常々、俺が眼鏡を買いに行きたいと言ってもあんたはちっとも付き合ってくれない、と嫌味の種になっていたうちのの眼鏡買い替え。昨日は久しぶりにまともに熟睡できた。しかも中途覚醒は1回のみで、12時間睡眠という素晴らしさ。寝過ぎの所為か全身が痛んだけれど、寝不足不機嫌よりは遥かにマシ。どちらが先に起きても相手が自然に目覚める迄は起こさない、という約束がうちのに守られたお陰で気分良く起きることができ、おまけに暑いから夕方から出掛けようということをうちのから提案してきて、渋谷へ。うちのの好きなパルコの某眼鏡店にてあれこれ試着し、今迄とはちょっとだけイメージが違うセルフレームに決定。椅子に座って店員さんとレンズについて相談。うちのがこれ迄にかけていた眼鏡も、その眼鏡店の別支店で購入した物。店員さんにそれを渡し、店員さんが戻ってくるのを暫し待っていた。挙動不審になりつつ戻ってきた店員さん。親切にレンズの歪みを直してくれ……ようとしたらしい。しかしそれなりに使い込んでいて脆くなっていたのか、それとも店員さんの手際がまずかったのか、フレームがパキッと。呆然とするうちの。全く同じフレームはもう渋谷店にも別店舗にもないとか。そして出されたのが、別色同フレーム3つ。どれも、これは……、と声を失う色ばかり。うちのの眼鏡にスペアはなく私が取りに帰ってくることも不可能だし、帰ることは不可能な視力。店側が次に出した打開策は、同色別フレームで急遽今迄のレンズを調整して嵌めるというもの。それで手打ち。それでもレンズ調整に小1時間かかると言われ、うちのはぼんやり。私も手持ち無沙汰。うちのが、自分の見たい物を見てくれば? と言ってくれたのでお言葉に甘えてひとりで店内探索へ。

 最初に覗いたのはスナオクワハラ。i.sの頃に比べて数段デコラティブになっており、同時に値段も跳ね上がっていて、うー……む。余りそそられる物がなく残念。その次に覗いたA/Tでもピンとくる物はなく、ツモリでやっと欲しいと思える物を発見。幾つも。ワゴンで最初に目についたのはピンク地に蛇アップリケ付の財布。可愛い! でもこの大きさじゃカード類は殆ど入るまい、と断念。ドッキングのワンピは高過ぎ。スエードのジャンパーは季節外れなのに5万オーバー。無理。クレプリ物で2枚、可愛いプリントシャツを発見。試着。インパクトが強過ぎて着回しが利かなさそうに思え、諦めたけれどまだ名残惜しい。きっともしまた見てしまったら買ってしまうだろう。バーゲン終了迄、ツモリに足を運ぶのはやめておこう。ピンクのバレエシューズ、数色の革紐で編まれたサンダルも気になった。けど、履物の多さでしゅっちゅううちのに怒られていることを思い出して元に戻した。アゴストで気になったのはトングサンダル。サイズが合わないか、と思っているところに店員さんが来て、もうひとつ小さいサイズをお探ししましょうか? いえ、結構です。高い……。アナスイも何だかイマイチ。気になったのは結婚式に行くようなワンピースのみであり、とてもじゃないけれど普段は着られない代物。Qでやっとお手頃価格のお気に入りに出会えた。水色のコサージュとグレーのクロッシェ。裾に小さめフリルの付いたクロップドパンツも可愛かったし、プリントの鞄も良かった。ここでは諦めるという形ではなく、どれにしようか迷って、でも決められずに困って店を出た。決断力に欠けている。最後にグレースコンチネンタル。どうせどれも高かろうな、と思いつつ覗いて真っ先に目に入ったのはぺたんこサンダル。駱駝革。軽くて履き易そう。試し履きしたらサイズもちょうど。36でも入る靴があるなんて! 幅広甲高なのでこういうジャストサイズのサンダルは明らかに買いである。心配しつつ値札を……え? これでいいの? 一桁間違ってない? というお値段。即決。早まってQで買い物しなくて良かった。その場で履き替えて、先に向かいのユニクロに行っていた、予期せず今日から新フレームの眼鏡になってしまったうちのの元へ。私は見る物なし。うちのもピンと来なかった模様で、別パルコの無印良品へ。うちのはリネンかガーゼ地の白シャツが欲しかったらしい。しかし無印のガーゼ地は薄過ぎて、やっぱりユニクロのリネンの方が良かった、と。無印のガーゼ地、二重にすればかなりいいといつも思うのだが、毎年一重の物しか出してこない。無印を後にして私がナショナルスタンダードを覗き始めたらうちのは、俺、ユニクロに行ってる、と。ナショスタもなんとなく前と雰囲気が変わってしまった様子。でも白黒ドットのレインブーツは可愛かったなあ。鳥プリントのTシャツも。クチャで気になったのは、カーキのコットンアンクルブーツと春秋物のコートとスカートとパンツ。パンツを買おうかかなり迷ったのだけれど、あったのは水色と緑のみ。ベージュかネイビーがあれば即買いだったのに。コートではベージュがあった。迷っているとうちのから電話。さっさと来い。仕方なくその場を離れてまた合流。70%オフになっていたし、買ってしまっても良かったかなあ、とこれを書いている今も思う。だが。春秋物のコートは既に数枚持っており、それぞれ余り活躍していない事実もある。買ったら買ったで、無駄使いになってしまいそうな悪寒も。

 好きなショップを幾つか覗いて、改めて思わされてしまったこと。前々から好きだったブランドの幾つかが、今は全くとは言わない迄もかなり雰囲気が変わってしまっていた。それでも暫く追っていれば、またコレだと思えるような物が出てくるのだろうか。それとも徐々に今以上に私の好みから外れて行くのだろうか。仕方がないことなのかもしれないけれど、前のあのシリーズみたいなのが出てこないかなあ、なんて懐古。他の人は、時代や年齢と共に趣味も変わっていくのだろうか。少し前からやたらと雑誌では取り上げられているけれど、ちっとも見かけなかったレディースのショートパンツ。本当に穿いている人が渋谷にはいてびっくり。見かけた人たち誰もが似合っていない気がしたのは、私の目が曇っているのではなく、無理に流行を追いかけている人々だったからだと思いたい。ショートパンツは余程スタイルが良くなければ難しいって!

 一週間も日記が空いてしまったのは、メイラックス服薬で生活ががたがたになってしまった所為。空白期間の分はぼちぼち埋めて行く予定。

BGM/「Beggars Day」「Dream On」「Black Betty」など

服/クラッチの水色ベース細紐付きスクラッチカットソー+DUNIMEのデニムパンツ+黒地に白・水色・シルバーのドットシースルーキャミワンピ+コキュの金魚刺繍ミュール(途中からグレースのキャメル×グリーンオリエンタル柄駱駝革ぺたんこサンダル)+ツモリのオフホワイトトート+オフホワイトのクロッシェ+ブルーのジルコニアのピアス
 月末に初フリーマーケット出店予定。ということで、出品する衣類を選出。出るわ出るわ……冬物ばかり。どうしても今の季節の物やもう直ぐ出番が来るであろう夏物は出し惜しみしてしまう。この夏、着るかもなー、なんて思う訳だがきっと着ない。取り敢えずここ2年ばかり袖を通していない服と、サイズが合わなくなってしまった服と、好みではなくなってしまった服を取り出して畳んで箱詰め。全部捌けてくれれば安値でもいいや、と思いリアルレザー物や1点物も混ぜてある。売れ線ブランドも数点。最初はネットオークションに出品し、売れ残った物をフリマに回そうかと目論んだ。が。まず画像を撮るのが面倒臭い。全体像を撮り、ブランドタグを撮り、ポイントとなる箇所または難有りの箇所を撮影。私はネットオークション出品の際は、大抵この3枚をアップする。そして採寸。トップスなら肩幅と着丈。ボトムスならウエストとヒップと着丈または股上と股下。非常に七面倒臭い作業であり、またその衣類と接している時間にその服を買ったときや着たときのことが走馬灯のように思い出され、何だか惜しくなってやっぱり売るのやめよう、なんてことも。画像を撮ったり採寸した時間が無駄である。出品して入札者が入ったところで発送準備。消臭スプレーをかけてから乾かし、丁寧に畳み、1枚目の袋に入れる。ここ迄が発送準備第一段階。終了時間が過ぎたらメールの遣り取りをして、2枚目の袋に発送準備第一段階を済ませた服を入れ紙に落札者の住所氏名などを書いて貼り、入金を確認してから郵便局に持っていく。重さを量るのは前回の出品からやめた。面倒だから全部送料込み。それでもやっぱりまだ面倒。更には画像撮影や採寸をしても入札が入らなかったとき、これは悲惨。時間だけでなく出品料も無駄である。無事に取引が済んだと思っても動物の毛を取り除き切れなかったり、煙草の匂いに敏感な相手だったりするとお叱りを戴いたり。最初から出品者である私はペット飼いの喫煙者であると明記していても、だ。幸いなことに今迄に郵便事故の経験はないけれど、こちらが出品者の立場だと相手からの届きましたメールまたは評価が入る迄、気が気でない。禿げそうに疲れる。ので、フリーマーケット。画像も撮らなくていいし、採寸も不要。楽ちん。恵まれたことに最寄り駅前での開催もある。問題は上手くお客さんの相手をできるか、だ。フリマに行って値切って買い物した経験は何度となくある。しかし今度は値切られる側。お互いに嫌な気持ちにならずに売ることができるか、全く以って自信がない。オークションは自分が決めた最安値から他者が勝手に値を上げていってくれるけれど、フリマではそんな夢のような事態は起こり得ず、ひたすら値切られるだけである。当然それは考えた。しかし手間をかけてそこそこの額を得るよりも、薄利多売でいこうと決意。

 またこの背景には、違う側面もある。ネットオークション慣れしている私。ということは、それなりに売買をしてきたということに等しい。そしてそれは、私の衣類の中にはネットオークションで買った物も多数含まれている、ということである。最近ネットオークションを覗いていてよく目にする言文。こちらで譲っていただいたのですがサイズが合わず、とか、こちらで譲っていただいたのですが趣味が変わり、とか、こちらで譲っていただいたのですが似た服を買ってしまい、など。最初のは試着できない以上、仕方がないことだと思う。真ん中のはまあネットオークションそのものの歴史が長くなるにつれ参加者も歳を重ねるのだし仕方がないことかもしれない。でも最後のって……。気持ちは解る。私も似たテイストの服を買いがちだ。アオザイとか、アオザイとか、アオザイとか。しかし、似た服を買ったからやっぱり要らない、と公共の回線上で書く勇気が私にはない。書けてしまう人は凄いなあ、と思う。悪い意味で。買った物をどうするか。それは買った人の自由だ。自由なのだけれど、何というかこう、気遣いのない人だなあ、という印象を受けてしまう。以前、ネットオークションで冬物のジャケットを落札したことがある。その人は最低落札価格を設定しようとして、希望落札価格にその金額を入力してしまった。その商品は1度目の出品では売れ残り、2度目で出品者はこの失敗をしてしまった。私は勘付いていた。けれど指摘せず、開始価格そのままで落札した。そしてメールで遣り取り。出品者はそのジャケットをとても気に入っており、けれど衣類は増え、売ることをかなり躊躇っていたらしい。だから最低落札価格を設定しようとした。だが、操作を間違ってしまった。出品者の思い入れをメールで読み、私は辞退を申し出た。その出品者は操作を間違った私が悪いのだし、黒猫さんならこのジャケットを大切に着てくれそうだから、と譲ってくれた。勘付いていたのに指摘しなかったことをやや恥じつつも有難く譲ってもらい、そのジャケットは毎冬活躍し、周囲からも好評を得ている。

 こんな売買を経験してしまうと、こちらで譲ってもらったけれど最近似た服を買ってしまったから、とか、箪笥の肥やしになっているので、などとは書けない。以前の持ち主のことを考えてしまう。買った人の自由なのだけれど……。私もオークションで落札した物を再出品したことがある。それはサイズが合わなかったからだ。落札から数年を経て趣味が変わった場合なら、もしかしたらその旨を書いて出品してしまうかもしれない。でも、できるだけそんなことは避けたい。例え要らなくなってしまったとしても、元の持ち主が不快になる可能性のある言文は書きたくない。そんなときはフリマに出してしまう方がいいと私は考えている。落札価格がそれなりに高かったとしても、フリマでは安価で買い叩かれてしまうとしても。それが買った者の礼儀だと思っている。画像の使い回しなんか以ての外だ。自分が出品し落札された衣類が、落札者によって再出品されていたのを見かけたことがある。けれどそこには悲しくなるような文章はなく、それは仕方ないね、と思える書かれ方だった。取引も売買も対等な立場で、気持ちよく行いたいものである。はてさて私はフリマに於いて気持ちいい出店者になれるだろうか。まず願うのは、梅雨だけれど月末は晴れてくれることだ。
 最近購入した衣類の中でヒットだったのは、ズッカのスカート。一見、バイアスチェックの膝丈台形スカート。しかしよく見ると、白・薄水色・濃水色の3色の布のパッチワークでバイアスチェック風に見えるようになっている、かなり手の込んだ作りのスカート。こういう一見無難に見えてよくよく見ると手の込んだ服が好き、というタイプならきっと私の衣類は今のように大量にはならなかっただろうし、愉快な服も所有するに至らなかっただろう。それは手の込んだ服は無難に見えても高価であり、無難に見えるが故に愉快な服ではないからだ。昨年秋から私を魅了してやまない柄は、水玉、である。水玉でこのズッカのスカートのように手の込んだ物を作るのはかなり大変かと思われる。精々、水玉プリントではなく水玉刺繍にするのが、大量生産型の限界だろう。水玉に開眼した昨年秋、水玉のカットソー・水玉のフリルブラウス・水玉の変形スカートを購入した。この3点、濃淡は違えどどれも茶色ベースに白の水玉。そのときの沸いた私の脳内は、水玉カットソーに水玉ブラウスを羽織り、水玉スカートを穿いたらきっとガーリッシュだわん〜、であった。病院行って精密検査を受けて来いレベルの間違いだ。取り敢えず、家でそのような恰好をしてみた訳だが……くどい! くど過ぎる! このまま外に出たら通報される! そんな具合だった。沸いた脳内の夢、儚く消え失せるの巻。水玉のセットアップや水玉のワンピースは、色使いなどで多少くどく見えることはあっても、落ち着いた色合いなら単純に可愛い。因って、茶色ベースに白の水玉を選んだ。敗因は何だったのか。きっと3点の色合いや水玉の大きさが違うことで、統一感が欠けていた所為だろう。いっそポップなバラバラの色でやってみれば良かったのか……更に早急に通報されていたに違いない。

 何処かで読んだのだが、関東では全体の中に柄物は1点しか使わず、関西では2点以上の柄物を合わせることに抵抗がない、らしい。都内在住脳内関西人か、私は。私の衣類には柄物が圧倒的に多い。同価格なら無地よりも柄物の方がお得に感じるから。しかし少し前迄は、柄物に柄物を合わせることに抵抗があった。やり過ぎ感が出てしまうのではないか、と。その抵抗感を幸か不幸か薄れさせてしまったのは、スクラッチカットソーの存在である。スクラッチカットソーとは前身頃・後ろ身頃・袖などで色柄が違う布地を使って作られるカットソーのこと。大雑把なパッチワークと言ってしまってもいいだろう。パッチワークは基本的に違う色柄の布を縫い合わせて1枚の服にする。パッチワークの服は好き。なら似た布地を使って作るパッチワークのように全体像のイメージ作りをできないものか、と考えた末に出来上がったのが、通報待ちの水玉狂いな恰好だった。何処でどう間違えたのか、イマイチ説明できない。説明はできないけれど、間違いだと解り通報されずに済んだだけマシだったか。

 色柄に頼らない可愛い服もある。ギャザーやパフスリーブやリボンやフリルやレースを使った服や、シフォンやアコーディオンプリーツなど。こういう色柄に頼らない物で全体像を作ればいい気がしてきたのは最近である。しかし色柄がなければ物足りないので1〜2点は色柄物を使う。やっと都内在住脳内関東人に近づいてきたのか。そんな色柄に頼らない服の中、私の中でブーム再燃中なのが、ティアードスカートである。フリル付きスカートよりも過剰なガーリッシュを演出してくれるのが、ティアードスカート。言わずもがな、スクラッチティアードよりも無地同素材ティアードの方が使い回しは利く。現在ネットオークションで狙っているティアードスカート数枚。全部購入したらきっと持て余す。そうでなくても、実はジーンズ派でスカートは余り穿かないのだ。無駄毛処理が面倒だから。この時点で女失格とかそういう無粋な突っ込みはさておき。ティアードスカートは脹脛丈が可愛いと思う。その長さだと、パンツとのレイヤードは難しい。靴下で誤魔化すか……無駄毛処理くらいしろよ、私。実はミニのティアードスカートも持っている。これはこれで可愛く、パンツとのレイヤードに活躍してくれている。冬場に。何故ならそのスカートの素材がクラッシュベロアだから。友人には、クラッシュベロアってどうなのよ? と言われたけれど、私は特に問題ないと思っている。クラッシュといえども激しいクラッシュ感はなく穏やかなニュアンス程度なので。問題あるクラッシュは今微妙に流行っているらしいデニムのクラッシュではかなろうか。それから古着加工のデニム。どうにも受け付けない。前者は清潔感に欠けるように思うし、後者は自分の体に合っていない色落ち感は如何なものか、と。どちらもガーリッシュなアイテムではないのでスルーでいいのだが。

 話は飛んで。去年の梅雨、私は何を羽織っていたのか全く記憶にない。先週から関東は入梅。何を着ればいいのか解らないので、有り物のジャケットやブルゾンに使おうかとレインガードを買ってみた。缶の何処を見てもどの程度の期間、水に耐えてくれるのかが書かれていない。1回全体に吹きつけたら、梅雨時期ずっと耐えてくれるのだろうか? 1〜2回程度で効果がなくなるなら、クリーニング屋で撥水加工処理を頼んだ方がお得だ。レインガード発売元のサイトを見ても、私の疑問の答えは書かれていなかった。ググッてみても見つからない。試してみるしかないのだろうか。なんとなく腑に落ちない。発売元の不親切さが気に食わない。なので買ってしまったレインガードは効果持続の程度が判らないにしても有り物の衣類に使い、また別にナイロンジャケットの購入を考えている。現在私が所有しているナイロンジャケットは1枚。花柄のライダース型でライヴ用に購入した物。普段使いにしてもいいのだけれど、ピンク地に花柄なので下に着るものをかなり選ぶ。今、ウォッチリストに入れている無難なナイロンジャケットが2枚。余程高騰しなければきっと落札するだろうけれど、ヒキコモリ気味の私が3枚も所有してどうするのか……。以前ウォッチリストに入れていながら高騰して負けたA/Tのカーキのフリル付きナイロンパーカジャケットと、ケイタのパッチワークの撥水加工済みスプリングコートが今も悔しい。ナショスタで撥水加工済みジャケットが出てくれればなあ。ツモリが出すなら撥水加工ではなくオイルコーティングだろう。それでも可。まずは目先のウォッチリストに入れているナイロンジャケット2枚だ。発売されるかどうか判らないナショスタやツモリを待っているうちに、梅雨が終わったら無意味極まりない。と書いていて、脹脛丈のティアードスカートは著しく梅雨に向かないと気付いた。何だかなあ。
 現在6月12日。

 9日から10日にかけて、某巨大掲示板某板某スレにて人格全否定された私。そのスレは昔やっていた間違ったメイクやファッションについて自分語りをした上で禊をするようなスレであり、過去から現在迄の自分の遍歴を軽く書いてみた。大前提は、昔は間違っていたけれど今は多分間違っていませんよ、だ。……覆されてしまった。輝いている、という素晴らしい一見褒め言葉なレスと、現在進行形で間違ってるよ、という進言を頂戴するに至った。現在進行形で間違っている、という指摘の後で、私ではない誰かが、アイテムでないとすれば何処が間違っているのか解らない、と書いた。その後に続いたレスが、〜〜(レス番)さん自体が間違っているのではないか、〜〜さんが間違っているのは根本的に、など。纏めて読んでみると、思春期に通過儀礼として通っておくべきだった勘違い及び間違いファッションを成人してから現在進行形で実践しており、勘違いアイテムを手にするたびに友人から、服はね、面白くなくていいんだよ、と忠告されている。それでも、だって可愛い物が好きなんだもん! だって小悪魔になりたいんだもん! と反抗期的発言連発。ファッションはガーリッシュながらソウルはピッチの心意気。自分の書いたレスと他者がくれたレスを読み、何が現在進行形で間違っているのかを、メイラックスでぼーっとしている頭で考えてみた。メイクと髪は間違っていないと断言できる。化粧板よ、多謝。では間違っているのは何か。きっと、ソウルはビッチの心意気、なのだろう。いや、もっと正確に書くならば、第三者から見ればソウルはビッチの心意気な20代後半は間違っているように見える、のだろう。因みにレスの中で、普段は気分でガーリーとカジュアルを行ったり来たり、と書いたのだがスルーされている模様。若しくは読んだ人は、勘違いした、ガーリーや、間違った、カジュアルを行ったり来たり、と脳内補完しているのかもしれない。如何ともし難い。誤解を解かねば! と書き込もうとしたらアクセス禁止のお達しが。タイミング、最悪。

 突発的に可愛い服を買ってしまう。その可愛い服は、とんでもなく嵩張るバルーンスカートや、紫ラメのレザースーツや、袴だったりする。着るあてはない、と書いたのは見栄だ。ライヴに着て行く。ただそれを書いてしまうと、どんなバンドよ、と突っ込まれそうなので敢えて、着るあてはない、と。このスレを友人と見ながらメッセで会話。いろんな恰好をしていたんだね、と言われた。しかしスレに書いたのは極一部、極最近の私的可愛いアイテムであり、書いていない物もある。例えば去年・一昨年の冬に自分の中でブレイクしていたアイテムは、マント、だ。フードがついていて首のところでリボン結びする嵩張るウールの布でできたアレ。これが周囲に悪評紛々。そして自分でも、可愛いが不便だ、と感じていた。嵩張る・重い・見た目程暖かくない・他の服に合わせづらい・動き難い、の五重苦のマント。実用性の面で余りにも不利益なので去年末に処分をしたが、未だに悔しく思う。可愛かったのに……と。マントは独断と偏見に於いて間違ってはいなかった。自覚的間違っていたかもアイテムの筆頭は、フリースの豹柄うさ耳帽子、である。この帽子を手にしたのは20代前半。うさ耳、可愛い! と飛びついた。これらのアイテムをメッセで書いたとき友人に、写真は残っていないの? と訊かれた。残っている筈がない。何故ならこれらは、普段着、でありわざわざ写真に残す必要はなかったからだ。フリースの豹柄うさ耳帽子を嬉々として被る20代前半の女。マントを嬉々として身に纏う20代後半。しかも普段着。決してコスプレではない。これらアイテムを普段着として着るのと、コスプレとして着るのではどちらがイタイのだろう。実に微妙な話である。あ、書いていてマントについてちょっと客観視できてきたか。

 一昨日友人と話していて笑われた最近購入した衣類に、サテンの黒いギャザースカート、というものがある。無地だし、変形ではないし、無難なアイテムだと私は思っている。が、友人が真っ先にイメージしたのは、年末恒例の第九の合唱団、だったらしい。何と合わせるの? と訊かれて困った。何をトップスに持ってくればいいのだろう。元々サテン素材の服を着回すのは苦手なのだ。なのに何故買ってしまったか。それは某スレに、ブルーベースの冬の人にはサテンのような素材が似合う、と書かれていたからだ。それを読み、そうか! サテンか! と飛びついた踊らされ捲りの莫迦ちんがそこにいた。友人に、何が合うと思う? と相談したら、サテンかシルクの白いブラウス、という答えが返ってきた。第九から離れて考えてくれ……。シースルー素材の物なら合うかな、と自分で思い至ったのでもういいのだけれど。友人と話していて、ネットオークションのウォッチリストに入れてから見直して削除したアイテムについて話した。そのひとつが、フランス女優のような黄色いブラウス。シースルー素材で、ボートネックの襟元には豪華絢爛なレースがあしらわれており、ウエストには共布のリボンが付いている代物。とても可愛い。一目で私のハートをノックアウト。なのに削除したのは、共布とはいえ外付けのリボンをウエストに巻くアイテムが似合わないことが、去年発覚したからである。私のウエストの寸法は、身長からすると標準よりやや太い程度である。ただ上半身が薄っぺらい為、他者にはウエストも細い錯覚を与えがちだ。このような自分に都合のいい錯覚は大歓迎である。因って実態をバラす行為は極力避けたい。その為には、ウエストにリボンやサッシュベルトをあしらってはならないのだ。それらが非常にとても大変尋常ならぬ長さならいい。余りが多い程に、やっぱりウエストが細いから余るのね、とより良い勘違いを招くから。しかし布地ギリギリの部分で強引に結んでしまうと、無理しちゃって……、とウエストの太さをバラすだけでなく痛々しさ迄感じさせてしまう。このような理由でフランス女優のようなブラウスは削除した、と友人に話すと、予想外の反応が返ってきた。リボン云々でなくフランス女優のようなブラウスって時点でダメでしょ、と。ハイ? 何がダメなんですか? 全く解らない。だって可愛かったし、おまけにゴージャスだったし。もしかして解らない時点でダメなのか、私は……。

 別の友人が昔も今も私によく言ってくれる言葉に、服はね、面白くなくていいんだよ、というのがある。尤もだと思いつつも、面白い服の何が悪い? という反抗期気分も持ち合わせたりもしている。この友人の科白は「ハッピーマニア」でフクちゃんがシゲタに言った言葉に酷似している。ということは、私はシゲタか。エマニエル夫人か。何がダメだか解らない時点でダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。でもソウルはビッチの心意気。
 中途半端な安物の靴ばかりを履いていた昔。マーチンは既に穿き始めていた頃だったか、もっと気軽に履ける所謂、いい靴、が欲しかった。都内某所のフリーマーケットでビルケンシュトックのの靴に出会った。くすんだ青い紐靴。サイズは37。出店者と交渉という名の値踏み値下げ要求を経て、3500円で購入。それから数年。手にした日から今日迄のきっと半分の月日はあのビルケンを履いてきた気がする。外出の際には文字通り、私の足、になってくれた靴だった。けれど親しき仲に礼儀無用とばかりに、手入れは怠っていた。そして数日前に、靴の後ろの部分の革が避けていることに気が付いた。気が付いてしまった。しかも左右共。どうしたものか。この靴は数多所有している靴の中でも1・2を争う程に愛着のある靴。しかしこのまま履き続けていたら、裂け目は大きくなり見るも無残な姿になるだろう。悩んだ。うちのに相談したら、あんた靴いっぱいあるんだから1足位ダメになったって大丈夫でしょ、とあしらわれてしまった。うちのは物に対して余り愛着や執着を持たない人間なのだ。そんなドライな奴に相談した私が莫迦だった。ウエットな感傷に浸る私には、少なからず堪えた言葉だった。と同時に、そのドライさが羨ましくも思えた。

 うちのは物に執着しない人間ではあるけれど、だからといって物を粗末にする人間でもない。ただ私のように物に思い入れを抱かないだけなのだ。だから要る物は要る物としてキチッと使い、その物が不要になったりダメになったりしたらスッパリと潔く斬り捨てる。これが勿体無い病患者とそうでない者の差か。私は物に対し、コレはあの日あのときあのシチュエーションで出会って私のところに来た物、コレはあの日あれに行ったときに着ていた物、などと物と出来事などを関連付けてしまう。すると物を処分する=思い出も消去する、というような倒錯した心持になり不安感や淋しさに襲われる。思い出と物の存在はあくまでも別個であり、関連付けをし始めるとキリがなくなる。宜しくない感情傾向である。だからといっていきなり割り切れるようになる訳でもなく、物凄く困った。そして数年前に某巨大掲示板某板に私が建てたスレッドを思い出した。誰かが書いてくれたアドバイス。捨てるのが淋しかったら写真などに収めておけばどうか。実践してみた。上から、前から、斜めから、後ろから、靴の写真を撮った。これは儀式。人が亡くなったときに遺族が葬式をするに似た、去り逝く物と残される者の最期の絆作りだ。今迄有難う、という気持ちで靴を眺めつつ撮った。

 新しい靴を履いて靴擦れを起こしたとき、癒してくれたのはこの靴だった。沢山歩くことが解っている日にも大抵この靴を履いて出掛けた。何人もの人に、可愛い靴ですね、と褒めてもらった。幅広甲高でなかなか合う靴が見つからない不便な私の足を、柔らかな革で包んで癒してくれた靴。ひび割れが見つかる前から、革と靴底の間に隙間が発生していることに気付いてはいた。深夜静かな住宅街を歩くと、その隙間から漏れる空気がキュッキュッと鳴った。それでも気にしなかった。むしろ履き込んだ勲章のようにその音迄も愛しかった。そして寿命が近付いていることをひしひしと感じ取ってはいた。多くの人は、寿命が近づいてきた愛着のある物にどんな行動を取るのだろう。私は癌告知をしない家族のように、靴に対して何事も異変は起きていないように扱った。路面店に行けば、リペアをしてもらえる。だが、その修理費がなかなかに高い。安物の新品の靴が買えてしまうような値段設定。貧乏人の私は、修理を依頼するかどうするか迷い続けたままでいて、そしてひび割れ発覚。割れた革は直しようがないだろう。もっと早くリペアに出していたらひび割れは先延ばしできたのだろうか、もっとちゃんとメンテしていればこんな事態には見舞われずに済んだのか。それともどんなに手を尽くしても寿命は寿命でしかないのか。元々中古で手に入れた靴。更に私が数年履き込んだ靴。どう短く見積もっても、5年は誰かしらの足に履かれた靴だろう。

 衣類・服飾小物の中で最も消耗が早いのは靴であろう。最低数足の靴を用意して、毎日違う靴を履くようにするとどの靴も長持ちすると言う。タケコプターのようだ。数多の靴を日々とっかえひっかえ履けば、この靴の寿命はきっと延びたに違いない。しかし服に普段着とフォーマルがあるように、靴にも普段用とハレの日用がある。私のハレの日用の靴はヒール靴であり、白い靴であり、レースアップの靴であり。ペタ靴やスニーカや下駄は普段用。このビルケンの靴も普段用。もう1足、少しだけ形が違う黒いビルケンの靴を所有している。これは革が硬く、これ迄履いていた青い方の靴に甘えっ放しで、私の足に馴染ませることを放棄したままの靴だ。これからはこちらの黒い靴に普段履きとして頑張ってもらわなければならないのだろう。どうか早く足に馴染んでくれますように。そしてどうか少しでも長持ちしてくれますように。ビルケンの靴の難点はただひとつ。私からしたらやや高価であることだ。他にも履き易さに定評のある靴ブランドは幾つかある。カンペール然り、トリッペン然り。うちのはカンペールを愛用しているけれど、私は所有していない。トリッペンも持っていない。ビルケンの実用性最重視の中でどうにか少しでも可愛くあろうと足掻く野暮ったさが好きなのだ。カンペールやトリッペンはデザイン性に富んでいて文句なしで可愛い靴も多い。対してビルケンは、可愛いっちゃあ可愛いかな、うん、というように靴の主張ではなく、選者が何処にどんな可愛さを見出すかにかかっている要素が強いように思う。ビルケンの丸っこさが可愛い、くすんだ色味が可愛い。履き易さの後付のように見出す可愛さ。その中には、履き易いが故に生まれる愛着も含まれている。私は重宝する可愛い物に激しく愛着を持つ。重宝できない不便な物にも愛着を持つ。取り敢えず一旦何かしらの理由で私の手元にきた物に対してはどうしても愛着が湧くのだ。だから物を捨てられない。できればこのひび割れた青い靴も取っておきたい。だが、収納スペースの関係上、それは無理な話だ。捨てねばならない。明日の燃えないゴミの日に。感謝の気持ちを胸に詰めてゴミ捨て場に行こう。

服/A/Tの紫色七分袖シャーリングカットソー+無印良品のタイシルク白×黒ギンガムチェッククロップドパンツ+ツモリのベージュメッシュ手提げ鞄+ビルケンの青い靴
 友人と電話。メイン・テーマはサンダルについてである。サンダルやミュールを履く際にストッキングは厳禁、というのがこの友人との共通認識である。さて、昨日ネットオークションで落札したツモリのレースアップサンダルが届いた。可愛い。レースアップのリボン幅が広いので、結び難さを懸念していたけれど無用だった。革がとても柔らかく脚によく馴染む。試し履き。幅広甲高の私の足を柔らかい革リボンが包み……至福。アキレス腱のところでリボン結びをしてトータルで見てみると、こりゃいかん。幅広甲高に見事にフィットしてくれたこのサンダル、踵にはフィットしてくれない。具体的に書くと、足の踵からサンダルの足を乗せる部分が1cm程も残って見えているのだ。うー……む。サンダルやミュールを履くにあたり、最も綺麗な踵の位置はサンダル・ミュールの足を乗せる部分の後ろギリギリのライン若しくはやや足の踵がはみ出す位とされている。逆だ。踵ではなくサンダルそのものがはみ出している。どうしたものか。やや競り合った代物。サンダルそのものの見た目は最強に可愛い。甲にも脚にも馴染む。しかし踵部分が大問題。このサンダルを履いて外に出て良いものかどうか。多少のみっともなさが付き纏うのは確実なのだが、そのみっともなさが多なのか少なのか、それが自分では判断できない。因って友人にご意見賜ってみた。友人曰く、履く、そして誰かに指摘されたらやめる、とのこと。指摘される前に判断を仰ぐというのが電話をかけた意図だったのだが、やはり実物を見ていないので何とも言えない、と。尤もだ。この友人は記憶力が良い。この友人以外の友人も大概記憶力が良い。比私だと皆記憶力のいい人間なので当然か。友人が覚えていた私の昔話。と或る靴屋での出来事。どんなタイプの靴を買おうとしていたか迄は覚えていないが、その靴屋に於いて私の足に合う靴が一足も見つからなかったという話。いいな、と思ったものを片っ端から試し履きするも全て幅広甲高な私の足には馴染んでくれない。酷い物だと私の足を拒否しているかのように、爪先迄しか入らなかったりする。そんなこともあり、私はネットオークションで靴に入札する前には、幅広甲高でも大丈夫かを訊くか、自分の足よりもやや大きめの物を選ぶ。この、やや大きめの物を選ぶ、が見事裏目に出たのが今回だ。

 そもそもツモリの靴は華奢な作りの物が多く、私の足には馴染まない。だからデパートなどの靴コーナーで見ても悲しみつつスルー。しかしこのサンダルは欲しく、ちょっと思い切った買い物だった。これが所謂普通の靴なら何ら問題はないのだ。1cm程度の余りなら気にしないか、靴下や中敷で調整が可能だ。ところがサンダルたる物、そのような小細工は一切通用しない。気にしないように気にしつつ履くか、サイズが合わないものと割り切って出品するか半日悩んでも決められず、友人に相談した次第。昨日はもうひとつ、イエナのセレクト物のレースアップシューズが届いた。これはサンダルではなく、スリッポンタイプの靴に麻紐のリボンが付いた物。こちらはジャストサイズだった。逆ならマシだったのに……。私にとって、ツモリの靴が全滅なのはつらい。毎シーズンのように登場する様々なシュウマイシューズは憧れだ。ただただ自分の幅広甲高の足を呪うのみ。近頃はワイズが明記された靴も増えてきた。ワイズとはEとかEEEとかの表示のこと。幅広に関してはEかEEが対応すると経験で解り、また同時に幅広甲高に優しい靴メーカも記憶されてきている為、靴購入時の失敗はかなり減ってきた。と思い自信をつけてきた矢先にコレだ。ツモリの靴、別ラインで構わないから幅広甲高に優しく可愛い靴を出してはくれまいか。服も靴もメーカによって、デザインによってサイズはまちまちだ。私の体型なら基本はMサイズか9号。けれど薄っぺらい上半身にはSサイズや7号が合うこともあり、太ましい下半身にはMや9号だとキツく且つLや11号だと大き過ぎたりする。丈の長さとかは好きなデザインにしてもらっていい。腕を入れる袖ぐりや肩幅やウエストは統一して欲しい。デザイン性の高い服の供給が過多な昨今、もうサイズ表記は余りあてにならなくなってきている気がする。

 少し前、私は小悪魔テイストを渇望していた。そしてなかなかに難しいと割り切ってから、中身は小悪魔、外見はガーリッシュを心掛けるようになった。ところがふと気がつくと、小悪魔らしさへの拘りが減ってきている。いかん。小悪魔よりもガーリッシュよね、という転向ならいいのだが、ガーリッシュに執着し過ぎて小悪魔が後回しになっているのだ。同時にふたつ以上のことができない頭の悪さがこんなところにも……。見回すと私の周りにはガーリッシュテイスト満載の物たちが溢れ、中身はダラだ。これでいいのか、28歳。いい筈がない。特にアイテムが無駄に増えているのがよろしくない。ということで、友人にフリーマーケット出店を持ちかけてみた。この友人も服好きで、見せてもらったことはないが話振りからして、どうも部屋に服塚が幾つもありそうな気配なのだ。因みに私のPC周りに日曜に作られた塚はまだそのままである。片付けたいのだが、収納場所がない。うちのと相談をして、ハンガーラックの購入を決めた。2台目である。届くのが再来週かその次の週。塚はそのとき迄温存される気配。友人には10日頃迄にフリーマーケットの参加不参加を決めて欲しい旨を伝えた。参加の連絡がきたら、それから服の要不要の選別を始めよう。ネットオークション出品の方が高く売れるけれど、今回は数を捌きたいし、その数多の服をいちいちサイジングするのも面倒だし、服についてしまった煙草の匂いへのクレーム処理も面倒だから。その場限りで済むフリーマーケットこそ、喫煙者と非喫煙者が共に納得できるリサイクルの場ではなかろうか。

 以前、ネット掲示板上で服を減らす相談をしたことがある。そのときにもらったアドバイスのひとつが、オークションに出して売れ残った物は捨てる、というもの。これを突き進めた形でフリーマーケットに挑みたい所存。というのも、ネットオークションだと売れ残る理由に最初の値段設定の失敗がある。高過ぎると売れ難い、安過ぎても胡散臭くてやはり売れ難い。1円スタートでも大概の物は相場迄引き上げられるが、もし50点出品して半分がスタート価格の1円で売れ、もう半分が売れ残ったと仮定する。すると出品料の損以外に、出品準備及び発送準備の手間が莫迦莫迦しい。フリーマーケットなら50円100円でも売れなければ、商品を手に取ってもらった上でのことなので納得して処分できよう。1000円で3枚売れれば出店料の元は取れるし、準備も価格設定と1度の荷物運びのみ。……書いていてカネコマダラのような気がしてきたけれど、気にしない。余談。ウニコのカットソーはやはり可愛かった。
 ピーコのファッションチェックが嫌いな人がいらっしゃるようで。というのも、ピーコ ファッションチェック 嫌い、で検索してこの日記に辿り着いた方がいた記録があったので。或る友人との会話では必ずと言っていい程、ピーコのファッションチェックの話題が出る。因みに友人も私も昔何度か見たことがある程度で、毎週欠かさず見ている訳ではない。前にも書いたことがあっただろうか。私が服を選ぶとき及び着るときに念頭に置くのは、ピーコに貶されない恰好であること、だ。黒尽くめの恰好をしている人に、赤を挿し色に使いなさい、と毎回アドバイスするのは如何なものかと思うけれども、サンダルやミュールを履くときには踵が少しはみ出す位でいいなどの意見は参考になっている。先日靴を買った話を書いた。私は身長の割には足が少し大きいようで且つ幅広甲高。23.5〜24cmのEかEE、できればセンチではなく、仏蘭西や英吉利で使われているサイズ表記の37がベストである。それでもポインテッドトゥの靴になると合わない。幅広甲高は選べる靴の範囲がとても狭くて悲しい。何度も悲しい思いをするのはイヤなので、自然、先の丸っこい靴が多くなる。しかしそんな靴は可愛くはあっても色気がない。スクエアトゥでもいいのだけれど、今度は余程いいデザインでなければ、可愛くもなく色気もなく、ただただゴツくなる。靴選びは本当に難しい。服選びの3倍は難しいかと思われる。メーカによってサイズ表記が同じでも大きさが違うのは服でもよくあることだけれど、その比ではない位に靴の場合は同ブランドでもデザインや素材が変わるとサイズが信用できない。身近な例が、ビルケンの靴である。形毎の名称まで覚えていないので色で書く。青いバックスキンのような滑革のような靴は試し履き後に購入してジャスト。これによく似ているけれど微妙に形が違う黒いビルケンは表革使用。こっちは試し履きせずに購入して、履くと足の甲が少し痛む。共に37である。靴屋服にもJISがあればいいのに。どれもサイズ毎に統一されていればこんな目に遭わずに済む。

 衣類についてのJISもある。それは服の名称統一の規格であり、袖丈とは何処を計った部分か、袷とは何か、など。サイズは規格外だ。因って、靴に限って話をするとSML表記もあればセンチ表記もあり、それこそ何でもありになっている。困る。消費者である私は規格がないことで困っているが、規格ができてしまうと今度はメーカが困るだろう。あちらを立てればこちらが立たず。服や鞄やアクセサリが好きな私は、当然の如く靴も好き。けれどもどう足掻いても履けないタイプの靴がある。パックストラップ。アキレス腱の下の骨の形が変わっているのだろうか、これ迄に散々バックストラップの靴を試してきたけれど、どれひとつとして無理なく履くことはできなかった。サンダルもパンプスも、バックストラップは全滅。バックストラップの靴とホルターネックの服の共通点は、大人の女性の可愛らしさだろう。両方ダメ。仕方なく違う方面で可愛さを求めることになる。その結果が莫迦程ある甲がストラップになっている靴やレースやフリルを多用した服だ。可愛いのだけれど、当然気に入って購入しているのだけれど、何かズレている。20代後半。少女っぽさが強い衣類及び服飾小物ばかりでいいのか。よくない。歳相応に可愛い衣類及び服飾小物でガーリッシュなスタイルを楽しみたい。今日コンビニで見かけた雑誌「アーブ」とやらが丁度私の世代をターゲットにしているらしい。表紙に対象年齢が書いてあった。今迄に読んだことのない雑誌であり、パラパラと捲ってみる。違う。私が求めているよりも遥かに非日常的であり且つコンサバ寄り。しかもスカート1枚に11万円も払えるかってんだ。この雑誌の読者は、本当にこんな高い服を買っているのか激しく疑問だ。そしてちょっと思ったこと。雑誌やテレビで見かけてちょっといいな、と思った服があったとする。そしてそれが何処の服で幾らかも判明したとする。ところがその価格は高い。となると、似たテイストでもっと安価な物を探すのはよくあるパターンかと思われる。例えば少し前に出たツモリのストライプシリーズ。あのシリーズによく似たデザインの衣類が、今はページボーイから出ているらしい。ツモリのストライプシリーズを気に入ったけれど高くて手が出せなかった層が、ページボーイのそれらに手を出しているのだろうか。こんな風に高価格帯ブランドの類似物を、シーズンを遅らせて安価ブランドから出すのはよくあることだ。これを纏めて雑誌にできないだろうかと思いついた。某Aの服によく似たのが某Bから出ていますよ的カタログ風着回し雑誌。こんな雑誌があれば、読者層に相応しい年齢なのにそこに出ている服は高くて買えない、という仔羊たちが飛びつく気がする。特に古着が苦手なタイプ。私は似た物はどうしてもパチとして見てしまうので、フリーマーケットやネットオークション待ちをするのだが。

 そんなことはともかくとして、相変わらず衣類の山に困っている私。ネットオークションの最近の傾向として人気商品はやたらと高騰し、そうでない物は二束三文でも売れないようだ。こうなると勿体無い病患者の私は元値が張った衣類は出品したくないので、出品料に毛が生えた程度しか儲からなさそうだ。しかも一々寸法を計ったり、重さを量ったりする手間がかかる。前に重さを量る手間を省く為に全て定形外送料込みで出品したのだが、それでもゆうパックなどでの送付を頼まれて結局送料を調べなければならなくなったりもした。それに入金確認や郵便局に荷物を運ぶのも面倒。そうなるとフリーマーケットにて薄利多売で捌くのが利巧な気がしてきた。うちの最寄り駅近くで、月に1度フリーマーケットが開催される。ここは出店者が少なめなのでお客も少ない。メリットは荷物運びが楽なこと。1駅先では2週に1度、開催されている。こちらは出店者もお客も多め。但し業者も多い。このどちらかに申し込んで近々出品しようかと考えている。しかしひとりでは無理だ。トイレ休憩のときに物を盗まれたら目も当てられない。しかもそんなことがままあるらしい。どうにかうちのをその気にさせたいのだが、如何せんうちの自身は捌く衣類などがないので気乗りしないようだ。上手い口車を考えねば。
 私の普段の恰好のデフォルトはカットソーまたはTシャツにデニムパンツだ。なのに。今日、衣類を整理していて驚いた。なんでこんなにスカートがあるんだ! ブラウスも! 特に冬物のスカートとデニムのスカートがやたらとあった。滅多に穿かないのに。今日、クローゼット内の衣類整理が大変だったのは、26日付日記にも書いたように量が多かったことと、前回の整理時に色や形で分けてしまい、季節毎の服に分類されていなかったから。ギャルソンの縮絨シャツと同じハンガーにズッカの夏物ロングギャザースカートが掛かっていたり、コキュの春秋物ジャケットと同じハンガーにマークジェイコブスの起毛スカートが掛かっていたりした。私のクローゼットはいやいや園か。ギャルソンの縮絨シャツと同じハンガーに掛けるなら、ツモリの縮絨ニットスカートでいいではないか。ツモリの縮絨スカートの上にはアンティーク物シフォン地のプルオーバーが……。このいやいや園に秩序を取り戻すべく労力を使い果たした。なので今夜は夕飯を作っていない。夕飯はどうでもよく、労力とラック及びクローゼットの衣類の話。手始めにラックとクローゼットの私の衣類を全てカーテンレールと床にぶちまけた。ちまちま弄ってどうこうなる乱れ方ではなかったのだ。全部ぶちまけて、クローゼットの奥から順にこの冬に着なかったコート類を掛け、何時になったら叶うか判らない社会復帰のときの為の面接用ワンピーススーツを掛け、ニットやコーデュロイやレザーや中綿入りや起毛素材やらの明らかな冬物を掛け、そこで一旦止まってしまった。はて、オールシーズン着られる服はどうしたらいいのだろう。一服しつつ考えて、取り出し易い位置に掛けた。はて、残りをどうしたものか。1本のハンガーに何枚もの服を掛ける私である。そして前回、季節を考えずに掛けて今回苦心している。もう苦い思いはしたくない。そして余ったのが明らかに冬物のスカート沢山と、明らかに春物のシャツ及びブラウス沢山。困って迷って、数本のハンガーにスカートのみを沢山吊るし、数本のハンガーにシャツ及びブラウスを沢山掛けた。結果。片付け前と使っているスペースはほぼ同じ、密度が上がっただけ。この整理だと本来の、収納スペースに余裕を持たせる、ということを成し得ていない。疲れただけだ。

 季節毎に衣類を分類しつつ改めて困ったこと。改めて、と書くからには前々から困っていたのだが。七分袖・七分丈の服やレイヤード専用の服の収納。七分袖を単純明快に考えれば春秋物だ。しかし夏に羽織物として着ることもあるし、冬にカーディガンなどの下に着ることもある。七分丈なら素材次第でオールシーズン。レイヤード用の服は単品で見ると春夏物。しかし素材がウールだったりナイロンだったりで纏まりがない。傍から見てはどうでもいいけれど、自身で纏まりがないと感じてしまう収納や片付けは如何なものか。悩んだ末に七分袖物は七分袖物で纏めて収納、レイヤード用の物はレイヤード物で纏めて収納。何となく腑に落ちないのだが致し方ない。何かの拍子でもっといい収納方法を思いついたらそのときに動かそう。尤も、思いついたときに行動するだけの気力体力があればの話だ。まだそれなりにそれぞれの枚数があるからどうにか収納できたけれど、もし七分袖の服やレイヤード用の服が各1〜2枚しかなかったらどうしただろう。きっと今頃、物凄い勢いで苛々していたに違いない。そうでなければ、それらの半端な服を捨ててしまっていただろう。こういう性質だから、似た服を買ってしまうのだろうなあ。ある種の物がひとつしかない、という状況に未だ私は耐えられない。不完全入浴と同じくらい苛々する。そんなだからスピック&スパンのキャミやネーミのワンピースが同型色違いであったりする。どう使い分けるつもりなのか、自分でも見当が付かない。単に、このタイプのものがひとつしかない状況がイヤ、で色違いを買ったのだ。今、この手の苛々を感じているのはズッカの服とツモリのクレプリの服。不思議なことにズッカが1枚しかない。好きなのだが、どうもサイズがしっくりこないものが多いのだ。これはそのうち増やしていくとして、ズッカより問題なのがクレプリ。私が現在所持している楊柳素材のクレプリはシャツとスカートを1枚ずつ。共にボルドー。しかし素材違いなので同時には着られない。ああ、苛々する。パパッと増やしたいところだが、デザイン性が昔よりも高まってきている今のクレプリを混ぜるとそれぞれが浮きそうだ。社会人になって初めてのボーナスの半分を衣類に使った。その半分、つまりボーナスの1/4をツモリで使った記憶がある。クレプリ全盛の頃だったので当然それ中心。だが、当時購入したクレプリは手元にはもう残っていない。10年弱の時を経て服の趣味が変わってきたからだ。流行が数十年周期で少しだけシルエットを変えて戻ってくるように、趣味も戻ったりする。あのとき買ったネイビーの楊柳ロングワンピースを手元に戻したい。そうか。私にとって衣類はコレクションの一種なのかもしれない。

 話は変わって、ネット社会に於ける奇妙な現象。私の所持衣類の中の3大勢力は、スカラー・i.s・コキュである。次いでスピック&スパンとビュルデサボン。スピックとサボンは取り敢えず放置して3大勢力について。貧乏人の私はプロパーで服を買うことが滅多にない。それでもバーゲンに足を運んだり、冷やかしに行ったり、冷やかしついでに買い物をしたりする。i.sとコキュはプロパーでの買い物経験複数あり。スピックもサボンもヒスもオゾンも定価購入経験あり。だが。今最も多くうちにあるスカラーは買い物どころか店舗に行ったことすらない。ショップが何処にあるのかもよく知らなかったりする。ネットオークションで目を惹かれ、そこから蒐集が始まった。比較的安価なブランドのようで入手し易かったのもさることながら、私が嵌り始めた頃はまだ今よりも知名度が低く、より安価で購入できていた。新品でも安かった。なのにここ数ヶ月、ネットオークションでスカラーの価格が高騰している。ショップの販売員なのか。毎週のように大量に新品を出品する人が現れた時期と価格高騰時期が一致している気がする。自演とかそういう話ではなく。スカラー熱が冷めてきて良かった。文字で書くと、スカラー熱、って何かの病気のようだ。衣類蒐集が病気説という線もありそうだけれど。ヒス・オゾン熱もかなり冷めた。今、以前から好きだったギャルソン・ツモリ・i.s・コキュ・ナショナルスタンダード・ビュルデサボン以外で気になっているのは、ピュアルセシンとクチャ。ガーリースレの影響だろう。スサデボンボンは少し前の方が落ち着いていて良かったのに。
 現在、5月27日。

 日記が1日遅れになっている気がするけれど気にしない。昨日は折角、規則正しい生活見本市、のように過ごせたのに今日はだるだる。やっぱりダラは何処迄行けどもダラなのだ。昨夜はうちのが床に着いたとき、私はPCにて諸作業真っ只中にあり先に寝てもらった。私の消灯時間は遅くとも3時と決められている。うちのが布団に入ったのが2時半頃。3時になり、そろそろ寝るか……とPCデスクを離れた途端に睡魔がきた。ので、その場で寝た。キッチンと居間の真ん中である。30分か1時間かうとうとした辺りで、体が痛み出した。ので、まだ眠かったけれど起きた。そのまま布団に行って寝ればいいのに、などという健常な発想は浮かばず、またPCデスクへ戻って作業続行。作業なんて書くと仰々しく、何だか大層な仕事でもしているようだけれど何のことはない、ネットオークションの物色だった。アレが欲しい! というのではなく、何かいい物ないかなー、と思いつつ気になるブランドや素材やアイテムで検索をかけて見てゆく。普段よりも予算上限を少し上げてみたらもう、いい物があるわあるわ。特に惹かれたのがツモリチサトのウニコ。今季のテーマは神話で、その前がドッキングだかカーテンだかパレードだか森の熊さん……はもっと前か。とにかく軽い素材でデコラティヴなデザインを最近のツモリは多発していたのである。それよりも前に生まれたキャラがウニコ。ウーパールーパーのパチもんのようなキャラであり、今迄は特に意識しておらず、ウニコ発生以前の胴長動物いろいろが気になっていた。なのに昨日はウニコの虜。ドッキングのドットやフラワーも可愛かったけれど、素材に凝り過ぎ。毛と絹で出来た服なんてクリーニング代が高くつく。しかもシフォンっぽい物が多いので傷もつきやすい。ウニコはそんな素材だけでなく、一時期のツモリの代名詞的ライン、クレプリにも多くあった。可愛い→欲しい。当然の摂理。しかしどれも新作ではないにも拘らずそこそこのお値段。固定ファンがいるのだろうなあ。ウニコの。高騰する他者入札額を嘆きつついろんなウニコを探していると、ウニコ物ともう1枚シンプルなカットソーのセットを発見。私はスナイプ派なので、いつも気に入った物があるとウォッチリストに入れて終了時間ギリギリ迄入札しない。ウニコだけでなくいろいろな物を見て、ウォッチリストに登録して、午後になって出掛けた。

 我が家の衣類収納スペースは無印良品の箱と半透明ケース多数とスチールポールの衣類ラック及び半間のクローゼット。収納スペースの詳細は以前にも書いた記憶がうっすらあるので割愛。脳内のみの記載ならご愛嬌。で、ここのところうちのが毎日、衣類収納に文句をつけてくる。私に与えられた収納スペースではまた衣類が収まりきらなくなってきたのだ。うちのが自分用の半透明ケースのひとつを半分空けてくれたけれど、最近凝り出したスパッツを収納して一杯。そんな調子なので、ラックにも私の衣類をこそこそと侵食させていた。侵食部分が増えて怒られたのではなく、冬物を出しっ放しにしているのが見苦しいと怒られたのが情けない。むしろダラの見本。ラックにおまいの服は掛けるな、せめて今の時期に着る物数枚に留めてくれ、と言われたので、仕方なく午後になってから、コート3枚とセーターとスカート1枚ずつをクリーニング屋に出してきた。コートは秋迄の長期保管を依頼。これで少しは片付くだろう、と帰宅してから衣類の整理を始めた訳だが。大人しく寝ていれば良かった。数時間かけて処分できた衣類が5枚しかないとはどういうことか。どう考えても私は月に5枚は服を買っているし、前回の衣類整理は年末だったのでかなり増えているのだ。なのに減らせない。衣類整理をしたのにはうちのに怒られたこと以外にも理由がある。ネットオークションで欲しい物の数が3桁になってしまった。そんな金も場所もない。そんなときにすることと言えば、衣類整理。自分の持っている衣類の多さ、そしてそれらの大半が未着用であることに愕然として新規購入を見直し、買い控えられるようになる。それを狙っての衣類整理だったのだけれど、予想以上に疲れた。昨夜フローリングの上で小1時間しか寝ていないからか。無印良品の箱と半透明ケースは畳み直し・本当に要らない物を選ぶこと・使い勝手が良くなるように整頓。要らない物は5枚しか出なかったものの、これはまあ予想内の苦労で済んだ。酷かったのがクローゼット、そしてうちのに間借りしていたラックだ。

 去年末が、ここに住み始めて初めての本格的衣類整理だったと思う。私は偏執的なところがあり、乱雑だと我慢できないスペースが存在する。宝石箱とかコスメボックスとか靴箱とか2段カラーボックスに半円型の大きめの鏡を置いた即席鏡台とか。ところがクローゼットや衣類収納箱となると、詰め込んで収まってりゃいいや、になってしまう。整理する余地がないのだ。物が多過ぎて。ふたりとも衣類がピシッとしていることはない。私は多少皺があろうが動物の毛が付着していようが気にならないから。うちのはその辺に細かい。私の収納する姿を見て、それじゃあ皺になるし意味がないよ、と言う。意味がないならいっそ丸めて突っ込んでしまいたいのだが、そこはオトナなので我慢してハンガーに掛ける。それでも隣り合った衣類がキツキツなので皺になる。しかも1本のハンガーにうちのの衣類なら2枚、私の衣類なら3枚6枚は当たり前に掛ける。皺にならない筈がない。消臭兼皺取りスプレーを購入し、たまに使うが大した効果はない。私はいいんだけれどうちのが……以下ループ。今日の衣類整理で、また衣類使い捨て月間を設ける必要性を感じた。だが、今は季節の変わり目である。要らないと思うのは大抵秋冬物衣類。今捨てるときっと次の秋冬に後悔する。なら春夏物は、となるがそれはそれでこれから着たい。悩みどころだと思っていたら丁度自分の頓馬さに気付かされることがあった。今朝方にウォッチリストに登録した衣類、持っていた。同じ物を買ってどうする。色違いなどなら未だしも全く同じ物だった。気付いて良かった。けれど頓馬。そういえば、去年末の整理のときにはなかった、色違い衣類、が数種あった。お洒落サンは気に入った服は色違い・形違いで購入して着回すらしいが、私はそもそも余り着替えないので意味がない。もうひとつ悲しくなったこと。去年の私は昭和の雰囲気を残した古着テイストを求めて衣類を購入していた。なのに最近は洗練されたガーリッシュな衣類を買っている。果たして私の腕で中和させられるか。チープ物から値の張る物への趣味の移行なら処分も楽なのだが、古着とはいえ状態が良くて可愛い服はそれなりのお値段だったりするので勿体無くて捨てられない。どうせ捨てたら捨てたでまた古着テイストに趣味が戻ったりするのだろう。ともあれ、今は衣類買い控え及び所有衣類の処分の時期らしい。前回が去年末だから、半期に1度の行事になったりして。激しく面倒だ。
 現在、5月24日。

 昨日はうちのに誘われて某安価衣類量販店へ。シンプルなのに飽きがくる為、私はここの衣類は買わない。以前は数枚持っていたけれど、全て処分した。なのに掘り出し物発見! まさか下駄が置いてあるとは思わなかった。私は夏場になると下駄愛好者になるので、1000円で鼻緒はチャチくても桐材の下駄が買えるのは物凄く有難い。最もチャチではない柄の鼻緒を選んで衝動買い。また衣類は処分したと書いたけれど、下着は愛用している。この下着でもローライズ型のショーツが出ていたので、これも購入。後はヨガのレッスンに行く際に、うちのが前々から持っていて、これはいいよ、と薦めていた速乾性のTシャツも。私のここでの買い物は以上。うちのは速乾性Tシャツの替えを1枚と、下駄と、夏物のパンツを3本購入。うちのは普段ちょっとコンビニなどに行くとき用の突っ掛けを欲しがっていたので、意図は違えどやはり下駄は掘り出し物。先日、うちの用に生協で注文したのが草履で正解だった。下駄や草履に慣れると、所謂普通の靴を履くのが苦痛になるくらい気持ちいい。私は高校時代からの下駄愛用者である。和服だけでなくカジュアルな衣類にも合うので、非常に重宝している。問題点は雨の日。裏にゴム張りがしてあっても滑るのだ。天候さえ良ければ、下駄程優れた履物はないと断言したい。今、私は髪を伸ばしている最中。伸びて簪でお団子が作れるようになり、下駄を合わせたらさぞかし可愛かろうと想像している。ただ、私の髪質で簪が使えるかどうかだ。難しそうだな……、簪が無理なら、とんぼ玉の髪留めで我慢するか。うちのの裾上げ終了迄の間、駅ビル内をうろうろしていた。この駅ビルは今年の頭くらいにリニューアルしており、セレクトショップ系が増えて、都心にあって意外な穴場となっている。そこの和風小物の店でとんぼ玉を大量に発見。今回はうちのと一緒だったので急かされるのがイヤでスルーしたけれど、今度ゆっくりひとりで吟味しに行きたい。

 うろうろ中に、お洋服屋さんでかわいいトングを発見。値段も安価。履き心地も良し。これは買いか? と暫し試し履きしつつ悩むも断念。素材が合皮だったのと、トングの踵部分が余るのが気になってしまったのだ。合皮物は嫌いなのだけれど、梅雨時期に備え1足位あってもいいかと思ったのだが。合皮嫌いがここでも邪魔している。雨天の為に好きになるべきか、それともエナメルかゴムの素材で探すべきか。今年流行のビニール素材の靴は却下。来年には履けなさそうだから。流行に於いても素材の耐久性に於いても。いいゴム靴かエナメル靴に出会えなければ、手持ちのゴム靴とエナメルショートブーツとマーチン2足でどうにかせねば。梅雨時期はお洒落の幅が狭まるのが悲しい。ガーリッシュなレインシューズとレインコートが欲しい。レインコートって何であんなに出番の少ない服なのに、いいお値段がするのだろう。少量生産なのだろうか。またレインシューズ・レインコートで気に入るデザインに出会うのも至難の業。以前、ネットオークションでラグシーの古着コーナーで購入したというピンクのゴム引きレインコートが出品されていてかなり可愛かった……が、競り負けた。今思い出しても悔しい。

 いっそ雨の日用のコートや靴を探すのはやめて、手持ちのジャケットや靴に水を弾くコート剤を使った方がいいのかな、と思ったりもする。普段の汚れ防止ににもなるし、新規に物を買うよりはスペース上の問題もクリアできそうだ。一考の価値はありそう。といいつつ、一考している間に梅雨が過ぎてしまいそうな悪寒も。下手の長考休むに似たり、なのかもしれない。コート剤に思いが至ったのは、先日購入したデニムジャケットが非常に便利だったから。やや薄手で丈は長め、小さめのヘチマカラーのカバーオール型。昨日は街中で10人以上の、定番型Gジャンを着ている人を見た。定番型を買わなくて本当に良かった。街中で自分と同じ服を着ている人を見かける程、気まずいものはない。10人以上のGジャンの人々はそんな気まずさを感じないのだろうか。疑問だ。それにしてもデニムジャケットがこんなに使えるとは思わなかった。薦めてくれた友、有難う。少し話は逸れて、今年流行のアイテムのひとつに、ホルターネックキャミがある。薄っぺらい体格なので避けてきていたが、某安価衣類量販店にて試着してみた。激しく似合わん。アレはやはり、ある程度肉付きのいい人にしか着こなせない服らしい。私が着ると乳の貧相さも然ることながら、背中の貧相もが目立ってしまった。背部で布地がだらーんの弛むのだ。ダメ。ホルターネックキャミはどんなに流行ろうが使い勝手が良かろうが、スルー決定。

 昨日の一番の買い物は、ドクターマーチンのスニーカー。うちのに付き合って靴屋に行った。うちのは仕事でも普段でも使えるマーチンのちょっと変わった革素材の3ホールを気に入ったらしい。給料日前なのでカード払い。それに便乗して、私が一目惚れしたスニーカーも買ってもらった。買ってもらったとはいえ、3回分割で返済するのだけれど。この買い物は、私にとって初の革スニーカー。色はムラ染めの赤。激しく可愛い。マーチンといえばブーツ、という固定観念があったけれどなかなかにスニーカーも可愛かった。他の色展開は同じくムラ染めで水色・茶系など。やっぱり赤が一番目を引き且つ私の普段着には一番合わせ易そうだった。私は靴を買うと、嬉しさ余って大概その場で購入したばかりの新しい靴に履き替える。昨日出掛けたときに履いていたのはボロボロのビルケン。素足で履いていた。日頃から靴下を待ち歩く習慣などなく、マーチンのスニーカーも素足に履いて帰った……ら、左足外側の踝に靴擦れした。当分は靴下着用で履き慣らしていかなければならないようだ。このマーチンを目に留める迄は、パトリックの前々から欲しかった白×青×赤のスニーカーを見ていた。迷った末うちのの、あんたパトリックは一杯持ってるじゃない、でマーチンに決定。こっちにして正解だったと思う。パトリックの白×青×赤がもう気にならないといえば嘘になるけれど。そういえば、うちのに初めて買ってもらった靴は、パトリックのカーキ×オレンジだった。自分がブルーベースだと判明してからオレンジを避けるようになり、衣類にオレンジが減ってからこのスニーカーは暫く履いていない。またそろそろ出してきて履こう。
 現在、5月8日。

 勘違いしていた。スティラの今回の限定品は8日発売開始、予約者受け渡しは明日からだと思っていた。今確認したら、7日発売で予約者受け渡しは今日からの模様。……勘違いしていたってことは、それ程今回の限定に期待していなかったということなのだろうか。予約をキャンセルしようかどうしようか迷っている。最近は余りメイクをしない所為で記憶が薄れていたけれど、以前買ったホリデイアイブックのクールルックはピンク系、今回予約しているフレグランスカラーブックのクレームブーケもピンク系。実物を見てから受け取るかどうかを決めた方が良さそうだ。スティラの限定で萌えるのは3パンと6パンブック。本当は今回グリーン系のジェードブロッサムが欲しかったのだけれど、ブルーベースには難しいという話を聞いて、ピンク系のクレームブーケを予約。スティラなので現物を見ないでの予約は当然。チラシは見たけれど、そこに掲載されている色味を見る限りだと以前購入したブックに似ていそうな。パール加減が所有ブックと違っていれば購入するか。今になって迷っているクレームブーケをすぐさま予約したのは、単なるルックス買いである。スティラのシャドウやチークの品質は可もなく不可もなく。色出しは好きだが、持ちやパンの大きさや価格をひっくるめて考えると、どうにもお得感はない。お得感がないのに嵌ってしまったのは一昨年だったか。初スティラはトライパンのウィンターブルース。これは正にブルーベースの為に作られたかのような色出しで、目が当人比1.5倍になる素晴らしき代物だった。同時期に発売されたスノーブルームも素晴らしかった。この2品でもうスティラの虜。

 その後、ダイキリシリーズをふたつと上記ホリデイアイブックを購入。で、今回のフレグランスカラーブックをどうしようかなあ、と。メイク自体は今でも好きだし興味もあるのだけれど如何せんヒキコモリなので、メイクをしたところで肌に負担をかけるだけ、という気持ちが抜けない。なのにコスメはちょこちょこと増えている。新発売や限定品で、余り高価でなければついつい買ってしまっている。今は亡きFSPの物もまだまだ沢山残っているというのに、だ。スティラの受け取りを迷っている最中にも拘らず、更にアウェイクのアイブロウパウダー迄気になり始めた。言わずもがな、数ヶ月前に購入したアナスイのアイブロウパウダーはたんまりと残っている。そもそも基礎物やお粉でなければ、コスメの減りなんて遅い。眉なんて使う範囲が狭いので、シャドウやチークの比ではないくらいに減らない。かつてほぼ使い切ったと言えるアイブロウパウダーは、アユーラの3色のだけだ。アナスイでアイブロウパウダーが発売されたときは、確かワックス入りだとかで、こりゃあ持ちがいい筈だ! とわくわくしながら買いに行った記憶が。日本撤退してしまったベネフィットのアイブロウもワックス入りで評判が良く、購入を迷い始めたときには撤退の噂が立っていて諦めた経緯があるので待ちに待ったワックス入りだったと言ってもいい。これで当分は落ち着くつもりだったのに、アウェイクが繊維入りのアイブロウパウダーを出してきた。繊維入りアイブロウパウダーと言えば、ディグニータ。これはテスターで試したことがあるのみ。アイブロウに4000円はキツいと思って見送ったのだ。ディグニータよりもやや価格を下げてアウェイクから……、アウェイクは大高姐さんのお気に入りブランド……。待て! メイクをする機会が激減し且つ減りが遅い商品をストックしてどうする! しかも私はアイブロウを気分で使い分けるようなタイプではないではないか! やめよう。自重しよう。節約しよう。

 殊更にコスメに使う金を節約しようと思う理由。現在ネットオークションのウォッチリストにかなりの品数が入っている。殆どが衣類。ナショナルスタンダードのデニムジャケットで競り負けてから、妙にネットオークションのチェック回数が増えた。そしてチェックする度に何かしらの気になる商品が出ている。衣類の趣味の守備範囲が広過ぎるのだろうか。ガーリッシュだ何だと言いつつ、サイラスの商品迄覗いている。サイラスはガーリッシュではないと解っているのに。スカラーもガーリッシュとは違うのに。増してやオゾンやヒスは言う迄もなく。あ、この春はまだジャケットを着ていない。5月にもなって、クローゼットにしまうのが面倒で出しっ放しにしているスプリングコートかカーディガンで誤魔化している。収納されっ放しのコキュのカバーオールが泣いていそうだ。しかも同じ形で黒と茶があったりする。茶は未着用。着なきゃなあ。と、思うのが良くないのだろう。着なきゃ、という言葉には何となく義務感がある。着よう・着たい、が楽しくお洒落する為の心構えで最も大切だと思っているのに、この有様。文字通り山とある衣類の中に、未着用品が沢山埋もれている。勿体無いから着なきゃなあ。勿体無いお化けの弊害がここにもあったか。流行り物が好きな性格なら良かったのに、と思うことがある。それなら旬を過ぎた物は処分せざるを得なくなるから。民族物やレトロ物好きの落とし穴。ここらでいい加減に考え方を変える必要があるのだろう。それにはまた衣類処分月間を設けなければならなさそうで、悲しい。うちにウォークインクローゼットがあって、入浴担当のメイドがいて、ヘアメイクアーティストがいれば悩まずに済むのに。ウォークインクローゼットは憧れだ。実家には親専用のウォークインクローゼットがある。私の部屋には壁一面を使ったかなりの大きさのクローゼットがあった。賃貸暮らしはつらい。うちのは今、足を伸ばして入れる風呂が欲しいらしい。私も欲しい。解決策は引越しなのか。引っ越せば解決するのか。今度引っ越したら、ピアノが欲しいなあ、と漠然と考えている。子供の頃に習っていて今では何も弾けない。再度、習いたい。ヨガといい、お稽古事熱が出てき始めている模様。お稽古事熱はさて置くも、ピアノは場所を取る。その分部屋は狭くなる。結果、生活スペースが今と変わらなければ、その引越しには意味がない。ピアノが置けて、山のような服が収納できて、大きめの風呂があって。家賃を想像すると本物の熱が出そうだ。

BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
 現在、4月24日。

 昨日は沢山の荷物が届いた。某ネットオークションでの落札物の数々。その中のひとつに、例のアンティーク・バッグがあった。一番に箱を開ける。樟脳の香りが漂ったことで、このバッグが大切に保管されていたことが解った。箱の中の袋を開けるとバッグ登場。可愛い……。うん。大枚を叩いた甲斐があった。出品者に一昨日撮影しておいた私のコレクションの写真を添付して、お礼のメールを出した。撮影時に改めて数えたら、私の蒐集数は7点。7枚の画像とメールの内容に出品者が返信をくれた。その中にまたしても有力情報。その昔は呉服屋で取扱われていたらしき気配が。そのうちアンティーク着物の店を回ってみよう。確かにこのバッグ、デザインによっては和装にも充分対応できる。昨日届いたバッグが8点目。一体40年程前にどれくらいこのバッグが出荷されたのか、如何せん殆ど情報が出回っていない為、皆目見当がつかない。何色ものビーズが使われている物、単色の物、布地に柄や刺繍が入っている物。がま口の素材や形も様々だ。年内に後ふたつ手にして、蒐集数が2桁になればかなりラッキーだろう。どうしてこんなに愛らしいバッグが廃れてしまったのか。当時はそれなりの価格だったらしいことも関係しているだろうし、時代の流れもあったのだろう。このバッグのビーズは全て縫い付けではなく、貼り付けになっている。貼り付けであることは一長一短。長所は纏めて幾つものビーズを縫い付けてあるものと違い、ひとつ取れたら雪崩式に取れてしまうことはない点。短所は縫い付けに比べて布地との密着が甘い点。この短所が時代の流れに反したのだと思う。扱いが雑になることでこのバッグは、ビーズが落ちて無残な姿になる。作りはしっかりしていて丈夫だけれど、装飾性が高い分、その装飾性がなくなってきたときには悲惨だ。それに引き換え、帆布製などのシンプルなバッグは装飾性が低いこともあり飽き難いし、洗濯機でざぶざぶ洗える。世の中が利便性を求めた結果が、このバッグの衰退に無関係ではあるまい。また女性の社会進出により、女性の持ち歩く物が増えたことも関係ありそうだ。このバッグは小さい。通勤に使うには余りにも不便だ。

 数年前、ヴァネッサ・ブリューノやコキュからスパンコールを存分に使ったバッグが発売され、かなり流行った。私も少し惹かれたものの結局買わず終い。スパンコールはひとつひとつの縫い付けではなく纏めての縫い付けだったし、折れたスパンコールには哀愁を感じるから。そしてプラスチックのビーズと違って、スパンコールは過剰に煌びやかで……。プラスチック・ビーズの控えめな存在感の対極がスパンコールのような気がする。スパンコールはスパンコールで好きなのだけれど、これでもかと言わんばかりに付けられた存在を主張し過ぎている物は、鞄でも服でも好きではない。可愛いけれど、私が持つ物ではないな、と思った。私が好きなのは、素朴な可愛さなのだ。蒐集しているアンティーク・バッグも、一澤帆布も、帆布メインのポーターも皆素朴。のだめバッグもシンプルで素朴。これ迄に趣味が変わってきたように、これからも変わっていくかもしれない。取り敢えず、20代後半になってからは、素朴で可愛い物が好きになったようだ。

 一見お天使・中身小悪魔・魂はロックを思い描き、再びガーリッシュ路線を目指し始めた私に届いた他の落札物の大半はスパッツだ。どうもスパッツはガーリッシュらしいから。この知識を得た時点ではイマイチ理解できなかったのだけれど、ネットでいろんなスパッツを見ているうちに納得できてきた。私の脳内に於いてスパッツは10年以上進化していなかったらしい。スパッツ=モモヒキよりは恰好悪くない防寒着。時代は変わり、スパッツも可愛い物が多くなっていた。頑張って早く着こなしを覚えよう。そういえば。以前の職場は滅茶苦茶お堅い地味な職場だったのに、お洒落な人が多かった。先日書いたガーリッシュなオバサンもだし、他にもセレクト物の無地の服をメインに上手く着回していた人や、アンティーク物も取り入れつつ華奢な体型をカバーし且つ活かしていろんな恰好をしていた人。最も印象に残っているのは、隣の部署の私より数歳上の人だ。彼女はお洒落に気を遣っている感じが殆どしないのに、相当に凄い着こなしをする人だった。最初は特に意識していなかったけれど、或る日気がついた。その日、彼女は半端丈のパンツ姿でその裾からフリルが見えた。気になったので訊いたら、下にドロワーズを穿いているとのこと。ドロワーズ! コスプレでも何でもなく、自然にそのアイテムを普段のファッションに取り入れられるなんて凄過ぎる!

 彼女をよくよく見ていると、いつもスッピンなのにデスクの上には無造作にシャネルのシャドウが置かれていたり、ペタ靴から10cm位のヒール迄いろんな靴を履いていたり。人目を惹く恰好ではないけれど、常に何処かにポイントを置いて無駄な装飾をしない引き算メインのファッションだったと記憶している。メイクもファッションも足し算は簡単。引き算が難しい。その計算を他者に簡単には悟られずにやってのけるなんて兵としか言いようがない。私はまだ足したり引いたり試行錯誤中。自分の定番ファッションは作らずに、定番服は作りたいと思っていたりする。コスメもそう。定番アイテムはあれど、いつも同じメイクはダメ。そんな風にありたいと思いつつ、まだ辿り着けていない。30歳迄には落ち着きたいのだけれど、落ち着いたら終わりな気もするし難しいところである。コスメ。昨日、久々に電話でスティラの限定パレットを予約した。ここ暫く魅力ある限定品がどのブランドからも出てきておらず色物は買っていなかったので、引き取りがかなり楽しみ。アナスイのネイルケアキットも迷った末に見送ったし。アユーラのネイルキットは内容と金額のバランスが悪くて見送り、イプサの今の限定品はボディケア物なのでやはり見送り。アユーラでは今、一定額以上の買い物での日傘プレゼントをしているようだ。イプサでもまたやるかな、と思いアユーラの日傘は今のところ考えていない。この間、雑誌で見たケイタの日傘は可愛かったなあ。私が数年前、タクシーに置き忘れてきてしまったケイタの金魚柄の傘はどうなったのだろう。あれは本当に惜しいことをした。日焼けして筋がついて使い物にならなくなった、ヴィヴィアンの傘2本と同じくらいに悔しい。昨日の銀行巡りの途中で、日傘を差している人を数人見かけた。もうそんな季節らしい。素朴で可愛い綿素材の日傘が欲しくなってきた。
 蒐集癖と物を捨てられない病は別である。自分にとって大切な物を保管しているのは蒐集であり、どうでもいい物を捨てられないのとは訳が違う。訳が違うのだけれど、蒐集している物に興味のない者が見れば、それは捨てられない病に見えてしまう。数年前から或るアンティーク・バッグを蒐集し始めた。市場に滅多に出てこないし、出てきてもコレクタの少ない物らしく相場がない。ガラクタと判断して小銭で市場に出す者もいれば、アンティークだからと高値を吹っ掛けてくる者もいる。市場とは、フリーマーケット・古着屋・ネットオークションなど。今日、ひとつ落札できた。予想以上の高値になりびっくりした。私以外に入札者がふたりもいたのだ。今回落札したバッグはレトロ少女感満載で、このバッグのシリーズの存在を知らない者から見ても可愛く見える商品だった。ふたりの入札者の意図が知りたい。私は自分が蒐集しているバッグだから頑張って落札したけれど、後のふたりは単なる可愛い物好きか、アンティーク好きか、はたまた私と同じ蒐集家か。後者ならライバルでもあるけれど、同好の士でもある。集まって蒐集物を見せてもらいたい。金額も然ることながら、今回の入札はかなり迷った。同色同柄のバッグを既に持っているのだ。それでも大きさが一回り弱違う。一回り弱の為にン千円。仕方ない。これで片方を気軽に使えるようになる、といい方に考えよう。このシリーズのバッグは全体的に小さい。40年程前は婦女子の持ち物は、今よりもっともっと少なかったのだろうか。私が普段持ち歩く物は、煙草・ライター・財布・化粧ポーチ・携帯電話・文庫本など。これらの全てが収まるバッグは、ふたつしかない。それ以外のこのシリーズのバッグを使うときはあくまで、お出かけ用、であり化粧ポーチを省いて脂取り紙と櫛だけにする。化粧ポーチも入るふたつのバッグは、ひとつはがま口部分が緩くなっていて、もうひとつはビーズが沢山欠けており且つ持ち手が擦り切れて中のチューブが見えている。それでも使っている。お出かけ用のバッグの中のひとつも、がま口部分が壊れている。それでも騙し騙し使っている。それ程迄に私にとっては思い入れのあるバッグなのだ。思い入れ=レトロで可愛い。可愛過ぎ。

 友人知人からも好評な、この女の子女の子したアンティーク・バッグ。興味を示してくれた人には、もし家にあったら譲ってくれと図々しくお願いしている。その人数は10人を越えていると思う。だが誰からも、あったよ、という話は聞こえてこない。マイナーな商品らしい。ネットで検索しても他の蒐集家に出会ったことがない。フリーマーケットの出店者やオークションで取引した人に訊いても、単なるレトロなバッグとしか認識されていない。この日記を書いている今、落札したバッグの出品者からメールが届いた。内容は、このバッグの購入先。数年前に出品者が購入したというそのサイトに行ってみるとレトロ物が一杯。私が蒐集しているバッグは今は出していないようだ。似た物は出ている。似て見えるだけで本当は私が蒐集しているバッグかもしれない。何せカタログなどを見たことがなく、どんなバリエーションでこのシリーズがどれだけ作られていたかを知らないから。このバッグには或る名称が付いている。その名称で書かれていないから判断できないのだ。そのうち問い合わせてみよう。もっと蒐集家の存在が知られれば、市場に出回る数も増えるだろうし、皆ちゃんと名称を示してくれるだろう。しかしその分、価格は高騰するだろう。痛し痒し。

 普段、近所に買い物に行くときは一澤帆布の国防色横長ミニトートを愛用している。丈夫だし沢山入るしざぶざぶ洗えるし、いいこと尽くめだ。国防色は服にも合わせ易くて便利。便利だけれど、逃げの鞄だ。無難で保守的。私が蒐集しているバッグは取り扱いに慎重にならなければ、すぐに文字通りぼろぼろになる。色柄形はレトロなだけで一見無難なのに、淑女な行動を要求されるバッグ。雑な行動を取れる昨今のバッグとは一線を画す。ジェンダー・フリーに向いつつある、時代の流れと無関係ではない気がする。まずスカート姿の女性が、パンツ姿の女性に比べて少ない。私もパンツに逃げがちだ。パンツも帆布鞄と同じく逃げの道具だ。パンツなら多少歩き方が悪かろうが、行儀が悪かろうがショーツは見えない。ショーツが見えないからこそ粗雑な行動をうっかり取ってしまう悪循環。女性は淑やかであるべし、は前時代の発想。女性らしさを求めるのはセクシャル・ハラスメント。間違ってはいないけれど、正しいとも思わない。淑やかでありたい女性の選択肢が減ってきている傾向は如何なものか、と。ここ数年、シフォン素材やラインストーンが持ち上げられている。スパンコールやドレープも。私はここ数年のこれら素材などの流行を、逃げの小細工だと考える。行動や恰好に性差が減ってきたことを嘆く男性は少なくない。スカートとパンツのレイヤードを好む男性の少なさはそれを物語る一要素だろう。スカートの下をパンツで覆うことで隙を減らす。緊張感のない行動も取り易い。女性らしい性的アピールのできるファッションが、減ってきているということだ。楽ちんでありたい心を、これらのアイテムは上手く隠蔽し女性らしく見させる。錯覚効果でしかない。

 そしてまた私もこのような逃げの小細工を無意識に利用してきた。今日、蒐集しているバッグを落札したことで私なりに考えて、フィジカルな女性らしさを忘れたくない、との結論に至った。形而上的にはパンツでも帆布鞄でもいい。だからといって形而下に迄、その楽ちんなジェンダー・フリーを持ち込んではならない。ジェンダー・フリーそのものはいい傾向なのに、履き違えが世の中には余りにも多いのだ。飲食店などのレディース・デイ。これに群がる女性は少なくない。女性性の利用だ。なのに女性性を捨てた恰好でその場に行くのは、何か違うだろう。Tシャツ+パンツ+ヒップ・バッグなどでレディス・デイを利用させてはならない。フリルなんかに誤魔化されてはいけない。利用するなら、利用させてもらうに相応しくなければならないと思うのだ。例えば、シャネルのコスメを使う高校生を生意気だと感じる人は多くいる。女子高生はシャネルの格ではない、と。それでもカメリアが似合う高校生ならどうか。カメリアが似合うのは、大人の女性でも少ない。物凄く人を選ぶ小物なのだ。人は物を選んで買う。そのとき、自分がその物に選ばれているかどうかを意識しなくてはならない。似合っているつもり、は自己満足だ。ファッションは自己満足の世界なのだからいいではないか、と言う人もいるに違いない。良くないのだ。高校生でもシャネルに選ばれる子もいるだろう。そして女性であっても本来レディース・デイを利用できる立場にない者もいる。後者は恥じるべきだと思う。自分のことを振り返る。私は蒐集しているアンティーク・バッグに選ばれるべくして蒐集しているのか。今迄はきっとそうではなかった。自己満足で集めていただけ。これからはバッグに選ばれる存在でありたい、と思う。そうなれればきっとこのバッグとの出会いも増えるのではなかろうか。物が人を呼ぶことはあるのだ。このアンティーク・バッグの蒐集は、ただの趣味ではなくライフ・ワークにしたい。だから私の小遣いではなく生活費から……。
 現在4月19日。

 昨夜、夕飯の支度をする前にうちのから帰るコールあり。焼肉に誘ってくれた。普段の私ならホイホイと誘いに乗るところだが、昨日ばかりは乗る訳にはいかず断った。今思えば乗ればよかった。大後悔。私が断ったのは、某ネットオークションの終了時間に外食時間が被りそうだったからである。狙っていたのはナショナルスタンダードの丸襟パフスリーブのGジャン。羽織り物は数あれど、何故か私の手元にGジャンはない。昔キャンディストリッパーのコレクション物グレー×蜘蛛柄のGジャンがあった。親に強請られてあげてしまったが。今、1点物薄デニム素材のノーカラーカバーオールはあるけれど、カバーオールはカバーオールでありGジャンには非ず、しかもそのカバーオールは木の釦であり裾に和布が使われている。今、ウォッチリストに次点候補が入れてあるけれど、こちらは丸襟でもパフスリーブでもない。妥協するしかないのか……。落札できなかったナショスタの丸襟パフスリーブのGジャンは、着用感や色落ちのある物。それでも価格高騰。7000円台迄は頑張った。でも流石に8000円は出せない。7000円台でも充分に私のオークション許容価格を凌駕していたのでもう8000円台でも何でも出す! と思わなくはなかったけれど色落ちありの物だしなあ、と躊躇って諦めた。同日少し後の時間に狙っていたワンピースがあった。持て余しているピアスに嵌りそうな総柄ワンピースで、こちらも私の許容範囲価格を遥かにオーバーしても競った。競りに競った。そして負けた。定価で1万するかしないかの難あり商品に4000円は出せん! Gジャンといいワンピといい、多少の難があってもデザインの可愛い人気ブランドだとやはり価格高騰は避けられないのか。スタート価格が高ければ眼中に入らないのに、スタート時点では安価なのが性質がいいやら悪いやら。

 うちのに、Gジャンが欲しい、と言う話をしてみた。いつも通り、風呂に入ってから言え、と言われたのはまあ挨拶のようなものなのでスルーして、家にGジャンがあってもよいかどうか、を訊きたかったのだ。何故かうちのはGジャン嫌い。インディゴ染めのジャケットは良くてもGジャンは良くないらしい。うちにそんな物を持ち込むな、と言われたので、持ち込んだらどうする? と畳み掛けて訊いた。回答。袖を切って頭にバンダナ巻かせて野球大会をさせる、と。ハマショーだらけのアレか……。うちのが頑なにGジャンの存在を嫌うので、友人にそんなに使えない物なのか? と訊いた。友人は、使えるよ、と。甘い恰好のときに羽織ると甘くなり過ぎずにいいらしい。ならば! と挑んだオークションだった訳だが撃沈。うーむ。学生時代から友人知人に言われ続けていたことなのだが、私は癖のない服が嫌いらしい。無自覚。ワードローブを見回しても柄物は多いけれど、癖があるという程の物はそんなにないように思う。無地好きが多い私の周囲では柄物多数所有=癖のある物好き、となってしまってはいないか。でも。Gジャンひとつ取っても、アレが気に入ったのは丸襟でパフスリーブだったからだ。しかもゆとりのある丈。今迄私がGジャンを避けてきた理由に、ウエストジャスト丈が多くゆったりした服を着るとはみ出すのがイヤ、というのがあった。それもゆとりある丈でクリア。忘れよう。画像を思い出すだけでも悔しくなる。

 小悪魔ブームは相変わらず続いている。なのに某スレの影響でガーリッシュな着こなしに興味が出てきた。いや、戻ってきた。小悪魔がブームになる前の私は、ガーリッシュな着こなしを模索していたのだ。ガーリッシュな着こなしに使える物のひとつとして、ずっと避けてきていたスパッツがあるらしい。欲しくなってきてしまった。今日捨てたへんてこスパッツは論外として、私が持ってるスパッツは毛糸の防寒用スパッツ2本と綿で裾にレースが付いた物1本。後者しか使えそうにない。これから地道に増やしていくか。ここで命題発生。ガーリッシュな小悪魔はアリなのか? 貧乳なのでエロティックな外見の小悪魔はもう諦めかけてきている。ならば内面は小悪魔、外見はお天使な存在ならどうかと。お天使の中でも南国お天使ではなく正統派ガーリッシュなお天使。某巨大掲示板化粧板で小悪魔に目覚めたのが良くなかったのかもしれない。小悪魔メイクはアイラインや赤グロスなどの些細な部分のみに採用し、全体的雰囲気はガーリッシュお天使。これが存在としては最強小悪魔かもしれない。気易く近付いたら火傷するわよ的存在。うん、小悪魔だ。これだ、やっと方向を見つけた! 林檎が落ちた! 違うか。ガーリッシュ熱を再燃させてくれたスレでは、保守的ガーリーと攻撃的ガーリーの2種に分けられていた。両方を上手く取り込めてこそ小悪魔ではなかろうか。頑張ろう。風呂に入ろう。

 服と年齢は切り離せないものだと言われ易い。検証。昔いた職場で50歳前後と思われる先輩がいた。常にガーリッシュな恰好をしており、しかも似合っていた。上質ガーリッシュなセレクト物やハンドメイド物を身につけていた印象。大概、ロングフレアスカートでペタ靴。ロングフレアスカートはガーリッシュ・ファッションの王道だ。彼女とは路線が違うけれど、歳を重ねたガーリッシュな存在として、お洒落芸能人との評判高いYOUがいる。元フェアチャイルドなのは彼女にとって汚点か、ただの通過点か。そんなことはどうでもいいか。彼女のファッションの印象も、ふわふわ。ロングフレアスカートを穿いていなくてもふわふわした感じ。アイテムに頼らずにふわふわ感を保つのは難しい筈だ。それを思うと、タイトなシルエットにも拘らず皺によってふわふわ感を出すツモリのクレプリ・ラインは偉大だ。今はクレプリもどきの物が他ブランドからも多数出ているけれど、ツモリに比べたら加工が甘かったりデザイン性に欠けたり。ツモリはデザイン性が強くなり過ぎてしまったけれど、少し前迄のクレプリは最強ふわふわお天使アイテムだったように思う。何だよ、神話がテーマって。インパクト強過ぎて1シーズンで着られなくなってしまう服じゃないか。そんなもんにン万も払えるか! 少し前のカーテンシリーズも然り。でも春物のパンチング白ブーツは可愛かったなあ。5万強い。払えねえっての。ガーリッシュ追求スレで、常にスカートを穿いていたい、と書いている人がいた。いい心掛けな気がする。デニムパンツやチノパンに逃げる癖を治そう、と思った。本題に戻して。小悪魔もお天使も共に難しい。失敗すると小悪魔はセクシー系やギャル系に傾き、お天使はただの野暮ったい人になる。そして両者とも無難ではないので、似合っていなければそこで終了。ただの勘違いサンだ。勘違いサンになるのは怖い。怖いのに1歩間違えばそうなりかねないアイテムが手元に多数ある。気をつけねば。
 入浴していないけれど、春物衣類に着替えてみた。所有衣類をざっと見て、もうこれは着ないだろ、という服を重ねてきてみた。履き心地の悪い靴下も合わせて。現在の私の恰好。かつて某女性芸能人らが某ブランドから、ブランド・イメージが下がるからうちの服を着てTVに出てくれるな、というクレームをもらったという。この噂を耳にして暫くして某演歌歌手がTVでそのブランドの服を着ていたのを見たのだが、あれはいいのか? そんな訳で、私は芸能人でも何でもないけれどトンデモなセンスの人間に着られているのか、とプレスが嘆かないように、ブランド名を伏せて書く。某のベロア地ボルドーキャミ+某の抹茶色半袖ニット+某のマルチボーダー綿ニットカーディガン+ノーブランドの縞馬柄スパッツ+ノーブランドのニットプリントの膝下丈ストレッチスカート+某の紺色靴下。1枚1枚重ねる毎に鏡を見ていたのだが、スパッツを穿いた瞬間、爆笑。可笑しい。可笑し過ぎる。更にスカートを穿いて、最後に靴下を履いたらもう腹が引き攣ってきた。笑い過ぎて。今、うちに強盗が入ったとする。うちのは朝帰りだと言うので、いる人間は私ひとり。きっと殺されない。足りない子だと思われて哀れまれるに違いない。それ位にケッタイ極まりない恰好をしている。今着ている服は、次のゴミの日に出す予定の物ばかり。それにしても何だ、このスパッツは。絶対に私の趣味ではない。きっと親がくれてしまった物なのだろう。縞馬柄スパッツってだけで、笑いを誘う。ヤバイ。宇宙ヤバイ。惜しいのが色だ。黄味を帯びたベージュと抹茶色と焦げ茶。これがピンクと黒なら神に誓ってもっと笑えた筈。神なんかいないがな。それ以外の物は1品1品を見る限りでは、特に問題を感じない。しかしキャミの除き、その他の服は着てみると問題点が解る。半袖ニットの抹茶色。似合わん。しかも脇がややキツい。綿ニットカーディガン。マルチボーダーだが最も多く使われている色がオレンジ。これも肌をくすんで見えさせる。スカート。ヒップの部分がパツパツ。靴下。履いているうちに踵がずれてくる。スパッツ。上記の通り。

 当分は入浴をせずともこんな感じで哀れみを誘う恰好をして、衣類を減らしつつ洗濯物も出さない方向で行きたい。昨日の日記に書いた分類は、要らない衣類の処分が済んでからにしよう。と、表を作り始めてから思った。以前、所有衣類一覧表をブランド別に作ったことがあるのに、少し前に削除してしまった。あれから衣類はなくなった物あり、増えた物ありで多少内容は変わっているが、もう1度作る、という作業がとても面倒に思えてきたのだ。それにつけても今の私は面白過ぎる。この日記を書くにあたり、PCデスクの椅子の上で胡坐をかいている。足元がよく見える。ニット柄をプリントしたスカートの裾から覗くスパッツ。そこから10cm程肌が見え、その下にずれてきている色褪せた靴下。嗚呼、愉快愉快。……笑っていないと情けなくて泪が出てきそうな恰好だ。ピーコがこの姿を見たら吐くかもしれない。ドン小西にさえも吐かれそうだ。ドン小西って何処から湧いてきた人なんだろう。たまにワイドショーを見ると出ている。あんな後ろひとつ結び野郎にファッション・チェックされたくない。友人とも話していて共通した意見。彼に評論されるだけでその芸能人の格が下がる気がする。先日、某ネットオークションで某ブランドのカテゴリを見ていたところ、この名前を検索単語に使っている人がいて激しく笑った。しかも大量出品。ひたすら並ぶこの名前。でもって、入札がほぼ皆無。どういう意図で以って、この名を検索単語に入れるのか全く解らない。解りたくもないからどうでもいいっちゃあ、どうでもいい。ただ、笑わせてくれて有難う、と。

 ファッション雑誌について何度か書いて、某巨大掲示板の数板数スレで「装苑」の存在を思い出した。学生時代に毎月購読していたけれど、目の保養にしかならなかった記憶しかない。だって、私は裁縫が苦手だから。だって、出てくる服が高いから。だって、あんな着こなしを街中でしていたら浮くから。可愛いなあ、恰好いいなあ、と思える着こなしを見せる雑誌が「装苑」を始め幾つかある。あるのだけれど、99%以上の確率で決して真似をしてはならない恰好なのだ。浮くから。街中で浮いた恰好をしたくないと思ってしまうのは、やはり日本人的発想なのだろう。我が道を邁進していた頃にギャルソンに嵌った。嵌ってワードローブにギャルソンが増え、それらを着てみた……ところで行くところがない。シンプル+αな物ならまだ着られるが、インパクトのある物だと着る私自身に照れが出てしまう。照れてしまって外に着て行けない、かと言って部屋着やパジャマの値段ではない。当然の如く、持て余すに至った。実家にあるギャルソンの黒いバルーンラップスカートを思い出した。そのうち取り戻せるかな。あれは頑張れば街中でも穿けそうな気がする。ゴスロリな人々が街を堂々と闊歩する世の中になってくれたから。勿体無いことをしてしまった東横綱はギャルソンの白衣風白コート。被りのコートで着脱が面倒だった故に放置していたら日に焼けて着られなくなってしまったのだ。西横綱はツモリのコレクション物白ベロアロングスカート。私には流石に丈が長過ぎた。ヒールを履くことに慣れればどうにかなるだろうか。東横綱はもうないけれど、西横綱はこれまた実家に。取り戻したい1品。東西には特に意味なし。

 大関はギャルソンのミニワンピース。これは私の行儀が悪くてスリット部分が裂けてダメにしてしまった物。しかも修繕できない素材。もう片方の大関はこれまたギャルソンの靴とマフラー。これは購入して帰宅する迄の間に何処かで落としたか忘れたか盗られたかして失くしてしまった物。思い出しても自分の迂闊さが悔しい。書き出してみると、ツモリのスカートを除いてギャルソンばかりだ。手元にあるギャルソンで活躍してくれているのはネイビーの半袖カットソーのみか。チェックのバルーンスカートはハレの日用なので、活躍、とは言えない。ギャルソンから卒業できて、本当に良かった。ギャルソンの何がつらいって、家で洗濯できない上に特殊な素材が多い為にクリーニング代が高くつくことだ。貧乏人には綿素材が鉄則! ……数年前のチェックとフリルのシリーズは可愛かったなあ。欲しかったなあ。でもギャルソンは小悪魔ではない罠。むしろ悪魔。小悪魔の服はアナスイ辺り。某巨大掲示板某板にてガーリーな服を追求するスレを発見した。かつての「olive」のような路線。手持ちの衣類に小悪魔服は殆どない。無難を含めガーリーに括られる物か、パンキッシュな物が多い。ストラップシューズ好きがガーリーの特徴のひとつかもしれない。該当スレ曰く、ガーリーは精神らしいが。嶽本野ばらをロリからガーリーに移行させた感じか。言っていることは似たようなものだったから。
 自分に苛々している。春になり、軽やかな可愛い恰好がしたい。いつ迄同じパジャマとカウチンでいるつもりだ! と自分に問いたい。髪もペターッとしている。今の自分が大嫌い。どうすれば今の自分を好きになれるのか。内面はともかく、外見だけでも。簡単な話で、風呂に入ればいいのだ。入浴して、綺麗サッパリな身体になり、朝起きてお洒落すればいい。言うは易し、行うは難し。軽やかで可愛い格好をしたところで、誰に見せる訳でなし……という空しさが伴うことに問題がありそうだ。社会人になった当初はお洒落に無頓着で、自分に似合うか似合わないかがイマイチ把握できず、我が道を行く、今思えば冴えない恰好ばかりしていた。そこから進んでPD発覚当初にいた職場では同僚や上司に、今日の恰好かわいいねー、と言ってもらえる迄に成長した。1個所で長期勤務するということは、毎日同じ職場・同じ人々が集まる場所に行く訳で、それなりにコーディネートや着回しに気を使う。インパクトのある服は1度着ていくと覚えられてしまう為、前回着用から間が空いても、またあの服着てる、となり易いので癖のない服を着る練習になった。働いていない今なら、癖のある服でも癖のない服でも自由に着られる。自由って素晴らしい。なのにネル素材のパジャマにカウチン。現在、4月半ば。クレイジーだ。ファッションの楽しみのひとつに、衣類で季節を楽しむ、という部分がある。和服に顕著。洋服でも、素材や色柄で季節感を取り入れられる。メイクもそう。全てを捨て去ったかのような今の私は嫌いだ。前にうちのにプレゼントしてもらったスピックの水色刺し子柄ブラウスに、この間購入したズッカの白スカートは絶対に嵌ると想像している。着たい。でも入浴していないが為に着ることを拒んでいる。

 今の時期ならちょっと肌寒い日はスプリングコート、暑い位の日はシャツワンピを羽織るのが良さそうだなあ、と想像している。シャツワンピの上にカーディガンでもいいなあ。着たい。でも(以下略。服を着たい欲求が高まると、服が欲しい欲求も高まる。服が欲しい欲求は財布が許す限りは好きにできる。着たい欲求は入浴をしなければ叶わない。微妙に矛盾を感じる。ここ1年、私が余り入浴云々を省いた上で着替えない理由を考える。張り合いがないからだ。褒め言葉が欲しい訳ではないけれど、他者の目を楽しませるという面白さがない。うちのは私が寝ている間に出勤し、ほぼ毎日終電で帰宅する。帰宅後から寝る迄は数時間。その数時間の為にお洒落をするという考え方もあろうが、だるい。何が悲しくて夜中に皺を気にしてスカートを穿いたり、肌に悪いメイクをせねばならんのだ。夜遊びに行くなら当然だが、所詮家の中でのこと。楽な恰好が一番。ブラなんかしたくもない。そういえば、日常の中でブラをつけている時間が殆どない所為か、只でさえ貧相な乳が型崩れしてきた気がする。いろんなことが悪循環。自分の為のお洒落を放棄してしまったのはいつからだろう。抑うつの強くなってきた時期に重なるのだろうか。思い出せない。

 お洒落と習慣は切り離せないものだと思う。高校時代の友人をお嬢だと決め付けたことがある。なんとそのお嬢は、帰宅して制服から部屋着に着替え、更に寝るときにはパジャマに着替えると言うのだ! 部屋着! 出掛ける為でもなく寝る為でもなく、部屋着、という種類の服が彼女の中ではあるのだ。凄い。それを聞いた私と友人は共に、帰宅したら即パジャマ派だったので驚愕した。パジャマ=部屋着なのだ。当時、彼女を遠い世界の住人だと思わずに、部屋着を着るという習慣を真似るべきだった、と昨今物凄い勢いで後悔している。なんで当時はお洒落に無頓着だったのだろう。過去の自分を制裁したい。部屋着とは、自分の為のお洒落のレッスンに最適ではないか。着心地が良く且つ着ていて自分が楽しい。誰に見せるというのではない自分の為だけのお洒落。安野モヨコの仕事中のお洒落とはまた違う。一般人の日常には打ち合わせだのアシスタントの存在などはなく、張り詰めた緊張感が必要ないから。却って、一般人の部屋着はリラックスできる服という前提がありそうな気がする。ここ数年、この部屋着という物の存在を自分の中で位置づけるべく、ちょっと努力した時期がある。結果。部屋着=パジャマとなった。上記と違うのは、部屋着からパジャマに着替えるという行動を放棄してそのまま寝てしまうので、パジャマ属部屋着科ができただけである。パジャマ属パジャマ科は1組しかない。私はパジャマ属部屋着科ではなく、部屋着属部屋着科の枠を作りたかったのに何処かでとち狂ってしまった。

 このとち狂いの原因が、先日の友人の電話での会話で垣間見えた。世の中には、パジャマ以外の衣類で寝ることに抵抗がある人々がいるらしい。私やその友人から見れば、その人々の習性は不思議だ。その人々から見れば私らの平気っぷりが不思議だろう。私が着たまま寝ることに抵抗がある衣類は、シフォン地・ベルベット地・リボン付きの服か。共通点は、雑食の爪と毛に触れることで衣類がダメになる可能性があるから。ニット類で寝ることに昔は抵抗があった。毛玉ができるから。今は平気。なんでこうなっちゃったんだろうなあ……と嘆いてみる。以前他者から、ジーンズを穿いたまま寝ると疲れる、という話を聞いた。不思議だった。私は疲れないから。きっと慣れているからだろう。子供や旦那の、脱いだら脱ぎっ放し、という行為に苛立っている主婦は多いようだ。うちのも脱いだら脱ぎっ放しということは多く、私の虫の居所が悪いときはやはり苛立つ。けれど、うちのからすれば私の、着たら着っ放し、の方が苛立つらしい。何故着替えないのか、と。洗濯物を増やしたくないからである。電話で話した友人に指摘されて気付いたのだが、私の生活基準軸は、如何にして洗濯物を減らすか、にあるようだ。思い当たる節は数え切れない程にある。話を整理。
 希望:いろんな服を着て楽しみたい。
 課題:入浴及び部屋着類部屋着科枠の設定。
 問題:洗濯物が増える。
解決の糸口を探してみる。私のワードローブを考える。部屋着類部屋着科枠に入れられそうな衣類は、カジュアル服がメイン故に多い。パジャマが1組しかないことは問題だろう。パジャマを増やしたい。しかし近隣に可愛いパジャマを取扱っている店は少ない。あるにはあるが、パジャマに大枚を払う余裕はない。ツモリのスリープシリーズやキッドブルーの存在は、空しくなるので記憶の彼方に追いやる。手持ちの衣類の中で、パジャマ属パジャマ科を何組か設定しよう。それから部屋着属部屋着科を設定。コンビニなどの近所に出掛けるときはカジュアル属近所用科の衣類を。部屋着での外出はダメ。其々の枠組みを乱す行為は厳禁とする。これでどうだ! この行動に準じれば入浴や洗濯物基準の生活習慣を改善できるのではなかろうか。近々、各属科の衣類リストを作成しよう。……作製した時点で気が済みそうなのは、きっと気のせいだ。
 現在、4月15日。

 スティラの限定パレットのひとつがブルーベースには合わないことが発覚。これで6500円浮いた計算に。その分で何を買……ってはならない。物を増やさないようにしたいのだから。某ネットオークションでいいことを発見。いい物であり、いいこと。一澤帆布の2ウェイバッグが出品されていた。このバッグの色違いを私は所有している。買ったものの持て余し、家用靴下入れとしていた。元々サイクリング・リュックとして購入したものであり、紐を結びかえることでトートにもなると初めて知った。出品画像を見つつ結び変えてみると、手頃な大きさのトートに変身。これでまた幾らか浮いた計算に。は、ならないのだ。出品されているのは白、私が持っているのはベージュ。白い鞄を持つのには、かなりの勇気が必要だと思う。鞄や靴に於いて、白は極力避けるべき色だと最近迄考えていた。汚れ易いから。けれども春めいてきて、これを書いている今、七分袖ババシャツ+ネル素材のパジャマ+カウチン+毛糸の靴下姿な私が書くのも可笑しな話だけれど、やはり薄い色や淡い色や爽やかな色にときめく。薄い色の靴は克服。履く日・履いて行く場所に気をつければ、思っていた程には汚れないことが解った。次は鞄だ。持ち方・置き方に気をつければ白でも大丈夫ではなかろうか。杜撰でずぼらな性質を棚に上げて、ではなく、この手の好からぬ性質を克服する為にも、白い鞄の使用はいいきっかけになりそうな気がする。それに帆布素材ならざぶざぶ洗えるし。既に入札が入っている白バッグ。高騰しなければ買ってしまうのだろうなあ。

 昨日、友人と数回のメール交換をした。それから暫くして、その友人から電話がかかってきた。黒猫の小悪魔定義はどうなっているのだ!? とのこと。この友人も他の友人も、どうも私とは違う小悪魔定義をしているらしい。彼女ら曰く、小悪魔はスレンダー。逆だ、逆。私の理想小悪魔は肉感的なんだって。電話で話した友人と私の共通点は、背が低いこととパーソナルカラーが同じという位。身長以外の体型は正反対だ。故にか何なのか、会話をするとお互いにないもの強請りになる。まず最初のメールを出したのは私だった。昨今、雑誌を見ているとランジェリーテイストの衣類掲載が目立つ。その畳み掛け具合は、乳なき者は死ね! と言わんばかりだ。そこで友人に妬みメールを出した。彼女からの返信は、乳があればいいというものではなく二の腕との対比が大事だ、と。二の腕は触って摘まんでぷにぷにぽよぽよしているくらいの方が可愛く且つ女性らしくていいと、私は思っている。彼女は二の腕は細くてナンボと思っている。その彼女に今直撃している悩みがまた相容れない。彼女はトップスにシャツを持ってくるのが好きだと言う。羽織る使い方ではなく、きちんと前の釦を閉めて着るのがいいらしい。なのになかなか合うサイズがないとか。彼女はS〜Mサイズ。シャツは肩で着る物。そこに合わせて市販のシャツを購入すると、乳部分の釦と釦の間に隙間ができて、ブラが覗いてしまうことがある。それがイヤで堪らないらしい。私はそういうちょっとイヤらしめの着方がしてみたくて堪らない。私が彼女にした提案は、釦位置の変更。電話を切ってから思いついたのがひとつ。比翼のシャツならどうだろう。プルオーバー型は余り好きではないと言っていたけれど、比翼なら条件を満たした上で悩みが解決できそうな。問題は比翼シャツの少なさにあるが。彼女はせっかくの巨乳の持ち主なのに、ベアトップも好きではないらしい。勿体無い限り。着たくても乳がストッパーにならず、どうしても肩紐なりなんなりのある物でなければ私は着られない。彼女にしたら脚も細くてナンボらしい。標準からややぽっちゃり位の太腿の方が、チラッとスカートのスリットから見えたときにはセクシーだと思う。細いだけが取柄の肉付きが薄いのは脚に限らず、とかく貧相に見えがちなのだ。私の脚は身長を基準に考えると、標準くらいの太さだろう。しかし上半身が骨格も肉付きも薄っぺらいので下半身デブに見えかねない、何ともバランスの悪い身体の持ち主。更に女体を見る際の視点が男性的なので、上半身の薄さが悲しいやら情けないやら。

 別の友人との会話でも出た、この年齢に適した雑誌がない、という話も出た。ノンノはまだセーフらしいことを伝えると、彼女は驚いていた。私がセーフだと判断した基準。モノクロページで組まれていた実にくだらない占い特集。その中の表に誕生日を見る欄があった。後1〜2年の余裕を持って、生年月日が設定されていたからもう暫くはOKだろう、と。たまに読者を莫迦にしているのか的なものは別として幾ら着回し特集が役立つとはいえ、メイン・ターゲットの年齢からはオーバーしている。彼女と共に具体的な雑誌名を挙げつつ話し、やはり達した結論は、歳相応の雑誌だと価格設定が非現実的であり、価格設定が現実的な雑誌だと対象年齢が下がる。誰と話してもこの辺に行き着く。雑誌がなければ服を着こなせないようなファッション音痴ではないが、いろんな服を見るのは楽しいのだ。そしてその中で気に入った服が現実的に買えそうな価格だともっと嬉しい。springだのIn Redだの、歳相応のカジュアル路線を扱う雑誌を、私はたまに購入する。セレクトショップ系の服がよく取り上げられている。一桁間違っているような……。ノンノとspringの間くらいに位置するminiら辺でも高い。サイラスなんか店に足を踏み入れるだけでも緊張する値段だ。世の同年代の女性らは皆そんなに高収入か? それなら私や友人らの悩みは何なのか。また最近では美容雑誌と共に付録合戦も目につく。似たテイストの雑誌を物色するときは、どうしても付録のいい物に手が伸びる。先日コンビニで気になったのは、まだ1度も購入したことがないSweet。なんと付録がキャミソール! 次号はお揃いのパンツが付くとか。非常に気になったけれど、付録つきの雑誌という物は往々にビニールパックされていたり紐で縛られていたり。キャミの素材や質が判らない。表紙の付録写真を見た限りでは割と好みの色ではあったけれど、非実用的なキャミに払う金はない。Sweetそのものは私好みの雑誌ではないし。

 昔はこんな風に付録で雑誌を選ぶことはなかった。なのに何故美容雑誌やファッション雑誌だと付録重視の傾向が強まるのか。それは内容が似たり寄ったりであり、特に楽しみにできるような連載もないからである。選ぶ基準は、付録の質・街中スナップの多さ・着回し特集の有無くらい。殆ど役に立たないのはブランド特集。服屋の商品交換時期になると、各種雑誌でよく扱うブランドの新作をカタログのように物撮りで並べる恒例のアレだ。今季はこんなテイストなのねー、としか思わない。精々目の保養。これとこれを合わせて、これを重ねたら可愛いかな? などと考えてはならない。雑誌としてはそう考えさせたいのだろうが、考えたが最後、簡単にン十万の値段を弾き出せてしまう。そんな金、あるか! ファッション雑誌は金持ちの買う雑誌なのか? 金があるなら私だってラグシーやh.p.フランスやグレースで莫迦買いしたいさ! せめて前々から好きなツモリやスナオやズッカやギャルソン位は気軽に買いたい。何処もかしこも人気が出たら価格高騰。特にA-net系列。ギャルソンはシリーズが増えてから、少し安くなった気がする。それでも買えないがな。マルジェラとは言わない。イランイランとも言わない。せめてケイタのお洋服をプロパーで買ってみたい。しょぼい。しょぼ過ぎる私の財布の中身……。

 雑誌名表記がノンノのみカタカナなのは、これ迄の日記でもそうだったから。他意なし。
 ここ最近、ツキがない。麻雀で負け続けている。リアルでの雀荘の話ではなく、ネット雀荘である東風荘での話だ。昨日は白・中をポンしている相手にまさかと思いつつ河に1枚發が出ていることのみを頼りに切ったら……大三元命中。ちゅどーん。東風荘では三麻ばかりをしている。4人麻雀でかかる時間がネットを介してだととても長く感じるからだ。それでも雀荘でメンバーをしていた頃は、リアルでは四麻・ネットでは三麻と使い分けられていた。今の私は三麻専門。リアルで4人麻雀をやったとしても勝てる気がしない。混一と一通が得意になり、三色を作ることが気の遠くなる作業に思えてしまう。こんなところでもフツーのニチジョーへの復帰への不安を感じる。三麻専門の雀荘があれば……ってあったところで行く金はないのだが。雀荘にフリーで入る。卓に着いた当初は相手の強さが解らない。しかし東風荘ではRという麻雀偏差値のようなものが最初から表示されており、相手の強さが数値として把握できる。これがまた悔しい。自分よりRの高い相手に負けるのならまだ納得もできるとして、低い相手に負けると悔しさ倍増。登録して最初に与えられるRは1500。私は今、それよりもほんの少しだけ高い値で行ったりきたりしている。一時期は1600迄上がったけれど、どう考えてもあの時期にツイていただけであり、その数値は私の実力を表したものではなかった。そもそも私は麻雀が下手なのだ。メンバーとして働いていた頃にお客さんにもらえた褒め言葉は、真っ直ぐな麻雀を打つね、だった。要は河を気にせず、自分の作りたい役にまっしぐら、ということであり、いいカモだった訳である。私が打っていたのは点5のみ。ピンになるとレート負けしてしまうからだ。そして所謂ギャル雀ではなく一般的な雀荘だった為、卓代も負け分も自腹。週に5日、出勤日は約8時間働いて月給1万円。1年弱働いてうちのから、それは働いているとは言わない、とのお達しが出て辞めた。趣味を仕事にするのは諸刃の剣である。特に賭博関係は。

 さっき昼寝をしていて夢を見た。閉店間際のパチ屋に1000円札一枚を持って入り、台を探して店内をうろうろするという内容だった。好きだった仕事人シリーズは全て撤去されており、なにやら知らない台が大半を占めている。海物語は残ってはいるものの釘の配置がかつての海物語りシリーズと全く違うリニューアルした物ばかりだった。現実には、先日映画に行くときにパチ屋を覗いた限りでは私が打っていた海物語は健在だったのに。夢の中で台を探している間に店は閉まってしまった。ハイ、帰った帰った、と言われんばかりの追い出されっぷり。閉店間際だったから仕方がなかったけれど、あわよくば何処かの台に5分でも腰を落ち着けて確変を引いて保障分をもらおうと目論んでいたのだ。夢の中でも私は浅ましい人間だった。雀荘通いはもとより、パチ屋からも足を洗って既に半年以上が経つ。普段の生活の中で博打欲求に駆られることは殆どなくなってきた。なのにこの夢。私は番地欲求が消え失せた訳ではなく、無理矢理押さえ込んで生きているのかもしれない。自分の稼ぎがない現状で博打はいけない。半年ちょっと前にパチから足を洗ったのは、うちのの貯金を使い込んだのがバレたからだ。稼げるようになる迄、このまま欲求を押さえ込んで生活しなければ、と夢を見て改めて心を戒めた。元々パチは好きな賭博ではないし、東風荘があるのが救いだ。

 某ファッション雑誌を捲っていると、春の新商品としてサイラスのペンダントがふたつ掲載されていた。そのうちのひとつのモチーフがチーピン。欲しい! 猛烈に欲しい! が、一体チーピンモチーフのペンダントをつけて何処に出掛けるのか。思いつくのは雀荘だけだ。麻雀をしない婦女子ならただのモチーフとして捉えられようが、麻雀好きな私にはチーピンはチーピンでしかない。ペンチャン待ちうずうずの対象でしかない。……私がつけるととても邪悪な念が篭りそうである。購入は見送るのが吉とみた。それにしても。牌をモチーフにしてくるなんて、ファッション業界もいよいよネタ切れなのだろうか。一般的に賭博は良からぬものという風潮が未だ根強い。それを敢えて持ってきたのは何故か。サイラスのデザイナーが雀キチという可能性もなくはないけれど、それでも精々モチーフにするならイーソウだろう。チーピンにした理由が解らない。そんなことを詮索することが野暮なのは承知。でも麻雀好きには気になるものなのだ。昔、ファビラスラフインで取った馬券を換金し、馬モチーフのシルバーピアスを購入したことがある。今もたまにつけている。馬モチーフはアリだと思う。エルメスだって元は乗馬道具屋であり、今も馬モチーフは健在だ。けれどチーピン……。同じ賭博ながら、そこには大きな違いがある。

 同雑誌を見ていて、気になった商品が幾つかあった。その中のひとつが、赤ピンクのタンクトップ。プリントは煙草を吸う猫のシルエット。かわいい。チェーンスモーカな私は、PCに向っているときと賭博に熱中しているとき、煙草の本数が異常に増える。煙草とは、集中力を要するときにその場から離れずに気を逸らす道具でもあるのだ。そのタンクトップも手が出ない値段ではない。欲しい。ネットオークションやフリーマーケットや店頭とは違い雑誌を見ながら、この服またはアクセサリーが欲しいなあ、と考えるとき、さてこれを買ったとして着たとして何処に出掛けるのが相応しいか、と考える。チーピンネックレスをつけたら、きっと迷わず雀荘に足を向けてしまうだろう。喫煙猫のタンクトップでも何処かしらの鉄火場に行ってしまいそうだ。……雑誌を参考に服装を考えるのは私には適していないのかもしれない。ああ! そうだ。服は暫く買い控えようと去年決めたではないか! 先日のフリマで早速破ってしまったけれど。また衣類を処分しなければ、と先日の日記でも書いた。今、処分を考えている衣類。毛足の短い起毛素材の服を幾つか。小動物がいて掃除も余りせずという家に於いて、その手の素材の服を綺麗に管理することは困難だとやっと気付いた。そのうち片付けよう。そのうち……。
 現在3月21日。

 1月に作成したみっつのピアスホール。完成したのはまだひとつのみという情けない現状。しかもその完成ホールが作成時に思いっきり斜めになってしまったホールだというのが奇妙だ。斜めに貫通したということは、垂直に完成した部分よりも傷となった部分が長く治癒に時間がかかるのではないか。なのに斜めのだけが完成。もうふたつのホールからは微量ではあるけれど未だ分泌液が出ている。その分泌液に因る汚れの洗浄にハンドソープだけでなく精製水と綿棒を用いている。綿棒に精製水を浸し、キャッチを外して汚れを拭き取り、ホール裏面を洗浄、ピアスを動かして前面も洗浄。当然、ポストの部分も拭く。ほぼ毎日このようにしているのが逆効果なのか。ときにはピアスを丸ごと外して本体とホール全体を精製水で綺麗にしている。そして再度装着するときに薄皮しか張っていないホールを傷つけてしまい、出血してしまったりしている。そろそろテラマイシン軟膏の使用も考えた方がいいのかもしれない。完成したホールは今回の複数ホール作成の中で最も早く空けたもの。だから治癒も最も早かったのかとも思う。しかしそれにしても数日しか違わずに作成にしたもうふたつの治癒が遅すぎる。作成日以外の違いはファーストピアスの素材だ。完成したホールに装着していたのは18K鍍金。未完成ホールに装着しているのはチタン鍍金。今は金をファーストピアスに使用するのは良くないとされており、チタンかサージカルステンレスが推奨されている。ならばチタンの方が早く完成して然るべきではなかろうか。それとも鍍金の質が悪過ぎるのか。素人なのでそこ迄は見極めがつかない。

 他の要因として考えられるのは、寝るときの姿勢である。私は仰向けで寝るのが子供の頃から苦手であり、右腕を枕の下に伸ばした状態で枕の上に右耳を乗せて寝るか、左側面を布団に横たえて寝るか、どちらかの恰好になる。治癒していないホールはふたつとも右側だ。寝入り端は上記の姿勢の確率はほぼ半々。寝ているときの姿勢は自覚がないのでうちのに訊いてみたところ、後者の姿勢で寝ていることが多いらしい。どういうことだ。左ホールには一般的悪条件が揃っており、右ホールには好条件が揃っている。なのに早々に完成したのは左ホール。左ホールにも普段はまだファーストに使用したピアスを装着していることが多いけれど、SV925ピアスに付け替えても異常はない。右ホールは不安定故に不安で、洗浄時に外すことはあっても他ピアスに交換できない。が、この状況に於いて鳥頭の私に思い付く要因はひとつ。もしかしたら私の体質にチタンは合わないのではないか。安全だと言われているチタンやサージカルステンレスもシルバーやゴールドなどの他金属に比較しての話であり、万人に合う訳ではなく稀に金属アレルギーなどの拒否反応を起こす人もいるらしい。私はその、稀、な体質なのかもしれない。ホールを作って2ヶ月程経っている。日々ピアス交換をしたい欲求は高まってきており、同時にこのままチタンを付け続けていいのかとも考え始めている。

 今迄どんな安物のピアスを付けても被れたりしたことはなく、自身に金属アレルギーがあるとは思っていなかった。チタンにアレルギーがあるかどうかも憶測の域を出てはいない。確実なのは皮膚科でテストしてもらうことだけれど、そうなるとまずテスト以前にピアスを外せという指摘を受けるであろう。スタジオならホールを残すことを前提に善後策を考えてくれるかもしれないが、ピアッサーで空けたホールなので診てもらうことに躊躇してしまう。イヤロブならまず大丈夫だろう、というピアッサー使用にあたっての見通しが甘かったのか。苛立ちの持って行き場がないのがもどかしいったらもう。ともあれ、折角痛い思いをして作成したホールを易々と埋めてしまいたくはないのは人情で、自力で案を講じなければならない。普段の寝易い姿勢を無理矢理仰向けに変えようとすると、きっと不眠が悪化してしまうだろう。洗浄を控えるのも、これといった根拠はないけれど何か違う気がする。そう考えていくと、行き着く先は18Kピアスへの交換だ。未完成ホールはふたつ。ファーストに使うゲージの大きな18Kピアスは、右耳のホールを作成したときのひとつ。学生時代に皮膚科でホールを作ったときのファーストふたつは処分してしまっている。ひとつのピアスでふたつのホールをフォローするのは不可能だ。

 太目のゲージにさえ拘らなければ、18Kピアスは幾つも手元にある。PTピアスもある。このゲージを諦めて細目のピアスで完成を目指すのが堅実なのだろうか。私のピアス熱を再発させた、友人の私のホール作成時期と前後して作ったホールは完成したらしい。彼女のホールのひとつは、通常ファーストとしてはまず使われない細目のピアスで完成させられた。細目ゲージのピアスでホールを作ることへの不安は、太目ゲージのピアスで作るホールよりも閉じてしまい易い点だ。今のところ、この問題はクリアされているらしい。今回の私のホール作成で、ひとつのホールを昔親にもらったセカンドピアス専用にしようと考えていた。セカンドピアスはふたつで一組になっているもので、できれば毎日寝る際には右耳のホールにファーストを入れて今のゲージを保ち、時にはひとつだけでなく一組として並べてつけられるようにしたかった。それを断念しなければならないのか。若しくは一般的にファーストで用いられる18Kピアスをもうひとつ購入するか、一旦細目ゲージで完成させてから拡張していくか。前者は金銭的に少しだけとはいえ痛く、後者は明らかに肉体的に痛い。痛いのは避けたい。やや大胆な発想になるけれど、そのSV925のセカンドピアスを使ってホールを完成させてしまうことはできないだろうか。学生時代もホールの完成を待たずしてこのセカンドを付けていたことを思い返すと、丸っきり不可能ではない気がする。なのに思い切れないのは、ピアスに関して当時よりも遥かに多くの知識を身につけてしまったからだ。今月一杯現状保持で様子を見て、ダメならセカンドに付け替えてしまおうか。
 現在7日。

 少し前にフリーマーケットでライヴ用に袴を買った話を書いた。買ったときはライヴ用だから上はバンドTでいいや〜と思っていたのだけれど、ドラマー脱退につき次のライヴはいつになることやら。今月頭にオフィシャル・サイトが更新されており、すわ新ドラマー決定か? と思いきや、愛しの君の別バンドのライヴ予定が組まれていた。そのライヴは明日。当然ながら激しく行きたい。今回の告知では出演予定時間迄がご丁寧に書かれていた。今迄は日時だけだったのに。前回のように酔っ払って救急車の世話になるバカが出ない為の対策か? と思った。真相は知らないけど。で、思った旨と行きたい旨をうちのに伝えると、物凄い勢いで莫迦にされた。自意識過剰! はい……。命張って目立って同じ小屋にまた行くのか? そうですね…。暫くライヴは自粛しようとは思わんのか? 仰せの通りでございます……。でも観たいし聴きたいんだよ! 今回のバンドは今迄小屋に予約を入れても毎回なんだかんだで行けなかったブルースのなんだよ! でも確かに前回倒れた小屋に行くのは恥ずかしい。どうしたものか。明日うちのが休日出勤するなら行こうかな、とやはり諦め切れない。客層も前回私が倒れたときと似た感じだろうし、羞恥心は確かに刺激される。でも手拭い巻いて行きたいなあ。明日の夕方迄悩もう。

 と、上記のように今回は袴が活用できるメイン・バンドのライヴではない。袴が日の目を見られるのはいつだ? と考えてふと思った。上に和服を着れば普段でも着られるじゃないか。私が和服を着た記憶があるのは、七五三・成人式の記念写真・卒業式の3回。全て他者に着付けてもらったので全く知識はない。知識どころか七五三は記憶にないし、成人式の記念写真は撮りたくない・着付けが苦し過ぎで本気で泣いてしまい泣き顔の写真しか残っていないので封印しているし、卒業式のときは谷崎の書いたナオミのイメージ再現。興味を持ったらすぐ検索。うへー……。和服と襦袢と帯があればいいってもんじゃなかったのか。半襟だの、単だの、袷だの、道行だの、単語しか知らなかった物がわらわら出てきた。なんで廃れてきたのかよく解った。洋服に比べて着付けが面倒だから、洋服に比べて高価だからだとしか思っていなかったけれど、それ以外にも廃れて然るべき事情がこうもあったとは。着物の選び方や帯の結び方ひとつでも同好の士と思える人たちの間で着物や人そのものへの値踏みがあったり、買おうと思っても呉服屋の軟禁もどきがあったり。そりゃ二の足踏むわ。昨今、地味に流行っているアンティーク・リサイクル着物でも呉服業界の因習が根強く残っている模様。怖い怖い。

 以前、某大手チェーンの呉服屋でうちのが仕事の都合で男性用の和服一揃えをレンタルし、足袋を購入したことがあった。今回調べて初めて知ったことだけれど、悪名高き呉服屋だったらしい。悪評をいろいろ読む以前にかなり苛々させられた。一度レンタル+小物購入をしただけで2〜3ヶ月に1度のDMと電話攻撃に遭っていたのだ。DMは捨てればいいだけだけれど、電話には本当に迷惑した。最初の頃。呉服屋(仮名)の仮名(仮名)ですが、うちの(仮名)さまはいらっしゃいますか? いいえ。奥様でいらっしゃいますか? いいえ。お母さまでいらっしゃいますか? いいえ。妹さんでいらっしゃいますか? いいえ。お姉さまでいらっしゃいますか? いいえ。……どちらさまですか? おまいこそどちらさまじゃ! とは言わず、何でしょう? と慇懃無礼に。このたび当呉服屋でセールを云々。いえ、今特に入用ではないので。そうですか、では。何度か回数を重ねて、呉服(中略)セールを云々、用があればこちらから出向きますんで。そうですか、では。もう少し回数を重ねて。呉服(中略)セールを云々。今、忙しいんですけど。いつならご都合がよろしいですか? さあ……。夜ならよろしいでしょうか? 用があれば(以下略。最後。呉服(中略)何ですか? このたび当呉服屋で閉店セールを云々。あの〜。云々云々云々云々。あのですねっ! 用があればこっちから行くってこの間も言ったでしょ? そちらでは相手の都合も訊かずに用件を押し付けるように話すんですか? 相手の都合を訊いてから話し始めませんか? 用があればこっちから行くって何度も言ってますよね? ガチャッ!! このガチャッ!! は向こうのガチャ切りなのが凄い。相手の都合を考えずに話し始め、こちらが文句を言うと一方的に逆切れ。そりゃ閉店にもなるわ。

 しかし私が被った迷惑DM及び電話はマシだった模様。むしろレンタルと足袋購入という本来の目的のみで帰れたという当然のことが、非常に稀なことだったらしい。この呉服屋の手口。まず欲しい物を比較的スムーズに選ばせる。そして会計に手間を取る。比較的というのは他の呉服屋と比べての話。手間を取るのは手口。わざと清算を引き伸ばし、その間にセールストークを繰り出すようだ。客は欲しい物の金額を払い終えて商品を受け取る迄は店を出られない。その間にあれはどうですか、これもどうですか攻撃。他チェーン店だと、有無を言わさぬ反物ぐるぐる巻きの刑に処せられたりもするらしい。刑を逃れるにはキッパリとした意思伝達か、買います発言のみ。そりゃ客足も遠のく筈だ。なら大手チェーンではなく小規模なところならいいのかというと、そういう店はそういう店で敷居が高いらしく、一見さんはとっとと帰っとくれ、という対応が少なくないとか。また着付け教室にも多くの罠が。アルバイト商法やらマルチ商法やら。日本の伝統民族衣装である呉服。見た目は百花繚乱、中身は魑魅魍魎。芽生えた興味が一気に引い……ていなかったりする。リサイクルを上手く利用できればフルセット3万程度で揃えられたりもできるようだし、着付けも本やネットで学習しつつ独学でもどうにかなることを知ってしまった。しかもリサイクル呉服の豊富な街がさほど遠くない場所にある。ネットオークションで、とも思ったけれど最初はやはり見て触って買った方が安心な気がする。はんなりと着こなして淑やかな仕草で街を行き、家では割烹着を着て家事。いいなあ! と脳内妄想は止まない。問題は中途半端な今の髪型と金だ。私が無精者で嵌り易く飽き易いことはどっかの棚にあげたまま、どの棚か忘れた。ことにしたい。

BGM/アルバム「無限の住人」

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