恋愛障害者
2004年3月31日 家族・メンヘル・健康など 現在4月1日。
ここ数日、某巨大掲示板某板某女人禁制スレの纏めサイトを読み耽り。童貞毒男の中にはダンゴムシとして生きることをモットーとしている方も多いようで……。何やらその方々は、キモイ、だのという言葉を常日頃から浴びているらしい。私はこの、キモイ、という言葉が嫌いだ。気心知れている人に言ったこともなければ、当然ながら見知らぬ他人にそんな言葉をぶつけたことがない。失礼にも程がある。キモイ=気持ち悪い、なんて言葉は、「さくらの唄」の仲村真理くらいの目に遭ってからでないといってはならない言葉だと思っている。しかし彼らにとってはこのような言葉の暴力を受けることは日常であり、あまつさえそれは自分の存在そのものが他者に迷惑に思われるものだから致し方なし、などと考えている模様。ここで、努力すればどうにでもなるって! といったポジティヴ思考は毛嫌いされている。彼らはどんなに努力しようとも、女性に好かれることはおろかフツーに接せられることもないとか。不思議なのは、キモイ、と言われて彼らがそのまま凹んでしまうところだ。そんな言葉を平気で使う人間は男女を問わず歪んだ人間である。断言する。なのに言霊に囚われて、ひたすらに我が身を縮ませて生活しているようだ。女性に近付かないように、不快感を与えないように。ただただ自分が傷つかないようにする為の自己防衛。ネガティヴ方向への積極性には感動を覚えんばかりだった。そんな彼らの嘆きの体験談や悟りに近い文章を読み、私は十数年前の自分を思い出した。といっても、同じような心構えでいた訳ではない。彼らの殆どが容姿に只ならぬコンプレックスを持っており、私もその点では同じだったからだ。
十数年前……中高生だった頃である。小学生の頃からクラスでも浮いた存在であり、それは中・高と上がるに連れて浮き具合も目立つようになっていた。ちょっとした虐めにあったこともある。肉体的暴力はなかったけれど言葉の暴力はあり、また私が教室に入っただけで空気が変わることを身に沁みて感じ取れてしまったこともあった。群れたがる女子はまず私のことを怪訝な目で観察し、同類ではないと見做すと今度は隔離しようとしてくる。その際、群れている女子グループと仲の良い男子グループも一緒になり、その数はクラスの半分程になったりする。回避性の気が当時からあったのか、莫迦にされたり無視されたりして多少落ち込むことはあっても私自身を変えようとは思わなかった。自分に問題があるとは思わずに俯瞰して、あんな連中に染まりたくない、と迎合することなく過ごした。集団でなければ何もできない人間は昔も今も嫌いである。振り返れば、当時の私は無自覚にして只ならぬ問題を抱えており、今その問題は歪ではあれ改善されているよう他者に見せられるようにはなった。問題とは協調性のなさである。協調と迎合の違いが未だによく判らない。少々不便はあるけれど、当時よりも悪い方向に達観しているので気にしない。そしてこんな環境だったので、モテには程遠い存在だった。それも当時はいいと思っていた。色恋に現を抜かすのは莫迦だ。
と、自分に嘘をついていた。色恋云々には興味津々であり耳年増であり。恋愛至上主義の世の中を斜に構えて莫迦だと一刀両断しつつ憧れが捨て切れなかった。そして努力した。10人並み程度の容姿を持っていて且つ若い女性に、男性はいとも簡単に落ちる。その事実を知ってしまったが最後、落とす、という行動をして実を結ぶことが楽しくなってしまった。もっと落としたい、となり容姿にも気を遣うようになった。すると容姿についてお褒めの言葉を戴ける迄に成長した。学生時代の私、それはもう不細工だった。それでも落ちる男がいるのだから、磨けばもっと落とし易くなるだろう……。ゲーム感覚だ。中・高でも学校外に彼氏はいて真面目に付き合っていたけれど、社会人になって一気に弾けた。安彦麻理絵の描く女性登場人物よろしく、男性にそういう対象として見られたい、という欲求が高まり、そういう対象として見てもらえた後は簡単についていった。学生時代の自分の不細工さに復讐しているかのように。女を捨てていながら女に憧れ、女になって女の武器を駆使し始めた。他者への依存・セックス依存、発症。社内で喰いまくって、居辛くなって辞めたこともある。その後、人伝に上層部の人間が私について話していたことを小耳にした。あの子をい続けさせていたら会社が滅茶苦茶になっていた。その通りかもしれない。その後勤めた会社でも男絡みで辞めたことがある。社員旅行でヤッちゃあいけなかったな。そんなこんなの紆余曲折を経て、うちのに出会い、その他諸々の困難と年月を経て、自治体も認めるダメ人間になった。中身だけでなく容姿にも気遣いが減り、今は精々10人並みだ。
それでもきっと某スレに集う彼らから見たら、私は恋愛健常者に見えることだろう。けれど、断固として否定したい。私も形は違えど恋愛障害者だ。個を維持できずに共依存、依存させてくれるうちのに甘えてセックスレス数年。生活を共にしていながら、だ。こんなのは恋愛健常者である筈がない。また恋愛への……もっと正確に表現するならば、セックスへの幻想と依存が私の恋愛感の基礎となっており、うちのとの関係はその基礎を通過して家族としての愛となっている。私自身の過去を振り返り、恋人同士の愛情、が確立されたことはないかもしれない。そのときは確立されたと思っても、思い返せば全てまやかしだったように感じる。私が求めていたものは何だったのか。父親だ。ファザコンではなく、逆エディプス・コンプレックス、と表現したい。岩月某は父親と娘との親子関係の中で恋愛間が云々と語る。くだらん、と思ったのは自身の中の闇を否定したいからだ。私は今、うちのに、父親の役目、を求めてしまっている。この生活はまるで父子家庭のそれだ。健全とは言えない。うちのはそんな関係は望んでいないけれど、病んだ私に自分の求める生活を強いてはこない。甘んじている自分が情けない。先日初めてうちのが言ったこと。黒猫ちゃんが家庭を守ってくれているから俺は働けてる、貯金もふたりで貯めたお金。今迄ずっと、稼いできている俺が偉い、だったのにどうした心境の変化か。退職を目前に何か思うところがあったのか。この心境の変化はとても嬉しい。私のことをひとりの人間として扱ってくれている言葉だ。甘えるだけでなく、もっと応えられるように精神的に自立したい。私が精神的に自立したとき、初めてうちのと恋愛健常者として付き合い、生活を共にし、末永く一緒にいられるのだろう。達観したつもりでいたこと自体が甘えだった、と今なら言える。甘え続けるだけの人生は詰まらない。他者との関係が続かない。脱却したい。
ここ数日、某巨大掲示板某板某女人禁制スレの纏めサイトを読み耽り。童貞毒男の中にはダンゴムシとして生きることをモットーとしている方も多いようで……。何やらその方々は、キモイ、だのという言葉を常日頃から浴びているらしい。私はこの、キモイ、という言葉が嫌いだ。気心知れている人に言ったこともなければ、当然ながら見知らぬ他人にそんな言葉をぶつけたことがない。失礼にも程がある。キモイ=気持ち悪い、なんて言葉は、「さくらの唄」の仲村真理くらいの目に遭ってからでないといってはならない言葉だと思っている。しかし彼らにとってはこのような言葉の暴力を受けることは日常であり、あまつさえそれは自分の存在そのものが他者に迷惑に思われるものだから致し方なし、などと考えている模様。ここで、努力すればどうにでもなるって! といったポジティヴ思考は毛嫌いされている。彼らはどんなに努力しようとも、女性に好かれることはおろかフツーに接せられることもないとか。不思議なのは、キモイ、と言われて彼らがそのまま凹んでしまうところだ。そんな言葉を平気で使う人間は男女を問わず歪んだ人間である。断言する。なのに言霊に囚われて、ひたすらに我が身を縮ませて生活しているようだ。女性に近付かないように、不快感を与えないように。ただただ自分が傷つかないようにする為の自己防衛。ネガティヴ方向への積極性には感動を覚えんばかりだった。そんな彼らの嘆きの体験談や悟りに近い文章を読み、私は十数年前の自分を思い出した。といっても、同じような心構えでいた訳ではない。彼らの殆どが容姿に只ならぬコンプレックスを持っており、私もその点では同じだったからだ。
十数年前……中高生だった頃である。小学生の頃からクラスでも浮いた存在であり、それは中・高と上がるに連れて浮き具合も目立つようになっていた。ちょっとした虐めにあったこともある。肉体的暴力はなかったけれど言葉の暴力はあり、また私が教室に入っただけで空気が変わることを身に沁みて感じ取れてしまったこともあった。群れたがる女子はまず私のことを怪訝な目で観察し、同類ではないと見做すと今度は隔離しようとしてくる。その際、群れている女子グループと仲の良い男子グループも一緒になり、その数はクラスの半分程になったりする。回避性の気が当時からあったのか、莫迦にされたり無視されたりして多少落ち込むことはあっても私自身を変えようとは思わなかった。自分に問題があるとは思わずに俯瞰して、あんな連中に染まりたくない、と迎合することなく過ごした。集団でなければ何もできない人間は昔も今も嫌いである。振り返れば、当時の私は無自覚にして只ならぬ問題を抱えており、今その問題は歪ではあれ改善されているよう他者に見せられるようにはなった。問題とは協調性のなさである。協調と迎合の違いが未だによく判らない。少々不便はあるけれど、当時よりも悪い方向に達観しているので気にしない。そしてこんな環境だったので、モテには程遠い存在だった。それも当時はいいと思っていた。色恋に現を抜かすのは莫迦だ。
と、自分に嘘をついていた。色恋云々には興味津々であり耳年増であり。恋愛至上主義の世の中を斜に構えて莫迦だと一刀両断しつつ憧れが捨て切れなかった。そして努力した。10人並み程度の容姿を持っていて且つ若い女性に、男性はいとも簡単に落ちる。その事実を知ってしまったが最後、落とす、という行動をして実を結ぶことが楽しくなってしまった。もっと落としたい、となり容姿にも気を遣うようになった。すると容姿についてお褒めの言葉を戴ける迄に成長した。学生時代の私、それはもう不細工だった。それでも落ちる男がいるのだから、磨けばもっと落とし易くなるだろう……。ゲーム感覚だ。中・高でも学校外に彼氏はいて真面目に付き合っていたけれど、社会人になって一気に弾けた。安彦麻理絵の描く女性登場人物よろしく、男性にそういう対象として見られたい、という欲求が高まり、そういう対象として見てもらえた後は簡単についていった。学生時代の自分の不細工さに復讐しているかのように。女を捨てていながら女に憧れ、女になって女の武器を駆使し始めた。他者への依存・セックス依存、発症。社内で喰いまくって、居辛くなって辞めたこともある。その後、人伝に上層部の人間が私について話していたことを小耳にした。あの子をい続けさせていたら会社が滅茶苦茶になっていた。その通りかもしれない。その後勤めた会社でも男絡みで辞めたことがある。社員旅行でヤッちゃあいけなかったな。そんなこんなの紆余曲折を経て、うちのに出会い、その他諸々の困難と年月を経て、自治体も認めるダメ人間になった。中身だけでなく容姿にも気遣いが減り、今は精々10人並みだ。
それでもきっと某スレに集う彼らから見たら、私は恋愛健常者に見えることだろう。けれど、断固として否定したい。私も形は違えど恋愛障害者だ。個を維持できずに共依存、依存させてくれるうちのに甘えてセックスレス数年。生活を共にしていながら、だ。こんなのは恋愛健常者である筈がない。また恋愛への……もっと正確に表現するならば、セックスへの幻想と依存が私の恋愛感の基礎となっており、うちのとの関係はその基礎を通過して家族としての愛となっている。私自身の過去を振り返り、恋人同士の愛情、が確立されたことはないかもしれない。そのときは確立されたと思っても、思い返せば全てまやかしだったように感じる。私が求めていたものは何だったのか。父親だ。ファザコンではなく、逆エディプス・コンプレックス、と表現したい。岩月某は父親と娘との親子関係の中で恋愛間が云々と語る。くだらん、と思ったのは自身の中の闇を否定したいからだ。私は今、うちのに、父親の役目、を求めてしまっている。この生活はまるで父子家庭のそれだ。健全とは言えない。うちのはそんな関係は望んでいないけれど、病んだ私に自分の求める生活を強いてはこない。甘んじている自分が情けない。先日初めてうちのが言ったこと。黒猫ちゃんが家庭を守ってくれているから俺は働けてる、貯金もふたりで貯めたお金。今迄ずっと、稼いできている俺が偉い、だったのにどうした心境の変化か。退職を目前に何か思うところがあったのか。この心境の変化はとても嬉しい。私のことをひとりの人間として扱ってくれている言葉だ。甘えるだけでなく、もっと応えられるように精神的に自立したい。私が精神的に自立したとき、初めてうちのと恋愛健常者として付き合い、生活を共にし、末永く一緒にいられるのだろう。達観したつもりでいたこと自体が甘えだった、と今なら言える。甘え続けるだけの人生は詰まらない。他者との関係が続かない。脱却したい。
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