昔から生理が重くてキツくて眠くてつらい。稀にやや軽いときもあるけれど、その次の生理が倍くらいつらい。しかもだらだらと丸々1週間続く。性欲があった頃、計算してみた。世の女性で生理期間が短い人は3日で終わるらしい。私は7日。一般的28日周期というのを無視して、月に1度の血みどろ祭と考えて私は祭期間が4日長い。年にして48日もの間、血みどろな訳である。そして生理時期には性交をしないものと仮定して、私は3日で終わる人に比べて性交可能日数が1ヵ月半も少ない。これは人生に於いて物凄く損な体質なのではなかろうか、と我が体を呪わしく思ったことも。性欲皆無な今はそんなことはどうでもいいのだけれど、やはりだるい期間が長引くのはしんどい。しかも生理の少し前からだるくなったり風邪っぽい症状が出たりするので、私は毎月凡そ10日間、月の1/3は具合が悪い。不定期に鬱々となることもあり、また慢性の肩凝り腰痛持ちでもあり、年がら年中体調不良と言っても過言ではない。是非とも皆々さまに労わってもらいたい。シルバーシートに座らせてもらいたい。が、見た目からして解る不調ではない故に滅多に席は譲ってもらえない。常々顔色も悪い私。学生時代に睡眠不足以外は特に不調がないときのこと。満員電車に揺られつつ眠気から立ったまま舟をこいでいたら、隣にいたおばさんが私の前に座っていたサラリーマンらしき人に声をかけた。ちょっとこの人具合が悪そうだから、席を空けてくれない? サラリーマンらしき人は親切に席を空けてくれた。私は有難く座らせてもらった。そのときの恩返しではないけれど、先日うちのと出掛けたときに電車に爺さんが乗り込んできて私の前に立った。そのときはそれ程不調ではなく且つ降りる駅迄数駅だったこともあり、どうぞ、と譲った。私らが降車するときに爺さんが、軽く会釈してくれたのが嬉しかった。うちのは非常に驚いたらしい。普段、私は座ったらまず動かない、席を譲るなんて天地がひっくり返るかの如くあり得ない出来事、と思っていたとか。失礼な。こう見えても、自分がそこそこ元気なときに近くに自分よりもしんどそうな人がいれば席を譲るよう心がけているのに。

 で、今日はまだ血みどろ祭続行中。もう数日続く。だるー。なのに昼間に起きてメーラーをチェックをしたら、昔の職場の上司から、明日会いませんか? とのメールが。忙しい方なので多少の体調不良は我慢して会いに出かけよう、と当然思う。電話をくれとのことだったので、一応の定時である17時を少し過ぎた頃に電話をした。すると……あちらの書いた、明日、は今日のことだったらしい。電話で話しながら届いていたメールをチェックすると到着時刻は1時過ぎ。深夜だ。このくらいの時間帯のメールは実に紛らわしい。日付が変わる感覚が人間にはなく起きてから寝る迄を1日として捉えがちであり、深夜のメールで書かれる昨日・今日・明日は判断し難いのだ。以前にも別の人との遣り取りの中で、同様のすれ違いを起こしかけたことがあった。私はこのような経験から、メールでは昨日・今日・明日の後に日付や曜日を書くように心掛けている。けれども他者からのメールでは余りこのような注意書きは見られない。暗黙の了解として、おきてから寝る迄が1日、と世の中ではなっているのだろうか。困る。起床就寝時間がまちまちだったり世間様とズレている人間は混乱する。約束事を取り付ける際には、日付や曜日も記載するという暗黙の了解が欲しい。暗黙でなくても、世間一般でなくてもいい。私へのメールではちゃんと書いて戴きたい。

 いつものように入浴していなかった為、その上司とはも今日は会えずまた後日に……となった。非常に残念。そして上司からのメールを読み返す。冒頭に桜についての記述があった。桜を見ると幸せを感じる、とのこと。前にも書いたように、今の私にはこの感覚がない。桜が咲いている、と強く意識しなければ綺麗だと感じられないし、増してや幸せなどの感動は発生しない。彼女は季節感を感じられるのだ。彼女だけでなく、世の多くの人は季節を感じつつ日々を過ごしているのだろう。桜が咲くくらいであり、昨今は暖かくなってきている。らしい。1日の半分程を布団の中で過ごしている私にはイマイチ実感はない。なので着替えるにしても、ネットやテレビの天気予報で知らされる予想気温という数字に頼っている。体感温度が信用できないのだ。数字を確認せずして、暖かいか寒いかにも自信が持てない。自分が寒いと思ってもうちのに、寒い? と訊き、同意を得られてからでないと、今日は寒いのだな、と思えない。同意されなければ、寒いと感じるのは私だけのようなのできっと今日は寒くないのだろう、と思う。心身共に歪み過ぎだ。主治医の言葉が脳裏に甦る。季節を感じられるようにならなければ、社会復帰しても続かない。

 生理中は特に体感温度が狂う。貧血気味になる所為か、体がとても冷える。末端冷え性にも拍車がかかる。なのでこれを書いている今も、季節は春だというらしいのに毛糸の靴下を履いていたりする。本当ならカイロも張りたい。カイロを我慢しているのは、PCの前から動くのが面倒だからだ。座っているときでも気持ち悪いのに、動いているときに体内からどろりと血が流れ出るあの感覚。今はもう後半に入っているけれど、前半の大量出血時期の胎内の粘膜が剥がれ落ちて、血液と共に赤黒いモノが排出されるあの感じ。初潮から十数年を経た現在も慣れてはいない。いつも気持ち悪い。特に性欲がなくなってから、生涯子供は要らないと思うようになってから、生理が疎ましくてならない。どうしてもオンナであることを意識させられる。オンナであることがいつも嫌な訳ではない。メイクやお洒落を楽しむときは、女で良かった、と思う。きっと生理期間に非常にオンナであることが悲しくなるのは、この器官が繁殖に直結しているからだろう。取り外せることができればいいのに。球体関節人形のように。ふと思った。私が球体関節人形に魅せられた一因として、これもあるのかもしれない。不要な器官とそうでない器官が選別可能。異形の姿の中に見え隠れする強い意志。製作者の鏡である人形。

BGM/アルバム「人間椅子」「人間失格」

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