現在4月4日。

 昨日は久々に、出て行く! と大声を出した。ことの発端は仕事の付き合いで呑みに出掛けたうちのからの帰るコール。電話を受けた私はそのとき夕飯は済ませていたものの小腹が空いており、モスチーズバーガー買ってきて、と頼んだ。うちのは、やだ、と答えて電話を切った。40分程経った頃、うちのがコンビニ弁当を手に帰宅した。余り楽しい呑みではなかったらしく絡まれた。うちのは絡み酒なのだ。ちょうど草食動物の小屋掃除をしていた私にうちのは、買ってきてやったから食え、とのたまった。それはそれは偉そうに。恩着せがましく。往々にしてうちのは怒りっぽく、恩着せがましい。金にも煩い。なので普段は聞き流してハイハイと返事をしている。ところが私も昨日はカチンときてしまった。私は空腹だった訳ではなく、小腹が空いていただけだったのだ。そこにボリューム満点のお弁当。しかもおかずに私の苦手なマスタードがかかっていやがる。4年半も生活を共にしていて私がマスタードを食べられないことくらい知っているだろうが! うちのの絡み口調に適当に返事をしていると、どうも何かが癇に障ったらしく絡むに留まらずに怒り始めた。その内容がまた酷い。弁当代を出せと言うだけでなく、一昨日の話の蒸し返しだったのだ。

 一昨日、私の不入浴に伴う他者への迷惑についてうちのが文句を言ってきた。文句とは違うか。フツーの苦言、なのだろう。フツーの人には。けれども私にとって入浴は大変につらいことである。気力体力が余程充実しているときでないと実現不可能な、そして準備にも時間がかかる、例えるならばマラソンと迄は言わないものの400m中距離走の大会に参加するかの如く、過酷なことである。入浴は日常のことではなくイベント。日常のことでなくなっているのは、誰よりも私がつらい。入浴していないことで行動範囲も狭まり、何処かに出掛けるにも何となく肩身の狭い思いをしている。抑うつで入浴ができなくなり、入浴ができないことで抑うつ感が強まる悪循環。うちのもそれは理解してくれている。しかしここ数日はかなり責められていた。迷惑だ、公害だ、と。尤もである。悪いのは入浴していない私だ。申し訳なく思う。それでも。そこ迄言わなくても……と言いたくなる程に酷い言葉を浴びせかけられた。他者からすれば、大した言葉ではないかもしれない。それでも私の心にはキツかった。そこに絡み酒が入った日にはもう。泣いた。そして、出て行く! と言って煙草と本を持った。そんなに私のことが迷惑なら出て行く! 結局なんだかんだ言ってあんたは私を思い通りに動かしたいだけだ! うちのが止めて、事なきを得たけれど。

 何がキツかったか。具体的にどういう流れでそこに至ったかは興奮状態だったこともあり記憶にない。しかし言葉そのものは覚えている。お前はそうやってわざと俺と親を重ねてみている。何の為にここにいるんだ。うちのは意図していなかろうが、この質問は私の諸事情の根源に関わるものだ。考えたこともなった。うちのと親に共通点が多くあるとは思っていた。けれど、わざと重ねて見ていたという意識は全くない。うちののことが好きだから、共にする生活が心地良いから私はここで暮らしいてる。それは確かだ。その中で生活を共にしているうちのに親との共通点を見つける度に、負の環境にあった者は無意識に似た負の環境に自らを置く、というありがちなDV被害者のようなパターンに自分が陥っているような気はしていた。この世に全く共通点がない人間はいないと思う。似ていないように見えても何処かしら共通している性質があったりする。それは負には限らない。優しいとか、利口だとか、そういうことで共通している場合もあるだろう。けれどうちのと親は短所ばかり似ている。と思っていた。わざと、という言葉でハッとした。私は無意識のうちにうちのと親の短所を重ねて見ていたのか。もしかしたらうちのの短所の中でも親に似ていない短所は、取るに足らない短所なのかもしれない。親に似ているが故に肥大して見えているだけ、いや、私の脳内で肥大しているだけなのかもしれない。先日、親とお茶を飲んでいてそこに私と同じ癖があることが発覚した。喫茶店でお茶を飲み終えて席を立つほんの少し前に、もう一本だけ、と私は煙草に火を点ける。親も同じことをしていた。長所でも短所でもないただの癖だけれど以前うちのに、いつもお前はもう一本ってのがあるな、と言われたことがあったから共通していることに気付いたのだと思う。指摘があって初めて気付くこと。うちのの短所、特に親と共通していると私が思っている部分に大幅な見直しが必要そうである。特に、自分の思い通りに相手を動かしたがっている、というところ。うちのの短所だと私が思うことで一番引っかかっているのはここだ。親との共通点でもある。その内容が理不尽なのかそうでないのか、杓子定規でない考えを持つ必要があることが解った。

 今日の昼間、うちのと近所の某ファミレスに行った。お互いに違うデザートのセットを注文。飲み物と一緒にナイフやフォークが運ばれてきた。食器の下に敷かれた紙に印刷された文字を読む。内容は、恋愛にも食べ物にも新鮮さが必要、というものだった。うちのと私が付き合い、同棲して4年半。新鮮さはあるだろうか。何処かで読んだ書き込みを話題に出してみた。その書き込みの内容。旦那が自分と結婚した理由は、こんな面白い生き物はそうそう落ちていないので拾った。そうそう落ちていないと思われる人なら、飽きられることは考え難い。うちのはなかなかに面白い人間なので私は飽きていない。たまに呆れることはあるけれど。うちのは私に飽きがきてはいないだろうか。問うたところ、飽きてはいないらしい。安心。けれど匂いには飽きた、と。風呂に入れということか。昨日の今日で解っている。でも外で言わないでくれ。デザートを食し、隣のスーパーで買い物をし、家で一服してからやっと2時間弱の時間をかけて入浴した。匂いか。毎日とっかえひっかえフレグランスを変えればいいのかな。フレグランスを日々つけ変えるということは、毎日の入浴を要する。どう足掻いても、入浴、にことは帰結するらしい。

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