現在、5月20日。
少し前に友人から、「D.T.」が面白かった、というメールが届いていた。が、私にはその「D.T.」が何のことだか解らず、返信を出せずにいたのだが、ふと童貞のことだと気付いた。みうらじゅんと伊集院光の共著だ。そして友人に返信すると、彼女がPCを立ち上げてくれてメッセで会話。この本を彼女に紹介したのは私。でも未読。かなり面白かったようなので、近々読んでみる予定。数週間前に書店に行ったとき、以前、叔母にもらったまま放置していた図書カードが財布に入れっ放しだったことに気付き、4冊の本を纏め買い。「さくらん」「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」「主婦の旅ぐらし」「リアル鬼ごっこ」以上。全て読了。「さくらん」は安野モヨコ。雑誌で1度立ち読みして単行本待ちしていたのだけれど、何となく買わずにいた漫画。図書カードがなければもっと先延ばしになっていたかも。もっと早く買っておいても良かったかも。第2部以降にも期待。今回購入の中では一番良かった。「高速回線〜」は華倫変。既に立ち読みで読了しており、何となく先延ばしにしていた漫画。後書は初読。表題作は南条あやのサイトを元に描いた作品らしい。自殺者に入れ込むと自殺を招くというが……もにょもにょ。華倫変は作品に入れ込まない漫画家だったとのことだが、その辺はどうなのだろう。それ以上に鬱の影響の方が強いか。再読してみると、下手な絵は相変わらずとして、アイディアが先走り過ぎてテクニックがいろんな意味で追いついておらず勿体無いものが多かった。「主婦の〜」は青木るえか。面白かったのだけれど……如何なものか。暫くこのシリーズは休んで欲しい。ネタが尽きてきている気がする。
そしてこの中で最も期待度が高かったのは「リアル鬼ごっこ」。この本は元々自費出版を請け負う出版社から著者と版元が費用を折半して発売されたもの。なのに売れた。そして早々の文庫化。解説によると、20万部売れたらしい。単行本の帯に書かれていたキャッチは覚えていないが、書店で平積みになっているのを見てから、ずっと気になっていたのだ。いつも通りうちのに偏屈だと言われる、解説→冒頭→ラスト→通読、の順で読んだ。以下ネタバレ注意。帯と冒頭とラストで粗筋が解った。何でこんな本がヒットするのか理解に苦しむ。日本人は絵を観るのが下手だと言われる。これには以前から同意していたが、まさか本の読み方迄下手だとは思っていなかった。本の読み方と言うか、買い方と言うか、長い物に巻かれろ気質と言うか、とにかくこんなうんこな内容の本がヒットした事実を、情けないと私は嘆く。買わなきゃ良かった。読まなきゃ良かった。損した。世の中に詰まらない本は数多あれど、私はこの手の内容が大嫌いなのだ。
著者の初執筆作品だとのこと。技術の拙さが目立つのはまだ我慢できる。けれども、私はパクリが嫌いである。「バトル・ロワイアル」を読んでいれば、この本を読む価値は皆無と断言したい。「バトル・ロワイアル」も拙かったけれど、内容は及第点だった。それはアイディアが充分に活かされており、読者を作品の世界観に惹きつけるだけの分量のある作品だったからである。分量、というのはそのままの意味で、人物描写の浅さは否めないながらもあれだけの人数の殺人が背景描写できちんと書かれていたから。それが「リアル鬼ごっこ」はどうだろう。全国の佐藤さんが王様の思いつきで鬼に殺される。これが主題。その主題で「バトル・ロワイアル」を思い出さない者がいるだろうか。〜〜によって罪無き〜〜の大量殺人。同じである。帯にも書かれていたので、二番煎じは承知して買った。だが、余りに酷い。著者は作品内で殺人=処刑の事実だけを書いており、それそのものの描写はない。その分、人物描写に力を入れたつもりなのだろう。解説は「ダ・ヴィンチ」編集長。彼は、著者がこの作品を自費出版社に持ち込んだのは正解だった、と書いている。私も正解だったと思う。しかし後書執筆者と私の意図は違う。後書執筆者は、自費出版界に光を当てたことと、大手出版社では一蹴される可能性のある作品だが持ち込み先の選択が良かったことで日の目を見たことを喜んでいるように書かれていた。真意は知らない。私が正解だと思うのは、実に消極的な意味合いである。オナニー作品は実費でやれ。むしろ同人誌でやってくれ。市場に出すな。どんなに著者自身が人物描写に力を入れようと、筆力が追いついていないにも程がある。著者及び編集者は本気で金を取れるだけの作品だと思ったのか。世迷言もいい加減にしろ。そしてまんまとその思惑に乗っかった私を含む読者の愚かさが悲しい。私は今後、小説を買う際には必ず立ち読みをしてからにしよう。もう懲り懲りだ。価値なき物に金など払いたくない。
主人公は親が離婚して母及び妹と生き別れになり、DVを振るう父親に育てられた男子大学生。鬼に狙われる立場に置かれ、生き別れの母・妹を探そうとする。主人公の設定がまず浅い。主役がこれだけ薄っぺらなのだから脇役は言わずもがな。しかもこの主人公、幾らDV被害家族とはいえ父親の役職も何も知らない。著者の世間知らず加減が安易に想像できる。当然父親が死んだらすぐに葬式だ。保険も何もあったものではない。一週間の非常事態の最中とはいえ、たった1日で終わる葬式や遺族の仕事が終わるものか。王様の捕獲命令がない人々は極々普通に生活しているというのに。リアリティに欠ける、なんて生易しさではなく、最早ファンタジーだ。そして生き別れの母は死んでおり、妹を探しに出る主人公。偶然、中学時代の親友に会う。そして長年離れ離れだったその親友が己の命を犠牲にして主人公を助ける。その後、偶然、妹の友人に会う。そこに偶然現れる妹。長年離れ離れだったにも拘らず、一蓮托生とばかりに助け合う兄妹。偶然、重なり過ぎだから。長年離れ離れだった親友を命を張って助けるとかリアルじゃないから。長年離れ離れだった兄妹が出会って、名前だけで相手の存在を受け入れられないから。しかも非常事態とはいえ、長年離れ離れだった年頃の兄妹がひとつ屋根の下で生活とか考え難いから。むしろ有り得ないから。そもそも王様、頭悪過ぎだから。「リアル鬼ごっこ」というタイトルは秀逸だ。人目を引く。でもそれだけ。リアルの意味は違うところにあると解っていつつも、ファンタジーな「リアル鬼ごっこ」に失笑。設定だけリアルならいいってもんじゃねえぞ、ゴルァ!
こんなうんこ小説を読んだのは久々だ。友人にざっと粗筋を説明すると、全部読んだの? と訊かれた。読んだ、と答えると、お疲れさま、と労われた。読了後、うちのに愚痴を溢そうと思っていたのに聞いてくれなかった。未だ聞いてくれない。粗筋などは話していないけれど、うんこだ、時間の無駄だ、と散々言っているのに、うちのは読むつもりらしい。酔狂だ。
BGM/アルバム「桜の森の満開の下」
少し前に友人から、「D.T.」が面白かった、というメールが届いていた。が、私にはその「D.T.」が何のことだか解らず、返信を出せずにいたのだが、ふと童貞のことだと気付いた。みうらじゅんと伊集院光の共著だ。そして友人に返信すると、彼女がPCを立ち上げてくれてメッセで会話。この本を彼女に紹介したのは私。でも未読。かなり面白かったようなので、近々読んでみる予定。数週間前に書店に行ったとき、以前、叔母にもらったまま放置していた図書カードが財布に入れっ放しだったことに気付き、4冊の本を纏め買い。「さくらん」「高速回線は光うさぎの夢を見るか?」「主婦の旅ぐらし」「リアル鬼ごっこ」以上。全て読了。「さくらん」は安野モヨコ。雑誌で1度立ち読みして単行本待ちしていたのだけれど、何となく買わずにいた漫画。図書カードがなければもっと先延ばしになっていたかも。もっと早く買っておいても良かったかも。第2部以降にも期待。今回購入の中では一番良かった。「高速回線〜」は華倫変。既に立ち読みで読了しており、何となく先延ばしにしていた漫画。後書は初読。表題作は南条あやのサイトを元に描いた作品らしい。自殺者に入れ込むと自殺を招くというが……もにょもにょ。華倫変は作品に入れ込まない漫画家だったとのことだが、その辺はどうなのだろう。それ以上に鬱の影響の方が強いか。再読してみると、下手な絵は相変わらずとして、アイディアが先走り過ぎてテクニックがいろんな意味で追いついておらず勿体無いものが多かった。「主婦の〜」は青木るえか。面白かったのだけれど……如何なものか。暫くこのシリーズは休んで欲しい。ネタが尽きてきている気がする。
そしてこの中で最も期待度が高かったのは「リアル鬼ごっこ」。この本は元々自費出版を請け負う出版社から著者と版元が費用を折半して発売されたもの。なのに売れた。そして早々の文庫化。解説によると、20万部売れたらしい。単行本の帯に書かれていたキャッチは覚えていないが、書店で平積みになっているのを見てから、ずっと気になっていたのだ。いつも通りうちのに偏屈だと言われる、解説→冒頭→ラスト→通読、の順で読んだ。以下ネタバレ注意。帯と冒頭とラストで粗筋が解った。何でこんな本がヒットするのか理解に苦しむ。日本人は絵を観るのが下手だと言われる。これには以前から同意していたが、まさか本の読み方迄下手だとは思っていなかった。本の読み方と言うか、買い方と言うか、長い物に巻かれろ気質と言うか、とにかくこんなうんこな内容の本がヒットした事実を、情けないと私は嘆く。買わなきゃ良かった。読まなきゃ良かった。損した。世の中に詰まらない本は数多あれど、私はこの手の内容が大嫌いなのだ。
著者の初執筆作品だとのこと。技術の拙さが目立つのはまだ我慢できる。けれども、私はパクリが嫌いである。「バトル・ロワイアル」を読んでいれば、この本を読む価値は皆無と断言したい。「バトル・ロワイアル」も拙かったけれど、内容は及第点だった。それはアイディアが充分に活かされており、読者を作品の世界観に惹きつけるだけの分量のある作品だったからである。分量、というのはそのままの意味で、人物描写の浅さは否めないながらもあれだけの人数の殺人が背景描写できちんと書かれていたから。それが「リアル鬼ごっこ」はどうだろう。全国の佐藤さんが王様の思いつきで鬼に殺される。これが主題。その主題で「バトル・ロワイアル」を思い出さない者がいるだろうか。〜〜によって罪無き〜〜の大量殺人。同じである。帯にも書かれていたので、二番煎じは承知して買った。だが、余りに酷い。著者は作品内で殺人=処刑の事実だけを書いており、それそのものの描写はない。その分、人物描写に力を入れたつもりなのだろう。解説は「ダ・ヴィンチ」編集長。彼は、著者がこの作品を自費出版社に持ち込んだのは正解だった、と書いている。私も正解だったと思う。しかし後書執筆者と私の意図は違う。後書執筆者は、自費出版界に光を当てたことと、大手出版社では一蹴される可能性のある作品だが持ち込み先の選択が良かったことで日の目を見たことを喜んでいるように書かれていた。真意は知らない。私が正解だと思うのは、実に消極的な意味合いである。オナニー作品は実費でやれ。むしろ同人誌でやってくれ。市場に出すな。どんなに著者自身が人物描写に力を入れようと、筆力が追いついていないにも程がある。著者及び編集者は本気で金を取れるだけの作品だと思ったのか。世迷言もいい加減にしろ。そしてまんまとその思惑に乗っかった私を含む読者の愚かさが悲しい。私は今後、小説を買う際には必ず立ち読みをしてからにしよう。もう懲り懲りだ。価値なき物に金など払いたくない。
主人公は親が離婚して母及び妹と生き別れになり、DVを振るう父親に育てられた男子大学生。鬼に狙われる立場に置かれ、生き別れの母・妹を探そうとする。主人公の設定がまず浅い。主役がこれだけ薄っぺらなのだから脇役は言わずもがな。しかもこの主人公、幾らDV被害家族とはいえ父親の役職も何も知らない。著者の世間知らず加減が安易に想像できる。当然父親が死んだらすぐに葬式だ。保険も何もあったものではない。一週間の非常事態の最中とはいえ、たった1日で終わる葬式や遺族の仕事が終わるものか。王様の捕獲命令がない人々は極々普通に生活しているというのに。リアリティに欠ける、なんて生易しさではなく、最早ファンタジーだ。そして生き別れの母は死んでおり、妹を探しに出る主人公。偶然、中学時代の親友に会う。そして長年離れ離れだったその親友が己の命を犠牲にして主人公を助ける。その後、偶然、妹の友人に会う。そこに偶然現れる妹。長年離れ離れだったにも拘らず、一蓮托生とばかりに助け合う兄妹。偶然、重なり過ぎだから。長年離れ離れだった親友を命を張って助けるとかリアルじゃないから。長年離れ離れだった兄妹が出会って、名前だけで相手の存在を受け入れられないから。しかも非常事態とはいえ、長年離れ離れだった年頃の兄妹がひとつ屋根の下で生活とか考え難いから。むしろ有り得ないから。そもそも王様、頭悪過ぎだから。「リアル鬼ごっこ」というタイトルは秀逸だ。人目を引く。でもそれだけ。リアルの意味は違うところにあると解っていつつも、ファンタジーな「リアル鬼ごっこ」に失笑。設定だけリアルならいいってもんじゃねえぞ、ゴルァ!
こんなうんこ小説を読んだのは久々だ。友人にざっと粗筋を説明すると、全部読んだの? と訊かれた。読んだ、と答えると、お疲れさま、と労われた。読了後、うちのに愚痴を溢そうと思っていたのに聞いてくれなかった。未だ聞いてくれない。粗筋などは話していないけれど、うんこだ、時間の無駄だ、と散々言っているのに、うちのは読むつもりらしい。酔狂だ。
BGM/アルバム「桜の森の満開の下」
現在、5月18日。
一昨日の夜、うちのが正式に禁煙発言及び行動開始。鬱陶しいこと、この上なし。夕食を作る気力がなかったので近所のファミレスへ行った。私は禁煙する気は更々ないので喫煙席へ。席についてオーダを決めつつ煙草を吸っていると、これ見よがしに人の煙を手で払い、ふーっふーっと追いやる。そして喫煙者の悪口開始。マナーが悪い奴が多いだの、頭が悪そうに見えるだの。おまいもつい数時間前迄はその一員だったろうが。おまいも禁煙しろ。出たよ……巻き込むなっつってるのに。適当にあしらって、食事をして買い物をして帰宅。うちのは居間でフリスクを食べ、私はキッチンのPCデスクに向って祭参加。初のリアル爆撃に、毒男らの反応を楽しむ。暫くしてうちのから、眉の手入れの要請。うちのの眉のトリミングは私の仕事なので、チャチャッとやっつけて祭に戻る。そして数時間後、そろそろ寝る、と言いつつうちのが私の傍にやってきて、煙草一本頂戴、ときたものだ。それ見たことか。さっきのファミレスでの発言を謝ったらやる、と言うと素直に、ごめんね。私の煙草を1本取って火をつけて、思い切り吸い込み、やっぱりないとダメだわ。脆い。うちのの意思は脆過ぎる。今日帰宅してからは吸っていない。会社でも吸わなかったと言っているけれど、果たしてどうだか甚だ疑問である。そして今夜は吸わずに寝られるか? うちのはどうやら禁煙が成功したら嫌煙になりそうなので、このまま喫煙者でいてもらいたいものだが。ついでに、うちのが昨日数時間で禁煙に失敗したのは私にはちょっといいこと。禁煙記念日が命日ってのは、何だかイヤだ。あ。以前、うちのと私が籍を入れる日を、私の実の父親の誕生日か命日にしようと考えていて、親や叔母に反対されたことがある。そうか、こういうことなのかもしれない。
昨日は夜中からカレーを作り始めて、明け方に眠った。もっと早くから眠剤を投入していたのだけれど、妙にハイテンションでちっとも眠気がこなかったのだ。ぼんやりしていると、後ろで草食が、メシくれ、水くれ、と容器を鳴らす気がする。けれど鳴らない。数日前迄はあんなに煩く感じていたあのガタガタという音が、こんなにも生活の中に溶け込んでいたなんて。ふと、小屋を見る。いない。逃げたか? そんな筈はない。友人がメールで書いてきてくれたこと。喪失感がうまく沸いていないのでは。確かにそうだ。喪失感がない。聴覚視覚では感じるけれど、気持ちの中で草食は現在進行形で存在していて、聞こえない、見えない、と五感で認識できたときにしか、草食がいなくなったことを実感できないのだ。何処かにぽっかりと穴が開き、昨日一昨日はずーっと上の空だった。ペットロスの鬱が襲ってくるのは、まだまだ先らしい。ひたすらに私の背後の静寂が落ち着かない。気配、というものの大きさを感じてしまう。気配の重大さは、なくしてから解るものらしい。友人やネット掲示板に慰めてもらった。喪失感を共有できるのは救いになる。後悔の念はきっと不出来な飼い主だった私への、草食からの最期の復讐。そんなものを残してくれなくても、一生草食のことを忘れたりしないのに。莫迦な子程可愛い、と思いつつ育ててきたけれど、もしかしたらこんな手の込んだ復讐をするなんて、莫迦ではなかったのかも。いろんなことが悔しい。まだ思考能力が不全且つ不安定なので、短め。
一昨日の夜、うちのが正式に禁煙発言及び行動開始。鬱陶しいこと、この上なし。夕食を作る気力がなかったので近所のファミレスへ行った。私は禁煙する気は更々ないので喫煙席へ。席についてオーダを決めつつ煙草を吸っていると、これ見よがしに人の煙を手で払い、ふーっふーっと追いやる。そして喫煙者の悪口開始。マナーが悪い奴が多いだの、頭が悪そうに見えるだの。おまいもつい数時間前迄はその一員だったろうが。おまいも禁煙しろ。出たよ……巻き込むなっつってるのに。適当にあしらって、食事をして買い物をして帰宅。うちのは居間でフリスクを食べ、私はキッチンのPCデスクに向って祭参加。初のリアル爆撃に、毒男らの反応を楽しむ。暫くしてうちのから、眉の手入れの要請。うちのの眉のトリミングは私の仕事なので、チャチャッとやっつけて祭に戻る。そして数時間後、そろそろ寝る、と言いつつうちのが私の傍にやってきて、煙草一本頂戴、ときたものだ。それ見たことか。さっきのファミレスでの発言を謝ったらやる、と言うと素直に、ごめんね。私の煙草を1本取って火をつけて、思い切り吸い込み、やっぱりないとダメだわ。脆い。うちのの意思は脆過ぎる。今日帰宅してからは吸っていない。会社でも吸わなかったと言っているけれど、果たしてどうだか甚だ疑問である。そして今夜は吸わずに寝られるか? うちのはどうやら禁煙が成功したら嫌煙になりそうなので、このまま喫煙者でいてもらいたいものだが。ついでに、うちのが昨日数時間で禁煙に失敗したのは私にはちょっといいこと。禁煙記念日が命日ってのは、何だかイヤだ。あ。以前、うちのと私が籍を入れる日を、私の実の父親の誕生日か命日にしようと考えていて、親や叔母に反対されたことがある。そうか、こういうことなのかもしれない。
昨日は夜中からカレーを作り始めて、明け方に眠った。もっと早くから眠剤を投入していたのだけれど、妙にハイテンションでちっとも眠気がこなかったのだ。ぼんやりしていると、後ろで草食が、メシくれ、水くれ、と容器を鳴らす気がする。けれど鳴らない。数日前迄はあんなに煩く感じていたあのガタガタという音が、こんなにも生活の中に溶け込んでいたなんて。ふと、小屋を見る。いない。逃げたか? そんな筈はない。友人がメールで書いてきてくれたこと。喪失感がうまく沸いていないのでは。確かにそうだ。喪失感がない。聴覚視覚では感じるけれど、気持ちの中で草食は現在進行形で存在していて、聞こえない、見えない、と五感で認識できたときにしか、草食がいなくなったことを実感できないのだ。何処かにぽっかりと穴が開き、昨日一昨日はずーっと上の空だった。ペットロスの鬱が襲ってくるのは、まだまだ先らしい。ひたすらに私の背後の静寂が落ち着かない。気配、というものの大きさを感じてしまう。気配の重大さは、なくしてから解るものらしい。友人やネット掲示板に慰めてもらった。喪失感を共有できるのは救いになる。後悔の念はきっと不出来な飼い主だった私への、草食からの最期の復讐。そんなものを残してくれなくても、一生草食のことを忘れたりしないのに。莫迦な子程可愛い、と思いつつ育ててきたけれど、もしかしたらこんな手の込んだ復讐をするなんて、莫迦ではなかったのかも。いろんなことが悔しい。まだ思考能力が不全且つ不安定なので、短め。
草食。
享年5歳半。
今迄いろいろ有難う。まだ実感がないけれど。最期は苦しまずに眠るように逝ったとか。もっと一杯遊んだりすればよかった。後悔の念はきっといつになっても晴れはしないだろう。こんな小雨降る日に逝くなんて出来過ぎだ。
享年5歳半。
今迄いろいろ有難う。まだ実感がないけれど。最期は苦しまずに眠るように逝ったとか。もっと一杯遊んだりすればよかった。後悔の念はきっといつになっても晴れはしないだろう。こんな小雨降る日に逝くなんて出来過ぎだ。
現在5月16日早朝。
さっき帰宅。ぐだぐだになっていた生活を正す為、昨日は昼から寝て夜に1度目覚めるも強引にもう1度寝て、早朝5時半過ぎに起床。起きて草食にごはんを……と思ったら、草食が動かん! 触ると冷たい。ごはんを差し出しても反応がない。え? 揺り動かすも反応なし。うちのに声をかけて起こす。うちのが飛び起きて草食小屋へ。慌てふためく私にうちのが、まだ息してるよ、と。急いで24時間営業の動物病院に連絡をしてタクシーで連れて行く。動物病院でまずは体重測定。先月よりも800g減っていた。気付かなかった。トイレを覚えない草食は常に足元や尻が汚い。先々日、草食の足と尻とお腹を洗った。そのときに抱いて風呂場に連れて行ったのだけれど、体重減少には気付かなかった。飼い主失格か。病院で草食に点滴と注射を打ってもらう。獣医さん曰く、骨髄か脾臓に疾患があり血液が造れなくなっていて貧血状態になっている、とのこと。選択を迫られた。連れて帰ってペットボトルを湯たんぽにして体温上昇を待ちつつ見守るか、それとも入院をさせるか。この動物病院はかかりつけではなく、数年前の夜中にやはり草食が動かなくなったときに救急で連れて行ったところだ。そのときは、今夜が山だ、と言われたけれど選択の余地なく入院となり、どうにか持ちこたえてくれた。今回、選択肢を与えられたのは、回復の見込みが余りに薄いからだ。どう高く見積もっても回復する可能性は20%。なら、長年一緒に暮らしてきたことだしおうちで看取れた方が良くないですか、看取れなくて後悔しませんか、と。混乱して泣いていた私には選択ができず、うちのに一存。入院させてきた。うちで看取ろうとしてもその瞬間に立ち会えるかどうかは判らないし、可能性があるなら病院に任せよう、ということで。
次回の注射は午前9時とのこと。その時間迄頑張ってくれるかどうか、解らない。動物病院からの連絡がいつあるかも判らない。連絡をくれるときは、持ち堪えられたと判断できたときか、死んだときのどちらからしい。混乱しつつも私の気持ちは、看取る方に傾いていた。草食の内臓疾患は治らないものらしい。持ち堪えても今後は毎日投薬しつつの闘病生活だ。これからも苦しむのなら、いっそ……と。草食は現在5歳半。獣医さんに草食の一般的寿命を聞くと、6〜8年とのこと。極端に若い訳でもなく、今がうちの草食の寿命なのかもしれない、と思った。診察台で撫でる草食の体は冷たい。普段なら腹や後ろ足を撫でると怒るのに、今朝の草食は何処を撫でられても怒れない。悲しかった。場所によって撫でさせてくれない草食を偏屈だと思っていたけれど、撫でさせてくれることがこんなに悲しかったなんて。これなら怒って蹴られた方が遥かにマシである。最近になってやっと懐いてきた草食。これからが蜜月だと思っていた。今日が山である。持ち堪えてくれるかどうか。うちのは信じていると言った。私は……。
前回草食を救急でこの病院に連れ込んだときは、栄養失調だった。草食に牧草を食べる習慣を身に付けさせようと、私がペレットから牧草へと強引に餌を切り替えたのだ。ペレットがなければ嫌でも牧草を食べるだろうと思っていたが、甘かった。持ち堪えてくれてからは、強引な切り替えをやめてペレットと牧草の両方をあげる形に戻した。ずっと嫌々食べていた牧草を喜んで食べるようになってくれたのは、ここ半年から1年くらいの話。かかりつけの動物病院で相談して、ペレットはおやつのような扱いで2〜3日に1度、基本のごはんは牧草にしていた。うちのは今日、動物病院に連れて行く迄のタクシーでの道中、それが良くなかったのではないか、と言っていた。牧草を主に切り替えてからの私の草食への栄養管理は、間違っていなかったと今も思う。ペレットを主にしていたところで、内臓疾患が防げたとは思えない。ただ。獣医さんに糞の状態を訊かれた。下してはいなかった。けれど、糞の大小にここ1週間ばかり、変動はあった。牧草を主に食べていた日は大きく、ペレットや野菜を食べた日は小さかった。私は食べ物が違う所為だとしか認識していなかったのだけれど、内臓に毛玉ができている兆候だったらしい。気付かなかった。牧草を食べるようになってから、草食の糞は大きくなっていた。それ以前のペレットや野菜しか食べなかった頃の糞は元々小さかったのだ。ということは、子供の頃から、もしからした生まれつき内臓疾患はあったのかもしれない。動物にも年に1度の血液検査やレントゲン撮影が義務付けられていたら、早期発見・早期治療ができたのだろう。いや、飼い主が自主的に動物病院に検査に赴くべきなのか。判らない。小さな体には、検査自体がかなりの負担になる。何にしろ今は、草食の病気に気付けなかった自分の節穴を恨むしかない。
草食にも骨髄バンクがあればいいのに! 私の体が草食の代わりに蝕まれても構わない。草食にいらぬちょっかいを出して、また怒られたい。元気になって戻ってきたらまた一緒に散歩に行きたい。今度はもっとこまめに散歩に連れて行く。もっともっと一緒に遊ぶ。もっともっともっと小屋の環境も良くする。どうか、また小屋に戻ってきて欲しい。うちの草食は生命力が強い。前回の山もどうにか越えて戻ってきたのだ。きっと今回だって戻ってくる。しかし。診察台の上で草食は、ときどき手足をバタつかせていた。貧血で眩暈を起こしている状態。つらいのだろう。苦しいのだろう。今日預けてきたのは、延命治療だ。日頃私とうちのは、助からないと解っていながらの延命治療には反対している。今回山を越えたところで、草食が苦しむ日はまたくる。前回は餌の切り替えに失敗した私の責任であり、今回のような延命治療ではなかった。草食の為の骨髄バンクはない。脾臓に疾患があったとしても、きっと手術はできない。治らない病を抱え、毎日血液増殖の為の薬を飲まされて生き長らえさせることは、飼い主の自己満足ではないか、とも思う。草食にはその薬の意味は解らないのだ。毎日嫌な物を無理矢理食べさせられる、としか思わないだろう。そしてそれは治す為の薬ではなく、処置としての薬。寿命に近いところ迄、草食は生きた。今日中にまた体温が上がり立ち上がれるようになれば、戻ってきてくれる。それでもその後の闘病生活は、草食自身に意味のあることなのか。飼い主のエゴに他ならないのではないか。草食は私が初めて飼ったペットで、雑食は後からきた子だ。草食を飼う前、私はペットと飼い主の関係についていろいろ考えた。動物を飼うという行為は、所詮人間のエゴではないのか、と。けれども1度ペットショップに連れてこられたり里親として出された子は、誰かが飼わなければ、嫌な言葉だけれど処分されることになる。処分=死。サラブレッドもそうだけれど、人間に飼育されることでしか生きていけない動物がいる。飼われることでしか生きていけないようにしてしまったのは、人間の責任だ。私はその責任の一端を、今回の延命治療で果たせるのか。答えなんか出ない。動物を擬人化して考えてはならない、と常々思ってはいる。それでも草食の手足をバタつかせる行動を、生きていたい、という足掻きと捉えて獣医さんに預けて待つ。それしか今はできない。
さっき帰宅。ぐだぐだになっていた生活を正す為、昨日は昼から寝て夜に1度目覚めるも強引にもう1度寝て、早朝5時半過ぎに起床。起きて草食にごはんを……と思ったら、草食が動かん! 触ると冷たい。ごはんを差し出しても反応がない。え? 揺り動かすも反応なし。うちのに声をかけて起こす。うちのが飛び起きて草食小屋へ。慌てふためく私にうちのが、まだ息してるよ、と。急いで24時間営業の動物病院に連絡をしてタクシーで連れて行く。動物病院でまずは体重測定。先月よりも800g減っていた。気付かなかった。トイレを覚えない草食は常に足元や尻が汚い。先々日、草食の足と尻とお腹を洗った。そのときに抱いて風呂場に連れて行ったのだけれど、体重減少には気付かなかった。飼い主失格か。病院で草食に点滴と注射を打ってもらう。獣医さん曰く、骨髄か脾臓に疾患があり血液が造れなくなっていて貧血状態になっている、とのこと。選択を迫られた。連れて帰ってペットボトルを湯たんぽにして体温上昇を待ちつつ見守るか、それとも入院をさせるか。この動物病院はかかりつけではなく、数年前の夜中にやはり草食が動かなくなったときに救急で連れて行ったところだ。そのときは、今夜が山だ、と言われたけれど選択の余地なく入院となり、どうにか持ちこたえてくれた。今回、選択肢を与えられたのは、回復の見込みが余りに薄いからだ。どう高く見積もっても回復する可能性は20%。なら、長年一緒に暮らしてきたことだしおうちで看取れた方が良くないですか、看取れなくて後悔しませんか、と。混乱して泣いていた私には選択ができず、うちのに一存。入院させてきた。うちで看取ろうとしてもその瞬間に立ち会えるかどうかは判らないし、可能性があるなら病院に任せよう、ということで。
次回の注射は午前9時とのこと。その時間迄頑張ってくれるかどうか、解らない。動物病院からの連絡がいつあるかも判らない。連絡をくれるときは、持ち堪えられたと判断できたときか、死んだときのどちらからしい。混乱しつつも私の気持ちは、看取る方に傾いていた。草食の内臓疾患は治らないものらしい。持ち堪えても今後は毎日投薬しつつの闘病生活だ。これからも苦しむのなら、いっそ……と。草食は現在5歳半。獣医さんに草食の一般的寿命を聞くと、6〜8年とのこと。極端に若い訳でもなく、今がうちの草食の寿命なのかもしれない、と思った。診察台で撫でる草食の体は冷たい。普段なら腹や後ろ足を撫でると怒るのに、今朝の草食は何処を撫でられても怒れない。悲しかった。場所によって撫でさせてくれない草食を偏屈だと思っていたけれど、撫でさせてくれることがこんなに悲しかったなんて。これなら怒って蹴られた方が遥かにマシである。最近になってやっと懐いてきた草食。これからが蜜月だと思っていた。今日が山である。持ち堪えてくれるかどうか。うちのは信じていると言った。私は……。
前回草食を救急でこの病院に連れ込んだときは、栄養失調だった。草食に牧草を食べる習慣を身に付けさせようと、私がペレットから牧草へと強引に餌を切り替えたのだ。ペレットがなければ嫌でも牧草を食べるだろうと思っていたが、甘かった。持ち堪えてくれてからは、強引な切り替えをやめてペレットと牧草の両方をあげる形に戻した。ずっと嫌々食べていた牧草を喜んで食べるようになってくれたのは、ここ半年から1年くらいの話。かかりつけの動物病院で相談して、ペレットはおやつのような扱いで2〜3日に1度、基本のごはんは牧草にしていた。うちのは今日、動物病院に連れて行く迄のタクシーでの道中、それが良くなかったのではないか、と言っていた。牧草を主に切り替えてからの私の草食への栄養管理は、間違っていなかったと今も思う。ペレットを主にしていたところで、内臓疾患が防げたとは思えない。ただ。獣医さんに糞の状態を訊かれた。下してはいなかった。けれど、糞の大小にここ1週間ばかり、変動はあった。牧草を主に食べていた日は大きく、ペレットや野菜を食べた日は小さかった。私は食べ物が違う所為だとしか認識していなかったのだけれど、内臓に毛玉ができている兆候だったらしい。気付かなかった。牧草を食べるようになってから、草食の糞は大きくなっていた。それ以前のペレットや野菜しか食べなかった頃の糞は元々小さかったのだ。ということは、子供の頃から、もしからした生まれつき内臓疾患はあったのかもしれない。動物にも年に1度の血液検査やレントゲン撮影が義務付けられていたら、早期発見・早期治療ができたのだろう。いや、飼い主が自主的に動物病院に検査に赴くべきなのか。判らない。小さな体には、検査自体がかなりの負担になる。何にしろ今は、草食の病気に気付けなかった自分の節穴を恨むしかない。
草食にも骨髄バンクがあればいいのに! 私の体が草食の代わりに蝕まれても構わない。草食にいらぬちょっかいを出して、また怒られたい。元気になって戻ってきたらまた一緒に散歩に行きたい。今度はもっとこまめに散歩に連れて行く。もっともっと一緒に遊ぶ。もっともっともっと小屋の環境も良くする。どうか、また小屋に戻ってきて欲しい。うちの草食は生命力が強い。前回の山もどうにか越えて戻ってきたのだ。きっと今回だって戻ってくる。しかし。診察台の上で草食は、ときどき手足をバタつかせていた。貧血で眩暈を起こしている状態。つらいのだろう。苦しいのだろう。今日預けてきたのは、延命治療だ。日頃私とうちのは、助からないと解っていながらの延命治療には反対している。今回山を越えたところで、草食が苦しむ日はまたくる。前回は餌の切り替えに失敗した私の責任であり、今回のような延命治療ではなかった。草食の為の骨髄バンクはない。脾臓に疾患があったとしても、きっと手術はできない。治らない病を抱え、毎日血液増殖の為の薬を飲まされて生き長らえさせることは、飼い主の自己満足ではないか、とも思う。草食にはその薬の意味は解らないのだ。毎日嫌な物を無理矢理食べさせられる、としか思わないだろう。そしてそれは治す為の薬ではなく、処置としての薬。寿命に近いところ迄、草食は生きた。今日中にまた体温が上がり立ち上がれるようになれば、戻ってきてくれる。それでもその後の闘病生活は、草食自身に意味のあることなのか。飼い主のエゴに他ならないのではないか。草食は私が初めて飼ったペットで、雑食は後からきた子だ。草食を飼う前、私はペットと飼い主の関係についていろいろ考えた。動物を飼うという行為は、所詮人間のエゴではないのか、と。けれども1度ペットショップに連れてこられたり里親として出された子は、誰かが飼わなければ、嫌な言葉だけれど処分されることになる。処分=死。サラブレッドもそうだけれど、人間に飼育されることでしか生きていけない動物がいる。飼われることでしか生きていけないようにしてしまったのは、人間の責任だ。私はその責任の一端を、今回の延命治療で果たせるのか。答えなんか出ない。動物を擬人化して考えてはならない、と常々思ってはいる。それでも草食の手足をバタつかせる行動を、生きていたい、という足掻きと捉えて獣医さんに預けて待つ。それしか今はできない。
現在、5月17日。
草食を飼い始めたのは、1999年1月。ひとり暮らしを始めた私が帰省したときに、親が誕生日プレゼントの希望を訊いてきてくれた。その際、私は或る雑食動物を挙げた。だが、雑食はアパート暮らしには不向きとして反対され、代わりに飼い始めたのがこの草食だった。飼い始めた当初、草食が愛くるしくて自分なりに凄く可愛がった。撫でたり抱いたり。飼い始めてすぐにそんなことをしてはいけないと知ったのは暫く後だ。またごはんについてもペットショップで間違った知識を教えられ、ネットを使い始める迄は間違った知識のままに育てていた。間違った知識とは、ペレット主体のごはん設定である。幼児期から牧草に慣れさせる必要があると知ったのは、草食が大人になってから。知識を得てから食事の切り替えを図って失敗したりして、私は拙すぎる飼い主だったと反省している。ペットを飼うのは、知識をきちんと蓄えてからにすべきだった。衝動で飼うものではない。この反省は4年半程前からだ。ネットを使い始める前に飼育書などは読んでいたけれど、読めども読めども本によって書いてあることが違っており、どれが正しいのかイマイチ掴めないままに育てていたのだ。更に草食は予防接種などもなく、子供の頃は私に爪切りもさせてくれていたので動物病院に連れて行く機会もなかった。今となっては、飼い始めたときに速やかに健康診断に連れて行くべきだった、と思う。草食を動物病院に連れて行くようになったのは、草食が大人になってからだ。成長し、草食は私に懐かなくなった。これは私の育て方が悪かったからだ。
飼い始めて半年と少しを過ぎた頃、里親として雑食をもらい受けてきた。草食と雑食を対面させた日のことは、今も鮮明に覚えている。私がアパートのドアを開けて部屋に入った途端に、草食、暴れ捲り。雑食を箱から出すと両者が暴れだした。両者を仲良くさせるのは無理だと解っていたので、どうにか共に気を荒立てないように接せられるよう小屋の配置を考えたりしているうちに、それぞれが距離の取り方を覚えてくれたようだ。しかしここでも私は飼育方法を間違えていた。先住の動物をより可愛がらなければならないと知ったのはかなり先であり、無知だった私は新参者を慣れさせるのが先と考えて、雑食を構い過ぎた。結果、草食はどんどん懐かなくなり、雑食はどんどん高飛車な甘えたになり……。草食にとって、私は嫌な飼い主であっただろう。本当に無知は罪だ。正しい知識を得てからは草食を優先していこうと思った。けれど時、既に遅し。元々草食が何を考えているかは掴み難かった。その上、心を閉ざされてしまった。動物も人間も、一旦閉ざしてしまった心を、再び開いてもらうのは至難の業だ。頑張っても頑張っても報われず、最低限の世話しかしない日もあった。そして反省してまた頑張ってやはり報われずのループが約5年。再度心を開き始めてくれたのは、今年の春。
以前、同種の草食を飼っていたという知人がうちに来てくれたときに、扱い方を教わった。どうすれば草食が喜ぶか。その前は、草食のご機嫌斜めなときに小屋に手を入れると噛まれていたのだけれど、心を開いて懐き始めてくれてからは噛まれることもなくなった。手を触っても尻を触っても怒らなくなった。小屋の飼い始めて以来の環境整備にも取り掛かった。ずっと幼少時から同じ環境を作っていた小屋。中のスノコを変えてみたり、いろいろし始めた。それは懐いてきてくれた嬉しさと、干草の袋の裏には寿命が5〜10年と書かれている。草食の後半生を快適に過ごしてもらう為の環境整備。後半生。私は後5年は生きてくれると思い込んでいたのだ。ごはんもよく食べていたし、水も沢山飲んでいたし、後ろ足に触ると怒って跳ねてくれたし。人参をあげると物凄い勢いで平らげてくれるので、毎週のようにあげていた。ふと昔を思い出し、そういえば青梗菜も好きだったな、と生協で注文したのは先週だ。今週、その青梗菜が届く。受け取りたくない。草食の小屋を昨夜整理した。予備に用意しておいた新品の干草とトイレ砂も処分。救急で連れて行った動物病院に引取りに行った帰り、行きつけの動物病院に寄った。先の動物病院で教わったところよりも近い動物霊園を紹介してもらおうと考えて。紹介された霊園は同じだった。この辺りではそこがいいのだろう。そのときに主治獣医に死因について話した。内臓疾患かもしれなかった、と。主治獣医曰く、干草に毒草や農薬が混ざっていた可能性もある、とのこと。一飼い主でそこ迄解らん! でも、もし、一昨日迄あげていた干草のパックを破棄して新しい干草をあげていたら……。本当の死因は今となっては解らない。内臓疾患にしても干草にしても何にしても、悔いだけが残る。ああしていれば良かった。もっとこうしていれば良かった。考えても考えても尽きず、どれも詮無いことなのだけれど。
息を引き取った後、うちのと私が迎えに行く前に草食を綺麗にしてくれるよう、動物病院に頼んだら拭くだけでなくシャンプーをしてくれていた。草食は最期迄トイレを覚えなかったので、いつも足裏と尻が汚かったのだ。連れて行くときは当然急だったので、綺麗にしている余裕がなかった。戻ってきた草食は、寝ているようにしか見えなかった。でも。全身がふわふわしていて、シャンプーのいい香りがして、体中何処でも触らせてくれた。一昨日迄の草食とは大違い。耳の内側も白いし……。耳の内側はピンクでナンボだ。それは、血が通っているということなのだから。それにうちの草食が全身ふわふわなんておかしい。トイレを覚えない足りないうちの子は、薄汚れていてナンボだ。後ろ足だって触られて怒るのがうちの子なのだ。されるがままだなんて、うちの子らしくない。帰ってきたうちの草食は、もううちの草食ではなくなっていた。午後を少し過ぎて、霊園の車が迎えに来てくれた。今夜は霊安室に置かれ、明日以降に火葬されるらしい。お骨になったらまた連絡をくれるそうだ。連絡がきたら草食のお参りに行こう。神様なんていない、とずっと思っていたし、今も思っている。誰の所為だか知らないけれど、小動物に病気を作ったのは余りにも罪だ。小動物は自分で病院には行けないのだし、つらくてもそれを飼い主に伝えることもできない。特に草食は、限界迄我慢してしまう種であり、倒れているのに気付いたときには大半は既に手遅れ、という動物。昨日は早起きして良かった。寝ている間に逝かれたのでは堪らない。しかし。寝ずに起きていたら、異変にもっと早く気付けた可能性もある。……詮無いことだ。
草食を飼い始めたのは、1999年1月。ひとり暮らしを始めた私が帰省したときに、親が誕生日プレゼントの希望を訊いてきてくれた。その際、私は或る雑食動物を挙げた。だが、雑食はアパート暮らしには不向きとして反対され、代わりに飼い始めたのがこの草食だった。飼い始めた当初、草食が愛くるしくて自分なりに凄く可愛がった。撫でたり抱いたり。飼い始めてすぐにそんなことをしてはいけないと知ったのは暫く後だ。またごはんについてもペットショップで間違った知識を教えられ、ネットを使い始める迄は間違った知識のままに育てていた。間違った知識とは、ペレット主体のごはん設定である。幼児期から牧草に慣れさせる必要があると知ったのは、草食が大人になってから。知識を得てから食事の切り替えを図って失敗したりして、私は拙すぎる飼い主だったと反省している。ペットを飼うのは、知識をきちんと蓄えてからにすべきだった。衝動で飼うものではない。この反省は4年半程前からだ。ネットを使い始める前に飼育書などは読んでいたけれど、読めども読めども本によって書いてあることが違っており、どれが正しいのかイマイチ掴めないままに育てていたのだ。更に草食は予防接種などもなく、子供の頃は私に爪切りもさせてくれていたので動物病院に連れて行く機会もなかった。今となっては、飼い始めたときに速やかに健康診断に連れて行くべきだった、と思う。草食を動物病院に連れて行くようになったのは、草食が大人になってからだ。成長し、草食は私に懐かなくなった。これは私の育て方が悪かったからだ。
飼い始めて半年と少しを過ぎた頃、里親として雑食をもらい受けてきた。草食と雑食を対面させた日のことは、今も鮮明に覚えている。私がアパートのドアを開けて部屋に入った途端に、草食、暴れ捲り。雑食を箱から出すと両者が暴れだした。両者を仲良くさせるのは無理だと解っていたので、どうにか共に気を荒立てないように接せられるよう小屋の配置を考えたりしているうちに、それぞれが距離の取り方を覚えてくれたようだ。しかしここでも私は飼育方法を間違えていた。先住の動物をより可愛がらなければならないと知ったのはかなり先であり、無知だった私は新参者を慣れさせるのが先と考えて、雑食を構い過ぎた。結果、草食はどんどん懐かなくなり、雑食はどんどん高飛車な甘えたになり……。草食にとって、私は嫌な飼い主であっただろう。本当に無知は罪だ。正しい知識を得てからは草食を優先していこうと思った。けれど時、既に遅し。元々草食が何を考えているかは掴み難かった。その上、心を閉ざされてしまった。動物も人間も、一旦閉ざしてしまった心を、再び開いてもらうのは至難の業だ。頑張っても頑張っても報われず、最低限の世話しかしない日もあった。そして反省してまた頑張ってやはり報われずのループが約5年。再度心を開き始めてくれたのは、今年の春。
以前、同種の草食を飼っていたという知人がうちに来てくれたときに、扱い方を教わった。どうすれば草食が喜ぶか。その前は、草食のご機嫌斜めなときに小屋に手を入れると噛まれていたのだけれど、心を開いて懐き始めてくれてからは噛まれることもなくなった。手を触っても尻を触っても怒らなくなった。小屋の飼い始めて以来の環境整備にも取り掛かった。ずっと幼少時から同じ環境を作っていた小屋。中のスノコを変えてみたり、いろいろし始めた。それは懐いてきてくれた嬉しさと、干草の袋の裏には寿命が5〜10年と書かれている。草食の後半生を快適に過ごしてもらう為の環境整備。後半生。私は後5年は生きてくれると思い込んでいたのだ。ごはんもよく食べていたし、水も沢山飲んでいたし、後ろ足に触ると怒って跳ねてくれたし。人参をあげると物凄い勢いで平らげてくれるので、毎週のようにあげていた。ふと昔を思い出し、そういえば青梗菜も好きだったな、と生協で注文したのは先週だ。今週、その青梗菜が届く。受け取りたくない。草食の小屋を昨夜整理した。予備に用意しておいた新品の干草とトイレ砂も処分。救急で連れて行った動物病院に引取りに行った帰り、行きつけの動物病院に寄った。先の動物病院で教わったところよりも近い動物霊園を紹介してもらおうと考えて。紹介された霊園は同じだった。この辺りではそこがいいのだろう。そのときに主治獣医に死因について話した。内臓疾患かもしれなかった、と。主治獣医曰く、干草に毒草や農薬が混ざっていた可能性もある、とのこと。一飼い主でそこ迄解らん! でも、もし、一昨日迄あげていた干草のパックを破棄して新しい干草をあげていたら……。本当の死因は今となっては解らない。内臓疾患にしても干草にしても何にしても、悔いだけが残る。ああしていれば良かった。もっとこうしていれば良かった。考えても考えても尽きず、どれも詮無いことなのだけれど。
息を引き取った後、うちのと私が迎えに行く前に草食を綺麗にしてくれるよう、動物病院に頼んだら拭くだけでなくシャンプーをしてくれていた。草食は最期迄トイレを覚えなかったので、いつも足裏と尻が汚かったのだ。連れて行くときは当然急だったので、綺麗にしている余裕がなかった。戻ってきた草食は、寝ているようにしか見えなかった。でも。全身がふわふわしていて、シャンプーのいい香りがして、体中何処でも触らせてくれた。一昨日迄の草食とは大違い。耳の内側も白いし……。耳の内側はピンクでナンボだ。それは、血が通っているということなのだから。それにうちの草食が全身ふわふわなんておかしい。トイレを覚えない足りないうちの子は、薄汚れていてナンボだ。後ろ足だって触られて怒るのがうちの子なのだ。されるがままだなんて、うちの子らしくない。帰ってきたうちの草食は、もううちの草食ではなくなっていた。午後を少し過ぎて、霊園の車が迎えに来てくれた。今夜は霊安室に置かれ、明日以降に火葬されるらしい。お骨になったらまた連絡をくれるそうだ。連絡がきたら草食のお参りに行こう。神様なんていない、とずっと思っていたし、今も思っている。誰の所為だか知らないけれど、小動物に病気を作ったのは余りにも罪だ。小動物は自分で病院には行けないのだし、つらくてもそれを飼い主に伝えることもできない。特に草食は、限界迄我慢してしまう種であり、倒れているのに気付いたときには大半は既に手遅れ、という動物。昨日は早起きして良かった。寝ている間に逝かれたのでは堪らない。しかし。寝ずに起きていたら、異変にもっと早く気付けた可能性もある。……詮無いことだ。
現在、5月17日。
草食と出会ったのは某ペットショップ。草食は黒と白でできていた。全体的には黒く、首周り一周と両手の先と、鼻の半分が白かった。首と手はまるでマフラーと手袋をしているようだった。店員さんに声をかけて抱かせてもらう。抱く、というより、手に乗せる。小さ過ぎて抱くこともできないのだ。それこそ、片手に収まってしまう程度の大きさ。草食は怖がりな動物で、慣れない環境に置かれると固まってしまう。私の手の上でも確か震えていたのではなかったか。草食を買ってもらい、飼い始めた。名前は私がかつて一番好きだった馬の冠を取ったもの、そのまま。けれどその名はなかなかに呼びづらく、呼び名はその名前の頭文字を取って伸ばして、ちゃん付けしたものに、いつの間にか落ち着いた。小屋には表札代わりに、その馬の単勝馬券を貼った。草食用に用意した小屋は最初とても大きく見えたけれど、もう一回り小さくても良かったか? と思っていた期間は短かった。よく食べ、よく育ち、一時期は標準よりもかなり大きくなった。獣医さんにダイエットの必要性を指摘されて、食餌管理を修正してからは痩せたが。掌に乗る位の大きさから、両掌でどうにか収まる程度に大きくなったのはどれ程かかっただろう。ハッキリとは覚えていないけれど、数ヶ月だった筈だ。それでも両掌程度の大きさのうちは抱かせてくれていた。いや、抱かせてくれていたというよりは、抵抗せずに大人しく乗ってくれていた、と書くのが正確か。抵抗するようになったのは、もう少し大きくなってから。それでも部屋中を飛び回り、昼寝している私の顔の上に本棚からダイヴしてくれたり、同様に私が寝ているときに放置していたガムテープのロールのかなりの量を齧られたりと、いろいろやってくれた。一番困ったのは、プラスチックを食べる癖がついてしまったことだ。普通は食べない。でもうちの草食は何故だか食べた。怒っても怒っても食べていた。小屋の部品は勿論のこと、当初使っていたプラスチック製のトイレをも食べていた。悩んだ末に、トイレの素材を陶器に代えた。
小屋の中や、小屋から出て部屋の中をぴょんこぴょんこと跳ね、また紙やプラスチックを好んで齧って食べていた草食。草食と暮らし始めて2〜3ヶ月の頃、実家に連れて帰った。その日は私の実家の部屋に段ボール箱を置き、草食をその中に入れていた。そして数時間出かけて戻ってくると、段ボール箱に大きな穴が! 草食が齧って穴を空けたのだ。そして脱走。ベッドの裏で元気な草食を発見して安堵。あのときは驚いた。小さな草食に、そんな力があるなんて思ってもみなかったのだ。その後、草食をダンボールのキャリーに入れて、チャリで何処だったかに出かけようとした。断念。キャリーを籠に乗せた途端に、しっこされた。ダンボールのキャリーはぐしょぐしょでもうダメ。このタイミングでするか……、というときに、よくやられた。このキャリーのときも困ったが、日常、部屋の中で放しているときによく好んで布団の上にやってきては、シャーッと。何度となく、やられた。うんこもされた。うんこはまだいいのだ。草食のうんこは丸くころころしているので、下していない限りはすぐに捨てられる。しっこは困る。何度濡れたままの布団で寝る破目になっただろう。私がひとり暮らしをしていた頃は私ひとりの我慢だったけれど、うちのと暮らし始めてからはそうも言ってられず、いつの間にか草食は部屋ではなるべく放さずに小屋で、となった。幾ら困らせられても、私らが我慢すれば良かっただけの話なのに。
雑食がくる迄は、ぴょんこぴょんこと跳ねていた草食だが、外に連れて行くと動かなかった。首輪をつけて夜、散歩がてら外に連れて行く。動かない。何度か試したけれど、やはり動かない。草食が散歩先で動くようになったのは、ここ1年位の話だ。外で跳ねる草食は伸び伸びとしていたが、連れて出た私は大変だった。蚊に喰われ捲り、草食が叢に入ろうとしたら方向転換をさせ。外に慣れ始めた草食を、出不精な私は余り散歩に連れて行かなかった。今、激しく後悔。もっともっともっともっと伸び伸びと遊ばせれば良かった。私の気分で草食を左右せず、晴れた日は毎日でも連れて行けば良かった。その分、家の中で構っていたかというと、そうでもない。トイレを覚えないことと雑食がちょっかいを出すことで、基本的には小屋の中。撫でたりはしていたけれど、大きくなってからは抱かせてはくれなくなっていた。以前、強引に抱こうとして、鳩尾に蹴りをまともに入れられたことがある。それからは抱く気が薄れてしまった。草食から進んでスキンシップを取ろうとしてきてくれたのは、ここ数ヶ月。小屋を開け放っていると、毎回ではないけれどふと気が向いたように出てきてくれた。そして私の膝や背中の上に手を置いたり。その都度、服にしっこの付いた手足を置かれる羽目になったけれど、嬉しかった。家の中でお洒落している訳でもなし、服が汚れても洗えばいいだけだし、そんなことよりも草食の方から警戒心なく私に近付いてきてくれるのが、ただただ嬉しかった。雑食を迎えて以来、やっと本当に懐いてくれた、と思えた瞬間。これからが蜜月だと信じていた。
蜜月は結局、数ヶ月で終焉。草食の死を報告したときに親は、最期の恩返しだったのかもよ、と言った。小動物に擬人化は禁忌だと思う。それに、そんな恩返しはいらなかったからもっともっと生きて欲しかった、とも思う。反面、くだらない戯言が慰めになることもある。急な、余りにも急過ぎた草食の死に親も驚いていた。けれどやはり親は親。今度動物を飼うときは云々、葬儀について云々。煩い。うちのや私の頭の中では解っている。解っているこの手のことを、第三者に言われると非常に腹が立つ。まだ悲しみもきちんとした形で通過できていないのに、何故この先飼うかどうかも解らない子の話をされねばならんのだ。しかもくどくどと。世の中には、子に恵まれない夫婦や子を授かったばかりの夫婦に、子供のことを考えてペットを捨てろ、という年寄りは少なくないとか。私の親はこの件だけは違うと思っていたけれど、その手のタイプなのかもしれない。軽蔑する。これからじわじわとやってくるであろうペットロス。それを乗り越えられるかどうかも解らないのに先のペットのこと、三回忌・七回忌の費用のことを言ってくる親の気遣いのなさに呆れた。そういう人だと知ってはいたけれど、それでもあんまりだ。今は大人しく、草食の死に実感が湧くのを待つしかない。うちのも、私も。ふたりして泣いたけれど、何処かにぽっかりと穴が開いただけで、お互いに実感が伴ってはいない。うちのは昨日、仕事を休んだ。こんな日に迄普段通りに仕事をしなければならない世の中なんて間違っている、と言って。まともな人で本当に良かった。昨日のうちのと私の会話は不自然だった。草食の話題はなるべく出さないように、ふたりとも話していた。いつか自然に、思い出話ができる日はくるのだろうか。
草食と出会ったのは某ペットショップ。草食は黒と白でできていた。全体的には黒く、首周り一周と両手の先と、鼻の半分が白かった。首と手はまるでマフラーと手袋をしているようだった。店員さんに声をかけて抱かせてもらう。抱く、というより、手に乗せる。小さ過ぎて抱くこともできないのだ。それこそ、片手に収まってしまう程度の大きさ。草食は怖がりな動物で、慣れない環境に置かれると固まってしまう。私の手の上でも確か震えていたのではなかったか。草食を買ってもらい、飼い始めた。名前は私がかつて一番好きだった馬の冠を取ったもの、そのまま。けれどその名はなかなかに呼びづらく、呼び名はその名前の頭文字を取って伸ばして、ちゃん付けしたものに、いつの間にか落ち着いた。小屋には表札代わりに、その馬の単勝馬券を貼った。草食用に用意した小屋は最初とても大きく見えたけれど、もう一回り小さくても良かったか? と思っていた期間は短かった。よく食べ、よく育ち、一時期は標準よりもかなり大きくなった。獣医さんにダイエットの必要性を指摘されて、食餌管理を修正してからは痩せたが。掌に乗る位の大きさから、両掌でどうにか収まる程度に大きくなったのはどれ程かかっただろう。ハッキリとは覚えていないけれど、数ヶ月だった筈だ。それでも両掌程度の大きさのうちは抱かせてくれていた。いや、抱かせてくれていたというよりは、抵抗せずに大人しく乗ってくれていた、と書くのが正確か。抵抗するようになったのは、もう少し大きくなってから。それでも部屋中を飛び回り、昼寝している私の顔の上に本棚からダイヴしてくれたり、同様に私が寝ているときに放置していたガムテープのロールのかなりの量を齧られたりと、いろいろやってくれた。一番困ったのは、プラスチックを食べる癖がついてしまったことだ。普通は食べない。でもうちの草食は何故だか食べた。怒っても怒っても食べていた。小屋の部品は勿論のこと、当初使っていたプラスチック製のトイレをも食べていた。悩んだ末に、トイレの素材を陶器に代えた。
小屋の中や、小屋から出て部屋の中をぴょんこぴょんこと跳ね、また紙やプラスチックを好んで齧って食べていた草食。草食と暮らし始めて2〜3ヶ月の頃、実家に連れて帰った。その日は私の実家の部屋に段ボール箱を置き、草食をその中に入れていた。そして数時間出かけて戻ってくると、段ボール箱に大きな穴が! 草食が齧って穴を空けたのだ。そして脱走。ベッドの裏で元気な草食を発見して安堵。あのときは驚いた。小さな草食に、そんな力があるなんて思ってもみなかったのだ。その後、草食をダンボールのキャリーに入れて、チャリで何処だったかに出かけようとした。断念。キャリーを籠に乗せた途端に、しっこされた。ダンボールのキャリーはぐしょぐしょでもうダメ。このタイミングでするか……、というときに、よくやられた。このキャリーのときも困ったが、日常、部屋の中で放しているときによく好んで布団の上にやってきては、シャーッと。何度となく、やられた。うんこもされた。うんこはまだいいのだ。草食のうんこは丸くころころしているので、下していない限りはすぐに捨てられる。しっこは困る。何度濡れたままの布団で寝る破目になっただろう。私がひとり暮らしをしていた頃は私ひとりの我慢だったけれど、うちのと暮らし始めてからはそうも言ってられず、いつの間にか草食は部屋ではなるべく放さずに小屋で、となった。幾ら困らせられても、私らが我慢すれば良かっただけの話なのに。
雑食がくる迄は、ぴょんこぴょんこと跳ねていた草食だが、外に連れて行くと動かなかった。首輪をつけて夜、散歩がてら外に連れて行く。動かない。何度か試したけれど、やはり動かない。草食が散歩先で動くようになったのは、ここ1年位の話だ。外で跳ねる草食は伸び伸びとしていたが、連れて出た私は大変だった。蚊に喰われ捲り、草食が叢に入ろうとしたら方向転換をさせ。外に慣れ始めた草食を、出不精な私は余り散歩に連れて行かなかった。今、激しく後悔。もっともっともっともっと伸び伸びと遊ばせれば良かった。私の気分で草食を左右せず、晴れた日は毎日でも連れて行けば良かった。その分、家の中で構っていたかというと、そうでもない。トイレを覚えないことと雑食がちょっかいを出すことで、基本的には小屋の中。撫でたりはしていたけれど、大きくなってからは抱かせてはくれなくなっていた。以前、強引に抱こうとして、鳩尾に蹴りをまともに入れられたことがある。それからは抱く気が薄れてしまった。草食から進んでスキンシップを取ろうとしてきてくれたのは、ここ数ヶ月。小屋を開け放っていると、毎回ではないけれどふと気が向いたように出てきてくれた。そして私の膝や背中の上に手を置いたり。その都度、服にしっこの付いた手足を置かれる羽目になったけれど、嬉しかった。家の中でお洒落している訳でもなし、服が汚れても洗えばいいだけだし、そんなことよりも草食の方から警戒心なく私に近付いてきてくれるのが、ただただ嬉しかった。雑食を迎えて以来、やっと本当に懐いてくれた、と思えた瞬間。これからが蜜月だと信じていた。
蜜月は結局、数ヶ月で終焉。草食の死を報告したときに親は、最期の恩返しだったのかもよ、と言った。小動物に擬人化は禁忌だと思う。それに、そんな恩返しはいらなかったからもっともっと生きて欲しかった、とも思う。反面、くだらない戯言が慰めになることもある。急な、余りにも急過ぎた草食の死に親も驚いていた。けれどやはり親は親。今度動物を飼うときは云々、葬儀について云々。煩い。うちのや私の頭の中では解っている。解っているこの手のことを、第三者に言われると非常に腹が立つ。まだ悲しみもきちんとした形で通過できていないのに、何故この先飼うかどうかも解らない子の話をされねばならんのだ。しかもくどくどと。世の中には、子に恵まれない夫婦や子を授かったばかりの夫婦に、子供のことを考えてペットを捨てろ、という年寄りは少なくないとか。私の親はこの件だけは違うと思っていたけれど、その手のタイプなのかもしれない。軽蔑する。これからじわじわとやってくるであろうペットロス。それを乗り越えられるかどうかも解らないのに先のペットのこと、三回忌・七回忌の費用のことを言ってくる親の気遣いのなさに呆れた。そういう人だと知ってはいたけれど、それでもあんまりだ。今は大人しく、草食の死に実感が湧くのを待つしかない。うちのも、私も。ふたりして泣いたけれど、何処かにぽっかりと穴が開いただけで、お互いに実感が伴ってはいない。うちのは昨日、仕事を休んだ。こんな日に迄普段通りに仕事をしなければならない世の中なんて間違っている、と言って。まともな人で本当に良かった。昨日のうちのと私の会話は不自然だった。草食の話題はなるべく出さないように、ふたりとも話していた。いつか自然に、思い出話ができる日はくるのだろうか。
繋がり強制
2004年5月12日 家族・メンヘル・健康など 昔から私の家では各種行事が重んじられていた。非常に大変とても鬱陶しくて学生時代に1度、各種行事のプレゼント交換はやめようよ、と提案したことがある。親の返事は、いいよ、だった。なのにその発言の次の行事であったクリスマスか何かに、親はプレゼントをくれてきた。やめようと言い了承を得られたので、当然私は何も用意していない。笑っていない目で、こっちの気持ちだからいいのよ、と言われたときの居心地の悪さったらもう、思い出しても背筋が凍る。仕方なく、その次の行事からまたプレゼント交換を始めてしまった。誕生日・バレンタインデイ・ホワイトデイ・クリスマス・父の日・母の日・親の結婚記念日。特に結婚記念日は何が何やら。私の親の結婚は入籍日と挙式日が違っており、その両方を結婚記念日と言う。年に2回も祝えってことか、とげんなりだ。今年は結婚記念日2回をスルーした。というか、忘れていた。けれど忌々しき偶然で、たまたま親元に電話した日がその結婚記念日に当たっていた。2回とも。こちらは違う用事で電話したのだが親は、あら結婚記念日だから電話してくれたのかと思ったわ。知らん! そもそも元々祝う気はない! 結納が済んでからも、お母さんの再婚がイヤなら何時でもやめるから言って、などと綺麗事を並べていざ私が、やっぱりイヤだ、と言ったときの親の言葉を忘れてはいないのだ。今更何を言ってるの!! え? イヤなら言って、ってのは嘘だったの? 今はまあ再婚してもらって良かったとは思っているけれど、この叱咤の棘が心に刺さっている限り、本音で祝えはしない。
ともあれ2回の結婚記念日の次にやってくる行事が母の日。華麗にスルー、は何となくしづらかったので電話をかけた。体調が悪くて何も用意できなくて送ってないけど電話だけでもと思って。そう、いいわよ別に、じゃあね。普段なら1分で済む用事の電話でも、20分はどうでもいいことを話す親が3分も話さずに電話を切った。体調でも悪いのだろうか? と翌日再び電話した。この間は具合悪かったの? 大丈夫よ、今夕飯作ってるから、じゃあね。またしても3分もかかっていない。不穏。変だ。おかしい。今回母の日をスルーしようとしたのは、今や曖昧になってはいるものの去年末に絶縁したからである。何だかんだで現実には心配してくれてはいるものの、当時親がうちのに言った言葉。あの子が野垂れ死んでも知らない、それがあの子の寿命。現実がどうあれ、これも棘となって刺さっている。因って母の日はスルーしたのだ。けれど、どうやら気に食わなかった模様。絶縁後、何かをしてもらったらそれ相応のお礼はしているけれど、こちらからわざわざ何かをしたり贈ったりはしていない。いい歳こいてアレだけれど、もし親が子供の日に何かしてきていたら、私も母の日をスルーできなかっただろう。この仮定でも感謝の気持ちなどに因るものではなく、義理を返す為である。母の日同様に父の日もスルーする予定だが、これはちょっと一悶着あるかもしれない。親は、私の分はいいから父さんには何かしてあげて、と行事毎に言ってきていた。実際には自分ももらわなければ気が済まないようだが。親が父親を優先させたがるのは、血の繋がりがないことでの疎外感を父親に感じさせない為である。今思えば、妻や子供を親孝行の道具に使う夫のような発想だ。旦那孝行は女房がすればいいのに、トメトメしい。
親との不穏な電話の話をうちのにすると、あんたんとこはプレゼントで繋がってるから、と言われた。言い得て妙。むしろ核心か。贈り物をし合うことで親子の繋がりを保ってきたのは確かだ。実際私は今の父親のことを、親の旦那、としか思っていないので父の日には複雑な気持ちを持ち続けてきていた。自発的に感謝の気持ちを形にするのではなく、親に怒られると面倒だから何かを贈る。私のこんな真意に父親は気付いているのか、いないのか。どっちでもいいけれど。目先の問題は母親が機嫌を損ねていることと、父の日を華麗にスルーできるかどうかだ。それにしても。何故私は絶縁したというのに復縁もどきのような状態に陥り、更に親の機嫌を気にしているのか。実に不思議だ。親からのあれこれは何から何迄シャットアウトすればいいのに、と自らに言い聞かせようとすることもある。けれどどうにも上手くいかない。未だ、親の恐怖政治に怯えている。またいちゃもんをつけられる位なら言うことを聞いておいた方が楽だ、などとも思う。激しく不健康な思考だ。
親とふたりきりになると、あんたのことを本当に思っているのはこの世で唯一血が繋がった私だけよ、と親の離婚後から今も言われ続けている。父親がいるときには、あんたのことを本当に思っているのは私ら親だけよ、に変わる。うちのは親らと私の関係を見、あそこには返せないと判断してくれた。うちのは、おまえのことを本当に思っているのは俺だけだ、なんて言わない。この手の科白を吐く人間は、得てして言葉にすることで言霊を呼び寄せて、それが現実であるかのように相手に思わせようとする。聞く側にすれば、悪魔の呪文のようである。そして中身は伴っていない。血の繋がり、戸籍上の繋がりに何の意味があるのか、私には全く理解不能である。親の兄夫婦がその見本である。祖父の死去前は祖母を比較的大切にしていた。死去後は掌を返したように祖母に冷たくあたるようになった。それこそ葬式終了後、近所の人もいる前で祖母が泣いても口撃していた。親の兄の妻の影響もあるのだろう。何せ常識がないのか、祖父の死が嬉しかったのか、葬式で赤い花柄のパンツを穿いて台所仕事をしていた人だ。その人の影響かどうかはまあ、さて置いて。血の繋がりなんて無意味なものである。赤星たみこの「なかよし」だったか、親子の繋がりについて娘に問われた母親が言った科白。血の繋がりがそんなに信用できるものなら、どうして遺産争いなんかがあるの。読んだのがかなり昔なので科白そのままではないけれど、内容はこんな感じ。真理だと思った。今も思っている。血の繋がりを口にしつつ、プレゼントで繋がりを確認しなければ気が済まないらしい私の親。自分で思うのは勝手だが、プレゼントという点で私を巻き込むのは勘弁して欲しい。もうひとつ。何かと言えば、黒猫も歳を取れば私が今言っていることが解るわよ。歳を取れば、は、ときに、親になれば、私が死んだら、に代わる。これも勘弁願いたい。私は想像力皆無の人間ではないつもりだ。今、納得できない親の言葉はきっとこれらの状況になっても納得できない筈だ。だって間違いだらけの押し付けなのだから。今週に入ってから、ずっと心身の不調が続いている。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
ともあれ2回の結婚記念日の次にやってくる行事が母の日。華麗にスルー、は何となくしづらかったので電話をかけた。体調が悪くて何も用意できなくて送ってないけど電話だけでもと思って。そう、いいわよ別に、じゃあね。普段なら1分で済む用事の電話でも、20分はどうでもいいことを話す親が3分も話さずに電話を切った。体調でも悪いのだろうか? と翌日再び電話した。この間は具合悪かったの? 大丈夫よ、今夕飯作ってるから、じゃあね。またしても3分もかかっていない。不穏。変だ。おかしい。今回母の日をスルーしようとしたのは、今や曖昧になってはいるものの去年末に絶縁したからである。何だかんだで現実には心配してくれてはいるものの、当時親がうちのに言った言葉。あの子が野垂れ死んでも知らない、それがあの子の寿命。現実がどうあれ、これも棘となって刺さっている。因って母の日はスルーしたのだ。けれど、どうやら気に食わなかった模様。絶縁後、何かをしてもらったらそれ相応のお礼はしているけれど、こちらからわざわざ何かをしたり贈ったりはしていない。いい歳こいてアレだけれど、もし親が子供の日に何かしてきていたら、私も母の日をスルーできなかっただろう。この仮定でも感謝の気持ちなどに因るものではなく、義理を返す為である。母の日同様に父の日もスルーする予定だが、これはちょっと一悶着あるかもしれない。親は、私の分はいいから父さんには何かしてあげて、と行事毎に言ってきていた。実際には自分ももらわなければ気が済まないようだが。親が父親を優先させたがるのは、血の繋がりがないことでの疎外感を父親に感じさせない為である。今思えば、妻や子供を親孝行の道具に使う夫のような発想だ。旦那孝行は女房がすればいいのに、トメトメしい。
親との不穏な電話の話をうちのにすると、あんたんとこはプレゼントで繋がってるから、と言われた。言い得て妙。むしろ核心か。贈り物をし合うことで親子の繋がりを保ってきたのは確かだ。実際私は今の父親のことを、親の旦那、としか思っていないので父の日には複雑な気持ちを持ち続けてきていた。自発的に感謝の気持ちを形にするのではなく、親に怒られると面倒だから何かを贈る。私のこんな真意に父親は気付いているのか、いないのか。どっちでもいいけれど。目先の問題は母親が機嫌を損ねていることと、父の日を華麗にスルーできるかどうかだ。それにしても。何故私は絶縁したというのに復縁もどきのような状態に陥り、更に親の機嫌を気にしているのか。実に不思議だ。親からのあれこれは何から何迄シャットアウトすればいいのに、と自らに言い聞かせようとすることもある。けれどどうにも上手くいかない。未だ、親の恐怖政治に怯えている。またいちゃもんをつけられる位なら言うことを聞いておいた方が楽だ、などとも思う。激しく不健康な思考だ。
親とふたりきりになると、あんたのことを本当に思っているのはこの世で唯一血が繋がった私だけよ、と親の離婚後から今も言われ続けている。父親がいるときには、あんたのことを本当に思っているのは私ら親だけよ、に変わる。うちのは親らと私の関係を見、あそこには返せないと判断してくれた。うちのは、おまえのことを本当に思っているのは俺だけだ、なんて言わない。この手の科白を吐く人間は、得てして言葉にすることで言霊を呼び寄せて、それが現実であるかのように相手に思わせようとする。聞く側にすれば、悪魔の呪文のようである。そして中身は伴っていない。血の繋がり、戸籍上の繋がりに何の意味があるのか、私には全く理解不能である。親の兄夫婦がその見本である。祖父の死去前は祖母を比較的大切にしていた。死去後は掌を返したように祖母に冷たくあたるようになった。それこそ葬式終了後、近所の人もいる前で祖母が泣いても口撃していた。親の兄の妻の影響もあるのだろう。何せ常識がないのか、祖父の死が嬉しかったのか、葬式で赤い花柄のパンツを穿いて台所仕事をしていた人だ。その人の影響かどうかはまあ、さて置いて。血の繋がりなんて無意味なものである。赤星たみこの「なかよし」だったか、親子の繋がりについて娘に問われた母親が言った科白。血の繋がりがそんなに信用できるものなら、どうして遺産争いなんかがあるの。読んだのがかなり昔なので科白そのままではないけれど、内容はこんな感じ。真理だと思った。今も思っている。血の繋がりを口にしつつ、プレゼントで繋がりを確認しなければ気が済まないらしい私の親。自分で思うのは勝手だが、プレゼントという点で私を巻き込むのは勘弁して欲しい。もうひとつ。何かと言えば、黒猫も歳を取れば私が今言っていることが解るわよ。歳を取れば、は、ときに、親になれば、私が死んだら、に代わる。これも勘弁願いたい。私は想像力皆無の人間ではないつもりだ。今、納得できない親の言葉はきっとこれらの状況になっても納得できない筈だ。だって間違いだらけの押し付けなのだから。今週に入ってから、ずっと心身の不調が続いている。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
勿体無い病vsダラ体質
2004年5月11日 家族・メンヘル・健康など ここのところまた夜更かしが続いていた為うちのから、どんなに遅くとも3時には布団に入れ、との厳命が下された。それができなければPCを窓から投げ捨てる、と。捨てるだけなら未だしも、窓から投げ捨てる、とすらっと口をつくあたり、どんなに否定しようとうちのもねらーだ。以前にも3時には布団に入ると約束したことが何度もあるものの、うちのが3時を過ぎても起きていると、まだいいかな? と私もずるずると起き続けていたのだ。PCを捨てられると困るので3時には布団に入らねば。という感じで、昨日一昨日は2時過ぎに布団に入った。一昨日はいい。問題は昨日だ。眠剤を入れて布団に入って文庫を捲りつつ睡魔を待つ。待つ。待つ……待てど暮らせどきやしねえ。布団の中でうだうだと過ごすこと、小2時間以上。私が処方薬を受け取っている薬局の薬剤師曰く、眠剤が内臓に負担をかけるのは確か、けれど寝られないストレスよりはその負担の方が余程マシ。内臓に負担をかけた上にストレスを感じるとはコレ如何に。睡眠を諦めて、起きた。ぼけーっとかちゅ〜しゃ巡回とネットオークションのチェック。ぼけーっとしているうちに、8時になってうちのの目覚ましが鳴った。ので、コンビニに出かけた。うちのが先日から朝食にコーンフレークを食べ始めた。なのに牛乳を切らしていたのだ。買って戻って朝食を出して出勤を見送って洗濯。先々週から、月曜には大量の洗濯物が溜まるようになった。うちのの水泳と、ふたりで始めたヨガでタオル類や衣類を沢山使うから。洗濯機を2回回して干し終えたところで、ちょうどいい時間。今日は久々に歯科の予約日だったのだ。
前回ドタキャンしてしまったので、今日は口内クリーニングの仕上げ。着色と歯石を取ってもらった。一体何で取っているのだろうと訊ねると、水と超音波を出す機械、とのこと。超音波! 何だかとっても凄い物のようである。その凄い物で口内を弄くられること小一時間。鏡を渡され、見たら綺麗になっていた。綺麗とは、クリーニング前との比較であり他者との比較ではない。元々私の歯の色はよろしくないのである。それこそ喫煙の習慣がつく前から、煙草吸ってるの? と他者に訊かれる程に歯の色が悪い。けれど今日クリーニングし終わったときの色が限界だそうな。漂白迄しようとは思わないし、そんな金はないので、不本意ながらこれで良しとしなければならない。綺麗になって嬉しいやら、限界を思い知らされたようで悲しいやら。とはいえ、磨いても磨いても取れなかった脂が取れ、舌で歯に触れたときのざらざら感がなくなったので気分はいい。クリーニング終了後、衛生士さんにお願いして、歯の磨き方の講習を受けた。正しい歯の磨き方、というのは時代と共に変化している。子供の頃に歯科で教わったこと、数年前に親が歯科で教わったのをそのまま伝授してくれたこと、それぞれ違っていた。この数年は親から伝授された磨き方をしていたのだが、今はまた違う磨き方がベストとされているらしい。素朴な作業も科学的日進月歩。
以前親から伝授された磨き方。まず歯ブラシに歯磨き粉を少量つけて歯ブラシを縦に構える。そして小刻みに上下に動かし、表からも裏からも歯間を丁寧に磨いていく。今日教わった磨き方。歯ブラシを横に構える。そして歯周ポケットに当たるように斜めに歯ブラシをつけて小刻みに横に動かす。前ではなく奥の方を磨くときは、歯ブラシの柄が唇や前歯の真ん中に当たるようにする。とのこと。全然違うじゃないか! たった数年でこんなに変わるのか、歯の磨き方ってものは。今朝迄の磨き方を訊かれて答えると、通りで歯間は割と綺麗でしたよ、と。今は歯間よりも歯周ポケットに歯科業界は重点を置いているのだろうか。よく解らないけれど、これからは今日教わった磨き方で綺麗さを保っていこう。恥を晒すような話だが、実は私は余り歯磨きをしない。理由はただただ面倒だから。蛇足として顔も余り洗わない。これらの作業を他者は毎日朝晩の日課として行っているようだが、私にはどちらも他者に不快感を与えない為の行動であり、入浴と同じカテゴリに入っている。あ。もしかしたら他者も歯磨き・洗顔・入浴は同じカテゴリかもしれない。ただそのカテゴリが、自分が爽快感を味わう為か、他者に不快感を与えない為かという違いだけで。
何度となく書いていることだが、私は勿体無い病に罹っている。因って今日クリーニングしてもらった歯を、早々汚くはしたくない。今のところは日々こまめに歯磨きをして綺麗さを保ちたく思っている。これは勿体無い病人故。しかし同時にダラ体質でもある。どちらが勝つのか、自分でも解らない。勿体無い病が勝てば歯磨きの習慣がつくだろうし、ダラが勝てば歯磨きの回数は再び減るだろう。できれば前者に勝って欲しいのは言う迄もない。次回からはやっと虫歯の治療に入るらしい。まずは痛くて駆け込んで現在炎症を引かせている最中の歯から取り掛かるのだそうな。小さめの虫歯から取り掛かるのはどの歯科でも定石なのか。小さいのからいくんですね、と言うと歯科医が、大きいところからいく? と選択肢をくれた。暫し逡巡した末、小さいところからお願いした。大きいところは抜歯が伴うので怖いのだ。この話のときに、次回からは痛いんですね、と言うと、痛くないよ、などと言う。歯科恐怖症の私は、嘘つけ! と思いつつ、いえ毎回治療のときには泣くんで、と言った。麻酔をするから大丈夫だよ、その麻酔の注射が痛くて泣くんです、痛くないように麻酔の注射をするから。本当だな? 絶対だな? もし本当に私を泣かせずに麻酔の注射をできるとしたら、その歯科医はかなりの名医だろう。今迄世話になった歯科医の全員が私を泣かせてきたのだ。この、泣く、は、泣く程痛い、というのではない。いい歳こいて、本当に麻酔注射の痛みで泪を流してきた。今日の歯科での会計待ちのときに、歯科からのお知らせのようなものが目に入った。ああ、そうだ。この歯科は笑気ガス使用歯科だった。もしかしたら笑気ガス後なら麻酔注射も痛くないかも、と前に思ったではないか。すっかり忘れていた相変わらずの鳥頭。次回は前回のように寝坊しないよう、午後に予約を入れた。
前回ドタキャンしてしまったので、今日は口内クリーニングの仕上げ。着色と歯石を取ってもらった。一体何で取っているのだろうと訊ねると、水と超音波を出す機械、とのこと。超音波! 何だかとっても凄い物のようである。その凄い物で口内を弄くられること小一時間。鏡を渡され、見たら綺麗になっていた。綺麗とは、クリーニング前との比較であり他者との比較ではない。元々私の歯の色はよろしくないのである。それこそ喫煙の習慣がつく前から、煙草吸ってるの? と他者に訊かれる程に歯の色が悪い。けれど今日クリーニングし終わったときの色が限界だそうな。漂白迄しようとは思わないし、そんな金はないので、不本意ながらこれで良しとしなければならない。綺麗になって嬉しいやら、限界を思い知らされたようで悲しいやら。とはいえ、磨いても磨いても取れなかった脂が取れ、舌で歯に触れたときのざらざら感がなくなったので気分はいい。クリーニング終了後、衛生士さんにお願いして、歯の磨き方の講習を受けた。正しい歯の磨き方、というのは時代と共に変化している。子供の頃に歯科で教わったこと、数年前に親が歯科で教わったのをそのまま伝授してくれたこと、それぞれ違っていた。この数年は親から伝授された磨き方をしていたのだが、今はまた違う磨き方がベストとされているらしい。素朴な作業も科学的日進月歩。
以前親から伝授された磨き方。まず歯ブラシに歯磨き粉を少量つけて歯ブラシを縦に構える。そして小刻みに上下に動かし、表からも裏からも歯間を丁寧に磨いていく。今日教わった磨き方。歯ブラシを横に構える。そして歯周ポケットに当たるように斜めに歯ブラシをつけて小刻みに横に動かす。前ではなく奥の方を磨くときは、歯ブラシの柄が唇や前歯の真ん中に当たるようにする。とのこと。全然違うじゃないか! たった数年でこんなに変わるのか、歯の磨き方ってものは。今朝迄の磨き方を訊かれて答えると、通りで歯間は割と綺麗でしたよ、と。今は歯間よりも歯周ポケットに歯科業界は重点を置いているのだろうか。よく解らないけれど、これからは今日教わった磨き方で綺麗さを保っていこう。恥を晒すような話だが、実は私は余り歯磨きをしない。理由はただただ面倒だから。蛇足として顔も余り洗わない。これらの作業を他者は毎日朝晩の日課として行っているようだが、私にはどちらも他者に不快感を与えない為の行動であり、入浴と同じカテゴリに入っている。あ。もしかしたら他者も歯磨き・洗顔・入浴は同じカテゴリかもしれない。ただそのカテゴリが、自分が爽快感を味わう為か、他者に不快感を与えない為かという違いだけで。
何度となく書いていることだが、私は勿体無い病に罹っている。因って今日クリーニングしてもらった歯を、早々汚くはしたくない。今のところは日々こまめに歯磨きをして綺麗さを保ちたく思っている。これは勿体無い病人故。しかし同時にダラ体質でもある。どちらが勝つのか、自分でも解らない。勿体無い病が勝てば歯磨きの習慣がつくだろうし、ダラが勝てば歯磨きの回数は再び減るだろう。できれば前者に勝って欲しいのは言う迄もない。次回からはやっと虫歯の治療に入るらしい。まずは痛くて駆け込んで現在炎症を引かせている最中の歯から取り掛かるのだそうな。小さめの虫歯から取り掛かるのはどの歯科でも定石なのか。小さいのからいくんですね、と言うと歯科医が、大きいところからいく? と選択肢をくれた。暫し逡巡した末、小さいところからお願いした。大きいところは抜歯が伴うので怖いのだ。この話のときに、次回からは痛いんですね、と言うと、痛くないよ、などと言う。歯科恐怖症の私は、嘘つけ! と思いつつ、いえ毎回治療のときには泣くんで、と言った。麻酔をするから大丈夫だよ、その麻酔の注射が痛くて泣くんです、痛くないように麻酔の注射をするから。本当だな? 絶対だな? もし本当に私を泣かせずに麻酔の注射をできるとしたら、その歯科医はかなりの名医だろう。今迄世話になった歯科医の全員が私を泣かせてきたのだ。この、泣く、は、泣く程痛い、というのではない。いい歳こいて、本当に麻酔注射の痛みで泪を流してきた。今日の歯科での会計待ちのときに、歯科からのお知らせのようなものが目に入った。ああ、そうだ。この歯科は笑気ガス使用歯科だった。もしかしたら笑気ガス後なら麻酔注射も痛くないかも、と前に思ったではないか。すっかり忘れていた相変わらずの鳥頭。次回は前回のように寝坊しないよう、午後に予約を入れた。
現在5月12日。
先日nyの開発者が逮捕された。その夜の報道をうちのとふたりで見ていた。先に口を開いたのはうちのだ。嫌だねえ。確かに嫌だ。何が嫌って偏向報道が嫌なのだ。P2Pの何たるかも伝えずにnyは違法コピーソフト交換の温床のように、いやらしいオブラートに包んで説明する。何も知らない人がこの報道を見れば、ny=悪い物、と思ってしまうだろう。例えば自分で作曲した音楽を自主的に流す、自分で撮った映画を自主的に流す。ここには何ひとつ違法な行動は含まれていない。それこそnyを無料コミケとして使うことだって可能な訳だ。しかし大半の利用者はそういう使い方をしない。他者が著作権を握っている何かをコピーして流す。nyも拳銃も刀も同じ。物が悪いのではなく、使う者の問題なのだ。真に逮捕されるべきは、ny開発者ではなくnyで違法コピーを流したり落としたりしている者の筈だ。なのに何故、開発者が捕まるのか。うちのも私も見解は同じ。見せしめでしかない。ny開発者が逮捕されるならば、同時にMX開発者も逮捕されなければおかしい。どうしてny開発者が捕まってしまったのだろう。どうして見せしめの標的にされたのか。思い当たる節は幾つもある。nyで公安や自衛隊の機密が流されたことが真っ先に思い出される。そして開発者は東大大学院助手。これも話題性に於いて有効だ。極めつけは2ちゃんねらだったこと。マスコミの多くは2ちゃんねるを目の敵にしている。もしny開発者がyahoo!掲示板から出てきた者なら逮捕はなかったかもしれない。権力と大手マスコミが一体になっている構図が私の脳内には描かれている。余談だがこの報道内でnyの画像が映り、このように検索できる、と例に挙げられていたときの検索単語は、AV、だった。よりによってソレかい。
うちのとの会話で私は上記のような物ではなく者が悪いという話をし、これは京都府警の勇み足で釈放されるのではないか、と言った。うちのは、いやこのまま〜〜幇助罪とかが適用されるのでは、との意見。確かにそれはあり得る。権力は面子に拘る。滅多なことでは己のミスを認めない。私の親戚に某府警下に勤めている者がいる。その親戚の子供である私の従弟はnyなどを新譜DLに利用している。PCそのものは父親との共用。要するに府警下に勤める者が子供のny利用を黙認しているのだ。激しい矛盾を感じた。念の為に従弟に電話して、ny利用の自粛を推奨しておいた。この従弟の母親は子供のP2P利用に頭を悩ませていた。どう注意していいか解らない、と。きっかけができて良かったな、と嫌味ったらしく思った。思っただけで当人に言わなかった辺りが我ながら大人である。この開発者逮捕を受けてきっとny利用者は減り、MXが更に混むようになるのだろう。見せしめ逮捕に味を占めてMX開発者やそれぞれの利用者も全員しょっ引けばいいのに、と考えたりもする。刑務所はいっぱい〜……にはならないのだろうな。開発者がどうなるかは解らないけれど、利用者は精々罰金刑だろう。けれどここに法的落とし穴。執行猶予は猶予が明けたらチャラ。罰金刑は何処まで行っても前科者。
違法コピーソフトの交換はnyやMXだけではない。メッセなどでも可能だし、それこそ自分で焼いて友人に贈与することも可能。と、なると。教科書をなくした友人にコピーしてそれをあげたりもらったりすること、本やCDやビデオやDVDを友人と貸し借りすること。こういった日常的に行われている諸々と何の違いがあるのだろう。今挙げた例は極狭い範囲での共有だ。nyやMXのような広範囲での共有と違うと考えることもできなくはない。できなくはないけれど、MXでは他者をシャットアウトして少数の相手とIMを交わしつつ大量交換をする者もいる。そしてそのままその相手と友人になることもある。すると、きっかけは広範囲ながらも結局は挟範囲での友人同士の共有となり、さっき書いた例と変わりなくなるように思える。市販されている著作物の多くは、個人で楽しむこと、と定義された上で販売されている物が多い。前日某スレを読んでいたら、旦那の趣味は私と一緒にDVDを観賞すること、と書いている人がいた。ポイントは、私と一緒に、だ。その旦那はひとりでDVDを観賞することではなく、他者と共に観賞することに楽しみを見出している。この、他者と共に観賞、を旦那個人の楽しみとするならば、さてはて線引きは何処になるのか。1度専門家に見解を聞いてみたいところだ。
全く違う報道番組の話。少し前にテレビを見ていたら、マイケル・ジャクソン容疑者のニュースが流れていた。弄り過ぎて物凄い顔になっちゃってるなあ、と苦笑した後に大爆笑。次のニュースは国連関係の話だった。そのとき国連会議に出てきた何だったかの役職の人の名前が、マイケル・ジャクソンだった。当然別人であり、風貌も全く違う。これは明らかにウケ狙いだろう! としか思えないニュースの順番。腹を抱えて笑わせてもらった。視聴者へのウケ狙い、とすぐさま思ったけれど、もしかしたらアナウンサーへの嫌がらせかもしれない。私がこの順番でニュースを読めと言われたら、絶対に後方のニュースはまともに読み上げられない。ひとりで笑って視聴者には何も伝えられなくなるだろう。アナウンサーは流石プロであり笑うことなくニュースを伝えていたけれど、見ていたこちらが爆笑して止まらなかったので何のニュースだか全く記憶に残っていない。ウケ狙いだったとしたら、きっとどうでもいいようなニュースだったのだろう。話は戻って。兎角2ちゃんねるが絡む報道には偏りが感じられて仕方がない。そしてねらーなうちのや私はその都度、脱力感を覚える。2ちゃんねるが報道されるときは、まず悪いニュースだ。そんなニュースの連発により2ちゃんねるを知らない人は、あそこは犯罪の温床サイト、と印象付けられる。実際は全く以ってそんなことはない。確かに犯罪予告などもある。けれど極々極々少数の話であり、何百とも言われる板・その板それぞれにある何百というスレの9割方は情報交換や雑談で盛り上がっている。偏向報道を鵜呑みにして近付かない人は、そんな9割を知らずに過ごしている。他人事なのでどうでもいいけれど、勿体無い気もする。2ちゃんねるの多くの板にUDという白血病解析のスレがある。同士を募って白血病の解析を進めよう、という運動のようなもので私も数年前から参加している。全世界でチーム2chは1位2位を争う程に貢献しているのだが、そんな報道は全くない。淋しい話である。
と、書いてから某ニュースサイトを見たら私と同意見の識者が多数いて安心。やはり末端ユーザの問題なのだ。
先日nyの開発者が逮捕された。その夜の報道をうちのとふたりで見ていた。先に口を開いたのはうちのだ。嫌だねえ。確かに嫌だ。何が嫌って偏向報道が嫌なのだ。P2Pの何たるかも伝えずにnyは違法コピーソフト交換の温床のように、いやらしいオブラートに包んで説明する。何も知らない人がこの報道を見れば、ny=悪い物、と思ってしまうだろう。例えば自分で作曲した音楽を自主的に流す、自分で撮った映画を自主的に流す。ここには何ひとつ違法な行動は含まれていない。それこそnyを無料コミケとして使うことだって可能な訳だ。しかし大半の利用者はそういう使い方をしない。他者が著作権を握っている何かをコピーして流す。nyも拳銃も刀も同じ。物が悪いのではなく、使う者の問題なのだ。真に逮捕されるべきは、ny開発者ではなくnyで違法コピーを流したり落としたりしている者の筈だ。なのに何故、開発者が捕まるのか。うちのも私も見解は同じ。見せしめでしかない。ny開発者が逮捕されるならば、同時にMX開発者も逮捕されなければおかしい。どうしてny開発者が捕まってしまったのだろう。どうして見せしめの標的にされたのか。思い当たる節は幾つもある。nyで公安や自衛隊の機密が流されたことが真っ先に思い出される。そして開発者は東大大学院助手。これも話題性に於いて有効だ。極めつけは2ちゃんねらだったこと。マスコミの多くは2ちゃんねるを目の敵にしている。もしny開発者がyahoo!掲示板から出てきた者なら逮捕はなかったかもしれない。権力と大手マスコミが一体になっている構図が私の脳内には描かれている。余談だがこの報道内でnyの画像が映り、このように検索できる、と例に挙げられていたときの検索単語は、AV、だった。よりによってソレかい。
うちのとの会話で私は上記のような物ではなく者が悪いという話をし、これは京都府警の勇み足で釈放されるのではないか、と言った。うちのは、いやこのまま〜〜幇助罪とかが適用されるのでは、との意見。確かにそれはあり得る。権力は面子に拘る。滅多なことでは己のミスを認めない。私の親戚に某府警下に勤めている者がいる。その親戚の子供である私の従弟はnyなどを新譜DLに利用している。PCそのものは父親との共用。要するに府警下に勤める者が子供のny利用を黙認しているのだ。激しい矛盾を感じた。念の為に従弟に電話して、ny利用の自粛を推奨しておいた。この従弟の母親は子供のP2P利用に頭を悩ませていた。どう注意していいか解らない、と。きっかけができて良かったな、と嫌味ったらしく思った。思っただけで当人に言わなかった辺りが我ながら大人である。この開発者逮捕を受けてきっとny利用者は減り、MXが更に混むようになるのだろう。見せしめ逮捕に味を占めてMX開発者やそれぞれの利用者も全員しょっ引けばいいのに、と考えたりもする。刑務所はいっぱい〜……にはならないのだろうな。開発者がどうなるかは解らないけれど、利用者は精々罰金刑だろう。けれどここに法的落とし穴。執行猶予は猶予が明けたらチャラ。罰金刑は何処まで行っても前科者。
違法コピーソフトの交換はnyやMXだけではない。メッセなどでも可能だし、それこそ自分で焼いて友人に贈与することも可能。と、なると。教科書をなくした友人にコピーしてそれをあげたりもらったりすること、本やCDやビデオやDVDを友人と貸し借りすること。こういった日常的に行われている諸々と何の違いがあるのだろう。今挙げた例は極狭い範囲での共有だ。nyやMXのような広範囲での共有と違うと考えることもできなくはない。できなくはないけれど、MXでは他者をシャットアウトして少数の相手とIMを交わしつつ大量交換をする者もいる。そしてそのままその相手と友人になることもある。すると、きっかけは広範囲ながらも結局は挟範囲での友人同士の共有となり、さっき書いた例と変わりなくなるように思える。市販されている著作物の多くは、個人で楽しむこと、と定義された上で販売されている物が多い。前日某スレを読んでいたら、旦那の趣味は私と一緒にDVDを観賞すること、と書いている人がいた。ポイントは、私と一緒に、だ。その旦那はひとりでDVDを観賞することではなく、他者と共に観賞することに楽しみを見出している。この、他者と共に観賞、を旦那個人の楽しみとするならば、さてはて線引きは何処になるのか。1度専門家に見解を聞いてみたいところだ。
全く違う報道番組の話。少し前にテレビを見ていたら、マイケル・ジャクソン容疑者のニュースが流れていた。弄り過ぎて物凄い顔になっちゃってるなあ、と苦笑した後に大爆笑。次のニュースは国連関係の話だった。そのとき国連会議に出てきた何だったかの役職の人の名前が、マイケル・ジャクソンだった。当然別人であり、風貌も全く違う。これは明らかにウケ狙いだろう! としか思えないニュースの順番。腹を抱えて笑わせてもらった。視聴者へのウケ狙い、とすぐさま思ったけれど、もしかしたらアナウンサーへの嫌がらせかもしれない。私がこの順番でニュースを読めと言われたら、絶対に後方のニュースはまともに読み上げられない。ひとりで笑って視聴者には何も伝えられなくなるだろう。アナウンサーは流石プロであり笑うことなくニュースを伝えていたけれど、見ていたこちらが爆笑して止まらなかったので何のニュースだか全く記憶に残っていない。ウケ狙いだったとしたら、きっとどうでもいいようなニュースだったのだろう。話は戻って。兎角2ちゃんねるが絡む報道には偏りが感じられて仕方がない。そしてねらーなうちのや私はその都度、脱力感を覚える。2ちゃんねるが報道されるときは、まず悪いニュースだ。そんなニュースの連発により2ちゃんねるを知らない人は、あそこは犯罪の温床サイト、と印象付けられる。実際は全く以ってそんなことはない。確かに犯罪予告などもある。けれど極々極々少数の話であり、何百とも言われる板・その板それぞれにある何百というスレの9割方は情報交換や雑談で盛り上がっている。偏向報道を鵜呑みにして近付かない人は、そんな9割を知らずに過ごしている。他人事なのでどうでもいいけれど、勿体無い気もする。2ちゃんねるの多くの板にUDという白血病解析のスレがある。同士を募って白血病の解析を進めよう、という運動のようなもので私も数年前から参加している。全世界でチーム2chは1位2位を争う程に貢献しているのだが、そんな報道は全くない。淋しい話である。
と、書いてから某ニュースサイトを見たら私と同意見の識者が多数いて安心。やはり末端ユーザの問題なのだ。
現在、5月10日。
一昨日、10年以上の付き合いになる友人とメッセで会話。うちの近所で行われている工事について散々愚痴を溢させてもらった。菓子折りは勿論のこと挨拶のひとつもなく、建て壊し及び再建築がいつの間にか開始された。これがまた煩い。激しく煩い。難聴になったり気狂いになっりしたら診断書付の内容証明で慰謝料を請求しよう! と、うちのと怒りあう程に煩い。私が日常の中で一番長くいるこの場所、PCデスクから直線距離にして20mもない場所で朝から晩迄ドンガラと騒ぎ立てる。やり場のないこの怒りはいつ迄続くのか。あんなこんなの私のストレッサーについて話して友人に、ストレスはないか? と訊いてみた。友人は、ストレスは特にないけれど楽しくない、とのこと。突っ込んで話を進めていくと、予め誰かが用意した、ほらコレは楽しいことだよ、的な物に対して一切楽しさを見出せないとか。これは私も同じなので気持ちはよく解るつもり。遊園地や大作と呼ばれる映画など、殆ど面白いと思えない。ほらココが叫ぶところ、ほらココは笑うところ。そんなのは人それぞれであり、いちいち反応すべきところをセッティングされているものは詰まらない。こういう共通点がこの友人と長く続いているポイントのひとつなのかな、と思った。で、そんな風に他者に楽しいという感情を半ば強要された何かを楽しめない者は、もっと違うものに楽しみを見出すしかない。これがなかなか難しい。そこで私が提案したのは、ランナーズ・ハイのようなものを求めたらどうか。生活から適度に距離があるもの。密着しすぎていてもよくないし、離れすぎていてもよくない。私がヨガやウォーキングを始めたように、友人も走ったりしてみてはどうか、と。すると友人は前々からヨガに興味があったと言い出した。流れは然るべくして私が通い始めた教室の話になる。URLを送り、行ってみての感想や長所・短所を話した。彼女の家からも遠くないこともあり、1度体験レッスンに行ってみようかな、となった。彼女は彼女でヨガ教室を探していたらしい。そして幾つかの教室に1日体験を申し込んだり申し込もうとしたりしたが、なかなか上手く行かなかったようだ。というのも、友人の仕事には定休日というものが存在しない。シフト制なので休みがまちまちであり、勤務時間もまちまちであり、毎週決まった時間にレッスンを受けるのは不可能なのだ。この難点に私が通いだした教室は、無期限のチケット制導入で上手く対応している。
そんな話をした翌日である昨日、うちのと共に2回目のレッスンに行ってきた。私たちが行った回の前はそれなりの生徒さんがいて、私たちが受けた回の生徒はうちのと私のふたりだけ。良かった。大人数でのレッスンはなるべく避けたい。私は口呼吸が身についていて鼻呼吸は意識しないとできず、呼吸に意識を集中するとポーズが上手く取れない。それ以前に体が硬いので呼吸云々を別にしてもポーズは下手だ。他の生徒さんの足手纏いになることは想像に難くない。レッスン開始から暫くすると自分の世界に入る。隣にいるうちのが気にならなくなる。が、先生の声を聞いていると、どうやらうちのも、体が硬かったり男性特有の骨格及びぽっちゃりした体型についている贅肉が邪魔をして、上手くポーズを取れていないらしい。もしかしたら先生からのアドバイスは私へのものより、うちのへのものの方が多かったかもしれない。私は独学していたことが多少なりとも役立っているようだ。立ちポーズが一通り終わると、水飲み休憩。そのとき先生に、貴方方は日本一体が硬いカップルかもしれない、と苦笑された。私は、日本一体が硬い、と言われ慣れているのだが、うちのにはショックだったようだ。けれどこの話やレッスン中の会話で、この先生がいい先生だと思った。体が硬く呼吸も下手な生徒は、教える側にしたら厄介だ。なのに厄介払いをしようとはせず、何かのポーズにふたりして苦戦しているときに、これは教えるこちらの課題ですね、と言っていた。体が硬い=ヨガに不向き=いない方がマシな生徒、ではなく、厄介な生徒=教える側が勉強しよう、と考えてくれるのは嬉しい。また口呼吸が身についている私に、鼻の通りが良くなる市販薬も教えてくれた。この日記を書き終えたら、それを買いに行く予定。それにしても私は腹筋を使うポーズが悉くできない。生まれてこの方、仰向けに寝て頭の後ろに手を置き腹に力を入れて臍を見る腹筋運動はできるけれど、上体を起こす腹筋運動はできたことがないのだ。背筋については問題ないようだけれど。腹筋と膝を伸ばすことが目下の課題である。鼻呼吸とポーズが連動しないことを相談すると、まずはポーズを覚えてそれから鼻呼吸を合わせるようにした方がいい、とのこと。次回からは余裕を持ってできるポーズのときのみ鼻呼吸を意識して、それ以外では遠慮なく口呼吸でやらせてもらうこと決定。
レッスン後、うちのとお茶を飲んで外食して帰宅。お茶を飲みつつ話しているときに、ひとつ気付いたこと。私は寝ポーズのときに方向転換をして屍のポーズに移る際にくらくらする。三半規管が弱いんでしょうかね、などと先生と話していた。うちのは、ホットヨガ故に暑さの所為もあるのではないか、と言っていた。それで成程、と。屍のポーズに移る際のくらくらは何かに似ていると思っていた、その謎が解けた気がした。バスなどの乗り物は大概涼しめの温度設定になっている。その方が乗り物酔いを避け易いからだ。暑い車内は酔いを増幅させる。何かに似ている、の正体は、暑い車で本格的に酔う間際の感覚、だった。元々が乗り物酔いし易い体質。納得である。ヨガは自律神経に訊くという。先生曰く、片足で立つポーズは特に自律神経の弱まりに効くらしい。自律神経と三半規管は関係しているのかどうか、私はまだ知らない。自律神経が正常になるうちに三半規管も強くなればいいなあ、と思った。また先生はPDについても調べてくれたらしい。うちのが言うには、病気持ちの生徒に何かあったら困るからだろう、とのことだが、私は入ったばかりの生徒への気遣いと受け取り、嬉しくなった。ただやはりまだまだ先生のPDへの理解は甘い。PDといえば広場恐怖が主な症状であり、やはりそこに着目してしまったようだ。私のは親との諸々で、主に精神的衝撃を受けたときに発作が出ると説明した。尤も、最近は騒音ストレスの為か、日常的に予期不安状態が続いているのだが。騒音から離れ、暑い教室で文字通り滴る汗をかいた後は気持ちがいい。久々に昨日は熟睡できた。良き哉、良き哉。
一昨日、10年以上の付き合いになる友人とメッセで会話。うちの近所で行われている工事について散々愚痴を溢させてもらった。菓子折りは勿論のこと挨拶のひとつもなく、建て壊し及び再建築がいつの間にか開始された。これがまた煩い。激しく煩い。難聴になったり気狂いになっりしたら診断書付の内容証明で慰謝料を請求しよう! と、うちのと怒りあう程に煩い。私が日常の中で一番長くいるこの場所、PCデスクから直線距離にして20mもない場所で朝から晩迄ドンガラと騒ぎ立てる。やり場のないこの怒りはいつ迄続くのか。あんなこんなの私のストレッサーについて話して友人に、ストレスはないか? と訊いてみた。友人は、ストレスは特にないけれど楽しくない、とのこと。突っ込んで話を進めていくと、予め誰かが用意した、ほらコレは楽しいことだよ、的な物に対して一切楽しさを見出せないとか。これは私も同じなので気持ちはよく解るつもり。遊園地や大作と呼ばれる映画など、殆ど面白いと思えない。ほらココが叫ぶところ、ほらココは笑うところ。そんなのは人それぞれであり、いちいち反応すべきところをセッティングされているものは詰まらない。こういう共通点がこの友人と長く続いているポイントのひとつなのかな、と思った。で、そんな風に他者に楽しいという感情を半ば強要された何かを楽しめない者は、もっと違うものに楽しみを見出すしかない。これがなかなか難しい。そこで私が提案したのは、ランナーズ・ハイのようなものを求めたらどうか。生活から適度に距離があるもの。密着しすぎていてもよくないし、離れすぎていてもよくない。私がヨガやウォーキングを始めたように、友人も走ったりしてみてはどうか、と。すると友人は前々からヨガに興味があったと言い出した。流れは然るべくして私が通い始めた教室の話になる。URLを送り、行ってみての感想や長所・短所を話した。彼女の家からも遠くないこともあり、1度体験レッスンに行ってみようかな、となった。彼女は彼女でヨガ教室を探していたらしい。そして幾つかの教室に1日体験を申し込んだり申し込もうとしたりしたが、なかなか上手く行かなかったようだ。というのも、友人の仕事には定休日というものが存在しない。シフト制なので休みがまちまちであり、勤務時間もまちまちであり、毎週決まった時間にレッスンを受けるのは不可能なのだ。この難点に私が通いだした教室は、無期限のチケット制導入で上手く対応している。
そんな話をした翌日である昨日、うちのと共に2回目のレッスンに行ってきた。私たちが行った回の前はそれなりの生徒さんがいて、私たちが受けた回の生徒はうちのと私のふたりだけ。良かった。大人数でのレッスンはなるべく避けたい。私は口呼吸が身についていて鼻呼吸は意識しないとできず、呼吸に意識を集中するとポーズが上手く取れない。それ以前に体が硬いので呼吸云々を別にしてもポーズは下手だ。他の生徒さんの足手纏いになることは想像に難くない。レッスン開始から暫くすると自分の世界に入る。隣にいるうちのが気にならなくなる。が、先生の声を聞いていると、どうやらうちのも、体が硬かったり男性特有の骨格及びぽっちゃりした体型についている贅肉が邪魔をして、上手くポーズを取れていないらしい。もしかしたら先生からのアドバイスは私へのものより、うちのへのものの方が多かったかもしれない。私は独学していたことが多少なりとも役立っているようだ。立ちポーズが一通り終わると、水飲み休憩。そのとき先生に、貴方方は日本一体が硬いカップルかもしれない、と苦笑された。私は、日本一体が硬い、と言われ慣れているのだが、うちのにはショックだったようだ。けれどこの話やレッスン中の会話で、この先生がいい先生だと思った。体が硬く呼吸も下手な生徒は、教える側にしたら厄介だ。なのに厄介払いをしようとはせず、何かのポーズにふたりして苦戦しているときに、これは教えるこちらの課題ですね、と言っていた。体が硬い=ヨガに不向き=いない方がマシな生徒、ではなく、厄介な生徒=教える側が勉強しよう、と考えてくれるのは嬉しい。また口呼吸が身についている私に、鼻の通りが良くなる市販薬も教えてくれた。この日記を書き終えたら、それを買いに行く予定。それにしても私は腹筋を使うポーズが悉くできない。生まれてこの方、仰向けに寝て頭の後ろに手を置き腹に力を入れて臍を見る腹筋運動はできるけれど、上体を起こす腹筋運動はできたことがないのだ。背筋については問題ないようだけれど。腹筋と膝を伸ばすことが目下の課題である。鼻呼吸とポーズが連動しないことを相談すると、まずはポーズを覚えてそれから鼻呼吸を合わせるようにした方がいい、とのこと。次回からは余裕を持ってできるポーズのときのみ鼻呼吸を意識して、それ以外では遠慮なく口呼吸でやらせてもらうこと決定。
レッスン後、うちのとお茶を飲んで外食して帰宅。お茶を飲みつつ話しているときに、ひとつ気付いたこと。私は寝ポーズのときに方向転換をして屍のポーズに移る際にくらくらする。三半規管が弱いんでしょうかね、などと先生と話していた。うちのは、ホットヨガ故に暑さの所為もあるのではないか、と言っていた。それで成程、と。屍のポーズに移る際のくらくらは何かに似ていると思っていた、その謎が解けた気がした。バスなどの乗り物は大概涼しめの温度設定になっている。その方が乗り物酔いを避け易いからだ。暑い車内は酔いを増幅させる。何かに似ている、の正体は、暑い車で本格的に酔う間際の感覚、だった。元々が乗り物酔いし易い体質。納得である。ヨガは自律神経に訊くという。先生曰く、片足で立つポーズは特に自律神経の弱まりに効くらしい。自律神経と三半規管は関係しているのかどうか、私はまだ知らない。自律神経が正常になるうちに三半規管も強くなればいいなあ、と思った。また先生はPDについても調べてくれたらしい。うちのが言うには、病気持ちの生徒に何かあったら困るからだろう、とのことだが、私は入ったばかりの生徒への気遣いと受け取り、嬉しくなった。ただやはりまだまだ先生のPDへの理解は甘い。PDといえば広場恐怖が主な症状であり、やはりそこに着目してしまったようだ。私のは親との諸々で、主に精神的衝撃を受けたときに発作が出ると説明した。尤も、最近は騒音ストレスの為か、日常的に予期不安状態が続いているのだが。騒音から離れ、暑い教室で文字通り滴る汗をかいた後は気持ちがいい。久々に昨日は熟睡できた。良き哉、良き哉。
現在5月10日。
うちには現在4つのPCがある。ふたつはもう使っておらず、残りふたつを各自が自分専用に使っている。うちのはノート、私のはデスクトップ。昨夜、何とはなしにうちのがノートPCに向っているときに後ろでごろごろしていた。うちのがPCを開く場所は居間兼寝室だから。ごろごろしつつうちののPCにふと目をやると、かちゅ〜しゃを使用中。かちゅ〜しゃには巡回スレが入っていて、うちのが普段どんなスレを見ているのかが、図らずしも垣間見えてしまった。不倫・浮気板のスレがふたつ……。ゴルァ! と私が言っても無理はなかろう。なんでそんなとこ見てるんじゃ! そういうことをしてるってことかい!? いや、別に病気さえ持ち込まなければしてもいいのだが。セックスレスだし。すると、うちのは逆切れ。覗くなよ! お前が見るなら俺も見る! と私のPCに行き、私はちらっと垣間見ただけでそのときに目に止まった不倫・浮気板について突っ込んだだけなのに、うちのは私のかちゅ〜しゃ巡回スレを全部見やがった。見られて困るスレはないからいいのだが。けれどうちのは、なんじゃこりゃ、と。私が主に常駐しているのは化粧板・鬼女板・家庭板。化粧とダラ奥系しか入っていない鬼女はともかく、家庭板の内容にちょっとカチンときた模様。常から私はうちのに、臨戦態勢ばっちりだね、と苦笑しつつ小莫迦にされている。それは家庭板で対トメ・コトメスレを読んでいるからだ。しかしそのトメコトメ系スレの多さに呆れたらしい。まだ籍も入れてなくて姑も小姑もなかろうに、なんでこんなに読んでるんだよ! 理由など訊くまでもなかろう。今後籍を入れた後の対策及びイメトレの為である。大体うちのと結婚すれば、漏れなくウトメとコトメふたりがついてくる。しかも手強そうなコトメたち。しかもうちのは長男。備えあれば憂いなし。嫁、特に長男嫁には戦う相手が多いのだ。取得スレ一覧に並ぶスレタイの中の、トメ、という単語がうちのには解らなかったらしい。まあ、普通はそうかもしれない。訊いてきたのは、うちのトメ様世界一、を見たときだ。トメって何? 姑のこと。世界一スレを入れてあるのは、仲良くする気もあるのだ、トメ次第だがな、のアピールである。コトメ世界一スレもあれば余計にアピール度が増しただろうが、どうやらそういうスレがないということは、世にはいいコトメが少ないということなのだろう。
ついでにうちのは私のIEお気に入り迄くまなくチェックしていった。私はそこ迄見ていないのに。ちらっとうちののかちゅ〜しゃの中身が見えてしまっただけなのに。止めてもマウスを動かすうちのの手は止まらず、適当な名前で隠してあったお気に入りエロサイトも見られてしまった。うちのは軽く驚いていた。私のお気に入りエロサイトはどれもSM系だから。きっとまだその趣味が残っているのか、と思ったのだろう。性的嗜好は変えられるものではないのだ。別に良いではないか。それを生活に持ち込んでいる訳でなし。それともうちのとしては、それを持ち込んででもセックスレスを解消したいのか。無理だ。付き合い始めた頃、私の性的嗜好にうちのが合わせてくれていたこともある。けれど無理を感じた。うちのはとことんノーマルであり、上手くリードはしてくれない。こちらがリードしようにもノーマルなうちのは、そんなことしたら痛いのでは? 幾ら相手が望んでいるとはいえ可哀相では? と思うようで流れが止まる。そうなると、ノーマルではダメという訳でもない私が譲ることになる。このすれ違いがレスの原因ではないけれど、レスなのにお気に入りにエロサイトが入っていたことは、やっぱりうちのにはキツかっただろうか。知らん。止めても見たがったのはうちのだ。
ウトメとコトメの話に戻り。うちののコトメは手強そうだ。長く付き合っている彼氏はいるが結婚話が出ていない、双方に結婚願望の薄い友人カップルがおり、その友人にウトメとコトメの話をしたことがある。コトメと私の会話を幾つか披露すると、ひぃ、と言っていた。以前うちのに、うちのの出身地の地域住民性を訊いたことがある。曰く、客にはにこにこと手厚く歓迎するものの客が帰ったら客の品定めをする、とのこと。それは住民性なのか? 単に嫌な奴らなのではないのか? 激しく疑問である。1度、にこにこと手厚く歓迎はされたが、その後の品定めで私はどのような評価を受けたのだろう。そもそも手厚い歓迎の中でも少なからず攻防戦はあったりしたので、かなり気になる。うちののコトメ2から2度、こんな言葉が出てきた。黒猫ちゃんは本当にうちののことが好きなのねえ。好きだ。が、しかし。まるでその言われようだと、私ひとりがうちのの尻を追い掛け回しているようではないか。失礼な。このことをうちのに言うと、姉さんは日頃の俺らの生活を見ていないからだよ、と流された。ヘタレ旦那にならないよう、教育の必要性を感じた。私もうちののことは好きだが、多分うちのの方が私のことを好きなのではないか、と思えることが往々にある。例えば、私が東風荘で遊んでいるときに、一緒にコンビニに行きたいうちのの方が待っていたり、一緒に布団に入ったときにはスキンシップ取りたさにうちのの方が私に抱きついてきたり。
最近ちょっと気がついた。どうも精神的なところで男女性が逆になっている部分があるのではないか。布団の中での抱きつきもそのひとつ。他にはうちのが私の女性雑誌を読んでいるときに私は競艇漫画を読んでいたり、うちのがテレビを見ているときに私が麻雀をしていたり。生活に問題はないけれどときには、これって……、と思わなくもない。男らしさ・女らしさ、という言葉は嫌いだ。微妙にズレが生じているところで、うちでは男らしさや女らしさをお互いに求めずに済んでいるのかもしれないので、これはこれでいいのか。問題は他者である。周囲はうちのに男らしさを求め、私には女らしさを求める。鬱陶しいったらこの上ない。求めてくるのはトメ・コトメ。前にうちのが電話でトメだかコトメだかから、部屋は綺麗にしているの? あんたは綺麗好きだから、みたいなことを言われたらしい。暗に私への嫌味である。トメ・コトメ・コトメ旦那がうちに来たとき、私は精一杯の掃除をしたがそれでもまだ汚いと思われたようで、因って私の掃除は行き届いていない、と考えられている様子。実際に住んでいる私らがいいと思っているのだから余計なお世話だ。臨戦態勢をより固める為、スレ巡回は日課となっている。
うちには現在4つのPCがある。ふたつはもう使っておらず、残りふたつを各自が自分専用に使っている。うちのはノート、私のはデスクトップ。昨夜、何とはなしにうちのがノートPCに向っているときに後ろでごろごろしていた。うちのがPCを開く場所は居間兼寝室だから。ごろごろしつつうちののPCにふと目をやると、かちゅ〜しゃを使用中。かちゅ〜しゃには巡回スレが入っていて、うちのが普段どんなスレを見ているのかが、図らずしも垣間見えてしまった。不倫・浮気板のスレがふたつ……。ゴルァ! と私が言っても無理はなかろう。なんでそんなとこ見てるんじゃ! そういうことをしてるってことかい!? いや、別に病気さえ持ち込まなければしてもいいのだが。セックスレスだし。すると、うちのは逆切れ。覗くなよ! お前が見るなら俺も見る! と私のPCに行き、私はちらっと垣間見ただけでそのときに目に止まった不倫・浮気板について突っ込んだだけなのに、うちのは私のかちゅ〜しゃ巡回スレを全部見やがった。見られて困るスレはないからいいのだが。けれどうちのは、なんじゃこりゃ、と。私が主に常駐しているのは化粧板・鬼女板・家庭板。化粧とダラ奥系しか入っていない鬼女はともかく、家庭板の内容にちょっとカチンときた模様。常から私はうちのに、臨戦態勢ばっちりだね、と苦笑しつつ小莫迦にされている。それは家庭板で対トメ・コトメスレを読んでいるからだ。しかしそのトメコトメ系スレの多さに呆れたらしい。まだ籍も入れてなくて姑も小姑もなかろうに、なんでこんなに読んでるんだよ! 理由など訊くまでもなかろう。今後籍を入れた後の対策及びイメトレの為である。大体うちのと結婚すれば、漏れなくウトメとコトメふたりがついてくる。しかも手強そうなコトメたち。しかもうちのは長男。備えあれば憂いなし。嫁、特に長男嫁には戦う相手が多いのだ。取得スレ一覧に並ぶスレタイの中の、トメ、という単語がうちのには解らなかったらしい。まあ、普通はそうかもしれない。訊いてきたのは、うちのトメ様世界一、を見たときだ。トメって何? 姑のこと。世界一スレを入れてあるのは、仲良くする気もあるのだ、トメ次第だがな、のアピールである。コトメ世界一スレもあれば余計にアピール度が増しただろうが、どうやらそういうスレがないということは、世にはいいコトメが少ないということなのだろう。
ついでにうちのは私のIEお気に入り迄くまなくチェックしていった。私はそこ迄見ていないのに。ちらっとうちののかちゅ〜しゃの中身が見えてしまっただけなのに。止めてもマウスを動かすうちのの手は止まらず、適当な名前で隠してあったお気に入りエロサイトも見られてしまった。うちのは軽く驚いていた。私のお気に入りエロサイトはどれもSM系だから。きっとまだその趣味が残っているのか、と思ったのだろう。性的嗜好は変えられるものではないのだ。別に良いではないか。それを生活に持ち込んでいる訳でなし。それともうちのとしては、それを持ち込んででもセックスレスを解消したいのか。無理だ。付き合い始めた頃、私の性的嗜好にうちのが合わせてくれていたこともある。けれど無理を感じた。うちのはとことんノーマルであり、上手くリードはしてくれない。こちらがリードしようにもノーマルなうちのは、そんなことしたら痛いのでは? 幾ら相手が望んでいるとはいえ可哀相では? と思うようで流れが止まる。そうなると、ノーマルではダメという訳でもない私が譲ることになる。このすれ違いがレスの原因ではないけれど、レスなのにお気に入りにエロサイトが入っていたことは、やっぱりうちのにはキツかっただろうか。知らん。止めても見たがったのはうちのだ。
ウトメとコトメの話に戻り。うちののコトメは手強そうだ。長く付き合っている彼氏はいるが結婚話が出ていない、双方に結婚願望の薄い友人カップルがおり、その友人にウトメとコトメの話をしたことがある。コトメと私の会話を幾つか披露すると、ひぃ、と言っていた。以前うちのに、うちのの出身地の地域住民性を訊いたことがある。曰く、客にはにこにこと手厚く歓迎するものの客が帰ったら客の品定めをする、とのこと。それは住民性なのか? 単に嫌な奴らなのではないのか? 激しく疑問である。1度、にこにこと手厚く歓迎はされたが、その後の品定めで私はどのような評価を受けたのだろう。そもそも手厚い歓迎の中でも少なからず攻防戦はあったりしたので、かなり気になる。うちののコトメ2から2度、こんな言葉が出てきた。黒猫ちゃんは本当にうちののことが好きなのねえ。好きだ。が、しかし。まるでその言われようだと、私ひとりがうちのの尻を追い掛け回しているようではないか。失礼な。このことをうちのに言うと、姉さんは日頃の俺らの生活を見ていないからだよ、と流された。ヘタレ旦那にならないよう、教育の必要性を感じた。私もうちののことは好きだが、多分うちのの方が私のことを好きなのではないか、と思えることが往々にある。例えば、私が東風荘で遊んでいるときに、一緒にコンビニに行きたいうちのの方が待っていたり、一緒に布団に入ったときにはスキンシップ取りたさにうちのの方が私に抱きついてきたり。
最近ちょっと気がついた。どうも精神的なところで男女性が逆になっている部分があるのではないか。布団の中での抱きつきもそのひとつ。他にはうちのが私の女性雑誌を読んでいるときに私は競艇漫画を読んでいたり、うちのがテレビを見ているときに私が麻雀をしていたり。生活に問題はないけれどときには、これって……、と思わなくもない。男らしさ・女らしさ、という言葉は嫌いだ。微妙にズレが生じているところで、うちでは男らしさや女らしさをお互いに求めずに済んでいるのかもしれないので、これはこれでいいのか。問題は他者である。周囲はうちのに男らしさを求め、私には女らしさを求める。鬱陶しいったらこの上ない。求めてくるのはトメ・コトメ。前にうちのが電話でトメだかコトメだかから、部屋は綺麗にしているの? あんたは綺麗好きだから、みたいなことを言われたらしい。暗に私への嫌味である。トメ・コトメ・コトメ旦那がうちに来たとき、私は精一杯の掃除をしたがそれでもまだ汚いと思われたようで、因って私の掃除は行き届いていない、と考えられている様子。実際に住んでいる私らがいいと思っているのだから余計なお世話だ。臨戦態勢をより固める為、スレ巡回は日課となっている。
現在、5月8日。
一昨日辺りからうちのがまた、禁煙する、と宣言した。今週末からやめるぞ、と。因みに今うちのは、缶チューハイを飲みつつ煙草を吸いつつPCに向っている。うちのが宣言をしてすぐ、だらだらと薀蓄のような理由のようなとにかく長くなることが明白な話が始まる前に、巻き込むな、と私は言った。禁煙するのはいい。けれど、禁煙する気が全くない私にそれを強いるな、と。うちのはちょくちょく禁煙宣言をする。しかし煙草は決して切らさない。やめる気なんて本当はないんじゃないか、と小一時間(以下略。禁煙宣言のときに必ず出る台詞は、煙草代が勿体無い、である。今回も出た。ふたりでやめれば月に2万は浮く、その分2万高い家賃のところに住めるぞ。やめたいと思っているうちのの煙草代の分だけ高い家賃のところで、私は満足だ。何が悲しくて煙草をやめねばならんのだ。喫煙習慣も薬物中毒の一種だ、とも言う。そんなことは当然知っている。知っていることを言われるだけならまだいいのだけれど、あれこれあったうちのがコレを言うか。おまいにだけは言われたくない。なら煙草という薬物中毒を治してギャンブル中毒が再発したらどうする? と訊くと、今迄の煙草代の範囲内ならいい、と答えられた。うちのは知らないらしい。麻雀やパチや競馬に集中すると、私の喫煙本数は倍増することを。壁や天井が黄ばむのが嫌だ、とも言っていた。これも言われたくない。うちのも私も、かつてトイレに長居する際に喫煙する習慣があった。しかしこれは去年の大掃除以降、私が禁止令を敷いた。ユニットバスの天井を掃除するのは大変だったから。なのに。うちのはたまにこの禁止令を忘れて、トイレで喫煙してしまう。毎度注意するのは私である。
うちのが禁煙するにあたり、協力をしてくれ、と言われた。その内容は、同室では煙草を吸わない・なるべく換気扇の下で・できればベランダで・できれば一切吸わないで。……巻き込むな、と先に念を押したのだが。今度引っ越したらそこでは禁煙、とも言われた。理由は壁などが黄ばむから。そこは無問題である。というのも、引っ越すとしたらそこでは家具などを入れる前に雑食が壁を引っ掻いても傷がつかないように全面に保護シートを貼る予定だから。そう言うと、天井だけ黄ばむではないか、と言われた。ならば天井に、キッチンスペースに油跳ねでの汚れを防ぐようなシートを貼る迄だ。自分たち、そして雑食や草食の健康の為にも禁煙した方がいい、とも言っていた。雑食や草食の近くではなるべく吸わないようにしているし、私自身は禁煙して長生きよりも喫煙して短命の方がいいので余計なお世話だ。うちのが禁煙したら雑食や草食に対してしているように、うちのにも副流煙が行かないようには気をつけるけれど。この辺り迄話したところで、うちのが目新しいことを言い出した。薬物中毒と喫煙に関して。煙草はローな気分をニュートラルに戻すだけであり、ローやニュートラルからアップさせてくれる訳ではない。薬物だというのにハイになれない物に金を使うのは如何なものか。ふむ。確かに一理ありそうな……って、誤魔化されるものか! ローからニュートラルに戻してくれるだけでも私には充分だし、それを言い出すと私が処方されている向精神薬の類はどうなる。処方薬の話をしたら、それは病気への薬だから。解るような、解らんような。まだ口唇期からの脱出や成長を持ち出して話された方が納得できるかもしれない。とはいえ、禁煙に巻き込まれたくないという私の意思は物凄い勢いで固く、禁煙を促されるとその勢いは加速する。
うちのが禁煙云々言い出したのは、先週からのヨガ・水泳による健康志向生活を更に1歩進めたいからだ。どうぞ進めてくれ給え。勝手に。ひとりで。私を巻き込まずに。私が実家を出てひとり暮らしを始めた理由のひとつに、家で喫煙できないから、というのがある。子供の頃から親に、女は子供を産む迄は煙草を吸ってはならない、と洗脳されていたからだ。高校時代に煙草を覚えて20歳を過ぎてからも、洗脳してきた相手の前で煙草を吸う勇気が私にはなかった。なので社会人になってからの日々の帰宅時間は、仕事は夕方で終わっているのに深夜から明け方。文庫本などを持ち込んで近所のファーストフード店の喫煙席で過ごしていた。激しく窮屈な生活。ひとり暮らしを始めてからは部屋にもトイレにも灰皿を常備。それでも実家に帰ったり親にあったりするときは非喫煙者のふりをしていた。ひとりで母方の実家に行くときに新幹線の切符を取ってもらったことがある。禁煙席だ。私はそれを受け取り、早めに駅に行って喫煙席に変えてもらった。またひとり暮らししていた部屋に、親がアポなし訪問してきたことがある。そこで親は非喫煙者の部屋らしからぬ匂いに気がついた。そして出た言葉が、あんたマリファナ吸ってんじゃないでしょうね!? 何故、法的に許可されている煙草をすっ飛ばして違法な草を連想するのか。やっぱり私の親はアレだ。喫煙がバレた時期は覚えていないが、バレても特に怒られたりはしなかった。むしろ、実家に帰ると私の吸っている銘柄の煙草が用意されていたり。アレな親だけれど、煙草についてだけは意見が合う。先日、親と共に祖母の見舞いに向ったときの話。深夜バスの待合ロビーで、私たちは当然喫煙コーナーに行った。喫煙コーナーは禁煙コーナーよりも人が多くて親は、こんなに喫煙者はいるのにねえ、と昨今の喫煙者への社会の冷遇を嘆いた。同意だ。
煙草が違法嗜好品となれば、私も禁煙するだろう。しかし今は法的に許可されているし、値上げで法外な価格にでもならない限りやめる気はない。うちのの禁煙宣言は、喫煙者冷遇の社会の影響もあるだろう。喫茶店に入ると、大抵は喫煙席と禁煙席に分かれている。中には完全禁煙を売りにしている店もある。打ち合わせなどで相手が非喫煙者だったり禁煙成功者だと、うちのも喫煙席には行き難かろう。それは今回の禁煙宣言の中でも出てきた話だ。最近打ち合わせで禁煙に成功している人に何人か会ったんだけどさー、と。うちのとそれらの人の違い。打ち合わせで席に着く際にうちのが喫煙者だと知っている及び知った相手は、じゃあ喫煙席ですね、と禁煙席をうちのに強要したりすることはなかったようだ。他者を巻き込まない、いい禁煙成功者だと思った。世の中でイタイと思う人の類に、禁煙に成功して嫌煙家になってしまった人、というのがいる。嫌煙ということは煙草が意識上にあるということだ。吸わないだけで、禁煙、と言えるのか、私は疑問である。うちのが禁煙に成功したら、外ではともかく私に対しては嫌煙家を気取りそうでイヤだ。うちのもこのままずるずると喫煙者でいてくれることを願う。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
一昨日辺りからうちのがまた、禁煙する、と宣言した。今週末からやめるぞ、と。因みに今うちのは、缶チューハイを飲みつつ煙草を吸いつつPCに向っている。うちのが宣言をしてすぐ、だらだらと薀蓄のような理由のようなとにかく長くなることが明白な話が始まる前に、巻き込むな、と私は言った。禁煙するのはいい。けれど、禁煙する気が全くない私にそれを強いるな、と。うちのはちょくちょく禁煙宣言をする。しかし煙草は決して切らさない。やめる気なんて本当はないんじゃないか、と小一時間(以下略。禁煙宣言のときに必ず出る台詞は、煙草代が勿体無い、である。今回も出た。ふたりでやめれば月に2万は浮く、その分2万高い家賃のところに住めるぞ。やめたいと思っているうちのの煙草代の分だけ高い家賃のところで、私は満足だ。何が悲しくて煙草をやめねばならんのだ。喫煙習慣も薬物中毒の一種だ、とも言う。そんなことは当然知っている。知っていることを言われるだけならまだいいのだけれど、あれこれあったうちのがコレを言うか。おまいにだけは言われたくない。なら煙草という薬物中毒を治してギャンブル中毒が再発したらどうする? と訊くと、今迄の煙草代の範囲内ならいい、と答えられた。うちのは知らないらしい。麻雀やパチや競馬に集中すると、私の喫煙本数は倍増することを。壁や天井が黄ばむのが嫌だ、とも言っていた。これも言われたくない。うちのも私も、かつてトイレに長居する際に喫煙する習慣があった。しかしこれは去年の大掃除以降、私が禁止令を敷いた。ユニットバスの天井を掃除するのは大変だったから。なのに。うちのはたまにこの禁止令を忘れて、トイレで喫煙してしまう。毎度注意するのは私である。
うちのが禁煙するにあたり、協力をしてくれ、と言われた。その内容は、同室では煙草を吸わない・なるべく換気扇の下で・できればベランダで・できれば一切吸わないで。……巻き込むな、と先に念を押したのだが。今度引っ越したらそこでは禁煙、とも言われた。理由は壁などが黄ばむから。そこは無問題である。というのも、引っ越すとしたらそこでは家具などを入れる前に雑食が壁を引っ掻いても傷がつかないように全面に保護シートを貼る予定だから。そう言うと、天井だけ黄ばむではないか、と言われた。ならば天井に、キッチンスペースに油跳ねでの汚れを防ぐようなシートを貼る迄だ。自分たち、そして雑食や草食の健康の為にも禁煙した方がいい、とも言っていた。雑食や草食の近くではなるべく吸わないようにしているし、私自身は禁煙して長生きよりも喫煙して短命の方がいいので余計なお世話だ。うちのが禁煙したら雑食や草食に対してしているように、うちのにも副流煙が行かないようには気をつけるけれど。この辺り迄話したところで、うちのが目新しいことを言い出した。薬物中毒と喫煙に関して。煙草はローな気分をニュートラルに戻すだけであり、ローやニュートラルからアップさせてくれる訳ではない。薬物だというのにハイになれない物に金を使うのは如何なものか。ふむ。確かに一理ありそうな……って、誤魔化されるものか! ローからニュートラルに戻してくれるだけでも私には充分だし、それを言い出すと私が処方されている向精神薬の類はどうなる。処方薬の話をしたら、それは病気への薬だから。解るような、解らんような。まだ口唇期からの脱出や成長を持ち出して話された方が納得できるかもしれない。とはいえ、禁煙に巻き込まれたくないという私の意思は物凄い勢いで固く、禁煙を促されるとその勢いは加速する。
うちのが禁煙云々言い出したのは、先週からのヨガ・水泳による健康志向生活を更に1歩進めたいからだ。どうぞ進めてくれ給え。勝手に。ひとりで。私を巻き込まずに。私が実家を出てひとり暮らしを始めた理由のひとつに、家で喫煙できないから、というのがある。子供の頃から親に、女は子供を産む迄は煙草を吸ってはならない、と洗脳されていたからだ。高校時代に煙草を覚えて20歳を過ぎてからも、洗脳してきた相手の前で煙草を吸う勇気が私にはなかった。なので社会人になってからの日々の帰宅時間は、仕事は夕方で終わっているのに深夜から明け方。文庫本などを持ち込んで近所のファーストフード店の喫煙席で過ごしていた。激しく窮屈な生活。ひとり暮らしを始めてからは部屋にもトイレにも灰皿を常備。それでも実家に帰ったり親にあったりするときは非喫煙者のふりをしていた。ひとりで母方の実家に行くときに新幹線の切符を取ってもらったことがある。禁煙席だ。私はそれを受け取り、早めに駅に行って喫煙席に変えてもらった。またひとり暮らししていた部屋に、親がアポなし訪問してきたことがある。そこで親は非喫煙者の部屋らしからぬ匂いに気がついた。そして出た言葉が、あんたマリファナ吸ってんじゃないでしょうね!? 何故、法的に許可されている煙草をすっ飛ばして違法な草を連想するのか。やっぱり私の親はアレだ。喫煙がバレた時期は覚えていないが、バレても特に怒られたりはしなかった。むしろ、実家に帰ると私の吸っている銘柄の煙草が用意されていたり。アレな親だけれど、煙草についてだけは意見が合う。先日、親と共に祖母の見舞いに向ったときの話。深夜バスの待合ロビーで、私たちは当然喫煙コーナーに行った。喫煙コーナーは禁煙コーナーよりも人が多くて親は、こんなに喫煙者はいるのにねえ、と昨今の喫煙者への社会の冷遇を嘆いた。同意だ。
煙草が違法嗜好品となれば、私も禁煙するだろう。しかし今は法的に許可されているし、値上げで法外な価格にでもならない限りやめる気はない。うちのの禁煙宣言は、喫煙者冷遇の社会の影響もあるだろう。喫茶店に入ると、大抵は喫煙席と禁煙席に分かれている。中には完全禁煙を売りにしている店もある。打ち合わせなどで相手が非喫煙者だったり禁煙成功者だと、うちのも喫煙席には行き難かろう。それは今回の禁煙宣言の中でも出てきた話だ。最近打ち合わせで禁煙に成功している人に何人か会ったんだけどさー、と。うちのとそれらの人の違い。打ち合わせで席に着く際にうちのが喫煙者だと知っている及び知った相手は、じゃあ喫煙席ですね、と禁煙席をうちのに強要したりすることはなかったようだ。他者を巻き込まない、いい禁煙成功者だと思った。世の中でイタイと思う人の類に、禁煙に成功して嫌煙家になってしまった人、というのがいる。嫌煙ということは煙草が意識上にあるということだ。吸わないだけで、禁煙、と言えるのか、私は疑問である。うちのが禁煙に成功したら、外ではともかく私に対しては嫌煙家を気取りそうでイヤだ。うちのもこのままずるずると喫煙者でいてくれることを願う。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
熱発の悪寒
2004年5月6日 メイク・ファッション・ピアス 現在、5月8日。
勘違いしていた。スティラの今回の限定品は8日発売開始、予約者受け渡しは明日からだと思っていた。今確認したら、7日発売で予約者受け渡しは今日からの模様。……勘違いしていたってことは、それ程今回の限定に期待していなかったということなのだろうか。予約をキャンセルしようかどうしようか迷っている。最近は余りメイクをしない所為で記憶が薄れていたけれど、以前買ったホリデイアイブックのクールルックはピンク系、今回予約しているフレグランスカラーブックのクレームブーケもピンク系。実物を見てから受け取るかどうかを決めた方が良さそうだ。スティラの限定で萌えるのは3パンと6パンブック。本当は今回グリーン系のジェードブロッサムが欲しかったのだけれど、ブルーベースには難しいという話を聞いて、ピンク系のクレームブーケを予約。スティラなので現物を見ないでの予約は当然。チラシは見たけれど、そこに掲載されている色味を見る限りだと以前購入したブックに似ていそうな。パール加減が所有ブックと違っていれば購入するか。今になって迷っているクレームブーケをすぐさま予約したのは、単なるルックス買いである。スティラのシャドウやチークの品質は可もなく不可もなく。色出しは好きだが、持ちやパンの大きさや価格をひっくるめて考えると、どうにもお得感はない。お得感がないのに嵌ってしまったのは一昨年だったか。初スティラはトライパンのウィンターブルース。これは正にブルーベースの為に作られたかのような色出しで、目が当人比1.5倍になる素晴らしき代物だった。同時期に発売されたスノーブルームも素晴らしかった。この2品でもうスティラの虜。
その後、ダイキリシリーズをふたつと上記ホリデイアイブックを購入。で、今回のフレグランスカラーブックをどうしようかなあ、と。メイク自体は今でも好きだし興味もあるのだけれど如何せんヒキコモリなので、メイクをしたところで肌に負担をかけるだけ、という気持ちが抜けない。なのにコスメはちょこちょこと増えている。新発売や限定品で、余り高価でなければついつい買ってしまっている。今は亡きFSPの物もまだまだ沢山残っているというのに、だ。スティラの受け取りを迷っている最中にも拘らず、更にアウェイクのアイブロウパウダー迄気になり始めた。言わずもがな、数ヶ月前に購入したアナスイのアイブロウパウダーはたんまりと残っている。そもそも基礎物やお粉でなければ、コスメの減りなんて遅い。眉なんて使う範囲が狭いので、シャドウやチークの比ではないくらいに減らない。かつてほぼ使い切ったと言えるアイブロウパウダーは、アユーラの3色のだけだ。アナスイでアイブロウパウダーが発売されたときは、確かワックス入りだとかで、こりゃあ持ちがいい筈だ! とわくわくしながら買いに行った記憶が。日本撤退してしまったベネフィットのアイブロウもワックス入りで評判が良く、購入を迷い始めたときには撤退の噂が立っていて諦めた経緯があるので待ちに待ったワックス入りだったと言ってもいい。これで当分は落ち着くつもりだったのに、アウェイクが繊維入りのアイブロウパウダーを出してきた。繊維入りアイブロウパウダーと言えば、ディグニータ。これはテスターで試したことがあるのみ。アイブロウに4000円はキツいと思って見送ったのだ。ディグニータよりもやや価格を下げてアウェイクから……、アウェイクは大高姐さんのお気に入りブランド……。待て! メイクをする機会が激減し且つ減りが遅い商品をストックしてどうする! しかも私はアイブロウを気分で使い分けるようなタイプではないではないか! やめよう。自重しよう。節約しよう。
殊更にコスメに使う金を節約しようと思う理由。現在ネットオークションのウォッチリストにかなりの品数が入っている。殆どが衣類。ナショナルスタンダードのデニムジャケットで競り負けてから、妙にネットオークションのチェック回数が増えた。そしてチェックする度に何かしらの気になる商品が出ている。衣類の趣味の守備範囲が広過ぎるのだろうか。ガーリッシュだ何だと言いつつ、サイラスの商品迄覗いている。サイラスはガーリッシュではないと解っているのに。スカラーもガーリッシュとは違うのに。増してやオゾンやヒスは言う迄もなく。あ、この春はまだジャケットを着ていない。5月にもなって、クローゼットにしまうのが面倒で出しっ放しにしているスプリングコートかカーディガンで誤魔化している。収納されっ放しのコキュのカバーオールが泣いていそうだ。しかも同じ形で黒と茶があったりする。茶は未着用。着なきゃなあ。と、思うのが良くないのだろう。着なきゃ、という言葉には何となく義務感がある。着よう・着たい、が楽しくお洒落する為の心構えで最も大切だと思っているのに、この有様。文字通り山とある衣類の中に、未着用品が沢山埋もれている。勿体無いから着なきゃなあ。勿体無いお化けの弊害がここにもあったか。流行り物が好きな性格なら良かったのに、と思うことがある。それなら旬を過ぎた物は処分せざるを得なくなるから。民族物やレトロ物好きの落とし穴。ここらでいい加減に考え方を変える必要があるのだろう。それにはまた衣類処分月間を設けなければならなさそうで、悲しい。うちにウォークインクローゼットがあって、入浴担当のメイドがいて、ヘアメイクアーティストがいれば悩まずに済むのに。ウォークインクローゼットは憧れだ。実家には親専用のウォークインクローゼットがある。私の部屋には壁一面を使ったかなりの大きさのクローゼットがあった。賃貸暮らしはつらい。うちのは今、足を伸ばして入れる風呂が欲しいらしい。私も欲しい。解決策は引越しなのか。引っ越せば解決するのか。今度引っ越したら、ピアノが欲しいなあ、と漠然と考えている。子供の頃に習っていて今では何も弾けない。再度、習いたい。ヨガといい、お稽古事熱が出てき始めている模様。お稽古事熱はさて置くも、ピアノは場所を取る。その分部屋は狭くなる。結果、生活スペースが今と変わらなければ、その引越しには意味がない。ピアノが置けて、山のような服が収納できて、大きめの風呂があって。家賃を想像すると本物の熱が出そうだ。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
勘違いしていた。スティラの今回の限定品は8日発売開始、予約者受け渡しは明日からだと思っていた。今確認したら、7日発売で予約者受け渡しは今日からの模様。……勘違いしていたってことは、それ程今回の限定に期待していなかったということなのだろうか。予約をキャンセルしようかどうしようか迷っている。最近は余りメイクをしない所為で記憶が薄れていたけれど、以前買ったホリデイアイブックのクールルックはピンク系、今回予約しているフレグランスカラーブックのクレームブーケもピンク系。実物を見てから受け取るかどうかを決めた方が良さそうだ。スティラの限定で萌えるのは3パンと6パンブック。本当は今回グリーン系のジェードブロッサムが欲しかったのだけれど、ブルーベースには難しいという話を聞いて、ピンク系のクレームブーケを予約。スティラなので現物を見ないでの予約は当然。チラシは見たけれど、そこに掲載されている色味を見る限りだと以前購入したブックに似ていそうな。パール加減が所有ブックと違っていれば購入するか。今になって迷っているクレームブーケをすぐさま予約したのは、単なるルックス買いである。スティラのシャドウやチークの品質は可もなく不可もなく。色出しは好きだが、持ちやパンの大きさや価格をひっくるめて考えると、どうにもお得感はない。お得感がないのに嵌ってしまったのは一昨年だったか。初スティラはトライパンのウィンターブルース。これは正にブルーベースの為に作られたかのような色出しで、目が当人比1.5倍になる素晴らしき代物だった。同時期に発売されたスノーブルームも素晴らしかった。この2品でもうスティラの虜。
その後、ダイキリシリーズをふたつと上記ホリデイアイブックを購入。で、今回のフレグランスカラーブックをどうしようかなあ、と。メイク自体は今でも好きだし興味もあるのだけれど如何せんヒキコモリなので、メイクをしたところで肌に負担をかけるだけ、という気持ちが抜けない。なのにコスメはちょこちょこと増えている。新発売や限定品で、余り高価でなければついつい買ってしまっている。今は亡きFSPの物もまだまだ沢山残っているというのに、だ。スティラの受け取りを迷っている最中にも拘らず、更にアウェイクのアイブロウパウダー迄気になり始めた。言わずもがな、数ヶ月前に購入したアナスイのアイブロウパウダーはたんまりと残っている。そもそも基礎物やお粉でなければ、コスメの減りなんて遅い。眉なんて使う範囲が狭いので、シャドウやチークの比ではないくらいに減らない。かつてほぼ使い切ったと言えるアイブロウパウダーは、アユーラの3色のだけだ。アナスイでアイブロウパウダーが発売されたときは、確かワックス入りだとかで、こりゃあ持ちがいい筈だ! とわくわくしながら買いに行った記憶が。日本撤退してしまったベネフィットのアイブロウもワックス入りで評判が良く、購入を迷い始めたときには撤退の噂が立っていて諦めた経緯があるので待ちに待ったワックス入りだったと言ってもいい。これで当分は落ち着くつもりだったのに、アウェイクが繊維入りのアイブロウパウダーを出してきた。繊維入りアイブロウパウダーと言えば、ディグニータ。これはテスターで試したことがあるのみ。アイブロウに4000円はキツいと思って見送ったのだ。ディグニータよりもやや価格を下げてアウェイクから……、アウェイクは大高姐さんのお気に入りブランド……。待て! メイクをする機会が激減し且つ減りが遅い商品をストックしてどうする! しかも私はアイブロウを気分で使い分けるようなタイプではないではないか! やめよう。自重しよう。節約しよう。
殊更にコスメに使う金を節約しようと思う理由。現在ネットオークションのウォッチリストにかなりの品数が入っている。殆どが衣類。ナショナルスタンダードのデニムジャケットで競り負けてから、妙にネットオークションのチェック回数が増えた。そしてチェックする度に何かしらの気になる商品が出ている。衣類の趣味の守備範囲が広過ぎるのだろうか。ガーリッシュだ何だと言いつつ、サイラスの商品迄覗いている。サイラスはガーリッシュではないと解っているのに。スカラーもガーリッシュとは違うのに。増してやオゾンやヒスは言う迄もなく。あ、この春はまだジャケットを着ていない。5月にもなって、クローゼットにしまうのが面倒で出しっ放しにしているスプリングコートかカーディガンで誤魔化している。収納されっ放しのコキュのカバーオールが泣いていそうだ。しかも同じ形で黒と茶があったりする。茶は未着用。着なきゃなあ。と、思うのが良くないのだろう。着なきゃ、という言葉には何となく義務感がある。着よう・着たい、が楽しくお洒落する為の心構えで最も大切だと思っているのに、この有様。文字通り山とある衣類の中に、未着用品が沢山埋もれている。勿体無いから着なきゃなあ。勿体無いお化けの弊害がここにもあったか。流行り物が好きな性格なら良かったのに、と思うことがある。それなら旬を過ぎた物は処分せざるを得なくなるから。民族物やレトロ物好きの落とし穴。ここらでいい加減に考え方を変える必要があるのだろう。それにはまた衣類処分月間を設けなければならなさそうで、悲しい。うちにウォークインクローゼットがあって、入浴担当のメイドがいて、ヘアメイクアーティストがいれば悩まずに済むのに。ウォークインクローゼットは憧れだ。実家には親専用のウォークインクローゼットがある。私の部屋には壁一面を使ったかなりの大きさのクローゼットがあった。賃貸暮らしはつらい。うちのは今、足を伸ばして入れる風呂が欲しいらしい。私も欲しい。解決策は引越しなのか。引っ越せば解決するのか。今度引っ越したら、ピアノが欲しいなあ、と漠然と考えている。子供の頃に習っていて今では何も弾けない。再度、習いたい。ヨガといい、お稽古事熱が出てき始めている模様。お稽古事熱はさて置くも、ピアノは場所を取る。その分部屋は狭くなる。結果、生活スペースが今と変わらなければ、その引越しには意味がない。ピアノが置けて、山のような服が収納できて、大きめの風呂があって。家賃を想像すると本物の熱が出そうだ。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
最近になって再び読書ができるようになってきた。最近読んだのは、北村薫「朝霧」と新保裕一「ストロボ」。後者はかなり前からあったのにうちのの読後に放置してあったもので、前者はハードカバー発売から6年待ってやっと文庫化されたもの。先に読んだのは、待ち侘びていた「朝霧」だ。3本の中篇から成る。今現在、「私」シリーズの最終作。このシリーズは友人が1作目を卒論に取り上げてからずっと読み続けている。短篇もあれば長篇もあり。殺人事件などの大掛かりなミステリではなく身近な謎を解き明かしていく。長篇では死人が出ていたけれど。心穏やかになる珍しいタイプのミステリ。著者が元国語教師だったことも関係するのか、それとも元来綺麗な日本語を使う人だったからか、読んでいて気持ちがいい作品ばかりだ。どんな物語も、綺麗な、いや正しい言葉で綴られていなければ読む気が失せる。さてこのシリーズ。前作「六の宮の姫君」で見切りをつけようかと迷った。というのも、作品そのものの出来が私には良いとは思えなかったから。悪い意味で、とても良く出来た完成度の高い作品だったのだ。私が思う、悪い意味でいい作品、とはどんなものか。
著作をする者にとって、自らの持つ知識は宝である。この宝のストックがないまま小手先で何かを書いても話は薄っぺらくなり、小手先すらなければ読むに耐えない作品になる。北村薫の文学知識は物凄い。尊敬に値する。だが、持つ知識を全て出して書いたと読者に受け取られてしまう作品は、悪い作品ではないだろうか。いっぱいいっぱいな部分が見え隠れすると、萎えてしまう。きっと北村自身にはもっと豊富な芥川への知識があるとは思う。思うのだけれど読んでいて、知識ひけらかし的な印象を受けてしまった。感想を一言で纏められてしまう。ハイ、スゴイデスネー。一言感想しか読後に齎さない作品を、良い作品とは思わない。私が読書をするとき、自らの知識を増やす為、という要素が強い。この知識欲は充分に満たしてくれた。でも、それだけ。ならば文学論や芥川作品そのものを読めばいいのだ。北村を通して芥川に触れた、その効果が皆無に近かった。詰まらなかった訳ではない。詰まらなくはないのだけれど、読み返す気には全くならない。読み捨て本。私は北村に、読み捨て本を期待していない。お手軽な作品は要らない。読後、どっぷりと世界観を引き摺り、そのまま他者にその本の話をしたくなるような作品を求めている。北村作品は大きくふたつに分けられると思う。ひとつは、とても出来のいい作品。もうひとつは、悪い意味で出来のいい作品。前者は言葉のままであり、後者は上記のような知識ひけらかし系と小手先やっつけ仕事系に分けられる。で、「朝霧」。これも知識ひけらかしは多かった。だが、前者。とても良い作品。北村知識が鼻につかないように描かれていた。知識がまぶされた作品ではなく、一部に密集して知識をだーっと書き連ねていたのに。「六の宮の姫君」と「朝霧」の違いは、その北村知識が、主人公である「私」の成長から浮いているか、沿っているかだ。「朝霧」の短歌の羅列は見事に「私」の成長を示していた。「六の宮の姫君」の芥川知識は、卒論ということもあってか、ストーリから浮いているように感じられたのだ。「朝霧」の中の一篇に感動した。どれかは書かない。主題とそれに纏わる人々の処理の仕方が今迄の北村作品と大きく異なっているように感じた。きっと少し前の北村なら、もっと厭らしい処理になっていただろう。好きな作家の秀作を読めると、とても嬉しい。ストーリは作者と読者が共に紡ぐもの、尤もだ。もしかしたら読んでから数年経っている「六の宮の姫君」も今読むと、また違った感想が持てるだろうか。
「朝霧」読了から数日後に読んだ新保裕一の「ストロボ」。ちょっと変わった構成になっていて、その発想自体は良いと思う。良いのだけれど、内容が……。読み進めていくうちにどんどん話が薄くなっていく。これが著者自身の計算なのかどうかが読めず、もどかしかった。構成上、薄くなっていってもいい作品ではあるのだ。だが読者である私からしたら読み始めから最後迄、同程度のテンションを保ちたいのだ。この薄さは著者の筆力でどうにかならなかったのだろうか。新保はどうにかするだけの筆力を持つ作家なのだ。なのに薄い。となると、これは計算なのか、とも思えてくる。しかし売れっ子になった新保。小手先で仕事をするようになったのか、とも思える。新保作品は順を追って読んでいない為、判断がつかない。どちらなのだろう。読んでがっかりはしなかったけれど、もやもやが残っている。何か別の新保作品を買ってもやもやを晴らしたいところだ。主人公の性格や歴史設定のベタさも気になった。小役人シリーズが与えてくれた、小役人への偏見のようなものを払拭してくれるような設定にはできなかったのだろうか。そうやって考えていくと、この「ストロボ」はやっつけ仕事、または実験的構成だけで満足してしまっただけの作品に思えてくる。とはいえ、この設定自体がそれ程斬新ということもない。古今東西、ままある設定に過ぎない。そんな設定を自作に用いただけで満足する作家とは思わない。あの作品は何だったのか。ミステリ要素を散りばめる、という設定以外での著者自身の楽しみだけが先走りしてしまったのか。もやもやもやもや。
私の逆をいくように、うちのが漫画を読み始めた。「のだめカンタービレ」は読了。早く9巻10巻も読みたい、買ってきて、とのこと。まだ発売されてないのだが。そして何やら次は「編集王」を読みたいと言い出している。どうなっているんだ。「編集王」はとてもいい作品だとは思うけれど絵柄が濃い為、漫画を読みなれていない者には余りオススメできない。ストーリ重視で読むならあの絵柄も気にならないだろうか。いや、以前土屋の別作品上下巻を立ち読みしたとき、それだけで漫画読みの私でもくたびれた。読書の習慣のない者が細かい文字がずらりと並んだ文庫を見ただけで疲れるように、漫画を読みつけていない者にまだ土屋作品は早い。折角漫画に興味を持ち始めてくれたので、嫌気が差さないように上手く馴染めるようにいろいろと薦めてみたい所存。
BGM/アルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」
著作をする者にとって、自らの持つ知識は宝である。この宝のストックがないまま小手先で何かを書いても話は薄っぺらくなり、小手先すらなければ読むに耐えない作品になる。北村薫の文学知識は物凄い。尊敬に値する。だが、持つ知識を全て出して書いたと読者に受け取られてしまう作品は、悪い作品ではないだろうか。いっぱいいっぱいな部分が見え隠れすると、萎えてしまう。きっと北村自身にはもっと豊富な芥川への知識があるとは思う。思うのだけれど読んでいて、知識ひけらかし的な印象を受けてしまった。感想を一言で纏められてしまう。ハイ、スゴイデスネー。一言感想しか読後に齎さない作品を、良い作品とは思わない。私が読書をするとき、自らの知識を増やす為、という要素が強い。この知識欲は充分に満たしてくれた。でも、それだけ。ならば文学論や芥川作品そのものを読めばいいのだ。北村を通して芥川に触れた、その効果が皆無に近かった。詰まらなかった訳ではない。詰まらなくはないのだけれど、読み返す気には全くならない。読み捨て本。私は北村に、読み捨て本を期待していない。お手軽な作品は要らない。読後、どっぷりと世界観を引き摺り、そのまま他者にその本の話をしたくなるような作品を求めている。北村作品は大きくふたつに分けられると思う。ひとつは、とても出来のいい作品。もうひとつは、悪い意味で出来のいい作品。前者は言葉のままであり、後者は上記のような知識ひけらかし系と小手先やっつけ仕事系に分けられる。で、「朝霧」。これも知識ひけらかしは多かった。だが、前者。とても良い作品。北村知識が鼻につかないように描かれていた。知識がまぶされた作品ではなく、一部に密集して知識をだーっと書き連ねていたのに。「六の宮の姫君」と「朝霧」の違いは、その北村知識が、主人公である「私」の成長から浮いているか、沿っているかだ。「朝霧」の短歌の羅列は見事に「私」の成長を示していた。「六の宮の姫君」の芥川知識は、卒論ということもあってか、ストーリから浮いているように感じられたのだ。「朝霧」の中の一篇に感動した。どれかは書かない。主題とそれに纏わる人々の処理の仕方が今迄の北村作品と大きく異なっているように感じた。きっと少し前の北村なら、もっと厭らしい処理になっていただろう。好きな作家の秀作を読めると、とても嬉しい。ストーリは作者と読者が共に紡ぐもの、尤もだ。もしかしたら読んでから数年経っている「六の宮の姫君」も今読むと、また違った感想が持てるだろうか。
「朝霧」読了から数日後に読んだ新保裕一の「ストロボ」。ちょっと変わった構成になっていて、その発想自体は良いと思う。良いのだけれど、内容が……。読み進めていくうちにどんどん話が薄くなっていく。これが著者自身の計算なのかどうかが読めず、もどかしかった。構成上、薄くなっていってもいい作品ではあるのだ。だが読者である私からしたら読み始めから最後迄、同程度のテンションを保ちたいのだ。この薄さは著者の筆力でどうにかならなかったのだろうか。新保はどうにかするだけの筆力を持つ作家なのだ。なのに薄い。となると、これは計算なのか、とも思えてくる。しかし売れっ子になった新保。小手先で仕事をするようになったのか、とも思える。新保作品は順を追って読んでいない為、判断がつかない。どちらなのだろう。読んでがっかりはしなかったけれど、もやもやが残っている。何か別の新保作品を買ってもやもやを晴らしたいところだ。主人公の性格や歴史設定のベタさも気になった。小役人シリーズが与えてくれた、小役人への偏見のようなものを払拭してくれるような設定にはできなかったのだろうか。そうやって考えていくと、この「ストロボ」はやっつけ仕事、または実験的構成だけで満足してしまっただけの作品に思えてくる。とはいえ、この設定自体がそれ程斬新ということもない。古今東西、ままある設定に過ぎない。そんな設定を自作に用いただけで満足する作家とは思わない。あの作品は何だったのか。ミステリ要素を散りばめる、という設定以外での著者自身の楽しみだけが先走りしてしまったのか。もやもやもやもや。
私の逆をいくように、うちのが漫画を読み始めた。「のだめカンタービレ」は読了。早く9巻10巻も読みたい、買ってきて、とのこと。まだ発売されてないのだが。そして何やら次は「編集王」を読みたいと言い出している。どうなっているんだ。「編集王」はとてもいい作品だとは思うけれど絵柄が濃い為、漫画を読みなれていない者には余りオススメできない。ストーリ重視で読むならあの絵柄も気にならないだろうか。いや、以前土屋の別作品上下巻を立ち読みしたとき、それだけで漫画読みの私でもくたびれた。読書の習慣のない者が細かい文字がずらりと並んだ文庫を見ただけで疲れるように、漫画を読みつけていない者にまだ土屋作品は早い。折角漫画に興味を持ち始めてくれたので、嫌気が差さないように上手く馴染めるようにいろいろと薦めてみたい所存。
BGM/アルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」
現在、5月5日。
昨日はうちのが数駅先のプールに泳ぎに行った。もう何年も自ら遠ざかっていたのに、2時間も泳いだらしく早速左膝を痛めてきた。莫迦だ。その後「アップルシード」を観賞してご帰還。凄かった、との感想しかなかったので「イノセンス」程には内容に感銘しなかったらしい。私は家で洗濯三昧。三昧などと書くと楽しく洗濯をしていたようだけれど、当然ダラなのでそんなことはない。嫌々渋々の洗濯である。我が家の洗濯機はひとり暮らし用の小さめの物であり、洗濯物を入れておく籠も小さめ。洗濯物が籠に山積みになり、更には周囲に溢れていた。ヨガに行って一気に洗濯物が増えた所為だ。ヨガマットの上に敷くタオル、途中で汗を拭くタオル、シャワー後に水気を取るタオル、ヨガ用の運動服。それがふたり分。これだけで籠が一杯になる。そして教室に行く前に着替えたり入浴したりで溜まっていた洗濯物。溜まっていた分だけで山となっており、ヨガ後の洗濯物で溢れた。先週は天気が安定しなかったので、洗濯するタイミングを逃し捲っていたというのがここ迄溜めてしまった第1要素。遂に入浴後に使うバスタオルがなくなった。仕方なく洗濯。三昧。激しく面倒だけれど放っておけば誰かがやっつけてくれる物ではなし、私がやるしかない。うちのは洗濯物を干すのがド下手なのでダメ。以前、私が働きに出ていてうちのが家事をしていた頃は酷かった。皺伸ばしや洗濯バサミを当てる位置がダメなのは言う迄もなく、1度笑ってしまって怒ることもままならなかった干し方をされた物があった。私のパジャマの上。乾きが余りにも遅いなあ、と思いよくよく見ると。パジャマの片袖がもう片方の袖の中に突っ込まれたような形で干されていたのだ。一体どうやったらこんな形になるんだ! ちゃんと見て伸ばして干せ! と叱ろうと思ったけれど、ケッタイな形になったパジャマを前にすると笑いが先にこみ上げた。きっと脱水で絡んだまま適当に洗濯バサミで挟んだだけなのだろうな。それ以来、うちのに洗濯を頼むことはなくなった。因みに同時に洗濯されていたうちののパジャマの袖は、こんなことにはなっていなかった。偶然だと思いたい。
洗濯物をやっつけて、夕食作り。昨日はホイコーローもどきと茶碗蒸し。以前の日記で、茶碗蒸しリベンジについて書いた記憶がある。今回は完璧な蒸し加減に仕上げられた。しかし作ったのは卵出汁と具が一緒に冷凍された生協の物。外袋に書かれていた通りに蒸したら上手にできた。この蒸し方はオリジナルの茶碗蒸しにも通用するのだろうか。そのうち試そう。外袋は捨ててしまった為、ここに覚書。量は少なめで1カップ前後といったところ。卵出汁と具を器に入れてラップをかけ、沸騰したお湯の入った蒸し器に器を置いて蓋をして中火で4分半、その後火を消して余熱で5分。5分以上置いてもいいし、五徳から下ろしてシンクにおいても可。この茶碗蒸しを購入したのは、湯葉入りだったから。昔は苦手だった物がここ数年でいろいろ食べられるようになったどころか、好物になってきている。湯葉然り、きくらげ然り、レバー然り。驚いたのはピーマンだ。子供の頃から食べられないこともなかったけれど、好んで食べる物でもなかった。なのに気付いたらここ3週間ばかり、毎回生協で注文している。苦味が美味しく感じる舌になってきたのか、とも考えたけれど食材を思い浮かべると、許容できる及び好む食感が変わってきたようだ。何にしろ、好き嫌いが減ってきているのはいいことに違いない。
今夜の夕食はシチュー・温泉卵・水餃子入りスープ・茶碗蒸し。うちのはこれプラスもずく。シチューはレトルトの物を鍋に開けて冷凍のブロッコリとアスパラを足した物。温泉卵は少し前に購入してそのままになっていた温泉卵作成器で。水餃子入りスープは鍋にお湯を沸かしてウェイパーを出汁として冷凍餃子と若布ときくらげと万能葱の小口切りを入れた物。茶碗蒸しは昨日と同じ。冷凍庫整理を兼ねたメニュー。私は生協への注文時に冷凍物が多く、冷凍庫が溢れんばかりになっていたのだ。で、こんなメニューになった訳だが、うちのからはこんな言葉が。昔に比べて10段階くらい料理のレベルが上がった。特にレトルト物に一手間加えるということが、以前の私を思うと考えられないことだったらしい。確かに昔は酷かった。夕食時にテーブルに並ぶ物はカップ麺ひとつやコンビニ弁当ひとつから始まり、ご飯を炊いてメインのおかずを1品作ってコンビニやスーパーのサラダを添えた物。ごはんとメインひとつと汁物ひとつ、ということが殆どだったのに、生協を取り始めてからはおかずが2品3品並ぶことが珍しくなくなった。それに肉類メインから魚や野菜がメインになることが物凄い勢いで増えた。変われば変わるものである。
それでも手を抜くところは抜いている。コンロが2口なので味噌汁はレトルトとか、休日の昼食はインスタントやレトルトや冷凍物を多用とか。数日前に腹が立ったこと。昼食におかず1品と冷凍炒飯を出した。するとうちのが、この炒飯はいつもより美味い! と抜かしてきた。いつもは何かしらの炒飯の素と卵と家で炊いたごはんで作る。それよりも冷凍物の方が美味いとは。うーむ。うちのは、炒飯の素、そのものが余り好きではないらしい。時々、適当な有り物を刻んで炒飯にしないの? と言われる。前に私の友人がうちにきたときに、家の炒飯と言えば炒飯の素使用でしょ! と口を揃えて言って納得させたつもりだったのだが、気持ちはまだあのときの苦笑のままだったのか。有り物の炒飯を作るには、有り物、がなければならず、うちには基本的に有り物はないということは、なかなか理解してもらえないらしい。ついでに今日判明したこと。数ヶ月くらい前からか、うちのがパンを好まなくなっていた。けれど今朝出したのはトースト。そのときにうちのが、何故パンを美味いと思えなくなったのか閃いたらしい。うちで出されるトーストは焼いてあるにも拘らず冷めているからだ、と。どうも私がバターやジャムを塗る手際が悪いらしい。手際が悪いのは確かだが……今後は私が塗るのをやめて焼き立てを出して自分で塗ってもらうことにしよう。そうしよう。
BGM/アルバム「BABY BABY BABY×××」
昨日はうちのが数駅先のプールに泳ぎに行った。もう何年も自ら遠ざかっていたのに、2時間も泳いだらしく早速左膝を痛めてきた。莫迦だ。その後「アップルシード」を観賞してご帰還。凄かった、との感想しかなかったので「イノセンス」程には内容に感銘しなかったらしい。私は家で洗濯三昧。三昧などと書くと楽しく洗濯をしていたようだけれど、当然ダラなのでそんなことはない。嫌々渋々の洗濯である。我が家の洗濯機はひとり暮らし用の小さめの物であり、洗濯物を入れておく籠も小さめ。洗濯物が籠に山積みになり、更には周囲に溢れていた。ヨガに行って一気に洗濯物が増えた所為だ。ヨガマットの上に敷くタオル、途中で汗を拭くタオル、シャワー後に水気を取るタオル、ヨガ用の運動服。それがふたり分。これだけで籠が一杯になる。そして教室に行く前に着替えたり入浴したりで溜まっていた洗濯物。溜まっていた分だけで山となっており、ヨガ後の洗濯物で溢れた。先週は天気が安定しなかったので、洗濯するタイミングを逃し捲っていたというのがここ迄溜めてしまった第1要素。遂に入浴後に使うバスタオルがなくなった。仕方なく洗濯。三昧。激しく面倒だけれど放っておけば誰かがやっつけてくれる物ではなし、私がやるしかない。うちのは洗濯物を干すのがド下手なのでダメ。以前、私が働きに出ていてうちのが家事をしていた頃は酷かった。皺伸ばしや洗濯バサミを当てる位置がダメなのは言う迄もなく、1度笑ってしまって怒ることもままならなかった干し方をされた物があった。私のパジャマの上。乾きが余りにも遅いなあ、と思いよくよく見ると。パジャマの片袖がもう片方の袖の中に突っ込まれたような形で干されていたのだ。一体どうやったらこんな形になるんだ! ちゃんと見て伸ばして干せ! と叱ろうと思ったけれど、ケッタイな形になったパジャマを前にすると笑いが先にこみ上げた。きっと脱水で絡んだまま適当に洗濯バサミで挟んだだけなのだろうな。それ以来、うちのに洗濯を頼むことはなくなった。因みに同時に洗濯されていたうちののパジャマの袖は、こんなことにはなっていなかった。偶然だと思いたい。
洗濯物をやっつけて、夕食作り。昨日はホイコーローもどきと茶碗蒸し。以前の日記で、茶碗蒸しリベンジについて書いた記憶がある。今回は完璧な蒸し加減に仕上げられた。しかし作ったのは卵出汁と具が一緒に冷凍された生協の物。外袋に書かれていた通りに蒸したら上手にできた。この蒸し方はオリジナルの茶碗蒸しにも通用するのだろうか。そのうち試そう。外袋は捨ててしまった為、ここに覚書。量は少なめで1カップ前後といったところ。卵出汁と具を器に入れてラップをかけ、沸騰したお湯の入った蒸し器に器を置いて蓋をして中火で4分半、その後火を消して余熱で5分。5分以上置いてもいいし、五徳から下ろしてシンクにおいても可。この茶碗蒸しを購入したのは、湯葉入りだったから。昔は苦手だった物がここ数年でいろいろ食べられるようになったどころか、好物になってきている。湯葉然り、きくらげ然り、レバー然り。驚いたのはピーマンだ。子供の頃から食べられないこともなかったけれど、好んで食べる物でもなかった。なのに気付いたらここ3週間ばかり、毎回生協で注文している。苦味が美味しく感じる舌になってきたのか、とも考えたけれど食材を思い浮かべると、許容できる及び好む食感が変わってきたようだ。何にしろ、好き嫌いが減ってきているのはいいことに違いない。
今夜の夕食はシチュー・温泉卵・水餃子入りスープ・茶碗蒸し。うちのはこれプラスもずく。シチューはレトルトの物を鍋に開けて冷凍のブロッコリとアスパラを足した物。温泉卵は少し前に購入してそのままになっていた温泉卵作成器で。水餃子入りスープは鍋にお湯を沸かしてウェイパーを出汁として冷凍餃子と若布ときくらげと万能葱の小口切りを入れた物。茶碗蒸しは昨日と同じ。冷凍庫整理を兼ねたメニュー。私は生協への注文時に冷凍物が多く、冷凍庫が溢れんばかりになっていたのだ。で、こんなメニューになった訳だが、うちのからはこんな言葉が。昔に比べて10段階くらい料理のレベルが上がった。特にレトルト物に一手間加えるということが、以前の私を思うと考えられないことだったらしい。確かに昔は酷かった。夕食時にテーブルに並ぶ物はカップ麺ひとつやコンビニ弁当ひとつから始まり、ご飯を炊いてメインのおかずを1品作ってコンビニやスーパーのサラダを添えた物。ごはんとメインひとつと汁物ひとつ、ということが殆どだったのに、生協を取り始めてからはおかずが2品3品並ぶことが珍しくなくなった。それに肉類メインから魚や野菜がメインになることが物凄い勢いで増えた。変われば変わるものである。
それでも手を抜くところは抜いている。コンロが2口なので味噌汁はレトルトとか、休日の昼食はインスタントやレトルトや冷凍物を多用とか。数日前に腹が立ったこと。昼食におかず1品と冷凍炒飯を出した。するとうちのが、この炒飯はいつもより美味い! と抜かしてきた。いつもは何かしらの炒飯の素と卵と家で炊いたごはんで作る。それよりも冷凍物の方が美味いとは。うーむ。うちのは、炒飯の素、そのものが余り好きではないらしい。時々、適当な有り物を刻んで炒飯にしないの? と言われる。前に私の友人がうちにきたときに、家の炒飯と言えば炒飯の素使用でしょ! と口を揃えて言って納得させたつもりだったのだが、気持ちはまだあのときの苦笑のままだったのか。有り物の炒飯を作るには、有り物、がなければならず、うちには基本的に有り物はないということは、なかなか理解してもらえないらしい。ついでに今日判明したこと。数ヶ月くらい前からか、うちのがパンを好まなくなっていた。けれど今朝出したのはトースト。そのときにうちのが、何故パンを美味いと思えなくなったのか閃いたらしい。うちで出されるトーストは焼いてあるにも拘らず冷めているからだ、と。どうも私がバターやジャムを塗る手際が悪いらしい。手際が悪いのは確かだが……今後は私が塗るのをやめて焼き立てを出して自分で塗ってもらうことにしよう。そうしよう。
BGM/アルバム「BABY BABY BABY×××」
うちのがこの日記を読んだのか、共通の趣味、について提言してきてくれた。けれどどれも自分の今最も関心のあるダイエットに纏わるものばかり。最初はスポーツクラブでのプールについてふたりで調べてみた。が。よく考えてみると、私は少なくとも年内、プールは避けたい。ピアスホールが完成し、数時間つけなくても閉じない迄完成してからでなくては、プールは無理だ。しょぼん。プールが使えないなら、私にとってスポーツクラブやジムは無価値。ピアスをつけたままでできること……調べに調べて、初心に帰る。去年だったか、独学でヨガをやっていた。詳しい解説とgifアニメのあるサイトで学びつつ、ヨガをする前の準備体操と太陽礼拝迄を行っていたのだ。そうだ、ヨガならいいのではなかろうか。そう思って調べたら、なんと一駅先にヨガ教室を発見。近いし、去年の秋にオープンしたばかりで綺麗だし、何よりヨガの中でもホットヨガというのが良い。うちのは最初乗り気ではなかった。もっと解り易く、運動してるぜ! 的なものを求めていたから。ヨガの良さを、私は人と競ったりしないで馴れ合いのない環境で運動をしたいことと自分のペースでできること、そしてダイエットにも効果があることなどとなんだかんだと説明し、とにかく体験レッスンだけでも受けてみようよ、ということで昨日申し込んで今日行ってきた。
体験レッスンは15時から80分。一駅先迄ふたりで歩き、途中でバスタオルや水分などの持ってくるよう言われていた物を購入しつつ歩いた。到着して名前を書いて体験レッスン料を支払い、着替えて教室内へ。暖かい。床暖房と普通の暖房で大体40℃程度にしてあるとか。ヨガマットは持参の必要もなければレンタルも無料で良心的。更衣室も広くはないけれど清潔で好感が持てた。時間迄、レッスンを始めたいと思ったふたりの動機と体調などを説明。15時になってレッスン開始。私たち以外の生徒はもうひとりだけだった。鏡張りの方を向いて先生のポーズや呼吸を真似する。ここで照れが出てしまった。写真も嫌いな私は、運動している自分を鏡で見るのも苦手。とにかく恥ずかしくて照れ臭く、にたにたしてしまう。にたにたは、吹き出して笑い出すのを堪えた為。この最初の呼吸がもう上手くできない。手が離れたり、顎が上がったり、鼻炎持ちの私は鼻呼吸がつらくて呼吸そのものが乱れたり。先生は、無理なく心地良く身体が伸ばせること、に重点を置いているようで、できない私を叱ることもなければ口呼吸もOKにしてくれた。これでかなりやり易くなった。それから見様見真似でいろんなポーズを取っていく。どうやら独学をしていたことと背筋力だけはあることで、まるっきりついていけないのでは、という当初の不安は払拭された。背筋を使うポーズについては、先生からお褒めの言葉を戴けたり。隣でやっていたうちのも苦戦していた。うちのは所謂、普通の運動、が身体に染みこんでしまっているようで、ヨガ特有の動きがピンとこないらしく、なかなか上手くポーズを取れなかった模様。それでも先生がフォローを入れてくれて、どうにか追いついている形。もうひとりの生徒さんの足手纏いなふたり……。
前半は立ちポーズ中心。2〜3分位の休憩を挟んで後半。今度は寝ポーズが中心。柔軟性や腹筋力を求められる物がつらいのは勿論のこと、何がキツイってひとつのポーズ終える毎に挟まれる、屍のポーズ。ポーズを終えて屍の体勢を取る間の自由な動きが一番キツかった。これはちょっと意外。私は自分で準備体操と太陽礼拝をしていた頃に最後に屍のポーズを取っていたので、先生に言われた首の向き以外に問題はなかったが、うちのはいちいち掌の方向を注意されていた。最初に予備知識として教えておけば良かったな、とさっき後悔。屍のポーズは掌を上向きにするのだ。うちのは仰向けに寝たら掌を床につける癖が、いつの間にかついていたらしい。背中に手を回して両手を繋ぐポーズに柔軟性が追いつかないときは、タオルを使ってもいいと教えてもらえたのが私には目から鱗だった。成程ね。独学でやっていたとき、これが非常にキツかったのに一気に解消された。やっぱり鏡の前で動く・先生に教わる、このふたつの効果は独学では決して得られない。とても為になった。運動前からじんわりと汗が滲み出て、運動中には滝の汗。先生が着替えとして下着も持ってくるよう言っていたのが実感できた。頭のてっぺんから足の先迄汗だくだく。けれど大変に気持ちの良い汗。一番最後のポーズのときは先生が私には見学しているように言われた。これはもうくたくたになっていたことと、柔軟性のなさで不可能だということが解られていたからだろう。見ていると、寝ポーズで首だけで全体重を支えるポーズ。確かに私には不可能だ。そのうちできるようになれると嬉しいだろうなあ。
レッスン後、更衣室でもうひとりの生徒さんからこの教室についていろいろ聞いてみた。いつも生徒は少なめで時にはマンツーマン。設備はいい。続けたければとにかく家や職場から使いところを探すのがポイントよ、と独自のスポーツを続ける為のコツ迄ご披露戴いた。シャワーを浴びて、うちのと落ち合い相談。さて、入会するかしないか。直ぐに意見は一致して、入会した。後から切り替えもできるということで、取り敢えずはふたりともチケット制で入会。お金を払って教室を出た。うちのは顔が真っ赤。舐めていた、と言っていた。ヨガにこれ程の運動量があるとは思っておらず、柔軟体操に毛が生えたもの程度に考えていたらしい。そして、いやーこれは効くわー、と。誘った甲斐あり。そして近所にこんないい教室があったことが何よりのラッキーだった。帰宅途中に発見したアジア料理屋で夕食を取った。会話の中心は当然、今日の体験レッスンについて。レッスンの内容は言わずもがなとして、うちのは更衣室のシャワールームにあったパックスナチュロンのボディソープがお気に召した模様。今迄うちで使っていたボディソープが近所の薬局からなくなってしまったことだし、詰め替えの予備がなくなればこれに切り替えてもいいかもしれない。女性用更衣室内シャワールームにも同じ物があり、私も使ってみて好感触だった。夕食を食べて、雑貨屋と薬局に寄って買い物して帰宅。私はすぐさま就寝。自分で思っていた以上にくたくたになっていたらしく、すぐに寝付けた。不眠解消にも良さそうだ。お稽古事なんて何年ぶりだろう。ひとりではないから続けられそうな予感。まずは今月、ちゃんとふたりで週に1度は行くことが目標である。
服装/セントジェームスのコバルトブルーバスクシャツ+i.sの前面シースルーピンクレースプリント白Tシャツ+QTO*Pの黒×ピンクスパッツ+スカラーの前スリットピンクスカート+cavacavaのノーヒールパンプス+モナミピエルロのオフホワイトレザーカバーオール+ピンクのストール+のだめバッグ
体験レッスンは15時から80分。一駅先迄ふたりで歩き、途中でバスタオルや水分などの持ってくるよう言われていた物を購入しつつ歩いた。到着して名前を書いて体験レッスン料を支払い、着替えて教室内へ。暖かい。床暖房と普通の暖房で大体40℃程度にしてあるとか。ヨガマットは持参の必要もなければレンタルも無料で良心的。更衣室も広くはないけれど清潔で好感が持てた。時間迄、レッスンを始めたいと思ったふたりの動機と体調などを説明。15時になってレッスン開始。私たち以外の生徒はもうひとりだけだった。鏡張りの方を向いて先生のポーズや呼吸を真似する。ここで照れが出てしまった。写真も嫌いな私は、運動している自分を鏡で見るのも苦手。とにかく恥ずかしくて照れ臭く、にたにたしてしまう。にたにたは、吹き出して笑い出すのを堪えた為。この最初の呼吸がもう上手くできない。手が離れたり、顎が上がったり、鼻炎持ちの私は鼻呼吸がつらくて呼吸そのものが乱れたり。先生は、無理なく心地良く身体が伸ばせること、に重点を置いているようで、できない私を叱ることもなければ口呼吸もOKにしてくれた。これでかなりやり易くなった。それから見様見真似でいろんなポーズを取っていく。どうやら独学をしていたことと背筋力だけはあることで、まるっきりついていけないのでは、という当初の不安は払拭された。背筋を使うポーズについては、先生からお褒めの言葉を戴けたり。隣でやっていたうちのも苦戦していた。うちのは所謂、普通の運動、が身体に染みこんでしまっているようで、ヨガ特有の動きがピンとこないらしく、なかなか上手くポーズを取れなかった模様。それでも先生がフォローを入れてくれて、どうにか追いついている形。もうひとりの生徒さんの足手纏いなふたり……。
前半は立ちポーズ中心。2〜3分位の休憩を挟んで後半。今度は寝ポーズが中心。柔軟性や腹筋力を求められる物がつらいのは勿論のこと、何がキツイってひとつのポーズ終える毎に挟まれる、屍のポーズ。ポーズを終えて屍の体勢を取る間の自由な動きが一番キツかった。これはちょっと意外。私は自分で準備体操と太陽礼拝をしていた頃に最後に屍のポーズを取っていたので、先生に言われた首の向き以外に問題はなかったが、うちのはいちいち掌の方向を注意されていた。最初に予備知識として教えておけば良かったな、とさっき後悔。屍のポーズは掌を上向きにするのだ。うちのは仰向けに寝たら掌を床につける癖が、いつの間にかついていたらしい。背中に手を回して両手を繋ぐポーズに柔軟性が追いつかないときは、タオルを使ってもいいと教えてもらえたのが私には目から鱗だった。成程ね。独学でやっていたとき、これが非常にキツかったのに一気に解消された。やっぱり鏡の前で動く・先生に教わる、このふたつの効果は独学では決して得られない。とても為になった。運動前からじんわりと汗が滲み出て、運動中には滝の汗。先生が着替えとして下着も持ってくるよう言っていたのが実感できた。頭のてっぺんから足の先迄汗だくだく。けれど大変に気持ちの良い汗。一番最後のポーズのときは先生が私には見学しているように言われた。これはもうくたくたになっていたことと、柔軟性のなさで不可能だということが解られていたからだろう。見ていると、寝ポーズで首だけで全体重を支えるポーズ。確かに私には不可能だ。そのうちできるようになれると嬉しいだろうなあ。
レッスン後、更衣室でもうひとりの生徒さんからこの教室についていろいろ聞いてみた。いつも生徒は少なめで時にはマンツーマン。設備はいい。続けたければとにかく家や職場から使いところを探すのがポイントよ、と独自のスポーツを続ける為のコツ迄ご披露戴いた。シャワーを浴びて、うちのと落ち合い相談。さて、入会するかしないか。直ぐに意見は一致して、入会した。後から切り替えもできるということで、取り敢えずはふたりともチケット制で入会。お金を払って教室を出た。うちのは顔が真っ赤。舐めていた、と言っていた。ヨガにこれ程の運動量があるとは思っておらず、柔軟体操に毛が生えたもの程度に考えていたらしい。そして、いやーこれは効くわー、と。誘った甲斐あり。そして近所にこんないい教室があったことが何よりのラッキーだった。帰宅途中に発見したアジア料理屋で夕食を取った。会話の中心は当然、今日の体験レッスンについて。レッスンの内容は言わずもがなとして、うちのは更衣室のシャワールームにあったパックスナチュロンのボディソープがお気に召した模様。今迄うちで使っていたボディソープが近所の薬局からなくなってしまったことだし、詰め替えの予備がなくなればこれに切り替えてもいいかもしれない。女性用更衣室内シャワールームにも同じ物があり、私も使ってみて好感触だった。夕食を食べて、雑貨屋と薬局に寄って買い物して帰宅。私はすぐさま就寝。自分で思っていた以上にくたくたになっていたらしく、すぐに寝付けた。不眠解消にも良さそうだ。お稽古事なんて何年ぶりだろう。ひとりではないから続けられそうな予感。まずは今月、ちゃんとふたりで週に1度は行くことが目標である。
服装/セントジェームスのコバルトブルーバスクシャツ+i.sの前面シースルーピンクレースプリント白Tシャツ+QTO*Pの黒×ピンクスパッツ+スカラーの前スリットピンクスカート+cavacavaのノーヒールパンプス+モナミピエルロのオフホワイトレザーカバーオール+ピンクのストール+のだめバッグ
現在、5月4日。
他者の気持ちを手に取るように解る人などいる筈がない。そんなことは重々承知している。つもりである、常日頃。それでも長年一緒にいると、全てを語らずとも、大体3か4も語れば相手が10理解してくれるような錯覚に陥ってしまう。錯覚に陥った者、ふたり。喧嘩が起きない訳がない。そこに物忘れ迄加わってしまうともう……。私は薬の副作用とメリハリのない生活の中で、脳に物忘れの蛇が棲み付いてしまったらしい。言った・言わない、聞いた・聞いていない、の水掛け論がうちのとの間でたまに起きる。今回はうちのの転職の話であり私は、絶対にまだ聞いていなかった、と主張した。うちのは、数日前に言った、と頑として言う。日常的にICレコーダやテレコを回しているなんてことはなく、結論など出やしない。よくよく喧嘩腰で話し合ってみると答えが見えてきた。うちのは4を語ったところで私が10理解したものと判断し、言ったと主張していたのだ。私は4しか聞いていなかった故にそれが決定事項なのかどうか解りかねており、聞いていないとなっていた。ここ迄言えば相手は10解ってくれるだろう、などという甘えによる喧嘩。
私は体調が悪いと睡眠障害が悪化する。過眠時は、眠い、と言う。そして、眠い、という言葉だけでうちのが体調不良を察知してくれているものだと思い込んでしまっていた。私の生活リズムが整っていないこともあり、うちのは私の眠気を体調不良とは考えず、日々の生活の乱れによるものだと思っていた。このGW、うちのはほぼカレンダ通りに休みが取れた。滅多にないことである。確か去年は丸々出勤していたような。うちのは休みになると出掛けたがる。私は元来、出不精である。うちのからの出掛けようと言う誘いの言葉が、日々の苛々からとても傲慢な物に感じた。更に体調不良で睡眠障害悪化中。眠い、と言った。それでもどうにか出掛けようかと思ったら、うちのはひとりで出掛けてしまった。数時間後に帰宅したうちの。ご機嫌斜めどころかもう縦なのか横なのかの判断もできない位に悪くなっていた。そして私に余りにも余りな言葉をぶつけてきた。お前と話すのは不毛だ、今後一切何事に於いても期待をしない、衣食住確保の為にここにいるだけなんだろう、月々の生活費は渡すからお互いに今後は不干渉にしよう、などなど。何故これ程の言葉をぶつけられるのか、私には解らなかった。そこから数時間に及ぶ大喧嘩。怒鳴り声と鳴き声と壁を拳で叩く音が響いた数時間。私の心の中には、この喧嘩の前日に小競り合ったときにうちのに言われた、母親みたいに1ヶ月でもずっと黙ってろ、という言葉が、謝られたのにまだざっくりと刺さっていた。それを持ち出すと、うちのは怒った。謝ったのにまだ言うか。私としては、謝りゃ何でもいいのか? という気分だ。ごめんね、と前置きをして、あんたの怒り方はやっぱり母親そっくりだ、という禁句が口から出てしまった。うちのも私も私の母親に重ねて見られると、物凄い拒否反応が起きる。うちのは私の言葉に怒った。けれど前以って、ごめんね、と言っているではないか。謝ればいいんでしょ? と思うことは子供染みては、いる。けれど無理があるだろうか。悪いことを言ったりしたりした方が謝罪の言葉を口にすれば、取り敢えずその場は収まる。だけれども。それで傷がすぐに癒えるかどうかは、また別の話ではなかろうか。掠り傷と、腹を切られて内臓を抉り出されて塩を塗りこまれたような傷が、同じ時間で治癒することはない。お互いに惨い言葉で応酬しあった。傷付けあった。
この喧嘩に於いて、私の甘えが判明した。眠い、という言葉だけで体調不良迄察してくれるだろう、という考えが甘え。気をつけていたつもりだったのに、共に過ごす時間の経過の中で気をつけ具合が緩んでしまっていたのだ。そして察知するに及ばなかったうちのは、自分の存在を私に軽んじられているように思い込んでしまっていた。うちのも私も淋しがりである。相手に自分を見ていて欲しい、理解して欲しい、と思う。きっと他所のカップルや夫婦以上にお互いにその気持ちが強い。淋しがりと同時に、甘えたがりでもある。目に見える甘えならともかくこの手の、言わなくても解ってくれるだろう、的甘えは誤解を招く元だ。釦の掛け違いや歯車の狂い、というのはこういうことなのだろうか。ほんの少しのズレで、お互いが深く傷つき、その後相手を傷付けあう。仕事の忙しさや体調不良は、心からゆとりを削ぎ取る。ゆとりがなければどんな言葉も上滑りして、自虐的性格のふたりは傷ついた気になってしまう。傷ついたらそのままではいられない好戦的性格も似ているのかもしれない。傷ついたことをギリギリのところに達する迄はストレートに伝えられず、相手を傷付けることで自分の傷の痛みを理解させようとしてしまう。間違いだらけだ。
10語っても1しか理解してくれない可能性は、どんな相手にもあるし、自分自身でも他者の言葉を受けてそうかもしれない。なのに身近な相手だと、どうしてこうも甘えが出てしまうのか。言わなければ解らないことを言わなかった為に、言わなくてもいいことを言ってしまう。本末転倒。うちで起きる喧嘩は、突き詰めていくとどちらも悪くないことが多々ある。原点でちょっとだけ行動や言葉の選び方が違っていれば回避できた諍いが9割以上と言ってもいい。同時にその行動や言葉を受け取る側にゆとりがないことも原因のひとつ。当然その、ちょっとだけ違う、ができない発する側にもゆとりはない。ゆとりがあっても、ちょっとの匙加減次第でゆとりが一気に磨耗されることもある。簡単なことなのに。くだらないことなのに。言葉足らずになる甘えは厳禁。今回の喧嘩でそんな約束をした。ここに、思ったことは直球の言葉で伝える、が加われば殆どの喧嘩がなくなるのではなかろうか。私が体調不良をストレートに伝えていれば、うちのが淋しさをストレートに伝えてくれていれば……などと今更考えても詮無いことだ。同じ喧嘩を繰り返さないようにお互いに気をつけねば。なのに気付くといつも同じパターンの喧嘩。時間の経過と共に反省が薄れていくのがいけないのだろう。反省も、継続は力、らしい。
他者の気持ちを手に取るように解る人などいる筈がない。そんなことは重々承知している。つもりである、常日頃。それでも長年一緒にいると、全てを語らずとも、大体3か4も語れば相手が10理解してくれるような錯覚に陥ってしまう。錯覚に陥った者、ふたり。喧嘩が起きない訳がない。そこに物忘れ迄加わってしまうともう……。私は薬の副作用とメリハリのない生活の中で、脳に物忘れの蛇が棲み付いてしまったらしい。言った・言わない、聞いた・聞いていない、の水掛け論がうちのとの間でたまに起きる。今回はうちのの転職の話であり私は、絶対にまだ聞いていなかった、と主張した。うちのは、数日前に言った、と頑として言う。日常的にICレコーダやテレコを回しているなんてことはなく、結論など出やしない。よくよく喧嘩腰で話し合ってみると答えが見えてきた。うちのは4を語ったところで私が10理解したものと判断し、言ったと主張していたのだ。私は4しか聞いていなかった故にそれが決定事項なのかどうか解りかねており、聞いていないとなっていた。ここ迄言えば相手は10解ってくれるだろう、などという甘えによる喧嘩。
私は体調が悪いと睡眠障害が悪化する。過眠時は、眠い、と言う。そして、眠い、という言葉だけでうちのが体調不良を察知してくれているものだと思い込んでしまっていた。私の生活リズムが整っていないこともあり、うちのは私の眠気を体調不良とは考えず、日々の生活の乱れによるものだと思っていた。このGW、うちのはほぼカレンダ通りに休みが取れた。滅多にないことである。確か去年は丸々出勤していたような。うちのは休みになると出掛けたがる。私は元来、出不精である。うちのからの出掛けようと言う誘いの言葉が、日々の苛々からとても傲慢な物に感じた。更に体調不良で睡眠障害悪化中。眠い、と言った。それでもどうにか出掛けようかと思ったら、うちのはひとりで出掛けてしまった。数時間後に帰宅したうちの。ご機嫌斜めどころかもう縦なのか横なのかの判断もできない位に悪くなっていた。そして私に余りにも余りな言葉をぶつけてきた。お前と話すのは不毛だ、今後一切何事に於いても期待をしない、衣食住確保の為にここにいるだけなんだろう、月々の生活費は渡すからお互いに今後は不干渉にしよう、などなど。何故これ程の言葉をぶつけられるのか、私には解らなかった。そこから数時間に及ぶ大喧嘩。怒鳴り声と鳴き声と壁を拳で叩く音が響いた数時間。私の心の中には、この喧嘩の前日に小競り合ったときにうちのに言われた、母親みたいに1ヶ月でもずっと黙ってろ、という言葉が、謝られたのにまだざっくりと刺さっていた。それを持ち出すと、うちのは怒った。謝ったのにまだ言うか。私としては、謝りゃ何でもいいのか? という気分だ。ごめんね、と前置きをして、あんたの怒り方はやっぱり母親そっくりだ、という禁句が口から出てしまった。うちのも私も私の母親に重ねて見られると、物凄い拒否反応が起きる。うちのは私の言葉に怒った。けれど前以って、ごめんね、と言っているではないか。謝ればいいんでしょ? と思うことは子供染みては、いる。けれど無理があるだろうか。悪いことを言ったりしたりした方が謝罪の言葉を口にすれば、取り敢えずその場は収まる。だけれども。それで傷がすぐに癒えるかどうかは、また別の話ではなかろうか。掠り傷と、腹を切られて内臓を抉り出されて塩を塗りこまれたような傷が、同じ時間で治癒することはない。お互いに惨い言葉で応酬しあった。傷付けあった。
この喧嘩に於いて、私の甘えが判明した。眠い、という言葉だけで体調不良迄察してくれるだろう、という考えが甘え。気をつけていたつもりだったのに、共に過ごす時間の経過の中で気をつけ具合が緩んでしまっていたのだ。そして察知するに及ばなかったうちのは、自分の存在を私に軽んじられているように思い込んでしまっていた。うちのも私も淋しがりである。相手に自分を見ていて欲しい、理解して欲しい、と思う。きっと他所のカップルや夫婦以上にお互いにその気持ちが強い。淋しがりと同時に、甘えたがりでもある。目に見える甘えならともかくこの手の、言わなくても解ってくれるだろう、的甘えは誤解を招く元だ。釦の掛け違いや歯車の狂い、というのはこういうことなのだろうか。ほんの少しのズレで、お互いが深く傷つき、その後相手を傷付けあう。仕事の忙しさや体調不良は、心からゆとりを削ぎ取る。ゆとりがなければどんな言葉も上滑りして、自虐的性格のふたりは傷ついた気になってしまう。傷ついたらそのままではいられない好戦的性格も似ているのかもしれない。傷ついたことをギリギリのところに達する迄はストレートに伝えられず、相手を傷付けることで自分の傷の痛みを理解させようとしてしまう。間違いだらけだ。
10語っても1しか理解してくれない可能性は、どんな相手にもあるし、自分自身でも他者の言葉を受けてそうかもしれない。なのに身近な相手だと、どうしてこうも甘えが出てしまうのか。言わなければ解らないことを言わなかった為に、言わなくてもいいことを言ってしまう。本末転倒。うちで起きる喧嘩は、突き詰めていくとどちらも悪くないことが多々ある。原点でちょっとだけ行動や言葉の選び方が違っていれば回避できた諍いが9割以上と言ってもいい。同時にその行動や言葉を受け取る側にゆとりがないことも原因のひとつ。当然その、ちょっとだけ違う、ができない発する側にもゆとりはない。ゆとりがあっても、ちょっとの匙加減次第でゆとりが一気に磨耗されることもある。簡単なことなのに。くだらないことなのに。言葉足らずになる甘えは厳禁。今回の喧嘩でそんな約束をした。ここに、思ったことは直球の言葉で伝える、が加われば殆どの喧嘩がなくなるのではなかろうか。私が体調不良をストレートに伝えていれば、うちのが淋しさをストレートに伝えてくれていれば……などと今更考えても詮無いことだ。同じ喧嘩を繰り返さないようにお互いに気をつけねば。なのに気付くといつも同じパターンの喧嘩。時間の経過と共に反省が薄れていくのがいけないのだろう。反省も、継続は力、らしい。
現在5月4日。
暫く前から、うちの前の家が建て替えだか何だかで工事をしている。非常にとても大変激しく物凄い勢いで煩い。壁などを経て私のPCデスクの10m先で大工事。なるべく気にしないようにして過ごしていた。気にしたって文句を言ったって工事を止めてはくれまいし。1日、うちのが休みだった。このGWはほぼカレンダ通りに休み。前夜一悶着あって私が起きたのは夕方。うちのが言った。工事、うるせーなあ! うむ。煩い。気にしないように過ごしていたけれど、他者が言葉にすると露骨に感情がささくれ立ってきた。そうなんだよ! 煩いんだよ! 毎日毎日の日中、この騒音に耐えて私は過ごしてんだ! 本気でうるせえ! しかも1日はいつもと違うでかい機材を持ち込んだようで、それ以外の日に比べて更に煩い。騒音嫌いのうちのは露骨に苛々していた。それに伴って、気にしないように、と努めつつ過ごしてきた私も苛立ってきた。苛々が始まると、この日初めて騒音に気付いたうちのよりも、腹に溜め込んでいた私の方が苛々し始めた。うちのが言った。こんなに煩いなら、菓子折りのひとつでもあっておかしくないだろ。うむ。向かいの家の人はそんなものは寄越してきていない。当人らは工事は一時のものとして、何処かで安らかな日々を過ごしているのかもしれないが、近所に住む者にとっては堪ったものではない。菓子折りで騒音がチャラになる訳ではないけれど、気遣いのひとつもなければ腹立ちも尚のこと。おまいら、こんくらいの騒音に耐えらんなきゃ出てけや、出てかずに文句言ってんのは貧乏人だろ、プ、とでも思われているのでは? なんて嫌な妄想迄引き出してくる。騒音は迷惑だ。
気にしないように、と努めて過ごしてきたことが、騒音そのもののストレスに拍車をかけていたようである。ストレス爆発。こうなると、騒音だけでなく何もかもが気に入らなくなる。私と草食と雑食以外、全員死んじまえ! というくらいになる。どいつもこいつも人を莫迦にしやがって! おまいら、全員死刑だ! 思い返せば、うちのと感情的すれ違いが多くなったのは、向かいの家の工事が始まった時期と重なるかもしれない。ストレスを抱えた人間、しかもストレッサーをストレッサーと思わないように努めてきたとなると、もう混乱して何が自分を苛立たせているのかを見失う。そして周囲とも上手く行かなくなる。何故、自分が苛立ちを抱えているのか解らなかった。でもここのところ、私はずっと苛立っていた。そして酷いことに、苛立ちの原因を模索するうちに、普段なら気にならないようなうちのの言動に結び付けてしまっていた。この日は、うちのも苛々を私にぶつけてきた。うちのの方が何倍もマシだ。苛立ちそのものの原因が騒音だと解っていたから。人がふたりひとつ屋根の下に住む。一方が苛立てば、もう一方にも苛立ちが伝染するのは自然の摂理。一方の苛立ちをまあまあと一貫して宥められる程、うちのも私も人間ができていない。とにかくずーっと苛立っていた私は、うちのの騒音への愚痴で、自分の苛立ちの原因を自覚できた。
原因が解ったところで、苛立ちは収まらない。何もかもが気に入らない。生理でもないのに玉姫様状態。異常な苛立ちと憤怒の中で、ってなものだ。騒音源に文句を言っても始まらない。情緒不安定極まりなくなっていた私は、うちのにあたってしまっていた。私があたるとうちのが怒り、あたり返してくる。悪循環。暫く、毎日のように喧嘩をしていた。本当に些細なことでばかり。きっかけは些細でも、喧嘩はエスカレートするものであり、エスカレートするときっかけもへったくれもなくなって大事になる。うちのと私の大きな喧嘩は酷い。他所は知らないけれど、きっと他所よりも酷い。相手の人格・人権を全てひっくり返して踏み躙り、更に傷口に硫酸を流し込むような罵詈雑言が飛び交う。泪ハナミズが止まらなくなる。2日がその最高潮を迎え、私はうちのに指環と家の鍵を返した。その後、どうにか事は収まったけれど。2日の日記に少しだけ書いた。詳細は書けない。書こうとすると思い出し泣きしそうだから、自分の中で過去のことになる日がきたら書くかもしれない。ともかくふたりともピリピリしていた。それに加えて、私は体調も悪かった。うちのは久々の長期連休を楽しみにしていた。いろんな部分で歯車が狂った。私は気が狂いそうに悶々とした何かを抱え込んでいて、それを言葉にできなくてもっと悶々としていた。熱したマグマが自然冷却することがあるかどうか、私は知らない。私は熱すると必ず爆発してから出ないと沈静しない。うちのも同じタイプである。違うのはその先。私はとことん迄突き詰めていく。うちのは突き詰めずに目の前の問題を回避しようとする。お互いの対処法が気に入らず、喧嘩は悪化の一途を辿る。もうダメだ、といろんなことに対して思った。うちのとの関係だけでなく。そこ迄、行ってしまった。
夜、包丁を出した。そして明け方を待った。新聞屋がくる。初めて私はその新聞屋に話しかけた。あのですね、毎日その足音で目が覚めるのですけど。当然ながら、新聞屋に話しかけたときの私は丸腰。包丁は、新聞屋がアレな人だった場合の応戦用だ。持ち出すには至らず、謝罪してくれて今後は気をつける、と言ってくれた。ストレッサーひとつ消去。翌日の朝、新聞屋の足音はあるにはあったけれど、それ迄よりはかなり小さなもので許容範囲だった。ところが。今朝方の新聞屋の足音は元に戻っていた。また文句を言わねば。少し前、マンション内の貼り紙に手を加えた。貼り紙そのものはきっと大家さんが作った物だろう。内容は、特に深夜は足音を静かに、というもの。深夜、のくだりを私は赤ペンでぐるぐると囲った。新聞屋、見てないんだな。騒音以外のストレッサーがひとつある。生協の配達員。数週間前、生協で草食用の干草を注文した。配達員がそのとき、草食がいるのですか? と明るく大きな声でハキハキと訊いてきた。莫迦! 戸建じゃないのが解らないのか。周囲に内緒で飼っていること位、見当がつくだろう。気が利かな過ぎ。そのとき私は、シッ、と大声を否定し、ええ、と軽く返事をした。翌週はその他諸々と一緒に雑食用のトイレ砂を注文していた。そのときの配達員、また草食の話を持ち出してきた。また静かにするよう諭した。雑食もいる。草食もいる。配達員の仕事は、配達をすることだけなのか? 明るく大きな声で親しげに話すことを求める利用者もいるのかもしれない。けれど、私がそうでないことは何度もの遣り取りで解らないのだろうか。動物飼育禁止の部屋で飼っている私が悪い、という叱咤もあろう。それは真摯に受け止めるべきこと。それはそうとして、配達員が利用者のプライベートに、しかも周囲住民などに知られたくないと既に言っている物事について再び会話を求めるのは如何なものか。次回の配達時に言ってきたらクレームをつける予定。ストレッサー、多過ぎ。
暫く前から、うちの前の家が建て替えだか何だかで工事をしている。非常にとても大変激しく物凄い勢いで煩い。壁などを経て私のPCデスクの10m先で大工事。なるべく気にしないようにして過ごしていた。気にしたって文句を言ったって工事を止めてはくれまいし。1日、うちのが休みだった。このGWはほぼカレンダ通りに休み。前夜一悶着あって私が起きたのは夕方。うちのが言った。工事、うるせーなあ! うむ。煩い。気にしないように過ごしていたけれど、他者が言葉にすると露骨に感情がささくれ立ってきた。そうなんだよ! 煩いんだよ! 毎日毎日の日中、この騒音に耐えて私は過ごしてんだ! 本気でうるせえ! しかも1日はいつもと違うでかい機材を持ち込んだようで、それ以外の日に比べて更に煩い。騒音嫌いのうちのは露骨に苛々していた。それに伴って、気にしないように、と努めつつ過ごしてきた私も苛立ってきた。苛々が始まると、この日初めて騒音に気付いたうちのよりも、腹に溜め込んでいた私の方が苛々し始めた。うちのが言った。こんなに煩いなら、菓子折りのひとつでもあっておかしくないだろ。うむ。向かいの家の人はそんなものは寄越してきていない。当人らは工事は一時のものとして、何処かで安らかな日々を過ごしているのかもしれないが、近所に住む者にとっては堪ったものではない。菓子折りで騒音がチャラになる訳ではないけれど、気遣いのひとつもなければ腹立ちも尚のこと。おまいら、こんくらいの騒音に耐えらんなきゃ出てけや、出てかずに文句言ってんのは貧乏人だろ、プ、とでも思われているのでは? なんて嫌な妄想迄引き出してくる。騒音は迷惑だ。
気にしないように、と努めて過ごしてきたことが、騒音そのもののストレスに拍車をかけていたようである。ストレス爆発。こうなると、騒音だけでなく何もかもが気に入らなくなる。私と草食と雑食以外、全員死んじまえ! というくらいになる。どいつもこいつも人を莫迦にしやがって! おまいら、全員死刑だ! 思い返せば、うちのと感情的すれ違いが多くなったのは、向かいの家の工事が始まった時期と重なるかもしれない。ストレスを抱えた人間、しかもストレッサーをストレッサーと思わないように努めてきたとなると、もう混乱して何が自分を苛立たせているのかを見失う。そして周囲とも上手く行かなくなる。何故、自分が苛立ちを抱えているのか解らなかった。でもここのところ、私はずっと苛立っていた。そして酷いことに、苛立ちの原因を模索するうちに、普段なら気にならないようなうちのの言動に結び付けてしまっていた。この日は、うちのも苛々を私にぶつけてきた。うちのの方が何倍もマシだ。苛立ちそのものの原因が騒音だと解っていたから。人がふたりひとつ屋根の下に住む。一方が苛立てば、もう一方にも苛立ちが伝染するのは自然の摂理。一方の苛立ちをまあまあと一貫して宥められる程、うちのも私も人間ができていない。とにかくずーっと苛立っていた私は、うちのの騒音への愚痴で、自分の苛立ちの原因を自覚できた。
原因が解ったところで、苛立ちは収まらない。何もかもが気に入らない。生理でもないのに玉姫様状態。異常な苛立ちと憤怒の中で、ってなものだ。騒音源に文句を言っても始まらない。情緒不安定極まりなくなっていた私は、うちのにあたってしまっていた。私があたるとうちのが怒り、あたり返してくる。悪循環。暫く、毎日のように喧嘩をしていた。本当に些細なことでばかり。きっかけは些細でも、喧嘩はエスカレートするものであり、エスカレートするときっかけもへったくれもなくなって大事になる。うちのと私の大きな喧嘩は酷い。他所は知らないけれど、きっと他所よりも酷い。相手の人格・人権を全てひっくり返して踏み躙り、更に傷口に硫酸を流し込むような罵詈雑言が飛び交う。泪ハナミズが止まらなくなる。2日がその最高潮を迎え、私はうちのに指環と家の鍵を返した。その後、どうにか事は収まったけれど。2日の日記に少しだけ書いた。詳細は書けない。書こうとすると思い出し泣きしそうだから、自分の中で過去のことになる日がきたら書くかもしれない。ともかくふたりともピリピリしていた。それに加えて、私は体調も悪かった。うちのは久々の長期連休を楽しみにしていた。いろんな部分で歯車が狂った。私は気が狂いそうに悶々とした何かを抱え込んでいて、それを言葉にできなくてもっと悶々としていた。熱したマグマが自然冷却することがあるかどうか、私は知らない。私は熱すると必ず爆発してから出ないと沈静しない。うちのも同じタイプである。違うのはその先。私はとことん迄突き詰めていく。うちのは突き詰めずに目の前の問題を回避しようとする。お互いの対処法が気に入らず、喧嘩は悪化の一途を辿る。もうダメだ、といろんなことに対して思った。うちのとの関係だけでなく。そこ迄、行ってしまった。
夜、包丁を出した。そして明け方を待った。新聞屋がくる。初めて私はその新聞屋に話しかけた。あのですね、毎日その足音で目が覚めるのですけど。当然ながら、新聞屋に話しかけたときの私は丸腰。包丁は、新聞屋がアレな人だった場合の応戦用だ。持ち出すには至らず、謝罪してくれて今後は気をつける、と言ってくれた。ストレッサーひとつ消去。翌日の朝、新聞屋の足音はあるにはあったけれど、それ迄よりはかなり小さなもので許容範囲だった。ところが。今朝方の新聞屋の足音は元に戻っていた。また文句を言わねば。少し前、マンション内の貼り紙に手を加えた。貼り紙そのものはきっと大家さんが作った物だろう。内容は、特に深夜は足音を静かに、というもの。深夜、のくだりを私は赤ペンでぐるぐると囲った。新聞屋、見てないんだな。騒音以外のストレッサーがひとつある。生協の配達員。数週間前、生協で草食用の干草を注文した。配達員がそのとき、草食がいるのですか? と明るく大きな声でハキハキと訊いてきた。莫迦! 戸建じゃないのが解らないのか。周囲に内緒で飼っていること位、見当がつくだろう。気が利かな過ぎ。そのとき私は、シッ、と大声を否定し、ええ、と軽く返事をした。翌週はその他諸々と一緒に雑食用のトイレ砂を注文していた。そのときの配達員、また草食の話を持ち出してきた。また静かにするよう諭した。雑食もいる。草食もいる。配達員の仕事は、配達をすることだけなのか? 明るく大きな声で親しげに話すことを求める利用者もいるのかもしれない。けれど、私がそうでないことは何度もの遣り取りで解らないのだろうか。動物飼育禁止の部屋で飼っている私が悪い、という叱咤もあろう。それは真摯に受け止めるべきこと。それはそうとして、配達員が利用者のプライベートに、しかも周囲住民などに知られたくないと既に言っている物事について再び会話を求めるのは如何なものか。次回の配達時に言ってきたらクレームをつける予定。ストレッサー、多過ぎ。
さんさんとお日さまが輝き、部屋の埃がキラキラと光る中で惰眠を貪っていた正午頃、うちのが電話してきやがった。心地良い眠りは携帯電話の「りんごの泪」に掻き消された。チッ。用件は、うちのの友人から借りているビデオを近所のレンタルビデオ屋でダビングしてこい・うちのが帰省するのにまだ飛行機のチケットが取れるかどうか調べてくれ・草食を散歩に連れてけ。出なければ良かった。私にとって快を齎す依頼事がひとつもない。全部どれもひとつ残らず面倒だ。普段なら、ハイハイ、と生返事をして2度寝に入れるのに、今日はそのまま目が覚めてしまった。ぼけーっとしてから、生協に請求額の確認電話をし、勤労者の方々の邪魔にならないよう昼休み時間を過ぎてから出かけた。草食を小屋から出してキャリーに入れ、トートに被ダビング用ビデオを入れ、郵便局に行って口座に引き落とし用の金を入れ、レンタルビデオ屋にダビングを頼みに行き、コンビニに寄ってお茶2本とシュークリームを買い、近くの原っぱで草食を放った。お茶を2本も買う破目になったのは、私のお宝携帯灰皿を家に忘れたからである。今日は暖か過ぎたのか、草食は原っぱではなくタイルの上や塀の影にばかり行きたがって詰まらなかった。家でもできることを外でしなくてもいいではないか。草食を持って原っぱの真ん中辺りに連れて行って放す。草、食い捲り。そしていつの間にかまたタイルや陰へ。こう、飛んだり跳ねたりして欲しいのだが。道行く人々が草食を見る。今日も数人に声をかけられた。それはいい。いいけれど、慣れてますか? と訊かれるのはちとつらい。飼い主として下を向いて、慣れていません……、と答えねばならぬ。また、触っていいですか? にも、噛むかもしれませんが……、と。そういうのもひっくるめて草食の個性だ。解ってはいるのに見栄張りな私は、もう甘えっ子でして、とか、撫でると喜びますよ、なんて言ってみたかったりする。
途中、その原っぱの掃除屋のオッサンに声をかけられた。オッサンは、ここに草食が50匹くらいいればいいのに、と言っていた。そのココロは、草毟りをしなくていいから。オッサンが言うことには、その原っぱには除草剤などは撒いていないらしい。草食を放つにあたり、一番気になっていたことが解って良かった。ぼけーっとベンチで寝っ転がったり、軽くストレッチしてみたり、一服したりで約1時間半も経っていた。空が曇ってきて草食がだらーんと伸びたところで再びキャリーに入れて帰宅。帰宅しても直ぐにケージには戻せない。未だにトイレを覚えない莫迦ちんなので、出掛けに気付いたケージ内の床のしっこの処理をしなければならない。しっこをティッシュで拭き取ればいいだけ……なのに。何をとち狂ったか、私はケージ内全掃除を始めてしまった。中を全掃除すれば今度はその周辺の汚さが気になりだした。周辺が綺麗になればまたその周辺が……と、キッチンから居間迄掃除。雑食の爪とぎも裏返して新品同様にしたり、玄関やキッチンのマットの下に滑り止めを敷いたり。布団にコロコロもかけた。換気も万全。ネットで飛行機の空席を調べてうちのにメール。そして3日程干しっ放しになっていた洗濯物を畳んで収納。普段の一週間分働いた気分。
当然疲れる。疲れたときや何かをしなければならないのにしたくないとき、私が逃避するのはマインスイーパだ。延々何時間でもできる。その昔、仕事に行きたくなくてトイレに行くのも忘れて12時間ぶっ通しでしていたこともある。で、ぼーっとマインスイーパに没頭していたところに、レンタルビデオ屋からダビング終了の電話が。面倒だ。激しく面倒。もう外に出たくない。このレンタルビデオ屋は深夜迄営業している。うちのの帰宅のときに取りに行ってもらおうか、と考えた。が、やめた。また愚痴愚痴と言われることが解っている。それにダビング料金が後払いなので、そのことでもまたぶつぶつと寝る迄文句を言われそうだ。疲れているときにうだうだとしょーもないことを言われ続けるのはしんどい。この間、やっとそのことに気付いた。よく私はうちのに、テンション高過ぎ、と言われる。出勤時、うちのはひとりで出掛ける。私は寝ている。平日に会うのは夜中だけ。だからテンションが高いのも夜中だ。何故テンションが高いのか。ヒキなので日中に話し相手がいない。因ってうちのが帰宅すると嬉しくて、しょーもないことでもいろいろと一所懸命に喋ってしまっているらしい。ときとしてそれは、かなり鬱陶しいようだ。何度か注意はされていた。でも。だって私は昼間ずーっと黙ってて詰まらないんだもん! で態度を余り改めなかった。改めるのは、相当にうちのが疲れているなり具合が悪いなりと判断できたときのみだった。ここ数日はお喋りを自粛気味。
祖母の見舞いから帰った私は心身共に疲れ果てて、かなり具合が悪かった。そんなとき、珍しくうちのがテンション高く話をしていた。私は頷いたりするのもしんどい。嗚呼、今迄すまなんだ。私が悪かった。自分がだるいときに相手がハイテンションなのは、こんなにも堪えるものだったのか。もう平謝りである。ごめん、私が悪かった、頼むから静かにしてくれ。頷きを繰り返すだけでも頭痛がするのだ。口をつくのは全て生返事。過去、うちのの生返事っぷりに腹を立てていた私だが、もう平日はなるべく怒るまいと決意した。ローテンションのときは、ハイテンションな相手に文句を言う気力もなかったりする。ハイテンションな方はローテンションな相手に不満を持つ。テンションの高低がこうもお互いにストレスを与えていたとは、ちょっとした驚きだった。これに今迄私が気付けなかったのは問題点が、テンション、だったからだろう。これがテンションではなく、欲求、だと非常に解り易い。食欲・性欲など。睡眠欲は……まあ不眠過眠持ちなので勘弁願うとして、食欲・性欲の高低もうちのと私は合わない。譲り合っていかなきゃだなあ、と考え出した今日この頃。譲り合う、は間違いか。譲らなければ、だ。高い方が低い方に。テンションについては熟知しているうちの、食欲・性欲を私のローに合わせてはくれまいか。今でもかなり合わせてくれているのかな? どうだろう。イマイチ客観視できていないかもしれない。余談。うちのは寝言が多い。昨日の寝言が面白かったので覚書。寝るから! あんた、もう寝てますがな。
BGM/アルバム「羅生門」
途中、その原っぱの掃除屋のオッサンに声をかけられた。オッサンは、ここに草食が50匹くらいいればいいのに、と言っていた。そのココロは、草毟りをしなくていいから。オッサンが言うことには、その原っぱには除草剤などは撒いていないらしい。草食を放つにあたり、一番気になっていたことが解って良かった。ぼけーっとベンチで寝っ転がったり、軽くストレッチしてみたり、一服したりで約1時間半も経っていた。空が曇ってきて草食がだらーんと伸びたところで再びキャリーに入れて帰宅。帰宅しても直ぐにケージには戻せない。未だにトイレを覚えない莫迦ちんなので、出掛けに気付いたケージ内の床のしっこの処理をしなければならない。しっこをティッシュで拭き取ればいいだけ……なのに。何をとち狂ったか、私はケージ内全掃除を始めてしまった。中を全掃除すれば今度はその周辺の汚さが気になりだした。周辺が綺麗になればまたその周辺が……と、キッチンから居間迄掃除。雑食の爪とぎも裏返して新品同様にしたり、玄関やキッチンのマットの下に滑り止めを敷いたり。布団にコロコロもかけた。換気も万全。ネットで飛行機の空席を調べてうちのにメール。そして3日程干しっ放しになっていた洗濯物を畳んで収納。普段の一週間分働いた気分。
当然疲れる。疲れたときや何かをしなければならないのにしたくないとき、私が逃避するのはマインスイーパだ。延々何時間でもできる。その昔、仕事に行きたくなくてトイレに行くのも忘れて12時間ぶっ通しでしていたこともある。で、ぼーっとマインスイーパに没頭していたところに、レンタルビデオ屋からダビング終了の電話が。面倒だ。激しく面倒。もう外に出たくない。このレンタルビデオ屋は深夜迄営業している。うちのの帰宅のときに取りに行ってもらおうか、と考えた。が、やめた。また愚痴愚痴と言われることが解っている。それにダビング料金が後払いなので、そのことでもまたぶつぶつと寝る迄文句を言われそうだ。疲れているときにうだうだとしょーもないことを言われ続けるのはしんどい。この間、やっとそのことに気付いた。よく私はうちのに、テンション高過ぎ、と言われる。出勤時、うちのはひとりで出掛ける。私は寝ている。平日に会うのは夜中だけ。だからテンションが高いのも夜中だ。何故テンションが高いのか。ヒキなので日中に話し相手がいない。因ってうちのが帰宅すると嬉しくて、しょーもないことでもいろいろと一所懸命に喋ってしまっているらしい。ときとしてそれは、かなり鬱陶しいようだ。何度か注意はされていた。でも。だって私は昼間ずーっと黙ってて詰まらないんだもん! で態度を余り改めなかった。改めるのは、相当にうちのが疲れているなり具合が悪いなりと判断できたときのみだった。ここ数日はお喋りを自粛気味。
祖母の見舞いから帰った私は心身共に疲れ果てて、かなり具合が悪かった。そんなとき、珍しくうちのがテンション高く話をしていた。私は頷いたりするのもしんどい。嗚呼、今迄すまなんだ。私が悪かった。自分がだるいときに相手がハイテンションなのは、こんなにも堪えるものだったのか。もう平謝りである。ごめん、私が悪かった、頼むから静かにしてくれ。頷きを繰り返すだけでも頭痛がするのだ。口をつくのは全て生返事。過去、うちのの生返事っぷりに腹を立てていた私だが、もう平日はなるべく怒るまいと決意した。ローテンションのときは、ハイテンションな相手に文句を言う気力もなかったりする。ハイテンションな方はローテンションな相手に不満を持つ。テンションの高低がこうもお互いにストレスを与えていたとは、ちょっとした驚きだった。これに今迄私が気付けなかったのは問題点が、テンション、だったからだろう。これがテンションではなく、欲求、だと非常に解り易い。食欲・性欲など。睡眠欲は……まあ不眠過眠持ちなので勘弁願うとして、食欲・性欲の高低もうちのと私は合わない。譲り合っていかなきゃだなあ、と考え出した今日この頃。譲り合う、は間違いか。譲らなければ、だ。高い方が低い方に。テンションについては熟知しているうちの、食欲・性欲を私のローに合わせてはくれまいか。今でもかなり合わせてくれているのかな? どうだろう。イマイチ客観視できていないかもしれない。余談。うちのは寝言が多い。昨日の寝言が面白かったので覚書。寝るから! あんた、もう寝てますがな。
BGM/アルバム「羅生門」
現在、4月30日。
うちのと私には、共通の趣味、というものがない。ちょっと詰まらない。共通の趣味が欲しくて、うちのに話を振ってみた。共通の趣味があった方がいいと思わん? PCでいいじゃん、俺は趣味じゃないけど。あんたの方がどっぷりとPC使いのクセに。うちのは、共通の趣味をお互いに模索する、という作業が最初は面倒らしかった。めげずに話を続けた。段々と会話が成立していく過程は楽しい。自分の話題やペースに相手を引き込むゲームのようだから。うちのがこんなことを言った。あんたが身体を動かすことが好きならいいのに。は? あんたも進んでスポーツをするタイプじゃなかろうて。だからさ、あんたが誘ってくれれば俺も運動する気になれるかなあ、と。それは、共通の、趣味、とは、言わん! 一緒に住み始めた頃は苦痛でしかなかったサッカー番組の時間を苛つかずに過ごせるようになっただけでも、私なりにスポーツに纏わる物事しては譲歩できてきているつもりだ。それに加えて、自ら身体を動かせ、とは。違う。論点がズレてきている。私が作りたい、共通の趣味、はお互いの既に持っている趣味の擦り合わせであり、新規趣味の設定ではないのだ。じゃあ、服でいいじゃん。服って……そりゃあ確かに私の衣類蒐集は趣味の部類に入るかもしれないけれど、あんたにとっては趣味って程でもないじゃない。俺は目立ったりするの嫌いだから。あんだけ悪目立ちする出来事をしでかしといて、目立つのが嫌い、とは片腹痛いわ。いや、ほら、そうじゃなくて、街中で浮くのはイヤだって話だよ。そりゃ私だって嫌だよ、でもあんたの服への拘りって目立たないことだけなん? そうだね。それは趣味じゃないだろう。うん。私の話、聞いてんの? うん。共通の趣味を持ちたいって話をしてんだよ!
話を具体的にしなければ進まない気配。例えばさ、お互いに音楽や本や映画は好きじゃない? そうだねえ。でもさ、それぞれの中でジャンルが違ってるでしょ、あんたはジャズや雑誌やハリウッド超大作が好きで、私はHR/HMや漫画や単館系邦画好きで、その辺で歩み寄りはできないもんかねえ、って話をしたいのだが。ああ。どうよ? ここから何をどう筋道を違えたのか、話の方向が大きく狂ってしまった。共通の趣味模索ではなく、うちののサブカル批判へ。うちのは書棚を見ても会話をしても、それこそパッと見の姿もサブカルチャー臭がする。これをうちのはどうしても認めない。サブカル=カコワルイ、のように言う。別にサブカルが恰好悪くても何でもいいんだけれど、自己批判になっていることに気付いているのかいないのか。問題はその辺りである。幾らメディアで取り上げられようと、激しく積極的に「アップルシード」を観たいと言っていたり、甲殻機動隊の続きだからといって「イノセンス」にそそくさと足を運ぶ奴が、サブカル批判というところが面白い。因みに最近になってうちのはやっと「のだめカンタービレ」に嵌り出した。私がどんなに薦めても読まなかったのに、会社で話題になったからという理由で読み始めたのが今ひとつ私には不愉快。私自身のうちのへの影響力の小ささを感じてしまった。そのことを言うと、うちにあるとあんたが薦めてもいつでも読めるしなあと後回しになっちゃうんだよ、とのこと。まあ解らんでもない。ついでに昨日うちのが買ってきた雑誌は「現代思想」。特集は、アナーキズム。サブカル嫌いねえ……ふーん。もうひとついうと、書棚で場所を取っている本は2種類。ユリイカと別冊宝島シリーズ。嫌いねえ……ふーん?
うちのの主張。いやね、別にサブカル自体が嫌いって訳じゃないんだよ。たださ、なんて言うの、サブカルがサブカルであろうとしている姿ってのがアレなんだよね。大規模でもメジャーでもいいものはあるのに、どうしてこう、サブカルの括りに入りたがるのかってのがさあ。でもってほら、そこのサークルからはみ出したものは認めたがらなかったりするじゃない、サブカルの人って。そういう姿勢がねえ。あんたがサブカルなのはいいんだよ。ただね、それだけでいいのか、ってのがあってさ。やっぱりいろんなものを観たり聴いたり読んだりすることが大事だと思う訳よ。その中で自分の好きなものを見つければいい訳で、サブカルの括りの中だけで探す必要はないじゃない。そういうことが言いたいんだよ。大きいものでもいいものはあるよ、って。サブカルの人はその辺で、大きいものは良くない、みたいな感じでアレなんだよなあ。サブカルの人は、サブカルだから恰好いい、みたいなのがねえ。どっちでもいいじゃん。
もうこの言い回しからサブカル臭を感じるのは私だけだろうか。そしてスタンスもその、サブカルの人、とまず同じであろうことに気づいてもらいたい。そしてサブカルの人のひとりである私の主張。だからね、別にサブカルだからカコイイと思ってる訳じゃないんだって。いろんなものに触れていって、辿り着いた先が所謂サブカルの括りに入るものが多かったってだけで。サブカルだから恰好いいなんて思ってないよ。某Aの曲と某Bの曲を聴いて某Bの方が好みだった、某Cと某Dを観て某Dの方が面白かった、そんだけの話なんだよ。たまたま自分にはサブカルなBやDの方がしっくりきただけであって、だからといってAやCを批判する気はないし。それをサブカルだから、小規模だからって理由で、BやDを好き、って思われるのは心外だよ。あんたが言うサブカルの人も大概はそうじゃないの? たまたま大衆の好きな方向と違っただけでない? あー、でも。私のサブカル好きは思春期の読書傾向が大きく影響しているかも。ずっと「噂の真相」と「ガロ」を読み続けていたからなあ。たまたま手に取ったもので方向性ができてくるってのはあるかもね。いやいや、でもね、だからって他のものを全部ダメだなんて斬って捨てる気は更々なくてさ。まあとにかく、私はサブカル=カコイイ、とは思っていませんよ、と。
話題がずれたので、共通の趣味見っけ! には至らなかった。これ迄にも何度かお互いにこの手の共通項を探そうとしている。なのに結局は上記のようにサブカル論になってしまうのは何故だ。うちのが、自分もサブカル好き、と認めればいいのに。もしかして私が脱ヲタを図り果たしたように、うちのは脱サブカルを図り果たしたのか。それなら頑ななサブカル否定の気持ちは解る気がする。もしかして。共通の趣味は、議論の為の議論、なのかもしれない、と今ふと思った。
うちのと私には、共通の趣味、というものがない。ちょっと詰まらない。共通の趣味が欲しくて、うちのに話を振ってみた。共通の趣味があった方がいいと思わん? PCでいいじゃん、俺は趣味じゃないけど。あんたの方がどっぷりとPC使いのクセに。うちのは、共通の趣味をお互いに模索する、という作業が最初は面倒らしかった。めげずに話を続けた。段々と会話が成立していく過程は楽しい。自分の話題やペースに相手を引き込むゲームのようだから。うちのがこんなことを言った。あんたが身体を動かすことが好きならいいのに。は? あんたも進んでスポーツをするタイプじゃなかろうて。だからさ、あんたが誘ってくれれば俺も運動する気になれるかなあ、と。それは、共通の、趣味、とは、言わん! 一緒に住み始めた頃は苦痛でしかなかったサッカー番組の時間を苛つかずに過ごせるようになっただけでも、私なりにスポーツに纏わる物事しては譲歩できてきているつもりだ。それに加えて、自ら身体を動かせ、とは。違う。論点がズレてきている。私が作りたい、共通の趣味、はお互いの既に持っている趣味の擦り合わせであり、新規趣味の設定ではないのだ。じゃあ、服でいいじゃん。服って……そりゃあ確かに私の衣類蒐集は趣味の部類に入るかもしれないけれど、あんたにとっては趣味って程でもないじゃない。俺は目立ったりするの嫌いだから。あんだけ悪目立ちする出来事をしでかしといて、目立つのが嫌い、とは片腹痛いわ。いや、ほら、そうじゃなくて、街中で浮くのはイヤだって話だよ。そりゃ私だって嫌だよ、でもあんたの服への拘りって目立たないことだけなん? そうだね。それは趣味じゃないだろう。うん。私の話、聞いてんの? うん。共通の趣味を持ちたいって話をしてんだよ!
話を具体的にしなければ進まない気配。例えばさ、お互いに音楽や本や映画は好きじゃない? そうだねえ。でもさ、それぞれの中でジャンルが違ってるでしょ、あんたはジャズや雑誌やハリウッド超大作が好きで、私はHR/HMや漫画や単館系邦画好きで、その辺で歩み寄りはできないもんかねえ、って話をしたいのだが。ああ。どうよ? ここから何をどう筋道を違えたのか、話の方向が大きく狂ってしまった。共通の趣味模索ではなく、うちののサブカル批判へ。うちのは書棚を見ても会話をしても、それこそパッと見の姿もサブカルチャー臭がする。これをうちのはどうしても認めない。サブカル=カコワルイ、のように言う。別にサブカルが恰好悪くても何でもいいんだけれど、自己批判になっていることに気付いているのかいないのか。問題はその辺りである。幾らメディアで取り上げられようと、激しく積極的に「アップルシード」を観たいと言っていたり、甲殻機動隊の続きだからといって「イノセンス」にそそくさと足を運ぶ奴が、サブカル批判というところが面白い。因みに最近になってうちのはやっと「のだめカンタービレ」に嵌り出した。私がどんなに薦めても読まなかったのに、会社で話題になったからという理由で読み始めたのが今ひとつ私には不愉快。私自身のうちのへの影響力の小ささを感じてしまった。そのことを言うと、うちにあるとあんたが薦めてもいつでも読めるしなあと後回しになっちゃうんだよ、とのこと。まあ解らんでもない。ついでに昨日うちのが買ってきた雑誌は「現代思想」。特集は、アナーキズム。サブカル嫌いねえ……ふーん。もうひとついうと、書棚で場所を取っている本は2種類。ユリイカと別冊宝島シリーズ。嫌いねえ……ふーん?
うちのの主張。いやね、別にサブカル自体が嫌いって訳じゃないんだよ。たださ、なんて言うの、サブカルがサブカルであろうとしている姿ってのがアレなんだよね。大規模でもメジャーでもいいものはあるのに、どうしてこう、サブカルの括りに入りたがるのかってのがさあ。でもってほら、そこのサークルからはみ出したものは認めたがらなかったりするじゃない、サブカルの人って。そういう姿勢がねえ。あんたがサブカルなのはいいんだよ。ただね、それだけでいいのか、ってのがあってさ。やっぱりいろんなものを観たり聴いたり読んだりすることが大事だと思う訳よ。その中で自分の好きなものを見つければいい訳で、サブカルの括りの中だけで探す必要はないじゃない。そういうことが言いたいんだよ。大きいものでもいいものはあるよ、って。サブカルの人はその辺で、大きいものは良くない、みたいな感じでアレなんだよなあ。サブカルの人は、サブカルだから恰好いい、みたいなのがねえ。どっちでもいいじゃん。
もうこの言い回しからサブカル臭を感じるのは私だけだろうか。そしてスタンスもその、サブカルの人、とまず同じであろうことに気づいてもらいたい。そしてサブカルの人のひとりである私の主張。だからね、別にサブカルだからカコイイと思ってる訳じゃないんだって。いろんなものに触れていって、辿り着いた先が所謂サブカルの括りに入るものが多かったってだけで。サブカルだから恰好いいなんて思ってないよ。某Aの曲と某Bの曲を聴いて某Bの方が好みだった、某Cと某Dを観て某Dの方が面白かった、そんだけの話なんだよ。たまたま自分にはサブカルなBやDの方がしっくりきただけであって、だからといってAやCを批判する気はないし。それをサブカルだから、小規模だからって理由で、BやDを好き、って思われるのは心外だよ。あんたが言うサブカルの人も大概はそうじゃないの? たまたま大衆の好きな方向と違っただけでない? あー、でも。私のサブカル好きは思春期の読書傾向が大きく影響しているかも。ずっと「噂の真相」と「ガロ」を読み続けていたからなあ。たまたま手に取ったもので方向性ができてくるってのはあるかもね。いやいや、でもね、だからって他のものを全部ダメだなんて斬って捨てる気は更々なくてさ。まあとにかく、私はサブカル=カコイイ、とは思っていませんよ、と。
話題がずれたので、共通の趣味見っけ! には至らなかった。これ迄にも何度かお互いにこの手の共通項を探そうとしている。なのに結局は上記のようにサブカル論になってしまうのは何故だ。うちのが、自分もサブカル好き、と認めればいいのに。もしかして私が脱ヲタを図り果たしたように、うちのは脱サブカルを図り果たしたのか。それなら頑ななサブカル否定の気持ちは解る気がする。もしかして。共通の趣味は、議論の為の議論、なのかもしれない、と今ふと思った。