老若

2004年4月25日 雑感・所感
 現在4月27日。

 25日の夕方、親と待ち合わせて夜行バス乗り場へ。親とふたりで長時間……想像しただけでぐったりである。そして行く先には叔母がいる。うちのがまた脅すようなことを言っていた。親も叔母も私らの交際や結婚には反対している。そしてこの機会に拉致されたらどうする? なんて訊いてきていた。洒落にならん。非常に危機感を感じつつ親と落ち合い、軽食を摂り、バス乗り場へ。眠剤の効きが良くて助かった。バスに揺られること約8時間、26日の早朝に京都某市へ到着。一旦叔母宅へ寄って挨拶をし、従妹が登校してすぐに祖母の元へ出発。従妹、13歳。巨乳。制服のブラウスの釦と釦の間から黒いブラが見え隠れ。童顔でぽっちゃり、なのに巨乳。チッ。第二次性徴が始まった当初は乳がでかくなることが嬉しかったようだが、今は邪魔で仕方がないらしい。喧嘩を売られているのか? それはともかく、彼女の若々しい溌剌とした姿を見て、私、老けたなあ……と軽く凹んだり。

 祖母の元に行く道中、私は車内でずっと寝ていた。対面したのは、祖母が車のところ迄やってきてからだった。病室に親と叔母が迎えに行ったときに、ひとり足らん! と憤慨していたそうな。私に会うことを楽しみにしてくれていたのは大変嬉しいことである。しかし私は、祖母の姿を見るのがつらかった。耳元で大声で話さなければ聞こえない、話し声もハッキリしていない、会話が飛ぶ、足も更に弱くなり、他者に手伝ってもらわなければ車椅子の乗降もできない、姿はロンパース。そして伝え聞いていた通りにやはり生気がなかった。特に目元。まだ意識がハッキリしているときに会うのは、これが最後だな、と感じた。私がもっと頻繁に会いに行ければいいのだが、今回も処方薬総動員で、しかも道中の殆どを睡眠でフォローしてやっとこ乗り切れた状態。そして帰宅した今、ほとほと疲れ果てている。祖母らと昼食を摂り、親と私を祖父の墓参りに連れて行ってもらい、祖母を病院に送って叔母宅へ帰宅。その道中も私は殆ど寝たきり。祖母は何度も私に、いい人はいるのか? いい人を見つけなさい、と言っていた。その都度私が、いい人はもうちゃんといるよ、と答えていたのに親が、これから探すってさ、と茶々を入れていた。私にとっては充分うちのはいい人なのにな。

 私が少し元気を取り戻したのは、従弟に会ってから。前に会ったときの面影は残っていたけれど、随分としっかりした感じになっていた。しっかりと言うか……老けていた。高校2年生にして社会人1年生の風貌。そしてPCをちょっと弄らせてもらった。デスクトップ散らかり過ぎ! おまけにプログラム入り過ぎで容量不足になっている。Cばかり使っているようで、Dが有り余っていたので一部ソフトをDに移すようにアドバイス。今迄従弟と接するのはどちらかというと苦手だったのだけれど、今回PCを見せてもらったことで親近感が沸いた。ボクもあんなツールやこんなツールを使っているのね。アレされないように気をつけなさいよ、と。この辺の物が欲しいならいいあぷろだを教えるからメール頂戴、と。送ってくるかどうか、楽しみだ。叔父はどうだか知らないけれど、叔母や従妹はそのツールの意味を知らない。いや、PC自体に詳しくない。従弟とならPC友達になれそうな予感。ただ部活で忙しい子だから、そこがどうかな。黒レトリバーも大きくなっていて、とても人懐っこく可愛かった。どこぞの私の尻を噛む莫迦犬とは大違いだ。

 出掛ける前、出社していたうちのが早く帰宅してくれた。やる気がないから仕事を持って帰ってきた、と。帰宅直前には電話で、食べる物要る? と訊いてくれたので有難くファーストフードを頼ませてもらった。土曜の夜、日曜の夕飯を作っていたことをうちのは知っている。なのに、ファーストフードを持ち帰って、なんだよ、夕飯あったのかよ、などと言っていた。知っていたくせに。うちのは恩着せがましくするか、そっけなく接するかのどちらかだ。土曜はそっけない日だったらしい。でも、私には気遣いが見て取れてとても嬉しかった。今朝、親と朝食を摂っていてまた云々言われたけれど、私にとってうちのが一番いい人だ。余りに煩かったので、私が昔風俗勤めをしていたことをさらっと言ってみた。相当なショックを受けているようだった。そして、そんな風に育てたつもりはないのに、と。親が思う通りに子が育つという思い込みこそ、愚の骨頂。そして今後そのことを誰にも言ってはいけないと言われた。知らない方がいい幸せもあるのだから。そんなのは、私からしたら嘘だ。偽りの上に成り立つ幸せなど、私はこれっぽっちも要らない。叔母からはうちのの話は出なかった。きっと親と、その話はしないように、との打ち合わせでもしていたのだろう。

 それにしても心配なのは祖母のこと。私にはできることが何もない。どうすることもできずに、ただ衰えてゆく祖母の様子を人伝に聞くことしかできない。仕方がないことなのだろう。会った感じでは老衰とそれに伴う身体のガタであり、身体だけでなく老衰が心をも蝕んでいるようだった。覇気がなく、目が虚ろで。3年は持たないような印象を受けた。精々後2年。本人も動くことがつらそうだったし、また自分の娘とはいえ世話をしてもらうことを恥じているようだった。元々プライドの高い女性なのである。おむつの世話になるなんて耐え難い苦痛だろう。長生きすればいいと言うものではないなあ、とつくづく感じた。病気で死ぬよりは老衰で眠るように死ぬ方が良かろうが、そこに身内であっても他人様の手助け無しに生活や生命を維持できないのは、本当に悲しい。何処かでこんな話を読んだ。元気な祖父母が朝になっても起きてこない。寝室に行くとふたりとも死んでいた。検査の結果、時間差でふたりして心臓麻痺。ほぼ老衰。こんな死に方はしようと思ってできることではない。けれど理想形のひとつである。祖母はきっと、病院の職員に看取られて死ぬのだろう。昨日会った祖母の姿を、私はいつ迄覚えていられるだろうか。孫の中で私を一番可愛がってくれた祖母。昨日の姿よりも、元気だった頃の祖母の姿を脳裏に焼き付けておきたい。

服装/スカラーの浅黄色カットソー+ボールルームの黒モヘアロングニット+ベルト代わりにターコイズのループタイ+リーバイス501+水色の靴下+いつもの青いビルケン+スカラーの白いスプリングコート

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