現在6月10日。

 うちにはよく、分譲マンションのチラシが入る。普段は華麗にスルー。たまたま目に止まったのは、そのチラシがペラペラの1枚仕立てではなく、簡易パンフレットのようにキチンとしていたからだ。予約してモデルルームを見に行って購入を決めた人には、家具一式もくれるらしい。お得。超お得。写真には大きなベッドにプラズマテレビ、大きなシステムキッチンや小洒落たオブジェが写っていた。リビングには床暖房迄付いている。これらをくれると言うのだ。マンションを買えば。頭金0、ボーナス払い0でもOK。なのに月々のローン返済は頑張れば払えない値段ではない。欲しい。めっさ欲しい。引っ越したい! 珍しく私からうちのにパンフを見せて、こんなに素敵な物件なのよん、とばかりに語った。うちのは、払えなくはないけど何十年ローンだよ……、と。考えていなかった。計算するに30年位? でも! でも賃貸でもそんなの変わらないじゃないか! うちのは地図を見て、小学校が近いからきっと煩いよ、と。うーむ。騒音公害は苦手だ。増してや憎憎しい餓鬼共の奇声とチャイムか。結局うちのが反対して、この物件購入はお流れとなった。何故私はこの物件にそんなにも惹かれたのか。高価な家具というおまけ付きも確かに魅力のひとつではある。しかしよくよくパンフを見ると、間取り図の表記方法がエレガントだったからのように思えてきた。DKだの居間だのトイレだのと書かれるところを、いちいち洒落た書体を使って英語で書いてある。使われている写真も妙にムーディ。どうやらこの雰囲気に呑まれていた気がしてきた。そしてパンフは捨てた。

 私は英語を始めとする外国語が一切できない。荒井注レベル。因って定番化しているメッセージTシャツも怖くて買えない。なにが書かれているのか、自分には全く解らないからだ。デザインを気に入って買ったとして、その言葉の国の人が読んでみて、私は秀才ではなく天才なので大衆は豚です、などという内容だったりしたら顔から火が出る程に恥ずかしい。その点、ヒスなら安心して買える。書いてある言葉の意味が解るからだ。ファックとかビッチとか。それはそれで如何なものか、なのだが。カタカナなのは荒井注レベル故にスペルミスを避ける為。数年前、何をとち狂ったかどうしても、ファックイズホームワーク、と書かれたTシャツが欲しくなった。ので買った。うちのに散々莫迦にされた。当然である。ファックイズホームワークは良くても、マザーファッカーはダメだった。その基準は一体何なのか。自分でも解らない。あのひよこのイラストがどうしても可愛く思えなかったからか。しかし落書きうさぎは可愛いと思う。ファックベアーも可愛いと思えない。しかしネズミーランドの主役パロディの長耳ネズミは可愛い。この微妙過ぎる線引きが、自分でも未だ説明できなくてもどかしい。ファックイズホームワークTシャツは愛用していたものの、洗濯の際に他の衣類から色移りしてダメになった。悲しかったが、天の思し召しだったのか。いい歳こいて恥を晒すな、と。

 またメッセージTシャツを着るには、何故か照れが入ってしまう。例えば、ハッピー、と書かれたTシャツがあったとする。楽しげで何よりではないか、と思うのは日本人だからであり、英語圏の人間が見たら、楽しい、と書かれたTシャツとしか思えない筈である。同様に地名が書かれたものもダメ。こう、何というか、浅草辺りにいる外国人をイメージしてしまうのだ。日本だの原宿だのと漢字で書かれたTシャツを着て浮かれている外国人。途方もなく嬉しそうなその姿に、英語メッセージTシャツを着て、私ってオシャレサン、と浮かれている日本人が重なる。英語だけでなく仏語独語でも同じ。私ってばパリジェンヌ、な主張が感じ取れて、こちら迄恥ずかしさを覚える。気にし過ぎなのは重々承知なのだが、この気恥ずかしさを背負って尚、前を見て歩ける程の自信が私にはない。でかでかとブランド名がプリントされたTシャツももう着られない。若気の至りで着ていたことはあったけれど、そんな過去は棚に上げて置くにしまい込み、BAPYなどと書かれたTシャツを着て街を闊歩する若者を見ては頬を染める私なのである。BAPY自体を否定している訳ではなく、BAPYにも可愛い服があるのは承知で、でもブランドロゴTシャツだけは許容できない。そんなことを書いているのに、数年越しで欲してやまなかったMILKFEDのタイプロゴトレーナーを、冬場は嬉々として着ていた。それは部屋着だからいいのだ。外に着て行くには躊躇いが生ずる。近所のコンビニが限界か。

 単なる外国語コンプレックスなのだろうか。そう簡単には片付けられないような気もする。私が結婚式や披露宴をしたくない理由に親類縁者友人知人の前で、生涯この人としかセックスしません宣言、をしなければならない恥ずかしさがあるのだ。友人カップルや街行くカップルを見ては、こいつら今は澄ましているけどヤッてんだよなー、と思ってしまう習性がある。フツーはそんなことは考えないらしい。が、私は考える。結婚式の恥ずかしさについて、その昔CCガールズの誰かが同様のことを述べていて、同志よ! と感動した。こんなことを考えているのは私だけだと思っていたから。今も前髪鶏冠頭の人間が存在していたりする。その人の旬はバブル期だったのだなあ、と思う。同様にブランドロゴTシャツを着ている人間を見ると、私ってイケてる〜、的恥ずかしさを感じる。そしてそういうものを恥ずかしいと思う私は自然とロゴ物を避けるようになり、かといって無地だと何だか損した気分になるので無駄に花柄や水玉や縞や格子が増えてゆく。これらの柄物にロゴやメッセージが混ざっていることは殆どなく、何処の国の人から見られても大丈夫、という安心感を抱ける。その昔、喜び勇んでMILKのTシャツやカットソーを着ていた自分を抹消したい。牛乳って何だよ、と。MILKの服は可愛いけれど、所詮は牛乳。powderに至っては、粉、だ。粉……粉って。ふと思ったのだが、日本のブランド名に外国語が多いのは何故だろう。桃色屋敷とか、素晴らしい世界とか、一般的に見てイタタなブランド程、邦訳すると大風呂敷を広げていたりする。後、デザイナー名がそのままブランド名になっているのも考え物だ。そのブランドのロゴ物を着て歩くということは、他者の名札を付けて歩いているようなものではないか。日本人って、外国語やローマ字にメロメロだな。私もだが。

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