現在5月4日。

 暫く前から、うちの前の家が建て替えだか何だかで工事をしている。非常にとても大変激しく物凄い勢いで煩い。壁などを経て私のPCデスクの10m先で大工事。なるべく気にしないようにして過ごしていた。気にしたって文句を言ったって工事を止めてはくれまいし。1日、うちのが休みだった。このGWはほぼカレンダ通りに休み。前夜一悶着あって私が起きたのは夕方。うちのが言った。工事、うるせーなあ! うむ。煩い。気にしないように過ごしていたけれど、他者が言葉にすると露骨に感情がささくれ立ってきた。そうなんだよ! 煩いんだよ! 毎日毎日の日中、この騒音に耐えて私は過ごしてんだ! 本気でうるせえ! しかも1日はいつもと違うでかい機材を持ち込んだようで、それ以外の日に比べて更に煩い。騒音嫌いのうちのは露骨に苛々していた。それに伴って、気にしないように、と努めつつ過ごしてきた私も苛立ってきた。苛々が始まると、この日初めて騒音に気付いたうちのよりも、腹に溜め込んでいた私の方が苛々し始めた。うちのが言った。こんなに煩いなら、菓子折りのひとつでもあっておかしくないだろ。うむ。向かいの家の人はそんなものは寄越してきていない。当人らは工事は一時のものとして、何処かで安らかな日々を過ごしているのかもしれないが、近所に住む者にとっては堪ったものではない。菓子折りで騒音がチャラになる訳ではないけれど、気遣いのひとつもなければ腹立ちも尚のこと。おまいら、こんくらいの騒音に耐えらんなきゃ出てけや、出てかずに文句言ってんのは貧乏人だろ、プ、とでも思われているのでは? なんて嫌な妄想迄引き出してくる。騒音は迷惑だ。

 気にしないように、と努めて過ごしてきたことが、騒音そのもののストレスに拍車をかけていたようである。ストレス爆発。こうなると、騒音だけでなく何もかもが気に入らなくなる。私と草食と雑食以外、全員死んじまえ! というくらいになる。どいつもこいつも人を莫迦にしやがって! おまいら、全員死刑だ! 思い返せば、うちのと感情的すれ違いが多くなったのは、向かいの家の工事が始まった時期と重なるかもしれない。ストレスを抱えた人間、しかもストレッサーをストレッサーと思わないように努めてきたとなると、もう混乱して何が自分を苛立たせているのかを見失う。そして周囲とも上手く行かなくなる。何故、自分が苛立ちを抱えているのか解らなかった。でもここのところ、私はずっと苛立っていた。そして酷いことに、苛立ちの原因を模索するうちに、普段なら気にならないようなうちのの言動に結び付けてしまっていた。この日は、うちのも苛々を私にぶつけてきた。うちのの方が何倍もマシだ。苛立ちそのものの原因が騒音だと解っていたから。人がふたりひとつ屋根の下に住む。一方が苛立てば、もう一方にも苛立ちが伝染するのは自然の摂理。一方の苛立ちをまあまあと一貫して宥められる程、うちのも私も人間ができていない。とにかくずーっと苛立っていた私は、うちのの騒音への愚痴で、自分の苛立ちの原因を自覚できた。

 原因が解ったところで、苛立ちは収まらない。何もかもが気に入らない。生理でもないのに玉姫様状態。異常な苛立ちと憤怒の中で、ってなものだ。騒音源に文句を言っても始まらない。情緒不安定極まりなくなっていた私は、うちのにあたってしまっていた。私があたるとうちのが怒り、あたり返してくる。悪循環。暫く、毎日のように喧嘩をしていた。本当に些細なことでばかり。きっかけは些細でも、喧嘩はエスカレートするものであり、エスカレートするときっかけもへったくれもなくなって大事になる。うちのと私の大きな喧嘩は酷い。他所は知らないけれど、きっと他所よりも酷い。相手の人格・人権を全てひっくり返して踏み躙り、更に傷口に硫酸を流し込むような罵詈雑言が飛び交う。泪ハナミズが止まらなくなる。2日がその最高潮を迎え、私はうちのに指環と家の鍵を返した。その後、どうにか事は収まったけれど。2日の日記に少しだけ書いた。詳細は書けない。書こうとすると思い出し泣きしそうだから、自分の中で過去のことになる日がきたら書くかもしれない。ともかくふたりともピリピリしていた。それに加えて、私は体調も悪かった。うちのは久々の長期連休を楽しみにしていた。いろんな部分で歯車が狂った。私は気が狂いそうに悶々とした何かを抱え込んでいて、それを言葉にできなくてもっと悶々としていた。熱したマグマが自然冷却することがあるかどうか、私は知らない。私は熱すると必ず爆発してから出ないと沈静しない。うちのも同じタイプである。違うのはその先。私はとことん迄突き詰めていく。うちのは突き詰めずに目の前の問題を回避しようとする。お互いの対処法が気に入らず、喧嘩は悪化の一途を辿る。もうダメだ、といろんなことに対して思った。うちのとの関係だけでなく。そこ迄、行ってしまった。

 夜、包丁を出した。そして明け方を待った。新聞屋がくる。初めて私はその新聞屋に話しかけた。あのですね、毎日その足音で目が覚めるのですけど。当然ながら、新聞屋に話しかけたときの私は丸腰。包丁は、新聞屋がアレな人だった場合の応戦用だ。持ち出すには至らず、謝罪してくれて今後は気をつける、と言ってくれた。ストレッサーひとつ消去。翌日の朝、新聞屋の足音はあるにはあったけれど、それ迄よりはかなり小さなもので許容範囲だった。ところが。今朝方の新聞屋の足音は元に戻っていた。また文句を言わねば。少し前、マンション内の貼り紙に手を加えた。貼り紙そのものはきっと大家さんが作った物だろう。内容は、特に深夜は足音を静かに、というもの。深夜、のくだりを私は赤ペンでぐるぐると囲った。新聞屋、見てないんだな。騒音以外のストレッサーがひとつある。生協の配達員。数週間前、生協で草食用の干草を注文した。配達員がそのとき、草食がいるのですか? と明るく大きな声でハキハキと訊いてきた。莫迦! 戸建じゃないのが解らないのか。周囲に内緒で飼っていること位、見当がつくだろう。気が利かな過ぎ。そのとき私は、シッ、と大声を否定し、ええ、と軽く返事をした。翌週はその他諸々と一緒に雑食用のトイレ砂を注文していた。そのときの配達員、また草食の話を持ち出してきた。また静かにするよう諭した。雑食もいる。草食もいる。配達員の仕事は、配達をすることだけなのか? 明るく大きな声で親しげに話すことを求める利用者もいるのかもしれない。けれど、私がそうでないことは何度もの遣り取りで解らないのだろうか。動物飼育禁止の部屋で飼っている私が悪い、という叱咤もあろう。それは真摯に受け止めるべきこと。それはそうとして、配達員が利用者のプライベートに、しかも周囲住民などに知られたくないと既に言っている物事について再び会話を求めるのは如何なものか。次回の配達時に言ってきたらクレームをつける予定。ストレッサー、多過ぎ。

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