草食入院

2004年5月15日 その他生活
 現在5月16日早朝。

 さっき帰宅。ぐだぐだになっていた生活を正す為、昨日は昼から寝て夜に1度目覚めるも強引にもう1度寝て、早朝5時半過ぎに起床。起きて草食にごはんを……と思ったら、草食が動かん! 触ると冷たい。ごはんを差し出しても反応がない。え? 揺り動かすも反応なし。うちのに声をかけて起こす。うちのが飛び起きて草食小屋へ。慌てふためく私にうちのが、まだ息してるよ、と。急いで24時間営業の動物病院に連絡をしてタクシーで連れて行く。動物病院でまずは体重測定。先月よりも800g減っていた。気付かなかった。トイレを覚えない草食は常に足元や尻が汚い。先々日、草食の足と尻とお腹を洗った。そのときに抱いて風呂場に連れて行ったのだけれど、体重減少には気付かなかった。飼い主失格か。病院で草食に点滴と注射を打ってもらう。獣医さん曰く、骨髄か脾臓に疾患があり血液が造れなくなっていて貧血状態になっている、とのこと。選択を迫られた。連れて帰ってペットボトルを湯たんぽにして体温上昇を待ちつつ見守るか、それとも入院をさせるか。この動物病院はかかりつけではなく、数年前の夜中にやはり草食が動かなくなったときに救急で連れて行ったところだ。そのときは、今夜が山だ、と言われたけれど選択の余地なく入院となり、どうにか持ちこたえてくれた。今回、選択肢を与えられたのは、回復の見込みが余りに薄いからだ。どう高く見積もっても回復する可能性は20%。なら、長年一緒に暮らしてきたことだしおうちで看取れた方が良くないですか、看取れなくて後悔しませんか、と。混乱して泣いていた私には選択ができず、うちのに一存。入院させてきた。うちで看取ろうとしてもその瞬間に立ち会えるかどうかは判らないし、可能性があるなら病院に任せよう、ということで。

 次回の注射は午前9時とのこと。その時間迄頑張ってくれるかどうか、解らない。動物病院からの連絡がいつあるかも判らない。連絡をくれるときは、持ち堪えられたと判断できたときか、死んだときのどちらからしい。混乱しつつも私の気持ちは、看取る方に傾いていた。草食の内臓疾患は治らないものらしい。持ち堪えても今後は毎日投薬しつつの闘病生活だ。これからも苦しむのなら、いっそ……と。草食は現在5歳半。獣医さんに草食の一般的寿命を聞くと、6〜8年とのこと。極端に若い訳でもなく、今がうちの草食の寿命なのかもしれない、と思った。診察台で撫でる草食の体は冷たい。普段なら腹や後ろ足を撫でると怒るのに、今朝の草食は何処を撫でられても怒れない。悲しかった。場所によって撫でさせてくれない草食を偏屈だと思っていたけれど、撫でさせてくれることがこんなに悲しかったなんて。これなら怒って蹴られた方が遥かにマシである。最近になってやっと懐いてきた草食。これからが蜜月だと思っていた。今日が山である。持ち堪えてくれるかどうか。うちのは信じていると言った。私は……。

 前回草食を救急でこの病院に連れ込んだときは、栄養失調だった。草食に牧草を食べる習慣を身に付けさせようと、私がペレットから牧草へと強引に餌を切り替えたのだ。ペレットがなければ嫌でも牧草を食べるだろうと思っていたが、甘かった。持ち堪えてくれてからは、強引な切り替えをやめてペレットと牧草の両方をあげる形に戻した。ずっと嫌々食べていた牧草を喜んで食べるようになってくれたのは、ここ半年から1年くらいの話。かかりつけの動物病院で相談して、ペレットはおやつのような扱いで2〜3日に1度、基本のごはんは牧草にしていた。うちのは今日、動物病院に連れて行く迄のタクシーでの道中、それが良くなかったのではないか、と言っていた。牧草を主に切り替えてからの私の草食への栄養管理は、間違っていなかったと今も思う。ペレットを主にしていたところで、内臓疾患が防げたとは思えない。ただ。獣医さんに糞の状態を訊かれた。下してはいなかった。けれど、糞の大小にここ1週間ばかり、変動はあった。牧草を主に食べていた日は大きく、ペレットや野菜を食べた日は小さかった。私は食べ物が違う所為だとしか認識していなかったのだけれど、内臓に毛玉ができている兆候だったらしい。気付かなかった。牧草を食べるようになってから、草食の糞は大きくなっていた。それ以前のペレットや野菜しか食べなかった頃の糞は元々小さかったのだ。ということは、子供の頃から、もしからした生まれつき内臓疾患はあったのかもしれない。動物にも年に1度の血液検査やレントゲン撮影が義務付けられていたら、早期発見・早期治療ができたのだろう。いや、飼い主が自主的に動物病院に検査に赴くべきなのか。判らない。小さな体には、検査自体がかなりの負担になる。何にしろ今は、草食の病気に気付けなかった自分の節穴を恨むしかない。

 草食にも骨髄バンクがあればいいのに! 私の体が草食の代わりに蝕まれても構わない。草食にいらぬちょっかいを出して、また怒られたい。元気になって戻ってきたらまた一緒に散歩に行きたい。今度はもっとこまめに散歩に連れて行く。もっともっと一緒に遊ぶ。もっともっともっと小屋の環境も良くする。どうか、また小屋に戻ってきて欲しい。うちの草食は生命力が強い。前回の山もどうにか越えて戻ってきたのだ。きっと今回だって戻ってくる。しかし。診察台の上で草食は、ときどき手足をバタつかせていた。貧血で眩暈を起こしている状態。つらいのだろう。苦しいのだろう。今日預けてきたのは、延命治療だ。日頃私とうちのは、助からないと解っていながらの延命治療には反対している。今回山を越えたところで、草食が苦しむ日はまたくる。前回は餌の切り替えに失敗した私の責任であり、今回のような延命治療ではなかった。草食の為の骨髄バンクはない。脾臓に疾患があったとしても、きっと手術はできない。治らない病を抱え、毎日血液増殖の為の薬を飲まされて生き長らえさせることは、飼い主の自己満足ではないか、とも思う。草食にはその薬の意味は解らないのだ。毎日嫌な物を無理矢理食べさせられる、としか思わないだろう。そしてそれは治す為の薬ではなく、処置としての薬。寿命に近いところ迄、草食は生きた。今日中にまた体温が上がり立ち上がれるようになれば、戻ってきてくれる。それでもその後の闘病生活は、草食自身に意味のあることなのか。飼い主のエゴに他ならないのではないか。草食は私が初めて飼ったペットで、雑食は後からきた子だ。草食を飼う前、私はペットと飼い主の関係についていろいろ考えた。動物を飼うという行為は、所詮人間のエゴではないのか、と。けれども1度ペットショップに連れてこられたり里親として出された子は、誰かが飼わなければ、嫌な言葉だけれど処分されることになる。処分=死。サラブレッドもそうだけれど、人間に飼育されることでしか生きていけない動物がいる。飼われることでしか生きていけないようにしてしまったのは、人間の責任だ。私はその責任の一端を、今回の延命治療で果たせるのか。答えなんか出ない。動物を擬人化して考えてはならない、と常々思ってはいる。それでも草食の手足をバタつかせる行動を、生きていたい、という足掻きと捉えて獣医さんに預けて待つ。それしか今はできない。

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