現在3月24日。

 某サイトにて、立派なダラ奥、と認定された私に対し、何が何でも規則正しい生活をさせたい奇特なうちのが、昨日の朝すやすやと眠る私をぬくぬくと温める布団を引っぺがして起こそうとした。ちょっと前迄は暖かかったのに、またここ数日は寒くなっている。特に朝晩。寒いのが苦手な私にとって、ぬくぬく布団を剥がされるのは死ねと罵られるくらいにつらい。本当につらい。凍死させられるのでは? と思ってしまう程につらい。故に、死ぬ! 死んじゃう〜! と本能で喚いた。余りに喚いて布団にしがみつく私に見切りをつけて、うちのは炊飯器で保温していたひじきご飯を掻っ込んで出勤したらしい。生死を賭けた戦いに勝った私。うちのが食事していったことを知ったのは、14時半頃に起きてシンクに置かれた茶碗と箸を見てからだった。戦いの後、私はまたすぐに寝付いたらしい。生まれてこの方、規則正しい生活、とかいうものをしたことがない私に今更それを求められても困る。諦めて欲しい。むしろ諦念しろ。昨日は布団を引っぺがしながら、ほら起きろ! という起こされ方だった。うちのなりに譲歩したらしい。一昨日の夜、我が家で話し合いをした。土日、基本的にうちのの仕事は休みだ。稀に私の方が早く起きて簡単な朝食を作るなり、買出しに出かけてからうちのを起こす。しかし大概はうちのの方が早く起きて私を起こす。その起こし方がずーっと気に入らなかった。常に第一声が、メシ、なのだ。露骨に飯炊き女扱いをされている気がして毎週末が嫌で嫌で仕方がなく、うちのにその起こし方はやめてくれと頼んだのだ。だからきっと昨日は、起きろ! だったのだろう。同義でも気分は違う。どっちにしても起きなかったけど。昨日は平日。なのに何故起こされかけたのか。

 うちのは気分屋だ。因ってその時々で言うことが変わる。4年以上生活を共にしてきて、正確に数えてはいないけれど恐らくほぼ同じ回数の、毎朝メシを出して欲しい・朝食はいらない、を聞いてきた。聞く度に生活サイクルを変えるのは嫌だ、と一昨日の話し合いで伝えた。そして、とにかく簡単でもいいから朝食が食いたい、炊飯器なり冷蔵庫なり冷凍庫なり鍋なりに何かすぐに食べられるものを常備しておいてくれ、と頼まれた。因みに昨今は何故かパンが美味しく感じられなくなったとかで、米類か麺類限定で頼まれた。うちのは、私に規則正しい生活を求めるという建前の下に、俺様の生活リズムに合わせろ的側面がある。私は偏屈且つ理屈屋なので言われることや言われる時間が違う度に従えない。お互いの性分や要求の譲り合いを考えた。そして取り敢えず食べ物が何もない状態は作らないようにするから、メシ、と言って起こすのは控えるべし、で折り合いがついた。筈だった。炊飯器にちゃんとご飯があるんだから勝手に食べて行ってくれ。起こしてくれるな! そして昨夜、再び軽く話し合い。うちのの要求は、せめて土日の朝はメシを出してくれ、にハードルが下がった。そのくらいなら頑張れるか。 いや、頑張ろう。少なくとも今は頑張ろうと思っている。なるべく……。

 PC逝去から復活の間に使えなかった某巨大掲示板専用ブラウザを立ち上げ、復活からついさっき迄かかって溜まっていたレスを読破した。因みに巡回スレは数板に渡り延べ50強。その中にちょっと面白い話があった。日々眠い・寝過ぎると却って疲れる・余裕で12時間、長ければ20時間寝られる、などの話が続いていた中での1レス。そのレスを書いた人は、怒ると眠くなるらしい。一見奇妙な話に思えたが、ちゃんと理由も書かれていた。要約。怒っているときは興奮状態にあり、人間は酷い興奮状態に陥ると失神する。睡魔は失神には至らないだけの状態で、心に平穏を保つ為の防衛本能だとか。要約したつもりがレスそのものよりも長くなったような……気にしない。で、ふと思った。私は目覚まし時計であれ他者であれ、起こされる、ということそのものが非常に嫌いである。起こされると腹が立つ。そして通常は寝付きが悪く、余程の不眠の後でもない限りは眠剤が欠かせないのに、起こされた後ならすぐに眠りにつける。これは起こされた腹立ちからの防衛本能なのか。こじ付けのようだけれど、自己完結的納得ができた。

 もうひとつ仮説。目覚まし時計を止める若しくは起こそうとしていた相手が諦めると、私は勝った気になり安心して眠れる。調べてはいないけれど、満腹時に眠くなるのも飢餓の恐れがない状態からの安心感に基づくのではなかろうか。また怒り過ぎたり悲しかったりして泣いた後で一旦でも解決したように感じられるとスッと眠れる。これもまやかし込みで安心感が得られて眠れるのではないかと推測。書いていて尤もな気がしてきた。私が不眠症になった原因は漠然とした不安感に囚われたからであり、それが未だに拭えないから眠剤を手放せない。私の睡眠の第1条件は、安心感を得ること、なのか。そういえば、うちの雑食動物が布団に入ってきたり私の手の届く場所で寝ているときは、そうでないときに比較して寝付きが良くなる。昔、何かの本で動物の毛に触れているとα波が出て安心できる、と読んだ記憶がある。α波云々については詳しくないが、動物の毛と体温で安心して眠りにつき易いことは日々の生活で実感している。ここ迄考えて思ったこと。私が規則正しい生活を生まれてこの方してこれなかったのは、常に安心感から縁遠い日々を送っていたからではなかろうか。そして規則正しい生活を送るには、毎日決まった時間に安心感が得られればいいのではなかろうか。この考えはかなりいい線をいっている気がしてきた。それでもクリアすべき問題はまだある。まず、どうやって毎日決まった時間に私を睡眠に導くべき安心感を得る方法を確立するか。そして規則正しい生活をする為には起床時間も安定させねばならず、どうすれば睡眠の質を向上させて時間短縮ができるのか。まだまだ課題は多い。それ以前に、何故私は目覚まし時計を止めたり他者に起こすのを諦めさせることで、勝った、などと思ってしまうのだろう。その性分で数え切れない程の損をしてきたというのに、学習能力がないったらありゃしない。

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