大変に憂鬱で陰鬱な気分になる事実発覚。岡田斗志夫の声が好みだ……。何故、今日になってこんな事実が発覚してしまったのか。岡田の著作は本としては読んだことがない。「TVブロス」を購入していた頃に連載を読んでいた程度。敢えて避けて通ってきていたのだ。あの、オタクは文化だ、というようなノリがもうイヤでイヤで。確かに最早ひとつの文化と言えよう。しかし、オタク、なノリというのは趣味であり、他者の趣味を満たすべく自らの趣味も兼ねて仕事とする。そんな形でなければならない、と私は思っている。岡田の何がイヤって、オタクの第一人者として大学講師なんかをしてしまっているところだ。嗚呼、イヤだイヤだ。呉智英はいいのだけれど、岡田だと抵抗がある。何故だろう。呉智英には儒教という別の得意分野があるからか? 潔い迄の学歴至上主義だから? 封建主義者だから? 話が逸れた。オタクが嫌いなのではない。むしろ私自身がオタクと分類されるような趣味を持っている。化粧オタクとかの最近ありがちな、今コレに結構嵌っちゃっているからオタクかも? いやーん、でも楽しい、うふっ、というような照れの入った甘々な括りではなく、古典的オタクの趣味の象徴である漫画、そしてアニメ。ずぶずぶの所謂オタクではないけれど、学生時代にはコミケに足を運んだことも。それでも今はいしかわじゅんのような立場でありたい。オタク嫌い。コミケなんて糞喰らえ。数十頁程度の本で幾らオフセット4色とはいえ高いんじゃい! という話ではなく。こう、なんというか、オタクの特権、とでも言おうか、オタクな自分肯定って恰好いい、そんな匂いが嫌いで仕方がない。著作を読んでいないので岡田のスタンスをちゃんと把握している訳ではなく、上記のようなオタクなのかどうかは知らないけれど。

 そんなこんなで避けてきた岡田。ずーっと前にうぷろだでDLしたまま放置してた「BSマンガ夜話」に出ていた……。岡田よりも呉智英を出せ! ってのは無理か。夏目房之介と被るし。で、昨日今日で「PINK」「機動警察パトレイバー」「賭博黙示録カイジ」「燃えよペン」「編集王」「ナニワ金融道」の計6回分を観た。じっくりと全画面表示で観た訳ではなく、東風荘の片手間に観ていただけなので、聴いた、と言った方が正確かもしれない。そしてこの番組に於いて岡田はレギュラー。私のツボに嵌る声質。イヤだイヤだ、と繰り返していても話が進まないので内容へ。まず腹が立ったのが「機動警察パトレイバー」の回。司会者やレギュラーに作品への正しい知識がないなら取り上げない方が賢明かと。何故、ヘッドギア、の名前が出てこないのか。オウムを連想させるからではあるまい。それだと「燃えよペン」についてなんて取り上げられないし。いしかわが少しその辺の、複数の人々が携わって作られた作品云々とは言っていたけれど、それについて他の人に詳しい説明を求めていた。苛々。「OUT」を読まずしてゆうきまさみを語るな! 「究極超人あ〜る」「じゃじゃ馬グルーミンUP」を話に出すのはまあいい。でも。なんで「アッセンブル・インサート」が出てこないのかと小一時間(以下略。知識が中途半端なんじゃ! と。素人は語るな、と。いや、私も素人だけれど、テレビという公共の媒体で半端なことをされると苛つくのだ。描写の入れと抜きの話には成程。

 「PINK」の回では女性出演者が多かった所為か、男オタク気質が作品に馴染めなかった所為かテンション低め。低いのはいいのだけれど岡崎京子の作品は、読者が語る、ものではないような。読者が岡崎の作品から感じるものはある。その、番組内でもよく使われていた単語で言うところの、気分。それは目から読み、脳で理解し、脳で感想を持ち、そこから言葉として口に出す迄の本当に短い瞬間に違うものと化してはしまわないか。気分とか空気感とか、その手のものを言葉にするのは難しい。けれど何故か、岡崎の読者は語りたがりの傾向が強い。一般人に。私の中では岡崎と桜沢エリカは同列の、トイレで暇潰しに読むもの。この話をして、以前岡崎ファンに桜沢と同列にするな、と叩かれたことがある。絵柄の所為ではなく両者の作品の共通点は、そのときの気分や空気を読むもの、であり、後からいろいろ語る作品ではないと私は今も思う。因みに両者の読者ではあるけれど、取り立てて好きな作家ではない。それにしても岡崎が交通事故に遭ってからどれだけの媒体が特集を組んだことか。商業主義極まれり。げんなりした。

 その姿勢を否定するかのような「編集王」。もう皆語っていることが見当外れ過ぎて……。土田世紀、ストーリーは編集者に頼り捲って作品を描いているのは周知の事実ではないのか? この番組の放映は、別冊宝島で漫画家特集を出した前だったか? 調べるのが面倒なので強くは突っ込めないけれど、なんだかなあ、と萎えた。土田の作品を語るときに、作者は何を表現したがっているか、に触れるのはタブーではないのか? と。わざわざテレビで、見当外れなことと誰もが持つ感想ばかり述べるのは如何なものか。マンボ好塚に感動したり、作中作品を読みたいなんて素人でも思うことちゃうんか、と。もうちょっと、そんな見方もあるのか! 的発言が欲しかった。「編集王」は漫画雑誌編集者の話。その漫画雑誌編集者と共に作品を作る漫画家を描いたのが「燃えよペン」。誰だったかが、これを文庫で読むのはつまらない、できれば新聞紙くらいの大きさで読みたい、と言っていた。激しく同意。読後、無駄に熱くなってしまうのにも共感。島本和彦自身、本当に熱い人らしい。コミケで出す作品も、2番手メジャー雑誌掲載作と同じくらい熱いと言う。書き下ろし日捲りカレンダーの存在には笑った。そしてアシスタントも島本並みに熱いとか。この回でのみ、コミケに出入りしている岡田が役に立った。読んでも熱い、語っても熱い、語りを聞いているだけでも熱くなる島本漫画、恐るべし。聞いたままのテンションで今この日記を書いているので、ちょっと熱いかもしれない。まあこんな日があってもいいではないか。今の私はとても熱い。先日、うちのがDQCが何の略かを私から聞いて興奮していたときくらいに熱い。この略については何度も説明したことがあるのに毎回、そうだったのか! と熱くなってくれて面白い。うちのにとって私のDQC正式名称話は、私にとっての島本漫画なのかもしれない。違うって。

 日記内表記について。私は漫画をカタカナでマンガと書くことに抵抗がある為、番組名以外は漢字表記。そして「賭博黙示録カイジ」「ナニワ金融道」については全巻所持しておらず、間違ったことを書いてしまう可能性もあるので触れずにおいた。日記内で触れた作品は全て所持及び読破済み。それにしてもこの番組。読んだことがない作品の回を観ても面白いのだろうか。先に書いたように、読んだことがあってもつまらない回もあったのだが。そして他の人は1度フルネームを出したら後は苗字だけで表記したのに対し呉智英だけ違うのは、くれともふさ・ごちえい、どちらで呼んでも構わないと当人が言っており、世間でも呼び方が二分している為。

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