現在、5月8日。

 一昨日辺りからうちのがまた、禁煙する、と宣言した。今週末からやめるぞ、と。因みに今うちのは、缶チューハイを飲みつつ煙草を吸いつつPCに向っている。うちのが宣言をしてすぐ、だらだらと薀蓄のような理由のようなとにかく長くなることが明白な話が始まる前に、巻き込むな、と私は言った。禁煙するのはいい。けれど、禁煙する気が全くない私にそれを強いるな、と。うちのはちょくちょく禁煙宣言をする。しかし煙草は決して切らさない。やめる気なんて本当はないんじゃないか、と小一時間(以下略。禁煙宣言のときに必ず出る台詞は、煙草代が勿体無い、である。今回も出た。ふたりでやめれば月に2万は浮く、その分2万高い家賃のところに住めるぞ。やめたいと思っているうちのの煙草代の分だけ高い家賃のところで、私は満足だ。何が悲しくて煙草をやめねばならんのだ。喫煙習慣も薬物中毒の一種だ、とも言う。そんなことは当然知っている。知っていることを言われるだけならまだいいのだけれど、あれこれあったうちのがコレを言うか。おまいにだけは言われたくない。なら煙草という薬物中毒を治してギャンブル中毒が再発したらどうする? と訊くと、今迄の煙草代の範囲内ならいい、と答えられた。うちのは知らないらしい。麻雀やパチや競馬に集中すると、私の喫煙本数は倍増することを。壁や天井が黄ばむのが嫌だ、とも言っていた。これも言われたくない。うちのも私も、かつてトイレに長居する際に喫煙する習慣があった。しかしこれは去年の大掃除以降、私が禁止令を敷いた。ユニットバスの天井を掃除するのは大変だったから。なのに。うちのはたまにこの禁止令を忘れて、トイレで喫煙してしまう。毎度注意するのは私である。

 うちのが禁煙するにあたり、協力をしてくれ、と言われた。その内容は、同室では煙草を吸わない・なるべく換気扇の下で・できればベランダで・できれば一切吸わないで。……巻き込むな、と先に念を押したのだが。今度引っ越したらそこでは禁煙、とも言われた。理由は壁などが黄ばむから。そこは無問題である。というのも、引っ越すとしたらそこでは家具などを入れる前に雑食が壁を引っ掻いても傷がつかないように全面に保護シートを貼る予定だから。そう言うと、天井だけ黄ばむではないか、と言われた。ならば天井に、キッチンスペースに油跳ねでの汚れを防ぐようなシートを貼る迄だ。自分たち、そして雑食や草食の健康の為にも禁煙した方がいい、とも言っていた。雑食や草食の近くではなるべく吸わないようにしているし、私自身は禁煙して長生きよりも喫煙して短命の方がいいので余計なお世話だ。うちのが禁煙したら雑食や草食に対してしているように、うちのにも副流煙が行かないようには気をつけるけれど。この辺り迄話したところで、うちのが目新しいことを言い出した。薬物中毒と喫煙に関して。煙草はローな気分をニュートラルに戻すだけであり、ローやニュートラルからアップさせてくれる訳ではない。薬物だというのにハイになれない物に金を使うのは如何なものか。ふむ。確かに一理ありそうな……って、誤魔化されるものか! ローからニュートラルに戻してくれるだけでも私には充分だし、それを言い出すと私が処方されている向精神薬の類はどうなる。処方薬の話をしたら、それは病気への薬だから。解るような、解らんような。まだ口唇期からの脱出や成長を持ち出して話された方が納得できるかもしれない。とはいえ、禁煙に巻き込まれたくないという私の意思は物凄い勢いで固く、禁煙を促されるとその勢いは加速する。

 うちのが禁煙云々言い出したのは、先週からのヨガ・水泳による健康志向生活を更に1歩進めたいからだ。どうぞ進めてくれ給え。勝手に。ひとりで。私を巻き込まずに。私が実家を出てひとり暮らしを始めた理由のひとつに、家で喫煙できないから、というのがある。子供の頃から親に、女は子供を産む迄は煙草を吸ってはならない、と洗脳されていたからだ。高校時代に煙草を覚えて20歳を過ぎてからも、洗脳してきた相手の前で煙草を吸う勇気が私にはなかった。なので社会人になってからの日々の帰宅時間は、仕事は夕方で終わっているのに深夜から明け方。文庫本などを持ち込んで近所のファーストフード店の喫煙席で過ごしていた。激しく窮屈な生活。ひとり暮らしを始めてからは部屋にもトイレにも灰皿を常備。それでも実家に帰ったり親にあったりするときは非喫煙者のふりをしていた。ひとりで母方の実家に行くときに新幹線の切符を取ってもらったことがある。禁煙席だ。私はそれを受け取り、早めに駅に行って喫煙席に変えてもらった。またひとり暮らししていた部屋に、親がアポなし訪問してきたことがある。そこで親は非喫煙者の部屋らしからぬ匂いに気がついた。そして出た言葉が、あんたマリファナ吸ってんじゃないでしょうね!? 何故、法的に許可されている煙草をすっ飛ばして違法な草を連想するのか。やっぱり私の親はアレだ。喫煙がバレた時期は覚えていないが、バレても特に怒られたりはしなかった。むしろ、実家に帰ると私の吸っている銘柄の煙草が用意されていたり。アレな親だけれど、煙草についてだけは意見が合う。先日、親と共に祖母の見舞いに向ったときの話。深夜バスの待合ロビーで、私たちは当然喫煙コーナーに行った。喫煙コーナーは禁煙コーナーよりも人が多くて親は、こんなに喫煙者はいるのにねえ、と昨今の喫煙者への社会の冷遇を嘆いた。同意だ。

 煙草が違法嗜好品となれば、私も禁煙するだろう。しかし今は法的に許可されているし、値上げで法外な価格にでもならない限りやめる気はない。うちのの禁煙宣言は、喫煙者冷遇の社会の影響もあるだろう。喫茶店に入ると、大抵は喫煙席と禁煙席に分かれている。中には完全禁煙を売りにしている店もある。打ち合わせなどで相手が非喫煙者だったり禁煙成功者だと、うちのも喫煙席には行き難かろう。それは今回の禁煙宣言の中でも出てきた話だ。最近打ち合わせで禁煙に成功している人に何人か会ったんだけどさー、と。うちのとそれらの人の違い。打ち合わせで席に着く際にうちのが喫煙者だと知っている及び知った相手は、じゃあ喫煙席ですね、と禁煙席をうちのに強要したりすることはなかったようだ。他者を巻き込まない、いい禁煙成功者だと思った。世の中でイタイと思う人の類に、禁煙に成功して嫌煙家になってしまった人、というのがいる。嫌煙ということは煙草が意識上にあるということだ。吸わないだけで、禁煙、と言えるのか、私は疑問である。うちのが禁煙に成功したら、外ではともかく私に対しては嫌煙家を気取りそうでイヤだ。うちのもこのままずるずると喫煙者でいてくれることを願う。

BGM/アルバム「怪人二十面相」

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