現在3月26日。
この日記の自己紹介欄のHOMEは「前略プロフィール」に繋がっている。ときどき内容を変更していて、ついさっきも手を加えた。そのときに迷って1回やってみてすぐさまやめた。BBSの設置である。前からあった機能かどうかは記憶が定かではないのだが、少なくとも今は設置しようと思えばできるらしい。で、迷って設置してみた。きっと閉鎖迄1分も経っていないと思われる。この日記につらつらと好き勝手書いていて、たまに他人様の感想を聞いてみたいなーと思ったりしなくはない。この日記の存在を知っている友人はメールで意見や感想をくれたりする。相互リンクでたまに感想をくださる方もいる。カウンタの回り具合とアクセス元表示から考えて、ダイアリーノート未利用の人の中にもウォッチャーがいそうな気配はある。果たしてウォッチャーはどんな意図を持ってこの日記を読んでいるのだろう。気になる。非常に気になる。嘲笑する為なのか、それとも読み物としてなのか。一時期、難民やヲチ板も覗いていた身としては気にならない筈がなく、BBSを設置すればもしかしたら意図が判るかな? と思って設置した。すぐに閉じたのは、迷いの中の危険性の方が勝ったからだ。嘲笑目的でウォッチしている人に荒らされたら、打たれ弱い私は凹むだろうなあ、と。またそういう目的なら書き込まない人の方が多いかもしれない。宣伝カキコをいちいち削除するのも面倒だし、気分や体調に並々ならぬムラのある私がちゃんと管理できるか。きっとできないだろう。またディベート好きな面もあるので、常に何かしらの喧嘩を抱えそうな気もする。この日記に叩かれる要素が山のようにあることは自覚している。
個人サイトにはBBSを設置しているところは少なくない。むしろ多く感じる。そして管理人が管理できていないところが多く、馴れ合いと排除の繰り返しに陥っている様をこれ迄に沢山見てきた。また管理に飽きて放置されているBBSはとても恰好悪く思える。管理できないなら設置するなよ、と。設置してから管理できないことが自覚できたら閉鎖しろよ、と。この考え方は多分、私が最初に触れて今もずぶずぶに出入りしている某巨大掲示板の存在とその意義、管理人の方針に起因しているのだろう。そしてこの考え方そのものに全く問題はないと思っている。この辺のことは去年の日記に書いたままであり、これっぽっちも考え方に変化はない。BBSは殺伐としていてナンボだ。馴れ合いが悪いとは思わない。ただ馴れ合いに染まって、違う馴れ合い方をしようとする管理人は愚の骨頂。全て包括できて且つ要不要をきちんと見極められてこそ、初めて管理人を名乗れるのだという信念がある。以前、貴女は管理人向きだと思うからサイトを開いてみたらどうか、と勧められたことがある。そう勧められるにあたり紆余曲折があった訳だが、サイトを開設したいくらいに何かテーマを持って発したいものがあるでなし、上記信念故に管理人には不向きだろう。ここのような、日記、というスタイルが合っていると思う。あのとき一念発起などしなくて本当に良かった。自分の向き不向きは自分が一番解っているつもりだ。
試しに実験的設置をしてみるのも悪くないかもしれない、と思ったのがさっき一度設置してみた理由。だけど。叩かれて凹んで放置は恰好悪い。閉鎖はもっと恰好悪い。要するに私には、BBSを設置するだけの勇気がないということなのかもしれない。設置することで有意義な意見を得られる可能性もあるにはあるが、そうでない可能性、ひいては先に書いたように叩きにまたは煽りに遭うのが怖い。健全ではない精神状態を持つ者がBBSを設置して管理するのは非常に危険ではなかろうか。この考え方に反し、ネット上にはメンヘラのサイトが多数存在している。本当のメンヘラもいるだろうし、似非メンヘラもいるだろう。サイト開設だけなら構わないとして、BBSをも設置するのは何故だろう。大概はやはり管理できているようには見えない。自己愛のなせる業が。上に書いた、私にサイト開設を勧めた人物は、サイトの内容には全く出てきていないけれど、会って話してみたところメンヘラだとのこと。しかも、一通りの病気はやった、とのたまわれていた。その発言を聞き、その後の諸々を経て縁を切った。訳が解らん。メンタルヘルス系の病気に一通り罹るということは可能なのだろうか。あらん限りの私の知識で考えると不可能なのだけれど。それとも、そうのたまわれること自体が何かの症状だったのかもしれない。もう縁を切っているのでどうでもいいのに、私の中にはしこりが残っている。諸々を経てサイト開設を勧められたということは、私は自己愛性人格障害だと思われたのではなかろうか。そう思うと腹が立つ。所詮相手は精神科医でも何でもない素人なのだが、診断が間違っている。似て非なる諸事情なのに、と言いたい。忘れたい記憶なのに拘っている自分が嫌だ。
この自己愛性人格障害と私の諸事情は、素人目にはごっちゃに見えるらしい。某巨大掲示板某板某スレを見てそれを知り、自分のことでもないのに激しく落ち込んだことがある。いつも病名を、諸事情、と表現しているのはそのスレッドを見たからだ。病名を書くと自己愛性と勘違いされそうで怖いのだ。叩くならしっかりと知識を得た上で叩いてもらいたい。私の諸事情にも日常に於いて他者に迷惑をかけて叩かれる要因はある。でもそれは自己愛性がかける迷惑とは微妙に違うのだ。実際に自己愛性なり諸事情なりが自身や身近な人間に発覚しなければ若しくは専門家でなければ区別が付かないものなのか。付かないんだろうな……。頭ではそのことが理解できていて、関わりのない他者に理解して欲しいと強く願っていもいないのに、何処かで虚無感が発生している。諸事情を半ば無理矢理主治医に伝えさせ、それ以後は行動その他を改善すべく努めていて、なのにこの諸事情や自己愛性の他者に迷惑を被った他者には同じ目で見られてしまう。同病者だけでないのがポイント。同病者だけなら、私も昔はそういうことをしてしまったなあ、と思い返し、これからは気をつけていかなければ、と内省しつつ気を引き締められる。そこに似て非なる病気の人間が混ざってくるのが虚無感発生の所以だろう。ごっちゃにされている場所が私周辺のリアルだけなら、ぶつけられた場合に訂正していける。BBSという見知らぬ人間の集まりで、迷惑をかけられた故に被害者意識が強まっている人々に対し、私は訂正の書き込みをする勇気はない。たまに訂正する猛者を見かけたが、やはり叩かれていた。気にしないように、目にしないように、ひっそりとBBS設置など考えずにネットと関わるのが、少なくとも今の私には限界だ。
この日記の自己紹介欄のHOMEは「前略プロフィール」に繋がっている。ときどき内容を変更していて、ついさっきも手を加えた。そのときに迷って1回やってみてすぐさまやめた。BBSの設置である。前からあった機能かどうかは記憶が定かではないのだが、少なくとも今は設置しようと思えばできるらしい。で、迷って設置してみた。きっと閉鎖迄1分も経っていないと思われる。この日記につらつらと好き勝手書いていて、たまに他人様の感想を聞いてみたいなーと思ったりしなくはない。この日記の存在を知っている友人はメールで意見や感想をくれたりする。相互リンクでたまに感想をくださる方もいる。カウンタの回り具合とアクセス元表示から考えて、ダイアリーノート未利用の人の中にもウォッチャーがいそうな気配はある。果たしてウォッチャーはどんな意図を持ってこの日記を読んでいるのだろう。気になる。非常に気になる。嘲笑する為なのか、それとも読み物としてなのか。一時期、難民やヲチ板も覗いていた身としては気にならない筈がなく、BBSを設置すればもしかしたら意図が判るかな? と思って設置した。すぐに閉じたのは、迷いの中の危険性の方が勝ったからだ。嘲笑目的でウォッチしている人に荒らされたら、打たれ弱い私は凹むだろうなあ、と。またそういう目的なら書き込まない人の方が多いかもしれない。宣伝カキコをいちいち削除するのも面倒だし、気分や体調に並々ならぬムラのある私がちゃんと管理できるか。きっとできないだろう。またディベート好きな面もあるので、常に何かしらの喧嘩を抱えそうな気もする。この日記に叩かれる要素が山のようにあることは自覚している。
個人サイトにはBBSを設置しているところは少なくない。むしろ多く感じる。そして管理人が管理できていないところが多く、馴れ合いと排除の繰り返しに陥っている様をこれ迄に沢山見てきた。また管理に飽きて放置されているBBSはとても恰好悪く思える。管理できないなら設置するなよ、と。設置してから管理できないことが自覚できたら閉鎖しろよ、と。この考え方は多分、私が最初に触れて今もずぶずぶに出入りしている某巨大掲示板の存在とその意義、管理人の方針に起因しているのだろう。そしてこの考え方そのものに全く問題はないと思っている。この辺のことは去年の日記に書いたままであり、これっぽっちも考え方に変化はない。BBSは殺伐としていてナンボだ。馴れ合いが悪いとは思わない。ただ馴れ合いに染まって、違う馴れ合い方をしようとする管理人は愚の骨頂。全て包括できて且つ要不要をきちんと見極められてこそ、初めて管理人を名乗れるのだという信念がある。以前、貴女は管理人向きだと思うからサイトを開いてみたらどうか、と勧められたことがある。そう勧められるにあたり紆余曲折があった訳だが、サイトを開設したいくらいに何かテーマを持って発したいものがあるでなし、上記信念故に管理人には不向きだろう。ここのような、日記、というスタイルが合っていると思う。あのとき一念発起などしなくて本当に良かった。自分の向き不向きは自分が一番解っているつもりだ。
試しに実験的設置をしてみるのも悪くないかもしれない、と思ったのがさっき一度設置してみた理由。だけど。叩かれて凹んで放置は恰好悪い。閉鎖はもっと恰好悪い。要するに私には、BBSを設置するだけの勇気がないということなのかもしれない。設置することで有意義な意見を得られる可能性もあるにはあるが、そうでない可能性、ひいては先に書いたように叩きにまたは煽りに遭うのが怖い。健全ではない精神状態を持つ者がBBSを設置して管理するのは非常に危険ではなかろうか。この考え方に反し、ネット上にはメンヘラのサイトが多数存在している。本当のメンヘラもいるだろうし、似非メンヘラもいるだろう。サイト開設だけなら構わないとして、BBSをも設置するのは何故だろう。大概はやはり管理できているようには見えない。自己愛のなせる業が。上に書いた、私にサイト開設を勧めた人物は、サイトの内容には全く出てきていないけれど、会って話してみたところメンヘラだとのこと。しかも、一通りの病気はやった、とのたまわれていた。その発言を聞き、その後の諸々を経て縁を切った。訳が解らん。メンタルヘルス系の病気に一通り罹るということは可能なのだろうか。あらん限りの私の知識で考えると不可能なのだけれど。それとも、そうのたまわれること自体が何かの症状だったのかもしれない。もう縁を切っているのでどうでもいいのに、私の中にはしこりが残っている。諸々を経てサイト開設を勧められたということは、私は自己愛性人格障害だと思われたのではなかろうか。そう思うと腹が立つ。所詮相手は精神科医でも何でもない素人なのだが、診断が間違っている。似て非なる諸事情なのに、と言いたい。忘れたい記憶なのに拘っている自分が嫌だ。
この自己愛性人格障害と私の諸事情は、素人目にはごっちゃに見えるらしい。某巨大掲示板某板某スレを見てそれを知り、自分のことでもないのに激しく落ち込んだことがある。いつも病名を、諸事情、と表現しているのはそのスレッドを見たからだ。病名を書くと自己愛性と勘違いされそうで怖いのだ。叩くならしっかりと知識を得た上で叩いてもらいたい。私の諸事情にも日常に於いて他者に迷惑をかけて叩かれる要因はある。でもそれは自己愛性がかける迷惑とは微妙に違うのだ。実際に自己愛性なり諸事情なりが自身や身近な人間に発覚しなければ若しくは専門家でなければ区別が付かないものなのか。付かないんだろうな……。頭ではそのことが理解できていて、関わりのない他者に理解して欲しいと強く願っていもいないのに、何処かで虚無感が発生している。諸事情を半ば無理矢理主治医に伝えさせ、それ以後は行動その他を改善すべく努めていて、なのにこの諸事情や自己愛性の他者に迷惑を被った他者には同じ目で見られてしまう。同病者だけでないのがポイント。同病者だけなら、私も昔はそういうことをしてしまったなあ、と思い返し、これからは気をつけていかなければ、と内省しつつ気を引き締められる。そこに似て非なる病気の人間が混ざってくるのが虚無感発生の所以だろう。ごっちゃにされている場所が私周辺のリアルだけなら、ぶつけられた場合に訂正していける。BBSという見知らぬ人間の集まりで、迷惑をかけられた故に被害者意識が強まっている人々に対し、私は訂正の書き込みをする勇気はない。たまに訂正する猛者を見かけたが、やはり叩かれていた。気にしないように、目にしないように、ひっそりとBBS設置など考えずにネットと関わるのが、少なくとも今の私には限界だ。
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