昨日、生協で注文しておいた苺が届いた。ので、洗ってヘタを取った苺を笊に上げ、醤油受け皿にバルサミコ酢を少量入れて、夕食後のデザートとして出した。苺にバルサミコ酢はフランス流の食べ方だとテレビで聞いた記憶があってのこと。爪楊枝で苺を刺して、緊張しつつバルサミコ酢をつけて食べる。うむ、オトナの味だ。けれど、私はコドモ味の苺の方が好きだ。私の子供時代の苺の食べ方。苺を深皿に入れる→牛乳をひたひた迄注ぐ→砂糖をたっぷり→苺をスプーンやフォークの背で潰す→潰れた苺を食す→残った苺ミルクを飲む。思い出しただけで甘々だ。でもこの食べ方が一番好きで、それは今でも変わっていない。昨日は面倒でしなかったけれど。残った3粒の苺はラップをして冷蔵庫に。そして今日、それを牛乳と砂糖で食べようと思っていたのだが、友人がネットにて画像入りでつけているハムスター日記を見てしまった。ハムが苺を食べてる! 可愛い。そして私のPCデスクの後ろには草食動物が。差し出したらがっついてきた。そうか、この草食は苺も食べるのか。けれど苺は草食にとって、すぐに飽きる食物らしい。干草を餌入れに入れたらそちらに夢中になってしまった。苺、勿体無かったか。うちでは日頃、果物を食べる習慣がない。ビタミン豊富な旬の果物に惹かれなくはないのだが、洗うだの、皮を剥くだの、ヘタを取るだの、種を取るだの、そういう面倒な作業を経て食べ終わるのはあっという間。こんな数分の為に手間をかけるのは甚だ面倒である。だからうちで果物を出すというのはかなり特別なことであり、草食に与えるのは一向に構わないけれど、飽きられるとやはり悔しいのだ。それに旬だろうとなんだろうと、果物は高い気がする。比較的安価なみかんは、私が薄皮嫌いなので避けている。冬、うちのはしきりにみかんを欲していたが、食べたければご自分でどうぞ、である。果物の中では、缶詰のシロップ漬けの桃が最も好きだ。白桃でも黄桃でもいい。甘くて種もなくて缶を開けるだけ。なんて楽で美味しい食べ物なのだろう。それでも滅多に食べない。風邪をひいたとき位だけ、贅沢品として食べる。貧乏な家の子供のようだ。
昨日の夕食は、とうふハンバーグと鮭ごはんと煮物。うちのからの帰るコールにて、煮物について説明しておいた。和風だか中華風だかよく判らない薄味の不味くはないもの、と。うちのは、一体それはどんな料理なんだ? と不安に思いつつ帰ってきたらしい。食べさせてみると、美味い、と言ってくれた。この煮物の正体。里芋と人参と蒟蒻だ。里芋と蒟蒻または里芋と人参だけなら味醂を使って甘く煮る。人参と蒟蒻だけならピリ辛煮だ。しかし目の前にあるのは3種。さてどうしたものか。取り敢えず、だし汁で人参と蒟蒻を煮てみた。やや煮立ってから里芋を投入。里芋が最後なのは冷凍物だから。問題はここからの味付けだ。絶対に外れなかろう料理酒をどばどば入れた。それからファーストフードなどで出されて余らせて持ち帰ったまま放置していたガムシロップを4つ、砂糖代わりに投入。それから色で判断ができない白醤油を慎重に注いだ。これで最低限の味にはなっている筈だ。が、そんな最低限で満足していいのか。よくない。料理は想像力と発想力だ。洗って割って種を取った唐辛子を1本投入し、胡麻油を少々。ここで胡麻油を持ってきたのは、人参は油を加えて食べた方が効率的に栄養を摂取できるから。これだけの手を加え、再び煮立ってから弱火にし、アルミホイルで落し蓋をして1時間程放置。その後、落し蓋を取って鍋蓋を被せてまた暫く放置。うちのが帰宅した時間が、完成時間だ。野菜が柔らかくなったときから溶けかける迄ならいつ完成にしたって構わないから。あれやこれやと調味料を使いつつも激しく薄味で、私には食感しか楽しめなかった。うちのにはちょうどいい味付けだったらしい。味の擦り合わせが、どうにも上手くいかない。今日になって、一晩置いた所為かやっと私の舌にも味が伝わってきた。薄味料理は一晩放置の法則ができそうだ。
薄味の煮物といえば、先日作った南瓜の煮物の話を避けては通れない。南瓜の煮物という料理から連想する味は? と問うたら恐らく大概の人は、和風の甘い感じ、と答えるだろう。実際、数人に問うたら皆からこのような同じ回答が返ってきた。制裁っ…! 南瓜の煮物の概念を覆すのだっ…! と、カットした南瓜をまずコンソメで煮てみた。南瓜のスープがあるのだから、コンソメは問題なかろうという無難路線からスタート。そして煮上がった南瓜をどうするか。考えに考えた末に私が取った行動は、器に盛ったコンソメで煮た南瓜にバルサミコ酢をひと垂らし、である。バルサミコ酢=ちょっとお洒落な料理上手サンが使う調味料、というイメージに基づいての行動。愚かっ…! 愚の骨頂っ…! ひと垂らしの筈が、手元が狂ってどばっとかかってしまった。修正不能。そのまま食卓へ。うちのは一口食べて、食べかけの南瓜を箸で摘まんでクンクンし始めた。行儀が悪い。これ何? と訊かれたので、上記のような説明で南瓜の煮物の概念を覆すという大いなる野望の失敗作、と答えた。うちのがクンクンしたのは酸味を感じた為であり、甘い筈なのに酸味のある野菜は腐っているのでは? と思ったからだったらしい。そしてバルサミコ酢のことを知ったうちのは、コンソメだけでよかったんじゃないの? と。久々に素直に、ごめんなさい、と言えてしまう料理だった。普段、南瓜の皮を私は残す。皮を残すことを好まないうちのは、私が残した皮を食べてくれる。この話を友人にしたら、家族だねえ、と驚かれた。カップル間では余りない行動の模様。この南瓜煮物概念転覆作戦の失敗により、冒頭に書いた苺の食べ方に於いて、醤油受け皿を使った次第。
書いている最中に、草食が苺を食べ終えた。勿体無いことにならなくて一安心。また途中でうちのが帰宅してきた。10人弱で飲んできた席で、カップルや夫婦の間での許容範囲についての話で盛り上がったと言う。或る人は、自分の髭剃りで妻が内緒のつもりで腋毛を剃っているらしいことが許せない、と。髭とは明らかに違う毛が剃刀に残っていたことで発覚したらしい。許せないと言いつつ、その人は妻に文句を言ったりできないらしい。不思議な関係。また或る人は彼女が自分の目の前で鼻毛カッターを使うのがイヤで堪らないと言ったとか。そこでうちのは、俺の彼女は俺の鼻毛が出ていると眉毛切りを渡してきますよ、と言ったようだ。そしてその場にいた女性陣に引かれたらしい。世の人々の体毛順位は頭から足迄下がるにつれ、毛への嫌悪感が高まるらしく、女性らにとって自分のアイブロウカッターで彼氏が鼻毛を切る行為はイヤなもののようだ。専用カッターなどよりもピンポイントで的確に切れて、優れた鋏だと思うのだけれど。うちのがその場で言ったという許容外範囲。私の好きなパン用チョコクリームに黒猫専用マークをつけていること。それに対抗して、うちのは私に食べられたくないカップ麺にうちののマークをつけるようになった。……笑われたらしい。うちのは許容範囲外として話したようだが、実は私の黒猫専用マークを面白がっている。チョコクリーム以外には書かないの? などと訊いてきたりもする。南瓜の皮やら鋏の使い方やら、我が家の個人テリトリはほぼ皆無なのか。個人テリトリの究極は、当人の身体だろう。昨夜、うちのが下着姿で寝転がっているときに雑食動物がうちのの上に乗り、うちののパンツを嗅いだ。そしてすぐに顔を上げた。そのとき、鼻呼吸を拒否したい匂いだったらしく雑食の口は空いていて物凄く笑えた。さっき、うちのがパンツの上からケツを嗅いでみて、と言ってきたので言われるままに嗅いだ。口が空いた。尻ではなく、最早うんこの匂い。最悪。お返しに暫く洗っていない私の頭皮を嗅がせてやった。うちには莫迦の空気が漂っている。
昨日の夕食は、とうふハンバーグと鮭ごはんと煮物。うちのからの帰るコールにて、煮物について説明しておいた。和風だか中華風だかよく判らない薄味の不味くはないもの、と。うちのは、一体それはどんな料理なんだ? と不安に思いつつ帰ってきたらしい。食べさせてみると、美味い、と言ってくれた。この煮物の正体。里芋と人参と蒟蒻だ。里芋と蒟蒻または里芋と人参だけなら味醂を使って甘く煮る。人参と蒟蒻だけならピリ辛煮だ。しかし目の前にあるのは3種。さてどうしたものか。取り敢えず、だし汁で人参と蒟蒻を煮てみた。やや煮立ってから里芋を投入。里芋が最後なのは冷凍物だから。問題はここからの味付けだ。絶対に外れなかろう料理酒をどばどば入れた。それからファーストフードなどで出されて余らせて持ち帰ったまま放置していたガムシロップを4つ、砂糖代わりに投入。それから色で判断ができない白醤油を慎重に注いだ。これで最低限の味にはなっている筈だ。が、そんな最低限で満足していいのか。よくない。料理は想像力と発想力だ。洗って割って種を取った唐辛子を1本投入し、胡麻油を少々。ここで胡麻油を持ってきたのは、人参は油を加えて食べた方が効率的に栄養を摂取できるから。これだけの手を加え、再び煮立ってから弱火にし、アルミホイルで落し蓋をして1時間程放置。その後、落し蓋を取って鍋蓋を被せてまた暫く放置。うちのが帰宅した時間が、完成時間だ。野菜が柔らかくなったときから溶けかける迄ならいつ完成にしたって構わないから。あれやこれやと調味料を使いつつも激しく薄味で、私には食感しか楽しめなかった。うちのにはちょうどいい味付けだったらしい。味の擦り合わせが、どうにも上手くいかない。今日になって、一晩置いた所為かやっと私の舌にも味が伝わってきた。薄味料理は一晩放置の法則ができそうだ。
薄味の煮物といえば、先日作った南瓜の煮物の話を避けては通れない。南瓜の煮物という料理から連想する味は? と問うたら恐らく大概の人は、和風の甘い感じ、と答えるだろう。実際、数人に問うたら皆からこのような同じ回答が返ってきた。制裁っ…! 南瓜の煮物の概念を覆すのだっ…! と、カットした南瓜をまずコンソメで煮てみた。南瓜のスープがあるのだから、コンソメは問題なかろうという無難路線からスタート。そして煮上がった南瓜をどうするか。考えに考えた末に私が取った行動は、器に盛ったコンソメで煮た南瓜にバルサミコ酢をひと垂らし、である。バルサミコ酢=ちょっとお洒落な料理上手サンが使う調味料、というイメージに基づいての行動。愚かっ…! 愚の骨頂っ…! ひと垂らしの筈が、手元が狂ってどばっとかかってしまった。修正不能。そのまま食卓へ。うちのは一口食べて、食べかけの南瓜を箸で摘まんでクンクンし始めた。行儀が悪い。これ何? と訊かれたので、上記のような説明で南瓜の煮物の概念を覆すという大いなる野望の失敗作、と答えた。うちのがクンクンしたのは酸味を感じた為であり、甘い筈なのに酸味のある野菜は腐っているのでは? と思ったからだったらしい。そしてバルサミコ酢のことを知ったうちのは、コンソメだけでよかったんじゃないの? と。久々に素直に、ごめんなさい、と言えてしまう料理だった。普段、南瓜の皮を私は残す。皮を残すことを好まないうちのは、私が残した皮を食べてくれる。この話を友人にしたら、家族だねえ、と驚かれた。カップル間では余りない行動の模様。この南瓜煮物概念転覆作戦の失敗により、冒頭に書いた苺の食べ方に於いて、醤油受け皿を使った次第。
書いている最中に、草食が苺を食べ終えた。勿体無いことにならなくて一安心。また途中でうちのが帰宅してきた。10人弱で飲んできた席で、カップルや夫婦の間での許容範囲についての話で盛り上がったと言う。或る人は、自分の髭剃りで妻が内緒のつもりで腋毛を剃っているらしいことが許せない、と。髭とは明らかに違う毛が剃刀に残っていたことで発覚したらしい。許せないと言いつつ、その人は妻に文句を言ったりできないらしい。不思議な関係。また或る人は彼女が自分の目の前で鼻毛カッターを使うのがイヤで堪らないと言ったとか。そこでうちのは、俺の彼女は俺の鼻毛が出ていると眉毛切りを渡してきますよ、と言ったようだ。そしてその場にいた女性陣に引かれたらしい。世の人々の体毛順位は頭から足迄下がるにつれ、毛への嫌悪感が高まるらしく、女性らにとって自分のアイブロウカッターで彼氏が鼻毛を切る行為はイヤなもののようだ。専用カッターなどよりもピンポイントで的確に切れて、優れた鋏だと思うのだけれど。うちのがその場で言ったという許容外範囲。私の好きなパン用チョコクリームに黒猫専用マークをつけていること。それに対抗して、うちのは私に食べられたくないカップ麺にうちののマークをつけるようになった。……笑われたらしい。うちのは許容範囲外として話したようだが、実は私の黒猫専用マークを面白がっている。チョコクリーム以外には書かないの? などと訊いてきたりもする。南瓜の皮やら鋏の使い方やら、我が家の個人テリトリはほぼ皆無なのか。個人テリトリの究極は、当人の身体だろう。昨夜、うちのが下着姿で寝転がっているときに雑食動物がうちのの上に乗り、うちののパンツを嗅いだ。そしてすぐに顔を上げた。そのとき、鼻呼吸を拒否したい匂いだったらしく雑食の口は空いていて物凄く笑えた。さっき、うちのがパンツの上からケツを嗅いでみて、と言ってきたので言われるままに嗅いだ。口が空いた。尻ではなく、最早うんこの匂い。最悪。お返しに暫く洗っていない私の頭皮を嗅がせてやった。うちには莫迦の空気が漂っている。
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