何故ひとは100円均一の店に行くとやたらと買い物をしてしまうのだろうか。いつの間にかキッチンの下にホットケーキの素が3袋もあったりする。謎である。で、今日はきちんと買い物リストを作り、余計な物を買い込まないように気を付けつつ出掛けた。100均で買う物は靴の中敷のみ。だった筈なのだが、靴の中敷3組、靴磨き2つ、レトルトのカレーとハヤシ2パックずつ、炒飯の素、ソーセージ、なめ茸2瓶、敷物2種3枚、ガスコンロの下敷き、油跳ね防止用のガード、レンジーフードフィルター、箸、ペットシーツ、トイレ掃除用ブラシ、簡易座布団、椅子足カバー2種、はたき、ライター用のガス、室内用靴下3組。ここ迄は実用性があるのでまだ良し。今日のおやつにうっかり買ってしまったエンゼルパイとミルクセーキが悪かった。暫く食べてないなあ……と感慨深く買ってみたものの、美味しくなかった。特にミルクセーキ。サ○ガリアのミルクセーキはダメ。失格。今日の予定外の買い物の中で思わぬヒットだったのは簡易座布団である。ポリウレタンのシートが割れ物保護シートのように凸凹している代物。これ迄、PC用の椅子の座布団に、昔職場で使っていたユニクロのブランケットを代用していたのだが、昨今足元が冷えて仕方がなかったのだ。これで尻も足も温くネット依存が満喫できるというものである。などと書きつつ、大掃除を始めてからというもの、PCに触る時間が格段に減った。

 今日した掃除。布団を干し、居間に掃除機をかけ、散らかった物を処分及び片付け、毛布・布団を取り込み全てに掃除機をかけ、たまたま通りがかった廃品回収屋に歩いた方が早いという錆に錆びて錆び切ったチャリを持って行ってもらった。24インチなら無料、26インチなら500円。私のチャリは26インチだったらしく500円持っていかれたが、どこかに放置という形で処分するよりは、楽であり心も痛まないので良し。その後、上記100均とスーパーと八百屋に買い物に行き疲れたので、今日の掃除はこれだけ。100均での買い物は嵩張りはしたものの軽かった。スーパーの1階食料品売り場でも重い物は買わなかった。閑話休題。以前クレームをつけたスーパーでまた買い物をし始めた。自分への縛りを解く第1歩として。生活が少し楽になった。話は戻り、そのスーパーの2階でした買い物が悪かった。アイロン台を買ったのだ。前々から欲しいと思っていたので、100均での買い物によりついた勢いで買ってしまった。うちにアイロンはあるものの、アイロン台は長らく存在していなかったのである。私がひとり暮らしの頃に使っていたアイロン台はアイロン本体と一体化したものであり、壊れかけていたので今住んでいる場所に転がり込む際に処分した。うちのが持っていたアイロン台は足がない物で、激しく使いづらく1度も使っておらず且つ何故かガスコンロの近くに保管されていた為、油汚れでダメになり2〜3年前に処分したのだ。因って私は4年以上アイロンかけというものをしていない。ハンカチなしでも生活はできる。シャツの皺も干すときにきちんと伸ばせばさほど気にならない。前々から欲しかったが、友人に英国式の生活を教わってから、無性にアイロン台が欲しくなってしまっていた。英国淑女は、常にアイロンかけされた衣類や小物を身につけていそうだからである。来年は英国淑女になるのだ。英国淑女とか言っている時点で、莫迦日本人確定なのだが気にしない。最近の日記で私はしょっちゅう、気にしない、と書いている気がする。パキ効果だろうか。

 パキ効果で生理痛もかなり軽くなり、抑うつもややマシになり、いいこと尽くしだ。そんなパキのお陰でか生理にも負けず、明日の夕飯作りをしている最中。今夜の夕飯はまだ作っていない。昨日も書いたようにタンシチューが明日のメインディッシュであり、それは最低でも4時間煮込まねばならないのだ。その間に付け合せのサラダやらにんじんのグラッセやらを作り、安い物ながらも用意した誕生日プレゼントを日付が変わった時点で渡すか、明日の夕食時に渡すか悩みつつ、この日記を書いていたりする。煮込みは時間はかかるが、手間そのものは余りかからないので大好きだ。しかもこのタンシチュー、入れた野菜はたまねぎとにんにくのみ。野菜を切る手間迄省けている。素晴らしいメニュー。却って付け合わせの方が手間暇がかかっている。少しタンが焦げてしまったが、本当に少しなので気にしない。ほんの少しの焦げよりも、煮込んだ後にちゃんと皮が剥け、スライスできるかどうかの方が問題だ。レシピによるとブロックのタンには皮がついているらしい。そしてそれは普通なら下茹で後に剥くらしいのだが、私が参照しているレシピでは、下茹で後ではまだ剥き難いので4時間煮込んだ後に剥く、と書かれている。なので後1時間半煮込んでから剥くのだが、その皮とやらの存在がよく判らない。煮込みつつときどき混ぜてブロックの向きを変えたりしており、その都度見ているのに皮ってのが認識できない。薄い物なのだろうか。謎だ。できれば私が購入してきたタンには皮がないものだと嬉しい。切る迄判らないのがじれったい。

 大きく話は逸れ、判らなくてじれったかったことが昨日今日とでひとつずつ解明されて、非常に清々しい気分である。ひとつは先日一緒にライヴに行った友人の鼻毛。食事中に友人の鼻から鼻毛が出ていることに気が付いた。しかし初対面であった為気後れが先に立ち、指摘できなかった。その鼻毛は気付いたらなくなっていた。友人も私も途中で席を立たなかったし、友人が私の目の前でソレを抜いた訳でもない。一体どこに行ったのか。もやもやして仕方がなかったので、昨日訊いた。本人も気付いていなかったらしいので、いつの間にやら引っ込んだのだろう。スッキリ。もうひとつは去年だか一昨年だかに流行ったブーツイン。パンツをブーツの中に入れるアレだ。激しく恰好が悪く、短足傾向の日本人には向かないと思っていて、私は今迄したことがなかった。今日初めてしてみた。意図的にした訳ではなく、パンツを履き、出かける際に新しいブーツをおろしたところ、そのブーツの口が広くパンツを外に出すと不恰好だったのでやむを得ずブーツインし、判った。パンツを外に出してブーツを履くよりも、ブーツインした方が格段に防寒性が高まる。皆、機能性重視で寒いからしていたに違いあるまい。ブーツインを本気で恰好いいと思っている日本女性の存在は認めない。ブーツインが様になるのは乗馬のときのみ。今日はパンツからスカートに履きかえるのが面倒でやむなくブーツインした訳だが、今後あのブーツを履くときはスカートに確定。処分する靴を見つけるべく、買ったまま放置していた靴を昨日今日とで2足履いてみたけれど、どちらも処分できない。昨日のパンプスは履き心地が良く、今日のブーツはまだ硬さが残っているが馴染みが早そうであり且つ馴染むと絶対に履き心地が良くなりそうな軍物だ。幅広甲高であり、踝の位置が悪いのか形が悪いのか、はたまたアキレス腱のあたりの形が悪いのか、なかなか合う靴が見つからない私にとって履き心地が良い靴は稀なので、これらは存分に履き潰そう。

BGM/「LIVE AAA 1998」、アルバム「二十世紀葬送曲」
 現在10日午前。

 うちのは終電に乗り遅れそうなときと喧嘩中を除き、ほぼ毎日、律儀に帰るコールをしてくる。私の声が聞きたいからではなく、コールをしておかないととっ散らかった部屋や夕飯の支度ができていない家に帰ってくる羽目になるからだ。昨夜のうちのからの帰るコールでは頗る機嫌が悪かったので、買出しと掃除で疲れていた私はうちのの帰宅を待たずに眠剤を投入して寝た。不機嫌だったのは、私がメールで今月の生活費の補填を頼んだからである。年末は物入りなのだ。普段ならばどうにか毎月もらっている生活費でやりくりできるが、今月は既に財布に数百円しか残っていない。大掃除の道具と洗剤で約10000円、明日のうちのの誕生日の夕食代に約10000円。働いていない私が、うちのの誕生日に豪華な物をプレゼントするのは何かが違う気がした。生活費は私が自由にしていい金銭ではあるものの小遣いではなく、そこから高い物をプレゼントするのは如何なものかと考えたのだ。そこで思いついたのが、豪華な夕食と手作りケーキ。手間暇で自分の稼ぎのなさをフォローしようと考えた結果がこれなのだが、思いついたメニューが悪かった。牛タン。スライスは比較的安価なくせにブロックは予想以上に高かった……。明日の夕飯はタンシチューとリゾットとケーキである。ケーキを焼くのは凡そ10年ぶり。しかし絶対に失敗はしない自信がある。デコレーションケーキを作る際の肝はスポンジの膨らみ具合だ。オーブンで焼くとうまく膨らまないことがある。炊飯器を使えば絶対に綺麗に膨らむので心配なし。炊飯器内釜の水分量の目盛の跡は残るが、生クリームで隠せるから気にしない。スーパーに買い出しに行き、驚いた。便利な世の中になった物である。電動ミキサーがないうちで、ケーキ作りにあたり最も大変なのはメレンゲの作製だ。時間もかかるし筋肉痛にもなる。けれど、陳列棚を見回すと、メレンゲ作りの必要がない、しかも薄力粉等の分量を測る必要もないキットが売られていた。迷わず購入。生クリームのホイップも面倒だが、便利な世の中には、既にホイップされた状態で売られているクリームも存在しており、私のような不精者にとって実に有難い。残る問題はタンシチューである。初挑戦なのでうまくいくかどうか。金がかかっているだけに失敗は避けたく、市販のルーを使う予定だが、さてはてどうなることやら。市販のルーを使うからには味に問題はないだろう。ネックはタンがちゃんと柔らかくなるかどうかだ。時間をかければ柔らかくなるに決まっている、と勝手に思っている。因って今夜から煮込み始める予定。凄い。私のくせに主婦っぽい。私の中に料理担当の人がいるかのようだ。いや、いない。反語。

 昨日は久々に通院した。調剤薬局でカルテを確認してもらったところ、前回の通院から約3週間空いていた。週一ペースでの通院なのにこんなに空いたのには理由がふたつある。ひとつは入浴不全によりばっちくて外に出たくなかったから。もうひとつは親が主治医の元へと再襲撃をかけるのに鉢合わせるのが怖かったから。あれ以来、親は主治医の元には行っていないらしく一安心。主治医曰く、あのくらいの歳になってしまうと頭も堅くなり、また意固地にもなるので精神療法が効かない。ということは、やはり主治医の目から見て私の親は治療の必要な人間だったのだ。今後はあの親はいないものと思って来ても追い返し、私の治療のみに専念して欲しい旨を伝えると、追い返すことはできないと言われた。追い返すこと自体は可能ではあるけれど、そうすると形を換えて黒猫ちゃんたちのとこにまた攻撃が向くよ、と。だから今度は来ても大平元首相のように対応すると言っていた。あー、うー。いい主治医である。「症例A」を読んでから気になっていた、私のDIDの可能性について訊いたところ、否定された。やはり中の人などいないのだ。安心。私の主治医はDID患者を診たことはないらしい。しかし、存在の否定はしていない。これは少し意外だった。日本では未だDIDそのものへ懐疑的な認識がある。失礼ながら、私の主治医もDIDに懐疑的な医師だと思っていたのだ。主治医の専門が統失だからDIDへの認識は進んでいるのかもしれない。話を戻す。養子縁組解消届に判を押して以来、親から私への連絡は一切ない。私からも連絡していない。親は主治医からの4者面談の知らせを待っているのかもしれないが、知らん。親を除く主治医もうちのも私もそんなものは望んでいないのだ。勝手に待ってろ。衣類は処分中なのでもう送ってこなくても構わないけれども、書籍類にのみ未練が残っている。のみと言いつつ、ツモリのコレクション・ラインの一点物スカートとA/Tのジャケットとギャルソンのスカートとジルスチュアートのワンピースだけは衣類も名残惜しいが……。

 昨日した掃除。キッチンの蛍光灯の笠の拭き掃除、カーテンの洗濯、エアコンと衣類ラック・テレビ・その隣の棚の下への掃除機がけ、雑誌類の整理。一昨日窓の掃除をしたことで、うちは格段に明るくなった。今迄暗かったのは日当たりの悪い部屋だからだとばかり思っていのだが、それだけではなかった。恐るべし、脂による茶色いフィルム。今のうちは明るい。採光性に問題なし。カーテンを洗濯したことで更に明るくなり、また蛍光灯の笠を拭いたことで夜も明るくなった。居間の蛍光灯の笠は椅子を使っても私の身長では届かないので、うちのに掃除してもらう。雑誌類の片付け。4年分以上の噂の真相を思い切りよく一気に処分。nonnoとminiは最新2冊を除いて必要な部分のみスクラップして処分。美的もスクラップして処分。その他の雑誌は自分が執筆した物を除き全て処分。スッキリ。書棚から溢れていた本が全て収納できた為、床の散らかり具合がかなりマシになった。思えば昔、噂の真相とガロと競馬ブック以外の雑誌類は全くと言っていい程に買わなかった時期がある。雑誌は古くなる物、と考えていた時期だ。これからはほぼ毎号買っているnonnoとmini以外はなるべく買わないようにし、買っても1ヶ月以内にスクラップして処分することにしよう。去年、毎月Voceと美的を購入していた時期があったのだが、まあ溜まること溜まること。雑誌も書棚に入らなくなったら処分時期である。今更ながらの学習。

 私の大掃除の様子を見て、うちのに、何か読んだの? と訊かれた。うちのは私が何かの行動を起こすときは本や雑誌やサイトの影響を受けてのことだと思い込んでいる節がある。確かにそういうことも多いが、今回は違う。うちのに掃除を頼まれたのがアドレナリン大放出のライヴ翌日だったからだ。強いて何かの影響を受けていると言うならば、友人が読んだという、英国式生活の方法、だかなんだかそんなタイトルの本の内容を聞いたことに起因する。その本に書かれていたこと。大掃除は掃除・片付けが下手な日本人特有の風習であり英国人はもっとこまめに掃除や片付けをしている、英国人は衣類を余り所有せずにアクセサリ類で雰囲気を変える術を身につけている、など。英国云々を抜きにして、確かにそれは理想的な生活方法ではある。来年からは私は英国人になろう、と思った。そして大掃除をしなくていい生活に。英国人になるにあたって問題がひとつある。英国は食事が不味いことで有名な国だ。食文化には日本の味を残したい。
 現在9日に日付が変更したばかり。

 観念的な考えごとの諸々を書くつもりでレンタルした日記なのに、ここのところ本当に日記になっていて変な感じである。日記がこれだけ続いたのは生まれて初めてであり、驚くに値する。私の中に働き者の日記担当の人がいるかのようだ。そんな人はいなくて、これを書いているのは私自身だけれども、この数日、私とは思えない働き者っぷりを発揮している。いつ迄続くか見ものだ、と他人事のように言ってしまいたくなる程に働いている。3〜4日かける予定だった衣類整理は、一昨日で9割方済んでしまった。昨日は昼頃に起き、薬局とコンビニへ掃除に必要な道具や洗剤を買いに行き、軽く昼食を済ませてからひたすら掃除。まるでポン中の中の人ように掃除していた。ポン中では例えが悪過ぎるので、ダスキンの中の人とか便利屋の中の人としたい。数日前に作った予定表では、今週は衣類・雑誌整理週、来週はキッチン掃除週、再来週は居間・玄関掃除週だったのだが、その予定表は昨夜改変され、また今夜改変した。最初に作った予定表・2改予定表、所詮は掃除慣れしていない人間の机上の空論でしかなかったのだ。まず場所毎に掃除をしようという発想が間違っていた。他の人にとってはどうだか解らないが、私にとっては使う洗剤毎に分けた方が効率が良いらしい。

 という訳で、窓の掃除から取り掛かった。うちにある窓は5箇所。ダスキンのサイトで描かれていた形に洗剤を吹きかけ、乾いた雑巾で拭いていく。雑巾2枚が文字通り茶色く染まった。うちのも私も喫煙者なので、茶色は全て脂だ。私も喫煙するのでまだいいのだが、世の、旦那は喫煙するが自分では喫煙しない主婦にとって、この雑巾の染まり具合は非常に遺憾ではなかろうか。家に喫煙者がいなければもっともっと雑巾の染まり具合はマシだろう。そもそも汚れるだけであり、染まったりはしないだろう。窓拭きと同じ洗剤を使う鏡も拭く。うちにある大きな鏡はみっつ。また雑巾が1枚茶色く染まる。この家は狂っている。こんなに茶色い家があっていい筈がない。そして雑巾3枚を見て、大掃除の予定に組み込んでいた壁の拭き掃除はやめることにした。雑巾が何枚あっても足りなくなるし、壁に取り掛かったが最後、他のことは何もできず、壁の綺麗さも不完全なままで年越しすることが明白である。壁は埃を払うに留め、引っ越す際に掃除の業者に頼むことに決めた。自分ではやりたくない。時間もかかるし、手も荒れる。既に手が荒れてきてしまっているのに、壁掃除なんてもう考えたくもない。窓と鏡の掃除を取り敢えず終え、不要な不燃物の処理に取り掛かる。

 どれにも思い入れがなかったので、さくさくと選別できた。この選別には以前どこかのサイトで見た、1ヶ月使っていないものは捨てる、という方針で行った。選別にあたり、戸棚や引き出しを開けて物を見回す。記憶にない物が多くあったことに驚いた。1ヶ月どころの話ではなく、4年以上使っていないものもあった。ホームレスの炊き出しに使われるようなアルミの小さな鍋やら、何かの引き出物であっただろうと思われるYumi Katsuraと背にネームの入ったスプーンやら。うちのも私もホームレスでも桂由美でもないので迷わずゴミ袋へ。スプーンが引き出物と思われたのは、桂由美がブライダルを主に扱うデザイナーだからである。友人知人の名ではない。鍋だのスプーンだのと判別できる物はいい。訳がわからないトレーのような物、蓋のような物。清水義範の「バールのようなもの」を髣髴させられたが、うちで発掘された、のような物、の中に凶器になりそうな物はなかった。そのもの性を喪失している物も即ゴミ袋逝き。タッパー類もやたらあったので、半分くらいに減らした。その中のひとつに、一時期よく使っていた物があった。何を入れてもいつの間にか中身が乾燥してしまうので、次第に使用頻度が落ちた物だ。よく見てみた。蓋が割れていた。洗っているときに気付かなかったのか。気付かないのが私らしさである。自分らしさは大切にしたいが、こんならしさは不要極まりない。タッパー類はどれも形が違っていたので捨てるのにやや頭を悩ませたが、不可解なのは瓶類だった。何故同じ瓶が2種4つずつもあったのか。しかもそのうちの1種はどう考えてもうちから発生した空き瓶ではない。どこかで何かを貰ったときの瓶だろう。取り敢えずふたつ捨てた。もう1種はアオハタのジャムの空き瓶。これは、またうちで発生するに違いない空き瓶なので全部捨てた。

 その後、入浴がてら風呂とトイレの掃除。うちはユニットバスなので纏めてやっつけた。手始めにパッキン部分とシャワーカーテンに黴除去剤を大量に吹き付けて2時間弱放置。放置中にキッチンの格子棚を掃除。放置時間まるまる費やされた。油と脂と埃が頑丈に絡み合い、たった2段しかないのにウエットティッシュ1パックを消費。不経済ではあるが、雑巾を使うと厚みで隅々迄綺麗にできない部分なので仕方がなかったのだ。黴除去剤の容器には、数分後に水洗いしてください、と書かれていたので放置し過ぎである。それでも指示書き通りに水洗いして綺麗になった試しがないので今回初めて2時間弱放置してみた。この2時間弱には自分なりの根拠がある。衣類用漂白剤の注意書きに、30分放置、とよく書かれている。そしてその後に、2時間以内に洗ってください、とある。2時間を越えてはいけない理由が何かしらあるのだろう。なので2時間を黴除去剤にも適用してみた。結果。シャワーカーテンは今迄よりも綺麗になった。パッキン部分はダメだった。パッキン部分は壁同様に引っ越す際に業者に頼もう。黴除去剤噴射部分を水洗いしてから天井掃除。或る場所を掃除する際、上からやっていくのは定石である。うちのユニットバスの天井には茶色い水玉があった。地模様ではない。そんな悪趣味なユニットバスのデフォルトはこの世に存在するのだろうか。そんなことはどうでもよく、悪趣味な水玉の正体は脂である。うちのも私もトイレで喫煙する癖があるのだ。これらを綺麗にし、トイレのタンクや洗面台や浴槽の縁及び中のぬめりを洗い流し、壁のザラつきを消しゴム状のスポンジでつるつるに仕上げた。それからやっと自分自身を洗い、終了。私の入浴中にうちのが帰宅した。掃除した箇所をいちいち示し、どうよ? と言ったところ、別の箇所を指して、ここがまだ汚い、ときたものだ。これだからやる気を失くす。手をつけていないところが汚いのは当たり前ではないか。98点を取っても、100点ではないことに怒っていた親を思い出してしまうではないか。なので無理矢理褒めさせた。自発的に褒めることができるようになってもらいたいものである。と、ここ迄昨日1日の流れを書いたのだが、洗濯が漏れている。したのに、いつしたのかがハッキリしない。私の中の掃除担当の人がいつの間にかしてくれたのだろうか。そんな人はいない。どっかでやったのだろう。記憶になくてもやってあるのだから良し。今日はカーテンの洗濯と居間の普段掃除機をかけない部分の掃除をしてから久々の通院の予定。何度か主治医の元に行かねばと書きつつも行っていなかったのだ。昨日入浴したので、今日は堂々と出掛けられる身であり、明日こそは行く。通院に限っては、予定ではなく決定。怠け者の私が昨日これだけ動いたことにより、雨天にならなければの話ではあるが。

BGM/アルバム「黄金の夜明け」
 記憶に頼りその後現品チェックをしつつ、所持衣類リストを完成させてみたところ、おかしなことになっていた。あった筈のヴィヴィアンのオレンジ色カットソーがない。オゾンの黄緑色カーディガンがない。いつ捨てたのか記憶にないのだが、なくなっている服の色の傾向からして、自分がブルーベースだと知ったときに処分したのだろう。昨日今日とで、200枚程の服を捨てた。悲しい。悲しい。布地に鋏を入れるとき、我が身を切られるかのように痛かった。さよなら、マント。さよなら、モンペ。心を痛めながら処分し、残った衣類はどうにか収納スペースに納まってはいるものの、未だ無理矢理詰め込んでいる状態である。今月を衣類使い捨て月間とすることで、どうにか出し入れし易くなるくらいまで減らすのが目標である。残った衣類は約350枚。今月中に300枚迄減らしたく思う。今日は本気で、もう暫く服を買わない、と決めた。余り着ていないのに色褪せてしまった服に鋏を入れるとき、物凄くつらかったからだ。こんなにつらい思いをしなければならないならば、もう今ある物がダメになる迄いらない。そう思った。今ある服を丁寧に沢山着よう、と考えてネットオークションのウォッチリストに入れていた物を全て削った。当分は覗かない。予定ではなく、決定である。

 予想以上に所持衣類は多かった。今迄は漠然と多いなあ、と思っていただけだったが、実際に数えてみると550枚以上あった訳だ。単純計算で、365日洗濯の必要がない枚数である。ひとり分でこの数字は異常だ。昔自分が立てたスレッドの過去ログを読み返してみた。こんな数字を弾き出していた人はいなかった。そしてリストを作ってみて、世の多くの女性が呟くアレは嘘だ、と心から思った。私もよく言っていた言葉である。季節の変わり目に所持衣類の山を目にしながら、着る服がない。ない訳がない。流行に乗らない性質なので余裕で去年・一昨年の服が着られる。状態さえ良ければもっと前の物だって着られる。リストを作っていて実感した。かつてあれ程好きだったピンクハウスやパウダーの服は1着も残っておらず、定番もどきの服が多くなっていた。ピンクハウスやパウダーは、色柄によってこれはいついつのシリーズと、同趣向者の目には一目瞭然になる。ヒスやオゾンもその傾向はあるが、ピンクハウスなどに比べれば合わせられる服の幅も広く且つそのブランドのマニア的存在以外にも着られている服なので、さほど気にならない。因って着回し易い。ナショナルスタンダードやi.s、A.P.Cなどの無地物ともなると本当に融通が利く。いつだって手元に着る服はあるのだ。

 リスト作成のアドバイスをくれた友人に、まだ途中段階ではあったが、できたところ迄の私のリストを送り意見を聞いた。猫とさくらんぼプリントが多いのでは? と言われた。ふむ。ツイードがなんでこんなにあるんだ? とも言われた。ふむ。お説ご尤も。けれどどれも微妙ながらに違うのだ……。頭では解っている。引き篭もり傾向の似非主婦に必要なボトムは、デニムのパンツとスカートがそれぞれ1枚ずつあれば事足りる。極論すれば他は全て、余計、と言えてしまう。ずらーっと並んだリストを見た友人は、まずブランド毎ではなくアイテム毎に並べ替えた方がいいのでは? と言っていた。作り始めが記憶頼りだったので、ブランド毎になってしまった旨を伝え、一通りの書き出しを終えたら色毎・アイテム毎のリストも作る予定だと伝えた。取り敢えず無理矢理ながらも収納できる程度には減らせたので、色毎・アイテム毎のリストは、今回作らないだろう。作らないが、リストを眺めていると所持衣類の偏りが見えてきた。ボルドーとピンクがとても多い。今年意図的に増やしたグレーも目立った。花柄も多数。チェックが思いの他多かったのが意外だった。無地はグレーと同じく今年意図的に増やした分には、それほど色の偏りはなかった。が、グレーにしても無地にしても増やさなくても良かったのではないか? という疑念が湧いた。増やした分、ヴィヴィアンやオゾンの服が消えていたときなどに減らした筈であり、まあ似合わせ難い色が減るのはいいのだが、それを着回す方法を考えた方が金銭的に合理的だったのではないか、と。きっと気のせいだろう。考えると精神衛生上よろしくなさそうなので、気にしない。

 今回の衣類整理で学んだこと。鋏を必ず入れるべし。以前もオークション出品用などと謳って衣類を選り分け、出品用の物はデッドスペースに置いていた。これは余り効果がなかった。まず出品するのが面倒である。そして出品して売れた物はいいものの、残った物を1度着てから捨てようと考えていても、着てみるとまた愛着が湧いてしまったり、良い着回し方法が思い浮かんだりして一向に減らない。下手すると、これとこれを重ねて……あれを合わせたら可愛いかも! というような本末転倒な思い付きで、あれ、を買ってしまったりする。もういいや、と思ったら迷わず鋏。切ってしまえば、修繕名人でない私は諦めを付け易くなった。靴も減らす必要があり、よくよく検品してみたところ黴っぽくなっていた革靴や、ボアの禿げが発生していた靴があったので捨てた。30足以上ある靴の中でまだ履いたことがない物は、今月履いてみて歩き難ければ思い切り良く捨ててしまおう。衣類を処分したい者にとって、オークションやフリーマーケットは罠である。出品・出店迄に間が空いてしまうからであり、売れ残ることもあるからであり、上記のようなことになってしまう。思い立ったらすぐに動くべし。鋏を入れるべし。年末になると、今年を漢字一文字で表すと? というような話が出てくる。私にとって今年の一文字は、断。親との絶縁。衣類への思い入れとの決別。全てに決断が付き纏った。何とも嫌な年だった。来年は、祝、縁、慶などの漢字で表現できる年になればいいのだが、年末年始のうちのの実家への帰省が既に厄介事と成り下がっている今、不安は強い。負の力を断つことが今年の締めとなることを祈るばかりだ。

 タイトルは愛しの君が或る決断・決別をしたときに詩を書いたと言われる曲から。
 数学の成績は芳しくなかったが、子供の頃から表作りは好きだった。予定表や買い物リスト、所持品リストなど。リストはともかく、新年の目標同様に、予定表通りに事が進んだ試しはない。けれども久々に今日、今月の予定表を作ってみた。来週は衣類・雑誌等処分週間→再来週はバス・キッチン掃除週間→その翌週は居間・玄関掃除週間。合間にライヴの予定やクリスマスの予定を挟んである。ライヴの翌日は休養日とした。無理がないよう、1日の忙し具合が偏らないよう、ゆるく予定を組んだ……のだが、そもそも1ヶ月でうち中を掃除しようということに無理があるような気配である。普段掃除をしないので、いざしようと思っても何が必要なのかが今ひとつ判らない。なので検索してみたところ、ダスキンのサイトに行き着いた。そこでは場所毎の掃除の仕方・その場所を掃除する為に必要な道具などがとても細かく判り易く解説されており、大変勉強になった。が、掃除ってそんなに大変なのか。窓ひとつ拭くにも、より綺麗にする拭き方があるなんて初めて知った。他所のうちのひとたちは、それら全てを3日くらいでやっつけられるのだろうか。だろうな。大掃除に3週間を要する家の話など聞いたことがないから。予定表は作り終えたが、早速やる気が失せてきた。部屋や体が汚くて死んだ奴の話も聞いたことないし、いいや、もう。というのがダメだ。悪しき完璧主義の兆候。完璧主義克服の為にも今回の予定表は、その日の予定が全て終了しなくとも翌日に持ち越さずに、翌日は翌日として立てた予定に沿って行動しようと思う。物凄く精神的に負担になりそうだ。Aが終わっていないのにBを始めるなんて、本当に私にできるのだろうか。もやもやした気持ちを引き摺ってする掃除は、激しく効率が悪そうである。その日の予定を全てこなせればそれだけ片付いた・綺麗になったということであり、中途半端にしかできなければ完璧主義克服への第1歩として良し。頭では判っているのだが、だが、だがしかし。

 なるべく前倒しで予定が進むようにすればいい、と考え、まだ来週になっていないけれども衣類を片付けるべく、先日友人にアドバイスされた記憶の中の衣類リストを作製し始めた。まず思い出すのは高かった物・インパクトの強い物。……このリスト以外の物を捨てるということは、もしかして来年の私は、トップもボトムもインもアウトも柄物、というけったいなひとになりかねない罠。安価な無地の物が殆ど記憶にない。恐怖。柄キチガイになるのは嫌だ。衣装箱を開けて服を確認してしまった。あ、これはまだ着ていない、これもまだ着ていない(以下略。ダメ過ぎる。リスト作成にあたり、判ったこと。私の脳内の衣類収納スペースは、アイテム別ではなくブランド別で構成されていた。因ってどこのブランドかは思い出せないけれどもノーブランドではない衣類という物を書き出すのが困難であり、また思い出せる物が上記の通りということで途中でリスト作りをやめてしまった。月曜から実際に手に取りつつ選別する予定。手に取りつつ選別する為のコツを調べた。某巨大掲示板某板の過去ログから役立ちそうな物を選んで読む。ふむふむ、衣類の洗濯はそうすればより綺麗になるのか。違う。今知りたいのはそれではない。捨てる物と残す物の選び方だ。諦めてYahoo!で検索。役立ちそうなサイトを発見。2〜3年着なかった物は捨てる、というひとが多くいた。自分の衣類を見回す。殆どがここ2年くらいの間に買った物だ。捨てられないではないか。その前に着ていたものはどこに行ったんだろう。謎である。ネットオークションの出品履歴を見た。なくなったと思っていた衣類を出品・取引していたことが判明。もしかして、と思いくまなく出品履歴を確認。今年買って1度しか着ていないx-girlのカットソーはどこに行ったのだろう? 売っていないのになくなっているとは。また気に入らなかった物はなくなってくれても構わない、むしろ記憶にないうちに換金できいてるのは歓迎。しかし換金した訳でもないのに気に入っている物がなくなってしまったのには腹が立つ。自分の管理能力の低さに。

 役立ちそうなサイトを見ていたところ、同じように服を捨てられないひとも沢山いた。その中の面白かった意見。自分では捨てられないので家族に捨ててもらう。家族が、夫、子供、になっていたひとたちもいた。やはり捨てられない人間は他者の力を借りた方がいいのか。うちのに頼むか。前々から俺が捨ててやると言っていたし。けれども、うちのに頼むとユニクロと無印良品しか残らなくなりそうだ。うちのに真面目に意見を訊いた。真面目にというのは、普通に訊くとギャルソンやアナスイから捨てていけと言われるからである。で、真面目に訊いたら、ユニクロや無印から捨てていけば? と言われた。貧乏性で元値に拘るならば安価な物から捨てていけということだ。尤もだ。が、ユニクロのフリースがなくなったら私は就寝時に何を着ればいいのか。無印のリブニットがなくなったらモノトーン千鳥格子のノースリーブワンピースのインにできる物がなくなる。そして積み上げられた小さな衣装箱の一番下の段を全て捨てれば、とも言われた。そこには季節外れのパジャマやシビラの水着が収納されている。パジャマは家ではなくても構わないが、もし他所にお泊りに行くことになったときに必要だし、シビラの水着は値が張った。この、もし、や元値に拘るのが良くないと、nonno最新号の片付け特集に書いてあった。そこにあったチャート式のテストをしてみると、案の定私は勿体無い型の片付け下手だった。困った。実に困った。

 途中迄作製したリストを眺める。最も多かったブランドはcocueであった。アオザイが5枚以上。黒猫の本籍はベトナムか? というくらいにあった。次点でscolarかi.s。衣類の目立った特長は以前友人に指摘された花柄、そしてフリル物。シンプルな無地の物というのがトップス・ボトムス共に殆どなかった。いかん。このリストの完成は来週月曜の予定。月曜に取り敢えず所持衣類を全て書き出し、それを基に似通ったアイテムを削っていく予定。つもり。予定は未定にして決定に非ず。無印はともかくユニクロは処分。ユニクロの物はフリース類しかない。パジャマ・部屋着ランクアップ作戦。今後はユニクロフリースの代わりに45rpmのネルシャツとパンツ。……そんな贅沢が本当にできるのか? できない。自問自答。でもやるんだよ! と根本敬の描く村田の心意気で来年に挑みたい。年内に身につける普段着は全て捨てる。使い捨て上等。洗濯物も減らせて万々歳! コレを実践するとなると、捨てる物という前提で、年内は着替えなければならない。着替えそのものを放棄してしまいそうだ。そして初夢に勿体無いお化けが出そうな話である。
そして全身筋肉痛プラス風邪 もう だめ     ぽ

第一弾

2003年12月4日 その他生活
 現在、12月5日深夜。

 来年の目標を昨日立てた。
・2日に1度、最低でも週に2回は入浴する
・服を1枚買ったらその嵩と同量の服を捨てる
 できる範囲で構わないから。さだまさし。やや早めに来年の目標を設定してしまったので、鬼が笑って達成不可能になるかもしれない。それ以前に20代後半にもなって、いちいち来年の目標を立てているってどうよ? と思わなくもないが、長年恒例でずっと立てているので習慣になっている。毎年似たり寄ったりの目標を立てているのだが、達成できた年は無い。1度でも達成できれば立てなくなるのだろうか。ともあれ。このふたつは、昨日の行動から導き出された目標である。昨日から大掃除を始めたのだ。去年は大掃除をしなかった。その代わり、年が明けてからふたりで大掃除をした。私はしたくなかったので、うちのは大掃除をした、そして私は大掃除をさせられた、と書く方が正しい。今年は消極的な理由に基づき、自ら大掃除に乗り出した。1日で家中を掃除できる筈が無い。豪邸に住んでいる訳ではない。只の1DKなのに1日で終わらないのは、うちがとてつもなく散らかっていて更に激しく汚いからだ。

 大掃除のきっかけは、ネットオークションで購入したうちのの衣類が一気に届いたことと昨日掃除を命じられたことだ。掃除機をかける前にうちのの衣類が届き、私が開封した。そしてそれらを椅子の背に乗せたところ、雪崩が起きた。椅子の背には既に大量の衣類が積まれていたのだ。その殆どは私の服である。購入後、どんどん重ねていっていたのだ。クローゼットや衣装箱に片付けていなかったのは、不精だからではない。半分真実、半分嘘。嘘の部分は基本的に私は不精だからであり、真実の部分はクローゼットにも衣装箱にも新規衣類を収納するスペースがなかったからだ。雪崩が起きても普段ならば再び重ねて積んでいく。昨日はライヴの翌日だったので妙にやる気に満ちており、よーしこのまま片付けるか、となった。まず複数枚の衣類を掛けられるハンガー数本を買いに行った。帰ってきて掃除機をかけ始め、カーペットの上を綺麗にしてからクローゼットの衣類を全て引っ張り出した。因みに私に与えられている衣類収納スペースは、クローゼットは半間分、衣装箱は大きめの物が4つ、中くらいのがふたつ、小さいのが5つ。おまけに使わなくなった大きめの鞄の幾つかに服飾小物などを入れている。狭い場所から片付けをするのは一箇所済む毎に達成感を味わえるけれども、実は能率が悪い。因って一番大きなスペースであるクローゼットから取り掛かったのだ。

 とにかく嵩を減らしていかねばならない。それは、捨てる物と残す物を取捨選択することに等しい。まずは着古した物から捨てていこうか……どれも着古していない。いや、一度も袖を通していない物ばかり。入浴しない着道楽は無駄に衣類を持っているのだ。本当に文字通り無駄だ。無駄だけれども貧乏根性で捨てられない。だから来年はなるべく多く入浴しようという目標を立てた。目標は来年からなので、取り敢えず、目の前の服の雪崩の処理をしなければならない。遭難者を迎え入れる為にベッドを空ける病院看護士の気分。病人のくせに。着古した物はなかったので、どこかで引っ掛けて傷や穴を作ったり、脂で変色したりしている物から捨てていく。それだけで30枚程度捨てた。最も悲しかったのは、私が持っている衣類の中で最高値のコートに穴が開いていたことだ。年末か年始にでもオークションに出す予定だったのに。それにしても。何故コートが7枚も8枚もあるのか。ジャケットやブルゾンが10枚以上あるのか。夏物ワンピースだけで20枚あるのか。黒猫は一体何匹いるんだ? という量である。しかもどれも着ていないものばかりときたものだ。困ったので友人に電話した。私の仲良しの中で唯一、所持衣類の少ない友人である。彼女は貧乏でもないし服に興味が薄い訳でもないのに、不思議に所持衣類が少ない片付け上手なのだ。服を捨てる為のコツ。彼女がまず言ったのは、着古した物から捨てろ。定石だ。どれも着古していない旨を伝えると、目を瞑って手に触れた物から捨てろだの、衣装箱を数日外に放置して取りに戻ったときに残っていた服だけが君に縁のある服だだの。滅茶苦茶だ。けれどちゃんと最後にとても参考になるアドバイスをくれた。まず自分の所持衣類を思い出しつつ書き出してリストを作り、それを基に衣類をチェックし、リストから漏れていた物を捨てていけ。成る程! その案は素晴らしい。記憶に残っていなかった衣類は確かになくても困らないだろう。しかしそのアドバイスを貰ったときは既に23時を回っており、うちのの帰宅前に全てを片付けなければならない急かされた状況下。帰宅まで2時間弱しか残されていない。リストを作っている暇はない。今夜リストを作って明日捨てろ→でも今現在片付けている最中だから今夜だと所持衣類を覚えちゃってるよ→自分がそんなに記憶力のいい人間だと思うな。以上。尤もだ。因って今、クローゼットに入りきらなかったハンガーが、部屋のあちこちにぶら下がっている。雪崩遭難者はハンガーという非常用ベッドに等しい場所に移されたものの、ベッドが廊下に置かれているような感となった。これからリスト作りをする……筈だったのだが、もう死に体。予想通りにライヴでの筋肉痛がピークを迎えつつある。今、この日記の為にキーボードを打っているが実はかなりキツい。来週に……持ち越し……か? 肉体的に限界なのでいつもより少し短めの日記。

BGM/2000.10.29「青森ロック大臣」放送開始記念ライヴ

貧乏体質

2003年12月3日 食生活
 やはり風邪をひき、くしゃみ連発で目が覚めた現在12月4日午前。

 頭が重く、寒気が続き、くしゃみ連発、ハナミズずるずる。疑う余地は皆無。風邪だ。耳鳴りは昨夜のライヴの残遺症状だろう。電子レンジの鳴る音が遠くに聞こえるし、エアコンの動く音に至っては何も聞こえない。通常ならば一晩経てば耳鳴りは殆ど消えていたのに、今回はかなり長引きそうな悪寒。首に違和感があり、後ろに反らすことに怖さを伴う。普段は鳴らない関節がパキポキと音をたてる。脚には既に筋肉痛の症状が出ている。明日は全身筋肉痛必至。こんなに具合が悪いのに、通院がさぼり気味になっていた為、明日は主治医の元にも行かねばならない。今日はうちのに居間を掃除をするよう言われた。具合悪いんじゃ! とは言えずに了解した。ライヴやイベントに行く日の前後、私は普段以上に家事をする。うちのが稼いできてくれた金で、うちのが仕事をしている最中に、私はライヴで快楽を得る。そこにうちのへの感謝と申し訳なさが生じるのか、勝手に体が家事をする。ライヴ前には洗濯やキッチン・玄関の掃除と片付けをした。夕食も普段よりやや豪華になったりする。先日の豪華且つあっさりな夕食は、ふぐの湯豆腐及びその出汁を使った卵雑炊であった。あっさりが勝ったようで、昨夜のライヴ時の体調はまあまあ。体調不良とは腹具合のことだったのだ。

 私は日常に於いてジャンクな食べ物ばかり摂取している。コンビニやファーストフードで買えるお手軽な食事ばかりだ。それが日曜、うちのからうちのの親の意見を聞いた私はしょげていた。そこに降って湧いた、うちのからの有難いお言葉。焼肉でも行くか。行く! 即答。で、行ったのは近所にありつつも一度も行ったことがなかった焼肉屋。これが美味かった。食欲不振からは脱しつつある為、それはもうばくばくと食べた。うちのは魚の方が好きである。煮る・焼くは肉も魚も好き。けれど生魚はよくても生肉はやや苦手。私は煮る・生はどちらも好き。焼き魚の一部が苦手。骨を取るのが面倒だし下手だから。そんな嗜好の私は、焼肉屋に行ったら必ずハラミ・カルビ・タン・レバ刺しを注文する。入った店にレバ刺しがなければ、チッ、ハズレか、と落胆する。レバー克服のきっかけは数年前、ホステスをしていた頃に遡る。馴染みのお客さんが焼肉に連れて行ってくれたときのこと。レバーが苦手だと言う私に、まあまあまあ、と強引にレバ刺しを勧めてきた。相手はお客さんなので渋々食す。美味い! 焼いたのと全然違う! ぐにぐにじゃなくてシャキシャキ! 嵌った。それ以来レバ刺しは大好物となり、ニラレバなども好きになった。日曜に行った店は肉の質が良かった。レバ刺しも新鮮で美味。ふたりで3皿注文し、私ひとりで2皿分食べた。うちのは余り好まないユッケも1皿注文。ひとりで皿を抱えて掻き込んだ。希死念慮の強い精神病の嫁候補ということで、うちのの親は心配・反対をしている。我ながら、嫌な嫁候補だと思う。それが、生肉好きの希死念慮の強い精神病の嫁候補、となると嫌さ倍増。知られないようにしよう。只でさえ、うちのの家族と私は或るひとつのメニューに於いての価値観が大きく違うのだ。そのメニューとは鍋。私は相当仲のいい他者以外と鍋をつつくのが苦手なのだ。特に直箸なんて論外。よく知らない人の作ったおむすびも苦手。他人を汚いと思っている自覚はないのだが、これらを考えるとどこかでそういう意識が働いているのだろう。前回、うちのの実家に行ったときは私に気を遣ってくれて鍋は避けてくれた。下のお姉さんが、うちのと私が帰る日に言った独り言が忘れられない。今夜は鍋ね! ……私への嫌味か?

 ともかく焼肉。久々に豪勢な物を食してほくほくと帰宅した。そして味の感想を述べ合う。私が、美味しかったけどちょっと塩気が強かったね、と言うとうちのが、あんたでもそう思ったのか! と。うちのは薄味好きで、私は濃い味付けが好きだ。うちで台所に立つのは私なので基本的にうちのメニューはどれも味付けが濃い目だ。うちのも段々それに慣れてきてくれてはいるが、それでも少ししか箸を付けない物もある。魚のアラ煮。私は下茹でせずにいきなりだばだばと醤油を注いで煮込み始める。いや、ちゃんと出汁やみりんや生姜も使うが、魚で一番好きな部分は血合いなので臭みも風味と脳内変換されている。うちのは血合い自体を余り好まない。1回だけ、うちのに譲歩して下茹でしてからアラ煮を作ったことがある。そのときは美味いと言ってたくさん食べてくれた。私にとっては水臭くてイマイチだったのだが。そんなうちのは、焼肉を食べつつとても塩辛く感じていたらしい。店では特にそういうことを言わずに私はがっついていたので、薄味好き故に感じる塩辛さだと思っていたらしい。そして私にも少し塩がきつかったと言ったことで、あんたがそう思うくらいなら相当だよ……、と。

 翌日から腹具合が芳しくなくなった。塩気の所為かとも思ったがどうも違う。普段食べつけない豪華な物をたくさん食べたからでは? とうちのに言われた。納得してしまった。日常の中で私はいろいろな面で貧乏根性を発揮している。いつの間にか体質迄も貧乏になっていたようだ。これは悲しく、そして我が身を哀れに思う。なので火曜の夕食は、ふぐ。貧乏体質ではない! 塩気の所為の不調だ! と証明したかったのだ。結果、腹具合は良くなった。けれどもこれが豪華な食材も大丈夫という証明になるかどうかは、まだ疑問が残る。うちで使ったふぐは安価なとらふぐだった。もっといいふぐを食べたらまた不調が起きるかもしれない。早く証明したいので、年内にいいふぐ屋に連れて行って欲しい、とか書くとうちのにまた金食い虫呼ばわりされそうだ。いいふぐ屋はちょっとした焼肉屋よりもかなりお値段が張る。なので叙々苑の特選カルビで焼肉へのリベンジがしたい。どちらにしても贅沢だ。そしてこれでまた腹具合が悪くなったら、貧乏体質所持者決定である。少しずついい食材に慣らしていく方が賢明かもしれない。ヒラメの縁側とくじらの刺身が恋しい。

BGM/耳に耳鳴り、脳内で愛しの君が、後ろの自分に叫ぶのだー! などと唄っている。
 やれば良かったのよ、という仲村真理が述べた言葉を思い出した平成元年に大満足と少しの後悔をしている現在、12月4日に日付が変更されたばかり。

 昨日は平成元年。明日は風邪ひき。明後日は風邪を引き摺りつつ筋肉痛。支離滅裂なので解説。昨日は愛しの君のライヴに行ってきた。非常に盛り上がり、かつてない程に汗をかいた。折角風呂に入ったのが台無しだ……なんてことはどうでもよいのだが、過去、ライヴで額や胸元や背中に汗をかいたことはあるが、太腿まで汗をかいたのは初めてである。体感温度は低温サウナくらいだった。因って上半身は汗だくになった。昨日の私の服装。上はバスクシャツにバンドTを重ね、ジャケットとして薄手のネルジャケット。下はデニムスカート、ハイソックスの上にもう一枚短めの靴下を履きレッグウォーマーを重ね、マーチンの黒ブーツ。それに帽子と鞄。ライヴ終了後、バスクシャツは洗濯・脱水後のように湿っていた。誇張無しでそれ程の水分を吸わせてしまったのだ。この水分とは全て私の汗である。運動後にかくようなさらさらの汗だったので引いてしまえば不快感は余り残らなかったが、シャツの湿りは汗が引くように簡単に乾くわけではない。ライヴ中は小屋の中も暑いのでまだいい。けれどこの季節。外に出たら一気にぬるい不快感から骨身に沁みる冷たさになる。昨日は出待ちをせずに一緒に行った友人と軽い食事をした。そこでバスクシャツを脱いだ。着ていない方がマシというくらいに冷たかったのだ。で、脱いでバンドTのみで食事をしたのはいい。店を出るときにジャケットを羽織って帽子を被ったのもいい。外見上は傍から見ても特に季節感の狂った人間には見えなかった筈である。しかしながら、下は半袖Tシャツ1枚。莫迦だ。夏、ライヴ後に汗をかいてその場の物販でTシャツを買って着替えたことがある。夏なら着替えを持って行っていたかもしれない。まさか冬にここ迄汗をかくとは思いもしなかったのだ。次回からは絶対に着替えを持っていこうと決意した昨夜であった。そんな訳で、トンチキな薄着で帰宅した私の救いは防寒対策をしていった膝から下のみであり、今日の午後辺りから風邪っぽくなることだろう。私は風邪をひくと長引く体質である。従って明後日にも引き摺る。ライヴ中、私はヘドバンもフィスバンもするし、全身でリズムを取る。拍感覚が悪いのは承知だが、それでも勝手に体が動く。運動をする習慣のない万年運動不足の者にとって、これはかなり体力を消耗する行為である。普段使わない筋肉を動かす。20代後半になり、筋肉痛は1日空けてから出るようになった。これが冒頭の説明である。

 昨夜のライヴ。前回私が行ったものとは比べ物にならない程、メンバーの表情が良かった。不仲説は昨夜で風化していくように思う。全員楽しそうにプレイをし、笑顔も多かった。観客である私も嬉しくなったくらいだ。表情がはっきり見えたのは、非常に運が良かったと言えるだろう。チケット番号が余り良くなかった。そして小さい小屋だったことと企画ライヴという内容とで、マイナーなバンドにしては珍しく予約分のチケットは完売したらしい。そして少ないけれど当日券が出た。愛しの君らのバンドはいつもオール・スタンディングだ。私の位置は本来、ちょうど真ん中辺りになる筈だった。それが流れ流され堕ちゆく先はここは三途の……ではなく、最終的には愛しの君側の前から3〜4列目辺りに行けたのだ。私は小柄なので背の高い他の観客の頭や肩によりステージ全体を見回すことはできなかったが、それでもメンバーの表情や大まかな動きは見て取れた。懸命に愛しの君を目で追いつつヘドバンしていて驚いたこと。首にもギックリがあるのかと思った。ヘドバンでは首を前に後ろにと激しく振る。その最中、後ろに行った首が前に戻らなくなったのだ。激しく焦った。それでもライヴは中断してくれる筈は無く、周囲の観客の盛り上がりも増す一方。落ち着けない。仕方なく片手で無理矢理首を元の位置に戻し、その後はその手で首を固定しつつのライヴ鑑賞となった。歳ではなく運動不足の所為に決まっている。これからは首を意識的に動かそう。家で音楽を聴くときもヘドバンするか。いや、既に無意識にしていることもあり、うちのに指摘と注意を受けたことがある。首振ってるよ、唄ってるよ、不気味だよ、と。不気味で結構。今後は家でも意図的にヘドバンすることに決定。

 今日のセットリストは新曲だという1曲を除き、当初の予想通りに古いナンバーからばかりであり、当時毎回のように演奏していた曲に加えて当時も今も殆どライヴでは演っていない曲も。その中でも未聴だったアルバム未収録曲やアルバムに入っている曲の元バージョンを惜しみなく披露してくれたことに、行って良かったとつくづく思う。レア度満載。MCも当時を再現しようと思っていたようだが、それは無理だったようだ。無理でも聞いていた私は面白かったから良し。そして衣装。ベーシストは予告通り、ドラマーは普段通り。ギタリストである愛しの君は平成元年時のままではないがそれに似せた衣装と、当時使っていた眼鏡。それに似せた衣装、というのが今日の日記のタイトルに繋がる。1日付の日記参照。後悔先に立たず。これと、当時の曲の中でも特に生で聴いてみたかった1曲がセットリストから漏れていたことだけが残念ではある。まあそれは個人的意見であり、客観的に見れば100%満足できたと言っても過言ではない。観客の盛り上がりも普段以上だった。一緒に行った友人もかなり満足してくれたようで誘った甲斐があり一安心。会場待ちなどの時間に知人の一部と挨拶や簡単な会話を交わした。その他の知人は暫くライヴから足を遠ざけていた私を忘れたのか、それとも意識的に関わりを持とうとしなかったのか。深くは考えまい。中には、私のことを忘れてくれていたらいいなあ、と自身で思っていた人もいたし。ただひとりちょっと気になる行動をした人がいたが、それも深くは考えまい。疑心暗鬼はよろしくないし、単に私を忘れてしまっていただけならそれが一番だ。最近ライヴに行っていなかった私を、どうしたんだろうと心配していた、と言ってくれた方々がこの日記の存在に気付いているのかどうかは知らないが、感謝。有難う。忘れられていなかったこと、心配してくれていたこと、共に素直に嬉しかった。次回のライヴはひとりで行くことになるのだが、そのことへの不安が薄れた。ただ、今日一緒に行ったのは本当に友人なので誤解されていなければいいが、とだけ思う。うちのはまだ職場で仕事中だ。因みに現在0時52分。

BGM/耳は耳鳴り、脳内で「わたしのややこ」。特に愛しの君のややこ連呼部分。
 現在、12月3日深夜。

 今日は、平成元年である。世間では今日は平成15年12月3日だが、日本で数百人のみ、今日は平成元年なのだ。私は今日が平成元年なひとりである。と書いていて、まるでアレな人のようだ、と思えてきたので解説を加える。都内某所で愛しの君の相方が平成元年時の衣装を、10年以上の時を経て身に纏いライヴを行うのだ。題して、一夜限りの平成元年。サブタイトルも付いているが、それは敢えて伏せる。解る人だけニヤリとしてくれれば嬉しいとが、果たしているのか? いろいろあって手放しとはいかないけれど、やはりライヴを観に行くのは久々なので大変に楽しみだ。愛しの君の相方の衣装は判っている。問題は愛しの君とドラマーの衣装だ。愛しの君はタイトルに沿って平成元年時の衣装を着る可能性が高いと思うのだが、一体ドラマーはどうするつもりなのだろう。このバンドはギターとベースはずっと変わらないが、ドラマーは数人替わっている。当時のドラマーが今夜のみ復活するとは思い難いので今のドラマーだとは思う。しかし何を着るのだろう。そう思うと、ドラマーを浮かせない為にも愛しの君は平成元年時の恰好をしないかも知れず、困っている。ステージ上のメンバーがどんな恰好をしようと、通常観客が困る必要は無いのに困っている。というのも、私はライヴの開始前にトイレで着替えをして、平成元年時の愛しの君に似た格好をしようかと考えていたのだ。コスプレイヤーではないので、誤解なきよう。

 曲目も見当を付けづらい。タイトル通りに平成元年時のセットリストを元に演奏すると予測していたのだが、そうなるとまたドラマーが引っかかってくる。ドラマーが作った曲が入らなくなるのだ。そうでなくとも前回のライヴでドラマーの曲が無く、しかもライヴ終了時にベーシストがするメンバー紹介も待たずに裾に戻ったので、一部でギター・ベースvsドラムの不仲説が出てきているのだ。そんな不仲説が巷で囁かれる中で決行される、現ドラマー不在時の年を謳ったこのライヴ。本来の期待以外にも興味深く、意味深な雰囲気を感じさせられている。他のファンがどう思っているかは知らぬ存ぜぬ。他のファンについて、最近はなるべく考えないようにしている。ファンサイトも殆ど覗かなくなった。見るのはオフィシャルと某巨大掲示板のスレばかりである。愛しの君の表現も来年からは変える予定でいる。熱が冷めてきた訳ではない。それもこれも、コア寄りの出戻りファンからライトなファンへの転身を図ろうと思っているからだ。理由は、以前にも書いたようにコアなファンの中にはアレな人もいて朱に交わりたくないということと、来年は恐らく似非主婦から本業主婦に肩書きが変わるであろうから。旦那がいるのに他の男を愛しの君呼ばわりするのは、幾ら私でも気が引ける。旦那ではなく彼氏でも気を引かせろよ、という意見は却下。書類等がどうなっているかは判らないが実質的に実家と絶縁状態にある今の私にとって、あの紙切れ1枚の威力は大きい。女性は押しなべて売春婦。不能だけど。肩書きが変わっても中身は病人のまま変わらないけど。

 今日の日記のタイトルに、平成元年、と付けなかったのは愛しの君がいるバンド以外にも話を繋げたかったからだ。愛しの君がいるバンドがデビューした少し後から聴き始め、今は離れてしまっているバンドが多々ある。そのバンドのひとつは今年ニュー・アルバムを1枚出したものの、それ迄は長らく活動停止同然の状態だった。今年のアルバムは聴いていない。評判がイマイチのようなので、機会があれば聴くか、というスタンスである。そのバンドが今度、DVDを出すという。そのタイトルにも続く言葉は違うが、一夜限りの、と付いているのだ。日本の音楽シーン全体が80年代懐古趣味になってきているようで嬉しいとは、流石に2バンドだけを取り上げて言うことはできまいが、自分の好きなバンドがそのようなことをしてくれるのは楽しい。こちらのバンドの一夜限り。矛盾を感じるのは私だけだろうか。一夜のライヴを収めた内容故のこのタイトルかもしれない。けれど、所有・保管のできるDVDという物に、一夜限りというのに違和感を覚える。愛しの君らの方はライヴなのですんなりと入ってきたが、個人的感想として、DVDでこのタイトルは如何なものかと思ってしまう。おまけにどうも私のお気に入りの曲が入っていないらしい。今年のアルバムの評判もイマイチ。因ってこのDVD、買わ……ないだろう。

 上に80年代と書いた。80年代は私が陰気な熱を持って青春を謳歌した時代だ。少し前に某雑誌の某インタビューで、80年代は何も残さなかった時代、と言われているらしいことを知った。自分の青春時代をそのように評されて、いい気がする者は少ないのではなかろうか。私はやや嫌な気分になった。同様の感想を持った某劇団主宰者が、その想いを映画にした。その映画は年末公開される。某劇団主宰者はその当時、劇団と並行してバンド活動その他諸々をしていた人物だ。閑話休題。もしかしたら過去の日記に於いて、既に映画のタイトルと監督名を出しているかもしれない。確認するのが面倒なので気にしないで伏せたまま話を進める。某劇団主宰者は私に多大な影響を与えた、と今は思う。愛しの君らのバンドの全盛期と某劇団主宰者が音楽シーンにいた時期が被っており、私は当初両方を聴いていたのに、いつの間にか愛しの君らのバンドを離れて某劇団主宰者寄りのバンドを多く聴くようになっていたのだ。80年代、私の記憶の中で音楽シーンは二極化されている。片方が愛しの君らのバンドがデビューしたきっかけになったアレ。もう片方が某劇団主宰者が主宰していたインディーズのアレ。と書けば冒頭同様に、解る人だけ(以下略

 ふと時計を見たら現在4時である。明日に備えて早寝しなければならないのに余談。以前友人に、この日記の1日分を書くのにどのくらいの時間がかかっているかを訊かれた。毎回2500〜3000wで1時間程度である。タイピングのスピードは他者よりもやや速めといったところか。検定を受けてはいないが、タイピストとして暫く仕事をしていた時期があり且つかな入力。PCを使い始めて5年以上経ち、これで他者よりも遅いのは恥ずかしい。ので昔、何種かのタイピング・ソフトやフラッシュで速度を測ろうとしたことがある。ダメ。ソフトは当時使っていたノートのキーの反応が悪く測定不能。お気に入りのフラッシュはローマ字入力専用。余談の上に話が逸れるとは、かなりテンションが上がっているということか。ここ数日、毎日うちのに、テンションが高い、と言われているのでそうなのだろう。パキ服用当初の躁転に、今の状態は似ている気がする。ライヴではバンド・メンバーも観客も体力勝負。それと月曜に体調不良で夕飯を作れなかったことのうちのへのお詫びと、体調不良を改善する為をひっくるめて、豪華なのにあっさりという夕食を作った。月曜からの体調不良の原因は見当が付いている。日曜の夜に久々に豪華なものを食したからだ。このテンションが明日のライヴで吉と出るか凶と出るか、豪華とあっさりを両立させた食事でどちらの効果が大きいか、楽しみやら怖いやら。
 12月2日記。

 先週末からうちのもネットオークションを楽しみ始めた。発端は、そろそろコートを新調したい、と言い出したことだ。うちのがこれ迄着ていたコートはかわいく暖かく丈夫と三拍子揃ったいい物なのだが、私と付き合い始める前から愛用している物であり、相当な年季が入っている。うちのの職場は年俸制であり、ボーナスなる臨時収入的存在はない。年俸÷12で月々にもらえる額が全てであり、因って使い方も慎重になる。ボーナス入ったからでかい買い物しちゃえ! とはならないのだ。そして私は散財大好き人間であり、うちのは財布紐キツキツ人間である。安い物をちびちびと買い集めた末、最終的にはそれなりの額に達してしまう、というのが私の散財パターン。うちのは違う。普段がケチケチなので使うときはどかんと使う。私と付き合い始める前、うちのはそれなりに衣類や服飾小物に気と金を使っていた。それが私という散財大好き人間と付属してきた小動物2匹を飼い始め、格段にランクを下げざるを得なくなった。鞄と靴だけはポーター・カンペールのレベルを保っていたが、服はHRMやBEAMSから無印やユニクロへ、1年前くらいからやっとARROWSへ……。限界に達したらしい。なんで一所懸命に稼ぎ毎年年俸も上げているのに自分の服は殆ど増えず、増えても安価な物ばかりで、なのにこいつの服や小物がやたらと増えているんだ? という感情もあっただろうと予測している。そしてその感情が湧いてくるのは当然だろう。うちのは私同様に新古には余り拘らない。品質と状態とデザインが気に入れば、中古の方がお得な場合も多々ある。近所で月に1度のペースでフリーマーケットが開催される。私がいろいろなところで覗いてきた所見では、どこのフリーマーケットも大差がない。レディース物は安くても品質や状態のいい物がそこそこ充実しており、メンズ物は往々にして高くて質も悪い物が殆どである。また定価並みの値段でのコピー品も横行していたりもする。そしてネットオークションへ。

 今迄ずっと我慢を重ねて堤防が崩壊したうちのは以前に懲りた経験を活かしてか、今月の予算は10万! とぶち上げた。予想以上の予算額にやや驚きはしたものの、豪気だねえ、漢だねえ、と私はほくほくした。予算額が高い程、選ぶ幅が広がるのだから当然だろう。うちでは既に、メンズ物をネットオークションで購入する際のシステムが確立されている。まずは私が画像や解説を元に選択し、その商品のURLをうちののPCに送り、その中からうちのが選んで商品毎に予算設定をしてメールを返送し、それを基に私がスナイプする。かなり前に仕事に着て行くシャツと普段着のトップス類を、うちのが欲しがったことがある。そのときは1品1品の予算が低かったのだが、私は特に問題が無いと思っていた。リサーチ不足故の大失敗ではなく、ひとつ賢くなったと思いたい。というのも、レディース物のオークションでは定価の1/10、1/20以下でも質のいい物やそれこそ新品迄出品されている。メンズ物も同じだと考えていたのだ。違った。落札したメンズ物は安価且つ粗悪な物が大半だった。私なら恥ずかしくて出品できないような、型崩れや破れのある物もあった。着用感、という言葉はメンズでは通用しないことを教わった。数点購入し、うちのはオークションでの衣類購入をやめた。懲りたのだ。碌な物が無いな、と。しかし今回コートを目当てに覗いてみたところ、予算を上げればいい物が多かったのだ。

 ネットオークションでは、その気になれば1日で100枚単位の衣類を見られる。足で捜し歩こうとしてもなかなかそうはいかない数だ。その利点と同時にリスクも付いてくる。実物が見られないので、以前のようにトンデモな物を買わされる可能性もあるのだ。なので私はオークションで高い買い物はしないし、そもそも自由になる金が少ないので無理なのだが、うちのは踏み切った。土日出勤も多いうちのは、気に入った物を捜し歩く時間が余りない。元々お洒落サンだったので10〜20代のうちに自分の好みや自分に似合う物を知った。お洒落サンではあるが、比較的無難な物を好むタイプである。無難な中にちょっとした拘りがある物が一番好きらしい。また先日からのオークション探索で判ったことがある。ジャストサイズの衣類を好むということだ。私は肩幅・着丈などが自分のサイズよりも小さくなければ着方次第でどうにかなるだろう、という考えの持ち主だが、うちのは違った。余りにも寸法に拘るので私が、デザインによってはルーズな着方でもいいじゃない、と助言したら激しく抵抗された。ファッションへの冒険心が旺盛だった頃に、ルーズフィットの服で失敗したことが何度もあるそうだ。ジャストサイズへの強い拘りは、二方向で良い効果を齎した。ひとつは膨大な数の衣類の中から選択し易くなったこと。もうひとつはルーズフィットを好む私と兼用できそうな物が多くなったこと。私も小柄だが、うちのも男性にしてはやや小柄なのだ。なので私が買ったルーズフィットの衣類をうちのが着ることもある。そしてうちのは渋い物よりもややかわいい物を好むので、私も兼用で着させてもらえそうな物もあり嬉しい。最も大変な第1選択を任されていることと、出品者との遣り取りや振込全てを私がこなしていることの恩恵か。かわいい、面白い、など物事への感想の持ち方が似ているのは、恋人同士や夫婦にとって大切なことのひとつだと思う。先日書いた本棚の話にも繋がる。好みが似ているとはいえ、全く同じではない。そのずれた部分から、お互いの趣味や好みの幅が広がっていくのはいいことだ。

 今回の落札品の中、鞄やトップス類の中では私が使えそうな物もある。その中のひとつに、私がどうしても欲しくて即決入札を強力に勧めた物がある。勿論、うちのの好みを知った上で勧め、本人も気に入った上での入札・落札である。うちのの服として購入したからには、その服への主導権はうちのが持つに決まっている。うちのが着たいと言えば、その日に私は着られない。それでも構わない。うちのの職場はスーツ着用の必要は無いものの、平日出勤時は、基本的にジャケット・シャツ・パンツである。即決してもらった物は普段着だ。ということは、自然うちのは土日にしか着られない。平日にのみ受けられる恩恵だが十分だ。こう書いていると平日に着倒す予定のようだが、入浴意欲の薄い私は余り着替えないので問題ない。いや、入浴しない点に問題はあるが。さて、明日は久々にライヴに行く。会ったことのないネット上の友人と共に行くことになっている。今日は絶対に入浴しなければならない。と書いていて思い出した。明日届く予定のゆうパックでの配達物。午前中や昼間は寝ていることも多いので、いつもの癖で時間指定を夜間にしてしまった。失敗。予定が書き込まれたカレンダーを見つつ時間指定することを学習したことにしよう。尤もコート類などの大きく重いものでない限り、私はリスク承知で安価な定形外発送を頼むので、滅多にこんな失敗は無いのだが。
 12月1日記。

 昨日、うちのの親からうちのの携帯に電話があった。あちらの親もうちのと私の結婚に反対らしい。理由は私のPDや諸事情が確実に治るとは限らないものだし、そういう病気を抱えた人と一緒になるのは如何なものか、と。そして私がコスメオタクなことや麻雀好きだということで、金遣いも荒そうだし、と。年末年始にうちのの実家に帰省する為のチケットを既にふたり分確保してあるのだが、うちのの親としては私抜きで、うちのだけに帰ってきて欲しかったらしい。よく解らん。当人同士で合意してから、親に結婚したいという報告をするものだと、私は思う。ということは、自分の娘なり息子は選んだ相手に完全ではなくとも、まあ満足をしているということだろう。ならば子供の意思を尊重した上で、我が子が選んだ相手をよく知る為にも、その相手といろいろ話した方がいいと思うのだが、どうも世間の慣わしというのは違っているらしい。もっと言えば、きっとふたりで帰省しても、私は基本的に招かざる客故に蚊帳の外に置かれて話は進められるだろう。うちのが私のPDや諸事情について、言い方は悪いが上手く親御さんを言いくるめられるかどうか不安でもある。最早、納得させるとか理解させるとかの話ではなく、言いくるめる、という話になってきている。帰省迄の間に私がもっといろいろ調べて上手く説明させられるよう、うちのに教えていくことがたくさんある。試練だ。

 私の親もうちのの過去が発覚して以来、うちのとの交際・結婚を猛反対して絶縁を突きつけてきた。うちのの親は絶縁迄は言い出さないとは思うが、難色を示している。これはどういうことか。自分の子供には、もっと相応しい交際乃至結婚相手が他にいると思っているからだと予測できる。正に親の欲目というものだ。うちのと私との間では、過去の過ちを背負った者と病気を抱えた者とで、まあいいバランスでないの? と相互理解できている。友人連中もこれに同意見である。しかし、私の親は私の病気を棚に上げ、うちのの親は過去の過ちを棚に上げ、この相手は如何なものか、と思っているようだ。結婚しようとしている当人たち以上に、親は客観性をなくしているように見える。言いくるめが成功したところで、うちのの親が結婚にOKを出すときは、まあ渋々であるだろう。うちのが望んでいた、せめて自分の家族くらいには祝福されて結婚されたい、は難しくなってきた。それでも帰省中に親との話が余りに拗れたら、実家を出て宿を取ってふたりで過ごそうと言ってくれたのは嬉しかった。うちのは親よりも私を優先してくれようとしている……と思っていいということだと、私は解釈している。うちのは昨日、帰省をやめてどこか違うところに旅行にでも行くか、と言い出した。うちのも親と話すのが億劫に思えてきているのだろう。私とて招かれざる客となっている現状に於いて、積極的にうちのの実家に行きたいとは既に思えていない。いや、行きたくない。けれどここでふたりで親との対峙から逃げたら状況悪化は明白なので、耐えねばならない。帰省の予定は4泊5日。こうなることが予測できていたから私は飛行機のチケットを取る際に、2泊3日でいいよ、と言っていたのに、うちのが高い交通費を出して折角帰るのだから少しでも長くいよう、と提案してきて私が折れた。言わんこっちゃない。しかも今は予測通りに私はなるべくなら来て欲しくない客となっている。肩身が狭い。しかもその間、明るく元気な嫁候補として振舞わなければならない。苦痛。途中で発作を起こしたりしたら、うちのの親の結婚反対度数は一気に上昇するだろう。けれど、発作はいきなりやってくる。コントロールできないものなので非常に怖い。また私は子供が苦手である。うちのの姉ふたりは既婚であり、小さな子供もいる。前回の年末年始に一緒にうちのの実家に行ったときも、私はつらかった。そのときは歓迎される客だったのだが、とにかく子供が苦手故に朝っぱらから夜遅く迄、一日中子供の騒ぐ声や泣き声が家に響いているのが嫌でならなかった。子供の大声は私が最も苦手なもののひとつである。PDとなった今、それに予期不安や発作が喚起されないとも限らない。むしろ発作を起こしてしまいそうだ。それでも発作を起こして倒れるのは禁忌。一体どうしろと!

 また金遣いについては、うちのは私のパチなどによる使い込みは隠してくれるらしい。感謝。後はコスメや麻雀が、趣味の範囲、であることへの理解を得られれば、このうちのの親の持つ不安のひとつは解消されそうだが、コスメや博打への解釈は人によって大きく違うのが難関である。まずコスメ。私にとってコスメやメイクは趣味である。けれども世の女性の全てがそれらを楽しみとしている訳ではなく、人によっては、化粧は女性が人に会ったりする際の身嗜みと世で言われているので仕方なくしている、という人もいる。このタイプの人に限定品を予約したり行列に並んで購入するコスメフリークの楽しさを説明するのは難しい。また博打。これはそれなりに博打に精通している者にとっては博打の種類によって相手の嗜好が判るものだが、博打を打たない者の脳内では、麻雀もパチも手本引きも一緒くたになっている。これも金儲け博打とロマンを伴う博打の区別を解説するのは難しい。因みに私はロマンのない博打は嫌いなのだが。それはともかく、コスメにしても麻雀にしても、私にとっては趣味である。特に麻雀に於いては今年は一度もフリー雀荘に足を運ばず、ネット東風荘で妥協している状態だ。同じ物事であっても価値観が大きく違う相手に、自分の価値観を説明するのは難儀である。しかも今回は私自身が説明するのではなく、うちのが説明することになるだろう。イコール。うちのが私のコスメ及び麻雀が趣味であり、金遣い云々は関係ないということをきちんと説明してくれなければならず、うちのは当然コスメには興味はなく、麻雀も家族麻雀を嗜む程度である故に、私の趣味としてのそれらへの係わり方を熟知してくれているかどうか不安が残る。うちのが親に説明する際の病気・趣味それぞれのテンプレートを作成した方がいいかもしれない。

 昨日のうちのの親とうちのの会話の中で、同情で結婚しても幸せにはなれないよ、と言われたらしい。非常に激しく遺憾である。うちのの親は私が自分の親と絶縁したことを引き合いに出してそのようなことを述べたのであろうが、私自身にとっては親との絶縁による不都合は少なくとも今のところは皆無だし、却って精神的に安定している。親と絶縁したからといって、同情に値する可哀相な子と見られるのは、激しく不本意である。いない方がいい親も存在している、ということはなかなか理解してもらいにくい事案である。しかも私の親のトンデモ振りは目の当たりにしなければ納得もしづらかろう。それでも。うちの・私共に、私の親はいない方がいい親と認識されている。うちのが、絶縁のきっかけになったことへの罪悪感は持っているかもしれないが同情はされていない。そして私たちはお互いの背負っている物を承知の上で、割れ鍋に綴じ蓋だしというような妥協を抜きに結婚を考えるに至ったのだ。互いの親をこんな風には言いたくないが、おまいらはすっこんでろ! という気持ちが強い。結婚は家と家との物という悪しき日本の風習は、さっさと消え失せてもらいたい。

柔軟な言葉

2003年11月28日 思想もどき
 時代と共に言葉は変わるらしい。世の人々は皆、その変化を受け入れ且つ自らも変化した言葉を使用しているようだ。如何ともし難い不本意な流れだと感じるのは、私が柔軟性のない頑固者だからか。私は古き良き日本語を美しいと思う。近代ならば谷崎の綴る日本語は大好きであり、現代ならば北村薫の操る日本語が綺麗だと感じる。また言葉は辞書の解釈通りに使われて然るべきだとも思う。因って昨今の言葉の変化には、戸惑いと嫌悪感を覚える。うっかり自分がその手の言葉を使ってしまったときなど、激しく落ち込んでしまう。以前にも書いたが、まったりを雰囲気表現で使うのは許しがたい。日本人としてあるまじき言葉遣いだと思う。だから私は味覚表現以外では絶対に使わない言葉だ。また、超、マジ、などは世に定着し過ぎている為、自然と耳にする機会も多く、私もうっかり口にしてしまうことがあるが言った後で嫌な気分になる。綺麗な言葉だとは思えないからだ。日本語には他国語にはない大きな特徴がある。ひらがな・カタカナ・漢字。このみっつに加えてローマ字やアルファベットも定着している。これだけの記号=言葉の表現方法を持つ国は他になかろう。多様な文化が入り乱れて言葉が増えるのはいい。けれども、基本として日本語は流暢であって欲しいと願っている。そして私は他者がどうあろうと、流暢な日本語を操りたいと思う。

 しかしながら所謂、業界用語、的な言葉には寛容であったりもする。業界通ぶった、ワイハ、などは論外だが、その業界で長く使われてきた言葉は辞書通りでなくとも特にどうも思わない。私自身も未だに、熱を出したときに熱発、絶対だと思ったときに鉄板、というような言葉を使ったりもする。前者は競馬業界、後者は博打打ちの言葉である。以前は競馬業界に身を置いていたことがあった由縁だろう。それでも、マンシュウ、はどうしても受け入れることができなかった。漢字で書くと、万舟。これは競馬で言うところの万馬券に該当する舟券のことであり、即ち競艇業界用語が競馬業界に流れてきたものなのだから、その言葉は競艇業界でのみ使われるべきだと思ったからだ。ワード、とは言葉のことである。しかし出版業界では、言葉数ではなく文字数の表現として使われる。原稿依頼で、20w×20l、と書かれていれば1行に20文字で20行という意味である。w=ワード、l=ラインだ。ラインはともかく、ワードの使い方は辞書通りではない。それでも業界としての通例表現であるからして、受け入れる。始めは違和感を感じたもののすぐに慣れた。

 言葉は慣れるものである。先に書いた、超、マジ、なども耳に馴染んでしまった為に自身も口にしてしまうことがある。昨今、まったり、を雰囲気表現に使う者はとても多く、従って耳にする機会も多い。それでも慣れないのは何故だろう。考えて、ひとつ思い当たったことがある。私は某巨大掲示板に頻繁に出入りするようになり、4年以上の月日が経つ。専用ブラウザも入れている。まったり、がここ迄蔓延する前に、マターリに慣れてしまったからかもしれない。マターリはいいのだ。辞書にない言葉であり、某巨大掲示板住人用語だから。某巨大掲示板用語にはいろいろな種類がある。マターリを始めとし、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!、(’A`)/マンドクセー、など数限りない。大概に一行顔文字が付いてくる。私のPCの辞書登録はこんなもので埋め尽くされている。しょぼんを一発変換すると(´・ω・`)、うまーを一発変換すると(゜д゜)ウマーが出てくる。因みにこれらのカタカナは、ここでは便宜上全角で表示しているが、半角でなければもにょる。この、もにょる、も元は同人用語だったものがネット用語と化したものらしい。もにょるの他に、DQN(ドキュン、ドキュソ)などの言葉もある。これらは実に上手い表現だと思う。馴染んでしまった今、もにょるやらDQNやらを他の言葉に言い換えるのが困難になっている程だ。それもどうかと思うが。この日記では、冒頭に書いたように綺麗で流暢な、いや技術がそこ迄追いついていないので、少なくとも正しい日本語で書くように心がけている。そして自分の好きな言葉を使うようにしている。辞書にあり、その意味通りに使われていても好きではない日本語もあるのだ。

 フィクションの本を読む。内容が面白ければ言わずもがなのめり込む。しかしその途中で間違った使い方をされた言葉や好きではない言葉が出てきた瞬間、醒めて現実に引き戻される。好き嫌いが激しいというか、キャパが狭いというか……。ノンフィクションの本ならば余り気にならない。特にノンフィクションで「」内にその手の言葉が出てきたりしたら、逆にリアリティが増したりする。それはノンフィクション内にフィクションが混入されていないことの証明と、私には思えるからだ。気取ったり構えたりして文章を綴ると、著者のその意識はどうしても滲み出てしまうものなのだ。如何に上手くその意識を隠そうとしても、読むものが読めば見破れる。ノンフィクションを書く怖さはここにある。フィクションには気取りや構えが見えても構わない。むしろ、程度問題ではあるが多少見え隠れしている方が、読者であるこちら側にも著者の緊張感が伝わる。就寝前に読書をする習慣が付いて15年以上経つ。以前、私の枕元には必ず一冊の本があった。PDになり集中力がなくなってからは読みかけ・未読を含め数冊の本が散らばっている。今は「カブキの日」「デカルト」「心が晴れるノート」「ファイト!」など。その中でここ数日毎日読んでいるのは「拷問全書」である。大変に興味深い本で面白い。知らないことを知りたいと思う業を無くしたら、私は廃人となってしまうだろう。多くの書物に触れることで、言葉への拘りは薄れるだろうか、それとも今以上に増すのだろうか。綺麗で流暢な日本語を好みつつも、変化を受け入れられるようになりたいとは思う。それでも味覚表現以外での、まったり、は禁止。好きな作家がこれを使ったら嫌いになるかもしれないくらいダメである。禁止。
 現在、私が不能であるのには複数の原因がある。一通りやってみたいことはやり終えてしまった達成感、HIVなど性病への恐怖心、パキの副作用。どうにか不能から脱したいという気持ちは当然ある。性行為から遠ざかって早数年。その間、うちのが欲求不満を溜めていることに対する罪悪感もある。けれどその罪悪感は養われていることへの罪悪感と等しく、それこそ商売=売春行為と替わらない。全ての主婦は売春婦である、と言ったのは誰だったか思い出せないが、そういう側面は決して無視できない。そして私が似非主婦をさせてもらっていることの報償として、うちのにセックスを与えるのは間違っていると思う。先日、怖い夢を見た。妊娠する夢である。うちのに、妊娠する夢を見た、と言ったところ、良かったじゃん、と言われた。良くない。そのうちするんだから、とも言われた。したくない。そもそもセックスをしていないのに何故そんな夢を見たのか不思議だ。夢の詳細を書く。私は中学か高校の保健室で寝ていた。胎内に何かがいることが勘で判る。保健室の先生に話す。彼女は困惑し、私もそれ以上に困惑していた。そして堕胎の恐怖に塗れていた。産むという発想はその夢では出てこなかった。堕胎への罪悪感と恐怖心のみだった。因みに私に堕胎経験はない。そしてセックスそのものをしていないのだから、危険日どうこうの心配も皆無。夢診断はしていない。あんな物は何の当てにもならないし、増してやフロイト云々となると全て性的欲求に結びついてしまう。無駄なことはしないのだ。それでも気になる。

 セックスに依存していた頃の私は大いなる勘違いをしており、ひとときの快楽や繋ぎ止めが無駄だと気付いてセックス依存から脱した。依存状態でなくとも、性行為は可能である。可能であるどころか、依存状態でなく性行為を楽しむ方が健全である。セックス依存から脱してセックスを余りしなくなった。その後、HIV検査を受け、今はもらったシロを大切にし過ぎている自覚がある。大切にするのは良いことだが、程度というものがある。彼氏ともセックスができないというのは不健全な潔癖だ。そんなことは解っている。キスはできる。キスでHIVは移らないという知識があるからだ。ところがその先の行為に進むと、俄然移る可能性が高まってしまう。挿入をしなくとも口唇愛撫で移ることはある。特に私はゴムフェラが苦手だ。ゴムの匂いと味がダメなのだ。香り付きのゴムも付けられた人口甘味料的な香り・味共に苦手である。ならば口唇愛撫を省いてセックスをすればいいではないか、と考える。しかし前編で書いたように壁越しのセックスに意味はないと思うし、ナマには恐怖が伴う。八方塞である。その八方塞の状態は蟻地獄であった。今は胸を触られることすら受け付けなくなってしまった。元々貧乳故に胸に強いコンプレックスを持っていたが、それでも触られることに嫌悪感迄は抱かなかった。それがセックスを恐れる余りに、それを連想させる諸々の行為が全てダメになった。唯一可能なのはキスだけである。

 依存症の裏は恐怖症なのか。0か100か思考がここにも影響しているのかもしれない。0だと誰とも何もできない。100だと誰彼構わず何でもする。不自然だ。したいときにしたい相手とするのが自然な姿であろう。したい相手はいる。うちのとしたいと思う。それでも、したいとき、というときがない。依存していた頃、セックスは相手を繋ぎ止める手段だったと書いた。うちのはしなくても私と一緒にいてくれる。過去、精神的必要性に迫られてし続けたいたツケが時を経て今、やってきているのかもしれない。一緒に生活している異性が何年も性行為を拒んでいる現状は、うちのにとってかなりのストレスとなっている筈だ。それでも耐えてくれていることに感謝している。申し訳なく思いつつ甘えている。申し訳ない気持ちに基づくセックスとは、以下略。ループ。悪循環ループはどこかで断ち切らなければならないが、切り込み口が見つからない。

 成熟した生物として性行為をするのは自然なことであり、しないことは不自然である。女性はいいセックスをしていると綺麗になる、という説がある。正しい。これは精神的充実ということだけではなく、女性ホルモンの分泌がセックスによって正しくなる所為である。今の私の女性ホルモンの分泌は、恐らく著しく悪くなっている筈だ。セックス依存という性的逸脱を繰り返していた頃も悪かっただろうが、その頃は彼氏がいつつも逸脱していた状態であり、今よりはかなりマシだったと思われる。精神的荒廃もあったが、充実もあったからだ。今は荒廃しかない。しかもこの荒廃は精神のみでなく肉体にも影響を兆している。私は諸事情により精神的には子供である。逆説も可。精神的に子供故に諸事情でもある。それでも小学生高学年から中学生レベルの貧乳を除いては、肉体は大人として成熟してしまっている。生殖器が月々の経血排出穴と化しているのは、私自身も不本意だ。痛みを齎すだけの器官など要らない。要らない物は捨ててしまえ……とは、こればかりはいかない。しかしこのままの状態が続けば、婦人病に罹り、必然として取り去る=捨てることにもなりかねない。貧乏性なので持って生まれた物は、できれば捨てずにきちんと使いこなしたい。しかも、きちんと、使いこなせれば他者であるうちのにストレスを与えずに済むという利点もあるのだ。

 性欲とはどこから湧いてくるのだろう。昔は会う人・見る物・読む物、様々な場面で性欲を掻き立てられていた記憶がある。今は何に触れても掻き立てられることはない。むしろ直接的な接触には強迫的に嫌悪感が湧く。私にとって強迫といえば入浴関連のことが纏わる。思えばセックスに依存していた頃は、よく入浴していた。相手に不快感を与えない為には当然のことだろう。敢えて入浴不可能な野外での行為の背徳感はまた格別……などという話はさておき。人間のセックスは基本的に室内で行われる。その室内に設備として置かれた浴室を使うのも勿論だが、それ以前に、今日はヤるぞ! という日は入浴してから出かけたりしたものだ。その頃は入浴が苦ではなかったという例になるだろう。セックス依存だったということは、当時から自覚はなく、因って診断もくだされていなかったものの諸事情を抱えていたに違いないと思われる。諸事情の特徴として性的逸脱というのもあるのだ。私のPDも基本的にはこの諸事情に起因している。今と昔の違いは何か。後悔先に立たず。HIV検査を受けなければ良かったのかもしれない、と思っている。シロ判定により強迫的性的潔癖が芽生えてしまった。私以外にもHIV検査を受けた友人がいる。それでもセックスをしている。相手をそれだけ信用している証なのかもしれない。そして私は今、どの異性をも性的な面に於いて信用できていないのかもしれない。セイフティ・セックスに意義を見出せない点だけとっても不可思議だ。悪循環ループには多くの要素がある。どこから取り除けばいいのか見当がつかない。商売ではなく趣味として、健全な性行為を楽しめる日はいつやってくるのだろう。その日を迎える為に、私は何をすればいいのだろう。

BGM/1999.01.05「イチオシ祭り」、1999.12.25「全身焦燥家」、2000.07.26「SAPPUKEI TOUR」
 11月27日記。

 私がお気に入り登録しているjakuさん、男山さんの日記にはエロ話がよく出てくる。ざっと読んでみて面白いと思ったので登録した。私はエロ話が大好きである。くだらなく、下世話で、突飛である程にエロ話は面白くなる。リアルなエロ話も勿論好きだが、エロ話を概念として考えるならば、くだらなく、下世話で、突飛な方が楽しめる。エロとはエロスのことであり、人間の生殖繁栄本能と直結しているが為、私はエロ話に眉を顰める人間は本能欠落者か社会通念に囚われた者と思う。裸体を芸術だなんて思わない。因って篠山よりアラーキーの写真の方が好きである。先日、コンビニで雑誌を物色しているときにshihoの裸体が表紙になっている女性誌があった。雑誌名失念。ポーズは横たわって膝を抱え、乳首も乳輪も、言わずもがなシモも見せていないものだった。まあ綺麗ではあった。けれどそれを芸術とは思わないし、単に、モデルってのは見せる商売故に商売道具の手入れが行き届いているな、と思っただけである。その昔、宮沢りえがヌード写真集を出して大ヒットした。高校時代に図書室に入荷されていたので私も見た。芸術性は見出せなかった。女優ってのもモデル同様、以下略。

 過去、私は俗に言うヤリマンであった。人数も然ることながら、密度の濃いセックスをしていた。セックスは当時の私の生活に、精神に必要だったのだ。行きずり同然のセックスもしていた。周囲の人間には、私はセックスに溺れる快楽主義者だと思われていた。その解釈を間違いとは言わない。快楽は好きである。しかしそれ以上に大きな要素があった。諸事情の症状だったのだ。股を開くことで他者の気を惹きたかった。また股を開いていれば他者は私から離れないとも思っていた。セックス依存症だったのだ。肉体の快楽よりも、心の空白を埋める手段としてセックスを利用していたのだ。世の多くの人は、セックスは愛情表現や愛情確認、と言う。多くの人がそう言うからには、その解釈が社会通念となっており、個人同士の愛情確認作業を公言するものではないという思想に基づいて、エロ話に眉を顰めるのだろう。実につまらない。人類最初の職業とは何か。売春である。人類に限ったことではない。猿にも売春をすることで食糧などを雄に貢がせる雌がいる種があるという。女性は押しなべて売春婦、という思想を私は否定しない。否定はしないが、売春婦になりたくないという思いもある。それを漫画で表現している砂という漫画家がいる。商業誌では太田出版から「フェミニズムセックスマシーン」を発刊している。彼の同人誌は読んだことがないが、「フェミニズムセックスマシーン」は性の本質を少しだけ突いた、衝撃的な漫画である。少しだけ、と評されるのは砂にとっては不本意かもしれない。けれど漫画という手法で表現すると言いたいことよりも、絵のインパクトが勝ってしまうこともあるのだ。彼の画力は読者を圧倒する。世に蔓延るロリテイストに背を向けた絵による表現であり、それだけで好き嫌いが分かれそうだ。少しだけ、というのは絵に圧倒されて砂の言いたいことが負けてしまっているということに他ならない。

 この本で彼が問うているのはただひとつ。女性がセックスを商売ではなく趣味にできるか、ということである。故に彼の漫画の女性主人公は本来セックスで使われるべき器官ではなく、アヌスをセックスの器官として用いる。生殖器を用いた時点でそれは避妊具を使おうとも生殖本能・男性の女性への支配欲・優性遺伝をもたらす相手として相手を選択したという現実に繋がるからであろう。これらは全て男性優位の発想であり、女性本位で考えるならば生殖器官を用いたセックスは快楽と直結はしない。アナル・セックスがノーマルかアブノーマルかは別の話である。私はアナル・セックス未経験者である。骨格的にも無理があったし、そもそもそちらを開発しようという意欲を自分も、いろいろな相手も殆ど持ち合わせていなかった。生殖器官を接続することでの快楽で満足していたのだ。先のことは解らないが、今も昔も私は避妊具を用いようと用いまいと、子孫繁栄を望んではいない。子孫繁栄を望まないのに避妊具を用いなかったのは実に簡単な話で、ナマの快楽に溺れていたからである。またナマでなければセックスではないという観念もあった。最もポピュラな避妊具であるコンドームは、壁である。日本の壁は非常に優秀であり、装着していようといまいと快楽に差はないと言われる。嘘だと思う。思うだけでなく、体感として嘘だと知っている。けれどもこの体感に罠が潜んでいる。人間の性的快楽は肉体だけで得られるものではない。例えば恋人同士のセックス。相手のナニやテクニックをさておき快楽を得られるのは、愛情という形なき物によって脳内ポテンシャルを高めており、そのスパイスによって快楽を得られるからだ。SMも理屈は同じである。ノーマルではないことをしているのに快楽を得ている自分の姿を脳内に描き、その姿に酔うことで痛みや羞恥を伴う、または与える行為に快感を覚える。理屈だけでこの文章を書いているのではない。各々に実経験を基に書いている。

 恋人とは愛情、Mとしてはノーマルではないのにという感情、行きずりでは堕落した自分の姿に酔って快楽を得ていた。どれも実像のない幻想である。では真に肉体的快楽のみで性感を得ることは可能なのか。自慰行為でなら得られると思う者もいるかもしれない。嘘だ。以前にも書いたように、HIV検査の結果を聞いてから私は不能となっている。うちのを始めとし、誰とも性交渉を持っていない。シロがクロになる恐怖心により性交渉が不可能となっている。自慰行為なら自身のシロがクロになることはあり得ない。なので試してみたことがある。快感は得られなかった。自慰行為には想像・過去の記憶探索、またはVや本による性的妄想の喚起が必要となってくる。どれを用いても自己投影が行われ、性病の恐怖が付き纏い快楽取得どころの話ではない。ならば何も用いずに試してみるとどうか。女性にはクリトリスという性感取得のみにしか使われない器官が存在している。それを使っても無理だった。単に刺激を与えている・与えられているという感情しか湧かない。刺激と性感は別物である。砂が表現しようとしている、女性がセックスを商売ではなく趣味にできるか。実験・実践は私が不能から脱しないことにはどうしようもないことにもどかしさと焦りを感じる。

BGM/1999.08.21「RSR FES 1999 in EZO」、1999.11.17「下北沢club251」
 現在、11月27日。

 先日、友人と話をしていたら、「世界の神話百科」という本を図書館で借りてみて読んだら面白かった、と言っていた。私は神話などには今迄興味がなかったが、いい趣味をしていると思った。彼は北欧メタルへの造詣を深める為に読んだらしい。その動機がまた面白かった。まあ動機もいいのだが、単純に「世界の神話百科」を読んだ、と聞いただけで彼と友達になって良かった、と思った。私は独断と偏見により、他者の本の趣味で知的レベルを測る。他者の家に行ってまず見るのは本棚だ。本棚を見たり読書傾向を聞いたりすることで、相手と仲良くなれるかどうかが大体判る。そして外れた例がない。今、私が住んでいる場所は元々はうちのがひとり暮らしをしていた部屋だ。初めてここに来たとき、当然本棚をまじまじと観察し、「拷問全書」「死刑全書」「自殺全書」が並んでいるのを見て、長く付き合えそうだ、と思ったものだ。読書傾向が余りに違う者、特に私がつまらないと思う本を愛読している者とは仲良くなれない。過去に週プロを愛読している者と付き合ったことがある。続かなかった。他者の家の本棚を見て感銘を受けたのは、某大学の助教授の家と某ライターの家である。そもそも両者の家には山のように本があった。因って、数打ちゃあたる的に私の興味をそそる本も多かった。それよりも大事なことは、趣味が悪いなあ、と思わされる本がなかったことだ。某大学助教授や某ライターとは今は疎遠だが、あの本棚と読書量は今でも凄いと思う。

 某ライターはその分野では圧倒的な人気を維持している人である。私も某ライターの文章がとても好きだった。今はその分野から足を遠ざけているので読んではいないが、あの独特の文体は変わっていないだろう。某ライターにネタ帳を見せてもらったことがある。今でもそのネタ帳は増え続けているのかどうかは知らないが、きっと相当な冊数になっていると想像している。ライターの名を伏せるのでネタ帳の中身を書いてしまおう。某ライターは毎日本を読んでいた。その多数の本の中で、気に入った文章の抜書き。その集大成がネタ帳だった。独特の文体とは似ても似つかない本を多数読んでいた。本を読み、その本の数々から様々な影響を受けている筈だ。けれども文体に影響は見られない。これは凄いことだ。人間は影響を受け易い動物であるのに独自の路線への影響を他者に感じさせないことは至難の業だと私は思う。そしてそれは、他者の書いた本から受けた影響を自らの中できちんと消化・昇華できていることの証明に他ならないのではないか。

 彼らの本の読み方は、所謂乱読である。私の本の読み方とは大きく違う。私は手に取った本を気に入れば、その作家の書いたものを全て読もうとする。読もうとするだけでなく、実際に読む。すると少なからずその作家の文体に影響を受けてしまう。近年私が好んで読んでいるのは、新本格と括られる日本のミステリだ。この日記にもそれら作家の文体の影響が大きく出てしまっていると実感している。昔の私の文体は今とはかなり違っていた。学生時代からライター稼業をしていた頃、私の文体は誰にも似ていないと言われていた。しかし気付いてしまった。私の当時の文章は、SFから脱した新井素子の言葉遣いに似ていたのだ。「くますけと一緒に」「おしまいの日」を偶然読んで、気付いてしまった。文体そのものは違う。けれど言葉の選択がかなり似通っていた。句読点の使い方も似ていた。「チグリスとユーフラテス」がその印象を決定付けた。誰かの影響を読者に簡単に感じさせる文章は書きたくないと思う。その思いから今、試行錯誤している最中だ。

 記名ライターにとって最強の物は、その一文を、その一言を使うだけで、この人の文章だ、と読者に思わせる文章・一言を会得することだろう。上記某ライターはそれを持っている。私は記名ライターをしていた時期よりも無記名ライターをしていた時期の方が長かった。記名ライターの強みは、無記名ライターにとって禁忌である。無記名であるからにはライターの味を出してはならないのだ。読み易く且つ誰が書いたかを想像させない文章が要求された。無記名ライターとして何かを書くからにはその要求に答えなければならない。なので不本意ながら特長を感じさせない文章を書く必要に迫られた。記名ライターになってからは、その分野にありながら違う分野の話を持ってくることで独自性を見出した。ずるい手法である。違う分野の話を書きつつ、独自の言葉の選択や文体を駆使していたつもりだ。ところが、蓋を開けると新井素子……。独自ではない。苦悩した。今書いているこの日記は、新本格ミステリ作家の影響が強いが、その中の誰かに似ている文章ではないとは思う。だが、独自の文章であると思いつつ新井素子の影響を受けているような文章を書いていた過去がある故に、この文章によく似た文章で何かを綴っている作家やライターがいる可能性は否定できない。その作家やライターの存在を、昔の私が寡聞にして新井素子の文体を把握できていなかったかのように、今の私が知らないだけかもしれない。

 上記某ライターは非常に得をしている。そのライターの名を出せば、知っている者は或るふたつの単語をまず思い出す。そのうちのひとつは、確かにそのライター独自の言い回しである。しかしもうひとつはかなり前からいろいろな人に使われてきた言い回しだ。若く且つ知識量の足りない読者は、その両方を某ライター独自の物だと勘違いしている。後者の言い回しをも独自の物だと思わせてしまうだけの力のある某ライターなのだ。恐らく私はもう、その某ライターと同じ土俵で文章を書くことはないだろう。その分野に興味が再び戻ることはなさそうだというのがひとつ。私よりも圧倒的に文章力・表現力・観察眼に長けたライターが数多いるというのがひとつ。更に個人的な苦い思い出が絡まる。或る大御所に編集者を紹介してもらい、その分野のライターとしての登竜門的な本に書かせてもらう機会があった。3〜4回のダメ出し・書き直しを経て……没になった。その本が発売され、私が書くべきページだったところを見ると知人の知人が書いていた。客観的に見て、私の書いたものの方が優れていると思った。紹介してくれた方に私の最終稿を送り、感想を聞いた。私と同意見だった。そして私の原稿が没になった理由は、婚期を逃した30代独身女性って奴ぁ! と思わせられるものだった。またそんな編集者だと知っていつつ私に紹介したその大御所にもやや腹が立った。出版業界なんてどこも似たり寄ったりで汚いものである。それでも尚戻りたい気持ちがあるのは、私が持つ特技が唯一活かせる業界だからだ。戻る際には同業界でも少しでも綺麗な分野に戻りたく思う。

理想形

2003年11月24日 雑感・所感
 これを記しているのは11月25日。

 周囲を見回すと当然ながら私よりも優れた人間の方が多い。そして私もかくありたいと思う。もっと愛想よく、もっとしっかりと、もっと清潔に、もっと我慢強く、もっとてきぱきと、もっと利口に。見習って自身を向上させたいが、私が各方面に頑張るときっとこうなるだろう。いつもにたにたと笑い、やたら厳格で、とことん潔癖に、物凄く頑固で、ときどき機敏で。利口は真似しようと思ってできるものではないので除外し、その他を並べてみた。大変に気味が悪く、決してお近づきになりたくなさそうな人間像になってしまった。歪である。ただでさえ歪なのに更に各欠点を助長させそうだ。全部を取得したいと思うからいけないのだろうか。けれども欲張りな私は、どれかに絞って真似る・伸ばすなどはできそうもない。私に最も足りないものは何だろう。足りないものが多過ぎて、そもそも私がダメ、というような全否定に陥りそうである。

 視点を変える。うちには小動物が2匹いる。その1匹が私の思う理想的な姿形と性格をしている。しなやかで触れると暖かく、器量が良く、人見知りせずに誰とでも仲良くなれ、知性的な瞳でじっと人を見詰める。意思表示はしっかりとし、甘え上手だが突き放したところもあり距離の取り方が適切で、我侭放題に見せつつも思いやりがある。わたしゃ女の天才なのさ、と言ったのは仲代桂子だが、この1匹の方が私には女の天才に思える。先日、近所のペットショップで同種の子たちを見たが、ある子は愛想はいいが知性が足りなさそうであり、ある子は知性は満ち満ちていたが愛想が足りなかった。うちの子は両方を満たして余りある。飼い主莫迦・莫迦飼い主と思われそうだが、そう言い切れはしないだろう。私の周囲のこの種類がさほど好きではない者たちも、男女を問わず皆この1匹の虜となっている。可愛い、美声、利口など様々な褒め言葉をこの1匹に浴びせて賛美するのだ。この1匹は、人を魅了する要素を凝縮した生き物ではないか。この1匹の名は、生まれ月の誕生石をもじった物である。小洒落ていつつも呼びやすく、可愛らしい名前だと我ながら思う。そしてその名に相応しく育ってくれた。私がひとり暮しをしていた頃、よく友人らに語っていたことがある。彼氏は私よりも小動物らを大切にしてくれる人じゃないと嫌だ。うちのは私よりもこの小動物らの方が可愛いらしい。特にこの1匹にはメロメロである。この1匹もうちののことを彼氏だと思っており、私のことを使用人だと思っている様子がありありと見て取れる。因みにもう1匹にとっても私は使用人である。悲しい。

 そんな訳で、あらゆる魅力を詰め込んだこの1匹から人を惹き付ける秘訣を盗みたく、いろいろと試行錯誤しているのだがなかなか上手くいかない。種は違うが魅力を言葉にできるということは、その言葉を人間に当て嵌めて我が身で表現できればいいのだ。……困難。私が育てたのだからこの1匹が兼ね備えた魅力は、私の中の眠れる魅力だと思っていたのだが甘かった。私はそんなに可愛くも賢くもないし、表現力に至っては足元にも及ばない。これが天賦の才というものか。仲代桂子は幼少時から並々ならぬ努力をして女の天才になった。けれど彼女は強すぎる。うちの1匹にある隙がない。隙とは男女問わずモテの最大要素のひとつである。モテ要素とは彼氏彼女を作る際にも必要ではあるがそれだけではなく、円滑な人間関係、特に第一印象を決めるに重要な要素である。私はうちのによりモテたく、また円滑な人間関係を築きたいので周囲の人間やこの1匹の魅力や長所を分析している。分析はかなりできていると思うのだが、それを自身にトレースすることの難しさはこの上ない。

 昨日来た憧れの友人がトイレに立ったとき、私はうちのにこう言った。彼女は私の思う女の子の理想形。うちのは私にこう言った。真似すればいいじゃん。簡単に言ってくれるが、それは気まずかろう。人をそのまま真似るなら遠い人でなければならない、というのが持論である。近しい相手だと真似られていることに気付いたとき、真似ていることに気付かれたとき、お互いに非常に嫌な気分になると思うのだ。なので彼女の魅力を直接真似ようとは思わない。また真似ようと思って真似られるものでもない。これは女の天才である、うちの小動物の1匹にも同じことが言える。私も気付いてはいるのだ。各々の魅力は真似ようと思って真似られるものではないし、また真似できたところでそれは他者の魅力のトレースでしかなく、そこから自身のオリジナルにしていくのは困難であることを。ならば自分を魅力的な人間にしていく為にはどうすればいいか。既に持っている魅力を他の欠点が霞むくらいに伸ばしつつ、欠点を少しずつ直していけばいい。

 そして自身を振り返る。私が既に持っている魅力とは何だろう。直すべき欠点は何だろう。後者は数限りなく思いつくが、前者がさっぱり思い付かない。他者に褒められる箇所がない訳ではない。しかしそれらが自分で納得できない。褒められても自分のそれは大したことがないと思ってしまう。卑下しているつもりはない。完璧主義の悪しき点がここにも表れてしまっているのだ。褒められれば有難うと答える。けれど内心では、まだまだなのに……、と思う。まだまだということは、どこかに到達点があるかのようだが、そんなものはない。どこまで行けば自身の納得が伴うのか判らない。そんな見果てぬ先を見て、まだまだと落ち込む。長らく書いていないが、履歴書に自分の長所を書く欄がある。昔、この欄にとても悩まされた。思いつかないのである。悩みに悩んで、私の短所の表現の角度を変え、長所らしく書くようになった。角度を変えれば、言葉を変えれば、長所は短所に、短所は長所に置換可能なのだ。私の脳は自動卑下置換機能が働いているのだろうか。他者を見て、褒められて育った人間は強い、と思う。私は小動物らが悪さをしない限りは褒めて育てた。褒められると自信がつくのは種に関係ないのだろう。愛されている実感がある生き物は、自然と自分を大切にできるようになる。他者への愛と自己愛のバランスが取れている人は見ていて気持ちがいい。私も上手いバランスを見つけたい。呪詛が解けたとき、それが見つかる気がする。早く解放され、自身を愛せるようになりたい。

BGM/アルバム「押絵と旅する男」
 これを記しているのは11月25日。

 昨日の朝、憧れの友人から電話があった。いきなり、ごめんね、と言う。そして、寝てた? と質問。起きていたよ、と答えてもまた、ごめん、と謝る。起きていたのだから何も問題はないのに何故に謝られるのか。今、都内某所にいるのだけれど今日会える? と。成る程。当日誘いが禁忌の私に、それをしようとしていた故の先制謝罪だったか。久々だし、滅多に会えないし、当然OKする。何時くらいならいい? の問いに、何時でもいいよ、と答えると驚かれた。彼女は私をよく知っているので、私が入浴する為に数時間は待たされると思っていたらしい。本当に偶然なのだが、私は前日に顔を洗っていて産毛処理、眉の手入れ、ガスールパック迄していた。歯磨きもし、脂落とし迄していた。問題は体と髪だ。体は冬なので露出も少ないし小綺麗な恰好をしていれば問題なかろう。彼女がいるという都内某所からうち迄の距離を考えると、その間に髪をシャンプーして整えられるだろうと計算しての、何時でもいいよ、だった。彼女が私の最寄り駅に到着したら再度電話をもらえるよう約束して切った。急いでうちのの朝食を買いに行き、戻ってすぐにシャンプー。急いでいてもプレシャンプーが省けなかったのはやはり宜しくない。けれどもどうにか彼女から到着を知らせる電話をもらったときには、髪も乾かし身なりもそれなりに整っていたので、必要以上に待たせることなく出かけられた。前日にパックだなんだとしていたのは、何かの虫の知らせだったのだろうか?

 会って食事をしながらコスメ談義。彼女は友人連中の中でもコスメやファッションへのアンテナが高いので、ひとつひとつ説明しなくてもどこどこのアレと言えば、それ以上の説明をしなくても会話が続くので楽だ。特にコフレ類などは説明が面倒なのだ。彼女は今年はクリスマスコフレ・クリスマス限定色ラッシュを耐えているらしかった。私も本来ならずぶずぶにコスメフリークの春を満喫している予定だったのに、周辺事情のゴタゴタにより情報収集がままならず何も購入していない。ボーテ・ド・コーセーのキットが好評らしいと知ったのは一昨日辺りだが、きっともう完売しているだろう。ボビィの限定縞々チークに狙いを絞るか、と考えているが、ランコムの秋の限定チークも未使用なのにまたチークってのもなあ、と悩んでいる。やはりタイムリセットキットの美容液にするのが無難か。食事の前に彼女が鞄から「症例A」を取り出して、今読んでいるんだ、と言っていたのが嬉しかった。自分が面白いと思ったり何かを感じさせられたりした物を薦め、身近な人間がそれを手にしてくれるのを私はとても嬉しく思う。そして同じような感想を持ってくれると更に嬉しい。それからフリーマーケットを覗いて少し買い物。一目見て気に入った黒の羊革コートがあったが高いので諦め、他の店で安価なシャツやスカートなどを購入。途中何度か彼女に、これどう? と訊かれたので全てに、いいんじゃない? と答える。どうも止めて欲しくて訊いていたらしい。知らん。似合わない物ならば止めるが、彼女が選ぶ物は無難なものが多かったので止めようがなかったのだ。私が手に取る物を見て彼女が言った。相変わらず小花柄好きだね。小花柄好き……自覚がなかったのだがワードローブを思い出し、納得。彼女曰く、どうやら学生時代から私は小花柄好きだったらしい。彼女に限らず観察眼の鋭い友人は有難い。自覚のないところに気付いてくれ、指摘してくれるからだ。当分は小花柄は控えよう。

 その後やっとうちに招待。うちのは布団で寝ていると思っていたのに、布団を上げ、パジャマから普段着へと着替え、テーブルをあるべき位置に置き体裁を整えてくれていた。そこから雑談という名の、彼女とうちのとによる私を莫迦にする会話が始まる。失礼な! 眼鏡と髭と袴の何が悪いのか! どれだけ良さを語ろうとふたりに全て却下される。そんなに好みが悪いのだろうか……。それから彼女と私とで、女の子は服が欲しいものなんだ! とうちのに力説。この話でうちのによる私への、服多すぎにつき処分しろ攻撃が軽減されるかと思ったが、彼女は服の多さに反省をし減らす努力をしなければと思っていたので作戦失敗。しかし購入したまま隠していたブーツなどを、この機会にうちのに見せられたのはよかった。私はいつも違う服を着ているとうちのは言う。いつもというのは、着替えるたびにという意味だが。そしてそのたびに質問される。それ、いつ買ったの? と。私の答えは2パターンである。ひとつは、前から持っていた。もうひとつは、かなり前。その都度、適当に答えているのでどの服にどちらで答えたかは覚えていない。干しっぱなしになっているスウェットについて話しているときに、うちのに再び質問され、以前答えたものと違う方を答えてしまって焦った。彼女には、自分がついた嘘くらい覚えておけ、と突っ込まれる。確かに。普段なら以前と違う回答をしたことにぐちぐちと文句を言ううちのだが、彼女がいたお陰で私の適当さに話が逸れて助かる。普段なら私が話を逸らそうとしても追求してくるのに。うちのはとにかく外面がいいのだ。

 帰路に着く彼女を駅まで送っているときにうちのの印象を訊いてみる。案の定、外見・中身共にいい印象を持ったらしい。またこの日記を読んでいた彼女は、うちのと私はもっと険悪な仲だと思っていたらしい。よく誤解されるのだが、うちは喧嘩になるとお互いに徹底的に相手を攻撃し、ふたりとも精神的にとても消耗するのだが、通常はとても仲が良い。4年も一緒に生活しているとは思えないくらいに仲良しだ。ただ友人にうちのの話をするときやこの日記を書く際は、どうしても愚痴が多くなる。これだけ長く一緒にいると、相手の長所は生活に埋没し短所が目立つ。因って愚痴が多くなる。長所を語ろうと思うと惚気になりそうで気恥ずかしいというのもある。他者に上手く連れ合いを褒めることができる人間は格好よく思う。きっと大切なのはさりげなさなのだろう。もっと長く一緒にいれば上手く褒められるようになるのだろうか、それとも努力が必要なのだろうか。私はどちらかといえば、せっかちである。長くを待つのはまどろっこしいので、褒めることができるよう手っ取り早く努力をしてみたい。

BGM/アルバム「修羅囃子」
 昨日今日は久々に平和な日だった。本当にどれくらいぶりだろう。最近はほぼ毎日、腹が立つことか悲しくなることばかりで埋め尽くされていたので、余りの平和さに却って落ち着かなくなったり。今日は朝起きて、昨夜読みかけだった某巨大掲示板の某板某スレを全て読み、もう一度寝て、起きて昨日の夕飯の残りで昼食を食べ、コンビニにおやつと雑誌を買いに行き、2時間かけて夕食を作り、現在に至る。凄く平和。その間、うちのとの喧嘩もなかった。会話もテレビを見つつディズニーランド行きたいね、雑誌を捲りつつこの服かわいいね、など。うちのの風邪も1日で回復。他所の家の休日は大概こんな感じなのだろうか? 2時間かけた夕食、いきなりうちのから、美味しい、の言葉が出てきて驚いた。おかずの大根と鶏の煮物に対してである。簡単そうに見えて実はちょっと手間のかかった料理なので解せなくはないが、しかしこう、もっと見た目からして手が込んでいる風の物に賞賛を得たいと、やはり思う。贅沢なのだろうか。

 こうも平和だと現実味がない。諸々の問題が消え去った訳ではないのだが、取り敢えず平和な2日間。なので久々に某巨大掲示板専用ブラウザで既得スレ巡回。すると以前は伸びの悪かったスレがかなり伸びていた。10月22日付の日記で触れたスレである。上に、平和だと現実味がない、と書いたが相変わらず私には平和でなくとも現実味は薄い。スレが伸びていたということは、そのような者が多数いたことに他ならない。一通り読んでみた。どの人もスレの基本となっている虚構内存在の自覚は持っている。けれど、その虚構の設定や自覚の仕方が人によってかなり違う。自分だけが虚構内存在と思っている人、皆が虚構内存在だと思っている人。自分がいる虚構の世界には確固たる支配者的存在があると思っている人、支配者的存在は感じていない人。本当に様々だ。共通点は、自分は虚構内の存在である、と意識している点しかないと言っても過言ではない。どうも私のように夢と現の区別がつかないという人は少ないようだ。
・夢と現の区別が曖昧
・考え事をしているときなどに、虚構の世界の存在が入り子式になっているのでは? という疑問が湧く
・支配者的存在は感じない
・自分以外は皆宇宙人ではないか? 自分以外は皆テレパシーで意思疎通ができているのではないか? といったSFじみた疑問も持ち続けている
・どこかにれっきとした、現実の世界、は存在している
 これらは全て子供の頃から取り付いて離れない事柄であり、項目毎に関連性がなかったり矛盾があったりするのも承知である。下から2番目の考えは特にデンパな香ばしさが感じられるだろう。デンパではない……と思いたいが。因みに統失患者のような破滅妄想はない。現実感が乏しいということに焦点をあてて主治医に相談したこともあるが、離人症ではないらしい。離人症は自分が自分でないような感覚を強く継続して持つ病気なので、私がそうでないのはまあ解る。自分は自分だという認識はある。けれど、現実が現実でないような感覚、というのは何なのだろう。誰かしらは、現実、というものをきちんと知っている筈だ、と思っている。その人が誰かは判らない。それは判らないままでもいいがその、現実、を知っているという根拠が知りたい。根拠が解れば私にも現実が認識できるのではないか、夢と現の区別がつくのではないかと思う。

 また何度も書いてきている固執的完璧主義について、それっぽいスレを発見したので読んでみた。ついでに強迫性障害のテストもしてみた。テストの結果は、要受診。これ迄私の事柄による0か100か思想は単に固執的完璧主義というものだとしか思っておらず、0と100の意味するところをよく考えてはいなかった。100は解る。完璧でなければならない、という強迫観念に基づくものだ。では0は何なのか。スレを読んで解った。0は、100でないなら0も99も同じ→その物事に手を出さないことで0の完璧を求める、ということだったらしい。私は固執的と自覚があるように、事柄によってこの症状が出ているが、気にならないところは徹底的に気にならない。もしかしたらこの、徹底的に気にならない、というのも0方向の完璧主義なのかもしれない。要受診、と出たので主治医に相談してみようと思ったが、やめた。私が病気や薬についていろいろ調べることを元々良くは思っていない主治医だし、強迫性障害の話を持ち出しても、また何か要らぬ知識をつけてきたな、くらいにしか思われなさそうである。なので本当は医師の指示の下に実践すべきである暴露反応妨害法という行動療法にひとりで取り組んでみようかと思った。が、第一歩を踏み出すのにかなりの勇気が必要である。暴露妨害法とはその事柄に敢えて取り組み、しかも満足いかなくても中断するという行動に意識を慣らしいてくものである。大変に効果のある行動療法らしいけれども、最初はかなり苦しいらしい。私の固執的完璧主義が最もよく現れている入浴。これを時間で区切って納得が行かなくても無理矢理短時間で済ませてみようかと思ったのだが、とても怖い。今、これを20分と設定してやってみるとする。洗顔をして、プレシャンプーをし、シャンプーをし、両腕の垢すり終了辺りでもう20分経っていそうだ。こんな半端な状態で入浴を切り上げるなんて不可能だ。半端な入浴に嫌悪感を感じそうだし、それによって抑うつ症状が増すのが目に見えている。けれどやらなければ私はいつまで経っても、毎日短時間入浴する、ということができなさそうである。いつから取り組むべきか。と考えている時点で、完璧主義が抜けていない。取り組むからには完璧にその療法を敢行しようとしていることに他ならず、完璧に敢行できなければやらない方がマシ、と。いつかは踏み込まねばならないのだろうが……。

 中途半端、というものが判らないのだ。ダメと完璧は判る。しかし中途半端とはどの辺りなのか。6割や8割の場所が判らない。ここでまた完璧な6割や完璧な8割を目指してしまっていることになってしまっている。どこ迄も続く悪循環。ここが虚構内だとはっきり認識できていれば、いい意味での適当な行動や思考ができるのかもしれない。ところが私の現実感のなさの根底は、ここは夢か現か、なのだ。夢ならば中途半端な入浴も可能そうだ。けれどもしここが現実なら中途半端な入浴は絶対に嫌だ。どちらから解決していけばいいのか判らない。どちらも解決の糸口は見つからない。いい意味での適当ができる人は凄いと思う。きっとそういう人は夢と現の区別もついているのだろう。メンヘル系の病気は複雑に絡まり過ぎている。知識がなければ良かったのだろうか。観念的事項を考えることが嫌いになれればいいのだろうか。ついた知識を消すことは難しい。観念的事項を考えない生き方は想像できない。八方塞である。折角の平和な日々もこのような苦悩で費やされることに勿体無さも感じる。この貧乏根性がまた嫌だ。
 ここ2年ばかり、うちのは凄い。毎月のように1ヶ月の残業時間が200時間を越える。とにかくよく働いている。土日出勤や平日泊まりになることも当然のようにあり、帰宅しても1日の睡眠時間90分なんてことがざらにある。しかも根を詰めて仕事するタイプなので、これ迄は縁のなかった肩凝り腰痛にも悩まされ始めた。いつ過労死しても不思議はない。本人も、このままじゃ死ぬ、転職したい、とよく溢している。そして今日、遂に倒れた。昨日から39.0℃前後の発熱が続いている。それでも打ち合わせだなんだで出社の必要があったらしく、午前中は行こうかどうしようか考えていたようだが、午後になってからは、もう知らん、と言い出して今は寝ている。私は年に1度、40℃近い熱を出して倒れるのが恒例となっている。しかしうちのがこれだけの発熱をして倒れたのは、この4年で初めてだ。近所の内科に行かせたら、2時間近く経ってから、薬だけもらって怒りながら帰ってきた。前回私が倒れたときには点滴を打たれたので、てっきり同じように点滴で時間を取られたのだと思っていたのに、どうやら殆どが待ち時間であったらしく、点滴も注射もなかったらしい。薬局の薬剤師さんが他の客と話しているのが聞こえてきたところによると、今年の風邪は高熱が出るものらしいので、うちのは病院で適当に扱われたようだ。

 その昔、私は飽きっぽくもあったが凝り性だった。ひとつの物事に嵌ると毎日それに時間を費やし、他のことはしなくなる。その中で料理に嵌って凝った物を連日のように作っていた時期がある。同棲を始めた当初と狂牛病騒動が大きかった頃だ。特に狂牛病騒動のときは牛関連食物を全て排除し、カレーは市販のルーに頼らずにスパイスから、ミートソースも缶やレトルトに頼らずに鰹を叩いてトマトで煮込んで作ったりしていた。家事全般の中で特に好きなのは料理である。けれども病んでからは慢性的な抑うつで余り料理をしなくなった。昨今の疲れと昨日の読書疲れで昨日は早々に床に着き、帰宅したうちのの相手もせずに寝ていた。久々に熟睡できたのは良かった。それなりに気力と体力がなければ、数日だけであっても看病などできない。今日は寝覚めも良く、午前中から近所のあの憎きスーパーに買い物に行ってきた。あのスーパーで買い物などしたくはなかったが、行きつけの八百屋は夕方近くにならないと開かないので、仕方がなかったのだ。買い物前にネットで風邪に効く料理を検索。うちにもレシピ集はあるが、食材別や所要時間別のものであり、体調不良の症状別などと言うものはない。ネットは本当に便利だ。

 昼食に作ったのは、厚揚げと茸類の炒め物及びニラ玉粥。厚揚げと茸類は本当は炒め物にする気はなかった。当初は私のオリジナルレシピである、厚揚げの茸あんかけを作る予定だったのだ。急遽変更の理由は、茸類を炒めたときにちっとも水分が出なかったからである。水分が出たらそれに片栗粉を加えてとろみをつけ醤油と若干の塩胡椒で味付けし、オーブンで焼いた厚揚げにかけるのが本来のレシピだ。ニラ玉粥は、検索で引っかかった発熱を伴う風邪に効くおじやレシピを基本だけ押さえて簡略化した物だ。発汗作用の最も強い野菜は生姜だと書かれていて、そのおじやに必須の野菜として生姜・大蒜・葱・ニラが挙げられていたので、それらを胡麻油で炒め、ごはんとシラスを加え、だし汁で煮込んでから溶き卵を落としてひと煮立ちさせて完成。私にはまあまあ美味しかったが、うちのには生姜が強すぎると言われた。確かに生姜は多く入れた。けれどもそれは、風邪をひいたうちのの発汗を促す為である。そこに文句を言ってくるとは恩知らずめ。ややムッときたが相手は病人。我慢しなければならない。それにうちのは、私が肉体的に具合の悪いときや精神的に徹底的にダメなときは基本的に優しい。仕事により慢性疲労なので食事を作ってはくれないが、仕事帰りにレトルトのお粥や私がリクエストした桃缶とプリンはちゃんと買ってきてくれる。同棲も長い所為か、この頃では風邪での発熱・食欲不振を訴えると、リクエストしなくても桃缶やプリンを買ってきてくれるようになった。点滴を受けなかったと聞き、買い物に出る前にはポカリを買ってこようと思っていたのに、すっかり忘れて帰ってきた私とは学習能力が違う。

 同棲し始めたとき、私はレパートリーが乏しかった。また味付けの勘も悪く、酷いものを作ったこともある。その中には未だにうちのにとって忘れられない料理もあるらしい。うちのは褒めない人間だと前にも書いた。料理でも、美味い、と言うことは少ない。美味しいときはまあまあ、不味いときは味見をしないことを怒られる。私は味見をしないのだ。そして作るときは、1度でも作ったことがあるものなら全て目分量で味付けしてしまう。なので毎回微妙に味が違っていたりするが、私はそんなに気にはならない。毎回、それなりに美味しい、と思える。うちのが言う私が作った中で忘れられない料理は3つ。まず大根の黒胡椒炒め。これ程辛い物は食べたことがなかったらしい。敗因は、適量の黒胡椒では見た目に物足りなくて適当に見栄えが良くなる迄胡椒の量を増やしてしまった点にある。次に雑煮。私には美味しかったのだが、うちのには、鶏がらの味しかしない、と酷評されて鍋いっぱいに作った殆どを私ひとりで食べる羽目になった。最後に蕎麦。この敗因は私の点検ミスである。乾麺の蕎麦を取り出したときにも湯がいたときにも気付かなかった。食卓に出し、食べ終わる寸前にうちのが言った。おわんの中を見せつつ、これ何……? と。観察したところ、蟲の幼虫だった。うちのはすぐさまトイレで吐いた。私も吐こうとしたが、やや嘔吐恐怖の気がある為、吐けずに終わった。暫くは腹の中で孵化したらどうしようと不安ではあったが、湯がいている時点で死んでいた筈だし、私は今も生きているので大丈夫だろう。それにしても蟲の湧いた物を食べさせられても、私と結婚したいと言ってくるとは何と奇特なうちのだろう。大切にしなければ、と今これを書いていて改めて思った。

 今は食材点検も欠かさないし、凝った頃の勘も失っていないので、そんなに酷いものは作らない。うちのに褒められた料理も幾つかある。スルメイカ炒めのバルサミコ酢和え・市販ルーを使ったカレー・鳥はむのゴールデンスープを使ったラーメン・市販のパンプキン・スープと缶詰のミートソースを使ったパスタなど。共通して言えることは、どれも手がかかっていない物だということだ。簡単で単純な料理程好評。解せない。いや、腹が立つ。これではまるで私が手をかければかけるだけ、料理が不味くなっていくようではないか! うちの曰く、家では家庭料理らしい単純な物の方がいいんだよ、とのことだが、手をかけた物程褒められたいというのも作る側の人情ではないか。今夜の献立は豚汁と大根と鶏の煮物の予定。気力があれば里芋の煮っ転がしも作るか。一度でいいから凝った料理で、美味い、と言わせてみたいという野望がまた湧いてきた。テールシチューにでも挑戦してみたいところだ。問題は、いつになったらそんな大作に手を出す気力が戻ってくるかである。うちのの風邪が治ったら、元通り料理からは縁遠くなりそうな予感だが。

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