梅雨ってなんだっけ? というような晴天続きの日々。たまに雨が降ってもすぐに止んでしまったりで、真夏の断水が怖い今日この頃。節水の為に入浴回数は控えめで……。とにかく暑くて機嫌が悪い。うちのとも顔を合わせると言い合いになる芳しくない傾向。今朝はTシャツについての言い合い。うちのは日頃、釦ダウンのシャツのインナーに、半袖Tシャツを着ている。半袖Tシャツは主にユニクロの3枚パック。私には洗濯をするときに、襟元の汚れなどをチェックする習慣がない。と言うのもチェックしたところで、まだ大丈夫でしょ、と全て問題なしと判断してしまうのだ。目立つシミなどがあれば別だが、全体的についた汗染みなどは気付かない。うちのはそういう点に煩い。今朝シャワーを浴びてからTシャツを着て、これ襟元が黒ずんできているよ、と言い出した。そうか? 私にはよく解らん。黒ずんできてるんだよ! はあ。買い足しといてよ。明日でいい? なんで明日なんだよ。今日は出かけるつもりなかったし。普通は言わなくても彼女なり奥さんなりが気付いて買っといてくれるもんだろ。はあ。あんた、こんなシャツを彼氏に平気で着せている彼女だと思われていいの? 別にいちいちそんなとこ見ないし。なんでも自分を基準にするのは良くない! 俺は見るよ! はあ。じゃあ買ってきて。えー……、今10枚はあるでしょ。ないよ! あるってば。じゃあ数えてみろよ、なかったら買ってきてよ。と、数えてみると、インナー用衣装箱の中に半袖Tシャツが7枚+外に干してあるのが2枚+洗濯籠に1枚。ちょうど10枚あるよ。衣装箱の中だけであるかっつってんだよ! 最初そんなこと言ってなかったじゃない、全部合わせて10枚あるってば。もういい! 腹が立つから口を利くな! ……。
そのまま無言で通しはせず、ちゃんと普通に喋ってからうちのは仕事に行った。暫くして電話あり。直ぐに切れた。着信履歴を見ると親からだったのでかけてみた。私がまだ寝ているかと思って即切りしたらしい。因みに着信時間は9時半過ぎ。ここ数日、私は22時頃寝て、5〜8時の間に起床する激しく健康的な生活。親の用件は、祖母の健康状態とお盆の帰省についてだった。祖母の具合が著しく悪くなっているらしく数ヶ月前以上にやせ細っている上、もうベッドから自力では起き上がれないとか。長くはないらしい。親曰く、今年の冬迄は持たないだろう。親孝行として孫の中で一番可愛がられていたあんたを会わせてあげたいから、お盆に一緒に行かないか。深夜バスのチケット発売日迄に連絡をくれ。お盆帰省の打診は前からあり、今も迷っている最中である。祖母は私に会うと喜んでくれる。私も祖母が好きだ。しかし。前回祖母の見舞いに行ったとき、もう会いたくないな、と思ってしまったのだ。ひとりでは動けない、食事の嚥下も苦しそう。そんな祖母を見るのがとてもつらかったから。これは私の我侭である。まだ先がある者の我侭よりも、老い先短い者の希望を叶えるのがひととしては正しかろう。それでも私は見たくない。元気だった頃の祖母の姿を鮮明に覚えておきたいのだが、会うと私の記憶の中で苦しそうな祖母の姿の方が色濃くなってしまう。親に、祖母を見るのがつらい、ということを伝えた。そして行くかどうかもう少し考えさせてくれ、と。すると、こういうのは人によって考え方が違うしいいよ、今つらくて会わないで後々後悔するか、会いに行くか考えなさい、と言われた。これはもにょる。
親が親孝行をしたがっているのはよく解る。だが、その親孝行に私を使われるのは御免だ、という気持ちが強い。私の中に親への確執はまだあるのだ。そして私の医師を尊重するかのようだけれども、よく聞くと必ず後で後悔すると決めてかかるような言い方。私が帰らないと言う答えを出したとしたら、いいよ、と言いつつ、先々迄ことある毎に嫌味を言われ続けることは明白である。この夏に祖母の元へ行かなかったとして、私はきっと後悔するだろう。それは生きているうちにもう1度祖母に会っておきたかった、ではなく、こんな嫌味をずっと言われるくらいなら行っておけばよかった、だ。こんな気持ちで会いに行っても、祖母は喜んでくれるのだろうか。疑問である。今の私には、弱った祖母を直視する勇気がない。また別の問題として、私のPDも治まってはいない。発作も予期不安もちょくちょく起きている。長時間、親や叔母や従弟たちに会うのも気が重い。答えを出す迄の猶予は一週間弱。
祖母は以前から親と叔母に遺言として、密葬を希望しているらしい。親の兄姉妹らは死んだ祖父と存命の祖母の扱いを巡って二派に分かれて関係が悪化している。長男がどのような葬儀を出すかはまだ不明だけれども、祖母の意思を無視した葬儀を行うようならば、親と叔母は通夜には欠席して告別式だけに出る予定らしい。すると私や叔母の子供らは、通夜に出席したいと思っても出ることを強硬に反対されるのだろう。私はその二派のどちらの味方でもなく、ただのひとりの孫である。関わりたくない。巻き込まれたくない。当然ながら祖母が希望する形での葬儀が理想ではあるけれども、例えどんな形の葬儀であっても孫としてきちんと見送りたいと思っている。孫の意思は子によって憚られて然るべきものなのだろうか。ひとの死は、そんなものではないと思う。故人を弔う気持ちに邪魔が入るのは如何なものか。祖母が希望している密葬を行うのが最良である。けれどきっと所謂一般的な葬儀が執り行われる。定年退職して地元に家を買ってそこに住んでいる、長男の世間体が重視されるだろうから。実にくだらない、くだらなさ過ぎる話でげんなりする。葬儀は遺された者の為にするものだ、というのが私の基本的な考え方である。だが、それは決して世間体などに振り回されるようなことではなく、死者の記憶をどのように整理するか、という意味だ。死者への感情整理の為の葬儀。そして死者の最後の願いを叶える葬儀。両立は可能だ。可能なのに身内の中での格付けやその他諸々で不可能になるなんて、大変おかしな話である。孫の立場は弱い。弱過ぎて無力な私も情けない。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
そのまま無言で通しはせず、ちゃんと普通に喋ってからうちのは仕事に行った。暫くして電話あり。直ぐに切れた。着信履歴を見ると親からだったのでかけてみた。私がまだ寝ているかと思って即切りしたらしい。因みに着信時間は9時半過ぎ。ここ数日、私は22時頃寝て、5〜8時の間に起床する激しく健康的な生活。親の用件は、祖母の健康状態とお盆の帰省についてだった。祖母の具合が著しく悪くなっているらしく数ヶ月前以上にやせ細っている上、もうベッドから自力では起き上がれないとか。長くはないらしい。親曰く、今年の冬迄は持たないだろう。親孝行として孫の中で一番可愛がられていたあんたを会わせてあげたいから、お盆に一緒に行かないか。深夜バスのチケット発売日迄に連絡をくれ。お盆帰省の打診は前からあり、今も迷っている最中である。祖母は私に会うと喜んでくれる。私も祖母が好きだ。しかし。前回祖母の見舞いに行ったとき、もう会いたくないな、と思ってしまったのだ。ひとりでは動けない、食事の嚥下も苦しそう。そんな祖母を見るのがとてもつらかったから。これは私の我侭である。まだ先がある者の我侭よりも、老い先短い者の希望を叶えるのがひととしては正しかろう。それでも私は見たくない。元気だった頃の祖母の姿を鮮明に覚えておきたいのだが、会うと私の記憶の中で苦しそうな祖母の姿の方が色濃くなってしまう。親に、祖母を見るのがつらい、ということを伝えた。そして行くかどうかもう少し考えさせてくれ、と。すると、こういうのは人によって考え方が違うしいいよ、今つらくて会わないで後々後悔するか、会いに行くか考えなさい、と言われた。これはもにょる。
親が親孝行をしたがっているのはよく解る。だが、その親孝行に私を使われるのは御免だ、という気持ちが強い。私の中に親への確執はまだあるのだ。そして私の医師を尊重するかのようだけれども、よく聞くと必ず後で後悔すると決めてかかるような言い方。私が帰らないと言う答えを出したとしたら、いいよ、と言いつつ、先々迄ことある毎に嫌味を言われ続けることは明白である。この夏に祖母の元へ行かなかったとして、私はきっと後悔するだろう。それは生きているうちにもう1度祖母に会っておきたかった、ではなく、こんな嫌味をずっと言われるくらいなら行っておけばよかった、だ。こんな気持ちで会いに行っても、祖母は喜んでくれるのだろうか。疑問である。今の私には、弱った祖母を直視する勇気がない。また別の問題として、私のPDも治まってはいない。発作も予期不安もちょくちょく起きている。長時間、親や叔母や従弟たちに会うのも気が重い。答えを出す迄の猶予は一週間弱。
祖母は以前から親と叔母に遺言として、密葬を希望しているらしい。親の兄姉妹らは死んだ祖父と存命の祖母の扱いを巡って二派に分かれて関係が悪化している。長男がどのような葬儀を出すかはまだ不明だけれども、祖母の意思を無視した葬儀を行うようならば、親と叔母は通夜には欠席して告別式だけに出る予定らしい。すると私や叔母の子供らは、通夜に出席したいと思っても出ることを強硬に反対されるのだろう。私はその二派のどちらの味方でもなく、ただのひとりの孫である。関わりたくない。巻き込まれたくない。当然ながら祖母が希望する形での葬儀が理想ではあるけれども、例えどんな形の葬儀であっても孫としてきちんと見送りたいと思っている。孫の意思は子によって憚られて然るべきものなのだろうか。ひとの死は、そんなものではないと思う。故人を弔う気持ちに邪魔が入るのは如何なものか。祖母が希望している密葬を行うのが最良である。けれどきっと所謂一般的な葬儀が執り行われる。定年退職して地元に家を買ってそこに住んでいる、長男の世間体が重視されるだろうから。実にくだらない、くだらなさ過ぎる話でげんなりする。葬儀は遺された者の為にするものだ、というのが私の基本的な考え方である。だが、それは決して世間体などに振り回されるようなことではなく、死者の記憶をどのように整理するか、という意味だ。死者への感情整理の為の葬儀。そして死者の最後の願いを叶える葬儀。両立は可能だ。可能なのに身内の中での格付けやその他諸々で不可能になるなんて、大変おかしな話である。孫の立場は弱い。弱過ぎて無力な私も情けない。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
現在7月4日。
寝付き及び寝起きが激しく悪い昨今、うちでは喧嘩が絶えない。寝付きが悪く朝迄起きてしまっていることも度々で、そういう日はうちのの目覚まし時計が鳴ると、朝食を出す。簡単なものばかりだけれど。暑くなってきて、うちのはシャワーを出勤前に浴びるようになった。因ってうちのの朝の流れは、起きる→朝食を食べる→シャワー→着替え及び身支度→出勤。朝食を出して玄関で見送る迄の時間、私は大変に暇である。朝食に使った食器を洗うと、シャワーの勢いが落ちるので後回しにしたい。うちのは自分が家にいるときに洗濯をされると落ち着かないから嫌がる。掃除も同様。朝食迄出しておいて見送らずに寝てしまうと、これまた臍が曲がる。なのでだらだらと30分弱の時間、これ迄はPCでかちゅ〜しゃを開いたり、ネットオークションを覗いて暇潰しをしていた。そしていつも、朝からいい身分だな、おい、と嫌味を言われていた。少し前から、私がよく覗く某巨大掲示板某板某スレで、落ちゲーが流行っている。「ぷよぷよ」や「テトリス」のようなアレだ。で、スレに落ちゲーのURLが貼られていたので、ぼーっとそのゲームをしていたら、怒られた。朝からゲームなんかしてんな! そうか、ゲームをしていると怒られるのか。翌朝。この時間に私は漫画を読んでいた。ゲームをしてはならないらしいが、漫画ならまだマシだろう、と。また怒られた。朝から漫画なんか読むな! 漫画もダメか。どっちにしても怒られるのなら、とまた翌朝はゲームに戻った。シャワーを浴びる為に服を脱ぎつつ、うちのが言った。毎朝毎朝、俺だって言いたくないんだよ! 反射的にぽそりと独り言が出てしまった。なら、言わなきゃいいじゃん。背中に衝撃。うちのが脱いだシャツとパンツを投げつけてきた。何すんの! と、こちらも急速沸騰。うちのがシャワーを浴び終えて直ぐに無言で食器洗い開始。洗い終えてもうちのの身支度は終わっていない。途中で何か話しかけてきたけれど、聞く気がないから聞こえない。無視して夕食の準備をし始めると、ああそうですか、と手早く身支度を済ませて黙って出勤していった。
日常の中で、ぽっかりと空いてしまう時間は誰にでもあるもののように思う。例えば仕事中。何かひとつの作業をやり終えて、時間を見ると後15分で会議開始。15分でできる簡単な仕事があればいいけれど、次にやろうとしていた他のことに取り掛かるには時間が足りない。なのでその間は喫煙所へ。なんてことは普通だと思う。私の朝に置き換えれば、その喫煙タイムがゲームや漫画に当て嵌まる。何度か怒られているときに、そんなに暇なら掃除でもしろよ! そんな暇があったら洗濯でもしてろ! などと言われた。ここで素直にその作業に取り掛かると、うちのの身支度中に絶対に、落ち着かない! とまた怒られる。八方塞なのだ。うちが何部屋もあるとか、洗濯場所としてちゃんとそれなりのスペースがあるとかなら話は変わってくるだろう。うちのの目に付かない部屋を掃除したり、洗濯をすればいい。しかしうちは狭い1DK。掃除をしようにも身支度でキッチンと居間を行き来するうちのの視界に、せせこましく動く私が入る。洗濯をしようにも洗濯物の選り分けで、ただでさえ狭い玄関先がより狭くなる。本当にどうしていいか解らない時間なのだ。けれど、空いた15分に喫煙所に行く人を、その後の会議に出席予定のない忙しい人は、あいつは暇そうだな、と思ったりすることもあるだろう。ちょっと想像力を働かせれば、ぽっかり空いてしまった時間なのかな? 位のことは考えつきそうなものだと私は思うけれど。
また、言いたくない、と言いつつ人を注意したり叱ったり怒ったりする人も世の中には少なくない。単純に私は、ならなんで言いたくないことを言うのだろう、と思う。言いたくないことを言っている間、その人は気分が悪くないのだろうか。どうも私がこれ迄に出会ってきた、言いたくないけれどと前置きして何かを言う人、は皆揃って気分が悪そうだ。そして往々にしてその前置きがついた後に続く話は私も余り面白くない。双方楽しくないのになんでそんな話を一々するのか、本当に解らない。30年弱生きてきて、よくそういう話をされる私は勝手に、言いたくないけれどと前置きして何かを言う人は、きっとそれを言いたいのだと決めている。すると次にひとつ疑問が出てくる。言いたいことを言うのに何故、言いたくないけれど、なんて前置きをするのだろう。言いたいから言うのなら、そんな前置きは不必要な筈である。なのに、前置きがついてくる。前説のようなものなのか。それにしては詰まらない。言いたくないけれど、と言うことで、言う人は何か楽しかったりするのだろうか。自分が言わないからさっぱり想像がつかない。けれどそれではあんまりなので、よく考えてみた。言いたくないけれど、と言う人のその科白の後の話は、十中八九トメトメしい話である。嫁子さん、言いたくないんだけれどね、云々云々云々(以下略。トメトメしくなるとそういう言葉が枕詞のように出てくるのか、はたまたそういう言葉を枕詞のように使う人はトメトメしいのか。どちらにしても、トメトメしい人の特徴のひとつのような気がしてきた。言いたいのに、言いたくないけれど、と言う人の心理が知りたい。ただの興味本位だけれど。でも、言いたくないけれど、と言う人にそれを訊くと、これまた決まって怒られる。どうもトメトメしい人々の中では、これは触れてはならない琴線らしい。もう物を投げつけられるのは御免なので、これからは訊かなくても、なら言わなきゃいいのに、という本音も隠しておいた方が良いのだろう。あ。訊いて怒られるときは、あんたが言わせているんだ! と必ず言われる。そんなつもりはないし、仮に私が言わせているのだとしても、言いたくないことは言わなければいいと思うので、やはりよく解らない。
物を投げつけて黙って出勤し、夜になって帰宅したうちの。生茶のオマケであるらしいパンダのキーホルダーをくれた。まだ物を投げつけられたこと、怒っているよ、と言ったところ。ひとつだけ言わせてくれ、最近毎朝出勤するとき、もうあんたとはやっていけないんじゃないかと思う、以上、と言われた。どうなることやら。余談。昨夜、うちのが実家に電話をしていた。切った後の話によると、どうも結婚反対ムードは収まって入籍前に皆に挨拶にくるように、と言われたらしい。私と一緒に、とは言われなかったらしい。よく解らん。どうなることやら尽くしである。
寝付き及び寝起きが激しく悪い昨今、うちでは喧嘩が絶えない。寝付きが悪く朝迄起きてしまっていることも度々で、そういう日はうちのの目覚まし時計が鳴ると、朝食を出す。簡単なものばかりだけれど。暑くなってきて、うちのはシャワーを出勤前に浴びるようになった。因ってうちのの朝の流れは、起きる→朝食を食べる→シャワー→着替え及び身支度→出勤。朝食を出して玄関で見送る迄の時間、私は大変に暇である。朝食に使った食器を洗うと、シャワーの勢いが落ちるので後回しにしたい。うちのは自分が家にいるときに洗濯をされると落ち着かないから嫌がる。掃除も同様。朝食迄出しておいて見送らずに寝てしまうと、これまた臍が曲がる。なのでだらだらと30分弱の時間、これ迄はPCでかちゅ〜しゃを開いたり、ネットオークションを覗いて暇潰しをしていた。そしていつも、朝からいい身分だな、おい、と嫌味を言われていた。少し前から、私がよく覗く某巨大掲示板某板某スレで、落ちゲーが流行っている。「ぷよぷよ」や「テトリス」のようなアレだ。で、スレに落ちゲーのURLが貼られていたので、ぼーっとそのゲームをしていたら、怒られた。朝からゲームなんかしてんな! そうか、ゲームをしていると怒られるのか。翌朝。この時間に私は漫画を読んでいた。ゲームをしてはならないらしいが、漫画ならまだマシだろう、と。また怒られた。朝から漫画なんか読むな! 漫画もダメか。どっちにしても怒られるのなら、とまた翌朝はゲームに戻った。シャワーを浴びる為に服を脱ぎつつ、うちのが言った。毎朝毎朝、俺だって言いたくないんだよ! 反射的にぽそりと独り言が出てしまった。なら、言わなきゃいいじゃん。背中に衝撃。うちのが脱いだシャツとパンツを投げつけてきた。何すんの! と、こちらも急速沸騰。うちのがシャワーを浴び終えて直ぐに無言で食器洗い開始。洗い終えてもうちのの身支度は終わっていない。途中で何か話しかけてきたけれど、聞く気がないから聞こえない。無視して夕食の準備をし始めると、ああそうですか、と手早く身支度を済ませて黙って出勤していった。
日常の中で、ぽっかりと空いてしまう時間は誰にでもあるもののように思う。例えば仕事中。何かひとつの作業をやり終えて、時間を見ると後15分で会議開始。15分でできる簡単な仕事があればいいけれど、次にやろうとしていた他のことに取り掛かるには時間が足りない。なのでその間は喫煙所へ。なんてことは普通だと思う。私の朝に置き換えれば、その喫煙タイムがゲームや漫画に当て嵌まる。何度か怒られているときに、そんなに暇なら掃除でもしろよ! そんな暇があったら洗濯でもしてろ! などと言われた。ここで素直にその作業に取り掛かると、うちのの身支度中に絶対に、落ち着かない! とまた怒られる。八方塞なのだ。うちが何部屋もあるとか、洗濯場所としてちゃんとそれなりのスペースがあるとかなら話は変わってくるだろう。うちのの目に付かない部屋を掃除したり、洗濯をすればいい。しかしうちは狭い1DK。掃除をしようにも身支度でキッチンと居間を行き来するうちのの視界に、せせこましく動く私が入る。洗濯をしようにも洗濯物の選り分けで、ただでさえ狭い玄関先がより狭くなる。本当にどうしていいか解らない時間なのだ。けれど、空いた15分に喫煙所に行く人を、その後の会議に出席予定のない忙しい人は、あいつは暇そうだな、と思ったりすることもあるだろう。ちょっと想像力を働かせれば、ぽっかり空いてしまった時間なのかな? 位のことは考えつきそうなものだと私は思うけれど。
また、言いたくない、と言いつつ人を注意したり叱ったり怒ったりする人も世の中には少なくない。単純に私は、ならなんで言いたくないことを言うのだろう、と思う。言いたくないことを言っている間、その人は気分が悪くないのだろうか。どうも私がこれ迄に出会ってきた、言いたくないけれどと前置きして何かを言う人、は皆揃って気分が悪そうだ。そして往々にしてその前置きがついた後に続く話は私も余り面白くない。双方楽しくないのになんでそんな話を一々するのか、本当に解らない。30年弱生きてきて、よくそういう話をされる私は勝手に、言いたくないけれどと前置きして何かを言う人は、きっとそれを言いたいのだと決めている。すると次にひとつ疑問が出てくる。言いたいことを言うのに何故、言いたくないけれど、なんて前置きをするのだろう。言いたいから言うのなら、そんな前置きは不必要な筈である。なのに、前置きがついてくる。前説のようなものなのか。それにしては詰まらない。言いたくないけれど、と言うことで、言う人は何か楽しかったりするのだろうか。自分が言わないからさっぱり想像がつかない。けれどそれではあんまりなので、よく考えてみた。言いたくないけれど、と言う人のその科白の後の話は、十中八九トメトメしい話である。嫁子さん、言いたくないんだけれどね、云々云々云々(以下略。トメトメしくなるとそういう言葉が枕詞のように出てくるのか、はたまたそういう言葉を枕詞のように使う人はトメトメしいのか。どちらにしても、トメトメしい人の特徴のひとつのような気がしてきた。言いたいのに、言いたくないけれど、と言う人の心理が知りたい。ただの興味本位だけれど。でも、言いたくないけれど、と言う人にそれを訊くと、これまた決まって怒られる。どうもトメトメしい人々の中では、これは触れてはならない琴線らしい。もう物を投げつけられるのは御免なので、これからは訊かなくても、なら言わなきゃいいのに、という本音も隠しておいた方が良いのだろう。あ。訊いて怒られるときは、あんたが言わせているんだ! と必ず言われる。そんなつもりはないし、仮に私が言わせているのだとしても、言いたくないことは言わなければいいと思うので、やはりよく解らない。
物を投げつけて黙って出勤し、夜になって帰宅したうちの。生茶のオマケであるらしいパンダのキーホルダーをくれた。まだ物を投げつけられたこと、怒っているよ、と言ったところ。ひとつだけ言わせてくれ、最近毎朝出勤するとき、もうあんたとはやっていけないんじゃないかと思う、以上、と言われた。どうなることやら。余談。昨夜、うちのが実家に電話をしていた。切った後の話によると、どうも結婚反対ムードは収まって入籍前に皆に挨拶にくるように、と言われたらしい。私と一緒に、とは言われなかったらしい。よく解らん。どうなることやら尽くしである。
現在6月24日。
23日、親に電話。国民年金の納付書が届いていないかどうかを確認。届いているとのこと。送ってくれるよう頼む。通話時間、1分位か。前日迄夏風邪で高熱を出していたとのことだけれど、母の日の直後と同じ感じ。きっと父の日をスルーしたのが気に入らないのであろう。今朝、到着したのでお礼の電話をした。通話時間、30秒位か。何を考えているか解らない人との付き合いもしんどいが、こうも解り易過ぎる人との付き合いもしんどい。なんでこんなにトメトメしいのか……。最寄り駅の終電到着時間を少し過ぎた頃にうちが帰宅。酔っ払っていて私に、もはあああ、と酒臭い息をかけてくる。主治医から禁酒令が出てからというもの、アルコールそのものはまだ平気だけれど、アルコールを摂取した人の匂いが苦手になった。口臭だけでなく、体臭も。それを何度も言っているのに、もはあああ、としてくるうちの。放置していたら勝手に寝た。右目下瞼に違和感。今日になってものもらい本格化。激しく不快で、元眼科勤務の友人にヘルプのメールを出したところ、アイボンや普通の目薬は無意味なので使わず、あればものもらい用の目薬を差して後は冷やすように、とのこと。最も良くないのは擦ってしまうことらしい。ものもらい用の目薬はないので冷やそう、と目に冷えピタを貼ってみたのだが……冷えるには冷えるが別の悪影響がありそうな気がして剥がし、現在は額に貼っている。涼しい。ものもらいができるなんて何年ぶりだろう。子供の頃はよくできていた記憶があるけれど、大人になってからは殆どできなくなった。久々の不快感に食事を作る気力もなくなった。何日くらいで治るものなのだろう。治る迄は余り眼精疲労を招きたくないので短めで。
23日、親に電話。国民年金の納付書が届いていないかどうかを確認。届いているとのこと。送ってくれるよう頼む。通話時間、1分位か。前日迄夏風邪で高熱を出していたとのことだけれど、母の日の直後と同じ感じ。きっと父の日をスルーしたのが気に入らないのであろう。今朝、到着したのでお礼の電話をした。通話時間、30秒位か。何を考えているか解らない人との付き合いもしんどいが、こうも解り易過ぎる人との付き合いもしんどい。なんでこんなにトメトメしいのか……。最寄り駅の終電到着時間を少し過ぎた頃にうちが帰宅。酔っ払っていて私に、もはあああ、と酒臭い息をかけてくる。主治医から禁酒令が出てからというもの、アルコールそのものはまだ平気だけれど、アルコールを摂取した人の匂いが苦手になった。口臭だけでなく、体臭も。それを何度も言っているのに、もはあああ、としてくるうちの。放置していたら勝手に寝た。右目下瞼に違和感。今日になってものもらい本格化。激しく不快で、元眼科勤務の友人にヘルプのメールを出したところ、アイボンや普通の目薬は無意味なので使わず、あればものもらい用の目薬を差して後は冷やすように、とのこと。最も良くないのは擦ってしまうことらしい。ものもらい用の目薬はないので冷やそう、と目に冷えピタを貼ってみたのだが……冷えるには冷えるが別の悪影響がありそうな気がして剥がし、現在は額に貼っている。涼しい。ものもらいができるなんて何年ぶりだろう。子供の頃はよくできていた記憶があるけれど、大人になってからは殆どできなくなった。久々の不快感に食事を作る気力もなくなった。何日くらいで治るものなのだろう。治る迄は余り眼精疲労を招きたくないので短めで。
現在6月23日。
昨日は歯科予約及び友人とヨガに行く約束を入れていた。起床時間、19時前。当然どちらもすっぽかした形になった。どちらにも迷惑をかけてしまって自己嫌悪。歯科には今日謝罪と再予約の電話を入れよう。友人とはメッセで話して解決。今度会うときはお詫びにお茶でも奢らせてもらおう。で、何故こんな起床時間になってしまったのか。月曜、うちのと話し合いをして糸口を探り、取り敢えず問題解決はした。それはいい。解決できない問題は私の夜泣き。いろいろ考えてみて、前回から処方されているメイラックスが合わない所為ではないか、と思い至り昨夜からメイラックス断薬。すると再び不眠。どうにか寝付けたのは明け方。朝、うちのを見送りそのまま起きている筈だったのに、携帯にアラームをセットしたことに基づき布団に戻ってしまった。セットした時間に携帯がなる。計5回。全て止めた記憶はある。が、その先の記憶がない。そして気付けば19時前。今夜からは残りのサイレースをメイラックス代わりに飲もう。昨日は起きていた時間の殆どを、友人とのメッセで費やした気がする。会話の中身はしょーもない。そのしょーもなさが、張り詰めた私の気持ちを少し解してくれた。有難い話である。
最初の話題は、昨日のヨガ。友人が行った回の生徒は、友人と体験レッスンの女性ふたり組と同じく体験レッスンの男性ふたり組。そして不可解な話になってきた。体験レッスンにきていた男性たちがビデオカメラを持ち込んでいた、という。そのカメラは何ですか? と問う先生に、自分たちを撮りたいんです、と答えていたとか。そして実際にレッスン中もカメラを置いて撮影していたらしい。なんじゃそりゃ。先生から、今日は撮影が入ります、などのアナウンスもなくレッスンは行われたそうだ。私は休んでよかった。きっとそんなのに遭遇したら切れるか泣くかのどちらかになっていた筈。友人やオネーチャン先生に彼らは、何故ヨガを始めたんですか? 何故ジムではなくヨガなんですか? などと訊いてきたらしい。友人も先生も鬱陶しく思いつつも答えたそうだが、そこで友人が思ったのは、これは何かの取材か? である。自然な発想だと思う。しかし取材なら取材で然るべき手順を踏んで当然であり、自分たちを撮る為に、などというお為ごかしでカメラを持ち込んでいい筈がない。ふたりのうちのひとりがカメラを操作してもうひとりを撮るのならともかく、スタジオの端にカメラを置いて撮影していたということは定点撮影であり、そこには必ず他の生徒や先生も入り込むからだ。ならばその場にいる全員の許可を得てからカメラを持ち込み、撮影をすべきである。先生も先生だ。何故断らないのか若しくはちゃんと他の生徒にアナウンスをしないのか。次回レッスンに行ったときに訊いてみよう。その際の答え如何では、ちょっと考えなければならないかもしれない。でも次にレッスンに行けるのはいつだろう。時間はあるのだけれど、何せここ数日右膝から下に神経痛が出ていて痛くて仕方がない。どうにかやっと歩ける位で、レッスンはキツい。また漢方薬の世話にならねばならないのか。暫くは前回の季節の変わり目に出してもらった残りで凌ごう。通院もしんどい。
それから学生時代の思い出話を交えつつのファッション談義。友人は私に、服は面白くなくていい、と教えてくれた人間ではあるが、その友人自身の服も聞いている分にはかなり面白くて困惑。明日、彼女は某テーマパークに彼氏と行くという。何を着て行くの? と訊くと、今着ているダンキンドーナッツと書かれたこのTシャツかな、と。ダンキンドーナッツ? 景品? 違うらしい。景品でないとすれば、オゾンが前に出していたダンキンパロディシリーズしか思い浮かばない。それも違うらしい。何だかよく解らないけれど、ダンキンドーナッツやらセブンイレブンやらドールやらのロゴが沢山描かれたTシャツであり、面白い・欲しい・怪しいなどの感想をいろんな人に頂戴した代物だとか。そんなTシャツを着ている奴に、服は面白くなくていいんだ、と言われた私。そしてその言葉を脳に刻み込まれてしまった某巨大掲示板某板某スレの一部の住人の存在はこれ如何に。次からはお互いに、自分ではアリだと思っているけれど世間的にはどうよ? な恰好で会うことに決定。第1回目、彼女はそのTシャツを着てきてくれるそうだ。私は赤地に一面薔薇が描かれたアオザイで行くことを予告。そんなTシャツを着ている彼女でもアオザイはナシだと言う。先日某イベントで撮った私がアオザイを着た画像を送ると、崎陽軒のようだ、とバッサリ。崎陽軒……。彼女曰く、スタンドカラーの服はどれも怪しいらしい。どんな基準なんだか解らん。話は流れてギャルソンへ。彼女は数年前に青山の路面店にて、つり目でハートのTシャツなどを目にして、なんじゃこりゃ! と驚いたそうだ。メッセしつつネットオークションで検索して当たりが出た。彼女が言っているのは、PLAYラインのことだった。確かにアレはナシだと私も思う。私が持っている・持っていたギャルソンの服を説明するにあたり、解体・復元、という単語が自然に出てきた。そして会話の場所はメッセ。当然それらはフォントとして目に入ってくる。おかしい。服なのに、解体・復元、って。ギャルソンの服には解体したが最後、復元の困難な服が多数あるのだ。なんで服にこんな苦労を! と途中で投げ出したくなる程に難しい服もあり、実際に私は投げ出してしまった。金銭問題もさることながら、私がギャルソン離れをした一因でもあることが判明。また彼女の服の傾向が私の固定観念と乖離していたことにもびっくり。私の中では、彼女=アジア系雑貨屋の服、だったのに、実はドゥ!ファミリーやツモリも好きだったとか。意外。
それより意外なのはやはり今日、彼女が出掛ける場所である。某テーマパークなど、彼女が嫌ってやまない場所だとばかり思っていたのに。実際、さほど行きたい場所ではないらしい。なのに何故行くのか。彼氏が行きたいと言っているから。……。そこで、私は行きたくない! ひとりで行け! と恫喝してこそ彼女かと思いきや、だって彼氏がかわいいから、ときたものだ。ノロケ。これもこの彼氏と付き合う前の彼女からは聞いたことがなかった。別に彼女はモテなかった訳ではなく、過去に何人も彼氏はいたのにノロケはなかったのだ。俗世に塗れてゆく彼女が悲しいやら微笑ましいやら複雑な心境。そんなにいい彼氏なのか? そんなに可愛いのか? 悔しいので私もノロケて見たけれど長続きせず。うちのは際限なくノロケられる程、可愛くはないようだ。かといって恰好良くもない。片や、〜〜ちゃん、隣県の某テーマパーク行こうよ→いいよ。片や、2駅先徒歩5分の某店に行こうよ→あんたにとってはちょっとそこ迄でも、私にとってはフルマラソンを走る位の体力気力が必要であり、今の私にはそんな体力気力はないから勘弁してくれ。大違いである。
昨日は歯科予約及び友人とヨガに行く約束を入れていた。起床時間、19時前。当然どちらもすっぽかした形になった。どちらにも迷惑をかけてしまって自己嫌悪。歯科には今日謝罪と再予約の電話を入れよう。友人とはメッセで話して解決。今度会うときはお詫びにお茶でも奢らせてもらおう。で、何故こんな起床時間になってしまったのか。月曜、うちのと話し合いをして糸口を探り、取り敢えず問題解決はした。それはいい。解決できない問題は私の夜泣き。いろいろ考えてみて、前回から処方されているメイラックスが合わない所為ではないか、と思い至り昨夜からメイラックス断薬。すると再び不眠。どうにか寝付けたのは明け方。朝、うちのを見送りそのまま起きている筈だったのに、携帯にアラームをセットしたことに基づき布団に戻ってしまった。セットした時間に携帯がなる。計5回。全て止めた記憶はある。が、その先の記憶がない。そして気付けば19時前。今夜からは残りのサイレースをメイラックス代わりに飲もう。昨日は起きていた時間の殆どを、友人とのメッセで費やした気がする。会話の中身はしょーもない。そのしょーもなさが、張り詰めた私の気持ちを少し解してくれた。有難い話である。
最初の話題は、昨日のヨガ。友人が行った回の生徒は、友人と体験レッスンの女性ふたり組と同じく体験レッスンの男性ふたり組。そして不可解な話になってきた。体験レッスンにきていた男性たちがビデオカメラを持ち込んでいた、という。そのカメラは何ですか? と問う先生に、自分たちを撮りたいんです、と答えていたとか。そして実際にレッスン中もカメラを置いて撮影していたらしい。なんじゃそりゃ。先生から、今日は撮影が入ります、などのアナウンスもなくレッスンは行われたそうだ。私は休んでよかった。きっとそんなのに遭遇したら切れるか泣くかのどちらかになっていた筈。友人やオネーチャン先生に彼らは、何故ヨガを始めたんですか? 何故ジムではなくヨガなんですか? などと訊いてきたらしい。友人も先生も鬱陶しく思いつつも答えたそうだが、そこで友人が思ったのは、これは何かの取材か? である。自然な発想だと思う。しかし取材なら取材で然るべき手順を踏んで当然であり、自分たちを撮る為に、などというお為ごかしでカメラを持ち込んでいい筈がない。ふたりのうちのひとりがカメラを操作してもうひとりを撮るのならともかく、スタジオの端にカメラを置いて撮影していたということは定点撮影であり、そこには必ず他の生徒や先生も入り込むからだ。ならばその場にいる全員の許可を得てからカメラを持ち込み、撮影をすべきである。先生も先生だ。何故断らないのか若しくはちゃんと他の生徒にアナウンスをしないのか。次回レッスンに行ったときに訊いてみよう。その際の答え如何では、ちょっと考えなければならないかもしれない。でも次にレッスンに行けるのはいつだろう。時間はあるのだけれど、何せここ数日右膝から下に神経痛が出ていて痛くて仕方がない。どうにかやっと歩ける位で、レッスンはキツい。また漢方薬の世話にならねばならないのか。暫くは前回の季節の変わり目に出してもらった残りで凌ごう。通院もしんどい。
それから学生時代の思い出話を交えつつのファッション談義。友人は私に、服は面白くなくていい、と教えてくれた人間ではあるが、その友人自身の服も聞いている分にはかなり面白くて困惑。明日、彼女は某テーマパークに彼氏と行くという。何を着て行くの? と訊くと、今着ているダンキンドーナッツと書かれたこのTシャツかな、と。ダンキンドーナッツ? 景品? 違うらしい。景品でないとすれば、オゾンが前に出していたダンキンパロディシリーズしか思い浮かばない。それも違うらしい。何だかよく解らないけれど、ダンキンドーナッツやらセブンイレブンやらドールやらのロゴが沢山描かれたTシャツであり、面白い・欲しい・怪しいなどの感想をいろんな人に頂戴した代物だとか。そんなTシャツを着ている奴に、服は面白くなくていいんだ、と言われた私。そしてその言葉を脳に刻み込まれてしまった某巨大掲示板某板某スレの一部の住人の存在はこれ如何に。次からはお互いに、自分ではアリだと思っているけれど世間的にはどうよ? な恰好で会うことに決定。第1回目、彼女はそのTシャツを着てきてくれるそうだ。私は赤地に一面薔薇が描かれたアオザイで行くことを予告。そんなTシャツを着ている彼女でもアオザイはナシだと言う。先日某イベントで撮った私がアオザイを着た画像を送ると、崎陽軒のようだ、とバッサリ。崎陽軒……。彼女曰く、スタンドカラーの服はどれも怪しいらしい。どんな基準なんだか解らん。話は流れてギャルソンへ。彼女は数年前に青山の路面店にて、つり目でハートのTシャツなどを目にして、なんじゃこりゃ! と驚いたそうだ。メッセしつつネットオークションで検索して当たりが出た。彼女が言っているのは、PLAYラインのことだった。確かにアレはナシだと私も思う。私が持っている・持っていたギャルソンの服を説明するにあたり、解体・復元、という単語が自然に出てきた。そして会話の場所はメッセ。当然それらはフォントとして目に入ってくる。おかしい。服なのに、解体・復元、って。ギャルソンの服には解体したが最後、復元の困難な服が多数あるのだ。なんで服にこんな苦労を! と途中で投げ出したくなる程に難しい服もあり、実際に私は投げ出してしまった。金銭問題もさることながら、私がギャルソン離れをした一因でもあることが判明。また彼女の服の傾向が私の固定観念と乖離していたことにもびっくり。私の中では、彼女=アジア系雑貨屋の服、だったのに、実はドゥ!ファミリーやツモリも好きだったとか。意外。
それより意外なのはやはり今日、彼女が出掛ける場所である。某テーマパークなど、彼女が嫌ってやまない場所だとばかり思っていたのに。実際、さほど行きたい場所ではないらしい。なのに何故行くのか。彼氏が行きたいと言っているから。……。そこで、私は行きたくない! ひとりで行け! と恫喝してこそ彼女かと思いきや、だって彼氏がかわいいから、ときたものだ。ノロケ。これもこの彼氏と付き合う前の彼女からは聞いたことがなかった。別に彼女はモテなかった訳ではなく、過去に何人も彼氏はいたのにノロケはなかったのだ。俗世に塗れてゆく彼女が悲しいやら微笑ましいやら複雑な心境。そんなにいい彼氏なのか? そんなに可愛いのか? 悔しいので私もノロケて見たけれど長続きせず。うちのは際限なくノロケられる程、可愛くはないようだ。かといって恰好良くもない。片や、〜〜ちゃん、隣県の某テーマパーク行こうよ→いいよ。片や、2駅先徒歩5分の某店に行こうよ→あんたにとってはちょっとそこ迄でも、私にとってはフルマラソンを走る位の体力気力が必要であり、今の私にはそんな体力気力はないから勘弁してくれ。大違いである。
茹だるような暑さでバテバテ。外はピーカン、風も強い。そんな日は……洗濯だ! と一念発起して速攻で苛々爆発。今日の日中の時点で洗濯機は2回と予想して洗濯物の選り分け。色柄物だとか素材だとかは無視して、私は干すときに楽なように分ける。洗濯挟みを使って干す物・ハンガーを使って干す物、だ。タオル、パンツ、靴下、シャツ。シャツの釦が開けっ放し! 前回の洗濯から私は1度もシャツを着ていないので、うちののシャツである。ムカッとしつつ釦を留めていく。そしてうちのに一言、釦留めてから籠に入れてよ、と。パンツ、タオル、Tシャツ、シャツ……また釦が! タオル、Tシャツ、Tシャツ、シャ……ムカーッ!! おまいは子供か! シャツの釦くらい留めてから洗濯籠に入れる位ことなかろうが! Tシャツも靴下もいつもその辺に脱ぎっ放しで……靴下、臭いんじゃ! あーーー、もうーーーーーっ! と声に出すとうちのがすっ飛んできた。謝る為ではなく、洗濯を手伝う為でもなく、逆切れ。俺がやるよ! うるせー! と怒鳴りたいのをぐっと堪えて、いいよっ! とシャツを奪い返す。俺がやるよ、と言って洗濯物の分別をする私の傍らで、にこやかに釦を留めてくれるのであれば、なんていい人なんだろう、とこちらもほっこりした気分になれそうなのだが、うちのはそういうタイプではない。家事ができない訳ではないが、私より下手だ。下手な癖して偉そうに、おまけに不機嫌に事を進めるので傍にいて本当に嫌になる。こういうとき、本当にこの人とやっていけるんだろうか、と考えてしまう。結局5枚以上あったシャツのうち、ちゃんと釦が留まっていたのは1枚のみ。ひどいのは、釦を掛け違えたまま籠に入れてあったシャツ。二度手間なんじゃ! ムカムカ、苛々。洗濯機を回している間にうちのがシャワーを浴びた。出てきてからまたしょーもないことをぐだぐだ言っている。しょーもないので放置していたら、あんたを楽しませようとして言っているのに、と拗ねてくる。はあ……、そうですか……。でもしょーもないし。
洗濯機を回し終え、干す。パンパンと皺を伸ばして干す私。布団の上でごろごろとPCと戯れるうちの。……。俺も手伝おうか? の一言位出てこないものかね? 皺伸ばしは下手だから頼みはしないのだが、暑い中こっちは家事をしているのにごろごろされていると腹が立つ。何も言ってこない辺りに、外で働いている俺様=家では上げ膳下げ膳で何もしなくていい俺様、と思っているんちゃうんかと小1時間問い詰めたくなる。実際に手伝わなくても、手伝おうか? などの言葉ひとつで私も機嫌良く家事ができるというのに。しかも何やら訳の解らんCDをかけていやがる。ハワイアンな感じ。暑い中で好みでもないこんなん聴かされたら余計に暑く感じるんじゃ! 止めてやろうかと思ったけれど大人なのでまたグッと我慢し、自分のPCで好きなアルバムを普段なら絶対に設定しないような大音量でかけて気を紛らわす。ごろごろしているうちのが私に何かを話しかけた。が、ハワイアンなCDに掻き消されてはっきり聞こえなかったので聞き直した。すると。私の返事のデフォルトは、あー、だ。うん、とか、ハイ、ではなく、あー。子供の頃からである。音引き部分の上げ下げに無意識の感情が出てしまうらしい。どうも苛々が声に出たらしく、単に聞き直しただけのつもりが、かなり不機嫌な、あー、となったようである。うちのが絡んできた。そんなつもりはなかった私は、その絡みで爆発。何なんだよ、もう! 絡まないでよ! 絡んできたのはお前だ! 絡んでない! 暫し無言。そのまま無言。洗濯物を干し終えてうちのを見ると……寝ていやがった。何様?
放っておいて私は私で好きなことをして、夕方前にうちのに声をかけた。コンビニ、行く? 横に首を振られたので、ひとりで出かけた。おむすびとアイスクリームとドーナツとココアと煙草と、うちの用の珈琲を購入。帰ってきたらまだ寝ていた。自分用のおやつを食べて、私も転寝。19時過ぎに起こされた。腹減った。……何であんたはいつもいつもいつもいつもそうなんだよ! それ以外に起こす為の言葉を知らんのか? 如何にも飯炊き女扱いされている気がして頗る気分の悪い言葉だと、何度も何度も何度も何度も言った筈だが。何回言えば、それは私に対して失礼な起こし方だ、と解るのだろう。もう理解してくれとは言わん。体で覚えろ! つるつるの脳の僅かな皺に刻み込め! その起こし方は嫌がられる起こし方だ! しかも、腹減った、と私を起こして自分はまだ寝ているし。それでも健気に夕食を作る。一口焼き芋・ひろうすと蒟蒻の煮付け・ソイの味醂漬け。出来上がってうちのを起こしてテーブルを片付けてもらった。テーブルの上にある物は全てうちのの物であり私の物ではないから。手前の物は手前で片付けやがれ。言われる前にな! 腹減った、っつって起こしたんだから飯が出てくるのは餓鬼でも解るだろうが! 食後。味付けが薄かった。……手前で作りやがれ。今日も精進料理のようだった。……肉が食いたきゃ手前で買ってきて手前で焼きやがれ。あんたがダイエットダイエットと騒いでいるから、低カロリー高蛋白を心掛けて飯を作っているってのにそれかよ。
そもそも。日曜になると出掛けたがるその性分は何とかならんのか。私は昨今情緒不安定につき出掛ける気力が薄く昨日にも、起きて体調と気分が出掛けられそうなら、と言ってある。なのに。延々。くどくど。出掛けようよ。〜〜買いに行こうよ。ひとりで行ってきてくれ。そういう体調でも気分でもない、と何遍も何遍も何遍も何遍も何遍も、言っているよな! 聞いているよな! 手を変え品を変え外に連れ出そうとすんな! 毎週毎週毎週毎週。こちとら健常じゃないんだよ。心と体が思い通りにならなくて一番参っているのは私だ。何でそれが解らない? おまいの辞書に、そっとしておく、という言葉はないのか? あとな、悪気がなきゃ何を言ってもいい=悪いように捉える方が悪い、ってトメトメしい考え方、捨てろ。暴力も発言も一緒。振るう側・言う側の問題なんだよ! 迷惑をかけている自覚はあるから、それ以上責めてくれるな!
BGM/アルバム「修羅囃子」
服/オゾンコミュニティの白地カラフル蝶プリントVネックTシャツ+DUNIMEのデニムパンツ+下駄
洗濯機を回し終え、干す。パンパンと皺を伸ばして干す私。布団の上でごろごろとPCと戯れるうちの。……。俺も手伝おうか? の一言位出てこないものかね? 皺伸ばしは下手だから頼みはしないのだが、暑い中こっちは家事をしているのにごろごろされていると腹が立つ。何も言ってこない辺りに、外で働いている俺様=家では上げ膳下げ膳で何もしなくていい俺様、と思っているんちゃうんかと小1時間問い詰めたくなる。実際に手伝わなくても、手伝おうか? などの言葉ひとつで私も機嫌良く家事ができるというのに。しかも何やら訳の解らんCDをかけていやがる。ハワイアンな感じ。暑い中で好みでもないこんなん聴かされたら余計に暑く感じるんじゃ! 止めてやろうかと思ったけれど大人なのでまたグッと我慢し、自分のPCで好きなアルバムを普段なら絶対に設定しないような大音量でかけて気を紛らわす。ごろごろしているうちのが私に何かを話しかけた。が、ハワイアンなCDに掻き消されてはっきり聞こえなかったので聞き直した。すると。私の返事のデフォルトは、あー、だ。うん、とか、ハイ、ではなく、あー。子供の頃からである。音引き部分の上げ下げに無意識の感情が出てしまうらしい。どうも苛々が声に出たらしく、単に聞き直しただけのつもりが、かなり不機嫌な、あー、となったようである。うちのが絡んできた。そんなつもりはなかった私は、その絡みで爆発。何なんだよ、もう! 絡まないでよ! 絡んできたのはお前だ! 絡んでない! 暫し無言。そのまま無言。洗濯物を干し終えてうちのを見ると……寝ていやがった。何様?
放っておいて私は私で好きなことをして、夕方前にうちのに声をかけた。コンビニ、行く? 横に首を振られたので、ひとりで出かけた。おむすびとアイスクリームとドーナツとココアと煙草と、うちの用の珈琲を購入。帰ってきたらまだ寝ていた。自分用のおやつを食べて、私も転寝。19時過ぎに起こされた。腹減った。……何であんたはいつもいつもいつもいつもそうなんだよ! それ以外に起こす為の言葉を知らんのか? 如何にも飯炊き女扱いされている気がして頗る気分の悪い言葉だと、何度も何度も何度も何度も言った筈だが。何回言えば、それは私に対して失礼な起こし方だ、と解るのだろう。もう理解してくれとは言わん。体で覚えろ! つるつるの脳の僅かな皺に刻み込め! その起こし方は嫌がられる起こし方だ! しかも、腹減った、と私を起こして自分はまだ寝ているし。それでも健気に夕食を作る。一口焼き芋・ひろうすと蒟蒻の煮付け・ソイの味醂漬け。出来上がってうちのを起こしてテーブルを片付けてもらった。テーブルの上にある物は全てうちのの物であり私の物ではないから。手前の物は手前で片付けやがれ。言われる前にな! 腹減った、っつって起こしたんだから飯が出てくるのは餓鬼でも解るだろうが! 食後。味付けが薄かった。……手前で作りやがれ。今日も精進料理のようだった。……肉が食いたきゃ手前で買ってきて手前で焼きやがれ。あんたがダイエットダイエットと騒いでいるから、低カロリー高蛋白を心掛けて飯を作っているってのにそれかよ。
そもそも。日曜になると出掛けたがるその性分は何とかならんのか。私は昨今情緒不安定につき出掛ける気力が薄く昨日にも、起きて体調と気分が出掛けられそうなら、と言ってある。なのに。延々。くどくど。出掛けようよ。〜〜買いに行こうよ。ひとりで行ってきてくれ。そういう体調でも気分でもない、と何遍も何遍も何遍も何遍も何遍も、言っているよな! 聞いているよな! 手を変え品を変え外に連れ出そうとすんな! 毎週毎週毎週毎週。こちとら健常じゃないんだよ。心と体が思い通りにならなくて一番参っているのは私だ。何でそれが解らない? おまいの辞書に、そっとしておく、という言葉はないのか? あとな、悪気がなきゃ何を言ってもいい=悪いように捉える方が悪い、ってトメトメしい考え方、捨てろ。暴力も発言も一緒。振るう側・言う側の問題なんだよ! 迷惑をかけている自覚はあるから、それ以上責めてくれるな!
BGM/アルバム「修羅囃子」
服/オゾンコミュニティの白地カラフル蝶プリントVネックTシャツ+DUNIMEのデニムパンツ+下駄
昨日届いたハンガーラック。届いて直ぐに組み立てて服を吊るし、今日の日中、私がPCに向っているその後ろで、どんがらがっしゃーん、と倒れた。ので、慌ててまた組み立て直してPCに向って数分後に再び、どんがらがっしゃーん、と倒れた。ので、生協本部に電話をして交換要請。破損ショックから立ち直ったのは、ついさっきである。破損したラックはバラしてキッチンの隅に置いてある。箱は既に月末のフリマに出品する衣類を詰めてしまっているので、戻すに戻せないのだ。そして隅に置いたラックの残骸の上にまた出品用の服塚を作っている最中。来週水曜迄には、出品物をどうにか形にしたい所存。
そんなことはどうでもいいとして。ここ数日、10年来の中高時代からの友人とメッセで話をする機会が複数回あった。その中で私は彼女の知らない私の友人について話をした。どうもその話し振りが友人には熱く感じられたらしい。そして、自分って……と思ってしまった、というようなことを言われた。デ・ジャヴ。かなり前に、彼女が私の知らない友人のことを、親友、と表現した。そのとき私は尋常ならぬショックを受けた。私って……。女友達には見せない私の女々しい部分。彼氏にはよく見せてしまうベタな姿。私は貴方にとって何なの? 私と〜〜、どっちが大事なの? 私は彼女のことを親友だと思っていた。でも彼女は別の子のことを、親友、と言った。私たちはお互いに、私たちは親友よね! なんて確認しあったことは1度もなかったので、彼女を親友だと思っていたのは私だけだったのか、彼女にとって私は複数いる友達のひとりに過ぎなかったのか、と落ち込んだ。親友、の定義は人によって違うだろう。ひとりだけを親友とする人もいれば、親友が複数いたっていいじゃない、という人もいる。彼女が前者なのか後者なのか、未だに知らない。どうでもよくなったのだ。友人について語る私に彼女は、黒猫はその子のことが本当に好きなんだな、と思えたらしい。そしてそれは正しいと言えると同時に、間違いであるとも言える。私はそのとき話題に出ていた友人のことがとても好きである。しかしその、好き、はとても歪んでいる。友人として好き、なのではなく、私にとってその友人は、女の子の見本、的存在なのだ。だからその友人について語るときは男性的視線になっていることは少なくない。それはその友人も知っている筈だ。きっと迷惑に思っているだろう。ごめんよ。更に、女の子の見本、であるが故に浮世人よりももっと、崇高な存在、に私の中では昇華されていたりもする。男性的視線で見られること以上に迷惑だろう。ごめんよ。謝っておけばいいと思っている私。そしてメッセで会話していた友人は私にとって、親友的存在、だと思っていた。
ふたりで話を深めて行った。まず彼女が感じた淋しさ。それは私が彼女ではない別の友人のことをとても好きであることを感じ取り、私から見た彼女は一体何なのか、と思ってしまったことに基づく。そして私が以前感じた淋しさ。それは別の友人のことを、親友、と言われて、なら私は何なのだろう、と。彼女はとても正直だ。淋しさを感じた翌日にこのことを私に言ってきた。私は彼女に自分が感じた淋しさを、そのとき迄打ち明けずにいた。女々しい自分を見せたくない見栄で、彼女の中での私の価値を曖昧にし続けていた。翌日言ってきた彼女は偉いと思う。話し合っていくうちに初めて知ったこと。彼女はその親友としょっちゅう冗談めかして、私たちって親友だよね! というような会話を交わしてきていた過去があったらしい。因って直ぐに、親友、という表現が出てきた。私とはそんな会話をしたことはなく、またお互いにそれ迄は確認しあう必要を感じていなかったのだ。だからといって、相手にとって自分は親友である、という確信も持ててはいなかった。だからお互いに余計な淋しさを感じ、感じさせることになってしまった。でもきっとこれは、長年の付き合いに甘んじてきたお互いへの甘えであり、いずれは確認しあう日がくることだったのだろう。
言わなくても感じられること。でも言ってもらわないとその感じたことに確証を持てない私たち。いて当然であり、いわば空気のような存在。お互いに自分が持っていない相手の長所を褒めることができ、相手の短所を指摘することができる稀少な存在。それを、親友、と言うのかどうか、私は知らない。そして、親友の定義なんてもうどうでもいいや、と思えるようになった。ふたりが仲良しで、お互いにいないと淋しくて、でも暫く会わなくても平気だったり、暫く会っていないのに自然に会話ができたり。そういうことが大切なのであり、言葉に拘る悪癖が出てしまっていただけだ。こんな友人を得られたことだけが、私の中高時代6年間での唯一の幸せであろう。彼女と私は似ているところと真逆なところが、数えたことはないけれどきっと同じくらいあると思う。人間の生涯の幸と不幸は同数である、という人がいる。私はそれをそのまま信用できる程、無垢な人間ではない。けれど彼女との似たところと真逆のところがきっと半々であろうことは、お互いにいいバランスなのだろう、だから長く付き合えるのだろうと思える。これからもよろしくね、なんて言葉は必要ない存在。言葉は必要ないけれど、心ではずっと思い続けている。照れ臭くて言葉にしないだけ。これも甘えか。でも改まって言うのも変だから、このままでいいのだろう。
先に出た、彼女に淋しさを感じさせてしまう位に私に熱く語らせてしまう友人。彼女にとってはもしかしたら私は迷惑な存在かもしれない。私なら自分を、崇高な存在、として見ている、友人、とは付き合いづらいから。この友人も私にとって大切な友人のひとり。ただ私が思う、理想の女の子、を体現し過ぎているだけなのだ。上記友人にはサラッと言えることが、同じようにこの友人に言っていても実は内心、こんなこと言って嫌われたらどうしよう、なんて思っていたりする。なら言わなきゃいいだけの話なのだが。この友人と会ったり話したりしているときは、他の友人とはまた別の感情が湧いてくる。なんというか、学園のアイドルさまがこんなダンゴムシと会ってくださるとは! お声をかけてくださるとは! というような。根っこは毒男なのか、私は。卑下している訳ではなく、半ヒキコモリな私にも他の友人と同じように話してくれる、顔も声も可愛くて小さくて柔らかくて巨乳で自分の意思はハッキリ言えて自分が昔から目指していた職業に就いてイキイキと働いている友人が、眩しく見えない筈がないではないか。憧れだけれども、追いつきたいとすら最早思えぬ友人。やっぱり毒男的思考の私なのである。
そんなことはどうでもいいとして。ここ数日、10年来の中高時代からの友人とメッセで話をする機会が複数回あった。その中で私は彼女の知らない私の友人について話をした。どうもその話し振りが友人には熱く感じられたらしい。そして、自分って……と思ってしまった、というようなことを言われた。デ・ジャヴ。かなり前に、彼女が私の知らない友人のことを、親友、と表現した。そのとき私は尋常ならぬショックを受けた。私って……。女友達には見せない私の女々しい部分。彼氏にはよく見せてしまうベタな姿。私は貴方にとって何なの? 私と〜〜、どっちが大事なの? 私は彼女のことを親友だと思っていた。でも彼女は別の子のことを、親友、と言った。私たちはお互いに、私たちは親友よね! なんて確認しあったことは1度もなかったので、彼女を親友だと思っていたのは私だけだったのか、彼女にとって私は複数いる友達のひとりに過ぎなかったのか、と落ち込んだ。親友、の定義は人によって違うだろう。ひとりだけを親友とする人もいれば、親友が複数いたっていいじゃない、という人もいる。彼女が前者なのか後者なのか、未だに知らない。どうでもよくなったのだ。友人について語る私に彼女は、黒猫はその子のことが本当に好きなんだな、と思えたらしい。そしてそれは正しいと言えると同時に、間違いであるとも言える。私はそのとき話題に出ていた友人のことがとても好きである。しかしその、好き、はとても歪んでいる。友人として好き、なのではなく、私にとってその友人は、女の子の見本、的存在なのだ。だからその友人について語るときは男性的視線になっていることは少なくない。それはその友人も知っている筈だ。きっと迷惑に思っているだろう。ごめんよ。更に、女の子の見本、であるが故に浮世人よりももっと、崇高な存在、に私の中では昇華されていたりもする。男性的視線で見られること以上に迷惑だろう。ごめんよ。謝っておけばいいと思っている私。そしてメッセで会話していた友人は私にとって、親友的存在、だと思っていた。
ふたりで話を深めて行った。まず彼女が感じた淋しさ。それは私が彼女ではない別の友人のことをとても好きであることを感じ取り、私から見た彼女は一体何なのか、と思ってしまったことに基づく。そして私が以前感じた淋しさ。それは別の友人のことを、親友、と言われて、なら私は何なのだろう、と。彼女はとても正直だ。淋しさを感じた翌日にこのことを私に言ってきた。私は彼女に自分が感じた淋しさを、そのとき迄打ち明けずにいた。女々しい自分を見せたくない見栄で、彼女の中での私の価値を曖昧にし続けていた。翌日言ってきた彼女は偉いと思う。話し合っていくうちに初めて知ったこと。彼女はその親友としょっちゅう冗談めかして、私たちって親友だよね! というような会話を交わしてきていた過去があったらしい。因って直ぐに、親友、という表現が出てきた。私とはそんな会話をしたことはなく、またお互いにそれ迄は確認しあう必要を感じていなかったのだ。だからといって、相手にとって自分は親友である、という確信も持ててはいなかった。だからお互いに余計な淋しさを感じ、感じさせることになってしまった。でもきっとこれは、長年の付き合いに甘んじてきたお互いへの甘えであり、いずれは確認しあう日がくることだったのだろう。
言わなくても感じられること。でも言ってもらわないとその感じたことに確証を持てない私たち。いて当然であり、いわば空気のような存在。お互いに自分が持っていない相手の長所を褒めることができ、相手の短所を指摘することができる稀少な存在。それを、親友、と言うのかどうか、私は知らない。そして、親友の定義なんてもうどうでもいいや、と思えるようになった。ふたりが仲良しで、お互いにいないと淋しくて、でも暫く会わなくても平気だったり、暫く会っていないのに自然に会話ができたり。そういうことが大切なのであり、言葉に拘る悪癖が出てしまっていただけだ。こんな友人を得られたことだけが、私の中高時代6年間での唯一の幸せであろう。彼女と私は似ているところと真逆なところが、数えたことはないけれどきっと同じくらいあると思う。人間の生涯の幸と不幸は同数である、という人がいる。私はそれをそのまま信用できる程、無垢な人間ではない。けれど彼女との似たところと真逆のところがきっと半々であろうことは、お互いにいいバランスなのだろう、だから長く付き合えるのだろうと思える。これからもよろしくね、なんて言葉は必要ない存在。言葉は必要ないけれど、心ではずっと思い続けている。照れ臭くて言葉にしないだけ。これも甘えか。でも改まって言うのも変だから、このままでいいのだろう。
先に出た、彼女に淋しさを感じさせてしまう位に私に熱く語らせてしまう友人。彼女にとってはもしかしたら私は迷惑な存在かもしれない。私なら自分を、崇高な存在、として見ている、友人、とは付き合いづらいから。この友人も私にとって大切な友人のひとり。ただ私が思う、理想の女の子、を体現し過ぎているだけなのだ。上記友人にはサラッと言えることが、同じようにこの友人に言っていても実は内心、こんなこと言って嫌われたらどうしよう、なんて思っていたりする。なら言わなきゃいいだけの話なのだが。この友人と会ったり話したりしているときは、他の友人とはまた別の感情が湧いてくる。なんというか、学園のアイドルさまがこんなダンゴムシと会ってくださるとは! お声をかけてくださるとは! というような。根っこは毒男なのか、私は。卑下している訳ではなく、半ヒキコモリな私にも他の友人と同じように話してくれる、顔も声も可愛くて小さくて柔らかくて巨乳で自分の意思はハッキリ言えて自分が昔から目指していた職業に就いてイキイキと働いている友人が、眩しく見えない筈がないではないか。憧れだけれども、追いつきたいとすら最早思えぬ友人。やっぱり毒男的思考の私なのである。
3年前の今日、私は東京地裁にいた。うちのの裁判の証人として法廷に出るからだ。4月に捕まり、留置され、起訴迄に奔走して、国選弁護人が決まると同時に弁護人に会い、保釈申請をしてもらい、どうにか保釈が認められ、裁判準備に駆け回った。弁護人も初めての経験という裁判初日即日判決。1.6の3。今日、執行猶予が明ける。うちのにも私にもいろいろな出来事があり、長かったような短かったような、もう判断もつかない月日が過ぎた。これでやっとおてんとさまに顔を向けて歩ける気がする。うちの本人の意思も勿論ある。それと同時にいろんな人が手を貸してくれて、うちのは更正できた筈。もうあんなことはしない筈。私もできる限りのことをしたつもり。おめでとう、うちの。そして私の苦労を労えってんだ!
体調不良に付き短め。
体調不良に付き短め。
性交とか牛乳とか粉とか
2004年6月9日 雑感・所感 現在6月10日。
うちにはよく、分譲マンションのチラシが入る。普段は華麗にスルー。たまたま目に止まったのは、そのチラシがペラペラの1枚仕立てではなく、簡易パンフレットのようにキチンとしていたからだ。予約してモデルルームを見に行って購入を決めた人には、家具一式もくれるらしい。お得。超お得。写真には大きなベッドにプラズマテレビ、大きなシステムキッチンや小洒落たオブジェが写っていた。リビングには床暖房迄付いている。これらをくれると言うのだ。マンションを買えば。頭金0、ボーナス払い0でもOK。なのに月々のローン返済は頑張れば払えない値段ではない。欲しい。めっさ欲しい。引っ越したい! 珍しく私からうちのにパンフを見せて、こんなに素敵な物件なのよん、とばかりに語った。うちのは、払えなくはないけど何十年ローンだよ……、と。考えていなかった。計算するに30年位? でも! でも賃貸でもそんなの変わらないじゃないか! うちのは地図を見て、小学校が近いからきっと煩いよ、と。うーむ。騒音公害は苦手だ。増してや憎憎しい餓鬼共の奇声とチャイムか。結局うちのが反対して、この物件購入はお流れとなった。何故私はこの物件にそんなにも惹かれたのか。高価な家具というおまけ付きも確かに魅力のひとつではある。しかしよくよくパンフを見ると、間取り図の表記方法がエレガントだったからのように思えてきた。DKだの居間だのトイレだのと書かれるところを、いちいち洒落た書体を使って英語で書いてある。使われている写真も妙にムーディ。どうやらこの雰囲気に呑まれていた気がしてきた。そしてパンフは捨てた。
私は英語を始めとする外国語が一切できない。荒井注レベル。因って定番化しているメッセージTシャツも怖くて買えない。なにが書かれているのか、自分には全く解らないからだ。デザインを気に入って買ったとして、その言葉の国の人が読んでみて、私は秀才ではなく天才なので大衆は豚です、などという内容だったりしたら顔から火が出る程に恥ずかしい。その点、ヒスなら安心して買える。書いてある言葉の意味が解るからだ。ファックとかビッチとか。それはそれで如何なものか、なのだが。カタカナなのは荒井注レベル故にスペルミスを避ける為。数年前、何をとち狂ったかどうしても、ファックイズホームワーク、と書かれたTシャツが欲しくなった。ので買った。うちのに散々莫迦にされた。当然である。ファックイズホームワークは良くても、マザーファッカーはダメだった。その基準は一体何なのか。自分でも解らない。あのひよこのイラストがどうしても可愛く思えなかったからか。しかし落書きうさぎは可愛いと思う。ファックベアーも可愛いと思えない。しかしネズミーランドの主役パロディの長耳ネズミは可愛い。この微妙過ぎる線引きが、自分でも未だ説明できなくてもどかしい。ファックイズホームワークTシャツは愛用していたものの、洗濯の際に他の衣類から色移りしてダメになった。悲しかったが、天の思し召しだったのか。いい歳こいて恥を晒すな、と。
またメッセージTシャツを着るには、何故か照れが入ってしまう。例えば、ハッピー、と書かれたTシャツがあったとする。楽しげで何よりではないか、と思うのは日本人だからであり、英語圏の人間が見たら、楽しい、と書かれたTシャツとしか思えない筈である。同様に地名が書かれたものもダメ。こう、何というか、浅草辺りにいる外国人をイメージしてしまうのだ。日本だの原宿だのと漢字で書かれたTシャツを着て浮かれている外国人。途方もなく嬉しそうなその姿に、英語メッセージTシャツを着て、私ってオシャレサン、と浮かれている日本人が重なる。英語だけでなく仏語独語でも同じ。私ってばパリジェンヌ、な主張が感じ取れて、こちら迄恥ずかしさを覚える。気にし過ぎなのは重々承知なのだが、この気恥ずかしさを背負って尚、前を見て歩ける程の自信が私にはない。でかでかとブランド名がプリントされたTシャツももう着られない。若気の至りで着ていたことはあったけれど、そんな過去は棚に上げて置くにしまい込み、BAPYなどと書かれたTシャツを着て街を闊歩する若者を見ては頬を染める私なのである。BAPY自体を否定している訳ではなく、BAPYにも可愛い服があるのは承知で、でもブランドロゴTシャツだけは許容できない。そんなことを書いているのに、数年越しで欲してやまなかったMILKFEDのタイプロゴトレーナーを、冬場は嬉々として着ていた。それは部屋着だからいいのだ。外に着て行くには躊躇いが生ずる。近所のコンビニが限界か。
単なる外国語コンプレックスなのだろうか。そう簡単には片付けられないような気もする。私が結婚式や披露宴をしたくない理由に親類縁者友人知人の前で、生涯この人としかセックスしません宣言、をしなければならない恥ずかしさがあるのだ。友人カップルや街行くカップルを見ては、こいつら今は澄ましているけどヤッてんだよなー、と思ってしまう習性がある。フツーはそんなことは考えないらしい。が、私は考える。結婚式の恥ずかしさについて、その昔CCガールズの誰かが同様のことを述べていて、同志よ! と感動した。こんなことを考えているのは私だけだと思っていたから。今も前髪鶏冠頭の人間が存在していたりする。その人の旬はバブル期だったのだなあ、と思う。同様にブランドロゴTシャツを着ている人間を見ると、私ってイケてる〜、的恥ずかしさを感じる。そしてそういうものを恥ずかしいと思う私は自然とロゴ物を避けるようになり、かといって無地だと何だか損した気分になるので無駄に花柄や水玉や縞や格子が増えてゆく。これらの柄物にロゴやメッセージが混ざっていることは殆どなく、何処の国の人から見られても大丈夫、という安心感を抱ける。その昔、喜び勇んでMILKのTシャツやカットソーを着ていた自分を抹消したい。牛乳って何だよ、と。MILKの服は可愛いけれど、所詮は牛乳。powderに至っては、粉、だ。粉……粉って。ふと思ったのだが、日本のブランド名に外国語が多いのは何故だろう。桃色屋敷とか、素晴らしい世界とか、一般的に見てイタタなブランド程、邦訳すると大風呂敷を広げていたりする。後、デザイナー名がそのままブランド名になっているのも考え物だ。そのブランドのロゴ物を着て歩くということは、他者の名札を付けて歩いているようなものではないか。日本人って、外国語やローマ字にメロメロだな。私もだが。
うちにはよく、分譲マンションのチラシが入る。普段は華麗にスルー。たまたま目に止まったのは、そのチラシがペラペラの1枚仕立てではなく、簡易パンフレットのようにキチンとしていたからだ。予約してモデルルームを見に行って購入を決めた人には、家具一式もくれるらしい。お得。超お得。写真には大きなベッドにプラズマテレビ、大きなシステムキッチンや小洒落たオブジェが写っていた。リビングには床暖房迄付いている。これらをくれると言うのだ。マンションを買えば。頭金0、ボーナス払い0でもOK。なのに月々のローン返済は頑張れば払えない値段ではない。欲しい。めっさ欲しい。引っ越したい! 珍しく私からうちのにパンフを見せて、こんなに素敵な物件なのよん、とばかりに語った。うちのは、払えなくはないけど何十年ローンだよ……、と。考えていなかった。計算するに30年位? でも! でも賃貸でもそんなの変わらないじゃないか! うちのは地図を見て、小学校が近いからきっと煩いよ、と。うーむ。騒音公害は苦手だ。増してや憎憎しい餓鬼共の奇声とチャイムか。結局うちのが反対して、この物件購入はお流れとなった。何故私はこの物件にそんなにも惹かれたのか。高価な家具というおまけ付きも確かに魅力のひとつではある。しかしよくよくパンフを見ると、間取り図の表記方法がエレガントだったからのように思えてきた。DKだの居間だのトイレだのと書かれるところを、いちいち洒落た書体を使って英語で書いてある。使われている写真も妙にムーディ。どうやらこの雰囲気に呑まれていた気がしてきた。そしてパンフは捨てた。
私は英語を始めとする外国語が一切できない。荒井注レベル。因って定番化しているメッセージTシャツも怖くて買えない。なにが書かれているのか、自分には全く解らないからだ。デザインを気に入って買ったとして、その言葉の国の人が読んでみて、私は秀才ではなく天才なので大衆は豚です、などという内容だったりしたら顔から火が出る程に恥ずかしい。その点、ヒスなら安心して買える。書いてある言葉の意味が解るからだ。ファックとかビッチとか。それはそれで如何なものか、なのだが。カタカナなのは荒井注レベル故にスペルミスを避ける為。数年前、何をとち狂ったかどうしても、ファックイズホームワーク、と書かれたTシャツが欲しくなった。ので買った。うちのに散々莫迦にされた。当然である。ファックイズホームワークは良くても、マザーファッカーはダメだった。その基準は一体何なのか。自分でも解らない。あのひよこのイラストがどうしても可愛く思えなかったからか。しかし落書きうさぎは可愛いと思う。ファックベアーも可愛いと思えない。しかしネズミーランドの主役パロディの長耳ネズミは可愛い。この微妙過ぎる線引きが、自分でも未だ説明できなくてもどかしい。ファックイズホームワークTシャツは愛用していたものの、洗濯の際に他の衣類から色移りしてダメになった。悲しかったが、天の思し召しだったのか。いい歳こいて恥を晒すな、と。
またメッセージTシャツを着るには、何故か照れが入ってしまう。例えば、ハッピー、と書かれたTシャツがあったとする。楽しげで何よりではないか、と思うのは日本人だからであり、英語圏の人間が見たら、楽しい、と書かれたTシャツとしか思えない筈である。同様に地名が書かれたものもダメ。こう、何というか、浅草辺りにいる外国人をイメージしてしまうのだ。日本だの原宿だのと漢字で書かれたTシャツを着て浮かれている外国人。途方もなく嬉しそうなその姿に、英語メッセージTシャツを着て、私ってオシャレサン、と浮かれている日本人が重なる。英語だけでなく仏語独語でも同じ。私ってばパリジェンヌ、な主張が感じ取れて、こちら迄恥ずかしさを覚える。気にし過ぎなのは重々承知なのだが、この気恥ずかしさを背負って尚、前を見て歩ける程の自信が私にはない。でかでかとブランド名がプリントされたTシャツももう着られない。若気の至りで着ていたことはあったけれど、そんな過去は棚に上げて置くにしまい込み、BAPYなどと書かれたTシャツを着て街を闊歩する若者を見ては頬を染める私なのである。BAPY自体を否定している訳ではなく、BAPYにも可愛い服があるのは承知で、でもブランドロゴTシャツだけは許容できない。そんなことを書いているのに、数年越しで欲してやまなかったMILKFEDのタイプロゴトレーナーを、冬場は嬉々として着ていた。それは部屋着だからいいのだ。外に着て行くには躊躇いが生ずる。近所のコンビニが限界か。
単なる外国語コンプレックスなのだろうか。そう簡単には片付けられないような気もする。私が結婚式や披露宴をしたくない理由に親類縁者友人知人の前で、生涯この人としかセックスしません宣言、をしなければならない恥ずかしさがあるのだ。友人カップルや街行くカップルを見ては、こいつら今は澄ましているけどヤッてんだよなー、と思ってしまう習性がある。フツーはそんなことは考えないらしい。が、私は考える。結婚式の恥ずかしさについて、その昔CCガールズの誰かが同様のことを述べていて、同志よ! と感動した。こんなことを考えているのは私だけだと思っていたから。今も前髪鶏冠頭の人間が存在していたりする。その人の旬はバブル期だったのだなあ、と思う。同様にブランドロゴTシャツを着ている人間を見ると、私ってイケてる〜、的恥ずかしさを感じる。そしてそういうものを恥ずかしいと思う私は自然とロゴ物を避けるようになり、かといって無地だと何だか損した気分になるので無駄に花柄や水玉や縞や格子が増えてゆく。これらの柄物にロゴやメッセージが混ざっていることは殆どなく、何処の国の人から見られても大丈夫、という安心感を抱ける。その昔、喜び勇んでMILKのTシャツやカットソーを着ていた自分を抹消したい。牛乳って何だよ、と。MILKの服は可愛いけれど、所詮は牛乳。powderに至っては、粉、だ。粉……粉って。ふと思ったのだが、日本のブランド名に外国語が多いのは何故だろう。桃色屋敷とか、素晴らしい世界とか、一般的に見てイタタなブランド程、邦訳すると大風呂敷を広げていたりする。後、デザイナー名がそのままブランド名になっているのも考え物だ。そのブランドのロゴ物を着て歩くということは、他者の名札を付けて歩いているようなものではないか。日本人って、外国語やローマ字にメロメロだな。私もだが。
現在6月9日。
昨日の話。どうにもだるくてだるくてだるくて、うだうだうだうだと午睡を満喫していた夕方17時半頃か、電話が鳴った。どんなに具合が悪かろうと電話の音や玄関チャイムの音は無視できない性質なので、取った。うちの電話回線はうちのの名義で引いているので、名乗るときはうちのの名を名乗る。はい。あのー、うちの(仮名)さんのお宅ですか? そうですが、何か? うちのさんはいらっしゃいますか? 出掛けていますが、何か? お休みはいつでしょう? 土日は大概休みですが、何か? 奥様ですか? そのようなものですが、何か? うちのさんは何時頃お帰りになりますか? 深夜になると思いますが、何か? そうですか……。お名前とお電話番号を教えていただければ折り返し電話させますが。いえ、昔一緒に仕事をしていただけできっと覚えていないと思うので……またかけます。はあ。と電話終了。電話の主は女性。落ち着きがありつつちょっと可愛い声なのがまた私の気分を害する。私の声は落ち着きもなく可愛くもないから。即座にうちのにメール。とってもぁゃιぃ名前も電話番号も教えてくれない電話なんだけど、何だよアレは。気分悪い。因って今夜はメシ抜きな。慌てて電話してきたうちの。誰なの? 知るかよ! 名乗りもしなきゃ電話番号も教えない相手のことなんか知るか! あんたが悪くないことは解っちゃいるが、けたくそ悪いわ。今夜メシ抜き。ビールだけ冷やしておいてやる。気になる気になると念仏のように唱えるうちの。知らんっての! 名乗らない女からの電話なんてぁゃι過ぎる。何なんだよ、もう。私の午睡を邪魔してソレかよ! あー、苛々苛々。
コンビニに行ってお菓子と弁当を購入し、私の夕食の準備は終了。どうにも気分が悪い。ストレス発散に買い物でも……とネットオークションを覗く。いい物はいろいろあったけれど、昨日終了の物がない。行き場のないストレス。食事を摂ってだらだらとPCで遊んでいると、夜、電話が鳴った。出ると無言で直ぐ切れた。あの女かどうかの確証はないけれど、ぁゃιぃ。そして23時半過ぎか、またあの女から電話。0時半位には帰ってくると思いますが、何か? じゃあまたかけさせていただきます、夜遅くに何度も済みません。いーえ、どうぞどうぞ……。余裕ありそうな返事をしている自分に苛々。0時29分にまたかかってきた。後5分10分で帰ってくる筈ですが、何か? そうですか。うちの、帰宅。私はPCデスクから離れず背を向けたまま、お帰り、とだけ。ついさっきまた電話があったよ。もう直ぐかかってくると思うよ。誰なんだろう、気になるなあ。おまいも気になるだろうが、こっちの方が余程気になるんじゃ! 電話が鳴った。うちのが取った。ああ、〜〜さん! 久しぶり! 今、どうしているの? などの雑談が開始された模様。無視を決め込み、でも聞き耳を立てる私。うちのが電話を取る前に言っておいた、名乗れ、はちゃんと言ってくれた。曰く、名乗ると怪しまれると思って名乗らなかったとか。名乗らん方が数倍ぁゃιぃわ! 受話器を置いたうちのが、主婦だったよ、と言った。だから、何? いや、だからって言われても……、昔のバイト先の仲間だよ。ふーん……。セックスレスである現状、浮気は致し方ないと思っている。しかしそれを家に持ち込むのはルール違反だ。うちのは、やましいことは何もない、と言っていたが。ざらざらした気持ちを抱えたままでいるのも、自分自身の気分が悪い。なんでまたわざわざ電話してきたの? と訊いた。曰く、夢に出てきたから電話してみた、らしい。何じゃ、そりゃ! 会いたいが為のきっかけ作りの電話にしか思えない。その女は主婦であり、子供から手が離れたと言う。そして昔の同僚などに連絡を取ろうとするも、なかなか相手が捕まらないらしい。そりゃあそうだろう。子供から手が離れたということは、数年は経ている筈だ。自分と同じだけ、相手にも年月が経っており、各々環境が変わっていても仕方がないだろう。
何故そんな何年も連絡を取り合っていなかった昔の知り合いに電話をしようと思うのか。その神経が解らん。おまけに名乗らない。うちの曰く、その女は今また仕事を始めようと思っているらしい。そのツテ探しか? しかしPCも持っていないと言う。何が何だか。私なら、何年も連絡を取っていなかった相手が夢に出てきたところで、わざわざ電話をかけようとは思わない。しかも異性。20〜30代、人生の中で最も大きな環境変化を迎える年頃だ。相手が結婚している可能性だって少なくない。そこに名乗らないぁゃιぃ電話がかかってきたら……。あの女はちょっと足りない。うちの経由での私への伝言。名乗らなくて済みません。謝る位なら最初から名乗れや! うちのも私同様に転職を重ねてきた人間であり、昔の同僚が電話してくること自体には同性だろうが異性だろうが、構わないと思っている。相手に用事があれば用件と電話番号を聞き、私からうちのの携帯電話に連絡をして、その相手に電話させたことも何度もある。今迄、大した用事じゃないので、という人はいたけれど、名乗らなかった相手は初めてだ。
私は絶対に悪くない。うちのも悪くない。悪いのは、逆方向に気遣いをした足りない女だけだ。それでもうちのと私の間にはピリピリした空気が流れた。私の斜めになった臍が元に戻らないから。うちのも時間に任せようと思ったらしく、弁解などはしてこなかった。あの女は、名乗らない、というだけでこんなに家庭内に波風が立つとは思わなかったのだろうか。相手は子持ちの主婦であり家庭ある人間。ちょっと考えれば解りそうなものではないか。やはり足りないとしか思えない。数ヶ月前に、うちはナンバーディスプレイを解約している。必要だったのはうちのが独立して家で仕事をしていたときの締め切りから逃げる為であり、外に働きに出るようになってからは必要なくなったから。昨日は解約を後悔した。解約していなければ相手の電話番号が表示され、うちのから電話をかけさせることで、半日ももやもやせずに済んだのだ。まだ少しもやもやしている。生協の配達がくる迄、もう少し布団に逃げよう。
昨日の話。どうにもだるくてだるくてだるくて、うだうだうだうだと午睡を満喫していた夕方17時半頃か、電話が鳴った。どんなに具合が悪かろうと電話の音や玄関チャイムの音は無視できない性質なので、取った。うちの電話回線はうちのの名義で引いているので、名乗るときはうちのの名を名乗る。はい。あのー、うちの(仮名)さんのお宅ですか? そうですが、何か? うちのさんはいらっしゃいますか? 出掛けていますが、何か? お休みはいつでしょう? 土日は大概休みですが、何か? 奥様ですか? そのようなものですが、何か? うちのさんは何時頃お帰りになりますか? 深夜になると思いますが、何か? そうですか……。お名前とお電話番号を教えていただければ折り返し電話させますが。いえ、昔一緒に仕事をしていただけできっと覚えていないと思うので……またかけます。はあ。と電話終了。電話の主は女性。落ち着きがありつつちょっと可愛い声なのがまた私の気分を害する。私の声は落ち着きもなく可愛くもないから。即座にうちのにメール。とってもぁゃιぃ名前も電話番号も教えてくれない電話なんだけど、何だよアレは。気分悪い。因って今夜はメシ抜きな。慌てて電話してきたうちの。誰なの? 知るかよ! 名乗りもしなきゃ電話番号も教えない相手のことなんか知るか! あんたが悪くないことは解っちゃいるが、けたくそ悪いわ。今夜メシ抜き。ビールだけ冷やしておいてやる。気になる気になると念仏のように唱えるうちの。知らんっての! 名乗らない女からの電話なんてぁゃι過ぎる。何なんだよ、もう。私の午睡を邪魔してソレかよ! あー、苛々苛々。
コンビニに行ってお菓子と弁当を購入し、私の夕食の準備は終了。どうにも気分が悪い。ストレス発散に買い物でも……とネットオークションを覗く。いい物はいろいろあったけれど、昨日終了の物がない。行き場のないストレス。食事を摂ってだらだらとPCで遊んでいると、夜、電話が鳴った。出ると無言で直ぐ切れた。あの女かどうかの確証はないけれど、ぁゃιぃ。そして23時半過ぎか、またあの女から電話。0時半位には帰ってくると思いますが、何か? じゃあまたかけさせていただきます、夜遅くに何度も済みません。いーえ、どうぞどうぞ……。余裕ありそうな返事をしている自分に苛々。0時29分にまたかかってきた。後5分10分で帰ってくる筈ですが、何か? そうですか。うちの、帰宅。私はPCデスクから離れず背を向けたまま、お帰り、とだけ。ついさっきまた電話があったよ。もう直ぐかかってくると思うよ。誰なんだろう、気になるなあ。おまいも気になるだろうが、こっちの方が余程気になるんじゃ! 電話が鳴った。うちのが取った。ああ、〜〜さん! 久しぶり! 今、どうしているの? などの雑談が開始された模様。無視を決め込み、でも聞き耳を立てる私。うちのが電話を取る前に言っておいた、名乗れ、はちゃんと言ってくれた。曰く、名乗ると怪しまれると思って名乗らなかったとか。名乗らん方が数倍ぁゃιぃわ! 受話器を置いたうちのが、主婦だったよ、と言った。だから、何? いや、だからって言われても……、昔のバイト先の仲間だよ。ふーん……。セックスレスである現状、浮気は致し方ないと思っている。しかしそれを家に持ち込むのはルール違反だ。うちのは、やましいことは何もない、と言っていたが。ざらざらした気持ちを抱えたままでいるのも、自分自身の気分が悪い。なんでまたわざわざ電話してきたの? と訊いた。曰く、夢に出てきたから電話してみた、らしい。何じゃ、そりゃ! 会いたいが為のきっかけ作りの電話にしか思えない。その女は主婦であり、子供から手が離れたと言う。そして昔の同僚などに連絡を取ろうとするも、なかなか相手が捕まらないらしい。そりゃあそうだろう。子供から手が離れたということは、数年は経ている筈だ。自分と同じだけ、相手にも年月が経っており、各々環境が変わっていても仕方がないだろう。
何故そんな何年も連絡を取り合っていなかった昔の知り合いに電話をしようと思うのか。その神経が解らん。おまけに名乗らない。うちの曰く、その女は今また仕事を始めようと思っているらしい。そのツテ探しか? しかしPCも持っていないと言う。何が何だか。私なら、何年も連絡を取っていなかった相手が夢に出てきたところで、わざわざ電話をかけようとは思わない。しかも異性。20〜30代、人生の中で最も大きな環境変化を迎える年頃だ。相手が結婚している可能性だって少なくない。そこに名乗らないぁゃιぃ電話がかかってきたら……。あの女はちょっと足りない。うちの経由での私への伝言。名乗らなくて済みません。謝る位なら最初から名乗れや! うちのも私同様に転職を重ねてきた人間であり、昔の同僚が電話してくること自体には同性だろうが異性だろうが、構わないと思っている。相手に用事があれば用件と電話番号を聞き、私からうちのの携帯電話に連絡をして、その相手に電話させたことも何度もある。今迄、大した用事じゃないので、という人はいたけれど、名乗らなかった相手は初めてだ。
私は絶対に悪くない。うちのも悪くない。悪いのは、逆方向に気遣いをした足りない女だけだ。それでもうちのと私の間にはピリピリした空気が流れた。私の斜めになった臍が元に戻らないから。うちのも時間に任せようと思ったらしく、弁解などはしてこなかった。あの女は、名乗らない、というだけでこんなに家庭内に波風が立つとは思わなかったのだろうか。相手は子持ちの主婦であり家庭ある人間。ちょっと考えれば解りそうなものではないか。やはり足りないとしか思えない。数ヶ月前に、うちはナンバーディスプレイを解約している。必要だったのはうちのが独立して家で仕事をしていたときの締め切りから逃げる為であり、外に働きに出るようになってからは必要なくなったから。昨日は解約を後悔した。解約していなければ相手の電話番号が表示され、うちのから電話をかけさせることで、半日ももやもやせずに済んだのだ。まだ少しもやもやしている。生協の配達がくる迄、もう少し布団に逃げよう。
睡眠障害とご都合主義
2004年6月4日 雑感・所感 昨夜は1時半頃に眠剤を入れて就寝。眠剤休薬日を増やしている所為か、とても早く眠りにつけてお布団と懇ろな仲になっていると、莫迦者が電話を寄越してきた。昔の職場の同僚である。用件は、20時間寝てしまい会社をサボってしまった、今起きたところでこの時間でも夜型人間のあんたなら起きてそうだから。着信履歴を見ると2時45分。死ね。うちのに決められた就寝リミットは3時なので、起きていた可能性はある。あるけれどもだな、私はひとり暮らしではないのだ。うちのとふたりで共同生活を営んでいるのだ。仮に私が起きていたとしても、うちのが寝ていた可能性がある。常識で考えて行動してくれ、頼むから。私も常識無しではあるけれど、こういう常識無しな人間は如何なものかと思う。仲のいい相手だったとしても疎遠になる。ところがこの相手、お互いに会社を辞めた今では懇意にしている訳でもなく、元々疎遠だ。疎遠の先は縁切りか? 私は就寝時でも携帯電話そのものの電源や着信音を消さない。誰かが夜中に電話をかけてくるということは非常事態に他ならず、そうでなければ鳴らなくて当然だからだ。この相手に対して着信拒否設定施行を考え中。莫迦は何処迄行ってもやはり莫迦なのだな、と再実感。不幸中の幸いは、電話を切ってすぐにまた眠りにつけたことである。これで眠りにつけなくなっていたらコ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カだったところだ。睡眠障害者の睡眠を妨害してはいかん。
夜中に睡眠を妨害されたにも拘らず、今朝はうちのの起床と同時に起きた。むしろ私の方が早く起きた。目覚まし時計の音が癇に障って仕方がなかったのだ。どうも神経過敏になっている模様。ボウルにコーンフレークと牛乳とにがり3滴とスプーンを入れてうちのを起こした。うちのの朝食時間は、私のぼんやりする時間である。平日の朝、私が起きていたとしても一緒に食べることは殆どない。うちのが食べ終えてから私も同じ物を食べる。同じ食器で。その方が洗い物が少なく済んで合理的だからだ。うちのを送り出し、日頃ならそのままだらりとネット遊びを始めるところ、今日は布団に戻ってしまった。そのままごろごろと昼過ぎ迄寝ていた。その2度寝で見た夢。舞台は音大。私の専攻が何だったのかは不明だが、鍵盤楽器ではなかったらしい。新入生の合宿ミーティングで鍵盤楽器に興味があると近くにいた男の子に話すと、その男の子はどうやら私のことを好きになったらしく合宿解散前に大きな楽器を貸してくれようとした。大きな楽器は鍵盤が5列程ついている割にはコンパクトで腋に抱えてどうにか運べるような物。隣にいた同級生である愛しの君に借りていいものかどうか相談すると、これは安くても4〜500万円する代物だよ、と言われ、借りて壊したら洒落にならん、と悩む話。なんじゃそりゃ。音大に合格できるような得意楽器はない、愛しの君とは年齢が離れており同い年の同級生はあり得ない、ないない尽くしの極め付けが、私のことを好きになってくれて高価な楽器を貸してくれるという男の子の存在。パンを咥えて、遅刻しちゃう! と走っていると曲がり角で転校生にぶつかり憤慨し、教室で転校生を紹介されて……というくらいにご都合主義な夢だった。目覚めてから自分の脳足りん加減に嫌気が差した程だ。
嫌気が強くて3度寝をする気になれず、起きて昼食を食べて、うちのに頼まれていた美容院への予約を済ませ、病院にでも行こうかなーと思ったけれど面倒なので中止。中途半端に時間が余る。そんなときは寝るに限るのに、寝る気になれないこのもどかしさ。昨日遂にうちのに指摘された、服塚の処理に取り掛かってみた。が、やはり収納しきれない。現在はまた、要らないと思われる服を着ては処分している最中なのだが、去年末にかなりやっつけた為、要らない服の絶対数が減ってきている。そして困るは寝るときの姿。うちのに三輪明宏のドレスと称されたワンピースをいつ迄も着続けるのも莫迦らしいし、布地がたっぷりと使われているので場所を取る。次回の燃えるゴミの日に処分決定。塚を平たくしつつ衣装箱に突っ込んでいく中で、寝間着に降格させられそうな服を探したのだけれど、ない。寝間着の条件。通気性・吸湿性が良く、布地が柔らかいもの。となると、Tシャツやカットソーにパンツとなる。今あるそれらを見回したところ、Tシャツやカットソーは辛うじて寝間着兼普段着と妥協しても、条件に合うパンツがない。困った。実際にはデニムを穿いて寝ることにも抵抗がなければさして疲れもしない人間なのだが、気が引ける。冬用のパジャマはちゃんとカテゴライズ済み。去年末の衣類大処分のときに、夏のこと迄考えていなかったのが運の尽き。真夏ならTシャツにショーツ1枚でもいいけれど、この時期は中途半端で、下がショーツだけでは流石に寒い。スウェットっぽいものを購入……だと本末転倒。所有ワンピースにはまだ降格させられるものはないし、普段着と兼用にもしたくない。今はスパッツで誤魔化しているが、どうにもみっともなくて悲しい。春秋の寝間着カテゴライズは目下の課題である。
話は変わって今夜の揉めごと。帰宅してうちのが開口一番、できればもう少し遅い時間にして欲しかった、と言ってきた。美容院予約の話だ。明日の予定は、うちのが髪を切りに行ってからヨガ、と昨日話し合った筈で、その予定に従うならば適切と思われる時間に予約を入れたのに、もっと寝たかった、と。更に話を進めて行くと食い違い過多。昨日話した週末の予定設定に於いて私は、土曜はうちのが髪を切りに行った後でヨガ、日曜は天気と私の体調次第ではあるが草食の墓参りの後でうちのはプールで私は帰宅。うちのは、土曜は髪を切りに行った後にプール、日曜は墓参り後にヨガ、となっていた。こうなると証人がいる訳でなし、言った言わないの水掛け論になるので私が折れた。折れる迄に疲れてしまった。疲れを癒す為に明日・明後日は各々個人行動。私は明日の夜、久々にイベントに出掛ける予定を入れた。凡そ半年振り。うちのは難色を示しているが、知らん。
服/スカラーの4色リボン付き半袖フリルカットソー+キリウォッチの茶色いカーディガン+ズッカのチェック風パッチワークスカート+生成りの靴下+ドクターマーチンの赤いレザースニーカー+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+赤ビーズのブレスとお揃いのピアス+革の三連ブレス(ダイヤのピアス×2とクローバー型ターコイズピアス×1はデフォになっているので今後省略。これ迄の日記でも何度か省略済み)
BGM/アルバム「羅生門」
夜中に睡眠を妨害されたにも拘らず、今朝はうちのの起床と同時に起きた。むしろ私の方が早く起きた。目覚まし時計の音が癇に障って仕方がなかったのだ。どうも神経過敏になっている模様。ボウルにコーンフレークと牛乳とにがり3滴とスプーンを入れてうちのを起こした。うちのの朝食時間は、私のぼんやりする時間である。平日の朝、私が起きていたとしても一緒に食べることは殆どない。うちのが食べ終えてから私も同じ物を食べる。同じ食器で。その方が洗い物が少なく済んで合理的だからだ。うちのを送り出し、日頃ならそのままだらりとネット遊びを始めるところ、今日は布団に戻ってしまった。そのままごろごろと昼過ぎ迄寝ていた。その2度寝で見た夢。舞台は音大。私の専攻が何だったのかは不明だが、鍵盤楽器ではなかったらしい。新入生の合宿ミーティングで鍵盤楽器に興味があると近くにいた男の子に話すと、その男の子はどうやら私のことを好きになったらしく合宿解散前に大きな楽器を貸してくれようとした。大きな楽器は鍵盤が5列程ついている割にはコンパクトで腋に抱えてどうにか運べるような物。隣にいた同級生である愛しの君に借りていいものかどうか相談すると、これは安くても4〜500万円する代物だよ、と言われ、借りて壊したら洒落にならん、と悩む話。なんじゃそりゃ。音大に合格できるような得意楽器はない、愛しの君とは年齢が離れており同い年の同級生はあり得ない、ないない尽くしの極め付けが、私のことを好きになってくれて高価な楽器を貸してくれるという男の子の存在。パンを咥えて、遅刻しちゃう! と走っていると曲がり角で転校生にぶつかり憤慨し、教室で転校生を紹介されて……というくらいにご都合主義な夢だった。目覚めてから自分の脳足りん加減に嫌気が差した程だ。
嫌気が強くて3度寝をする気になれず、起きて昼食を食べて、うちのに頼まれていた美容院への予約を済ませ、病院にでも行こうかなーと思ったけれど面倒なので中止。中途半端に時間が余る。そんなときは寝るに限るのに、寝る気になれないこのもどかしさ。昨日遂にうちのに指摘された、服塚の処理に取り掛かってみた。が、やはり収納しきれない。現在はまた、要らないと思われる服を着ては処分している最中なのだが、去年末にかなりやっつけた為、要らない服の絶対数が減ってきている。そして困るは寝るときの姿。うちのに三輪明宏のドレスと称されたワンピースをいつ迄も着続けるのも莫迦らしいし、布地がたっぷりと使われているので場所を取る。次回の燃えるゴミの日に処分決定。塚を平たくしつつ衣装箱に突っ込んでいく中で、寝間着に降格させられそうな服を探したのだけれど、ない。寝間着の条件。通気性・吸湿性が良く、布地が柔らかいもの。となると、Tシャツやカットソーにパンツとなる。今あるそれらを見回したところ、Tシャツやカットソーは辛うじて寝間着兼普段着と妥協しても、条件に合うパンツがない。困った。実際にはデニムを穿いて寝ることにも抵抗がなければさして疲れもしない人間なのだが、気が引ける。冬用のパジャマはちゃんとカテゴライズ済み。去年末の衣類大処分のときに、夏のこと迄考えていなかったのが運の尽き。真夏ならTシャツにショーツ1枚でもいいけれど、この時期は中途半端で、下がショーツだけでは流石に寒い。スウェットっぽいものを購入……だと本末転倒。所有ワンピースにはまだ降格させられるものはないし、普段着と兼用にもしたくない。今はスパッツで誤魔化しているが、どうにもみっともなくて悲しい。春秋の寝間着カテゴライズは目下の課題である。
話は変わって今夜の揉めごと。帰宅してうちのが開口一番、できればもう少し遅い時間にして欲しかった、と言ってきた。美容院予約の話だ。明日の予定は、うちのが髪を切りに行ってからヨガ、と昨日話し合った筈で、その予定に従うならば適切と思われる時間に予約を入れたのに、もっと寝たかった、と。更に話を進めて行くと食い違い過多。昨日話した週末の予定設定に於いて私は、土曜はうちのが髪を切りに行った後でヨガ、日曜は天気と私の体調次第ではあるが草食の墓参りの後でうちのはプールで私は帰宅。うちのは、土曜は髪を切りに行った後にプール、日曜は墓参り後にヨガ、となっていた。こうなると証人がいる訳でなし、言った言わないの水掛け論になるので私が折れた。折れる迄に疲れてしまった。疲れを癒す為に明日・明後日は各々個人行動。私は明日の夜、久々にイベントに出掛ける予定を入れた。凡そ半年振り。うちのは難色を示しているが、知らん。
服/スカラーの4色リボン付き半袖フリルカットソー+キリウォッチの茶色いカーディガン+ズッカのチェック風パッチワークスカート+生成りの靴下+ドクターマーチンの赤いレザースニーカー+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+赤ビーズのブレスとお揃いのピアス+革の三連ブレス(ダイヤのピアス×2とクローバー型ターコイズピアス×1はデフォになっているので今後省略。これ迄の日記でも何度か省略済み)
BGM/アルバム「羅生門」
某バンド、新ドラマー決定! オフィシャルサイトにて発表!バンザーイ! 去年末に前任ドラマーが脱退して以来、ずーっとライヴも新譜発表もなかった愛しの君の某バンドの話である。ドラマーが決定→活動再開、は激しく嬉しい。嬉しいが……。昨夜、同バンドファンの友人とメッセで会話。新ドラマー決まったよ→へー、どんな人?→よく知らない。ふたりで検索。ファンサイトが幾つか引っ掛った。えー……。ノリが違う。キャーッという嬌声がモニタの向こうから聞こえてきそうな勢い。ドラマー本人が書いたらしいコラムも発見。イエーイ! か。そうか。タイムカプセルには牛丼を入れたいのか。そうか。ぃぇ〜ぃ……。暫し友人との間に微妙な雰囲気が流れる。きっとモニタに向いつつ、友人と私の顔には地主おねいのように、いやだな、と書かれていた筈だ。職人肌ではなさそうだね。でもあのふたりがこの人を新ドラマーとして認めたんだから仕方ないよ。尤もだ。ネット上でうだうだ言っていても始まらない。取り敢えず、プレイを聴いてみなくては。手数が多いドラマーだと嬉しいがどうなのだろう。次のライヴは……名古屋と大阪。東京がない! 半年以上ぶりのライヴとはいえ、前回の愛しの君ソロワークのセッションも我慢したとはいえ、うちのは遠征はさせてくれなかろう。ツアータイトルが「地獄の夏祭り」。脳内にセットリストが華を咲かせる。アレとアレとアレとアレは絶対に演奏するだろう。聴きたい! でもドラムがぐだぐだだったら……。いや、それを確認する意味でも聴きたい! 8月迄はまだ時間がある。どんな交通手段が安いのか調べるだけ調べてみるか。それよりも東京でのライヴを開催して欲しいものだがな。
話は変わって。汚言症なるものがあるらしい。TPOに拘らず、所謂キタナイ言葉を発してしまう症状。患者の存在自体が稀で、主にチック症の子供に多いらしいのだが、大人でもストレスで強迫神経症のように発症することがあるらしい。昨日「ユリイカ」のバックナンバーを読んでいてこの言葉を初めて知り、ネットで調べたところ、こういうものらしい。この言葉に引っ掛ったのはうちのの、ちんこまんこうんこしっこ発言の多さとTPOを無視した発言時期に関係する。私がセックスを拒否してしまっていることで、うちのはストレスを感じている。拒否以前は昨今のように無駄にこの手の言葉を多発しはしなかった。もしかして私がうちのを受け入れないことが原因で、うちのは汚言症を発症しているのではなかろうか。そう考えると、物凄く申し訳ない気持ちに襲われた。うちのにこの話をすると、それは解らないけど……、と。ただリズムのいい言葉だからついつい言っちゃうだけだよ、とは言っていたけれど、リズムの良い言葉なら他にも五万とある訳で、よりによって汚言である必要はない。双方がストレスを抱えて精神的に参ってきている。どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、と焦る程に眩暈がしてくる。でも、どうにかしなきゃ。一昨日の夜、うちのに言ってしまった。あんたがその手の言葉を無駄に言うたびに私はプレッシャーを感じてストレスが蓄積される。うちのにとってのストレッサーが何を言うか、だ。つらいのは私だけではない。よく、夫婦一緒なら幸せは2倍で悲しみは半分、などと言われている。夫婦ではないけれどうちでは、一緒にいると幸せは各々が勝手に感じストレスは倍増、だ。こんなのおかしい。正さなきゃ。正さなきゃ。頭がくらくらする。
不調なので短め。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
話は変わって。汚言症なるものがあるらしい。TPOに拘らず、所謂キタナイ言葉を発してしまう症状。患者の存在自体が稀で、主にチック症の子供に多いらしいのだが、大人でもストレスで強迫神経症のように発症することがあるらしい。昨日「ユリイカ」のバックナンバーを読んでいてこの言葉を初めて知り、ネットで調べたところ、こういうものらしい。この言葉に引っ掛ったのはうちのの、ちんこまんこうんこしっこ発言の多さとTPOを無視した発言時期に関係する。私がセックスを拒否してしまっていることで、うちのはストレスを感じている。拒否以前は昨今のように無駄にこの手の言葉を多発しはしなかった。もしかして私がうちのを受け入れないことが原因で、うちのは汚言症を発症しているのではなかろうか。そう考えると、物凄く申し訳ない気持ちに襲われた。うちのにこの話をすると、それは解らないけど……、と。ただリズムのいい言葉だからついつい言っちゃうだけだよ、とは言っていたけれど、リズムの良い言葉なら他にも五万とある訳で、よりによって汚言である必要はない。双方がストレスを抱えて精神的に参ってきている。どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃ、と焦る程に眩暈がしてくる。でも、どうにかしなきゃ。一昨日の夜、うちのに言ってしまった。あんたがその手の言葉を無駄に言うたびに私はプレッシャーを感じてストレスが蓄積される。うちのにとってのストレッサーが何を言うか、だ。つらいのは私だけではない。よく、夫婦一緒なら幸せは2倍で悲しみは半分、などと言われている。夫婦ではないけれどうちでは、一緒にいると幸せは各々が勝手に感じストレスは倍増、だ。こんなのおかしい。正さなきゃ。正さなきゃ。頭がくらくらする。
不調なので短め。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
草間やら三輪やらジュディやら
2004年6月1日 雑感・所感 ここのところ、午前中に起きて夜中の暗いうちに寝られることが増え、生活そのものは規則正しくなってきている。それに反して精神面が不安定。不安定、は正確ではないか。些細なことにカチンときてしまう。そしてそのカチンという感情を上手く処理できない。昨日、歯科にて治療が開始された。昔神経を抜いて治療してあった歯のクラウンがかなり前から取れており、その取れたクラウンの下に残っていた歯が虫歯になっていたらしく、神経を抜いてある故に痛くないところから始めましょうか、とこの歯の治療から始まった訳だが。神経を抜いてあるから痛くないと解っていても、治療器具の発する音が怖いし、歯を削られているときの振動も怖い。そしてこれは以前かかった歯科医の腕が悪かった所為なのだけれど、私には神経のない歯を削られているにも拘らず、痛みを伴う大出血をさせられたことがある。歯そのものだけでなく、歯茎迄削られたのだ。こんな腕の悪い歯科医はそうそういないと、頭では解っている。解っていても、治療台に寝て口を開けた無防備な姿になると、この忌まわしき記憶が思い出されてひたすら怖い。怖いとドキドキする。このドキドキの素は治療への恐怖心に他ならないのに、ドキドキが長引くとPDの予期不安とごっちゃになって、ここで発作が起きたらどうしよう! と焦る。この歯科での初回診察時に、PDであることは伝えてある。心療歯科ではないから仕方がないのも解っている。でも。私が恐怖に目を瞑りパンツの布地をぎゅーっと握り締めて耐えているときに、キツい口調で、痛くないでしょ! なんて言われると、怖がっている自分が怒られている気がして余計にドキドキし、恐怖心に精神的萎縮迄加わる。しかも何で治療中の口の中を4人も覗いているんだ! 恥ずかしいじゃないか! 歯科治療は羞恥を伴うのだ。ひさのうちみちおの知人でもあるまいし、私はその羞恥に悦びを覚えたりはしない。むしろ恥辱。なんで怒られなきゃならないの! なんで沢山の人が覗いているの! が昼間のカチン。
夜、ほろ酔いでうちのが帰宅してきた。相変わらずちんこまんこと煩い。小学生低学年か、おまいは。おまけに私は、その小学生低学年大爆笑な単語を無意味に連発されると腹が立つ。この腹立ちは、相手の餓鬼臭さとセックスレスであることへのプレッシャー。私のセックスレスは、女性版EDと言えるかもしれない。HIV感染恐怖症。私自身はシロ。クロになりたくないが為に性交渉を避けている。ついでに餓鬼臭い無意味な発言をする相手に所謂セックスアピールは感じない。ちんこまんこ連発にカチンときた私。昼間のカチンを収める矛先がなかったこともあり、聞き流せずに怒ってしまった。もう限界! こういうのが続くとこの先やっていけないかもしれない! するとうちのは、俺もこれ以上セックスレスが続くとやっていけないかもしれない、と言った。他所でしてこいっつってもそんな簡単に相手が見つかると思ってんの? 相手を紹介してくれるの? けれど喧嘩には発展せず。過去に何度も話した筈のHIV感染への恐怖心。うちのは私が繰り返し話しているときは、何年もセックスレスが続く程に深刻だとは思っていなかったようだ。過去に何度も、検査してみて、とお願いしている。しかし仕事の忙しさもあり、うちの自身が件を受けるという行為に消極的だったこともあり、何年もそのままになっていた。昨日はちゃんと聞いてくれたと思う。忙しいなら保健所の無料検査ではなく、即日判定をしてくれる病院でもいい。うちのが検査に行ってくれてシロ判定を受けてくれれば嬉しい。自身の感染恐怖を、うちのに解決させようとしている他力本願さも解っている。それでも検査を受けること自体は良いことだと思っているので、この点に関しては他力本願上等ではないか。私は既に自身の義務として検査を済ませているのだし。相手にだけ検査を強要し、あんたがシロなら私もシロね、なら大問題だが。
昨日のカチンは他にもいろいろ。日曜にフリーマーケットで購入して、サイズが怪しい物を試着したところ、やはり3点、私には大きすぎる物があった。ひとつはウエストの実寸を測ったら80cm程もあったパンツ。レディース物なのに大き過ぎ。色はとても好みだったのでがっかり倍増。これはうちのに穿かせてみたらぴったりだった。ので、あげた。ちょっと悔しいけれど無駄にならなかっただけ良しとしよう。ひとつは着てみると床掃除ができてしまう程に長過ぎる薄紫の地に刺繍の入ったインポート物ワンピース。これはレーヨンで涼しく、楊柳なので着心地もいい。夏物のパジャマ、いや形からしてネグリジェか、に決定。しかし背中に当たるタグが痛い。切ったけれどまだ残った布地が当たると少しチクチクする。何度か洗濯して布地が草臥れてくればチクチクは解消するだろうか。ひとつは手作り1点物のたっぷりとした紺×赤の水玉ワンピース。昨日、これを着て出掛けようとしたら……難し過ぎ。ベルトでウエストマークすればどうにかなるかと思っていたのに、いやはやそれでもたっぷりし過ぎで様にならない。ふと思いついてこのワンピースの下に白×紫のドットパンツを穿いてみた。水玉キチの草間弥生のような人間が鏡に映ってげんなり。そんなイタズラはさて置き、このワンピースは整体に通っている親にあげることに決定。ゆとりがあるので治療中にでも着てくれ。
寝る前に上記薄紫ワンピースを着てみたところ、うちのに激しくからかわれた。そのからかい方がちょっと面白かった。ああ、そういや日記に書いてたよなあ! 今夜の私は三輪明宏。紫のドレスを着て蝶のように踊るの、舞うの、でも裾が絡まってダンスは上手く踊れない、布団の中でお眠りなさい、って。書いてねえ! 三輪明広の名前はアナスイの限定ドーリーの話でも書いたっけ? と思ってしまったがドレスと絡めて書いてはいないし、そもそもあれはドレスじゃなくて只のワンピースだし。薄紫のワンピースは、きっとうちのの目には脳内補完で濃紫の物凄い勢いでデコラティヴな物になっているのだろう。それにしても布団の中でお眠りなさい、って。ジュディ・オングとはまた懐かしい。しかも私の中ではなく、布団の中。まんま過ぎ。余談。最近気付いたこと。起きて直ぐに日記を書くと目が覚める。因って最近は前倒しで日記アップ。
昨日の服/薄紫のキャミ+ローズバッドのスクラッチフレンチスリーブカットソー+ジャーナルスタンダードの茶色い裾絞りパンツ+茶色いストラップシューズ+一澤帆布国防色ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+アジア風ブレスレット
今日の服/H.A.Kの浅葱色長袖カットソー+スカラーの花柄別布付きVネックベスト+コキュのフリル付きラップデニムスカート+インポート物水色ベースの小花柄スパッツ+ビルケンの青い靴+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+ネイビーキャスケット
夜、ほろ酔いでうちのが帰宅してきた。相変わらずちんこまんこと煩い。小学生低学年か、おまいは。おまけに私は、その小学生低学年大爆笑な単語を無意味に連発されると腹が立つ。この腹立ちは、相手の餓鬼臭さとセックスレスであることへのプレッシャー。私のセックスレスは、女性版EDと言えるかもしれない。HIV感染恐怖症。私自身はシロ。クロになりたくないが為に性交渉を避けている。ついでに餓鬼臭い無意味な発言をする相手に所謂セックスアピールは感じない。ちんこまんこ連発にカチンときた私。昼間のカチンを収める矛先がなかったこともあり、聞き流せずに怒ってしまった。もう限界! こういうのが続くとこの先やっていけないかもしれない! するとうちのは、俺もこれ以上セックスレスが続くとやっていけないかもしれない、と言った。他所でしてこいっつってもそんな簡単に相手が見つかると思ってんの? 相手を紹介してくれるの? けれど喧嘩には発展せず。過去に何度も話した筈のHIV感染への恐怖心。うちのは私が繰り返し話しているときは、何年もセックスレスが続く程に深刻だとは思っていなかったようだ。過去に何度も、検査してみて、とお願いしている。しかし仕事の忙しさもあり、うちの自身が件を受けるという行為に消極的だったこともあり、何年もそのままになっていた。昨日はちゃんと聞いてくれたと思う。忙しいなら保健所の無料検査ではなく、即日判定をしてくれる病院でもいい。うちのが検査に行ってくれてシロ判定を受けてくれれば嬉しい。自身の感染恐怖を、うちのに解決させようとしている他力本願さも解っている。それでも検査を受けること自体は良いことだと思っているので、この点に関しては他力本願上等ではないか。私は既に自身の義務として検査を済ませているのだし。相手にだけ検査を強要し、あんたがシロなら私もシロね、なら大問題だが。
昨日のカチンは他にもいろいろ。日曜にフリーマーケットで購入して、サイズが怪しい物を試着したところ、やはり3点、私には大きすぎる物があった。ひとつはウエストの実寸を測ったら80cm程もあったパンツ。レディース物なのに大き過ぎ。色はとても好みだったのでがっかり倍増。これはうちのに穿かせてみたらぴったりだった。ので、あげた。ちょっと悔しいけれど無駄にならなかっただけ良しとしよう。ひとつは着てみると床掃除ができてしまう程に長過ぎる薄紫の地に刺繍の入ったインポート物ワンピース。これはレーヨンで涼しく、楊柳なので着心地もいい。夏物のパジャマ、いや形からしてネグリジェか、に決定。しかし背中に当たるタグが痛い。切ったけれどまだ残った布地が当たると少しチクチクする。何度か洗濯して布地が草臥れてくればチクチクは解消するだろうか。ひとつは手作り1点物のたっぷりとした紺×赤の水玉ワンピース。昨日、これを着て出掛けようとしたら……難し過ぎ。ベルトでウエストマークすればどうにかなるかと思っていたのに、いやはやそれでもたっぷりし過ぎで様にならない。ふと思いついてこのワンピースの下に白×紫のドットパンツを穿いてみた。水玉キチの草間弥生のような人間が鏡に映ってげんなり。そんなイタズラはさて置き、このワンピースは整体に通っている親にあげることに決定。ゆとりがあるので治療中にでも着てくれ。
寝る前に上記薄紫ワンピースを着てみたところ、うちのに激しくからかわれた。そのからかい方がちょっと面白かった。ああ、そういや日記に書いてたよなあ! 今夜の私は三輪明宏。紫のドレスを着て蝶のように踊るの、舞うの、でも裾が絡まってダンスは上手く踊れない、布団の中でお眠りなさい、って。書いてねえ! 三輪明広の名前はアナスイの限定ドーリーの話でも書いたっけ? と思ってしまったがドレスと絡めて書いてはいないし、そもそもあれはドレスじゃなくて只のワンピースだし。薄紫のワンピースは、きっとうちのの目には脳内補完で濃紫の物凄い勢いでデコラティヴな物になっているのだろう。それにしても布団の中でお眠りなさい、って。ジュディ・オングとはまた懐かしい。しかも私の中ではなく、布団の中。まんま過ぎ。余談。最近気付いたこと。起きて直ぐに日記を書くと目が覚める。因って最近は前倒しで日記アップ。
昨日の服/薄紫のキャミ+ローズバッドのスクラッチフレンチスリーブカットソー+ジャーナルスタンダードの茶色い裾絞りパンツ+茶色いストラップシューズ+一澤帆布国防色ミニトート+とんぼ玉ヘアゴム+アジア風ブレスレット
今日の服/H.A.Kの浅葱色長袖カットソー+スカラーの花柄別布付きVネックベスト+コキュのフリル付きラップデニムスカート+インポート物水色ベースの小花柄スパッツ+ビルケンの青い靴+ズッカの茶色い蜘蛛刺繍ミニトート+ネイビーキャスケット
一昨日は19時に寝て昨日6時に起床。昨夜は3時に寝て今朝は10時半起床。素晴らしき哉。昨日の日記は早朝、2度寝防止の為に書いたものであり、昨日の出来事には触れていないのでここで少し。昨日は近所の広場でのフリーマーケット開催日。数ヶ月前に行ったときは、規模が縮小されたのか? と思う程に出店者も客も少なかったのに、昨日はそのときの倍くらいの出店があった。しかも商品も私のツボに嵌る物、多数。従って予想を激しく上回る散財。ここ数日はネットオークションでもかつての予算よりも上限を上げ、しかも複数の買い物をしている。フリーマーケットはその場で支払い、お財布があっと言う間に淋しくなった。なのに今日はネットオークション落札物の支払いに銀行及び郵便局に、これから行かねばならぬ。買い控えなどと思った脳髄の乾かぬうちにコレだから、やはり私は鳥頭。来月辺り、自分でも出店しよう。そうしよう。今、このPCデスクの周りにはみっつの山がある。ひとつはTシャツ及びカットソーの山、ひとつはパンツ及びワンピースの山、ひとつはシャツ類と鞄と帽子の山。これらをこれから片付けねばならぬ。激しく億劫。昨日のフリーマーケットでは私の好みをストレートに付いた挙句、商品の殆どが新品という人がいた。有難う。お陰でネットオークションで競り負けたクチャの籠バッグやケイタのカットソーが入手できた。この人はクチャやドゥ!ファミリーの商品を多数出しており、片っ端から欲しくなった。しかし片っ端から買うような財力も収納スペースもなく、6点に絞るのが大変だった。そのうちの1点はうちののジーンズ。うちのは一昨日飲んで帰ってきて昨日は昼過ぎまで寝ていた。だからと言って私だけ買い物をしてくると拗ねるのでうちの用にも買った訳だが、このパンツのサイズが見事に当たった。そのお陰か、PCデスク周辺の山に文句は言われずに済んで助かった。
出店者のオネーサンのひとりと雑談。知らない人だけれど、フリーマーケットでは価格交渉からちょっとした雑談になることもたまにある。そのオネーサンは可愛い古着を多く出していた。所謂アンティークやレトロな古着。オネーサン、古着好きですか。うーん、でもね……。ああ、解る! 私もだ! アンティークやレトロな衣類に私は去年嵌った。しかしふとアンティーク・レトロ物から興味が逸れて、そうではない服を着たくなる。これが何故か周期的にやってくる。オネーサンも同じタイプだったようで、話が合ってなかなかに安価でいろいろ譲ってくれた。そして昨日の収穫物の中の特筆すべき逸品。朱塗りの高足下駄。水玉リボンの麦藁帽子。ガーリッシュ・スタイルに現在進行形で嵌っている私には嬉しい物だった。特に下駄。履き込まれた物のようでそれなりに傷みはある。だが、それが吉と出ていた。前の所有者が履き慣らしてくれていたお陰で鼻緒が痛くないのだ。先日購入した下駄はまだ鼻緒が固く、絆創膏無しには履けない。こっちも早く慣らさなくては。麦藁帽子のリボンは少し色褪せている。でも嫌な褪せ方ではなく、レトロな感じの褪せ方で悪くない。前々から麦藁帽子は欲しかったのだが、なかなかコレといった物に出会えなかったことと、買ったところで収納に場所を取ることを考えて我慢していた。しかしまあ200円ならワンシーズン使い倒して終了でも良かろう。わざわざ粗雑に扱う気もないけれど、それもまあ良し、と。
昨日の流れを時系列で纏める。起床→日記アップ→フリーマーケット出陣→帰宅して昼食→再度出陣→帰宅してうちのと共にヨガ教室→喫茶店でお茶→外食→帰宅→だらりとPC遊び→うちのが「あるある大辞典」を観てにがりを欲しがり近所のスーパー→だらりとPC遊び→就寝。昨日はヨガに行ってきた。その際に運動着を持って行かねばならないのだけれど、昨日は敢えて水着で挑戦。これはブラをしていると窮屈、けれどサイズの合うスポブラはなかなかない、そしてニプレスだと途中で剥がれることがあること及び普段のTシャツと短パンでは腿に足を引っ掛けるようなポーズのときに滑って不便なことを踏まえての打開策だ。レッスン前、先生に水着着用の可・不可を確認。不可ではないけれど、水着は素材が少し硬いので適していると言えるかどうかだけれど、試しにやってみてもいいですよ、とのこと。因って、フリーマーケットで新品購入したキャミとパンツ型の水着でやってみた。結果、大当たり。胸元を気にしなくていいし、足を引っ掛けるポーズのときはすぐにその場所をタオルで拭くことができて便利。何より、鏡を見て自分のプロポーション及びポーズの出来・不出来が実によく解る。Tシャツ・短パン比120%アップ。欠点は周囲がTシャツと短パンやスパッツなどを着用しているので、浮いて恥ずかしかったこと。でもその恥ずかしさは最初だけ。昨日のレッスンは、うちのと私以外にも3名の女性がいて、レッスン終了後に他の生徒さんと少し話をした。私の水着姿への反応は、そういう方法もあるねー、だった。他者から見ておかしくはなかったようだ。ひとりの生徒さんは以前エアロビをしていて、そのときのウェアを流用しているとのこと。うちのの更衣を待っている間、先生とウェアについて話をした。今、海外でのヨガ・ブームを受けて日本でも流行っている節がある。先に流行ったアメリカなどではヨガ・ウェアなる専用の服がある。それは私も知っていた。先生曰く、海外のヨガ・ウェアはポーズがちゃんと見られるように体にフィットしたものでありエアロビ・ウェアなどよりも露出度が高く、そのまま海に行ってもおかしくない位であり、水着と違う点はもっと柔軟な素材であること。ヨガ・ウェアがまだ一般的に浸透していない日本に於いて、私が選択した水着というのはそれなりにいい線だったように思えた。次回からも水着だ。昨日は通い始めて4回目にして初めて最初から最後迄の80分、途中で抜けることなくレッスンを受けられたし、おしゃぶりが功を為して鼻呼吸もかなり出来るようになった。体の硬さは相変わらずなものの、着々といい方向に向っている気がする。そして今の私は全身の筋肉痛に加えて、右半身が非常に痛い。体が歪んでいる証拠である。足を組む癖、立っているときに片足に重心をかけてしまう癖が宜しくないのだろう。意識的に気をつけていこう。
帰宅後、家で夕食を作る予定だった。しかしうちのが、焼肉食べたい、と言い出した。奢ってくれるなら行く、と私が言ったことで近所の焼肉屋へ。一般的に焼肉屋というところは、のんびりと食事する場所だと思う。私たちは30分強で店を出た。サラリーマンの昼食並みの早さである。少ししか食べなかったなんてことは私らに限ってある筈がなく、沢山食べたのにこれだけの時間しかかからなかった。早食いはデブの素だけれど、ふたりして余程空腹だったらしい。自分から、焼肉食べたい、と言っておいて「あるある」を観て、にがりがダイエットに効果があるらしい、直ぐ欲しい、今欲しい、と騒ぐうちの。うちのも大概に鳥頭だ。にがりの効果を高めるには玄米がいいらしく、おまけに、うちも玄米食にしよう、などとほざき出したから腹が立つ。私が健康を考えて玄米にしたとき、何と言っていたんだ。ぼそぼそして美味しくない、白米に戻して、と文句を言い、カレーやハヤシや炒飯でしか玄米を受け付けなかったのは誰なんだ。莫迦者。しかも白米より玄米の方が高いのに。余談その1。先日、親に電話で体重が戻ったことを報告したら泣かれた。物凄く嬉しかったらしい。余談その2。昨日のフリーマーケットでCDを2枚購入した。この2枚それぞれのアーティストをうちのに当てさせたところ、ボニーピンクは流石に出てこなかったものの、AC/DCの名が最初に出てきたことに驚いた。当たりだし。きっとサバスか筋少と答えると思ったのに。詰まらん。
出店者のオネーサンのひとりと雑談。知らない人だけれど、フリーマーケットでは価格交渉からちょっとした雑談になることもたまにある。そのオネーサンは可愛い古着を多く出していた。所謂アンティークやレトロな古着。オネーサン、古着好きですか。うーん、でもね……。ああ、解る! 私もだ! アンティークやレトロな衣類に私は去年嵌った。しかしふとアンティーク・レトロ物から興味が逸れて、そうではない服を着たくなる。これが何故か周期的にやってくる。オネーサンも同じタイプだったようで、話が合ってなかなかに安価でいろいろ譲ってくれた。そして昨日の収穫物の中の特筆すべき逸品。朱塗りの高足下駄。水玉リボンの麦藁帽子。ガーリッシュ・スタイルに現在進行形で嵌っている私には嬉しい物だった。特に下駄。履き込まれた物のようでそれなりに傷みはある。だが、それが吉と出ていた。前の所有者が履き慣らしてくれていたお陰で鼻緒が痛くないのだ。先日購入した下駄はまだ鼻緒が固く、絆創膏無しには履けない。こっちも早く慣らさなくては。麦藁帽子のリボンは少し色褪せている。でも嫌な褪せ方ではなく、レトロな感じの褪せ方で悪くない。前々から麦藁帽子は欲しかったのだが、なかなかコレといった物に出会えなかったことと、買ったところで収納に場所を取ることを考えて我慢していた。しかしまあ200円ならワンシーズン使い倒して終了でも良かろう。わざわざ粗雑に扱う気もないけれど、それもまあ良し、と。
昨日の流れを時系列で纏める。起床→日記アップ→フリーマーケット出陣→帰宅して昼食→再度出陣→帰宅してうちのと共にヨガ教室→喫茶店でお茶→外食→帰宅→だらりとPC遊び→うちのが「あるある大辞典」を観てにがりを欲しがり近所のスーパー→だらりとPC遊び→就寝。昨日はヨガに行ってきた。その際に運動着を持って行かねばならないのだけれど、昨日は敢えて水着で挑戦。これはブラをしていると窮屈、けれどサイズの合うスポブラはなかなかない、そしてニプレスだと途中で剥がれることがあること及び普段のTシャツと短パンでは腿に足を引っ掛けるようなポーズのときに滑って不便なことを踏まえての打開策だ。レッスン前、先生に水着着用の可・不可を確認。不可ではないけれど、水着は素材が少し硬いので適していると言えるかどうかだけれど、試しにやってみてもいいですよ、とのこと。因って、フリーマーケットで新品購入したキャミとパンツ型の水着でやってみた。結果、大当たり。胸元を気にしなくていいし、足を引っ掛けるポーズのときはすぐにその場所をタオルで拭くことができて便利。何より、鏡を見て自分のプロポーション及びポーズの出来・不出来が実によく解る。Tシャツ・短パン比120%アップ。欠点は周囲がTシャツと短パンやスパッツなどを着用しているので、浮いて恥ずかしかったこと。でもその恥ずかしさは最初だけ。昨日のレッスンは、うちのと私以外にも3名の女性がいて、レッスン終了後に他の生徒さんと少し話をした。私の水着姿への反応は、そういう方法もあるねー、だった。他者から見ておかしくはなかったようだ。ひとりの生徒さんは以前エアロビをしていて、そのときのウェアを流用しているとのこと。うちのの更衣を待っている間、先生とウェアについて話をした。今、海外でのヨガ・ブームを受けて日本でも流行っている節がある。先に流行ったアメリカなどではヨガ・ウェアなる専用の服がある。それは私も知っていた。先生曰く、海外のヨガ・ウェアはポーズがちゃんと見られるように体にフィットしたものでありエアロビ・ウェアなどよりも露出度が高く、そのまま海に行ってもおかしくない位であり、水着と違う点はもっと柔軟な素材であること。ヨガ・ウェアがまだ一般的に浸透していない日本に於いて、私が選択した水着というのはそれなりにいい線だったように思えた。次回からも水着だ。昨日は通い始めて4回目にして初めて最初から最後迄の80分、途中で抜けることなくレッスンを受けられたし、おしゃぶりが功を為して鼻呼吸もかなり出来るようになった。体の硬さは相変わらずなものの、着々といい方向に向っている気がする。そして今の私は全身の筋肉痛に加えて、右半身が非常に痛い。体が歪んでいる証拠である。足を組む癖、立っているときに片足に重心をかけてしまう癖が宜しくないのだろう。意識的に気をつけていこう。
帰宅後、家で夕食を作る予定だった。しかしうちのが、焼肉食べたい、と言い出した。奢ってくれるなら行く、と私が言ったことで近所の焼肉屋へ。一般的に焼肉屋というところは、のんびりと食事する場所だと思う。私たちは30分強で店を出た。サラリーマンの昼食並みの早さである。少ししか食べなかったなんてことは私らに限ってある筈がなく、沢山食べたのにこれだけの時間しかかからなかった。早食いはデブの素だけれど、ふたりして余程空腹だったらしい。自分から、焼肉食べたい、と言っておいて「あるある」を観て、にがりがダイエットに効果があるらしい、直ぐ欲しい、今欲しい、と騒ぐうちの。うちのも大概に鳥頭だ。にがりの効果を高めるには玄米がいいらしく、おまけに、うちも玄米食にしよう、などとほざき出したから腹が立つ。私が健康を考えて玄米にしたとき、何と言っていたんだ。ぼそぼそして美味しくない、白米に戻して、と文句を言い、カレーやハヤシや炒飯でしか玄米を受け付けなかったのは誰なんだ。莫迦者。しかも白米より玄米の方が高いのに。余談その1。先日、親に電話で体重が戻ったことを報告したら泣かれた。物凄く嬉しかったらしい。余談その2。昨日のフリーマーケットでCDを2枚購入した。この2枚それぞれのアーティストをうちのに当てさせたところ、ボニーピンクは流石に出てこなかったものの、AC/DCの名が最初に出てきたことに驚いた。当たりだし。きっとサバスか筋少と答えると思ったのに。詰まらん。
ガーリッシュ・ロリータ・セクシャリティ
2004年5月29日 雑感・所感 きっと少数派だろう。全作品を読破してはいないけれど、岡崎京子作品読了範囲内で一番好きなのは短篇「乙女ちゃん」だ。父と娘と息子の3人暮らし。父は母の死去後、スカートを穿くようになった。その理由は描かれていない。だからこそ、この作品が好きなのかもしれない。日常の中で父と娘は淡々と生活をし、息子はちょっと反抗してみたりする。ストーリーの流れが小津映画のよう。スカートを穿く乙女ちゃんな父は、多くを語らない。自分の中に何かしらの強い、スカートを穿く、という意思を持って毎日穿いている。これが妙に心に響く。読者として、父親がスカートを穿く理由を知りたくならないのが不思議だ。スカートを穿いた父の絵を見て、ああこのお父さんはスカートを穿くのだな、と素直に受け入れられる。傍観者として、妻を亡くし定年を過ぎた初老男性の哀愁の全てが、スカート、なる物に詰まっている気がして、この人はこれでいいのだ、と思えた。「乙女ちゃん」に於いて、父は異端者として扱われている。それは日本の今の風土が男性にスカート着用を許容していないからだ。街中でスカートを穿いた男性を実際に見たらやはり私も、え? と思ってしまうだろう。その、え? と思ってしまうであろう私は非常に狭量である。本当に見かける日がくる迄に、許容の幅を広げておきたい。ファッションの基本は、自由意志、であるべきだ。人は衣類にいろんな思いを詰める。着られれば何でもいい、と公言する人もいるが、嘘だ。それでも無意識下で、自分に似合う物で、人に見られても恥ずかしくない程度の物で、という条件付けをしている筈である。「乙女ちゃん」な父は、もっともっと確固たる意思でスカートを穿いているに違いない。そしてその理由はどうでもいい。
先日、書店にて禁断の書を買ってしまった。誰かに禁止されていた訳ではなかったのだが、読んだら何かまずいことになる、と直感していた著者の本。嶽本野ばらの「それいぬ」。嶽本の著書は避けてきていた。彼は乙女な男性の代名詞的存在であり、ガーリッシュ好きの私を、もっと強く引っ張っていってしまう予感がしていたのだ。読んでみての感想。読みづらい。単語の選び方が叙述的でありロマンチシズム溢れ、平坦な文章なのに疲れてしまう。この本は短篇コラム集なので、気になった部分だけを拾い読みするように読んでみた。学がなく乙女な澁澤龍彦という印象。いや、学がない、は間違いか。学はあるのだけれど余りに偏った学である。そしてその学はひたすらに乙女ベクトルへと向っている。昨今、この日記はファッションについて多く綴っており、綴る中で考えていたことがあった。敢えて嶽本の乙女と私のガーリッシュを並べてみる。すると1個所で通ずるところがあったのだ。それがいいことかどうかは別にして。私が考えていたこととは、ガーリッシュなファッションを極めていくとどうなるか、だ。高>低で表してみる。
色:淡色>濃色
柄:水玉>小花>チェック>ストライプ
襟:丸襟>スクエアネック>襟なし≧スタンドカラー>角襟
袖:パフスリーブ>カフスなしの釦ひとつのみ>複数釦のカフス
素材:シフォン≧ベルベット>モヘア>>>>>>形状記憶物
スカート:ティアード>フレア>>>>タイト
帽子:ベレー≧キャスケット≧麦藁>>>>>サンバイザー
など。脳内ではもっともっと細かく分類されているけれども、全てを書き尽くす労力も技量もないのでこの辺で。
この技量というのがなかなかに難しい。例えば嶽本が愛するジェーンマープルやヴィヴィアンウエストウッド。ジェーンの無地物の可愛さと、ヴィヴィアンのレオパード柄の可愛さは明らかに別物である。私は無地物は余程形に凝らないと可愛く思えない。けれど、ジェーンの姫袖カットソーは可愛く感じるし、基本的にレオパード柄は余り可愛くないと思うけれど、ヴィヴィアンのパイル地になると可愛く感じる。こんな細かくは書けない。因って上に書いた、高>低、は物凄くシンプルに考えたときの例である。素材で書いた形状記憶物。これはこの世から駆逐されて欲しい位に不要ではなかろうか。形状記憶物で可愛い服を見たことがない。あれはアイロンかけという作業を省く為の手抜き素材としか思えない。往々に形状記憶衣類は素材が硬い。デニムは硬くてもいいのだ。穿いているうちに馴染んで柔らかくなり、更には色落ちで味迄出てくる。またオイルコーティングされた素材も味が出てきて良い。服が馴染んで味が出てくると愛着も湧いて尚良い。ところが形状記憶物は全く以って可愛くない。うちのが形状記憶シャツ愛用者でなくて本当に良かったと思う。その分、衣類の皺に煩いのが難点ではあるが、そんなのは柳に風と流せることであり、干すときに気をつけることである程度は皺も伸びる。形状記憶愛用者で煩くないよりは遥かにマシだ。
「それいぬ」の中で、非常に印象深い考察がふたつあった。2本のコラムをごっちゃにして説明する。
本の話とファッションの話が半々になってしまったので分類が難しくなった。因ってこの日記は、雑感・所感フォルダへ。
先日、書店にて禁断の書を買ってしまった。誰かに禁止されていた訳ではなかったのだが、読んだら何かまずいことになる、と直感していた著者の本。嶽本野ばらの「それいぬ」。嶽本の著書は避けてきていた。彼は乙女な男性の代名詞的存在であり、ガーリッシュ好きの私を、もっと強く引っ張っていってしまう予感がしていたのだ。読んでみての感想。読みづらい。単語の選び方が叙述的でありロマンチシズム溢れ、平坦な文章なのに疲れてしまう。この本は短篇コラム集なので、気になった部分だけを拾い読みするように読んでみた。学がなく乙女な澁澤龍彦という印象。いや、学がない、は間違いか。学はあるのだけれど余りに偏った学である。そしてその学はひたすらに乙女ベクトルへと向っている。昨今、この日記はファッションについて多く綴っており、綴る中で考えていたことがあった。敢えて嶽本の乙女と私のガーリッシュを並べてみる。すると1個所で通ずるところがあったのだ。それがいいことかどうかは別にして。私が考えていたこととは、ガーリッシュなファッションを極めていくとどうなるか、だ。高>低で表してみる。
色:淡色>濃色
柄:水玉>小花>チェック>ストライプ
襟:丸襟>スクエアネック>襟なし≧スタンドカラー>角襟
袖:パフスリーブ>カフスなしの釦ひとつのみ>複数釦のカフス
素材:シフォン≧ベルベット>モヘア>>>>>>形状記憶物
スカート:ティアード>フレア>>>>タイト
帽子:ベレー≧キャスケット≧麦藁>>>>>サンバイザー
など。脳内ではもっともっと細かく分類されているけれども、全てを書き尽くす労力も技量もないのでこの辺で。
この技量というのがなかなかに難しい。例えば嶽本が愛するジェーンマープルやヴィヴィアンウエストウッド。ジェーンの無地物の可愛さと、ヴィヴィアンのレオパード柄の可愛さは明らかに別物である。私は無地物は余程形に凝らないと可愛く思えない。けれど、ジェーンの姫袖カットソーは可愛く感じるし、基本的にレオパード柄は余り可愛くないと思うけれど、ヴィヴィアンのパイル地になると可愛く感じる。こんな細かくは書けない。因って上に書いた、高>低、は物凄くシンプルに考えたときの例である。素材で書いた形状記憶物。これはこの世から駆逐されて欲しい位に不要ではなかろうか。形状記憶物で可愛い服を見たことがない。あれはアイロンかけという作業を省く為の手抜き素材としか思えない。往々に形状記憶衣類は素材が硬い。デニムは硬くてもいいのだ。穿いているうちに馴染んで柔らかくなり、更には色落ちで味迄出てくる。またオイルコーティングされた素材も味が出てきて良い。服が馴染んで味が出てくると愛着も湧いて尚良い。ところが形状記憶物は全く以って可愛くない。うちのが形状記憶シャツ愛用者でなくて本当に良かったと思う。その分、衣類の皺に煩いのが難点ではあるが、そんなのは柳に風と流せることであり、干すときに気をつけることである程度は皺も伸びる。形状記憶愛用者で煩くないよりは遥かにマシだ。
「それいぬ」の中で、非常に印象深い考察がふたつあった。2本のコラムをごっちゃにして説明する。
物理的にも精神的にも、生物の攻撃本能は球形に対して減少する仕組みになっている。私が上に書いた水玉の指標に通ずるものがあると思った。私はマスコミが言う、セクシャリティの欠如、に異論を唱える。女性の肉体と男性の肉体の大きな違いは、丸みの有無、である。水玉は言わずもがな、丸い。その昔は女性が体のラインを強調することが、はしたない、と言われていた。必要以上に体にフィットしない衣類を好むのはロリータとガーリッシュも同じである。フィットしない衣類は体のラインを隠す。その隠す衣類に球形を盛り込むことの一体何処が、セクシャリティの欠如、なのか。某巨大掲示板某板ガーリースレに男性住人がいる。彼は自身でもガーリッシュなスタイルを好んでいるらしい。他の住人にその理由を訊かれたときの答えが秀逸だった。女好きが講じて。表層的セクシーを求める男性には絶対に言えない言葉だろう。彼の中ではガーリッシュとセクシャリティはイコールで結ばれていると、私は見ている。「それいぬ」とこの男性の発言を読んで思ったこと。阿呆な、可愛いから好き、ではなく、もっと自覚的にガーリッシュを追求したい。そんなこんなでやっとウニコのカットソーを落札するに至った。
最近、ロリータファッションがマスコミの興味をひいているようです。彼らは相も変わらず古めかしい少女文化論をかざし、それが「成長拒否のあらわれ」だとか「セクシャリティの欠如」だとかいう陳腐なコードで、僕達を評価しようとします。
本の話とファッションの話が半々になってしまったので分類が難しくなった。因ってこの日記は、雑感・所感フォルダへ。
くたくたに鞭打つ性質
2004年5月25日 雑感・所感 現在、5月26日午前。
昨夜は2時に就寝。只今起床。11時前。私、偉い! 一般的社会人の方々からすればダラな生活だけれど、ダラダラな私が昨夜はうちのに急かれる前に、うちのが決めた3時という就寝リミットよりも先に自ら進んで布団に入り、目覚ましもセットしていないのに午前中に起きたことに自画自賛。社会復帰できそうな気すらしてきてしまう嬉しさ。だけれど、全身筋肉痛。昨日の生活を一通り書いてみる。まず徹夜。夜中から明け方に出窓に散らかった衣類や、基地と呼ばれている私のPC周りを整理整頓。うちのを起こして朝食を共に摂り、うちのが出社してから少しの時間で私は銀行巡り。銀行3軒で用事を済ませてから、コンビニで各種光熱費と携帯電話料金を支払い、薬局でウーロン茶やら絆創膏なら靴や衣類の水を弾くスプレーやらダニアースやらキッチン消毒用アルコールやらその他諸々購入して、帰宅。私にとってはこれだけで一仕事である。しかしまだまだ働く。昼寝防止に布団を干し、雑食に首輪をつけて抱っこして予防接種に連れて行く。恥ずかしかった。キャリーを草食の棺にしてからまだ雑食用のキャリーを買っておらず、なあ〜なあ〜と切なげに鳴く雑食を抱える私はまるで雑食攫いのようだった。外慣れしていない雑食は服越しに私の体中に爪を立てて傷だらけにされてしまうし。宥めつつ動物病院へ行き、年に1度の予防接種を打ってもらう。この動物病院の獣医さんは雑種好きで、うちの雑食をとても可愛がってくれる。動物看護士さんも可愛がってくれる。動物病院で雑食の容姿を褒められ、道行くOLさんやオバチャンやオッチャンが、雑食を見て、可愛い、と呟く声が聞こえてちょっと嬉しかった。飼い主莫迦炸裂。予防接種の際にうちののジャケットを借りて着て行ったのだが、毛塗れになったのは当然のこととして、雑食の爪で数箇所小さな穴が開いた。毛はコロコロで除去したけれど穴ばかりはどうにもならない。でもうちのも飼い主莫迦で雑食にメロメロなので怒られずに済んだ。
帰宅して布団を取り込み、居間とキッチンに掃除機をかけ。簡単な昼食を食し、入浴して友人と待ち合わせをしていたうちから1駅先の近所のコンビニに10分遅れで到着。昨日はうちのとではなく、友人とヨガに行ってきたのだ。友人は初ヨガで体験レッスン。昨日はいつもの脱サラ風の先生ではなく、大人のセクシーさを持ったナイスバディのオネーチャンが先生だった。訊くと昼間はそのオネーチャンが講師をし、夜はいつものオッチャン先生が講師をしているらしい。オネーチャン講師はキャミソールにショートパンツ。共に体にフィットしてラインがよく解る。よく解り、素晴らしい体だなあ、と感心すると同時に胸元のポッチが少し気になった。レッスン後に訊くと、その講師はいつもノーブラでヨガをしているとのこと。私は通常使っているブラだと窮屈だし、平らな胸に合うスポーツブラはないのでニプレスを愛用。ところが昨日は汗をかき過ぎて、途中でニプレスが剥がれてしまった。既に後半の寝ポーズに入っており、肉体的な疲れが限界近かったことと自分のポッチが気になることとで私は休憩。一旦外に出て水を飲んで、床暖房の効いていない場所で休みつつ、できるポーズだけを行った。床暖房が効いていないのは教室のかなり後ろ。動いている友人といつものオッチャン先生がよく見える。オッチャン先生は言う迄もなく途轍もない柔軟性を持っているのだが、友人もなかなかに柔らかい。何だよ、裏切者! って違うか。レッスンを終えて更衣室で着替えたりシャワーを浴びたりしつつ友人とお喋り。想像以上に体を使うんだね、物凄く汗をかいて気持ち良かった、と言っていた。彼女は暑くても体にはなかなか汗をかかない体質らしい。帰宅時、友人も入会を決めた。私より約20番後の会員番号。ここ1ヶ月で20人位の入会者がいたことが判った。これなら教室が直ぐに潰れる心配はないか。去年の秋にできたばかりの教室で、綺麗なのはいいのだけれど経営難に陥られたら困るなあ、と心配していたのだ。余談。昨日一番キツかったのはガス抜きのポーズ。右足付け根にできている出来物に響いた。おまけに5日間貼りっ放しでOKという絆創膏なのに、汗の所為で直ぐに剥がれてしまった。
レッスンを終えて友人と教室近所の喫茶店でお茶。ストレッチ素材の服を着ると全人格が否定される気がすると言っていた友人だが、昨日はストレッチではないパンツを穿いていたことで動き難さを感じたらしい。さて、どうするのだろう。その他、ヨガについて、本や雑誌について、ファッションについて、料理を始めとする家事について小2時間程お喋り。私は料理以外の家事が苦手、友人は掃除・洗濯以外の家事が苦手。友人と私が一緒に住めばとても快適に生活できそうな気がする。お互いの彼氏がそれぞれ同居することにして。とはいかない罠。友人も彼氏と同棲している。聞くと共働きなのに彼氏が家に入れるお金はン万円だとか。少ない! それでも彼氏が可愛いからいいのだ、と彼女は言っていた。いいのか? 彼女はお金にシビアな性質なのに、可愛い、というだけで生活費大幅免除。かなり意外である。また本人たちがいいと思う生活が一番だ。私もそうだし。うちのは不満有り有りのようだが気にしない。喫茶店を出て、近くの薬局で幼児用おしゃぶりを購入。鼻呼吸を取得する為である。前に何かの番組で、鼻呼吸を身に付けるには1日に30分程度、おしゃぶりを咥えるのが効果的だと言っていたのを覚えていたのだ。おしゃぶりを買う為だけに入った薬局で意外な物をいろいろ発見。良そうなボディソープや、私が愛用していながらも近所に取扱店がないと販売元に問い合わせたときも言われてしまった日焼け止めなど。近所の薬局よりも遥かに品揃えがいい。今度からは近所で欲しい物の代替品を買う前に、この薬局に行くことにしよう。
くたくたになってやっと帰宅。くたくたになっているときは素直に休めばいいのに、くたくたついでに更に疲れることをするのが私だ。帰宅してからPCで遊びつつ洗濯機を回し、洗われた洗濯物を干し、今日提出する生協の注文書を記入し、夕飯を作っているところでうちのが帰宅した。昨夜の夕飯はひつまぶしと鮭と野菜のクレイジーソルト+スイートチリソースソテー。ソテーは失敗のしようがないのでともかくとして、ひつまぶしは初挑戦。外でも食べたことがない。多分こんな感じだろう、と作ったのだが、単なる鰻の炊き込みご飯になってしまったような……。ひつまぶしってこんなんでいいのだろうか。調べるのも面倒だし、美味しかったから良しとする。くたびれきった私はこのまま寝ようかと思った。うちのも、寝ていいよ、と言ってくれた。だが、上に書いたようにくたびれているとき程動く私。ちゃんと夕食の後片付けをやっつけてから寝た。何だか異様に充実した1日。他の人々はみんなこんな生活をしているのだろうか。私には無理だ。月に数回ここ迄できれば上出来。
服/スカラーの全面猫プリントのシャーリングプルオーバー+ナショナルスタンダードのクロップドデニムパンツ+紺のアンクルソックス+ドクターマーチンの赤のムラ染め革スニーカー+のだめバッグ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス+ダイヤのピアス×2+首と尻尾にジルコニアの付いた黒猫ピアス
余談。黒猫ピアスはフリーマーケットで100円で購入。しかし合う服がなく、このピアスの為だけにスカラーの猫柄プルオーバーを購入。100円の物を使いたいが為に3000円強の買い物。本末転倒か。
昨夜は2時に就寝。只今起床。11時前。私、偉い! 一般的社会人の方々からすればダラな生活だけれど、ダラダラな私が昨夜はうちのに急かれる前に、うちのが決めた3時という就寝リミットよりも先に自ら進んで布団に入り、目覚ましもセットしていないのに午前中に起きたことに自画自賛。社会復帰できそうな気すらしてきてしまう嬉しさ。だけれど、全身筋肉痛。昨日の生活を一通り書いてみる。まず徹夜。夜中から明け方に出窓に散らかった衣類や、基地と呼ばれている私のPC周りを整理整頓。うちのを起こして朝食を共に摂り、うちのが出社してから少しの時間で私は銀行巡り。銀行3軒で用事を済ませてから、コンビニで各種光熱費と携帯電話料金を支払い、薬局でウーロン茶やら絆創膏なら靴や衣類の水を弾くスプレーやらダニアースやらキッチン消毒用アルコールやらその他諸々購入して、帰宅。私にとってはこれだけで一仕事である。しかしまだまだ働く。昼寝防止に布団を干し、雑食に首輪をつけて抱っこして予防接種に連れて行く。恥ずかしかった。キャリーを草食の棺にしてからまだ雑食用のキャリーを買っておらず、なあ〜なあ〜と切なげに鳴く雑食を抱える私はまるで雑食攫いのようだった。外慣れしていない雑食は服越しに私の体中に爪を立てて傷だらけにされてしまうし。宥めつつ動物病院へ行き、年に1度の予防接種を打ってもらう。この動物病院の獣医さんは雑種好きで、うちの雑食をとても可愛がってくれる。動物看護士さんも可愛がってくれる。動物病院で雑食の容姿を褒められ、道行くOLさんやオバチャンやオッチャンが、雑食を見て、可愛い、と呟く声が聞こえてちょっと嬉しかった。飼い主莫迦炸裂。予防接種の際にうちののジャケットを借りて着て行ったのだが、毛塗れになったのは当然のこととして、雑食の爪で数箇所小さな穴が開いた。毛はコロコロで除去したけれど穴ばかりはどうにもならない。でもうちのも飼い主莫迦で雑食にメロメロなので怒られずに済んだ。
帰宅して布団を取り込み、居間とキッチンに掃除機をかけ。簡単な昼食を食し、入浴して友人と待ち合わせをしていたうちから1駅先の近所のコンビニに10分遅れで到着。昨日はうちのとではなく、友人とヨガに行ってきたのだ。友人は初ヨガで体験レッスン。昨日はいつもの脱サラ風の先生ではなく、大人のセクシーさを持ったナイスバディのオネーチャンが先生だった。訊くと昼間はそのオネーチャンが講師をし、夜はいつものオッチャン先生が講師をしているらしい。オネーチャン講師はキャミソールにショートパンツ。共に体にフィットしてラインがよく解る。よく解り、素晴らしい体だなあ、と感心すると同時に胸元のポッチが少し気になった。レッスン後に訊くと、その講師はいつもノーブラでヨガをしているとのこと。私は通常使っているブラだと窮屈だし、平らな胸に合うスポーツブラはないのでニプレスを愛用。ところが昨日は汗をかき過ぎて、途中でニプレスが剥がれてしまった。既に後半の寝ポーズに入っており、肉体的な疲れが限界近かったことと自分のポッチが気になることとで私は休憩。一旦外に出て水を飲んで、床暖房の効いていない場所で休みつつ、できるポーズだけを行った。床暖房が効いていないのは教室のかなり後ろ。動いている友人といつものオッチャン先生がよく見える。オッチャン先生は言う迄もなく途轍もない柔軟性を持っているのだが、友人もなかなかに柔らかい。何だよ、裏切者! って違うか。レッスンを終えて更衣室で着替えたりシャワーを浴びたりしつつ友人とお喋り。想像以上に体を使うんだね、物凄く汗をかいて気持ち良かった、と言っていた。彼女は暑くても体にはなかなか汗をかかない体質らしい。帰宅時、友人も入会を決めた。私より約20番後の会員番号。ここ1ヶ月で20人位の入会者がいたことが判った。これなら教室が直ぐに潰れる心配はないか。去年の秋にできたばかりの教室で、綺麗なのはいいのだけれど経営難に陥られたら困るなあ、と心配していたのだ。余談。昨日一番キツかったのはガス抜きのポーズ。右足付け根にできている出来物に響いた。おまけに5日間貼りっ放しでOKという絆創膏なのに、汗の所為で直ぐに剥がれてしまった。
レッスンを終えて友人と教室近所の喫茶店でお茶。ストレッチ素材の服を着ると全人格が否定される気がすると言っていた友人だが、昨日はストレッチではないパンツを穿いていたことで動き難さを感じたらしい。さて、どうするのだろう。その他、ヨガについて、本や雑誌について、ファッションについて、料理を始めとする家事について小2時間程お喋り。私は料理以外の家事が苦手、友人は掃除・洗濯以外の家事が苦手。友人と私が一緒に住めばとても快適に生活できそうな気がする。お互いの彼氏がそれぞれ同居することにして。とはいかない罠。友人も彼氏と同棲している。聞くと共働きなのに彼氏が家に入れるお金はン万円だとか。少ない! それでも彼氏が可愛いからいいのだ、と彼女は言っていた。いいのか? 彼女はお金にシビアな性質なのに、可愛い、というだけで生活費大幅免除。かなり意外である。また本人たちがいいと思う生活が一番だ。私もそうだし。うちのは不満有り有りのようだが気にしない。喫茶店を出て、近くの薬局で幼児用おしゃぶりを購入。鼻呼吸を取得する為である。前に何かの番組で、鼻呼吸を身に付けるには1日に30分程度、おしゃぶりを咥えるのが効果的だと言っていたのを覚えていたのだ。おしゃぶりを買う為だけに入った薬局で意外な物をいろいろ発見。良そうなボディソープや、私が愛用していながらも近所に取扱店がないと販売元に問い合わせたときも言われてしまった日焼け止めなど。近所の薬局よりも遥かに品揃えがいい。今度からは近所で欲しい物の代替品を買う前に、この薬局に行くことにしよう。
くたくたになってやっと帰宅。くたくたになっているときは素直に休めばいいのに、くたくたついでに更に疲れることをするのが私だ。帰宅してからPCで遊びつつ洗濯機を回し、洗われた洗濯物を干し、今日提出する生協の注文書を記入し、夕飯を作っているところでうちのが帰宅した。昨夜の夕飯はひつまぶしと鮭と野菜のクレイジーソルト+スイートチリソースソテー。ソテーは失敗のしようがないのでともかくとして、ひつまぶしは初挑戦。外でも食べたことがない。多分こんな感じだろう、と作ったのだが、単なる鰻の炊き込みご飯になってしまったような……。ひつまぶしってこんなんでいいのだろうか。調べるのも面倒だし、美味しかったから良しとする。くたびれきった私はこのまま寝ようかと思った。うちのも、寝ていいよ、と言ってくれた。だが、上に書いたようにくたびれているとき程動く私。ちゃんと夕食の後片付けをやっつけてから寝た。何だか異様に充実した1日。他の人々はみんなこんな生活をしているのだろうか。私には無理だ。月に数回ここ迄できれば上出来。
服/スカラーの全面猫プリントのシャーリングプルオーバー+ナショナルスタンダードのクロップドデニムパンツ+紺のアンクルソックス+ドクターマーチンの赤のムラ染め革スニーカー+のだめバッグ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス+ダイヤのピアス×2+首と尻尾にジルコニアの付いた黒猫ピアス
余談。黒猫ピアスはフリーマーケットで100円で購入。しかし合う服がなく、このピアスの為だけにスカラーの猫柄プルオーバーを購入。100円の物を使いたいが為に3000円強の買い物。本末転倒か。
現在、5月25日になったばかり。
昨朝の私は素晴らしかった。6時起床。これだけでも素晴らしいのに、朝食迄作った。昨日の残り物を並べただけだが。うちのを起こして朝食を共に食し、送り出した。すると直ぐにうちのから電話が。財布を忘れたから持ってきてくれ。その時点の私の服装は部屋着であり、ミルクフェドの紺のロゴトレーナーに45rpmの紺のコーデュロイ風パンツに紺地にうさぎ柄ちゃんちゃんこ。そのままの恰好で、うちのの財布を届けに行った。うちのも駅から引き返しており、途中の道端で受け渡し。家に帰るとまた電話が。あんた、雑食の毛塗れで汚いよ、掃除しとけ、と。煩い。掃除しとけ、の一言であらゆるやる気が削がれて昼寝に突入したのは10時頃。起きたら23時。早起きした意味がまるっきりなくなってしまった。のそのそと起きて友人とメッセで話し、夕食の支度をしているとうちのが帰ってきた。私を見たうちのは、あんたさっき迄寝てたでしょ。ご名答である。何故解ったかを訊ねると、目が腫れているから、と。ふむ。普段私が鏡を見るのは、口髭や眉などの無駄毛チェックと化粧をするとき位であり、浮腫みチェックの為に鏡を見ることは殆どない。これからは夜迄寝てしまったときは鏡を見て、浮腫んでいたらタオルを冷やしてパックをしよう。それ以前に、夜迄寝ているってのはどうよ、という意見もありそうだが気にしない。因みに昨夜布団に入ったのは午前2時。4時間で起きてしまったことになる。眠剤その他の効きがおかしい。3時に寝て10時か11時に起きる生活をしたいのだが、どうにも上手くいかない。
某所で過眠について書き込みしたところ、殆ど理解が得られなかった。不眠のつらさはまだ想像できても、仮眠のつらさはなかなか解ってもらえないものらしい。不眠についても、日中に動かないから寝られないだけだ、という解釈が蔓延っている。こういう体育会系発想をする人は抹殺されればいいのに。動いて寝られるなら幾らでも動くし、昼寝を耐えて夜に寝られるなら幾らでも耐えるってんだ。この手の体育会系発想をする人は幸せなんだろうな、と思う。そしてそんな幸せなおつむの持ち主とは、私は決して仲良くなれない。処方が変わってからの生活リズムの狂いは、処方が変わる前のそれと少し違っている。因って今のおかしなリズムは、薬の副作用であると読んでいる。新規処方薬に慣れれば改善されるのだろうか。いや、以前の処方薬に戻してもらった方がマシなような。レスタスとルジオミールで、確かに入眠困難は改善されているように思う。問題は、何処にあるのか。中長期型眠剤であるサイレースに耐性が付いてしまったのか、それともパキシルが切られた所為か。パキシルの副作用に眠気を訴える人が多いようだが、私の場合は逆に眠れなくなるので、今の処方薬にパキシルを戻してもらえればいい気がする。四環系とSSRIの飲み合わせに問題が無ければ、次の診察時にパキシルを戻してもらおう。でも主治医は処方薬を増やしたがらない人だからなあ。交渉次第で何とかなるだろうか。友人の主治医は処方薬大盤振舞いの医師らしい。副作用に頭痛を訴えると、頭痛の鎮静剤迄出してくれるようだ。処方薬過多の医師は如何なものかと思うけれど、友人の主治医のように患者にとって必要な薬はちゃんと出してくれる医師は、ちょっと羨ましい気も今の私はする。
昨夜の友人とのメッセでの会話は今日行くヨガ教室の待ち合わせについて。レッスンの30分前に教室の最寄り駅で待ち合わせることになった。友人はまだ入会を決めてはいないのに、体験レッスン用にちゃんと運動に適した服を用意したらしい。某安価衣類量販店で。それを聞く前に、ストレッチ素材の服がいいよ、とアドバイスしたところ、友人から返ってきた答えは、ストレッチ素材の服を着ると全人格を否定された気がする、と。何が彼女にそこ迄ストレッチ素材の服を嫌わせているのか。以前、私のワードローブ一覧表を彼女に見せたら、ストレッチのパンツは全部捨ててしまえ、と言われた。理由は、彼女がストレッチ素材が嫌いだから。便利なのになあ。という私も、ストレッチの効いたデニムは嫌いである。デニムはあの硬さがあってナンボであり、ストレッチがない方が色落ちも綺麗だと思うから。私が持っているストレッチ素材のパンツはチノっぽいものである。けれど最近、その手のパンツの罠に気が付いた。ストレッチが効いているということは或る程度体にフィットして伸びるということであり、腰が張っている私は、ウエストのポケット部分が妙な伸び方をしてポケットの裏地が覗くことがままあるのだ。パンツだけでなく、スカートでもそう。特にネットオークションでパンツのウエストと股上・股下、スカートの場合はウエストと着丈を訊いただけだと、腰から尻のラインで失敗することが多いことに最近気付いた。今はちゃんとヒップの実寸も訊くようにしている。
明日のヨガは約半月ぶり。ちゃんと体が動くかどうか、かなり心配である。只でさえうちのと共に、日本一体が硬いカップル、と太鼓判を押されている片割れなのだ。見栄っ張りなので友人の前で無様な姿を晒したくないのだが、体が追いつかないのは一朝一夕でどうにかなるものではない。10年来の友人であることだし、恥をかいてもいいか。彼女も私の体の硬さはよく知っている。メッセでの会話の中で、23時に起きたことを言ったら、明日はちゃんと起きてね、と言われた。彼女は私の遅刻癖も熟知している。明日の予定は、朝早めに起きて銀行回りをし、帰宅して入浴し、食事を摂りつつ洗濯をし、干してから待ち合わせ場所へ。脳内では無駄のない完璧な予定が立てられている。問題は、ちゃんと予定通りの時間に起きられるか否か。起きるのが昼頃になってしまったら銀行回りは26日に。25日は銀行が混むのがイヤだ。うちのに、今度から銀行回りを26日にしたい、と言ったら、そんなにつらい仕事かね、と言われた。ATMの空き待ち中に親に連れられた餓鬼が騒ぐのがイヤなのだ。それ位慣れなさい、と言われたけれど、慣れずとも避けられるならば私は避けたい。待つことが明らかな銀行に騒ぐ餓鬼を連れてくるな。
昨朝の私は素晴らしかった。6時起床。これだけでも素晴らしいのに、朝食迄作った。昨日の残り物を並べただけだが。うちのを起こして朝食を共に食し、送り出した。すると直ぐにうちのから電話が。財布を忘れたから持ってきてくれ。その時点の私の服装は部屋着であり、ミルクフェドの紺のロゴトレーナーに45rpmの紺のコーデュロイ風パンツに紺地にうさぎ柄ちゃんちゃんこ。そのままの恰好で、うちのの財布を届けに行った。うちのも駅から引き返しており、途中の道端で受け渡し。家に帰るとまた電話が。あんた、雑食の毛塗れで汚いよ、掃除しとけ、と。煩い。掃除しとけ、の一言であらゆるやる気が削がれて昼寝に突入したのは10時頃。起きたら23時。早起きした意味がまるっきりなくなってしまった。のそのそと起きて友人とメッセで話し、夕食の支度をしているとうちのが帰ってきた。私を見たうちのは、あんたさっき迄寝てたでしょ。ご名答である。何故解ったかを訊ねると、目が腫れているから、と。ふむ。普段私が鏡を見るのは、口髭や眉などの無駄毛チェックと化粧をするとき位であり、浮腫みチェックの為に鏡を見ることは殆どない。これからは夜迄寝てしまったときは鏡を見て、浮腫んでいたらタオルを冷やしてパックをしよう。それ以前に、夜迄寝ているってのはどうよ、という意見もありそうだが気にしない。因みに昨夜布団に入ったのは午前2時。4時間で起きてしまったことになる。眠剤その他の効きがおかしい。3時に寝て10時か11時に起きる生活をしたいのだが、どうにも上手くいかない。
某所で過眠について書き込みしたところ、殆ど理解が得られなかった。不眠のつらさはまだ想像できても、仮眠のつらさはなかなか解ってもらえないものらしい。不眠についても、日中に動かないから寝られないだけだ、という解釈が蔓延っている。こういう体育会系発想をする人は抹殺されればいいのに。動いて寝られるなら幾らでも動くし、昼寝を耐えて夜に寝られるなら幾らでも耐えるってんだ。この手の体育会系発想をする人は幸せなんだろうな、と思う。そしてそんな幸せなおつむの持ち主とは、私は決して仲良くなれない。処方が変わってからの生活リズムの狂いは、処方が変わる前のそれと少し違っている。因って今のおかしなリズムは、薬の副作用であると読んでいる。新規処方薬に慣れれば改善されるのだろうか。いや、以前の処方薬に戻してもらった方がマシなような。レスタスとルジオミールで、確かに入眠困難は改善されているように思う。問題は、何処にあるのか。中長期型眠剤であるサイレースに耐性が付いてしまったのか、それともパキシルが切られた所為か。パキシルの副作用に眠気を訴える人が多いようだが、私の場合は逆に眠れなくなるので、今の処方薬にパキシルを戻してもらえればいい気がする。四環系とSSRIの飲み合わせに問題が無ければ、次の診察時にパキシルを戻してもらおう。でも主治医は処方薬を増やしたがらない人だからなあ。交渉次第で何とかなるだろうか。友人の主治医は処方薬大盤振舞いの医師らしい。副作用に頭痛を訴えると、頭痛の鎮静剤迄出してくれるようだ。処方薬過多の医師は如何なものかと思うけれど、友人の主治医のように患者にとって必要な薬はちゃんと出してくれる医師は、ちょっと羨ましい気も今の私はする。
昨夜の友人とのメッセでの会話は今日行くヨガ教室の待ち合わせについて。レッスンの30分前に教室の最寄り駅で待ち合わせることになった。友人はまだ入会を決めてはいないのに、体験レッスン用にちゃんと運動に適した服を用意したらしい。某安価衣類量販店で。それを聞く前に、ストレッチ素材の服がいいよ、とアドバイスしたところ、友人から返ってきた答えは、ストレッチ素材の服を着ると全人格を否定された気がする、と。何が彼女にそこ迄ストレッチ素材の服を嫌わせているのか。以前、私のワードローブ一覧表を彼女に見せたら、ストレッチのパンツは全部捨ててしまえ、と言われた。理由は、彼女がストレッチ素材が嫌いだから。便利なのになあ。という私も、ストレッチの効いたデニムは嫌いである。デニムはあの硬さがあってナンボであり、ストレッチがない方が色落ちも綺麗だと思うから。私が持っているストレッチ素材のパンツはチノっぽいものである。けれど最近、その手のパンツの罠に気が付いた。ストレッチが効いているということは或る程度体にフィットして伸びるということであり、腰が張っている私は、ウエストのポケット部分が妙な伸び方をしてポケットの裏地が覗くことがままあるのだ。パンツだけでなく、スカートでもそう。特にネットオークションでパンツのウエストと股上・股下、スカートの場合はウエストと着丈を訊いただけだと、腰から尻のラインで失敗することが多いことに最近気付いた。今はちゃんとヒップの実寸も訊くようにしている。
明日のヨガは約半月ぶり。ちゃんと体が動くかどうか、かなり心配である。只でさえうちのと共に、日本一体が硬いカップル、と太鼓判を押されている片割れなのだ。見栄っ張りなので友人の前で無様な姿を晒したくないのだが、体が追いつかないのは一朝一夕でどうにかなるものではない。10年来の友人であることだし、恥をかいてもいいか。彼女も私の体の硬さはよく知っている。メッセでの会話の中で、23時に起きたことを言ったら、明日はちゃんと起きてね、と言われた。彼女は私の遅刻癖も熟知している。明日の予定は、朝早めに起きて銀行回りをし、帰宅して入浴し、食事を摂りつつ洗濯をし、干してから待ち合わせ場所へ。脳内では無駄のない完璧な予定が立てられている。問題は、ちゃんと予定通りの時間に起きられるか否か。起きるのが昼頃になってしまったら銀行回りは26日に。25日は銀行が混むのがイヤだ。うちのに、今度から銀行回りを26日にしたい、と言ったら、そんなにつらい仕事かね、と言われた。ATMの空き待ち中に親に連れられた餓鬼が騒ぐのがイヤなのだ。それ位慣れなさい、と言われたけれど、慣れずとも避けられるならば私は避けたい。待つことが明らかな銀行に騒ぐ餓鬼を連れてくるな。
現在、5月23日。
金曜の診察でパキとソラが切られ、レスタスとルジオミールが追加されたことを書いた。1度処方され、その後切られた薬はやはり良くない。むしろダメダメ。金曜の夜に飲んで寝て、土曜の午前10時頃に腹を空かせたうちのに起こされ、何も作る気がせずコーンフレークに牛乳をかけて出し、私も同じ物を食べ、うちのの静止を振り切って強引に布団に戻って再び就寝。起きたら日付が変わった0時だった。確かにここのところ眠剤の効きが悪くなっており、改善したいと言った。でもここ迄寝なくてもいい。こんなに寝ていたら入眠障害は改善されても、根本である生活リズムの改善には逆効果。起きたらうちのはオカンムリだった。当然と言えば、当然である。副作用だか正作用だか解らないにしても、一緒に住んでいるダラ奥が自分の休日に延々寝ていたら、そりゃあ気分も悪かろう。平謝りしても許してもらえなかった。寝ていたので食事も作れず、起きたら流し台に食器が山盛り。家にある物を適当に食べてくれたのだろう。食器洗いをやっつけ、鯖が移転した板のスレを再取得し、4時前に寝た。昨日起きていた時間は約4時間。寝る子であるねこでももっと起きている。ねこ以下……。今日起きたのは7時半。睡眠時間は足りないけれど、起きられたのは処方薬を勝手に変更したからだろう。レスタス+ルジオミール+アモバン+サイレースを、レスタス+ルジオミール+ソラナックス+ドラールに。これで起きられたのだから、レスタスとルジオミール自体には問題がなさそうである。この2種にアモバンとサイレースを足すと、効果が増幅されてしまうのだろうか。来週早々にまた診察に行き、処方薬を調整しもらう予定。それ迄は手元のストックに残っているソラとパキを使いつつ、どうにか凌ごう。
このように処方が変わることで、睡眠を調整できなくなることは少なくない。10時に起きてまた布団に戻ろうとする私にうちのが、もう眠剤の効果は切れてる! 一般的睡眠時間を越えても効果がある眠剤なんてある筈がない! と怒っていた。でもあるのだから仕方がない。メンヘル系の薬は患者それぞれで効きが違うというのは定説である。また患者個人の体質にもよるし、患者自身のそのときの精神状態によっても効果の出方が変わる。そして飲んでみなければ解らないのがこの手の薬。私のこの長い睡眠も不可抗力としか言いようがない。うちのもその辺は理解してはくれているのだが、やはり貴重な休日を私の睡眠でひとりぼっちにされた苛立ちの方が先に立つらしい。仏さんでもあるまいし、うちのに全てを平穏な心持で許容してくれ、とは言えない。今、私にできるのは、うちのが起きる迄布団に戻らず、起きたら気持ちよく朝食を出すことくらいだろう。これで機嫌が少しでも直ってくれればいいのだが。とはいえ、私は私で釈然としない。処方薬による過眠は不可抗力だと思っており、何でそれで謝らねばならんのか。仕方がないではないか。でも私が折れる。オトナだから。処方薬が変わり一晩飲んでみて、今夜のオールナイトのライヴに行くのはかなり危ない気がしたので行くのをやめる。実に残念だが、途中で寝てしまっては行く価値もないし。
昨日の夕方、テンションが高かったらしい私は友人らにメールを送っていた。明瞭な記憶はないけれど、誰にも意味不明メールは送っていなかった模様。返信を見ると、友人Aには処方薬の偏向について、Bには最近読んだ本について、Cにはコスメと服について書いていたらしい。ABCは返信が返ってきた順。それぞれにまた返信を出したが、後になってCへの返信内容の一部が、最初に私が出したメールの内容と被っていたことが発覚。すまん。Cは私より先にうんこ小説を読んでいたらしく、やはりうんこだと思ったそうな。彼女が偉いのは、図書館で借りてうんこ小説を読んだこと。文庫とはいえ、金を払ってしまった私とは大違いだ。近所に図書館があればなあ、と思う。または古本屋。うちの近所には新刊本を置くやや大きめの書店はあるけれど、そこしかないのだ。もっと大きな書店と大規模な古本屋と品揃えのいい図書館を渇望。毎度毎度本を買うのは、お財布に余り優しくない。それでも読みたい本は買うのだが、こんなうんこ小説を掴んでしまった日には目も当てられない。ああ、悔しい。近所に欲しいもの。図書館・古本屋・安価で品揃えのいいスーパー・魚屋・コスメも扱うバラエティショップ。スーパーは徒歩圏内に数軒あるが、どこもさして安くないのが難。
コスメを扱うバラエティショップは数年前迄はあった。コスメヲタな私は重宝していたのだけれどじきに潰れ、今は糞不味い中華屋になってしまった。中華屋はもういらんのに。近所に無駄に多いのがコンビニ。もういらん。まちBBSで、どこかが潰れた、と書き込まれるとその後に、またコンビニができるのか? という憶測が飛び交う。この周辺の住民は、新しい店ができる=コンビニではあるまいな、と思ってしまう傾向にあるらしい。私もそのひとり。しかも新たにできるコンビニがサンクスとなると、もうがっかりを通り越して腹が立つ。この辺り程サンクスが多い地域もそうはないと思われる。そんなもんは要らないから、デリバリもしてくれるケンタッキーでもできて欲しい。うちから1駅先と2駅先にケンタッキーがある。しかしどちらもデリバリはしてくれず、かといって歩いて買いに行くには少し遠い。寝て、起きたら近隣のコンビニ以外の店は閉まっているという生活状況の私には、デリバリの充実は本当に有難い。有難いけれど、デリバリは高い。安価なデリバリ屋ができれば、きっとかなり活用できるだろう。そんな風に考えると、週に1度の生協の宅配はやはり私には合っている。ただ野菜だけは日持ちせず、生協基準に週の後半は野菜料理が減るのが難。今は冷凍野菜を活用してはいるけれど。あ。私が楽しみに取っておいた北京風ピロシキを、昨日私が寝ている間にうちのに食べられてしまった。悔しい。黒猫マークを書いておくべきだったか。冷凍物にうちのが手を出すとは思っていなかったので油断していた。失敗。また注文せねば。
金曜の診察でパキとソラが切られ、レスタスとルジオミールが追加されたことを書いた。1度処方され、その後切られた薬はやはり良くない。むしろダメダメ。金曜の夜に飲んで寝て、土曜の午前10時頃に腹を空かせたうちのに起こされ、何も作る気がせずコーンフレークに牛乳をかけて出し、私も同じ物を食べ、うちのの静止を振り切って強引に布団に戻って再び就寝。起きたら日付が変わった0時だった。確かにここのところ眠剤の効きが悪くなっており、改善したいと言った。でもここ迄寝なくてもいい。こんなに寝ていたら入眠障害は改善されても、根本である生活リズムの改善には逆効果。起きたらうちのはオカンムリだった。当然と言えば、当然である。副作用だか正作用だか解らないにしても、一緒に住んでいるダラ奥が自分の休日に延々寝ていたら、そりゃあ気分も悪かろう。平謝りしても許してもらえなかった。寝ていたので食事も作れず、起きたら流し台に食器が山盛り。家にある物を適当に食べてくれたのだろう。食器洗いをやっつけ、鯖が移転した板のスレを再取得し、4時前に寝た。昨日起きていた時間は約4時間。寝る子であるねこでももっと起きている。ねこ以下……。今日起きたのは7時半。睡眠時間は足りないけれど、起きられたのは処方薬を勝手に変更したからだろう。レスタス+ルジオミール+アモバン+サイレースを、レスタス+ルジオミール+ソラナックス+ドラールに。これで起きられたのだから、レスタスとルジオミール自体には問題がなさそうである。この2種にアモバンとサイレースを足すと、効果が増幅されてしまうのだろうか。来週早々にまた診察に行き、処方薬を調整しもらう予定。それ迄は手元のストックに残っているソラとパキを使いつつ、どうにか凌ごう。
このように処方が変わることで、睡眠を調整できなくなることは少なくない。10時に起きてまた布団に戻ろうとする私にうちのが、もう眠剤の効果は切れてる! 一般的睡眠時間を越えても効果がある眠剤なんてある筈がない! と怒っていた。でもあるのだから仕方がない。メンヘル系の薬は患者それぞれで効きが違うというのは定説である。また患者個人の体質にもよるし、患者自身のそのときの精神状態によっても効果の出方が変わる。そして飲んでみなければ解らないのがこの手の薬。私のこの長い睡眠も不可抗力としか言いようがない。うちのもその辺は理解してはくれているのだが、やはり貴重な休日を私の睡眠でひとりぼっちにされた苛立ちの方が先に立つらしい。仏さんでもあるまいし、うちのに全てを平穏な心持で許容してくれ、とは言えない。今、私にできるのは、うちのが起きる迄布団に戻らず、起きたら気持ちよく朝食を出すことくらいだろう。これで機嫌が少しでも直ってくれればいいのだが。とはいえ、私は私で釈然としない。処方薬による過眠は不可抗力だと思っており、何でそれで謝らねばならんのか。仕方がないではないか。でも私が折れる。オトナだから。処方薬が変わり一晩飲んでみて、今夜のオールナイトのライヴに行くのはかなり危ない気がしたので行くのをやめる。実に残念だが、途中で寝てしまっては行く価値もないし。
昨日の夕方、テンションが高かったらしい私は友人らにメールを送っていた。明瞭な記憶はないけれど、誰にも意味不明メールは送っていなかった模様。返信を見ると、友人Aには処方薬の偏向について、Bには最近読んだ本について、Cにはコスメと服について書いていたらしい。ABCは返信が返ってきた順。それぞれにまた返信を出したが、後になってCへの返信内容の一部が、最初に私が出したメールの内容と被っていたことが発覚。すまん。Cは私より先にうんこ小説を読んでいたらしく、やはりうんこだと思ったそうな。彼女が偉いのは、図書館で借りてうんこ小説を読んだこと。文庫とはいえ、金を払ってしまった私とは大違いだ。近所に図書館があればなあ、と思う。または古本屋。うちの近所には新刊本を置くやや大きめの書店はあるけれど、そこしかないのだ。もっと大きな書店と大規模な古本屋と品揃えのいい図書館を渇望。毎度毎度本を買うのは、お財布に余り優しくない。それでも読みたい本は買うのだが、こんなうんこ小説を掴んでしまった日には目も当てられない。ああ、悔しい。近所に欲しいもの。図書館・古本屋・安価で品揃えのいいスーパー・魚屋・コスメも扱うバラエティショップ。スーパーは徒歩圏内に数軒あるが、どこもさして安くないのが難。
コスメを扱うバラエティショップは数年前迄はあった。コスメヲタな私は重宝していたのだけれどじきに潰れ、今は糞不味い中華屋になってしまった。中華屋はもういらんのに。近所に無駄に多いのがコンビニ。もういらん。まちBBSで、どこかが潰れた、と書き込まれるとその後に、またコンビニができるのか? という憶測が飛び交う。この周辺の住民は、新しい店ができる=コンビニではあるまいな、と思ってしまう傾向にあるらしい。私もそのひとり。しかも新たにできるコンビニがサンクスとなると、もうがっかりを通り越して腹が立つ。この辺り程サンクスが多い地域もそうはないと思われる。そんなもんは要らないから、デリバリもしてくれるケンタッキーでもできて欲しい。うちから1駅先と2駅先にケンタッキーがある。しかしどちらもデリバリはしてくれず、かといって歩いて買いに行くには少し遠い。寝て、起きたら近隣のコンビニ以外の店は閉まっているという生活状況の私には、デリバリの充実は本当に有難い。有難いけれど、デリバリは高い。安価なデリバリ屋ができれば、きっとかなり活用できるだろう。そんな風に考えると、週に1度の生協の宅配はやはり私には合っている。ただ野菜だけは日持ちせず、生協基準に週の後半は野菜料理が減るのが難。今は冷凍野菜を活用してはいるけれど。あ。私が楽しみに取っておいた北京風ピロシキを、昨日私が寝ている間にうちのに食べられてしまった。悔しい。黒猫マークを書いておくべきだったか。冷凍物にうちのが手を出すとは思っていなかったので油断していた。失敗。また注文せねば。
暫く前から某所にて小祭になっていたココナッツプリンを食べてみた。私は何度祭に踊らされれば懲りるのだろう。不味くはないけれど特に美味くもなかった。モスの鰹バーガーは当たり。美味い。でも鰹パテが薄過ぎるのが難。厚みを持たせると魚臭さが目立つのだろうか。今度はライスバーガーの豚生姜を注文しよう。鰹バーガーと一緒に注文したのはアイスミルクティ。出てきたのはアイスレモンティ。取り替えてもらうのも面倒でそのまま飲んだ。納得行かないまま食して飲んだのだが、鰹バーガーにはレモンティの方が合っていた気もする。終わりよければ全て良しとする。もう一々苦情を言うのも疲れてきた。私の文字は5と6を読み間違える程汚いかね。私の声はそんなに聞き取り難いかね。滑舌は悪いけれど、ミルクとレモンを間違えられるとは。出来物の腫れは引いてきたけれど、傷口が明らかに化膿している。医者に行け、とうちのにくどくど言われたけれど行きたくないので、薬局でガーゼと抗生物質入り軟膏を購入。これで快方に向ってくれるといいのだが、さてどうだろう。清潔にしつつ様子を見るしかない。
と、今日は出かけてきた訳である。昨日入浴したから。迷っていたスティラのフレグランスブックも、店頭で見て以前のブックと色味が違うことを確認してから引き取ってきた。今日のスティラは珍しく親切だった。会計待ちのときに椅子を薦められ、おまけにメイクレッスンも進んでしてくれたのだ。スティラなのに。スティラはBAさんの対応が悪いことで有名なのだが、今日は空いていた所為か随分と親切だった。良き哉、良き哉。次回限定のイタリアンアイス3パンを試しますか? と言われたけれど、3種の色を見ても余りそそられなかった為、購入したブックを使ってのレッスンにしてもらった。スティラ本国では秋に発売された物だけあって、かなり落ち着いた色合い。でも私位の歳だと通年で、この程度の控えめなパール感がちょうどいいようだ。パレットの中で1色、これは使えなさそうだなあ……、と思った色が意外なことに一番良かった。パレットで見る色と肌に乗せたときの発色が全然違う! これは当たりな買い物のように思えた。一緒に使ってもらった今日発売のスマットポットジェルアイライナー。眼中外だったのだが、これはなかなか。ボビィのパチもらいにしか考えていなかったけれど、テクスチャが違って肌に乗せるとパウダーっぽく、ボビィよりも遣い易そうな感じ。そしてシャドウブラシで使えるので、ボビィのように専用筆も不要。そのうちボビィのジェルライナーを買う予定だったけれど、スティラの方がいいかも。ウォータープルーフではあるけれどオイルプルーフではないので、取り敢えず今日つけてもらったものをもう暫くそのままにしておいて、持ちを見てから決めよう。定番品だから急ぐ必要もないし。予想外に今日のレッスンは丁寧で、ハイライトまで入れてくれた。今迄気にしたこともなかったオールオーバーシマー。これはいいかも。ピンク系で凄く自然なツヤが出た。ライナーやらシマーやら、また欲しい物ができてしまった。それにしてもスティラも廃れてきた。発売日前に予約していたこのパレットだが、未だに在庫がたんまりあった模様。以前は予約分は予約開始日即日完売、予約外の分も発売初日午前中に完売なんてことがザラにあったのに。余談。スティラに基礎物はない。なのにメイクレッスンの際はそのときしていたメイクを落としてくれる訳で、一体何で落としているのだろう、と疑問に思っていた。ので訊いてみた。なかなか教えてくれない。エスティ系列の物ですよね、と言うと、鋭いですね。どうやらクリニークのクレンジングを使っているとのこと。
今日出かけたメインの用事は通院。処方薬のストックがいよいよ底を尽きてきたのだ。診察で睡眠障害を主に相談すると、処方薬が変更された。ソラナックスとパキシルが切られて、レスタスとルジオミールに。四環系……激しく不安。合わなければ早々に変更してもらいに行かなければ。処方箋を受け取って病院事務の人に処方変更の確認をしてもらうと、主治医はそれでいいと言っていたけれど。処方薬局でカルテを確認してもらうと、この2種はかなり前にも処方されたことがあったらしい。継続されていないということは多分合わなかったのだろうなあ。先生が処方してるんだから信じて飲んでね、とその事務の人は言っていたけれど、うーむ。もし今回の処方薬が合ったとしても、今度は最近予期不安だけで済むことが多くなっているPDでキツい発作が起きそうな。主治医の機嫌を損ねないように、ハッキリとは言っていなかったのかもしれない。経験上、私には三環系・四環系の薬は合わないのだ。今回ダメなら今度こそハッキリ言おう。ソラもだけれど、SSRIが外されたのがつらい。外された、ってだけで不安だ。処方薬に頼っているなあ……。主治医、薬を大量処方しない点はとても信用できるのだけれど、こちらが必要性を感じている薬を、大量処方を避けるために外してしまうことがあるのが難。
今日は珍しく午前中に目が覚めて洗濯もやっつけたので、もう眠い。うちのの帰宅迄昼寝しよう。その前に洗い物しなきゃ。買ってきた物を片付けなきゃ。帰るコール迄にご飯も炊いておかなきゃ。何だかんだとやることがある。明日か明後日、どちらかしかうちのは休みが取れないらしい。休めた方の日にヨガに行きたいと思っているけれど、如何せん足の付け根の出来物がポーズを取るのに邪魔をしそうな気もする。軟膏で、せめて痛みを感じない程度に改善して欲しい。
服/スカラーのグレーに白鳥ラメプリントカットソー+ツモリの浅黄色膝丈スカート+iimkの紫×黒グラデーションチェックスパッツ+インディゴデニムジャケット+cavacavaの茶色いパンプス+一澤帆布の国防色ミニトート+ボルドー×ピンク×艶消しゴールドのブレス+同ネックレス+ダイヤ×プラチナのピアスふたつ+バーニーズの艶消しゴールドと乳白色の石のピアスふたつ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス
メイク/下地+アナスイのアイブロウパウダー→ピエヌのディープラッシュマスカラ17→ケサランパサランのリップスティック305P→スティラのフレグランスブック・クレームブーケ
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
と、今日は出かけてきた訳である。昨日入浴したから。迷っていたスティラのフレグランスブックも、店頭で見て以前のブックと色味が違うことを確認してから引き取ってきた。今日のスティラは珍しく親切だった。会計待ちのときに椅子を薦められ、おまけにメイクレッスンも進んでしてくれたのだ。スティラなのに。スティラはBAさんの対応が悪いことで有名なのだが、今日は空いていた所為か随分と親切だった。良き哉、良き哉。次回限定のイタリアンアイス3パンを試しますか? と言われたけれど、3種の色を見ても余りそそられなかった為、購入したブックを使ってのレッスンにしてもらった。スティラ本国では秋に発売された物だけあって、かなり落ち着いた色合い。でも私位の歳だと通年で、この程度の控えめなパール感がちょうどいいようだ。パレットの中で1色、これは使えなさそうだなあ……、と思った色が意外なことに一番良かった。パレットで見る色と肌に乗せたときの発色が全然違う! これは当たりな買い物のように思えた。一緒に使ってもらった今日発売のスマットポットジェルアイライナー。眼中外だったのだが、これはなかなか。ボビィのパチもらいにしか考えていなかったけれど、テクスチャが違って肌に乗せるとパウダーっぽく、ボビィよりも遣い易そうな感じ。そしてシャドウブラシで使えるので、ボビィのように専用筆も不要。そのうちボビィのジェルライナーを買う予定だったけれど、スティラの方がいいかも。ウォータープルーフではあるけれどオイルプルーフではないので、取り敢えず今日つけてもらったものをもう暫くそのままにしておいて、持ちを見てから決めよう。定番品だから急ぐ必要もないし。予想外に今日のレッスンは丁寧で、ハイライトまで入れてくれた。今迄気にしたこともなかったオールオーバーシマー。これはいいかも。ピンク系で凄く自然なツヤが出た。ライナーやらシマーやら、また欲しい物ができてしまった。それにしてもスティラも廃れてきた。発売日前に予約していたこのパレットだが、未だに在庫がたんまりあった模様。以前は予約分は予約開始日即日完売、予約外の分も発売初日午前中に完売なんてことがザラにあったのに。余談。スティラに基礎物はない。なのにメイクレッスンの際はそのときしていたメイクを落としてくれる訳で、一体何で落としているのだろう、と疑問に思っていた。ので訊いてみた。なかなか教えてくれない。エスティ系列の物ですよね、と言うと、鋭いですね。どうやらクリニークのクレンジングを使っているとのこと。
今日出かけたメインの用事は通院。処方薬のストックがいよいよ底を尽きてきたのだ。診察で睡眠障害を主に相談すると、処方薬が変更された。ソラナックスとパキシルが切られて、レスタスとルジオミールに。四環系……激しく不安。合わなければ早々に変更してもらいに行かなければ。処方箋を受け取って病院事務の人に処方変更の確認をしてもらうと、主治医はそれでいいと言っていたけれど。処方薬局でカルテを確認してもらうと、この2種はかなり前にも処方されたことがあったらしい。継続されていないということは多分合わなかったのだろうなあ。先生が処方してるんだから信じて飲んでね、とその事務の人は言っていたけれど、うーむ。もし今回の処方薬が合ったとしても、今度は最近予期不安だけで済むことが多くなっているPDでキツい発作が起きそうな。主治医の機嫌を損ねないように、ハッキリとは言っていなかったのかもしれない。経験上、私には三環系・四環系の薬は合わないのだ。今回ダメなら今度こそハッキリ言おう。ソラもだけれど、SSRIが外されたのがつらい。外された、ってだけで不安だ。処方薬に頼っているなあ……。主治医、薬を大量処方しない点はとても信用できるのだけれど、こちらが必要性を感じている薬を、大量処方を避けるために外してしまうことがあるのが難。
今日は珍しく午前中に目が覚めて洗濯もやっつけたので、もう眠い。うちのの帰宅迄昼寝しよう。その前に洗い物しなきゃ。買ってきた物を片付けなきゃ。帰るコール迄にご飯も炊いておかなきゃ。何だかんだとやることがある。明日か明後日、どちらかしかうちのは休みが取れないらしい。休めた方の日にヨガに行きたいと思っているけれど、如何せん足の付け根の出来物がポーズを取るのに邪魔をしそうな気もする。軟膏で、せめて痛みを感じない程度に改善して欲しい。
服/スカラーのグレーに白鳥ラメプリントカットソー+ツモリの浅黄色膝丈スカート+iimkの紫×黒グラデーションチェックスパッツ+インディゴデニムジャケット+cavacavaの茶色いパンプス+一澤帆布の国防色ミニトート+ボルドー×ピンク×艶消しゴールドのブレス+同ネックレス+ダイヤ×プラチナのピアスふたつ+バーニーズの艶消しゴールドと乳白色の石のピアスふたつ+シルバーとターコイズのクローバー型ピアス
メイク/下地+アナスイのアイブロウパウダー→ピエヌのディープラッシュマスカラ17→ケサランパサランのリップスティック305P→スティラのフレグランスブック・クレームブーケ
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
昨日の朝、動物霊園に苦情を入れた。今日、草食の命日を訂正した物が届いた。仕事の速さと丁寧な手書きでの謝罪手紙の同封は良しとして、何故にまた振込用紙を送りつけてくるのか。前回の間違いの知らせのときも入っていたのに。杜撰なのか丁寧なのか解らん霊園である。お布施は払わんが、近々花と野菜と果物を持ってお参りに行こう。生前は草食の健康を優先して、たまにしか果物をあげなかった。もっともっとたくさんあげておけば良かった。草食は果物が大好きだったのに。虹の橋の向こうでは、果物でお腹一杯になって欲しい。至らない飼い主で本当に申し訳なかった。草食の小屋を置いていたのはキッチン。私のPCデスクの後ろ。まだ椅子を動かすときに気にしてしまう。いきなり音を立てないように。起きてトイレに行くとき、キッチンを通る。広い。広さがまだ悲しい。広くなってしまったキッチンには、うちのもいろいろと思うところがあるようだ。昨夜帰宅したうちのが、なんか広いな……、と言っていた。前は小屋が場所を取って狭いことに不満を言っていたのに。何かを置こうかと考えた。観葉植物とか。しかし植物は雑食がダメにしてしまうこと、必至。かといって何らかの新しい子を迎える気には、まだまだ到底ならない。うちのは、このままとことん広くする方向で考えたら、と言っていたけれど本心だろうか。今週に入ってから、雑食は相変わらず妙に静かだ。草食の百ヶ日は奇遇にも実父の誕生日と同じだった。実父は向こうで草食を私が飼っていた子だと解ってくれるだろうか。可愛がってくれるだろうか。何としても、ひとりででも、この日はお参りに行く。絶対に行く。
さんざん泣き、ふと気付くと右足の付け根に出来物が発生していた。うちのの脂漏性湿疹にそっくりなので、きっとそうなのだろう。見る見るうちに腫れていき中が膿み、針で潰したら何だかとんでもない状態になってしまった。ぱんぱんに赤黒く膨れ上がり、真ん中辺りが白っぽく、ぐじぐじとしている。病院に行くことも考えたけれど、メスでの切開後に容赦なく絞られる、と聞きやめた。暫くは様子を見よう……にも関節の近くだけに足の上げ下ろしにも痛みが伴い、完全放置はしづらい。針で刺して絞ってオキシドールで消毒し、絆創膏でカバー。数日続けたけれど腫れが増す一方だった。しばし考えた末、もしかしてオキシドールの多用が患部の細胞再生を邪魔しているのでは、と昨日ピアッシングしたときに買って結局使わずに放置していた生理食塩水を用いてのホットコンプレックスをしてみた。文字通り傷に塩を塗り込むに近い行為だけあり、沁みる。でも生理食塩水を浸したコットンを冷める度に交換しつつ15分ほど当ててから、精製水を染み込ませたコットンの上から絞り、最後に新しいコットンにまた精製水を染み込ませて患部に当ててもう1枚コットンを重ねてホワイトテープで貼る。処置終了。そのまま寝て、起きたら針で刺したり絞ったりした場所が酷くなっていた。すわ失敗だったか、と思ったけれどホットソーク及びホットコンプレックスの威力を信じて、さっき入浴後にもう1度昨夜と同じことをしたところ、明らかに腫れが小さくなっている! 凄い! もう暫く続けてみよう。ピアッシングしたときもちゃんと使えば良かった! この出来物、本当は乾燥させた方が良さそうなのだが、場所が場所だけに布に擦れたときが激しく痛く、もう絆創膏ではカバーし切れずのコットン+ホワイトテープでの処置。これを書いている今は試しに乾燥中。上はトレーナ、下はパンツ1枚。寒い。風邪をひきそうだ。風邪をひくよりはコットンを当ててちゃんと服を着た方がいいのか……腕や脛なら悩まずに済むのに、何でよりによってこんなところにできたのか、甚だ疑問だ。
上記に入浴したと書いた。とんでもなく久しぶりの入浴である。ここに書くのも憚られる程、入浴していなかった。半月なんてとてもじゃないけれど書けない。その間に1度だけ入浴した。所要時間は15分! やればテキパキ入浴できる、という話ではなく、ヨガに行く前に余りにばっちい姿では行けないので悪臭を放たない程度にだけ、体を洗いシャンプーをしたのだ。全く入浴した気にならなかった。因って今日は久々に自ら納得行く形での入浴である。久々だというのに出来物の所為でシャワーのみ。前回の入浴から日数が経っているのでちゃんと湯船に浸かりたかった仕方がない。シャワーを浴びて垢すり。出るわ出るわの大漁である。垢すり後に新規バスグッズの体用ピーリングタオルを使用。数年前、某巨大掲示板で密かに祭だった頃に、顔用のピーリングタオルを使ったのだけれど全然毛穴には効果が見られず、すぐに捨ててしまった。なのに体用のをついつい生協で注文。顔用とは違い、こっちは中り。垢すりをすると擦り傷を作り易い首や背中が、このタオルで軽く撫でるだけでスッキリした。顔用のを捨てずに体で使えば良かった、と数年越しでの後悔。でもスッキリしたからまあ良し。今日の入浴中、最も気を遣ったのは当然、出来物の部分である。またしても文字通り、腫れ物に触る扱い。シャワーが直接かからないように。垢すりタオル・ピーリングタオル・ボディブラシでうっかり触らないように。手を付けないのもどうかと思い、泡立てたボディソープを手にとって直接触れないように撫で洗い。洗った気がしないけれど、ここだけは他の箇所と違って、ここ数日精製水で拭いていたからまだ我慢ができる。完治した暁には、ゴシゴシと洗いたい。
今日の入浴は夜。ダメである。長らく入浴していなかったことがダメなのは勿論、不入浴の所為で今日の歯科予約をまたキャンセルしてしまった。前回キャンセルは寝坊。今回はうちのが電話で起こしてくれた。予約は16時。起こしてもらったのが14時。これから入浴すれば間に合うな、と考えつつ診察券を確認すると予約時間が15時と書かれていた……。入浴してからではとてもではないが間に合わない。かといって入浴せずに行くともうこの近所には住めなくなるような気がした。うちのが善意で起こしてくれたことで、キャンセルの罪悪感も倍増。うちのに謝罪メールを入れたら、返信にて、本当に治す気あるの?、と怒られた。不入浴故にスティラのパレットもまだ引き取りに行けていない。もう取り置き期間が終了しているかもしれない。それはそれでいいのだけれど、放置してしまった事実に苛まれる。BAさんに申し訳ない。ダメなときは何をやってもダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。問題は今週末。久々に愛しの君がセッションをするらしい。予約するとまたキャンセルしてしまいそうな悪寒。どうしたものか。前日迄に考えればいいか。
BGM/アルバム「人間失格」
さんざん泣き、ふと気付くと右足の付け根に出来物が発生していた。うちのの脂漏性湿疹にそっくりなので、きっとそうなのだろう。見る見るうちに腫れていき中が膿み、針で潰したら何だかとんでもない状態になってしまった。ぱんぱんに赤黒く膨れ上がり、真ん中辺りが白っぽく、ぐじぐじとしている。病院に行くことも考えたけれど、メスでの切開後に容赦なく絞られる、と聞きやめた。暫くは様子を見よう……にも関節の近くだけに足の上げ下ろしにも痛みが伴い、完全放置はしづらい。針で刺して絞ってオキシドールで消毒し、絆創膏でカバー。数日続けたけれど腫れが増す一方だった。しばし考えた末、もしかしてオキシドールの多用が患部の細胞再生を邪魔しているのでは、と昨日ピアッシングしたときに買って結局使わずに放置していた生理食塩水を用いてのホットコンプレックスをしてみた。文字通り傷に塩を塗り込むに近い行為だけあり、沁みる。でも生理食塩水を浸したコットンを冷める度に交換しつつ15分ほど当ててから、精製水を染み込ませたコットンの上から絞り、最後に新しいコットンにまた精製水を染み込ませて患部に当ててもう1枚コットンを重ねてホワイトテープで貼る。処置終了。そのまま寝て、起きたら針で刺したり絞ったりした場所が酷くなっていた。すわ失敗だったか、と思ったけれどホットソーク及びホットコンプレックスの威力を信じて、さっき入浴後にもう1度昨夜と同じことをしたところ、明らかに腫れが小さくなっている! 凄い! もう暫く続けてみよう。ピアッシングしたときもちゃんと使えば良かった! この出来物、本当は乾燥させた方が良さそうなのだが、場所が場所だけに布に擦れたときが激しく痛く、もう絆創膏ではカバーし切れずのコットン+ホワイトテープでの処置。これを書いている今は試しに乾燥中。上はトレーナ、下はパンツ1枚。寒い。風邪をひきそうだ。風邪をひくよりはコットンを当ててちゃんと服を着た方がいいのか……腕や脛なら悩まずに済むのに、何でよりによってこんなところにできたのか、甚だ疑問だ。
上記に入浴したと書いた。とんでもなく久しぶりの入浴である。ここに書くのも憚られる程、入浴していなかった。半月なんてとてもじゃないけれど書けない。その間に1度だけ入浴した。所要時間は15分! やればテキパキ入浴できる、という話ではなく、ヨガに行く前に余りにばっちい姿では行けないので悪臭を放たない程度にだけ、体を洗いシャンプーをしたのだ。全く入浴した気にならなかった。因って今日は久々に自ら納得行く形での入浴である。久々だというのに出来物の所為でシャワーのみ。前回の入浴から日数が経っているのでちゃんと湯船に浸かりたかった仕方がない。シャワーを浴びて垢すり。出るわ出るわの大漁である。垢すり後に新規バスグッズの体用ピーリングタオルを使用。数年前、某巨大掲示板で密かに祭だった頃に、顔用のピーリングタオルを使ったのだけれど全然毛穴には効果が見られず、すぐに捨ててしまった。なのに体用のをついつい生協で注文。顔用とは違い、こっちは中り。垢すりをすると擦り傷を作り易い首や背中が、このタオルで軽く撫でるだけでスッキリした。顔用のを捨てずに体で使えば良かった、と数年越しでの後悔。でもスッキリしたからまあ良し。今日の入浴中、最も気を遣ったのは当然、出来物の部分である。またしても文字通り、腫れ物に触る扱い。シャワーが直接かからないように。垢すりタオル・ピーリングタオル・ボディブラシでうっかり触らないように。手を付けないのもどうかと思い、泡立てたボディソープを手にとって直接触れないように撫で洗い。洗った気がしないけれど、ここだけは他の箇所と違って、ここ数日精製水で拭いていたからまだ我慢ができる。完治した暁には、ゴシゴシと洗いたい。
今日の入浴は夜。ダメである。長らく入浴していなかったことがダメなのは勿論、不入浴の所為で今日の歯科予約をまたキャンセルしてしまった。前回キャンセルは寝坊。今回はうちのが電話で起こしてくれた。予約は16時。起こしてもらったのが14時。これから入浴すれば間に合うな、と考えつつ診察券を確認すると予約時間が15時と書かれていた……。入浴してからではとてもではないが間に合わない。かといって入浴せずに行くともうこの近所には住めなくなるような気がした。うちのが善意で起こしてくれたことで、キャンセルの罪悪感も倍増。うちのに謝罪メールを入れたら、返信にて、本当に治す気あるの?、と怒られた。不入浴故にスティラのパレットもまだ引き取りに行けていない。もう取り置き期間が終了しているかもしれない。それはそれでいいのだけれど、放置してしまった事実に苛まれる。BAさんに申し訳ない。ダメなときは何をやってもダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。問題は今週末。久々に愛しの君がセッションをするらしい。予約するとまたキャンセルしてしまいそうな悪寒。どうしたものか。前日迄に考えればいいか。
BGM/アルバム「人間失格」
現在5月12日。
先日nyの開発者が逮捕された。その夜の報道をうちのとふたりで見ていた。先に口を開いたのはうちのだ。嫌だねえ。確かに嫌だ。何が嫌って偏向報道が嫌なのだ。P2Pの何たるかも伝えずにnyは違法コピーソフト交換の温床のように、いやらしいオブラートに包んで説明する。何も知らない人がこの報道を見れば、ny=悪い物、と思ってしまうだろう。例えば自分で作曲した音楽を自主的に流す、自分で撮った映画を自主的に流す。ここには何ひとつ違法な行動は含まれていない。それこそnyを無料コミケとして使うことだって可能な訳だ。しかし大半の利用者はそういう使い方をしない。他者が著作権を握っている何かをコピーして流す。nyも拳銃も刀も同じ。物が悪いのではなく、使う者の問題なのだ。真に逮捕されるべきは、ny開発者ではなくnyで違法コピーを流したり落としたりしている者の筈だ。なのに何故、開発者が捕まるのか。うちのも私も見解は同じ。見せしめでしかない。ny開発者が逮捕されるならば、同時にMX開発者も逮捕されなければおかしい。どうしてny開発者が捕まってしまったのだろう。どうして見せしめの標的にされたのか。思い当たる節は幾つもある。nyで公安や自衛隊の機密が流されたことが真っ先に思い出される。そして開発者は東大大学院助手。これも話題性に於いて有効だ。極めつけは2ちゃんねらだったこと。マスコミの多くは2ちゃんねるを目の敵にしている。もしny開発者がyahoo!掲示板から出てきた者なら逮捕はなかったかもしれない。権力と大手マスコミが一体になっている構図が私の脳内には描かれている。余談だがこの報道内でnyの画像が映り、このように検索できる、と例に挙げられていたときの検索単語は、AV、だった。よりによってソレかい。
うちのとの会話で私は上記のような物ではなく者が悪いという話をし、これは京都府警の勇み足で釈放されるのではないか、と言った。うちのは、いやこのまま〜〜幇助罪とかが適用されるのでは、との意見。確かにそれはあり得る。権力は面子に拘る。滅多なことでは己のミスを認めない。私の親戚に某府警下に勤めている者がいる。その親戚の子供である私の従弟はnyなどを新譜DLに利用している。PCそのものは父親との共用。要するに府警下に勤める者が子供のny利用を黙認しているのだ。激しい矛盾を感じた。念の為に従弟に電話して、ny利用の自粛を推奨しておいた。この従弟の母親は子供のP2P利用に頭を悩ませていた。どう注意していいか解らない、と。きっかけができて良かったな、と嫌味ったらしく思った。思っただけで当人に言わなかった辺りが我ながら大人である。この開発者逮捕を受けてきっとny利用者は減り、MXが更に混むようになるのだろう。見せしめ逮捕に味を占めてMX開発者やそれぞれの利用者も全員しょっ引けばいいのに、と考えたりもする。刑務所はいっぱい〜……にはならないのだろうな。開発者がどうなるかは解らないけれど、利用者は精々罰金刑だろう。けれどここに法的落とし穴。執行猶予は猶予が明けたらチャラ。罰金刑は何処まで行っても前科者。
違法コピーソフトの交換はnyやMXだけではない。メッセなどでも可能だし、それこそ自分で焼いて友人に贈与することも可能。と、なると。教科書をなくした友人にコピーしてそれをあげたりもらったりすること、本やCDやビデオやDVDを友人と貸し借りすること。こういった日常的に行われている諸々と何の違いがあるのだろう。今挙げた例は極狭い範囲での共有だ。nyやMXのような広範囲での共有と違うと考えることもできなくはない。できなくはないけれど、MXでは他者をシャットアウトして少数の相手とIMを交わしつつ大量交換をする者もいる。そしてそのままその相手と友人になることもある。すると、きっかけは広範囲ながらも結局は挟範囲での友人同士の共有となり、さっき書いた例と変わりなくなるように思える。市販されている著作物の多くは、個人で楽しむこと、と定義された上で販売されている物が多い。前日某スレを読んでいたら、旦那の趣味は私と一緒にDVDを観賞すること、と書いている人がいた。ポイントは、私と一緒に、だ。その旦那はひとりでDVDを観賞することではなく、他者と共に観賞することに楽しみを見出している。この、他者と共に観賞、を旦那個人の楽しみとするならば、さてはて線引きは何処になるのか。1度専門家に見解を聞いてみたいところだ。
全く違う報道番組の話。少し前にテレビを見ていたら、マイケル・ジャクソン容疑者のニュースが流れていた。弄り過ぎて物凄い顔になっちゃってるなあ、と苦笑した後に大爆笑。次のニュースは国連関係の話だった。そのとき国連会議に出てきた何だったかの役職の人の名前が、マイケル・ジャクソンだった。当然別人であり、風貌も全く違う。これは明らかにウケ狙いだろう! としか思えないニュースの順番。腹を抱えて笑わせてもらった。視聴者へのウケ狙い、とすぐさま思ったけれど、もしかしたらアナウンサーへの嫌がらせかもしれない。私がこの順番でニュースを読めと言われたら、絶対に後方のニュースはまともに読み上げられない。ひとりで笑って視聴者には何も伝えられなくなるだろう。アナウンサーは流石プロであり笑うことなくニュースを伝えていたけれど、見ていたこちらが爆笑して止まらなかったので何のニュースだか全く記憶に残っていない。ウケ狙いだったとしたら、きっとどうでもいいようなニュースだったのだろう。話は戻って。兎角2ちゃんねるが絡む報道には偏りが感じられて仕方がない。そしてねらーなうちのや私はその都度、脱力感を覚える。2ちゃんねるが報道されるときは、まず悪いニュースだ。そんなニュースの連発により2ちゃんねるを知らない人は、あそこは犯罪の温床サイト、と印象付けられる。実際は全く以ってそんなことはない。確かに犯罪予告などもある。けれど極々極々少数の話であり、何百とも言われる板・その板それぞれにある何百というスレの9割方は情報交換や雑談で盛り上がっている。偏向報道を鵜呑みにして近付かない人は、そんな9割を知らずに過ごしている。他人事なのでどうでもいいけれど、勿体無い気もする。2ちゃんねるの多くの板にUDという白血病解析のスレがある。同士を募って白血病の解析を進めよう、という運動のようなもので私も数年前から参加している。全世界でチーム2chは1位2位を争う程に貢献しているのだが、そんな報道は全くない。淋しい話である。
と、書いてから某ニュースサイトを見たら私と同意見の識者が多数いて安心。やはり末端ユーザの問題なのだ。
先日nyの開発者が逮捕された。その夜の報道をうちのとふたりで見ていた。先に口を開いたのはうちのだ。嫌だねえ。確かに嫌だ。何が嫌って偏向報道が嫌なのだ。P2Pの何たるかも伝えずにnyは違法コピーソフト交換の温床のように、いやらしいオブラートに包んで説明する。何も知らない人がこの報道を見れば、ny=悪い物、と思ってしまうだろう。例えば自分で作曲した音楽を自主的に流す、自分で撮った映画を自主的に流す。ここには何ひとつ違法な行動は含まれていない。それこそnyを無料コミケとして使うことだって可能な訳だ。しかし大半の利用者はそういう使い方をしない。他者が著作権を握っている何かをコピーして流す。nyも拳銃も刀も同じ。物が悪いのではなく、使う者の問題なのだ。真に逮捕されるべきは、ny開発者ではなくnyで違法コピーを流したり落としたりしている者の筈だ。なのに何故、開発者が捕まるのか。うちのも私も見解は同じ。見せしめでしかない。ny開発者が逮捕されるならば、同時にMX開発者も逮捕されなければおかしい。どうしてny開発者が捕まってしまったのだろう。どうして見せしめの標的にされたのか。思い当たる節は幾つもある。nyで公安や自衛隊の機密が流されたことが真っ先に思い出される。そして開発者は東大大学院助手。これも話題性に於いて有効だ。極めつけは2ちゃんねらだったこと。マスコミの多くは2ちゃんねるを目の敵にしている。もしny開発者がyahoo!掲示板から出てきた者なら逮捕はなかったかもしれない。権力と大手マスコミが一体になっている構図が私の脳内には描かれている。余談だがこの報道内でnyの画像が映り、このように検索できる、と例に挙げられていたときの検索単語は、AV、だった。よりによってソレかい。
うちのとの会話で私は上記のような物ではなく者が悪いという話をし、これは京都府警の勇み足で釈放されるのではないか、と言った。うちのは、いやこのまま〜〜幇助罪とかが適用されるのでは、との意見。確かにそれはあり得る。権力は面子に拘る。滅多なことでは己のミスを認めない。私の親戚に某府警下に勤めている者がいる。その親戚の子供である私の従弟はnyなどを新譜DLに利用している。PCそのものは父親との共用。要するに府警下に勤める者が子供のny利用を黙認しているのだ。激しい矛盾を感じた。念の為に従弟に電話して、ny利用の自粛を推奨しておいた。この従弟の母親は子供のP2P利用に頭を悩ませていた。どう注意していいか解らない、と。きっかけができて良かったな、と嫌味ったらしく思った。思っただけで当人に言わなかった辺りが我ながら大人である。この開発者逮捕を受けてきっとny利用者は減り、MXが更に混むようになるのだろう。見せしめ逮捕に味を占めてMX開発者やそれぞれの利用者も全員しょっ引けばいいのに、と考えたりもする。刑務所はいっぱい〜……にはならないのだろうな。開発者がどうなるかは解らないけれど、利用者は精々罰金刑だろう。けれどここに法的落とし穴。執行猶予は猶予が明けたらチャラ。罰金刑は何処まで行っても前科者。
違法コピーソフトの交換はnyやMXだけではない。メッセなどでも可能だし、それこそ自分で焼いて友人に贈与することも可能。と、なると。教科書をなくした友人にコピーしてそれをあげたりもらったりすること、本やCDやビデオやDVDを友人と貸し借りすること。こういった日常的に行われている諸々と何の違いがあるのだろう。今挙げた例は極狭い範囲での共有だ。nyやMXのような広範囲での共有と違うと考えることもできなくはない。できなくはないけれど、MXでは他者をシャットアウトして少数の相手とIMを交わしつつ大量交換をする者もいる。そしてそのままその相手と友人になることもある。すると、きっかけは広範囲ながらも結局は挟範囲での友人同士の共有となり、さっき書いた例と変わりなくなるように思える。市販されている著作物の多くは、個人で楽しむこと、と定義された上で販売されている物が多い。前日某スレを読んでいたら、旦那の趣味は私と一緒にDVDを観賞すること、と書いている人がいた。ポイントは、私と一緒に、だ。その旦那はひとりでDVDを観賞することではなく、他者と共に観賞することに楽しみを見出している。この、他者と共に観賞、を旦那個人の楽しみとするならば、さてはて線引きは何処になるのか。1度専門家に見解を聞いてみたいところだ。
全く違う報道番組の話。少し前にテレビを見ていたら、マイケル・ジャクソン容疑者のニュースが流れていた。弄り過ぎて物凄い顔になっちゃってるなあ、と苦笑した後に大爆笑。次のニュースは国連関係の話だった。そのとき国連会議に出てきた何だったかの役職の人の名前が、マイケル・ジャクソンだった。当然別人であり、風貌も全く違う。これは明らかにウケ狙いだろう! としか思えないニュースの順番。腹を抱えて笑わせてもらった。視聴者へのウケ狙い、とすぐさま思ったけれど、もしかしたらアナウンサーへの嫌がらせかもしれない。私がこの順番でニュースを読めと言われたら、絶対に後方のニュースはまともに読み上げられない。ひとりで笑って視聴者には何も伝えられなくなるだろう。アナウンサーは流石プロであり笑うことなくニュースを伝えていたけれど、見ていたこちらが爆笑して止まらなかったので何のニュースだか全く記憶に残っていない。ウケ狙いだったとしたら、きっとどうでもいいようなニュースだったのだろう。話は戻って。兎角2ちゃんねるが絡む報道には偏りが感じられて仕方がない。そしてねらーなうちのや私はその都度、脱力感を覚える。2ちゃんねるが報道されるときは、まず悪いニュースだ。そんなニュースの連発により2ちゃんねるを知らない人は、あそこは犯罪の温床サイト、と印象付けられる。実際は全く以ってそんなことはない。確かに犯罪予告などもある。けれど極々極々少数の話であり、何百とも言われる板・その板それぞれにある何百というスレの9割方は情報交換や雑談で盛り上がっている。偏向報道を鵜呑みにして近付かない人は、そんな9割を知らずに過ごしている。他人事なのでどうでもいいけれど、勿体無い気もする。2ちゃんねるの多くの板にUDという白血病解析のスレがある。同士を募って白血病の解析を進めよう、という運動のようなもので私も数年前から参加している。全世界でチーム2chは1位2位を争う程に貢献しているのだが、そんな報道は全くない。淋しい話である。
と、書いてから某ニュースサイトを見たら私と同意見の識者が多数いて安心。やはり末端ユーザの問題なのだ。