りに物を欲しがり買いたがる。けれど買うものはコンパクトな物が多く、また不要になった物は直ぐに捨てる性質。物欲女王は嵩張る物を欲しがり買いたがる。そして買った物は物としてダメになる迄保存なり保管なりして取っておきたがる。だって欲しいんだもん! 一昨日久々に某ネットオークションを覗いて、現在30近くの品をウォッチリストに入れてある。高い物は買わない。欲しいと思いつつ、入札額の高騰を望む矛盾。しかも昨日は立ち読みした雑誌でスティラの限定パレットを見てしまった。2種共に5月発売。2種が1度に出るときは大概片方はパーソナルカラーに合わないのに、今回はどちらも使えそうな予感。むしろ悪寒。
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
うちは狭い。狭いのに物欲王と物欲女王がいるので更に狭い。そこで私は考えた。まず、半間分しかないクローゼットの有効活用。今、クローゼットには衣類と服飾小物が詰まっている。クローゼットの扉の前には雑食動物のタオル製寝床がひとつ。私がクローゼットから物を出そうと思ったときに限って、雑食がそこで寝ている。雑食を起こすのを憚り、結局部屋に積んである衣類専用箱に入っているものばかりを着る羽目になる。クローゼットに入れてある衣類は、畳んでしまい難い物だけでなく、脂や埃で汚したくないちょっと高い衣類も入っている。正に宝の持ち腐れ。勿体無いので着たい。この寝床さえなければもっと気軽にクローゼットの中の物を使えるのに……。そして今、ひとつの籠を捨てようとしている。雑食用の籐籠製キャリー。このキャリーは物凄く可愛い。けれど既に壊れており、ただの雑食用寝床と化している。この籐籠製キャリーだって、常日頃から寝床として使われているのならば、私だって処分しようとは思わない。実際には、気まぐれにしか使われていない。数ヶ月に1度、そこで寝ているのを見るかどうか程度。要らないのではないか? 私がそう考えても不思議はあるまい。この籐籠製キャリーは居間の衣類ラックの下に置いてある。このキャリーを捨て、そこにクローゼット前の寝床を移してみた。只でさえ、雑食の寝床は多い。1匹しかいないのに、タオル製寝床・寝床にしかならない籐籠製キャリー・衣類箱の上に畳んで置いてあるタオルケット、少なくともこの3箇所は雑食専用の居場所だ。更に出窓や布団でごろごろしていたりもする。1箇所くらい減らしてもいいではないか。籐籠製キャリーを退かしてタオル製寝床をそこに置いた。雑食の反応は如何に。
暴れている。居間とキッチンを行き来して、うちのと私の顔を悲しそうな目で見ている。切ない声で鳴いている。捨てるなと? でも実際、殆ど使ってないだろ! うちの近辺の燃えるゴミの日は月曜と木曜。さっき退かした籐籠製キャリーは、現在ベランダに出してある。1日様子をみる予定。使っていないけれど自分専用と理解している物への執着心か、それとも配置転換による戸惑いによるものか。前者なら元の配置に戻すかもしれないが、後者なら容赦なく木曜に捨てる。いちいちこんなことを書いているのは、私自身が雑食の哀愁漂う目にやられて、直ぐにでも元に戻してしまいそうだからだ。ここに書くことで強い意志を、と。書いているうちに雑食が少し大人しくなってきた。今、元々タオル製寝床があった場所で毛繕いをしている。ここが私のメインの場所じゃ! と自己主張しているかのようだ。とにかく、明日いっぱいは様子をみる! ここに宣言! どうせ滅多に使っていなかった物じゃないか! うちの迄が雑食の胸の内を代弁しているかのように、好き勝手に私を責めてくる。あたしのばしょー! あたしここがすきなのー! かなしいよー! 知らん知らん!! 本心なんか解りゃしない。と、自分に言い聞かせる。 人間と共生しているのに、いつ迄も姫気分でいてもらっては困るのだ。
……クローゼットの中の衣類って、本当に必要なのだろうか? 物への執着について、私は雑食の欲求よりも自己の欲求を優先しようとしているだけではなかろうか。我侭なのは誰だ? クローゼット前に置いていたタオル製寝床で寝ている雑食に、勝手に憐憫を感じて退かさずにいた自分に罪はないのか。今後、寝ているときに起こされて物を出し入れされることと、まず使わないながらも人間に比べて格段に少ない自分の持ち物を捨てられるのとどちらがマシなのだろう。私は自分が寝ているときに起こされるのは嫌いだ。雑食もきっと嫌いだろう、とは思う。だからといって、物を捨てることとごっちゃにしていいものだろうか。答えが出せない……。籐籠製キャリーが壊れていなければ、迷いなく置いておく。だが、壊れているのだ。キャリーとしては使い物にならなくなっているのだ。使い物にならず、でもそれに執着心を持つ。人間同士なら、会話をして解決策を見つけ出せるだろう。今回の相手は動物。観察して気持ちを汲み取る努力しかできない。ハッキリと雑食の口から、すてていいよー、若しくは、すてちゃだめー! と言われればこんなに困らずに済むのに。去年だったか、ペットの言葉や気持ちが解るという商品が発売された。使い物にならないらしい。飼い主がペットの気持ちを最も知りたいのはどんなときか。それは、体調が悪いかどうかではないだろうか。動物は人間と会話を交わせないので具合が悪くても自ら、病院に連れて行って、とは言えない。特に種によっては限界迄我慢してしまう習性があり、飼い主が動物の体調不良に気付いたときには手遅れということも少なくない。こういう役割を、上記の道具は全く果たしてくれないらしい。単純に、大好きだわん、楽しいにゃん、くらいしか表示されないとか。所詮、玩具だ。今、雑食が移動されたタオル製寝床で丸くなっている。やっと落ち着いたらしい。やはり籐籠製キャリーは捨てる方向で考えよう。大丈夫そうだね、とうちのに話しかけた。うちのの返答は含みのある口調で、にやにやしつつ、そうかな? なんでこう偏屈なんだろう。大丈夫そうだね、と言っているのだから、そうだね、と素直に返してくれればいいものを。含みのある物言いをされるとまたいろいろと考えてしまうではないか。
文句があるなら自分で空間有効利用について提案してきてくれ。うちは狭いんだ。尤も。元々うちは狭くなかった。ここに初めて私が来たとき、とてもシンプルで広い部屋だった。狭くなったのは私と動物2匹が転がり込んでからだ。独り暮らし用の部屋にふたりと2匹で住もうとすれば、狭くなるのは道理である。しかも物欲王と物欲女王。物欲王は、その名の通りに物を欲しがり買いたがる。けれど買うものはコンパクトな物が多く、また不要になった物は直ぐに捨てる性質。物欲女王は嵩張る物を欲しがり買いたがる。そして買った物は物としてダメになる迄保存なり保管なりして取っておきたがる。だって欲しいんだもん! 一昨日久々に某ネットオークションを覗いて、現在30近くの品をウォッチリストに入れてある。高い物は買わない。欲しいと思いつつ、入札額の高騰を望む矛盾。しかも昨日は立ち読みした雑誌でスティラの限定パレットを見てしまった。2種共に5月発売。2種が1度に出るときは大概片方はパーソナルカラーに合わないのに、今回はどちらも使えそうな予感。むしろ悪寒。
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
久々に入浴。バスソルトはローズ。小悪魔だから……ではない。うちはユニットバスであり、体の疲れ云々を気にしなければ、シャワーで済ますのが妥当だ。なのにお湯を張ったのは、単に垢すりをするにあたり汗をかこうという試みの為だ。今日の夕方の入浴。準備は昨日の夜から始めた。まず顔の産毛処理。髪を丁寧に梳かして埃などを取り除く。左耳の新規ピアスホールをファーストピアスに変更。ついでに手指の爪をスクエアオフに鑢かけし、足の爪を切った。今日は強力なクレンジングクリームとウエットティッシュとクレンジングシートを駆使して顔の汚れを取り除き、その後角質排除のジェルでマッサージ。歯磨きも普段使っている物ではなく、たまにしか使わない脂取り用美白歯磨き粉を使用。首から上を綺麗にし、湯船につかった。自然に腰を落とした状態では狭くて、足が伸ばせないのがちょっとつらいけれどそれは我慢。縁に並べてあるシャンプーなどのバスグッズを退かし、頭を擡げてどうにか足を伸ばす。後焚きはできないのでお湯が温くなってきたら少し流して、その分熱いお湯を追加。それを数度繰り返したけれど、今日はかなり寒かった所為か体が冷えていて汗をかくには至らなかった。仕方がないので発汗を待たずに垢すり開始。
体を洗う順番はいつも、左腕→右腕→上半身前面→上半身背面→尻周り→右足→左足。垢すりのときは上半身背面が最後になる。順番通りに擦ると、何処もかしこも出るわ出るわ、ぽろぽろと。自分の手で届く範囲を済ませてからうちのを呼び、背中をこすってもらった。他者の手による垢すりは自分の手でするよりも気持ちいいものだと、昔は思っていた。間違っていた……。うちのがしてくれる垢すりはぬるい。もっとガシガシ擦って欲しいのに、ちょっと肌に赤味が差してくると終わりにしてしまうのだ。結局は硬い体に鞭して腕を背中に回して、やっとのことで自分でやり直すことになる。それでもどうしても届かない部分はあるので、うちのの協力は有難い。うちのは私の背中を擦りつつ、湯船に浮かんだ老廃物を見つつ、汚い汚い、と騒いでいた。汚い臭い、とうちのが煩いから風呂に入ったのだ。文句を言わないで戴きたい。自分の体臭には鈍くなるもので自身では全く感じないけれど、数日入浴しないでいるとうちのが臭がる。解らん。解らんけれど、臭い、と言うのだから臭いのだろう。私が傍にいないのに寝言で、臭い臭い、とぶつぶつ言っていたこともあった。常の私はそんなに迄も臭いのか……。
垢すり終了後、軽石で肘・膝・足裏をごしごしと擦り、お湯を排水溝に流し湯船を軽く洗ってからプレシャンプー。多めにつけて指の腹でわしわしと洗う。ぽかぽかしてきて気持ちいいけれど、このとき首と肩に相当な負担がかかる。唐辛子成分が入っている為、肌に流れてくると痛いのだ。だから思いっ切り上体を反らしてわしわし。プレシャンプーを洗い流して洗顔をして、ボディブラシで体を洗う。体を洗うにはボディブラシかナイロンタオルに限る、というのが私の持論だ。その他の素材のタオルやスポンジでは洗った気がしない。許容できるその他の素材は精々糸瓜くらいだ。けれどナイロンタオルは肌に宜しくないらしい。なので長年ボディブラシを使用している。このボディブラシにも拘りがあり、馬毛が大半を占めていなければならない。豚毛では柔らかすぎるのだ。馬・豚混毛のやや硬いくらいのコシのある物がいい。ボディブラシに某巨大掲示板某板某スレで教わった、残り香の少ない既に何度もリピートしているボディソープをつけてがしがしと洗う。垢すりの行き届いていない背中は特に念入りに。上半身を洗い終えたところでシャンプー。手指で泡立ててからシャンプーブラシ使用。昔はシャンプーブラシの使用に抵抗があったけれど、今となっては手放せない。指の腹でわしわし+シャンプーブラシでゴシゴシ。このふたつの手順を踏んでやっと頭皮が綺麗になった気になれる。コンディショナーを髪に馴染ませ、先日美容院でやってもらったように頭皮を指圧し、そのまま下半身を洗う。下半身を洗い終えてからコンディショナーを流す。このときはシャンプーを流すときの2〜3倍の時間をかける。そして体の泡を洗い流して、足裏洗浄剤で足の指の間迄、丁寧に手で洗う。最後に顔をもう一度洗い、輪郭周りの髪にもシャワーをかけて入浴終了。
シャワーを止めてタオルを手にしたら、最初に手指の爪に溜まった石鹸滓を取る。そして同じく手指の爪の甘皮を軽く押し、取れる皮は取ってしまう。その後、髪と体の水気を取る。このとき、決してタオルで擦ってはならない。あくまで水気を押さえ取るだけに留める。ここ迄終えてやっと風呂場を出て下着を着けてスキンケアに取り掛かる。今夜のスキンケアは精製水でのカルキ流し→WHでTゾーン拭き取り→ロゼットの無添加化粧液→エテュセのナイトアミュレットパウダー。髪にはアリミノのヘアクリームトリートメント。それからピアスを全て外し、ホール周辺を精製水を染み込ませたコットンで拭き取り、初めて右イヤロブの新規ホールにファーストではないピアスを装着してみた。違和感なし。ホールは無事に完成したと思って良さそうだ。後は閉じないように装着を忘れないようにするだけか。
この日記を書いている最中にうちのが入浴をしてあがってきた。今、布団の上に素っ裸で横たわっている。どうも久々にお湯を張ってつかった所為で心臓に負担がかかり、具合が悪くなったようである。あがるなり、倒れそうになった、死にそう、と呟いていた。途中、私がしてもらっとのと同じように背中の垢すり協力に呼ばれた。言われるままに擦ったところ、痛がられた。通常私が自分で垢すりするときの1/2程度の力しか加えていないのにだ。慣れの問題なのか、うちのの肌が弱いのか、私の肌が頑丈なのか……。うちのの指示通りに力加減を弱めて擦ったのだが、最早それは、擦った、とは言い難い力しか加えられなかった。こんなん、撫でてるだけちゃうんかと。だからか、それとも毎日入浴をしているからか、うちのの背中から垢は殆ど出てこなかった。つまらん。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
体を洗う順番はいつも、左腕→右腕→上半身前面→上半身背面→尻周り→右足→左足。垢すりのときは上半身背面が最後になる。順番通りに擦ると、何処もかしこも出るわ出るわ、ぽろぽろと。自分の手で届く範囲を済ませてからうちのを呼び、背中をこすってもらった。他者の手による垢すりは自分の手でするよりも気持ちいいものだと、昔は思っていた。間違っていた……。うちのがしてくれる垢すりはぬるい。もっとガシガシ擦って欲しいのに、ちょっと肌に赤味が差してくると終わりにしてしまうのだ。結局は硬い体に鞭して腕を背中に回して、やっとのことで自分でやり直すことになる。それでもどうしても届かない部分はあるので、うちのの協力は有難い。うちのは私の背中を擦りつつ、湯船に浮かんだ老廃物を見つつ、汚い汚い、と騒いでいた。汚い臭い、とうちのが煩いから風呂に入ったのだ。文句を言わないで戴きたい。自分の体臭には鈍くなるもので自身では全く感じないけれど、数日入浴しないでいるとうちのが臭がる。解らん。解らんけれど、臭い、と言うのだから臭いのだろう。私が傍にいないのに寝言で、臭い臭い、とぶつぶつ言っていたこともあった。常の私はそんなに迄も臭いのか……。
垢すり終了後、軽石で肘・膝・足裏をごしごしと擦り、お湯を排水溝に流し湯船を軽く洗ってからプレシャンプー。多めにつけて指の腹でわしわしと洗う。ぽかぽかしてきて気持ちいいけれど、このとき首と肩に相当な負担がかかる。唐辛子成分が入っている為、肌に流れてくると痛いのだ。だから思いっ切り上体を反らしてわしわし。プレシャンプーを洗い流して洗顔をして、ボディブラシで体を洗う。体を洗うにはボディブラシかナイロンタオルに限る、というのが私の持論だ。その他の素材のタオルやスポンジでは洗った気がしない。許容できるその他の素材は精々糸瓜くらいだ。けれどナイロンタオルは肌に宜しくないらしい。なので長年ボディブラシを使用している。このボディブラシにも拘りがあり、馬毛が大半を占めていなければならない。豚毛では柔らかすぎるのだ。馬・豚混毛のやや硬いくらいのコシのある物がいい。ボディブラシに某巨大掲示板某板某スレで教わった、残り香の少ない既に何度もリピートしているボディソープをつけてがしがしと洗う。垢すりの行き届いていない背中は特に念入りに。上半身を洗い終えたところでシャンプー。手指で泡立ててからシャンプーブラシ使用。昔はシャンプーブラシの使用に抵抗があったけれど、今となっては手放せない。指の腹でわしわし+シャンプーブラシでゴシゴシ。このふたつの手順を踏んでやっと頭皮が綺麗になった気になれる。コンディショナーを髪に馴染ませ、先日美容院でやってもらったように頭皮を指圧し、そのまま下半身を洗う。下半身を洗い終えてからコンディショナーを流す。このときはシャンプーを流すときの2〜3倍の時間をかける。そして体の泡を洗い流して、足裏洗浄剤で足の指の間迄、丁寧に手で洗う。最後に顔をもう一度洗い、輪郭周りの髪にもシャワーをかけて入浴終了。
シャワーを止めてタオルを手にしたら、最初に手指の爪に溜まった石鹸滓を取る。そして同じく手指の爪の甘皮を軽く押し、取れる皮は取ってしまう。その後、髪と体の水気を取る。このとき、決してタオルで擦ってはならない。あくまで水気を押さえ取るだけに留める。ここ迄終えてやっと風呂場を出て下着を着けてスキンケアに取り掛かる。今夜のスキンケアは精製水でのカルキ流し→WHでTゾーン拭き取り→ロゼットの無添加化粧液→エテュセのナイトアミュレットパウダー。髪にはアリミノのヘアクリームトリートメント。それからピアスを全て外し、ホール周辺を精製水を染み込ませたコットンで拭き取り、初めて右イヤロブの新規ホールにファーストではないピアスを装着してみた。違和感なし。ホールは無事に完成したと思って良さそうだ。後は閉じないように装着を忘れないようにするだけか。
この日記を書いている最中にうちのが入浴をしてあがってきた。今、布団の上に素っ裸で横たわっている。どうも久々にお湯を張ってつかった所為で心臓に負担がかかり、具合が悪くなったようである。あがるなり、倒れそうになった、死にそう、と呟いていた。途中、私がしてもらっとのと同じように背中の垢すり協力に呼ばれた。言われるままに擦ったところ、痛がられた。通常私が自分で垢すりするときの1/2程度の力しか加えていないのにだ。慣れの問題なのか、うちのの肌が弱いのか、私の肌が頑丈なのか……。うちのの指示通りに力加減を弱めて擦ったのだが、最早それは、擦った、とは言い難い力しか加えられなかった。こんなん、撫でてるだけちゃうんかと。だからか、それとも毎日入浴をしているからか、うちのの背中から垢は殆ど出てこなかった。つまらん。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
現在3月25日。
うちのの給料日だと言うのに銀行回りをしなかったのは初めてだと思う。現在財布の中は1000円程度。明日こそ行かねば。今日出かけなかったのは、昨日から風邪をひいてしまったから。くしゃみハナミズは全部花粉症の所為だとばかり思っていたのに、どうやら風邪の予兆だったらしい。ブタクサ花粉症なのにまだ杉の季節で、今年から杉にも反応するようになったのかと不安になっていたが違っていた模様。うちのの帰宅後に体温を計ったら発熱していた。因って夕飯終了後に風邪薬とソラナックスと眠剤2種を投入して就寝。日付変更前に布団に入ったのはどれ程ぶりだろう。眠剤の効果を待っている間、布団の中で生協次回注文分のチラシを見ていたら……来た! ずーっと欲しかった、ニット類ホームクリーニング後の平干し用ネットが登場! コート類のホームクリーニングは諦めているものの、ニット類をクリーニングに出すことに長く苛立ちを抱えていた私。近所のスーパーなどでも平干し用ネットは扱っておらず、クリーニング屋に取扱っている店を訊いたこともある。莫迦だ。クリーニング屋曰く苦笑しつつ、うちに出してください。そりゃそうだ。商売敵とも言える道具の販売店、例え知っていてもおいそれと教えてはくれまい。ダスキンで販売しているのは知っていたけれど、普段の生活では縁のない店なので、なんとなく購入には至らなかった。生協のお陰で苛立ち解消。来週、必ず注文しなくては。
なんて書いていると私は家事が大好きな人間のようだ。過去の日記にもあるように本来は家事全般、嫌いである。嫌いではなく面倒、と書いた方が正しいか。なのに何故かここ数日、家事をしたくて堪らない。前にも書いた気がするけれど不思議なことに、私は体調がやや悪い状態のときに限って家事をしたくなる。だから最近連続で夕飯を作れていたのかもしれない。寝てりゃいいのに。むしろ熱があるなら寝ろ! と自分に叱りたい。思うに、熱が出た=風邪の悪化の直接的原因は昨日の早朝にありそうだ。昨日の早朝、早朝故にうちのは寝ていた。私は起きていた。昨日出すべき生協の注文書記入を済ませていなかったからだ。うちの間取りは1DKであり、居間と寝室は兼用だ。うちのが寝ているからには、寝室でもある居間で蛍光灯をつけてチラシをガサガサ言わせつつ注文書に記入するのは憚られ、DK部分でその作業をしていた。DKと言ってもダイニングの機能は果たしていない。キッチン兼PC部屋である。だからチラシを大っぴらに広げられるのは床のみ。床に広げ、床に寝っ転がり記入。DK部分に暖房はない。ストーブをつけることは可能だったけれど、そうするとチラシが広げられない。そんなこんなの事情で、最も底冷えする早朝にフローリングの床に寝そべって作業すること1時間強。注文書は無事に提出できたものの、私の体は無事ではなかった。今日も具合が悪い。
具合は悪いが、夕食を作り洗濯物を畳んだ。この日記をアップし終えたら動物らのトイレなどを掃除して、うちののシャツの釦付けをする予定。この釦付け。どうも随分前に頼まれていたらしい。随分とは、1週間か10日くらい前。昨日付けていないことを指摘されて、あー前に頼まれていたようなそうでないような……となった。記憶が定かでないのは、単に私が寝ているときにうちのが頼んできたからである。寝ている状態で話しかけられても、私は生返事はできるらしい。だから相手は了承を得たと勘違いする。こちらには記憶なし。うちのにもその傾向はあり、昔はこの手のすれ違いでよく喧嘩になった。今はお互いに慣れてきて、おいおい頼むよ〜、で済まされている。これが良いことかどうかは判らないけれど、似た喧嘩が減ってきているという点では良いことだ。因みに、具合が悪いのだから今日は夕食作りも洗濯物の整理もしなくても構わなかった。勿論、釦付けだって今夜しなくてもいい。でも無性にしたい。このシャキっぷりが持続できれば我が家はどれくらい平和になるのだろう、と思うが、シャキ持続はしたくない。そもそも私の性分に合わず、努力してシャキを持続させてしまったら却って現状よりも家庭の空気が悪くなりそうだ。シャキシャキと家事をこなす日々が続いたとする。うちのはそのシャキっぷりに慣れ、それをあるべき家庭の姿だと思うだろう。けれど素質としてシャキを持ち合わせていない私のことだから、きっと息切れしてしまう。そしてだらっぷりに拍車がかかり、シャキ慣れしたうちのは、元々であっただらっぷり、もしかしたら反動で今以上にだらになる私に我慢できなかろうと簡単に想像できてしまう。少し前にうちのに言われた言葉がある。お前はだらしない。ご尤もだ。しかしその後に続いた言葉に困惑。非常識から、だらしないという段階に成長したんだなあ。だらしない、が成長の証にされる私って一体……。でもそのくらいの認識でいてくれる方が楽だ。
今夜の夕食は紫蘇餃子ときんぴらごぼう。昨日の夕食は、桜の葉の塩漬け巻き鯛の押鮨・一昨日の残りのトマトとクリームチーズのイタリアンドレッシング和え・たまごサラダ・きくらげと銀杏の湯葉巻き・たまごどうふ。今夜はともかく、昨夜は盛り付けにも自分なりに凝ってみた。そして気付いた。うちには食器が足りない。いや、食器そのものは充分にあるのだけれど、凝った盛り付けに使えるような小鉢や器がないのだ。本当は昨夜の夕飯の盛り付けを懐石っぽくしたかったのに、思い描いていたものとはかけ離れたものになってしまった。それでもうちのとしては、料理の種類がいつもより多かったことや大皿にどーんではない盛り付けに、そこそこ満足してくれたらしい。私は済んだ夕食に未だ不満足。もっときちんと盛り付けしたかった……。そして食器を増やしたい衝動に駆られたが、少し立ち止まってみた。普段の盛り付けではこのようなことは全く考えず、食えりゃいいだろ的盛り付けばかりであり、本音を言えば鍋ごと・フライパンごと食卓に出したい。洗い物が減るから。昨日に限って凝ってみたいと思ったのは、きっと具合が悪いからだ。そんな一時の衝動で食器を増やしても、殆どは日の目を見ないことだろう。何だか冷静。これは風邪が治りかけている兆しだろうか。しかし今も悪寒がし、頭痛が続いている。週末のお出かけが本当に可能なのか不安だ。明日の夕方迄は様子を見なければ予定が立てられなさそうだ。それでもその夕方迄に銀行周り必須。体調不良スパイラルに陥った模様。
うちのの給料日だと言うのに銀行回りをしなかったのは初めてだと思う。現在財布の中は1000円程度。明日こそ行かねば。今日出かけなかったのは、昨日から風邪をひいてしまったから。くしゃみハナミズは全部花粉症の所為だとばかり思っていたのに、どうやら風邪の予兆だったらしい。ブタクサ花粉症なのにまだ杉の季節で、今年から杉にも反応するようになったのかと不安になっていたが違っていた模様。うちのの帰宅後に体温を計ったら発熱していた。因って夕飯終了後に風邪薬とソラナックスと眠剤2種を投入して就寝。日付変更前に布団に入ったのはどれ程ぶりだろう。眠剤の効果を待っている間、布団の中で生協次回注文分のチラシを見ていたら……来た! ずーっと欲しかった、ニット類ホームクリーニング後の平干し用ネットが登場! コート類のホームクリーニングは諦めているものの、ニット類をクリーニングに出すことに長く苛立ちを抱えていた私。近所のスーパーなどでも平干し用ネットは扱っておらず、クリーニング屋に取扱っている店を訊いたこともある。莫迦だ。クリーニング屋曰く苦笑しつつ、うちに出してください。そりゃそうだ。商売敵とも言える道具の販売店、例え知っていてもおいそれと教えてはくれまい。ダスキンで販売しているのは知っていたけれど、普段の生活では縁のない店なので、なんとなく購入には至らなかった。生協のお陰で苛立ち解消。来週、必ず注文しなくては。
なんて書いていると私は家事が大好きな人間のようだ。過去の日記にもあるように本来は家事全般、嫌いである。嫌いではなく面倒、と書いた方が正しいか。なのに何故かここ数日、家事をしたくて堪らない。前にも書いた気がするけれど不思議なことに、私は体調がやや悪い状態のときに限って家事をしたくなる。だから最近連続で夕飯を作れていたのかもしれない。寝てりゃいいのに。むしろ熱があるなら寝ろ! と自分に叱りたい。思うに、熱が出た=風邪の悪化の直接的原因は昨日の早朝にありそうだ。昨日の早朝、早朝故にうちのは寝ていた。私は起きていた。昨日出すべき生協の注文書記入を済ませていなかったからだ。うちの間取りは1DKであり、居間と寝室は兼用だ。うちのが寝ているからには、寝室でもある居間で蛍光灯をつけてチラシをガサガサ言わせつつ注文書に記入するのは憚られ、DK部分でその作業をしていた。DKと言ってもダイニングの機能は果たしていない。キッチン兼PC部屋である。だからチラシを大っぴらに広げられるのは床のみ。床に広げ、床に寝っ転がり記入。DK部分に暖房はない。ストーブをつけることは可能だったけれど、そうするとチラシが広げられない。そんなこんなの事情で、最も底冷えする早朝にフローリングの床に寝そべって作業すること1時間強。注文書は無事に提出できたものの、私の体は無事ではなかった。今日も具合が悪い。
具合は悪いが、夕食を作り洗濯物を畳んだ。この日記をアップし終えたら動物らのトイレなどを掃除して、うちののシャツの釦付けをする予定。この釦付け。どうも随分前に頼まれていたらしい。随分とは、1週間か10日くらい前。昨日付けていないことを指摘されて、あー前に頼まれていたようなそうでないような……となった。記憶が定かでないのは、単に私が寝ているときにうちのが頼んできたからである。寝ている状態で話しかけられても、私は生返事はできるらしい。だから相手は了承を得たと勘違いする。こちらには記憶なし。うちのにもその傾向はあり、昔はこの手のすれ違いでよく喧嘩になった。今はお互いに慣れてきて、おいおい頼むよ〜、で済まされている。これが良いことかどうかは判らないけれど、似た喧嘩が減ってきているという点では良いことだ。因みに、具合が悪いのだから今日は夕食作りも洗濯物の整理もしなくても構わなかった。勿論、釦付けだって今夜しなくてもいい。でも無性にしたい。このシャキっぷりが持続できれば我が家はどれくらい平和になるのだろう、と思うが、シャキ持続はしたくない。そもそも私の性分に合わず、努力してシャキを持続させてしまったら却って現状よりも家庭の空気が悪くなりそうだ。シャキシャキと家事をこなす日々が続いたとする。うちのはそのシャキっぷりに慣れ、それをあるべき家庭の姿だと思うだろう。けれど素質としてシャキを持ち合わせていない私のことだから、きっと息切れしてしまう。そしてだらっぷりに拍車がかかり、シャキ慣れしたうちのは、元々であっただらっぷり、もしかしたら反動で今以上にだらになる私に我慢できなかろうと簡単に想像できてしまう。少し前にうちのに言われた言葉がある。お前はだらしない。ご尤もだ。しかしその後に続いた言葉に困惑。非常識から、だらしないという段階に成長したんだなあ。だらしない、が成長の証にされる私って一体……。でもそのくらいの認識でいてくれる方が楽だ。
今夜の夕食は紫蘇餃子ときんぴらごぼう。昨日の夕食は、桜の葉の塩漬け巻き鯛の押鮨・一昨日の残りのトマトとクリームチーズのイタリアンドレッシング和え・たまごサラダ・きくらげと銀杏の湯葉巻き・たまごどうふ。今夜はともかく、昨夜は盛り付けにも自分なりに凝ってみた。そして気付いた。うちには食器が足りない。いや、食器そのものは充分にあるのだけれど、凝った盛り付けに使えるような小鉢や器がないのだ。本当は昨夜の夕飯の盛り付けを懐石っぽくしたかったのに、思い描いていたものとはかけ離れたものになってしまった。それでもうちのとしては、料理の種類がいつもより多かったことや大皿にどーんではない盛り付けに、そこそこ満足してくれたらしい。私は済んだ夕食に未だ不満足。もっときちんと盛り付けしたかった……。そして食器を増やしたい衝動に駆られたが、少し立ち止まってみた。普段の盛り付けではこのようなことは全く考えず、食えりゃいいだろ的盛り付けばかりであり、本音を言えば鍋ごと・フライパンごと食卓に出したい。洗い物が減るから。昨日に限って凝ってみたいと思ったのは、きっと具合が悪いからだ。そんな一時の衝動で食器を増やしても、殆どは日の目を見ないことだろう。何だか冷静。これは風邪が治りかけている兆しだろうか。しかし今も悪寒がし、頭痛が続いている。週末のお出かけが本当に可能なのか不安だ。明日の夕方迄は様子を見なければ予定が立てられなさそうだ。それでもその夕方迄に銀行周り必須。体調不良スパイラルに陥った模様。
日々何かあったときの対策
2004年3月4日 その他生活 現在3月5日日中。
昨夜、遠方に嫁いだ友人に久々に電話した。用件は私のPC故障によりメールが使えなくなったので当分は某フリーメールに送ってね。長年の友人であり、お互いに連れが帰宅前だったこともありで暫し雑談。通話内容は近況報告とPCの話と家事の話が半分。残りの半分は友人からの相談。この友人は少し前からジャンガリアンハムスターを飼い始め、その子との付き合い方がよく解らないとのこと。具体的に話を聞いてみると、その子がヒキコモリになってしまった、と。どうやら彼女が小屋に設置したトイレに綿を運んで巣篭もりし始めて滅多に出てきてくれないとか。巣篭もりが始まってから別の場所にトイレを設置したらそっちで用を足すようになり、トイレとごはんのとき以外はずっと綿の中に篭っているらしく淋しい、と。そして綿についても飼育書によっておもちゃとして与えた方がいいと書かれていたり与えない方がいいと書かれていて混乱している、と。ふむ……解らん! 私はハムスターを飼ったことがないから本当に解らない。因ってうちにいる草食動物とハムスターが同じげっ歯類故にそこから関連するかもしれない事項を考えて答えてみた。
うちの草食動物は悪評高い大手ペットショップチェーンで購入した子であり、購入時に店員さんに教わったことはかなりいい加減であり、後々自分で調べたり獣医さんに聞いたことと当初店員さんに教わったことではかなり違った。店員さんに教わったこと。トイレは新聞紙とかの紙類や猫砂でOK。これは間違い。紙類も猫砂も食べてしまう。フードはこれでOK。間違ってはいないけれど勧められたのは粗悪なフードであり後に良質なフードに変更など。店員さんに教わって正しかったことは、トイレの場所を飼い主が決めないようにということと、環境に慣れる迄は暫く構わないように。後者はどのペットにも言えることだろう。前者は、この草食動物は自分でトイレの場所を決める動物なので飼い主が設置したトイレを使わないことがあり、その場合は様子を見て動物自身が決めた場所にトイレを設置するように。以下、私の想像に基づくアドバイス。まず構い過ぎていた点を注意。これは旦那にも注意されていたらしい。そして当分は構わないこと。それこそ、飼わせて戴いて有難や位の気持ちでハムの習性や感情を優先すること。まだ飼い始めて間がないので暫く好きにさせていれば小屋から見える景色や傍にいる友人=飼い主にもハムの方から興味を持って友好関係を築けるかもしれない。トイレについて。何故トイレに綿を運んで巣篭もりをするようになったのか。もしかしたら友人が置いたトイレの場所は、ハムとしては寛ぎたい場所だったのかもしれない。なので新しく設置したトイレを使っているなら最初に設置したトイレを撤去し、ハムが作った綿の巣のみを残してみたらどうか。綿の善し悪しは私には解らない。電話しながら私はPCにて某巨大掲示板某板にてハムスレッド及びジャンガリアンハムスレッドの存在を確認。過去ログを読んだ上で質問をしてアドバイスを求めてみたらどうか。某獣医師らによるサイトもあるにはあるけれどハムのコンテンツがあったかどうか記憶が定かではなく、あったとしてもそのサイトの掲示板は非常に読みづらく、それ以前にそのサイトのURLが私の故障中PCにある為、すぐに教えられなかったので取り敢えず某巨大掲示板を。そもそも普段から私は解らないことがあればすぐに某巨大掲示板に行く癖がついてしまっているのだ。
それから一番大切なこととして、馴染みの動物病院を作っておくこと。できれば24時間診てくれる病院も探しておくこと。うちの小動物2匹は同じ動物病院で世話になるようにしている。この動物病院を選んだ理由。
・うちから近い
・ペットホテルも兼ねている
・新しい=設備も整っているであろう
・獣医師自身が勉強熱心
・私との意思疎通がスムーズ=よく話を聞いてくれて的確なアドバイスをくれる
・動物看護士も丁寧な対応
それでもやはり年に1回予防接種に行くだけではそうそう親しくもなれなかろうし、ちょっとした相談事もし難い。そして私は予防接種のときに雑食動物のフードを何にするか相談する際にアドバイスを求め、パンフレットをもらい自分でいろいろ調べて成分や安全性やコスト・パフォーマンスもひっくるめて動物病院のみで取り扱っている某フードに決定した。これで数ヶ月に1度は動物病院に行くことになり、顔を出せば診察券を出さずともカルテを用意してくれるまでになれた。そして雑食の方は爪切りをさせてくれるけれど、凶暴な草食の方は爪切りをさせてくれないのでその為だけに病院に行くことも。顔馴染だからかついでに無料で歯の伸び具合迄診てくれて有難い。といった経験則から、行きつけの動物病院を選ぶときに私が重視していることと、馴染みになる為のコツを教えた。ハムの場合は予防接種もないし、ちょくちょく爪切りに行って数百円払って、ついでとして、相談事をしてみれば? と。電話口などでも大概の動物病院ではちょっとした質問には答えてくれたりするけれど、しょっちゅう無料相談なんて甘え過ぎだし、もしものことを考えるとちゃんと行きつけの動物病院を見つけておくに越したことはないし。
電話を切ってから、少し私は考えた。彼女は初めてハムを飼うにあたり、いろいろと困惑している。飼育書を読んだりして勉強しているようだけれど、飼育書も本によって書いてあることがまちまちだったりして余計に混乱を招く場合がある。現に彼女は綿について混乱していて、ハム飼い経験のない私に相談してくる程だった。私だったら彼女と同じ立場にたった場合、どうするだろう。他者の意見を聞きたいと思うのは彼女と同じだ。その他者に誰を選ぶか。身近に同種動物飼いの人がいなければ、私なら某巨大掲示板で同種動物飼いの人に意見を求めるだろう。この違いは何か。幾らPCが浸透したとはいえ、仕事以外でPCを日常的に使う人の実数はそんなに多くはないのではないか。友人らのPCとの付き合い方を思い出すと、皆数日に1度、短時間だけ立ち上げてネットを彷徨ったりお気に入りサイトを見たり、メールチェックをしてすぐに電源を落とすらしい。私は日がな1日飽きもせずにPCに張り付いていたりする。しかもPCに時間を費やし過ぎて家事を疎かにしてしまうことも多々ある。生活習慣の違いの大きさを感じた。日々のことがちゃんとできているけれど何かあったときの対処に困るのと、日々のことは疎かになりがちだけれど何かあったときに素早く対処法を検索できるのと、果たしてどちらの方がいいのだろう。両立できるのが理想なのは解っているけれど。
昨夜、遠方に嫁いだ友人に久々に電話した。用件は私のPC故障によりメールが使えなくなったので当分は某フリーメールに送ってね。長年の友人であり、お互いに連れが帰宅前だったこともありで暫し雑談。通話内容は近況報告とPCの話と家事の話が半分。残りの半分は友人からの相談。この友人は少し前からジャンガリアンハムスターを飼い始め、その子との付き合い方がよく解らないとのこと。具体的に話を聞いてみると、その子がヒキコモリになってしまった、と。どうやら彼女が小屋に設置したトイレに綿を運んで巣篭もりし始めて滅多に出てきてくれないとか。巣篭もりが始まってから別の場所にトイレを設置したらそっちで用を足すようになり、トイレとごはんのとき以外はずっと綿の中に篭っているらしく淋しい、と。そして綿についても飼育書によっておもちゃとして与えた方がいいと書かれていたり与えない方がいいと書かれていて混乱している、と。ふむ……解らん! 私はハムスターを飼ったことがないから本当に解らない。因ってうちにいる草食動物とハムスターが同じげっ歯類故にそこから関連するかもしれない事項を考えて答えてみた。
うちの草食動物は悪評高い大手ペットショップチェーンで購入した子であり、購入時に店員さんに教わったことはかなりいい加減であり、後々自分で調べたり獣医さんに聞いたことと当初店員さんに教わったことではかなり違った。店員さんに教わったこと。トイレは新聞紙とかの紙類や猫砂でOK。これは間違い。紙類も猫砂も食べてしまう。フードはこれでOK。間違ってはいないけれど勧められたのは粗悪なフードであり後に良質なフードに変更など。店員さんに教わって正しかったことは、トイレの場所を飼い主が決めないようにということと、環境に慣れる迄は暫く構わないように。後者はどのペットにも言えることだろう。前者は、この草食動物は自分でトイレの場所を決める動物なので飼い主が設置したトイレを使わないことがあり、その場合は様子を見て動物自身が決めた場所にトイレを設置するように。以下、私の想像に基づくアドバイス。まず構い過ぎていた点を注意。これは旦那にも注意されていたらしい。そして当分は構わないこと。それこそ、飼わせて戴いて有難や位の気持ちでハムの習性や感情を優先すること。まだ飼い始めて間がないので暫く好きにさせていれば小屋から見える景色や傍にいる友人=飼い主にもハムの方から興味を持って友好関係を築けるかもしれない。トイレについて。何故トイレに綿を運んで巣篭もりをするようになったのか。もしかしたら友人が置いたトイレの場所は、ハムとしては寛ぎたい場所だったのかもしれない。なので新しく設置したトイレを使っているなら最初に設置したトイレを撤去し、ハムが作った綿の巣のみを残してみたらどうか。綿の善し悪しは私には解らない。電話しながら私はPCにて某巨大掲示板某板にてハムスレッド及びジャンガリアンハムスレッドの存在を確認。過去ログを読んだ上で質問をしてアドバイスを求めてみたらどうか。某獣医師らによるサイトもあるにはあるけれどハムのコンテンツがあったかどうか記憶が定かではなく、あったとしてもそのサイトの掲示板は非常に読みづらく、それ以前にそのサイトのURLが私の故障中PCにある為、すぐに教えられなかったので取り敢えず某巨大掲示板を。そもそも普段から私は解らないことがあればすぐに某巨大掲示板に行く癖がついてしまっているのだ。
それから一番大切なこととして、馴染みの動物病院を作っておくこと。できれば24時間診てくれる病院も探しておくこと。うちの小動物2匹は同じ動物病院で世話になるようにしている。この動物病院を選んだ理由。
・うちから近い
・ペットホテルも兼ねている
・新しい=設備も整っているであろう
・獣医師自身が勉強熱心
・私との意思疎通がスムーズ=よく話を聞いてくれて的確なアドバイスをくれる
・動物看護士も丁寧な対応
それでもやはり年に1回予防接種に行くだけではそうそう親しくもなれなかろうし、ちょっとした相談事もし難い。そして私は予防接種のときに雑食動物のフードを何にするか相談する際にアドバイスを求め、パンフレットをもらい自分でいろいろ調べて成分や安全性やコスト・パフォーマンスもひっくるめて動物病院のみで取り扱っている某フードに決定した。これで数ヶ月に1度は動物病院に行くことになり、顔を出せば診察券を出さずともカルテを用意してくれるまでになれた。そして雑食の方は爪切りをさせてくれるけれど、凶暴な草食の方は爪切りをさせてくれないのでその為だけに病院に行くことも。顔馴染だからかついでに無料で歯の伸び具合迄診てくれて有難い。といった経験則から、行きつけの動物病院を選ぶときに私が重視していることと、馴染みになる為のコツを教えた。ハムの場合は予防接種もないし、ちょくちょく爪切りに行って数百円払って、ついでとして、相談事をしてみれば? と。電話口などでも大概の動物病院ではちょっとした質問には答えてくれたりするけれど、しょっちゅう無料相談なんて甘え過ぎだし、もしものことを考えるとちゃんと行きつけの動物病院を見つけておくに越したことはないし。
電話を切ってから、少し私は考えた。彼女は初めてハムを飼うにあたり、いろいろと困惑している。飼育書を読んだりして勉強しているようだけれど、飼育書も本によって書いてあることがまちまちだったりして余計に混乱を招く場合がある。現に彼女は綿について混乱していて、ハム飼い経験のない私に相談してくる程だった。私だったら彼女と同じ立場にたった場合、どうするだろう。他者の意見を聞きたいと思うのは彼女と同じだ。その他者に誰を選ぶか。身近に同種動物飼いの人がいなければ、私なら某巨大掲示板で同種動物飼いの人に意見を求めるだろう。この違いは何か。幾らPCが浸透したとはいえ、仕事以外でPCを日常的に使う人の実数はそんなに多くはないのではないか。友人らのPCとの付き合い方を思い出すと、皆数日に1度、短時間だけ立ち上げてネットを彷徨ったりお気に入りサイトを見たり、メールチェックをしてすぐに電源を落とすらしい。私は日がな1日飽きもせずにPCに張り付いていたりする。しかもPCに時間を費やし過ぎて家事を疎かにしてしまうことも多々ある。生活習慣の違いの大きさを感じた。日々のことがちゃんとできているけれど何かあったときの対処に困るのと、日々のことは疎かになりがちだけれど何かあったときに素早く対処法を検索できるのと、果たしてどちらの方がいいのだろう。両立できるのが理想なのは解っているけれど。
PCが逝ってしまった
2004年2月29日 その他生活 現在、3月5日。
2月29日。私のPCが逝ってしまった。その少し前から不調だなあとは思いつつ騙し騙し使っていたけれど、29日の昼寝中、PCをつけっぱなしにしたまま昼寝して、夕方起きたら……死亡。享年1年半。現在使っているのはうちののサブPC。こちらも不調でやはり騙し騙し使っている状態。OSの再インスト迄したけれど、どうもエラーが出易い。で、逝った私のPC。もらい物の自作機である。修理に出すにももらい物であるからして出すべき場所も解らず、初めて自分で箱を開けてみた。汚い! 取り敢えず埃を取り除き、いろんな部分の接続を弄ってみた。知識皆無故に抜いたり挿したり位しか弄り方が解らないのだ。懸命に復旧に望む私の姿を見て、私よりは数百倍はPCに詳しいであろううちのが、ちょっと弄ってやろうか? と申し出てくれた。私は今回の故障にあたり、電源部分の接続不良と読んでいた。うちのはHDDあぼーんと思っていた模様。うちのが弄ってくれている間、門外漢の私はすることがないので深夜だけれどコンビニに買出し。お菓子などをたんまり買い込んで戻ってきても直っていなかった。……俺の手には負えないよ、バックアップは取ってあるの? こんなすぐに逝くとは思っていなかったので不調と知りつつもバックアップを完璧に怠っていた間抜けは私である。因ってメールチェックもできなければ、ややこしいIDやpassを求められるここや東風荘は当分お預けとなった。自業自得。東風荘は我慢するとしても、日記を書けないのがつらかったので、さっきこの臨時日記ページをレンタルした。後日、復旧したらhttp://diary.note.ne.jp/d/39966/に丸ごと移す。そしてまたPCが不調になったらhttp://diary.note.ne.jp/d/45877/へ。
復旧予定は一応今週末。私にPCをくれたのは、某巨大掲示板の某プロジェクト参加者の皆様。一昨年、そのオフ会でPCの自作をしている方々が不要パーツを持ち寄って組み立てた物をいただいたのだ。で、PCの電源が入らない旨をその方々が集まるサイトの掲示板に書き込んでみたところ、マザーボードの某箇所を確認してみて、とのこと。急いで確認。これか! マザーボードのメーカに修理の問い合わせをすると、約7000円かかると言われ、うちのに修理代の話をすると、新品買えるじゃん、と。確かに。そんな中、ご親切に修理を試みてくださるという方々が登場。甘えさせていただくことに。最悪、直らなければホワイトデイにマザーボードを買ってもらおう。アクセサリーもいいけどルンバが欲しいと思っていた私としては、プレゼントがマザーボードという色気もへったくれもないめっさ実務的な物になってしまうのは何となく悲しかったりもするけれど、私の日常にPCがなくなるのはもっともっと悲しいので良しとする。
上記に書いた、ルンバ、も実用的で色気も何もない代物である。ルンバとはお掃除ロボット。起動音はやや大き目らしいけれど、日中に使う分には問題ないらしい。部屋の角迄は掃除も行き届かないらしいけれどそれでも良し。広い部分を勝手に移動しつつ掃除してくれて、私は角だけを掃除すればよくなるのだ。なんて素晴らしいロボットなのだろう! 食洗機に次ぐ主婦の味方である。うちのにルンバの素晴らしさをとくと語って聞かせたところ、この部屋は角ばかりじゃないか、との突き放した言葉が。確かに。カラーボックスやら無印良品の衣装箱やらでやたらと角の多い部屋だ。うーむ……。私の持論としては、家具や家電は生活費で賄う物、である。けれど家具も家電もそれなりの物を求めれば高価になるし、ルンバの存在を知ってからは家電+安価なアクセサリーなどをプレゼントとしてもらうのも悪くないかな、と思うようになってきた。食洗機とか、ルンバとか、ミシンとか、布団乾燥機とか……。欲しい家電はいろいろあるのだ。家電と言えばアイロン。去年末、嬉々としてアイロン台を購入した。これでうちでもアイロンがかけられる! けれどまだ1度も使用していない。そもそもうちではふたりともハンカチを持ち歩く習慣は余りないし、衣類にしてもアイロンかけ不要を重視して購入することも多く必要不可欠な家電ではなかったらしい。よくよく考えてみれば、うちのと暮らして4年強、アイロンを使っていなかったのだから何を今更な話ではある。先日、私の収納が杜撰でうちのに、皺が酷くて着ていけない、と言われて出されたシャツがあったが面倒で消臭兼皺取りスプレーをかけまくって1晩放置して着ていってもらった。果たしてうちでアイロンを使う日がくるのはいつだろう。
家電とくれば家事である。さっき、今年初めて掃除機をかけた。砂の飛び散りやダンボールのカスや髪の毛や小動物の毛がカーペットについていて、うちのは相当に不快だったらしく何度も掃除しろと言われていたのだけれど、私はさほど気にならず放置していた。なのに何故今日、掃除機をかけたのか。それはまだ予定ではあるけれど今週末にPC修理の為に有志の方々がうちまで参上してくれることになったからである。どうせならマザー以外もチェックしてもらいたくて自宅を修理場所に私から指定させてもらったのだけれど、ふと見回すととてもじゃないけれど他人様に上がってもらえる状態ではない。掃除しなきゃだ、とんでもない提案をしてしまった、と後悔先に立たず。仕方がないから居間に掃除機をかけた。ついでだからエアコンと網戸にも掃除機をかけた。シャキ奥からすれば当然毎日することなのだろうが、ダラな私には重労働。掃除機をかけるためには万年床を干さねばならないからだ。うちには押入れがない為、布団を上げようにも部屋の端に畳んで置くことになる。そして掃除の習慣がないので布団全体に髪の毛やら小動物の毛やら埃やらがついており、空いたスペースに掃除機をかける→布団を移動→布団を置いていた場所に掃除機をかける→布団を戻す→またカーペットに諸々が付くので掃除機をかける、の無限ループに陥る。疲れるじゃないか! だから掃除機は布団を干したときにかけるのだ。ならば毎日布団を干せば……とはいかない。うちのベランダは狭く、洗濯物を干すと布団は干せなくなる。この時期は寒くて洗濯物の乾きが遅いので2〜3日はベランダに出しっ放し。室内干しをするにも部屋そのものも狭いので圧迫感が増してうちのの機嫌が悪くなる。また布団を干して掃除を、と思うと普段しなれないことをしようとするせいか雨が降ったり。ああ、引越し欲が湧いてきてしまった。でも荷造りや荷解きが面倒だからいいや。そもそもうちには滅多に他者はこないし。
2月29日。私のPCが逝ってしまった。その少し前から不調だなあとは思いつつ騙し騙し使っていたけれど、29日の昼寝中、PCをつけっぱなしにしたまま昼寝して、夕方起きたら……死亡。享年1年半。現在使っているのはうちののサブPC。こちらも不調でやはり騙し騙し使っている状態。OSの再インスト迄したけれど、どうもエラーが出易い。で、逝った私のPC。もらい物の自作機である。修理に出すにももらい物であるからして出すべき場所も解らず、初めて自分で箱を開けてみた。汚い! 取り敢えず埃を取り除き、いろんな部分の接続を弄ってみた。知識皆無故に抜いたり挿したり位しか弄り方が解らないのだ。懸命に復旧に望む私の姿を見て、私よりは数百倍はPCに詳しいであろううちのが、ちょっと弄ってやろうか? と申し出てくれた。私は今回の故障にあたり、電源部分の接続不良と読んでいた。うちのはHDDあぼーんと思っていた模様。うちのが弄ってくれている間、門外漢の私はすることがないので深夜だけれどコンビニに買出し。お菓子などをたんまり買い込んで戻ってきても直っていなかった。……俺の手には負えないよ、バックアップは取ってあるの? こんなすぐに逝くとは思っていなかったので不調と知りつつもバックアップを完璧に怠っていた間抜けは私である。因ってメールチェックもできなければ、ややこしいIDやpassを求められるここや東風荘は当分お預けとなった。自業自得。東風荘は我慢するとしても、日記を書けないのがつらかったので、さっきこの臨時日記ページをレンタルした。後日、復旧したらhttp://diary.note.ne.jp/d/39966/に丸ごと移す。そしてまたPCが不調になったらhttp://diary.note.ne.jp/d/45877/へ。
復旧予定は一応今週末。私にPCをくれたのは、某巨大掲示板の某プロジェクト参加者の皆様。一昨年、そのオフ会でPCの自作をしている方々が不要パーツを持ち寄って組み立てた物をいただいたのだ。で、PCの電源が入らない旨をその方々が集まるサイトの掲示板に書き込んでみたところ、マザーボードの某箇所を確認してみて、とのこと。急いで確認。これか! マザーボードのメーカに修理の問い合わせをすると、約7000円かかると言われ、うちのに修理代の話をすると、新品買えるじゃん、と。確かに。そんな中、ご親切に修理を試みてくださるという方々が登場。甘えさせていただくことに。最悪、直らなければホワイトデイにマザーボードを買ってもらおう。アクセサリーもいいけどルンバが欲しいと思っていた私としては、プレゼントがマザーボードという色気もへったくれもないめっさ実務的な物になってしまうのは何となく悲しかったりもするけれど、私の日常にPCがなくなるのはもっともっと悲しいので良しとする。
上記に書いた、ルンバ、も実用的で色気も何もない代物である。ルンバとはお掃除ロボット。起動音はやや大き目らしいけれど、日中に使う分には問題ないらしい。部屋の角迄は掃除も行き届かないらしいけれどそれでも良し。広い部分を勝手に移動しつつ掃除してくれて、私は角だけを掃除すればよくなるのだ。なんて素晴らしいロボットなのだろう! 食洗機に次ぐ主婦の味方である。うちのにルンバの素晴らしさをとくと語って聞かせたところ、この部屋は角ばかりじゃないか、との突き放した言葉が。確かに。カラーボックスやら無印良品の衣装箱やらでやたらと角の多い部屋だ。うーむ……。私の持論としては、家具や家電は生活費で賄う物、である。けれど家具も家電もそれなりの物を求めれば高価になるし、ルンバの存在を知ってからは家電+安価なアクセサリーなどをプレゼントとしてもらうのも悪くないかな、と思うようになってきた。食洗機とか、ルンバとか、ミシンとか、布団乾燥機とか……。欲しい家電はいろいろあるのだ。家電と言えばアイロン。去年末、嬉々としてアイロン台を購入した。これでうちでもアイロンがかけられる! けれどまだ1度も使用していない。そもそもうちではふたりともハンカチを持ち歩く習慣は余りないし、衣類にしてもアイロンかけ不要を重視して購入することも多く必要不可欠な家電ではなかったらしい。よくよく考えてみれば、うちのと暮らして4年強、アイロンを使っていなかったのだから何を今更な話ではある。先日、私の収納が杜撰でうちのに、皺が酷くて着ていけない、と言われて出されたシャツがあったが面倒で消臭兼皺取りスプレーをかけまくって1晩放置して着ていってもらった。果たしてうちでアイロンを使う日がくるのはいつだろう。
家電とくれば家事である。さっき、今年初めて掃除機をかけた。砂の飛び散りやダンボールのカスや髪の毛や小動物の毛がカーペットについていて、うちのは相当に不快だったらしく何度も掃除しろと言われていたのだけれど、私はさほど気にならず放置していた。なのに何故今日、掃除機をかけたのか。それはまだ予定ではあるけれど今週末にPC修理の為に有志の方々がうちまで参上してくれることになったからである。どうせならマザー以外もチェックしてもらいたくて自宅を修理場所に私から指定させてもらったのだけれど、ふと見回すととてもじゃないけれど他人様に上がってもらえる状態ではない。掃除しなきゃだ、とんでもない提案をしてしまった、と後悔先に立たず。仕方がないから居間に掃除機をかけた。ついでだからエアコンと網戸にも掃除機をかけた。シャキ奥からすれば当然毎日することなのだろうが、ダラな私には重労働。掃除機をかけるためには万年床を干さねばならないからだ。うちには押入れがない為、布団を上げようにも部屋の端に畳んで置くことになる。そして掃除の習慣がないので布団全体に髪の毛やら小動物の毛やら埃やらがついており、空いたスペースに掃除機をかける→布団を移動→布団を置いていた場所に掃除機をかける→布団を戻す→またカーペットに諸々が付くので掃除機をかける、の無限ループに陥る。疲れるじゃないか! だから掃除機は布団を干したときにかけるのだ。ならば毎日布団を干せば……とはいかない。うちのベランダは狭く、洗濯物を干すと布団は干せなくなる。この時期は寒くて洗濯物の乾きが遅いので2〜3日はベランダに出しっ放し。室内干しをするにも部屋そのものも狭いので圧迫感が増してうちのの機嫌が悪くなる。また布団を干して掃除を、と思うと普段しなれないことをしようとするせいか雨が降ったり。ああ、引越し欲が湧いてきてしまった。でも荷造りや荷解きが面倒だからいいや。そもそもうちには滅多に他者はこないし。
睡眠と生活の折り合い
2004年2月27日 その他生活 昨日は14時頃にうちのから、天気がいいから洗濯してくれ、との電話で起床、今日は16時頃自然起床。ダメ過ぎ。目覚ましは毎日11時にセットしているのにこの始末である。寝ているときは音が気にならない性質という訳ではなく、寝ていても深夜に帰宅したうちのがドアノブを回す音で目が覚めたりもする。セットした時刻にドアノブを回す音と人の気配がする目覚まし時計があれば起きられるようになるのだろうか。そもそもそんなものはあるのか? ドアノブを回す音を発する目覚まし時計なら希望者が多ければどこかで開発してくれそうだが、そもそも時計に限らず機械に、人の気配、を発せられる物というのは今現在、存在するのだろうか。人の気配を察知する機械はいろいろあれど、人の気配を発する機械という物を私は知らない。もしかしたら上記機能のついた目覚まし時計を所有することができたとしたら、却って危険かもしれない。寝ている最中に人の気配を感じることに慣れてしまったら、泥棒が入っても気付けないではないか。だからそのような物はどこも開発しないのか。いや、開発はしているのかもしれないけれど、発売に至らせていない可能性が高い気がしてきた。気のせいかもしれない。
目覚まし時計が鳴っても起きられないのは、起きなきゃいけないという危機感がないからだ、と昔からいろんな人に言われてきた。みんな危機感を持って毎日起きているのだろうか。そんな緊張の糸が張り詰めたような日々は嫌だなあ、と思う時点で学生や社会人の道から私は外れていたのかもしれない。某巨大掲示板某板某スレにて、遅刻癖を改善したい人・改善できた人が集まるスレッドがあり覗いてみた。註。少し前の話であり、ログを読み直しせずにこの日記を書いているので多少の記憶間違いはご容赦を。遅刻癖がある人の多くは定刻という時間への執着心が薄いらしいことが解った。私もそうだ。とそんな遅刻常習者の心理面に頷いていてもきちんと起床したり、きちんと定刻に予定の場所に到着できるようになる筈もなく、対策らしきものを幾つか拾って読んだ。まず、ちゃんと時刻が正しく設定された腕時計を身につけること。ふむ。そういえば昔は腕時計を身につける習慣があったなあ……でも遅刻癖もあった。本気で遅刻癖を直そうとした人の意見のひとつに、見本はゴルゴ、と書かれていたものがあった。自分に厳しくなり指定時刻の前後30秒迄しか誤差は認めない、早過ぎても遅過ぎてもいけない。一意見としては面白かったけれど、それができないから困っているのだ。
早起きしても遅刻してしまう、という人もいた。その人が取った対策は、自分の身支度などにかかる時間を1度計算する。その際、ひとつのことにかかる時間もきっちり理解する。そしてその計算から逆算した時刻を目覚まし時計のセット時刻とし、起きたら例えば歯磨き・洗顔に5分かかるなら5分後に携帯アラームをセット。それがなったら作業中でも次のステップに移る。メイクに30分なら次のアラームは30分後。鳴ったら途中でもやめて……の繰り返し。アラームセットの手間はかかるけれど暫く続けていれば時間通りに動けるようになるとか。そうしたら今度は目覚まし時計のセットのみでOK。体内時計が狂ってきたらまたアラーム利用。おお、これはいいかもしれない! と感動した。が、悲しき哉、私には毎日定刻に着くべき場所などない。アレンジとして家事に使えるのではないか? と思った。しかしそこはやはりダラなので、あくまで思うだけ。それに当人比でちょっと家事労働を頑張った日は物凄くくたびれる。例えば昨日。したことは、窓を開けて空気の入れ替え→洗濯機2回回し→洗濯物を干す→銀行に行く→買い物に行く→ひとり分の夕食を作る→コンロ周りをマジックリンを使用して拭く。小動物らの世話は毎日のことなので除外。で、これだけでくたくたになった。激しく体力が落ちている。20代とは思えない。きっと50代くらいの体力しかないと想像。
いや、そんなことはどうでもよく目下の目標は、午前中に起きること、なのだ。自分に必要な睡眠時間を考えてみる。10〜14時間。一桁はあり得ない。うちの曰く、寝てばかりいる習慣がついてしまっているからそれだけの時間が必要、とのこと。違う気がする。何故なら昔からそうだったから。そして余裕を見て14時間の睡眠を日々取ると仮定。起きる時間は11時。何時に寝ればいいのか……21時。小学生か? うちのは、朝起きられるようになる為なら俺の帰宅を待たずに寝ていて構わない、と言ってくれている。その気持ちは有難い。有難いけれど、21時に寝て11時に起きる生活をすると、大体0時半頃に帰宅して9時頃に出社するうちのとは、休日以外は一切顔を合わせない生活になってしまうではないか。うちのはそれでもいいと言う。私は嫌だ。ならば、うちのが出社する前に起きればいい。出社前に起きるとなると8時が目安か。そして14時間睡眠を前提に逆算……18時就寝。老人か。今時老人でも18時就寝の方は少なかろう。ではトータル睡眠時間を14時間として、2時に寝て11時に起きて残り5時間は昼寝でフォローという手も考えられる。考えられるけれど、無理。主治医曰く、昼寝してもいいけれど、15時以降迄は寝ないように、とのこと。そのココロは、15時以降に取る昼寝はメインである夜の睡眠障害に繋がるから。いろいろな角度から考えてみても、14時間睡眠では打開策が見つからない。となると睡眠時間を減らすしかなく、その為には睡眠の質を向上させることが必要となってくる。では睡眠の質を向上させるにはどうすればよいか。睡眠に詳しいサイトなどで調べてみた。結果。生活環境も含めたらそんな理想的な睡眠環境は作れっこない! という答えが導き出された。ダメだ。何ひとつ解決していないし、解決の糸口も見つかっていない。睡眠外来に行ってみるか。その前に心療歯科乃至は笑気ガス使用歯科か。そろそろ内科検診も受けたいし腰痛解消に形成外科にも……などと書きつつも結局は病院嫌い故に早々には行かないのだろうな。順位としては歯科が最優先だ。
目覚まし時計が鳴っても起きられないのは、起きなきゃいけないという危機感がないからだ、と昔からいろんな人に言われてきた。みんな危機感を持って毎日起きているのだろうか。そんな緊張の糸が張り詰めたような日々は嫌だなあ、と思う時点で学生や社会人の道から私は外れていたのかもしれない。某巨大掲示板某板某スレにて、遅刻癖を改善したい人・改善できた人が集まるスレッドがあり覗いてみた。註。少し前の話であり、ログを読み直しせずにこの日記を書いているので多少の記憶間違いはご容赦を。遅刻癖がある人の多くは定刻という時間への執着心が薄いらしいことが解った。私もそうだ。とそんな遅刻常習者の心理面に頷いていてもきちんと起床したり、きちんと定刻に予定の場所に到着できるようになる筈もなく、対策らしきものを幾つか拾って読んだ。まず、ちゃんと時刻が正しく設定された腕時計を身につけること。ふむ。そういえば昔は腕時計を身につける習慣があったなあ……でも遅刻癖もあった。本気で遅刻癖を直そうとした人の意見のひとつに、見本はゴルゴ、と書かれていたものがあった。自分に厳しくなり指定時刻の前後30秒迄しか誤差は認めない、早過ぎても遅過ぎてもいけない。一意見としては面白かったけれど、それができないから困っているのだ。
早起きしても遅刻してしまう、という人もいた。その人が取った対策は、自分の身支度などにかかる時間を1度計算する。その際、ひとつのことにかかる時間もきっちり理解する。そしてその計算から逆算した時刻を目覚まし時計のセット時刻とし、起きたら例えば歯磨き・洗顔に5分かかるなら5分後に携帯アラームをセット。それがなったら作業中でも次のステップに移る。メイクに30分なら次のアラームは30分後。鳴ったら途中でもやめて……の繰り返し。アラームセットの手間はかかるけれど暫く続けていれば時間通りに動けるようになるとか。そうしたら今度は目覚まし時計のセットのみでOK。体内時計が狂ってきたらまたアラーム利用。おお、これはいいかもしれない! と感動した。が、悲しき哉、私には毎日定刻に着くべき場所などない。アレンジとして家事に使えるのではないか? と思った。しかしそこはやはりダラなので、あくまで思うだけ。それに当人比でちょっと家事労働を頑張った日は物凄くくたびれる。例えば昨日。したことは、窓を開けて空気の入れ替え→洗濯機2回回し→洗濯物を干す→銀行に行く→買い物に行く→ひとり分の夕食を作る→コンロ周りをマジックリンを使用して拭く。小動物らの世話は毎日のことなので除外。で、これだけでくたくたになった。激しく体力が落ちている。20代とは思えない。きっと50代くらいの体力しかないと想像。
いや、そんなことはどうでもよく目下の目標は、午前中に起きること、なのだ。自分に必要な睡眠時間を考えてみる。10〜14時間。一桁はあり得ない。うちの曰く、寝てばかりいる習慣がついてしまっているからそれだけの時間が必要、とのこと。違う気がする。何故なら昔からそうだったから。そして余裕を見て14時間の睡眠を日々取ると仮定。起きる時間は11時。何時に寝ればいいのか……21時。小学生か? うちのは、朝起きられるようになる為なら俺の帰宅を待たずに寝ていて構わない、と言ってくれている。その気持ちは有難い。有難いけれど、21時に寝て11時に起きる生活をすると、大体0時半頃に帰宅して9時頃に出社するうちのとは、休日以外は一切顔を合わせない生活になってしまうではないか。うちのはそれでもいいと言う。私は嫌だ。ならば、うちのが出社する前に起きればいい。出社前に起きるとなると8時が目安か。そして14時間睡眠を前提に逆算……18時就寝。老人か。今時老人でも18時就寝の方は少なかろう。ではトータル睡眠時間を14時間として、2時に寝て11時に起きて残り5時間は昼寝でフォローという手も考えられる。考えられるけれど、無理。主治医曰く、昼寝してもいいけれど、15時以降迄は寝ないように、とのこと。そのココロは、15時以降に取る昼寝はメインである夜の睡眠障害に繋がるから。いろいろな角度から考えてみても、14時間睡眠では打開策が見つからない。となると睡眠時間を減らすしかなく、その為には睡眠の質を向上させることが必要となってくる。では睡眠の質を向上させるにはどうすればよいか。睡眠に詳しいサイトなどで調べてみた。結果。生活環境も含めたらそんな理想的な睡眠環境は作れっこない! という答えが導き出された。ダメだ。何ひとつ解決していないし、解決の糸口も見つかっていない。睡眠外来に行ってみるか。その前に心療歯科乃至は笑気ガス使用歯科か。そろそろ内科検診も受けたいし腰痛解消に形成外科にも……などと書きつつも結局は病院嫌い故に早々には行かないのだろうな。順位としては歯科が最優先だ。
現在、24日夕方。
昨日、友人からメールが届き添付ファイルで画像がついていた。最近飼い始めたジャンガリアンハムスター。友人の掌の上でちょこんとしている。友人はねこ希望だったらしいが旦那に却下されてハムに落ち着いたとのこと。画像だけで和む可愛さ。私の飼っている小動物2匹は共に現在4〜5kgあり、掌サイズだった頃の可愛さとはもう別物。可愛いには可愛いのだが……はあ、小さきものは可愛いことよ。小動物2匹を飼いつつ、私もハム購入を考えたことがある。一時期、いつも小動物の1匹のメシを買いに行っている某デパートペットコーナーに、パンダハムスター、なるものが売られていた。名前の通り白と黒のエクスタ……違う、白と黒のブチで大変に可愛く、何度店員さんに、ください、と言いかけたことか。しかし断念。うちの小動物は草食が1匹、雑食が1匹。雑食の方が絶対に殺る。というか、喰う。雑食のメシとして、あんな可愛いパンダハムスターをうちに囲う訳には行かない。うちの雑食は肉や魚には見向きもしない。その代わり野菜に激しい興味と執着を持って食べたがる。かかりつけの獣医さんにも笑われている。この雑食には長くに渡り某社のメシを食べさせ続けてきていたのだが、先日獣医の元にそれを買いに行ったところ、この春でこれは製造中止になる旨を伝えられた。……どうしたものか。草食の方に比べ、雑食の方がメシの種類が豊富である。故に飼い主は悩む。このメシに落ち付く迄にネットで調べに調べ、獣医と相談に相談を重ねてやっと決められた物だったのに。後数ヶ月の間に次を探さねば。面倒だ。おまいの食うもんなんだからおまいが選べ! と言ったらきっと、安価で質の悪い嗜好性にのみ富んだ物を選ぶのだろうな。こっちは少しでも健康に長生きして欲しくて悩んでいるのだが。
雑食用の現在のメシに落ち付く迄の試行錯誤中に、自作メシを作ってみたことがある。反応。軽く匂いを嗅いで前足でカッカッカッカッと容器に砂をかけるそぶりをしやがった。お気に召さなかったらしい。あのときの徒労感と敗北感ったらもう。去年末か今年の頭に、この雑食動物用の手作りメシのレシピ集を書店で見つけて買ってみた。まだ作ってはいない。ダラだから。そのうち作る。作ってはいないけれど、一通り目を通しはした。そして苦笑。最後の方に、一般的ではないけれど歴史あるレシピだから、と某草食動物の肉を使ったレシピが掲載されていた。某草食動物……私の今座っている場所の真後ろに生息している。こいつを捌けと? このレシピ集を購入したのには、人間用レシピに行き詰ったときに雑食用レシピをアレンジして作れば、人間用と雑食用と共に作れて一石二鳥! なんて思惑もあった。けれど読んでいて、え? と思われる材料がところどころに出現していることに気がついた。人間用にアレンジするには大蒜はそりゃああった方が美味かろう。でもこの雑食動物に大蒜は禁忌食物のひとつではなかったか? など。何処まで信用していいか見極めの難しいレシピ集。きっとノンオイルツナと白飯の混ぜごはん程度しか作れない気がする。眺めているだけで和むレシピ集だけに、実用性に欠けるのが残念無念。
先日から気になっていることがある。小動物らにメシをやるのは私の役割だ。なので起きたときと夜の2回、ちゃんとやっている。過眠や不眠で時間が定期的でないのはともかく。この間の土曜だか日曜だか、朝から晩迄延々眠りこけてやっと起きて、まずは小動物らのメシだ……と動き始めたときに、うちのがキッチンにいて雑食の方にジャーキーをやっていた。片手には草食用のドライフルーツ。おい。メシをやってくれ! おやつはやらんでいい! うちのは悪気があっておやつを与えているのではないことは解っている。ただ小動物らの健康管理への重点の置き方が私とは違っているのだ。私はまず健康ありきで滅多に必要不可欠とは言えないおやつ類はやらない。うちのは、完全室内飼いで楽しみの少ない小動物らにおやつという楽しみをあげたい。こういう違いの擦り合わせは難しい。おやつをやるなとは言わない。でもうちのがあげるおやつの量は、獣医が推奨する最上限の量を超えている。何度か指摘したけれど上記のように考え方のベクトルが全然違うのでもう私は何も言わなくなった。うちのへの諦めというのではなく、私はメシの係・うちのはおやつの係、と脳内決定した故だ。
小動物らの健康を思ってこういう係とどうにか自分を納得させているが、たまに如何ともし難い感情に襲われることがある。私は子供の頃、ごはんが好きではなかった。おやつ大好き、ごはんは2の次、3の次。因って、おやつを沢山くれる人はいい人、ごはんばかりくれる人は悪い人じゃないけれどいい人じゃない、と思っていた。この思考は小動物らも同じらしい。メシをやる私は配給係・おやつをやるうちのはとーってもいい人、と思っている節がある。従って表現力豊かな雑食はその傾向を顕著に表し、感情表現が下手でニヒルな草食も少しだけうちのの方がいい人と思っている素振りを見せる。気に入らん。なんで健康を慮っている私が蔑ろにされて、甘やかすだけのうちのが懐かれまくっているんだ! そしてふと思う。世の母親の多くは子供の健康を第一に考えるだろう。そして父親や祖父母などの子供との時間共有が少ない人間は甘やかすことで子供の気を惹く傾向がよくある。この構図が子供のいないうちでも、ペットを通して見て取れる。仮に子供ができたとして、うちのは私と一緒にきちんと健康を考えたり躾をしたりしてくれるのだろうか。現状を見る限りだと、平日の子供の世話はお前の仕事、休日は俺様が甘やかし放題、となりそうで怖いったらありゃしない。いいとこ取りしたいのは誰だって同じだ。私だって小動物らにおやつを沢山あげて今以上に懐かれたい。そこをぐっと我慢しているのが解らんか。解らんのだろうなあ……。育児に協力的な旦那、と自負という自己満足の中で女房に不満を溜めさせる男性への愚痴を多く見聞きする。私の実父もそうだったらしい。大人になってから親に聞いたことだが、実質は、怒る、が多かったことは棚に上げて叱る係は母親、それをフォローして甘やかす係が父親と役割分担されていたらしい。実態は判らない。実父は既に死んでいるので片方の意見だけを鵜呑みにするのは危険。仮定として親の意見がその言葉通りだったとしたら、今の私以上にストレスを抱え込んでいただろう。子供を叱る際に逃げ場の用意としてフォローする係も必要だ。ただそれがどちらか片方の親に偏ってはならないのではないか。ときに母親が叱り父親がフォローし、ときに父親が叱り母親がフォローする。理想論に過ぎないか。いや、両親がよく話し合って教育方針を固めれば可能な筈。偏りを感じたらその都度修正する。修正には柔軟性が必要だろう。うちのは将来的に子供が欲しいらしい。私は要らんが。私の心身が健康になったとし、子供を欲したとしてもうちのが柔軟性を持ってくれなければ怖い。話はそれからだ。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
昨日、友人からメールが届き添付ファイルで画像がついていた。最近飼い始めたジャンガリアンハムスター。友人の掌の上でちょこんとしている。友人はねこ希望だったらしいが旦那に却下されてハムに落ち着いたとのこと。画像だけで和む可愛さ。私の飼っている小動物2匹は共に現在4〜5kgあり、掌サイズだった頃の可愛さとはもう別物。可愛いには可愛いのだが……はあ、小さきものは可愛いことよ。小動物2匹を飼いつつ、私もハム購入を考えたことがある。一時期、いつも小動物の1匹のメシを買いに行っている某デパートペットコーナーに、パンダハムスター、なるものが売られていた。名前の通り白と黒のエクスタ……違う、白と黒のブチで大変に可愛く、何度店員さんに、ください、と言いかけたことか。しかし断念。うちの小動物は草食が1匹、雑食が1匹。雑食の方が絶対に殺る。というか、喰う。雑食のメシとして、あんな可愛いパンダハムスターをうちに囲う訳には行かない。うちの雑食は肉や魚には見向きもしない。その代わり野菜に激しい興味と執着を持って食べたがる。かかりつけの獣医さんにも笑われている。この雑食には長くに渡り某社のメシを食べさせ続けてきていたのだが、先日獣医の元にそれを買いに行ったところ、この春でこれは製造中止になる旨を伝えられた。……どうしたものか。草食の方に比べ、雑食の方がメシの種類が豊富である。故に飼い主は悩む。このメシに落ち付く迄にネットで調べに調べ、獣医と相談に相談を重ねてやっと決められた物だったのに。後数ヶ月の間に次を探さねば。面倒だ。おまいの食うもんなんだからおまいが選べ! と言ったらきっと、安価で質の悪い嗜好性にのみ富んだ物を選ぶのだろうな。こっちは少しでも健康に長生きして欲しくて悩んでいるのだが。
雑食用の現在のメシに落ち付く迄の試行錯誤中に、自作メシを作ってみたことがある。反応。軽く匂いを嗅いで前足でカッカッカッカッと容器に砂をかけるそぶりをしやがった。お気に召さなかったらしい。あのときの徒労感と敗北感ったらもう。去年末か今年の頭に、この雑食動物用の手作りメシのレシピ集を書店で見つけて買ってみた。まだ作ってはいない。ダラだから。そのうち作る。作ってはいないけれど、一通り目を通しはした。そして苦笑。最後の方に、一般的ではないけれど歴史あるレシピだから、と某草食動物の肉を使ったレシピが掲載されていた。某草食動物……私の今座っている場所の真後ろに生息している。こいつを捌けと? このレシピ集を購入したのには、人間用レシピに行き詰ったときに雑食用レシピをアレンジして作れば、人間用と雑食用と共に作れて一石二鳥! なんて思惑もあった。けれど読んでいて、え? と思われる材料がところどころに出現していることに気がついた。人間用にアレンジするには大蒜はそりゃああった方が美味かろう。でもこの雑食動物に大蒜は禁忌食物のひとつではなかったか? など。何処まで信用していいか見極めの難しいレシピ集。きっとノンオイルツナと白飯の混ぜごはん程度しか作れない気がする。眺めているだけで和むレシピ集だけに、実用性に欠けるのが残念無念。
先日から気になっていることがある。小動物らにメシをやるのは私の役割だ。なので起きたときと夜の2回、ちゃんとやっている。過眠や不眠で時間が定期的でないのはともかく。この間の土曜だか日曜だか、朝から晩迄延々眠りこけてやっと起きて、まずは小動物らのメシだ……と動き始めたときに、うちのがキッチンにいて雑食の方にジャーキーをやっていた。片手には草食用のドライフルーツ。おい。メシをやってくれ! おやつはやらんでいい! うちのは悪気があっておやつを与えているのではないことは解っている。ただ小動物らの健康管理への重点の置き方が私とは違っているのだ。私はまず健康ありきで滅多に必要不可欠とは言えないおやつ類はやらない。うちのは、完全室内飼いで楽しみの少ない小動物らにおやつという楽しみをあげたい。こういう違いの擦り合わせは難しい。おやつをやるなとは言わない。でもうちのがあげるおやつの量は、獣医が推奨する最上限の量を超えている。何度か指摘したけれど上記のように考え方のベクトルが全然違うのでもう私は何も言わなくなった。うちのへの諦めというのではなく、私はメシの係・うちのはおやつの係、と脳内決定した故だ。
小動物らの健康を思ってこういう係とどうにか自分を納得させているが、たまに如何ともし難い感情に襲われることがある。私は子供の頃、ごはんが好きではなかった。おやつ大好き、ごはんは2の次、3の次。因って、おやつを沢山くれる人はいい人、ごはんばかりくれる人は悪い人じゃないけれどいい人じゃない、と思っていた。この思考は小動物らも同じらしい。メシをやる私は配給係・おやつをやるうちのはとーってもいい人、と思っている節がある。従って表現力豊かな雑食はその傾向を顕著に表し、感情表現が下手でニヒルな草食も少しだけうちのの方がいい人と思っている素振りを見せる。気に入らん。なんで健康を慮っている私が蔑ろにされて、甘やかすだけのうちのが懐かれまくっているんだ! そしてふと思う。世の母親の多くは子供の健康を第一に考えるだろう。そして父親や祖父母などの子供との時間共有が少ない人間は甘やかすことで子供の気を惹く傾向がよくある。この構図が子供のいないうちでも、ペットを通して見て取れる。仮に子供ができたとして、うちのは私と一緒にきちんと健康を考えたり躾をしたりしてくれるのだろうか。現状を見る限りだと、平日の子供の世話はお前の仕事、休日は俺様が甘やかし放題、となりそうで怖いったらありゃしない。いいとこ取りしたいのは誰だって同じだ。私だって小動物らにおやつを沢山あげて今以上に懐かれたい。そこをぐっと我慢しているのが解らんか。解らんのだろうなあ……。育児に協力的な旦那、と自負という自己満足の中で女房に不満を溜めさせる男性への愚痴を多く見聞きする。私の実父もそうだったらしい。大人になってから親に聞いたことだが、実質は、怒る、が多かったことは棚に上げて叱る係は母親、それをフォローして甘やかす係が父親と役割分担されていたらしい。実態は判らない。実父は既に死んでいるので片方の意見だけを鵜呑みにするのは危険。仮定として親の意見がその言葉通りだったとしたら、今の私以上にストレスを抱え込んでいただろう。子供を叱る際に逃げ場の用意としてフォローする係も必要だ。ただそれがどちらか片方の親に偏ってはならないのではないか。ときに母親が叱り父親がフォローし、ときに父親が叱り母親がフォローする。理想論に過ぎないか。いや、両親がよく話し合って教育方針を固めれば可能な筈。偏りを感じたらその都度修正する。修正には柔軟性が必要だろう。うちのは将来的に子供が欲しいらしい。私は要らんが。私の心身が健康になったとし、子供を欲したとしてもうちのが柔軟性を持ってくれなければ怖い。話はそれからだ。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
現在12日。
午前中に今年初めて布団を干し、さっき布団を取り込む直前に同じく今年初めて掃除機をかけた。キッチンの掃き掃除は週に1度のペースでやっているものの昨日うちのに、もっとやれ、と怒られたのでキッチンにも掃除機をかけた。シャキ神様降臨。小動物2は極度に掃除機を怖がる。居間に掃除機をかけているときは、自分の寝床のひとつに座ってじーっと眺め、その後は出窓に座ってじーっと眺め、キッチンに掃除機をかけ始めたあたりでバス・トイレのドアの傍に座って眺めていた。怖いけど見たい、といった心境か。そして玄関近くに掃除機を動かすと、まるで追い詰められたかのように玄関に行き、玄関間際に掃除機を動かすと、むささびのように狭い玄関の壁から壁へと移動して私のPCデスクの下を潜って居間に逃げて行った。怖いなら近付かなきゃいいのに……よく解らん。
小動物2はともかく、上記に書いたように去年立てた目標は余り達成できていない。掃除然り、入浴然り。辛うじて食器洗いを翌日に持ち越す回数が減ったことと、キッチン・コンロ周りを毎回使うたびに水跳ねを拭くようになったことくらいか。あと、家計簿を継続してつけていること及び無闇な買い物をしなくなったこと。生活リズムも整っていないし、だるい日が多く体も余り動かしていない。3日に1日は家から1歩も出なかったりする。相変わらずのヒキコモリである。その中でうちのが最も不満に思っていることは、入浴回数が殆ど増えていないことである。うちのはよく寝言を言う。その中で、寝返りを打って私の方を向いたときに、クサッ! と言うことがある。しかも3回繰り返したりする。入浴しないと相当に頭が臭くなるらしい。自分では気付かない。ただ、脂が浮いてきているなと思ったときは他者に迷惑をかけないように帽子を被って出かける。以前。臭いとき用の帽子があるからダメなのではないか、と思い立って臭いとき用の帽子を捨てた。それは臭いとき用の帽子が春夏秋物だったこともある。今はニット帽のひとつを臭いとき用にしている。季節に背かない帽子になったことだけが進歩。根本的解決には程遠い。他の家事云々はともかく、嗅覚に訴える私の頭皮の匂いがうちのには一番の悩みであるらしく先日切々と、もっと風呂に入ってくれと頼まれた。去年、年が明けたら2日に1回は風呂に入ると言っていたじゃないか! すまん、大風呂敷を広げた、無理だ。話し合い。
なんで風呂に入らないの? 面倒だから。みんな入ってるよ! はあ……。ちゃんとキレイにしてくれよ! そんなに汚いかなあ。汚いよ! でも人に迷惑はかけてないよ。俺が迷惑してるんだよ! はあ……。頼むから入ってくれ。でもそんなにガミガミ言われたら入る気が余計なくなるよ。じゃあどうすればいいんだよ! 叱る教育じゃなくて褒めて伸ばす教育を。……そんじゃ、1回風呂に入ったら500円やる。お母さんみたい。え? 中高生の頃、前回の定期試験よりもいい点数が取れたらお小遣いくれてた、だからなんかその方法は嫌だなあ。こんな話し合いをして、結局はこう落ち着いた。毎月、入浴目標回数をクリアできたら日帰りで近場のクアハウスや温泉に連れて行ってもらう。まず、今月の目標は週に1回。来月は週に2回。そうやって毎月ハードルを高くして、最終的には2日に1度は入れるように、と。中途半端なことが嫌いな私は、入浴したら徹底的に洗わないと気が済まない。そして徹底的に洗うとなれば時間も労力も使う。因って2日に1度の入浴は心身が持たない。更に、1度入る→翌日入らない→翌々日も入らない、となるとどうせ目標通りに事が進んでいないのだからもういいや、と逆完璧に邁進。するとまたうちのが怒る→凹む→抑うつ状態に陥り気力が失せて入浴どころではなくなる。
とにかく私は怒られるのが苦手なのだ。先日の診察時に主治医に話したこと。希死念慮は起きていないけれど、ここ最近死に纏わることばかりを考えてしまう。例えば先日のこと。買い物に行くのに陸橋を渡った。その陸橋は幅が狭く且つ見通しが悪い。歩きながら私が考えていたこと。あー、反対側から刃物を持った人がきたら逃げられないなあ、でも人通りの全くない陸橋ではないから死体はすぐに見つけられるだろうし腐りはしないなあ。帰宅時にガードレールに供えられた花束を見つけた。あー、ここで人が死んだのか、一瞬だったのかなあ、それならいいなあ。何かにつけてこんな感じ。何かにつけて死について連想し、それで楽に死ねるのならいいなあ、と。家でひとりでいるときにも、何をする訳でもなくぼんやりと漠然と死について考えていたりする。先日、うちのが仕事の都合で会社に泊まった。その日の泊まりはうちのひとりだったらしい。淋しいからメールをくれ、とメールを送ってきた。陸橋を渡ったときに考えたことを書いて返信した。暫くしてうちのから電話があった。大丈夫? うん。きっと自傷したりしていないか心配してくれたのだろう。パキシルが増えてから、自傷したいという気持ちは湧いてきていない。けれど漠然と死について考えることが増えた。考えようと思って考えている訳ではないので、今は死について考えることが必要な時期なのかもしれない。と、常にぼんやりしている。死について考えることは非常に消耗する。入浴する気力など使い果たしてしまう。また死ぬということは無になるということであり、無になったら入浴もへったくれもあったものではない。ここのところ、頭痛と吐き気が続いている。体調不良。今日は無理でも明日か明後日には入浴しなければならない。気が重い。学生時代迄は毎日のように入浴していたし、入浴に完璧は求めていなかった。いつだったか記憶にないが、ある日入浴後にタオルで体を拭いたときに、落としきれていなかった垢であろうもろもろが出てきたことがある。激しい不快感に襲われた。完璧入浴への強迫観念はそれからだったと思う。先日うちのと話をしていて、風呂あがりにタオルで体を拭いているときにもろもろが出てきたら気持ち悪くないか? と訊ねた。うちのは、完璧に落としきらないくらいで丁度いいんだよ、と答えた。そんなものなのだろうか。例えそうであっても、今の私には耐えられない。いつか平気になる日がやってくるのか。
午前中に今年初めて布団を干し、さっき布団を取り込む直前に同じく今年初めて掃除機をかけた。キッチンの掃き掃除は週に1度のペースでやっているものの昨日うちのに、もっとやれ、と怒られたのでキッチンにも掃除機をかけた。シャキ神様降臨。小動物2は極度に掃除機を怖がる。居間に掃除機をかけているときは、自分の寝床のひとつに座ってじーっと眺め、その後は出窓に座ってじーっと眺め、キッチンに掃除機をかけ始めたあたりでバス・トイレのドアの傍に座って眺めていた。怖いけど見たい、といった心境か。そして玄関近くに掃除機を動かすと、まるで追い詰められたかのように玄関に行き、玄関間際に掃除機を動かすと、むささびのように狭い玄関の壁から壁へと移動して私のPCデスクの下を潜って居間に逃げて行った。怖いなら近付かなきゃいいのに……よく解らん。
小動物2はともかく、上記に書いたように去年立てた目標は余り達成できていない。掃除然り、入浴然り。辛うじて食器洗いを翌日に持ち越す回数が減ったことと、キッチン・コンロ周りを毎回使うたびに水跳ねを拭くようになったことくらいか。あと、家計簿を継続してつけていること及び無闇な買い物をしなくなったこと。生活リズムも整っていないし、だるい日が多く体も余り動かしていない。3日に1日は家から1歩も出なかったりする。相変わらずのヒキコモリである。その中でうちのが最も不満に思っていることは、入浴回数が殆ど増えていないことである。うちのはよく寝言を言う。その中で、寝返りを打って私の方を向いたときに、クサッ! と言うことがある。しかも3回繰り返したりする。入浴しないと相当に頭が臭くなるらしい。自分では気付かない。ただ、脂が浮いてきているなと思ったときは他者に迷惑をかけないように帽子を被って出かける。以前。臭いとき用の帽子があるからダメなのではないか、と思い立って臭いとき用の帽子を捨てた。それは臭いとき用の帽子が春夏秋物だったこともある。今はニット帽のひとつを臭いとき用にしている。季節に背かない帽子になったことだけが進歩。根本的解決には程遠い。他の家事云々はともかく、嗅覚に訴える私の頭皮の匂いがうちのには一番の悩みであるらしく先日切々と、もっと風呂に入ってくれと頼まれた。去年、年が明けたら2日に1回は風呂に入ると言っていたじゃないか! すまん、大風呂敷を広げた、無理だ。話し合い。
なんで風呂に入らないの? 面倒だから。みんな入ってるよ! はあ……。ちゃんとキレイにしてくれよ! そんなに汚いかなあ。汚いよ! でも人に迷惑はかけてないよ。俺が迷惑してるんだよ! はあ……。頼むから入ってくれ。でもそんなにガミガミ言われたら入る気が余計なくなるよ。じゃあどうすればいいんだよ! 叱る教育じゃなくて褒めて伸ばす教育を。……そんじゃ、1回風呂に入ったら500円やる。お母さんみたい。え? 中高生の頃、前回の定期試験よりもいい点数が取れたらお小遣いくれてた、だからなんかその方法は嫌だなあ。こんな話し合いをして、結局はこう落ち着いた。毎月、入浴目標回数をクリアできたら日帰りで近場のクアハウスや温泉に連れて行ってもらう。まず、今月の目標は週に1回。来月は週に2回。そうやって毎月ハードルを高くして、最終的には2日に1度は入れるように、と。中途半端なことが嫌いな私は、入浴したら徹底的に洗わないと気が済まない。そして徹底的に洗うとなれば時間も労力も使う。因って2日に1度の入浴は心身が持たない。更に、1度入る→翌日入らない→翌々日も入らない、となるとどうせ目標通りに事が進んでいないのだからもういいや、と逆完璧に邁進。するとまたうちのが怒る→凹む→抑うつ状態に陥り気力が失せて入浴どころではなくなる。
とにかく私は怒られるのが苦手なのだ。先日の診察時に主治医に話したこと。希死念慮は起きていないけれど、ここ最近死に纏わることばかりを考えてしまう。例えば先日のこと。買い物に行くのに陸橋を渡った。その陸橋は幅が狭く且つ見通しが悪い。歩きながら私が考えていたこと。あー、反対側から刃物を持った人がきたら逃げられないなあ、でも人通りの全くない陸橋ではないから死体はすぐに見つけられるだろうし腐りはしないなあ。帰宅時にガードレールに供えられた花束を見つけた。あー、ここで人が死んだのか、一瞬だったのかなあ、それならいいなあ。何かにつけてこんな感じ。何かにつけて死について連想し、それで楽に死ねるのならいいなあ、と。家でひとりでいるときにも、何をする訳でもなくぼんやりと漠然と死について考えていたりする。先日、うちのが仕事の都合で会社に泊まった。その日の泊まりはうちのひとりだったらしい。淋しいからメールをくれ、とメールを送ってきた。陸橋を渡ったときに考えたことを書いて返信した。暫くしてうちのから電話があった。大丈夫? うん。きっと自傷したりしていないか心配してくれたのだろう。パキシルが増えてから、自傷したいという気持ちは湧いてきていない。けれど漠然と死について考えることが増えた。考えようと思って考えている訳ではないので、今は死について考えることが必要な時期なのかもしれない。と、常にぼんやりしている。死について考えることは非常に消耗する。入浴する気力など使い果たしてしまう。また死ぬということは無になるということであり、無になったら入浴もへったくれもあったものではない。ここのところ、頭痛と吐き気が続いている。体調不良。今日は無理でも明日か明後日には入浴しなければならない。気が重い。学生時代迄は毎日のように入浴していたし、入浴に完璧は求めていなかった。いつだったか記憶にないが、ある日入浴後にタオルで体を拭いたときに、落としきれていなかった垢であろうもろもろが出てきたことがある。激しい不快感に襲われた。完璧入浴への強迫観念はそれからだったと思う。先日うちのと話をしていて、風呂あがりにタオルで体を拭いているときにもろもろが出てきたら気持ち悪くないか? と訊ねた。うちのは、完璧に落としきらないくらいで丁度いいんだよ、と答えた。そんなものなのだろうか。例えそうであっても、今の私には耐えられない。いつか平気になる日がやってくるのか。
現在2月1日。
日記の仕様が変わった。前の方がシンプルで良かった。いろいろカスタムするのが好きな人は楽しかろうが、私は面倒だ。気が向いたら弄る……かな? どうだろう。そして新機能、全部なくても困らない。個人的に良くなったと思える部分は日記を書くにあたっての枠が広くなったことくらいか。文庫的活字文体で徹底したいのでタグも使わないだろうから下のボタンが少し邪魔に感じるけれど。他の人の日記を見ると、早速カスタマイズしている人が多くいたので、今回の仕様変更にあたって私のような感想を持つ人間の方が少数派なのかもしれない。もし、私が仕様変更を自由にできたとしたら気持ち表示を廃止、自己紹介欄のリンクを複数可能にする。それ以外だと、読む人がフォントの大きさを変えられるようにするとか。映画「ドラッグストア・ガール」のオフィシャル・サイトがそうなっていて親切だと思ったから。
今、通常以上に面倒気質が発揮されている。事は昨夜に起因する。夜、洗濯をした。やっつけるか、と重い腰を上げてから実際に洗濯機をちゃんと回し始める迄にかかった時間は約1時間。うちでは洗濯機の上に汚れ物を入れる洗濯籠を置いており、洗濯機を使うときは、その籠に入った洗濯物を分別するところから始まる。選別の種類はタオルと下着・靴下・Tシャツやカットソー・シャツ・パンツやスカート。汚れ具合などではなく、干すときに楽をできるように分別するのだ。洗濯の回数は大体週に2回。1回の洗濯につき2〜3回回す。今日はタオルと下着とパンツで1回、Tシャツとシャツで1回だった。タオルも下着もその他もどれも複数枚である。分別をして籠をどかす→洗濯機に電源を入れてコースを選んで開始ボタンを押す→蛇口をひねって水を出し始めて少し溜まったら洗剤投入→汚れ物投入→洗濯機の蓋を閉める→2回目の濯ぎの際に柔軟材投入→蓋を閉める→終了音がなったら取り出す→2回目を同様に開始→その間に1回目の洗濯物を干す→……、とそのときの洗濯物の量に合わせて繰り返される。今回は蛇口をひねって水を出すときに大惨事が起きた。どうも洗濯籠をどかすときに蛇口とホースの継ぎ目に衝撃を与えてしまったらしく、気付かぬままに水を出し始めたら物凄い勢いで周囲に水が飛び散った。この水を拭くのがまた大変。我が家の洗濯機は室内置きであり、洗濯機を置くスペースの余白部分、右には傘が10本近く、左にはビニールのショップ袋に入れられた私のブーツが4足、手前には靴の箱の山。全部どかして雑巾で拭き掃除。私がしたかったのは洗濯だけであり、掃除なんかしたくなかったのに。物の移動と拭き掃除で約1時間取られた。他者から見たらきっと洗濯籠を適当に扱った自業自得だろう。でも当事者にしたら天災のようなものである。因みに右側に置いていた傘はどれも豪雨の中で使ったかのようにびしょ濡れになっていた。
天災・大惨事と言えば、昨夜も酷い目に遭った。昨夜はうちのの帰宅後、近所のファミレスでバースデイ・ディナーとしてオムライスとパンケーキをうちのにご馳走してもらった。美味しい+夕飯の支度をしなくて済んだと機嫌良く帰宅し、ネットでちょっと遊び……うっ。トイレに駆け込む。何も出ない。死ぬ程具合が悪い。布団に入る。うっ。トイレ。何も出ない。もう一度布団に、うっ。トイレ。出た。上の方からオロロロロロロロロロロロロ〜と大量に。口を漱いで布団に戻る。うっ。トイレ。何も出ない。布団に戻ってやっとうとうと……うっ。トイレ。再びオロロ(以下略。何に中ったことやら解らないけれど、誕生日の夜になんでこんな目に会わねばならないのか。我が不運を恨みつつ、うちのに、明日の午前中に医者に行ってこい、と言われ頷いてやっと寝られた。病院に行ってこい、と起こされたのは午前8時。もう吐き気はない。そして私は病院嫌い。大丈夫、と再び寝ようとしたらうちのが文句を言い出した。本当に大丈夫なんだな! じゃあもう具合悪いとか風邪とか言うなよ! 熱を計るのも禁止! 医者に行く程ではないという意味での、大丈夫、だったのに酷い言われようである。適当にうんうんと言ってまた寝て、次に起こされたのは昼前。腹減った。バースデイ・イヴにデリバリしたピザの残りを出す。コーヒーは? 面倒くせえなあ、もう! と反発したりはせず、へいへいとお湯を沸かして淹れて出し、再び布団へ。あんた食べないの? いらない、全部食べちゃっていいよ。いらないと言ったのは、空腹でなかったことが半分、前々日の残り物でありまた中ったら嫌だったのが半分。私が寝ている間にうちのが何度か話しかけてきた記憶はあるが内容は覚えていない。起きたのは19時半頃。うちのからの、遅くなるから先に飯食っててコール。私が寝ている間に休日出勤した模様。帰宅してから、明日呑みに行く、とうちのが言い出したのでバレンタインにチョコと一緒に渡す予定でクローゼットの奥にしまっていたラベンハムのジャケットを、半月早いけど、と渡す。当然、バレンタインはもうチョコだけだからね! と念を押す。とても驚かれ、非常に喜ばれた。驚いたのは、バレンタインはチョコだけだと思っていたのにそれ以外のプレゼントを相当早くから用意されていたことと、昨今私からもらったプレゼントの中で格段に高価な物だったこと。高価と言っても新品ではないけれど。喜ばれたのは、ちょうど欲しいと思っていた形のジャケットだったから。サイズもぴったりで一安心。
何故食中りしたのかを分析。外食だし、別メニューではあるけれど食事を共にしたうちのはなんともなかったことから出された物はきっと傷んではいなかったと思われる。ただ傷んではいないけれども危なかった物なのかもしれない。同じ食事をしても中る人と中らない人がいる。この差は、そのときの体力差である。食事の時点での私の体調は訳一週間も長引いている風邪っぴき、プラス昼に久々に親に会うにあたっての極度の緊張から一気に開放されたという精神状態の激しい起伏でストレスを募らせていた。風邪は勿論のこと、ストレスも体力を消耗させる。これらの体力消耗要素により、通常なら中らない程度の物に中ってしまったのではなかろうか。誕生日イブは存分にダラしていい日、誕生日当日は気が済む迄ダラしていい日、アフター誕生日は十分にダラしていい日、と脳内決定していたのに当日とアフターはそこ迄ダラできなかったので、2日分纏めて、今日は心置きなくダラしていい日としたい。余談。愛しの君のバンドの10年程前のツアーパンフとその他グッズと雑誌記事スクラップのセットのネットオークションが昨夜終了した。参戦する余地のない高値となっていた。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
日記の仕様が変わった。前の方がシンプルで良かった。いろいろカスタムするのが好きな人は楽しかろうが、私は面倒だ。気が向いたら弄る……かな? どうだろう。そして新機能、全部なくても困らない。個人的に良くなったと思える部分は日記を書くにあたっての枠が広くなったことくらいか。文庫的活字文体で徹底したいのでタグも使わないだろうから下のボタンが少し邪魔に感じるけれど。他の人の日記を見ると、早速カスタマイズしている人が多くいたので、今回の仕様変更にあたって私のような感想を持つ人間の方が少数派なのかもしれない。もし、私が仕様変更を自由にできたとしたら気持ち表示を廃止、自己紹介欄のリンクを複数可能にする。それ以外だと、読む人がフォントの大きさを変えられるようにするとか。映画「ドラッグストア・ガール」のオフィシャル・サイトがそうなっていて親切だと思ったから。
今、通常以上に面倒気質が発揮されている。事は昨夜に起因する。夜、洗濯をした。やっつけるか、と重い腰を上げてから実際に洗濯機をちゃんと回し始める迄にかかった時間は約1時間。うちでは洗濯機の上に汚れ物を入れる洗濯籠を置いており、洗濯機を使うときは、その籠に入った洗濯物を分別するところから始まる。選別の種類はタオルと下着・靴下・Tシャツやカットソー・シャツ・パンツやスカート。汚れ具合などではなく、干すときに楽をできるように分別するのだ。洗濯の回数は大体週に2回。1回の洗濯につき2〜3回回す。今日はタオルと下着とパンツで1回、Tシャツとシャツで1回だった。タオルも下着もその他もどれも複数枚である。分別をして籠をどかす→洗濯機に電源を入れてコースを選んで開始ボタンを押す→蛇口をひねって水を出し始めて少し溜まったら洗剤投入→汚れ物投入→洗濯機の蓋を閉める→2回目の濯ぎの際に柔軟材投入→蓋を閉める→終了音がなったら取り出す→2回目を同様に開始→その間に1回目の洗濯物を干す→……、とそのときの洗濯物の量に合わせて繰り返される。今回は蛇口をひねって水を出すときに大惨事が起きた。どうも洗濯籠をどかすときに蛇口とホースの継ぎ目に衝撃を与えてしまったらしく、気付かぬままに水を出し始めたら物凄い勢いで周囲に水が飛び散った。この水を拭くのがまた大変。我が家の洗濯機は室内置きであり、洗濯機を置くスペースの余白部分、右には傘が10本近く、左にはビニールのショップ袋に入れられた私のブーツが4足、手前には靴の箱の山。全部どかして雑巾で拭き掃除。私がしたかったのは洗濯だけであり、掃除なんかしたくなかったのに。物の移動と拭き掃除で約1時間取られた。他者から見たらきっと洗濯籠を適当に扱った自業自得だろう。でも当事者にしたら天災のようなものである。因みに右側に置いていた傘はどれも豪雨の中で使ったかのようにびしょ濡れになっていた。
天災・大惨事と言えば、昨夜も酷い目に遭った。昨夜はうちのの帰宅後、近所のファミレスでバースデイ・ディナーとしてオムライスとパンケーキをうちのにご馳走してもらった。美味しい+夕飯の支度をしなくて済んだと機嫌良く帰宅し、ネットでちょっと遊び……うっ。トイレに駆け込む。何も出ない。死ぬ程具合が悪い。布団に入る。うっ。トイレ。何も出ない。もう一度布団に、うっ。トイレ。出た。上の方からオロロロロロロロロロロロロ〜と大量に。口を漱いで布団に戻る。うっ。トイレ。何も出ない。布団に戻ってやっとうとうと……うっ。トイレ。再びオロロ(以下略。何に中ったことやら解らないけれど、誕生日の夜になんでこんな目に会わねばならないのか。我が不運を恨みつつ、うちのに、明日の午前中に医者に行ってこい、と言われ頷いてやっと寝られた。病院に行ってこい、と起こされたのは午前8時。もう吐き気はない。そして私は病院嫌い。大丈夫、と再び寝ようとしたらうちのが文句を言い出した。本当に大丈夫なんだな! じゃあもう具合悪いとか風邪とか言うなよ! 熱を計るのも禁止! 医者に行く程ではないという意味での、大丈夫、だったのに酷い言われようである。適当にうんうんと言ってまた寝て、次に起こされたのは昼前。腹減った。バースデイ・イヴにデリバリしたピザの残りを出す。コーヒーは? 面倒くせえなあ、もう! と反発したりはせず、へいへいとお湯を沸かして淹れて出し、再び布団へ。あんた食べないの? いらない、全部食べちゃっていいよ。いらないと言ったのは、空腹でなかったことが半分、前々日の残り物でありまた中ったら嫌だったのが半分。私が寝ている間にうちのが何度か話しかけてきた記憶はあるが内容は覚えていない。起きたのは19時半頃。うちのからの、遅くなるから先に飯食っててコール。私が寝ている間に休日出勤した模様。帰宅してから、明日呑みに行く、とうちのが言い出したのでバレンタインにチョコと一緒に渡す予定でクローゼットの奥にしまっていたラベンハムのジャケットを、半月早いけど、と渡す。当然、バレンタインはもうチョコだけだからね! と念を押す。とても驚かれ、非常に喜ばれた。驚いたのは、バレンタインはチョコだけだと思っていたのにそれ以外のプレゼントを相当早くから用意されていたことと、昨今私からもらったプレゼントの中で格段に高価な物だったこと。高価と言っても新品ではないけれど。喜ばれたのは、ちょうど欲しいと思っていた形のジャケットだったから。サイズもぴったりで一安心。
何故食中りしたのかを分析。外食だし、別メニューではあるけれど食事を共にしたうちのはなんともなかったことから出された物はきっと傷んではいなかったと思われる。ただ傷んではいないけれども危なかった物なのかもしれない。同じ食事をしても中る人と中らない人がいる。この差は、そのときの体力差である。食事の時点での私の体調は訳一週間も長引いている風邪っぴき、プラス昼に久々に親に会うにあたっての極度の緊張から一気に開放されたという精神状態の激しい起伏でストレスを募らせていた。風邪は勿論のこと、ストレスも体力を消耗させる。これらの体力消耗要素により、通常なら中らない程度の物に中ってしまったのではなかろうか。誕生日イブは存分にダラしていい日、誕生日当日は気が済む迄ダラしていい日、アフター誕生日は十分にダラしていい日、と脳内決定していたのに当日とアフターはそこ迄ダラできなかったので、2日分纏めて、今日は心置きなくダラしていい日としたい。余談。愛しの君のバンドの10年程前のツアーパンフとその他グッズと雑誌記事スクラップのセットのネットオークションが昨夜終了した。参戦する余地のない高値となっていた。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
人に厳しく自分に甘く
2004年1月7日 その他生活 私はうっかり者で鈍臭い。因って同棲開始時から揚げ物禁止令を出されている。天麩羅・フライなどはうちでは作ったことがない。コロッケはオーブントースターで焼くし、春巻きはフライパンに多めに油を入れて揚げる。今夜の献立は、鰤の照焼き梅風味・きのこのバター醤油ホイル焼き・揚げ餅だった。揚げ餅はうちのの実家から送られてきた豆餅を大葉で巻き、それから春巻きの皮で巻いて揚げて作る物だ。大根の胡椒炒め以来の大失敗。油を熱し過ぎてしまい、巻いた餅を入れた瞬間から狐色になり、けれどもまだ中迄熱が通っていなかろうとしばし放置。すると皮が黒くなってきてので急いでひっくり返し、今度は狐色を確認する迄もなく黒くなり始め、慌てて皿に上げた。餅に気を取られて、きのこは焼きが甘くなってしまった。美味しくできたのは、鰤のみである。「愛のエプロン」という深夜番組があり、たまに見てはアイドルや女優の下手糞な料理作りを見て笑っていた。……もう暫くは笑えなさそうである。私は今年から料理をしたらすぐに洗い物とコンロ拭きをしてしまうよう癖付けしようとしており、ちょっと失敗しちゃったっぽいけど愛を込めて作ったので頑張って食べてください! などと笑顔でうちのに先に食べていてくれるよう言ったところ、すぐに声が掛けられた。黒猫ちゃん、餅、硬いんですけど……。嗚呼、そうだよね。やっぱりね。うん。気合で食ってくれ! 男を見せろ! と返事をした。1週間遅れの男祭りだ。けれども格闘家ではなく、更に風邪が悪化して体調不良のうちのはすぐにダウンした。仕方なくレンジで温めると、今度は餅が溶けてでろでろに。激しく不味そうである。それでも今夜の主食は餅しかないのだから、どうしようもない。油っぽいだの焦臭いだの文句を垂れるうちのに、一番気になっていた案件、豆餅と大葉は合うか、と訊ねた。レシピでは白餅使用だったところ、白餅もあったけれど豆餅の方が多く余っていたので豆餅を使ったのだ。うちのは、大葉の味がしない、と答えた。そんなに油がきついのか? 自分でも食べてみる。皮の焦げはともかく、豆餅と大葉も合わなくはない。鰤についても訊いてみた。ただの照焼きだと思いつつ食べていたらしい。鰤の上に梅が乗っているというのにだ。風邪で鼻が莫迦になっているようで、全くあてにならない。鰤は私自身が美味しかったので良し。
今日はとにかくいろんなことが上手く回らない日だった。起きたのは辛うじて午前ではあるけれど正午前。ぼーっとして過ごし、夕方になって銀行に行こうと思った筈なのに気付いたら布団にいた。そして起き上がって部屋の灯りをつけ、トイレに行って同じく灯りをつけようとしたら……つかない。玄関もつかない。電球が切れたか? と思ったらまだ布団の中にいた。夢だったのだ。今度こそ起きて部屋の(以下略。全く同じパターンの夢と寝起きを5回程繰り返した。ループする夢は大概気分の悪いものだ。時計を見ると19時を過ぎていた。どうにか体を起こして、うちのに銀行に行けなかった旨をメールし、買い物に出かけ、夕飯を作ろうとしたらうちのから帰るコール。絶対に帰宅に間に合わない。こういうタイミングの悪い日は早寝するに限るので、この日記を書いて小動物らのトイレ掃除をしたら寝る。
新年の目標を幾つか立てた。先月の日記参照。英国淑女ならぬ独逸淑女は水回りのみ順調である。その他の場所はまあぼちぼち。セックスレスも貫通に時間はかかりそうだが、その山を越えたらどうにかなりそうな気配。買い物欲は去年程ではなくなっている。コスメ・衣類共に福袋を買っていないし。今日も夕食作りにかまけて狙っていたネットオークションの出品物を逃してしまったがさほど悔しくないし。最大の難関である入浴。これが上手くいっていない。2日のデート前に入浴し、3・4日は温泉に入り、それ以来……。因みに今の着用衣類。上半身は旅行時に着ていた物、下半身は2日に穿いたスカートだ。このスカートが悲惨な目に遭っている。かつて〜私は〜と悲惨な戦いを唄いたくなる程の悲惨さ。2日におろしたばかりの中綿入りの白のロングスカート。まずおろした日にどこかで擦ってしまったらしく裾に汚れがついた。素材がポリエステルなので、この時点でお釈迦決定。そして5日、ストーブに灯油を入れようとして黒い油染みがついた。黒の油染みはポリでなくてもまず取れない。DQCのクレンジングオイルでなら取れると聞いたことがあるけれど、その為だけに買うのも莫迦らしい。そして極めつけ。いつつけてしまったかは不明だが、内側に恐らく就寝時の横漏れ・後ろ漏れの血染み。かつて〜私は〜これほ〜どの〜(以下略。私の中では冬場、中綿入りのスカートは暖かく大活躍の品である。色や丈を違えて何枚も持っている。この白のスカートもパッと見て気に入って購入した物だった。そして新年におろそうと寝かせておいた。まさかこんな運命を辿らせてしまうとは……。
話が大きく逸れた。新年の目標の話である。同い年の友人も新年の目標を立てていたことがメールにて発覚。彼女の目標は、人に優しく、だったらしい。そして新年早々某古書店で不快な思いをして本社に苦情メールを入れたらしく、やりすぎたかな? と書かれていた。私はいちゃもんではなく正当な理由を以っての苦情推進派なので、やりすぎではない、と返信し、彼女からは、本社から謝罪メールがきた、との返信をもらった。この古書店、どこぞのスーパーとは大違いである。去年、近所にできたスーパーは某スーパーよりも対応がいいので、若干値段は高いものの半額シールや値引きシールが貼られる時間帯が早く、某スーパーよりうちから近く、深夜迄開いているので大変に役立っている。違う。新年の目標の話。彼女の新年の目標を知り、気付いたこと。私は対他者の目標を立てたことがない。毎年自分のことばかりだ。目から鱗。来年からは対他者の目標も入れようか……と思ったけれど、土台が違うのでやめた。私の場合、対他者の目標を立ててもいいのは、自分のことがちゃんとできるようになってからの話である。それにしても彼女。私の友人知人の中で他者への気遣い度トップの人間なのに、何故にこれ以上人に優しくしようと思うのか。むしろ、人への優しさを20%減してもいいくらいに気を遣う子なのに。優しい人程、もっと優しくなりたいと思うものなのか。私は元から優しくないので、今後はもっと厳しくなろうか。人に厳しく自分に甘く。泉谷しげる。違う。まずは心身の健康祈願。その他のことはその後の話。
タイトルは泉谷しげるの曲名より。
今日はとにかくいろんなことが上手く回らない日だった。起きたのは辛うじて午前ではあるけれど正午前。ぼーっとして過ごし、夕方になって銀行に行こうと思った筈なのに気付いたら布団にいた。そして起き上がって部屋の灯りをつけ、トイレに行って同じく灯りをつけようとしたら……つかない。玄関もつかない。電球が切れたか? と思ったらまだ布団の中にいた。夢だったのだ。今度こそ起きて部屋の(以下略。全く同じパターンの夢と寝起きを5回程繰り返した。ループする夢は大概気分の悪いものだ。時計を見ると19時を過ぎていた。どうにか体を起こして、うちのに銀行に行けなかった旨をメールし、買い物に出かけ、夕飯を作ろうとしたらうちのから帰るコール。絶対に帰宅に間に合わない。こういうタイミングの悪い日は早寝するに限るので、この日記を書いて小動物らのトイレ掃除をしたら寝る。
新年の目標を幾つか立てた。先月の日記参照。英国淑女ならぬ独逸淑女は水回りのみ順調である。その他の場所はまあぼちぼち。セックスレスも貫通に時間はかかりそうだが、その山を越えたらどうにかなりそうな気配。買い物欲は去年程ではなくなっている。コスメ・衣類共に福袋を買っていないし。今日も夕食作りにかまけて狙っていたネットオークションの出品物を逃してしまったがさほど悔しくないし。最大の難関である入浴。これが上手くいっていない。2日のデート前に入浴し、3・4日は温泉に入り、それ以来……。因みに今の着用衣類。上半身は旅行時に着ていた物、下半身は2日に穿いたスカートだ。このスカートが悲惨な目に遭っている。かつて〜私は〜と悲惨な戦いを唄いたくなる程の悲惨さ。2日におろしたばかりの中綿入りの白のロングスカート。まずおろした日にどこかで擦ってしまったらしく裾に汚れがついた。素材がポリエステルなので、この時点でお釈迦決定。そして5日、ストーブに灯油を入れようとして黒い油染みがついた。黒の油染みはポリでなくてもまず取れない。DQCのクレンジングオイルでなら取れると聞いたことがあるけれど、その為だけに買うのも莫迦らしい。そして極めつけ。いつつけてしまったかは不明だが、内側に恐らく就寝時の横漏れ・後ろ漏れの血染み。かつて〜私は〜これほ〜どの〜(以下略。私の中では冬場、中綿入りのスカートは暖かく大活躍の品である。色や丈を違えて何枚も持っている。この白のスカートもパッと見て気に入って購入した物だった。そして新年におろそうと寝かせておいた。まさかこんな運命を辿らせてしまうとは……。
話が大きく逸れた。新年の目標の話である。同い年の友人も新年の目標を立てていたことがメールにて発覚。彼女の目標は、人に優しく、だったらしい。そして新年早々某古書店で不快な思いをして本社に苦情メールを入れたらしく、やりすぎたかな? と書かれていた。私はいちゃもんではなく正当な理由を以っての苦情推進派なので、やりすぎではない、と返信し、彼女からは、本社から謝罪メールがきた、との返信をもらった。この古書店、どこぞのスーパーとは大違いである。去年、近所にできたスーパーは某スーパーよりも対応がいいので、若干値段は高いものの半額シールや値引きシールが貼られる時間帯が早く、某スーパーよりうちから近く、深夜迄開いているので大変に役立っている。違う。新年の目標の話。彼女の新年の目標を知り、気付いたこと。私は対他者の目標を立てたことがない。毎年自分のことばかりだ。目から鱗。来年からは対他者の目標も入れようか……と思ったけれど、土台が違うのでやめた。私の場合、対他者の目標を立ててもいいのは、自分のことがちゃんとできるようになってからの話である。それにしても彼女。私の友人知人の中で他者への気遣い度トップの人間なのに、何故にこれ以上人に優しくしようと思うのか。むしろ、人への優しさを20%減してもいいくらいに気を遣う子なのに。優しい人程、もっと優しくなりたいと思うものなのか。私は元から優しくないので、今後はもっと厳しくなろうか。人に厳しく自分に甘く。泉谷しげる。違う。まずは心身の健康祈願。その他のことはその後の話。
タイトルは泉谷しげるの曲名より。
現在5日に日付変更したばかり。3日付の続き。
去年の日記で、今年の目標のひとつにセックスレス解消を挙げた。そしてこの旅行をそのきっかけにしたい、と。そのつもりで出かけたものの、緊張感ばかりが高まり戸惑いが消えず、おまいは処女ですか? と問われたら思わず頷いてしまいそうな心持。うちのは普段の倍以上の飲酒をしており、すぐにも寝そうな気配。このままでは今年もレス続行になりそうな悪寒。それも意に沿わない。かといって、こっちから誘えるかというとそれもできない。困惑しつつテレビの音量を下げて布団に入る。うちのはムード作りが下手だ。そして決心した瞬間にムードぶち壊しの発言をしたりして、私を現実に引き戻す。そんなこんなが暫く続き、するのかしないのかハッキリしれ! と問い詰めはしないもののそういう雰囲気を漂わせ始め、私の迷いが更に複雑化する。私の緊張を解ってくれ、流れでうまくできるようムードを作ってくれ、と依頼。AV初出演の子の様相……。どうにか始まるも……やり方や感覚を忘れてる! しかもふたりとも! そんな20代後半女子と30代前半男子。異常事態発生。互いに処女と童貞のような振舞いでコトを成し遂げようとするも、如何せん私のアチラ迄バージンver.に戻ってしまったようで痛くて堪らず達成断念。でもレス解消の為のハードルをひとつ越えられた気がした。少しずつ慣らしていこう。うちのには去年の内からアチラのverダウンを予測した上でそうお願いしていたし。
それから睡眠を取り始めたと思いきや、あっという間にうちのに起こされた。あっという間、というのはあくまで私の感覚であり、4時間は寝た。起こされたのは朝8時過ぎ。気付かぬ内にフロントから布団をあげに行く旨の電話があったらしい。朝食を頼んだのは8時半。早過ぎはしまいか。案の定、布団あげが済んだらすぐに朝食が運ばれてきた。この旅館の時間の感覚は少しずれている。もうちょっと(以下略。朝食後にふたりでそれぞれ男湯・女湯に入浴しに行く。私は寝湯に座って入って半身浴。汗が流れる。気持ちいい……はう〜ん、と思った瞬間、洗い場からシャワーの湯が跳ねてきた。このとき浴室には私と30前後の女性のふたり。その人が体を洗い、シャワーで流していたのだ。後ろ=浴槽にいる他者=私のことは全く気にしていない模様。回想。昔、風呂なしアパートに住んでいて銭湯通いをしていた頃、こういう人はよくいた。銭湯や温泉に慣れている人ならば、余程混んでいるとき以外は殆ど周囲の人に湯を跳ねさせることはない。入り方の基本が解っていないのだ。身を小さくしてシャワーなり洗面器なりをなるべく体に近づけて、体との距離を極力近くして湯を掛ければそんなに跳ねたりはしない。私は自宅に風呂がある家で育ったが、親や親戚からこういうことを教えられたし、上手くできないと、周りの人に迷惑でしょ! と叱られた。また掛け湯をせずにいきなり浴槽に入る人も多く目にして不快感を覚えた。おばさん連中にもそういう人はいるけれど、特に若い子に多い。公衆浴場でのマナーを習っていない子が多いのだろうか。以前、友人と銭湯に行ったときも驚かされた。ざばーんと湯を掛け始めたのだ。すぐに窘めた。修学旅行などで公衆浴場での入浴方法を、学校教育に組み込んだ方がいいのかもしれない。
入浴を終え、部屋に戻って着替えてチェックアウト。会計時に何故かジュース代・ビール代が組み込まれていたのですぐさま指摘して修正を求めた。最後の、もうちょっと(以下略。旅館を出る直前迄は温泉につかって体中がぽかぽかしていたのに、出た直後から急速冷却開始。寒い寒いと話しつつバス停迄歩き、時刻表を見ると……次のバスは30分後。1時間に1〜2本しかバスが通っていない。しかも一番チェックアウトが多いであろう10時台に1本しかないとは。今回、この旅館を選んだ基準。
・うちから遠過ぎない距離
・和の雰囲気
・食事が夕食朝食共に部屋出し
・貸切混浴露天風呂あり
今度からは、送迎バスあり、も基準に加えようか。寒い中バスを待ち、新幹線に乗り東京に戻る。新幹線の中で私は苛々しながら寝ていた。苛々の源は、私たちの数列後方に座っていた莫迦親子である。子供2匹が延々でかい声で喋り続け、ときに奇声を発する。親は新幹線備え付けの雑誌や広告を黙々と読んでいた。子供が騒ぐのが悪いとは言わない。躾がなっていないとは思うが。騒いでいても許せるときは、親が懸命に正しく子供を叱ったり窘めたりしているのに子供が親の言うことを聞かないときのみ。親は叱らず窘めず、子供の声は高まる一方。しかも私たちが乗っていたのは喫煙車両。どういうつもりだ。死ね! と叫びたい気持ちを抑えつつ何とか睡眠を取った。到着後、くしゃみ・ハナミズが止まらず。湯冷めして風邪をひいた模様。早々に帰宅すればいいものの、折角だからと都内某所に寄ってアナスイでリキッドアイライナー2色買い足し→無印で今年用のカレンダーをやっと購入→モスバーガーへ。
モスは近所にもある。しかし近所の店では1日10食限定の匠味を取扱っていないのだ。うちから一番近いこのモスでの匠味販売は14時から。それを目当てに某所に立ち寄ったのだ。注文から15分くらい待たされて、それは紙に包まれ陶器皿に乗せられてやってきた。テーブルに置かれる際、持ってきた店員が名刺らしきものを差し出してきた。はあ? よく見ると、本日の製造責任者、とありその隣に責任者であろう人の名前が直筆でサインされている。まるで高級フレンチで、シェフがテーブルに来て客に挨拶するかのような……ファーストフードでここ迄求めちゃいなかったが、決して悪い気はしない。味は美味しかった。私は普通のモスチーズバーガーやライスバーガーの方が好みではあるけれど、でも美味しかった。むしろ嬉しかった。何が嬉しかったって、挟まれたレタスに白っぽい芯に近い部分が付いていなかったのだ! 葉物野菜の芯や芯に近い部分が苦手な私にはこういう細やかな部分が響いた。かといって、最高! とも思わなかった。幾ら拘って作られた物でも、ファーストフードのハンバーガー1品に600円前後をしょっちゅう出す気にはなれない。それでも1回食べてみた価値はあった。美味しかったし、個数だけでなく取扱店舗も限られているので話のタネにはもってこい。
風邪をひいた上、3日連続の外出で筋肉痛と体調不良の私は帰宅後、すぐに小動物らにごはんをあげて惰眠。やっといい夢を見られた。夢の中で私はファンクラブ会員数850万人の女性ジョッキー。大レースでヘマをしてしょげている私は、安田富男と思しき先輩ジョッキーに或るスポーツ紙を渡された。見るとヘマには触れられず、褒め称えられた上で今後に再び期待、という内容が書かれていた。そして、今度はもっと頑張ろう、と決意を新たにする非常に前向きな夢。これが初夢なら良かったのに……。余談。今月新発売及び限定のアナスイ商品。イエローベース向けが多く、大半見送り決定。購入するのはアイブロウパウダーのみか。トレイが物凄く可愛いけれど、私のドレッサーもどきの雰囲気からは外れているし、限定品ではないのでいい使い道を思いつく迄は購入しない予定。ディオールのリップパレットが全てブルーベース色との情報を得て気になるも、ディオールの商品は香りがキツくて苦手なのでやはり見送りか。明日からは日常に戻る。まずは洗い物をしてゴミを出そう。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
去年の日記で、今年の目標のひとつにセックスレス解消を挙げた。そしてこの旅行をそのきっかけにしたい、と。そのつもりで出かけたものの、緊張感ばかりが高まり戸惑いが消えず、おまいは処女ですか? と問われたら思わず頷いてしまいそうな心持。うちのは普段の倍以上の飲酒をしており、すぐにも寝そうな気配。このままでは今年もレス続行になりそうな悪寒。それも意に沿わない。かといって、こっちから誘えるかというとそれもできない。困惑しつつテレビの音量を下げて布団に入る。うちのはムード作りが下手だ。そして決心した瞬間にムードぶち壊しの発言をしたりして、私を現実に引き戻す。そんなこんなが暫く続き、するのかしないのかハッキリしれ! と問い詰めはしないもののそういう雰囲気を漂わせ始め、私の迷いが更に複雑化する。私の緊張を解ってくれ、流れでうまくできるようムードを作ってくれ、と依頼。AV初出演の子の様相……。どうにか始まるも……やり方や感覚を忘れてる! しかもふたりとも! そんな20代後半女子と30代前半男子。異常事態発生。互いに処女と童貞のような振舞いでコトを成し遂げようとするも、如何せん私のアチラ迄バージンver.に戻ってしまったようで痛くて堪らず達成断念。でもレス解消の為のハードルをひとつ越えられた気がした。少しずつ慣らしていこう。うちのには去年の内からアチラのverダウンを予測した上でそうお願いしていたし。
それから睡眠を取り始めたと思いきや、あっという間にうちのに起こされた。あっという間、というのはあくまで私の感覚であり、4時間は寝た。起こされたのは朝8時過ぎ。気付かぬ内にフロントから布団をあげに行く旨の電話があったらしい。朝食を頼んだのは8時半。早過ぎはしまいか。案の定、布団あげが済んだらすぐに朝食が運ばれてきた。この旅館の時間の感覚は少しずれている。もうちょっと(以下略。朝食後にふたりでそれぞれ男湯・女湯に入浴しに行く。私は寝湯に座って入って半身浴。汗が流れる。気持ちいい……はう〜ん、と思った瞬間、洗い場からシャワーの湯が跳ねてきた。このとき浴室には私と30前後の女性のふたり。その人が体を洗い、シャワーで流していたのだ。後ろ=浴槽にいる他者=私のことは全く気にしていない模様。回想。昔、風呂なしアパートに住んでいて銭湯通いをしていた頃、こういう人はよくいた。銭湯や温泉に慣れている人ならば、余程混んでいるとき以外は殆ど周囲の人に湯を跳ねさせることはない。入り方の基本が解っていないのだ。身を小さくしてシャワーなり洗面器なりをなるべく体に近づけて、体との距離を極力近くして湯を掛ければそんなに跳ねたりはしない。私は自宅に風呂がある家で育ったが、親や親戚からこういうことを教えられたし、上手くできないと、周りの人に迷惑でしょ! と叱られた。また掛け湯をせずにいきなり浴槽に入る人も多く目にして不快感を覚えた。おばさん連中にもそういう人はいるけれど、特に若い子に多い。公衆浴場でのマナーを習っていない子が多いのだろうか。以前、友人と銭湯に行ったときも驚かされた。ざばーんと湯を掛け始めたのだ。すぐに窘めた。修学旅行などで公衆浴場での入浴方法を、学校教育に組み込んだ方がいいのかもしれない。
入浴を終え、部屋に戻って着替えてチェックアウト。会計時に何故かジュース代・ビール代が組み込まれていたのですぐさま指摘して修正を求めた。最後の、もうちょっと(以下略。旅館を出る直前迄は温泉につかって体中がぽかぽかしていたのに、出た直後から急速冷却開始。寒い寒いと話しつつバス停迄歩き、時刻表を見ると……次のバスは30分後。1時間に1〜2本しかバスが通っていない。しかも一番チェックアウトが多いであろう10時台に1本しかないとは。今回、この旅館を選んだ基準。
・うちから遠過ぎない距離
・和の雰囲気
・食事が夕食朝食共に部屋出し
・貸切混浴露天風呂あり
今度からは、送迎バスあり、も基準に加えようか。寒い中バスを待ち、新幹線に乗り東京に戻る。新幹線の中で私は苛々しながら寝ていた。苛々の源は、私たちの数列後方に座っていた莫迦親子である。子供2匹が延々でかい声で喋り続け、ときに奇声を発する。親は新幹線備え付けの雑誌や広告を黙々と読んでいた。子供が騒ぐのが悪いとは言わない。躾がなっていないとは思うが。騒いでいても許せるときは、親が懸命に正しく子供を叱ったり窘めたりしているのに子供が親の言うことを聞かないときのみ。親は叱らず窘めず、子供の声は高まる一方。しかも私たちが乗っていたのは喫煙車両。どういうつもりだ。死ね! と叫びたい気持ちを抑えつつ何とか睡眠を取った。到着後、くしゃみ・ハナミズが止まらず。湯冷めして風邪をひいた模様。早々に帰宅すればいいものの、折角だからと都内某所に寄ってアナスイでリキッドアイライナー2色買い足し→無印で今年用のカレンダーをやっと購入→モスバーガーへ。
モスは近所にもある。しかし近所の店では1日10食限定の匠味を取扱っていないのだ。うちから一番近いこのモスでの匠味販売は14時から。それを目当てに某所に立ち寄ったのだ。注文から15分くらい待たされて、それは紙に包まれ陶器皿に乗せられてやってきた。テーブルに置かれる際、持ってきた店員が名刺らしきものを差し出してきた。はあ? よく見ると、本日の製造責任者、とありその隣に責任者であろう人の名前が直筆でサインされている。まるで高級フレンチで、シェフがテーブルに来て客に挨拶するかのような……ファーストフードでここ迄求めちゃいなかったが、決して悪い気はしない。味は美味しかった。私は普通のモスチーズバーガーやライスバーガーの方が好みではあるけれど、でも美味しかった。むしろ嬉しかった。何が嬉しかったって、挟まれたレタスに白っぽい芯に近い部分が付いていなかったのだ! 葉物野菜の芯や芯に近い部分が苦手な私にはこういう細やかな部分が響いた。かといって、最高! とも思わなかった。幾ら拘って作られた物でも、ファーストフードのハンバーガー1品に600円前後をしょっちゅう出す気にはなれない。それでも1回食べてみた価値はあった。美味しかったし、個数だけでなく取扱店舗も限られているので話のタネにはもってこい。
風邪をひいた上、3日連続の外出で筋肉痛と体調不良の私は帰宅後、すぐに小動物らにごはんをあげて惰眠。やっといい夢を見られた。夢の中で私はファンクラブ会員数850万人の女性ジョッキー。大レースでヘマをしてしょげている私は、安田富男と思しき先輩ジョッキーに或るスポーツ紙を渡された。見るとヘマには触れられず、褒め称えられた上で今後に再び期待、という内容が書かれていた。そして、今度はもっと頑張ろう、と決意を新たにする非常に前向きな夢。これが初夢なら良かったのに……。余談。今月新発売及び限定のアナスイ商品。イエローベース向けが多く、大半見送り決定。購入するのはアイブロウパウダーのみか。トレイが物凄く可愛いけれど、私のドレッサーもどきの雰囲気からは外れているし、限定品ではないのでいい使い道を思いつく迄は購入しない予定。ディオールのリップパレットが全てブルーベース色との情報を得て気になるも、ディオールの商品は香りがキツくて苦手なのでやはり見送りか。明日からは日常に戻る。まずは洗い物をしてゴミを出そう。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
現在4日。
3〜4日、猿ヶ京温泉の某旅館に泊まってきた。地名の由来は上杉謙信が申年の申の日に訪れた地だからだとか。そんな予備知識なしに単に余り遠くない温泉地として選んだ場所だったけれど、由来を知ると申年新春の旅行にこの地を選んだのには何か必然めいたものを感じたり感じなかったり。新幹線で1時間強の場所には、雪がどっさり積もっており、山があり川があり遥か遠くに来てしまったように感じた。そう感じさせた一番の要因は気温である。とにかく寒い。文句なしに寒い。防寒のつもりで5枚の重ね着をし、更に腰にはホカロンを貼っていったというのに堪らん寒さ。新幹線では前の席のふたり組に苛々。ひとりがアレな人で、大声で発声練習と思しき行為を始める。煩い。付添い人は窘めもせずヘッドホン持参で騒音防止。何の為の付き添いだよ……。到着駅からバスに乗る。送迎バスなんて気の利いたものはなく、只の路線バスである。これがまた普段使っている都内のバスとは大きくシステムが違っていた。都内では何処から何処迄乗ろうと200円均一。あちらは初乗り100円。そして1バス停毎に料金がどかどか加算される。旅館の最寄バス停に到着したときには1000円弱になっていた。高い。そこからてってけ歩くこと5分弱。某旅館に到着。外見やロビーは古びた温泉宿の見本。部屋に案内されると……広い! 綺麗! 明るい! ウォシュレット! こたつ! 素晴らしき和室。考え方が変わってしまった。今度引っ越すときは6.6のK6か4.5の2DKを考えていたが、6.6ではなく4.5と8がいいと思った。6.6を各々の部屋にして……という考えが、4.5に荷物の多くを置き8でふたり広々と生活に変更。こたつなくして何が日本人の冬か! というくらいに私はこたつが大好きだ。のだめ並みのこたつ好き。今の部屋にはこたつが置けなくて本当に悲しくて仕方がない。こたつでぬくぬくとしているうちに、こたつで暖まれるし温泉には入らなくてもいいかな、と迄思ってしまった。何しに行ったんだ。部屋で少し暖を取ってから一番近いコンビニに買出し。ジュース1本に250円だのビール1本に700円だの払えるか! コンビニでお茶・酒・おやつなどを購入し、宿に戻ってこたつでぼんやり。至福。
温泉にも入るには入った。けれど2回だけ。1回目は到着日の夕方。30分予約制の貸切混浴露天風呂。することといったら……むふふ、なんてエロティックなことはなく、うちのと温泉場迄歩き、浴衣を脱ぐととにかく寒い。因って掛け湯もそこそこに浴槽に飛び込む。今度は熱い。私は猫舌猫肌で何でもぬるくなくてはダメなのだ。身を湯から出すと寒い。湯につかると熱い。一体どうしろと! 我慢して湯につかっていると次第に肌が慣れてきた。つかること10分程で汗がだくだく流れ出す。気持ちいい。うちはユニットバスなのでのんびりと湯につかることは殆どなく、湯を張っても足を伸ばしきることはできないのだ。今度の引越しの際は足を伸ばして入れる浴槽のあるバス・トイレ別の部屋を熱望! うちのも汗だくになり、浴槽から出て頭を洗い始めた。そして、寒い、とのたまう。何て当たり前のことを言う人だろう、と思いつつ浴槽から上半身を出して、洗髪するうちのに体に頭に湯を掛ける。親切さん。入浴前は30分じゃ短いかな、などとふたりで話していたのだが普通に湯につかって汗を流すだけなら十分な時間だった。貸切終了5分前に湯から出て体を拭いて浴衣を着る……ふと後ろを見ると、旅館の上階から丸見え。もうちょっとなんとかしてもらえないものだろうか。この感想、1泊2日の間に何度も登場する感想である。
温泉から部屋に戻り、またぼんやりしつつテレビを観たり話をしたりしていると、仲居さんがやってきて食事を用意してくれた。指定した時間よりも25分早く。何の為の時間指定だったのか。料理の見栄えはいい。量もたっぷり。しかし1品に毛髪混入発見。すぐに取り替えてくれたが、もうちょっとなんとか(以下略。料理の説明を求めるとかなり適当な解説。しかも把握していないであろう料理の説明は省略。もうちょっとなんとか(以下略。味もまあまあ……もうちょっとなんとか(以下略。仲居さんは普段着風の服であった。受付のおばさんも普段着風。仲居=和服と思っていた私は少し拍子抜け。はるちゃんのような仲居を期待していた私が莫迦なのか。たっぷり且つまあまあの料理を食すのに、かかること1時間半。フロントに電話して膳を下げてもらうと、すぐに布団が敷かれた。敷布団のシーツの掛け方が大変に適当。端はちゃんと布団に沿って折り込んではくれまいか。もうちょっと(以下略。それでもベランダの近くの椅子に腰掛けてお茶を飲みつつ暗くなった外を見ていると気分も和らいだ。人が関わる点での至らなさを環境がフォローしているような……。そんなもんなのかもしれない。私が期待し過ぎていた部分もある。はるちゃんはフィクションだし。満腹感からうたた寝し、テレビを観ているとうちのが入浴しに部屋を出た。私も夜のうちにもう1度入浴する予定だったのに、満腹感と古畑任三郎に負けた。古畑終了から程なくうちのが戻ってくる。またぼけーっとテレビを観つつ雑談をして、そろそろ寝よう、とうちのが言い出した。眠いけれど寝たくない。理由のひとつはこの後、割れポンがあるから。もうひとつは……後編に続く。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」、bootleg「1973.11.23のアムステルダム・コンセルトヘボウでのライヴ」
服装/アルゴキン・ピンクベースの玉虫色七分袖カットソー+トランプのオフタートルベスト+グレーの深Vネックのトレーナー+DUNIMEのいい色落ち加減のやや太めストレート+ヒスのピンクのジャケット+一点物の変形マフラー+トランプのカラフルなニット帽+ビルケンの青い靴+ポーターの茶色い大きめトート。
メイク/すっぴん
服装・メイクは翌日と同様。
3〜4日、猿ヶ京温泉の某旅館に泊まってきた。地名の由来は上杉謙信が申年の申の日に訪れた地だからだとか。そんな予備知識なしに単に余り遠くない温泉地として選んだ場所だったけれど、由来を知ると申年新春の旅行にこの地を選んだのには何か必然めいたものを感じたり感じなかったり。新幹線で1時間強の場所には、雪がどっさり積もっており、山があり川があり遥か遠くに来てしまったように感じた。そう感じさせた一番の要因は気温である。とにかく寒い。文句なしに寒い。防寒のつもりで5枚の重ね着をし、更に腰にはホカロンを貼っていったというのに堪らん寒さ。新幹線では前の席のふたり組に苛々。ひとりがアレな人で、大声で発声練習と思しき行為を始める。煩い。付添い人は窘めもせずヘッドホン持参で騒音防止。何の為の付き添いだよ……。到着駅からバスに乗る。送迎バスなんて気の利いたものはなく、只の路線バスである。これがまた普段使っている都内のバスとは大きくシステムが違っていた。都内では何処から何処迄乗ろうと200円均一。あちらは初乗り100円。そして1バス停毎に料金がどかどか加算される。旅館の最寄バス停に到着したときには1000円弱になっていた。高い。そこからてってけ歩くこと5分弱。某旅館に到着。外見やロビーは古びた温泉宿の見本。部屋に案内されると……広い! 綺麗! 明るい! ウォシュレット! こたつ! 素晴らしき和室。考え方が変わってしまった。今度引っ越すときは6.6のK6か4.5の2DKを考えていたが、6.6ではなく4.5と8がいいと思った。6.6を各々の部屋にして……という考えが、4.5に荷物の多くを置き8でふたり広々と生活に変更。こたつなくして何が日本人の冬か! というくらいに私はこたつが大好きだ。のだめ並みのこたつ好き。今の部屋にはこたつが置けなくて本当に悲しくて仕方がない。こたつでぬくぬくとしているうちに、こたつで暖まれるし温泉には入らなくてもいいかな、と迄思ってしまった。何しに行ったんだ。部屋で少し暖を取ってから一番近いコンビニに買出し。ジュース1本に250円だのビール1本に700円だの払えるか! コンビニでお茶・酒・おやつなどを購入し、宿に戻ってこたつでぼんやり。至福。
温泉にも入るには入った。けれど2回だけ。1回目は到着日の夕方。30分予約制の貸切混浴露天風呂。することといったら……むふふ、なんてエロティックなことはなく、うちのと温泉場迄歩き、浴衣を脱ぐととにかく寒い。因って掛け湯もそこそこに浴槽に飛び込む。今度は熱い。私は猫舌猫肌で何でもぬるくなくてはダメなのだ。身を湯から出すと寒い。湯につかると熱い。一体どうしろと! 我慢して湯につかっていると次第に肌が慣れてきた。つかること10分程で汗がだくだく流れ出す。気持ちいい。うちはユニットバスなのでのんびりと湯につかることは殆どなく、湯を張っても足を伸ばしきることはできないのだ。今度の引越しの際は足を伸ばして入れる浴槽のあるバス・トイレ別の部屋を熱望! うちのも汗だくになり、浴槽から出て頭を洗い始めた。そして、寒い、とのたまう。何て当たり前のことを言う人だろう、と思いつつ浴槽から上半身を出して、洗髪するうちのに体に頭に湯を掛ける。親切さん。入浴前は30分じゃ短いかな、などとふたりで話していたのだが普通に湯につかって汗を流すだけなら十分な時間だった。貸切終了5分前に湯から出て体を拭いて浴衣を着る……ふと後ろを見ると、旅館の上階から丸見え。もうちょっとなんとかしてもらえないものだろうか。この感想、1泊2日の間に何度も登場する感想である。
温泉から部屋に戻り、またぼんやりしつつテレビを観たり話をしたりしていると、仲居さんがやってきて食事を用意してくれた。指定した時間よりも25分早く。何の為の時間指定だったのか。料理の見栄えはいい。量もたっぷり。しかし1品に毛髪混入発見。すぐに取り替えてくれたが、もうちょっとなんとか(以下略。料理の説明を求めるとかなり適当な解説。しかも把握していないであろう料理の説明は省略。もうちょっとなんとか(以下略。味もまあまあ……もうちょっとなんとか(以下略。仲居さんは普段着風の服であった。受付のおばさんも普段着風。仲居=和服と思っていた私は少し拍子抜け。はるちゃんのような仲居を期待していた私が莫迦なのか。たっぷり且つまあまあの料理を食すのに、かかること1時間半。フロントに電話して膳を下げてもらうと、すぐに布団が敷かれた。敷布団のシーツの掛け方が大変に適当。端はちゃんと布団に沿って折り込んではくれまいか。もうちょっと(以下略。それでもベランダの近くの椅子に腰掛けてお茶を飲みつつ暗くなった外を見ていると気分も和らいだ。人が関わる点での至らなさを環境がフォローしているような……。そんなもんなのかもしれない。私が期待し過ぎていた部分もある。はるちゃんはフィクションだし。満腹感からうたた寝し、テレビを観ているとうちのが入浴しに部屋を出た。私も夜のうちにもう1度入浴する予定だったのに、満腹感と古畑任三郎に負けた。古畑終了から程なくうちのが戻ってくる。またぼけーっとテレビを観つつ雑談をして、そろそろ寝よう、とうちのが言い出した。眠いけれど寝たくない。理由のひとつはこの後、割れポンがあるから。もうひとつは……後編に続く。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」、bootleg「1973.11.23のアムステルダム・コンセルトヘボウでのライヴ」
服装/アルゴキン・ピンクベースの玉虫色七分袖カットソー+トランプのオフタートルベスト+グレーの深Vネックのトレーナー+DUNIMEのいい色落ち加減のやや太めストレート+ヒスのピンクのジャケット+一点物の変形マフラー+トランプのカラフルなニット帽+ビルケンの青い靴+ポーターの茶色い大きめトート。
メイク/すっぴん
服装・メイクは翌日と同様。
英国式生活術を教えてくれた友人に絡んでしまって自己嫌悪。今日、書店にて節約関係の本を眺めていたところ、書棚に「イングリッシュ・シンプル・ライフ」とかなんとかハッキリ憶えられないようなおハイソ臭がぷんぷん漂う本があり、友人が言っていたのはこれか? と手にとってみた。いきなり、ゲストを招くときのマナーから始まった。なんじゃこりゃ。「前回きてくれたときのことを思い出し、生野菜が苦手な人なら朝食にポトフを出すなどの工夫を」などと書かれている。パラパラと捲っていくと、「壁を飾ろう」「花を飾ろう」だのなんだの……それ、シンプルか? というような内容ばかり。シンプルではなく「イングリッシュ・スタイリッシュ・ライフ」とかそんなタイトルだったのかもしれない。タイトルはどうでもよく、英国人て……。まずゲストって表現がイヤ。客でいいじゃねーか、と喉元迄出掛かるも書店なので呑みこむ。それに壁。うちには小動物がいるので壁に何かを飾るも引っかかれてズタボロにされるのが目に見えている。花を飾りたい気持ちはあるが、小動物に食われるので却下。全く以って役立たなさそうな本だったのですぐに棚に戻した。その傍に「ドイツ式生活のなんちゃらかんちゃら」という本が数冊並んでいた。どれも同じ著者。どんなもんなんだろう、と捲ってみると正に友人が言っていた通りの生活方法が書かれているではないか! その友人と明日会う為、待ち合わせ時間などの確認の電話の最中にこの話をする。テンションがまだ狂っている為か、無礼な切り出し方をしてしまった。嘘を教えたでしょ! 友人が読んだという英国式の本の話をもう一度よく聞く。どうも今日私が手に取った本とは全く違うらしい。そしてこの手の本は、私の想像以上の数が出版されていることを知った。友人、ごめん。それにしても私が手に取り買ってきたドイツ式と友人の言う英国式は酷似している模様。友人曰く、読んだ英国式の本にはドイツ式は厳しいので日本人には英国式の方が合っている、と書かれていたらしい。じゃあ私が買ってきたドイツ式は……? 友人が出した結論。どこの国でも手際よく無駄なく生活している人は、同じようなことをしているのではないか。同意する。きっと似たり寄ったりの本が英国式だのドイツ式だのの謳い文句で、セレブ願望の強い淑女の財布の紐を緩めるのに一役買っているのだろう。私にはセレブ願望などなく、単に手際よく無駄のない生活方法というものが皆目見当つかない故に買っただけである。今夜から取り敢えずこのドイツ式を読んでみる予定。年内に読了し、年明けには同じく今日買ってきた「日本の思想」を紐解く予定。積読の山は気にしない。そのうち読むだろう。今日買ってきた三冊のうち、最後の一冊が「猫デリレシピ」。洋風レシピが大半だけれども、小動物の御節や誕生日用。そのレシピの中にメインの材料が、うちのもう一匹の小動物のものがあり苦笑。このもう一匹の方、友人知人によく、非常食か? と訊かれる生き物。乾パン100個買っておいた方が余程安上がりですが、何か?
さて、25日から渋々と家計簿をつけ始めている。今日、早速役立った。私が記入しているところでうちのが私のPCの傍を通ったので見せてみる。ほー……、ハァ? 詰問タイム。なんで残高がこれしかないんだ! なんでって貰っている額が少ないからですが何か? とは被扶養者としては言えないので、記入したところ迄の家計簿をプリントアウトして見せる。携帯代かかり過ぎ→絶縁騒動に関わる諸々で電話の回数や時間が嵩んだ為確かに今月、普段の倍くらいかかっている。レトルト物の購入が多い→常備していないと私の食事回数がどんどん減っていく。おやつ購入が多い→これはちょっと減らす方向で考えよう。指摘された中で私が強硬に反対したのは、ウーロン茶のペットボトル購入をやめて煮出しで、という案である。即座に却下。不幸なことに私は煮出しウーロン茶で美味しいものを飲んだことがない。かなり昔からウーロン茶については指摘されており、うちのが煮出しもペットボトルも変わらん、と言い出したことがある。私は絶対に違うと猛反発した。そんならお前が飲んでみて区別がつかなかったら煮出しに切替! となり数日後、私が帰宅してお茶を飲むといつもと味が違う。そして妙に色が濁っている。うちのに指摘。その後、少なくとも私は煮出しウーロン茶を不味いと思うし前置きがなくともちゃんと区別がつく、ということでペットボトル続行となったのだ。今回は、味よりも経済事情を優先しろ、と迫られた。譲りたくない点である。でも悲しきかな被扶養者。月の半分は蕎麦茶にするか……くらいの譲歩の気持ちは芽生えている。以前揉めて実験したときは、私も働けていたので強気に出られたのだが。あんたは普段節約にどういう気を遣っているの? と問われたので答える。
・ウーロン茶はコンビニではなく薬局でコンビニよりも100円安く購入している
・洗剤類などのリピート時は詰替え用を購入
・食材は夕方から夜に買い出しに行き、値引きや半額の物を購入してその日か翌日に食卓に出すなり、冷凍庫で保存するなりしている
三つ目に納得行かなかった模様。冷凍すんな、と。安い物を買ってきたらその日に出せ、と。私は二日前の刺身でも平気で食べてしまえる人間なのだが、うちのは賞味期限や消費期限に拘る。そんなにすぐに傷むことはないのに。そしてうちのから宿題が課された。同棲または結婚している友人に月々の生活費を訊いてみろ。どこもうちよりは多いと思う。他所の生活費を聞いて、うちのがどう反応するか楽しみである。
今月、やっとかなり前に書いた原稿のギャラが入っていた。予定よりも多く。3本振られて、1本は編集者の持ってきたネタが古く且つ資料のソースが某巨大掲示板のニュー速+ということでこちらからボツにさせたものだ。資料を見て一発で某巨大掲示板だと解ってしまう私も私だが、まともな仕事でいくら+とはいえ某巨大掲示板からネタを引いてくるのはどうよ、と。そんなこんなで1本ポシャり、私が書いたのは2本だったのだがちゃんと3本分振り込まれていた。編プロ経由だったので全く期待していなかったのだが、法人のフリーペーパーだったのがラッキーだったのか。法人は金持ちである。このギャラは生活費には回さない。あくまで私の小遣い。また貰っている生活費から私の小遣いを一定額引くことになった。これは家計簿をつけることを渋った私への、うちのからの妥協案である。私が渋ったのは面倒だからというのが第一の理由で、第二にうちのへのプレゼント代が明瞭になるのがイヤだったからだ。第二の理由についてはうちのが、そんならヘソクリを作れ、と言ってきた。家計簿に、ヘソクリ、と書くのも憚られるので名義上は小遣い。この小遣いで私のメイク物とうちのへのプレゼントなどを遣り繰りして行く予定。基礎化粧品は日用品だ。しかしこの小遣いに今日、また難癖がついた。生活費から残った分は好きにしていい=小遣いにしていい。そんなんじゃずーっとバレンタインも誕生日もクリスマスも、うちのへのプレゼントは存在できなくなるかと。取り敢えず周辺リサーチと一ヶ月の家計簿を元に、生活費見直し及びベースアップ再交渉の予定。
さて、25日から渋々と家計簿をつけ始めている。今日、早速役立った。私が記入しているところでうちのが私のPCの傍を通ったので見せてみる。ほー……、ハァ? 詰問タイム。なんで残高がこれしかないんだ! なんでって貰っている額が少ないからですが何か? とは被扶養者としては言えないので、記入したところ迄の家計簿をプリントアウトして見せる。携帯代かかり過ぎ→絶縁騒動に関わる諸々で電話の回数や時間が嵩んだ為確かに今月、普段の倍くらいかかっている。レトルト物の購入が多い→常備していないと私の食事回数がどんどん減っていく。おやつ購入が多い→これはちょっと減らす方向で考えよう。指摘された中で私が強硬に反対したのは、ウーロン茶のペットボトル購入をやめて煮出しで、という案である。即座に却下。不幸なことに私は煮出しウーロン茶で美味しいものを飲んだことがない。かなり昔からウーロン茶については指摘されており、うちのが煮出しもペットボトルも変わらん、と言い出したことがある。私は絶対に違うと猛反発した。そんならお前が飲んでみて区別がつかなかったら煮出しに切替! となり数日後、私が帰宅してお茶を飲むといつもと味が違う。そして妙に色が濁っている。うちのに指摘。その後、少なくとも私は煮出しウーロン茶を不味いと思うし前置きがなくともちゃんと区別がつく、ということでペットボトル続行となったのだ。今回は、味よりも経済事情を優先しろ、と迫られた。譲りたくない点である。でも悲しきかな被扶養者。月の半分は蕎麦茶にするか……くらいの譲歩の気持ちは芽生えている。以前揉めて実験したときは、私も働けていたので強気に出られたのだが。あんたは普段節約にどういう気を遣っているの? と問われたので答える。
・ウーロン茶はコンビニではなく薬局でコンビニよりも100円安く購入している
・洗剤類などのリピート時は詰替え用を購入
・食材は夕方から夜に買い出しに行き、値引きや半額の物を購入してその日か翌日に食卓に出すなり、冷凍庫で保存するなりしている
三つ目に納得行かなかった模様。冷凍すんな、と。安い物を買ってきたらその日に出せ、と。私は二日前の刺身でも平気で食べてしまえる人間なのだが、うちのは賞味期限や消費期限に拘る。そんなにすぐに傷むことはないのに。そしてうちのから宿題が課された。同棲または結婚している友人に月々の生活費を訊いてみろ。どこもうちよりは多いと思う。他所の生活費を聞いて、うちのがどう反応するか楽しみである。
今月、やっとかなり前に書いた原稿のギャラが入っていた。予定よりも多く。3本振られて、1本は編集者の持ってきたネタが古く且つ資料のソースが某巨大掲示板のニュー速+ということでこちらからボツにさせたものだ。資料を見て一発で某巨大掲示板だと解ってしまう私も私だが、まともな仕事でいくら+とはいえ某巨大掲示板からネタを引いてくるのはどうよ、と。そんなこんなで1本ポシャり、私が書いたのは2本だったのだがちゃんと3本分振り込まれていた。編プロ経由だったので全く期待していなかったのだが、法人のフリーペーパーだったのがラッキーだったのか。法人は金持ちである。このギャラは生活費には回さない。あくまで私の小遣い。また貰っている生活費から私の小遣いを一定額引くことになった。これは家計簿をつけることを渋った私への、うちのからの妥協案である。私が渋ったのは面倒だからというのが第一の理由で、第二にうちのへのプレゼント代が明瞭になるのがイヤだったからだ。第二の理由についてはうちのが、そんならヘソクリを作れ、と言ってきた。家計簿に、ヘソクリ、と書くのも憚られるので名義上は小遣い。この小遣いで私のメイク物とうちのへのプレゼントなどを遣り繰りして行く予定。基礎化粧品は日用品だ。しかしこの小遣いに今日、また難癖がついた。生活費から残った分は好きにしていい=小遣いにしていい。そんなんじゃずーっとバレンタインも誕生日もクリスマスも、うちのへのプレゼントは存在できなくなるかと。取り敢えず周辺リサーチと一ヶ月の家計簿を元に、生活費見直し及びベースアップ再交渉の予定。
何故ひとは100円均一の店に行くとやたらと買い物をしてしまうのだろうか。いつの間にかキッチンの下にホットケーキの素が3袋もあったりする。謎である。で、今日はきちんと買い物リストを作り、余計な物を買い込まないように気を付けつつ出掛けた。100均で買う物は靴の中敷のみ。だった筈なのだが、靴の中敷3組、靴磨き2つ、レトルトのカレーとハヤシ2パックずつ、炒飯の素、ソーセージ、なめ茸2瓶、敷物2種3枚、ガスコンロの下敷き、油跳ね防止用のガード、レンジーフードフィルター、箸、ペットシーツ、トイレ掃除用ブラシ、簡易座布団、椅子足カバー2種、はたき、ライター用のガス、室内用靴下3組。ここ迄は実用性があるのでまだ良し。今日のおやつにうっかり買ってしまったエンゼルパイとミルクセーキが悪かった。暫く食べてないなあ……と感慨深く買ってみたものの、美味しくなかった。特にミルクセーキ。サ○ガリアのミルクセーキはダメ。失格。今日の予定外の買い物の中で思わぬヒットだったのは簡易座布団である。ポリウレタンのシートが割れ物保護シートのように凸凹している代物。これ迄、PC用の椅子の座布団に、昔職場で使っていたユニクロのブランケットを代用していたのだが、昨今足元が冷えて仕方がなかったのだ。これで尻も足も温くネット依存が満喫できるというものである。などと書きつつ、大掃除を始めてからというもの、PCに触る時間が格段に減った。
今日した掃除。布団を干し、居間に掃除機をかけ、散らかった物を処分及び片付け、毛布・布団を取り込み全てに掃除機をかけ、たまたま通りがかった廃品回収屋に歩いた方が早いという錆に錆びて錆び切ったチャリを持って行ってもらった。24インチなら無料、26インチなら500円。私のチャリは26インチだったらしく500円持っていかれたが、どこかに放置という形で処分するよりは、楽であり心も痛まないので良し。その後、上記100均とスーパーと八百屋に買い物に行き疲れたので、今日の掃除はこれだけ。100均での買い物は嵩張りはしたものの軽かった。スーパーの1階食料品売り場でも重い物は買わなかった。閑話休題。以前クレームをつけたスーパーでまた買い物をし始めた。自分への縛りを解く第1歩として。生活が少し楽になった。話は戻り、そのスーパーの2階でした買い物が悪かった。アイロン台を買ったのだ。前々から欲しいと思っていたので、100均での買い物によりついた勢いで買ってしまった。うちにアイロンはあるものの、アイロン台は長らく存在していなかったのである。私がひとり暮らしの頃に使っていたアイロン台はアイロン本体と一体化したものであり、壊れかけていたので今住んでいる場所に転がり込む際に処分した。うちのが持っていたアイロン台は足がない物で、激しく使いづらく1度も使っておらず且つ何故かガスコンロの近くに保管されていた為、油汚れでダメになり2〜3年前に処分したのだ。因って私は4年以上アイロンかけというものをしていない。ハンカチなしでも生活はできる。シャツの皺も干すときにきちんと伸ばせばさほど気にならない。前々から欲しかったが、友人に英国式の生活を教わってから、無性にアイロン台が欲しくなってしまっていた。英国淑女は、常にアイロンかけされた衣類や小物を身につけていそうだからである。来年は英国淑女になるのだ。英国淑女とか言っている時点で、莫迦日本人確定なのだが気にしない。最近の日記で私はしょっちゅう、気にしない、と書いている気がする。パキ効果だろうか。
パキ効果で生理痛もかなり軽くなり、抑うつもややマシになり、いいこと尽くしだ。そんなパキのお陰でか生理にも負けず、明日の夕飯作りをしている最中。今夜の夕飯はまだ作っていない。昨日も書いたようにタンシチューが明日のメインディッシュであり、それは最低でも4時間煮込まねばならないのだ。その間に付け合せのサラダやらにんじんのグラッセやらを作り、安い物ながらも用意した誕生日プレゼントを日付が変わった時点で渡すか、明日の夕食時に渡すか悩みつつ、この日記を書いていたりする。煮込みは時間はかかるが、手間そのものは余りかからないので大好きだ。しかもこのタンシチュー、入れた野菜はたまねぎとにんにくのみ。野菜を切る手間迄省けている。素晴らしいメニュー。却って付け合わせの方が手間暇がかかっている。少しタンが焦げてしまったが、本当に少しなので気にしない。ほんの少しの焦げよりも、煮込んだ後にちゃんと皮が剥け、スライスできるかどうかの方が問題だ。レシピによるとブロックのタンには皮がついているらしい。そしてそれは普通なら下茹で後に剥くらしいのだが、私が参照しているレシピでは、下茹で後ではまだ剥き難いので4時間煮込んだ後に剥く、と書かれている。なので後1時間半煮込んでから剥くのだが、その皮とやらの存在がよく判らない。煮込みつつときどき混ぜてブロックの向きを変えたりしており、その都度見ているのに皮ってのが認識できない。薄い物なのだろうか。謎だ。できれば私が購入してきたタンには皮がないものだと嬉しい。切る迄判らないのがじれったい。
大きく話は逸れ、判らなくてじれったかったことが昨日今日とでひとつずつ解明されて、非常に清々しい気分である。ひとつは先日一緒にライヴに行った友人の鼻毛。食事中に友人の鼻から鼻毛が出ていることに気が付いた。しかし初対面であった為気後れが先に立ち、指摘できなかった。その鼻毛は気付いたらなくなっていた。友人も私も途中で席を立たなかったし、友人が私の目の前でソレを抜いた訳でもない。一体どこに行ったのか。もやもやして仕方がなかったので、昨日訊いた。本人も気付いていなかったらしいので、いつの間にやら引っ込んだのだろう。スッキリ。もうひとつは去年だか一昨年だかに流行ったブーツイン。パンツをブーツの中に入れるアレだ。激しく恰好が悪く、短足傾向の日本人には向かないと思っていて、私は今迄したことがなかった。今日初めてしてみた。意図的にした訳ではなく、パンツを履き、出かける際に新しいブーツをおろしたところ、そのブーツの口が広くパンツを外に出すと不恰好だったのでやむを得ずブーツインし、判った。パンツを外に出してブーツを履くよりも、ブーツインした方が格段に防寒性が高まる。皆、機能性重視で寒いからしていたに違いあるまい。ブーツインを本気で恰好いいと思っている日本女性の存在は認めない。ブーツインが様になるのは乗馬のときのみ。今日はパンツからスカートに履きかえるのが面倒でやむなくブーツインした訳だが、今後あのブーツを履くときはスカートに確定。処分する靴を見つけるべく、買ったまま放置していた靴を昨日今日とで2足履いてみたけれど、どちらも処分できない。昨日のパンプスは履き心地が良く、今日のブーツはまだ硬さが残っているが馴染みが早そうであり且つ馴染むと絶対に履き心地が良くなりそうな軍物だ。幅広甲高であり、踝の位置が悪いのか形が悪いのか、はたまたアキレス腱のあたりの形が悪いのか、なかなか合う靴が見つからない私にとって履き心地が良い靴は稀なので、これらは存分に履き潰そう。
BGM/「LIVE AAA 1998」、アルバム「二十世紀葬送曲」
今日した掃除。布団を干し、居間に掃除機をかけ、散らかった物を処分及び片付け、毛布・布団を取り込み全てに掃除機をかけ、たまたま通りがかった廃品回収屋に歩いた方が早いという錆に錆びて錆び切ったチャリを持って行ってもらった。24インチなら無料、26インチなら500円。私のチャリは26インチだったらしく500円持っていかれたが、どこかに放置という形で処分するよりは、楽であり心も痛まないので良し。その後、上記100均とスーパーと八百屋に買い物に行き疲れたので、今日の掃除はこれだけ。100均での買い物は嵩張りはしたものの軽かった。スーパーの1階食料品売り場でも重い物は買わなかった。閑話休題。以前クレームをつけたスーパーでまた買い物をし始めた。自分への縛りを解く第1歩として。生活が少し楽になった。話は戻り、そのスーパーの2階でした買い物が悪かった。アイロン台を買ったのだ。前々から欲しいと思っていたので、100均での買い物によりついた勢いで買ってしまった。うちにアイロンはあるものの、アイロン台は長らく存在していなかったのである。私がひとり暮らしの頃に使っていたアイロン台はアイロン本体と一体化したものであり、壊れかけていたので今住んでいる場所に転がり込む際に処分した。うちのが持っていたアイロン台は足がない物で、激しく使いづらく1度も使っておらず且つ何故かガスコンロの近くに保管されていた為、油汚れでダメになり2〜3年前に処分したのだ。因って私は4年以上アイロンかけというものをしていない。ハンカチなしでも生活はできる。シャツの皺も干すときにきちんと伸ばせばさほど気にならない。前々から欲しかったが、友人に英国式の生活を教わってから、無性にアイロン台が欲しくなってしまっていた。英国淑女は、常にアイロンかけされた衣類や小物を身につけていそうだからである。来年は英国淑女になるのだ。英国淑女とか言っている時点で、莫迦日本人確定なのだが気にしない。最近の日記で私はしょっちゅう、気にしない、と書いている気がする。パキ効果だろうか。
パキ効果で生理痛もかなり軽くなり、抑うつもややマシになり、いいこと尽くしだ。そんなパキのお陰でか生理にも負けず、明日の夕飯作りをしている最中。今夜の夕飯はまだ作っていない。昨日も書いたようにタンシチューが明日のメインディッシュであり、それは最低でも4時間煮込まねばならないのだ。その間に付け合せのサラダやらにんじんのグラッセやらを作り、安い物ながらも用意した誕生日プレゼントを日付が変わった時点で渡すか、明日の夕食時に渡すか悩みつつ、この日記を書いていたりする。煮込みは時間はかかるが、手間そのものは余りかからないので大好きだ。しかもこのタンシチュー、入れた野菜はたまねぎとにんにくのみ。野菜を切る手間迄省けている。素晴らしいメニュー。却って付け合わせの方が手間暇がかかっている。少しタンが焦げてしまったが、本当に少しなので気にしない。ほんの少しの焦げよりも、煮込んだ後にちゃんと皮が剥け、スライスできるかどうかの方が問題だ。レシピによるとブロックのタンには皮がついているらしい。そしてそれは普通なら下茹で後に剥くらしいのだが、私が参照しているレシピでは、下茹で後ではまだ剥き難いので4時間煮込んだ後に剥く、と書かれている。なので後1時間半煮込んでから剥くのだが、その皮とやらの存在がよく判らない。煮込みつつときどき混ぜてブロックの向きを変えたりしており、その都度見ているのに皮ってのが認識できない。薄い物なのだろうか。謎だ。できれば私が購入してきたタンには皮がないものだと嬉しい。切る迄判らないのがじれったい。
大きく話は逸れ、判らなくてじれったかったことが昨日今日とでひとつずつ解明されて、非常に清々しい気分である。ひとつは先日一緒にライヴに行った友人の鼻毛。食事中に友人の鼻から鼻毛が出ていることに気が付いた。しかし初対面であった為気後れが先に立ち、指摘できなかった。その鼻毛は気付いたらなくなっていた。友人も私も途中で席を立たなかったし、友人が私の目の前でソレを抜いた訳でもない。一体どこに行ったのか。もやもやして仕方がなかったので、昨日訊いた。本人も気付いていなかったらしいので、いつの間にやら引っ込んだのだろう。スッキリ。もうひとつは去年だか一昨年だかに流行ったブーツイン。パンツをブーツの中に入れるアレだ。激しく恰好が悪く、短足傾向の日本人には向かないと思っていて、私は今迄したことがなかった。今日初めてしてみた。意図的にした訳ではなく、パンツを履き、出かける際に新しいブーツをおろしたところ、そのブーツの口が広くパンツを外に出すと不恰好だったのでやむを得ずブーツインし、判った。パンツを外に出してブーツを履くよりも、ブーツインした方が格段に防寒性が高まる。皆、機能性重視で寒いからしていたに違いあるまい。ブーツインを本気で恰好いいと思っている日本女性の存在は認めない。ブーツインが様になるのは乗馬のときのみ。今日はパンツからスカートに履きかえるのが面倒でやむなくブーツインした訳だが、今後あのブーツを履くときはスカートに確定。処分する靴を見つけるべく、買ったまま放置していた靴を昨日今日とで2足履いてみたけれど、どちらも処分できない。昨日のパンプスは履き心地が良く、今日のブーツはまだ硬さが残っているが馴染みが早そうであり且つ馴染むと絶対に履き心地が良くなりそうな軍物だ。幅広甲高であり、踝の位置が悪いのか形が悪いのか、はたまたアキレス腱のあたりの形が悪いのか、なかなか合う靴が見つからない私にとって履き心地が良い靴は稀なので、これらは存分に履き潰そう。
BGM/「LIVE AAA 1998」、アルバム「二十世紀葬送曲」
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