詮無いこと

2004年5月14日 回顧
 現在、5月17日。

 草食を飼い始めたのは、1999年1月。ひとり暮らしを始めた私が帰省したときに、親が誕生日プレゼントの希望を訊いてきてくれた。その際、私は或る雑食動物を挙げた。だが、雑食はアパート暮らしには不向きとして反対され、代わりに飼い始めたのがこの草食だった。飼い始めた当初、草食が愛くるしくて自分なりに凄く可愛がった。撫でたり抱いたり。飼い始めてすぐにそんなことをしてはいけないと知ったのは暫く後だ。またごはんについてもペットショップで間違った知識を教えられ、ネットを使い始める迄は間違った知識のままに育てていた。間違った知識とは、ペレット主体のごはん設定である。幼児期から牧草に慣れさせる必要があると知ったのは、草食が大人になってから。知識を得てから食事の切り替えを図って失敗したりして、私は拙すぎる飼い主だったと反省している。ペットを飼うのは、知識をきちんと蓄えてからにすべきだった。衝動で飼うものではない。この反省は4年半程前からだ。ネットを使い始める前に飼育書などは読んでいたけれど、読めども読めども本によって書いてあることが違っており、どれが正しいのかイマイチ掴めないままに育てていたのだ。更に草食は予防接種などもなく、子供の頃は私に爪切りもさせてくれていたので動物病院に連れて行く機会もなかった。今となっては、飼い始めたときに速やかに健康診断に連れて行くべきだった、と思う。草食を動物病院に連れて行くようになったのは、草食が大人になってからだ。成長し、草食は私に懐かなくなった。これは私の育て方が悪かったからだ。

 飼い始めて半年と少しを過ぎた頃、里親として雑食をもらい受けてきた。草食と雑食を対面させた日のことは、今も鮮明に覚えている。私がアパートのドアを開けて部屋に入った途端に、草食、暴れ捲り。雑食を箱から出すと両者が暴れだした。両者を仲良くさせるのは無理だと解っていたので、どうにか共に気を荒立てないように接せられるよう小屋の配置を考えたりしているうちに、それぞれが距離の取り方を覚えてくれたようだ。しかしここでも私は飼育方法を間違えていた。先住の動物をより可愛がらなければならないと知ったのはかなり先であり、無知だった私は新参者を慣れさせるのが先と考えて、雑食を構い過ぎた。結果、草食はどんどん懐かなくなり、雑食はどんどん高飛車な甘えたになり……。草食にとって、私は嫌な飼い主であっただろう。本当に無知は罪だ。正しい知識を得てからは草食を優先していこうと思った。けれど時、既に遅し。元々草食が何を考えているかは掴み難かった。その上、心を閉ざされてしまった。動物も人間も、一旦閉ざしてしまった心を、再び開いてもらうのは至難の業だ。頑張っても頑張っても報われず、最低限の世話しかしない日もあった。そして反省してまた頑張ってやはり報われずのループが約5年。再度心を開き始めてくれたのは、今年の春。

 以前、同種の草食を飼っていたという知人がうちに来てくれたときに、扱い方を教わった。どうすれば草食が喜ぶか。その前は、草食のご機嫌斜めなときに小屋に手を入れると噛まれていたのだけれど、心を開いて懐き始めてくれてからは噛まれることもなくなった。手を触っても尻を触っても怒らなくなった。小屋の飼い始めて以来の環境整備にも取り掛かった。ずっと幼少時から同じ環境を作っていた小屋。中のスノコを変えてみたり、いろいろし始めた。それは懐いてきてくれた嬉しさと、干草の袋の裏には寿命が5〜10年と書かれている。草食の後半生を快適に過ごしてもらう為の環境整備。後半生。私は後5年は生きてくれると思い込んでいたのだ。ごはんもよく食べていたし、水も沢山飲んでいたし、後ろ足に触ると怒って跳ねてくれたし。人参をあげると物凄い勢いで平らげてくれるので、毎週のようにあげていた。ふと昔を思い出し、そういえば青梗菜も好きだったな、と生協で注文したのは先週だ。今週、その青梗菜が届く。受け取りたくない。草食の小屋を昨夜整理した。予備に用意しておいた新品の干草とトイレ砂も処分。救急で連れて行った動物病院に引取りに行った帰り、行きつけの動物病院に寄った。先の動物病院で教わったところよりも近い動物霊園を紹介してもらおうと考えて。紹介された霊園は同じだった。この辺りではそこがいいのだろう。そのときに主治獣医に死因について話した。内臓疾患かもしれなかった、と。主治獣医曰く、干草に毒草や農薬が混ざっていた可能性もある、とのこと。一飼い主でそこ迄解らん! でも、もし、一昨日迄あげていた干草のパックを破棄して新しい干草をあげていたら……。本当の死因は今となっては解らない。内臓疾患にしても干草にしても何にしても、悔いだけが残る。ああしていれば良かった。もっとこうしていれば良かった。考えても考えても尽きず、どれも詮無いことなのだけれど。

 息を引き取った後、うちのと私が迎えに行く前に草食を綺麗にしてくれるよう、動物病院に頼んだら拭くだけでなくシャンプーをしてくれていた。草食は最期迄トイレを覚えなかったので、いつも足裏と尻が汚かったのだ。連れて行くときは当然急だったので、綺麗にしている余裕がなかった。戻ってきた草食は、寝ているようにしか見えなかった。でも。全身がふわふわしていて、シャンプーのいい香りがして、体中何処でも触らせてくれた。一昨日迄の草食とは大違い。耳の内側も白いし……。耳の内側はピンクでナンボだ。それは、血が通っているということなのだから。それにうちの草食が全身ふわふわなんておかしい。トイレを覚えない足りないうちの子は、薄汚れていてナンボだ。後ろ足だって触られて怒るのがうちの子なのだ。されるがままだなんて、うちの子らしくない。帰ってきたうちの草食は、もううちの草食ではなくなっていた。午後を少し過ぎて、霊園の車が迎えに来てくれた。今夜は霊安室に置かれ、明日以降に火葬されるらしい。お骨になったらまた連絡をくれるそうだ。連絡がきたら草食のお参りに行こう。神様なんていない、とずっと思っていたし、今も思っている。誰の所為だか知らないけれど、小動物に病気を作ったのは余りにも罪だ。小動物は自分で病院には行けないのだし、つらくてもそれを飼い主に伝えることもできない。特に草食は、限界迄我慢してしまう種であり、倒れているのに気付いたときには大半は既に手遅れ、という動物。昨日は早起きして良かった。寝ている間に逝かれたのでは堪らない。しかし。寝ずに起きていたら、異変にもっと早く気付けた可能性もある。……詮無いことだ。

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