ウエットとドライ
2004年6月7日 メイク・ファッション・ピアス 中途半端な安物の靴ばかりを履いていた昔。マーチンは既に穿き始めていた頃だったか、もっと気軽に履ける所謂、いい靴、が欲しかった。都内某所のフリーマーケットでビルケンシュトックのの靴に出会った。くすんだ青い紐靴。サイズは37。出店者と交渉という名の値踏み値下げ要求を経て、3500円で購入。それから数年。手にした日から今日迄のきっと半分の月日はあのビルケンを履いてきた気がする。外出の際には文字通り、私の足、になってくれた靴だった。けれど親しき仲に礼儀無用とばかりに、手入れは怠っていた。そして数日前に、靴の後ろの部分の革が避けていることに気が付いた。気が付いてしまった。しかも左右共。どうしたものか。この靴は数多所有している靴の中でも1・2を争う程に愛着のある靴。しかしこのまま履き続けていたら、裂け目は大きくなり見るも無残な姿になるだろう。悩んだ。うちのに相談したら、あんた靴いっぱいあるんだから1足位ダメになったって大丈夫でしょ、とあしらわれてしまった。うちのは物に対して余り愛着や執着を持たない人間なのだ。そんなドライな奴に相談した私が莫迦だった。ウエットな感傷に浸る私には、少なからず堪えた言葉だった。と同時に、そのドライさが羨ましくも思えた。
うちのは物に執着しない人間ではあるけれど、だからといって物を粗末にする人間でもない。ただ私のように物に思い入れを抱かないだけなのだ。だから要る物は要る物としてキチッと使い、その物が不要になったりダメになったりしたらスッパリと潔く斬り捨てる。これが勿体無い病患者とそうでない者の差か。私は物に対し、コレはあの日あのときあのシチュエーションで出会って私のところに来た物、コレはあの日あれに行ったときに着ていた物、などと物と出来事などを関連付けてしまう。すると物を処分する=思い出も消去する、というような倒錯した心持になり不安感や淋しさに襲われる。思い出と物の存在はあくまでも別個であり、関連付けをし始めるとキリがなくなる。宜しくない感情傾向である。だからといっていきなり割り切れるようになる訳でもなく、物凄く困った。そして数年前に某巨大掲示板某板に私が建てたスレッドを思い出した。誰かが書いてくれたアドバイス。捨てるのが淋しかったら写真などに収めておけばどうか。実践してみた。上から、前から、斜めから、後ろから、靴の写真を撮った。これは儀式。人が亡くなったときに遺族が葬式をするに似た、去り逝く物と残される者の最期の絆作りだ。今迄有難う、という気持ちで靴を眺めつつ撮った。
新しい靴を履いて靴擦れを起こしたとき、癒してくれたのはこの靴だった。沢山歩くことが解っている日にも大抵この靴を履いて出掛けた。何人もの人に、可愛い靴ですね、と褒めてもらった。幅広甲高でなかなか合う靴が見つからない不便な私の足を、柔らかな革で包んで癒してくれた靴。ひび割れが見つかる前から、革と靴底の間に隙間が発生していることに気付いてはいた。深夜静かな住宅街を歩くと、その隙間から漏れる空気がキュッキュッと鳴った。それでも気にしなかった。むしろ履き込んだ勲章のようにその音迄も愛しかった。そして寿命が近付いていることをひしひしと感じ取ってはいた。多くの人は、寿命が近づいてきた愛着のある物にどんな行動を取るのだろう。私は癌告知をしない家族のように、靴に対して何事も異変は起きていないように扱った。路面店に行けば、リペアをしてもらえる。だが、その修理費がなかなかに高い。安物の新品の靴が買えてしまうような値段設定。貧乏人の私は、修理を依頼するかどうするか迷い続けたままでいて、そしてひび割れ発覚。割れた革は直しようがないだろう。もっと早くリペアに出していたらひび割れは先延ばしできたのだろうか、もっとちゃんとメンテしていればこんな事態には見舞われずに済んだのか。それともどんなに手を尽くしても寿命は寿命でしかないのか。元々中古で手に入れた靴。更に私が数年履き込んだ靴。どう短く見積もっても、5年は誰かしらの足に履かれた靴だろう。
衣類・服飾小物の中で最も消耗が早いのは靴であろう。最低数足の靴を用意して、毎日違う靴を履くようにするとどの靴も長持ちすると言う。タケコプターのようだ。数多の靴を日々とっかえひっかえ履けば、この靴の寿命はきっと延びたに違いない。しかし服に普段着とフォーマルがあるように、靴にも普段用とハレの日用がある。私のハレの日用の靴はヒール靴であり、白い靴であり、レースアップの靴であり。ペタ靴やスニーカや下駄は普段用。このビルケンの靴も普段用。もう1足、少しだけ形が違う黒いビルケンの靴を所有している。これは革が硬く、これ迄履いていた青い方の靴に甘えっ放しで、私の足に馴染ませることを放棄したままの靴だ。これからはこちらの黒い靴に普段履きとして頑張ってもらわなければならないのだろう。どうか早く足に馴染んでくれますように。そしてどうか少しでも長持ちしてくれますように。ビルケンの靴の難点はただひとつ。私からしたらやや高価であることだ。他にも履き易さに定評のある靴ブランドは幾つかある。カンペール然り、トリッペン然り。うちのはカンペールを愛用しているけれど、私は所有していない。トリッペンも持っていない。ビルケンの実用性最重視の中でどうにか少しでも可愛くあろうと足掻く野暮ったさが好きなのだ。カンペールやトリッペンはデザイン性に富んでいて文句なしで可愛い靴も多い。対してビルケンは、可愛いっちゃあ可愛いかな、うん、というように靴の主張ではなく、選者が何処にどんな可愛さを見出すかにかかっている要素が強いように思う。ビルケンの丸っこさが可愛い、くすんだ色味が可愛い。履き易さの後付のように見出す可愛さ。その中には、履き易いが故に生まれる愛着も含まれている。私は重宝する可愛い物に激しく愛着を持つ。重宝できない不便な物にも愛着を持つ。取り敢えず一旦何かしらの理由で私の手元にきた物に対してはどうしても愛着が湧くのだ。だから物を捨てられない。できればこのひび割れた青い靴も取っておきたい。だが、収納スペースの関係上、それは無理な話だ。捨てねばならない。明日の燃えないゴミの日に。感謝の気持ちを胸に詰めてゴミ捨て場に行こう。
服/A/Tの紫色七分袖シャーリングカットソー+無印良品のタイシルク白×黒ギンガムチェッククロップドパンツ+ツモリのベージュメッシュ手提げ鞄+ビルケンの青い靴
うちのは物に執着しない人間ではあるけれど、だからといって物を粗末にする人間でもない。ただ私のように物に思い入れを抱かないだけなのだ。だから要る物は要る物としてキチッと使い、その物が不要になったりダメになったりしたらスッパリと潔く斬り捨てる。これが勿体無い病患者とそうでない者の差か。私は物に対し、コレはあの日あのときあのシチュエーションで出会って私のところに来た物、コレはあの日あれに行ったときに着ていた物、などと物と出来事などを関連付けてしまう。すると物を処分する=思い出も消去する、というような倒錯した心持になり不安感や淋しさに襲われる。思い出と物の存在はあくまでも別個であり、関連付けをし始めるとキリがなくなる。宜しくない感情傾向である。だからといっていきなり割り切れるようになる訳でもなく、物凄く困った。そして数年前に某巨大掲示板某板に私が建てたスレッドを思い出した。誰かが書いてくれたアドバイス。捨てるのが淋しかったら写真などに収めておけばどうか。実践してみた。上から、前から、斜めから、後ろから、靴の写真を撮った。これは儀式。人が亡くなったときに遺族が葬式をするに似た、去り逝く物と残される者の最期の絆作りだ。今迄有難う、という気持ちで靴を眺めつつ撮った。
新しい靴を履いて靴擦れを起こしたとき、癒してくれたのはこの靴だった。沢山歩くことが解っている日にも大抵この靴を履いて出掛けた。何人もの人に、可愛い靴ですね、と褒めてもらった。幅広甲高でなかなか合う靴が見つからない不便な私の足を、柔らかな革で包んで癒してくれた靴。ひび割れが見つかる前から、革と靴底の間に隙間が発生していることに気付いてはいた。深夜静かな住宅街を歩くと、その隙間から漏れる空気がキュッキュッと鳴った。それでも気にしなかった。むしろ履き込んだ勲章のようにその音迄も愛しかった。そして寿命が近付いていることをひしひしと感じ取ってはいた。多くの人は、寿命が近づいてきた愛着のある物にどんな行動を取るのだろう。私は癌告知をしない家族のように、靴に対して何事も異変は起きていないように扱った。路面店に行けば、リペアをしてもらえる。だが、その修理費がなかなかに高い。安物の新品の靴が買えてしまうような値段設定。貧乏人の私は、修理を依頼するかどうするか迷い続けたままでいて、そしてひび割れ発覚。割れた革は直しようがないだろう。もっと早くリペアに出していたらひび割れは先延ばしできたのだろうか、もっとちゃんとメンテしていればこんな事態には見舞われずに済んだのか。それともどんなに手を尽くしても寿命は寿命でしかないのか。元々中古で手に入れた靴。更に私が数年履き込んだ靴。どう短く見積もっても、5年は誰かしらの足に履かれた靴だろう。
衣類・服飾小物の中で最も消耗が早いのは靴であろう。最低数足の靴を用意して、毎日違う靴を履くようにするとどの靴も長持ちすると言う。タケコプターのようだ。数多の靴を日々とっかえひっかえ履けば、この靴の寿命はきっと延びたに違いない。しかし服に普段着とフォーマルがあるように、靴にも普段用とハレの日用がある。私のハレの日用の靴はヒール靴であり、白い靴であり、レースアップの靴であり。ペタ靴やスニーカや下駄は普段用。このビルケンの靴も普段用。もう1足、少しだけ形が違う黒いビルケンの靴を所有している。これは革が硬く、これ迄履いていた青い方の靴に甘えっ放しで、私の足に馴染ませることを放棄したままの靴だ。これからはこちらの黒い靴に普段履きとして頑張ってもらわなければならないのだろう。どうか早く足に馴染んでくれますように。そしてどうか少しでも長持ちしてくれますように。ビルケンの靴の難点はただひとつ。私からしたらやや高価であることだ。他にも履き易さに定評のある靴ブランドは幾つかある。カンペール然り、トリッペン然り。うちのはカンペールを愛用しているけれど、私は所有していない。トリッペンも持っていない。ビルケンの実用性最重視の中でどうにか少しでも可愛くあろうと足掻く野暮ったさが好きなのだ。カンペールやトリッペンはデザイン性に富んでいて文句なしで可愛い靴も多い。対してビルケンは、可愛いっちゃあ可愛いかな、うん、というように靴の主張ではなく、選者が何処にどんな可愛さを見出すかにかかっている要素が強いように思う。ビルケンの丸っこさが可愛い、くすんだ色味が可愛い。履き易さの後付のように見出す可愛さ。その中には、履き易いが故に生まれる愛着も含まれている。私は重宝する可愛い物に激しく愛着を持つ。重宝できない不便な物にも愛着を持つ。取り敢えず一旦何かしらの理由で私の手元にきた物に対してはどうしても愛着が湧くのだ。だから物を捨てられない。できればこのひび割れた青い靴も取っておきたい。だが、収納スペースの関係上、それは無理な話だ。捨てねばならない。明日の燃えないゴミの日に。感謝の気持ちを胸に詰めてゴミ捨て場に行こう。
服/A/Tの紫色七分袖シャーリングカットソー+無印良品のタイシルク白×黒ギンガムチェッククロップドパンツ+ツモリのベージュメッシュ手提げ鞄+ビルケンの青い靴
レクイエムは「シンパシー」
2004年6月6日 本・映画・音楽など 去年末の入院騒動からライヴやイベントへの参加を禁止されていた私。半年我慢した。もう限界。そして秋のツアーの前の公開済みライヴ予定は名阪のみ。ということで、苦い顔をするうちのを尻目に、都内某所で数ヶ月に1度開催されるハードロック喫茶に行ってきた。開始23時半で終了5時くらい。マスターの好きな音楽と客からの漠然としたリクエストと客からの挑戦状と称される持込皿及びCDが、どかどかな大音量でかけられそれらを聴かせてもらえるイベントである。小屋に入って陣取ったのはドリンクカウンターの近く。理由は(以下略。右も左も左前も知り合いサンばかり。いろんな人に、久しぶりー! 大丈夫だった? と声をかけられた。お恥ずかしい。お恥ずかしい。一晩の入院で済んだことを伝えると皆、もう呑んじゃダメよ、気をつけてね、お大事にね、など。あのときのことは忘れてください、と言うのを忘れてしまった。愛しの君はいつの間にやら来ていた。存在を確認し、去年末にお騒がせしたことを詫びると、いやいや大変だったね、年賀状を読んで無事は確認できていたから、今日はほどほどに、などのお言葉を頂戴した。因って昨日はチケットについてくる1ドリンクでオレンジジュースを飲み、後は持参した麦茶。本当はドリンク持込はいけないのだろうが、ノンアルコールドリンクのメニューには私が苦手な物も多く、ウーロン茶は好きだけれどカフェインが入っていることもあり、まず大丈夫ではあるけれどより慎重に行動しようと決めたからには、麦茶持参は仕方がないと個人的には思う。小屋の収入減に繋がってはいるが、救急車を呼ぶことを考えると安い物だと思っていただきたい。客の全てが健康体ではないのである。
イベントでは最初マスターの好きな曲が数曲かけられ、それからリクエストコーナーへ。私は3枚のリクエストカードを提出し、2枚採用された。嬉しき出来事。ひとつは、マスター父と同じくバンドの音になってしまうとベースの音が拾えなくなるので、ベースが聴き取り易い曲をお願いします。マスターは、文面からしてマスター所属の某バンドのファンなのでしょうが、この人にとってライヴでの僕の存在は何なのでしょう、と。会場爆笑。私は肩をすくめて心の中で、パフォーマです……。言うなれば、電気グルーヴに於けるピエール瀧のような……。楽器は弾いておられますが……。このリクエストに対しては5曲、ベースのイントロから始まる曲をかけてくれた。3曲目と5曲目がかなり解り易かった。が、それらのタイトルをメモするのを忘れてしまった。莫迦だ。その真ん中4曲目がアイアン・メイデンだったのはちゃんと覚えているのに。もうひとつ採用されたのは、先月死んでしまった草食にどかどか煩いレクイエムをお願いします。ここでかけてくれた曲は、マスターに頼んでアーティスト名・アルバム名・曲タイトルをメモ書きしてもらった。ユーライア・ヒープの「ファイアフライ」の「シンパシー」。近々買いに行こう。昨日はゲスト招待がなかったので、実に適度な混み具合。その中でふたつもリクエストに応えてくれたのは幸運だったのだろう。マスター、有難うございました。終盤にかけられた愛しの君持参のなぎら健壱の漫談だか語りだかのCD。相当に面白く客席も沸いたが、ちっともハードロックである筈がなくマスターはやや不満だった様子。9月もまた行く予定。
ゲスト設定はなかったけれど、愛しの君と新ドラマーが中盤にステージ上へ。事実上の新ドラマーお披露目か。ぃぇ〜ぃと陰鬱な気分になるかと思いきや、想像以上にトークの上手い人だった。尤もその想像自体が下の下の下位だったので、ちょっとまともな喋りが聞ければ即ち、トークが上手い、に変換されるようなものだったのだが。とにかく喋る人だった。マスターも愛しの君も冗長にぼそぼそと喋るタイプなので、元気一杯にテキパキ喋るその姿に微妙な気分。バンドに於いて吉と出るか凶と出るか。履歴紹介を聞く限りでは、下手な人ではなさそうでその点では安心感を得られた。ただ手数の多さは不明。上手くても手数が少ないと私には物足りないのだ。逆にリズムが解らなくなるくらいにどかどかとあらん限りの部品を叩くドラマーが好き。現在は0時から6時迄が練習時間らしい。深夜の。おかしいって。それにかこつけて3時位に、昼食の時間なので、とピンクフロイドを回しっ放しにしてステージ上で食事をするのはどうよ? OK。面白いから。そしてレコーディングの最中らしい。やはり愛しの君の曲作りが進んでいない模様。新ドラマーは経験豊かな人らしいのに、曰く、このバンドの曲の作り方は新鮮だ、とのこと。というのも、新ドラマーが今迄に経験してきた曲作りは、曲の頭から順に作り進めていくやり方だったとか。それに対しこのバンドの曲作りは、最初に恰好いいフレーズを決めて、そこから全体を作っていく、と。思うに、それはきっと練習に適当なデモテープを持参するマスターの曲の作り方ではなかろうか。私が知る限り、完璧主義の愛しの君の曲作りは中途半端なままではメンバーにも曲を発表せず、個人的に完璧に仕上げてからバンドに持ち込む形だったと思うのだが。変わったのか? 新ドラマーは既存曲のうち7〜8曲は取得した模様。「天国に結ぶ恋」は凄い、と言っていた。確かにこれも凄いのだが、その頃の曲だと「夜叉ヶ池」の方が凄いと個人的には思う。「相剋の家」も取得済みらしい。ライヴで聴けるのだろうか。この曲が下手だったら私は確実に怒るし、満足いくプレイをしてくれたらリスペクト。
私の音楽の聴き方。ベースが聴き取り難いのは前述の通り。ベースが単調にリズムを刻んでいるとドラムとごっちゃになり、ベースがメロディを奏でるとギターとごっちゃになる。重くて手数が多くて速いのが好き。で、昨日のイベントで気がついた。私はドラムをかなり重視して曲を聴いている。昔はボーカルを中心に聴いていたのに、いつの間にかドラム中心になっていたようだ。その気付きは、重さ・手数・速さ、このどれもが曲の構成に於いてドラムに比重がかかるから。このみっつの次に重視する好きポイントは歪み。これはドラムではなかなか出せない。顕著に歪が出せるのはギターだ。ベースは……、ベースがいなければバンドは成り立たないと言われるが、聴き取り難い私にとってはおま(以下略。ベースの音をちゃんと拾えるようになれば変わるのだろうか。数人の友人は、CDなどの音源で聴いて楽器それぞれの音をきちんと分けて拾えると言う。尊敬。CDでは絶対に無理だ。私はCDではドラム≧ボーカル≧ギター>>>>>ベース。ライヴではギター>ボーカル>>ドラム>>ベース。愛しの君がベース奏者なら違ったかな。いや、愛しの君が愛しの君とはなっていなかったかもだ。朝、帰宅したら今に撤去した筈の灰皿があり、うちのの吸殻が多数残っていた。笑った。
服/コキュの水色アオザイ+ナショナルスタンダードの7分丈デニム+コキュの金魚刺繍ミュール+ベージュの変形カーディガン+ツモリのメッシュ地ベージュ手提げ鞄+アナスイの蝶とクリアビーズとチェーンのぶら下がりピアス+同ブレスレット+とんぼ玉ヘアゴム+ラインストーン付き青いヘアピン5本
メイク/アナスイの下地→下地→カバーマークコンシーラ→スティラのフレグランスカラーブックの真ん中左と下段2色→FSPのアクアストロボのトロ→スティラ同ブック上段2色→ランコムのマジィーシル02→アナスイのアイブロウパウダー→ポール&ジョーのリップスティック26番→スイドリーム
イベントでは最初マスターの好きな曲が数曲かけられ、それからリクエストコーナーへ。私は3枚のリクエストカードを提出し、2枚採用された。嬉しき出来事。ひとつは、マスター父と同じくバンドの音になってしまうとベースの音が拾えなくなるので、ベースが聴き取り易い曲をお願いします。マスターは、文面からしてマスター所属の某バンドのファンなのでしょうが、この人にとってライヴでの僕の存在は何なのでしょう、と。会場爆笑。私は肩をすくめて心の中で、パフォーマです……。言うなれば、電気グルーヴに於けるピエール瀧のような……。楽器は弾いておられますが……。このリクエストに対しては5曲、ベースのイントロから始まる曲をかけてくれた。3曲目と5曲目がかなり解り易かった。が、それらのタイトルをメモするのを忘れてしまった。莫迦だ。その真ん中4曲目がアイアン・メイデンだったのはちゃんと覚えているのに。もうひとつ採用されたのは、先月死んでしまった草食にどかどか煩いレクイエムをお願いします。ここでかけてくれた曲は、マスターに頼んでアーティスト名・アルバム名・曲タイトルをメモ書きしてもらった。ユーライア・ヒープの「ファイアフライ」の「シンパシー」。近々買いに行こう。昨日はゲスト招待がなかったので、実に適度な混み具合。その中でふたつもリクエストに応えてくれたのは幸運だったのだろう。マスター、有難うございました。終盤にかけられた愛しの君持参のなぎら健壱の漫談だか語りだかのCD。相当に面白く客席も沸いたが、ちっともハードロックである筈がなくマスターはやや不満だった様子。9月もまた行く予定。
ゲスト設定はなかったけれど、愛しの君と新ドラマーが中盤にステージ上へ。事実上の新ドラマーお披露目か。ぃぇ〜ぃと陰鬱な気分になるかと思いきや、想像以上にトークの上手い人だった。尤もその想像自体が下の下の下位だったので、ちょっとまともな喋りが聞ければ即ち、トークが上手い、に変換されるようなものだったのだが。とにかく喋る人だった。マスターも愛しの君も冗長にぼそぼそと喋るタイプなので、元気一杯にテキパキ喋るその姿に微妙な気分。バンドに於いて吉と出るか凶と出るか。履歴紹介を聞く限りでは、下手な人ではなさそうでその点では安心感を得られた。ただ手数の多さは不明。上手くても手数が少ないと私には物足りないのだ。逆にリズムが解らなくなるくらいにどかどかとあらん限りの部品を叩くドラマーが好き。現在は0時から6時迄が練習時間らしい。深夜の。おかしいって。それにかこつけて3時位に、昼食の時間なので、とピンクフロイドを回しっ放しにしてステージ上で食事をするのはどうよ? OK。面白いから。そしてレコーディングの最中らしい。やはり愛しの君の曲作りが進んでいない模様。新ドラマーは経験豊かな人らしいのに、曰く、このバンドの曲の作り方は新鮮だ、とのこと。というのも、新ドラマーが今迄に経験してきた曲作りは、曲の頭から順に作り進めていくやり方だったとか。それに対しこのバンドの曲作りは、最初に恰好いいフレーズを決めて、そこから全体を作っていく、と。思うに、それはきっと練習に適当なデモテープを持参するマスターの曲の作り方ではなかろうか。私が知る限り、完璧主義の愛しの君の曲作りは中途半端なままではメンバーにも曲を発表せず、個人的に完璧に仕上げてからバンドに持ち込む形だったと思うのだが。変わったのか? 新ドラマーは既存曲のうち7〜8曲は取得した模様。「天国に結ぶ恋」は凄い、と言っていた。確かにこれも凄いのだが、その頃の曲だと「夜叉ヶ池」の方が凄いと個人的には思う。「相剋の家」も取得済みらしい。ライヴで聴けるのだろうか。この曲が下手だったら私は確実に怒るし、満足いくプレイをしてくれたらリスペクト。
私の音楽の聴き方。ベースが聴き取り難いのは前述の通り。ベースが単調にリズムを刻んでいるとドラムとごっちゃになり、ベースがメロディを奏でるとギターとごっちゃになる。重くて手数が多くて速いのが好き。で、昨日のイベントで気がついた。私はドラムをかなり重視して曲を聴いている。昔はボーカルを中心に聴いていたのに、いつの間にかドラム中心になっていたようだ。その気付きは、重さ・手数・速さ、このどれもが曲の構成に於いてドラムに比重がかかるから。このみっつの次に重視する好きポイントは歪み。これはドラムではなかなか出せない。顕著に歪が出せるのはギターだ。ベースは……、ベースがいなければバンドは成り立たないと言われるが、聴き取り難い私にとってはおま(以下略。ベースの音をちゃんと拾えるようになれば変わるのだろうか。数人の友人は、CDなどの音源で聴いて楽器それぞれの音をきちんと分けて拾えると言う。尊敬。CDでは絶対に無理だ。私はCDではドラム≧ボーカル≧ギター>>>>>ベース。ライヴではギター>ボーカル>>ドラム>>ベース。愛しの君がベース奏者なら違ったかな。いや、愛しの君が愛しの君とはなっていなかったかもだ。朝、帰宅したら今に撤去した筈の灰皿があり、うちのの吸殻が多数残っていた。笑った。
服/コキュの水色アオザイ+ナショナルスタンダードの7分丈デニム+コキュの金魚刺繍ミュール+ベージュの変形カーディガン+ツモリのメッシュ地ベージュ手提げ鞄+アナスイの蝶とクリアビーズとチェーンのぶら下がりピアス+同ブレスレット+とんぼ玉ヘアゴム+ラインストーン付き青いヘアピン5本
メイク/アナスイの下地→下地→カバーマークコンシーラ→スティラのフレグランスカラーブックの真ん中左と下段2色→FSPのアクアストロボのトロ→スティラ同ブック上段2色→ランコムのマジィーシル02→アナスイのアイブロウパウダー→ポール&ジョーのリップスティック26番→スイドリーム
ジェンダー・コンプレックス
2004年6月5日 思想もどき 現在6月6日。
一昨日の夜にうちのが禁煙実行開始。私の煙草を気にして少し苛々していた。昼前にうちのと共に家を出て、うちのは髪を切りに、私は病院に。睡眠リズムは改善されつつあるけれど日中がとてもだるい、と話し、前回の処方を活かしつつパキシルを戻してもらい、ソラは戻さない代わりにメイラックスを追加。これで少しは改善されるかな? パキシルを切られていた間もだるくて堪らない日はストックを飲んで凌いでいたから変わらないか? 診察後にうちのと合流。昼食は気を遣って全席禁煙のラーメン屋へ。満席に近い混みようだと注文した物が出てくるのに多少時間がかかるのは仕方がなかろうも、うちのは、遅いなあ!、を連発。通常なら、まあ混んでるから仕方ないやね、と流せる程度の時間しか経っていないのに。何かがおかしい。注文した物が出されて美味しく食べて、ぶらぶらとお洋服屋や小物屋を冷やかし、途中でうちのが仕事用のシャツを2枚購入し、本屋へ。砂・南Q太・安彦麻理絵の最新刊をそれぞれ購入。それから無印良品でうちのが興味を持っていた食材を購入し、帰宅前に喫茶店に入った。注文して5分経つか経たないかのうちに再びうちのが、遅いなあ! と言い出した。煩い。そして煙草を吸う私に、煙い煙い! と。灰皿を自分の方に限りなく近づけ、極力うちのに煙がかからないように気をつけていたのに。きっと私が喫煙するのが悪いのではない。うちのが悪いのだ。禁煙は開始3日〜1週間が最もキツい期間らしい。それはそうかもしれないが、私には知ったこっちゃなし。吸いたいのに吸えない苛々を選んだのは、うちの自身だ。私は一言も禁煙してくれなんて頼んでいない。なのに何でこんなにあたられなければならないのか。禁煙者ではなく嫌煙者のように苛々したうちのを見ているとつらくなった。そして私は、とても窮屈な居心地だった。
帰宅後、珈琲を飲んでいたうちのがいつの間にか寝てしまった。ヨガのレッスンに行く用意をして出発5分前に起こすと、だるくてダメ、ひとりで行っといで。眠かった私は便乗してヨガを休んで昼寝。ふとんにごろりと横たわって買ってきた3冊を読破。安彦麻理絵は良い意味でも悪い意味でも相変わらず。南Q太の「トラや」は連載を飛ばし飛ばし読んでいたもので、これは南Q太作品の中で1番好き。読んでいる最中はほのぼの、読後感は爽やか。いい人しか出てこない内容でも嫌味がなく、私はきっと飽きることなくこの漫画を愛し続けられそうな気がする。そして待望の第2作品集がいつの間にか刊行されていた砂。上手いのだけれど、安定感のない絵だ。上手いと言っても好みの絵柄ではないのだが。内容は……実験性は高まっているが、思想性に於いてパワーダウンの感を否めない。この作者のテーマは一貫して、搾取されない女性性である。テーマそのものは変わっていないけれど、日和が見える。自分の得意なパターンと読者サービスと思しきエロが鼻についた。エロはエロで一向に構わない。しかしそこで思想性を前面に出して男性に、コレで抜いたら負け、と思わせるようなアピールが減った気がする。減ったことでエロ漫画好きの層には受け入れ易くなったかもしれないけれど、私には物足りなくなってしまった。搾取される女性性とセックスシーンが一篇の中で分けられているのだ。「フェミニズム・セックスマシーン」ではエロシーンに強烈に思想性が入り込んでいたのが魅力だったのに、「サイバーポルノ」では……。商業性を高めようとしているのだろうか。質としては相変わらず高いが、前作と比較するとやはり劣る。のんびりと次回作品集の刊行を待とう。
女性性は昔から東西を問わず、男性性に搾取されるものだった。うちのがシャツを購入した際に、私は何か手頃な値段で気に入る物があれば便乗しようと考えていた。この便乗とは子供がよくやるような、買い物主体者がレジで会計をするときにサッと自分の欲しい物を出してその場を離れて、というアレだ。帰り道に便乗できなかったのが残念だった、とチラッと話したら、うちのが文句を言ってきた。ので、かつて女性性は搾取される存在でしかなく、現代になってジェンダー・フリーの声が高まり、女性性を利用して男性から搾取することが可能になりつつあり、云々と田嶋某のような強引な理論をぶってみたところ、うちのが予想外の反応を見せてきた。反論してくるかと思いきや、拗ねてしまったのだ。どうせ俺は高卒だしジェンダーなんて難しい言葉は解りませんよ、大卒さんは凄いですね、何でも知っていますね、今あんたが働かずに暮らしているのも過去の女性性のなんちゃらかんちゃらですか、いやあ大卒の考える高尚なことは俺には解らん、と。女性性・男性性・ジェンダーについて私は最低限の知識しか持ち得ていない。その最低限の知識の中でちょっとした言葉遊びがしたかっただけなのに、まさか拗ねられてしまうとは。ついでに私の最終学歴は大卒だなんて言うのも憚られる学校である。バリバリ仕事をして、年齢の平均収入を上回るうちのに、学歴コンプレックスがあったとは驚きだった。普段はそんなコンプレックスを見せてこない人間なのだ。参った。私が悪かった。私は呉智英の潔い学歴至上主義を大半の部分で支持している。大半から漏れている支持できない部分は、学歴至上主義者には言うも恥ずかしい最終学歴の持ち主である自分の心に巣食うコンプレックスだ。アッシー・メッシー・貢クンなどという言葉がかなり前に流行した。女性が力を持ち始めたなどという論調もあった。アッシー・メッシー・貢クンの行動は女性の買い物に絡め取られて目につき易い。因って、買い物の便乗について話すときにジェンダー論を出しただけなのだ。私には言葉遊びでしかなかったのだ。言葉の主体は受け手にある。某巨大掲示板某板や某板の数スレに名言が残されている。悪気なく悪いことを言うのは悪い人。悪気なくものを言う人は善悪の区別がつかない危険人物。極論ではあるが、正しい。そして言葉遊びがしたかっただけの私の発言が、うちののコンプレックスを刺激したなら、私が悪い。この程度でコンプレックスを刺激されるなんて軟だ、なんて言うのは傲慢極まりない。誰しもデリケートな部分は持っており、何時なんどきそこを他者に突かれるかは解らない。防御できない者は弱者ではあるけれど、敗者ではない。言葉にしろ力にしろ、問題は暴力を振るう側にある。吉田秋生に同意する。
一昨日の夜にうちのが禁煙実行開始。私の煙草を気にして少し苛々していた。昼前にうちのと共に家を出て、うちのは髪を切りに、私は病院に。睡眠リズムは改善されつつあるけれど日中がとてもだるい、と話し、前回の処方を活かしつつパキシルを戻してもらい、ソラは戻さない代わりにメイラックスを追加。これで少しは改善されるかな? パキシルを切られていた間もだるくて堪らない日はストックを飲んで凌いでいたから変わらないか? 診察後にうちのと合流。昼食は気を遣って全席禁煙のラーメン屋へ。満席に近い混みようだと注文した物が出てくるのに多少時間がかかるのは仕方がなかろうも、うちのは、遅いなあ!、を連発。通常なら、まあ混んでるから仕方ないやね、と流せる程度の時間しか経っていないのに。何かがおかしい。注文した物が出されて美味しく食べて、ぶらぶらとお洋服屋や小物屋を冷やかし、途中でうちのが仕事用のシャツを2枚購入し、本屋へ。砂・南Q太・安彦麻理絵の最新刊をそれぞれ購入。それから無印良品でうちのが興味を持っていた食材を購入し、帰宅前に喫茶店に入った。注文して5分経つか経たないかのうちに再びうちのが、遅いなあ! と言い出した。煩い。そして煙草を吸う私に、煙い煙い! と。灰皿を自分の方に限りなく近づけ、極力うちのに煙がかからないように気をつけていたのに。きっと私が喫煙するのが悪いのではない。うちのが悪いのだ。禁煙は開始3日〜1週間が最もキツい期間らしい。それはそうかもしれないが、私には知ったこっちゃなし。吸いたいのに吸えない苛々を選んだのは、うちの自身だ。私は一言も禁煙してくれなんて頼んでいない。なのに何でこんなにあたられなければならないのか。禁煙者ではなく嫌煙者のように苛々したうちのを見ているとつらくなった。そして私は、とても窮屈な居心地だった。
帰宅後、珈琲を飲んでいたうちのがいつの間にか寝てしまった。ヨガのレッスンに行く用意をして出発5分前に起こすと、だるくてダメ、ひとりで行っといで。眠かった私は便乗してヨガを休んで昼寝。ふとんにごろりと横たわって買ってきた3冊を読破。安彦麻理絵は良い意味でも悪い意味でも相変わらず。南Q太の「トラや」は連載を飛ばし飛ばし読んでいたもので、これは南Q太作品の中で1番好き。読んでいる最中はほのぼの、読後感は爽やか。いい人しか出てこない内容でも嫌味がなく、私はきっと飽きることなくこの漫画を愛し続けられそうな気がする。そして待望の第2作品集がいつの間にか刊行されていた砂。上手いのだけれど、安定感のない絵だ。上手いと言っても好みの絵柄ではないのだが。内容は……実験性は高まっているが、思想性に於いてパワーダウンの感を否めない。この作者のテーマは一貫して、搾取されない女性性である。テーマそのものは変わっていないけれど、日和が見える。自分の得意なパターンと読者サービスと思しきエロが鼻についた。エロはエロで一向に構わない。しかしそこで思想性を前面に出して男性に、コレで抜いたら負け、と思わせるようなアピールが減った気がする。減ったことでエロ漫画好きの層には受け入れ易くなったかもしれないけれど、私には物足りなくなってしまった。搾取される女性性とセックスシーンが一篇の中で分けられているのだ。「フェミニズム・セックスマシーン」ではエロシーンに強烈に思想性が入り込んでいたのが魅力だったのに、「サイバーポルノ」では……。商業性を高めようとしているのだろうか。質としては相変わらず高いが、前作と比較するとやはり劣る。のんびりと次回作品集の刊行を待とう。
女性性は昔から東西を問わず、男性性に搾取されるものだった。うちのがシャツを購入した際に、私は何か手頃な値段で気に入る物があれば便乗しようと考えていた。この便乗とは子供がよくやるような、買い物主体者がレジで会計をするときにサッと自分の欲しい物を出してその場を離れて、というアレだ。帰り道に便乗できなかったのが残念だった、とチラッと話したら、うちのが文句を言ってきた。ので、かつて女性性は搾取される存在でしかなく、現代になってジェンダー・フリーの声が高まり、女性性を利用して男性から搾取することが可能になりつつあり、云々と田嶋某のような強引な理論をぶってみたところ、うちのが予想外の反応を見せてきた。反論してくるかと思いきや、拗ねてしまったのだ。どうせ俺は高卒だしジェンダーなんて難しい言葉は解りませんよ、大卒さんは凄いですね、何でも知っていますね、今あんたが働かずに暮らしているのも過去の女性性のなんちゃらかんちゃらですか、いやあ大卒の考える高尚なことは俺には解らん、と。女性性・男性性・ジェンダーについて私は最低限の知識しか持ち得ていない。その最低限の知識の中でちょっとした言葉遊びがしたかっただけなのに、まさか拗ねられてしまうとは。ついでに私の最終学歴は大卒だなんて言うのも憚られる学校である。バリバリ仕事をして、年齢の平均収入を上回るうちのに、学歴コンプレックスがあったとは驚きだった。普段はそんなコンプレックスを見せてこない人間なのだ。参った。私が悪かった。私は呉智英の潔い学歴至上主義を大半の部分で支持している。大半から漏れている支持できない部分は、学歴至上主義者には言うも恥ずかしい最終学歴の持ち主である自分の心に巣食うコンプレックスだ。アッシー・メッシー・貢クンなどという言葉がかなり前に流行した。女性が力を持ち始めたなどという論調もあった。アッシー・メッシー・貢クンの行動は女性の買い物に絡め取られて目につき易い。因って、買い物の便乗について話すときにジェンダー論を出しただけなのだ。私には言葉遊びでしかなかったのだ。言葉の主体は受け手にある。某巨大掲示板某板や某板の数スレに名言が残されている。悪気なく悪いことを言うのは悪い人。悪気なくものを言う人は善悪の区別がつかない危険人物。極論ではあるが、正しい。そして言葉遊びがしたかっただけの私の発言が、うちののコンプレックスを刺激したなら、私が悪い。この程度でコンプレックスを刺激されるなんて軟だ、なんて言うのは傲慢極まりない。誰しもデリケートな部分は持っており、何時なんどきそこを他者に突かれるかは解らない。防御できない者は弱者ではあるけれど、敗者ではない。言葉にしろ力にしろ、問題は暴力を振るう側にある。吉田秋生に同意する。
睡眠障害とご都合主義
2004年6月4日 雑感・所感 昨夜は1時半頃に眠剤を入れて就寝。眠剤休薬日を増やしている所為か、とても早く眠りにつけてお布団と懇ろな仲になっていると、莫迦者が電話を寄越してきた。昔の職場の同僚である。用件は、20時間寝てしまい会社をサボってしまった、今起きたところでこの時間でも夜型人間のあんたなら起きてそうだから。着信履歴を見ると2時45分。死ね。うちのに決められた就寝リミットは3時なので、起きていた可能性はある。あるけれどもだな、私はひとり暮らしではないのだ。うちのとふたりで共同生活を営んでいるのだ。仮に私が起きていたとしても、うちのが寝ていた可能性がある。常識で考えて行動してくれ、頼むから。私も常識無しではあるけれど、こういう常識無しな人間は如何なものかと思う。仲のいい相手だったとしても疎遠になる。ところがこの相手、お互いに会社を辞めた今では懇意にしている訳でもなく、元々疎遠だ。疎遠の先は縁切りか? 私は就寝時でも携帯電話そのものの電源や着信音を消さない。誰かが夜中に電話をかけてくるということは非常事態に他ならず、そうでなければ鳴らなくて当然だからだ。この相手に対して着信拒否設定施行を考え中。莫迦は何処迄行ってもやはり莫迦なのだな、と再実感。不幸中の幸いは、電話を切ってすぐにまた眠りにつけたことである。これで眠りにつけなくなっていたらコ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カだったところだ。睡眠障害者の睡眠を妨害してはいかん。
夜中に睡眠を妨害されたにも拘らず、今朝はうちのの起床と同時に起きた。むしろ私の方が早く起きた。目覚まし時計の音が癇に障って仕方がなかったのだ。どうも神経過敏になっている模様。ボウルにコーンフレークと牛乳とにがり3滴とスプーンを入れてうちのを起こした。うちのの朝食時間は、私のぼんやりする時間である。平日の朝、私が起きていたとしても一緒に食べることは殆どない。うちのが食べ終えてから私も同じ物を食べる。同じ食器で。その方が洗い物が少なく済んで合理的だからだ。うちのを送り出し、日頃ならそのままだらりとネット遊びを始めるところ、今日は布団に戻ってしまった。そのままごろごろと昼過ぎ迄寝ていた。その2度寝で見た夢。舞台は音大。私の専攻が何だったのかは不明だが、鍵盤楽器ではなかったらしい。新入生の合宿ミーティングで鍵盤楽器に興味があると近くにいた男の子に話すと、その男の子はどうやら私のことを好きになったらしく合宿解散前に大きな楽器を貸してくれようとした。大きな楽器は鍵盤が5列程ついている割にはコンパクトで腋に抱えてどうにか運べるような物。隣にいた同級生である愛しの君に借りていいものかどうか相談すると、これは安くても4〜500万円する代物だよ、と言われ、借りて壊したら洒落にならん、と悩む話。なんじゃそりゃ。音大に合格できるような得意楽器はない、愛しの君とは年齢が離れており同い年の同級生はあり得ない、ないない尽くしの極め付けが、私のことを好きになってくれて高価な楽器を貸してくれるという男の子の存在。パンを咥えて、遅刻しちゃう! と走っていると曲がり角で転校生にぶつかり憤慨し、教室で転校生を紹介されて……というくらいにご都合主義な夢だった。目覚めてから自分の脳足りん加減に嫌気が差した程だ。
嫌気が強くて3度寝をする気になれず、起きて昼食を食べて、うちのに頼まれていた美容院への予約を済ませ、病院にでも行こうかなーと思ったけれど面倒なので中止。中途半端に時間が余る。そんなときは寝るに限るのに、寝る気になれないこのもどかしさ。昨日遂にうちのに指摘された、服塚の処理に取り掛かってみた。が、やはり収納しきれない。現在はまた、要らないと思われる服を着ては処分している最中なのだが、去年末にかなりやっつけた為、要らない服の絶対数が減ってきている。そして困るは寝るときの姿。うちのに三輪明宏のドレスと称されたワンピースをいつ迄も着続けるのも莫迦らしいし、布地がたっぷりと使われているので場所を取る。次回の燃えるゴミの日に処分決定。塚を平たくしつつ衣装箱に突っ込んでいく中で、寝間着に降格させられそうな服を探したのだけれど、ない。寝間着の条件。通気性・吸湿性が良く、布地が柔らかいもの。となると、Tシャツやカットソーにパンツとなる。今あるそれらを見回したところ、Tシャツやカットソーは辛うじて寝間着兼普段着と妥協しても、条件に合うパンツがない。困った。実際にはデニムを穿いて寝ることにも抵抗がなければさして疲れもしない人間なのだが、気が引ける。冬用のパジャマはちゃんとカテゴライズ済み。去年末の衣類大処分のときに、夏のこと迄考えていなかったのが運の尽き。真夏ならTシャツにショーツ1枚でもいいけれど、この時期は中途半端で、下がショーツだけでは流石に寒い。スウェットっぽいものを購入……だと本末転倒。所有ワンピースにはまだ降格させられるものはないし、普段着と兼用にもしたくない。今はスパッツで誤魔化しているが、どうにもみっともなくて悲しい。春秋の寝間着カテゴライズは目下の課題である。
話は変わって今夜の揉めごと。帰宅してうちのが開口一番、できればもう少し遅い時間にして欲しかった、と言ってきた。美容院予約の話だ。明日の予定は、うちのが髪を切りに行ってからヨガ、と昨日話し合った筈で、その予定に従うならば適切と思われる時間に予約を入れたのに、もっと寝たかった、と。更に話を進めて行くと食い違い過多。昨日話した週末の予定設定に於いて私は、土曜はうちのが髪を切りに行った後でヨガ、日曜は天気と私の体調次第ではあるが草食の墓参りの後でうちのはプールで私は帰宅。うちのは、土曜は髪を切りに行った後にプール、日曜は墓参り後にヨガ、となっていた。こうなると証人がいる訳でなし、言った言わないの水掛け論になるので私が折れた。折れる迄に疲れてしまった。疲れを癒す為に明日・明後日は各々個人行動。私は明日の夜、久々にイベントに出掛ける予定を入れた。凡そ半年振り。うちのは難色を示しているが、知らん。
服/スカラーの4色リボン付き半袖フリルカットソー+キリウォッチの茶色いカーディガン+ズッカのチェック風パッチワークスカート+生成りの靴下+ドクターマーチンの赤いレザースニーカー+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+赤ビーズのブレスとお揃いのピアス+革の三連ブレス(ダイヤのピアス×2とクローバー型ターコイズピアス×1はデフォになっているので今後省略。これ迄の日記でも何度か省略済み)
BGM/アルバム「羅生門」
夜中に睡眠を妨害されたにも拘らず、今朝はうちのの起床と同時に起きた。むしろ私の方が早く起きた。目覚まし時計の音が癇に障って仕方がなかったのだ。どうも神経過敏になっている模様。ボウルにコーンフレークと牛乳とにがり3滴とスプーンを入れてうちのを起こした。うちのの朝食時間は、私のぼんやりする時間である。平日の朝、私が起きていたとしても一緒に食べることは殆どない。うちのが食べ終えてから私も同じ物を食べる。同じ食器で。その方が洗い物が少なく済んで合理的だからだ。うちのを送り出し、日頃ならそのままだらりとネット遊びを始めるところ、今日は布団に戻ってしまった。そのままごろごろと昼過ぎ迄寝ていた。その2度寝で見た夢。舞台は音大。私の専攻が何だったのかは不明だが、鍵盤楽器ではなかったらしい。新入生の合宿ミーティングで鍵盤楽器に興味があると近くにいた男の子に話すと、その男の子はどうやら私のことを好きになったらしく合宿解散前に大きな楽器を貸してくれようとした。大きな楽器は鍵盤が5列程ついている割にはコンパクトで腋に抱えてどうにか運べるような物。隣にいた同級生である愛しの君に借りていいものかどうか相談すると、これは安くても4〜500万円する代物だよ、と言われ、借りて壊したら洒落にならん、と悩む話。なんじゃそりゃ。音大に合格できるような得意楽器はない、愛しの君とは年齢が離れており同い年の同級生はあり得ない、ないない尽くしの極め付けが、私のことを好きになってくれて高価な楽器を貸してくれるという男の子の存在。パンを咥えて、遅刻しちゃう! と走っていると曲がり角で転校生にぶつかり憤慨し、教室で転校生を紹介されて……というくらいにご都合主義な夢だった。目覚めてから自分の脳足りん加減に嫌気が差した程だ。
嫌気が強くて3度寝をする気になれず、起きて昼食を食べて、うちのに頼まれていた美容院への予約を済ませ、病院にでも行こうかなーと思ったけれど面倒なので中止。中途半端に時間が余る。そんなときは寝るに限るのに、寝る気になれないこのもどかしさ。昨日遂にうちのに指摘された、服塚の処理に取り掛かってみた。が、やはり収納しきれない。現在はまた、要らないと思われる服を着ては処分している最中なのだが、去年末にかなりやっつけた為、要らない服の絶対数が減ってきている。そして困るは寝るときの姿。うちのに三輪明宏のドレスと称されたワンピースをいつ迄も着続けるのも莫迦らしいし、布地がたっぷりと使われているので場所を取る。次回の燃えるゴミの日に処分決定。塚を平たくしつつ衣装箱に突っ込んでいく中で、寝間着に降格させられそうな服を探したのだけれど、ない。寝間着の条件。通気性・吸湿性が良く、布地が柔らかいもの。となると、Tシャツやカットソーにパンツとなる。今あるそれらを見回したところ、Tシャツやカットソーは辛うじて寝間着兼普段着と妥協しても、条件に合うパンツがない。困った。実際にはデニムを穿いて寝ることにも抵抗がなければさして疲れもしない人間なのだが、気が引ける。冬用のパジャマはちゃんとカテゴライズ済み。去年末の衣類大処分のときに、夏のこと迄考えていなかったのが運の尽き。真夏ならTシャツにショーツ1枚でもいいけれど、この時期は中途半端で、下がショーツだけでは流石に寒い。スウェットっぽいものを購入……だと本末転倒。所有ワンピースにはまだ降格させられるものはないし、普段着と兼用にもしたくない。今はスパッツで誤魔化しているが、どうにもみっともなくて悲しい。春秋の寝間着カテゴライズは目下の課題である。
話は変わって今夜の揉めごと。帰宅してうちのが開口一番、できればもう少し遅い時間にして欲しかった、と言ってきた。美容院予約の話だ。明日の予定は、うちのが髪を切りに行ってからヨガ、と昨日話し合った筈で、その予定に従うならば適切と思われる時間に予約を入れたのに、もっと寝たかった、と。更に話を進めて行くと食い違い過多。昨日話した週末の予定設定に於いて私は、土曜はうちのが髪を切りに行った後でヨガ、日曜は天気と私の体調次第ではあるが草食の墓参りの後でうちのはプールで私は帰宅。うちのは、土曜は髪を切りに行った後にプール、日曜は墓参り後にヨガ、となっていた。こうなると証人がいる訳でなし、言った言わないの水掛け論になるので私が折れた。折れる迄に疲れてしまった。疲れを癒す為に明日・明後日は各々個人行動。私は明日の夜、久々にイベントに出掛ける予定を入れた。凡そ半年振り。うちのは難色を示しているが、知らん。
服/スカラーの4色リボン付き半袖フリルカットソー+キリウォッチの茶色いカーディガン+ズッカのチェック風パッチワークスカート+生成りの靴下+ドクターマーチンの赤いレザースニーカー+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+赤ビーズのブレスとお揃いのピアス+革の三連ブレス(ダイヤのピアス×2とクローバー型ターコイズピアス×1はデフォになっているので今後省略。これ迄の日記でも何度か省略済み)
BGM/アルバム「羅生門」
幅広甲高呪うのみ
2004年6月3日 メイク・ファッション・ピアス 友人と電話。メイン・テーマはサンダルについてである。サンダルやミュールを履く際にストッキングは厳禁、というのがこの友人との共通認識である。さて、昨日ネットオークションで落札したツモリのレースアップサンダルが届いた。可愛い。レースアップのリボン幅が広いので、結び難さを懸念していたけれど無用だった。革がとても柔らかく脚によく馴染む。試し履き。幅広甲高の私の足を柔らかい革リボンが包み……至福。アキレス腱のところでリボン結びをしてトータルで見てみると、こりゃいかん。幅広甲高に見事にフィットしてくれたこのサンダル、踵にはフィットしてくれない。具体的に書くと、足の踵からサンダルの足を乗せる部分が1cm程も残って見えているのだ。うー……む。サンダルやミュールを履くにあたり、最も綺麗な踵の位置はサンダル・ミュールの足を乗せる部分の後ろギリギリのライン若しくはやや足の踵がはみ出す位とされている。逆だ。踵ではなくサンダルそのものがはみ出している。どうしたものか。やや競り合った代物。サンダルそのものの見た目は最強に可愛い。甲にも脚にも馴染む。しかし踵部分が大問題。このサンダルを履いて外に出て良いものかどうか。多少のみっともなさが付き纏うのは確実なのだが、そのみっともなさが多なのか少なのか、それが自分では判断できない。因って友人にご意見賜ってみた。友人曰く、履く、そして誰かに指摘されたらやめる、とのこと。指摘される前に判断を仰ぐというのが電話をかけた意図だったのだが、やはり実物を見ていないので何とも言えない、と。尤もだ。この友人は記憶力が良い。この友人以外の友人も大概記憶力が良い。比私だと皆記憶力のいい人間なので当然か。友人が覚えていた私の昔話。と或る靴屋での出来事。どんなタイプの靴を買おうとしていたか迄は覚えていないが、その靴屋に於いて私の足に合う靴が一足も見つからなかったという話。いいな、と思ったものを片っ端から試し履きするも全て幅広甲高な私の足には馴染んでくれない。酷い物だと私の足を拒否しているかのように、爪先迄しか入らなかったりする。そんなこともあり、私はネットオークションで靴に入札する前には、幅広甲高でも大丈夫かを訊くか、自分の足よりもやや大きめの物を選ぶ。この、やや大きめの物を選ぶ、が見事裏目に出たのが今回だ。
そもそもツモリの靴は華奢な作りの物が多く、私の足には馴染まない。だからデパートなどの靴コーナーで見ても悲しみつつスルー。しかしこのサンダルは欲しく、ちょっと思い切った買い物だった。これが所謂普通の靴なら何ら問題はないのだ。1cm程度の余りなら気にしないか、靴下や中敷で調整が可能だ。ところがサンダルたる物、そのような小細工は一切通用しない。気にしないように気にしつつ履くか、サイズが合わないものと割り切って出品するか半日悩んでも決められず、友人に相談した次第。昨日はもうひとつ、イエナのセレクト物のレースアップシューズが届いた。これはサンダルではなく、スリッポンタイプの靴に麻紐のリボンが付いた物。こちらはジャストサイズだった。逆ならマシだったのに……。私にとって、ツモリの靴が全滅なのはつらい。毎シーズンのように登場する様々なシュウマイシューズは憧れだ。ただただ自分の幅広甲高の足を呪うのみ。近頃はワイズが明記された靴も増えてきた。ワイズとはEとかEEEとかの表示のこと。幅広に関してはEかEEが対応すると経験で解り、また同時に幅広甲高に優しい靴メーカも記憶されてきている為、靴購入時の失敗はかなり減ってきた。と思い自信をつけてきた矢先にコレだ。ツモリの靴、別ラインで構わないから幅広甲高に優しく可愛い靴を出してはくれまいか。服も靴もメーカによって、デザインによってサイズはまちまちだ。私の体型なら基本はMサイズか9号。けれど薄っぺらい上半身にはSサイズや7号が合うこともあり、太ましい下半身にはMや9号だとキツく且つLや11号だと大き過ぎたりする。丈の長さとかは好きなデザインにしてもらっていい。腕を入れる袖ぐりや肩幅やウエストは統一して欲しい。デザイン性の高い服の供給が過多な昨今、もうサイズ表記は余りあてにならなくなってきている気がする。
少し前、私は小悪魔テイストを渇望していた。そしてなかなかに難しいと割り切ってから、中身は小悪魔、外見はガーリッシュを心掛けるようになった。ところがふと気がつくと、小悪魔らしさへの拘りが減ってきている。いかん。小悪魔よりもガーリッシュよね、という転向ならいいのだが、ガーリッシュに執着し過ぎて小悪魔が後回しになっているのだ。同時にふたつ以上のことができない頭の悪さがこんなところにも……。見回すと私の周りにはガーリッシュテイスト満載の物たちが溢れ、中身はダラだ。これでいいのか、28歳。いい筈がない。特にアイテムが無駄に増えているのがよろしくない。ということで、友人にフリーマーケット出店を持ちかけてみた。この友人も服好きで、見せてもらったことはないが話振りからして、どうも部屋に服塚が幾つもありそうな気配なのだ。因みに私のPC周りに日曜に作られた塚はまだそのままである。片付けたいのだが、収納場所がない。うちのと相談をして、ハンガーラックの購入を決めた。2台目である。届くのが再来週かその次の週。塚はそのとき迄温存される気配。友人には10日頃迄にフリーマーケットの参加不参加を決めて欲しい旨を伝えた。参加の連絡がきたら、それから服の要不要の選別を始めよう。ネットオークション出品の方が高く売れるけれど、今回は数を捌きたいし、その数多の服をいちいちサイジングするのも面倒だし、服についてしまった煙草の匂いへのクレーム処理も面倒だから。その場限りで済むフリーマーケットこそ、喫煙者と非喫煙者が共に納得できるリサイクルの場ではなかろうか。
以前、ネット掲示板上で服を減らす相談をしたことがある。そのときにもらったアドバイスのひとつが、オークションに出して売れ残った物は捨てる、というもの。これを突き進めた形でフリーマーケットに挑みたい所存。というのも、ネットオークションだと売れ残る理由に最初の値段設定の失敗がある。高過ぎると売れ難い、安過ぎても胡散臭くてやはり売れ難い。1円スタートでも大概の物は相場迄引き上げられるが、もし50点出品して半分がスタート価格の1円で売れ、もう半分が売れ残ったと仮定する。すると出品料の損以外に、出品準備及び発送準備の手間が莫迦莫迦しい。フリーマーケットなら50円100円でも売れなければ、商品を手に取ってもらった上でのことなので納得して処分できよう。1000円で3枚売れれば出店料の元は取れるし、準備も価格設定と1度の荷物運びのみ。……書いていてカネコマダラのような気がしてきたけれど、気にしない。余談。ウニコのカットソーはやはり可愛かった。
そもそもツモリの靴は華奢な作りの物が多く、私の足には馴染まない。だからデパートなどの靴コーナーで見ても悲しみつつスルー。しかしこのサンダルは欲しく、ちょっと思い切った買い物だった。これが所謂普通の靴なら何ら問題はないのだ。1cm程度の余りなら気にしないか、靴下や中敷で調整が可能だ。ところがサンダルたる物、そのような小細工は一切通用しない。気にしないように気にしつつ履くか、サイズが合わないものと割り切って出品するか半日悩んでも決められず、友人に相談した次第。昨日はもうひとつ、イエナのセレクト物のレースアップシューズが届いた。これはサンダルではなく、スリッポンタイプの靴に麻紐のリボンが付いた物。こちらはジャストサイズだった。逆ならマシだったのに……。私にとって、ツモリの靴が全滅なのはつらい。毎シーズンのように登場する様々なシュウマイシューズは憧れだ。ただただ自分の幅広甲高の足を呪うのみ。近頃はワイズが明記された靴も増えてきた。ワイズとはEとかEEEとかの表示のこと。幅広に関してはEかEEが対応すると経験で解り、また同時に幅広甲高に優しい靴メーカも記憶されてきている為、靴購入時の失敗はかなり減ってきた。と思い自信をつけてきた矢先にコレだ。ツモリの靴、別ラインで構わないから幅広甲高に優しく可愛い靴を出してはくれまいか。服も靴もメーカによって、デザインによってサイズはまちまちだ。私の体型なら基本はMサイズか9号。けれど薄っぺらい上半身にはSサイズや7号が合うこともあり、太ましい下半身にはMや9号だとキツく且つLや11号だと大き過ぎたりする。丈の長さとかは好きなデザインにしてもらっていい。腕を入れる袖ぐりや肩幅やウエストは統一して欲しい。デザイン性の高い服の供給が過多な昨今、もうサイズ表記は余りあてにならなくなってきている気がする。
少し前、私は小悪魔テイストを渇望していた。そしてなかなかに難しいと割り切ってから、中身は小悪魔、外見はガーリッシュを心掛けるようになった。ところがふと気がつくと、小悪魔らしさへの拘りが減ってきている。いかん。小悪魔よりもガーリッシュよね、という転向ならいいのだが、ガーリッシュに執着し過ぎて小悪魔が後回しになっているのだ。同時にふたつ以上のことができない頭の悪さがこんなところにも……。見回すと私の周りにはガーリッシュテイスト満載の物たちが溢れ、中身はダラだ。これでいいのか、28歳。いい筈がない。特にアイテムが無駄に増えているのがよろしくない。ということで、友人にフリーマーケット出店を持ちかけてみた。この友人も服好きで、見せてもらったことはないが話振りからして、どうも部屋に服塚が幾つもありそうな気配なのだ。因みに私のPC周りに日曜に作られた塚はまだそのままである。片付けたいのだが、収納場所がない。うちのと相談をして、ハンガーラックの購入を決めた。2台目である。届くのが再来週かその次の週。塚はそのとき迄温存される気配。友人には10日頃迄にフリーマーケットの参加不参加を決めて欲しい旨を伝えた。参加の連絡がきたら、それから服の要不要の選別を始めよう。ネットオークション出品の方が高く売れるけれど、今回は数を捌きたいし、その数多の服をいちいちサイジングするのも面倒だし、服についてしまった煙草の匂いへのクレーム処理も面倒だから。その場限りで済むフリーマーケットこそ、喫煙者と非喫煙者が共に納得できるリサイクルの場ではなかろうか。
以前、ネット掲示板上で服を減らす相談をしたことがある。そのときにもらったアドバイスのひとつが、オークションに出して売れ残った物は捨てる、というもの。これを突き進めた形でフリーマーケットに挑みたい所存。というのも、ネットオークションだと売れ残る理由に最初の値段設定の失敗がある。高過ぎると売れ難い、安過ぎても胡散臭くてやはり売れ難い。1円スタートでも大概の物は相場迄引き上げられるが、もし50点出品して半分がスタート価格の1円で売れ、もう半分が売れ残ったと仮定する。すると出品料の損以外に、出品準備及び発送準備の手間が莫迦莫迦しい。フリーマーケットなら50円100円でも売れなければ、商品を手に取ってもらった上でのことなので納得して処分できよう。1000円で3枚売れれば出店料の元は取れるし、準備も価格設定と1度の荷物運びのみ。……書いていてカネコマダラのような気がしてきたけれど、気にしない。余談。ウニコのカットソーはやはり可愛かった。
某バンド、新ドラマー決定! オフィシャルサイトにて発表!バンザーイ! 去年末に前任ドラマーが脱退して以来、ずーっとライヴも新譜発表もなかった愛しの君の某バンドの話である。ドラマーが決定→活動再開、は激しく嬉しい。嬉しいが……。昨夜、同バンドファンの友人とメッセで会話。新ドラマー決まったよ→へー、どんな人?→よく知らない。ふたりで検索。ファンサイトが幾つか引っ掛った。えー……。ノリが違う。キャーッという嬌声がモニタの向こうから聞こえてきそうな勢い。ドラマー本人が書いたらしいコラムも発見。イエーイ! か。そうか。タイムカプセルには牛丼を入れたいのか。そうか。ぃぇ〜ぃ……。暫し友人との間に微妙な雰囲気が流れる。きっとモニタに向いつつ、友人と私の顔には地主おねいのように、いやだな、と書かれていた筈だ。職人肌ではなさそうだね。でもあのふたりがこの人を新ドラマーとして認めたんだから仕方ないよ。尤もだ。ネット上でうだうだ言っていても始まらない。取り敢えず、プレイを聴いてみなくては。手数が多いドラマーだと嬉しいがどうなのだろう。次のライヴは……名古屋と大阪。東京がない! 半年以上ぶりのライヴとはいえ、前回の愛しの君ソロワークのセッションも我慢したとはいえ、うちのは遠征はさせてくれなかろう。ツアータイトルが「地獄の夏祭り」。脳内にセットリストが華を咲かせる。アレとアレとアレとアレは絶対に演奏するだろう。聴きたい! でもドラムがぐだぐだだったら……。いや、それを確認する意味でも聴きたい! 8月迄はまだ時間がある。どんな交通手段が安いのか調べるだけ調べてみるか。それよりも東京でのライヴを開催して欲しいものだがな。
話は変わって。汚言症なるものがあるらしい。TPOに拘らず、所謂キタナイ言葉を発してしまう症状。患者の存在自体が稀で、主にチック症の子供に多いらしいのだが、大人でもストレスで強迫神経症のように発症することがあるらしい。昨日「ユリイカ」のバックナンバーを読んでいてこの言葉を初めて知り、ネットで調べたところ、こういうものらしい。この言葉に引っ掛ったのはうちのの、ちんこまんこうんこしっこ発言の多さとTPOを無視した発言時期に関係する。私がセックスを拒否してしまっていることで、うちのはストレスを感じている。拒否以前は昨今のように無駄にこの手の言葉を多発しはしなかった。もしかして私がうちのを受け入れないことが原因で、うちのは汚言症を発症しているのではなかろうか。そう考えると、物凄く申し訳ない気持ちに襲われた。うちのにこの話をすると、それは解らないけど……、と。ただリズムのいい言葉だからついつい言っちゃうだけだよ、とは言っていたけれど、リズムの良い言葉なら他にも五万とある訳で、よりによって汚言である必要はない。双方がストレスを抱えて精神的に参ってきている。どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、と焦る程に眩暈がしてくる。でも、どうにかしなきゃ。一昨日の夜、うちのに言ってしまった。あんたがその手の言葉を無駄に言うたびに私はプレッシャーを感じてストレスが蓄積される。うちのにとってのストレッサーが何を言うか、だ。つらいのは私だけではない。よく、夫婦一緒なら幸せは2倍で悲しみは半分、などと言われている。夫婦ではないけれどうちでは、一緒にいると幸せは各々が勝手に感じストレスは倍増、だ。こんなのおかしい。正さなきゃ。正さなきゃ。頭がくらくらする。
不調なので短め。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
話は変わって。汚言症なるものがあるらしい。TPOに拘らず、所謂キタナイ言葉を発してしまう症状。患者の存在自体が稀で、主にチック症の子供に多いらしいのだが、大人でもストレスで強迫神経症のように発症することがあるらしい。昨日「ユリイカ」のバックナンバーを読んでいてこの言葉を初めて知り、ネットで調べたところ、こういうものらしい。この言葉に引っ掛ったのはうちのの、ちんこまんこうんこしっこ発言の多さとTPOを無視した発言時期に関係する。私がセックスを拒否してしまっていることで、うちのはストレスを感じている。拒否以前は昨今のように無駄にこの手の言葉を多発しはしなかった。もしかして私がうちのを受け入れないことが原因で、うちのは汚言症を発症しているのではなかろうか。そう考えると、物凄く申し訳ない気持ちに襲われた。うちのにこの話をすると、それは解らないけど……、と。ただリズムのいい言葉だからついつい言っちゃうだけだよ、とは言っていたけれど、リズムの良い言葉なら他にも五万とある訳で、よりによって汚言である必要はない。双方がストレスを抱えて精神的に参ってきている。どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、と焦る程に眩暈がしてくる。でも、どうにかしなきゃ。一昨日の夜、うちのに言ってしまった。あんたがその手の言葉を無駄に言うたびに私はプレッシャーを感じてストレスが蓄積される。うちのにとってのストレッサーが何を言うか、だ。つらいのは私だけではない。よく、夫婦一緒なら幸せは2倍で悲しみは半分、などと言われている。夫婦ではないけれどうちでは、一緒にいると幸せは各々が勝手に感じストレスは倍増、だ。こんなのおかしい。正さなきゃ。正さなきゃ。頭がくらくらする。
不調なので短め。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
草間やら三輪やらジュディやら
2004年6月1日 雑感・所感 ここのところ、午前中に起きて夜中の暗いうちに寝られることが増え、生活そのものは規則正しくなってきている。それに反して精神面が不安定。不安定、は正確ではないか。些細なことにカチンときてしまう。そしてそのカチンという感情を上手く処理できない。昨日、歯科にて治療が開始された。昔神経を抜いて治療してあった歯のクラウンがかなり前から取れており、その取れたクラウンの下に残っていた歯が虫歯になっていたらしく、神経を抜いてある故に痛くないところから始めましょうか、とこの歯の治療から始まった訳だが。神経を抜いてあるから痛くないと解っていても、治療器具の発する音が怖いし、歯を削られているときの振動も怖い。そしてこれは以前かかった歯科医の腕が悪かった所為なのだけれど、私には神経のない歯を削られているにも拘らず、痛みを伴う大出血をさせられたことがある。歯そのものだけでなく、歯茎迄削られたのだ。こんな腕の悪い歯科医はそうそういないと、頭では解っている。解っていても、治療台に寝て口を開けた無防備な姿になると、この忌まわしき記憶が思い出されてひたすら怖い。怖いとドキドキする。このドキドキの素は治療への恐怖心に他ならないのに、ドキドキが長引くとPDの予期不安とごっちゃになって、ここで発作が起きたらどうしよう! と焦る。この歯科での初回診察時に、PDであることは伝えてある。心療歯科ではないから仕方がないのも解っている。でも。私が恐怖に目を瞑りパンツの布地をぎゅーっと握り締めて耐えているときに、キツい口調で、痛くないでしょ! なんて言われると、怖がっている自分が怒られている気がして余計にドキドキし、恐怖心に精神的萎縮迄加わる。しかも何で治療中の口の中を4人も覗いているんだ! 恥ずかしいじゃないか! 歯科治療は羞恥を伴うのだ。ひさのうちみちおの知人でもあるまいし、私はその羞恥に悦びを覚えたりはしない。むしろ恥辱。なんで怒られなきゃならないの! なんで沢山の人が覗いているの! が昼間のカチン。
夜、ほろ酔いでうちのが帰宅してきた。相変わらずちんこまんこと煩い。小学生低学年か、おまいは。おまけに私は、その小学生低学年大爆笑な単語を無意味に連発されると腹が立つ。この腹立ちは、相手の餓鬼臭さとセックスレスであることへのプレッシャー。私のセックスレスは、女性版EDと言えるかもしれない。HIV感染恐怖症。私自身はシロ。クロになりたくないが為に性交渉を避けている。ついでに餓鬼臭い無意味な発言をする相手に所謂セックスアピールは感じない。ちんこまんこ連発にカチンときた私。昼間のカチンを収める矛先がなかったこともあり、聞き流せずに怒ってしまった。もう限界! こういうのが続くとこの先やっていけないかもしれない! するとうちのは、俺もこれ以上セックスレスが続くとやっていけないかもしれない、と言った。他所でしてこいっつってもそんな簡単に相手が見つかると思ってんの? 相手を紹介してくれるの? けれど喧嘩には発展せず。過去に何度も話した筈のHIV感染への恐怖心。うちのは私が繰り返し話しているときは、何年もセックスレスが続く程に深刻だとは思っていなかったようだ。過去に何度も、検査してみて、とお願いしている。しかし仕事の忙しさもあり、うちの自身が件を受けるという行為に消極的だったこともあり、何年もそのままになっていた。昨日はちゃんと聞いてくれたと思う。忙しいなら保健所の無料検査ではなく、即日判定をしてくれる病院でもいい。うちのが検査に行ってくれてシロ判定を受けてくれれば嬉しい。自身の感染恐怖を、うちのに解決させようとしている他力本願さも解っている。それでも検査を受けること自体は良いことだと思っているので、この点に関しては他力本願上等ではないか。私は既に自身の義務として検査を済ませているのだし。相手にだけ検査を強要し、あんたがシロなら私もシロね、なら大問題だが。
昨日のカチンは他にもいろいろ。日曜にフリーマーケットで購入して、サイズが怪しい物を試着したところ、やはり3点、私には大きすぎる物があった。ひとつはウエストの実寸を測ったら80cm程もあったパンツ。レディース物なのに大き過ぎ。色はとても好みだったのでがっかり倍増。これはうちのに穿かせてみたらぴったりだった。ので、あげた。ちょっと悔しいけれど無駄にならなかっただけ良しとしよう。ひとつは着てみると床掃除ができてしまう程に長過ぎる薄紫の地に刺繍の入ったインポート物ワンピース。これはレーヨンで涼しく、楊柳なので着心地もいい。夏物のパジャマ、いや形からしてネグリジェか、に決定。しかし背中に当たるタグが痛い。切ったけれどまだ残った布地が当たると少しチクチクする。何度か洗濯して布地が草臥れてくればチクチクは解消するだろうか。ひとつは手作り1点物のたっぷりとした紺×赤の水玉ワンピース。昨日、これを着て出掛けようとしたら……難し過ぎ。ベルトでウエストマークすればどうにかなるかと思っていたのに、いやはやそれでもたっぷりし過ぎで様にならない。ふと思いついてこのワンピースの下に白×紫のドットパンツを穿いてみた。水玉キチの草間弥生のような人間が鏡に映ってげんなり。そんなイタズラはさて置き、このワンピースは整体に通っている親にあげることに決定。ゆとりがあるので治療中にでも着てくれ。
寝る前に上記薄紫ワンピースを着てみたところ、うちのに激しくからかわれた。そのからかい方がちょっと面白かった。ああ、そういや日記に書いてたよなあ! 今夜の私は三輪明宏。紫のドレスを着て蝶のように踊るの、舞うの、でも裾が絡まってダンスは上手く踊れない、布団の中でお眠りなさい、って。書いてねえ! 三輪明広の名前はアナスイの限定ドーリーの話でも書いたっけ? と思ってしまったがドレスと絡めて書いてはいないし、そもそもあれはドレスじゃなくて只のワンピースだし。薄紫のワンピースは、きっとうちのの目には脳内補完で濃紫の物凄い勢いでデコラティヴな物になっているのだろう。それにしても布団の中でお眠りなさい、って。ジュディ・オングとはまた懐かしい。しかも私の中ではなく、布団の中。まんま過ぎ。余談。最近気付いたこと。起きて直ぐに日記を書くと目が覚める。因って最近は前倒しで日記アップ。
昨日の服/薄紫のキャミ+ローズバッドのスクラッチフレンチスリーブカットソー+ジャーナルスタンダードの茶色い裾絞りパンツ+茶色いストラップシューズ+一澤帆布国防色ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+アジア風ブレスレット
今日の服/H.A.Kの浅葱色長袖カットソー+スカラーの花柄別布付きVネックベスト+コキュのフリル付きラップデニムスカート+インポート物水色ベースの小花柄スパッツ+ビルケンの青い靴+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+ネイビーキャスケット
夜、ほろ酔いでうちのが帰宅してきた。相変わらずちんこまんこと煩い。小学生低学年か、おまいは。おまけに私は、その小学生低学年大爆笑な単語を無意味に連発されると腹が立つ。この腹立ちは、相手の餓鬼臭さとセックスレスであることへのプレッシャー。私のセックスレスは、女性版EDと言えるかもしれない。HIV感染恐怖症。私自身はシロ。クロになりたくないが為に性交渉を避けている。ついでに餓鬼臭い無意味な発言をする相手に所謂セックスアピールは感じない。ちんこまんこ連発にカチンときた私。昼間のカチンを収める矛先がなかったこともあり、聞き流せずに怒ってしまった。もう限界! こういうのが続くとこの先やっていけないかもしれない! するとうちのは、俺もこれ以上セックスレスが続くとやっていけないかもしれない、と言った。他所でしてこいっつってもそんな簡単に相手が見つかると思ってんの? 相手を紹介してくれるの? けれど喧嘩には発展せず。過去に何度も話した筈のHIV感染への恐怖心。うちのは私が繰り返し話しているときは、何年もセックスレスが続く程に深刻だとは思っていなかったようだ。過去に何度も、検査してみて、とお願いしている。しかし仕事の忙しさもあり、うちの自身が件を受けるという行為に消極的だったこともあり、何年もそのままになっていた。昨日はちゃんと聞いてくれたと思う。忙しいなら保健所の無料検査ではなく、即日判定をしてくれる病院でもいい。うちのが検査に行ってくれてシロ判定を受けてくれれば嬉しい。自身の感染恐怖を、うちのに解決させようとしている他力本願さも解っている。それでも検査を受けること自体は良いことだと思っているので、この点に関しては他力本願上等ではないか。私は既に自身の義務として検査を済ませているのだし。相手にだけ検査を強要し、あんたがシロなら私もシロね、なら大問題だが。
昨日のカチンは他にもいろいろ。日曜にフリーマーケットで購入して、サイズが怪しい物を試着したところ、やはり3点、私には大きすぎる物があった。ひとつはウエストの実寸を測ったら80cm程もあったパンツ。レディース物なのに大き過ぎ。色はとても好みだったのでがっかり倍増。これはうちのに穿かせてみたらぴったりだった。ので、あげた。ちょっと悔しいけれど無駄にならなかっただけ良しとしよう。ひとつは着てみると床掃除ができてしまう程に長過ぎる薄紫の地に刺繍の入ったインポート物ワンピース。これはレーヨンで涼しく、楊柳なので着心地もいい。夏物のパジャマ、いや形からしてネグリジェか、に決定。しかし背中に当たるタグが痛い。切ったけれどまだ残った布地が当たると少しチクチクする。何度か洗濯して布地が草臥れてくればチクチクは解消するだろうか。ひとつは手作り1点物のたっぷりとした紺×赤の水玉ワンピース。昨日、これを着て出掛けようとしたら……難し過ぎ。ベルトでウエストマークすればどうにかなるかと思っていたのに、いやはやそれでもたっぷりし過ぎで様にならない。ふと思いついてこのワンピースの下に白×紫のドットパンツを穿いてみた。水玉キチの草間弥生のような人間が鏡に映ってげんなり。そんなイタズラはさて置き、このワンピースは整体に通っている親にあげることに決定。ゆとりがあるので治療中にでも着てくれ。
寝る前に上記薄紫ワンピースを着てみたところ、うちのに激しくからかわれた。そのからかい方がちょっと面白かった。ああ、そういや日記に書いてたよなあ! 今夜の私は三輪明宏。紫のドレスを着て蝶のように踊るの、舞うの、でも裾が絡まってダンスは上手く踊れない、布団の中でお眠りなさい、って。書いてねえ! 三輪明広の名前はアナスイの限定ドーリーの話でも書いたっけ? と思ってしまったがドレスと絡めて書いてはいないし、そもそもあれはドレスじゃなくて只のワンピースだし。薄紫のワンピースは、きっとうちのの目には脳内補完で濃紫の物凄い勢いでデコラティヴな物になっているのだろう。それにしても布団の中でお眠りなさい、って。ジュディ・オングとはまた懐かしい。しかも私の中ではなく、布団の中。まんま過ぎ。余談。最近気付いたこと。起きて直ぐに日記を書くと目が覚める。因って最近は前倒しで日記アップ。
昨日の服/薄紫のキャミ+ローズバッドのスクラッチフレンチスリーブカットソー+ジャーナルスタンダードの茶色い裾絞りパンツ+茶色いストラップシューズ+一澤帆布国防色ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+アジア風ブレスレット
今日の服/H.A.Kの浅葱色長袖カットソー+スカラーの花柄別布付きVネックベスト+コキュのフリル付きラップデニムスカート+インポート物水色ベースの小花柄スパッツ+ビルケンの青い靴+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+ネイビーキャスケット
一昨日は19時に寝て昨日6時に起床。昨夜は3時に寝て今朝は10時半起床。素晴らしき哉。昨日の日記は早朝、2度寝防止の為に書いたものであり、昨日の出来事には触れていないのでここで少し。昨日は近所の広場でのフリーマーケット開催日。数ヶ月前に行ったときは、規模が縮小されたのか? と思う程に出店者も客も少なかったのに、昨日はそのときの倍くらいの出店があった。しかも商品も私のツボに嵌る物、多数。従って予想を激しく上回る散財。ここ数日はネットオークションでもかつての予算よりも上限を上げ、しかも複数の買い物をしている。フリーマーケットはその場で支払い、お財布があっと言う間に淋しくなった。なのに今日はネットオークション落札物の支払いに銀行及び郵便局に、これから行かねばならぬ。買い控えなどと思った脳髄の乾かぬうちにコレだから、やはり私は鳥頭。来月辺り、自分でも出店しよう。そうしよう。今、このPCデスクの周りにはみっつの山がある。ひとつはTシャツ及びカットソーの山、ひとつはパンツ及びワンピースの山、ひとつはシャツ類と鞄と帽子の山。これらをこれから片付けねばならぬ。激しく億劫。昨日のフリーマーケットでは私の好みをストレートに付いた挙句、商品の殆どが新品という人がいた。有難う。お陰でネットオークションで競り負けたクチャの籠バッグやケイタのカットソーが入手できた。この人はクチャやドゥ!ファミリーの商品を多数出しており、片っ端から欲しくなった。しかし片っ端から買うような財力も収納スペースもなく、6点に絞るのが大変だった。そのうちの1点はうちののジーンズ。うちのは一昨日飲んで帰ってきて昨日は昼過ぎまで寝ていた。だからと言って私だけ買い物をしてくると拗ねるのでうちの用にも買った訳だが、このパンツのサイズが見事に当たった。そのお陰か、PCデスク周辺の山に文句は言われずに済んで助かった。
出店者のオネーサンのひとりと雑談。知らない人だけれど、フリーマーケットでは価格交渉からちょっとした雑談になることもたまにある。そのオネーサンは可愛い古着を多く出していた。所謂アンティークやレトロな古着。オネーサン、古着好きですか。うーん、でもね……。ああ、解る! 私もだ! アンティークやレトロな衣類に私は去年嵌った。しかしふとアンティーク・レトロ物から興味が逸れて、そうではない服を着たくなる。これが何故か周期的にやってくる。オネーサンも同じタイプだったようで、話が合ってなかなかに安価でいろいろ譲ってくれた。そして昨日の収穫物の中の特筆すべき逸品。朱塗りの高足下駄。水玉リボンの麦藁帽子。ガーリッシュ・スタイルに現在進行形で嵌っている私には嬉しい物だった。特に下駄。履き込まれた物のようでそれなりに傷みはある。だが、それが吉と出ていた。前の所有者が履き慣らしてくれていたお陰で鼻緒が痛くないのだ。先日購入した下駄はまだ鼻緒が固く、絆創膏無しには履けない。こっちも早く慣らさなくては。麦藁帽子のリボンは少し色褪せている。でも嫌な褪せ方ではなく、レトロな感じの褪せ方で悪くない。前々から麦藁帽子は欲しかったのだが、なかなかコレといった物に出会えなかったことと、買ったところで収納に場所を取ることを考えて我慢していた。しかしまあ200円ならワンシーズン使い倒して終了でも良かろう。わざわざ粗雑に扱う気もないけれど、それもまあ良し、と。
昨日の流れを時系列で纏める。起床→日記アップ→フリーマーケット出陣→帰宅して昼食→再度出陣→帰宅してうちのと共にヨガ教室→喫茶店でお茶→外食→帰宅→だらりとPC遊び→うちのが「あるある大辞典」を観てにがりを欲しがり近所のスーパー→だらりとPC遊び→就寝。昨日はヨガに行ってきた。その際に運動着を持って行かねばならないのだけれど、昨日は敢えて水着で挑戦。これはブラをしていると窮屈、けれどサイズの合うスポブラはなかなかない、そしてニプレスだと途中で剥がれることがあること及び普段のTシャツと短パンでは腿に足を引っ掛けるようなポーズのときに滑って不便なことを踏まえての打開策だ。レッスン前、先生に水着着用の可・不可を確認。不可ではないけれど、水着は素材が少し硬いので適していると言えるかどうかだけれど、試しにやってみてもいいですよ、とのこと。因って、フリーマーケットで新品購入したキャミとパンツ型の水着でやってみた。結果、大当たり。胸元を気にしなくていいし、足を引っ掛けるポーズのときはすぐにその場所をタオルで拭くことができて便利。何より、鏡を見て自分のプロポーション及びポーズの出来・不出来が実によく解る。Tシャツ・短パン比120%アップ。欠点は周囲がTシャツと短パンやスパッツなどを着用しているので、浮いて恥ずかしかったこと。でもその恥ずかしさは最初だけ。昨日のレッスンは、うちのと私以外にも3名の女性がいて、レッスン終了後に他の生徒さんと少し話をした。私の水着姿への反応は、そういう方法もあるねー、だった。他者から見ておかしくはなかったようだ。ひとりの生徒さんは以前エアロビをしていて、そのときのウェアを流用しているとのこと。うちのの更衣を待っている間、先生とウェアについて話をした。今、海外でのヨガ・ブームを受けて日本でも流行っている節がある。先に流行ったアメリカなどではヨガ・ウェアなる専用の服がある。それは私も知っていた。先生曰く、海外のヨガ・ウェアはポーズがちゃんと見られるように体にフィットしたものでありエアロビ・ウェアなどよりも露出度が高く、そのまま海に行ってもおかしくない位であり、水着と違う点はもっと柔軟な素材であること。ヨガ・ウェアがまだ一般的に浸透していない日本に於いて、私が選択した水着というのはそれなりにいい線だったように思えた。次回からも水着だ。昨日は通い始めて4回目にして初めて最初から最後迄の80分、途中で抜けることなくレッスンを受けられたし、おしゃぶりが功を為して鼻呼吸もかなり出来るようになった。体の硬さは相変わらずなものの、着々といい方向に向っている気がする。そして今の私は全身の筋肉痛に加えて、右半身が非常に痛い。体が歪んでいる証拠である。足を組む癖、立っているときに片足に重心をかけてしまう癖が宜しくないのだろう。意識的に気をつけていこう。
帰宅後、家で夕食を作る予定だった。しかしうちのが、焼肉食べたい、と言い出した。奢ってくれるなら行く、と私が言ったことで近所の焼肉屋へ。一般的に焼肉屋というところは、のんびりと食事する場所だと思う。私たちは30分強で店を出た。サラリーマンの昼食並みの早さである。少ししか食べなかったなんてことは私らに限ってある筈がなく、沢山食べたのにこれだけの時間しかかからなかった。早食いはデブの素だけれど、ふたりして余程空腹だったらしい。自分から、焼肉食べたい、と言っておいて「あるある」を観て、にがりがダイエットに効果があるらしい、直ぐ欲しい、今欲しい、と騒ぐうちの。うちのも大概に鳥頭だ。にがりの効果を高めるには玄米がいいらしく、おまけに、うちも玄米食にしよう、などとほざき出したから腹が立つ。私が健康を考えて玄米にしたとき、何と言っていたんだ。ぼそぼそして美味しくない、白米に戻して、と文句を言い、カレーやハヤシや炒飯でしか玄米を受け付けなかったのは誰なんだ。莫迦者。しかも白米より玄米の方が高いのに。余談その1。先日、親に電話で体重が戻ったことを報告したら泣かれた。物凄く嬉しかったらしい。余談その2。昨日のフリーマーケットでCDを2枚購入した。この2枚それぞれのアーティストをうちのに当てさせたところ、ボニーピンクは流石に出てこなかったものの、AC/DCの名が最初に出てきたことに驚いた。当たりだし。きっとサバスか筋少と答えると思ったのに。詰まらん。
出店者のオネーサンのひとりと雑談。知らない人だけれど、フリーマーケットでは価格交渉からちょっとした雑談になることもたまにある。そのオネーサンは可愛い古着を多く出していた。所謂アンティークやレトロな古着。オネーサン、古着好きですか。うーん、でもね……。ああ、解る! 私もだ! アンティークやレトロな衣類に私は去年嵌った。しかしふとアンティーク・レトロ物から興味が逸れて、そうではない服を着たくなる。これが何故か周期的にやってくる。オネーサンも同じタイプだったようで、話が合ってなかなかに安価でいろいろ譲ってくれた。そして昨日の収穫物の中の特筆すべき逸品。朱塗りの高足下駄。水玉リボンの麦藁帽子。ガーリッシュ・スタイルに現在進行形で嵌っている私には嬉しい物だった。特に下駄。履き込まれた物のようでそれなりに傷みはある。だが、それが吉と出ていた。前の所有者が履き慣らしてくれていたお陰で鼻緒が痛くないのだ。先日購入した下駄はまだ鼻緒が固く、絆創膏無しには履けない。こっちも早く慣らさなくては。麦藁帽子のリボンは少し色褪せている。でも嫌な褪せ方ではなく、レトロな感じの褪せ方で悪くない。前々から麦藁帽子は欲しかったのだが、なかなかコレといった物に出会えなかったことと、買ったところで収納に場所を取ることを考えて我慢していた。しかしまあ200円ならワンシーズン使い倒して終了でも良かろう。わざわざ粗雑に扱う気もないけれど、それもまあ良し、と。
昨日の流れを時系列で纏める。起床→日記アップ→フリーマーケット出陣→帰宅して昼食→再度出陣→帰宅してうちのと共にヨガ教室→喫茶店でお茶→外食→帰宅→だらりとPC遊び→うちのが「あるある大辞典」を観てにがりを欲しがり近所のスーパー→だらりとPC遊び→就寝。昨日はヨガに行ってきた。その際に運動着を持って行かねばならないのだけれど、昨日は敢えて水着で挑戦。これはブラをしていると窮屈、けれどサイズの合うスポブラはなかなかない、そしてニプレスだと途中で剥がれることがあること及び普段のTシャツと短パンでは腿に足を引っ掛けるようなポーズのときに滑って不便なことを踏まえての打開策だ。レッスン前、先生に水着着用の可・不可を確認。不可ではないけれど、水着は素材が少し硬いので適していると言えるかどうかだけれど、試しにやってみてもいいですよ、とのこと。因って、フリーマーケットで新品購入したキャミとパンツ型の水着でやってみた。結果、大当たり。胸元を気にしなくていいし、足を引っ掛けるポーズのときはすぐにその場所をタオルで拭くことができて便利。何より、鏡を見て自分のプロポーション及びポーズの出来・不出来が実によく解る。Tシャツ・短パン比120%アップ。欠点は周囲がTシャツと短パンやスパッツなどを着用しているので、浮いて恥ずかしかったこと。でもその恥ずかしさは最初だけ。昨日のレッスンは、うちのと私以外にも3名の女性がいて、レッスン終了後に他の生徒さんと少し話をした。私の水着姿への反応は、そういう方法もあるねー、だった。他者から見ておかしくはなかったようだ。ひとりの生徒さんは以前エアロビをしていて、そのときのウェアを流用しているとのこと。うちのの更衣を待っている間、先生とウェアについて話をした。今、海外でのヨガ・ブームを受けて日本でも流行っている節がある。先に流行ったアメリカなどではヨガ・ウェアなる専用の服がある。それは私も知っていた。先生曰く、海外のヨガ・ウェアはポーズがちゃんと見られるように体にフィットしたものでありエアロビ・ウェアなどよりも露出度が高く、そのまま海に行ってもおかしくない位であり、水着と違う点はもっと柔軟な素材であること。ヨガ・ウェアがまだ一般的に浸透していない日本に於いて、私が選択した水着というのはそれなりにいい線だったように思えた。次回からも水着だ。昨日は通い始めて4回目にして初めて最初から最後迄の80分、途中で抜けることなくレッスンを受けられたし、おしゃぶりが功を為して鼻呼吸もかなり出来るようになった。体の硬さは相変わらずなものの、着々といい方向に向っている気がする。そして今の私は全身の筋肉痛に加えて、右半身が非常に痛い。体が歪んでいる証拠である。足を組む癖、立っているときに片足に重心をかけてしまう癖が宜しくないのだろう。意識的に気をつけていこう。
帰宅後、家で夕食を作る予定だった。しかしうちのが、焼肉食べたい、と言い出した。奢ってくれるなら行く、と私が言ったことで近所の焼肉屋へ。一般的に焼肉屋というところは、のんびりと食事する場所だと思う。私たちは30分強で店を出た。サラリーマンの昼食並みの早さである。少ししか食べなかったなんてことは私らに限ってある筈がなく、沢山食べたのにこれだけの時間しかかからなかった。早食いはデブの素だけれど、ふたりして余程空腹だったらしい。自分から、焼肉食べたい、と言っておいて「あるある」を観て、にがりがダイエットに効果があるらしい、直ぐ欲しい、今欲しい、と騒ぐうちの。うちのも大概に鳥頭だ。にがりの効果を高めるには玄米がいいらしく、おまけに、うちも玄米食にしよう、などとほざき出したから腹が立つ。私が健康を考えて玄米にしたとき、何と言っていたんだ。ぼそぼそして美味しくない、白米に戻して、と文句を言い、カレーやハヤシや炒飯でしか玄米を受け付けなかったのは誰なんだ。莫迦者。しかも白米より玄米の方が高いのに。余談その1。先日、親に電話で体重が戻ったことを報告したら泣かれた。物凄く嬉しかったらしい。余談その2。昨日のフリーマーケットでCDを2枚購入した。この2枚それぞれのアーティストをうちのに当てさせたところ、ボニーピンクは流石に出てこなかったものの、AC/DCの名が最初に出てきたことに驚いた。当たりだし。きっとサバスか筋少と答えると思ったのに。詰まらん。
世の中には区別の難しいものが沢山ある。そしてそれらの根底は真逆だったりするので、正しく判断できるかどうかで判断者の底が見えたりする。例えば、性格に於ける、大らかさとプライドのなさ、など。どれも前者は良い意味であり、後者は悪い意味と受け取られる単語だ。30年間弱生きてきて、私なりに他者を判断する為の基軸となるキーワードは、プライド、である。或る者は私のことを、プライド高き人間、と言い或る者は、プライドがない奴、と言う。他者からの評価が分かれるのは、私がときに鼻持ちならん態度を取り、ときに媚び諂う態度を取るからではない。以前、莫迦と利巧の見分け方として、プライドが多い人間程莫迦だ、と書いたと思う。これは自身が他者にどう見られるかを現すと同時に、自身による他者を見る目のテストでもある。判断を誤ると自身よりも低く見た他者より低い位置に自身を置くことになり、非常に恥ずかしい。しかもその恥ずかしさに自身では気付かないので、他者の腹の中で笑われる羽目になる。そして他者は腹の中を見せないので、自身は尚一層井の中の蛙となる。これはこれで、蛙は幸せだろう。蛙の分際で人間様気取りの者は少なくない。むしろ多数派かもしれない。この問題は実に難しく、誰も明瞭な答えが見出せないものであろう。因って自分が人間か蛙か、誰も教えてはくれないし答えを見つけることはできない。妥協が必要な命題であり、そんな命題を人は避けて通りたがるものである。
日本人が多用する言葉のひとつに、済みません、がよく挙げられる。挨拶程度にも謝罪にも使える便利な言葉だ。腰の低さと強情であることの区別も難しい。やたらと、済みません、を使う人間は腰が低く見られると同時に、プライドも低い人間だと思われがちである。ところが正反対の考え方も成り立つ。自分にとってどうでもいいことだからこそ簡単に、済みません、と言ってしまえるのではないか。済みません多発者には両者が混在しており、早々に判断できない。私は、済みません、という言葉が嫌いである。上記のように便利であると同時に曖昧な言葉だからだ。嫌いだけれど、全く使わない訳ではない。私がこの言葉を使うときは、軽い謝罪やお礼を伝えたいときである。例えば電話をする。その電話を取った者に自分が話したい相手に繋いでもらうとき、済みません、と言う。お手数をおかけしてごめんなさいね、を略しての、済みません。挨拶代わりでの、済みません。心からの感謝の意を表したいときは、有難う。お礼の意味で、済みません、を使う者を否定はしないけれど、語彙が貧困なようには思ってしまう。自分が他者に対して心から悪いと思ったときには、ごめんなさい、と言う。ごめんなさい、の方が私にとっては、済みません、よりも遥かに重責を負う言葉なのだ。だからそう簡単に、ごめんなさい、は使えない。特に自身が納得行かないのに謝罪しなければならないとき。私は、済みませんでした、と言う。ごめんなさい、も、申し訳ありません、も使うことはない。そもそも納得が行かないのに誤らなければならない状況でも、私は謝って済まそうとは、まずしなかった。自身の持つ正論で相手を論破しようとしていた。最近はちょっと変化してきている。私の立場では私が正しい、貴方の立場では貴方が正しい。ボブ・ディランは正しい。
済みません、が自身に対して多発されることで、黒猫はプライドが低い奴だ、と判断する者もいる。その判断を露にした態度で私に接する者を見ると、爽快な気分になる。これは、してやったり、といった腹黒い気持ちからではなく、井の中は狭くて気持ちいいのだろうな、とのある種の羨望だ。私は蛙が羨ましいのだ。自身は蛙に非ず、とは思っていない。きっと蛙だろう。しかし蛙である自分に満足ができないのである。人間になるのはきっと大変な労苦を要する。その労苦をクリアできて初めて、自身は人間である、と胸を張って言えるのだろう。私が羨望して止まない蛙は、蛙なのに人間として胸をはれているからに他ならない。自身の器を、自身の核を大っぴらに他者に見せるのは恥ずかしいことだと知っている。「さくらん」のきよ葉は、こんなことを言っていた。ない物をあるように見せるよりも、ある物をないように見せる方が粋だ、と。赤貧なのに見栄を張って借金をして他者に何かを奢る者がいる。ちっとも粋ではない。これと同じことが文章にも言える。自身の持つ知識を全てひけらかすような文章を綴るのは粋ではない。却ってその努力の跡が読む者を切なくさせる。10ある知識の4程度を用いて文章を書き、行間から残りの6を感じさせられるような文章を書きたいと、私は常々思っている。まだまだ修行が必要だ。
豪華一点主義、というものがある。よく挙げられる例として、若い子が持つ高価なブランドのバッグや財布がある。渋谷109で固めたような恰好なのに、不釣合いなヴィトンのバッグを持っていたりするアレだ。この豪華一点主義はひとつも粋ではない。私の財力ではこれが限界、と触れて歩いているようなものだ。センスの問題である。チープそうな恰好をしていつつもそこに品があれば高価ブランドバッグも浮いては見えないし、逆に財力がありつつもそこにだけ価値を忍ばせる清貧な人に見える。赤貧と清貧は一文字違いで天地の差がある。答えを書くと、私は人間を目指す蛙であり、私のプライドは高い。蛙なりに身の程を知り、人間を目指す蛙に相応しいだけの粋さを持っていたいと思っている。清貧が美徳とも思わなければ、憧れもしない。ただ、赤貧なのにさも多くのものを持っているかのような振舞いだけは避けるべきだと考えている。粋でありたい。蛙の粋のあり方は身の程を知ることだ。だから私は駄文をここで書き散らす。ここの文章に持ち得る知識の全ては絶対に書かない。書いていない。こう言い張る。本当はどうなのか。それは他者に知らせるべきことではない。全ては書かない、と言い張ることが蛙の身の程を知った粋であり、プライドであると私は信じている。尤も、真に粋な者はこんな日記をネット媒体で書いたりはしないだろう。この辺が蛙故の莫迦さである。
日本人が多用する言葉のひとつに、済みません、がよく挙げられる。挨拶程度にも謝罪にも使える便利な言葉だ。腰の低さと強情であることの区別も難しい。やたらと、済みません、を使う人間は腰が低く見られると同時に、プライドも低い人間だと思われがちである。ところが正反対の考え方も成り立つ。自分にとってどうでもいいことだからこそ簡単に、済みません、と言ってしまえるのではないか。済みません多発者には両者が混在しており、早々に判断できない。私は、済みません、という言葉が嫌いである。上記のように便利であると同時に曖昧な言葉だからだ。嫌いだけれど、全く使わない訳ではない。私がこの言葉を使うときは、軽い謝罪やお礼を伝えたいときである。例えば電話をする。その電話を取った者に自分が話したい相手に繋いでもらうとき、済みません、と言う。お手数をおかけしてごめんなさいね、を略しての、済みません。挨拶代わりでの、済みません。心からの感謝の意を表したいときは、有難う。お礼の意味で、済みません、を使う者を否定はしないけれど、語彙が貧困なようには思ってしまう。自分が他者に対して心から悪いと思ったときには、ごめんなさい、と言う。ごめんなさい、の方が私にとっては、済みません、よりも遥かに重責を負う言葉なのだ。だからそう簡単に、ごめんなさい、は使えない。特に自身が納得行かないのに謝罪しなければならないとき。私は、済みませんでした、と言う。ごめんなさい、も、申し訳ありません、も使うことはない。そもそも納得が行かないのに誤らなければならない状況でも、私は謝って済まそうとは、まずしなかった。自身の持つ正論で相手を論破しようとしていた。最近はちょっと変化してきている。私の立場では私が正しい、貴方の立場では貴方が正しい。ボブ・ディランは正しい。
済みません、が自身に対して多発されることで、黒猫はプライドが低い奴だ、と判断する者もいる。その判断を露にした態度で私に接する者を見ると、爽快な気分になる。これは、してやったり、といった腹黒い気持ちからではなく、井の中は狭くて気持ちいいのだろうな、とのある種の羨望だ。私は蛙が羨ましいのだ。自身は蛙に非ず、とは思っていない。きっと蛙だろう。しかし蛙である自分に満足ができないのである。人間になるのはきっと大変な労苦を要する。その労苦をクリアできて初めて、自身は人間である、と胸を張って言えるのだろう。私が羨望して止まない蛙は、蛙なのに人間として胸をはれているからに他ならない。自身の器を、自身の核を大っぴらに他者に見せるのは恥ずかしいことだと知っている。「さくらん」のきよ葉は、こんなことを言っていた。ない物をあるように見せるよりも、ある物をないように見せる方が粋だ、と。赤貧なのに見栄を張って借金をして他者に何かを奢る者がいる。ちっとも粋ではない。これと同じことが文章にも言える。自身の持つ知識を全てひけらかすような文章を綴るのは粋ではない。却ってその努力の跡が読む者を切なくさせる。10ある知識の4程度を用いて文章を書き、行間から残りの6を感じさせられるような文章を書きたいと、私は常々思っている。まだまだ修行が必要だ。
豪華一点主義、というものがある。よく挙げられる例として、若い子が持つ高価なブランドのバッグや財布がある。渋谷109で固めたような恰好なのに、不釣合いなヴィトンのバッグを持っていたりするアレだ。この豪華一点主義はひとつも粋ではない。私の財力ではこれが限界、と触れて歩いているようなものだ。センスの問題である。チープそうな恰好をしていつつもそこに品があれば高価ブランドバッグも浮いては見えないし、逆に財力がありつつもそこにだけ価値を忍ばせる清貧な人に見える。赤貧と清貧は一文字違いで天地の差がある。答えを書くと、私は人間を目指す蛙であり、私のプライドは高い。蛙なりに身の程を知り、人間を目指す蛙に相応しいだけの粋さを持っていたいと思っている。清貧が美徳とも思わなければ、憧れもしない。ただ、赤貧なのにさも多くのものを持っているかのような振舞いだけは避けるべきだと考えている。粋でありたい。蛙の粋のあり方は身の程を知ることだ。だから私は駄文をここで書き散らす。ここの文章に持ち得る知識の全ては絶対に書かない。書いていない。こう言い張る。本当はどうなのか。それは他者に知らせるべきことではない。全ては書かない、と言い張ることが蛙の身の程を知った粋であり、プライドであると私は信じている。尤も、真に粋な者はこんな日記をネット媒体で書いたりはしないだろう。この辺が蛙故の莫迦さである。
ガーリッシュ・ロリータ・セクシャリティ
2004年5月29日 雑感・所感 きっと少数派だろう。全作品を読破してはいないけれど、岡崎京子作品読了範囲内で一番好きなのは短篇「乙女ちゃん」だ。父と娘と息子の3人暮らし。父は母の死去後、スカートを穿くようになった。その理由は描かれていない。だからこそ、この作品が好きなのかもしれない。日常の中で父と娘は淡々と生活をし、息子はちょっと反抗してみたりする。ストーリーの流れが小津映画のよう。スカートを穿く乙女ちゃんな父は、多くを語らない。自分の中に何かしらの強い、スカートを穿く、という意思を持って毎日穿いている。これが妙に心に響く。読者として、父親がスカートを穿く理由を知りたくならないのが不思議だ。スカートを穿いた父の絵を見て、ああこのお父さんはスカートを穿くのだな、と素直に受け入れられる。傍観者として、妻を亡くし定年を過ぎた初老男性の哀愁の全てが、スカート、なる物に詰まっている気がして、この人はこれでいいのだ、と思えた。「乙女ちゃん」に於いて、父は異端者として扱われている。それは日本の今の風土が男性にスカート着用を許容していないからだ。街中でスカートを穿いた男性を実際に見たらやはり私も、え? と思ってしまうだろう。その、え? と思ってしまうであろう私は非常に狭量である。本当に見かける日がくる迄に、許容の幅を広げておきたい。ファッションの基本は、自由意志、であるべきだ。人は衣類にいろんな思いを詰める。着られれば何でもいい、と公言する人もいるが、嘘だ。それでも無意識下で、自分に似合う物で、人に見られても恥ずかしくない程度の物で、という条件付けをしている筈である。「乙女ちゃん」な父は、もっともっと確固たる意思でスカートを穿いているに違いない。そしてその理由はどうでもいい。
先日、書店にて禁断の書を買ってしまった。誰かに禁止されていた訳ではなかったのだが、読んだら何かまずいことになる、と直感していた著者の本。嶽本野ばらの「それいぬ」。嶽本の著書は避けてきていた。彼は乙女な男性の代名詞的存在であり、ガーリッシュ好きの私を、もっと強く引っ張っていってしまう予感がしていたのだ。読んでみての感想。読みづらい。単語の選び方が叙述的でありロマンチシズム溢れ、平坦な文章なのに疲れてしまう。この本は短篇コラム集なので、気になった部分だけを拾い読みするように読んでみた。学がなく乙女な澁澤龍彦という印象。いや、学がない、は間違いか。学はあるのだけれど余りに偏った学である。そしてその学はひたすらに乙女ベクトルへと向っている。昨今、この日記はファッションについて多く綴っており、綴る中で考えていたことがあった。敢えて嶽本の乙女と私のガーリッシュを並べてみる。すると1個所で通ずるところがあったのだ。それがいいことかどうかは別にして。私が考えていたこととは、ガーリッシュなファッションを極めていくとどうなるか、だ。高>低で表してみる。
色:淡色>濃色
柄:水玉>小花>チェック>ストライプ
襟:丸襟>スクエアネック>襟なし≧スタンドカラー>角襟
袖:パフスリーブ>カフスなしの釦ひとつのみ>複数釦のカフス
素材:シフォン≧ベルベット>モヘア>>>>>>形状記憶物
スカート:ティアード>フレア>>>>タイト
帽子:ベレー≧キャスケット≧麦藁>>>>>サンバイザー
など。脳内ではもっともっと細かく分類されているけれども、全てを書き尽くす労力も技量もないのでこの辺で。
この技量というのがなかなかに難しい。例えば嶽本が愛するジェーンマープルやヴィヴィアンウエストウッド。ジェーンの無地物の可愛さと、ヴィヴィアンのレオパード柄の可愛さは明らかに別物である。私は無地物は余程形に凝らないと可愛く思えない。けれど、ジェーンの姫袖カットソーは可愛く感じるし、基本的にレオパード柄は余り可愛くないと思うけれど、ヴィヴィアンのパイル地になると可愛く感じる。こんな細かくは書けない。因って上に書いた、高>低、は物凄くシンプルに考えたときの例である。素材で書いた形状記憶物。これはこの世から駆逐されて欲しい位に不要ではなかろうか。形状記憶物で可愛い服を見たことがない。あれはアイロンかけという作業を省く為の手抜き素材としか思えない。往々に形状記憶衣類は素材が硬い。デニムは硬くてもいいのだ。穿いているうちに馴染んで柔らかくなり、更には色落ちで味迄出てくる。またオイルコーティングされた素材も味が出てきて良い。服が馴染んで味が出てくると愛着も湧いて尚良い。ところが形状記憶物は全く以って可愛くない。うちのが形状記憶シャツ愛用者でなくて本当に良かったと思う。その分、衣類の皺に煩いのが難点ではあるが、そんなのは柳に風と流せることであり、干すときに気をつけることである程度は皺も伸びる。形状記憶愛用者で煩くないよりは遥かにマシだ。
「それいぬ」の中で、非常に印象深い考察がふたつあった。2本のコラムをごっちゃにして説明する。
本の話とファッションの話が半々になってしまったので分類が難しくなった。因ってこの日記は、雑感・所感フォルダへ。
先日、書店にて禁断の書を買ってしまった。誰かに禁止されていた訳ではなかったのだが、読んだら何かまずいことになる、と直感していた著者の本。嶽本野ばらの「それいぬ」。嶽本の著書は避けてきていた。彼は乙女な男性の代名詞的存在であり、ガーリッシュ好きの私を、もっと強く引っ張っていってしまう予感がしていたのだ。読んでみての感想。読みづらい。単語の選び方が叙述的でありロマンチシズム溢れ、平坦な文章なのに疲れてしまう。この本は短篇コラム集なので、気になった部分だけを拾い読みするように読んでみた。学がなく乙女な澁澤龍彦という印象。いや、学がない、は間違いか。学はあるのだけれど余りに偏った学である。そしてその学はひたすらに乙女ベクトルへと向っている。昨今、この日記はファッションについて多く綴っており、綴る中で考えていたことがあった。敢えて嶽本の乙女と私のガーリッシュを並べてみる。すると1個所で通ずるところがあったのだ。それがいいことかどうかは別にして。私が考えていたこととは、ガーリッシュなファッションを極めていくとどうなるか、だ。高>低で表してみる。
色:淡色>濃色
柄:水玉>小花>チェック>ストライプ
襟:丸襟>スクエアネック>襟なし≧スタンドカラー>角襟
袖:パフスリーブ>カフスなしの釦ひとつのみ>複数釦のカフス
素材:シフォン≧ベルベット>モヘア>>>>>>形状記憶物
スカート:ティアード>フレア>>>>タイト
帽子:ベレー≧キャスケット≧麦藁>>>>>サンバイザー
など。脳内ではもっともっと細かく分類されているけれども、全てを書き尽くす労力も技量もないのでこの辺で。
この技量というのがなかなかに難しい。例えば嶽本が愛するジェーンマープルやヴィヴィアンウエストウッド。ジェーンの無地物の可愛さと、ヴィヴィアンのレオパード柄の可愛さは明らかに別物である。私は無地物は余程形に凝らないと可愛く思えない。けれど、ジェーンの姫袖カットソーは可愛く感じるし、基本的にレオパード柄は余り可愛くないと思うけれど、ヴィヴィアンのパイル地になると可愛く感じる。こんな細かくは書けない。因って上に書いた、高>低、は物凄くシンプルに考えたときの例である。素材で書いた形状記憶物。これはこの世から駆逐されて欲しい位に不要ではなかろうか。形状記憶物で可愛い服を見たことがない。あれはアイロンかけという作業を省く為の手抜き素材としか思えない。往々に形状記憶衣類は素材が硬い。デニムは硬くてもいいのだ。穿いているうちに馴染んで柔らかくなり、更には色落ちで味迄出てくる。またオイルコーティングされた素材も味が出てきて良い。服が馴染んで味が出てくると愛着も湧いて尚良い。ところが形状記憶物は全く以って可愛くない。うちのが形状記憶シャツ愛用者でなくて本当に良かったと思う。その分、衣類の皺に煩いのが難点ではあるが、そんなのは柳に風と流せることであり、干すときに気をつけることである程度は皺も伸びる。形状記憶愛用者で煩くないよりは遥かにマシだ。
「それいぬ」の中で、非常に印象深い考察がふたつあった。2本のコラムをごっちゃにして説明する。
物理的にも精神的にも、生物の攻撃本能は球形に対して減少する仕組みになっている。私が上に書いた水玉の指標に通ずるものがあると思った。私はマスコミが言う、セクシャリティの欠如、に異論を唱える。女性の肉体と男性の肉体の大きな違いは、丸みの有無、である。水玉は言わずもがな、丸い。その昔は女性が体のラインを強調することが、はしたない、と言われていた。必要以上に体にフィットしない衣類を好むのはロリータとガーリッシュも同じである。フィットしない衣類は体のラインを隠す。その隠す衣類に球形を盛り込むことの一体何処が、セクシャリティの欠如、なのか。某巨大掲示板某板ガーリースレに男性住人がいる。彼は自身でもガーリッシュなスタイルを好んでいるらしい。他の住人にその理由を訊かれたときの答えが秀逸だった。女好きが講じて。表層的セクシーを求める男性には絶対に言えない言葉だろう。彼の中ではガーリッシュとセクシャリティはイコールで結ばれていると、私は見ている。「それいぬ」とこの男性の発言を読んで思ったこと。阿呆な、可愛いから好き、ではなく、もっと自覚的にガーリッシュを追求したい。そんなこんなでやっとウニコのカットソーを落札するに至った。
最近、ロリータファッションがマスコミの興味をひいているようです。彼らは相も変わらず古めかしい少女文化論をかざし、それが「成長拒否のあらわれ」だとか「セクシャリティの欠如」だとかいう陳腐なコードで、僕達を評価しようとします。
本の話とファッションの話が半々になってしまったので分類が難しくなった。因ってこの日記は、雑感・所感フォルダへ。
憧れのバックストラップ
2004年5月28日 メイク・ファッション・ピアス ピーコのファッションチェックが嫌いな人がいらっしゃるようで。というのも、ピーコ ファッションチェック 嫌い、で検索してこの日記に辿り着いた方がいた記録があったので。或る友人との会話では必ずと言っていい程、ピーコのファッションチェックの話題が出る。因みに友人も私も昔何度か見たことがある程度で、毎週欠かさず見ている訳ではない。前にも書いたことがあっただろうか。私が服を選ぶとき及び着るときに念頭に置くのは、ピーコに貶されない恰好であること、だ。黒尽くめの恰好をしている人に、赤を挿し色に使いなさい、と毎回アドバイスするのは如何なものかと思うけれども、サンダルやミュールを履くときには踵が少しはみ出す位でいいなどの意見は参考になっている。先日靴を買った話を書いた。私は身長の割には足が少し大きいようで且つ幅広甲高。23.5〜24cmのEかEE、できればセンチではなく、仏蘭西や英吉利で使われているサイズ表記の37がベストである。それでもポインテッドトゥの靴になると合わない。幅広甲高は選べる靴の範囲がとても狭くて悲しい。何度も悲しい思いをするのはイヤなので、自然、先の丸っこい靴が多くなる。しかしそんな靴は可愛くはあっても色気がない。スクエアトゥでもいいのだけれど、今度は余程いいデザインでなければ、可愛くもなく色気もなく、ただただゴツくなる。靴選びは本当に難しい。服選びの3倍は難しいかと思われる。メーカによってサイズ表記が同じでも大きさが違うのは服でもよくあることだけれど、その比ではない位に靴の場合は同ブランドでもデザインや素材が変わるとサイズが信用できない。身近な例が、ビルケンの靴である。形毎の名称まで覚えていないので色で書く。青いバックスキンのような滑革のような靴は試し履き後に購入してジャスト。これによく似ているけれど微妙に形が違う黒いビルケンは表革使用。こっちは試し履きせずに購入して、履くと足の甲が少し痛む。共に37である。靴屋服にもJISがあればいいのに。どれもサイズ毎に統一されていればこんな目に遭わずに済む。
衣類についてのJISもある。それは服の名称統一の規格であり、袖丈とは何処を計った部分か、袷とは何か、など。サイズは規格外だ。因って、靴に限って話をするとSML表記もあればセンチ表記もあり、それこそ何でもありになっている。困る。消費者である私は規格がないことで困っているが、規格ができてしまうと今度はメーカが困るだろう。あちらを立てればこちらが立たず。服や鞄やアクセサリが好きな私は、当然の如く靴も好き。けれどもどう足掻いても履けないタイプの靴がある。パックストラップ。アキレス腱の下の骨の形が変わっているのだろうか、これ迄に散々バックストラップの靴を試してきたけれど、どれひとつとして無理なく履くことはできなかった。サンダルもパンプスも、バックストラップは全滅。バックストラップの靴とホルターネックの服の共通点は、大人の女性の可愛らしさだろう。両方ダメ。仕方なく違う方面で可愛さを求めることになる。その結果が莫迦程ある甲がストラップになっている靴やレースやフリルを多用した服だ。可愛いのだけれど、当然気に入って購入しているのだけれど、何かズレている。20代後半。少女っぽさが強い衣類及び服飾小物ばかりでいいのか。よくない。歳相応に可愛い衣類及び服飾小物でガーリッシュなスタイルを楽しみたい。今日コンビニで見かけた雑誌「アーブ」とやらが丁度私の世代をターゲットにしているらしい。表紙に対象年齢が書いてあった。今迄に読んだことのない雑誌であり、パラパラと捲ってみる。違う。私が求めているよりも遥かに非日常的であり且つコンサバ寄り。しかもスカート1枚に11万円も払えるかってんだ。この雑誌の読者は、本当にこんな高い服を買っているのか激しく疑問だ。そしてちょっと思ったこと。雑誌やテレビで見かけてちょっといいな、と思った服があったとする。そしてそれが何処の服で幾らかも判明したとする。ところがその価格は高い。となると、似たテイストでもっと安価な物を探すのはよくあるパターンかと思われる。例えば少し前に出たツモリのストライプシリーズ。あのシリーズによく似たデザインの衣類が、今はページボーイから出ているらしい。ツモリのストライプシリーズを気に入ったけれど高くて手が出せなかった層が、ページボーイのそれらに手を出しているのだろうか。こんな風に高価格帯ブランドの類似物を、シーズンを遅らせて安価ブランドから出すのはよくあることだ。これを纏めて雑誌にできないだろうかと思いついた。某Aの服によく似たのが某Bから出ていますよ的カタログ風着回し雑誌。こんな雑誌があれば、読者層に相応しい年齢なのにそこに出ている服は高くて買えない、という仔羊たちが飛びつく気がする。特に古着が苦手なタイプ。私は似た物はどうしてもパチとして見てしまうので、フリーマーケットやネットオークション待ちをするのだが。
そんなことはともかくとして、相変わらず衣類の山に困っている私。ネットオークションの最近の傾向として人気商品はやたらと高騰し、そうでない物は二束三文でも売れないようだ。こうなると勿体無い病患者の私は元値が張った衣類は出品したくないので、出品料に毛が生えた程度しか儲からなさそうだ。しかも一々寸法を計ったり、重さを量ったりする手間がかかる。前に重さを量る手間を省く為に全て定形外送料込みで出品したのだが、それでもゆうパックなどでの送付を頼まれて結局送料を調べなければならなくなったりもした。それに入金確認や郵便局に荷物を運ぶのも面倒。そうなるとフリーマーケットにて薄利多売で捌くのが利巧な気がしてきた。うちの最寄り駅近くで、月に1度フリーマーケットが開催される。ここは出店者が少なめなのでお客も少ない。メリットは荷物運びが楽なこと。1駅先では2週に1度、開催されている。こちらは出店者もお客も多め。但し業者も多い。このどちらかに申し込んで近々出品しようかと考えている。しかしひとりでは無理だ。トイレ休憩のときに物を盗まれたら目も当てられない。しかもそんなことがままあるらしい。どうにかうちのをその気にさせたいのだが、如何せんうちの自身は捌く衣類などがないので気乗りしないようだ。上手い口車を考えねば。
衣類についてのJISもある。それは服の名称統一の規格であり、袖丈とは何処を計った部分か、袷とは何か、など。サイズは規格外だ。因って、靴に限って話をするとSML表記もあればセンチ表記もあり、それこそ何でもありになっている。困る。消費者である私は規格がないことで困っているが、規格ができてしまうと今度はメーカが困るだろう。あちらを立てればこちらが立たず。服や鞄やアクセサリが好きな私は、当然の如く靴も好き。けれどもどう足掻いても履けないタイプの靴がある。パックストラップ。アキレス腱の下の骨の形が変わっているのだろうか、これ迄に散々バックストラップの靴を試してきたけれど、どれひとつとして無理なく履くことはできなかった。サンダルもパンプスも、バックストラップは全滅。バックストラップの靴とホルターネックの服の共通点は、大人の女性の可愛らしさだろう。両方ダメ。仕方なく違う方面で可愛さを求めることになる。その結果が莫迦程ある甲がストラップになっている靴やレースやフリルを多用した服だ。可愛いのだけれど、当然気に入って購入しているのだけれど、何かズレている。20代後半。少女っぽさが強い衣類及び服飾小物ばかりでいいのか。よくない。歳相応に可愛い衣類及び服飾小物でガーリッシュなスタイルを楽しみたい。今日コンビニで見かけた雑誌「アーブ」とやらが丁度私の世代をターゲットにしているらしい。表紙に対象年齢が書いてあった。今迄に読んだことのない雑誌であり、パラパラと捲ってみる。違う。私が求めているよりも遥かに非日常的であり且つコンサバ寄り。しかもスカート1枚に11万円も払えるかってんだ。この雑誌の読者は、本当にこんな高い服を買っているのか激しく疑問だ。そしてちょっと思ったこと。雑誌やテレビで見かけてちょっといいな、と思った服があったとする。そしてそれが何処の服で幾らかも判明したとする。ところがその価格は高い。となると、似たテイストでもっと安価な物を探すのはよくあるパターンかと思われる。例えば少し前に出たツモリのストライプシリーズ。あのシリーズによく似たデザインの衣類が、今はページボーイから出ているらしい。ツモリのストライプシリーズを気に入ったけれど高くて手が出せなかった層が、ページボーイのそれらに手を出しているのだろうか。こんな風に高価格帯ブランドの類似物を、シーズンを遅らせて安価ブランドから出すのはよくあることだ。これを纏めて雑誌にできないだろうかと思いついた。某Aの服によく似たのが某Bから出ていますよ的カタログ風着回し雑誌。こんな雑誌があれば、読者層に相応しい年齢なのにそこに出ている服は高くて買えない、という仔羊たちが飛びつく気がする。特に古着が苦手なタイプ。私は似た物はどうしてもパチとして見てしまうので、フリーマーケットやネットオークション待ちをするのだが。
そんなことはともかくとして、相変わらず衣類の山に困っている私。ネットオークションの最近の傾向として人気商品はやたらと高騰し、そうでない物は二束三文でも売れないようだ。こうなると勿体無い病患者の私は元値が張った衣類は出品したくないので、出品料に毛が生えた程度しか儲からなさそうだ。しかも一々寸法を計ったり、重さを量ったりする手間がかかる。前に重さを量る手間を省く為に全て定形外送料込みで出品したのだが、それでもゆうパックなどでの送付を頼まれて結局送料を調べなければならなくなったりもした。それに入金確認や郵便局に荷物を運ぶのも面倒。そうなるとフリーマーケットにて薄利多売で捌くのが利巧な気がしてきた。うちの最寄り駅近くで、月に1度フリーマーケットが開催される。ここは出店者が少なめなのでお客も少ない。メリットは荷物運びが楽なこと。1駅先では2週に1度、開催されている。こちらは出店者もお客も多め。但し業者も多い。このどちらかに申し込んで近々出品しようかと考えている。しかしひとりでは無理だ。トイレ休憩のときに物を盗まれたら目も当てられない。しかもそんなことがままあるらしい。どうにかうちのをその気にさせたいのだが、如何せんうちの自身は捌く衣類などがないので気乗りしないようだ。上手い口車を考えねば。
ネット社会の奇妙な現象
2004年5月27日 メイク・ファッション・ピアス 私の普段の恰好のデフォルトはカットソーまたはTシャツにデニムパンツだ。なのに。今日、衣類を整理していて驚いた。なんでこんなにスカートがあるんだ! ブラウスも! 特に冬物のスカートとデニムのスカートがやたらとあった。滅多に穿かないのに。今日、クローゼット内の衣類整理が大変だったのは、26日付日記にも書いたように量が多かったことと、前回の整理時に色や形で分けてしまい、季節毎の服に分類されていなかったから。ギャルソンの縮絨シャツと同じハンガーにズッカの夏物ロングギャザースカートが掛かっていたり、コキュの春秋物ジャケットと同じハンガーにマークジェイコブスの起毛スカートが掛かっていたりした。私のクローゼットはいやいや園か。ギャルソンの縮絨シャツと同じハンガーに掛けるなら、ツモリの縮絨ニットスカートでいいではないか。ツモリの縮絨スカートの上にはアンティーク物シフォン地のプルオーバーが……。このいやいや園に秩序を取り戻すべく労力を使い果たした。なので今夜は夕飯を作っていない。夕飯はどうでもよく、労力とラック及びクローゼットの衣類の話。手始めにラックとクローゼットの私の衣類を全てカーテンレールと床にぶちまけた。ちまちま弄ってどうこうなる乱れ方ではなかったのだ。全部ぶちまけて、クローゼットの奥から順にこの冬に着なかったコート類を掛け、何時になったら叶うか判らない社会復帰のときの為の面接用ワンピーススーツを掛け、ニットやコーデュロイやレザーや中綿入りや起毛素材やらの明らかな冬物を掛け、そこで一旦止まってしまった。はて、オールシーズン着られる服はどうしたらいいのだろう。一服しつつ考えて、取り出し易い位置に掛けた。はて、残りをどうしたものか。1本のハンガーに何枚もの服を掛ける私である。そして前回、季節を考えずに掛けて今回苦心している。もう苦い思いはしたくない。そして余ったのが明らかに冬物のスカート沢山と、明らかに春物のシャツ及びブラウス沢山。困って迷って、数本のハンガーにスカートのみを沢山吊るし、数本のハンガーにシャツ及びブラウスを沢山掛けた。結果。片付け前と使っているスペースはほぼ同じ、密度が上がっただけ。この整理だと本来の、収納スペースに余裕を持たせる、ということを成し得ていない。疲れただけだ。
季節毎に衣類を分類しつつ改めて困ったこと。改めて、と書くからには前々から困っていたのだが。七分袖・七分丈の服やレイヤード専用の服の収納。七分袖を単純明快に考えれば春秋物だ。しかし夏に羽織物として着ることもあるし、冬にカーディガンなどの下に着ることもある。七分丈なら素材次第でオールシーズン。レイヤード用の服は単品で見ると春夏物。しかし素材がウールだったりナイロンだったりで纏まりがない。傍から見てはどうでもいいけれど、自身で纏まりがないと感じてしまう収納や片付けは如何なものか。悩んだ末に七分袖物は七分袖物で纏めて収納、レイヤード用の物はレイヤード物で纏めて収納。何となく腑に落ちないのだが致し方ない。何かの拍子でもっといい収納方法を思いついたらそのときに動かそう。尤も、思いついたときに行動するだけの気力体力があればの話だ。まだそれなりにそれぞれの枚数があるからどうにか収納できたけれど、もし七分袖の服やレイヤード用の服が各1〜2枚しかなかったらどうしただろう。きっと今頃、物凄い勢いで苛々していたに違いない。そうでなければ、それらの半端な服を捨ててしまっていただろう。こういう性質だから、似た服を買ってしまうのだろうなあ。ある種の物がひとつしかない、という状況に未だ私は耐えられない。不完全入浴と同じくらい苛々する。そんなだからスピック&スパンのキャミやネーミのワンピースが同型色違いであったりする。どう使い分けるつもりなのか、自分でも見当が付かない。単に、このタイプのものがひとつしかない状況がイヤ、で色違いを買ったのだ。今、この手の苛々を感じているのはズッカの服とツモリのクレプリの服。不思議なことにズッカが1枚しかない。好きなのだが、どうもサイズがしっくりこないものが多いのだ。これはそのうち増やしていくとして、ズッカより問題なのがクレプリ。私が現在所持している楊柳素材のクレプリはシャツとスカートを1枚ずつ。共にボルドー。しかし素材違いなので同時には着られない。ああ、苛々する。パパッと増やしたいところだが、デザイン性が昔よりも高まってきている今のクレプリを混ぜるとそれぞれが浮きそうだ。社会人になって初めてのボーナスの半分を衣類に使った。その半分、つまりボーナスの1/4をツモリで使った記憶がある。クレプリ全盛の頃だったので当然それ中心。だが、当時購入したクレプリは手元にはもう残っていない。10年弱の時を経て服の趣味が変わってきたからだ。流行が数十年周期で少しだけシルエットを変えて戻ってくるように、趣味も戻ったりする。あのとき買ったネイビーの楊柳ロングワンピースを手元に戻したい。そうか。私にとって衣類はコレクションの一種なのかもしれない。
話は変わって、ネット社会に於ける奇妙な現象。私の所持衣類の中の3大勢力は、スカラー・i.s・コキュである。次いでスピック&スパンとビュルデサボン。スピックとサボンは取り敢えず放置して3大勢力について。貧乏人の私はプロパーで服を買うことが滅多にない。それでもバーゲンに足を運んだり、冷やかしに行ったり、冷やかしついでに買い物をしたりする。i.sとコキュはプロパーでの買い物経験複数あり。スピックもサボンもヒスもオゾンも定価購入経験あり。だが。今最も多くうちにあるスカラーは買い物どころか店舗に行ったことすらない。ショップが何処にあるのかもよく知らなかったりする。ネットオークションで目を惹かれ、そこから蒐集が始まった。比較的安価なブランドのようで入手し易かったのもさることながら、私が嵌り始めた頃はまだ今よりも知名度が低く、より安価で購入できていた。新品でも安かった。なのにここ数ヶ月、ネットオークションでスカラーの価格が高騰している。ショップの販売員なのか。毎週のように大量に新品を出品する人が現れた時期と価格高騰時期が一致している気がする。自演とかそういう話ではなく。スカラー熱が冷めてきて良かった。文字で書くと、スカラー熱、って何かの病気のようだ。衣類蒐集が病気説という線もありそうだけれど。ヒス・オゾン熱もかなり冷めた。今、以前から好きだったギャルソン・ツモリ・i.s・コキュ・ナショナルスタンダード・ビュルデサボン以外で気になっているのは、ピュアルセシンとクチャ。ガーリースレの影響だろう。スサデボンボンは少し前の方が落ち着いていて良かったのに。
季節毎に衣類を分類しつつ改めて困ったこと。改めて、と書くからには前々から困っていたのだが。七分袖・七分丈の服やレイヤード専用の服の収納。七分袖を単純明快に考えれば春秋物だ。しかし夏に羽織物として着ることもあるし、冬にカーディガンなどの下に着ることもある。七分丈なら素材次第でオールシーズン。レイヤード用の服は単品で見ると春夏物。しかし素材がウールだったりナイロンだったりで纏まりがない。傍から見てはどうでもいいけれど、自身で纏まりがないと感じてしまう収納や片付けは如何なものか。悩んだ末に七分袖物は七分袖物で纏めて収納、レイヤード用の物はレイヤード物で纏めて収納。何となく腑に落ちないのだが致し方ない。何かの拍子でもっといい収納方法を思いついたらそのときに動かそう。尤も、思いついたときに行動するだけの気力体力があればの話だ。まだそれなりにそれぞれの枚数があるからどうにか収納できたけれど、もし七分袖の服やレイヤード用の服が各1〜2枚しかなかったらどうしただろう。きっと今頃、物凄い勢いで苛々していたに違いない。そうでなければ、それらの半端な服を捨ててしまっていただろう。こういう性質だから、似た服を買ってしまうのだろうなあ。ある種の物がひとつしかない、という状況に未だ私は耐えられない。不完全入浴と同じくらい苛々する。そんなだからスピック&スパンのキャミやネーミのワンピースが同型色違いであったりする。どう使い分けるつもりなのか、自分でも見当が付かない。単に、このタイプのものがひとつしかない状況がイヤ、で色違いを買ったのだ。今、この手の苛々を感じているのはズッカの服とツモリのクレプリの服。不思議なことにズッカが1枚しかない。好きなのだが、どうもサイズがしっくりこないものが多いのだ。これはそのうち増やしていくとして、ズッカより問題なのがクレプリ。私が現在所持している楊柳素材のクレプリはシャツとスカートを1枚ずつ。共にボルドー。しかし素材違いなので同時には着られない。ああ、苛々する。パパッと増やしたいところだが、デザイン性が昔よりも高まってきている今のクレプリを混ぜるとそれぞれが浮きそうだ。社会人になって初めてのボーナスの半分を衣類に使った。その半分、つまりボーナスの1/4をツモリで使った記憶がある。クレプリ全盛の頃だったので当然それ中心。だが、当時購入したクレプリは手元にはもう残っていない。10年弱の時を経て服の趣味が変わってきたからだ。流行が数十年周期で少しだけシルエットを変えて戻ってくるように、趣味も戻ったりする。あのとき買ったネイビーの楊柳ロングワンピースを手元に戻したい。そうか。私にとって衣類はコレクションの一種なのかもしれない。
話は変わって、ネット社会に於ける奇妙な現象。私の所持衣類の中の3大勢力は、スカラー・i.s・コキュである。次いでスピック&スパンとビュルデサボン。スピックとサボンは取り敢えず放置して3大勢力について。貧乏人の私はプロパーで服を買うことが滅多にない。それでもバーゲンに足を運んだり、冷やかしに行ったり、冷やかしついでに買い物をしたりする。i.sとコキュはプロパーでの買い物経験複数あり。スピックもサボンもヒスもオゾンも定価購入経験あり。だが。今最も多くうちにあるスカラーは買い物どころか店舗に行ったことすらない。ショップが何処にあるのかもよく知らなかったりする。ネットオークションで目を惹かれ、そこから蒐集が始まった。比較的安価なブランドのようで入手し易かったのもさることながら、私が嵌り始めた頃はまだ今よりも知名度が低く、より安価で購入できていた。新品でも安かった。なのにここ数ヶ月、ネットオークションでスカラーの価格が高騰している。ショップの販売員なのか。毎週のように大量に新品を出品する人が現れた時期と価格高騰時期が一致している気がする。自演とかそういう話ではなく。スカラー熱が冷めてきて良かった。文字で書くと、スカラー熱、って何かの病気のようだ。衣類蒐集が病気説という線もありそうだけれど。ヒス・オゾン熱もかなり冷めた。今、以前から好きだったギャルソン・ツモリ・i.s・コキュ・ナショナルスタンダード・ビュルデサボン以外で気になっているのは、ピュアルセシンとクチャ。ガーリースレの影響だろう。スサデボンボンは少し前の方が落ち着いていて良かったのに。
衣類デフレ再執行なるか?
2004年5月26日 メイク・ファッション・ピアス 現在、5月27日。
日記が1日遅れになっている気がするけれど気にしない。昨日は折角、規則正しい生活見本市、のように過ごせたのに今日はだるだる。やっぱりダラは何処迄行けどもダラなのだ。昨夜はうちのが床に着いたとき、私はPCにて諸作業真っ只中にあり先に寝てもらった。私の消灯時間は遅くとも3時と決められている。うちのが布団に入ったのが2時半頃。3時になり、そろそろ寝るか……とPCデスクを離れた途端に睡魔がきた。ので、その場で寝た。キッチンと居間の真ん中である。30分か1時間かうとうとした辺りで、体が痛み出した。ので、まだ眠かったけれど起きた。そのまま布団に行って寝ればいいのに、などという健常な発想は浮かばず、またPCデスクへ戻って作業続行。作業なんて書くと仰々しく、何だか大層な仕事でもしているようだけれど何のことはない、ネットオークションの物色だった。アレが欲しい! というのではなく、何かいい物ないかなー、と思いつつ気になるブランドや素材やアイテムで検索をかけて見てゆく。普段よりも予算上限を少し上げてみたらもう、いい物があるわあるわ。特に惹かれたのがツモリチサトのウニコ。今季のテーマは神話で、その前がドッキングだかカーテンだかパレードだか森の熊さん……はもっと前か。とにかく軽い素材でデコラティヴなデザインを最近のツモリは多発していたのである。それよりも前に生まれたキャラがウニコ。ウーパールーパーのパチもんのようなキャラであり、今迄は特に意識しておらず、ウニコ発生以前の胴長動物いろいろが気になっていた。なのに昨日はウニコの虜。ドッキングのドットやフラワーも可愛かったけれど、素材に凝り過ぎ。毛と絹で出来た服なんてクリーニング代が高くつく。しかもシフォンっぽい物が多いので傷もつきやすい。ウニコはそんな素材だけでなく、一時期のツモリの代名詞的ライン、クレプリにも多くあった。可愛い→欲しい。当然の摂理。しかしどれも新作ではないにも拘らずそこそこのお値段。固定ファンがいるのだろうなあ。ウニコの。高騰する他者入札額を嘆きつついろんなウニコを探していると、ウニコ物ともう1枚シンプルなカットソーのセットを発見。私はスナイプ派なので、いつも気に入った物があるとウォッチリストに入れて終了時間ギリギリ迄入札しない。ウニコだけでなくいろいろな物を見て、ウォッチリストに登録して、午後になって出掛けた。
我が家の衣類収納スペースは無印良品の箱と半透明ケース多数とスチールポールの衣類ラック及び半間のクローゼット。収納スペースの詳細は以前にも書いた記憶がうっすらあるので割愛。脳内のみの記載ならご愛嬌。で、ここのところうちのが毎日、衣類収納に文句をつけてくる。私に与えられた収納スペースではまた衣類が収まりきらなくなってきたのだ。うちのが自分用の半透明ケースのひとつを半分空けてくれたけれど、最近凝り出したスパッツを収納して一杯。そんな調子なので、ラックにも私の衣類をこそこそと侵食させていた。侵食部分が増えて怒られたのではなく、冬物を出しっ放しにしているのが見苦しいと怒られたのが情けない。むしろダラの見本。ラックにおまいの服は掛けるな、せめて今の時期に着る物数枚に留めてくれ、と言われたので、仕方なく午後になってから、コート3枚とセーターとスカート1枚ずつをクリーニング屋に出してきた。コートは秋迄の長期保管を依頼。これで少しは片付くだろう、と帰宅してから衣類の整理を始めた訳だが。大人しく寝ていれば良かった。数時間かけて処分できた衣類が5枚しかないとはどういうことか。どう考えても私は月に5枚は服を買っているし、前回の衣類整理は年末だったのでかなり増えているのだ。なのに減らせない。衣類整理をしたのにはうちのに怒られたこと以外にも理由がある。ネットオークションで欲しい物の数が3桁になってしまった。そんな金も場所もない。そんなときにすることと言えば、衣類整理。自分の持っている衣類の多さ、そしてそれらの大半が未着用であることに愕然として新規購入を見直し、買い控えられるようになる。それを狙っての衣類整理だったのだけれど、予想以上に疲れた。昨夜フローリングの上で小1時間しか寝ていないからか。無印良品の箱と半透明ケースは畳み直し・本当に要らない物を選ぶこと・使い勝手が良くなるように整頓。要らない物は5枚しか出なかったものの、これはまあ予想内の苦労で済んだ。酷かったのがクローゼット、そしてうちのに間借りしていたラックだ。
去年末が、ここに住み始めて初めての本格的衣類整理だったと思う。私は偏執的なところがあり、乱雑だと我慢できないスペースが存在する。宝石箱とかコスメボックスとか靴箱とか2段カラーボックスに半円型の大きめの鏡を置いた即席鏡台とか。ところがクローゼットや衣類収納箱となると、詰め込んで収まってりゃいいや、になってしまう。整理する余地がないのだ。物が多過ぎて。ふたりとも衣類がピシッとしていることはない。私は多少皺があろうが動物の毛が付着していようが気にならないから。うちのはその辺に細かい。私の収納する姿を見て、それじゃあ皺になるし意味がないよ、と言う。意味がないならいっそ丸めて突っ込んでしまいたいのだが、そこはオトナなので我慢してハンガーに掛ける。それでも隣り合った衣類がキツキツなので皺になる。しかも1本のハンガーにうちのの衣類なら2枚、私の衣類なら3枚6枚は当たり前に掛ける。皺にならない筈がない。消臭兼皺取りスプレーを購入し、たまに使うが大した効果はない。私はいいんだけれどうちのが……以下ループ。今日の衣類整理で、また衣類使い捨て月間を設ける必要性を感じた。だが、今は季節の変わり目である。要らないと思うのは大抵秋冬物衣類。今捨てるときっと次の秋冬に後悔する。なら春夏物は、となるがそれはそれでこれから着たい。悩みどころだと思っていたら丁度自分の頓馬さに気付かされることがあった。今朝方にウォッチリストに登録した衣類、持っていた。同じ物を買ってどうする。色違いなどなら未だしも全く同じ物だった。気付いて良かった。けれど頓馬。そういえば、去年末の整理のときにはなかった、色違い衣類、が数種あった。お洒落サンは気に入った服は色違い・形違いで購入して着回すらしいが、私はそもそも余り着替えないので意味がない。もうひとつ悲しくなったこと。去年の私は昭和の雰囲気を残した古着テイストを求めて衣類を購入していた。なのに最近は洗練されたガーリッシュな衣類を買っている。果たして私の腕で中和させられるか。チープ物から値の張る物への趣味の移行なら処分も楽なのだが、古着とはいえ状態が良くて可愛い服はそれなりのお値段だったりするので勿体無くて捨てられない。どうせ捨てたら捨てたでまた古着テイストに趣味が戻ったりするのだろう。ともあれ、今は衣類買い控え及び所有衣類の処分の時期らしい。前回が去年末だから、半期に1度の行事になったりして。激しく面倒だ。
日記が1日遅れになっている気がするけれど気にしない。昨日は折角、規則正しい生活見本市、のように過ごせたのに今日はだるだる。やっぱりダラは何処迄行けどもダラなのだ。昨夜はうちのが床に着いたとき、私はPCにて諸作業真っ只中にあり先に寝てもらった。私の消灯時間は遅くとも3時と決められている。うちのが布団に入ったのが2時半頃。3時になり、そろそろ寝るか……とPCデスクを離れた途端に睡魔がきた。ので、その場で寝た。キッチンと居間の真ん中である。30分か1時間かうとうとした辺りで、体が痛み出した。ので、まだ眠かったけれど起きた。そのまま布団に行って寝ればいいのに、などという健常な発想は浮かばず、またPCデスクへ戻って作業続行。作業なんて書くと仰々しく、何だか大層な仕事でもしているようだけれど何のことはない、ネットオークションの物色だった。アレが欲しい! というのではなく、何かいい物ないかなー、と思いつつ気になるブランドや素材やアイテムで検索をかけて見てゆく。普段よりも予算上限を少し上げてみたらもう、いい物があるわあるわ。特に惹かれたのがツモリチサトのウニコ。今季のテーマは神話で、その前がドッキングだかカーテンだかパレードだか森の熊さん……はもっと前か。とにかく軽い素材でデコラティヴなデザインを最近のツモリは多発していたのである。それよりも前に生まれたキャラがウニコ。ウーパールーパーのパチもんのようなキャラであり、今迄は特に意識しておらず、ウニコ発生以前の胴長動物いろいろが気になっていた。なのに昨日はウニコの虜。ドッキングのドットやフラワーも可愛かったけれど、素材に凝り過ぎ。毛と絹で出来た服なんてクリーニング代が高くつく。しかもシフォンっぽい物が多いので傷もつきやすい。ウニコはそんな素材だけでなく、一時期のツモリの代名詞的ライン、クレプリにも多くあった。可愛い→欲しい。当然の摂理。しかしどれも新作ではないにも拘らずそこそこのお値段。固定ファンがいるのだろうなあ。ウニコの。高騰する他者入札額を嘆きつついろんなウニコを探していると、ウニコ物ともう1枚シンプルなカットソーのセットを発見。私はスナイプ派なので、いつも気に入った物があるとウォッチリストに入れて終了時間ギリギリ迄入札しない。ウニコだけでなくいろいろな物を見て、ウォッチリストに登録して、午後になって出掛けた。
我が家の衣類収納スペースは無印良品の箱と半透明ケース多数とスチールポールの衣類ラック及び半間のクローゼット。収納スペースの詳細は以前にも書いた記憶がうっすらあるので割愛。脳内のみの記載ならご愛嬌。で、ここのところうちのが毎日、衣類収納に文句をつけてくる。私に与えられた収納スペースではまた衣類が収まりきらなくなってきたのだ。うちのが自分用の半透明ケースのひとつを半分空けてくれたけれど、最近凝り出したスパッツを収納して一杯。そんな調子なので、ラックにも私の衣類をこそこそと侵食させていた。侵食部分が増えて怒られたのではなく、冬物を出しっ放しにしているのが見苦しいと怒られたのが情けない。むしろダラの見本。ラックにおまいの服は掛けるな、せめて今の時期に着る物数枚に留めてくれ、と言われたので、仕方なく午後になってから、コート3枚とセーターとスカート1枚ずつをクリーニング屋に出してきた。コートは秋迄の長期保管を依頼。これで少しは片付くだろう、と帰宅してから衣類の整理を始めた訳だが。大人しく寝ていれば良かった。数時間かけて処分できた衣類が5枚しかないとはどういうことか。どう考えても私は月に5枚は服を買っているし、前回の衣類整理は年末だったのでかなり増えているのだ。なのに減らせない。衣類整理をしたのにはうちのに怒られたこと以外にも理由がある。ネットオークションで欲しい物の数が3桁になってしまった。そんな金も場所もない。そんなときにすることと言えば、衣類整理。自分の持っている衣類の多さ、そしてそれらの大半が未着用であることに愕然として新規購入を見直し、買い控えられるようになる。それを狙っての衣類整理だったのだけれど、予想以上に疲れた。昨夜フローリングの上で小1時間しか寝ていないからか。無印良品の箱と半透明ケースは畳み直し・本当に要らない物を選ぶこと・使い勝手が良くなるように整頓。要らない物は5枚しか出なかったものの、これはまあ予想内の苦労で済んだ。酷かったのがクローゼット、そしてうちのに間借りしていたラックだ。
去年末が、ここに住み始めて初めての本格的衣類整理だったと思う。私は偏執的なところがあり、乱雑だと我慢できないスペースが存在する。宝石箱とかコスメボックスとか靴箱とか2段カラーボックスに半円型の大きめの鏡を置いた即席鏡台とか。ところがクローゼットや衣類収納箱となると、詰め込んで収まってりゃいいや、になってしまう。整理する余地がないのだ。物が多過ぎて。ふたりとも衣類がピシッとしていることはない。私は多少皺があろうが動物の毛が付着していようが気にならないから。うちのはその辺に細かい。私の収納する姿を見て、それじゃあ皺になるし意味がないよ、と言う。意味がないならいっそ丸めて突っ込んでしまいたいのだが、そこはオトナなので我慢してハンガーに掛ける。それでも隣り合った衣類がキツキツなので皺になる。しかも1本のハンガーにうちのの衣類なら2枚、私の衣類なら3枚6枚は当たり前に掛ける。皺にならない筈がない。消臭兼皺取りスプレーを購入し、たまに使うが大した効果はない。私はいいんだけれどうちのが……以下ループ。今日の衣類整理で、また衣類使い捨て月間を設ける必要性を感じた。だが、今は季節の変わり目である。要らないと思うのは大抵秋冬物衣類。今捨てるときっと次の秋冬に後悔する。なら春夏物は、となるがそれはそれでこれから着たい。悩みどころだと思っていたら丁度自分の頓馬さに気付かされることがあった。今朝方にウォッチリストに登録した衣類、持っていた。同じ物を買ってどうする。色違いなどなら未だしも全く同じ物だった。気付いて良かった。けれど頓馬。そういえば、去年末の整理のときにはなかった、色違い衣類、が数種あった。お洒落サンは気に入った服は色違い・形違いで購入して着回すらしいが、私はそもそも余り着替えないので意味がない。もうひとつ悲しくなったこと。去年の私は昭和の雰囲気を残した古着テイストを求めて衣類を購入していた。なのに最近は洗練されたガーリッシュな衣類を買っている。果たして私の腕で中和させられるか。チープ物から値の張る物への趣味の移行なら処分も楽なのだが、古着とはいえ状態が良くて可愛い服はそれなりのお値段だったりするので勿体無くて捨てられない。どうせ捨てたら捨てたでまた古着テイストに趣味が戻ったりするのだろう。ともあれ、今は衣類買い控え及び所有衣類の処分の時期らしい。前回が去年末だから、半期に1度の行事になったりして。激しく面倒だ。
くたくたに鞭打つ性質
2004年5月25日 雑感・所感 現在、5月26日午前。
昨夜は2時に就寝。只今起床。11時前。私、偉い! 一般的社会人の方々からすればダラな生活だけれど、ダラダラな私が昨夜はうちのに急かれる前に、うちのが決めた3時という就寝リミットよりも先に自ら進んで布団に入り、目覚ましもセットしていないのに午前中に起きたことに自画自賛。社会復帰できそうな気すらしてきてしまう嬉しさ。だけれど、全身筋肉痛。昨日の生活を一通り書いてみる。まず徹夜。夜中から明け方に出窓に散らかった衣類や、基地と呼ばれている私のPC周りを整理整頓。うちのを起こして朝食を共に摂り、うちのが出社してから少しの時間で私は銀行巡り。銀行3軒で用事を済ませてから、コンビニで各種光熱費と携帯電話料金を支払い、薬局でウーロン茶やら絆創膏なら靴や衣類の水を弾くスプレーやらダニアースやらキッチン消毒用アルコールやらその他諸々購入して、帰宅。私にとってはこれだけで一仕事である。しかしまだまだ働く。昼寝防止に布団を干し、雑食に首輪をつけて抱っこして予防接種に連れて行く。恥ずかしかった。キャリーを草食の棺にしてからまだ雑食用のキャリーを買っておらず、なあ〜なあ〜と切なげに鳴く雑食を抱える私はまるで雑食攫いのようだった。外慣れしていない雑食は服越しに私の体中に爪を立てて傷だらけにされてしまうし。宥めつつ動物病院へ行き、年に1度の予防接種を打ってもらう。この動物病院の獣医さんは雑種好きで、うちの雑食をとても可愛がってくれる。動物看護士さんも可愛がってくれる。動物病院で雑食の容姿を褒められ、道行くOLさんやオバチャンやオッチャンが、雑食を見て、可愛い、と呟く声が聞こえてちょっと嬉しかった。飼い主莫迦炸裂。予防接種の際にうちののジャケットを借りて着て行ったのだが、毛塗れになったのは当然のこととして、雑食の爪で数箇所小さな穴が開いた。毛はコロコロで除去したけれど穴ばかりはどうにもならない。でもうちのも飼い主莫迦で雑食にメロメロなので怒られずに済んだ。
帰宅して布団を取り込み、居間とキッチンに掃除機をかけ。簡単な昼食を食し、入浴して友人と待ち合わせをしていたうちから1駅先の近所のコンビニに10分遅れで到着。昨日はうちのとではなく、友人とヨガに行ってきたのだ。友人は初ヨガで体験レッスン。昨日はいつもの脱サラ風の先生ではなく、大人のセクシーさを持ったナイスバディのオネーチャンが先生だった。訊くと昼間はそのオネーチャンが講師をし、夜はいつものオッチャン先生が講師をしているらしい。オネーチャン講師はキャミソールにショートパンツ。共に体にフィットしてラインがよく解る。よく解り、素晴らしい体だなあ、と感心すると同時に胸元のポッチが少し気になった。レッスン後に訊くと、その講師はいつもノーブラでヨガをしているとのこと。私は通常使っているブラだと窮屈だし、平らな胸に合うスポーツブラはないのでニプレスを愛用。ところが昨日は汗をかき過ぎて、途中でニプレスが剥がれてしまった。既に後半の寝ポーズに入っており、肉体的な疲れが限界近かったことと自分のポッチが気になることとで私は休憩。一旦外に出て水を飲んで、床暖房の効いていない場所で休みつつ、できるポーズだけを行った。床暖房が効いていないのは教室のかなり後ろ。動いている友人といつものオッチャン先生がよく見える。オッチャン先生は言う迄もなく途轍もない柔軟性を持っているのだが、友人もなかなかに柔らかい。何だよ、裏切者! って違うか。レッスンを終えて更衣室で着替えたりシャワーを浴びたりしつつ友人とお喋り。想像以上に体を使うんだね、物凄く汗をかいて気持ち良かった、と言っていた。彼女は暑くても体にはなかなか汗をかかない体質らしい。帰宅時、友人も入会を決めた。私より約20番後の会員番号。ここ1ヶ月で20人位の入会者がいたことが判った。これなら教室が直ぐに潰れる心配はないか。去年の秋にできたばかりの教室で、綺麗なのはいいのだけれど経営難に陥られたら困るなあ、と心配していたのだ。余談。昨日一番キツかったのはガス抜きのポーズ。右足付け根にできている出来物に響いた。おまけに5日間貼りっ放しでOKという絆創膏なのに、汗の所為で直ぐに剥がれてしまった。
レッスンを終えて友人と教室近所の喫茶店でお茶。ストレッチ素材の服を着ると全人格が否定される気がすると言っていた友人だが、昨日はストレッチではないパンツを穿いていたことで動き難さを感じたらしい。さて、どうするのだろう。その他、ヨガについて、本や雑誌について、ファッションについて、料理を始めとする家事について小2時間程お喋り。私は料理以外の家事が苦手、友人は掃除・洗濯以外の家事が苦手。友人と私が一緒に住めばとても快適に生活できそうな気がする。お互いの彼氏がそれぞれ同居することにして。とはいかない罠。友人も彼氏と同棲している。聞くと共働きなのに彼氏が家に入れるお金はン万円だとか。少ない! それでも彼氏が可愛いからいいのだ、と彼女は言っていた。いいのか? 彼女はお金にシビアな性質なのに、可愛い、というだけで生活費大幅免除。かなり意外である。また本人たちがいいと思う生活が一番だ。私もそうだし。うちのは不満有り有りのようだが気にしない。喫茶店を出て、近くの薬局で幼児用おしゃぶりを購入。鼻呼吸を取得する為である。前に何かの番組で、鼻呼吸を身に付けるには1日に30分程度、おしゃぶりを咥えるのが効果的だと言っていたのを覚えていたのだ。おしゃぶりを買う為だけに入った薬局で意外な物をいろいろ発見。良そうなボディソープや、私が愛用していながらも近所に取扱店がないと販売元に問い合わせたときも言われてしまった日焼け止めなど。近所の薬局よりも遥かに品揃えがいい。今度からは近所で欲しい物の代替品を買う前に、この薬局に行くことにしよう。
くたくたになってやっと帰宅。くたくたになっているときは素直に休めばいいのに、くたくたついでに更に疲れることをするのが私だ。帰宅してからPCで遊びつつ洗濯機を回し、洗われた洗濯物を干し、今日提出する生協の注文書を記入し、夕飯を作っているところでうちのが帰宅した。昨夜の夕飯はひつまぶしと鮭と野菜のクレイジーソルト+スイートチリソースソテー。ソテーは失敗のしようがないのでともかくとして、ひつまぶしは初挑戦。外でも食べたことがない。多分こんな感じだろう、と作ったのだが、単なる鰻の炊き込みご飯になってしまったような……。ひつまぶしってこんなんでいいのだろうか。調べるのも面倒だし、美味しかったから良しとする。くたびれきった私はこのまま寝ようかと思った。うちのも、寝ていいよ、と言ってくれた。だが、上に書いたようにくたびれているとき程動く私。ちゃんと夕食の後片付けをやっつけてから寝た。何だか異様に充実した1日。他の人々はみんなこんな生活をしているのだろうか。私には無理だ。月に数回ここ迄できれば上出来。
服/スカラーの全面猫プリントのシャーリングプルオーバー+ナショナルスタンダードのクロップドデニムパンツ+紺のアンクルソックス+ドクターマーチンの赤のムラ染め革スニーカー+のだめバッグ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス+ダイヤのピアス×2+首と尻尾にジルコニアの付いた黒猫ピアス
余談。黒猫ピアスはフリーマーケットで100円で購入。しかし合う服がなく、このピアスの為だけにスカラーの猫柄プルオーバーを購入。100円の物を使いたいが為に3000円強の買い物。本末転倒か。
昨夜は2時に就寝。只今起床。11時前。私、偉い! 一般的社会人の方々からすればダラな生活だけれど、ダラダラな私が昨夜はうちのに急かれる前に、うちのが決めた3時という就寝リミットよりも先に自ら進んで布団に入り、目覚ましもセットしていないのに午前中に起きたことに自画自賛。社会復帰できそうな気すらしてきてしまう嬉しさ。だけれど、全身筋肉痛。昨日の生活を一通り書いてみる。まず徹夜。夜中から明け方に出窓に散らかった衣類や、基地と呼ばれている私のPC周りを整理整頓。うちのを起こして朝食を共に摂り、うちのが出社してから少しの時間で私は銀行巡り。銀行3軒で用事を済ませてから、コンビニで各種光熱費と携帯電話料金を支払い、薬局でウーロン茶やら絆創膏なら靴や衣類の水を弾くスプレーやらダニアースやらキッチン消毒用アルコールやらその他諸々購入して、帰宅。私にとってはこれだけで一仕事である。しかしまだまだ働く。昼寝防止に布団を干し、雑食に首輪をつけて抱っこして予防接種に連れて行く。恥ずかしかった。キャリーを草食の棺にしてからまだ雑食用のキャリーを買っておらず、なあ〜なあ〜と切なげに鳴く雑食を抱える私はまるで雑食攫いのようだった。外慣れしていない雑食は服越しに私の体中に爪を立てて傷だらけにされてしまうし。宥めつつ動物病院へ行き、年に1度の予防接種を打ってもらう。この動物病院の獣医さんは雑種好きで、うちの雑食をとても可愛がってくれる。動物看護士さんも可愛がってくれる。動物病院で雑食の容姿を褒められ、道行くOLさんやオバチャンやオッチャンが、雑食を見て、可愛い、と呟く声が聞こえてちょっと嬉しかった。飼い主莫迦炸裂。予防接種の際にうちののジャケットを借りて着て行ったのだが、毛塗れになったのは当然のこととして、雑食の爪で数箇所小さな穴が開いた。毛はコロコロで除去したけれど穴ばかりはどうにもならない。でもうちのも飼い主莫迦で雑食にメロメロなので怒られずに済んだ。
帰宅して布団を取り込み、居間とキッチンに掃除機をかけ。簡単な昼食を食し、入浴して友人と待ち合わせをしていたうちから1駅先の近所のコンビニに10分遅れで到着。昨日はうちのとではなく、友人とヨガに行ってきたのだ。友人は初ヨガで体験レッスン。昨日はいつもの脱サラ風の先生ではなく、大人のセクシーさを持ったナイスバディのオネーチャンが先生だった。訊くと昼間はそのオネーチャンが講師をし、夜はいつものオッチャン先生が講師をしているらしい。オネーチャン講師はキャミソールにショートパンツ。共に体にフィットしてラインがよく解る。よく解り、素晴らしい体だなあ、と感心すると同時に胸元のポッチが少し気になった。レッスン後に訊くと、その講師はいつもノーブラでヨガをしているとのこと。私は通常使っているブラだと窮屈だし、平らな胸に合うスポーツブラはないのでニプレスを愛用。ところが昨日は汗をかき過ぎて、途中でニプレスが剥がれてしまった。既に後半の寝ポーズに入っており、肉体的な疲れが限界近かったことと自分のポッチが気になることとで私は休憩。一旦外に出て水を飲んで、床暖房の効いていない場所で休みつつ、できるポーズだけを行った。床暖房が効いていないのは教室のかなり後ろ。動いている友人といつものオッチャン先生がよく見える。オッチャン先生は言う迄もなく途轍もない柔軟性を持っているのだが、友人もなかなかに柔らかい。何だよ、裏切者! って違うか。レッスンを終えて更衣室で着替えたりシャワーを浴びたりしつつ友人とお喋り。想像以上に体を使うんだね、物凄く汗をかいて気持ち良かった、と言っていた。彼女は暑くても体にはなかなか汗をかかない体質らしい。帰宅時、友人も入会を決めた。私より約20番後の会員番号。ここ1ヶ月で20人位の入会者がいたことが判った。これなら教室が直ぐに潰れる心配はないか。去年の秋にできたばかりの教室で、綺麗なのはいいのだけれど経営難に陥られたら困るなあ、と心配していたのだ。余談。昨日一番キツかったのはガス抜きのポーズ。右足付け根にできている出来物に響いた。おまけに5日間貼りっ放しでOKという絆創膏なのに、汗の所為で直ぐに剥がれてしまった。
レッスンを終えて友人と教室近所の喫茶店でお茶。ストレッチ素材の服を着ると全人格が否定される気がすると言っていた友人だが、昨日はストレッチではないパンツを穿いていたことで動き難さを感じたらしい。さて、どうするのだろう。その他、ヨガについて、本や雑誌について、ファッションについて、料理を始めとする家事について小2時間程お喋り。私は料理以外の家事が苦手、友人は掃除・洗濯以外の家事が苦手。友人と私が一緒に住めばとても快適に生活できそうな気がする。お互いの彼氏がそれぞれ同居することにして。とはいかない罠。友人も彼氏と同棲している。聞くと共働きなのに彼氏が家に入れるお金はン万円だとか。少ない! それでも彼氏が可愛いからいいのだ、と彼女は言っていた。いいのか? 彼女はお金にシビアな性質なのに、可愛い、というだけで生活費大幅免除。かなり意外である。また本人たちがいいと思う生活が一番だ。私もそうだし。うちのは不満有り有りのようだが気にしない。喫茶店を出て、近くの薬局で幼児用おしゃぶりを購入。鼻呼吸を取得する為である。前に何かの番組で、鼻呼吸を身に付けるには1日に30分程度、おしゃぶりを咥えるのが効果的だと言っていたのを覚えていたのだ。おしゃぶりを買う為だけに入った薬局で意外な物をいろいろ発見。良そうなボディソープや、私が愛用していながらも近所に取扱店がないと販売元に問い合わせたときも言われてしまった日焼け止めなど。近所の薬局よりも遥かに品揃えがいい。今度からは近所で欲しい物の代替品を買う前に、この薬局に行くことにしよう。
くたくたになってやっと帰宅。くたくたになっているときは素直に休めばいいのに、くたくたついでに更に疲れることをするのが私だ。帰宅してからPCで遊びつつ洗濯機を回し、洗われた洗濯物を干し、今日提出する生協の注文書を記入し、夕飯を作っているところでうちのが帰宅した。昨夜の夕飯はひつまぶしと鮭と野菜のクレイジーソルト+スイートチリソースソテー。ソテーは失敗のしようがないのでともかくとして、ひつまぶしは初挑戦。外でも食べたことがない。多分こんな感じだろう、と作ったのだが、単なる鰻の炊き込みご飯になってしまったような……。ひつまぶしってこんなんでいいのだろうか。調べるのも面倒だし、美味しかったから良しとする。くたびれきった私はこのまま寝ようかと思った。うちのも、寝ていいよ、と言ってくれた。だが、上に書いたようにくたびれているとき程動く私。ちゃんと夕食の後片付けをやっつけてから寝た。何だか異様に充実した1日。他の人々はみんなこんな生活をしているのだろうか。私には無理だ。月に数回ここ迄できれば上出来。
服/スカラーの全面猫プリントのシャーリングプルオーバー+ナショナルスタンダードのクロップドデニムパンツ+紺のアンクルソックス+ドクターマーチンの赤のムラ染め革スニーカー+のだめバッグ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス+ダイヤのピアス×2+首と尻尾にジルコニアの付いた黒猫ピアス
余談。黒猫ピアスはフリーマーケットで100円で購入。しかし合う服がなく、このピアスの為だけにスカラーの猫柄プルオーバーを購入。100円の物を使いたいが為に3000円強の買い物。本末転倒か。
現在、5月25日になったばかり。
昨朝の私は素晴らしかった。6時起床。これだけでも素晴らしいのに、朝食迄作った。昨日の残り物を並べただけだが。うちのを起こして朝食を共に食し、送り出した。すると直ぐにうちのから電話が。財布を忘れたから持ってきてくれ。その時点の私の服装は部屋着であり、ミルクフェドの紺のロゴトレーナーに45rpmの紺のコーデュロイ風パンツに紺地にうさぎ柄ちゃんちゃんこ。そのままの恰好で、うちのの財布を届けに行った。うちのも駅から引き返しており、途中の道端で受け渡し。家に帰るとまた電話が。あんた、雑食の毛塗れで汚いよ、掃除しとけ、と。煩い。掃除しとけ、の一言であらゆるやる気が削がれて昼寝に突入したのは10時頃。起きたら23時。早起きした意味がまるっきりなくなってしまった。のそのそと起きて友人とメッセで話し、夕食の支度をしているとうちのが帰ってきた。私を見たうちのは、あんたさっき迄寝てたでしょ。ご名答である。何故解ったかを訊ねると、目が腫れているから、と。ふむ。普段私が鏡を見るのは、口髭や眉などの無駄毛チェックと化粧をするとき位であり、浮腫みチェックの為に鏡を見ることは殆どない。これからは夜迄寝てしまったときは鏡を見て、浮腫んでいたらタオルを冷やしてパックをしよう。それ以前に、夜迄寝ているってのはどうよ、という意見もありそうだが気にしない。因みに昨夜布団に入ったのは午前2時。4時間で起きてしまったことになる。眠剤その他の効きがおかしい。3時に寝て10時か11時に起きる生活をしたいのだが、どうにも上手くいかない。
某所で過眠について書き込みしたところ、殆ど理解が得られなかった。不眠のつらさはまだ想像できても、仮眠のつらさはなかなか解ってもらえないものらしい。不眠についても、日中に動かないから寝られないだけだ、という解釈が蔓延っている。こういう体育会系発想をする人は抹殺されればいいのに。動いて寝られるなら幾らでも動くし、昼寝を耐えて夜に寝られるなら幾らでも耐えるってんだ。この手の体育会系発想をする人は幸せなんだろうな、と思う。そしてそんな幸せなおつむの持ち主とは、私は決して仲良くなれない。処方が変わってからの生活リズムの狂いは、処方が変わる前のそれと少し違っている。因って今のおかしなリズムは、薬の副作用であると読んでいる。新規処方薬に慣れれば改善されるのだろうか。いや、以前の処方薬に戻してもらった方がマシなような。レスタスとルジオミールで、確かに入眠困難は改善されているように思う。問題は、何処にあるのか。中長期型眠剤であるサイレースに耐性が付いてしまったのか、それともパキシルが切られた所為か。パキシルの副作用に眠気を訴える人が多いようだが、私の場合は逆に眠れなくなるので、今の処方薬にパキシルを戻してもらえればいい気がする。四環系とSSRIの飲み合わせに問題が無ければ、次の診察時にパキシルを戻してもらおう。でも主治医は処方薬を増やしたがらない人だからなあ。交渉次第で何とかなるだろうか。友人の主治医は処方薬大盤振舞いの医師らしい。副作用に頭痛を訴えると、頭痛の鎮静剤迄出してくれるようだ。処方薬過多の医師は如何なものかと思うけれど、友人の主治医のように患者にとって必要な薬はちゃんと出してくれる医師は、ちょっと羨ましい気も今の私はする。
昨夜の友人とのメッセでの会話は今日行くヨガ教室の待ち合わせについて。レッスンの30分前に教室の最寄り駅で待ち合わせることになった。友人はまだ入会を決めてはいないのに、体験レッスン用にちゃんと運動に適した服を用意したらしい。某安価衣類量販店で。それを聞く前に、ストレッチ素材の服がいいよ、とアドバイスしたところ、友人から返ってきた答えは、ストレッチ素材の服を着ると全人格を否定された気がする、と。何が彼女にそこ迄ストレッチ素材の服を嫌わせているのか。以前、私のワードローブ一覧表を彼女に見せたら、ストレッチのパンツは全部捨ててしまえ、と言われた。理由は、彼女がストレッチ素材が嫌いだから。便利なのになあ。という私も、ストレッチの効いたデニムは嫌いである。デニムはあの硬さがあってナンボであり、ストレッチがない方が色落ちも綺麗だと思うから。私が持っているストレッチ素材のパンツはチノっぽいものである。けれど最近、その手のパンツの罠に気が付いた。ストレッチが効いているということは或る程度体にフィットして伸びるということであり、腰が張っている私は、ウエストのポケット部分が妙な伸び方をしてポケットの裏地が覗くことがままあるのだ。パンツだけでなく、スカートでもそう。特にネットオークションでパンツのウエストと股上・股下、スカートの場合はウエストと着丈を訊いただけだと、腰から尻のラインで失敗することが多いことに最近気付いた。今はちゃんとヒップの実寸も訊くようにしている。
明日のヨガは約半月ぶり。ちゃんと体が動くかどうか、かなり心配である。只でさえうちのと共に、日本一体が硬いカップル、と太鼓判を押されている片割れなのだ。見栄っ張りなので友人の前で無様な姿を晒したくないのだが、体が追いつかないのは一朝一夕でどうにかなるものではない。10年来の友人であることだし、恥をかいてもいいか。彼女も私の体の硬さはよく知っている。メッセでの会話の中で、23時に起きたことを言ったら、明日はちゃんと起きてね、と言われた。彼女は私の遅刻癖も熟知している。明日の予定は、朝早めに起きて銀行回りをし、帰宅して入浴し、食事を摂りつつ洗濯をし、干してから待ち合わせ場所へ。脳内では無駄のない完璧な予定が立てられている。問題は、ちゃんと予定通りの時間に起きられるか否か。起きるのが昼頃になってしまったら銀行回りは26日に。25日は銀行が混むのがイヤだ。うちのに、今度から銀行回りを26日にしたい、と言ったら、そんなにつらい仕事かね、と言われた。ATMの空き待ち中に親に連れられた餓鬼が騒ぐのがイヤなのだ。それ位慣れなさい、と言われたけれど、慣れずとも避けられるならば私は避けたい。待つことが明らかな銀行に騒ぐ餓鬼を連れてくるな。
昨朝の私は素晴らしかった。6時起床。これだけでも素晴らしいのに、朝食迄作った。昨日の残り物を並べただけだが。うちのを起こして朝食を共に食し、送り出した。すると直ぐにうちのから電話が。財布を忘れたから持ってきてくれ。その時点の私の服装は部屋着であり、ミルクフェドの紺のロゴトレーナーに45rpmの紺のコーデュロイ風パンツに紺地にうさぎ柄ちゃんちゃんこ。そのままの恰好で、うちのの財布を届けに行った。うちのも駅から引き返しており、途中の道端で受け渡し。家に帰るとまた電話が。あんた、雑食の毛塗れで汚いよ、掃除しとけ、と。煩い。掃除しとけ、の一言であらゆるやる気が削がれて昼寝に突入したのは10時頃。起きたら23時。早起きした意味がまるっきりなくなってしまった。のそのそと起きて友人とメッセで話し、夕食の支度をしているとうちのが帰ってきた。私を見たうちのは、あんたさっき迄寝てたでしょ。ご名答である。何故解ったかを訊ねると、目が腫れているから、と。ふむ。普段私が鏡を見るのは、口髭や眉などの無駄毛チェックと化粧をするとき位であり、浮腫みチェックの為に鏡を見ることは殆どない。これからは夜迄寝てしまったときは鏡を見て、浮腫んでいたらタオルを冷やしてパックをしよう。それ以前に、夜迄寝ているってのはどうよ、という意見もありそうだが気にしない。因みに昨夜布団に入ったのは午前2時。4時間で起きてしまったことになる。眠剤その他の効きがおかしい。3時に寝て10時か11時に起きる生活をしたいのだが、どうにも上手くいかない。
某所で過眠について書き込みしたところ、殆ど理解が得られなかった。不眠のつらさはまだ想像できても、仮眠のつらさはなかなか解ってもらえないものらしい。不眠についても、日中に動かないから寝られないだけだ、という解釈が蔓延っている。こういう体育会系発想をする人は抹殺されればいいのに。動いて寝られるなら幾らでも動くし、昼寝を耐えて夜に寝られるなら幾らでも耐えるってんだ。この手の体育会系発想をする人は幸せなんだろうな、と思う。そしてそんな幸せなおつむの持ち主とは、私は決して仲良くなれない。処方が変わってからの生活リズムの狂いは、処方が変わる前のそれと少し違っている。因って今のおかしなリズムは、薬の副作用であると読んでいる。新規処方薬に慣れれば改善されるのだろうか。いや、以前の処方薬に戻してもらった方がマシなような。レスタスとルジオミールで、確かに入眠困難は改善されているように思う。問題は、何処にあるのか。中長期型眠剤であるサイレースに耐性が付いてしまったのか、それともパキシルが切られた所為か。パキシルの副作用に眠気を訴える人が多いようだが、私の場合は逆に眠れなくなるので、今の処方薬にパキシルを戻してもらえればいい気がする。四環系とSSRIの飲み合わせに問題が無ければ、次の診察時にパキシルを戻してもらおう。でも主治医は処方薬を増やしたがらない人だからなあ。交渉次第で何とかなるだろうか。友人の主治医は処方薬大盤振舞いの医師らしい。副作用に頭痛を訴えると、頭痛の鎮静剤迄出してくれるようだ。処方薬過多の医師は如何なものかと思うけれど、友人の主治医のように患者にとって必要な薬はちゃんと出してくれる医師は、ちょっと羨ましい気も今の私はする。
昨夜の友人とのメッセでの会話は今日行くヨガ教室の待ち合わせについて。レッスンの30分前に教室の最寄り駅で待ち合わせることになった。友人はまだ入会を決めてはいないのに、体験レッスン用にちゃんと運動に適した服を用意したらしい。某安価衣類量販店で。それを聞く前に、ストレッチ素材の服がいいよ、とアドバイスしたところ、友人から返ってきた答えは、ストレッチ素材の服を着ると全人格を否定された気がする、と。何が彼女にそこ迄ストレッチ素材の服を嫌わせているのか。以前、私のワードローブ一覧表を彼女に見せたら、ストレッチのパンツは全部捨ててしまえ、と言われた。理由は、彼女がストレッチ素材が嫌いだから。便利なのになあ。という私も、ストレッチの効いたデニムは嫌いである。デニムはあの硬さがあってナンボであり、ストレッチがない方が色落ちも綺麗だと思うから。私が持っているストレッチ素材のパンツはチノっぽいものである。けれど最近、その手のパンツの罠に気が付いた。ストレッチが効いているということは或る程度体にフィットして伸びるということであり、腰が張っている私は、ウエストのポケット部分が妙な伸び方をしてポケットの裏地が覗くことがままあるのだ。パンツだけでなく、スカートでもそう。特にネットオークションでパンツのウエストと股上・股下、スカートの場合はウエストと着丈を訊いただけだと、腰から尻のラインで失敗することが多いことに最近気付いた。今はちゃんとヒップの実寸も訊くようにしている。
明日のヨガは約半月ぶり。ちゃんと体が動くかどうか、かなり心配である。只でさえうちのと共に、日本一体が硬いカップル、と太鼓判を押されている片割れなのだ。見栄っ張りなので友人の前で無様な姿を晒したくないのだが、体が追いつかないのは一朝一夕でどうにかなるものではない。10年来の友人であることだし、恥をかいてもいいか。彼女も私の体の硬さはよく知っている。メッセでの会話の中で、23時に起きたことを言ったら、明日はちゃんと起きてね、と言われた。彼女は私の遅刻癖も熟知している。明日の予定は、朝早めに起きて銀行回りをし、帰宅して入浴し、食事を摂りつつ洗濯をし、干してから待ち合わせ場所へ。脳内では無駄のない完璧な予定が立てられている。問題は、ちゃんと予定通りの時間に起きられるか否か。起きるのが昼頃になってしまったら銀行回りは26日に。25日は銀行が混むのがイヤだ。うちのに、今度から銀行回りを26日にしたい、と言ったら、そんなにつらい仕事かね、と言われた。ATMの空き待ち中に親に連れられた餓鬼が騒ぐのがイヤなのだ。それ位慣れなさい、と言われたけれど、慣れずとも避けられるならば私は避けたい。待つことが明らかな銀行に騒ぐ餓鬼を連れてくるな。
下駄とマーチン
2004年5月23日 メイク・ファッション・ピアス 現在、5月24日。
昨日はうちのに誘われて某安価衣類量販店へ。シンプルなのに飽きがくる為、私はここの衣類は買わない。以前は数枚持っていたけれど、全て処分した。なのに掘り出し物発見! まさか下駄が置いてあるとは思わなかった。私は夏場になると下駄愛好者になるので、1000円で鼻緒はチャチくても桐材の下駄が買えるのは物凄く有難い。最もチャチではない柄の鼻緒を選んで衝動買い。また衣類は処分したと書いたけれど、下着は愛用している。この下着でもローライズ型のショーツが出ていたので、これも購入。後はヨガのレッスンに行く際に、うちのが前々から持っていて、これはいいよ、と薦めていた速乾性のTシャツも。私のここでの買い物は以上。うちのは速乾性Tシャツの替えを1枚と、下駄と、夏物のパンツを3本購入。うちのは普段ちょっとコンビニなどに行くとき用の突っ掛けを欲しがっていたので、意図は違えどやはり下駄は掘り出し物。先日、うちの用に生協で注文したのが草履で正解だった。下駄や草履に慣れると、所謂普通の靴を履くのが苦痛になるくらい気持ちいい。私は高校時代からの下駄愛用者である。和服だけでなくカジュアルな衣類にも合うので、非常に重宝している。問題点は雨の日。裏にゴム張りがしてあっても滑るのだ。天候さえ良ければ、下駄程優れた履物はないと断言したい。今、私は髪を伸ばしている最中。伸びて簪でお団子が作れるようになり、下駄を合わせたらさぞかし可愛かろうと想像している。ただ、私の髪質で簪が使えるかどうかだ。難しそうだな……、簪が無理なら、とんぼ玉の髪留めで我慢するか。うちのの裾上げ終了迄の間、駅ビル内をうろうろしていた。この駅ビルは今年の頭くらいにリニューアルしており、セレクトショップ系が増えて、都心にあって意外な穴場となっている。そこの和風小物の店でとんぼ玉を大量に発見。今回はうちのと一緒だったので急かされるのがイヤでスルーしたけれど、今度ゆっくりひとりで吟味しに行きたい。
うろうろ中に、お洋服屋さんでかわいいトングを発見。値段も安価。履き心地も良し。これは買いか? と暫し試し履きしつつ悩むも断念。素材が合皮だったのと、トングの踵部分が余るのが気になってしまったのだ。合皮物は嫌いなのだけれど、梅雨時期に備え1足位あってもいいかと思ったのだが。合皮嫌いがここでも邪魔している。雨天の為に好きになるべきか、それともエナメルかゴムの素材で探すべきか。今年流行のビニール素材の靴は却下。来年には履けなさそうだから。流行に於いても素材の耐久性に於いても。いいゴム靴かエナメル靴に出会えなければ、手持ちのゴム靴とエナメルショートブーツとマーチン2足でどうにかせねば。梅雨時期はお洒落の幅が狭まるのが悲しい。ガーリッシュなレインシューズとレインコートが欲しい。レインコートって何であんなに出番の少ない服なのに、いいお値段がするのだろう。少量生産なのだろうか。またレインシューズ・レインコートで気に入るデザインに出会うのも至難の業。以前、ネットオークションでラグシーの古着コーナーで購入したというピンクのゴム引きレインコートが出品されていてかなり可愛かった……が、競り負けた。今思い出しても悔しい。
いっそ雨の日用のコートや靴を探すのはやめて、手持ちのジャケットや靴に水を弾くコート剤を使った方がいいのかな、と思ったりもする。普段の汚れ防止ににもなるし、新規に物を買うよりはスペース上の問題もクリアできそうだ。一考の価値はありそう。といいつつ、一考している間に梅雨が過ぎてしまいそうな悪寒も。下手の長考休むに似たり、なのかもしれない。コート剤に思いが至ったのは、先日購入したデニムジャケットが非常に便利だったから。やや薄手で丈は長め、小さめのヘチマカラーのカバーオール型。昨日は街中で10人以上の、定番型Gジャンを着ている人を見た。定番型を買わなくて本当に良かった。街中で自分と同じ服を着ている人を見かける程、気まずいものはない。10人以上のGジャンの人々はそんな気まずさを感じないのだろうか。疑問だ。それにしてもデニムジャケットがこんなに使えるとは思わなかった。薦めてくれた友、有難う。少し話は逸れて、今年流行のアイテムのひとつに、ホルターネックキャミがある。薄っぺらい体格なので避けてきていたが、某安価衣類量販店にて試着してみた。激しく似合わん。アレはやはり、ある程度肉付きのいい人にしか着こなせない服らしい。私が着ると乳の貧相さも然ることながら、背中の貧相もが目立ってしまった。背部で布地がだらーんの弛むのだ。ダメ。ホルターネックキャミはどんなに流行ろうが使い勝手が良かろうが、スルー決定。
昨日の一番の買い物は、ドクターマーチンのスニーカー。うちのに付き合って靴屋に行った。うちのは仕事でも普段でも使えるマーチンのちょっと変わった革素材の3ホールを気に入ったらしい。給料日前なのでカード払い。それに便乗して、私が一目惚れしたスニーカーも買ってもらった。買ってもらったとはいえ、3回分割で返済するのだけれど。この買い物は、私にとって初の革スニーカー。色はムラ染めの赤。激しく可愛い。マーチンといえばブーツ、という固定観念があったけれどなかなかにスニーカーも可愛かった。他の色展開は同じくムラ染めで水色・茶系など。やっぱり赤が一番目を引き且つ私の普段着には一番合わせ易そうだった。私は靴を買うと、嬉しさ余って大概その場で購入したばかりの新しい靴に履き替える。昨日出掛けたときに履いていたのはボロボロのビルケン。素足で履いていた。日頃から靴下を待ち歩く習慣などなく、マーチンのスニーカーも素足に履いて帰った……ら、左足外側の踝に靴擦れした。当分は靴下着用で履き慣らしていかなければならないようだ。このマーチンを目に留める迄は、パトリックの前々から欲しかった白×青×赤のスニーカーを見ていた。迷った末うちのの、あんたパトリックは一杯持ってるじゃない、でマーチンに決定。こっちにして正解だったと思う。パトリックの白×青×赤がもう気にならないといえば嘘になるけれど。そういえば、うちのに初めて買ってもらった靴は、パトリックのカーキ×オレンジだった。自分がブルーベースだと判明してからオレンジを避けるようになり、衣類にオレンジが減ってからこのスニーカーは暫く履いていない。またそろそろ出してきて履こう。
昨日はうちのに誘われて某安価衣類量販店へ。シンプルなのに飽きがくる為、私はここの衣類は買わない。以前は数枚持っていたけれど、全て処分した。なのに掘り出し物発見! まさか下駄が置いてあるとは思わなかった。私は夏場になると下駄愛好者になるので、1000円で鼻緒はチャチくても桐材の下駄が買えるのは物凄く有難い。最もチャチではない柄の鼻緒を選んで衝動買い。また衣類は処分したと書いたけれど、下着は愛用している。この下着でもローライズ型のショーツが出ていたので、これも購入。後はヨガのレッスンに行く際に、うちのが前々から持っていて、これはいいよ、と薦めていた速乾性のTシャツも。私のここでの買い物は以上。うちのは速乾性Tシャツの替えを1枚と、下駄と、夏物のパンツを3本購入。うちのは普段ちょっとコンビニなどに行くとき用の突っ掛けを欲しがっていたので、意図は違えどやはり下駄は掘り出し物。先日、うちの用に生協で注文したのが草履で正解だった。下駄や草履に慣れると、所謂普通の靴を履くのが苦痛になるくらい気持ちいい。私は高校時代からの下駄愛用者である。和服だけでなくカジュアルな衣類にも合うので、非常に重宝している。問題点は雨の日。裏にゴム張りがしてあっても滑るのだ。天候さえ良ければ、下駄程優れた履物はないと断言したい。今、私は髪を伸ばしている最中。伸びて簪でお団子が作れるようになり、下駄を合わせたらさぞかし可愛かろうと想像している。ただ、私の髪質で簪が使えるかどうかだ。難しそうだな……、簪が無理なら、とんぼ玉の髪留めで我慢するか。うちのの裾上げ終了迄の間、駅ビル内をうろうろしていた。この駅ビルは今年の頭くらいにリニューアルしており、セレクトショップ系が増えて、都心にあって意外な穴場となっている。そこの和風小物の店でとんぼ玉を大量に発見。今回はうちのと一緒だったので急かされるのがイヤでスルーしたけれど、今度ゆっくりひとりで吟味しに行きたい。
うろうろ中に、お洋服屋さんでかわいいトングを発見。値段も安価。履き心地も良し。これは買いか? と暫し試し履きしつつ悩むも断念。素材が合皮だったのと、トングの踵部分が余るのが気になってしまったのだ。合皮物は嫌いなのだけれど、梅雨時期に備え1足位あってもいいかと思ったのだが。合皮嫌いがここでも邪魔している。雨天の為に好きになるべきか、それともエナメルかゴムの素材で探すべきか。今年流行のビニール素材の靴は却下。来年には履けなさそうだから。流行に於いても素材の耐久性に於いても。いいゴム靴かエナメル靴に出会えなければ、手持ちのゴム靴とエナメルショートブーツとマーチン2足でどうにかせねば。梅雨時期はお洒落の幅が狭まるのが悲しい。ガーリッシュなレインシューズとレインコートが欲しい。レインコートって何であんなに出番の少ない服なのに、いいお値段がするのだろう。少量生産なのだろうか。またレインシューズ・レインコートで気に入るデザインに出会うのも至難の業。以前、ネットオークションでラグシーの古着コーナーで購入したというピンクのゴム引きレインコートが出品されていてかなり可愛かった……が、競り負けた。今思い出しても悔しい。
いっそ雨の日用のコートや靴を探すのはやめて、手持ちのジャケットや靴に水を弾くコート剤を使った方がいいのかな、と思ったりもする。普段の汚れ防止ににもなるし、新規に物を買うよりはスペース上の問題もクリアできそうだ。一考の価値はありそう。といいつつ、一考している間に梅雨が過ぎてしまいそうな悪寒も。下手の長考休むに似たり、なのかもしれない。コート剤に思いが至ったのは、先日購入したデニムジャケットが非常に便利だったから。やや薄手で丈は長め、小さめのヘチマカラーのカバーオール型。昨日は街中で10人以上の、定番型Gジャンを着ている人を見た。定番型を買わなくて本当に良かった。街中で自分と同じ服を着ている人を見かける程、気まずいものはない。10人以上のGジャンの人々はそんな気まずさを感じないのだろうか。疑問だ。それにしてもデニムジャケットがこんなに使えるとは思わなかった。薦めてくれた友、有難う。少し話は逸れて、今年流行のアイテムのひとつに、ホルターネックキャミがある。薄っぺらい体格なので避けてきていたが、某安価衣類量販店にて試着してみた。激しく似合わん。アレはやはり、ある程度肉付きのいい人にしか着こなせない服らしい。私が着ると乳の貧相さも然ることながら、背中の貧相もが目立ってしまった。背部で布地がだらーんの弛むのだ。ダメ。ホルターネックキャミはどんなに流行ろうが使い勝手が良かろうが、スルー決定。
昨日の一番の買い物は、ドクターマーチンのスニーカー。うちのに付き合って靴屋に行った。うちのは仕事でも普段でも使えるマーチンのちょっと変わった革素材の3ホールを気に入ったらしい。給料日前なのでカード払い。それに便乗して、私が一目惚れしたスニーカーも買ってもらった。買ってもらったとはいえ、3回分割で返済するのだけれど。この買い物は、私にとって初の革スニーカー。色はムラ染めの赤。激しく可愛い。マーチンといえばブーツ、という固定観念があったけれどなかなかにスニーカーも可愛かった。他の色展開は同じくムラ染めで水色・茶系など。やっぱり赤が一番目を引き且つ私の普段着には一番合わせ易そうだった。私は靴を買うと、嬉しさ余って大概その場で購入したばかりの新しい靴に履き替える。昨日出掛けたときに履いていたのはボロボロのビルケン。素足で履いていた。日頃から靴下を待ち歩く習慣などなく、マーチンのスニーカーも素足に履いて帰った……ら、左足外側の踝に靴擦れした。当分は靴下着用で履き慣らしていかなければならないようだ。このマーチンを目に留める迄は、パトリックの前々から欲しかった白×青×赤のスニーカーを見ていた。迷った末うちのの、あんたパトリックは一杯持ってるじゃない、でマーチンに決定。こっちにして正解だったと思う。パトリックの白×青×赤がもう気にならないといえば嘘になるけれど。そういえば、うちのに初めて買ってもらった靴は、パトリックのカーキ×オレンジだった。自分がブルーベースだと判明してからオレンジを避けるようになり、衣類にオレンジが減ってからこのスニーカーは暫く履いていない。またそろそろ出してきて履こう。
現在、5月23日。
金曜の診察でパキとソラが切られ、レスタスとルジオミールが追加されたことを書いた。1度処方され、その後切られた薬はやはり良くない。むしろダメダメ。金曜の夜に飲んで寝て、土曜の午前10時頃に腹を空かせたうちのに起こされ、何も作る気がせずコーンフレークに牛乳をかけて出し、私も同じ物を食べ、うちのの静止を振り切って強引に布団に戻って再び就寝。起きたら日付が変わった0時だった。確かにここのところ眠剤の効きが悪くなっており、改善したいと言った。でもここ迄寝なくてもいい。こんなに寝ていたら入眠障害は改善されても、根本である生活リズムの改善には逆効果。起きたらうちのはオカンムリだった。当然と言えば、当然である。副作用だか正作用だか解らないにしても、一緒に住んでいるダラ奥が自分の休日に延々寝ていたら、そりゃあ気分も悪かろう。平謝りしても許してもらえなかった。寝ていたので食事も作れず、起きたら流し台に食器が山盛り。家にある物を適当に食べてくれたのだろう。食器洗いをやっつけ、鯖が移転した板のスレを再取得し、4時前に寝た。昨日起きていた時間は約4時間。寝る子であるねこでももっと起きている。ねこ以下……。今日起きたのは7時半。睡眠時間は足りないけれど、起きられたのは処方薬を勝手に変更したからだろう。レスタス+ルジオミール+アモバン+サイレースを、レスタス+ルジオミール+ソラナックス+ドラールに。これで起きられたのだから、レスタスとルジオミール自体には問題がなさそうである。この2種にアモバンとサイレースを足すと、効果が増幅されてしまうのだろうか。来週早々にまた診察に行き、処方薬を調整しもらう予定。それ迄は手元のストックに残っているソラとパキを使いつつ、どうにか凌ごう。
このように処方が変わることで、睡眠を調整できなくなることは少なくない。10時に起きてまた布団に戻ろうとする私にうちのが、もう眠剤の効果は切れてる! 一般的睡眠時間を越えても効果がある眠剤なんてある筈がない! と怒っていた。でもあるのだから仕方がない。メンヘル系の薬は患者それぞれで効きが違うというのは定説である。また患者個人の体質にもよるし、患者自身のそのときの精神状態によっても効果の出方が変わる。そして飲んでみなければ解らないのがこの手の薬。私のこの長い睡眠も不可抗力としか言いようがない。うちのもその辺は理解してはくれているのだが、やはり貴重な休日を私の睡眠でひとりぼっちにされた苛立ちの方が先に立つらしい。仏さんでもあるまいし、うちのに全てを平穏な心持で許容してくれ、とは言えない。今、私にできるのは、うちのが起きる迄布団に戻らず、起きたら気持ちよく朝食を出すことくらいだろう。これで機嫌が少しでも直ってくれればいいのだが。とはいえ、私は私で釈然としない。処方薬による過眠は不可抗力だと思っており、何でそれで謝らねばならんのか。仕方がないではないか。でも私が折れる。オトナだから。処方薬が変わり一晩飲んでみて、今夜のオールナイトのライヴに行くのはかなり危ない気がしたので行くのをやめる。実に残念だが、途中で寝てしまっては行く価値もないし。
昨日の夕方、テンションが高かったらしい私は友人らにメールを送っていた。明瞭な記憶はないけれど、誰にも意味不明メールは送っていなかった模様。返信を見ると、友人Aには処方薬の偏向について、Bには最近読んだ本について、Cにはコスメと服について書いていたらしい。ABCは返信が返ってきた順。それぞれにまた返信を出したが、後になってCへの返信内容の一部が、最初に私が出したメールの内容と被っていたことが発覚。すまん。Cは私より先にうんこ小説を読んでいたらしく、やはりうんこだと思ったそうな。彼女が偉いのは、図書館で借りてうんこ小説を読んだこと。文庫とはいえ、金を払ってしまった私とは大違いだ。近所に図書館があればなあ、と思う。または古本屋。うちの近所には新刊本を置くやや大きめの書店はあるけれど、そこしかないのだ。もっと大きな書店と大規模な古本屋と品揃えのいい図書館を渇望。毎度毎度本を買うのは、お財布に余り優しくない。それでも読みたい本は買うのだが、こんなうんこ小説を掴んでしまった日には目も当てられない。ああ、悔しい。近所に欲しいもの。図書館・古本屋・安価で品揃えのいいスーパー・魚屋・コスメも扱うバラエティショップ。スーパーは徒歩圏内に数軒あるが、どこもさして安くないのが難。
コスメを扱うバラエティショップは数年前迄はあった。コスメヲタな私は重宝していたのだけれどじきに潰れ、今は糞不味い中華屋になってしまった。中華屋はもういらんのに。近所に無駄に多いのがコンビニ。もういらん。まちBBSで、どこかが潰れた、と書き込まれるとその後に、またコンビニができるのか? という憶測が飛び交う。この周辺の住民は、新しい店ができる=コンビニではあるまいな、と思ってしまう傾向にあるらしい。私もそのひとり。しかも新たにできるコンビニがサンクスとなると、もうがっかりを通り越して腹が立つ。この辺り程サンクスが多い地域もそうはないと思われる。そんなもんは要らないから、デリバリもしてくれるケンタッキーでもできて欲しい。うちから1駅先と2駅先にケンタッキーがある。しかしどちらもデリバリはしてくれず、かといって歩いて買いに行くには少し遠い。寝て、起きたら近隣のコンビニ以外の店は閉まっているという生活状況の私には、デリバリの充実は本当に有難い。有難いけれど、デリバリは高い。安価なデリバリ屋ができれば、きっとかなり活用できるだろう。そんな風に考えると、週に1度の生協の宅配はやはり私には合っている。ただ野菜だけは日持ちせず、生協基準に週の後半は野菜料理が減るのが難。今は冷凍野菜を活用してはいるけれど。あ。私が楽しみに取っておいた北京風ピロシキを、昨日私が寝ている間にうちのに食べられてしまった。悔しい。黒猫マークを書いておくべきだったか。冷凍物にうちのが手を出すとは思っていなかったので油断していた。失敗。また注文せねば。
金曜の診察でパキとソラが切られ、レスタスとルジオミールが追加されたことを書いた。1度処方され、その後切られた薬はやはり良くない。むしろダメダメ。金曜の夜に飲んで寝て、土曜の午前10時頃に腹を空かせたうちのに起こされ、何も作る気がせずコーンフレークに牛乳をかけて出し、私も同じ物を食べ、うちのの静止を振り切って強引に布団に戻って再び就寝。起きたら日付が変わった0時だった。確かにここのところ眠剤の効きが悪くなっており、改善したいと言った。でもここ迄寝なくてもいい。こんなに寝ていたら入眠障害は改善されても、根本である生活リズムの改善には逆効果。起きたらうちのはオカンムリだった。当然と言えば、当然である。副作用だか正作用だか解らないにしても、一緒に住んでいるダラ奥が自分の休日に延々寝ていたら、そりゃあ気分も悪かろう。平謝りしても許してもらえなかった。寝ていたので食事も作れず、起きたら流し台に食器が山盛り。家にある物を適当に食べてくれたのだろう。食器洗いをやっつけ、鯖が移転した板のスレを再取得し、4時前に寝た。昨日起きていた時間は約4時間。寝る子であるねこでももっと起きている。ねこ以下……。今日起きたのは7時半。睡眠時間は足りないけれど、起きられたのは処方薬を勝手に変更したからだろう。レスタス+ルジオミール+アモバン+サイレースを、レスタス+ルジオミール+ソラナックス+ドラールに。これで起きられたのだから、レスタスとルジオミール自体には問題がなさそうである。この2種にアモバンとサイレースを足すと、効果が増幅されてしまうのだろうか。来週早々にまた診察に行き、処方薬を調整しもらう予定。それ迄は手元のストックに残っているソラとパキを使いつつ、どうにか凌ごう。
このように処方が変わることで、睡眠を調整できなくなることは少なくない。10時に起きてまた布団に戻ろうとする私にうちのが、もう眠剤の効果は切れてる! 一般的睡眠時間を越えても効果がある眠剤なんてある筈がない! と怒っていた。でもあるのだから仕方がない。メンヘル系の薬は患者それぞれで効きが違うというのは定説である。また患者個人の体質にもよるし、患者自身のそのときの精神状態によっても効果の出方が変わる。そして飲んでみなければ解らないのがこの手の薬。私のこの長い睡眠も不可抗力としか言いようがない。うちのもその辺は理解してはくれているのだが、やはり貴重な休日を私の睡眠でひとりぼっちにされた苛立ちの方が先に立つらしい。仏さんでもあるまいし、うちのに全てを平穏な心持で許容してくれ、とは言えない。今、私にできるのは、うちのが起きる迄布団に戻らず、起きたら気持ちよく朝食を出すことくらいだろう。これで機嫌が少しでも直ってくれればいいのだが。とはいえ、私は私で釈然としない。処方薬による過眠は不可抗力だと思っており、何でそれで謝らねばならんのか。仕方がないではないか。でも私が折れる。オトナだから。処方薬が変わり一晩飲んでみて、今夜のオールナイトのライヴに行くのはかなり危ない気がしたので行くのをやめる。実に残念だが、途中で寝てしまっては行く価値もないし。
昨日の夕方、テンションが高かったらしい私は友人らにメールを送っていた。明瞭な記憶はないけれど、誰にも意味不明メールは送っていなかった模様。返信を見ると、友人Aには処方薬の偏向について、Bには最近読んだ本について、Cにはコスメと服について書いていたらしい。ABCは返信が返ってきた順。それぞれにまた返信を出したが、後になってCへの返信内容の一部が、最初に私が出したメールの内容と被っていたことが発覚。すまん。Cは私より先にうんこ小説を読んでいたらしく、やはりうんこだと思ったそうな。彼女が偉いのは、図書館で借りてうんこ小説を読んだこと。文庫とはいえ、金を払ってしまった私とは大違いだ。近所に図書館があればなあ、と思う。または古本屋。うちの近所には新刊本を置くやや大きめの書店はあるけれど、そこしかないのだ。もっと大きな書店と大規模な古本屋と品揃えのいい図書館を渇望。毎度毎度本を買うのは、お財布に余り優しくない。それでも読みたい本は買うのだが、こんなうんこ小説を掴んでしまった日には目も当てられない。ああ、悔しい。近所に欲しいもの。図書館・古本屋・安価で品揃えのいいスーパー・魚屋・コスメも扱うバラエティショップ。スーパーは徒歩圏内に数軒あるが、どこもさして安くないのが難。
コスメを扱うバラエティショップは数年前迄はあった。コスメヲタな私は重宝していたのだけれどじきに潰れ、今は糞不味い中華屋になってしまった。中華屋はもういらんのに。近所に無駄に多いのがコンビニ。もういらん。まちBBSで、どこかが潰れた、と書き込まれるとその後に、またコンビニができるのか? という憶測が飛び交う。この周辺の住民は、新しい店ができる=コンビニではあるまいな、と思ってしまう傾向にあるらしい。私もそのひとり。しかも新たにできるコンビニがサンクスとなると、もうがっかりを通り越して腹が立つ。この辺り程サンクスが多い地域もそうはないと思われる。そんなもんは要らないから、デリバリもしてくれるケンタッキーでもできて欲しい。うちから1駅先と2駅先にケンタッキーがある。しかしどちらもデリバリはしてくれず、かといって歩いて買いに行くには少し遠い。寝て、起きたら近隣のコンビニ以外の店は閉まっているという生活状況の私には、デリバリの充実は本当に有難い。有難いけれど、デリバリは高い。安価なデリバリ屋ができれば、きっとかなり活用できるだろう。そんな風に考えると、週に1度の生協の宅配はやはり私には合っている。ただ野菜だけは日持ちせず、生協基準に週の後半は野菜料理が減るのが難。今は冷凍野菜を活用してはいるけれど。あ。私が楽しみに取っておいた北京風ピロシキを、昨日私が寝ている間にうちのに食べられてしまった。悔しい。黒猫マークを書いておくべきだったか。冷凍物にうちのが手を出すとは思っていなかったので油断していた。失敗。また注文せねば。
暫く前から某所にて小祭になっていたココナッツプリンを食べてみた。私は何度祭に踊らされれば懲りるのだろう。不味くはないけれど特に美味くもなかった。モスの鰹バーガーは当たり。美味い。でも鰹パテが薄過ぎるのが難。厚みを持たせると魚臭さが目立つのだろうか。今度はライスバーガーの豚生姜を注文しよう。鰹バーガーと一緒に注文したのはアイスミルクティ。出てきたのはアイスレモンティ。取り替えてもらうのも面倒でそのまま飲んだ。納得行かないまま食して飲んだのだが、鰹バーガーにはレモンティの方が合っていた気もする。終わりよければ全て良しとする。もう一々苦情を言うのも疲れてきた。私の文字は5と6を読み間違える程汚いかね。私の声はそんなに聞き取り難いかね。滑舌は悪いけれど、ミルクとレモンを間違えられるとは。出来物の腫れは引いてきたけれど、傷口が明らかに化膿している。医者に行け、とうちのにくどくど言われたけれど行きたくないので、薬局でガーゼと抗生物質入り軟膏を購入。これで快方に向ってくれるといいのだが、さてどうだろう。清潔にしつつ様子を見るしかない。
と、今日は出かけてきた訳である。昨日入浴したから。迷っていたスティラのフレグランスブックも、店頭で見て以前のブックと色味が違うことを確認してから引き取ってきた。今日のスティラは珍しく親切だった。会計待ちのときに椅子を薦められ、おまけにメイクレッスンも進んでしてくれたのだ。スティラなのに。スティラはBAさんの対応が悪いことで有名なのだが、今日は空いていた所為か随分と親切だった。良き哉、良き哉。次回限定のイタリアンアイス3パンを試しますか? と言われたけれど、3種の色を見ても余りそそられなかった為、購入したブックを使ってのレッスンにしてもらった。スティラ本国では秋に発売された物だけあって、かなり落ち着いた色合い。でも私位の歳だと通年で、この程度の控えめなパール感がちょうどいいようだ。パレットの中で1色、これは使えなさそうだなあ……、と思った色が意外なことに一番良かった。パレットで見る色と肌に乗せたときの発色が全然違う! これは当たりな買い物のように思えた。一緒に使ってもらった今日発売のスマットポットジェルアイライナー。眼中外だったのだが、これはなかなか。ボビィのパチもらいにしか考えていなかったけれど、テクスチャが違って肌に乗せるとパウダーっぽく、ボビィよりも遣い易そうな感じ。そしてシャドウブラシで使えるので、ボビィのように専用筆も不要。そのうちボビィのジェルライナーを買う予定だったけれど、スティラの方がいいかも。ウォータープルーフではあるけれどオイルプルーフではないので、取り敢えず今日つけてもらったものをもう暫くそのままにしておいて、持ちを見てから決めよう。定番品だから急ぐ必要もないし。予想外に今日のレッスンは丁寧で、ハイライトまで入れてくれた。今迄気にしたこともなかったオールオーバーシマー。これはいいかも。ピンク系で凄く自然なツヤが出た。ライナーやらシマーやら、また欲しい物ができてしまった。それにしてもスティラも廃れてきた。発売日前に予約していたこのパレットだが、未だに在庫がたんまりあった模様。以前は予約分は予約開始日即日完売、予約外の分も発売初日午前中に完売なんてことがザラにあったのに。余談。スティラに基礎物はない。なのにメイクレッスンの際はそのときしていたメイクを落としてくれる訳で、一体何で落としているのだろう、と疑問に思っていた。ので訊いてみた。なかなか教えてくれない。エスティ系列の物ですよね、と言うと、鋭いですね。どうやらクリニークのクレンジングを使っているとのこと。
今日出かけたメインの用事は通院。処方薬のストックがいよいよ底を尽きてきたのだ。診察で睡眠障害を主に相談すると、処方薬が変更された。ソラナックスとパキシルが切られて、レスタスとルジオミールに。四環系……激しく不安。合わなければ早々に変更してもらいに行かなければ。処方箋を受け取って病院事務の人に処方変更の確認をしてもらうと、主治医はそれでいいと言っていたけれど。処方薬局でカルテを確認してもらうと、この2種はかなり前にも処方されたことがあったらしい。継続されていないということは多分合わなかったのだろうなあ。先生が処方してるんだから信じて飲んでね、とその事務の人は言っていたけれど、うーむ。もし今回の処方薬が合ったとしても、今度は最近予期不安だけで済むことが多くなっているPDでキツい発作が起きそうな。主治医の機嫌を損ねないように、ハッキリとは言っていなかったのかもしれない。経験上、私には三環系・四環系の薬は合わないのだ。今回ダメなら今度こそハッキリ言おう。ソラもだけれど、SSRIが外されたのがつらい。外された、ってだけで不安だ。処方薬に頼っているなあ……。主治医、薬を大量処方しない点はとても信用できるのだけれど、こちらが必要性を感じている薬を、大量処方を避けるために外してしまうことがあるのが難。
今日は珍しく午前中に目が覚めて洗濯もやっつけたので、もう眠い。うちのの帰宅迄昼寝しよう。その前に洗い物しなきゃ。買ってきた物を片付けなきゃ。帰るコール迄にご飯も炊いておかなきゃ。何だかんだとやることがある。明日か明後日、どちらかしかうちのは休みが取れないらしい。休めた方の日にヨガに行きたいと思っているけれど、如何せん足の付け根の出来物がポーズを取るのに邪魔をしそうな気もする。軟膏で、せめて痛みを感じない程度に改善して欲しい。
服/スカラーのグレーに白鳥ラメプリントカットソー+ツモリの浅黄色膝丈スカート+iimkの紫×黒グラデーションチェックスパッツ+インディゴデニムジャケット+cavacavaの茶色いパンプス+一澤帆布の国防色ミニトート+ボルドー×ピンク×艶消しゴールドのブレス+同ネックレス+ダイヤ×プラチナのピアスふたつ+バーニーズの艶消しゴールドと乳白色の石のピアスふたつ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス
メイク/下地+アナスイのアイブロウパウダー→ピエヌのディープラッシュマスカラ17→ケサランパサランのリップスティック305P→スティラのフレグランスブック・クレームブーケ
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
と、今日は出かけてきた訳である。昨日入浴したから。迷っていたスティラのフレグランスブックも、店頭で見て以前のブックと色味が違うことを確認してから引き取ってきた。今日のスティラは珍しく親切だった。会計待ちのときに椅子を薦められ、おまけにメイクレッスンも進んでしてくれたのだ。スティラなのに。スティラはBAさんの対応が悪いことで有名なのだが、今日は空いていた所為か随分と親切だった。良き哉、良き哉。次回限定のイタリアンアイス3パンを試しますか? と言われたけれど、3種の色を見ても余りそそられなかった為、購入したブックを使ってのレッスンにしてもらった。スティラ本国では秋に発売された物だけあって、かなり落ち着いた色合い。でも私位の歳だと通年で、この程度の控えめなパール感がちょうどいいようだ。パレットの中で1色、これは使えなさそうだなあ……、と思った色が意外なことに一番良かった。パレットで見る色と肌に乗せたときの発色が全然違う! これは当たりな買い物のように思えた。一緒に使ってもらった今日発売のスマットポットジェルアイライナー。眼中外だったのだが、これはなかなか。ボビィのパチもらいにしか考えていなかったけれど、テクスチャが違って肌に乗せるとパウダーっぽく、ボビィよりも遣い易そうな感じ。そしてシャドウブラシで使えるので、ボビィのように専用筆も不要。そのうちボビィのジェルライナーを買う予定だったけれど、スティラの方がいいかも。ウォータープルーフではあるけれどオイルプルーフではないので、取り敢えず今日つけてもらったものをもう暫くそのままにしておいて、持ちを見てから決めよう。定番品だから急ぐ必要もないし。予想外に今日のレッスンは丁寧で、ハイライトまで入れてくれた。今迄気にしたこともなかったオールオーバーシマー。これはいいかも。ピンク系で凄く自然なツヤが出た。ライナーやらシマーやら、また欲しい物ができてしまった。それにしてもスティラも廃れてきた。発売日前に予約していたこのパレットだが、未だに在庫がたんまりあった模様。以前は予約分は予約開始日即日完売、予約外の分も発売初日午前中に完売なんてことがザラにあったのに。余談。スティラに基礎物はない。なのにメイクレッスンの際はそのときしていたメイクを落としてくれる訳で、一体何で落としているのだろう、と疑問に思っていた。ので訊いてみた。なかなか教えてくれない。エスティ系列の物ですよね、と言うと、鋭いですね。どうやらクリニークのクレンジングを使っているとのこと。
今日出かけたメインの用事は通院。処方薬のストックがいよいよ底を尽きてきたのだ。診察で睡眠障害を主に相談すると、処方薬が変更された。ソラナックスとパキシルが切られて、レスタスとルジオミールに。四環系……激しく不安。合わなければ早々に変更してもらいに行かなければ。処方箋を受け取って病院事務の人に処方変更の確認をしてもらうと、主治医はそれでいいと言っていたけれど。処方薬局でカルテを確認してもらうと、この2種はかなり前にも処方されたことがあったらしい。継続されていないということは多分合わなかったのだろうなあ。先生が処方してるんだから信じて飲んでね、とその事務の人は言っていたけれど、うーむ。もし今回の処方薬が合ったとしても、今度は最近予期不安だけで済むことが多くなっているPDでキツい発作が起きそうな。主治医の機嫌を損ねないように、ハッキリとは言っていなかったのかもしれない。経験上、私には三環系・四環系の薬は合わないのだ。今回ダメなら今度こそハッキリ言おう。ソラもだけれど、SSRIが外されたのがつらい。外された、ってだけで不安だ。処方薬に頼っているなあ……。主治医、薬を大量処方しない点はとても信用できるのだけれど、こちらが必要性を感じている薬を、大量処方を避けるために外してしまうことがあるのが難。
今日は珍しく午前中に目が覚めて洗濯もやっつけたので、もう眠い。うちのの帰宅迄昼寝しよう。その前に洗い物しなきゃ。買ってきた物を片付けなきゃ。帰るコール迄にご飯も炊いておかなきゃ。何だかんだとやることがある。明日か明後日、どちらかしかうちのは休みが取れないらしい。休めた方の日にヨガに行きたいと思っているけれど、如何せん足の付け根の出来物がポーズを取るのに邪魔をしそうな気もする。軟膏で、せめて痛みを感じない程度に改善して欲しい。
服/スカラーのグレーに白鳥ラメプリントカットソー+ツモリの浅黄色膝丈スカート+iimkの紫×黒グラデーションチェックスパッツ+インディゴデニムジャケット+cavacavaの茶色いパンプス+一澤帆布の国防色ミニトート+ボルドー×ピンク×艶消しゴールドのブレス+同ネックレス+ダイヤ×プラチナのピアスふたつ+バーニーズの艶消しゴールドと乳白色の石のピアスふたつ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス
メイク/下地+アナスイのアイブロウパウダー→ピエヌのディープラッシュマスカラ17→ケサランパサランのリップスティック305P→スティラのフレグランスブック・クレームブーケ
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
昨日の朝、動物霊園に苦情を入れた。今日、草食の命日を訂正した物が届いた。仕事の速さと丁寧な手書きでの謝罪手紙の同封は良しとして、何故にまた振込用紙を送りつけてくるのか。前回の間違いの知らせのときも入っていたのに。杜撰なのか丁寧なのか解らん霊園である。お布施は払わんが、近々花と野菜と果物を持ってお参りに行こう。生前は草食の健康を優先して、たまにしか果物をあげなかった。もっともっとたくさんあげておけば良かった。草食は果物が大好きだったのに。虹の橋の向こうでは、果物でお腹一杯になって欲しい。至らない飼い主で本当に申し訳なかった。草食の小屋を置いていたのはキッチン。私のPCデスクの後ろ。まだ椅子を動かすときに気にしてしまう。いきなり音を立てないように。起きてトイレに行くとき、キッチンを通る。広い。広さがまだ悲しい。広くなってしまったキッチンには、うちのもいろいろと思うところがあるようだ。昨夜帰宅したうちのが、なんか広いな……、と言っていた。前は小屋が場所を取って狭いことに不満を言っていたのに。何かを置こうかと考えた。観葉植物とか。しかし植物は雑食がダメにしてしまうこと、必至。かといって何らかの新しい子を迎える気には、まだまだ到底ならない。うちのは、このままとことん広くする方向で考えたら、と言っていたけれど本心だろうか。今週に入ってから、雑食は相変わらず妙に静かだ。草食の百ヶ日は奇遇にも実父の誕生日と同じだった。実父は向こうで草食を私が飼っていた子だと解ってくれるだろうか。可愛がってくれるだろうか。何としても、ひとりででも、この日はお参りに行く。絶対に行く。
さんざん泣き、ふと気付くと右足の付け根に出来物が発生していた。うちのの脂漏性湿疹にそっくりなので、きっとそうなのだろう。見る見るうちに腫れていき中が膿み、針で潰したら何だかとんでもない状態になってしまった。ぱんぱんに赤黒く膨れ上がり、真ん中辺りが白っぽく、ぐじぐじとしている。病院に行くことも考えたけれど、メスでの切開後に容赦なく絞られる、と聞きやめた。暫くは様子を見よう……にも関節の近くだけに足の上げ下ろしにも痛みが伴い、完全放置はしづらい。針で刺して絞ってオキシドールで消毒し、絆創膏でカバー。数日続けたけれど腫れが増す一方だった。しばし考えた末、もしかしてオキシドールの多用が患部の細胞再生を邪魔しているのでは、と昨日ピアッシングしたときに買って結局使わずに放置していた生理食塩水を用いてのホットコンプレックスをしてみた。文字通り傷に塩を塗り込むに近い行為だけあり、沁みる。でも生理食塩水を浸したコットンを冷める度に交換しつつ15分ほど当ててから、精製水を染み込ませたコットンの上から絞り、最後に新しいコットンにまた精製水を染み込ませて患部に当ててもう1枚コットンを重ねてホワイトテープで貼る。処置終了。そのまま寝て、起きたら針で刺したり絞ったりした場所が酷くなっていた。すわ失敗だったか、と思ったけれどホットソーク及びホットコンプレックスの威力を信じて、さっき入浴後にもう1度昨夜と同じことをしたところ、明らかに腫れが小さくなっている! 凄い! もう暫く続けてみよう。ピアッシングしたときもちゃんと使えば良かった! この出来物、本当は乾燥させた方が良さそうなのだが、場所が場所だけに布に擦れたときが激しく痛く、もう絆創膏ではカバーし切れずのコットン+ホワイトテープでの処置。これを書いている今は試しに乾燥中。上はトレーナ、下はパンツ1枚。寒い。風邪をひきそうだ。風邪をひくよりはコットンを当ててちゃんと服を着た方がいいのか……腕や脛なら悩まずに済むのに、何でよりによってこんなところにできたのか、甚だ疑問だ。
上記に入浴したと書いた。とんでもなく久しぶりの入浴である。ここに書くのも憚られる程、入浴していなかった。半月なんてとてもじゃないけれど書けない。その間に1度だけ入浴した。所要時間は15分! やればテキパキ入浴できる、という話ではなく、ヨガに行く前に余りにばっちい姿では行けないので悪臭を放たない程度にだけ、体を洗いシャンプーをしたのだ。全く入浴した気にならなかった。因って今日は久々に自ら納得行く形での入浴である。久々だというのに出来物の所為でシャワーのみ。前回の入浴から日数が経っているのでちゃんと湯船に浸かりたかった仕方がない。シャワーを浴びて垢すり。出るわ出るわの大漁である。垢すり後に新規バスグッズの体用ピーリングタオルを使用。数年前、某巨大掲示板で密かに祭だった頃に、顔用のピーリングタオルを使ったのだけれど全然毛穴には効果が見られず、すぐに捨ててしまった。なのに体用のをついつい生協で注文。顔用とは違い、こっちは中り。垢すりをすると擦り傷を作り易い首や背中が、このタオルで軽く撫でるだけでスッキリした。顔用のを捨てずに体で使えば良かった、と数年越しでの後悔。でもスッキリしたからまあ良し。今日の入浴中、最も気を遣ったのは当然、出来物の部分である。またしても文字通り、腫れ物に触る扱い。シャワーが直接かからないように。垢すりタオル・ピーリングタオル・ボディブラシでうっかり触らないように。手を付けないのもどうかと思い、泡立てたボディソープを手にとって直接触れないように撫で洗い。洗った気がしないけれど、ここだけは他の箇所と違って、ここ数日精製水で拭いていたからまだ我慢ができる。完治した暁には、ゴシゴシと洗いたい。
今日の入浴は夜。ダメである。長らく入浴していなかったことがダメなのは勿論、不入浴の所為で今日の歯科予約をまたキャンセルしてしまった。前回キャンセルは寝坊。今回はうちのが電話で起こしてくれた。予約は16時。起こしてもらったのが14時。これから入浴すれば間に合うな、と考えつつ診察券を確認すると予約時間が15時と書かれていた……。入浴してからではとてもではないが間に合わない。かといって入浴せずに行くともうこの近所には住めなくなるような気がした。うちのが善意で起こしてくれたことで、キャンセルの罪悪感も倍増。うちのに謝罪メールを入れたら、返信にて、本当に治す気あるの?、と怒られた。不入浴故にスティラのパレットもまだ引き取りに行けていない。もう取り置き期間が終了しているかもしれない。それはそれでいいのだけれど、放置してしまった事実に苛まれる。BAさんに申し訳ない。ダメなときは何をやってもダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。問題は今週末。久々に愛しの君がセッションをするらしい。予約するとまたキャンセルしてしまいそうな悪寒。どうしたものか。前日迄に考えればいいか。
BGM/アルバム「人間失格」
さんざん泣き、ふと気付くと右足の付け根に出来物が発生していた。うちのの脂漏性湿疹にそっくりなので、きっとそうなのだろう。見る見るうちに腫れていき中が膿み、針で潰したら何だかとんでもない状態になってしまった。ぱんぱんに赤黒く膨れ上がり、真ん中辺りが白っぽく、ぐじぐじとしている。病院に行くことも考えたけれど、メスでの切開後に容赦なく絞られる、と聞きやめた。暫くは様子を見よう……にも関節の近くだけに足の上げ下ろしにも痛みが伴い、完全放置はしづらい。針で刺して絞ってオキシドールで消毒し、絆創膏でカバー。数日続けたけれど腫れが増す一方だった。しばし考えた末、もしかしてオキシドールの多用が患部の細胞再生を邪魔しているのでは、と昨日ピアッシングしたときに買って結局使わずに放置していた生理食塩水を用いてのホットコンプレックスをしてみた。文字通り傷に塩を塗り込むに近い行為だけあり、沁みる。でも生理食塩水を浸したコットンを冷める度に交換しつつ15分ほど当ててから、精製水を染み込ませたコットンの上から絞り、最後に新しいコットンにまた精製水を染み込ませて患部に当ててもう1枚コットンを重ねてホワイトテープで貼る。処置終了。そのまま寝て、起きたら針で刺したり絞ったりした場所が酷くなっていた。すわ失敗だったか、と思ったけれどホットソーク及びホットコンプレックスの威力を信じて、さっき入浴後にもう1度昨夜と同じことをしたところ、明らかに腫れが小さくなっている! 凄い! もう暫く続けてみよう。ピアッシングしたときもちゃんと使えば良かった! この出来物、本当は乾燥させた方が良さそうなのだが、場所が場所だけに布に擦れたときが激しく痛く、もう絆創膏ではカバーし切れずのコットン+ホワイトテープでの処置。これを書いている今は試しに乾燥中。上はトレーナ、下はパンツ1枚。寒い。風邪をひきそうだ。風邪をひくよりはコットンを当ててちゃんと服を着た方がいいのか……腕や脛なら悩まずに済むのに、何でよりによってこんなところにできたのか、甚だ疑問だ。
上記に入浴したと書いた。とんでもなく久しぶりの入浴である。ここに書くのも憚られる程、入浴していなかった。半月なんてとてもじゃないけれど書けない。その間に1度だけ入浴した。所要時間は15分! やればテキパキ入浴できる、という話ではなく、ヨガに行く前に余りにばっちい姿では行けないので悪臭を放たない程度にだけ、体を洗いシャンプーをしたのだ。全く入浴した気にならなかった。因って今日は久々に自ら納得行く形での入浴である。久々だというのに出来物の所為でシャワーのみ。前回の入浴から日数が経っているのでちゃんと湯船に浸かりたかった仕方がない。シャワーを浴びて垢すり。出るわ出るわの大漁である。垢すり後に新規バスグッズの体用ピーリングタオルを使用。数年前、某巨大掲示板で密かに祭だった頃に、顔用のピーリングタオルを使ったのだけれど全然毛穴には効果が見られず、すぐに捨ててしまった。なのに体用のをついつい生協で注文。顔用とは違い、こっちは中り。垢すりをすると擦り傷を作り易い首や背中が、このタオルで軽く撫でるだけでスッキリした。顔用のを捨てずに体で使えば良かった、と数年越しでの後悔。でもスッキリしたからまあ良し。今日の入浴中、最も気を遣ったのは当然、出来物の部分である。またしても文字通り、腫れ物に触る扱い。シャワーが直接かからないように。垢すりタオル・ピーリングタオル・ボディブラシでうっかり触らないように。手を付けないのもどうかと思い、泡立てたボディソープを手にとって直接触れないように撫で洗い。洗った気がしないけれど、ここだけは他の箇所と違って、ここ数日精製水で拭いていたからまだ我慢ができる。完治した暁には、ゴシゴシと洗いたい。
今日の入浴は夜。ダメである。長らく入浴していなかったことがダメなのは勿論、不入浴の所為で今日の歯科予約をまたキャンセルしてしまった。前回キャンセルは寝坊。今回はうちのが電話で起こしてくれた。予約は16時。起こしてもらったのが14時。これから入浴すれば間に合うな、と考えつつ診察券を確認すると予約時間が15時と書かれていた……。入浴してからではとてもではないが間に合わない。かといって入浴せずに行くともうこの近所には住めなくなるような気がした。うちのが善意で起こしてくれたことで、キャンセルの罪悪感も倍増。うちのに謝罪メールを入れたら、返信にて、本当に治す気あるの?、と怒られた。不入浴故にスティラのパレットもまだ引き取りに行けていない。もう取り置き期間が終了しているかもしれない。それはそれでいいのだけれど、放置してしまった事実に苛まれる。BAさんに申し訳ない。ダメなときは何をやってもダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。問題は今週末。久々に愛しの君がセッションをするらしい。予約するとまたキャンセルしてしまいそうな悪寒。どうしたものか。前日迄に考えればいいか。
BGM/アルバム「人間失格」