現在6月22日。

 遠くに行きたい……。お迎え待ち。疲れた。
 現在、6月20日。

 数日前に私の後ろを通りがかったうちのに、うわっ! と言われた。どうやら頭が凄いことになっていたらしい。しつこく、入浴しろ、と言われたので渋々入った。フルの2時間コース。未だ疲れが抜けず。夜泣きも続行中。何がつらいのか、悲しいのか、自分でもよく解らない。でも泪が出る。遠くに行きたい。
 現在6月19日。

 久々に夜泣き。とっても心身不安定。私の苛々が、うちのに感染している模様。宜しくない傾向。
 現在6月15日。

 食事中、うちのが少し静かになった。単に疲れていて話す気力がなくなっているだけかもしれないけれど、私には有難い。私は食事中の姿を他者に見られるのが、大の苦手なのである。若干、会食不全の気あり。他者に口元の動きを見られるのが本当にイヤでイヤで仕方がない。なのである程度親しい食餌を共にする相手には機会があれば、余り食事中にこっちを見ないで、と言っている。それでも見てくる人はいる。うちのもそのひとりだ。先日、夕食中にうちのが私を見てこう言った。でかい口開けて食べてる食べてる。単なる冷やかしでしかないのだろう、と理解できてはいる。しかしその言葉を私は受け止め切れない。スプーンを置いて席を立ち、その場を離れた。半泣き。恥ずかしくてつらくて仕方がなかった。悪気がないうちのは困っていた。誰も悪くない。他者から見て、私の食事姿はとても美味しく食べているように見えるらしい。自覚はない。美味しそうに食べるよねえ、とかつていろんな人に言われてきた。そして私はその言葉を褒め言葉と思えたことはただの1度もなく、その都度、辱めを受けている気分に陥った。箸が上手に持てない・溢すことが少なくない、なども見られて恥ずかしい理由の一部だ。しかしそれらは表層的なものでしかない。

 人間の三大欲求は、食欲・睡眠欲・性欲、と言われている。この食欲と睡眠欲に他者が関わると、私は過剰に拒否反応を起こしてしまう。食事姿を眺められるとすぐさま食欲は消え失せ泣き出したり、睡眠中の姿を写真に撮られたら本気で怒ったりする。うちのに対しても、だ。むしろ親しければ親しい程、こういうことへの拒否反応は強く出る気がする。遡って食事について考える。私の幼少期は本当に食が細く、今とは違う育児方法が主流だったこともあり親はとにかく私に物を食べさせたがった。私は強制される食事が苦痛で堪らなかった。決められた食事時間をオーバーしてしまうと、オーバーした分だけ罰として正座を強いられる。または夜、外に追い出される。食事は楽しみではなく、苦痛の前座のようなものだった。これもきっと、私の会食不全気味の傾向に影響がなくはないだろう。他者が私の食事姿を眺める姿は、そのときの食事での私の落ち度を見つけて、罰を与える用意をしているのではないかと勘繰ることすらある。怖い。ただただ怖い。けれど俯瞰した位置にいる私は、共に食事をしている人が私に意地悪をしてはこない、と理解してもいる。実存する私と俯瞰している私の矛盾点を結ぶ方法は未だ見つかってはいない。

 三大欲求は人間だけでなく、その他ケモノにもある本能だ。ということは、作法云々の人間特有のものはあれども、食事姿・睡眠姿・性交姿は、人間としての理性の皮を被ったケモノの本能を満たす姿でもある。人間でありたいと思う気持ちが強過ぎて、私は食事姿や睡眠姿を他者に見られることに羞恥と嫌悪を覚えるのか。それもひとつの正解であろう。ただこれのみを正解とはできない。それは性交姿を他者に見られることに対しては羞恥はあれど、嫌悪はないからだ。同性ならイヤなのだけれど、異性であれば逆に見られることでより高まったりする。激しい矛盾である。性交時は食事時や睡眠時よりも余程ヒトはケモノに近くなっている筈であり、また多くの人間は性交姿は他者から隠蔽するものと考えている。そしてそのような倫理観が日本では蔓延している。要するに、私は性的にはアブノーマルな人間である。性的にオープンなら、食事や睡眠に関してよりオープンでも何ら不思議はない。またそういう人もいるだろう。ただ、私は違う。命題。三大欲求の中で、私にとって性欲のみが異質なのは何故か。

 私はノーマルもOKではあるけれど、被虐嗜好を持っている。性行為に於いて対等な関係は一切望んでおらず、私は徹底的に下層の者または物として扱われたい欲求がある。その場合、私よりも上層にいる相手が第三者を連れてきて私の姿を晒そうとしたとして、私に拒否権はない。むしろそれを好しとして捉えねばならない。羞恥はともかく、嫌悪の気持ちを持ってはならないのだ。これを読んだ大多数の人間は、そんなのおかしい、と感じるだろう。だが嗜虐乃至被虐を好む者にとって、この構図は極々自然なものに見える筈だ。自分の問題に戻る。ケモノな自分を肯定するにあたり、私は他者の力添えがなければならないのではないか。本来ならばひとりで肯定できるべき成長過程を踏むべきなのに、私はその過程の何処かで足を踏み外してしまった気がしてならない。トイレ・トレーニングは母子若しくは親子関係の絆を強めるらしい。肛門期の次に来るのは口唇期である。口唇期にも親子の絆を深めるべきだったのではなかろうか。その方法はただひとつ、できたら褒める、である。私の場合、トイレ・トレーニングも相当に強引なものだったらしい。かなり早い時期から食事が済んだらおまるに座らされ、出る迄そこを離れることは許されなかった。これは薄っすら記憶にある。出たら出たで褒めてもらえた記憶もあるので、強引ながらもトイレ・トレーニングには大きな失敗はなかったのではなかろうか。そして口唇期。時間内に出された食事を全て食べることができたら褒められた。しかしそんなのは何十回に1回の割合であり、殆どの食事に於いては罰の前座でしかなかった。これが今の会食不全の気に繋がっている気がする。そして睡眠。決められた時間には半ば無理矢理布団に入れられた。眠くなくても。眠くなる迄、私は豆電球の下で本を読んでいた。そのときの私の部屋は一戸建ての2階。階段の下の方では足音を顰め、上に近付くに連れて足音を立てて駆けて私の部屋のドアを開けて、まだ起きてる!、と怒る親。布団に入ってから寝付ける迄の時間も苦痛でしかなかった。これらの苦痛は幼少期からの積み重ねである。性的なものはオトナになってから経験することだ。三大欲求のうち、ふたつを素直に出せなくなった私。オトナになって残るひとつの欲求の出し方に、ふたつの欲求の歪んだ姿から歪が生じたのでは、と考えている。間違っているかどうかは解らない。誰にも答えは出せないだろう。
 現在6月13日。

 一昨日からサイレースの代わりにメイラックスの服用を始めた。途轍もなくだるいのだが、この薬の効果はこれでいいのか? 激しく疑問な位に眠い。朝は起きられる。が、朝食後に眠り、昼食時に目覚めて食事を摂りまた眠り、夕方目覚めて最低限の家事をして夕食を食べるとまた眠くなり、うちのに決められた3時という消灯時間よりも1〜2時間は優に早く布団に入る。その直前にアモバンとメイラックスを服用。1日中眠くて堪らん。サイレースからメイラックスに処方が変わったのは前回診察時に、日中だるくて堪らん、と訴えたからだ。そしてメイラックスに変わったわけだが……だるい上に眠くなってどうする! 無意味! 朝昼にパキシルをまた戻してもらったのにこんなに眠いってどういうことだ。主治医曰く、メイラックスはソラナックスより弱い薬。本当なのか? 信じていいのか? 効果はまだ解らんが、副作用と思われるものは明らかにメイラックスの方が強く感じる。抑うつが酷いときに、いいから寝てれ、的な1日乃至は3日は使い物にならなくなる薬を出された。これと似た類のような物に思えてならない。メイラックスで予期不安や発作が出ないのは、単に眠くて寝てしまうからではないのかと。それでいいのかと。それでは人として何かが違うのではないかと。そのお陰でうちのと現在喧嘩中。

 先日は私が夕方惰眠を貪っているときに、ビデオ録画依頼の電話をもらい、何してた? と訊かれたので、寝てた、と答えて怒られた。その日うちのが帰宅したときには起きていたから大事にはならなかった。今日はうちのは休みでありつつ家で仕事をしている。朝食兼昼食にスープビーフンを出した。昨日の朝食は焼きビーフン。なんかここんとこ、朝飯にコーンフレークかビーフンしか食ってない気がする。気がするのではなく、本当にそれしか出してないよ。何で? 俺、ご飯食べたい。何でって……あんたが朝はコーンフレークがいいって言うし、昨日も今日も何でもいいって言うからビーフンを出したんだけど。ご飯炊いてないの? ないよ、ビーフンを出す予定だったんだから。冷凍庫にストックはないの? ないよ、冷凍庫は他の食材でいっぱいだから。そして黙々とスープビーフンを食し、食器を下げて私は、コンビニにお菓子を買いに行きたい、と言いつつ寝た。小2時間程して目が覚めるとうちのが、コンビニに行くか、と言う。うん、とのそのそ起きる私。家を出てからうちのがこう言った。あの物件、こっちの方だと思うから見に行こうよ。あの物件、とはうちの近所の賃貸マンションであり、うちのは私の昼寝中、近所大手の不動産屋のサイトを見ていたのだ。はあ? やだ、どれ位歩くかも解らないのに……私はコンビニに行く。と、結局ひとりでコンビニへ。それでもお菓子はふたり分購入。私の帰宅後、暫くしてうちの帰宅。コンビニの袋を提げて苛々オーラを振り撒き捲っている。怖い。話しかけても喧嘩腰で返事が返ってきて、挙句の果てには、もう喋るな! ときた。所在なくした私は再び昼寝。小4時間。起きてから、夕飯作ったら食べる? と訊くと、食べる。少し時間を置いたからか、ちゃんと話してくれるようにはなった。が、まだ苛々口調が残っていて怖い。

 まず家を出てから、物件を見に行こう、というのは約束違反だと思う。だってコンビニに行くというから私は外に出たのだ。なのに物件って……。私も気になっている物件だけれど、それを捜し歩く体力気力は少なくとも今日の私にはなかった。なのでひとりでコンビニに行った。帰宅後、何様だよ! と言い放ったうちの。何様って……。私が、あの物件を探しに行きたい、と行って家を出て、やっぱりやめた、なんて我侭を炸裂させたならば、うちのからしたら、おまい人を振り回すのもいい加減にしろよ! 何様だよ! となっても不思議はない。なのにコンビニに行くというから付いて家を出て、コンビニではない場所に行こうとしたうちのこそどうなのか、と問いたい。でも怖いので直接は問えず、ここに愚痴を書いている現在。付き合いが悪い、と解釈されるのは仕方がないだろう。だが、付き合いが悪い=何様だ! は飛躍しすぎというものだ。俺様思考が見て取れる。家を出る前、1回目の昼寝中にうちのはトイレで煙草を吸ったらしい。煙草を置いてある場所で判った。今年からうちではトイレ禁煙としている。ユニットバスの天井を掃除するのはなかなかに大変であり、その大変な作業をするのは私だからだ。因って文句を言ったら不機嫌になられた。私は以前ふたりの間で取り決めた約束を破ったうちのに、正しいことを言った筈なのに……。

 うちのの今の思考の根底にあるのはきっと、だらだらと寝やがってからに、だ。それがぐうたらに因るものか、薬の副作用に因るものかは関係ないらしい。現に1度目の昼寝後に、寝ちゃってごめんね、副作用で異様に眠いんだよ、と言ったら、そんな薬は飲むな! と怒られた。フォローという訳ではないけれど、基本的にうちのは私の病気を、そういうものであるらしい、と捉えて処方薬の副作用も、そういうものであるらしい、と考えてくれている。ただ、何処かに苛々があるとこういうフラットな考えは吹き飛んで行き、だらだらしやがって! に簡単に裏返る。所謂、八つ当たり、だ。今日のうちのの苛々の種は、出かけたいのに私が寝てばかりいること及び家で仕事をしなければならないこと、のふたつかと想像している。それらの事情とは関係なしに襲ってくる強烈な眠気という副作用。私は悪くない。うちのも悪くない。単にうちのの虫の居所が悪かった。こんな日はどうすればいいのだろう。私には解らない。なので卑屈な態度に出てしまう。するとうちのは余計に苛々するらしい。逆に尊大な態度に出たら、きっと自分自身でさえ、何様だよ! と思うだろうから出られない。無為に時間が過ぎて就寝時間を待ち、1日が終わることを望むことしかできない。うちは男女の考え方としては逆な側面があり、女性である私が理詰めで問い詰めて行くと、うちのは感情論でキレる。そんなことはもう飽きる程、繰り返した。だから私は理詰めで自分の正しさを訴えることは半ば諦めるようになった。感情論でキレた者が勝ち、なのだ。理詰めのこちらはもう為す術がないから。嫌な1日。早く終わればいい。
 昔から私の家では各種行事が重んじられていた。非常に大変とても鬱陶しくて学生時代に1度、各種行事のプレゼント交換はやめようよ、と提案したことがある。親の返事は、いいよ、だった。なのにその発言の次の行事であったクリスマスか何かに、親はプレゼントをくれてきた。やめようと言い了承を得られたので、当然私は何も用意していない。笑っていない目で、こっちの気持ちだからいいのよ、と言われたときの居心地の悪さったらもう、思い出しても背筋が凍る。仕方なく、その次の行事からまたプレゼント交換を始めてしまった。誕生日・バレンタインデイ・ホワイトデイ・クリスマス・父の日・母の日・親の結婚記念日。特に結婚記念日は何が何やら。私の親の結婚は入籍日と挙式日が違っており、その両方を結婚記念日と言う。年に2回も祝えってことか、とげんなりだ。今年は結婚記念日2回をスルーした。というか、忘れていた。けれど忌々しき偶然で、たまたま親元に電話した日がその結婚記念日に当たっていた。2回とも。こちらは違う用事で電話したのだが親は、あら結婚記念日だから電話してくれたのかと思ったわ。知らん! そもそも元々祝う気はない! 結納が済んでからも、お母さんの再婚がイヤなら何時でもやめるから言って、などと綺麗事を並べていざ私が、やっぱりイヤだ、と言ったときの親の言葉を忘れてはいないのだ。今更何を言ってるの!! え? イヤなら言って、ってのは嘘だったの? 今はまあ再婚してもらって良かったとは思っているけれど、この叱咤の棘が心に刺さっている限り、本音で祝えはしない。

 ともあれ2回の結婚記念日の次にやってくる行事が母の日。華麗にスルー、は何となくしづらかったので電話をかけた。体調が悪くて何も用意できなくて送ってないけど電話だけでもと思って。そう、いいわよ別に、じゃあね。普段なら1分で済む用事の電話でも、20分はどうでもいいことを話す親が3分も話さずに電話を切った。体調でも悪いのだろうか? と翌日再び電話した。この間は具合悪かったの? 大丈夫よ、今夕飯作ってるから、じゃあね。またしても3分もかかっていない。不穏。変だ。おかしい。今回母の日をスルーしようとしたのは、今や曖昧になってはいるものの去年末に絶縁したからである。何だかんだで現実には心配してくれてはいるものの、当時親がうちのに言った言葉。あの子が野垂れ死んでも知らない、それがあの子の寿命。現実がどうあれ、これも棘となって刺さっている。因って母の日はスルーしたのだ。けれど、どうやら気に食わなかった模様。絶縁後、何かをしてもらったらそれ相応のお礼はしているけれど、こちらからわざわざ何かをしたり贈ったりはしていない。いい歳こいてアレだけれど、もし親が子供の日に何かしてきていたら、私も母の日をスルーできなかっただろう。この仮定でも感謝の気持ちなどに因るものではなく、義理を返す為である。母の日同様に父の日もスルーする予定だが、これはちょっと一悶着あるかもしれない。親は、私の分はいいから父さんには何かしてあげて、と行事毎に言ってきていた。実際には自分ももらわなければ気が済まないようだが。親が父親を優先させたがるのは、血の繋がりがないことでの疎外感を父親に感じさせない為である。今思えば、妻や子供を親孝行の道具に使う夫のような発想だ。旦那孝行は女房がすればいいのに、トメトメしい。

 親との不穏な電話の話をうちのにすると、あんたんとこはプレゼントで繋がってるから、と言われた。言い得て妙。むしろ核心か。贈り物をし合うことで親子の繋がりを保ってきたのは確かだ。実際私は今の父親のことを、親の旦那、としか思っていないので父の日には複雑な気持ちを持ち続けてきていた。自発的に感謝の気持ちを形にするのではなく、親に怒られると面倒だから何かを贈る。私のこんな真意に父親は気付いているのか、いないのか。どっちでもいいけれど。目先の問題は母親が機嫌を損ねていることと、父の日を華麗にスルーできるかどうかだ。それにしても。何故私は絶縁したというのに復縁もどきのような状態に陥り、更に親の機嫌を気にしているのか。実に不思議だ。親からのあれこれは何から何迄シャットアウトすればいいのに、と自らに言い聞かせようとすることもある。けれどどうにも上手くいかない。未だ、親の恐怖政治に怯えている。またいちゃもんをつけられる位なら言うことを聞いておいた方が楽だ、などとも思う。激しく不健康な思考だ。

 親とふたりきりになると、あんたのことを本当に思っているのはこの世で唯一血が繋がった私だけよ、と親の離婚後から今も言われ続けている。父親がいるときには、あんたのことを本当に思っているのは私ら親だけよ、に変わる。うちのは親らと私の関係を見、あそこには返せないと判断してくれた。うちのは、おまえのことを本当に思っているのは俺だけだ、なんて言わない。この手の科白を吐く人間は、得てして言葉にすることで言霊を呼び寄せて、それが現実であるかのように相手に思わせようとする。聞く側にすれば、悪魔の呪文のようである。そして中身は伴っていない。血の繋がり、戸籍上の繋がりに何の意味があるのか、私には全く理解不能である。親の兄夫婦がその見本である。祖父の死去前は祖母を比較的大切にしていた。死去後は掌を返したように祖母に冷たくあたるようになった。それこそ葬式終了後、近所の人もいる前で祖母が泣いても口撃していた。親の兄の妻の影響もあるのだろう。何せ常識がないのか、祖父の死が嬉しかったのか、葬式で赤い花柄のパンツを穿いて台所仕事をしていた人だ。その人の影響かどうかはまあ、さて置いて。血の繋がりなんて無意味なものである。赤星たみこの「なかよし」だったか、親子の繋がりについて娘に問われた母親が言った科白。血の繋がりがそんなに信用できるものなら、どうして遺産争いなんかがあるの。読んだのがかなり昔なので科白そのままではないけれど、内容はこんな感じ。真理だと思った。今も思っている。血の繋がりを口にしつつ、プレゼントで繋がりを確認しなければ気が済まないらしい私の親。自分で思うのは勝手だが、プレゼントという点で私を巻き込むのは勘弁して欲しい。もうひとつ。何かと言えば、黒猫も歳を取れば私が今言っていることが解るわよ。歳を取れば、は、ときに、親になれば、私が死んだら、に代わる。これも勘弁願いたい。私は想像力皆無の人間ではないつもりだ。今、納得できない親の言葉はきっとこれらの状況になっても納得できない筈だ。だって間違いだらけの押し付けなのだから。今週に入ってから、ずっと心身の不調が続いている。

BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
 ここのところまた夜更かしが続いていた為うちのから、どんなに遅くとも3時には布団に入れ、との厳命が下された。それができなければPCを窓から投げ捨てる、と。捨てるだけなら未だしも、窓から投げ捨てる、とすらっと口をつくあたり、どんなに否定しようとうちのもねらーだ。以前にも3時には布団に入ると約束したことが何度もあるものの、うちのが3時を過ぎても起きていると、まだいいかな? と私もずるずると起き続けていたのだ。PCを捨てられると困るので3時には布団に入らねば。という感じで、昨日一昨日は2時過ぎに布団に入った。一昨日はいい。問題は昨日だ。眠剤を入れて布団に入って文庫を捲りつつ睡魔を待つ。待つ。待つ……待てど暮らせどきやしねえ。布団の中でうだうだと過ごすこと、小2時間以上。私が処方薬を受け取っている薬局の薬剤師曰く、眠剤が内臓に負担をかけるのは確か、けれど寝られないストレスよりはその負担の方が余程マシ。内臓に負担をかけた上にストレスを感じるとはコレ如何に。睡眠を諦めて、起きた。ぼけーっとかちゅ〜しゃ巡回とネットオークションのチェック。ぼけーっとしているうちに、8時になってうちのの目覚ましが鳴った。ので、コンビニに出かけた。うちのが先日から朝食にコーンフレークを食べ始めた。なのに牛乳を切らしていたのだ。買って戻って朝食を出して出勤を見送って洗濯。先々週から、月曜には大量の洗濯物が溜まるようになった。うちのの水泳と、ふたりで始めたヨガでタオル類や衣類を沢山使うから。洗濯機を2回回して干し終えたところで、ちょうどいい時間。今日は久々に歯科の予約日だったのだ。

 前回ドタキャンしてしまったので、今日は口内クリーニングの仕上げ。着色と歯石を取ってもらった。一体何で取っているのだろうと訊ねると、水と超音波を出す機械、とのこと。超音波! 何だかとっても凄い物のようである。その凄い物で口内を弄くられること小一時間。鏡を渡され、見たら綺麗になっていた。綺麗とは、クリーニング前との比較であり他者との比較ではない。元々私の歯の色はよろしくないのである。それこそ喫煙の習慣がつく前から、煙草吸ってるの? と他者に訊かれる程に歯の色が悪い。けれど今日クリーニングし終わったときの色が限界だそうな。漂白迄しようとは思わないし、そんな金はないので、不本意ながらこれで良しとしなければならない。綺麗になって嬉しいやら、限界を思い知らされたようで悲しいやら。とはいえ、磨いても磨いても取れなかった脂が取れ、舌で歯に触れたときのざらざら感がなくなったので気分はいい。クリーニング終了後、衛生士さんにお願いして、歯の磨き方の講習を受けた。正しい歯の磨き方、というのは時代と共に変化している。子供の頃に歯科で教わったこと、数年前に親が歯科で教わったのをそのまま伝授してくれたこと、それぞれ違っていた。この数年は親から伝授された磨き方をしていたのだが、今はまた違う磨き方がベストとされているらしい。素朴な作業も科学的日進月歩。

 以前親から伝授された磨き方。まず歯ブラシに歯磨き粉を少量つけて歯ブラシを縦に構える。そして小刻みに上下に動かし、表からも裏からも歯間を丁寧に磨いていく。今日教わった磨き方。歯ブラシを横に構える。そして歯周ポケットに当たるように斜めに歯ブラシをつけて小刻みに横に動かす。前ではなく奥の方を磨くときは、歯ブラシの柄が唇や前歯の真ん中に当たるようにする。とのこと。全然違うじゃないか! たった数年でこんなに変わるのか、歯の磨き方ってものは。今朝迄の磨き方を訊かれて答えると、通りで歯間は割と綺麗でしたよ、と。今は歯間よりも歯周ポケットに歯科業界は重点を置いているのだろうか。よく解らないけれど、これからは今日教わった磨き方で綺麗さを保っていこう。恥を晒すような話だが、実は私は余り歯磨きをしない。理由はただただ面倒だから。蛇足として顔も余り洗わない。これらの作業を他者は毎日朝晩の日課として行っているようだが、私にはどちらも他者に不快感を与えない為の行動であり、入浴と同じカテゴリに入っている。あ。もしかしたら他者も歯磨き・洗顔・入浴は同じカテゴリかもしれない。ただそのカテゴリが、自分が爽快感を味わう為か、他者に不快感を与えない為かという違いだけで。

 何度となく書いていることだが、私は勿体無い病に罹っている。因って今日クリーニングしてもらった歯を、早々汚くはしたくない。今のところは日々こまめに歯磨きをして綺麗さを保ちたく思っている。これは勿体無い病人故。しかし同時にダラ体質でもある。どちらが勝つのか、自分でも解らない。勿体無い病が勝てば歯磨きの習慣がつくだろうし、ダラが勝てば歯磨きの回数は再び減るだろう。できれば前者に勝って欲しいのは言う迄もない。次回からはやっと虫歯の治療に入るらしい。まずは痛くて駆け込んで現在炎症を引かせている最中の歯から取り掛かるのだそうな。小さめの虫歯から取り掛かるのはどの歯科でも定石なのか。小さいのからいくんですね、と言うと歯科医が、大きいところからいく? と選択肢をくれた。暫し逡巡した末、小さいところからお願いした。大きいところは抜歯が伴うので怖いのだ。この話のときに、次回からは痛いんですね、と言うと、痛くないよ、などと言う。歯科恐怖症の私は、嘘つけ! と思いつつ、いえ毎回治療のときには泣くんで、と言った。麻酔をするから大丈夫だよ、その麻酔の注射が痛くて泣くんです、痛くないように麻酔の注射をするから。本当だな? 絶対だな? もし本当に私を泣かせずに麻酔の注射をできるとしたら、その歯科医はかなりの名医だろう。今迄世話になった歯科医の全員が私を泣かせてきたのだ。この、泣く、は、泣く程痛い、というのではない。いい歳こいて、本当に麻酔注射の痛みで泪を流してきた。今日の歯科での会計待ちのときに、歯科からのお知らせのようなものが目に入った。ああ、そうだ。この歯科は笑気ガス使用歯科だった。もしかしたら笑気ガス後なら麻酔注射も痛くないかも、と前に思ったではないか。すっかり忘れていた相変わらずの鳥頭。次回は前回のように寝坊しないよう、午後に予約を入れた。
 現在、4月30日。

 昨日は朝っぱらからうちのに怒られた。夜のうちに寝ないで、朝の9時に布団に入ったから。何で早く寝ないんだ! と言われたので、時差ぼけだ、と答えた。笑われた。海外旅行はしていないが、連日の深夜バスでの移動は体内時計を狂わせるのに充分な要素が詰まっていると思うのだが。尤も、端から体内時計が整っていた試しはないので、だからどうだ、という話でもない。うちのは私の解るような解らんような回答を聞き、笑ってスルーしてくれた。くどくどとした説教にはならず、そのまま私は安眠。起こされたのは19時。職場から呼び出しがかかった、とのことで出掛ける、と。いてらさ。一応玄関迄見送りに行き、約2時間後の帰るコールを受けて夕飯の支度。ふたり暮しなのに何故か出来上がった鴨の中華炒めは5人分。いろんな野菜を少しずつ使う、ということが私は苦手なのだ。残った半端な野菜類を次にどう応用すればいいのかかなり困る。なのでひとつなり1パックなりの解り易い単位で調理する。すると当然、出来上がるのは大量のおかず。うちのに、なんでこんな大量なの、と訊かれたので、エコ、と答えた。うちの曰く、余ったらラップなり何なりして保存すればいいではないか。私曰く、それはラップの無駄遣いだ。ハナで笑われた。なんだか笑われてばかりの1日。

 一昨日の夜の会話。ぼけーっとふたりでテレビを見ていたら懐かしのアニメの次世代版番組になった。そのアニメに纏わる伯母と従兄と私との間に起こった忌まわしき記憶について話して聞かせたところ、おまいんちはどうしてみんなアレなんだ? と言われた。どうしてなんだろう。環境? 血? どっちにしても嫌……。母方の身内でまともな人を脳内で探す。暫しの時を経て結論。いない。みんな何処かズレている。そしてみんな自分が一番正しいと思っている。そしてみんな我が正義に反する人間は気違い扱いしてくる。そしてみんな微妙な戦線協定を結び、どうにか他の兄弟姉妹を突き落とそうとしている。この従兄は今でこそ某女子高校の講師をしているが、中学時代迄は私からいろんなものを搾取していった人。性に関しては搾取未遂で済んだが。この従兄には兄がいる。伯母一家4人、みんな私の視点から見ればおかしい。30代前半後半の息子たちを、ボクチャン、呼ばわりして猫可愛がってる伯母、伯母の言うことは全肯定な伯父、母親に溺愛されて社会性が身についていない子供たち。母方の親戚の中で、この家が一番嫌いである。祖父母宅から金目の物を無断で持ち出したり、親戚一同が出した金を自分だけが出したと偽ったり、祝儀を出さなかったり。とにかく金に汚い伯母、という記憶しかない。今は疎遠。このまま一生疎遠でいたい。

 この伯母に物事の分別が曖昧だった小学生の頃、別の叔母の方が好きだ、と言ったことがある。そのときの伯母の対応。数時間後に誰だったかの名前を出して、黒猫ちゃんよりあの子の方がよっぽど可愛い、と言ってきた。子供だった私は嫌いな伯母に嫌われて結構、とは達観できずに自分の所在のなさに泣いてしまった。今思えば。伯母に対して失礼なことを言った私が悪いと思う。だが、それに対してDQN返しは如何なものか。相手は小学生なのに。きっと伯母は自分の産んだ子供以外の餓鬼は嫌いだったのだろうなあ、と段々解っていった。先日うちのに、あんたの姉さんらのとこの子は育ちが悪い、お年玉袋をその場で開けるような餓鬼は嫌いだ、と言った。うちのは甥っ子姪っ子を可愛がっている。だからか、子供らしい行動じゃないか、と言われた。私はそういう行動は失礼だと教えられてきて、それは正しいと思っている。うちのが、あの子らが黒猫ちゃん遊んで! と懐いてきたらどうする? と訊いてきたので、勘弁してくれ、と即答した。ただでさえ私は子供が苦手なのだ。おまけに育ちが悪い餓鬼、叱らない親。考えただけで怖気がする。知らん、他人の子供らに関わりたくない、と言った。うちのは私が、あんたの親や姉らは私からしたら他人だ、というスタンスがどうも気に入らないらしい。この、コトメらの子が懐いてきたらどうする? の話をしていたのは某駅構内。うちのがこんな例えをしてきた。ここに見知らぬ人が倒れていたらどうする? そりゃあ駅員なり救急車なり呼ぶさ。他人なのに? 他人でもするだろ。ならその位の思い遣りを俺の甥っ子姪っ子にも持てないか? あー、そうね、倒れていたのが子供だったら蹴飛ばして放置していくかもね。うちのは、あんたとはこの先やっていけないかもしれない、と言った。

 実際に倒れていたのが子供だったとして、大人との仮定同様に駅員なり救急車なり呼ぶことは間違いない。本当に蹴飛ばして放置する程に私は堕ちていない。ただうちのが長男であること及び近い将来に訪れるであろうお互いの家の介護問題などへの予防線として、あんたと血が繋がっていても私には他人だから、のスタンスを今から叩き込んでいるだけである。長男の嫁扱いは勘弁願いたいからだ。その上嫌いな餓鬼の面倒など誰が見たいと思うものか。子供は天使、育ちが悪いんじゃなくて無邪気なだけ、そんなお気楽な変換をするツールは私の脳内にはひとつもない。我がことだけで精一杯なのに、これ以上誰を思い遣れと。我がこととは、私の身内の話である。最もアレな私の親が暴走しないように見ているだけで大変なのだ。お互いに自分の身内のアレを、家庭に持ち込まないようにしたい。この間祖母の見舞いからの帰宅途中、親が意味不明なことを言い出した。うちのはまだアレしているんじゃないか、アレしていてアレはアレだ、あのときああしていれば私たち親の対応も違ったのに、など。煩いことこの上なし。黙らせる為に、親に今迄話したことがなかった私の過去の話をした。風俗勤め。激しく驚いていた。翌朝、親がかけてきた電話でいうことには、過去のことは忘れなさい。私は風俗だろうが何だろうが自分で選んだ仕事をしてきただけなので、全く以って忘れる必然性を感じない。特に恥ず仕事をしてきたとも思っていない。なんで本人が嫌な過去だの恥ずかしい過去だのと感じていないことに対し、忘れなさい、などと傲慢なことが言えるのか、その神経が解らない。私という他者の過去をどうこう言うなら、うちのの過去を自分らが忘れる努力をして欲しい。過去を忘れるだの何だの、親子であっても他人の人生に口出ししてはならないものだと私は思っている。
 現在、4月23日。

 目が覚めたら、日付が変わっていた。久々にヒルナミンを投入した所為だろう。ヒルナミンは私には合わない薬である。以前処方されたけれど、服薬すると丸1日使い物にならなくなる薬。なので処方から外してもらったのだが、希死念慮勃発時の寝逃げ用に、残りを捨てず取っておいた。昨日の昼頃に投入したのは、希死念慮発生の為ではなく、泣く程に歯が痛かったから。寝られもしない痛さ。私は歯科が嫌いだ。どうも虫歯になってもとことん悪くなる迄、痛みに気付かない体質らしい。そして虫歯の存在に気付かぬ内に歯が欠けたり抜けたりしてくる。ことの発端は一昨日だ。一昨日の夜、欠けてきていた歯が物凄く痛み出した。欠けた部分から神経が露出してしまった模様。歯の神経は空気に触れただけでも痛い。なので辛抱堪らず、うちから一番近い歯科に電話をしてみたところ、一昨日の電話の時点では既に診療時間外だった。仕方なく、昨日の朝一に予約をさせてもらい、行って応急処置をしてもらってきた。応急処置をしてもらい、コンビニでお弁当を買って帰宅。歯が痛い。寝よう……寝られん。泪と涎がとめどなく流れ出る。我慢ならん! しかも追い討ちをかけるように生理がきた。そして仕方なくヒルナミン投入と相なった。

 丸1日何も食べていなかった所為か、非常に具合が悪い。ふらつくし、耳鳴りはするし、手は震えるし、視界がチカチカするし。さっき、どうにかお弁当を半分食べた。行儀悪いこと、この上なし。寝ながら食べたのだ。何故なら座っていると吐き気がするから。胃が空っぽのときの吐き気は、吐ける物が体内にあるときの吐き気よりもつらい。しかも生理中は下し気味になるので、トイレに行っても上からか下からか判らない。誰か一思いに殺してはくれまいか! 生きていたっていいことなんかありゃしない。こんなに歯と腹が痛くて胸焼けもしている私、もうお先真っ暗だ。なんでこう具合が悪いと、良いことが考えられなくなるのだろう。お腹に食べ物が少しだけれど入った今なら、そう思える。空腹はしんどい。きっと具合が悪くなり過ぎたのは、お腹の空き過ぎもあったのだろう。ただ、マシになったとはいえ未だ尋常ならぬ喉の渇きがある。沢山水分を取って沢山出せということか。去年末の悪夢の再来のような具合の悪さ。下手に手元に薬があるからいけないのだろうか。けれど、昨日ヒルナミンを投入せずに歯の痛みに耐えられただろうか。解らない。今思えば、いつも通りにアモバンとサイレースを投入すれば良かった気がしないでもない。きっと気が動転していたのだなあ。

 こんな状態なので、昨日はうちのからの帰るコールにも気付けず、夜中トイレに起きたときにうちのの帰宅に気が付いた。夕飯、作れず。すまん。そんなこんなで死にそうに苦しかった昨日の話。それにしても。最近の歯科って凄い。PC使い捲り。レントゲン写真も撮った先からデータ化されている模様。歯科通いを渋っていた原因のひとつに、近所に心療歯科があるかどうかを探していたこともある。心療歯科でなくともせめて笑気ガス使用の歯科を、と。偶然にも一番近所にある昨日行った歯科が笑気ガスを使用してくれるところだった。悪い箇所を全部治療するのに大体半年はかかると言われた。そして3〜4本抜かなければならないとか。ついでだからと残っている親不知の抜歯も頼んだけれど、それは却下された。隣の歯がダメになっているときの治療に使うのだとか。抜きゃあいいってもんでもないらしい。取り敢えず歯痛は治まったので、今度は腹痛のみとの闘い。体調不良に付き、短め。
 現在4月1日。

 ここ数日、某巨大掲示板某板某女人禁制スレの纏めサイトを読み耽り。童貞毒男の中にはダンゴムシとして生きることをモットーとしている方も多いようで……。何やらその方々は、キモイ、だのという言葉を常日頃から浴びているらしい。私はこの、キモイ、という言葉が嫌いだ。気心知れている人に言ったこともなければ、当然ながら見知らぬ他人にそんな言葉をぶつけたことがない。失礼にも程がある。キモイ=気持ち悪い、なんて言葉は、「さくらの唄」の仲村真理くらいの目に遭ってからでないといってはならない言葉だと思っている。しかし彼らにとってはこのような言葉の暴力を受けることは日常であり、あまつさえそれは自分の存在そのものが他者に迷惑に思われるものだから致し方なし、などと考えている模様。ここで、努力すればどうにでもなるって! といったポジティヴ思考は毛嫌いされている。彼らはどんなに努力しようとも、女性に好かれることはおろかフツーに接せられることもないとか。不思議なのは、キモイ、と言われて彼らがそのまま凹んでしまうところだ。そんな言葉を平気で使う人間は男女を問わず歪んだ人間である。断言する。なのに言霊に囚われて、ひたすらに我が身を縮ませて生活しているようだ。女性に近付かないように、不快感を与えないように。ただただ自分が傷つかないようにする為の自己防衛。ネガティヴ方向への積極性には感動を覚えんばかりだった。そんな彼らの嘆きの体験談や悟りに近い文章を読み、私は十数年前の自分を思い出した。といっても、同じような心構えでいた訳ではない。彼らの殆どが容姿に只ならぬコンプレックスを持っており、私もその点では同じだったからだ。

 十数年前……中高生だった頃である。小学生の頃からクラスでも浮いた存在であり、それは中・高と上がるに連れて浮き具合も目立つようになっていた。ちょっとした虐めにあったこともある。肉体的暴力はなかったけれど言葉の暴力はあり、また私が教室に入っただけで空気が変わることを身に沁みて感じ取れてしまったこともあった。群れたがる女子はまず私のことを怪訝な目で観察し、同類ではないと見做すと今度は隔離しようとしてくる。その際、群れている女子グループと仲の良い男子グループも一緒になり、その数はクラスの半分程になったりする。回避性の気が当時からあったのか、莫迦にされたり無視されたりして多少落ち込むことはあっても私自身を変えようとは思わなかった。自分に問題があるとは思わずに俯瞰して、あんな連中に染まりたくない、と迎合することなく過ごした。集団でなければ何もできない人間は昔も今も嫌いである。振り返れば、当時の私は無自覚にして只ならぬ問題を抱えており、今その問題は歪ではあれ改善されているよう他者に見せられるようにはなった。問題とは協調性のなさである。協調と迎合の違いが未だによく判らない。少々不便はあるけれど、当時よりも悪い方向に達観しているので気にしない。そしてこんな環境だったので、モテには程遠い存在だった。それも当時はいいと思っていた。色恋に現を抜かすのは莫迦だ。

 と、自分に嘘をついていた。色恋云々には興味津々であり耳年増であり。恋愛至上主義の世の中を斜に構えて莫迦だと一刀両断しつつ憧れが捨て切れなかった。そして努力した。10人並み程度の容姿を持っていて且つ若い女性に、男性はいとも簡単に落ちる。その事実を知ってしまったが最後、落とす、という行動をして実を結ぶことが楽しくなってしまった。もっと落としたい、となり容姿にも気を遣うようになった。すると容姿についてお褒めの言葉を戴ける迄に成長した。学生時代の私、それはもう不細工だった。それでも落ちる男がいるのだから、磨けばもっと落とし易くなるだろう……。ゲーム感覚だ。中・高でも学校外に彼氏はいて真面目に付き合っていたけれど、社会人になって一気に弾けた。安彦麻理絵の描く女性登場人物よろしく、男性にそういう対象として見られたい、という欲求が高まり、そういう対象として見てもらえた後は簡単についていった。学生時代の自分の不細工さに復讐しているかのように。女を捨てていながら女に憧れ、女になって女の武器を駆使し始めた。他者への依存・セックス依存、発症。社内で喰いまくって、居辛くなって辞めたこともある。その後、人伝に上層部の人間が私について話していたことを小耳にした。あの子をい続けさせていたら会社が滅茶苦茶になっていた。その通りかもしれない。その後勤めた会社でも男絡みで辞めたことがある。社員旅行でヤッちゃあいけなかったな。そんなこんなの紆余曲折を経て、うちのに出会い、その他諸々の困難と年月を経て、自治体も認めるダメ人間になった。中身だけでなく容姿にも気遣いが減り、今は精々10人並みだ。

 それでもきっと某スレに集う彼らから見たら、私は恋愛健常者に見えることだろう。けれど、断固として否定したい。私も形は違えど恋愛障害者だ。個を維持できずに共依存、依存させてくれるうちのに甘えてセックスレス数年。生活を共にしていながら、だ。こんなのは恋愛健常者である筈がない。また恋愛への……もっと正確に表現するならば、セックスへの幻想と依存が私の恋愛感の基礎となっており、うちのとの関係はその基礎を通過して家族としての愛となっている。私自身の過去を振り返り、恋人同士の愛情、が確立されたことはないかもしれない。そのときは確立されたと思っても、思い返せば全てまやかしだったように感じる。私が求めていたものは何だったのか。父親だ。ファザコンではなく、逆エディプス・コンプレックス、と表現したい。岩月某は父親と娘との親子関係の中で恋愛間が云々と語る。くだらん、と思ったのは自身の中の闇を否定したいからだ。私は今、うちのに、父親の役目、を求めてしまっている。この生活はまるで父子家庭のそれだ。健全とは言えない。うちのはそんな関係は望んでいないけれど、病んだ私に自分の求める生活を強いてはこない。甘んじている自分が情けない。先日初めてうちのが言ったこと。黒猫ちゃんが家庭を守ってくれているから俺は働けてる、貯金もふたりで貯めたお金。今迄ずっと、稼いできている俺が偉い、だったのにどうした心境の変化か。退職を目前に何か思うところがあったのか。この心境の変化はとても嬉しい。私のことをひとりの人間として扱ってくれている言葉だ。甘えるだけでなく、もっと応えられるように精神的に自立したい。私が精神的に自立したとき、初めてうちのと恋愛健常者として付き合い、生活を共にし、末永く一緒にいられるのだろう。達観したつもりでいたこと自体が甘えだった、と今なら言える。甘え続けるだけの人生は詰まらない。他者との関係が続かない。脱却したい。
 昔から生理が重くてキツくて眠くてつらい。稀にやや軽いときもあるけれど、その次の生理が倍くらいつらい。しかもだらだらと丸々1週間続く。性欲があった頃、計算してみた。世の女性で生理期間が短い人は3日で終わるらしい。私は7日。一般的28日周期というのを無視して、月に1度の血みどろ祭と考えて私は祭期間が4日長い。年にして48日もの間、血みどろな訳である。そして生理時期には性交をしないものと仮定して、私は3日で終わる人に比べて性交可能日数が1ヵ月半も少ない。これは人生に於いて物凄く損な体質なのではなかろうか、と我が体を呪わしく思ったことも。性欲皆無な今はそんなことはどうでもいいのだけれど、やはりだるい期間が長引くのはしんどい。しかも生理の少し前からだるくなったり風邪っぽい症状が出たりするので、私は毎月凡そ10日間、月の1/3は具合が悪い。不定期に鬱々となることもあり、また慢性の肩凝り腰痛持ちでもあり、年がら年中体調不良と言っても過言ではない。是非とも皆々さまに労わってもらいたい。シルバーシートに座らせてもらいたい。が、見た目からして解る不調ではない故に滅多に席は譲ってもらえない。常々顔色も悪い私。学生時代に睡眠不足以外は特に不調がないときのこと。満員電車に揺られつつ眠気から立ったまま舟をこいでいたら、隣にいたおばさんが私の前に座っていたサラリーマンらしき人に声をかけた。ちょっとこの人具合が悪そうだから、席を空けてくれない? サラリーマンらしき人は親切に席を空けてくれた。私は有難く座らせてもらった。そのときの恩返しではないけれど、先日うちのと出掛けたときに電車に爺さんが乗り込んできて私の前に立った。そのときはそれ程不調ではなく且つ降りる駅迄数駅だったこともあり、どうぞ、と譲った。私らが降車するときに爺さんが、軽く会釈してくれたのが嬉しかった。うちのは非常に驚いたらしい。普段、私は座ったらまず動かない、席を譲るなんて天地がひっくり返るかの如くあり得ない出来事、と思っていたとか。失礼な。こう見えても、自分がそこそこ元気なときに近くに自分よりもしんどそうな人がいれば席を譲るよう心がけているのに。

 で、今日はまだ血みどろ祭続行中。もう数日続く。だるー。なのに昼間に起きてメーラーをチェックをしたら、昔の職場の上司から、明日会いませんか? とのメールが。忙しい方なので多少の体調不良は我慢して会いに出かけよう、と当然思う。電話をくれとのことだったので、一応の定時である17時を少し過ぎた頃に電話をした。すると……あちらの書いた、明日、は今日のことだったらしい。電話で話しながら届いていたメールをチェックすると到着時刻は1時過ぎ。深夜だ。このくらいの時間帯のメールは実に紛らわしい。日付が変わる感覚が人間にはなく起きてから寝る迄を1日として捉えがちであり、深夜のメールで書かれる昨日・今日・明日は判断し難いのだ。以前にも別の人との遣り取りの中で、同様のすれ違いを起こしかけたことがあった。私はこのような経験から、メールでは昨日・今日・明日の後に日付や曜日を書くように心掛けている。けれども他者からのメールでは余りこのような注意書きは見られない。暗黙の了解として、おきてから寝る迄が1日、と世の中ではなっているのだろうか。困る。起床就寝時間がまちまちだったり世間様とズレている人間は混乱する。約束事を取り付ける際には、日付や曜日も記載するという暗黙の了解が欲しい。暗黙でなくても、世間一般でなくてもいい。私へのメールではちゃんと書いて戴きたい。

 いつものように入浴していなかった為、その上司とはも今日は会えずまた後日に……となった。非常に残念。そして上司からのメールを読み返す。冒頭に桜についての記述があった。桜を見ると幸せを感じる、とのこと。前にも書いたように、今の私にはこの感覚がない。桜が咲いている、と強く意識しなければ綺麗だと感じられないし、増してや幸せなどの感動は発生しない。彼女は季節感を感じられるのだ。彼女だけでなく、世の多くの人は季節を感じつつ日々を過ごしているのだろう。桜が咲くくらいであり、昨今は暖かくなってきている。らしい。1日の半分程を布団の中で過ごしている私にはイマイチ実感はない。なので着替えるにしても、ネットやテレビの天気予報で知らされる予想気温という数字に頼っている。体感温度が信用できないのだ。数字を確認せずして、暖かいか寒いかにも自信が持てない。自分が寒いと思ってもうちのに、寒い? と訊き、同意を得られてからでないと、今日は寒いのだな、と思えない。同意されなければ、寒いと感じるのは私だけのようなのできっと今日は寒くないのだろう、と思う。心身共に歪み過ぎだ。主治医の言葉が脳裏に甦る。季節を感じられるようにならなければ、社会復帰しても続かない。

 生理中は特に体感温度が狂う。貧血気味になる所為か、体がとても冷える。末端冷え性にも拍車がかかる。なのでこれを書いている今も、季節は春だというらしいのに毛糸の靴下を履いていたりする。本当ならカイロも張りたい。カイロを我慢しているのは、PCの前から動くのが面倒だからだ。座っているときでも気持ち悪いのに、動いているときに体内からどろりと血が流れ出るあの感覚。今はもう後半に入っているけれど、前半の大量出血時期の胎内の粘膜が剥がれ落ちて、血液と共に赤黒いモノが排出されるあの感じ。初潮から十数年を経た現在も慣れてはいない。いつも気持ち悪い。特に性欲がなくなってから、生涯子供は要らないと思うようになってから、生理が疎ましくてならない。どうしてもオンナであることを意識させられる。オンナであることがいつも嫌な訳ではない。メイクやお洒落を楽しむときは、女で良かった、と思う。きっと生理期間に非常にオンナであることが悲しくなるのは、この器官が繁殖に直結しているからだろう。取り外せることができればいいのに。球体関節人形のように。ふと思った。私が球体関節人形に魅せられた一因として、これもあるのかもしれない。不要な器官とそうでない器官が選別可能。異形の姿の中に見え隠れする強い意志。製作者の鏡である人形。

BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」
 現在3月24日。

 某サイトにて、立派なダラ奥、と認定された私に対し、何が何でも規則正しい生活をさせたい奇特なうちのが、昨日の朝すやすやと眠る私をぬくぬくと温める布団を引っぺがして起こそうとした。ちょっと前迄は暖かかったのに、またここ数日は寒くなっている。特に朝晩。寒いのが苦手な私にとって、ぬくぬく布団を剥がされるのは死ねと罵られるくらいにつらい。本当につらい。凍死させられるのでは? と思ってしまう程につらい。故に、死ぬ! 死んじゃう〜! と本能で喚いた。余りに喚いて布団にしがみつく私に見切りをつけて、うちのは炊飯器で保温していたひじきご飯を掻っ込んで出勤したらしい。生死を賭けた戦いに勝った私。うちのが食事していったことを知ったのは、14時半頃に起きてシンクに置かれた茶碗と箸を見てからだった。戦いの後、私はまたすぐに寝付いたらしい。生まれてこの方、規則正しい生活、とかいうものをしたことがない私に今更それを求められても困る。諦めて欲しい。むしろ諦念しろ。昨日は布団を引っぺがしながら、ほら起きろ! という起こされ方だった。うちのなりに譲歩したらしい。一昨日の夜、我が家で話し合いをした。土日、基本的にうちのの仕事は休みだ。稀に私の方が早く起きて簡単な朝食を作るなり、買出しに出かけてからうちのを起こす。しかし大概はうちのの方が早く起きて私を起こす。その起こし方がずーっと気に入らなかった。常に第一声が、メシ、なのだ。露骨に飯炊き女扱いをされている気がして毎週末が嫌で嫌で仕方がなく、うちのにその起こし方はやめてくれと頼んだのだ。だからきっと昨日は、起きろ! だったのだろう。同義でも気分は違う。どっちにしても起きなかったけど。昨日は平日。なのに何故起こされかけたのか。

 うちのは気分屋だ。因ってその時々で言うことが変わる。4年以上生活を共にしてきて、正確に数えてはいないけれど恐らくほぼ同じ回数の、毎朝メシを出して欲しい・朝食はいらない、を聞いてきた。聞く度に生活サイクルを変えるのは嫌だ、と一昨日の話し合いで伝えた。そして、とにかく簡単でもいいから朝食が食いたい、炊飯器なり冷蔵庫なり冷凍庫なり鍋なりに何かすぐに食べられるものを常備しておいてくれ、と頼まれた。因みに昨今は何故かパンが美味しく感じられなくなったとかで、米類か麺類限定で頼まれた。うちのは、私に規則正しい生活を求めるという建前の下に、俺様の生活リズムに合わせろ的側面がある。私は偏屈且つ理屈屋なので言われることや言われる時間が違う度に従えない。お互いの性分や要求の譲り合いを考えた。そして取り敢えず食べ物が何もない状態は作らないようにするから、メシ、と言って起こすのは控えるべし、で折り合いがついた。筈だった。炊飯器にちゃんとご飯があるんだから勝手に食べて行ってくれ。起こしてくれるな! そして昨夜、再び軽く話し合い。うちのの要求は、せめて土日の朝はメシを出してくれ、にハードルが下がった。そのくらいなら頑張れるか。 いや、頑張ろう。少なくとも今は頑張ろうと思っている。なるべく……。

 PC逝去から復活の間に使えなかった某巨大掲示板専用ブラウザを立ち上げ、復活からついさっき迄かかって溜まっていたレスを読破した。因みに巡回スレは数板に渡り延べ50強。その中にちょっと面白い話があった。日々眠い・寝過ぎると却って疲れる・余裕で12時間、長ければ20時間寝られる、などの話が続いていた中での1レス。そのレスを書いた人は、怒ると眠くなるらしい。一見奇妙な話に思えたが、ちゃんと理由も書かれていた。要約。怒っているときは興奮状態にあり、人間は酷い興奮状態に陥ると失神する。睡魔は失神には至らないだけの状態で、心に平穏を保つ為の防衛本能だとか。要約したつもりがレスそのものよりも長くなったような……気にしない。で、ふと思った。私は目覚まし時計であれ他者であれ、起こされる、ということそのものが非常に嫌いである。起こされると腹が立つ。そして通常は寝付きが悪く、余程の不眠の後でもない限りは眠剤が欠かせないのに、起こされた後ならすぐに眠りにつける。これは起こされた腹立ちからの防衛本能なのか。こじ付けのようだけれど、自己完結的納得ができた。

 もうひとつ仮説。目覚まし時計を止める若しくは起こそうとしていた相手が諦めると、私は勝った気になり安心して眠れる。調べてはいないけれど、満腹時に眠くなるのも飢餓の恐れがない状態からの安心感に基づくのではなかろうか。また怒り過ぎたり悲しかったりして泣いた後で一旦でも解決したように感じられるとスッと眠れる。これもまやかし込みで安心感が得られて眠れるのではないかと推測。書いていて尤もな気がしてきた。私が不眠症になった原因は漠然とした不安感に囚われたからであり、それが未だに拭えないから眠剤を手放せない。私の睡眠の第1条件は、安心感を得ること、なのか。そういえば、うちの雑食動物が布団に入ってきたり私の手の届く場所で寝ているときは、そうでないときに比較して寝付きが良くなる。昔、何かの本で動物の毛に触れているとα波が出て安心できる、と読んだ記憶がある。α波云々については詳しくないが、動物の毛と体温で安心して眠りにつき易いことは日々の生活で実感している。ここ迄考えて思ったこと。私が規則正しい生活を生まれてこの方してこれなかったのは、常に安心感から縁遠い日々を送っていたからではなかろうか。そして規則正しい生活を送るには、毎日決まった時間に安心感が得られればいいのではなかろうか。この考えはかなりいい線をいっている気がしてきた。それでもクリアすべき問題はまだある。まず、どうやって毎日決まった時間に私を睡眠に導くべき安心感を得る方法を確立するか。そして規則正しい生活をする為には起床時間も安定させねばならず、どうすれば睡眠の質を向上させて時間短縮ができるのか。まだまだ課題は多い。それ以前に、何故私は目覚まし時計を止めたり他者に起こすのを諦めさせることで、勝った、などと思ってしまうのだろう。その性分で数え切れない程の損をしてきたというのに、学習能力がないったらありゃしない。
 現在23日深夜。

 やっと「陣痛の最中言ってしまった言葉」を過去ログ・現行スレ共に読了。子供嫌いだし、薬を手放せない状況だし、そもそもまだ入籍もしていないセックスレスだしで出産なんていつのことやら……なのだが、面白半分・尊敬半分で一気読み。どんなにアレであろうが世の母親って凄い。4時間とか6時間で安産だなんて初めて知った。私の母親は2日がかりで結局帝王切開で私を出産。子供の頃や大人になってから銭湯や温泉などで一緒に入浴をするとき、いつも母親の下腹部に大きく濃く残っている切開の痕が気になっていた。私の親は痛みに強い方で、盲腸の手術の際に麻酔が効いていないうちにメスを入れられ、痛いです、と申告して医者に、麻酔をしてるのにそんな筈はないから足首を動かしてみろ、と怒られて麻酔が効いていないことを立証して追加させた逸話を持つ者。私ならきっとメスを入れられた時点で気絶してしまうだろう。その母親が2日間も陣痛やらなにやらに耐え、最後は腹を掻っ捌いて私を産んだ。尊敬。そして感謝。諸々の問題はまだ山積みだけれど、苦しみに耐えて産んでくれた、という事実は尊敬せざるを得ない。思春期・反抗期の子供がよく発する言葉、私は大人になってから言ってしまった言葉。産んでくれなんて私は頼んでない! 深く反省。環境や育て方に問題はあったけれど、当時の親は実父と自分の間の子である私の誕生を望んで産んでくれたのだなあ、というのがスレを読んでの感想。しかも、子供なんか要らない、と大きくなったお腹を実父に蹴られたりしても守ってくれた。或る海外に於いて、誕生日は子供の成長を祝う日と母親の苦労を労う日を兼ねているという。まだ素直に、産んでくれて有難う、とは思えない。けれど、これからは言葉にできるかどうかは別として、誕生日のたびに感謝の気持ちを持ちたく思った。

 昔、ひとり暮らしをしていた頃、同い年の子が経営していた近所の古着屋にしょっちゅう顔を出して、友達兼客になっていた。その店には、オバチャン連中もよく来ていたけれど、私と同世代の子らも多く来ていた。その同世代の中のふたりは既に子供がいた。ひとりは元風俗嬢。旦那はホストで既に離婚し、元風俗嬢は既に親が亡く兄夫婦の家に住んで子供を育てていた。そして所謂堅気の職業とホテトルを辞めたり始めたり。でも子供にはとても愛情を注いでいるように見え、子供嫌いの私でもその子の子供は可愛く思えていた。母親の職業云々にはいろいろな意見もあろうが、親子の絆はしっかりしているようで微笑ましかった。もうひとりは問題のある親と共依存状態にあり鳶職の旦那と離婚。そして実家に住みつつホステス稼業。それはいいとして、子供への接し方が気に入らなかった。子供に暴力を振るったりはしていなかったようだけれど、言葉の暴力というか、表情の暴力というか、そういうものを楽しんでいる母親だった。子供がまだ物心ついていないことをいいことにしょっちゅう、嫌いだよ〜、置いてっちゃうよ〜、バーカなどの言葉を発して子供の表情を見る。物心がついていなくても子供は言葉の雰囲気を感じ、母親の表情を見て悲しそうに不安そうにする。そして周りに、面白いでしょ、と。不憫だった。でも私はその子には何もできず、その母親が来ると店を出るようになった。物心がついていなくても、きっとそれらの言動は子供の意識の底に残るのではないだろうか。彼女は子供が悲しそうに不安そうにすることで、自分の存在を肯定しようとしていたのだろう。けれどそのやり方は間違っているのではないだろうか。自己肯定の為に他者の力が必要なときはある。だからといって、他者の心を傷付けてはならない。経営者は暫くして店を畳み、私は彼女たちとの交流はなくなった。今、どうしているのだろう、と一番気になるのは不安感を煽られていた子供だ。

 昨今、虐待事件が表沙汰になることが増えてきた。きっと虐待が増えたからではなく、それ迄は家庭という闇で見えていなかったものが見えるようになったからだろう。虐待の定義は非常に曖昧で、死に至るようなものは判断に迷うこともないけれど例えば、叩く、という行為は虐待なのか。躾なのか。私は叩かれたり寒空の下でも外に出されたり、罰として正座させられたりしてきた。親は躾の一環だと思っていただろう。そして家庭という狭いコミュニティの中で生きていた頃は、そういうものなのだ、と甘受してきた。私が育った時代は、子供が食事を残してはならず全部食べるべき、というのが主流だった。学校でもそうだった。前に主治医と話していたときに、食事に制限時間を設けられてオーバーした分の時間はキッチンに正座させられていた、と話したところ、それはおかしい、と言われた。時間を守ろうと必死に食べて吐いてしまったとき、食べたくないから吐いたに違いないんだから吐いた物を食べろ、と強要されたのも異常だったらしい。

 子供にゆっくりと懇切丁寧に言い聞かせれば叩いたりなどの肉体的・精神的苦痛を与えずとも躾はできると言う人もいる。ときにはそれらも必要だと言う人もいる。どちらが正論かは判らない。ただ漠然と判るのは、叱るのはいい・怒るのは良くないということだけだ。精神的・肉体的苦痛はその後についてくる物ではないのだろうか。どこかで読んだ話。子供が悪さをして祖父が子供を1時間半程、外に出した。子供は酷い祖父だと思った。祖父はその間、家の窓を開けて窓際で子供が寒い思いをしている1時間半の間、ずっとそこに立っていたらしい。子供にだけつらい思いはさせられない、と。これが美談なのか祖父の自己満足なのか、私には判断がつかない。あなたの為を思って。あなただけにつらい思いをさせたくない。よく聞く言葉。偽善の匂いを感じる。この祖父と孫の話は後者の例。つらい思いをさせて自分もそれと同様の思いをする前に、どんな腕白坊主でも懇々と言い聞かせることはできなかったのだろうか。状況の詳細が判らないから一概には言えないが、すんなりと美談とは受け取れない私はやはり歪んでいるのか。肉体的・精神的苦痛が全て良くないとは思っていないけれど、感情任せや自己満足は宜しくないと思われる。
 現在24日日中。

 うちのは引き際の判らない阿呆な一面を持つ。そして阿呆故の無駄な意地を張る。莫迦である。先日の出来事。うちのはサッカー好きであり、昨今なんちゃらの予選だとかでサッカー番組が多い。そのひとつの予約を頼まれた。明日サッカーあるから予約しといて。ふん。私の普段の返事は、あー、若しくは、ふん、なので、上記ふんに悪意はなく通常の返事である。そして翌日。忘れて寝ていた。録画してあることを楽しみに帰ってきたうちのはがっかりしていた。頼まれたことを忘れたのは私だから勿論謝りはしたけれど、どうにも腑に落ちなかった。私は常用薬の副作用で健忘が多い。副作用抜きにしても忘れっぽい人間である。なので口頭で1度さらっと頼まれたくらいでは忘れてしまう。そもそも頼むなら、何チャンネルで何時から程度のメモ書きを置いておくのが頼む者の礼儀だと思うのだが。そしてさほど手間がかかることでもなし、自分でやればいいのにとも思う。とまあ、その日は軽く怒られちゃんと謝り終了。

 数日後、また録画を頼まれた。その頼み方が気に入らなかった。前回忘れたことをねちねちと女々しく責め、ぐちぐちとくどくどとそれはもう喧嘩売ってんのか!? と思わせる頼み方。最初は、うんうん今度は忘れないようにするよ、と請け負ったものの余りにもくどいので本音が口をついた。そんなに信用できなきゃ自分でやればあ? うちのは烈火の如く怒り出し、互いに無言で夕食摂取。お腹が落ち着き、ちょっとキツかったかな? と思った私はビデオテープを取り出してその晩のうちに録画セットをしようとした。要はこちらが折れたという行動を見せたのだ。うちのは怒ると長いし、私は怒られるのが怖いから。そしてテープをデッキに挿入しようとしたときにうちのが、しなくていい!! と。自分でやるとのこと。でももうこうやってテープも出してセットしようとしているんだから甘えればいいじゃん、今やっとけば明日ちゃんと撮れているでしょ? と子供に言い聞かすように説明するも、しなくていい!! の一点張り。私にしても全面的に自分が悪いと思って折れた訳ではなく家の雰囲気を考えて折れたに過ぎないので、そんじゃ勝手にしろ、と放り投げて先に寝た。

 翌朝起きると、案の定録画セットはされていなかった。阿呆だなあ……とGコードを調べてセットして、セット完了の旨をメールで知らせた。そこでやっと、昨日は悪かった、との返信。4年以上生活を共にしてきて、うちのの習性が解ってきた。怒り出したらこちらが理路整然と説明すればする程に腹を立てて手に負えなくなる。そして一晩経つと冷静さを取り戻して反省するらしい。私がセットをしようとした時点で、有難う、よろしく、などと一言言えれば一晩もお互いに嫌な気分にならずに済むのに。この手の指摘は何度もしてきたけれど、直る気配が殆ど見えない。1度だけ喧嘩になった後でうちのが入浴し、あがってきてすぐに、さっきは言い過ぎてごめん、と謝ってくれ、こちらも、私もくどく言い過ぎてごめんね、と遣り取りできたことがあり、いつもこうだとどんなにいいかと思った。そしてこのときの遣り取りでもう一晩持ち越しはなくなるかと期待したけれど、長年の習性はそう簡単には直らないようである。毎度毎度落ち着いたら、以後気をつける、と言ってはくるのだけれど一旦火が付くと自分から積極的に消す方法が解らないようだ。私は相当のことがないと大声で怒ることはしないし、ムカムカや苛々もそれ程持続しないしこれらの感情を表に出すのが苦手で胸の奥に溜めてしまう性質なので相容れない部分である。

 うちのの怒り方のひとつとして、不機嫌オーラを剥き出しにしつつ無言になる、というのがある。どう接すればいいのか解らない。下手に接触を図ると物に八つ当たりしたりする。こちらも同じように不機嫌オーラ+無言で対抗すると、今度は大声で怒鳴られたりする。これらがまた私の恐怖心を煽る。手をあげられたことはない。けれど大声で責められたり、物に当たる姿を見せられたりすると私は身も心も萎縮してしまう。その大声の中に昔よく親に言われた台詞などが混ざったりしたら困惑して子供返りして泣くしかなくなる。お互いに負の感情の処理が本当にど下手糞なのだ。一旦仲直りできればまた当分は仲良しでいられるのに。いつの間にか、私の中のインナーチャイルドが以前よりも小さくなってきた気がする。最も心を開ける存在であるうちのの顔色を伺う癖が付いてきた自覚がある。4年と少しの経験に基づき、相手の琴線を避けるよう避けるよう無意識に心掛けてしまっていることに最近気が付いた。心の傷を癒す為には、インナーチャイルドと向かい合って対話することが必要だと以前学習した。そして暫くは心掛けていた。今、インナーチャイルドはネグレクトされている。インナーチャイルドと向かい合うことが怖い。インナーチャイルドから出てきてくれるのは、私が恐怖に身を縮ませているときだけで、その恐怖から我が身を守る為に両手で自分の体を包み込む。その行為でのみ自分とインナーチャイルドを守っているだけだ。この恐怖はうちのとの喧嘩の中だけで発生するものではなく、何もせずにぼんやりしているときに親に怒られたことを思い出して泪が止まらなくなったりするときにも感じる。両手で身を包むことだけで心を守りきれなかったとき、大概は発作に発展する。その場の若しくは過去の恐怖心が私の予期不安に繋がってしまうようである。最近は予期不安の幅が広がってきた。先日出かけたとき、うちのに行き先を告げられずに手を引いて、こっちこっち、とされたことがある。結局連れて行かれたのは中古ゲーム屋であり何も怖いところではなかったのだけれど、着く迄の間、とても怖かった。うちのが私を怖いところに連れて行くことはないと頭で解ってはいる。うちののことを信用してはいる。でも怖くて怖くて、手を振り解いて逃げたくなるのを必死で堪えた。私の病状は悪化しているのだろうか。パキシル・ソラナックス共にここ数ヶ月、以前より量を増やしてもらっている……。

BGM/アルバム「頽廃芸術展」
 現在24日日中。

 その昔、男女の付き合いや友人知人との付き合いに於いて、努力しなければ継続できない付き合いならそれ迄のこと! と思っていた。莫迦だった。努力と譲り合いをごっちゃにしていたのだ。相性というものは確かに存在している。けれど相性抜群=全ての趣味や思想が同じ、なんてことはありえない話なのだ。友人知人との付き合いでは無意識のうちに、努力≠譲り合い、と考えられていて、例えば私は洋食が食べたくても相手が和食が食べたいと言えば、じゃあ和食にしようか、と自然に言えていた。毎度片方だけが譲ることが続くようでは相手の我侭に振り回されているに他ならないので付き合いが遠のくけれど、私も相手もその都度臨機応変に相手の主張を聞き入れていればいいのだ。けれど、何故か男女の付き合いに於いて私は、努力=譲り合い、と考えており、こちらが譲らなければならない場合は、なんで私の言うことを優先してくれないの! 私のことが好きなら優先してくれるでしょ! というこの上ない自分勝手な考えを当然だと思い込んでいた。何故だろう、と考えた。過去に付き合っていた相手は全て年上の相手であり、精神的にもオトナな相手が多かった。故に私の我侭を子供をあやすように聞き入れてくれる相手が多かったのだ。このような関係の中で私は増長していったのだろう。

 うちのも年上であり、精神的にも基本的にはオトナな部分が多い。因って我侭の多くを聞き入れてくれていると思われる。それでも全ての我侭や主張をハイハイと聞いてくれはしない。仕方あるまい。生活を共にしているのだから、全て私の我侭や主張で成り立たせると生活そのものも破綻するであろうし、うちのは自我を全て押さえ込まねばならなくなる。生活=共存。違う環境で育った者同士が共存するには譲り合いが必要であり、この譲り合いこそが努力と呼べるものだと最近になってやっと気がついた。遅過ぎ。でも気付かせてくれたことには感謝。時々会ってデートして、の関係だけではきっと私は気付けなかっただろう。気付く迄にかなりの年月を要し、その間うちのはいろいろと我慢をしてきた筈だ。だからといって、これ迄に私に譲ってくれた部分を丸々譲って恩返しなどとは微塵も思わない。今後、譲り合いを念頭に共存していければと思う。まだ我侭だろうか。でも自我を殺して9割譲るなんてことは私にはできない。不可能。

 諸事情を持つ私が男女の付き合いに於いて、努力=譲り合い、と気付けたことだけでも大進歩だと自画自賛。譲り合いができないのが諸事情の特徴のひとつなのだ。私のことが好きならこれくらいできるでしょ、とレベル1の要求をする。叶えられてもまだ愛情を信用できない。今度はレベル2の要求をする。叶えられてもまだ(以下略。そしてこれは際限なく続けられ、レベルは100にも1000にも達する場合もあるし、達する迄に相手が根を上げて去っていく場合もある。前者なら今度は10000にも1000000にもレベルは上がり、後者ならやはり私のことを本当に愛してくれる人はいないんだ、と鬱々となり時には自傷などをして他者の気を惹く。こういう人に嫌われたり人間関係をぶち壊しにする要素満載の人格障害故に、私は自分のそれを、諸事情、と書く。これは自己愛が形成されていないことに起因する。自分の価値を自分で見出せないから、他者がどれだけ自分に尽くしてくれるかで自分の価値を計るのだ。所謂普通の人は実に莫迦げた行為だと思うだろう。けれど諸事情を持つ者は、他に自己肯定をする術を知らなかったり、知っていても信用できなかったりするのである。

 私は、努力=譲り合い、と知った時点で1歩進めたと思う。自分の意のままに動いてくれる他者など存在する筈がない。これ迄も頭では解っていた。けれど心が伴わず、どこかでそんな相手を探していた。うちのと付き合うとき、この人は私のことを全肯定してくれ、私のことを私が納得できるくらいの無償の愛情をくれる人だと思っていた。大間違い。全肯定なんかしてくれない。逆に全否定されることもある。無償の愛なんかくれない。見返りを求められることも少なくない。変だ。この人は私のことを好きじゃないんじゃないだろうか。何度もそう疑った。でも。年月を鑑みる。4年以上の月日。その間、ずっと生活を共にしてきてくれた。今も情緒不安定で我侭、昔は今以上に情緒不安定であり我侭だっただろう。喧嘩も多かったしトラブルも多かったし、別れ話迄進んだことも何度かある。それでも離れずに一緒にいてくれた。この年月は私に少し自信を与えてくれたし、その中で自分を見直すきっかけも多かった。うちのの精神年齢がもっとオトナだったらこうはいかなかったかもしれない。むしろ私の増長に拍車をかけた可能性が高い。うちのが過度……いや、適度にコドモだったからこそ見直せた部分が大きいだろう。

 他の、私と同じ諸事情を持った人が全てうちののような相手と巡り合うことで諸事情が改善されるとは思わない。人によっては慈愛の人・自己犠牲を善しとする人と巡り合うことで救われる人も多いと思う。私もうちのとの喧嘩の中で諸事情が悪化することもしょっちゅうで、診察中に主治医も頭を悩ませることがある。主治医が頭を悩ませるのは、うちのの心の中にも闇があると気付いていること・私の情緒が人間関係により針の振れ幅が余りにも広いからだ。努力=譲り合い、と私が気付いたとき。偉人を例に出すのも恐縮だけれど、ヘレン・ケラーが物に名前があると気付いたときの驚きに近かったのではないかと勝手に思っている。私の持つ概念からは何万光年も離れていただろう単語・行動がイコールだったのだから。次に私が気付くのが何なのか、そしてそれはいつなのか、全く解らない。今はただただ気付いたことを大切にし、実践していくことが大切だと考えている。そして気付く迄、私に付き合ってくれ更に今後も付き合ってくれるであろう、うちのに感謝している。この気付きを時間はかかるだろうし、目にはなかなか見えなかろうけれど徐々に実践していきたい所存。

BGM/アルバム「頽廃芸術展」
 うちのが、会社を辞めて転職する迄の有給消化期間にインドかオランダに2週間程旅行に行きたい、と先日から言い出した。目的、解り易過ぎ。ガンジャですか……、コーヒーショップですか……。自分の今置かれている立場、本当に解っているんだろうか? 勘弁してくれ。不安の種を増やしてくれるな。しかもひとりで行きたいなどとほざいていやがる。私は留守番か。そんなことは考えていないと解りつつ、それは新婚旅行ではないのか? 新婚旅行なら国内で十分だ、と言ってみたところ、じゃあ新婚旅行は熱海で3泊4日、その後俺ひとりでインドかオランダに……ふざけんなよ。海外に行くならイギリスとかフランスとかドバイがいいと希望を述べたら、俺は競馬には興味がないと一蹴。私だってガンジャにゃ興味ないんじゃ! 持って帰ってきたりしないから大丈夫と言われても……あんたは自分が今置かれている立場が解ってんのかと小一時間(以下略。本当に勘弁して欲しい。何処迄人を不安にさせたら気が済むんだ。自由を束縛する気はないけれど、うちののこの願望をうちのの親や姉らが知ったらさぞかし不安になることだろう。もしこの先旅行が具体化するようなら苦言を呈してもらわねばならない。ああ、面倒臭い。いちいち私がインドやオランダがどんな国かを説明せねばならないのか。万が一、旅先で何かあったら裁判やら何やら滅茶苦茶ややこしくなるということを解っているのかいないのか。どうにかして諦めさせねば。頭が痛い。

 昨日の夕食は鍋の予定だった。帰宅は恐らく終電だから22時に買い物に行って戻って仕込みをして丁度だな、と思っていたら21時半に帰宅コール。慌てて買い物に行き、スーパー内をうろうろして鍋の材料を籠にいれ、ふと目に入った半額シールの貼られた弁当。半額シールの威力、恐るべし。そこで精魂尽き果てた。鍋の材料と共に弁当をふたつ購入。それをキッチンに置き、うちのの帰宅を布団の上で待つ。まだ過眠期を脱せていないのだ。昨日は午前中から昼過ぎ迄布団を干して掃除機をかけて、そこで真っ白な灰となり布団を取り込むや否やすぐさま寝てしまった。起きたら21時前。起きて1時間程でうちのから帰るコールが入った訳だ。ぼーっとしていたのも無理はない。私は起きてすぐにいろいろ行動できる性質ではないのだ。帰るコールから約1時間後に帰宅したうちのがキッチンを見たときの落胆ぶりったらもう申し訳なかったことこの上ない。そして言われたこと。もう夕飯作んなくていいから。はあ……。今、生活費に幾ら取ってるの? 〜万。じゃあそっから5万減らして。夕飯が作れるようになったらまた増やすから。そんで俺の小遣いも2万減らすから合わせて貯金に回して。はあ……。ぼーっとした頭で受け答えをして、朝になって気が付いた。もしやこれは先日からうちのが言っている旅行の資金になるのか? それは勘弁願いたい。阻止するには何が何でも夕食を作らねばならんのか。不眠期に入ればどうにか作れるけれど過眠期はどうしようもないんだよなあ。本当に体が言うことを聞かない。何をするにもだるさが勝って動けない。その体に鞭を打てと。次回給料日迄に過眠期を脱することができるだろうか? いや、脱しなければガンジャの国へと行かれてしまうのだろう。困ったものである。親の心子知らず……違うか。

 そもそもふたりの人間が一緒に住んでいて、出張や単身赴任などならともかく、片方だけが旅行に行くという発想からしてよく解らん。確かに私は出不精だけれど、インドだろうとオランダだろうと、行くなら行くで本当に同行するかどうかは別として誘ってくれてもいいのではなかろうか。うちは基本的にふたりとも個人主義である。ふたりが行動を共にするのは月に精々2〜3度くらいで、後は別行動。うちのがテレビを見ていたら私は寝ている。うちのがゲームをしていたら私はPCに向かっている。うちのが出かけるときは私は2回に1度付き合い、もう1回は家で寝ている。内向的と言うか引き篭もりと言うか……そもそも外に出るのが昔から嫌い。またPDになってからは広場発作はないけれど、何の前触れもなく発作が起きる可能性があるので余程出かけたい欲求が起きない限りは、遠出はしない。遠出=電車使用。因みに日曜にあった愛しの君の別バンドのライヴも行かなかった。過眠期で体調が悪く且つ開始時間ギリギリ迄寝ていたので、行こうにも間に合う時間ではなかったから。どうも余り会いたくない人が行っていたようなので行かなくて正解だったか。

 ガンジャの国に行きたがっているうちのが、最近私に酷いことを言う。眠剤遊びなんか覚えてからに。断じて遊び目的で眠剤を使ったりなどしていない。アモバンとサイレースを入れてそのまま布団に入って頭を使わない本をパラパラと捲って眠気がくるのを待ち、そのまま寝ている。ただアモバンに戻す前、マイスリーを使っていた頃は導眠剤の役割を果たしてくれず、なかなか眠りにつけなかった。投入後1時間前後でやっと眠気がくる。これだけの時間を要しているとマイスリーが効いているのかサイレースが先に効いてきているのか判断できない。眠気がくる迄ぼんやりとネットしたり本を読んだり。本を読んでいる分には起きたときに内容を覚えていないだけで大した害はなかったけれど、PCに向かっているときはやや害があった。無意識のうちに小人さんが他者にメールを出していたことが数度。なんじゃこりゃ? な内容ではなく只の近況報告だったりするのだけれど、翌日返信がきたりして、はあ? となり送信箱を見てやっと事の次第が判明。マイスリーは後4錠程残っているけれど、もうアモバンに切り替えた。でもまた暫くしたらアモバンも効きが遅くなるのだろう。そうしたらまたマイスリーか。ハルを出してくれればなあ……と思ったり思わなかったり。また以前は覚醒作用を及ぼしていたパキシルが、最近は睡魔を伴うようになってきてしまった。パキシルの量が10mg/1dayから20mg/1dayに増えたのだ。量によってこうも副作用が変わるのか。面白い薬。そして量が増えて、飲むロボトミーの意味が少し解ったり。

 余談。アクセス元表示がされるようになった。恋コスメを検索して飛んできている人がいるのが笑えた。恋コスメ全否定派の日記なのに。

BGM/アルバム「黄金の夜明け」
 現在12日。

 ずーっと寝ていた。ご飯のとき以外はずーっと寝ていた。過眠期とはそういうものなのだ。
 現在12日。

 久々の通院。診察室に入るなり、どうしたんですか? と訊かれる。どうも、きょとん、としていたらしい。特に意味はなかったのだが、それ故にもしかしてここんとこ私はずっときょとんとしていたのか? と不安が過ぎる。診察室で話したこと。誕生日に親に会ったこと、うちのの荒っぽい言動をきっかけに幼少期に見た父親が母親を殴っている場面がフラッシュバックするようになったことなどを伝える。私が見た父親が母親に手をあげている場面はただ一度。一軒家に住んでいたとき、私の部屋は2階にあった。夜中、お茶か水を飲もうと1階に下りていったとき、父親と母親の口論が聞こえた。そして父親が母親をバシンッと……。突発的暴力だったのか、それとも私が気づかなかっただけで恒常的に行われていたDVかは不明。けれど強烈に脳裏に焼きついた。普段、そのことを思い出すことはない。けれどちょっとしたきっかけで思い出す。先日のちょっとしたきっかけ。うちのがテーブルの上を片付けろと言ってきた。ので片付けた。私にとっては片付けたつもりだったのだが、うちのの目にはちっとも片付いたようには見えなかったらしい。声を荒げて怒られた。とどめはテーブルの端においてあった冊子を投げられたこと。私に向かって投げつけていた訳ではなく後ろ方向に投げたのだけれど、それでも私の恐怖心を刺激するには十分過ぎた。うちのは私に手をあげることはない。けれど物に当たる。物に当たっているところを見てしまうと、次は私の身に降りかかるのではないかという怖さが芽生える。

 上記のような出来事はこれ迄にも何度もあった。そしてその都度、私の中に恐怖心が芽生え、増大していた。常日頃からこのようなことが行われている訳ではなく、頻度からすれば突発的なもののようにも思える。でも怖い。先日の出来事以来、両親の暴力がフラッシュバックするようになってしまった、それに以来抑うつ状態が多くなり、何かにつけて希死念慮ではないけれど死に纏わることを連想してしまい怖い、と主治医に伝えた。両親の場面を見たのは1度だけ、と付け加えたところ、主治医が不安感を増させるようなことを言い出した。本当に1度だけ? 人間の記憶は見たものだけとは限らないよ。言わんとしているところは、私が見たと記憶しているのはその1度だけかもしれないけれど、何度か見たその他の似た場面は記憶の奥底に封印されているのではないか、と。そうなのだろうか。解らない。思い出そう……として踏みとどまった。思い出そうという行為には危険が伴う。まず仮に他の場面が思い出せたとして私の前の前で繰り広げられる乱雑なうちのの言動への恐怖心が失せるかどうか。また思い出せたとして、その思い出したと思える記憶が本当にあった出来事なのかどうか。要は思い出そうとすることにより、記憶の改竄が行われるのではないか、ということだ。なかったことをあったかのように改竄するのは、私の心身にも悪影響だし、両親への侮辱にも思える。うちのにこの話をすると、無理に思い出そうとする必要はない、と言われた。主治医にも思い出せと言われた訳ではない。因ってなるべく考えないようにしようと思う。

 記憶にとって、一番大切なのは何だろう? 事実を思い出すことだけなのだろうか? それとも思い出したくない部分は封印したままでいいのだろうか? 私には判断がつかない。神話だか寓話だかの中に、物覚えの蛇と物忘れの蛇の話がある。それぞれの蛇は、預かっている水の中に毎日鱗を1枚落とす。物覚えの蛇の鱗が落とされた水を一口飲むと、人は思い出したかった記憶を思い出せるという。物忘れの蛇の鱗が落とされた水を飲むと、人は忘れたい記憶を忘れられるという。今の私に必要なのはどちらの水なのだろう。思い出したいことも沢山あるし、忘れたいことも沢山ある。両方の水を飲んだとして、忘れたままでいたかったことを思い出し、覚えていたかったことを忘れてしまったら最悪の精神状態に陥ることは目に見えている。きっとこれは私だけでなく、皆そうではないだろうか。いい記憶だけを持った人間も悪い記憶だけを持った人間もいないと思う。大切なのはバランスか。いい記憶7:悪い記憶3くらいを持っているのが、その先の人生に於いて理想的な気がする。私の場合は、いい記憶3:悪い記憶7くらいか。一生の中でいいことと悪いことは半々だと言われる。本当か嘘かは解らない。またそのいいことと悪いことの基準も、現実に起きたこと全てひっくるめての話なのか、それとも記憶の中の話なのかも解らない。

 私のこれ迄の人生の中で現実に起きた出来事のいいこと・悪いことは、もしかしたら半々なのかもしれない。でも記憶の中では3:7。今後、いいこと・悪いことが半々に起きると仮定して、それでも私の記憶の中の比率が3:7のままなら、私の人生は幸せだといえるのだろうか。それとも今後いいこと・悪いことの起きる割合が1:9として、私の中では3:7が保たれるのだろうか、それとも2:8や1:9になっていくのだろうか。はたまたそれでも5:5や7:3に変化していくのだろうか。人間、死ぬときは過去の出来事が走馬灯のように脳裏に走ると言われている。その走馬灯の中身がいいことばかりなら、きっとどんな死に方でも気分良く死んでいけるだろう。それが逆なら……考えるだに恐ろしい死に際になりそうだ。悔いを残さずして死ぬには、いい記憶の蓄積が大切なように思えてきた。しかしそのいい記憶が改竄された記憶でもいいのだろうか。そもそも記憶の改竄において、いい記憶の改竄は可能なのだろうか。また、いい記憶とはどんなものなのだろう。何かを思い出そうとすると悪い記憶ばかりが思い出される私にとって、いい記憶というものの存在自体を怪しまずにいられない。悪い記憶は事実として受け止められるけれど、いい記憶は本当にそんなことがあったのか? と疑ってかかってしまう。暗中模索。少なくとも、過去は悪い記憶まみれでも今は、今後はいい記憶として残ることを沢山経験し、そのままいい記憶として蓄積できるようになりたい。気の持ちようという部分が多々ある。ネガティヴ思考をどうにかするところから始めなければならないのだが、そうそう思考方法を変えられるものなのだろうか。
 日記をつけ始めて一週間もあいたのは初めてか。で、その間何をしていたかと言うと、某巨大掲示板にて普段行きつけない板に出向きひたすらROMしたり、寝たり、ROMしたり、食べたり、ROMしたり……。何やってんだ、他にやることあるだろう! と自分の重い腰を無理矢理引っ立てては本屋に行って立ち読みしたり漫画を買ってきたりととにかく自堕落でした。反省。風邪ひいたり生理痛だったりってのを差し引いてもちょっとアレな一週間でした。因ってコレといったこともなかったので、この一週間分は思いつく侭にだらだらと。この一週間のリアルでの出来事で特筆すべきこと……。うちのと喧嘩したことくらいか。私はひとり暮らし時代に小動物らを飼い始め、ことある毎に周囲の友人知人に、私よりも小動物らを可愛がってくれる彼氏・旦那でなきゃ困るし嫌だ、と言ってきていた。うちのは小動物らをとても可愛がってくれている。小動物らはいわば私の連れ子のようなものであり、可愛がってくれていること自体にはとても感謝している。が、差をつけ過ぎで腹が立つことが少なからずある。むしろ日々腹が立っている。記号で表すならば、小動物2>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>小動物1≧私、くらい。確かに、今でも、私よりも可愛がって欲しいとは思っている。けれどここ迄差をつけてくれなくて結構。希望としては、小動物1・2≧私。

 うちのはDVの気があり、手をあげはしないけれど精神的に私を追い詰めるのが得意。うちでよくある出来事として、うちのが私にする、追い詰める為だけの質問、というのがある。例えば、今日は小動物2と遊んだか? という質問。どう答えてもお気に召さないらしい。遊んだ、と答えると本当に遊んでいても、嘘つくな。遊んでいない、と答えると、遊んでやれ。どう答えても怒られるので先日は答えないでいた。すると声を荒げて、返事しろ! 私は大声が苦手だ。特に自分に向けられる大声はどんな内容であれ威嚇されているように思えて萎縮してしまう。単純に大声は怖い。類似質問に、昼寝した? というのもある。した、と答えると、お前はぐうたらできていいよな。していない、と答えると、嘘つくな。答えないと(以下略。睡眠障害があるのも、不眠期と過眠期を繰り返しているのも知っているのに……。この手の質問をされると、親を思い出す。うちのの嫌な部分と親の嫌な部分は似ていて私はもしかして無意識のうちに自ら、負の連鎖、を求めてしまっているのかと悩んだ。ので、うちのと話をした。

 夏頃に籍を入れる予定である。両家の親や小姑のことはさて置くも、ふたりの間で解決しておかなければならない問題がひとつある。所謂、家族計画。私は自分の抱えている病気と環境のことを考えて子供は欲しくないと思っている。負の連鎖の恐怖。反して、うちのは将来的には子供を欲しいと思っている。いらねっての。結婚後に子供の有無について問題が表出する夫婦の話もよく見かけるので、数日前に真面目に話し合ってみた。私の主張。
・処方薬の都合により近年の妊娠は無理
・子育てに際してお互いの母親が取った行動は真逆であるものの根源は似ており負の連鎖が怖い
うちのからの質問。
・いつ断薬できるの?
・断薬しなくても某芸能人のとこは子供ができたぞ?
・負の連鎖に関してはふたりで協力すればどうとでもなるでしょ?
うちのは楽観的過ぎる……。断薬がいつになるかなんて私が知りたい。主治医に訊いてくれ。某芸能人の処方薬迄私は知らん。例え同じ薬だったとしても、私の処方薬は妊娠に関して精子には影響は見られずとも母体には多大な影響があるのだ。そして負の連鎖。私の持つ恐怖心をまずはおまいが取り去る努力をしてくれよ、と。例えば大声。確かに私は大声に対して過敏かもしれない。けれどこの過敏さがなくならなければ子供も大声に対して萎縮するように育ってしまうだろう。それから稼いでいる者=偉い、の発想。私はこの考え方が大嫌い。これは悪さをしている子供の親が、子供のすることだから、と言うのに通ずると思っている。子供のすることだから、と大目に見るのは他者であり、少なくとも自分の子供の悪さに対しての言い訳に使う言葉ではない。稼いできてくれている人=うちのに感謝するのは私。自分で言ってしまっていることに違和感を感じていないのは危ない。また片付け物。うちのはその辺に靴下を脱いでほっぽらかしにする。子供に示しがつかん。

 うちのの意見。薬に関してはまあ了解。大声はなるべく出さないようにする。稼いでいる者=偉い、の発想に対しては、事実じゃん。片付け物に関しては、お父さんは働いているんだからいいの、でいいじゃん。……話にならん。物事への発想の諸々が食い違っているのが、この話し合いでよく解った。いや、前々から思っていたことが決定付けられた、といった感じか。取り敢えず、私が断薬できて負の連鎖を断ち切る勇気が出た後でじゃないと子作りはできないし、そのことでうちのの実家の防波堤になってくれないと困る、と主張してみた。渋々了解はしてくれたけれど果たしてどうなることなら。今のところうちはセックスレスだし、私の断薬もいつになることやらだし、うちのは昨日辞職表明をしたようだしで、現実問題として子供云々は何年も後の話である。ただそれ迄にうちのの躾け直しと、うちのの実家が絡んだ話になったときの防波堤となってもらえるかどうかがこの話の根本だったのだ。防波堤はどうにかなりそうな気はするけれど、躾け直しに関しては気が遠くなる。私も躾け直してもらわなければならない部分が多々あり、お互いに直すべきところを直せていければベストだけれど問屋がそのように卸してくれるか。私は時間はかかるかもしれないけれど、心身の調子が良ければどうにかできる自信がある。理に適っていることならば納得して行動できるから。またこの、理、がネック。うちのにも私にも、社会通念としての、理、が大きく欠けている。欠けているところをフォローしあえるか。私は欠けている自覚があるので、常識や普通を教えてもらった上で理に適っていると思えば順ずるし、これ迄もそしてきたつもり。うちのは……理と気付かぬ環境遺伝の間で彷徨っているように見える。私から見て負の環境遺伝と思える部分を指摘しても、なかなかそれを認められないようだ。負の環境遺伝と見て育った常識の区別がなかなかつかないらしい。解る。私もそうだ。今でもその狭間で混乱を生じることがある。それでも私は昔よりは少しだけ客観性を身につけた。うちのにも身につけて欲しい。ふたりとも似た複雑さで、そして親が真逆の解決策を取って育てられた。この溝は深い。一緒に埋めていければいいのだけれど。

BGM/アルバム「怪人二十面相」
 現在4月4日。

 昨日は久々に、出て行く! と大声を出した。ことの発端は仕事の付き合いで呑みに出掛けたうちのからの帰るコール。電話を受けた私はそのとき夕飯は済ませていたものの小腹が空いており、モスチーズバーガー買ってきて、と頼んだ。うちのは、やだ、と答えて電話を切った。40分程経った頃、うちのがコンビニ弁当を手に帰宅した。余り楽しい呑みではなかったらしく絡まれた。うちのは絡み酒なのだ。ちょうど草食動物の小屋掃除をしていた私にうちのは、買ってきてやったから食え、とのたまった。それはそれは偉そうに。恩着せがましく。往々にしてうちのは怒りっぽく、恩着せがましい。金にも煩い。なので普段は聞き流してハイハイと返事をしている。ところが私も昨日はカチンときてしまった。私は空腹だった訳ではなく、小腹が空いていただけだったのだ。そこにボリューム満点のお弁当。しかもおかずに私の苦手なマスタードがかかっていやがる。4年半も生活を共にしていて私がマスタードを食べられないことくらい知っているだろうが! うちのの絡み口調に適当に返事をしていると、どうも何かが癇に障ったらしく絡むに留まらずに怒り始めた。その内容がまた酷い。弁当代を出せと言うだけでなく、一昨日の話の蒸し返しだったのだ。

 一昨日、私の不入浴に伴う他者への迷惑についてうちのが文句を言ってきた。文句とは違うか。フツーの苦言、なのだろう。フツーの人には。けれども私にとって入浴は大変につらいことである。気力体力が余程充実しているときでないと実現不可能な、そして準備にも時間がかかる、例えるならばマラソンと迄は言わないものの400m中距離走の大会に参加するかの如く、過酷なことである。入浴は日常のことではなくイベント。日常のことでなくなっているのは、誰よりも私がつらい。入浴していないことで行動範囲も狭まり、何処かに出掛けるにも何となく肩身の狭い思いをしている。抑うつで入浴ができなくなり、入浴ができないことで抑うつ感が強まる悪循環。うちのもそれは理解してくれている。しかしここ数日はかなり責められていた。迷惑だ、公害だ、と。尤もである。悪いのは入浴していない私だ。申し訳なく思う。それでも。そこ迄言わなくても……と言いたくなる程に酷い言葉を浴びせかけられた。他者からすれば、大した言葉ではないかもしれない。それでも私の心にはキツかった。そこに絡み酒が入った日にはもう。泣いた。そして、出て行く! と言って煙草と本を持った。そんなに私のことが迷惑なら出て行く! 結局なんだかんだ言ってあんたは私を思い通りに動かしたいだけだ! うちのが止めて、事なきを得たけれど。

 何がキツかったか。具体的にどういう流れでそこに至ったかは興奮状態だったこともあり記憶にない。しかし言葉そのものは覚えている。お前はそうやってわざと俺と親を重ねてみている。何の為にここにいるんだ。うちのは意図していなかろうが、この質問は私の諸事情の根源に関わるものだ。考えたこともなった。うちのと親に共通点が多くあるとは思っていた。けれど、わざと重ねて見ていたという意識は全くない。うちののことが好きだから、共にする生活が心地良いから私はここで暮らしいてる。それは確かだ。その中で生活を共にしているうちのに親との共通点を見つける度に、負の環境にあった者は無意識に似た負の環境に自らを置く、というありがちなDV被害者のようなパターンに自分が陥っているような気はしていた。この世に全く共通点がない人間はいないと思う。似ていないように見えても何処かしら共通している性質があったりする。それは負には限らない。優しいとか、利口だとか、そういうことで共通している場合もあるだろう。けれどうちのと親は短所ばかり似ている。と思っていた。わざと、という言葉でハッとした。私は無意識のうちにうちのと親の短所を重ねて見ていたのか。もしかしたらうちのの短所の中でも親に似ていない短所は、取るに足らない短所なのかもしれない。親に似ているが故に肥大して見えているだけ、いや、私の脳内で肥大しているだけなのかもしれない。先日、親とお茶を飲んでいてそこに私と同じ癖があることが発覚した。喫茶店でお茶を飲み終えて席を立つほんの少し前に、もう一本だけ、と私は煙草に火を点ける。親も同じことをしていた。長所でも短所でもないただの癖だけれど以前うちのに、いつもお前はもう一本ってのがあるな、と言われたことがあったから共通していることに気付いたのだと思う。指摘があって初めて気付くこと。うちのの短所、特に親と共通していると私が思っている部分に大幅な見直しが必要そうである。特に、自分の思い通りに相手を動かしたがっている、というところ。うちのの短所だと私が思うことで一番引っかかっているのはここだ。親との共通点でもある。その内容が理不尽なのかそうでないのか、杓子定規でない考えを持つ必要があることが解った。

 今日の昼間、うちのと近所の某ファミレスに行った。お互いに違うデザートのセットを注文。飲み物と一緒にナイフやフォークが運ばれてきた。食器の下に敷かれた紙に印刷された文字を読む。内容は、恋愛にも食べ物にも新鮮さが必要、というものだった。うちのと私が付き合い、同棲して4年半。新鮮さはあるだろうか。何処かで読んだ書き込みを話題に出してみた。その書き込みの内容。旦那が自分と結婚した理由は、こんな面白い生き物はそうそう落ちていないので拾った。そうそう落ちていないと思われる人なら、飽きられることは考え難い。うちのはなかなかに面白い人間なので私は飽きていない。たまに呆れることはあるけれど。うちのは私に飽きがきてはいないだろうか。問うたところ、飽きてはいないらしい。安心。けれど匂いには飽きた、と。風呂に入れということか。昨日の今日で解っている。でも外で言わないでくれ。デザートを食し、隣のスーパーで買い物をし、家で一服してからやっと2時間弱の時間をかけて入浴した。匂いか。毎日とっかえひっかえフレグランスを変えればいいのかな。フレグランスを日々つけ変えるということは、毎日の入浴を要する。どう足掻いても、入浴、にことは帰結するらしい。

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