現在4月14日。
うちは狭い。狭いのに物欲王と物欲女王がいるので更に狭い。そこで私は考えた。まず、半間分しかないクローゼットの有効活用。今、クローゼットには衣類と服飾小物が詰まっている。クローゼットの扉の前には雑食動物のタオル製寝床がひとつ。私がクローゼットから物を出そうと思ったときに限って、雑食がそこで寝ている。雑食を起こすのを憚り、結局部屋に積んである衣類専用箱に入っているものばかりを着る羽目になる。クローゼットに入れてある衣類は、畳んでしまい難い物だけでなく、脂や埃で汚したくないちょっと高い衣類も入っている。正に宝の持ち腐れ。勿体無いので着たい。この寝床さえなければもっと気軽にクローゼットの中の物を使えるのに……。そして今、ひとつの籠を捨てようとしている。雑食用の籐籠製キャリー。このキャリーは物凄く可愛い。けれど既に壊れており、ただの雑食用寝床と化している。この籐籠製キャリーだって、常日頃から寝床として使われているのならば、私だって処分しようとは思わない。実際には、気まぐれにしか使われていない。数ヶ月に1度、そこで寝ているのを見るかどうか程度。要らないのではないか? 私がそう考えても不思議はあるまい。この籐籠製キャリーは居間の衣類ラックの下に置いてある。このキャリーを捨て、そこにクローゼット前の寝床を移してみた。只でさえ、雑食の寝床は多い。1匹しかいないのに、タオル製寝床・寝床にしかならない籐籠製キャリー・衣類箱の上に畳んで置いてあるタオルケット、少なくともこの3箇所は雑食専用の居場所だ。更に出窓や布団でごろごろしていたりもする。1箇所くらい減らしてもいいではないか。籐籠製キャリーを退かしてタオル製寝床をそこに置いた。雑食の反応は如何に。
暴れている。居間とキッチンを行き来して、うちのと私の顔を悲しそうな目で見ている。切ない声で鳴いている。捨てるなと? でも実際、殆ど使ってないだろ! うちの近辺の燃えるゴミの日は月曜と木曜。さっき退かした籐籠製キャリーは、現在ベランダに出してある。1日様子をみる予定。使っていないけれど自分専用と理解している物への執着心か、それとも配置転換による戸惑いによるものか。前者なら元の配置に戻すかもしれないが、後者なら容赦なく木曜に捨てる。いちいちこんなことを書いているのは、私自身が雑食の哀愁漂う目にやられて、直ぐにでも元に戻してしまいそうだからだ。ここに書くことで強い意志を、と。書いているうちに雑食が少し大人しくなってきた。今、元々タオル製寝床があった場所で毛繕いをしている。ここが私のメインの場所じゃ! と自己主張しているかのようだ。とにかく、明日いっぱいは様子をみる! ここに宣言! どうせ滅多に使っていなかった物じゃないか! うちの迄が雑食の胸の内を代弁しているかのように、好き勝手に私を責めてくる。あたしのばしょー! あたしここがすきなのー! かなしいよー! 知らん知らん!! 本心なんか解りゃしない。と、自分に言い聞かせる。 人間と共生しているのに、いつ迄も姫気分でいてもらっては困るのだ。
……クローゼットの中の衣類って、本当に必要なのだろうか? 物への執着について、私は雑食の欲求よりも自己の欲求を優先しようとしているだけではなかろうか。我侭なのは誰だ? クローゼット前に置いていたタオル製寝床で寝ている雑食に、勝手に憐憫を感じて退かさずにいた自分に罪はないのか。今後、寝ているときに起こされて物を出し入れされることと、まず使わないながらも人間に比べて格段に少ない自分の持ち物を捨てられるのとどちらがマシなのだろう。私は自分が寝ているときに起こされるのは嫌いだ。雑食もきっと嫌いだろう、とは思う。だからといって、物を捨てることとごっちゃにしていいものだろうか。答えが出せない……。籐籠製キャリーが壊れていなければ、迷いなく置いておく。だが、壊れているのだ。キャリーとしては使い物にならなくなっているのだ。使い物にならず、でもそれに執着心を持つ。人間同士なら、会話をして解決策を見つけ出せるだろう。今回の相手は動物。観察して気持ちを汲み取る努力しかできない。ハッキリと雑食の口から、すてていいよー、若しくは、すてちゃだめー! と言われればこんなに困らずに済むのに。去年だったか、ペットの言葉や気持ちが解るという商品が発売された。使い物にならないらしい。飼い主がペットの気持ちを最も知りたいのはどんなときか。それは、体調が悪いかどうかではないだろうか。動物は人間と会話を交わせないので具合が悪くても自ら、病院に連れて行って、とは言えない。特に種によっては限界迄我慢してしまう習性があり、飼い主が動物の体調不良に気付いたときには手遅れということも少なくない。こういう役割を、上記の道具は全く果たしてくれないらしい。単純に、大好きだわん、楽しいにゃん、くらいしか表示されないとか。所詮、玩具だ。今、雑食が移動されたタオル製寝床で丸くなっている。やっと落ち着いたらしい。やはり籐籠製キャリーは捨てる方向で考えよう。大丈夫そうだね、とうちのに話しかけた。うちのの返答は含みのある口調で、にやにやしつつ、そうかな? なんでこう偏屈なんだろう。大丈夫そうだね、と言っているのだから、そうだね、と素直に返してくれればいいものを。含みのある物言いをされるとまたいろいろと考えてしまうではないか。
文句があるなら自分で空間有効利用について提案してきてくれ。うちは狭いんだ。尤も。元々うちは狭くなかった。ここに初めて私が来たとき、とてもシンプルで広い部屋だった。狭くなったのは私と動物2匹が転がり込んでからだ。独り暮らし用の部屋にふたりと2匹で住もうとすれば、狭くなるのは道理である。しかも物欲王と物欲女王。物欲王は、その名の通りに物を欲しがり買いたがる。けれど買うものはコンパクトな物が多く、また不要になった物は直ぐに捨てる性質。物欲女王は嵩張る物を欲しがり買いたがる。そして買った物は物としてダメになる迄保存なり保管なりして取っておきたがる。だって欲しいんだもん! 一昨日久々に某ネットオークションを覗いて、現在30近くの品をウォッチリストに入れてある。高い物は買わない。欲しいと思いつつ、入札額の高騰を望む矛盾。しかも昨日は立ち読みした雑誌でスティラの限定パレットを見てしまった。2種共に5月発売。2種が1度に出るときは大概片方はパーソナルカラーに合わないのに、今回はどちらも使えそうな予感。むしろ悪寒。
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
うちは狭い。狭いのに物欲王と物欲女王がいるので更に狭い。そこで私は考えた。まず、半間分しかないクローゼットの有効活用。今、クローゼットには衣類と服飾小物が詰まっている。クローゼットの扉の前には雑食動物のタオル製寝床がひとつ。私がクローゼットから物を出そうと思ったときに限って、雑食がそこで寝ている。雑食を起こすのを憚り、結局部屋に積んである衣類専用箱に入っているものばかりを着る羽目になる。クローゼットに入れてある衣類は、畳んでしまい難い物だけでなく、脂や埃で汚したくないちょっと高い衣類も入っている。正に宝の持ち腐れ。勿体無いので着たい。この寝床さえなければもっと気軽にクローゼットの中の物を使えるのに……。そして今、ひとつの籠を捨てようとしている。雑食用の籐籠製キャリー。このキャリーは物凄く可愛い。けれど既に壊れており、ただの雑食用寝床と化している。この籐籠製キャリーだって、常日頃から寝床として使われているのならば、私だって処分しようとは思わない。実際には、気まぐれにしか使われていない。数ヶ月に1度、そこで寝ているのを見るかどうか程度。要らないのではないか? 私がそう考えても不思議はあるまい。この籐籠製キャリーは居間の衣類ラックの下に置いてある。このキャリーを捨て、そこにクローゼット前の寝床を移してみた。只でさえ、雑食の寝床は多い。1匹しかいないのに、タオル製寝床・寝床にしかならない籐籠製キャリー・衣類箱の上に畳んで置いてあるタオルケット、少なくともこの3箇所は雑食専用の居場所だ。更に出窓や布団でごろごろしていたりもする。1箇所くらい減らしてもいいではないか。籐籠製キャリーを退かしてタオル製寝床をそこに置いた。雑食の反応は如何に。
暴れている。居間とキッチンを行き来して、うちのと私の顔を悲しそうな目で見ている。切ない声で鳴いている。捨てるなと? でも実際、殆ど使ってないだろ! うちの近辺の燃えるゴミの日は月曜と木曜。さっき退かした籐籠製キャリーは、現在ベランダに出してある。1日様子をみる予定。使っていないけれど自分専用と理解している物への執着心か、それとも配置転換による戸惑いによるものか。前者なら元の配置に戻すかもしれないが、後者なら容赦なく木曜に捨てる。いちいちこんなことを書いているのは、私自身が雑食の哀愁漂う目にやられて、直ぐにでも元に戻してしまいそうだからだ。ここに書くことで強い意志を、と。書いているうちに雑食が少し大人しくなってきた。今、元々タオル製寝床があった場所で毛繕いをしている。ここが私のメインの場所じゃ! と自己主張しているかのようだ。とにかく、明日いっぱいは様子をみる! ここに宣言! どうせ滅多に使っていなかった物じゃないか! うちの迄が雑食の胸の内を代弁しているかのように、好き勝手に私を責めてくる。あたしのばしょー! あたしここがすきなのー! かなしいよー! 知らん知らん!! 本心なんか解りゃしない。と、自分に言い聞かせる。 人間と共生しているのに、いつ迄も姫気分でいてもらっては困るのだ。
……クローゼットの中の衣類って、本当に必要なのだろうか? 物への執着について、私は雑食の欲求よりも自己の欲求を優先しようとしているだけではなかろうか。我侭なのは誰だ? クローゼット前に置いていたタオル製寝床で寝ている雑食に、勝手に憐憫を感じて退かさずにいた自分に罪はないのか。今後、寝ているときに起こされて物を出し入れされることと、まず使わないながらも人間に比べて格段に少ない自分の持ち物を捨てられるのとどちらがマシなのだろう。私は自分が寝ているときに起こされるのは嫌いだ。雑食もきっと嫌いだろう、とは思う。だからといって、物を捨てることとごっちゃにしていいものだろうか。答えが出せない……。籐籠製キャリーが壊れていなければ、迷いなく置いておく。だが、壊れているのだ。キャリーとしては使い物にならなくなっているのだ。使い物にならず、でもそれに執着心を持つ。人間同士なら、会話をして解決策を見つけ出せるだろう。今回の相手は動物。観察して気持ちを汲み取る努力しかできない。ハッキリと雑食の口から、すてていいよー、若しくは、すてちゃだめー! と言われればこんなに困らずに済むのに。去年だったか、ペットの言葉や気持ちが解るという商品が発売された。使い物にならないらしい。飼い主がペットの気持ちを最も知りたいのはどんなときか。それは、体調が悪いかどうかではないだろうか。動物は人間と会話を交わせないので具合が悪くても自ら、病院に連れて行って、とは言えない。特に種によっては限界迄我慢してしまう習性があり、飼い主が動物の体調不良に気付いたときには手遅れということも少なくない。こういう役割を、上記の道具は全く果たしてくれないらしい。単純に、大好きだわん、楽しいにゃん、くらいしか表示されないとか。所詮、玩具だ。今、雑食が移動されたタオル製寝床で丸くなっている。やっと落ち着いたらしい。やはり籐籠製キャリーは捨てる方向で考えよう。大丈夫そうだね、とうちのに話しかけた。うちのの返答は含みのある口調で、にやにやしつつ、そうかな? なんでこう偏屈なんだろう。大丈夫そうだね、と言っているのだから、そうだね、と素直に返してくれればいいものを。含みのある物言いをされるとまたいろいろと考えてしまうではないか。
文句があるなら自分で空間有効利用について提案してきてくれ。うちは狭いんだ。尤も。元々うちは狭くなかった。ここに初めて私が来たとき、とてもシンプルで広い部屋だった。狭くなったのは私と動物2匹が転がり込んでからだ。独り暮らし用の部屋にふたりと2匹で住もうとすれば、狭くなるのは道理である。しかも物欲王と物欲女王。物欲王は、その名の通りに物を欲しがり買いたがる。けれど買うものはコンパクトな物が多く、また不要になった物は直ぐに捨てる性質。物欲女王は嵩張る物を欲しがり買いたがる。そして買った物は物としてダメになる迄保存なり保管なりして取っておきたがる。だって欲しいんだもん! 一昨日久々に某ネットオークションを覗いて、現在30近くの品をウォッチリストに入れてある。高い物は買わない。欲しいと思いつつ、入札額の高騰を望む矛盾。しかも昨日は立ち読みした雑誌でスティラの限定パレットを見てしまった。2種共に5月発売。2種が1度に出るときは大概片方はパーソナルカラーに合わないのに、今回はどちらも使えそうな予感。むしろ悪寒。
BGM/アルバム「踊る一寸法師」
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