共通項

2004年4月29日 雑感・所感
 現在、4月30日。

 うちのと私には、共通の趣味、というものがない。ちょっと詰まらない。共通の趣味が欲しくて、うちのに話を振ってみた。共通の趣味があった方がいいと思わん? PCでいいじゃん、俺は趣味じゃないけど。あんたの方がどっぷりとPC使いのクセに。うちのは、共通の趣味をお互いに模索する、という作業が最初は面倒らしかった。めげずに話を続けた。段々と会話が成立していく過程は楽しい。自分の話題やペースに相手を引き込むゲームのようだから。うちのがこんなことを言った。あんたが身体を動かすことが好きならいいのに。は? あんたも進んでスポーツをするタイプじゃなかろうて。だからさ、あんたが誘ってくれれば俺も運動する気になれるかなあ、と。それは、共通の、趣味、とは、言わん! 一緒に住み始めた頃は苦痛でしかなかったサッカー番組の時間を苛つかずに過ごせるようになっただけでも、私なりにスポーツに纏わる物事しては譲歩できてきているつもりだ。それに加えて、自ら身体を動かせ、とは。違う。論点がズレてきている。私が作りたい、共通の趣味、はお互いの既に持っている趣味の擦り合わせであり、新規趣味の設定ではないのだ。じゃあ、服でいいじゃん。服って……そりゃあ確かに私の衣類蒐集は趣味の部類に入るかもしれないけれど、あんたにとっては趣味って程でもないじゃない。俺は目立ったりするの嫌いだから。あんだけ悪目立ちする出来事をしでかしといて、目立つのが嫌い、とは片腹痛いわ。いや、ほら、そうじゃなくて、街中で浮くのはイヤだって話だよ。そりゃ私だって嫌だよ、でもあんたの服への拘りって目立たないことだけなん? そうだね。それは趣味じゃないだろう。うん。私の話、聞いてんの? うん。共通の趣味を持ちたいって話をしてんだよ!

 話を具体的にしなければ進まない気配。例えばさ、お互いに音楽や本や映画は好きじゃない? そうだねえ。でもさ、それぞれの中でジャンルが違ってるでしょ、あんたはジャズや雑誌やハリウッド超大作が好きで、私はHR/HMや漫画や単館系邦画好きで、その辺で歩み寄りはできないもんかねえ、って話をしたいのだが。ああ。どうよ? ここから何をどう筋道を違えたのか、話の方向が大きく狂ってしまった。共通の趣味模索ではなく、うちののサブカル批判へ。うちのは書棚を見ても会話をしても、それこそパッと見の姿もサブカルチャー臭がする。これをうちのはどうしても認めない。サブカル=カコワルイ、のように言う。別にサブカルが恰好悪くても何でもいいんだけれど、自己批判になっていることに気付いているのかいないのか。問題はその辺りである。幾らメディアで取り上げられようと、激しく積極的に「アップルシード」を観たいと言っていたり、甲殻機動隊の続きだからといって「イノセンス」にそそくさと足を運ぶ奴が、サブカル批判というところが面白い。因みに最近になってうちのはやっと「のだめカンタービレ」に嵌り出した。私がどんなに薦めても読まなかったのに、会社で話題になったからという理由で読み始めたのが今ひとつ私には不愉快。私自身のうちのへの影響力の小ささを感じてしまった。そのことを言うと、うちにあるとあんたが薦めてもいつでも読めるしなあと後回しになっちゃうんだよ、とのこと。まあ解らんでもない。ついでに昨日うちのが買ってきた雑誌は「現代思想」。特集は、アナーキズム。サブカル嫌いねえ……ふーん。もうひとついうと、書棚で場所を取っている本は2種類。ユリイカと別冊宝島シリーズ。嫌いねえ……ふーん?

 うちのの主張。いやね、別にサブカル自体が嫌いって訳じゃないんだよ。たださ、なんて言うの、サブカルがサブカルであろうとしている姿ってのがアレなんだよね。大規模でもメジャーでもいいものはあるのに、どうしてこう、サブカルの括りに入りたがるのかってのがさあ。でもってほら、そこのサークルからはみ出したものは認めたがらなかったりするじゃない、サブカルの人って。そういう姿勢がねえ。あんたがサブカルなのはいいんだよ。ただね、それだけでいいのか、ってのがあってさ。やっぱりいろんなものを観たり聴いたり読んだりすることが大事だと思う訳よ。その中で自分の好きなものを見つければいい訳で、サブカルの括りの中だけで探す必要はないじゃない。そういうことが言いたいんだよ。大きいものでもいいものはあるよ、って。サブカルの人はその辺で、大きいものは良くない、みたいな感じでアレなんだよなあ。サブカルの人は、サブカルだから恰好いい、みたいなのがねえ。どっちでもいいじゃん。

 もうこの言い回しからサブカル臭を感じるのは私だけだろうか。そしてスタンスもその、サブカルの人、とまず同じであろうことに気づいてもらいたい。そしてサブカルの人のひとりである私の主張。だからね、別にサブカルだからカコイイと思ってる訳じゃないんだって。いろんなものに触れていって、辿り着いた先が所謂サブカルの括りに入るものが多かったってだけで。サブカルだから恰好いいなんて思ってないよ。某Aの曲と某Bの曲を聴いて某Bの方が好みだった、某Cと某Dを観て某Dの方が面白かった、そんだけの話なんだよ。たまたま自分にはサブカルなBやDの方がしっくりきただけであって、だからといってAやCを批判する気はないし。それをサブカルだから、小規模だからって理由で、BやDを好き、って思われるのは心外だよ。あんたが言うサブカルの人も大概はそうじゃないの? たまたま大衆の好きな方向と違っただけでない? あー、でも。私のサブカル好きは思春期の読書傾向が大きく影響しているかも。ずっと「噂の真相」と「ガロ」を読み続けていたからなあ。たまたま手に取ったもので方向性ができてくるってのはあるかもね。いやいや、でもね、だからって他のものを全部ダメだなんて斬って捨てる気は更々なくてさ。まあとにかく、私はサブカル=カコイイ、とは思っていませんよ、と。

 話題がずれたので、共通の趣味見っけ! には至らなかった。これ迄にも何度かお互いにこの手の共通項を探そうとしている。なのに結局は上記のようにサブカル論になってしまうのは何故だ。うちのが、自分もサブカル好き、と認めればいいのに。もしかして私が脱ヲタを図り果たしたように、うちのは脱サブカルを図り果たしたのか。それなら頑ななサブカル否定の気持ちは解る気がする。もしかして。共通の趣味は、議論の為の議論、なのかもしれない、と今ふと思った。

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