現在、5月17日。
草食と出会ったのは某ペットショップ。草食は黒と白でできていた。全体的には黒く、首周り一周と両手の先と、鼻の半分が白かった。首と手はまるでマフラーと手袋をしているようだった。店員さんに声をかけて抱かせてもらう。抱く、というより、手に乗せる。小さ過ぎて抱くこともできないのだ。それこそ、片手に収まってしまう程度の大きさ。草食は怖がりな動物で、慣れない環境に置かれると固まってしまう。私の手の上でも確か震えていたのではなかったか。草食を買ってもらい、飼い始めた。名前は私がかつて一番好きだった馬の冠を取ったもの、そのまま。けれどその名はなかなかに呼びづらく、呼び名はその名前の頭文字を取って伸ばして、ちゃん付けしたものに、いつの間にか落ち着いた。小屋には表札代わりに、その馬の単勝馬券を貼った。草食用に用意した小屋は最初とても大きく見えたけれど、もう一回り小さくても良かったか? と思っていた期間は短かった。よく食べ、よく育ち、一時期は標準よりもかなり大きくなった。獣医さんにダイエットの必要性を指摘されて、食餌管理を修正してからは痩せたが。掌に乗る位の大きさから、両掌でどうにか収まる程度に大きくなったのはどれ程かかっただろう。ハッキリとは覚えていないけれど、数ヶ月だった筈だ。それでも両掌程度の大きさのうちは抱かせてくれていた。いや、抱かせてくれていたというよりは、抵抗せずに大人しく乗ってくれていた、と書くのが正確か。抵抗するようになったのは、もう少し大きくなってから。それでも部屋中を飛び回り、昼寝している私の顔の上に本棚からダイヴしてくれたり、同様に私が寝ているときに放置していたガムテープのロールのかなりの量を齧られたりと、いろいろやってくれた。一番困ったのは、プラスチックを食べる癖がついてしまったことだ。普通は食べない。でもうちの草食は何故だか食べた。怒っても怒っても食べていた。小屋の部品は勿論のこと、当初使っていたプラスチック製のトイレをも食べていた。悩んだ末に、トイレの素材を陶器に代えた。
小屋の中や、小屋から出て部屋の中をぴょんこぴょんこと跳ね、また紙やプラスチックを好んで齧って食べていた草食。草食と暮らし始めて2〜3ヶ月の頃、実家に連れて帰った。その日は私の実家の部屋に段ボール箱を置き、草食をその中に入れていた。そして数時間出かけて戻ってくると、段ボール箱に大きな穴が! 草食が齧って穴を空けたのだ。そして脱走。ベッドの裏で元気な草食を発見して安堵。あのときは驚いた。小さな草食に、そんな力があるなんて思ってもみなかったのだ。その後、草食をダンボールのキャリーに入れて、チャリで何処だったかに出かけようとした。断念。キャリーを籠に乗せた途端に、しっこされた。ダンボールのキャリーはぐしょぐしょでもうダメ。このタイミングでするか……、というときに、よくやられた。このキャリーのときも困ったが、日常、部屋の中で放しているときによく好んで布団の上にやってきては、シャーッと。何度となく、やられた。うんこもされた。うんこはまだいいのだ。草食のうんこは丸くころころしているので、下していない限りはすぐに捨てられる。しっこは困る。何度濡れたままの布団で寝る破目になっただろう。私がひとり暮らしをしていた頃は私ひとりの我慢だったけれど、うちのと暮らし始めてからはそうも言ってられず、いつの間にか草食は部屋ではなるべく放さずに小屋で、となった。幾ら困らせられても、私らが我慢すれば良かっただけの話なのに。
雑食がくる迄は、ぴょんこぴょんこと跳ねていた草食だが、外に連れて行くと動かなかった。首輪をつけて夜、散歩がてら外に連れて行く。動かない。何度か試したけれど、やはり動かない。草食が散歩先で動くようになったのは、ここ1年位の話だ。外で跳ねる草食は伸び伸びとしていたが、連れて出た私は大変だった。蚊に喰われ捲り、草食が叢に入ろうとしたら方向転換をさせ。外に慣れ始めた草食を、出不精な私は余り散歩に連れて行かなかった。今、激しく後悔。もっともっともっともっと伸び伸びと遊ばせれば良かった。私の気分で草食を左右せず、晴れた日は毎日でも連れて行けば良かった。その分、家の中で構っていたかというと、そうでもない。トイレを覚えないことと雑食がちょっかいを出すことで、基本的には小屋の中。撫でたりはしていたけれど、大きくなってからは抱かせてはくれなくなっていた。以前、強引に抱こうとして、鳩尾に蹴りをまともに入れられたことがある。それからは抱く気が薄れてしまった。草食から進んでスキンシップを取ろうとしてきてくれたのは、ここ数ヶ月。小屋を開け放っていると、毎回ではないけれどふと気が向いたように出てきてくれた。そして私の膝や背中の上に手を置いたり。その都度、服にしっこの付いた手足を置かれる羽目になったけれど、嬉しかった。家の中でお洒落している訳でもなし、服が汚れても洗えばいいだけだし、そんなことよりも草食の方から警戒心なく私に近付いてきてくれるのが、ただただ嬉しかった。雑食を迎えて以来、やっと本当に懐いてくれた、と思えた瞬間。これからが蜜月だと信じていた。
蜜月は結局、数ヶ月で終焉。草食の死を報告したときに親は、最期の恩返しだったのかもよ、と言った。小動物に擬人化は禁忌だと思う。それに、そんな恩返しはいらなかったからもっともっと生きて欲しかった、とも思う。反面、くだらない戯言が慰めになることもある。急な、余りにも急過ぎた草食の死に親も驚いていた。けれどやはり親は親。今度動物を飼うときは云々、葬儀について云々。煩い。うちのや私の頭の中では解っている。解っているこの手のことを、第三者に言われると非常に腹が立つ。まだ悲しみもきちんとした形で通過できていないのに、何故この先飼うかどうかも解らない子の話をされねばならんのだ。しかもくどくどと。世の中には、子に恵まれない夫婦や子を授かったばかりの夫婦に、子供のことを考えてペットを捨てろ、という年寄りは少なくないとか。私の親はこの件だけは違うと思っていたけれど、その手のタイプなのかもしれない。軽蔑する。これからじわじわとやってくるであろうペットロス。それを乗り越えられるかどうかも解らないのに先のペットのこと、三回忌・七回忌の費用のことを言ってくる親の気遣いのなさに呆れた。そういう人だと知ってはいたけれど、それでもあんまりだ。今は大人しく、草食の死に実感が湧くのを待つしかない。うちのも、私も。ふたりして泣いたけれど、何処かにぽっかりと穴が開いただけで、お互いに実感が伴ってはいない。うちのは昨日、仕事を休んだ。こんな日に迄普段通りに仕事をしなければならない世の中なんて間違っている、と言って。まともな人で本当に良かった。昨日のうちのと私の会話は不自然だった。草食の話題はなるべく出さないように、ふたりとも話していた。いつか自然に、思い出話ができる日はくるのだろうか。
草食と出会ったのは某ペットショップ。草食は黒と白でできていた。全体的には黒く、首周り一周と両手の先と、鼻の半分が白かった。首と手はまるでマフラーと手袋をしているようだった。店員さんに声をかけて抱かせてもらう。抱く、というより、手に乗せる。小さ過ぎて抱くこともできないのだ。それこそ、片手に収まってしまう程度の大きさ。草食は怖がりな動物で、慣れない環境に置かれると固まってしまう。私の手の上でも確か震えていたのではなかったか。草食を買ってもらい、飼い始めた。名前は私がかつて一番好きだった馬の冠を取ったもの、そのまま。けれどその名はなかなかに呼びづらく、呼び名はその名前の頭文字を取って伸ばして、ちゃん付けしたものに、いつの間にか落ち着いた。小屋には表札代わりに、その馬の単勝馬券を貼った。草食用に用意した小屋は最初とても大きく見えたけれど、もう一回り小さくても良かったか? と思っていた期間は短かった。よく食べ、よく育ち、一時期は標準よりもかなり大きくなった。獣医さんにダイエットの必要性を指摘されて、食餌管理を修正してからは痩せたが。掌に乗る位の大きさから、両掌でどうにか収まる程度に大きくなったのはどれ程かかっただろう。ハッキリとは覚えていないけれど、数ヶ月だった筈だ。それでも両掌程度の大きさのうちは抱かせてくれていた。いや、抱かせてくれていたというよりは、抵抗せずに大人しく乗ってくれていた、と書くのが正確か。抵抗するようになったのは、もう少し大きくなってから。それでも部屋中を飛び回り、昼寝している私の顔の上に本棚からダイヴしてくれたり、同様に私が寝ているときに放置していたガムテープのロールのかなりの量を齧られたりと、いろいろやってくれた。一番困ったのは、プラスチックを食べる癖がついてしまったことだ。普通は食べない。でもうちの草食は何故だか食べた。怒っても怒っても食べていた。小屋の部品は勿論のこと、当初使っていたプラスチック製のトイレをも食べていた。悩んだ末に、トイレの素材を陶器に代えた。
小屋の中や、小屋から出て部屋の中をぴょんこぴょんこと跳ね、また紙やプラスチックを好んで齧って食べていた草食。草食と暮らし始めて2〜3ヶ月の頃、実家に連れて帰った。その日は私の実家の部屋に段ボール箱を置き、草食をその中に入れていた。そして数時間出かけて戻ってくると、段ボール箱に大きな穴が! 草食が齧って穴を空けたのだ。そして脱走。ベッドの裏で元気な草食を発見して安堵。あのときは驚いた。小さな草食に、そんな力があるなんて思ってもみなかったのだ。その後、草食をダンボールのキャリーに入れて、チャリで何処だったかに出かけようとした。断念。キャリーを籠に乗せた途端に、しっこされた。ダンボールのキャリーはぐしょぐしょでもうダメ。このタイミングでするか……、というときに、よくやられた。このキャリーのときも困ったが、日常、部屋の中で放しているときによく好んで布団の上にやってきては、シャーッと。何度となく、やられた。うんこもされた。うんこはまだいいのだ。草食のうんこは丸くころころしているので、下していない限りはすぐに捨てられる。しっこは困る。何度濡れたままの布団で寝る破目になっただろう。私がひとり暮らしをしていた頃は私ひとりの我慢だったけれど、うちのと暮らし始めてからはそうも言ってられず、いつの間にか草食は部屋ではなるべく放さずに小屋で、となった。幾ら困らせられても、私らが我慢すれば良かっただけの話なのに。
雑食がくる迄は、ぴょんこぴょんこと跳ねていた草食だが、外に連れて行くと動かなかった。首輪をつけて夜、散歩がてら外に連れて行く。動かない。何度か試したけれど、やはり動かない。草食が散歩先で動くようになったのは、ここ1年位の話だ。外で跳ねる草食は伸び伸びとしていたが、連れて出た私は大変だった。蚊に喰われ捲り、草食が叢に入ろうとしたら方向転換をさせ。外に慣れ始めた草食を、出不精な私は余り散歩に連れて行かなかった。今、激しく後悔。もっともっともっともっと伸び伸びと遊ばせれば良かった。私の気分で草食を左右せず、晴れた日は毎日でも連れて行けば良かった。その分、家の中で構っていたかというと、そうでもない。トイレを覚えないことと雑食がちょっかいを出すことで、基本的には小屋の中。撫でたりはしていたけれど、大きくなってからは抱かせてはくれなくなっていた。以前、強引に抱こうとして、鳩尾に蹴りをまともに入れられたことがある。それからは抱く気が薄れてしまった。草食から進んでスキンシップを取ろうとしてきてくれたのは、ここ数ヶ月。小屋を開け放っていると、毎回ではないけれどふと気が向いたように出てきてくれた。そして私の膝や背中の上に手を置いたり。その都度、服にしっこの付いた手足を置かれる羽目になったけれど、嬉しかった。家の中でお洒落している訳でもなし、服が汚れても洗えばいいだけだし、そんなことよりも草食の方から警戒心なく私に近付いてきてくれるのが、ただただ嬉しかった。雑食を迎えて以来、やっと本当に懐いてくれた、と思えた瞬間。これからが蜜月だと信じていた。
蜜月は結局、数ヶ月で終焉。草食の死を報告したときに親は、最期の恩返しだったのかもよ、と言った。小動物に擬人化は禁忌だと思う。それに、そんな恩返しはいらなかったからもっともっと生きて欲しかった、とも思う。反面、くだらない戯言が慰めになることもある。急な、余りにも急過ぎた草食の死に親も驚いていた。けれどやはり親は親。今度動物を飼うときは云々、葬儀について云々。煩い。うちのや私の頭の中では解っている。解っているこの手のことを、第三者に言われると非常に腹が立つ。まだ悲しみもきちんとした形で通過できていないのに、何故この先飼うかどうかも解らない子の話をされねばならんのだ。しかもくどくどと。世の中には、子に恵まれない夫婦や子を授かったばかりの夫婦に、子供のことを考えてペットを捨てろ、という年寄りは少なくないとか。私の親はこの件だけは違うと思っていたけれど、その手のタイプなのかもしれない。軽蔑する。これからじわじわとやってくるであろうペットロス。それを乗り越えられるかどうかも解らないのに先のペットのこと、三回忌・七回忌の費用のことを言ってくる親の気遣いのなさに呆れた。そういう人だと知ってはいたけれど、それでもあんまりだ。今は大人しく、草食の死に実感が湧くのを待つしかない。うちのも、私も。ふたりして泣いたけれど、何処かにぽっかりと穴が開いただけで、お互いに実感が伴ってはいない。うちのは昨日、仕事を休んだ。こんな日に迄普段通りに仕事をしなければならない世の中なんて間違っている、と言って。まともな人で本当に良かった。昨日のうちのと私の会話は不自然だった。草食の話題はなるべく出さないように、ふたりとも話していた。いつか自然に、思い出話ができる日はくるのだろうか。
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