自分に苛々している。春になり、軽やかな可愛い恰好がしたい。いつ迄同じパジャマとカウチンでいるつもりだ! と自分に問いたい。髪もペターッとしている。今の自分が大嫌い。どうすれば今の自分を好きになれるのか。内面はともかく、外見だけでも。簡単な話で、風呂に入ればいいのだ。入浴して、綺麗サッパリな身体になり、朝起きてお洒落すればいい。言うは易し、行うは難し。軽やかで可愛い格好をしたところで、誰に見せる訳でなし……という空しさが伴うことに問題がありそうだ。社会人になった当初はお洒落に無頓着で、自分に似合うか似合わないかがイマイチ把握できず、我が道を行く、今思えば冴えない恰好ばかりしていた。そこから進んでPD発覚当初にいた職場では同僚や上司に、今日の恰好かわいいねー、と言ってもらえる迄に成長した。1個所で長期勤務するということは、毎日同じ職場・同じ人々が集まる場所に行く訳で、それなりにコーディネートや着回しに気を使う。インパクトのある服は1度着ていくと覚えられてしまう為、前回着用から間が空いても、またあの服着てる、となり易いので癖のない服を着る練習になった。働いていない今なら、癖のある服でも癖のない服でも自由に着られる。自由って素晴らしい。なのにネル素材のパジャマにカウチン。現在、4月半ば。クレイジーだ。ファッションの楽しみのひとつに、衣類で季節を楽しむ、という部分がある。和服に顕著。洋服でも、素材や色柄で季節感を取り入れられる。メイクもそう。全てを捨て去ったかのような今の私は嫌いだ。前にうちのにプレゼントしてもらったスピックの水色刺し子柄ブラウスに、この間購入したズッカの白スカートは絶対に嵌ると想像している。着たい。でも入浴していないが為に着ることを拒んでいる。

 今の時期ならちょっと肌寒い日はスプリングコート、暑い位の日はシャツワンピを羽織るのが良さそうだなあ、と想像している。シャツワンピの上にカーディガンでもいいなあ。着たい。でも(以下略。服を着たい欲求が高まると、服が欲しい欲求も高まる。服が欲しい欲求は財布が許す限りは好きにできる。着たい欲求は入浴をしなければ叶わない。微妙に矛盾を感じる。ここ1年、私が余り入浴云々を省いた上で着替えない理由を考える。張り合いがないからだ。褒め言葉が欲しい訳ではないけれど、他者の目を楽しませるという面白さがない。うちのは私が寝ている間に出勤し、ほぼ毎日終電で帰宅する。帰宅後から寝る迄は数時間。その数時間の為にお洒落をするという考え方もあろうが、だるい。何が悲しくて夜中に皺を気にしてスカートを穿いたり、肌に悪いメイクをせねばならんのだ。夜遊びに行くなら当然だが、所詮家の中でのこと。楽な恰好が一番。ブラなんかしたくもない。そういえば、日常の中でブラをつけている時間が殆どない所為か、只でさえ貧相な乳が型崩れしてきた気がする。いろんなことが悪循環。自分の為のお洒落を放棄してしまったのはいつからだろう。抑うつの強くなってきた時期に重なるのだろうか。思い出せない。

 お洒落と習慣は切り離せないものだと思う。高校時代の友人をお嬢だと決め付けたことがある。なんとそのお嬢は、帰宅して制服から部屋着に着替え、更に寝るときにはパジャマに着替えると言うのだ! 部屋着! 出掛ける為でもなく寝る為でもなく、部屋着、という種類の服が彼女の中ではあるのだ。凄い。それを聞いた私と友人は共に、帰宅したら即パジャマ派だったので驚愕した。パジャマ=部屋着なのだ。当時、彼女を遠い世界の住人だと思わずに、部屋着を着るという習慣を真似るべきだった、と昨今物凄い勢いで後悔している。なんで当時はお洒落に無頓着だったのだろう。過去の自分を制裁したい。部屋着とは、自分の為のお洒落のレッスンに最適ではないか。着心地が良く且つ着ていて自分が楽しい。誰に見せるというのではない自分の為だけのお洒落。安野モヨコの仕事中のお洒落とはまた違う。一般人の日常には打ち合わせだのアシスタントの存在などはなく、張り詰めた緊張感が必要ないから。却って、一般人の部屋着はリラックスできる服という前提がありそうな気がする。ここ数年、この部屋着という物の存在を自分の中で位置づけるべく、ちょっと努力した時期がある。結果。部屋着=パジャマとなった。上記と違うのは、部屋着からパジャマに着替えるという行動を放棄してそのまま寝てしまうので、パジャマ属部屋着科ができただけである。パジャマ属パジャマ科は1組しかない。私はパジャマ属部屋着科ではなく、部屋着属部屋着科の枠を作りたかったのに何処かでとち狂ってしまった。

 このとち狂いの原因が、先日の友人の電話での会話で垣間見えた。世の中には、パジャマ以外の衣類で寝ることに抵抗がある人々がいるらしい。私やその友人から見れば、その人々の習性は不思議だ。その人々から見れば私らの平気っぷりが不思議だろう。私が着たまま寝ることに抵抗がある衣類は、シフォン地・ベルベット地・リボン付きの服か。共通点は、雑食の爪と毛に触れることで衣類がダメになる可能性があるから。ニット類で寝ることに昔は抵抗があった。毛玉ができるから。今は平気。なんでこうなっちゃったんだろうなあ……と嘆いてみる。以前他者から、ジーンズを穿いたまま寝ると疲れる、という話を聞いた。不思議だった。私は疲れないから。きっと慣れているからだろう。子供や旦那の、脱いだら脱ぎっ放し、という行為に苛立っている主婦は多いようだ。うちのも脱いだら脱ぎっ放しということは多く、私の虫の居所が悪いときはやはり苛立つ。けれど、うちのからすれば私の、着たら着っ放し、の方が苛立つらしい。何故着替えないのか、と。洗濯物を増やしたくないからである。電話で話した友人に指摘されて気付いたのだが、私の生活基準軸は、如何にして洗濯物を減らすか、にあるようだ。思い当たる節は数え切れない程にある。話を整理。
 希望:いろんな服を着て楽しみたい。
 課題:入浴及び部屋着類部屋着科枠の設定。
 問題:洗濯物が増える。
解決の糸口を探してみる。私のワードローブを考える。部屋着類部屋着科枠に入れられそうな衣類は、カジュアル服がメイン故に多い。パジャマが1組しかないことは問題だろう。パジャマを増やしたい。しかし近隣に可愛いパジャマを取扱っている店は少ない。あるにはあるが、パジャマに大枚を払う余裕はない。ツモリのスリープシリーズやキッドブルーの存在は、空しくなるので記憶の彼方に追いやる。手持ちの衣類の中で、パジャマ属パジャマ科を何組か設定しよう。それから部屋着属部屋着科を設定。コンビニなどの近所に出掛けるときはカジュアル属近所用科の衣類を。部屋着での外出はダメ。其々の枠組みを乱す行為は厳禁とする。これでどうだ! この行動に準じれば入浴や洗濯物基準の生活習慣を改善できるのではなかろうか。近々、各属科の衣類リストを作成しよう。……作製した時点で気が済みそうなのは、きっと気のせいだ。

コメント