異化、について学生時代に講義を受けた。確か半期。最後に提出するレポートで100点を取った。テストではなくレポートで100点だったのはちょっとした自慢。些細過ぎ。レポートのテーマは、自分が異化を感じたとき。異化と違和感は別物だ。この違いが理解できているかどうかが、きっとレポート採点基準だったのではないだろうか。私が書いた、異化を感じたとき。それは、松尾貴史が仮性包茎だと知ったとき、のことだった。以前にも書いたけれど、松尾は外見的にかなり理想の男性像に近い。その理想に限りなく近い男性がこともあろうに仮性包茎だったと知った瞬間。その瞬間を経て私の目に松尾がどう違って映るようになってしまったかをペラ4枚ぎっしり書いた。どうしようもない莫迦者だ、私。この講義の講師は男性。もしその講師が真性包茎だったら、このレポートは0点だったかもしれない。もしかしたら講師がズル剥けで、松尾への優越感からくれた100点だったのかもしれないけれど。ともあれ、洒落の通じる講師で良かった。別の講義では夏休みの課題として、自分で主題を見つけてノンフィクションを執筆、というのがあった。この講義は受講者が少なく、しかも受講していた殆どの学生が親や祖父母について書いてきた。なんでそんなありふれたテーマを選ぶのか、当時の私には解らなかった。今は解る。身近だからだ。けれど身近な人物のノンフィクションを書くには気をつけねばならない落とし穴がある。距離感の取り方に失敗すると、その作品はノンフィクションとしては成り立たず、ともすれば聞き書きになってしまう。このとき私が書いたのは、某競走馬について。未成年・学生は賭博禁止なのに敢えて。あの教授も私の競馬好きに理解があった。後日、JRAのカレンダーをくれたり。その時期、私は毎週のように場外馬券場や競馬場に通っており、親や祖父母よりも思い入れのある某競走馬の方が余程身近な存在で且つ引退したてだったこともあり、文献も豊富で書き易かった。競馬から離れた現在も、この某競走馬のダービーのパネルはまだ手元に保存している。
高校時代、現代国語の授業で小説を書かせられた。私は稚拙なエロ小説を書いて提出。良い評価はくれたものの、この教師は私の意図していない部分を読み取ろうとしたらしく、見当違いなコメントを書いてきた。人物描写がもっとあるとよかったですね。私の性描写が稚拙だったからか、それともわざと外して、学生が書くに相応しくあるべき小説、と強引に読んだのか。この教師は産休間近の女性だった。小説なら何を書いてもよかったのに、何故にエロ小説だったか。単なる嫌がらせである。やっぱり莫迦だ。けれどあのときエロ小説を書いた経験が、社会人になって一時期は仕事として成り立つことに。世の中、何がどう転ぶか解らないものだ。英語で作文を書かされたこともあった。そのときは上記某競走馬の有馬記念について書いた記憶が。これには苦労した。まず日本語で文章を作る。ここ迄は簡単。あっという間。しかし悲しき哉、私は泪を禁じ得ない程に語学力がなかったので英訳するのにほとほと苦労。そして和英辞典には競馬に纏わる単語なんか殆どないときたものだ。もっと簡単なものを書けばよかった。と、学生時代に書いたものを思い返して気付いたこと。私は当時、義務感から何かを書いたことはなかった。宿題だの課題だのであっても、そのときどきで好きなことだけ、書きたいことだけを書いていたのだ。義務感によるやっつけ仕事だったのはペラ2枚迄。ペラ2枚くらいならパッと思いついたことを書いてしまえば埋まってしまうから、結果としてやっつけ仕事となっていた。私は長文でなければ構成や編成や言葉を余り弄らずに、最初に思いついたままに書き綴ってしまう。そしてその方が弄くり回して作る作品よりも出来がよかった。
それが通用しなくなったのは社会人になってから。短文で表現することの難しさを移動する職場毎に味合わされた。10〜15文字程度に必要事項を盛り込みつつ、読者に印象付けるキャッチをつけるとき。ペラ1枚程度で全貌を掻い摘んで説明しなければならないとき。100wもないキャプションを数十本も書く中で、持ち得る語彙を駆使しつつ単語が被らないようにしなければならないとき。長文でも苦労はあった。同じ物事について文体を変えて何本も書かなければならないとき。あの当時の仕事は大変だった。専門分野ではないレイアウトを組む方が楽に感じたくらいだった。文体を変える、というのは割と得意なつもりだったのにダメ出し喰らい捲り。ひとりの人間が書いているので、何処かに似た言い回しやフレーズが滲んできてしまう。あからさまに同じ言葉を使っていないにも関わらず、滲み出る何か、があるのだ。パスティーシュ名人の清水義範はやっぱり凄い。職人芸だ。そして私の文章はそのような職人芸には遥かに届かない。追いつかない、とかそういう問題ではなく、資質として持ち合わせていないらしいことがよく解った。因って転身。記名原稿は楽。自分の得意な言い回しやフレーズを使い放題。しかもそれが個性となる。無記名ライターは軽く見られがちだけれど、経験として無記名だった頃の方がキツかった。個性のない文章こそ、あらゆる文章の中で最も技巧を求められる。その辺を解っていない無記名ライターは嫌いだ。仕事を舐めていると思う。これは私がライター業を始めたのは後のことであり、編集者として育った所為だろう。私が、舐めてやがる、と感じるような無記名ライターも実は懸命なのかもしれない。それでもこっちが納得できない、大きくリライトしなければならない、むしろ自分で書いた方がマシ、程度の原稿しかあげてこられないライターにギャラを出したくなかった。ギャラの出所も自腹ではないのに。金に値するだけの仕事をしろよ、と。そしてそんな輩に限って、ライターでござい、と言わんばかりの振舞い。対価の仕事をしてくれ。
書いていて何だか現役気分になってしまった。とうに離れた場所なのに。記名でまた仕事ができればなあ、と思う。編集者としてはきっともう復帰不可能。編集者の必須能力の中には体力が占める割合が大きい。体力がなくても若ければ気力で乗り切れる。今はきっと気力で乗り切ろうとしたら倒れるだろう。もの淋しい話である。記名で仕事をするとしても、締め切りを守れる自信がもうない。昔から締め切り破りでは少なくなかったけれど。日記はとても楽。記名ライティングよりも楽。ギャラが発生しない分、無責任でいられるから。なのに今この、黒猫、というHNで書いている、恋は相剋の家で、という日記に縛りができてしまっている。長文主義。文体統一。これ迄の日記で文体というか、ノリを変えているのは1〜2回だけの筈である。実験的に且つ練習としていろんな文体で書こうと思っていたのにこの始末。歪んだ完璧主義の所為か、私の元々の気質の所為か。実験的文章を書きたい気はまだあるのだが、だがしかし。ここで何かを確立できるか、それともこのまま楽な方法論で終わるのか。終わりたくはないけれど、ここで短文を書くことに抵抗感を拭えなくなっている。きっと同ペースで続け過ぎたからだろう。ちょっと考えよう。
高校時代、現代国語の授業で小説を書かせられた。私は稚拙なエロ小説を書いて提出。良い評価はくれたものの、この教師は私の意図していない部分を読み取ろうとしたらしく、見当違いなコメントを書いてきた。人物描写がもっとあるとよかったですね。私の性描写が稚拙だったからか、それともわざと外して、学生が書くに相応しくあるべき小説、と強引に読んだのか。この教師は産休間近の女性だった。小説なら何を書いてもよかったのに、何故にエロ小説だったか。単なる嫌がらせである。やっぱり莫迦だ。けれどあのときエロ小説を書いた経験が、社会人になって一時期は仕事として成り立つことに。世の中、何がどう転ぶか解らないものだ。英語で作文を書かされたこともあった。そのときは上記某競走馬の有馬記念について書いた記憶が。これには苦労した。まず日本語で文章を作る。ここ迄は簡単。あっという間。しかし悲しき哉、私は泪を禁じ得ない程に語学力がなかったので英訳するのにほとほと苦労。そして和英辞典には競馬に纏わる単語なんか殆どないときたものだ。もっと簡単なものを書けばよかった。と、学生時代に書いたものを思い返して気付いたこと。私は当時、義務感から何かを書いたことはなかった。宿題だの課題だのであっても、そのときどきで好きなことだけ、書きたいことだけを書いていたのだ。義務感によるやっつけ仕事だったのはペラ2枚迄。ペラ2枚くらいならパッと思いついたことを書いてしまえば埋まってしまうから、結果としてやっつけ仕事となっていた。私は長文でなければ構成や編成や言葉を余り弄らずに、最初に思いついたままに書き綴ってしまう。そしてその方が弄くり回して作る作品よりも出来がよかった。
それが通用しなくなったのは社会人になってから。短文で表現することの難しさを移動する職場毎に味合わされた。10〜15文字程度に必要事項を盛り込みつつ、読者に印象付けるキャッチをつけるとき。ペラ1枚程度で全貌を掻い摘んで説明しなければならないとき。100wもないキャプションを数十本も書く中で、持ち得る語彙を駆使しつつ単語が被らないようにしなければならないとき。長文でも苦労はあった。同じ物事について文体を変えて何本も書かなければならないとき。あの当時の仕事は大変だった。専門分野ではないレイアウトを組む方が楽に感じたくらいだった。文体を変える、というのは割と得意なつもりだったのにダメ出し喰らい捲り。ひとりの人間が書いているので、何処かに似た言い回しやフレーズが滲んできてしまう。あからさまに同じ言葉を使っていないにも関わらず、滲み出る何か、があるのだ。パスティーシュ名人の清水義範はやっぱり凄い。職人芸だ。そして私の文章はそのような職人芸には遥かに届かない。追いつかない、とかそういう問題ではなく、資質として持ち合わせていないらしいことがよく解った。因って転身。記名原稿は楽。自分の得意な言い回しやフレーズを使い放題。しかもそれが個性となる。無記名ライターは軽く見られがちだけれど、経験として無記名だった頃の方がキツかった。個性のない文章こそ、あらゆる文章の中で最も技巧を求められる。その辺を解っていない無記名ライターは嫌いだ。仕事を舐めていると思う。これは私がライター業を始めたのは後のことであり、編集者として育った所為だろう。私が、舐めてやがる、と感じるような無記名ライターも実は懸命なのかもしれない。それでもこっちが納得できない、大きくリライトしなければならない、むしろ自分で書いた方がマシ、程度の原稿しかあげてこられないライターにギャラを出したくなかった。ギャラの出所も自腹ではないのに。金に値するだけの仕事をしろよ、と。そしてそんな輩に限って、ライターでござい、と言わんばかりの振舞い。対価の仕事をしてくれ。
書いていて何だか現役気分になってしまった。とうに離れた場所なのに。記名でまた仕事ができればなあ、と思う。編集者としてはきっともう復帰不可能。編集者の必須能力の中には体力が占める割合が大きい。体力がなくても若ければ気力で乗り切れる。今はきっと気力で乗り切ろうとしたら倒れるだろう。もの淋しい話である。記名で仕事をするとしても、締め切りを守れる自信がもうない。昔から締め切り破りでは少なくなかったけれど。日記はとても楽。記名ライティングよりも楽。ギャラが発生しない分、無責任でいられるから。なのに今この、黒猫、というHNで書いている、恋は相剋の家で、という日記に縛りができてしまっている。長文主義。文体統一。これ迄の日記で文体というか、ノリを変えているのは1〜2回だけの筈である。実験的に且つ練習としていろんな文体で書こうと思っていたのにこの始末。歪んだ完璧主義の所為か、私の元々の気質の所為か。実験的文章を書きたい気はまだあるのだが、だがしかし。ここで何かを確立できるか、それともこのまま楽な方法論で終わるのか。終わりたくはないけれど、ここで短文を書くことに抵抗感を拭えなくなっている。きっと同ペースで続け過ぎたからだろう。ちょっと考えよう。
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