現在、5月18日。

 一昨日の夜、うちのが正式に禁煙発言及び行動開始。鬱陶しいこと、この上なし。夕食を作る気力がなかったので近所のファミレスへ行った。私は禁煙する気は更々ないので喫煙席へ。席についてオーダを決めつつ煙草を吸っていると、これ見よがしに人の煙を手で払い、ふーっふーっと追いやる。そして喫煙者の悪口開始。マナーが悪い奴が多いだの、頭が悪そうに見えるだの。おまいもつい数時間前迄はその一員だったろうが。おまいも禁煙しろ。出たよ……巻き込むなっつってるのに。適当にあしらって、食事をして買い物をして帰宅。うちのは居間でフリスクを食べ、私はキッチンのPCデスクに向って祭参加。初のリアル爆撃に、毒男らの反応を楽しむ。暫くしてうちのから、眉の手入れの要請。うちのの眉のトリミングは私の仕事なので、チャチャッとやっつけて祭に戻る。そして数時間後、そろそろ寝る、と言いつつうちのが私の傍にやってきて、煙草一本頂戴、ときたものだ。それ見たことか。さっきのファミレスでの発言を謝ったらやる、と言うと素直に、ごめんね。私の煙草を1本取って火をつけて、思い切り吸い込み、やっぱりないとダメだわ。脆い。うちのの意思は脆過ぎる。今日帰宅してからは吸っていない。会社でも吸わなかったと言っているけれど、果たしてどうだか甚だ疑問である。そして今夜は吸わずに寝られるか? うちのはどうやら禁煙が成功したら嫌煙になりそうなので、このまま喫煙者でいてもらいたいものだが。ついでに、うちのが昨日数時間で禁煙に失敗したのは私にはちょっといいこと。禁煙記念日が命日ってのは、何だかイヤだ。あ。以前、うちのと私が籍を入れる日を、私の実の父親の誕生日か命日にしようと考えていて、親や叔母に反対されたことがある。そうか、こういうことなのかもしれない。

 昨日は夜中からカレーを作り始めて、明け方に眠った。もっと早くから眠剤を投入していたのだけれど、妙にハイテンションでちっとも眠気がこなかったのだ。ぼんやりしていると、後ろで草食が、メシくれ、水くれ、と容器を鳴らす気がする。けれど鳴らない。数日前迄はあんなに煩く感じていたあのガタガタという音が、こんなにも生活の中に溶け込んでいたなんて。ふと、小屋を見る。いない。逃げたか? そんな筈はない。友人がメールで書いてきてくれたこと。喪失感がうまく沸いていないのでは。確かにそうだ。喪失感がない。聴覚視覚では感じるけれど、気持ちの中で草食は現在進行形で存在していて、聞こえない、見えない、と五感で認識できたときにしか、草食がいなくなったことを実感できないのだ。何処かにぽっかりと穴が開き、昨日一昨日はずーっと上の空だった。ペットロスの鬱が襲ってくるのは、まだまだ先らしい。ひたすらに私の背後の静寂が落ち着かない。気配、というものの大きさを感じてしまう。気配の重大さは、なくしてから解るものらしい。友人やネット掲示板に慰めてもらった。喪失感を共有できるのは救いになる。後悔の念はきっと不出来な飼い主だった私への、草食からの最期の復讐。そんなものを残してくれなくても、一生草食のことを忘れたりしないのに。莫迦な子程可愛い、と思いつつ育ててきたけれど、もしかしたらこんな手の込んだ復讐をするなんて、莫迦ではなかったのかも。いろんなことが悔しい。まだ思考能力が不全且つ不安定なので、短め。

コメント