繋がり強制
2004年5月12日 家族・メンヘル・健康など 昔から私の家では各種行事が重んじられていた。非常に大変とても鬱陶しくて学生時代に1度、各種行事のプレゼント交換はやめようよ、と提案したことがある。親の返事は、いいよ、だった。なのにその発言の次の行事であったクリスマスか何かに、親はプレゼントをくれてきた。やめようと言い了承を得られたので、当然私は何も用意していない。笑っていない目で、こっちの気持ちだからいいのよ、と言われたときの居心地の悪さったらもう、思い出しても背筋が凍る。仕方なく、その次の行事からまたプレゼント交換を始めてしまった。誕生日・バレンタインデイ・ホワイトデイ・クリスマス・父の日・母の日・親の結婚記念日。特に結婚記念日は何が何やら。私の親の結婚は入籍日と挙式日が違っており、その両方を結婚記念日と言う。年に2回も祝えってことか、とげんなりだ。今年は結婚記念日2回をスルーした。というか、忘れていた。けれど忌々しき偶然で、たまたま親元に電話した日がその結婚記念日に当たっていた。2回とも。こちらは違う用事で電話したのだが親は、あら結婚記念日だから電話してくれたのかと思ったわ。知らん! そもそも元々祝う気はない! 結納が済んでからも、お母さんの再婚がイヤなら何時でもやめるから言って、などと綺麗事を並べていざ私が、やっぱりイヤだ、と言ったときの親の言葉を忘れてはいないのだ。今更何を言ってるの!! え? イヤなら言って、ってのは嘘だったの? 今はまあ再婚してもらって良かったとは思っているけれど、この叱咤の棘が心に刺さっている限り、本音で祝えはしない。
ともあれ2回の結婚記念日の次にやってくる行事が母の日。華麗にスルー、は何となくしづらかったので電話をかけた。体調が悪くて何も用意できなくて送ってないけど電話だけでもと思って。そう、いいわよ別に、じゃあね。普段なら1分で済む用事の電話でも、20分はどうでもいいことを話す親が3分も話さずに電話を切った。体調でも悪いのだろうか? と翌日再び電話した。この間は具合悪かったの? 大丈夫よ、今夕飯作ってるから、じゃあね。またしても3分もかかっていない。不穏。変だ。おかしい。今回母の日をスルーしようとしたのは、今や曖昧になってはいるものの去年末に絶縁したからである。何だかんだで現実には心配してくれてはいるものの、当時親がうちのに言った言葉。あの子が野垂れ死んでも知らない、それがあの子の寿命。現実がどうあれ、これも棘となって刺さっている。因って母の日はスルーしたのだ。けれど、どうやら気に食わなかった模様。絶縁後、何かをしてもらったらそれ相応のお礼はしているけれど、こちらからわざわざ何かをしたり贈ったりはしていない。いい歳こいてアレだけれど、もし親が子供の日に何かしてきていたら、私も母の日をスルーできなかっただろう。この仮定でも感謝の気持ちなどに因るものではなく、義理を返す為である。母の日同様に父の日もスルーする予定だが、これはちょっと一悶着あるかもしれない。親は、私の分はいいから父さんには何かしてあげて、と行事毎に言ってきていた。実際には自分ももらわなければ気が済まないようだが。親が父親を優先させたがるのは、血の繋がりがないことでの疎外感を父親に感じさせない為である。今思えば、妻や子供を親孝行の道具に使う夫のような発想だ。旦那孝行は女房がすればいいのに、トメトメしい。
親との不穏な電話の話をうちのにすると、あんたんとこはプレゼントで繋がってるから、と言われた。言い得て妙。むしろ核心か。贈り物をし合うことで親子の繋がりを保ってきたのは確かだ。実際私は今の父親のことを、親の旦那、としか思っていないので父の日には複雑な気持ちを持ち続けてきていた。自発的に感謝の気持ちを形にするのではなく、親に怒られると面倒だから何かを贈る。私のこんな真意に父親は気付いているのか、いないのか。どっちでもいいけれど。目先の問題は母親が機嫌を損ねていることと、父の日を華麗にスルーできるかどうかだ。それにしても。何故私は絶縁したというのに復縁もどきのような状態に陥り、更に親の機嫌を気にしているのか。実に不思議だ。親からのあれこれは何から何迄シャットアウトすればいいのに、と自らに言い聞かせようとすることもある。けれどどうにも上手くいかない。未だ、親の恐怖政治に怯えている。またいちゃもんをつけられる位なら言うことを聞いておいた方が楽だ、などとも思う。激しく不健康な思考だ。
親とふたりきりになると、あんたのことを本当に思っているのはこの世で唯一血が繋がった私だけよ、と親の離婚後から今も言われ続けている。父親がいるときには、あんたのことを本当に思っているのは私ら親だけよ、に変わる。うちのは親らと私の関係を見、あそこには返せないと判断してくれた。うちのは、おまえのことを本当に思っているのは俺だけだ、なんて言わない。この手の科白を吐く人間は、得てして言葉にすることで言霊を呼び寄せて、それが現実であるかのように相手に思わせようとする。聞く側にすれば、悪魔の呪文のようである。そして中身は伴っていない。血の繋がり、戸籍上の繋がりに何の意味があるのか、私には全く理解不能である。親の兄夫婦がその見本である。祖父の死去前は祖母を比較的大切にしていた。死去後は掌を返したように祖母に冷たくあたるようになった。それこそ葬式終了後、近所の人もいる前で祖母が泣いても口撃していた。親の兄の妻の影響もあるのだろう。何せ常識がないのか、祖父の死が嬉しかったのか、葬式で赤い花柄のパンツを穿いて台所仕事をしていた人だ。その人の影響かどうかはまあ、さて置いて。血の繋がりなんて無意味なものである。赤星たみこの「なかよし」だったか、親子の繋がりについて娘に問われた母親が言った科白。血の繋がりがそんなに信用できるものなら、どうして遺産争いなんかがあるの。読んだのがかなり昔なので科白そのままではないけれど、内容はこんな感じ。真理だと思った。今も思っている。血の繋がりを口にしつつ、プレゼントで繋がりを確認しなければ気が済まないらしい私の親。自分で思うのは勝手だが、プレゼントという点で私を巻き込むのは勘弁して欲しい。もうひとつ。何かと言えば、黒猫も歳を取れば私が今言っていることが解るわよ。歳を取れば、は、ときに、親になれば、私が死んだら、に代わる。これも勘弁願いたい。私は想像力皆無の人間ではないつもりだ。今、納得できない親の言葉はきっとこれらの状況になっても納得できない筈だ。だって間違いだらけの押し付けなのだから。今週に入ってから、ずっと心身の不調が続いている。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
ともあれ2回の結婚記念日の次にやってくる行事が母の日。華麗にスルー、は何となくしづらかったので電話をかけた。体調が悪くて何も用意できなくて送ってないけど電話だけでもと思って。そう、いいわよ別に、じゃあね。普段なら1分で済む用事の電話でも、20分はどうでもいいことを話す親が3分も話さずに電話を切った。体調でも悪いのだろうか? と翌日再び電話した。この間は具合悪かったの? 大丈夫よ、今夕飯作ってるから、じゃあね。またしても3分もかかっていない。不穏。変だ。おかしい。今回母の日をスルーしようとしたのは、今や曖昧になってはいるものの去年末に絶縁したからである。何だかんだで現実には心配してくれてはいるものの、当時親がうちのに言った言葉。あの子が野垂れ死んでも知らない、それがあの子の寿命。現実がどうあれ、これも棘となって刺さっている。因って母の日はスルーしたのだ。けれど、どうやら気に食わなかった模様。絶縁後、何かをしてもらったらそれ相応のお礼はしているけれど、こちらからわざわざ何かをしたり贈ったりはしていない。いい歳こいてアレだけれど、もし親が子供の日に何かしてきていたら、私も母の日をスルーできなかっただろう。この仮定でも感謝の気持ちなどに因るものではなく、義理を返す為である。母の日同様に父の日もスルーする予定だが、これはちょっと一悶着あるかもしれない。親は、私の分はいいから父さんには何かしてあげて、と行事毎に言ってきていた。実際には自分ももらわなければ気が済まないようだが。親が父親を優先させたがるのは、血の繋がりがないことでの疎外感を父親に感じさせない為である。今思えば、妻や子供を親孝行の道具に使う夫のような発想だ。旦那孝行は女房がすればいいのに、トメトメしい。
親との不穏な電話の話をうちのにすると、あんたんとこはプレゼントで繋がってるから、と言われた。言い得て妙。むしろ核心か。贈り物をし合うことで親子の繋がりを保ってきたのは確かだ。実際私は今の父親のことを、親の旦那、としか思っていないので父の日には複雑な気持ちを持ち続けてきていた。自発的に感謝の気持ちを形にするのではなく、親に怒られると面倒だから何かを贈る。私のこんな真意に父親は気付いているのか、いないのか。どっちでもいいけれど。目先の問題は母親が機嫌を損ねていることと、父の日を華麗にスルーできるかどうかだ。それにしても。何故私は絶縁したというのに復縁もどきのような状態に陥り、更に親の機嫌を気にしているのか。実に不思議だ。親からのあれこれは何から何迄シャットアウトすればいいのに、と自らに言い聞かせようとすることもある。けれどどうにも上手くいかない。未だ、親の恐怖政治に怯えている。またいちゃもんをつけられる位なら言うことを聞いておいた方が楽だ、などとも思う。激しく不健康な思考だ。
親とふたりきりになると、あんたのことを本当に思っているのはこの世で唯一血が繋がった私だけよ、と親の離婚後から今も言われ続けている。父親がいるときには、あんたのことを本当に思っているのは私ら親だけよ、に変わる。うちのは親らと私の関係を見、あそこには返せないと判断してくれた。うちのは、おまえのことを本当に思っているのは俺だけだ、なんて言わない。この手の科白を吐く人間は、得てして言葉にすることで言霊を呼び寄せて、それが現実であるかのように相手に思わせようとする。聞く側にすれば、悪魔の呪文のようである。そして中身は伴っていない。血の繋がり、戸籍上の繋がりに何の意味があるのか、私には全く理解不能である。親の兄夫婦がその見本である。祖父の死去前は祖母を比較的大切にしていた。死去後は掌を返したように祖母に冷たくあたるようになった。それこそ葬式終了後、近所の人もいる前で祖母が泣いても口撃していた。親の兄の妻の影響もあるのだろう。何せ常識がないのか、祖父の死が嬉しかったのか、葬式で赤い花柄のパンツを穿いて台所仕事をしていた人だ。その人の影響かどうかはまあ、さて置いて。血の繋がりなんて無意味なものである。赤星たみこの「なかよし」だったか、親子の繋がりについて娘に問われた母親が言った科白。血の繋がりがそんなに信用できるものなら、どうして遺産争いなんかがあるの。読んだのがかなり昔なので科白そのままではないけれど、内容はこんな感じ。真理だと思った。今も思っている。血の繋がりを口にしつつ、プレゼントで繋がりを確認しなければ気が済まないらしい私の親。自分で思うのは勝手だが、プレゼントという点で私を巻き込むのは勘弁して欲しい。もうひとつ。何かと言えば、黒猫も歳を取れば私が今言っていることが解るわよ。歳を取れば、は、ときに、親になれば、私が死んだら、に代わる。これも勘弁願いたい。私は想像力皆無の人間ではないつもりだ。今、納得できない親の言葉はきっとこれらの状況になっても納得できない筈だ。だって間違いだらけの押し付けなのだから。今週に入ってから、ずっと心身の不調が続いている。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
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