現在6月12日。

 9日から10日にかけて、某巨大掲示板某板某スレにて人格全否定された私。そのスレは昔やっていた間違ったメイクやファッションについて自分語りをした上で禊をするようなスレであり、過去から現在迄の自分の遍歴を軽く書いてみた。大前提は、昔は間違っていたけれど今は多分間違っていませんよ、だ。……覆されてしまった。輝いている、という素晴らしい一見褒め言葉なレスと、現在進行形で間違ってるよ、という進言を頂戴するに至った。現在進行形で間違っている、という指摘の後で、私ではない誰かが、アイテムでないとすれば何処が間違っているのか解らない、と書いた。その後に続いたレスが、〜〜(レス番)さん自体が間違っているのではないか、〜〜さんが間違っているのは根本的に、など。纏めて読んでみると、思春期に通過儀礼として通っておくべきだった勘違い及び間違いファッションを成人してから現在進行形で実践しており、勘違いアイテムを手にするたびに友人から、服はね、面白くなくていいんだよ、と忠告されている。それでも、だって可愛い物が好きなんだもん! だって小悪魔になりたいんだもん! と反抗期的発言連発。ファッションはガーリッシュながらソウルはピッチの心意気。自分の書いたレスと他者がくれたレスを読み、何が現在進行形で間違っているのかを、メイラックスでぼーっとしている頭で考えてみた。メイクと髪は間違っていないと断言できる。化粧板よ、多謝。では間違っているのは何か。きっと、ソウルはビッチの心意気、なのだろう。いや、もっと正確に書くならば、第三者から見ればソウルはビッチの心意気な20代後半は間違っているように見える、のだろう。因みにレスの中で、普段は気分でガーリーとカジュアルを行ったり来たり、と書いたのだがスルーされている模様。若しくは読んだ人は、勘違いした、ガーリーや、間違った、カジュアルを行ったり来たり、と脳内補完しているのかもしれない。如何ともし難い。誤解を解かねば! と書き込もうとしたらアクセス禁止のお達しが。タイミング、最悪。

 突発的に可愛い服を買ってしまう。その可愛い服は、とんでもなく嵩張るバルーンスカートや、紫ラメのレザースーツや、袴だったりする。着るあてはない、と書いたのは見栄だ。ライヴに着て行く。ただそれを書いてしまうと、どんなバンドよ、と突っ込まれそうなので敢えて、着るあてはない、と。このスレを友人と見ながらメッセで会話。いろんな恰好をしていたんだね、と言われた。しかしスレに書いたのは極一部、極最近の私的可愛いアイテムであり、書いていない物もある。例えば去年・一昨年の冬に自分の中でブレイクしていたアイテムは、マント、だ。フードがついていて首のところでリボン結びする嵩張るウールの布でできたアレ。これが周囲に悪評紛々。そして自分でも、可愛いが不便だ、と感じていた。嵩張る・重い・見た目程暖かくない・他の服に合わせづらい・動き難い、の五重苦のマント。実用性の面で余りにも不利益なので去年末に処分をしたが、未だに悔しく思う。可愛かったのに……と。マントは独断と偏見に於いて間違ってはいなかった。自覚的間違っていたかもアイテムの筆頭は、フリースの豹柄うさ耳帽子、である。この帽子を手にしたのは20代前半。うさ耳、可愛い! と飛びついた。これらのアイテムをメッセで書いたとき友人に、写真は残っていないの? と訊かれた。残っている筈がない。何故ならこれらは、普段着、でありわざわざ写真に残す必要はなかったからだ。フリースの豹柄うさ耳帽子を嬉々として被る20代前半の女。マントを嬉々として身に纏う20代後半。しかも普段着。決してコスプレではない。これらアイテムを普段着として着るのと、コスプレとして着るのではどちらがイタイのだろう。実に微妙な話である。あ、書いていてマントについてちょっと客観視できてきたか。

 一昨日友人と話していて笑われた最近購入した衣類に、サテンの黒いギャザースカート、というものがある。無地だし、変形ではないし、無難なアイテムだと私は思っている。が、友人が真っ先にイメージしたのは、年末恒例の第九の合唱団、だったらしい。何と合わせるの? と訊かれて困った。何をトップスに持ってくればいいのだろう。元々サテン素材の服を着回すのは苦手なのだ。なのに何故買ってしまったか。それは某スレに、ブルーベースの冬の人にはサテンのような素材が似合う、と書かれていたからだ。それを読み、そうか! サテンか! と飛びついた踊らされ捲りの莫迦ちんがそこにいた。友人に、何が合うと思う? と相談したら、サテンかシルクの白いブラウス、という答えが返ってきた。第九から離れて考えてくれ……。シースルー素材の物なら合うかな、と自分で思い至ったのでもういいのだけれど。友人と話していて、ネットオークションのウォッチリストに入れてから見直して削除したアイテムについて話した。そのひとつが、フランス女優のような黄色いブラウス。シースルー素材で、ボートネックの襟元には豪華絢爛なレースがあしらわれており、ウエストには共布のリボンが付いている代物。とても可愛い。一目で私のハートをノックアウト。なのに削除したのは、共布とはいえ外付けのリボンをウエストに巻くアイテムが似合わないことが、去年発覚したからである。私のウエストの寸法は、身長からすると標準よりやや太い程度である。ただ上半身が薄っぺらい為、他者にはウエストも細い錯覚を与えがちだ。このような自分に都合のいい錯覚は大歓迎である。因って実態をバラす行為は極力避けたい。その為には、ウエストにリボンやサッシュベルトをあしらってはならないのだ。それらが非常にとても大変尋常ならぬ長さならいい。余りが多い程に、やっぱりウエストが細いから余るのね、とより良い勘違いを招くから。しかし布地ギリギリの部分で強引に結んでしまうと、無理しちゃって……、とウエストの太さをバラすだけでなく痛々しさ迄感じさせてしまう。このような理由でフランス女優のようなブラウスは削除した、と友人に話すと、予想外の反応が返ってきた。リボン云々でなくフランス女優のようなブラウスって時点でダメでしょ、と。ハイ? 何がダメなんですか? 全く解らない。だって可愛かったし、おまけにゴージャスだったし。もしかして解らない時点でダメなのか、私は……。

 別の友人が昔も今も私によく言ってくれる言葉に、服はね、面白くなくていいんだよ、というのがある。尤もだと思いつつも、面白い服の何が悪い? という反抗期気分も持ち合わせたりもしている。この友人の科白は「ハッピーマニア」でフクちゃんがシゲタに言った言葉に酷似している。ということは、私はシゲタか。エマニエル夫人か。何がダメだか解らない時点でダメ。ダメな奴は何をやってもダメ。でもソウルはビッチの心意気。

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