現在5月10日。
うちには現在4つのPCがある。ふたつはもう使っておらず、残りふたつを各自が自分専用に使っている。うちのはノート、私のはデスクトップ。昨夜、何とはなしにうちのがノートPCに向っているときに後ろでごろごろしていた。うちのがPCを開く場所は居間兼寝室だから。ごろごろしつつうちののPCにふと目をやると、かちゅ〜しゃを使用中。かちゅ〜しゃには巡回スレが入っていて、うちのが普段どんなスレを見ているのかが、図らずしも垣間見えてしまった。不倫・浮気板のスレがふたつ……。ゴルァ! と私が言っても無理はなかろう。なんでそんなとこ見てるんじゃ! そういうことをしてるってことかい!? いや、別に病気さえ持ち込まなければしてもいいのだが。セックスレスだし。すると、うちのは逆切れ。覗くなよ! お前が見るなら俺も見る! と私のPCに行き、私はちらっと垣間見ただけでそのときに目に止まった不倫・浮気板について突っ込んだだけなのに、うちのは私のかちゅ〜しゃ巡回スレを全部見やがった。見られて困るスレはないからいいのだが。けれどうちのは、なんじゃこりゃ、と。私が主に常駐しているのは化粧板・鬼女板・家庭板。化粧とダラ奥系しか入っていない鬼女はともかく、家庭板の内容にちょっとカチンときた模様。常から私はうちのに、臨戦態勢ばっちりだね、と苦笑しつつ小莫迦にされている。それは家庭板で対トメ・コトメスレを読んでいるからだ。しかしそのトメコトメ系スレの多さに呆れたらしい。まだ籍も入れてなくて姑も小姑もなかろうに、なんでこんなに読んでるんだよ! 理由など訊くまでもなかろう。今後籍を入れた後の対策及びイメトレの為である。大体うちのと結婚すれば、漏れなくウトメとコトメふたりがついてくる。しかも手強そうなコトメたち。しかもうちのは長男。備えあれば憂いなし。嫁、特に長男嫁には戦う相手が多いのだ。取得スレ一覧に並ぶスレタイの中の、トメ、という単語がうちのには解らなかったらしい。まあ、普通はそうかもしれない。訊いてきたのは、うちのトメ様世界一、を見たときだ。トメって何? 姑のこと。世界一スレを入れてあるのは、仲良くする気もあるのだ、トメ次第だがな、のアピールである。コトメ世界一スレもあれば余計にアピール度が増しただろうが、どうやらそういうスレがないということは、世にはいいコトメが少ないということなのだろう。
ついでにうちのは私のIEお気に入り迄くまなくチェックしていった。私はそこ迄見ていないのに。ちらっとうちののかちゅ〜しゃの中身が見えてしまっただけなのに。止めてもマウスを動かすうちのの手は止まらず、適当な名前で隠してあったお気に入りエロサイトも見られてしまった。うちのは軽く驚いていた。私のお気に入りエロサイトはどれもSM系だから。きっとまだその趣味が残っているのか、と思ったのだろう。性的嗜好は変えられるものではないのだ。別に良いではないか。それを生活に持ち込んでいる訳でなし。それともうちのとしては、それを持ち込んででもセックスレスを解消したいのか。無理だ。付き合い始めた頃、私の性的嗜好にうちのが合わせてくれていたこともある。けれど無理を感じた。うちのはとことんノーマルであり、上手くリードはしてくれない。こちらがリードしようにもノーマルなうちのは、そんなことしたら痛いのでは? 幾ら相手が望んでいるとはいえ可哀相では? と思うようで流れが止まる。そうなると、ノーマルではダメという訳でもない私が譲ることになる。このすれ違いがレスの原因ではないけれど、レスなのにお気に入りにエロサイトが入っていたことは、やっぱりうちのにはキツかっただろうか。知らん。止めても見たがったのはうちのだ。
ウトメとコトメの話に戻り。うちののコトメは手強そうだ。長く付き合っている彼氏はいるが結婚話が出ていない、双方に結婚願望の薄い友人カップルがおり、その友人にウトメとコトメの話をしたことがある。コトメと私の会話を幾つか披露すると、ひぃ、と言っていた。以前うちのに、うちのの出身地の地域住民性を訊いたことがある。曰く、客にはにこにこと手厚く歓迎するものの客が帰ったら客の品定めをする、とのこと。それは住民性なのか? 単に嫌な奴らなのではないのか? 激しく疑問である。1度、にこにこと手厚く歓迎はされたが、その後の品定めで私はどのような評価を受けたのだろう。そもそも手厚い歓迎の中でも少なからず攻防戦はあったりしたので、かなり気になる。うちののコトメ2から2度、こんな言葉が出てきた。黒猫ちゃんは本当にうちののことが好きなのねえ。好きだ。が、しかし。まるでその言われようだと、私ひとりがうちのの尻を追い掛け回しているようではないか。失礼な。このことをうちのに言うと、姉さんは日頃の俺らの生活を見ていないからだよ、と流された。ヘタレ旦那にならないよう、教育の必要性を感じた。私もうちののことは好きだが、多分うちのの方が私のことを好きなのではないか、と思えることが往々にある。例えば、私が東風荘で遊んでいるときに、一緒にコンビニに行きたいうちのの方が待っていたり、一緒に布団に入ったときにはスキンシップ取りたさにうちのの方が私に抱きついてきたり。
最近ちょっと気がついた。どうも精神的なところで男女性が逆になっている部分があるのではないか。布団の中での抱きつきもそのひとつ。他にはうちのが私の女性雑誌を読んでいるときに私は競艇漫画を読んでいたり、うちのがテレビを見ているときに私が麻雀をしていたり。生活に問題はないけれどときには、これって……、と思わなくもない。男らしさ・女らしさ、という言葉は嫌いだ。微妙にズレが生じているところで、うちでは男らしさや女らしさをお互いに求めずに済んでいるのかもしれないので、これはこれでいいのか。問題は他者である。周囲はうちのに男らしさを求め、私には女らしさを求める。鬱陶しいったらこの上ない。求めてくるのはトメ・コトメ。前にうちのが電話でトメだかコトメだかから、部屋は綺麗にしているの? あんたは綺麗好きだから、みたいなことを言われたらしい。暗に私への嫌味である。トメ・コトメ・コトメ旦那がうちに来たとき、私は精一杯の掃除をしたがそれでもまだ汚いと思われたようで、因って私の掃除は行き届いていない、と考えられている様子。実際に住んでいる私らがいいと思っているのだから余計なお世話だ。臨戦態勢をより固める為、スレ巡回は日課となっている。
うちには現在4つのPCがある。ふたつはもう使っておらず、残りふたつを各自が自分専用に使っている。うちのはノート、私のはデスクトップ。昨夜、何とはなしにうちのがノートPCに向っているときに後ろでごろごろしていた。うちのがPCを開く場所は居間兼寝室だから。ごろごろしつつうちののPCにふと目をやると、かちゅ〜しゃを使用中。かちゅ〜しゃには巡回スレが入っていて、うちのが普段どんなスレを見ているのかが、図らずしも垣間見えてしまった。不倫・浮気板のスレがふたつ……。ゴルァ! と私が言っても無理はなかろう。なんでそんなとこ見てるんじゃ! そういうことをしてるってことかい!? いや、別に病気さえ持ち込まなければしてもいいのだが。セックスレスだし。すると、うちのは逆切れ。覗くなよ! お前が見るなら俺も見る! と私のPCに行き、私はちらっと垣間見ただけでそのときに目に止まった不倫・浮気板について突っ込んだだけなのに、うちのは私のかちゅ〜しゃ巡回スレを全部見やがった。見られて困るスレはないからいいのだが。けれどうちのは、なんじゃこりゃ、と。私が主に常駐しているのは化粧板・鬼女板・家庭板。化粧とダラ奥系しか入っていない鬼女はともかく、家庭板の内容にちょっとカチンときた模様。常から私はうちのに、臨戦態勢ばっちりだね、と苦笑しつつ小莫迦にされている。それは家庭板で対トメ・コトメスレを読んでいるからだ。しかしそのトメコトメ系スレの多さに呆れたらしい。まだ籍も入れてなくて姑も小姑もなかろうに、なんでこんなに読んでるんだよ! 理由など訊くまでもなかろう。今後籍を入れた後の対策及びイメトレの為である。大体うちのと結婚すれば、漏れなくウトメとコトメふたりがついてくる。しかも手強そうなコトメたち。しかもうちのは長男。備えあれば憂いなし。嫁、特に長男嫁には戦う相手が多いのだ。取得スレ一覧に並ぶスレタイの中の、トメ、という単語がうちのには解らなかったらしい。まあ、普通はそうかもしれない。訊いてきたのは、うちのトメ様世界一、を見たときだ。トメって何? 姑のこと。世界一スレを入れてあるのは、仲良くする気もあるのだ、トメ次第だがな、のアピールである。コトメ世界一スレもあれば余計にアピール度が増しただろうが、どうやらそういうスレがないということは、世にはいいコトメが少ないということなのだろう。
ついでにうちのは私のIEお気に入り迄くまなくチェックしていった。私はそこ迄見ていないのに。ちらっとうちののかちゅ〜しゃの中身が見えてしまっただけなのに。止めてもマウスを動かすうちのの手は止まらず、適当な名前で隠してあったお気に入りエロサイトも見られてしまった。うちのは軽く驚いていた。私のお気に入りエロサイトはどれもSM系だから。きっとまだその趣味が残っているのか、と思ったのだろう。性的嗜好は変えられるものではないのだ。別に良いではないか。それを生活に持ち込んでいる訳でなし。それともうちのとしては、それを持ち込んででもセックスレスを解消したいのか。無理だ。付き合い始めた頃、私の性的嗜好にうちのが合わせてくれていたこともある。けれど無理を感じた。うちのはとことんノーマルであり、上手くリードはしてくれない。こちらがリードしようにもノーマルなうちのは、そんなことしたら痛いのでは? 幾ら相手が望んでいるとはいえ可哀相では? と思うようで流れが止まる。そうなると、ノーマルではダメという訳でもない私が譲ることになる。このすれ違いがレスの原因ではないけれど、レスなのにお気に入りにエロサイトが入っていたことは、やっぱりうちのにはキツかっただろうか。知らん。止めても見たがったのはうちのだ。
ウトメとコトメの話に戻り。うちののコトメは手強そうだ。長く付き合っている彼氏はいるが結婚話が出ていない、双方に結婚願望の薄い友人カップルがおり、その友人にウトメとコトメの話をしたことがある。コトメと私の会話を幾つか披露すると、ひぃ、と言っていた。以前うちのに、うちのの出身地の地域住民性を訊いたことがある。曰く、客にはにこにこと手厚く歓迎するものの客が帰ったら客の品定めをする、とのこと。それは住民性なのか? 単に嫌な奴らなのではないのか? 激しく疑問である。1度、にこにこと手厚く歓迎はされたが、その後の品定めで私はどのような評価を受けたのだろう。そもそも手厚い歓迎の中でも少なからず攻防戦はあったりしたので、かなり気になる。うちののコトメ2から2度、こんな言葉が出てきた。黒猫ちゃんは本当にうちののことが好きなのねえ。好きだ。が、しかし。まるでその言われようだと、私ひとりがうちのの尻を追い掛け回しているようではないか。失礼な。このことをうちのに言うと、姉さんは日頃の俺らの生活を見ていないからだよ、と流された。ヘタレ旦那にならないよう、教育の必要性を感じた。私もうちののことは好きだが、多分うちのの方が私のことを好きなのではないか、と思えることが往々にある。例えば、私が東風荘で遊んでいるときに、一緒にコンビニに行きたいうちのの方が待っていたり、一緒に布団に入ったときにはスキンシップ取りたさにうちのの方が私に抱きついてきたり。
最近ちょっと気がついた。どうも精神的なところで男女性が逆になっている部分があるのではないか。布団の中での抱きつきもそのひとつ。他にはうちのが私の女性雑誌を読んでいるときに私は競艇漫画を読んでいたり、うちのがテレビを見ているときに私が麻雀をしていたり。生活に問題はないけれどときには、これって……、と思わなくもない。男らしさ・女らしさ、という言葉は嫌いだ。微妙にズレが生じているところで、うちでは男らしさや女らしさをお互いに求めずに済んでいるのかもしれないので、これはこれでいいのか。問題は他者である。周囲はうちのに男らしさを求め、私には女らしさを求める。鬱陶しいったらこの上ない。求めてくるのはトメ・コトメ。前にうちのが電話でトメだかコトメだかから、部屋は綺麗にしているの? あんたは綺麗好きだから、みたいなことを言われたらしい。暗に私への嫌味である。トメ・コトメ・コトメ旦那がうちに来たとき、私は精一杯の掃除をしたがそれでもまだ汚いと思われたようで、因って私の掃除は行き届いていない、と考えられている様子。実際に住んでいる私らがいいと思っているのだから余計なお世話だ。臨戦態勢をより固める為、スレ巡回は日課となっている。
現在、5月8日。
一昨日辺りからうちのがまた、禁煙する、と宣言した。今週末からやめるぞ、と。因みに今うちのは、缶チューハイを飲みつつ煙草を吸いつつPCに向っている。うちのが宣言をしてすぐ、だらだらと薀蓄のような理由のようなとにかく長くなることが明白な話が始まる前に、巻き込むな、と私は言った。禁煙するのはいい。けれど、禁煙する気が全くない私にそれを強いるな、と。うちのはちょくちょく禁煙宣言をする。しかし煙草は決して切らさない。やめる気なんて本当はないんじゃないか、と小一時間(以下略。禁煙宣言のときに必ず出る台詞は、煙草代が勿体無い、である。今回も出た。ふたりでやめれば月に2万は浮く、その分2万高い家賃のところに住めるぞ。やめたいと思っているうちのの煙草代の分だけ高い家賃のところで、私は満足だ。何が悲しくて煙草をやめねばならんのだ。喫煙習慣も薬物中毒の一種だ、とも言う。そんなことは当然知っている。知っていることを言われるだけならまだいいのだけれど、あれこれあったうちのがコレを言うか。おまいにだけは言われたくない。なら煙草という薬物中毒を治してギャンブル中毒が再発したらどうする? と訊くと、今迄の煙草代の範囲内ならいい、と答えられた。うちのは知らないらしい。麻雀やパチや競馬に集中すると、私の喫煙本数は倍増することを。壁や天井が黄ばむのが嫌だ、とも言っていた。これも言われたくない。うちのも私も、かつてトイレに長居する際に喫煙する習慣があった。しかしこれは去年の大掃除以降、私が禁止令を敷いた。ユニットバスの天井を掃除するのは大変だったから。なのに。うちのはたまにこの禁止令を忘れて、トイレで喫煙してしまう。毎度注意するのは私である。
うちのが禁煙するにあたり、協力をしてくれ、と言われた。その内容は、同室では煙草を吸わない・なるべく換気扇の下で・できればベランダで・できれば一切吸わないで。……巻き込むな、と先に念を押したのだが。今度引っ越したらそこでは禁煙、とも言われた。理由は壁などが黄ばむから。そこは無問題である。というのも、引っ越すとしたらそこでは家具などを入れる前に雑食が壁を引っ掻いても傷がつかないように全面に保護シートを貼る予定だから。そう言うと、天井だけ黄ばむではないか、と言われた。ならば天井に、キッチンスペースに油跳ねでの汚れを防ぐようなシートを貼る迄だ。自分たち、そして雑食や草食の健康の為にも禁煙した方がいい、とも言っていた。雑食や草食の近くではなるべく吸わないようにしているし、私自身は禁煙して長生きよりも喫煙して短命の方がいいので余計なお世話だ。うちのが禁煙したら雑食や草食に対してしているように、うちのにも副流煙が行かないようには気をつけるけれど。この辺り迄話したところで、うちのが目新しいことを言い出した。薬物中毒と喫煙に関して。煙草はローな気分をニュートラルに戻すだけであり、ローやニュートラルからアップさせてくれる訳ではない。薬物だというのにハイになれない物に金を使うのは如何なものか。ふむ。確かに一理ありそうな……って、誤魔化されるものか! ローからニュートラルに戻してくれるだけでも私には充分だし、それを言い出すと私が処方されている向精神薬の類はどうなる。処方薬の話をしたら、それは病気への薬だから。解るような、解らんような。まだ口唇期からの脱出や成長を持ち出して話された方が納得できるかもしれない。とはいえ、禁煙に巻き込まれたくないという私の意思は物凄い勢いで固く、禁煙を促されるとその勢いは加速する。
うちのが禁煙云々言い出したのは、先週からのヨガ・水泳による健康志向生活を更に1歩進めたいからだ。どうぞ進めてくれ給え。勝手に。ひとりで。私を巻き込まずに。私が実家を出てひとり暮らしを始めた理由のひとつに、家で喫煙できないから、というのがある。子供の頃から親に、女は子供を産む迄は煙草を吸ってはならない、と洗脳されていたからだ。高校時代に煙草を覚えて20歳を過ぎてからも、洗脳してきた相手の前で煙草を吸う勇気が私にはなかった。なので社会人になってからの日々の帰宅時間は、仕事は夕方で終わっているのに深夜から明け方。文庫本などを持ち込んで近所のファーストフード店の喫煙席で過ごしていた。激しく窮屈な生活。ひとり暮らしを始めてからは部屋にもトイレにも灰皿を常備。それでも実家に帰ったり親にあったりするときは非喫煙者のふりをしていた。ひとりで母方の実家に行くときに新幹線の切符を取ってもらったことがある。禁煙席だ。私はそれを受け取り、早めに駅に行って喫煙席に変えてもらった。またひとり暮らししていた部屋に、親がアポなし訪問してきたことがある。そこで親は非喫煙者の部屋らしからぬ匂いに気がついた。そして出た言葉が、あんたマリファナ吸ってんじゃないでしょうね!? 何故、法的に許可されている煙草をすっ飛ばして違法な草を連想するのか。やっぱり私の親はアレだ。喫煙がバレた時期は覚えていないが、バレても特に怒られたりはしなかった。むしろ、実家に帰ると私の吸っている銘柄の煙草が用意されていたり。アレな親だけれど、煙草についてだけは意見が合う。先日、親と共に祖母の見舞いに向ったときの話。深夜バスの待合ロビーで、私たちは当然喫煙コーナーに行った。喫煙コーナーは禁煙コーナーよりも人が多くて親は、こんなに喫煙者はいるのにねえ、と昨今の喫煙者への社会の冷遇を嘆いた。同意だ。
煙草が違法嗜好品となれば、私も禁煙するだろう。しかし今は法的に許可されているし、値上げで法外な価格にでもならない限りやめる気はない。うちのの禁煙宣言は、喫煙者冷遇の社会の影響もあるだろう。喫茶店に入ると、大抵は喫煙席と禁煙席に分かれている。中には完全禁煙を売りにしている店もある。打ち合わせなどで相手が非喫煙者だったり禁煙成功者だと、うちのも喫煙席には行き難かろう。それは今回の禁煙宣言の中でも出てきた話だ。最近打ち合わせで禁煙に成功している人に何人か会ったんだけどさー、と。うちのとそれらの人の違い。打ち合わせで席に着く際にうちのが喫煙者だと知っている及び知った相手は、じゃあ喫煙席ですね、と禁煙席をうちのに強要したりすることはなかったようだ。他者を巻き込まない、いい禁煙成功者だと思った。世の中でイタイと思う人の類に、禁煙に成功して嫌煙家になってしまった人、というのがいる。嫌煙ということは煙草が意識上にあるということだ。吸わないだけで、禁煙、と言えるのか、私は疑問である。うちのが禁煙に成功したら、外ではともかく私に対しては嫌煙家を気取りそうでイヤだ。うちのもこのままずるずると喫煙者でいてくれることを願う。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
一昨日辺りからうちのがまた、禁煙する、と宣言した。今週末からやめるぞ、と。因みに今うちのは、缶チューハイを飲みつつ煙草を吸いつつPCに向っている。うちのが宣言をしてすぐ、だらだらと薀蓄のような理由のようなとにかく長くなることが明白な話が始まる前に、巻き込むな、と私は言った。禁煙するのはいい。けれど、禁煙する気が全くない私にそれを強いるな、と。うちのはちょくちょく禁煙宣言をする。しかし煙草は決して切らさない。やめる気なんて本当はないんじゃないか、と小一時間(以下略。禁煙宣言のときに必ず出る台詞は、煙草代が勿体無い、である。今回も出た。ふたりでやめれば月に2万は浮く、その分2万高い家賃のところに住めるぞ。やめたいと思っているうちのの煙草代の分だけ高い家賃のところで、私は満足だ。何が悲しくて煙草をやめねばならんのだ。喫煙習慣も薬物中毒の一種だ、とも言う。そんなことは当然知っている。知っていることを言われるだけならまだいいのだけれど、あれこれあったうちのがコレを言うか。おまいにだけは言われたくない。なら煙草という薬物中毒を治してギャンブル中毒が再発したらどうする? と訊くと、今迄の煙草代の範囲内ならいい、と答えられた。うちのは知らないらしい。麻雀やパチや競馬に集中すると、私の喫煙本数は倍増することを。壁や天井が黄ばむのが嫌だ、とも言っていた。これも言われたくない。うちのも私も、かつてトイレに長居する際に喫煙する習慣があった。しかしこれは去年の大掃除以降、私が禁止令を敷いた。ユニットバスの天井を掃除するのは大変だったから。なのに。うちのはたまにこの禁止令を忘れて、トイレで喫煙してしまう。毎度注意するのは私である。
うちのが禁煙するにあたり、協力をしてくれ、と言われた。その内容は、同室では煙草を吸わない・なるべく換気扇の下で・できればベランダで・できれば一切吸わないで。……巻き込むな、と先に念を押したのだが。今度引っ越したらそこでは禁煙、とも言われた。理由は壁などが黄ばむから。そこは無問題である。というのも、引っ越すとしたらそこでは家具などを入れる前に雑食が壁を引っ掻いても傷がつかないように全面に保護シートを貼る予定だから。そう言うと、天井だけ黄ばむではないか、と言われた。ならば天井に、キッチンスペースに油跳ねでの汚れを防ぐようなシートを貼る迄だ。自分たち、そして雑食や草食の健康の為にも禁煙した方がいい、とも言っていた。雑食や草食の近くではなるべく吸わないようにしているし、私自身は禁煙して長生きよりも喫煙して短命の方がいいので余計なお世話だ。うちのが禁煙したら雑食や草食に対してしているように、うちのにも副流煙が行かないようには気をつけるけれど。この辺り迄話したところで、うちのが目新しいことを言い出した。薬物中毒と喫煙に関して。煙草はローな気分をニュートラルに戻すだけであり、ローやニュートラルからアップさせてくれる訳ではない。薬物だというのにハイになれない物に金を使うのは如何なものか。ふむ。確かに一理ありそうな……って、誤魔化されるものか! ローからニュートラルに戻してくれるだけでも私には充分だし、それを言い出すと私が処方されている向精神薬の類はどうなる。処方薬の話をしたら、それは病気への薬だから。解るような、解らんような。まだ口唇期からの脱出や成長を持ち出して話された方が納得できるかもしれない。とはいえ、禁煙に巻き込まれたくないという私の意思は物凄い勢いで固く、禁煙を促されるとその勢いは加速する。
うちのが禁煙云々言い出したのは、先週からのヨガ・水泳による健康志向生活を更に1歩進めたいからだ。どうぞ進めてくれ給え。勝手に。ひとりで。私を巻き込まずに。私が実家を出てひとり暮らしを始めた理由のひとつに、家で喫煙できないから、というのがある。子供の頃から親に、女は子供を産む迄は煙草を吸ってはならない、と洗脳されていたからだ。高校時代に煙草を覚えて20歳を過ぎてからも、洗脳してきた相手の前で煙草を吸う勇気が私にはなかった。なので社会人になってからの日々の帰宅時間は、仕事は夕方で終わっているのに深夜から明け方。文庫本などを持ち込んで近所のファーストフード店の喫煙席で過ごしていた。激しく窮屈な生活。ひとり暮らしを始めてからは部屋にもトイレにも灰皿を常備。それでも実家に帰ったり親にあったりするときは非喫煙者のふりをしていた。ひとりで母方の実家に行くときに新幹線の切符を取ってもらったことがある。禁煙席だ。私はそれを受け取り、早めに駅に行って喫煙席に変えてもらった。またひとり暮らししていた部屋に、親がアポなし訪問してきたことがある。そこで親は非喫煙者の部屋らしからぬ匂いに気がついた。そして出た言葉が、あんたマリファナ吸ってんじゃないでしょうね!? 何故、法的に許可されている煙草をすっ飛ばして違法な草を連想するのか。やっぱり私の親はアレだ。喫煙がバレた時期は覚えていないが、バレても特に怒られたりはしなかった。むしろ、実家に帰ると私の吸っている銘柄の煙草が用意されていたり。アレな親だけれど、煙草についてだけは意見が合う。先日、親と共に祖母の見舞いに向ったときの話。深夜バスの待合ロビーで、私たちは当然喫煙コーナーに行った。喫煙コーナーは禁煙コーナーよりも人が多くて親は、こんなに喫煙者はいるのにねえ、と昨今の喫煙者への社会の冷遇を嘆いた。同意だ。
煙草が違法嗜好品となれば、私も禁煙するだろう。しかし今は法的に許可されているし、値上げで法外な価格にでもならない限りやめる気はない。うちのの禁煙宣言は、喫煙者冷遇の社会の影響もあるだろう。喫茶店に入ると、大抵は喫煙席と禁煙席に分かれている。中には完全禁煙を売りにしている店もある。打ち合わせなどで相手が非喫煙者だったり禁煙成功者だと、うちのも喫煙席には行き難かろう。それは今回の禁煙宣言の中でも出てきた話だ。最近打ち合わせで禁煙に成功している人に何人か会ったんだけどさー、と。うちのとそれらの人の違い。打ち合わせで席に着く際にうちのが喫煙者だと知っている及び知った相手は、じゃあ喫煙席ですね、と禁煙席をうちのに強要したりすることはなかったようだ。他者を巻き込まない、いい禁煙成功者だと思った。世の中でイタイと思う人の類に、禁煙に成功して嫌煙家になってしまった人、というのがいる。嫌煙ということは煙草が意識上にあるということだ。吸わないだけで、禁煙、と言えるのか、私は疑問である。うちのが禁煙に成功したら、外ではともかく私に対しては嫌煙家を気取りそうでイヤだ。うちのもこのままずるずると喫煙者でいてくれることを願う。
BGM/アルバム「怪人二十面相」
現在、5月4日。
他者の気持ちを手に取るように解る人などいる筈がない。そんなことは重々承知している。つもりである、常日頃。それでも長年一緒にいると、全てを語らずとも、大体3か4も語れば相手が10理解してくれるような錯覚に陥ってしまう。錯覚に陥った者、ふたり。喧嘩が起きない訳がない。そこに物忘れ迄加わってしまうともう……。私は薬の副作用とメリハリのない生活の中で、脳に物忘れの蛇が棲み付いてしまったらしい。言った・言わない、聞いた・聞いていない、の水掛け論がうちのとの間でたまに起きる。今回はうちのの転職の話であり私は、絶対にまだ聞いていなかった、と主張した。うちのは、数日前に言った、と頑として言う。日常的にICレコーダやテレコを回しているなんてことはなく、結論など出やしない。よくよく喧嘩腰で話し合ってみると答えが見えてきた。うちのは4を語ったところで私が10理解したものと判断し、言ったと主張していたのだ。私は4しか聞いていなかった故にそれが決定事項なのかどうか解りかねており、聞いていないとなっていた。ここ迄言えば相手は10解ってくれるだろう、などという甘えによる喧嘩。
私は体調が悪いと睡眠障害が悪化する。過眠時は、眠い、と言う。そして、眠い、という言葉だけでうちのが体調不良を察知してくれているものだと思い込んでしまっていた。私の生活リズムが整っていないこともあり、うちのは私の眠気を体調不良とは考えず、日々の生活の乱れによるものだと思っていた。このGW、うちのはほぼカレンダ通りに休みが取れた。滅多にないことである。確か去年は丸々出勤していたような。うちのは休みになると出掛けたがる。私は元来、出不精である。うちのからの出掛けようと言う誘いの言葉が、日々の苛々からとても傲慢な物に感じた。更に体調不良で睡眠障害悪化中。眠い、と言った。それでもどうにか出掛けようかと思ったら、うちのはひとりで出掛けてしまった。数時間後に帰宅したうちの。ご機嫌斜めどころかもう縦なのか横なのかの判断もできない位に悪くなっていた。そして私に余りにも余りな言葉をぶつけてきた。お前と話すのは不毛だ、今後一切何事に於いても期待をしない、衣食住確保の為にここにいるだけなんだろう、月々の生活費は渡すからお互いに今後は不干渉にしよう、などなど。何故これ程の言葉をぶつけられるのか、私には解らなかった。そこから数時間に及ぶ大喧嘩。怒鳴り声と鳴き声と壁を拳で叩く音が響いた数時間。私の心の中には、この喧嘩の前日に小競り合ったときにうちのに言われた、母親みたいに1ヶ月でもずっと黙ってろ、という言葉が、謝られたのにまだざっくりと刺さっていた。それを持ち出すと、うちのは怒った。謝ったのにまだ言うか。私としては、謝りゃ何でもいいのか? という気分だ。ごめんね、と前置きをして、あんたの怒り方はやっぱり母親そっくりだ、という禁句が口から出てしまった。うちのも私も私の母親に重ねて見られると、物凄い拒否反応が起きる。うちのは私の言葉に怒った。けれど前以って、ごめんね、と言っているではないか。謝ればいいんでしょ? と思うことは子供染みては、いる。けれど無理があるだろうか。悪いことを言ったりしたりした方が謝罪の言葉を口にすれば、取り敢えずその場は収まる。だけれども。それで傷がすぐに癒えるかどうかは、また別の話ではなかろうか。掠り傷と、腹を切られて内臓を抉り出されて塩を塗りこまれたような傷が、同じ時間で治癒することはない。お互いに惨い言葉で応酬しあった。傷付けあった。
この喧嘩に於いて、私の甘えが判明した。眠い、という言葉だけで体調不良迄察してくれるだろう、という考えが甘え。気をつけていたつもりだったのに、共に過ごす時間の経過の中で気をつけ具合が緩んでしまっていたのだ。そして察知するに及ばなかったうちのは、自分の存在を私に軽んじられているように思い込んでしまっていた。うちのも私も淋しがりである。相手に自分を見ていて欲しい、理解して欲しい、と思う。きっと他所のカップルや夫婦以上にお互いにその気持ちが強い。淋しがりと同時に、甘えたがりでもある。目に見える甘えならともかくこの手の、言わなくても解ってくれるだろう、的甘えは誤解を招く元だ。釦の掛け違いや歯車の狂い、というのはこういうことなのだろうか。ほんの少しのズレで、お互いが深く傷つき、その後相手を傷付けあう。仕事の忙しさや体調不良は、心からゆとりを削ぎ取る。ゆとりがなければどんな言葉も上滑りして、自虐的性格のふたりは傷ついた気になってしまう。傷ついたらそのままではいられない好戦的性格も似ているのかもしれない。傷ついたことをギリギリのところに達する迄はストレートに伝えられず、相手を傷付けることで自分の傷の痛みを理解させようとしてしまう。間違いだらけだ。
10語っても1しか理解してくれない可能性は、どんな相手にもあるし、自分自身でも他者の言葉を受けてそうかもしれない。なのに身近な相手だと、どうしてこうも甘えが出てしまうのか。言わなければ解らないことを言わなかった為に、言わなくてもいいことを言ってしまう。本末転倒。うちで起きる喧嘩は、突き詰めていくとどちらも悪くないことが多々ある。原点でちょっとだけ行動や言葉の選び方が違っていれば回避できた諍いが9割以上と言ってもいい。同時にその行動や言葉を受け取る側にゆとりがないことも原因のひとつ。当然その、ちょっとだけ違う、ができない発する側にもゆとりはない。ゆとりがあっても、ちょっとの匙加減次第でゆとりが一気に磨耗されることもある。簡単なことなのに。くだらないことなのに。言葉足らずになる甘えは厳禁。今回の喧嘩でそんな約束をした。ここに、思ったことは直球の言葉で伝える、が加われば殆どの喧嘩がなくなるのではなかろうか。私が体調不良をストレートに伝えていれば、うちのが淋しさをストレートに伝えてくれていれば……などと今更考えても詮無いことだ。同じ喧嘩を繰り返さないようにお互いに気をつけねば。なのに気付くといつも同じパターンの喧嘩。時間の経過と共に反省が薄れていくのがいけないのだろう。反省も、継続は力、らしい。
他者の気持ちを手に取るように解る人などいる筈がない。そんなことは重々承知している。つもりである、常日頃。それでも長年一緒にいると、全てを語らずとも、大体3か4も語れば相手が10理解してくれるような錯覚に陥ってしまう。錯覚に陥った者、ふたり。喧嘩が起きない訳がない。そこに物忘れ迄加わってしまうともう……。私は薬の副作用とメリハリのない生活の中で、脳に物忘れの蛇が棲み付いてしまったらしい。言った・言わない、聞いた・聞いていない、の水掛け論がうちのとの間でたまに起きる。今回はうちのの転職の話であり私は、絶対にまだ聞いていなかった、と主張した。うちのは、数日前に言った、と頑として言う。日常的にICレコーダやテレコを回しているなんてことはなく、結論など出やしない。よくよく喧嘩腰で話し合ってみると答えが見えてきた。うちのは4を語ったところで私が10理解したものと判断し、言ったと主張していたのだ。私は4しか聞いていなかった故にそれが決定事項なのかどうか解りかねており、聞いていないとなっていた。ここ迄言えば相手は10解ってくれるだろう、などという甘えによる喧嘩。
私は体調が悪いと睡眠障害が悪化する。過眠時は、眠い、と言う。そして、眠い、という言葉だけでうちのが体調不良を察知してくれているものだと思い込んでしまっていた。私の生活リズムが整っていないこともあり、うちのは私の眠気を体調不良とは考えず、日々の生活の乱れによるものだと思っていた。このGW、うちのはほぼカレンダ通りに休みが取れた。滅多にないことである。確か去年は丸々出勤していたような。うちのは休みになると出掛けたがる。私は元来、出不精である。うちのからの出掛けようと言う誘いの言葉が、日々の苛々からとても傲慢な物に感じた。更に体調不良で睡眠障害悪化中。眠い、と言った。それでもどうにか出掛けようかと思ったら、うちのはひとりで出掛けてしまった。数時間後に帰宅したうちの。ご機嫌斜めどころかもう縦なのか横なのかの判断もできない位に悪くなっていた。そして私に余りにも余りな言葉をぶつけてきた。お前と話すのは不毛だ、今後一切何事に於いても期待をしない、衣食住確保の為にここにいるだけなんだろう、月々の生活費は渡すからお互いに今後は不干渉にしよう、などなど。何故これ程の言葉をぶつけられるのか、私には解らなかった。そこから数時間に及ぶ大喧嘩。怒鳴り声と鳴き声と壁を拳で叩く音が響いた数時間。私の心の中には、この喧嘩の前日に小競り合ったときにうちのに言われた、母親みたいに1ヶ月でもずっと黙ってろ、という言葉が、謝られたのにまだざっくりと刺さっていた。それを持ち出すと、うちのは怒った。謝ったのにまだ言うか。私としては、謝りゃ何でもいいのか? という気分だ。ごめんね、と前置きをして、あんたの怒り方はやっぱり母親そっくりだ、という禁句が口から出てしまった。うちのも私も私の母親に重ねて見られると、物凄い拒否反応が起きる。うちのは私の言葉に怒った。けれど前以って、ごめんね、と言っているではないか。謝ればいいんでしょ? と思うことは子供染みては、いる。けれど無理があるだろうか。悪いことを言ったりしたりした方が謝罪の言葉を口にすれば、取り敢えずその場は収まる。だけれども。それで傷がすぐに癒えるかどうかは、また別の話ではなかろうか。掠り傷と、腹を切られて内臓を抉り出されて塩を塗りこまれたような傷が、同じ時間で治癒することはない。お互いに惨い言葉で応酬しあった。傷付けあった。
この喧嘩に於いて、私の甘えが判明した。眠い、という言葉だけで体調不良迄察してくれるだろう、という考えが甘え。気をつけていたつもりだったのに、共に過ごす時間の経過の中で気をつけ具合が緩んでしまっていたのだ。そして察知するに及ばなかったうちのは、自分の存在を私に軽んじられているように思い込んでしまっていた。うちのも私も淋しがりである。相手に自分を見ていて欲しい、理解して欲しい、と思う。きっと他所のカップルや夫婦以上にお互いにその気持ちが強い。淋しがりと同時に、甘えたがりでもある。目に見える甘えならともかくこの手の、言わなくても解ってくれるだろう、的甘えは誤解を招く元だ。釦の掛け違いや歯車の狂い、というのはこういうことなのだろうか。ほんの少しのズレで、お互いが深く傷つき、その後相手を傷付けあう。仕事の忙しさや体調不良は、心からゆとりを削ぎ取る。ゆとりがなければどんな言葉も上滑りして、自虐的性格のふたりは傷ついた気になってしまう。傷ついたらそのままではいられない好戦的性格も似ているのかもしれない。傷ついたことをギリギリのところに達する迄はストレートに伝えられず、相手を傷付けることで自分の傷の痛みを理解させようとしてしまう。間違いだらけだ。
10語っても1しか理解してくれない可能性は、どんな相手にもあるし、自分自身でも他者の言葉を受けてそうかもしれない。なのに身近な相手だと、どうしてこうも甘えが出てしまうのか。言わなければ解らないことを言わなかった為に、言わなくてもいいことを言ってしまう。本末転倒。うちで起きる喧嘩は、突き詰めていくとどちらも悪くないことが多々ある。原点でちょっとだけ行動や言葉の選び方が違っていれば回避できた諍いが9割以上と言ってもいい。同時にその行動や言葉を受け取る側にゆとりがないことも原因のひとつ。当然その、ちょっとだけ違う、ができない発する側にもゆとりはない。ゆとりがあっても、ちょっとの匙加減次第でゆとりが一気に磨耗されることもある。簡単なことなのに。くだらないことなのに。言葉足らずになる甘えは厳禁。今回の喧嘩でそんな約束をした。ここに、思ったことは直球の言葉で伝える、が加われば殆どの喧嘩がなくなるのではなかろうか。私が体調不良をストレートに伝えていれば、うちのが淋しさをストレートに伝えてくれていれば……などと今更考えても詮無いことだ。同じ喧嘩を繰り返さないようにお互いに気をつけねば。なのに気付くといつも同じパターンの喧嘩。時間の経過と共に反省が薄れていくのがいけないのだろう。反省も、継続は力、らしい。
現在5月4日。
暫く前から、うちの前の家が建て替えだか何だかで工事をしている。非常にとても大変激しく物凄い勢いで煩い。壁などを経て私のPCデスクの10m先で大工事。なるべく気にしないようにして過ごしていた。気にしたって文句を言ったって工事を止めてはくれまいし。1日、うちのが休みだった。このGWはほぼカレンダ通りに休み。前夜一悶着あって私が起きたのは夕方。うちのが言った。工事、うるせーなあ! うむ。煩い。気にしないように過ごしていたけれど、他者が言葉にすると露骨に感情がささくれ立ってきた。そうなんだよ! 煩いんだよ! 毎日毎日の日中、この騒音に耐えて私は過ごしてんだ! 本気でうるせえ! しかも1日はいつもと違うでかい機材を持ち込んだようで、それ以外の日に比べて更に煩い。騒音嫌いのうちのは露骨に苛々していた。それに伴って、気にしないように、と努めつつ過ごしてきた私も苛立ってきた。苛々が始まると、この日初めて騒音に気付いたうちのよりも、腹に溜め込んでいた私の方が苛々し始めた。うちのが言った。こんなに煩いなら、菓子折りのひとつでもあっておかしくないだろ。うむ。向かいの家の人はそんなものは寄越してきていない。当人らは工事は一時のものとして、何処かで安らかな日々を過ごしているのかもしれないが、近所に住む者にとっては堪ったものではない。菓子折りで騒音がチャラになる訳ではないけれど、気遣いのひとつもなければ腹立ちも尚のこと。おまいら、こんくらいの騒音に耐えらんなきゃ出てけや、出てかずに文句言ってんのは貧乏人だろ、プ、とでも思われているのでは? なんて嫌な妄想迄引き出してくる。騒音は迷惑だ。
気にしないように、と努めて過ごしてきたことが、騒音そのもののストレスに拍車をかけていたようである。ストレス爆発。こうなると、騒音だけでなく何もかもが気に入らなくなる。私と草食と雑食以外、全員死んじまえ! というくらいになる。どいつもこいつも人を莫迦にしやがって! おまいら、全員死刑だ! 思い返せば、うちのと感情的すれ違いが多くなったのは、向かいの家の工事が始まった時期と重なるかもしれない。ストレスを抱えた人間、しかもストレッサーをストレッサーと思わないように努めてきたとなると、もう混乱して何が自分を苛立たせているのかを見失う。そして周囲とも上手く行かなくなる。何故、自分が苛立ちを抱えているのか解らなかった。でもここのところ、私はずっと苛立っていた。そして酷いことに、苛立ちの原因を模索するうちに、普段なら気にならないようなうちのの言動に結び付けてしまっていた。この日は、うちのも苛々を私にぶつけてきた。うちのの方が何倍もマシだ。苛立ちそのものの原因が騒音だと解っていたから。人がふたりひとつ屋根の下に住む。一方が苛立てば、もう一方にも苛立ちが伝染するのは自然の摂理。一方の苛立ちをまあまあと一貫して宥められる程、うちのも私も人間ができていない。とにかくずーっと苛立っていた私は、うちのの騒音への愚痴で、自分の苛立ちの原因を自覚できた。
原因が解ったところで、苛立ちは収まらない。何もかもが気に入らない。生理でもないのに玉姫様状態。異常な苛立ちと憤怒の中で、ってなものだ。騒音源に文句を言っても始まらない。情緒不安定極まりなくなっていた私は、うちのにあたってしまっていた。私があたるとうちのが怒り、あたり返してくる。悪循環。暫く、毎日のように喧嘩をしていた。本当に些細なことでばかり。きっかけは些細でも、喧嘩はエスカレートするものであり、エスカレートするときっかけもへったくれもなくなって大事になる。うちのと私の大きな喧嘩は酷い。他所は知らないけれど、きっと他所よりも酷い。相手の人格・人権を全てひっくり返して踏み躙り、更に傷口に硫酸を流し込むような罵詈雑言が飛び交う。泪ハナミズが止まらなくなる。2日がその最高潮を迎え、私はうちのに指環と家の鍵を返した。その後、どうにか事は収まったけれど。2日の日記に少しだけ書いた。詳細は書けない。書こうとすると思い出し泣きしそうだから、自分の中で過去のことになる日がきたら書くかもしれない。ともかくふたりともピリピリしていた。それに加えて、私は体調も悪かった。うちのは久々の長期連休を楽しみにしていた。いろんな部分で歯車が狂った。私は気が狂いそうに悶々とした何かを抱え込んでいて、それを言葉にできなくてもっと悶々としていた。熱したマグマが自然冷却することがあるかどうか、私は知らない。私は熱すると必ず爆発してから出ないと沈静しない。うちのも同じタイプである。違うのはその先。私はとことん迄突き詰めていく。うちのは突き詰めずに目の前の問題を回避しようとする。お互いの対処法が気に入らず、喧嘩は悪化の一途を辿る。もうダメだ、といろんなことに対して思った。うちのとの関係だけでなく。そこ迄、行ってしまった。
夜、包丁を出した。そして明け方を待った。新聞屋がくる。初めて私はその新聞屋に話しかけた。あのですね、毎日その足音で目が覚めるのですけど。当然ながら、新聞屋に話しかけたときの私は丸腰。包丁は、新聞屋がアレな人だった場合の応戦用だ。持ち出すには至らず、謝罪してくれて今後は気をつける、と言ってくれた。ストレッサーひとつ消去。翌日の朝、新聞屋の足音はあるにはあったけれど、それ迄よりはかなり小さなもので許容範囲だった。ところが。今朝方の新聞屋の足音は元に戻っていた。また文句を言わねば。少し前、マンション内の貼り紙に手を加えた。貼り紙そのものはきっと大家さんが作った物だろう。内容は、特に深夜は足音を静かに、というもの。深夜、のくだりを私は赤ペンでぐるぐると囲った。新聞屋、見てないんだな。騒音以外のストレッサーがひとつある。生協の配達員。数週間前、生協で草食用の干草を注文した。配達員がそのとき、草食がいるのですか? と明るく大きな声でハキハキと訊いてきた。莫迦! 戸建じゃないのが解らないのか。周囲に内緒で飼っていること位、見当がつくだろう。気が利かな過ぎ。そのとき私は、シッ、と大声を否定し、ええ、と軽く返事をした。翌週はその他諸々と一緒に雑食用のトイレ砂を注文していた。そのときの配達員、また草食の話を持ち出してきた。また静かにするよう諭した。雑食もいる。草食もいる。配達員の仕事は、配達をすることだけなのか? 明るく大きな声で親しげに話すことを求める利用者もいるのかもしれない。けれど、私がそうでないことは何度もの遣り取りで解らないのだろうか。動物飼育禁止の部屋で飼っている私が悪い、という叱咤もあろう。それは真摯に受け止めるべきこと。それはそうとして、配達員が利用者のプライベートに、しかも周囲住民などに知られたくないと既に言っている物事について再び会話を求めるのは如何なものか。次回の配達時に言ってきたらクレームをつける予定。ストレッサー、多過ぎ。
暫く前から、うちの前の家が建て替えだか何だかで工事をしている。非常にとても大変激しく物凄い勢いで煩い。壁などを経て私のPCデスクの10m先で大工事。なるべく気にしないようにして過ごしていた。気にしたって文句を言ったって工事を止めてはくれまいし。1日、うちのが休みだった。このGWはほぼカレンダ通りに休み。前夜一悶着あって私が起きたのは夕方。うちのが言った。工事、うるせーなあ! うむ。煩い。気にしないように過ごしていたけれど、他者が言葉にすると露骨に感情がささくれ立ってきた。そうなんだよ! 煩いんだよ! 毎日毎日の日中、この騒音に耐えて私は過ごしてんだ! 本気でうるせえ! しかも1日はいつもと違うでかい機材を持ち込んだようで、それ以外の日に比べて更に煩い。騒音嫌いのうちのは露骨に苛々していた。それに伴って、気にしないように、と努めつつ過ごしてきた私も苛立ってきた。苛々が始まると、この日初めて騒音に気付いたうちのよりも、腹に溜め込んでいた私の方が苛々し始めた。うちのが言った。こんなに煩いなら、菓子折りのひとつでもあっておかしくないだろ。うむ。向かいの家の人はそんなものは寄越してきていない。当人らは工事は一時のものとして、何処かで安らかな日々を過ごしているのかもしれないが、近所に住む者にとっては堪ったものではない。菓子折りで騒音がチャラになる訳ではないけれど、気遣いのひとつもなければ腹立ちも尚のこと。おまいら、こんくらいの騒音に耐えらんなきゃ出てけや、出てかずに文句言ってんのは貧乏人だろ、プ、とでも思われているのでは? なんて嫌な妄想迄引き出してくる。騒音は迷惑だ。
気にしないように、と努めて過ごしてきたことが、騒音そのもののストレスに拍車をかけていたようである。ストレス爆発。こうなると、騒音だけでなく何もかもが気に入らなくなる。私と草食と雑食以外、全員死んじまえ! というくらいになる。どいつもこいつも人を莫迦にしやがって! おまいら、全員死刑だ! 思い返せば、うちのと感情的すれ違いが多くなったのは、向かいの家の工事が始まった時期と重なるかもしれない。ストレスを抱えた人間、しかもストレッサーをストレッサーと思わないように努めてきたとなると、もう混乱して何が自分を苛立たせているのかを見失う。そして周囲とも上手く行かなくなる。何故、自分が苛立ちを抱えているのか解らなかった。でもここのところ、私はずっと苛立っていた。そして酷いことに、苛立ちの原因を模索するうちに、普段なら気にならないようなうちのの言動に結び付けてしまっていた。この日は、うちのも苛々を私にぶつけてきた。うちのの方が何倍もマシだ。苛立ちそのものの原因が騒音だと解っていたから。人がふたりひとつ屋根の下に住む。一方が苛立てば、もう一方にも苛立ちが伝染するのは自然の摂理。一方の苛立ちをまあまあと一貫して宥められる程、うちのも私も人間ができていない。とにかくずーっと苛立っていた私は、うちのの騒音への愚痴で、自分の苛立ちの原因を自覚できた。
原因が解ったところで、苛立ちは収まらない。何もかもが気に入らない。生理でもないのに玉姫様状態。異常な苛立ちと憤怒の中で、ってなものだ。騒音源に文句を言っても始まらない。情緒不安定極まりなくなっていた私は、うちのにあたってしまっていた。私があたるとうちのが怒り、あたり返してくる。悪循環。暫く、毎日のように喧嘩をしていた。本当に些細なことでばかり。きっかけは些細でも、喧嘩はエスカレートするものであり、エスカレートするときっかけもへったくれもなくなって大事になる。うちのと私の大きな喧嘩は酷い。他所は知らないけれど、きっと他所よりも酷い。相手の人格・人権を全てひっくり返して踏み躙り、更に傷口に硫酸を流し込むような罵詈雑言が飛び交う。泪ハナミズが止まらなくなる。2日がその最高潮を迎え、私はうちのに指環と家の鍵を返した。その後、どうにか事は収まったけれど。2日の日記に少しだけ書いた。詳細は書けない。書こうとすると思い出し泣きしそうだから、自分の中で過去のことになる日がきたら書くかもしれない。ともかくふたりともピリピリしていた。それに加えて、私は体調も悪かった。うちのは久々の長期連休を楽しみにしていた。いろんな部分で歯車が狂った。私は気が狂いそうに悶々とした何かを抱え込んでいて、それを言葉にできなくてもっと悶々としていた。熱したマグマが自然冷却することがあるかどうか、私は知らない。私は熱すると必ず爆発してから出ないと沈静しない。うちのも同じタイプである。違うのはその先。私はとことん迄突き詰めていく。うちのは突き詰めずに目の前の問題を回避しようとする。お互いの対処法が気に入らず、喧嘩は悪化の一途を辿る。もうダメだ、といろんなことに対して思った。うちのとの関係だけでなく。そこ迄、行ってしまった。
夜、包丁を出した。そして明け方を待った。新聞屋がくる。初めて私はその新聞屋に話しかけた。あのですね、毎日その足音で目が覚めるのですけど。当然ながら、新聞屋に話しかけたときの私は丸腰。包丁は、新聞屋がアレな人だった場合の応戦用だ。持ち出すには至らず、謝罪してくれて今後は気をつける、と言ってくれた。ストレッサーひとつ消去。翌日の朝、新聞屋の足音はあるにはあったけれど、それ迄よりはかなり小さなもので許容範囲だった。ところが。今朝方の新聞屋の足音は元に戻っていた。また文句を言わねば。少し前、マンション内の貼り紙に手を加えた。貼り紙そのものはきっと大家さんが作った物だろう。内容は、特に深夜は足音を静かに、というもの。深夜、のくだりを私は赤ペンでぐるぐると囲った。新聞屋、見てないんだな。騒音以外のストレッサーがひとつある。生協の配達員。数週間前、生協で草食用の干草を注文した。配達員がそのとき、草食がいるのですか? と明るく大きな声でハキハキと訊いてきた。莫迦! 戸建じゃないのが解らないのか。周囲に内緒で飼っていること位、見当がつくだろう。気が利かな過ぎ。そのとき私は、シッ、と大声を否定し、ええ、と軽く返事をした。翌週はその他諸々と一緒に雑食用のトイレ砂を注文していた。そのときの配達員、また草食の話を持ち出してきた。また静かにするよう諭した。雑食もいる。草食もいる。配達員の仕事は、配達をすることだけなのか? 明るく大きな声で親しげに話すことを求める利用者もいるのかもしれない。けれど、私がそうでないことは何度もの遣り取りで解らないのだろうか。動物飼育禁止の部屋で飼っている私が悪い、という叱咤もあろう。それは真摯に受け止めるべきこと。それはそうとして、配達員が利用者のプライベートに、しかも周囲住民などに知られたくないと既に言っている物事について再び会話を求めるのは如何なものか。次回の配達時に言ってきたらクレームをつける予定。ストレッサー、多過ぎ。
さんさんとお日さまが輝き、部屋の埃がキラキラと光る中で惰眠を貪っていた正午頃、うちのが電話してきやがった。心地良い眠りは携帯電話の「りんごの泪」に掻き消された。チッ。用件は、うちのの友人から借りているビデオを近所のレンタルビデオ屋でダビングしてこい・うちのが帰省するのにまだ飛行機のチケットが取れるかどうか調べてくれ・草食を散歩に連れてけ。出なければ良かった。私にとって快を齎す依頼事がひとつもない。全部どれもひとつ残らず面倒だ。普段なら、ハイハイ、と生返事をして2度寝に入れるのに、今日はそのまま目が覚めてしまった。ぼけーっとしてから、生協に請求額の確認電話をし、勤労者の方々の邪魔にならないよう昼休み時間を過ぎてから出かけた。草食を小屋から出してキャリーに入れ、トートに被ダビング用ビデオを入れ、郵便局に行って口座に引き落とし用の金を入れ、レンタルビデオ屋にダビングを頼みに行き、コンビニに寄ってお茶2本とシュークリームを買い、近くの原っぱで草食を放った。お茶を2本も買う破目になったのは、私のお宝携帯灰皿を家に忘れたからである。今日は暖か過ぎたのか、草食は原っぱではなくタイルの上や塀の影にばかり行きたがって詰まらなかった。家でもできることを外でしなくてもいいではないか。草食を持って原っぱの真ん中辺りに連れて行って放す。草、食い捲り。そしていつの間にかまたタイルや陰へ。こう、飛んだり跳ねたりして欲しいのだが。道行く人々が草食を見る。今日も数人に声をかけられた。それはいい。いいけれど、慣れてますか? と訊かれるのはちとつらい。飼い主として下を向いて、慣れていません……、と答えねばならぬ。また、触っていいですか? にも、噛むかもしれませんが……、と。そういうのもひっくるめて草食の個性だ。解ってはいるのに見栄張りな私は、もう甘えっ子でして、とか、撫でると喜びますよ、なんて言ってみたかったりする。
途中、その原っぱの掃除屋のオッサンに声をかけられた。オッサンは、ここに草食が50匹くらいいればいいのに、と言っていた。そのココロは、草毟りをしなくていいから。オッサンが言うことには、その原っぱには除草剤などは撒いていないらしい。草食を放つにあたり、一番気になっていたことが解って良かった。ぼけーっとベンチで寝っ転がったり、軽くストレッチしてみたり、一服したりで約1時間半も経っていた。空が曇ってきて草食がだらーんと伸びたところで再びキャリーに入れて帰宅。帰宅しても直ぐにケージには戻せない。未だにトイレを覚えない莫迦ちんなので、出掛けに気付いたケージ内の床のしっこの処理をしなければならない。しっこをティッシュで拭き取ればいいだけ……なのに。何をとち狂ったか、私はケージ内全掃除を始めてしまった。中を全掃除すれば今度はその周辺の汚さが気になりだした。周辺が綺麗になればまたその周辺が……と、キッチンから居間迄掃除。雑食の爪とぎも裏返して新品同様にしたり、玄関やキッチンのマットの下に滑り止めを敷いたり。布団にコロコロもかけた。換気も万全。ネットで飛行機の空席を調べてうちのにメール。そして3日程干しっ放しになっていた洗濯物を畳んで収納。普段の一週間分働いた気分。
当然疲れる。疲れたときや何かをしなければならないのにしたくないとき、私が逃避するのはマインスイーパだ。延々何時間でもできる。その昔、仕事に行きたくなくてトイレに行くのも忘れて12時間ぶっ通しでしていたこともある。で、ぼーっとマインスイーパに没頭していたところに、レンタルビデオ屋からダビング終了の電話が。面倒だ。激しく面倒。もう外に出たくない。このレンタルビデオ屋は深夜迄営業している。うちのの帰宅のときに取りに行ってもらおうか、と考えた。が、やめた。また愚痴愚痴と言われることが解っている。それにダビング料金が後払いなので、そのことでもまたぶつぶつと寝る迄文句を言われそうだ。疲れているときにうだうだとしょーもないことを言われ続けるのはしんどい。この間、やっとそのことに気付いた。よく私はうちのに、テンション高過ぎ、と言われる。出勤時、うちのはひとりで出掛ける。私は寝ている。平日に会うのは夜中だけ。だからテンションが高いのも夜中だ。何故テンションが高いのか。ヒキなので日中に話し相手がいない。因ってうちのが帰宅すると嬉しくて、しょーもないことでもいろいろと一所懸命に喋ってしまっているらしい。ときとしてそれは、かなり鬱陶しいようだ。何度か注意はされていた。でも。だって私は昼間ずーっと黙ってて詰まらないんだもん! で態度を余り改めなかった。改めるのは、相当にうちのが疲れているなり具合が悪いなりと判断できたときのみだった。ここ数日はお喋りを自粛気味。
祖母の見舞いから帰った私は心身共に疲れ果てて、かなり具合が悪かった。そんなとき、珍しくうちのがテンション高く話をしていた。私は頷いたりするのもしんどい。嗚呼、今迄すまなんだ。私が悪かった。自分がだるいときに相手がハイテンションなのは、こんなにも堪えるものだったのか。もう平謝りである。ごめん、私が悪かった、頼むから静かにしてくれ。頷きを繰り返すだけでも頭痛がするのだ。口をつくのは全て生返事。過去、うちのの生返事っぷりに腹を立てていた私だが、もう平日はなるべく怒るまいと決意した。ローテンションのときは、ハイテンションな相手に文句を言う気力もなかったりする。ハイテンションな方はローテンションな相手に不満を持つ。テンションの高低がこうもお互いにストレスを与えていたとは、ちょっとした驚きだった。これに今迄私が気付けなかったのは問題点が、テンション、だったからだろう。これがテンションではなく、欲求、だと非常に解り易い。食欲・性欲など。睡眠欲は……まあ不眠過眠持ちなので勘弁願うとして、食欲・性欲の高低もうちのと私は合わない。譲り合っていかなきゃだなあ、と考え出した今日この頃。譲り合う、は間違いか。譲らなければ、だ。高い方が低い方に。テンションについては熟知しているうちの、食欲・性欲を私のローに合わせてはくれまいか。今でもかなり合わせてくれているのかな? どうだろう。イマイチ客観視できていないかもしれない。余談。うちのは寝言が多い。昨日の寝言が面白かったので覚書。寝るから! あんた、もう寝てますがな。
BGM/アルバム「羅生門」
途中、その原っぱの掃除屋のオッサンに声をかけられた。オッサンは、ここに草食が50匹くらいいればいいのに、と言っていた。そのココロは、草毟りをしなくていいから。オッサンが言うことには、その原っぱには除草剤などは撒いていないらしい。草食を放つにあたり、一番気になっていたことが解って良かった。ぼけーっとベンチで寝っ転がったり、軽くストレッチしてみたり、一服したりで約1時間半も経っていた。空が曇ってきて草食がだらーんと伸びたところで再びキャリーに入れて帰宅。帰宅しても直ぐにケージには戻せない。未だにトイレを覚えない莫迦ちんなので、出掛けに気付いたケージ内の床のしっこの処理をしなければならない。しっこをティッシュで拭き取ればいいだけ……なのに。何をとち狂ったか、私はケージ内全掃除を始めてしまった。中を全掃除すれば今度はその周辺の汚さが気になりだした。周辺が綺麗になればまたその周辺が……と、キッチンから居間迄掃除。雑食の爪とぎも裏返して新品同様にしたり、玄関やキッチンのマットの下に滑り止めを敷いたり。布団にコロコロもかけた。換気も万全。ネットで飛行機の空席を調べてうちのにメール。そして3日程干しっ放しになっていた洗濯物を畳んで収納。普段の一週間分働いた気分。
当然疲れる。疲れたときや何かをしなければならないのにしたくないとき、私が逃避するのはマインスイーパだ。延々何時間でもできる。その昔、仕事に行きたくなくてトイレに行くのも忘れて12時間ぶっ通しでしていたこともある。で、ぼーっとマインスイーパに没頭していたところに、レンタルビデオ屋からダビング終了の電話が。面倒だ。激しく面倒。もう外に出たくない。このレンタルビデオ屋は深夜迄営業している。うちのの帰宅のときに取りに行ってもらおうか、と考えた。が、やめた。また愚痴愚痴と言われることが解っている。それにダビング料金が後払いなので、そのことでもまたぶつぶつと寝る迄文句を言われそうだ。疲れているときにうだうだとしょーもないことを言われ続けるのはしんどい。この間、やっとそのことに気付いた。よく私はうちのに、テンション高過ぎ、と言われる。出勤時、うちのはひとりで出掛ける。私は寝ている。平日に会うのは夜中だけ。だからテンションが高いのも夜中だ。何故テンションが高いのか。ヒキなので日中に話し相手がいない。因ってうちのが帰宅すると嬉しくて、しょーもないことでもいろいろと一所懸命に喋ってしまっているらしい。ときとしてそれは、かなり鬱陶しいようだ。何度か注意はされていた。でも。だって私は昼間ずーっと黙ってて詰まらないんだもん! で態度を余り改めなかった。改めるのは、相当にうちのが疲れているなり具合が悪いなりと判断できたときのみだった。ここ数日はお喋りを自粛気味。
祖母の見舞いから帰った私は心身共に疲れ果てて、かなり具合が悪かった。そんなとき、珍しくうちのがテンション高く話をしていた。私は頷いたりするのもしんどい。嗚呼、今迄すまなんだ。私が悪かった。自分がだるいときに相手がハイテンションなのは、こんなにも堪えるものだったのか。もう平謝りである。ごめん、私が悪かった、頼むから静かにしてくれ。頷きを繰り返すだけでも頭痛がするのだ。口をつくのは全て生返事。過去、うちのの生返事っぷりに腹を立てていた私だが、もう平日はなるべく怒るまいと決意した。ローテンションのときは、ハイテンションな相手に文句を言う気力もなかったりする。ハイテンションな方はローテンションな相手に不満を持つ。テンションの高低がこうもお互いにストレスを与えていたとは、ちょっとした驚きだった。これに今迄私が気付けなかったのは問題点が、テンション、だったからだろう。これがテンションではなく、欲求、だと非常に解り易い。食欲・性欲など。睡眠欲は……まあ不眠過眠持ちなので勘弁願うとして、食欲・性欲の高低もうちのと私は合わない。譲り合っていかなきゃだなあ、と考え出した今日この頃。譲り合う、は間違いか。譲らなければ、だ。高い方が低い方に。テンションについては熟知しているうちの、食欲・性欲を私のローに合わせてはくれまいか。今でもかなり合わせてくれているのかな? どうだろう。イマイチ客観視できていないかもしれない。余談。うちのは寝言が多い。昨日の寝言が面白かったので覚書。寝るから! あんた、もう寝てますがな。
BGM/アルバム「羅生門」
現在、4月30日。
うちのと私には、共通の趣味、というものがない。ちょっと詰まらない。共通の趣味が欲しくて、うちのに話を振ってみた。共通の趣味があった方がいいと思わん? PCでいいじゃん、俺は趣味じゃないけど。あんたの方がどっぷりとPC使いのクセに。うちのは、共通の趣味をお互いに模索する、という作業が最初は面倒らしかった。めげずに話を続けた。段々と会話が成立していく過程は楽しい。自分の話題やペースに相手を引き込むゲームのようだから。うちのがこんなことを言った。あんたが身体を動かすことが好きならいいのに。は? あんたも進んでスポーツをするタイプじゃなかろうて。だからさ、あんたが誘ってくれれば俺も運動する気になれるかなあ、と。それは、共通の、趣味、とは、言わん! 一緒に住み始めた頃は苦痛でしかなかったサッカー番組の時間を苛つかずに過ごせるようになっただけでも、私なりにスポーツに纏わる物事しては譲歩できてきているつもりだ。それに加えて、自ら身体を動かせ、とは。違う。論点がズレてきている。私が作りたい、共通の趣味、はお互いの既に持っている趣味の擦り合わせであり、新規趣味の設定ではないのだ。じゃあ、服でいいじゃん。服って……そりゃあ確かに私の衣類蒐集は趣味の部類に入るかもしれないけれど、あんたにとっては趣味って程でもないじゃない。俺は目立ったりするの嫌いだから。あんだけ悪目立ちする出来事をしでかしといて、目立つのが嫌い、とは片腹痛いわ。いや、ほら、そうじゃなくて、街中で浮くのはイヤだって話だよ。そりゃ私だって嫌だよ、でもあんたの服への拘りって目立たないことだけなん? そうだね。それは趣味じゃないだろう。うん。私の話、聞いてんの? うん。共通の趣味を持ちたいって話をしてんだよ!
話を具体的にしなければ進まない気配。例えばさ、お互いに音楽や本や映画は好きじゃない? そうだねえ。でもさ、それぞれの中でジャンルが違ってるでしょ、あんたはジャズや雑誌やハリウッド超大作が好きで、私はHR/HMや漫画や単館系邦画好きで、その辺で歩み寄りはできないもんかねえ、って話をしたいのだが。ああ。どうよ? ここから何をどう筋道を違えたのか、話の方向が大きく狂ってしまった。共通の趣味模索ではなく、うちののサブカル批判へ。うちのは書棚を見ても会話をしても、それこそパッと見の姿もサブカルチャー臭がする。これをうちのはどうしても認めない。サブカル=カコワルイ、のように言う。別にサブカルが恰好悪くても何でもいいんだけれど、自己批判になっていることに気付いているのかいないのか。問題はその辺りである。幾らメディアで取り上げられようと、激しく積極的に「アップルシード」を観たいと言っていたり、甲殻機動隊の続きだからといって「イノセンス」にそそくさと足を運ぶ奴が、サブカル批判というところが面白い。因みに最近になってうちのはやっと「のだめカンタービレ」に嵌り出した。私がどんなに薦めても読まなかったのに、会社で話題になったからという理由で読み始めたのが今ひとつ私には不愉快。私自身のうちのへの影響力の小ささを感じてしまった。そのことを言うと、うちにあるとあんたが薦めてもいつでも読めるしなあと後回しになっちゃうんだよ、とのこと。まあ解らんでもない。ついでに昨日うちのが買ってきた雑誌は「現代思想」。特集は、アナーキズム。サブカル嫌いねえ……ふーん。もうひとついうと、書棚で場所を取っている本は2種類。ユリイカと別冊宝島シリーズ。嫌いねえ……ふーん?
うちのの主張。いやね、別にサブカル自体が嫌いって訳じゃないんだよ。たださ、なんて言うの、サブカルがサブカルであろうとしている姿ってのがアレなんだよね。大規模でもメジャーでもいいものはあるのに、どうしてこう、サブカルの括りに入りたがるのかってのがさあ。でもってほら、そこのサークルからはみ出したものは認めたがらなかったりするじゃない、サブカルの人って。そういう姿勢がねえ。あんたがサブカルなのはいいんだよ。ただね、それだけでいいのか、ってのがあってさ。やっぱりいろんなものを観たり聴いたり読んだりすることが大事だと思う訳よ。その中で自分の好きなものを見つければいい訳で、サブカルの括りの中だけで探す必要はないじゃない。そういうことが言いたいんだよ。大きいものでもいいものはあるよ、って。サブカルの人はその辺で、大きいものは良くない、みたいな感じでアレなんだよなあ。サブカルの人は、サブカルだから恰好いい、みたいなのがねえ。どっちでもいいじゃん。
もうこの言い回しからサブカル臭を感じるのは私だけだろうか。そしてスタンスもその、サブカルの人、とまず同じであろうことに気づいてもらいたい。そしてサブカルの人のひとりである私の主張。だからね、別にサブカルだからカコイイと思ってる訳じゃないんだって。いろんなものに触れていって、辿り着いた先が所謂サブカルの括りに入るものが多かったってだけで。サブカルだから恰好いいなんて思ってないよ。某Aの曲と某Bの曲を聴いて某Bの方が好みだった、某Cと某Dを観て某Dの方が面白かった、そんだけの話なんだよ。たまたま自分にはサブカルなBやDの方がしっくりきただけであって、だからといってAやCを批判する気はないし。それをサブカルだから、小規模だからって理由で、BやDを好き、って思われるのは心外だよ。あんたが言うサブカルの人も大概はそうじゃないの? たまたま大衆の好きな方向と違っただけでない? あー、でも。私のサブカル好きは思春期の読書傾向が大きく影響しているかも。ずっと「噂の真相」と「ガロ」を読み続けていたからなあ。たまたま手に取ったもので方向性ができてくるってのはあるかもね。いやいや、でもね、だからって他のものを全部ダメだなんて斬って捨てる気は更々なくてさ。まあとにかく、私はサブカル=カコイイ、とは思っていませんよ、と。
話題がずれたので、共通の趣味見っけ! には至らなかった。これ迄にも何度かお互いにこの手の共通項を探そうとしている。なのに結局は上記のようにサブカル論になってしまうのは何故だ。うちのが、自分もサブカル好き、と認めればいいのに。もしかして私が脱ヲタを図り果たしたように、うちのは脱サブカルを図り果たしたのか。それなら頑ななサブカル否定の気持ちは解る気がする。もしかして。共通の趣味は、議論の為の議論、なのかもしれない、と今ふと思った。
うちのと私には、共通の趣味、というものがない。ちょっと詰まらない。共通の趣味が欲しくて、うちのに話を振ってみた。共通の趣味があった方がいいと思わん? PCでいいじゃん、俺は趣味じゃないけど。あんたの方がどっぷりとPC使いのクセに。うちのは、共通の趣味をお互いに模索する、という作業が最初は面倒らしかった。めげずに話を続けた。段々と会話が成立していく過程は楽しい。自分の話題やペースに相手を引き込むゲームのようだから。うちのがこんなことを言った。あんたが身体を動かすことが好きならいいのに。は? あんたも進んでスポーツをするタイプじゃなかろうて。だからさ、あんたが誘ってくれれば俺も運動する気になれるかなあ、と。それは、共通の、趣味、とは、言わん! 一緒に住み始めた頃は苦痛でしかなかったサッカー番組の時間を苛つかずに過ごせるようになっただけでも、私なりにスポーツに纏わる物事しては譲歩できてきているつもりだ。それに加えて、自ら身体を動かせ、とは。違う。論点がズレてきている。私が作りたい、共通の趣味、はお互いの既に持っている趣味の擦り合わせであり、新規趣味の設定ではないのだ。じゃあ、服でいいじゃん。服って……そりゃあ確かに私の衣類蒐集は趣味の部類に入るかもしれないけれど、あんたにとっては趣味って程でもないじゃない。俺は目立ったりするの嫌いだから。あんだけ悪目立ちする出来事をしでかしといて、目立つのが嫌い、とは片腹痛いわ。いや、ほら、そうじゃなくて、街中で浮くのはイヤだって話だよ。そりゃ私だって嫌だよ、でもあんたの服への拘りって目立たないことだけなん? そうだね。それは趣味じゃないだろう。うん。私の話、聞いてんの? うん。共通の趣味を持ちたいって話をしてんだよ!
話を具体的にしなければ進まない気配。例えばさ、お互いに音楽や本や映画は好きじゃない? そうだねえ。でもさ、それぞれの中でジャンルが違ってるでしょ、あんたはジャズや雑誌やハリウッド超大作が好きで、私はHR/HMや漫画や単館系邦画好きで、その辺で歩み寄りはできないもんかねえ、って話をしたいのだが。ああ。どうよ? ここから何をどう筋道を違えたのか、話の方向が大きく狂ってしまった。共通の趣味模索ではなく、うちののサブカル批判へ。うちのは書棚を見ても会話をしても、それこそパッと見の姿もサブカルチャー臭がする。これをうちのはどうしても認めない。サブカル=カコワルイ、のように言う。別にサブカルが恰好悪くても何でもいいんだけれど、自己批判になっていることに気付いているのかいないのか。問題はその辺りである。幾らメディアで取り上げられようと、激しく積極的に「アップルシード」を観たいと言っていたり、甲殻機動隊の続きだからといって「イノセンス」にそそくさと足を運ぶ奴が、サブカル批判というところが面白い。因みに最近になってうちのはやっと「のだめカンタービレ」に嵌り出した。私がどんなに薦めても読まなかったのに、会社で話題になったからという理由で読み始めたのが今ひとつ私には不愉快。私自身のうちのへの影響力の小ささを感じてしまった。そのことを言うと、うちにあるとあんたが薦めてもいつでも読めるしなあと後回しになっちゃうんだよ、とのこと。まあ解らんでもない。ついでに昨日うちのが買ってきた雑誌は「現代思想」。特集は、アナーキズム。サブカル嫌いねえ……ふーん。もうひとついうと、書棚で場所を取っている本は2種類。ユリイカと別冊宝島シリーズ。嫌いねえ……ふーん?
うちのの主張。いやね、別にサブカル自体が嫌いって訳じゃないんだよ。たださ、なんて言うの、サブカルがサブカルであろうとしている姿ってのがアレなんだよね。大規模でもメジャーでもいいものはあるのに、どうしてこう、サブカルの括りに入りたがるのかってのがさあ。でもってほら、そこのサークルからはみ出したものは認めたがらなかったりするじゃない、サブカルの人って。そういう姿勢がねえ。あんたがサブカルなのはいいんだよ。ただね、それだけでいいのか、ってのがあってさ。やっぱりいろんなものを観たり聴いたり読んだりすることが大事だと思う訳よ。その中で自分の好きなものを見つければいい訳で、サブカルの括りの中だけで探す必要はないじゃない。そういうことが言いたいんだよ。大きいものでもいいものはあるよ、って。サブカルの人はその辺で、大きいものは良くない、みたいな感じでアレなんだよなあ。サブカルの人は、サブカルだから恰好いい、みたいなのがねえ。どっちでもいいじゃん。
もうこの言い回しからサブカル臭を感じるのは私だけだろうか。そしてスタンスもその、サブカルの人、とまず同じであろうことに気づいてもらいたい。そしてサブカルの人のひとりである私の主張。だからね、別にサブカルだからカコイイと思ってる訳じゃないんだって。いろんなものに触れていって、辿り着いた先が所謂サブカルの括りに入るものが多かったってだけで。サブカルだから恰好いいなんて思ってないよ。某Aの曲と某Bの曲を聴いて某Bの方が好みだった、某Cと某Dを観て某Dの方が面白かった、そんだけの話なんだよ。たまたま自分にはサブカルなBやDの方がしっくりきただけであって、だからといってAやCを批判する気はないし。それをサブカルだから、小規模だからって理由で、BやDを好き、って思われるのは心外だよ。あんたが言うサブカルの人も大概はそうじゃないの? たまたま大衆の好きな方向と違っただけでない? あー、でも。私のサブカル好きは思春期の読書傾向が大きく影響しているかも。ずっと「噂の真相」と「ガロ」を読み続けていたからなあ。たまたま手に取ったもので方向性ができてくるってのはあるかもね。いやいや、でもね、だからって他のものを全部ダメだなんて斬って捨てる気は更々なくてさ。まあとにかく、私はサブカル=カコイイ、とは思っていませんよ、と。
話題がずれたので、共通の趣味見っけ! には至らなかった。これ迄にも何度かお互いにこの手の共通項を探そうとしている。なのに結局は上記のようにサブカル論になってしまうのは何故だ。うちのが、自分もサブカル好き、と認めればいいのに。もしかして私が脱ヲタを図り果たしたように、うちのは脱サブカルを図り果たしたのか。それなら頑ななサブカル否定の気持ちは解る気がする。もしかして。共通の趣味は、議論の為の議論、なのかもしれない、と今ふと思った。
現在、4月28日。
腋の下の下の黒いぷつぷつが痒くなってきた。腋毛の生える位置よりも拳ひとつ分下辺り。このぷつぷつは暫く前にした垢すりの失敗だ。がしがしと垢すりをしているうちに、どうも肌を傷付けてしまったらしく擦り傷ができてしまった。それが治りかけて今は瘡蓋状態になっている。痒い。そして位置が微妙故に人前では絶対に掻けない。それから連夜の深夜バスにて風邪をひいたようで、頭痛・喉の痛み・鼻詰まりが酷い。また首から腰迄が痛い。頭痛に伴いぼーっとしてしまう。因って今朝の起床は、歯科の予約時間の5分前。歯磨きをしていく時間がどう考えてもなかったので、キャンセルの電話を入れた。行ったところで鼻炎持ちで普段から難しい鼻呼吸が、今は完全に不可能になっているのでこれでよかったのかもしれない。無理に鼻呼吸をしようとすると、スーピーと鳴る。ハナをかんでもスーピー。まるで子供かオッサンの寝息である。酷いものだ。
そんな酷い体調に追い討ちがかかった。局部が悲惨なことになっている。ナプキンでかぶれたらしく、痛痒い。そして妙な汁が出る。これは臍側。うんこを拭くと尻側からは血が出る。毛切れだ。尻側が乾燥している所為か、私の毛足が長い所為か。毛切れは以前にもあった。毛を処理すれば治る。しかしかぶれは初めてのこと。どうしていいか解らない。何の薬をつければいいのか、はたまた放置すべきなのか。原因も乾燥なのか蒸れなのか。保湿が必要なのか、それともショーツも脱ぎ去って乾かした方がいいのか。ともかく今は無闇に触らないのが最善かと思われる。けれど気になって仕方がなく、触ってみるとじくじくとイヤーな液体が指先に付き、イヤーな匂いを発する。こんな不快感はこの人生の中で最強だ。今、身分証明書の類を持たずに殺されたとしたら身元捜索の特徴として、陰部にかぶれあり、などと報道されるのか。嫌過ぎる。死んで尚、恥晒し。こんな報道をされたら、身内が気付いたって恥ずかしくて引取りに行けまい。だからまずこうは報道されないだろう。よくある身元捜索の方法として、歯科のカルテが使われている。今だと、左奥歯手前にクルミの引っ掛りあり、と報道されるのか。これも情けなさ過ぎる。それでも事実。さっきクルミのパウンドケーキを食べていて、クルミが引っ掛って取れないのだ。これまた不快。今、身元不明の死体となってはならないらしい。だから引き篭もっていよう。外に出るにも、歩くことそのものが不快だ。じくじくしているところがわしゃわしゃとなり、更にぐじぐじするから。
風邪がある程度マシになっても、場所が場所だけにぐじぐじは長引きそうな感じである。その場合、入浴はした方がいいのだろうか。入浴の際、私が身体を洗うのはボディブラシであり、全身をくまなくがしがしと洗う。当然シモもがしがしと。今、このぐじぐじ部分をがしがししたら、確実に泣く。痛くて。想像しただけで痛くなってきた。うちののように自然素材のボディタオルで洗うべきか。こんなときだけ素材や道具を変えるのはチキンな気もする。無駄な意地を張ってどうする。単純に自己満足の世界なのだけれど。うちのはストレスが吹き出物となって体に出る。そしてよく吹き出物ができる位置のひとつに、脚の付け根と陰部の間、がある。今迄つらさがイマイチ解らなかったが、今はとても深く理解できる。これはつらい。膀胱炎のときと同じくらいにトイレが不快。ショーツの上から冷えピタでも張ってみるか。張るカイロは布地の上から出ないと使用不可。冷えピタは直接肌に張るようにできている。布地の上からでも効果はあるのだろうか。かといって、アイスノンを股間に乗せている姿は余りにも惨めだし、身動きが取れなくなり不便だ。どうしたものか。
うちのはかの場所に吹き出物ができて皮膚科に行ったとき、帰ってからその部分の毛を短く切って薬を塗っていた。私も毛を切った方がいいのだろうか。いいのだろうな。だが、場所がアレなので途轍もなくお間抜けになること請け合い。あら、こんなところにミステリーサークルが? まあ誰に見せる予定もないからミステリーサークルだろうがつるつるだろうが構わないっちゃあ構わない。けれど私は知っている。その部分の毛を切ったり剃ったりした後、生えかけてきたときのチクチクした痒さと不快感を。生理が終わってナプキンから開放されたことだけが救いだ。次回からはタンポンを復活させようか。でも長く使用していない部分に使うと慣れる迄、暫くは痛かったりする。うーむ、悩みは尽きない。体調不良に付き、短め。
腋の下の下の黒いぷつぷつが痒くなってきた。腋毛の生える位置よりも拳ひとつ分下辺り。このぷつぷつは暫く前にした垢すりの失敗だ。がしがしと垢すりをしているうちに、どうも肌を傷付けてしまったらしく擦り傷ができてしまった。それが治りかけて今は瘡蓋状態になっている。痒い。そして位置が微妙故に人前では絶対に掻けない。それから連夜の深夜バスにて風邪をひいたようで、頭痛・喉の痛み・鼻詰まりが酷い。また首から腰迄が痛い。頭痛に伴いぼーっとしてしまう。因って今朝の起床は、歯科の予約時間の5分前。歯磨きをしていく時間がどう考えてもなかったので、キャンセルの電話を入れた。行ったところで鼻炎持ちで普段から難しい鼻呼吸が、今は完全に不可能になっているのでこれでよかったのかもしれない。無理に鼻呼吸をしようとすると、スーピーと鳴る。ハナをかんでもスーピー。まるで子供かオッサンの寝息である。酷いものだ。
そんな酷い体調に追い討ちがかかった。局部が悲惨なことになっている。ナプキンでかぶれたらしく、痛痒い。そして妙な汁が出る。これは臍側。うんこを拭くと尻側からは血が出る。毛切れだ。尻側が乾燥している所為か、私の毛足が長い所為か。毛切れは以前にもあった。毛を処理すれば治る。しかしかぶれは初めてのこと。どうしていいか解らない。何の薬をつければいいのか、はたまた放置すべきなのか。原因も乾燥なのか蒸れなのか。保湿が必要なのか、それともショーツも脱ぎ去って乾かした方がいいのか。ともかく今は無闇に触らないのが最善かと思われる。けれど気になって仕方がなく、触ってみるとじくじくとイヤーな液体が指先に付き、イヤーな匂いを発する。こんな不快感はこの人生の中で最強だ。今、身分証明書の類を持たずに殺されたとしたら身元捜索の特徴として、陰部にかぶれあり、などと報道されるのか。嫌過ぎる。死んで尚、恥晒し。こんな報道をされたら、身内が気付いたって恥ずかしくて引取りに行けまい。だからまずこうは報道されないだろう。よくある身元捜索の方法として、歯科のカルテが使われている。今だと、左奥歯手前にクルミの引っ掛りあり、と報道されるのか。これも情けなさ過ぎる。それでも事実。さっきクルミのパウンドケーキを食べていて、クルミが引っ掛って取れないのだ。これまた不快。今、身元不明の死体となってはならないらしい。だから引き篭もっていよう。外に出るにも、歩くことそのものが不快だ。じくじくしているところがわしゃわしゃとなり、更にぐじぐじするから。
風邪がある程度マシになっても、場所が場所だけにぐじぐじは長引きそうな感じである。その場合、入浴はした方がいいのだろうか。入浴の際、私が身体を洗うのはボディブラシであり、全身をくまなくがしがしと洗う。当然シモもがしがしと。今、このぐじぐじ部分をがしがししたら、確実に泣く。痛くて。想像しただけで痛くなってきた。うちののように自然素材のボディタオルで洗うべきか。こんなときだけ素材や道具を変えるのはチキンな気もする。無駄な意地を張ってどうする。単純に自己満足の世界なのだけれど。うちのはストレスが吹き出物となって体に出る。そしてよく吹き出物ができる位置のひとつに、脚の付け根と陰部の間、がある。今迄つらさがイマイチ解らなかったが、今はとても深く理解できる。これはつらい。膀胱炎のときと同じくらいにトイレが不快。ショーツの上から冷えピタでも張ってみるか。張るカイロは布地の上から出ないと使用不可。冷えピタは直接肌に張るようにできている。布地の上からでも効果はあるのだろうか。かといって、アイスノンを股間に乗せている姿は余りにも惨めだし、身動きが取れなくなり不便だ。どうしたものか。
うちのはかの場所に吹き出物ができて皮膚科に行ったとき、帰ってからその部分の毛を短く切って薬を塗っていた。私も毛を切った方がいいのだろうか。いいのだろうな。だが、場所がアレなので途轍もなくお間抜けになること請け合い。あら、こんなところにミステリーサークルが? まあ誰に見せる予定もないからミステリーサークルだろうがつるつるだろうが構わないっちゃあ構わない。けれど私は知っている。その部分の毛を切ったり剃ったりした後、生えかけてきたときのチクチクした痒さと不快感を。生理が終わってナプキンから開放されたことだけが救いだ。次回からはタンポンを復活させようか。でも長く使用していない部分に使うと慣れる迄、暫くは痛かったりする。うーむ、悩みは尽きない。体調不良に付き、短め。
現在4月27日。
25日の夕方、親と待ち合わせて夜行バス乗り場へ。親とふたりで長時間……想像しただけでぐったりである。そして行く先には叔母がいる。うちのがまた脅すようなことを言っていた。親も叔母も私らの交際や結婚には反対している。そしてこの機会に拉致されたらどうする? なんて訊いてきていた。洒落にならん。非常に危機感を感じつつ親と落ち合い、軽食を摂り、バス乗り場へ。眠剤の効きが良くて助かった。バスに揺られること約8時間、26日の早朝に京都某市へ到着。一旦叔母宅へ寄って挨拶をし、従妹が登校してすぐに祖母の元へ出発。従妹、13歳。巨乳。制服のブラウスの釦と釦の間から黒いブラが見え隠れ。童顔でぽっちゃり、なのに巨乳。チッ。第二次性徴が始まった当初は乳がでかくなることが嬉しかったようだが、今は邪魔で仕方がないらしい。喧嘩を売られているのか? それはともかく、彼女の若々しい溌剌とした姿を見て、私、老けたなあ……と軽く凹んだり。
祖母の元に行く道中、私は車内でずっと寝ていた。対面したのは、祖母が車のところ迄やってきてからだった。病室に親と叔母が迎えに行ったときに、ひとり足らん! と憤慨していたそうな。私に会うことを楽しみにしてくれていたのは大変嬉しいことである。しかし私は、祖母の姿を見るのがつらかった。耳元で大声で話さなければ聞こえない、話し声もハッキリしていない、会話が飛ぶ、足も更に弱くなり、他者に手伝ってもらわなければ車椅子の乗降もできない、姿はロンパース。そして伝え聞いていた通りにやはり生気がなかった。特に目元。まだ意識がハッキリしているときに会うのは、これが最後だな、と感じた。私がもっと頻繁に会いに行ければいいのだが、今回も処方薬総動員で、しかも道中の殆どを睡眠でフォローしてやっとこ乗り切れた状態。そして帰宅した今、ほとほと疲れ果てている。祖母らと昼食を摂り、親と私を祖父の墓参りに連れて行ってもらい、祖母を病院に送って叔母宅へ帰宅。その道中も私は殆ど寝たきり。祖母は何度も私に、いい人はいるのか? いい人を見つけなさい、と言っていた。その都度私が、いい人はもうちゃんといるよ、と答えていたのに親が、これから探すってさ、と茶々を入れていた。私にとっては充分うちのはいい人なのにな。
私が少し元気を取り戻したのは、従弟に会ってから。前に会ったときの面影は残っていたけれど、随分としっかりした感じになっていた。しっかりと言うか……老けていた。高校2年生にして社会人1年生の風貌。そしてPCをちょっと弄らせてもらった。デスクトップ散らかり過ぎ! おまけにプログラム入り過ぎで容量不足になっている。Cばかり使っているようで、Dが有り余っていたので一部ソフトをDに移すようにアドバイス。今迄従弟と接するのはどちらかというと苦手だったのだけれど、今回PCを見せてもらったことで親近感が沸いた。ボクもあんなツールやこんなツールを使っているのね。アレされないように気をつけなさいよ、と。この辺の物が欲しいならいいあぷろだを教えるからメール頂戴、と。送ってくるかどうか、楽しみだ。叔父はどうだか知らないけれど、叔母や従妹はそのツールの意味を知らない。いや、PC自体に詳しくない。従弟とならPC友達になれそうな予感。ただ部活で忙しい子だから、そこがどうかな。黒レトリバーも大きくなっていて、とても人懐っこく可愛かった。どこぞの私の尻を噛む莫迦犬とは大違いだ。
出掛ける前、出社していたうちのが早く帰宅してくれた。やる気がないから仕事を持って帰ってきた、と。帰宅直前には電話で、食べる物要る? と訊いてくれたので有難くファーストフードを頼ませてもらった。土曜の夜、日曜の夕飯を作っていたことをうちのは知っている。なのに、ファーストフードを持ち帰って、なんだよ、夕飯あったのかよ、などと言っていた。知っていたくせに。うちのは恩着せがましくするか、そっけなく接するかのどちらかだ。土曜はそっけない日だったらしい。でも、私には気遣いが見て取れてとても嬉しかった。今朝、親と朝食を摂っていてまた云々言われたけれど、私にとってうちのが一番いい人だ。余りに煩かったので、私が昔風俗勤めをしていたことをさらっと言ってみた。相当なショックを受けているようだった。そして、そんな風に育てたつもりはないのに、と。親が思う通りに子が育つという思い込みこそ、愚の骨頂。そして今後そのことを誰にも言ってはいけないと言われた。知らない方がいい幸せもあるのだから。そんなのは、私からしたら嘘だ。偽りの上に成り立つ幸せなど、私はこれっぽっちも要らない。叔母からはうちのの話は出なかった。きっと親と、その話はしないように、との打ち合わせでもしていたのだろう。
それにしても心配なのは祖母のこと。私にはできることが何もない。どうすることもできずに、ただ衰えてゆく祖母の様子を人伝に聞くことしかできない。仕方がないことなのだろう。会った感じでは老衰とそれに伴う身体のガタであり、身体だけでなく老衰が心をも蝕んでいるようだった。覇気がなく、目が虚ろで。3年は持たないような印象を受けた。精々後2年。本人も動くことがつらそうだったし、また自分の娘とはいえ世話をしてもらうことを恥じているようだった。元々プライドの高い女性なのである。おむつの世話になるなんて耐え難い苦痛だろう。長生きすればいいと言うものではないなあ、とつくづく感じた。病気で死ぬよりは老衰で眠るように死ぬ方が良かろうが、そこに身内であっても他人様の手助け無しに生活や生命を維持できないのは、本当に悲しい。何処かでこんな話を読んだ。元気な祖父母が朝になっても起きてこない。寝室に行くとふたりとも死んでいた。検査の結果、時間差でふたりして心臓麻痺。ほぼ老衰。こんな死に方はしようと思ってできることではない。けれど理想形のひとつである。祖母はきっと、病院の職員に看取られて死ぬのだろう。昨日会った祖母の姿を、私はいつ迄覚えていられるだろうか。孫の中で私を一番可愛がってくれた祖母。昨日の姿よりも、元気だった頃の祖母の姿を脳裏に焼き付けておきたい。
服装/スカラーの浅黄色カットソー+ボールルームの黒モヘアロングニット+ベルト代わりにターコイズのループタイ+リーバイス501+水色の靴下+いつもの青いビルケン+スカラーの白いスプリングコート
25日の夕方、親と待ち合わせて夜行バス乗り場へ。親とふたりで長時間……想像しただけでぐったりである。そして行く先には叔母がいる。うちのがまた脅すようなことを言っていた。親も叔母も私らの交際や結婚には反対している。そしてこの機会に拉致されたらどうする? なんて訊いてきていた。洒落にならん。非常に危機感を感じつつ親と落ち合い、軽食を摂り、バス乗り場へ。眠剤の効きが良くて助かった。バスに揺られること約8時間、26日の早朝に京都某市へ到着。一旦叔母宅へ寄って挨拶をし、従妹が登校してすぐに祖母の元へ出発。従妹、13歳。巨乳。制服のブラウスの釦と釦の間から黒いブラが見え隠れ。童顔でぽっちゃり、なのに巨乳。チッ。第二次性徴が始まった当初は乳がでかくなることが嬉しかったようだが、今は邪魔で仕方がないらしい。喧嘩を売られているのか? それはともかく、彼女の若々しい溌剌とした姿を見て、私、老けたなあ……と軽く凹んだり。
祖母の元に行く道中、私は車内でずっと寝ていた。対面したのは、祖母が車のところ迄やってきてからだった。病室に親と叔母が迎えに行ったときに、ひとり足らん! と憤慨していたそうな。私に会うことを楽しみにしてくれていたのは大変嬉しいことである。しかし私は、祖母の姿を見るのがつらかった。耳元で大声で話さなければ聞こえない、話し声もハッキリしていない、会話が飛ぶ、足も更に弱くなり、他者に手伝ってもらわなければ車椅子の乗降もできない、姿はロンパース。そして伝え聞いていた通りにやはり生気がなかった。特に目元。まだ意識がハッキリしているときに会うのは、これが最後だな、と感じた。私がもっと頻繁に会いに行ければいいのだが、今回も処方薬総動員で、しかも道中の殆どを睡眠でフォローしてやっとこ乗り切れた状態。そして帰宅した今、ほとほと疲れ果てている。祖母らと昼食を摂り、親と私を祖父の墓参りに連れて行ってもらい、祖母を病院に送って叔母宅へ帰宅。その道中も私は殆ど寝たきり。祖母は何度も私に、いい人はいるのか? いい人を見つけなさい、と言っていた。その都度私が、いい人はもうちゃんといるよ、と答えていたのに親が、これから探すってさ、と茶々を入れていた。私にとっては充分うちのはいい人なのにな。
私が少し元気を取り戻したのは、従弟に会ってから。前に会ったときの面影は残っていたけれど、随分としっかりした感じになっていた。しっかりと言うか……老けていた。高校2年生にして社会人1年生の風貌。そしてPCをちょっと弄らせてもらった。デスクトップ散らかり過ぎ! おまけにプログラム入り過ぎで容量不足になっている。Cばかり使っているようで、Dが有り余っていたので一部ソフトをDに移すようにアドバイス。今迄従弟と接するのはどちらかというと苦手だったのだけれど、今回PCを見せてもらったことで親近感が沸いた。ボクもあんなツールやこんなツールを使っているのね。アレされないように気をつけなさいよ、と。この辺の物が欲しいならいいあぷろだを教えるからメール頂戴、と。送ってくるかどうか、楽しみだ。叔父はどうだか知らないけれど、叔母や従妹はそのツールの意味を知らない。いや、PC自体に詳しくない。従弟とならPC友達になれそうな予感。ただ部活で忙しい子だから、そこがどうかな。黒レトリバーも大きくなっていて、とても人懐っこく可愛かった。どこぞの私の尻を噛む莫迦犬とは大違いだ。
出掛ける前、出社していたうちのが早く帰宅してくれた。やる気がないから仕事を持って帰ってきた、と。帰宅直前には電話で、食べる物要る? と訊いてくれたので有難くファーストフードを頼ませてもらった。土曜の夜、日曜の夕飯を作っていたことをうちのは知っている。なのに、ファーストフードを持ち帰って、なんだよ、夕飯あったのかよ、などと言っていた。知っていたくせに。うちのは恩着せがましくするか、そっけなく接するかのどちらかだ。土曜はそっけない日だったらしい。でも、私には気遣いが見て取れてとても嬉しかった。今朝、親と朝食を摂っていてまた云々言われたけれど、私にとってうちのが一番いい人だ。余りに煩かったので、私が昔風俗勤めをしていたことをさらっと言ってみた。相当なショックを受けているようだった。そして、そんな風に育てたつもりはないのに、と。親が思う通りに子が育つという思い込みこそ、愚の骨頂。そして今後そのことを誰にも言ってはいけないと言われた。知らない方がいい幸せもあるのだから。そんなのは、私からしたら嘘だ。偽りの上に成り立つ幸せなど、私はこれっぽっちも要らない。叔母からはうちのの話は出なかった。きっと親と、その話はしないように、との打ち合わせでもしていたのだろう。
それにしても心配なのは祖母のこと。私にはできることが何もない。どうすることもできずに、ただ衰えてゆく祖母の様子を人伝に聞くことしかできない。仕方がないことなのだろう。会った感じでは老衰とそれに伴う身体のガタであり、身体だけでなく老衰が心をも蝕んでいるようだった。覇気がなく、目が虚ろで。3年は持たないような印象を受けた。精々後2年。本人も動くことがつらそうだったし、また自分の娘とはいえ世話をしてもらうことを恥じているようだった。元々プライドの高い女性なのである。おむつの世話になるなんて耐え難い苦痛だろう。長生きすればいいと言うものではないなあ、とつくづく感じた。病気で死ぬよりは老衰で眠るように死ぬ方が良かろうが、そこに身内であっても他人様の手助け無しに生活や生命を維持できないのは、本当に悲しい。何処かでこんな話を読んだ。元気な祖父母が朝になっても起きてこない。寝室に行くとふたりとも死んでいた。検査の結果、時間差でふたりして心臓麻痺。ほぼ老衰。こんな死に方はしようと思ってできることではない。けれど理想形のひとつである。祖母はきっと、病院の職員に看取られて死ぬのだろう。昨日会った祖母の姿を、私はいつ迄覚えていられるだろうか。孫の中で私を一番可愛がってくれた祖母。昨日の姿よりも、元気だった頃の祖母の姿を脳裏に焼き付けておきたい。
服装/スカラーの浅黄色カットソー+ボールルームの黒モヘアロングニット+ベルト代わりにターコイズのループタイ+リーバイス501+水色の靴下+いつもの青いビルケン+スカラーの白いスプリングコート
一目惚れは高価で撃沈
2004年4月24日 雑感・所感 ザ・ボディショップがパチ物商法に出始めた模様。今日久しぶりに行ってみたら、シャネルのきのこ筆と思しき物が。請負も白鳳堂でまんまである。値段も変わらない。これならボディショップではなくシャネルで買うだろう……。きのこ筆の必要性を今は感じていないのでそれはスルーして、おおっ! と驚くパチ物発見。ロゼットの背中パタパタという、棒に丸い輪っかが付いていてそこに、ローションなどを染み込ませたコットンを挟んで背中をパッティングする道具。これはロゼットに分が悪い。ボディショップの方が本家っぽい雰囲気だ。なんとなく。また驚いたのが、ボディショップの方針と違う方向性の商品の発見。少し前迄、ボディショップのメイクブラシやボディケアグッズに動物毛は使われていなかった。それはボディショップという会社そのものの本質とも言える、動物実験反対の意思表示に因るものだ。ところが。シャネルのパチ筆といい、ヘアブラシといい、山羊毛や豚毛が使われている。何処へ行くんだ、ボディショップよ。私は天然毛の物の方が好きなので嬉しいけれど、会社のウリは捨てたのか。などと思いつつ、背中パタパタのパチ・豚毛のヘアブラシ・竹のヘアブラシを購入。豚毛のブラシは前々からアナスイで購入する予定だった。けれどボディショップで妥協したのは、うちではブラシなどはどれもふたりで共有しているからだ。アナの姫々しいブラシを使ううちのの姿は想像したくない。素朴なボディショップので充分だ。アナのコスメも方向性を見失ったのか迷走中。ドーリーガールを前面に出さないで欲しい。安っぽくなる一方である。黒くて紫で薔薇と蝶のアナが私は好きだ。金と白はギリギリのライン。プリント物は勘弁して欲しい。せめて浮き彫りに……。
今日出かけたのは、祖母らへのお土産とうちの壊れたドライヤーの買い替え購入の為。祖母へのお土産は手拭い3本。目も耳も足も悪くなっている祖母。何が使えるものか解らず、結局幾つあっても困らなかろう物を選んだ。現地で足になってくれる叔母宅へのお土産に日持ちするお菓子1箱。ドライヤー購入にあたり出かける前の数時間、うちのは某巨大掲示板で、私は某コスメサイトで情報収集。ナショナルのイオニティだな、と志を同じくして電化製品量販店へ。イオニティは……でかいよ、これ。しかも持ち手の部分がシリコンだかラバーだかで加工されていて、あっという間にうちではみすぼらしくなること請け合い。持ち手はプラの方が良さそう。そしてマイナスイオン効果もあって、風量が強くて、嵩張らなくて、音が小さくて、で結局購入したのは日立のマイナスイオンドライヤー。コイズミがヴィダル・サスーンのブランドで出しているドライヤーが強そうだったけれどでかいので却下。うちは狭いのだ。小さくて機能充実、これ。他の電化製品もいろいろ見た。何だか強そうな電化製品が多くて威圧感さえ感じた。炊飯器も掃除機も何だか強そう。強そうなのはいいのだけれども、メカメカしい。引っ越したら家電製品や家具の多くを買い替えようと思っているけれど、メカメカしい物で統一したくはない。木目やアルミを基調にしたうちの好みのシンプルさに、私好みの玩具っぽさやレトロ感を加える脳内予定。そこにメカメカしい物が紛れ込んでくると統一感がなくなる。引越しはどんなに早くても来年。その頃迄にはもっといろいろ進化しているだろう。デザイン性も。
うちのが服を見たいというのでユナイテッドアローズへ。私はその向かいにあるスピック&スパンへ。スピック&スパンのセレクト物レースアップブーツに一目惚れ。店員さんに値段を訊く。暫し待たされて戻ってきた店員さんの言うことにゃ、6万円。撃沈。肩を落として店を出てうちのがいるアローズへ行くと、何やらおかしなことに。うちのがスモーキーピンクのカットソーを持っている。そして、これ、どう? と。いいんじゃない!? 商品自体もいいと思ったが、それ以上にうちのがピンクという色に興味を示したのがいいことだと思った。うちのは兎角無難な恰好を好むので詰まらない。いつも青・白・黒・グレー・茶・ベージュ系の辺り。精々グリーン系。それがピンクという暖色系に興味が向いたのはいいことだ。これからうちののお洒落の幅はきっと広がっていくだろう。スモーキーピンクは寒色やモノトーンに馴染み過ぎた人が次にチャレンジする色に適しているのかもしれない。オレンジや黄色程キツくはないし、ボルドー程渋くもない。慣れた頃にこれらのもっと明るい暖色系に進めればいい。一緒に服を選びに行って詰まらなかった一因がこれだ。いつも寒色系かモノトーン。しかも柄もシンプル好きなので似たり寄ったりのものばかりが集まる。これからは少し楽しくなりそうだ。アローズで私が気になったのは手頃な値段のレースアップバレエシューズ。歳を考えろ、と言われた。仰せの通りで。
その後、無印良品にてうちのがパジャマにするパンツと身体を洗う麻タオルを購入。私は靴下屋で6足の靴下を購入。最後に行ったのはビルケンシュトックの路面店。うちのが気に入った靴はサイズの在庫なし。私が気に入ったのはナンバーナインとのWネームのサンダル。これがまた可愛い外見で、憎ったらしい値段。Wネームでもなんでもないサンダルの花柄も可愛かったけれど、凄く欲しい! と思う程ではなかった。これを買うなら別の靴屋でヒールのある靴が欲しいなあ、と。具体的に言えば、イエナで取扱っているイーリーキシモトの黄色のパンプスが欲しい。欲しいったら欲しい。まだ店頭にあるのだろうか? 駅に向かうのに歩いていた地下街の靴屋に、パッと見て惹かれた鞄があった。正確には鞄というより、籠か変形バスケットか。ボルドーで丸っこいシルエットで出し入れする口もきちんと閉じられる形。そのままでも可愛いし、持ち手部分にブローチやコサージュを付けたら正にガーリッシュ! と、うちのに告げたら、もうガーリッシュの話は飽きた、そうだ。最近、うちのが私に、とても似合っている、と言ってくれる履物がある。生協で購入した裏がモップになっているスリッパ。初めてうちのの前で履いた日、似合う似合う! と大爆笑され、それ以後はしんみりと、いやあ似合うよなあ、と言われる有様。いいのか、それで。生活感丸出しの彼女よりもガーリッシュで小悪魔でロックな彼女の方がン十倍も良かろうて!
今日出かけたのは、祖母らへのお土産とうちの壊れたドライヤーの買い替え購入の為。祖母へのお土産は手拭い3本。目も耳も足も悪くなっている祖母。何が使えるものか解らず、結局幾つあっても困らなかろう物を選んだ。現地で足になってくれる叔母宅へのお土産に日持ちするお菓子1箱。ドライヤー購入にあたり出かける前の数時間、うちのは某巨大掲示板で、私は某コスメサイトで情報収集。ナショナルのイオニティだな、と志を同じくして電化製品量販店へ。イオニティは……でかいよ、これ。しかも持ち手の部分がシリコンだかラバーだかで加工されていて、あっという間にうちではみすぼらしくなること請け合い。持ち手はプラの方が良さそう。そしてマイナスイオン効果もあって、風量が強くて、嵩張らなくて、音が小さくて、で結局購入したのは日立のマイナスイオンドライヤー。コイズミがヴィダル・サスーンのブランドで出しているドライヤーが強そうだったけれどでかいので却下。うちは狭いのだ。小さくて機能充実、これ。他の電化製品もいろいろ見た。何だか強そうな電化製品が多くて威圧感さえ感じた。炊飯器も掃除機も何だか強そう。強そうなのはいいのだけれども、メカメカしい。引っ越したら家電製品や家具の多くを買い替えようと思っているけれど、メカメカしい物で統一したくはない。木目やアルミを基調にしたうちの好みのシンプルさに、私好みの玩具っぽさやレトロ感を加える脳内予定。そこにメカメカしい物が紛れ込んでくると統一感がなくなる。引越しはどんなに早くても来年。その頃迄にはもっといろいろ進化しているだろう。デザイン性も。
うちのが服を見たいというのでユナイテッドアローズへ。私はその向かいにあるスピック&スパンへ。スピック&スパンのセレクト物レースアップブーツに一目惚れ。店員さんに値段を訊く。暫し待たされて戻ってきた店員さんの言うことにゃ、6万円。撃沈。肩を落として店を出てうちのがいるアローズへ行くと、何やらおかしなことに。うちのがスモーキーピンクのカットソーを持っている。そして、これ、どう? と。いいんじゃない!? 商品自体もいいと思ったが、それ以上にうちのがピンクという色に興味を示したのがいいことだと思った。うちのは兎角無難な恰好を好むので詰まらない。いつも青・白・黒・グレー・茶・ベージュ系の辺り。精々グリーン系。それがピンクという暖色系に興味が向いたのはいいことだ。これからうちののお洒落の幅はきっと広がっていくだろう。スモーキーピンクは寒色やモノトーンに馴染み過ぎた人が次にチャレンジする色に適しているのかもしれない。オレンジや黄色程キツくはないし、ボルドー程渋くもない。慣れた頃にこれらのもっと明るい暖色系に進めればいい。一緒に服を選びに行って詰まらなかった一因がこれだ。いつも寒色系かモノトーン。しかも柄もシンプル好きなので似たり寄ったりのものばかりが集まる。これからは少し楽しくなりそうだ。アローズで私が気になったのは手頃な値段のレースアップバレエシューズ。歳を考えろ、と言われた。仰せの通りで。
その後、無印良品にてうちのがパジャマにするパンツと身体を洗う麻タオルを購入。私は靴下屋で6足の靴下を購入。最後に行ったのはビルケンシュトックの路面店。うちのが気に入った靴はサイズの在庫なし。私が気に入ったのはナンバーナインとのWネームのサンダル。これがまた可愛い外見で、憎ったらしい値段。Wネームでもなんでもないサンダルの花柄も可愛かったけれど、凄く欲しい! と思う程ではなかった。これを買うなら別の靴屋でヒールのある靴が欲しいなあ、と。具体的に言えば、イエナで取扱っているイーリーキシモトの黄色のパンプスが欲しい。欲しいったら欲しい。まだ店頭にあるのだろうか? 駅に向かうのに歩いていた地下街の靴屋に、パッと見て惹かれた鞄があった。正確には鞄というより、籠か変形バスケットか。ボルドーで丸っこいシルエットで出し入れする口もきちんと閉じられる形。そのままでも可愛いし、持ち手部分にブローチやコサージュを付けたら正にガーリッシュ! と、うちのに告げたら、もうガーリッシュの話は飽きた、そうだ。最近、うちのが私に、とても似合っている、と言ってくれる履物がある。生協で購入した裏がモップになっているスリッパ。初めてうちのの前で履いた日、似合う似合う! と大爆笑され、それ以後はしんみりと、いやあ似合うよなあ、と言われる有様。いいのか、それで。生活感丸出しの彼女よりもガーリッシュで小悪魔でロックな彼女の方がン十倍も良かろうて!
貴女はか弱き大人の代弁者ですか?w とは、昨日友人とメッセで会話していたときに、話の流れで私が言った言葉。友人は大人になれた真人間なのである。私はモラトリアム思春期反抗期真っ盛りのオトナ。私のこの言葉を受けて、彼女がメッセで言ってきたこと。大 人 を 逃 げ る な !。1文字毎に1スペース開いている。死ぬ程笑った。彼女自身も驚いていた。どうやら彼女のPCで、おとな、を変換したら一発目に上記のワケワカラン言葉が出てきたらしい。彼女にはこんな言葉を辞書登録した記憶はないと言うので、きっと彼女と同棲している彼氏が入れたのだろう。何の為に。きっと友人を驚かせ且つ私を笑わせる為だ。気の利いた彼氏で羨ましい。彼女は彼女でうちののことを、最高!w、と言っていた。彼女からすれば、家でも外でも無駄にうんこちんこまんこしっこなどの幼稚園児の喜ぶ言葉を連発したり、単語にリズムをつけて唄うのは可愛いらしい。断じて、可愛くない。たまになら未だしも、私は毎日そんなのを聞かされているのだ。げんなり。という会話をしていたところでうちのが帰宅したので、落ちた。そして夕食を作りつつその話をしたら、嘘をつくな、と怒られた。嘘じゃないのに。実際、うちのは幼稚園児の喜ぶ単語をいつも口ずさんでいる。それはもう楽しげに。あんた、何歳よ? と問うと、3歳、と答える。残りの30年、あんたは何をしていたんだ……。先日、親が唐突にこんなことを訊いてきた。あんた学校出てそろそろ10年になるけどその間何してた? 答えに窮した。そして搾り出した回答は何だったでしょう? とうちのに訊いてみたら一発で当ててきた。どうせ、うんこしてた、って答えたんだろう。ご名答! 本当にその通りに答えたのだ。嘘ではないし。しかし一発で当ててくるとは凄い。以心伝心? ラブラブ・カップル? 違うか。きっとふたりとも、対象年齢3歳以上、の玩具で充分に遊べる精神年齢なのだろう。余談。(笑)の類は日記では絶対に使わないけれど、メッセや掲示板への書き込みやメールでは稀に使っている。
友人との会話に戻る。嬉々としてアンティーク・バッグ落札の話をしたら、非常に嫌がられてしまった。彼女は古着や古物が苦手なのである。では新品とはいえ試着された服はいいのか? と前々から気になっていたことを訊ねたら、それは気にならないらしい。違いが解らん。彼女曰く、家に持ち込んだかどうか、が大切らしい。成程、と膝を打った。家の匂い、ってどの家でも違うし、その匂いによっては嫌な人は嫌なのだろう。ケモノ飼いでスモーカーふたりの我が家では古着等の匂いは殆ど気にならないのだけれど。彼女は服よりも家具が好きだ。そして恰好いいと思う家具の多くに古物があり、自分の古物嫌いが悔しいときがあるとのこと。彼女の彼氏は古物類に抵抗のない人らしい。しかし彼女が嫌がるので家に持込禁止を命ぜられているとか。1度、中古家具を買うかどうかで喧嘩になったらしい。品物自体はふたり共に気に入った物。でも中古。彼女が反対して結局は購入に至らなかったようだ。そんな話を聞いていた私が座っていたのは、フリーマーケットで安価で購入した中古の木製椅子。嫌悪感もなければ違和感もない。むしろ今迄の椅子よりも余程座り心地がよく、我ながら良い買い物をしたと思っている。友人自身も言っていたけれど、中古嫌いは損だ。可愛く安い物を己の抵抗感でみすみす逃してしまうことになるから。節約が趣味の彼女としては、安いのになあ、という点で悔しさが増している様子。しかし、こういう性分はどうしようもない。きっと私の、入浴……うーむ、と同じような不条理を感じる拘りのようなものなのだろう。などと書くと彼女から、一緒にすんな! と文句を言われそうだが。余談。昨日落札したアンティーク・バッグの出品者が、コレクションの一部を見せてくれた。その中の、もう手放してしまった、というバッグの画像を見たとき、背筋がゾゾッとなった。可愛過ぎて。私が持っている中にはないタイプの物で、堪らなく可愛かった。彼女がそれを手放したのはオークションでのことだと言う。きっとまだ私がこのアンティーク・バッグの蒐集を始める前のことなのだろう。蒐集開始以後なら見逃している筈がないから。そのうちまたその落札者が手放してくれる日が来るのを待つことしかできない。
そして話は小悪魔へ。小悪魔作戦はどうなった? と訊かれたので、定めた方針を説明した。どう足掻いてもセクシー小悪魔にはなれない自分を自覚した。その末の結論。外見は一見ガーリッシュなお天使風味・内面と外見の一部は小悪魔・そして魂はロック。最後のオチで莫迦にされてしまった。しょぼん。モラトリアムな反抗期真っ盛りの者にロックは欠かせんだろう! 莫迦故の発想。いいんだ、莫迦で。汚い大人になんかなりたくないのさ。ガーリッシュ要素の大切なひとつに、無垢であること、があると思っている。無垢。イノセンス。それはロック。違うって。でまあ、ガーリッシュについて話をしていたところ彼女の反応は、まあいいんだけどね、だった。けど、について追求すると話は年齢へ。20代も後半になってガーリッシュかいな! と言いたかったらしい。良いではないか。以前の勤め先で、ガーリッシュなオバサンがいた。独断推定年齢50歳前後。基本はロングフレアスカート。シルエットとしてはピンクハウスっぽい。しかし色味のシックな手作りテイストのあるパッチワーク物が好きらしく、決して若作りには見えないカントリー風ガーリッシュなオバサン。髪はベリーショートに近く、声も可愛く物腰も柔らか。ああいうオバサンに私もなりたい。あの手この手で説明しても彼女には、ガーリッシュなオバサン、のイメージは伝わらなかったらしい。私の伝聞能力の拙さを痛感。また外見の一部で小悪魔らしさ、をというところで笑われたので例えを出した。アイラインの跳ね上げとか、無駄に多いピアスとか、マナーを守った喫煙者、とか。ガーリッシュたる者、喫煙はご法度という人もいるようだが、私は一見ガーリッシュお天使、中身は小悪魔だからいいのだ。そして思い描く自らに近付くべく、昨日は久々に入浴。スッキリ。更にイメトレに励むべく、玉置勉強のエロエロから黒澤優の画像に壁紙変更。
昨今、肩や仙骨の位置を意識して歩いていると少し前に書いた。これはどうやらベーシックウォークと呼ばれているものだったらしい。彼女に更家の話をした。きっと笑われると思ったのに、彼女は私の上手を行っていた。彼女は、以前カルチャーセンターの更家のウォーキング教室に申し込もうとしたのに満員で諦めたことがある、と。別の友人と話をしていたときにも莫迦にされるものと思いつつ更家の話をしたら、彼がTVだか雑誌だかで説明していた、ミュールやサンダルを履いているときにヒール音を立てずに階段を降りる真似をしたらうまくできた、と言っていた。一発キャラかと思いきや、案外浸透していることに驚いた。そこらの一般人にも受け入れられ易く且つ実用的なことを提唱しているからか。これからも大高姐さんのような実用的なことを提唱する者という位置づけでファンを獲得し、メディアで生き延びていくのかもしれない。
服装/ゴ・アキウエのグリーン系ハート柄カムフラフリルシャツ+i.sの黒いサマーウール変形ロングスカート+ベージュの変形ロングカーディガン+モスグリーンのロング丈編み靴下+ピュアルセシンの緑の靴+黒系ポピーバッグ
メイク/下地→ピエヌのピュアウォータリーカラーズRS651→舞妓はんのおしろい→アナスイのアイブロウ→パラドゥのフェイスカラー5→魔女の赤アイライナー→魔女の魔法の粉II→→ビューコスマスカラ→ル・ミュウのエッセンスグロスのピンク
友人との会話に戻る。嬉々としてアンティーク・バッグ落札の話をしたら、非常に嫌がられてしまった。彼女は古着や古物が苦手なのである。では新品とはいえ試着された服はいいのか? と前々から気になっていたことを訊ねたら、それは気にならないらしい。違いが解らん。彼女曰く、家に持ち込んだかどうか、が大切らしい。成程、と膝を打った。家の匂い、ってどの家でも違うし、その匂いによっては嫌な人は嫌なのだろう。ケモノ飼いでスモーカーふたりの我が家では古着等の匂いは殆ど気にならないのだけれど。彼女は服よりも家具が好きだ。そして恰好いいと思う家具の多くに古物があり、自分の古物嫌いが悔しいときがあるとのこと。彼女の彼氏は古物類に抵抗のない人らしい。しかし彼女が嫌がるので家に持込禁止を命ぜられているとか。1度、中古家具を買うかどうかで喧嘩になったらしい。品物自体はふたり共に気に入った物。でも中古。彼女が反対して結局は購入に至らなかったようだ。そんな話を聞いていた私が座っていたのは、フリーマーケットで安価で購入した中古の木製椅子。嫌悪感もなければ違和感もない。むしろ今迄の椅子よりも余程座り心地がよく、我ながら良い買い物をしたと思っている。友人自身も言っていたけれど、中古嫌いは損だ。可愛く安い物を己の抵抗感でみすみす逃してしまうことになるから。節約が趣味の彼女としては、安いのになあ、という点で悔しさが増している様子。しかし、こういう性分はどうしようもない。きっと私の、入浴……うーむ、と同じような不条理を感じる拘りのようなものなのだろう。などと書くと彼女から、一緒にすんな! と文句を言われそうだが。余談。昨日落札したアンティーク・バッグの出品者が、コレクションの一部を見せてくれた。その中の、もう手放してしまった、というバッグの画像を見たとき、背筋がゾゾッとなった。可愛過ぎて。私が持っている中にはないタイプの物で、堪らなく可愛かった。彼女がそれを手放したのはオークションでのことだと言う。きっとまだ私がこのアンティーク・バッグの蒐集を始める前のことなのだろう。蒐集開始以後なら見逃している筈がないから。そのうちまたその落札者が手放してくれる日が来るのを待つことしかできない。
そして話は小悪魔へ。小悪魔作戦はどうなった? と訊かれたので、定めた方針を説明した。どう足掻いてもセクシー小悪魔にはなれない自分を自覚した。その末の結論。外見は一見ガーリッシュなお天使風味・内面と外見の一部は小悪魔・そして魂はロック。最後のオチで莫迦にされてしまった。しょぼん。モラトリアムな反抗期真っ盛りの者にロックは欠かせんだろう! 莫迦故の発想。いいんだ、莫迦で。汚い大人になんかなりたくないのさ。ガーリッシュ要素の大切なひとつに、無垢であること、があると思っている。無垢。イノセンス。それはロック。違うって。でまあ、ガーリッシュについて話をしていたところ彼女の反応は、まあいいんだけどね、だった。けど、について追求すると話は年齢へ。20代も後半になってガーリッシュかいな! と言いたかったらしい。良いではないか。以前の勤め先で、ガーリッシュなオバサンがいた。独断推定年齢50歳前後。基本はロングフレアスカート。シルエットとしてはピンクハウスっぽい。しかし色味のシックな手作りテイストのあるパッチワーク物が好きらしく、決して若作りには見えないカントリー風ガーリッシュなオバサン。髪はベリーショートに近く、声も可愛く物腰も柔らか。ああいうオバサンに私もなりたい。あの手この手で説明しても彼女には、ガーリッシュなオバサン、のイメージは伝わらなかったらしい。私の伝聞能力の拙さを痛感。また外見の一部で小悪魔らしさ、をというところで笑われたので例えを出した。アイラインの跳ね上げとか、無駄に多いピアスとか、マナーを守った喫煙者、とか。ガーリッシュたる者、喫煙はご法度という人もいるようだが、私は一見ガーリッシュお天使、中身は小悪魔だからいいのだ。そして思い描く自らに近付くべく、昨日は久々に入浴。スッキリ。更にイメトレに励むべく、玉置勉強のエロエロから黒澤優の画像に壁紙変更。
昨今、肩や仙骨の位置を意識して歩いていると少し前に書いた。これはどうやらベーシックウォークと呼ばれているものだったらしい。彼女に更家の話をした。きっと笑われると思ったのに、彼女は私の上手を行っていた。彼女は、以前カルチャーセンターの更家のウォーキング教室に申し込もうとしたのに満員で諦めたことがある、と。別の友人と話をしていたときにも莫迦にされるものと思いつつ更家の話をしたら、彼がTVだか雑誌だかで説明していた、ミュールやサンダルを履いているときにヒール音を立てずに階段を降りる真似をしたらうまくできた、と言っていた。一発キャラかと思いきや、案外浸透していることに驚いた。そこらの一般人にも受け入れられ易く且つ実用的なことを提唱しているからか。これからも大高姐さんのような実用的なことを提唱する者という位置づけでファンを獲得し、メディアで生き延びていくのかもしれない。
服装/ゴ・アキウエのグリーン系ハート柄カムフラフリルシャツ+i.sの黒いサマーウール変形ロングスカート+ベージュの変形ロングカーディガン+モスグリーンのロング丈編み靴下+ピュアルセシンの緑の靴+黒系ポピーバッグ
メイク/下地→ピエヌのピュアウォータリーカラーズRS651→舞妓はんのおしろい→アナスイのアイブロウ→パラドゥのフェイスカラー5→魔女の赤アイライナー→魔女の魔法の粉II→→ビューコスマスカラ→ル・ミュウのエッセンスグロスのピンク
太った。ような気がする。昔もらったパンツがキツい。どれ位キツいかって、ウエストを閉じたままずっと椅子に座っていると、ウエストとその周りの皺の当たる部分が赤くなるのを通り越して青くなる位。キツさに負けて開けなければ鬱血するところだった。穿いたときに、かなりフィット感があるな、と思い鏡を見ると、両脇のポケットの裏地が見えている! ……きっと縫製が悪い所為だ。いや、私の腰周りが標準サイズだからだ。このパンツは明らかにSサイズ。7号サイズ。そんなパンツにMサイズ・9号サイズの足腰を突っ込んだらそりゃあポケットの裏地も見える罠。どうも周囲の人々は勘違いをしている。上半身が薄いからといって下半身も薄いとは限らないのだ。なのに、私にはキツかったから、とボトムをくれる。あなたにキツい服は私にもキツい。幾ら言っても覚えてくれない。何故ならその相手は親だから。聞いたことから忘れていく。親と絶縁した。筈だったのに、なんだかよく解らないことになっている。先日、携帯電話に親から着信があった。出てみると、ニュース! ニュース! と大騒ぎ。何事かと思いきや、父親が前屈して床に手が届くようになったとのこと。だから……? 何……? 絶縁って一体……? 親曰く、うちのとのことはアレだが、私とは親子の縁を切りたくないらしい。あの騒動は何だったのか。かなりもにょるが敢えて突っ込まない。突っ込んだらまたあのような気違い騒動が起こりそうだから。でも苛々する。絶縁するって言ってきた親らから、私に擦り寄ってくる矛盾。それに適当に付き合う自分に嫌悪。結局、親の前ではいい顔をしてしまう癖が抜けていないのだ。適度な距離を保つのが限界。今月末の週末、祖母のお見舞いに親と行くことになっている。それはいい。いいのだが。だがしかし。
逃げ場のない責め方をする人間は私の親だけではない。例えば。なんで〜〜やってないの? 忘れていたから。なんで忘れるの? なんでって……。暫し沈黙。黙っていれば済むと思っているでしょ!? 思っていません、ごめんなさい。謝れば済むと思っているでしょ!? 暫し沈黙。黙って(以下ループ。逃げ場がない。逃げ道がない。だから前以って言い訳を考える。すると、言い訳するな! と怒られる。謝るとまた、謝ればいいと思っているでしょ!? そうして歪に出来上がったオトナの私。世の中で最も大切なことは、相手の顔色を伺うこと。相手に責められないように相手の望む返事をすること。自分を殺して。自我殺傷。そして本当に自分の心身を傷付けるに至る。私のチェーンスモークは緩やかな自殺。禁煙を迫るうちのに、煙草は私のアイデンティティだ! と言い切ったことがある。その場凌ぎの出任せだったけれど、あながち嘘ではないかもしれない。主治医に以前、本音でぶつかってくるように、と言われた。当然、はい、と答えた。けれど、実際のところ本音でぶつかっていったことはない。主治医の機嫌を損ねたくないから。見捨てられたくないから。他者に嫌われたらどんな目に遭うのか、幼い頃から私にはすり込まれている。嫌味を言われ、無視され、最後にはいなくなる。追い縋る自分は惨め。ならば最初から相手の機嫌を損ねなければいい。大人がどうすれば喜ぶか、私はツボを心得ている。それは私が大人だからではなくオトナだから。他者はこれを、処世術、と呼ぶかもしれない。それは私に於いては間違い。私の他者への顔色伺いは病的だ。病的だと自覚していても、どうすれば病的でなくなるかが解らない。だって皆、私の自我のままに行動すると離れていくから。嫌われるから。ひとりになるから。淋しいのは平気。なフリをすることに余りにも慣れ過ぎてしまった。病的に慣れ過ぎてしまった。
縺れた糸を解すのが私は苦手だ。縺れてしまったら切ればいい。短絡的発想。それでも世の中に無限に糸がある訳ではなく、切っていけばいく程に糸は短くなり、最後にはなくなる。解っていても解せない。糸の端を持つもうひとりが、私が解く先から絡ませていくこともある。悲しい。淋しい。自信が持てない。私には、啓蒙書の類を読む人間を小莫迦にしている節がある。自己啓発本を読んで、自分探し、に終止符が打てた人なんかいないに決まっている。打てたとしてもそれは、休止符ではなく小休止符。言い換えれば妥協点。ありのままの自分、を真に理解できている人はいないに決まっている。ありのまま、というもの自体が流動的だ。流動的だ、ということに気付いている人はどれだけいるのだろう。少なくとも他者に向って、〜〜さんらしい乃至〜〜さんらしくない、と吐く奴は絶対に解っていないに違いない。自分らしさ、なんて自分でも解らない。でもきっと多くの大人はそんなことは考えていない。忙しいから。暇なオトナな私は考える。無駄なのに。答えなんか出ないのに。
流動的な私の体重は、さっき量ったらベスト体重迄後2kg。一時期よりも5kg近く増えた。不健康に。増えた5kgの半分以上はお菓子類だろう。今日の昼食もバウムクーヘン。頬とアンダーバストから下のみに肉が付いていく。いかん、いかん。最近、デューク更家のウォーキングもどきで歩くようにし始めた。名付けられたウォーキングをこなしているのではなく、単に肩と仙骨の位置と足の進め方を意識しているだけ。それでも近所のコンビニに行き来するだけで腹筋が痛くなった。如何にこれ迄間違った歩き方をしていたか、如何にこれ迄運動不足だったかを物語る話。腹筋が多少痛むのはそのうち慣れるとして、この間あったちょっと酷い話。寝る間際に発作勃発。痛い痛いと呟いて布団から抜けた私にうちのがかけた言葉は、寒い。布団を捲りっぱなしにしていたのだ。だからってそりゃないんじゃないかと小一時間(以下略。この発作で死にはしない。うちのが疲れてて眠いのも知っている。起きているときに私が発作に襲われたときは優しくしてくれる。でも。幾ら寝入り端だからって、寒い、の一言はあんまりじゃあないか。愛を疑ってしまった。翌日、軽く責めたら謝ってくれたけれど。この、軽く、が自分への嘘。本当に悲しかったし腹が立った。でも正面切って責める勇気がないから、冗談ぽく責める。謝ってくれても靄がかかっているのは、うちのの所為ではない。自分の他者への接し方に、自身で納得ができていない故のこと。嘘や欺瞞と処世術の区別が付かない。他所の大人はちゃんと区別が付いているのか。区別が付かないのはモラトリアムなオトナだからか。果たして私は、区別が付くようになりたいと本心から思っているのかどうかも怪しい。ロックってそんなもんじゃないだろう! と心の叫び。お天使な小悪魔のモラトリアムはロックなのだ。ワケワカラン。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
逃げ場のない責め方をする人間は私の親だけではない。例えば。なんで〜〜やってないの? 忘れていたから。なんで忘れるの? なんでって……。暫し沈黙。黙っていれば済むと思っているでしょ!? 思っていません、ごめんなさい。謝れば済むと思っているでしょ!? 暫し沈黙。黙って(以下ループ。逃げ場がない。逃げ道がない。だから前以って言い訳を考える。すると、言い訳するな! と怒られる。謝るとまた、謝ればいいと思っているでしょ!? そうして歪に出来上がったオトナの私。世の中で最も大切なことは、相手の顔色を伺うこと。相手に責められないように相手の望む返事をすること。自分を殺して。自我殺傷。そして本当に自分の心身を傷付けるに至る。私のチェーンスモークは緩やかな自殺。禁煙を迫るうちのに、煙草は私のアイデンティティだ! と言い切ったことがある。その場凌ぎの出任せだったけれど、あながち嘘ではないかもしれない。主治医に以前、本音でぶつかってくるように、と言われた。当然、はい、と答えた。けれど、実際のところ本音でぶつかっていったことはない。主治医の機嫌を損ねたくないから。見捨てられたくないから。他者に嫌われたらどんな目に遭うのか、幼い頃から私にはすり込まれている。嫌味を言われ、無視され、最後にはいなくなる。追い縋る自分は惨め。ならば最初から相手の機嫌を損ねなければいい。大人がどうすれば喜ぶか、私はツボを心得ている。それは私が大人だからではなくオトナだから。他者はこれを、処世術、と呼ぶかもしれない。それは私に於いては間違い。私の他者への顔色伺いは病的だ。病的だと自覚していても、どうすれば病的でなくなるかが解らない。だって皆、私の自我のままに行動すると離れていくから。嫌われるから。ひとりになるから。淋しいのは平気。なフリをすることに余りにも慣れ過ぎてしまった。病的に慣れ過ぎてしまった。
縺れた糸を解すのが私は苦手だ。縺れてしまったら切ればいい。短絡的発想。それでも世の中に無限に糸がある訳ではなく、切っていけばいく程に糸は短くなり、最後にはなくなる。解っていても解せない。糸の端を持つもうひとりが、私が解く先から絡ませていくこともある。悲しい。淋しい。自信が持てない。私には、啓蒙書の類を読む人間を小莫迦にしている節がある。自己啓発本を読んで、自分探し、に終止符が打てた人なんかいないに決まっている。打てたとしてもそれは、休止符ではなく小休止符。言い換えれば妥協点。ありのままの自分、を真に理解できている人はいないに決まっている。ありのまま、というもの自体が流動的だ。流動的だ、ということに気付いている人はどれだけいるのだろう。少なくとも他者に向って、〜〜さんらしい乃至〜〜さんらしくない、と吐く奴は絶対に解っていないに違いない。自分らしさ、なんて自分でも解らない。でもきっと多くの大人はそんなことは考えていない。忙しいから。暇なオトナな私は考える。無駄なのに。答えなんか出ないのに。
流動的な私の体重は、さっき量ったらベスト体重迄後2kg。一時期よりも5kg近く増えた。不健康に。増えた5kgの半分以上はお菓子類だろう。今日の昼食もバウムクーヘン。頬とアンダーバストから下のみに肉が付いていく。いかん、いかん。最近、デューク更家のウォーキングもどきで歩くようにし始めた。名付けられたウォーキングをこなしているのではなく、単に肩と仙骨の位置と足の進め方を意識しているだけ。それでも近所のコンビニに行き来するだけで腹筋が痛くなった。如何にこれ迄間違った歩き方をしていたか、如何にこれ迄運動不足だったかを物語る話。腹筋が多少痛むのはそのうち慣れるとして、この間あったちょっと酷い話。寝る間際に発作勃発。痛い痛いと呟いて布団から抜けた私にうちのがかけた言葉は、寒い。布団を捲りっぱなしにしていたのだ。だからってそりゃないんじゃないかと小一時間(以下略。この発作で死にはしない。うちのが疲れてて眠いのも知っている。起きているときに私が発作に襲われたときは優しくしてくれる。でも。幾ら寝入り端だからって、寒い、の一言はあんまりじゃあないか。愛を疑ってしまった。翌日、軽く責めたら謝ってくれたけれど。この、軽く、が自分への嘘。本当に悲しかったし腹が立った。でも正面切って責める勇気がないから、冗談ぽく責める。謝ってくれても靄がかかっているのは、うちのの所為ではない。自分の他者への接し方に、自身で納得ができていない故のこと。嘘や欺瞞と処世術の区別が付かない。他所の大人はちゃんと区別が付いているのか。区別が付かないのはモラトリアムなオトナだからか。果たして私は、区別が付くようになりたいと本心から思っているのかどうかも怪しい。ロックってそんなもんじゃないだろう! と心の叫び。お天使な小悪魔のモラトリアムはロックなのだ。ワケワカラン。
BGM/アルバム「押絵と旅する男」
生存欲求の高まりか、最近になって危機管理について考えることが多くなった。一例として少し前迄、うちではちょっとコンビニやスーパーに行く程度なら鍵をかけなかった。それをかけるようになった。今迄が無防備すぎた説もあろうが、これも危機管理一歩前進。今、二歩目について考えている。住所や名前が書かれた郵便物などの処理について。私はこれらを捨てる場合は必ず小動物らのトイレ処理をしたスーパーの袋の中に捨て、その袋を縛って更に大きな半透明袋にその他のゴミと一緒に捨てている。半透明袋を縛る前、全体に煙草の吸殻と灰を振りかける事も忘れない。小動物らのトイレ処理に使った袋はそれはそれは臭いもので、鼻ではなく目に沁みてきたりする。なのでまず拾う者はいないと思う。思うけれど、本当にこれで安心していていいのか? とふと不安感が過ぎった。家庭用手動シュレッダなどで刻んでから同様に捨てた方が、より安全ではなかろうか、と。で、うちのに相談。今はこうやって住所や名前が書いてある物を捨てているけど大丈夫かな? 念の為シュレッダにかけた方がいいかな? うちのの返答。また金のかかることを考え出したよ……。違う! 今の通りの捨て方で大丈夫でしょ? と言ってもらえれば当然シュレッダなど買わずに今迄通りの捨て方続行だ。そういうことじゃなくて……と言うと、手で千切って捨てればいいじゃん。住所や名前の書いてある物って、決して多くはないけれど少なくもない。それをいちいち全部手か鋏で細かくしろと。苛々。こいつ、人の話を真面目に聞いちゃなねえ。しょーもない話なら生返事でもまあ我慢しよう。でも真剣に相談しているのにそれか。真面目に相談しているんだけど、と言うと、手や鋏で切るのがそんなに手間なのか!? と逆切れされた。論点が既に違ってきている。私が知りたかったのは、今の捨て方で大丈夫か、それともシュレッダにかけるなり何なりしてもっと気をつけるべきか、だったのだ。そのまま喧嘩になり、今後一切家庭の危機管理については相談しない! と私が啖呵を切って話は終了。この会話の諸悪の根源は某PS2のゲームである。
昨日うちのが仕事から帰宅し、食事をしたときからちょっと機嫌が悪かった。うちのの機嫌を損ねたのは私が原因。幾らなんでも多過ぎか? という量の料理をうちのの器に持ってしまったから。うちのは、残していい? と訊いてきた。別に残されても構わなかったのだけれど、不味かった? 全部食べて欲しかったなあ、と言ってみた。あくまで、言ってみただけで断じて強要はしていない。なのに、うちのは無理矢理完食。相当につらそうだった……。無理して食べなくてもよかったのに、と言うと、全部食べて欲しいって言ったのはお前だろ! と。確かにそう言いはしたが。その後、うちのに強請られる侭に珈琲を要れたことで仲直りできた筈だったのに、最後にはやはり上記のように喧嘩。一旦仲直りして食事の話が続いていた訳ではないので、やはり喧嘩の諸悪の根源はPS2某ゲーム。ゲーム中にうちのに話しかけても碌に返事が返ってこない。返ってきても生返事。因って話が深まると、何? もっかい最初から言って、などと言いやがる。今迄の返事は何だったのかと小一時間(以下略。昨日は真面目な相談をしていたのでそれで喧嘩となった。腹が立つのでデータを全部消してやろうか、と思いついたが余りに大人げないので我慢。今日帰宅しても、向こうが謝ってくる迄は無視を決め込む予定。これはこれで大人げないか。いや、データ処分よりはマシだから良しとする。
一昨日は入浴をし、先日の日記に書いた通りに草食動物の爪切りをしてもらう為、かかりつけの動物病院へキャリーに入れて連れて行った。行きしに狭い原っぱがあり、そこでうちの草食と同じ種が伸びていた。連れていたのはカップル。話しかけてちょっと触らせてもらう。その仔の年齢はうちの草食と同じだったけれど、うちのより一回り小さい。グレーの大人しいかわいい仔だった。有難う、とお礼を言って動物病院へ。爪を切ってもらい、ついでに歯の伸び具合もチェックしてもらう。干草克服効果か、非常に順調だと言ってもらえた。良き哉、良き哉。そして雑食動物の次の餌について相談。私なりに調べたリストを持って行き、セーフラインを教えてもらい、その中の一社は市販品だけでなく動物病院だけに卸している餌もある、と。そこのと別もう一社のサンプルをもらい、今迄の餌がまだあると言うのでそれを買って帰宅……する前に。原っぱに行きしにいた草食が、もういなくなっていた。犬の散歩にはまだ早い時間。リードを忘れてしまったので暫し逡巡した後、コンビニで缶ジュースを買って原っぱのベンチに腰を下ろし、草食を放ってみた。家でケージ飼いしているので、そう速くは走れまい、と踏んでのこと。放すと草食は跳ねては止まって雑草を食し、跳ねては止まって雑草を食し。その様子を私はベンチでジュースを飲み煙草を吸いつつ、常に目と手の届く範囲で見守っていた。もっと広い原っぱなのに、小一時間程かけて、草食は普段住んでいるケージの4倍程度の範囲をぐるーっと一回りして足元に戻ってきた。些細な幸せ。家では懐いていないようにしか思えない素振りばかりしていても足元に戻ってきてくれた。じーん……。調子に乗って、膝の上に乗せてみた。反抗しない。じーん……。犬を散歩に連れてくる人が多くなったこともあり、リードなしの無神経DQN飼い主に遭遇しない前に帰宅、帰宅後も草食の興奮は続いていたようで、トイレでない場所で小用を足したのはご愛嬌。私の足元に戻ってきてくれたことの嬉しさで、処理の面倒さはチャラだ。
以前、草食をそこに連れて行って散歩させようとしたことがある。そのときは固まって動かなかった。リードをつけていたことが敗因か、それともDQNな飼い主が犬が草食に走り寄るのを、あらあら可愛いわね、などと止めずに草食を怖がらせたのが敗因か。その後、犬のDQN飼い主怖さに草食を散歩に連れて行くことは殆どなくなったけれど、昨日の様子を思えば時間帯を選んでノーリードでなら大丈夫そうな気がした。暖かくなってきたし、また連れて行こう。私自身も日向ぼっこはちょっと気持ちよかった。通りかかった人に、かわいい、と草食が褒められたことでもご満悦也。こんないい気分の日。最後の最後でケチがついたのが悔しいったらない。ネトゲで家庭崩壊という話は聞いたことがあったけれど、まさかただのPS2でこんな危機に陥ろうとは。郵便物などの危機管理よりも、家庭内の危機管理の方が大切なのか? そんな家、イヤだなあ。仲良きことは美しき哉。武者小路実篤。
昨日の服装/セレクトショップの白いオフタートルカットソー+コキュのパステルパープル5分袖ワッフル地トレーナー+i.sのピンクのパンツ+ビルケンの青い靴
昨日うちのが仕事から帰宅し、食事をしたときからちょっと機嫌が悪かった。うちのの機嫌を損ねたのは私が原因。幾らなんでも多過ぎか? という量の料理をうちのの器に持ってしまったから。うちのは、残していい? と訊いてきた。別に残されても構わなかったのだけれど、不味かった? 全部食べて欲しかったなあ、と言ってみた。あくまで、言ってみただけで断じて強要はしていない。なのに、うちのは無理矢理完食。相当につらそうだった……。無理して食べなくてもよかったのに、と言うと、全部食べて欲しいって言ったのはお前だろ! と。確かにそう言いはしたが。その後、うちのに強請られる侭に珈琲を要れたことで仲直りできた筈だったのに、最後にはやはり上記のように喧嘩。一旦仲直りして食事の話が続いていた訳ではないので、やはり喧嘩の諸悪の根源はPS2某ゲーム。ゲーム中にうちのに話しかけても碌に返事が返ってこない。返ってきても生返事。因って話が深まると、何? もっかい最初から言って、などと言いやがる。今迄の返事は何だったのかと小一時間(以下略。昨日は真面目な相談をしていたのでそれで喧嘩となった。腹が立つのでデータを全部消してやろうか、と思いついたが余りに大人げないので我慢。今日帰宅しても、向こうが謝ってくる迄は無視を決め込む予定。これはこれで大人げないか。いや、データ処分よりはマシだから良しとする。
一昨日は入浴をし、先日の日記に書いた通りに草食動物の爪切りをしてもらう為、かかりつけの動物病院へキャリーに入れて連れて行った。行きしに狭い原っぱがあり、そこでうちの草食と同じ種が伸びていた。連れていたのはカップル。話しかけてちょっと触らせてもらう。その仔の年齢はうちの草食と同じだったけれど、うちのより一回り小さい。グレーの大人しいかわいい仔だった。有難う、とお礼を言って動物病院へ。爪を切ってもらい、ついでに歯の伸び具合もチェックしてもらう。干草克服効果か、非常に順調だと言ってもらえた。良き哉、良き哉。そして雑食動物の次の餌について相談。私なりに調べたリストを持って行き、セーフラインを教えてもらい、その中の一社は市販品だけでなく動物病院だけに卸している餌もある、と。そこのと別もう一社のサンプルをもらい、今迄の餌がまだあると言うのでそれを買って帰宅……する前に。原っぱに行きしにいた草食が、もういなくなっていた。犬の散歩にはまだ早い時間。リードを忘れてしまったので暫し逡巡した後、コンビニで缶ジュースを買って原っぱのベンチに腰を下ろし、草食を放ってみた。家でケージ飼いしているので、そう速くは走れまい、と踏んでのこと。放すと草食は跳ねては止まって雑草を食し、跳ねては止まって雑草を食し。その様子を私はベンチでジュースを飲み煙草を吸いつつ、常に目と手の届く範囲で見守っていた。もっと広い原っぱなのに、小一時間程かけて、草食は普段住んでいるケージの4倍程度の範囲をぐるーっと一回りして足元に戻ってきた。些細な幸せ。家では懐いていないようにしか思えない素振りばかりしていても足元に戻ってきてくれた。じーん……。調子に乗って、膝の上に乗せてみた。反抗しない。じーん……。犬を散歩に連れてくる人が多くなったこともあり、リードなしの無神経DQN飼い主に遭遇しない前に帰宅、帰宅後も草食の興奮は続いていたようで、トイレでない場所で小用を足したのはご愛嬌。私の足元に戻ってきてくれたことの嬉しさで、処理の面倒さはチャラだ。
以前、草食をそこに連れて行って散歩させようとしたことがある。そのときは固まって動かなかった。リードをつけていたことが敗因か、それともDQNな飼い主が犬が草食に走り寄るのを、あらあら可愛いわね、などと止めずに草食を怖がらせたのが敗因か。その後、犬のDQN飼い主怖さに草食を散歩に連れて行くことは殆どなくなったけれど、昨日の様子を思えば時間帯を選んでノーリードでなら大丈夫そうな気がした。暖かくなってきたし、また連れて行こう。私自身も日向ぼっこはちょっと気持ちよかった。通りかかった人に、かわいい、と草食が褒められたことでもご満悦也。こんないい気分の日。最後の最後でケチがついたのが悔しいったらない。ネトゲで家庭崩壊という話は聞いたことがあったけれど、まさかただのPS2でこんな危機に陥ろうとは。郵便物などの危機管理よりも、家庭内の危機管理の方が大切なのか? そんな家、イヤだなあ。仲良きことは美しき哉。武者小路実篤。
昨日の服装/セレクトショップの白いオフタートルカットソー+コキュのパステルパープル5分袖ワッフル地トレーナー+i.sのピンクのパンツ+ビルケンの青い靴
≠現実的ドリーム。ここ最近、見る夢見る夢、悉くディテールが細かくてしかも起きたときに記憶に残っていて、寝ても休まって気がしない。昨夜は一晩中私は寝たまま殆ど笑っていたらしく、ときどきふて腐れていたとか。笑っていたときの夢は、私が「タモリ倶楽部」に出演している夢。近所の公園に中が見える籠状のゴミ箱が設置されており、そこに1万円札のみが入っている。躊躇なく拾う私にカメラが近づき、やっぱり拾う人っているんですね〜、とタモリとその隣で笑うみうらじゅん。この手の素人弄り番組ではないし、起きていて多少なりとも分別のあるときの私ならそんな形でテレビになんか出たくない。なのに喜び勇み且つ舞い上がっていたらしく、某うぷろだに、今週の「タモリ倶楽部」に出てます! 誰かキャプきぼん! と浮かれ捲ってリクエストしていた。あくまで夢の中で。このときにもし眠剤が入っていたら小人さんが書き込みしていたかも。恐怖、妄想暴走DQNだ。鬱。その次に見た夢は、男性芸能人が登場していたけれど内容が内容故に匿名で。その某芸能人が新興宗教の布教活動にやたら熱心で、法被を着て近所の銀行でティッシュや洗剤を配っていた。その熱心さがツボに嵌って大笑いしていたらしい。寝ながらにして頻りに笑う私が、うちのには怖かったようだ。一晩中、笑っていた訳ではない。寝始めて最初に見たのは、うちのからプレゼントされたブレスレットをなくしてしまい必死で探す夢。この夢が物凄く現実的で、ことの成り行きから説明。昨日の私は休薬日として眠剤もその他の薬も一切の飲まなかった。当然寝つきが悪い。なかなか寝付けずにアクセサリーの整理を始めて、ふと気付くとブレスが……。必死で探しているときに目が覚めて、ああ夢だったのか、と。その次は、やはりなかなか寝付けずにその中で強盗が入りそうだと第六感の働いた私が貴重品の整理を始めた夢。私のとっての貴重品……某バンドのCDなどの音源やビデオ集。冷静に考えたら、通帳や判子を管理すべきだが、夢の中の私の貴重品はあくまでそれら音源だったらしい。そして見当たらない音源を必死で探していた。そして音源等を収納するのに今は手元にない鞄を使おうと、クローゼットを引っ掻き回してその鞄を探していた。ブレス探し及び鞄探しの夢は寝入り端に見たもので、前提に、寝つきが悪く寝るのを諦めて何か行動を始め……ってところにリアリティがあった。このときの不安感を、熟睡していたうちのは知らない。その後見た笑い転げる夢だけを、うちのが起きた状態で見て、ずっと笑ってて気持ち悪い、と起こされた。
そのとき、私は不機嫌だった。起こされただけでも不機嫌なのに、起こされる直前に見ていた夢がまた私を不機嫌にさせるものだった。。先日、うちのに顔剃り用のT字剃刀を購入してくるよう頼まれた。これは事実。で、私が買ってきたのは男性用剃刀の中で最も強力そうな4枚刃の物。よく解らないのだが、2枚刃より3枚刃、3枚刃より4枚刃の方が強そうだからこれにした。うちのは100均で3セット100円で売っている程度の安物でよかったらしい。安物を買ってきて文句を言われるならともかく、ちょっと良さそうな物を買ってきてぐだぐだ言われるなんて如何なものか。しかも夢の中で、その剃刀使ってみたいから貸して、と言う私にうちのは、おまいが使ったらもう俺は使わん! と。諦めて食事の支度をすべくキッチンに立った私の背にうちのから、今は使っても黙認するつもりでいたのになー、と。なんじゃそりゃ! ムカーッ!! ってとこで起こされたので超不機嫌な私。不機嫌理由を訊ねられ、だって剃刀貸してくれないって言ったもん! と。うちのは呆れつつ困っていた。夢と現の区別、相変わらずついていない。どこの餓鬼んちょか。しかも眠気は続いており、起こされたこと自体にも立腹。そんな私にうちの曰く、今晩また寝られるんだから。お説、ご尤も。
ではこれをきっかけに頑張って起きて、睡眠リズムを整えようかと日付が変わる前に眠剤を投入し、キリのいいところでネットから離れて布団へ。……寝られん。まず蛍光灯が煌々、テレビの音も煩い。テレビのボリュームを下げてくれ、とケラよろしく言い、蛍光灯も消して部分的ライティングに変えてもらった。まだまだ起きているつもりだったうちのにしては、かなりの配慮だろう。でも。テレビの音と相俟ってうちのがPCで聴く音楽が煩い。私は寝たいんですけど! ヘッドフォンを貸そうか? と言うと止めてくれた。私はうちのが布団に入ったらキーボードを叩く音以外は極力排除するように心掛けている。テレビを消し、PCの音源も止め、やっと静かに寝られるかと思いきや、PS2でゲームを始めやがった。音量は小さいけれど銃撃の音はやはり気になるし、何よりも画面に映る光が部屋にもカメラのフラッシュ状に瞬く。そんな中でどうにか眠りに落ち……3時間半でトイレに起きて目が覚めてしまった。さっきずっと止めていたドラールを入れて、現在睡魔待ち。誰も悪くない。強いて言えば私の睡眠の質が悪い。持って行き場のない憤りが沸々と。この後2度寝して、その沸々が収まるといいのだが。
それにしてもここのところ、うちのとタイミングがズレることが頻繁に起きている。例えば、夕食の支度や下拵えが済んでいるのに、飲み会に出ちゃってこのまま2次会に行ってきます。前以って言え! しかもその飲み会は送別会ばかり。いつも1次会だけで帰宅する予定で挑むらしい。なのに気付いたら2次会へ。それはいいとする。仕事上の付き合いも大切だ。だがしかし、煮込み料理ならともかく麺類や炒め物は調理及び下拵え後にそんな連絡を貰うと困る。むしろ迷惑。今後は23時半迄には連絡してくれるよう頼んだけれど、守ってもらえるやらどうやら。過去の経験からして、この約束はまず守られまい。暗雲張り捲り。そして昨日、うちのの外出中に入浴をした。いつも、風呂入ってないし……で外出したがりのうちのの誘いを断り続けることに申し訳なさを感じていたから。そしたら、明日仕事なんだよ、ごめん。前以って言っておけ! 仕方がないので開院時間内に目覚めたら草食動物の爪切りにでも連れて行こうかと。ところで。他者の寝言に返事をするのは宜しくないと言われている。迷信的解釈からすれば、寝言に返事をされると夢と現の区別がつかなくなりアッチに逝ってしまう可能性があるからとか。科学的解釈では、寝言に返事をされると脳の疲れが取れず、寝起きスッキリとはならないとか。うちのは笑い声が大半を占めていた寝言に返事はしていないだろう。笑い声に返事なんてしようにも難しかろうし。でも昨日の朝は全く疲れが取れていなかった。迷信的解釈論に乗るつもりはない。単に、寝入り端からリアルに続いてもおかしくない夢を見ていたせいで夢と現実がごっちゃになって途中でかなり混乱してしまったことと、夢毎の断眠の多さが原因かと想像している。夢と現の区別がつかないのは、幾ら寝起きだけとはいえども芳しくない。
世間との交流を持つべきか、と考えてうちのと私の今後の仕事について話し合った。無記名ライターとしてなら振れる仕事はなくないけれど、あんたの文章はテクニック不足、とバッサリ。ここで言うテクニックとは、自我を殺して雑誌のテイストに合う文章を書く技術のこと。私の我の強い文章では、相当な訓練が必要らしい。昔私がいたジャンルでも雑誌テイストに合わせることは無記名ライターに最も求められていたことで、できない訳ではない。けれど、今迄と遠いまたメジャーなジャンルの雑誌では当時築いたテクでは未熟らしい。当分はまだ社会からの隔離生活が続きそうだ。一瞬、社会復帰したくなったのにその気はもう削げた。早っ!
そのとき、私は不機嫌だった。起こされただけでも不機嫌なのに、起こされる直前に見ていた夢がまた私を不機嫌にさせるものだった。。先日、うちのに顔剃り用のT字剃刀を購入してくるよう頼まれた。これは事実。で、私が買ってきたのは男性用剃刀の中で最も強力そうな4枚刃の物。よく解らないのだが、2枚刃より3枚刃、3枚刃より4枚刃の方が強そうだからこれにした。うちのは100均で3セット100円で売っている程度の安物でよかったらしい。安物を買ってきて文句を言われるならともかく、ちょっと良さそうな物を買ってきてぐだぐだ言われるなんて如何なものか。しかも夢の中で、その剃刀使ってみたいから貸して、と言う私にうちのは、おまいが使ったらもう俺は使わん! と。諦めて食事の支度をすべくキッチンに立った私の背にうちのから、今は使っても黙認するつもりでいたのになー、と。なんじゃそりゃ! ムカーッ!! ってとこで起こされたので超不機嫌な私。不機嫌理由を訊ねられ、だって剃刀貸してくれないって言ったもん! と。うちのは呆れつつ困っていた。夢と現の区別、相変わらずついていない。どこの餓鬼んちょか。しかも眠気は続いており、起こされたこと自体にも立腹。そんな私にうちの曰く、今晩また寝られるんだから。お説、ご尤も。
ではこれをきっかけに頑張って起きて、睡眠リズムを整えようかと日付が変わる前に眠剤を投入し、キリのいいところでネットから離れて布団へ。……寝られん。まず蛍光灯が煌々、テレビの音も煩い。テレビのボリュームを下げてくれ、とケラよろしく言い、蛍光灯も消して部分的ライティングに変えてもらった。まだまだ起きているつもりだったうちのにしては、かなりの配慮だろう。でも。テレビの音と相俟ってうちのがPCで聴く音楽が煩い。私は寝たいんですけど! ヘッドフォンを貸そうか? と言うと止めてくれた。私はうちのが布団に入ったらキーボードを叩く音以外は極力排除するように心掛けている。テレビを消し、PCの音源も止め、やっと静かに寝られるかと思いきや、PS2でゲームを始めやがった。音量は小さいけれど銃撃の音はやはり気になるし、何よりも画面に映る光が部屋にもカメラのフラッシュ状に瞬く。そんな中でどうにか眠りに落ち……3時間半でトイレに起きて目が覚めてしまった。さっきずっと止めていたドラールを入れて、現在睡魔待ち。誰も悪くない。強いて言えば私の睡眠の質が悪い。持って行き場のない憤りが沸々と。この後2度寝して、その沸々が収まるといいのだが。
それにしてもここのところ、うちのとタイミングがズレることが頻繁に起きている。例えば、夕食の支度や下拵えが済んでいるのに、飲み会に出ちゃってこのまま2次会に行ってきます。前以って言え! しかもその飲み会は送別会ばかり。いつも1次会だけで帰宅する予定で挑むらしい。なのに気付いたら2次会へ。それはいいとする。仕事上の付き合いも大切だ。だがしかし、煮込み料理ならともかく麺類や炒め物は調理及び下拵え後にそんな連絡を貰うと困る。むしろ迷惑。今後は23時半迄には連絡してくれるよう頼んだけれど、守ってもらえるやらどうやら。過去の経験からして、この約束はまず守られまい。暗雲張り捲り。そして昨日、うちのの外出中に入浴をした。いつも、風呂入ってないし……で外出したがりのうちのの誘いを断り続けることに申し訳なさを感じていたから。そしたら、明日仕事なんだよ、ごめん。前以って言っておけ! 仕方がないので開院時間内に目覚めたら草食動物の爪切りにでも連れて行こうかと。ところで。他者の寝言に返事をするのは宜しくないと言われている。迷信的解釈からすれば、寝言に返事をされると夢と現の区別がつかなくなりアッチに逝ってしまう可能性があるからとか。科学的解釈では、寝言に返事をされると脳の疲れが取れず、寝起きスッキリとはならないとか。うちのは笑い声が大半を占めていた寝言に返事はしていないだろう。笑い声に返事なんてしようにも難しかろうし。でも昨日の朝は全く疲れが取れていなかった。迷信的解釈論に乗るつもりはない。単に、寝入り端からリアルに続いてもおかしくない夢を見ていたせいで夢と現実がごっちゃになって途中でかなり混乱してしまったことと、夢毎の断眠の多さが原因かと想像している。夢と現の区別がつかないのは、幾ら寝起きだけとはいえども芳しくない。
世間との交流を持つべきか、と考えてうちのと私の今後の仕事について話し合った。無記名ライターとしてなら振れる仕事はなくないけれど、あんたの文章はテクニック不足、とバッサリ。ここで言うテクニックとは、自我を殺して雑誌のテイストに合う文章を書く技術のこと。私の我の強い文章では、相当な訓練が必要らしい。昔私がいたジャンルでも雑誌テイストに合わせることは無記名ライターに最も求められていたことで、できない訳ではない。けれど、今迄と遠いまたメジャーなジャンルの雑誌では当時築いたテクでは未熟らしい。当分はまだ社会からの隔離生活が続きそうだ。一瞬、社会復帰したくなったのにその気はもう削げた。早っ!
異化、について学生時代に講義を受けた。確か半期。最後に提出するレポートで100点を取った。テストではなくレポートで100点だったのはちょっとした自慢。些細過ぎ。レポートのテーマは、自分が異化を感じたとき。異化と違和感は別物だ。この違いが理解できているかどうかが、きっとレポート採点基準だったのではないだろうか。私が書いた、異化を感じたとき。それは、松尾貴史が仮性包茎だと知ったとき、のことだった。以前にも書いたけれど、松尾は外見的にかなり理想の男性像に近い。その理想に限りなく近い男性がこともあろうに仮性包茎だったと知った瞬間。その瞬間を経て私の目に松尾がどう違って映るようになってしまったかをペラ4枚ぎっしり書いた。どうしようもない莫迦者だ、私。この講義の講師は男性。もしその講師が真性包茎だったら、このレポートは0点だったかもしれない。もしかしたら講師がズル剥けで、松尾への優越感からくれた100点だったのかもしれないけれど。ともあれ、洒落の通じる講師で良かった。別の講義では夏休みの課題として、自分で主題を見つけてノンフィクションを執筆、というのがあった。この講義は受講者が少なく、しかも受講していた殆どの学生が親や祖父母について書いてきた。なんでそんなありふれたテーマを選ぶのか、当時の私には解らなかった。今は解る。身近だからだ。けれど身近な人物のノンフィクションを書くには気をつけねばならない落とし穴がある。距離感の取り方に失敗すると、その作品はノンフィクションとしては成り立たず、ともすれば聞き書きになってしまう。このとき私が書いたのは、某競走馬について。未成年・学生は賭博禁止なのに敢えて。あの教授も私の競馬好きに理解があった。後日、JRAのカレンダーをくれたり。その時期、私は毎週のように場外馬券場や競馬場に通っており、親や祖父母よりも思い入れのある某競走馬の方が余程身近な存在で且つ引退したてだったこともあり、文献も豊富で書き易かった。競馬から離れた現在も、この某競走馬のダービーのパネルはまだ手元に保存している。
高校時代、現代国語の授業で小説を書かせられた。私は稚拙なエロ小説を書いて提出。良い評価はくれたものの、この教師は私の意図していない部分を読み取ろうとしたらしく、見当違いなコメントを書いてきた。人物描写がもっとあるとよかったですね。私の性描写が稚拙だったからか、それともわざと外して、学生が書くに相応しくあるべき小説、と強引に読んだのか。この教師は産休間近の女性だった。小説なら何を書いてもよかったのに、何故にエロ小説だったか。単なる嫌がらせである。やっぱり莫迦だ。けれどあのときエロ小説を書いた経験が、社会人になって一時期は仕事として成り立つことに。世の中、何がどう転ぶか解らないものだ。英語で作文を書かされたこともあった。そのときは上記某競走馬の有馬記念について書いた記憶が。これには苦労した。まず日本語で文章を作る。ここ迄は簡単。あっという間。しかし悲しき哉、私は泪を禁じ得ない程に語学力がなかったので英訳するのにほとほと苦労。そして和英辞典には競馬に纏わる単語なんか殆どないときたものだ。もっと簡単なものを書けばよかった。と、学生時代に書いたものを思い返して気付いたこと。私は当時、義務感から何かを書いたことはなかった。宿題だの課題だのであっても、そのときどきで好きなことだけ、書きたいことだけを書いていたのだ。義務感によるやっつけ仕事だったのはペラ2枚迄。ペラ2枚くらいならパッと思いついたことを書いてしまえば埋まってしまうから、結果としてやっつけ仕事となっていた。私は長文でなければ構成や編成や言葉を余り弄らずに、最初に思いついたままに書き綴ってしまう。そしてその方が弄くり回して作る作品よりも出来がよかった。
それが通用しなくなったのは社会人になってから。短文で表現することの難しさを移動する職場毎に味合わされた。10〜15文字程度に必要事項を盛り込みつつ、読者に印象付けるキャッチをつけるとき。ペラ1枚程度で全貌を掻い摘んで説明しなければならないとき。100wもないキャプションを数十本も書く中で、持ち得る語彙を駆使しつつ単語が被らないようにしなければならないとき。長文でも苦労はあった。同じ物事について文体を変えて何本も書かなければならないとき。あの当時の仕事は大変だった。専門分野ではないレイアウトを組む方が楽に感じたくらいだった。文体を変える、というのは割と得意なつもりだったのにダメ出し喰らい捲り。ひとりの人間が書いているので、何処かに似た言い回しやフレーズが滲んできてしまう。あからさまに同じ言葉を使っていないにも関わらず、滲み出る何か、があるのだ。パスティーシュ名人の清水義範はやっぱり凄い。職人芸だ。そして私の文章はそのような職人芸には遥かに届かない。追いつかない、とかそういう問題ではなく、資質として持ち合わせていないらしいことがよく解った。因って転身。記名原稿は楽。自分の得意な言い回しやフレーズを使い放題。しかもそれが個性となる。無記名ライターは軽く見られがちだけれど、経験として無記名だった頃の方がキツかった。個性のない文章こそ、あらゆる文章の中で最も技巧を求められる。その辺を解っていない無記名ライターは嫌いだ。仕事を舐めていると思う。これは私がライター業を始めたのは後のことであり、編集者として育った所為だろう。私が、舐めてやがる、と感じるような無記名ライターも実は懸命なのかもしれない。それでもこっちが納得できない、大きくリライトしなければならない、むしろ自分で書いた方がマシ、程度の原稿しかあげてこられないライターにギャラを出したくなかった。ギャラの出所も自腹ではないのに。金に値するだけの仕事をしろよ、と。そしてそんな輩に限って、ライターでござい、と言わんばかりの振舞い。対価の仕事をしてくれ。
書いていて何だか現役気分になってしまった。とうに離れた場所なのに。記名でまた仕事ができればなあ、と思う。編集者としてはきっともう復帰不可能。編集者の必須能力の中には体力が占める割合が大きい。体力がなくても若ければ気力で乗り切れる。今はきっと気力で乗り切ろうとしたら倒れるだろう。もの淋しい話である。記名で仕事をするとしても、締め切りを守れる自信がもうない。昔から締め切り破りでは少なくなかったけれど。日記はとても楽。記名ライティングよりも楽。ギャラが発生しない分、無責任でいられるから。なのに今この、黒猫、というHNで書いている、恋は相剋の家で、という日記に縛りができてしまっている。長文主義。文体統一。これ迄の日記で文体というか、ノリを変えているのは1〜2回だけの筈である。実験的に且つ練習としていろんな文体で書こうと思っていたのにこの始末。歪んだ完璧主義の所為か、私の元々の気質の所為か。実験的文章を書きたい気はまだあるのだが、だがしかし。ここで何かを確立できるか、それともこのまま楽な方法論で終わるのか。終わりたくはないけれど、ここで短文を書くことに抵抗感を拭えなくなっている。きっと同ペースで続け過ぎたからだろう。ちょっと考えよう。
高校時代、現代国語の授業で小説を書かせられた。私は稚拙なエロ小説を書いて提出。良い評価はくれたものの、この教師は私の意図していない部分を読み取ろうとしたらしく、見当違いなコメントを書いてきた。人物描写がもっとあるとよかったですね。私の性描写が稚拙だったからか、それともわざと外して、学生が書くに相応しくあるべき小説、と強引に読んだのか。この教師は産休間近の女性だった。小説なら何を書いてもよかったのに、何故にエロ小説だったか。単なる嫌がらせである。やっぱり莫迦だ。けれどあのときエロ小説を書いた経験が、社会人になって一時期は仕事として成り立つことに。世の中、何がどう転ぶか解らないものだ。英語で作文を書かされたこともあった。そのときは上記某競走馬の有馬記念について書いた記憶が。これには苦労した。まず日本語で文章を作る。ここ迄は簡単。あっという間。しかし悲しき哉、私は泪を禁じ得ない程に語学力がなかったので英訳するのにほとほと苦労。そして和英辞典には競馬に纏わる単語なんか殆どないときたものだ。もっと簡単なものを書けばよかった。と、学生時代に書いたものを思い返して気付いたこと。私は当時、義務感から何かを書いたことはなかった。宿題だの課題だのであっても、そのときどきで好きなことだけ、書きたいことだけを書いていたのだ。義務感によるやっつけ仕事だったのはペラ2枚迄。ペラ2枚くらいならパッと思いついたことを書いてしまえば埋まってしまうから、結果としてやっつけ仕事となっていた。私は長文でなければ構成や編成や言葉を余り弄らずに、最初に思いついたままに書き綴ってしまう。そしてその方が弄くり回して作る作品よりも出来がよかった。
それが通用しなくなったのは社会人になってから。短文で表現することの難しさを移動する職場毎に味合わされた。10〜15文字程度に必要事項を盛り込みつつ、読者に印象付けるキャッチをつけるとき。ペラ1枚程度で全貌を掻い摘んで説明しなければならないとき。100wもないキャプションを数十本も書く中で、持ち得る語彙を駆使しつつ単語が被らないようにしなければならないとき。長文でも苦労はあった。同じ物事について文体を変えて何本も書かなければならないとき。あの当時の仕事は大変だった。専門分野ではないレイアウトを組む方が楽に感じたくらいだった。文体を変える、というのは割と得意なつもりだったのにダメ出し喰らい捲り。ひとりの人間が書いているので、何処かに似た言い回しやフレーズが滲んできてしまう。あからさまに同じ言葉を使っていないにも関わらず、滲み出る何か、があるのだ。パスティーシュ名人の清水義範はやっぱり凄い。職人芸だ。そして私の文章はそのような職人芸には遥かに届かない。追いつかない、とかそういう問題ではなく、資質として持ち合わせていないらしいことがよく解った。因って転身。記名原稿は楽。自分の得意な言い回しやフレーズを使い放題。しかもそれが個性となる。無記名ライターは軽く見られがちだけれど、経験として無記名だった頃の方がキツかった。個性のない文章こそ、あらゆる文章の中で最も技巧を求められる。その辺を解っていない無記名ライターは嫌いだ。仕事を舐めていると思う。これは私がライター業を始めたのは後のことであり、編集者として育った所為だろう。私が、舐めてやがる、と感じるような無記名ライターも実は懸命なのかもしれない。それでもこっちが納得できない、大きくリライトしなければならない、むしろ自分で書いた方がマシ、程度の原稿しかあげてこられないライターにギャラを出したくなかった。ギャラの出所も自腹ではないのに。金に値するだけの仕事をしろよ、と。そしてそんな輩に限って、ライターでござい、と言わんばかりの振舞い。対価の仕事をしてくれ。
書いていて何だか現役気分になってしまった。とうに離れた場所なのに。記名でまた仕事ができればなあ、と思う。編集者としてはきっともう復帰不可能。編集者の必須能力の中には体力が占める割合が大きい。体力がなくても若ければ気力で乗り切れる。今はきっと気力で乗り切ろうとしたら倒れるだろう。もの淋しい話である。記名で仕事をするとしても、締め切りを守れる自信がもうない。昔から締め切り破りでは少なくなかったけれど。日記はとても楽。記名ライティングよりも楽。ギャラが発生しない分、無責任でいられるから。なのに今この、黒猫、というHNで書いている、恋は相剋の家で、という日記に縛りができてしまっている。長文主義。文体統一。これ迄の日記で文体というか、ノリを変えているのは1〜2回だけの筈である。実験的に且つ練習としていろんな文体で書こうと思っていたのにこの始末。歪んだ完璧主義の所為か、私の元々の気質の所為か。実験的文章を書きたい気はまだあるのだが、だがしかし。ここで何かを確立できるか、それともこのまま楽な方法論で終わるのか。終わりたくはないけれど、ここで短文を書くことに抵抗感を拭えなくなっている。きっと同ペースで続け過ぎたからだろう。ちょっと考えよう。
日記の内容をテーマ別に分けてみた。こんなに、家族・メンヘル・健康、について書いていた物が多かったとは驚き。雑感・所感よりも多いとは思っていなかった。他者からすれば、家族・メンヘル・健康、という括りに違和感を覚えるだろうことは予想される。しかし私の中でメンヘルの占める要素が大きく、それは家族関係、親子関係及び健康に繋がっているので切り離せない。過去の日記を全てテーマに当て嵌めて割り振りに、ちょっと苦労をした。常々徒然なるままに書いているので、テーマが跨っている日記も多かったのだ。因って他者から見れば、日記の内容が割り振られたテーマに沿っていなく感じる物もあるかもしれない。その点は何卒ご容赦を。相互リンクを貼ってくれている方が秘密日記で指摘してくれれば直すかもしれない。読者の声として一番聞こえるのは秘密日記だから。テーマ毎に分けるにあたり、ざっとではあるけれど、過去の日記を一通り読み返した。書き始めた当初に比べ、内容が軽く明るくなってきている。良き哉、良き哉。絶縁騒動の辺りはもうどろどろだった。今は親のスタンスが割とハッキリしており、私の生活の中に当時程の闇を持ちこんで来ないので楽。通して読むことで、自分の心の動きが解って面白かった。うちのが、非常識からだらしないに成長した、と私を評した気持ちもちょっと理解できた。家族絡みのことが生活の中で大きくなると私は非常識な言動を取りがちになり、それが落ち着いた今はダラなだけになっているのだ。ふむふむ。日々の記録だけでなく、そのときそのときで徒然と書いていたことで、私がその時期に何に凝っていて、次に何に凝って前に凝っていた物に飽きたかも把握できた。何やら誕生日前後、私は勉強をしたかったらしい。今は全くしたくない。某巨大掲示板某板某スレを通してダラな生き方が肯定できてきたからだろう。ダラのままでいい訳ではないけれど、ある意味前向き。
過去の日記の空白部分を埋めるにあたり、今自分の中で熱が上がっている、小悪魔になりたい幻想、について数日分書いた。2月の頭辺りで。莫迦丸出しなのはご愛嬌。でもなりたいのだ。小悪魔に! 友人は今、小雪になりたがっている。その友人と昨日メッセで会話した。内容はお互い、如何にして小雪または小悪魔になるか。因みに彼女と私は同い年。20代後半。くだらない幻想ではある。くだらないけれど、何も目標や憧れがなく日々を漫然と暮らすよりはマシな気がする。先日、友人の小雪オーラが欲しい願望を聞いてから、私が考えた小雪イメージを説明した。野菜も肉も魚も何でも生で食べていそうだ。この印象は、偶然見た「笑っていいとも」に因るものだ。番組内で彼女は、罰ゲームで使われる不味いと評判のお茶を平気で飲んでいた。ちょっと恰好いい。そこから、健康にいいものなら何でも摂取する→人参以外はきっと生で食べているだろう。人参は油で炒めた方が栄養価が高まるので加熱。その他食物はきっと生食。彼女が思う小悪魔が聴いていそうな音楽を教えてもらった。出てきた名前はジェーン・バーキンとマドンナ。……やはりHR/HMはダメらしい。増してやその中でもスラメタ。デスメタなんて以ての外のようだ。趣味はそうそう変えられるものではないので、HR/HMも聴く小悪魔を目指したい。うちのが帰宅してから、あんたが思う日本人の小悪魔は誰だ? と聴いてみたところ、いない、との回答。想像力のない奴め。強いて言うならベティちゃんらしい。日本人で、という前提は何処に行ったのだろう。そして私がベティと聞いて真っ先に出てくるのは、ゲイ・バーのベティ・ママだ。違う! 小悪魔とかそういう話ではなくなってしまっている。ダメ過ぎ。
彼女と話をすると何故か必ずと言っていい程、みうらじゅんが話題に上る。DTや親孝行について、彼女はまだ知らなかったらしい。ヴィレッジ・バンガードに行かねば! と言っていた。みうらじゅんの話からDTを通して伊集院光の話へ。先日、伊集院光が私の夢に出てきた。AV男優として。ビーチで企画女優を追っかけ回していた。何とも目覚めの悪い夢だった……。伊集院光のANNを水曜2部だった頃から聴いていた私は、当時本気でオペラ歌手上がりのタレントだと信じていた。それが嘘だと知ったのはいつだったか覚えていない。確か朝日新聞のインタビューでプロフィールを語ったところ真に受けてやんの、と何処かで暴露話をしていたのがきっかけだったと思う。そのプロフィールの内容。曰く、父はバイオリンだかギターだかの弾き語りをしており、母はフルートだか笛だかの吹き語りをしていて云々。吹き語りなんかできる訳ないのに! と笑い話として暴露。朝日新聞、要反省。むしろ猛省。
猛省で思い出した。レビュー機能は使っていないけれど、昨日ちょっと覗いてみた。そこに「萌えたん」のレビューがあり、例文の引用をしている人もおり且つ「AERA」の特集も見つけた。ただの萌え物だと思っていたら、索引が付いていないこと以外はかなりいい出来だ、と好評を博している。英単語集として。編集長は血を吐く程の苦労をしたとか。日本語訳まずありきで、それをやや強引に英訳して作ったようだ。そして元ネタが解る人にはニヤリとできる代物らしい。「カイジ」あり、「セーラームーン」あり、某巨大掲示板で流行った言い回しあり。月に代わっておしおきはどうでもいいけれど、それ以外はかなり読みたい。そのうち買ってしまいそう。荒井注レベルの英語力しかない私がそれで学力向上するかは別の話。ネタだ。が。果たして小悪魔の書棚に「萌えたん」の存在は許せるのか? 許せまい。葛藤。今の私の書棚も「モンキーターン」が並んでいる辺り、小悪魔書棚とは乖離している。今ある青木るえかや中村うさぎの著作もダメだろう。道端に落ちていたのを拾ってきた「カイジ」の存在もダメだ。「カイジ」そのものも小悪魔らしくないのに、拾ってきたってのがダメさに拍車をかけている。そんな書棚に「萌えたん」……。こっそり買って、サブカル臭ぷんぷんのうちのの書棚に紛れ込ませるか。うん、そうしよう。自分の書棚には決して入れたくない。さて、珍しく早起きもしたし洗濯でもして夕食の準備に早く取り掛かるか。小悪魔らしくないなあ。小悪魔ならやはりここで昼寝か? ともあれ当分、私の小悪魔熱は続く……。
BGM/「I Ain’t No Nice Guy」「Broken Down Angel」「Dream On」など
過去の日記の空白部分を埋めるにあたり、今自分の中で熱が上がっている、小悪魔になりたい幻想、について数日分書いた。2月の頭辺りで。莫迦丸出しなのはご愛嬌。でもなりたいのだ。小悪魔に! 友人は今、小雪になりたがっている。その友人と昨日メッセで会話した。内容はお互い、如何にして小雪または小悪魔になるか。因みに彼女と私は同い年。20代後半。くだらない幻想ではある。くだらないけれど、何も目標や憧れがなく日々を漫然と暮らすよりはマシな気がする。先日、友人の小雪オーラが欲しい願望を聞いてから、私が考えた小雪イメージを説明した。野菜も肉も魚も何でも生で食べていそうだ。この印象は、偶然見た「笑っていいとも」に因るものだ。番組内で彼女は、罰ゲームで使われる不味いと評判のお茶を平気で飲んでいた。ちょっと恰好いい。そこから、健康にいいものなら何でも摂取する→人参以外はきっと生で食べているだろう。人参は油で炒めた方が栄養価が高まるので加熱。その他食物はきっと生食。彼女が思う小悪魔が聴いていそうな音楽を教えてもらった。出てきた名前はジェーン・バーキンとマドンナ。……やはりHR/HMはダメらしい。増してやその中でもスラメタ。デスメタなんて以ての外のようだ。趣味はそうそう変えられるものではないので、HR/HMも聴く小悪魔を目指したい。うちのが帰宅してから、あんたが思う日本人の小悪魔は誰だ? と聴いてみたところ、いない、との回答。想像力のない奴め。強いて言うならベティちゃんらしい。日本人で、という前提は何処に行ったのだろう。そして私がベティと聞いて真っ先に出てくるのは、ゲイ・バーのベティ・ママだ。違う! 小悪魔とかそういう話ではなくなってしまっている。ダメ過ぎ。
彼女と話をすると何故か必ずと言っていい程、みうらじゅんが話題に上る。DTや親孝行について、彼女はまだ知らなかったらしい。ヴィレッジ・バンガードに行かねば! と言っていた。みうらじゅんの話からDTを通して伊集院光の話へ。先日、伊集院光が私の夢に出てきた。AV男優として。ビーチで企画女優を追っかけ回していた。何とも目覚めの悪い夢だった……。伊集院光のANNを水曜2部だった頃から聴いていた私は、当時本気でオペラ歌手上がりのタレントだと信じていた。それが嘘だと知ったのはいつだったか覚えていない。確か朝日新聞のインタビューでプロフィールを語ったところ真に受けてやんの、と何処かで暴露話をしていたのがきっかけだったと思う。そのプロフィールの内容。曰く、父はバイオリンだかギターだかの弾き語りをしており、母はフルートだか笛だかの吹き語りをしていて云々。吹き語りなんかできる訳ないのに! と笑い話として暴露。朝日新聞、要反省。むしろ猛省。
猛省で思い出した。レビュー機能は使っていないけれど、昨日ちょっと覗いてみた。そこに「萌えたん」のレビューがあり、例文の引用をしている人もおり且つ「AERA」の特集も見つけた。ただの萌え物だと思っていたら、索引が付いていないこと以外はかなりいい出来だ、と好評を博している。英単語集として。編集長は血を吐く程の苦労をしたとか。日本語訳まずありきで、それをやや強引に英訳して作ったようだ。そして元ネタが解る人にはニヤリとできる代物らしい。「カイジ」あり、「セーラームーン」あり、某巨大掲示板で流行った言い回しあり。月に代わっておしおきはどうでもいいけれど、それ以外はかなり読みたい。そのうち買ってしまいそう。荒井注レベルの英語力しかない私がそれで学力向上するかは別の話。ネタだ。が。果たして小悪魔の書棚に「萌えたん」の存在は許せるのか? 許せまい。葛藤。今の私の書棚も「モンキーターン」が並んでいる辺り、小悪魔書棚とは乖離している。今ある青木るえかや中村うさぎの著作もダメだろう。道端に落ちていたのを拾ってきた「カイジ」の存在もダメだ。「カイジ」そのものも小悪魔らしくないのに、拾ってきたってのがダメさに拍車をかけている。そんな書棚に「萌えたん」……。こっそり買って、サブカル臭ぷんぷんのうちのの書棚に紛れ込ませるか。うん、そうしよう。自分の書棚には決して入れたくない。さて、珍しく早起きもしたし洗濯でもして夕食の準備に早く取り掛かるか。小悪魔らしくないなあ。小悪魔ならやはりここで昼寝か? ともあれ当分、私の小悪魔熱は続く……。
BGM/「I Ain’t No Nice Guy」「Broken Down Angel」「Dream On」など
鈴木京香は文句なしの美人だと思う。顔も体型も雰囲気も、現代日本美人の見本ではなかろうか。強いて欠点を探すなら、紙の量の多さか。けれどそんなのは取るに足らない欠点だ。松雪泰子も美人と言われる。若干の鷲鼻加減と声に難はあるけれど、凛とした雰囲気がそれら欠点を凌駕して、人々に美人と言わしめる。中山美穂も美人と言われているが、それには異議を唱えたい。あの鼻は致命的にダメだ。顔のパーツは整っているけれど、あの鼻の上向き加減が全てを台無しにしていると思われる。体型も今ひとつ垢抜けない。何故、世の中では中山美穂が美人だと言われているのか本当に不思議だ。鈴木京香や松雪泰子が上の上なら、中山美穂は中の上、世論を鑑みても上の下にしかランクインさせられない。これらはあくまで芸能人の中だけの独断ランキングであり、そこらを中山美穂が歩いていたら美人の部類に入るだろうことは理解している。独断偏見として、芸能人女性の美人で言えるのは、そのカテゴリの中で上の中以上でなければならないとしている。こんな見方なので、世論と私が思う美人芸能人の間には、深くて暗い河がある。今日の日記は、20代以上の女性芸能人について、美人とは何ぞや、を書く。加護ちゃんやあややは可愛いけれど、10代なので除外。余談になるが、私は辻ちゃんはちっとも可愛いと思わない。加護ちゃんはあと少しだけ痩せれば完璧に可愛い。あややは俯き気味の角度に限り、可愛い。はしのえみに似ていると言われるあやや。鼻に難あり。
本題に戻る。世論で美人と名高い松嶋菜々子。彼女は本当に美人なのか。面長よりも更に長い、相当に縦長の輪郭。致命的に低い鼻。タッパがあるので体型は良く見える。それでもあの顔は本当に美人か? 私には美人とは到底思えない。中の中くらいのレベル。それでも世の中では美女として絶大な支持を得ている。彼女は、雰囲気美人、ではあると思う。雰囲気というのは、全身を構成するパーツとは離れたところでの話だ。パーツとかけ離れていながらにして、美人、との高評価を得続ける松嶋菜々子。恐るべし。松たか子は美人とはなかなか言われない迄も、好印象を見る者に与えているらしい。ランキングでは下の上か中の下に位置していると思われる。ほんこんなのに。顔のパーツだけを見る。つぶらな瞳、高い頬骨、曲がった口元。芸能界不細工ナンバーワンと言われる、あのほんこんとそっくりではないか。うちでは松たか子がテレビに出る度にどちらかが、ほんこんさんが出てるよ、と言う。松たか子=ほんこん、として、うちのと私の間に共通認識が確立されているのだ。松嶋菜々子と松たか子が周囲に与える好印象。それは声という要素が強いと分析する。ふたりともおっとりした品のある口調で優しい声で話す。高過ぎず低過ぎずの、耳に心地良い声を持っている。特に歌手としても活躍している松たか子の歌声は、私も好きだったりする。格段に上手い訳ではないけれど、聴いていて何となく癒されたりしてしまう。ほんこんに癒されることに時として腹立ちを覚えなくもない。でも聴いていて心が穏やかになる声を持っていることは否定できない。雰囲気美人の最重要要素は声質。独断偏見で断言。
「やっぱり猫が好き」の三姉妹。長女はさて置き、次女三女は女優としての評価は高くともなかなか美人とは言われない。三女を演ずる室井滋の著書を何冊か読んだことがある。その中で友人から言われた言葉が書いてあった。読んだのがかなり昔であり現在手元にその本がないので原文ままではなく内容だけ。テレビの中では美人じゃないけど、同窓の中だと綺麗だよね。同年代のリアルの中では美人なのに、美人であることが前提とされている芸能人の中に入ると美人に見えない、という話だ。磯野貴理子もこの辺に位置していると思う。彼女は特別美人ではないけれど、中の中あたりのレベルだと思う。リアルで見たら、きっとかなり可愛いのではなかろうかと踏んでいる。室井滋と磯野貴理子の共通点。声及び口調に余り気品や可愛げが感じ取れない。もっと言ってしまえば下品。口調はともかく声質は生まれ持ったものなので、ちょっとしたひとつの悲劇と言えよう。声が良ければもっと高評価を得られように……。
顔の造作や全身のバランス、そして声。これらのバランスを絶妙に崩れさせつつ尚高い評価を得ているのが、篠原涼子とYOUだ。松雪泰子といい、「ごっつええ感じ」に出ていたことがいいのか? いや、そんな話ではなく。篠原涼子は某メイクアップアーティストに、完璧な形の唇、と言われたらしい。メイク如何では下品に転んでしまう唇。それがヌーディなメイクを施すことで表現しがたい色気を醸し出す。普段はざっくばらんなキャラでありつつ、忌野清志郎とのデュエットでも見られたセクシーな仕草。このギャップ、二面性が美人に見える不思議な人だ。きっと色気を前面に出した売り方だと反感を買っていた気がする。素のときと、素かどうか判らない面を巧みに見せることによって得られている高評価ではなかろうか。YOUの強みは年齢不詳に見えることだろう。彼女のファッションは決して歳相応とは言えない。しかし常に、似合う物、を身につけている。髪型然り。気取りのないキャラで色気には程遠く見えるが、写真だけで見ると実はかなり色気があったりする。このふたりの共通点はギャップと色気。そこにあるのはやはり雰囲気というものだ。元TPD、元フェアチャイルドという過去を全て払拭して活躍。因みにこのふたりの独断偏見ランキングは、造作のみで見ると中の中である。それでも雰囲気込みで評価するなら上の下くらい。
ついでに書いておくと、上記に挙げた芸能人らは褒めているかどうかに関わらず、特に好きでも嫌いでもない人々である。だからこそ個人的好みを挟みつつも、かなり客観的に見ることができていると思う。私の好みだけで書くと、広末涼子・深津絵里・西田尚美は外せない。そしてこの3人は、中の中から中の上に位置しており、上の中から上の上としている美人カテゴリには入れられず、かといって彼女らの魅力を文字にできる程の筆力を私は持っていないので敢えて省いた。広田レオナ・加賀まりこなどの小悪魔要素を持った人々は過去の日記参照のこと。
BGM/「South Of Heaven」「War Ensemble」「Angel of death」など
本題に戻る。世論で美人と名高い松嶋菜々子。彼女は本当に美人なのか。面長よりも更に長い、相当に縦長の輪郭。致命的に低い鼻。タッパがあるので体型は良く見える。それでもあの顔は本当に美人か? 私には美人とは到底思えない。中の中くらいのレベル。それでも世の中では美女として絶大な支持を得ている。彼女は、雰囲気美人、ではあると思う。雰囲気というのは、全身を構成するパーツとは離れたところでの話だ。パーツとかけ離れていながらにして、美人、との高評価を得続ける松嶋菜々子。恐るべし。松たか子は美人とはなかなか言われない迄も、好印象を見る者に与えているらしい。ランキングでは下の上か中の下に位置していると思われる。ほんこんなのに。顔のパーツだけを見る。つぶらな瞳、高い頬骨、曲がった口元。芸能界不細工ナンバーワンと言われる、あのほんこんとそっくりではないか。うちでは松たか子がテレビに出る度にどちらかが、ほんこんさんが出てるよ、と言う。松たか子=ほんこん、として、うちのと私の間に共通認識が確立されているのだ。松嶋菜々子と松たか子が周囲に与える好印象。それは声という要素が強いと分析する。ふたりともおっとりした品のある口調で優しい声で話す。高過ぎず低過ぎずの、耳に心地良い声を持っている。特に歌手としても活躍している松たか子の歌声は、私も好きだったりする。格段に上手い訳ではないけれど、聴いていて何となく癒されたりしてしまう。ほんこんに癒されることに時として腹立ちを覚えなくもない。でも聴いていて心が穏やかになる声を持っていることは否定できない。雰囲気美人の最重要要素は声質。独断偏見で断言。
「やっぱり猫が好き」の三姉妹。長女はさて置き、次女三女は女優としての評価は高くともなかなか美人とは言われない。三女を演ずる室井滋の著書を何冊か読んだことがある。その中で友人から言われた言葉が書いてあった。読んだのがかなり昔であり現在手元にその本がないので原文ままではなく内容だけ。テレビの中では美人じゃないけど、同窓の中だと綺麗だよね。同年代のリアルの中では美人なのに、美人であることが前提とされている芸能人の中に入ると美人に見えない、という話だ。磯野貴理子もこの辺に位置していると思う。彼女は特別美人ではないけれど、中の中あたりのレベルだと思う。リアルで見たら、きっとかなり可愛いのではなかろうかと踏んでいる。室井滋と磯野貴理子の共通点。声及び口調に余り気品や可愛げが感じ取れない。もっと言ってしまえば下品。口調はともかく声質は生まれ持ったものなので、ちょっとしたひとつの悲劇と言えよう。声が良ければもっと高評価を得られように……。
顔の造作や全身のバランス、そして声。これらのバランスを絶妙に崩れさせつつ尚高い評価を得ているのが、篠原涼子とYOUだ。松雪泰子といい、「ごっつええ感じ」に出ていたことがいいのか? いや、そんな話ではなく。篠原涼子は某メイクアップアーティストに、完璧な形の唇、と言われたらしい。メイク如何では下品に転んでしまう唇。それがヌーディなメイクを施すことで表現しがたい色気を醸し出す。普段はざっくばらんなキャラでありつつ、忌野清志郎とのデュエットでも見られたセクシーな仕草。このギャップ、二面性が美人に見える不思議な人だ。きっと色気を前面に出した売り方だと反感を買っていた気がする。素のときと、素かどうか判らない面を巧みに見せることによって得られている高評価ではなかろうか。YOUの強みは年齢不詳に見えることだろう。彼女のファッションは決して歳相応とは言えない。しかし常に、似合う物、を身につけている。髪型然り。気取りのないキャラで色気には程遠く見えるが、写真だけで見ると実はかなり色気があったりする。このふたりの共通点はギャップと色気。そこにあるのはやはり雰囲気というものだ。元TPD、元フェアチャイルドという過去を全て払拭して活躍。因みにこのふたりの独断偏見ランキングは、造作のみで見ると中の中である。それでも雰囲気込みで評価するなら上の下くらい。
ついでに書いておくと、上記に挙げた芸能人らは褒めているかどうかに関わらず、特に好きでも嫌いでもない人々である。だからこそ個人的好みを挟みつつも、かなり客観的に見ることができていると思う。私の好みだけで書くと、広末涼子・深津絵里・西田尚美は外せない。そしてこの3人は、中の中から中の上に位置しており、上の中から上の上としている美人カテゴリには入れられず、かといって彼女らの魅力を文字にできる程の筆力を私は持っていないので敢えて省いた。広田レオナ・加賀まりこなどの小悪魔要素を持った人々は過去の日記参照のこと。
BGM/「South Of Heaven」「War Ensemble」「Angel of death」など
現在3月29日。
金曜、銀行回りをして買い物をして一旦帰宅。その後、病院に行き買い物をして帰宅。通院はほぼ1ヶ月ぶり。診察町の時間がつらかった。診察室で主治医が他の患者さんに向かって説教をしている大声が聞こえた。他者が大声で叱られていると自分まで叱られている気がして私は小さくなってしまう。またその説教の内容が、貴方はロボットなんですか? 人間なんですか? 自分の心の動きは自分が理解しなきゃダメでしょう! なんて内容。私にも思い当たるところが多く、余計につらい。悩みを抱えた顔で診察室から出てきた人は初老の男性。私が呼ばれて診察室に入って最初に言ったことは、先生、今、怖かったです。ああ、黒猫さんはああいう大声に怯えちゃうんだよね。前もそんなことがあったね。主治医は守秘義務を守りつつ、大声を出していた理由を簡潔に説明してくれた。自分の弱さを認められずに自分で枠組みを作り、他者をもその枠組みに従わせようとしてはいけないんだよ。よく理解できた。私も身近な人間には無意識のうちにそれを強いていることがある気がする。気をつけよう。しかし自分で枠組みを設定できているとおり、その枠組みに嵌れないことへのつらさはあるかもしれないけれど、枠組みを作れていること自体は自己がしっかりしているという意味では幸せかもしれず羨ましい。すると主治医。あのおじさんは幸せそうだった? ……いいえ。それから主治医に私の近況報告。発作の回数自体はそれ程増えていないけれど、1回の発作が大きい。先日は余りの痛みに泣いてしまった。また以前の発作は呼吸の苦しさと心臓の痛みだったのに、最近は心臓と同時に胃も痛くなる。胃の方は心配なら1度内科で検査してきなさい、とのこと。それから前回の診察から随分と間が空いてしまった理由の説明。この間に、私は気心が知れているとは言い難い知人に何度か会っている。その都度、楽しい時間は過ごせたけれど疲労が激しかった。そもそも私は他者に異様に愛想を振りまいて疲れることが多い。通院しなければ、という気持ちはあったものの主治医に会って普段なら疲れはしないけれど上記理由から他者との会話後の疲労に怖さが生じて足が遠のいてしまっていた、と。主治医曰く、それは自分に自信がないから嫌われたくないと過剰に気を遣ってしまっているんだね。はい、そうです。そうやって自分の弱さを認められるのは黒猫さんのいいところだね。褒められてしまいにたにたしつつ、有難うございます。でも少し思う。主治医の言葉に頷けているのは、主治医を気心が知れてはいない他者と認識しているからこそ、相手にとって気分のいい返事ができているのかもしれない。
この日の夕食は前日の残りのきんぴらごぼうならぬ、牛蒡と人参の煮物と野菜は全て乱切りにして肉も切り落としのままで作ってチンジャオロースもどき。おかず2種が共に千切りになるのを避ける為に敢えて乱切りにして、もどき、にした。うちのからは、美味い、と。しかもそれだけでなく、最近はよくご飯作ってるね、とのお言葉も。またにたにた。私は褒められ慣れていないので、スマートな対応ができない。にこっと笑って、ありがと、くらいがいいなあ、と思ってはいるものの行動が伴わない。もっと他人様に褒められるようになりたいものである。いや、それ以前に自身が他者を信用できるようにならなければ、か。どうも昔から貶され慣れてきている所為か、私は他者の褒め言葉を信用するのが難しい。ただのお世辞、または何か下心があるんじゃないかなどと勘繰ってしまい素直に喜べない。必要以上ににたついてしまったり、動揺して謙遜を通り越し相手の言葉を否定してしまったりもする。直したいが、尤も褒め言葉をいただける機会というのが殆どない。イメトレするのも空しい……。
貶されて育った人間と褒められて育った人間とでは、心の根っこもさることながら、表情からして違う気がする。貶されて育った人間は卑屈になりがちで人の顔色を伺い、何処かおどおどしていることが多く感じる。褒められて育った人間は素直で朗らかで、心持に余裕を持っているように感じる。前者な私に余裕はない。余裕がないから人の顔色を伺うし、他者の大声にびくつくのだろう。表面だけでも堂々とゆとりある素振りを心掛けていれば、そのうちに心も行動に追いついてくれるだろうか。それとも行動と心が伴わないストレスで参ってしまうか。参ってしまうのは怖いので、暫くはこのままでいるしかない。主治医の言ってくれた、いいところ。得てして人の長所と短所は表裏一体であり、弱さを認められるということは心のハードルが低く、他者につけ込まれ易いとも言えよう。これが悪い考え方。弱さを認められるのは意地っ張りではなく素直だと褒めてくれた、という解釈も可能なのに悪い方へとばかり考えが走る。
この日の外出で最後に寄ったデパートのコスメフロア。某カウンタで買い物をしたら、ファンデーションのサンプルを差し上げたいんですけど、と言われた。ので頂戴した。それはいい。ただBAの教育がなっていないな、と思った。BAは色合わせの為に、私の頬にファンデを塗ってこようとした。スッピンだった私は、肌が荒れていて休ませようと下地も何も塗っていないので、と断った。すると、お肌が綺麗なのでてっきりファンデを使っていらっしゃるかと思いました〜。ここ数年、ニキビ痕が残り易くなってしまった私のすっぴん肌は決して綺麗とは言えない。歯の浮くお世辞混じりのセールストークは嫌いだ。しかし相手はそれが仕事であり、そんなに怒る程のことではない。教育がなっていないと思ったのは、ファンデを塗っていると思っていたのならまずはそれを落としてから別のファンデをつけないと、前以って塗っていたファンデの色と混ざってしまい色合わせの意味がないからだ。そしてこちらがすっぴんだと告げたら、肌が荒れていない部分に下地をつけて色を見ることも可能だった筈だ。要するに、セールストークだけが先走って最も大切な仕事ができていないという話である。オチとして、カウンタを離れてセルフコスメのコーナーに設置された鏡を見たら、口元の産毛がやや伸びていてヒゲっぽく……。やはり当分、他人様の褒め言葉には疑念を持たざるを得ない。
金曜、銀行回りをして買い物をして一旦帰宅。その後、病院に行き買い物をして帰宅。通院はほぼ1ヶ月ぶり。診察町の時間がつらかった。診察室で主治医が他の患者さんに向かって説教をしている大声が聞こえた。他者が大声で叱られていると自分まで叱られている気がして私は小さくなってしまう。またその説教の内容が、貴方はロボットなんですか? 人間なんですか? 自分の心の動きは自分が理解しなきゃダメでしょう! なんて内容。私にも思い当たるところが多く、余計につらい。悩みを抱えた顔で診察室から出てきた人は初老の男性。私が呼ばれて診察室に入って最初に言ったことは、先生、今、怖かったです。ああ、黒猫さんはああいう大声に怯えちゃうんだよね。前もそんなことがあったね。主治医は守秘義務を守りつつ、大声を出していた理由を簡潔に説明してくれた。自分の弱さを認められずに自分で枠組みを作り、他者をもその枠組みに従わせようとしてはいけないんだよ。よく理解できた。私も身近な人間には無意識のうちにそれを強いていることがある気がする。気をつけよう。しかし自分で枠組みを設定できているとおり、その枠組みに嵌れないことへのつらさはあるかもしれないけれど、枠組みを作れていること自体は自己がしっかりしているという意味では幸せかもしれず羨ましい。すると主治医。あのおじさんは幸せそうだった? ……いいえ。それから主治医に私の近況報告。発作の回数自体はそれ程増えていないけれど、1回の発作が大きい。先日は余りの痛みに泣いてしまった。また以前の発作は呼吸の苦しさと心臓の痛みだったのに、最近は心臓と同時に胃も痛くなる。胃の方は心配なら1度内科で検査してきなさい、とのこと。それから前回の診察から随分と間が空いてしまった理由の説明。この間に、私は気心が知れているとは言い難い知人に何度か会っている。その都度、楽しい時間は過ごせたけれど疲労が激しかった。そもそも私は他者に異様に愛想を振りまいて疲れることが多い。通院しなければ、という気持ちはあったものの主治医に会って普段なら疲れはしないけれど上記理由から他者との会話後の疲労に怖さが生じて足が遠のいてしまっていた、と。主治医曰く、それは自分に自信がないから嫌われたくないと過剰に気を遣ってしまっているんだね。はい、そうです。そうやって自分の弱さを認められるのは黒猫さんのいいところだね。褒められてしまいにたにたしつつ、有難うございます。でも少し思う。主治医の言葉に頷けているのは、主治医を気心が知れてはいない他者と認識しているからこそ、相手にとって気分のいい返事ができているのかもしれない。
この日の夕食は前日の残りのきんぴらごぼうならぬ、牛蒡と人参の煮物と野菜は全て乱切りにして肉も切り落としのままで作ってチンジャオロースもどき。おかず2種が共に千切りになるのを避ける為に敢えて乱切りにして、もどき、にした。うちのからは、美味い、と。しかもそれだけでなく、最近はよくご飯作ってるね、とのお言葉も。またにたにた。私は褒められ慣れていないので、スマートな対応ができない。にこっと笑って、ありがと、くらいがいいなあ、と思ってはいるものの行動が伴わない。もっと他人様に褒められるようになりたいものである。いや、それ以前に自身が他者を信用できるようにならなければ、か。どうも昔から貶され慣れてきている所為か、私は他者の褒め言葉を信用するのが難しい。ただのお世辞、または何か下心があるんじゃないかなどと勘繰ってしまい素直に喜べない。必要以上ににたついてしまったり、動揺して謙遜を通り越し相手の言葉を否定してしまったりもする。直したいが、尤も褒め言葉をいただける機会というのが殆どない。イメトレするのも空しい……。
貶されて育った人間と褒められて育った人間とでは、心の根っこもさることながら、表情からして違う気がする。貶されて育った人間は卑屈になりがちで人の顔色を伺い、何処かおどおどしていることが多く感じる。褒められて育った人間は素直で朗らかで、心持に余裕を持っているように感じる。前者な私に余裕はない。余裕がないから人の顔色を伺うし、他者の大声にびくつくのだろう。表面だけでも堂々とゆとりある素振りを心掛けていれば、そのうちに心も行動に追いついてくれるだろうか。それとも行動と心が伴わないストレスで参ってしまうか。参ってしまうのは怖いので、暫くはこのままでいるしかない。主治医の言ってくれた、いいところ。得てして人の長所と短所は表裏一体であり、弱さを認められるということは心のハードルが低く、他者につけ込まれ易いとも言えよう。これが悪い考え方。弱さを認められるのは意地っ張りではなく素直だと褒めてくれた、という解釈も可能なのに悪い方へとばかり考えが走る。
この日の外出で最後に寄ったデパートのコスメフロア。某カウンタで買い物をしたら、ファンデーションのサンプルを差し上げたいんですけど、と言われた。ので頂戴した。それはいい。ただBAの教育がなっていないな、と思った。BAは色合わせの為に、私の頬にファンデを塗ってこようとした。スッピンだった私は、肌が荒れていて休ませようと下地も何も塗っていないので、と断った。すると、お肌が綺麗なのでてっきりファンデを使っていらっしゃるかと思いました〜。ここ数年、ニキビ痕が残り易くなってしまった私のすっぴん肌は決して綺麗とは言えない。歯の浮くお世辞混じりのセールストークは嫌いだ。しかし相手はそれが仕事であり、そんなに怒る程のことではない。教育がなっていないと思ったのは、ファンデを塗っていると思っていたのならまずはそれを落としてから別のファンデをつけないと、前以って塗っていたファンデの色と混ざってしまい色合わせの意味がないからだ。そしてこちらがすっぴんだと告げたら、肌が荒れていない部分に下地をつけて色を見ることも可能だった筈だ。要するに、セールストークだけが先走って最も大切な仕事ができていないという話である。オチとして、カウンタを離れてセルフコスメのコーナーに設置された鏡を見たら、口元の産毛がやや伸びていてヒゲっぽく……。やはり当分、他人様の褒め言葉には疑念を持たざるを得ない。
アクセス元表示を見るのが非常に楽しい。人々の期待を裏切りまくっている模様。皆、こんなん探してた訳じゃねーんだよ! と思いつつブラウザを閉じているんだろうなあ、と思ったり。という訳で、期待を裏切られたであろう方の検索の一部を披露してしまおう。
最もがっかりだったであろうは「椿油 ギター 指板」で検索された方。恐らく、ギターの指板部分のケアに椿油を使えるかどうかが知りたかったのだろう。私はギター弾きではないので確実なことは言えないけれど、きっと椿油でのケアは向いていないのではなかろうか。もっと適した油があると思うので探していただきたい。親切ぶってググって調べようかとも思ったけれど、面倒なのでご自分でよろしく。
「闇 メールアドレスを探す」で検索された方。一体何を調べようとしているのか。闇、という単語からしてアングラサイトの誰かのメアドを調べる方法を知りたいのだろうか、と推測。そんな方法、私は知らん。私が、メールアドレスを探す、という文章を含む日記の中に、その方法がある、とは確かに書いた。しかしそれは過去に私のメアドが某所に晒されたことがあったからで、晒された場所を見つけられれば私のメアドが判る、という意味でしかない。因って私は他人様の公開されていないメアドを探す方法は知らない。別に知らなくていいと思っているし。下手にメアドを探すという行為は悪趣味ではなかろうか。
「ツィギー チーク」で検索された方。ツィギーのチークの特徴迄は把握できていない。この手のことを調べたいときは、画像をググるのが確実かと思われる。またツィギーが活躍していたのはかなり昔の話であり、今現在同じチークを入手することは困難かと。個人的印象としては、ツィギーのチークはピンク系が多かったように記憶している。って、こんなことは参考にならないか。
「おじやレシピ」で検索された方。私も何度か検索したことがあるけれど、おじややお粥のレシピはネット上には少ないので、自力で想像力を駆使して実践あるのみ。出汁の使い方を間違えなければ、白米なり玄米なりに合うおかずに使われる食材を選べば、極端な失敗は避けられる筈。同時に意外な美味しいおじやをオリジナルレシピとして開発できる可能性も。料理のセンスは想像力、とはよく言ったものだと思う。
「無印良品 アイピロー」で検索された方。私は無印のアイピローを使ったことがないので使用感は不明。それどころか無印でアイピローが発売されているのかも不明。ジェル状のものが好みか蕎麦殻状のものが好みかで、無印に拘らずに探すのがよろしいかと。ジェル状のものの一部は温めたり冷やしたりできるのが利点。蕎麦殻状のものは安定感があるのが利点。参考迄に。私は安定感重視なので蕎麦殻状のものが好き。目が腫れやすい人にはジェル状のものをオススメ。また最近はリラックスできる香りをつけているアイピローもあるけれど、それらは封を開けた最後、香りは飛んでいく一方。また使い始めは却って香りが気になって寝付きが悪くなることも。
「濡木痴夢男」で検索された方。緊美研のサイトには行っただろうか。そこが一番濡木氏に詳しいサイトかと。濡木氏の名前を検索しているという点で、趣味嗜好とセンスが伺えて勝手に親近感を抱けたり。某M氏や某R氏の縛りなど比にならないくらいに素晴らしいので是非ちゃんと調べてもらいたい。また濡木氏の著作も幾つかあり、神保町辺りでは濡木氏の緊縛テクを解説した本を置いてある書店もある。この解説本は未所有。やや高いけれど欲しい本の一冊だ。
「レバー克服」で検索された方。レバーが苦手及び克服したい・させたいが解らないので想像で。臭みが苦手なら水ではなく牛乳で血抜きを。また香りの強い野菜と一緒に料理をするとレバー自体の香りが薄まり食べ易くなる。食感が苦手なら、まずは新鮮なレバ刺であのぐにぐに感への偏見を失くす。火を通す料理にするときは必ず薄切りで。厚く切るとその分、ぐにぐに感が増幅するから。火を通しすぎないこともぐにぐに感を薄める為のコツ。レバーペーストなどはレバー上級者向けなので、当分は手を出さないように。
「コスメボックス」で検索された方。シュウウエムラやA&Aのコスメボックスは優秀だけれどブランド名を冠している分、高価。いろいろな雑貨屋に足を運んでスライドできる段が多いコスメボックスを探そう。雑貨屋によくある小さなかわいいコスメボックスは実用性が顕著に劣る。可愛さよりも実用性を求めるコスメ好きなら大きな物を購入するが吉。また素材はプラスチックや革張りが上等に見えるけれども、紙製でも十分。3000円程度で購入した私のメイクボックスは、6年程経つ今でも多少の擦れ以外は全く問題なく現役である。このまま10年選手になれるだろうと予測しているくらいに丈夫だ。
「結婚祝い もらって嬉しい物」で検索された方。私は未婚なので判りかねるけれど、一般的には現金や商品券が実用的で喜ばれるかと。よくある食器類のプレゼントは、よくある、と言われるだけあり余り嬉しい物ではないらしい。絵柄の入った調理器具も相手のセンスを熟知していなければ危険。欲しいけれどちょっと買うのを躊躇う、といった商品としてル・クルーゼの鍋類などは如何か。それは単に今私が欲しい物だというだけか? いや、ル・クルーゼは重いという点が長所でもあり短所でもあるので、ティファールの取っ手が外せるフライパンや鍋が欲しい。別に結婚祝いのプレゼント=台所関係、ではないけれど。
「心療歯科」で検索された方。いい心療歯科があれば私が知りたい。
その他、私の日記に辿り着く検索単語として、ピアス関係・ファッション関係・コスメ関係・法的な問題を含む親子関係・メンヘル関係が多いとの傾向が解った。解ったけれど、きっとどの人にとっても碌に役に立ってはいないだろう。所詮、日記なんてそんなものだ。ひとつ気になった検索単語は「恋は相剋の家」。ピンポイントでこの日記を探したのだとしか思えない。友人なら安心だが、もしかしてウォッチャーがいるのか?
BGM/1999.12.25「全身焦燥家」
最もがっかりだったであろうは「椿油 ギター 指板」で検索された方。恐らく、ギターの指板部分のケアに椿油を使えるかどうかが知りたかったのだろう。私はギター弾きではないので確実なことは言えないけれど、きっと椿油でのケアは向いていないのではなかろうか。もっと適した油があると思うので探していただきたい。親切ぶってググって調べようかとも思ったけれど、面倒なのでご自分でよろしく。
「闇 メールアドレスを探す」で検索された方。一体何を調べようとしているのか。闇、という単語からしてアングラサイトの誰かのメアドを調べる方法を知りたいのだろうか、と推測。そんな方法、私は知らん。私が、メールアドレスを探す、という文章を含む日記の中に、その方法がある、とは確かに書いた。しかしそれは過去に私のメアドが某所に晒されたことがあったからで、晒された場所を見つけられれば私のメアドが判る、という意味でしかない。因って私は他人様の公開されていないメアドを探す方法は知らない。別に知らなくていいと思っているし。下手にメアドを探すという行為は悪趣味ではなかろうか。
「ツィギー チーク」で検索された方。ツィギーのチークの特徴迄は把握できていない。この手のことを調べたいときは、画像をググるのが確実かと思われる。またツィギーが活躍していたのはかなり昔の話であり、今現在同じチークを入手することは困難かと。個人的印象としては、ツィギーのチークはピンク系が多かったように記憶している。って、こんなことは参考にならないか。
「おじやレシピ」で検索された方。私も何度か検索したことがあるけれど、おじややお粥のレシピはネット上には少ないので、自力で想像力を駆使して実践あるのみ。出汁の使い方を間違えなければ、白米なり玄米なりに合うおかずに使われる食材を選べば、極端な失敗は避けられる筈。同時に意外な美味しいおじやをオリジナルレシピとして開発できる可能性も。料理のセンスは想像力、とはよく言ったものだと思う。
「無印良品 アイピロー」で検索された方。私は無印のアイピローを使ったことがないので使用感は不明。それどころか無印でアイピローが発売されているのかも不明。ジェル状のものが好みか蕎麦殻状のものが好みかで、無印に拘らずに探すのがよろしいかと。ジェル状のものの一部は温めたり冷やしたりできるのが利点。蕎麦殻状のものは安定感があるのが利点。参考迄に。私は安定感重視なので蕎麦殻状のものが好き。目が腫れやすい人にはジェル状のものをオススメ。また最近はリラックスできる香りをつけているアイピローもあるけれど、それらは封を開けた最後、香りは飛んでいく一方。また使い始めは却って香りが気になって寝付きが悪くなることも。
「濡木痴夢男」で検索された方。緊美研のサイトには行っただろうか。そこが一番濡木氏に詳しいサイトかと。濡木氏の名前を検索しているという点で、趣味嗜好とセンスが伺えて勝手に親近感を抱けたり。某M氏や某R氏の縛りなど比にならないくらいに素晴らしいので是非ちゃんと調べてもらいたい。また濡木氏の著作も幾つかあり、神保町辺りでは濡木氏の緊縛テクを解説した本を置いてある書店もある。この解説本は未所有。やや高いけれど欲しい本の一冊だ。
「レバー克服」で検索された方。レバーが苦手及び克服したい・させたいが解らないので想像で。臭みが苦手なら水ではなく牛乳で血抜きを。また香りの強い野菜と一緒に料理をするとレバー自体の香りが薄まり食べ易くなる。食感が苦手なら、まずは新鮮なレバ刺であのぐにぐに感への偏見を失くす。火を通す料理にするときは必ず薄切りで。厚く切るとその分、ぐにぐに感が増幅するから。火を通しすぎないこともぐにぐに感を薄める為のコツ。レバーペーストなどはレバー上級者向けなので、当分は手を出さないように。
「コスメボックス」で検索された方。シュウウエムラやA&Aのコスメボックスは優秀だけれどブランド名を冠している分、高価。いろいろな雑貨屋に足を運んでスライドできる段が多いコスメボックスを探そう。雑貨屋によくある小さなかわいいコスメボックスは実用性が顕著に劣る。可愛さよりも実用性を求めるコスメ好きなら大きな物を購入するが吉。また素材はプラスチックや革張りが上等に見えるけれども、紙製でも十分。3000円程度で購入した私のメイクボックスは、6年程経つ今でも多少の擦れ以外は全く問題なく現役である。このまま10年選手になれるだろうと予測しているくらいに丈夫だ。
「結婚祝い もらって嬉しい物」で検索された方。私は未婚なので判りかねるけれど、一般的には現金や商品券が実用的で喜ばれるかと。よくある食器類のプレゼントは、よくある、と言われるだけあり余り嬉しい物ではないらしい。絵柄の入った調理器具も相手のセンスを熟知していなければ危険。欲しいけれどちょっと買うのを躊躇う、といった商品としてル・クルーゼの鍋類などは如何か。それは単に今私が欲しい物だというだけか? いや、ル・クルーゼは重いという点が長所でもあり短所でもあるので、ティファールの取っ手が外せるフライパンや鍋が欲しい。別に結婚祝いのプレゼント=台所関係、ではないけれど。
「心療歯科」で検索された方。いい心療歯科があれば私が知りたい。
その他、私の日記に辿り着く検索単語として、ピアス関係・ファッション関係・コスメ関係・法的な問題を含む親子関係・メンヘル関係が多いとの傾向が解った。解ったけれど、きっとどの人にとっても碌に役に立ってはいないだろう。所詮、日記なんてそんなものだ。ひとつ気になった検索単語は「恋は相剋の家」。ピンポイントでこの日記を探したのだとしか思えない。友人なら安心だが、もしかしてウォッチャーがいるのか?
BGM/1999.12.25「全身焦燥家」
現在3月22日日中。
昨日の午後、第二次十字軍のおふたりが来訪してくれて、無事にPCが復活。うちのがマザーボードを接続してくれた際に、配線を1箇所間違っていたことが原因だった模様。ということで、修理にはさほど時間もかからず、おまけにより通気性を良くする為の処理も施してもらい、さて起動させてみようとなったところでとんでもないことを思い出してしまった。起動させる→HDDの記録は残っている→デスクトップ画像が以前のまま→エロエロなアブノーマル画像がおふたりの目の前に出現……。物凄い勢いで引かれてしまった。そして呑んべいなおふたりはビールや焼酎を持参されており、うちで打ち上げ。デスクトップを見たからか話はエロ方向に進む進む。因みにおふたりは妻ある身。それでもオネーチャンのいる呑み屋にしょっちゅう通っていることを聞き、脳裏に不安が過ぎった。今月に入ってうちのに、小遣いが足らない、と言われて生活費より2万を渡した。これは生活費に余裕があって渡せたのではなく、今月から生協に加入した為に食材後払いの部分が増えているからだ。来月からはそうはいかない。それはともかく。小遣いが足りなくなった理由は、友人に金を貸してしまったからだと言う。この友人には以前にも10万を貸している。言わずもがな、返ってきていない。それなのに追加で貸すとはなんてお人好しなのか! とその昔は借金癖のあった私の過去の経験と心情をとくと語って聞かせたのだけれど、もしかしてオネーチャンのいる呑み屋に……? 呑み屋でも風俗でもうちの中にトラブルや病気を持ち込まなければ行ってくれて構わないのだが、おふたりの話を聞いて、行ってんなら素直に言えや! という気持ちになった。本当にただ金を貸しただけかもしれないけれど。
その打ち上げでは本当にいろいろな話が出てきて、他者との会話が極端に少ない日々を送っている私にはとても楽しい時間だった。惜しむべくは、修理の為に遠征してもらった身でありそれなりに気遣いを要した点と、ふたりはへべれけなのに私ひとりが素面だった点か。その2点を差し引いても十分に楽しませてもらったのだが。会話の中で各々、オフレコで、という話が続出。でもこの日記では書いてしまえる。そのプロジェクトと全く関連のないHNで日記を書くことにして本当に良かった! ここでなら某氏のちんこ露出事件にも触れられる! おふたりの呑み屋通いの話もオフレコのひとつ。その他、某氏や某氏の性癖の話、某氏の母上のアレっぷり、いつの間にかバツ1になっていた某氏と某氏の結婚話などが主なオフレコ。半オフレコの話として、以前私がしていた仕事の話がある。私が編集に携わっていた某雑誌。昨日来ていただいたおひとりはよく読んでいる雑誌だったらしく且つその雑誌に登場している人々と交流があるとか。これには驚いた。そしてその雑誌と同じ出版社から発行されている某雑誌の話を振るとふたりとも、知ってる知ってる! と。そんなに有名なのか。その雑誌の編集長には昔よくしてもらっていて、名刺を見せたら感動されてしまった。酔っ払いって凄い。私の名刺ホルダを一通り見せているとふたりから、この人知ってる、ン百万の機材を買ってくれたいい人だ! この人も知ってる、あの雑誌に出てくる人だ! この人、面識あるよー! 世の中狭過ぎ。 私の名刺ホルダの中身はかなり偏った人々の名刺が集まっているのだけれど、それらを個人的に知っている人がこんな身近にいたなんて。昨日来てくれたおふたりは共に私とは畑違いの仕事をされている方々なのに。
個人的に面白かったのが、即席授業。おひとりは数日前に辞めたとのことだけれど高校の世界史の教師だったのだ。失礼ながら教職者には見えなかった。いや、単に私との関わりが皆PC絡みなので、私の独断偏見でこのおふたりに限らずその集まりの中の人全員がPC関係の仕事だと思っていただけなのだけれど。この元教師さん、教え方が上手く且つ丁寧。莫迦ちんな私にも理解し易く、万葉集の解釈方法や世界史・地理の一部・語学の理解の仕方などを教えてくれた。凄い。地理といえば。おふたりの住所は東京都に隣接する某県であり、私が学生時代に住んでいた県。地名も学校名も解説する迄もなく通じるのが楽で、そして親近感が湧いた。故にかその県内の話も多く出てきて懐かしさも感じられたり。話は少々ずれて、私のPC修理の為に遠征してきてくれたというのに、おひとりがお土産にお菓子を持ってきてくれた。多謝。たまたま一昨日の夜、私は蓮根と牛筋の煮物を作っており、酒宴が開かれたうちでどうにか体裁が保てたのが救い。このお土産を持ってきてくれたおひとり、実は今回の修理にあたり、私に自分の家迄PCを持ってこいと言いたかったのだとか。当然である。そして申し訳ない……と思いきや、自宅に呼ぼうと思った理由にちょっとびっくり。何でも料理が好きらしく、修理がてら手料理を振舞いたかったのだとか。それでも非力な私に重いPCを持ってこさせるのもなあ、ということで遠征してくださったらしい。もうひとりの方は、私が某サイトの掲示板にPC復旧ならずの報告を書いてすぐに、PC一式揃えたから緊急出動できる旨を書いてくれた方。つくづく気遣いの人々である。こういう人々が中心となっているから、沢山の人がそこに集うのだろうなあ。ネットを介して知り合った仲間ながらも、リアルの友達としての付き合いにすぐに移行できるというのも頷けた。
酒宴終了後。おふたりは終電を逃してしまったらしい。陳謝。うちの雑食動物が異様に警戒心を持ち、動物好きなおふたりはどうにか懐かせようと努力し、結果、私を含め3人が激しい襲撃に遭って流血沙汰に。これにも深く陳謝。その後、私は……PCが使えない期間にレポート用紙に書き記していた家計簿をソフトに全て入力し、某サイトの掲示板にお礼を書き込み、その間に発作に襲われて痛みで泣き、仮PCから記入していた別ページの日記をこちらに移してすぐに就寝。起きたのは15時前。久々に長時間他者と接した所為か、楽しかったのに疲労は現れた模様。雑食動物だけでなく、私ももっと人馴れしなければならないのかもしれない。
服装/セントジェームスのコバルトブルーのバスクシャツ+X-girlの黒パーカ+DENIMEのジーンズ
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
昨日の午後、第二次十字軍のおふたりが来訪してくれて、無事にPCが復活。うちのがマザーボードを接続してくれた際に、配線を1箇所間違っていたことが原因だった模様。ということで、修理にはさほど時間もかからず、おまけにより通気性を良くする為の処理も施してもらい、さて起動させてみようとなったところでとんでもないことを思い出してしまった。起動させる→HDDの記録は残っている→デスクトップ画像が以前のまま→エロエロなアブノーマル画像がおふたりの目の前に出現……。物凄い勢いで引かれてしまった。そして呑んべいなおふたりはビールや焼酎を持参されており、うちで打ち上げ。デスクトップを見たからか話はエロ方向に進む進む。因みにおふたりは妻ある身。それでもオネーチャンのいる呑み屋にしょっちゅう通っていることを聞き、脳裏に不安が過ぎった。今月に入ってうちのに、小遣いが足らない、と言われて生活費より2万を渡した。これは生活費に余裕があって渡せたのではなく、今月から生協に加入した為に食材後払いの部分が増えているからだ。来月からはそうはいかない。それはともかく。小遣いが足りなくなった理由は、友人に金を貸してしまったからだと言う。この友人には以前にも10万を貸している。言わずもがな、返ってきていない。それなのに追加で貸すとはなんてお人好しなのか! とその昔は借金癖のあった私の過去の経験と心情をとくと語って聞かせたのだけれど、もしかしてオネーチャンのいる呑み屋に……? 呑み屋でも風俗でもうちの中にトラブルや病気を持ち込まなければ行ってくれて構わないのだが、おふたりの話を聞いて、行ってんなら素直に言えや! という気持ちになった。本当にただ金を貸しただけかもしれないけれど。
その打ち上げでは本当にいろいろな話が出てきて、他者との会話が極端に少ない日々を送っている私にはとても楽しい時間だった。惜しむべくは、修理の為に遠征してもらった身でありそれなりに気遣いを要した点と、ふたりはへべれけなのに私ひとりが素面だった点か。その2点を差し引いても十分に楽しませてもらったのだが。会話の中で各々、オフレコで、という話が続出。でもこの日記では書いてしまえる。そのプロジェクトと全く関連のないHNで日記を書くことにして本当に良かった! ここでなら某氏のちんこ露出事件にも触れられる! おふたりの呑み屋通いの話もオフレコのひとつ。その他、某氏や某氏の性癖の話、某氏の母上のアレっぷり、いつの間にかバツ1になっていた某氏と某氏の結婚話などが主なオフレコ。半オフレコの話として、以前私がしていた仕事の話がある。私が編集に携わっていた某雑誌。昨日来ていただいたおひとりはよく読んでいる雑誌だったらしく且つその雑誌に登場している人々と交流があるとか。これには驚いた。そしてその雑誌と同じ出版社から発行されている某雑誌の話を振るとふたりとも、知ってる知ってる! と。そんなに有名なのか。その雑誌の編集長には昔よくしてもらっていて、名刺を見せたら感動されてしまった。酔っ払いって凄い。私の名刺ホルダを一通り見せているとふたりから、この人知ってる、ン百万の機材を買ってくれたいい人だ! この人も知ってる、あの雑誌に出てくる人だ! この人、面識あるよー! 世の中狭過ぎ。 私の名刺ホルダの中身はかなり偏った人々の名刺が集まっているのだけれど、それらを個人的に知っている人がこんな身近にいたなんて。昨日来てくれたおふたりは共に私とは畑違いの仕事をされている方々なのに。
個人的に面白かったのが、即席授業。おひとりは数日前に辞めたとのことだけれど高校の世界史の教師だったのだ。失礼ながら教職者には見えなかった。いや、単に私との関わりが皆PC絡みなので、私の独断偏見でこのおふたりに限らずその集まりの中の人全員がPC関係の仕事だと思っていただけなのだけれど。この元教師さん、教え方が上手く且つ丁寧。莫迦ちんな私にも理解し易く、万葉集の解釈方法や世界史・地理の一部・語学の理解の仕方などを教えてくれた。凄い。地理といえば。おふたりの住所は東京都に隣接する某県であり、私が学生時代に住んでいた県。地名も学校名も解説する迄もなく通じるのが楽で、そして親近感が湧いた。故にかその県内の話も多く出てきて懐かしさも感じられたり。話は少々ずれて、私のPC修理の為に遠征してきてくれたというのに、おひとりがお土産にお菓子を持ってきてくれた。多謝。たまたま一昨日の夜、私は蓮根と牛筋の煮物を作っており、酒宴が開かれたうちでどうにか体裁が保てたのが救い。このお土産を持ってきてくれたおひとり、実は今回の修理にあたり、私に自分の家迄PCを持ってこいと言いたかったのだとか。当然である。そして申し訳ない……と思いきや、自宅に呼ぼうと思った理由にちょっとびっくり。何でも料理が好きらしく、修理がてら手料理を振舞いたかったのだとか。それでも非力な私に重いPCを持ってこさせるのもなあ、ということで遠征してくださったらしい。もうひとりの方は、私が某サイトの掲示板にPC復旧ならずの報告を書いてすぐに、PC一式揃えたから緊急出動できる旨を書いてくれた方。つくづく気遣いの人々である。こういう人々が中心となっているから、沢山の人がそこに集うのだろうなあ。ネットを介して知り合った仲間ながらも、リアルの友達としての付き合いにすぐに移行できるというのも頷けた。
酒宴終了後。おふたりは終電を逃してしまったらしい。陳謝。うちの雑食動物が異様に警戒心を持ち、動物好きなおふたりはどうにか懐かせようと努力し、結果、私を含め3人が激しい襲撃に遭って流血沙汰に。これにも深く陳謝。その後、私は……PCが使えない期間にレポート用紙に書き記していた家計簿をソフトに全て入力し、某サイトの掲示板にお礼を書き込み、その間に発作に襲われて痛みで泣き、仮PCから記入していた別ページの日記をこちらに移してすぐに就寝。起きたのは15時前。久々に長時間他者と接した所為か、楽しかったのに疲労は現れた模様。雑食動物だけでなく、私ももっと人馴れしなければならないのかもしれない。
服装/セントジェームスのコバルトブルーのバスクシャツ+X-girlの黒パーカ+DENIMEのジーンズ
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
現在3月21日。
うちのによるPC復旧作戦は不発。先日来ていただいた方に緊急出動要請をかけさせてもらった。あちらからの申し出に多謝。今頃は元のPCで日記を書き且つここ迄書いた日記をあっちに移動できていた筈だったのに……無念。昨夜、友人から携帯にメールが入った。日記も更新されていないし、メッセも立ち上がっていないし生きているか? とのこと。PCが壊れてしまった時点では、復旧がもっと早く済んでいる脳内予定だったので連絡していなかったことで心配をかけてしまった模様。すまん。先月メールにて以前の勤め先の上司から、3月になったら1度会いましょうか、との連絡をもらっていて、もしかしたらメーラーにその詳細が届いているかもしれない。いつ迄も返信しない無礼者だと思われていたら嫌だなあ。PC自作馴れしている方曰く、私の復旧失敗の報告にて早速出動準備をしてくれているとのこと。有難いことだ……が、明日来てくれるような話になったら困ってしまう。いつも通り、今の私はばっちいのだ。金曜に或る方からマザーボードを受け取ったのだけれど、そのときも急な連絡でばっちいまま会ってしまい自己嫌悪。文明から入浴という習慣がいっそなくなってくれればいいのに! 人間、自分の体臭や家の匂いには鈍感になるものだ。他人の匂いには敏感になる。皆が皆、清潔ではない文化になれば他者の匂いなどへの感覚も鈍磨するのではなかろうか。などと夢想したところで、入浴習慣がなくなる訳ではない。もう、入浴・風呂、などの単語を聞くだけでうんざりする。生き難い世の中だ。
先日ハムを飼い始めた友人が、ケージを別にしてまた違うハムを飼いだした。最初の仔はグレー、新しい仔は白。どちらも違う可愛さで送ってもらった画像ににっこり。可愛いことはいいことだ。また彼女は来月から数ヶ月の短期の仕事を始めることにしたと言う。病状が良くなっているのか、それ程改善してはいない為のリハビリなのかは不明。彼女曰く、最近旦那との会話で子供を作る云々の話になるのでそこからの逃げの意味があるとか。何にしても働く気力があるということが羨ましい。昨日の夕食時、うちのが久しぶりに私に働きに出ることを希望してきた。転職にあたり、今現在声をかけてくれているところ以外にも履歴書を出したい、そうなると収入も減るから、と。収入が減るなら毎月の貯金額を減らせばいいではないか、と提案したけれど却下された。どうしても貯金はしたいらしい。収入に見合った貯金をしていくのが堅実だと思うのだけれど。少なくとも私はまだ働きに出られる状況ではない。ちらほらと桜が咲き始めているが、それを見ても、ああ春だなあ、とは思えず単に桜が咲いているとしか認識できないのだから、主治医の言う社会復帰の条件を満たせていないのだ。……そういえばここのところ、病院から足が遠のいている。私に病院や主治医が不必要になったからではなく、薬がまだ余っているから。来週は通院しよう。今週は行こうと思った日に限って寝過ごしたり雨が降ったりしていて、タイミングがずれてしまっていたのだ。因みに病院は18時が受付終了。その時間に寝過ごしているということは、生活サイクルがぐちゃぐちゃだということ。改善せねば。
生活リズム改善は何度も図っていることで前に、日々やるべきことをリストアップしてその所要時間を考えて起床・就寝時間を決めればいいのでは、と思いついた。そして某巨大掲示板某板某スレと手元にあるドイツ式生活の本を参考に、毎日・週に数回・月に1回・数ヶ月に1回といった具合に家事を分類してPCのメモ帳に羅列した。羅列して、少しモニタから目を離して傍観し、行数の多さに、気が済んでしまった。因ってリスト作りでこの計画は止まってしまっている。昔からの悪癖で、私は計画を立てた時点で全てをやり終えたかのように燃え尽きてしまうのだ。幾つになってもこの悪癖は治らない。ならば、と何も計画を立てなかったり順序を決めずにいると、それはそれで何から手をつけていいか迷って結局何もできない。もしかしたら私は何をどうしても、何もできない人間、なのかもしれない。昨日の朝もうちのに起こされ、朝食や夕食を要求されたらしいのだが、これっぽっちも記憶にない。もしかして私はヒトではなくケモノなのか。それともそういう素質がある訳ではなく普段は自覚しつつも心の奥底にしまっている、ヒトではなくケモノのように接してもらいたい・ケモノのように気ままに生活したい、という欲求の無意識の実現なのか。そんな大層なものではなく、単にここ最近眠剤の抜けが悪いだけの話だろうれど。結局、昨日起きたのは17時半。早起きできたら入浴して身支度して、今夜イベントに行こうと目論んでいたのに。
よしもとよしともの「青い車」が映画化されるらしい。大好きな漫画家のひとりだけれど、彼の作品が映像化されることにはかなりの不安がある。アニメでも不安。あの空気感は漫画というコマ割と絵柄でしか表現できないだろう。そして年々寡作化してゆくよしもとの作品を何故今更? とも思う。映画化なんかしてしまったら小金が入ってますます作品を描かなくなってしまうのではないか。新作を渇望している者にとって、この映画は有難迷惑だ。私にとって良かったのは、この映画化の話を知ったのが某巨大掲示板某板某スレでのことで、そこに別板某スレへのリンクがあり未だよしもとに根強い人気があると解ったこと。そこには知らなかったことが多く書かれていた。あちらこちらでカットや表紙を描いていたこと、某作品が昔ラジオドラマ化されていたこと、某漫画家に原作を提供していること、数年前に短編小説を発表していたこと、ペンネームの由来が吉本隆明であることなど。知らなかった作品群全てを入手することはまず無理だろう。新作も一体いつになったら発表されることやら。となると、旧作を読むしかない。現行発売されている単行本は全て持っている。が、当時何を血迷っていたのか引越しの際に実家に送ってしまっていた。取りに帰るのもアレなのでまた買い直そうかと思案中。この間同様の理由で、みうらじゅんの「アイデン&ティティ」を買い直したばかりだというのに。
うちのによるPC復旧作戦は不発。先日来ていただいた方に緊急出動要請をかけさせてもらった。あちらからの申し出に多謝。今頃は元のPCで日記を書き且つここ迄書いた日記をあっちに移動できていた筈だったのに……無念。昨夜、友人から携帯にメールが入った。日記も更新されていないし、メッセも立ち上がっていないし生きているか? とのこと。PCが壊れてしまった時点では、復旧がもっと早く済んでいる脳内予定だったので連絡していなかったことで心配をかけてしまった模様。すまん。先月メールにて以前の勤め先の上司から、3月になったら1度会いましょうか、との連絡をもらっていて、もしかしたらメーラーにその詳細が届いているかもしれない。いつ迄も返信しない無礼者だと思われていたら嫌だなあ。PC自作馴れしている方曰く、私の復旧失敗の報告にて早速出動準備をしてくれているとのこと。有難いことだ……が、明日来てくれるような話になったら困ってしまう。いつも通り、今の私はばっちいのだ。金曜に或る方からマザーボードを受け取ったのだけれど、そのときも急な連絡でばっちいまま会ってしまい自己嫌悪。文明から入浴という習慣がいっそなくなってくれればいいのに! 人間、自分の体臭や家の匂いには鈍感になるものだ。他人の匂いには敏感になる。皆が皆、清潔ではない文化になれば他者の匂いなどへの感覚も鈍磨するのではなかろうか。などと夢想したところで、入浴習慣がなくなる訳ではない。もう、入浴・風呂、などの単語を聞くだけでうんざりする。生き難い世の中だ。
先日ハムを飼い始めた友人が、ケージを別にしてまた違うハムを飼いだした。最初の仔はグレー、新しい仔は白。どちらも違う可愛さで送ってもらった画像ににっこり。可愛いことはいいことだ。また彼女は来月から数ヶ月の短期の仕事を始めることにしたと言う。病状が良くなっているのか、それ程改善してはいない為のリハビリなのかは不明。彼女曰く、最近旦那との会話で子供を作る云々の話になるのでそこからの逃げの意味があるとか。何にしても働く気力があるということが羨ましい。昨日の夕食時、うちのが久しぶりに私に働きに出ることを希望してきた。転職にあたり、今現在声をかけてくれているところ以外にも履歴書を出したい、そうなると収入も減るから、と。収入が減るなら毎月の貯金額を減らせばいいではないか、と提案したけれど却下された。どうしても貯金はしたいらしい。収入に見合った貯金をしていくのが堅実だと思うのだけれど。少なくとも私はまだ働きに出られる状況ではない。ちらほらと桜が咲き始めているが、それを見ても、ああ春だなあ、とは思えず単に桜が咲いているとしか認識できないのだから、主治医の言う社会復帰の条件を満たせていないのだ。……そういえばここのところ、病院から足が遠のいている。私に病院や主治医が不必要になったからではなく、薬がまだ余っているから。来週は通院しよう。今週は行こうと思った日に限って寝過ごしたり雨が降ったりしていて、タイミングがずれてしまっていたのだ。因みに病院は18時が受付終了。その時間に寝過ごしているということは、生活サイクルがぐちゃぐちゃだということ。改善せねば。
生活リズム改善は何度も図っていることで前に、日々やるべきことをリストアップしてその所要時間を考えて起床・就寝時間を決めればいいのでは、と思いついた。そして某巨大掲示板某板某スレと手元にあるドイツ式生活の本を参考に、毎日・週に数回・月に1回・数ヶ月に1回といった具合に家事を分類してPCのメモ帳に羅列した。羅列して、少しモニタから目を離して傍観し、行数の多さに、気が済んでしまった。因ってリスト作りでこの計画は止まってしまっている。昔からの悪癖で、私は計画を立てた時点で全てをやり終えたかのように燃え尽きてしまうのだ。幾つになってもこの悪癖は治らない。ならば、と何も計画を立てなかったり順序を決めずにいると、それはそれで何から手をつけていいか迷って結局何もできない。もしかしたら私は何をどうしても、何もできない人間、なのかもしれない。昨日の朝もうちのに起こされ、朝食や夕食を要求されたらしいのだが、これっぽっちも記憶にない。もしかして私はヒトではなくケモノなのか。それともそういう素質がある訳ではなく普段は自覚しつつも心の奥底にしまっている、ヒトではなくケモノのように接してもらいたい・ケモノのように気ままに生活したい、という欲求の無意識の実現なのか。そんな大層なものではなく、単にここ最近眠剤の抜けが悪いだけの話だろうれど。結局、昨日起きたのは17時半。早起きできたら入浴して身支度して、今夜イベントに行こうと目論んでいたのに。
よしもとよしともの「青い車」が映画化されるらしい。大好きな漫画家のひとりだけれど、彼の作品が映像化されることにはかなりの不安がある。アニメでも不安。あの空気感は漫画というコマ割と絵柄でしか表現できないだろう。そして年々寡作化してゆくよしもとの作品を何故今更? とも思う。映画化なんかしてしまったら小金が入ってますます作品を描かなくなってしまうのではないか。新作を渇望している者にとって、この映画は有難迷惑だ。私にとって良かったのは、この映画化の話を知ったのが某巨大掲示板某板某スレでのことで、そこに別板某スレへのリンクがあり未だよしもとに根強い人気があると解ったこと。そこには知らなかったことが多く書かれていた。あちらこちらでカットや表紙を描いていたこと、某作品が昔ラジオドラマ化されていたこと、某漫画家に原作を提供していること、数年前に短編小説を発表していたこと、ペンネームの由来が吉本隆明であることなど。知らなかった作品群全てを入手することはまず無理だろう。新作も一体いつになったら発表されることやら。となると、旧作を読むしかない。現行発売されている単行本は全て持っている。が、当時何を血迷っていたのか引越しの際に実家に送ってしまっていた。取りに帰るのもアレなのでまた買い直そうかと思案中。この間同様の理由で、みうらじゅんの「アイデン&ティティ」を買い直したばかりだというのに。