現在3月16日。
球体関節人形展を観に、うちのと一緒に東京都現代美術館迄足を運んだ。私が球体関節人形の実物を観たのはこの日が初めて。正直な感想を。ベルメールの影響により、特異な形で日本で球体関節人形文化が発展したのは当然予備知識として持って出掛けた。そして生で観て……がっかり度40%。何が不満だったのか。それは私の思い描いていた球体関節人形と実物の球体関節人形の遥かなる乖離だ。球体関節人形と冠しているからには、どれも球体関節稼動が可能な人形だと思っていた。けれど行ってみると、稼動不可能な人形が多く、関節部分に球体らしき形の何かを嵌め込んでいるように見せかけて実はしっかりと接続されていて稼動不可能な人形が多かった。私は辞書通りに言葉を使ってくれないと戸惑う。球体関節人形と言うからには、関節部分に球体を使って稼動可能な人形でなければ腑に落ちない。球体関節人形もどき、の多さにがっかりしたのだ。もうひとつのがっかり部分。安っぽい黒ロリの、美しい人形に対する罵倒。キモチワルーイ。キモチワルイのはおまいの顔(以下略。恋月姫目当てなのは解った。三浦悦子の所謂ヴィジュアル系に好まれそうなサイバーな人形だったのも解る。でも。美術館には様々な人が様々な目的を持ってやってきているのだ。自分の趣味嗜好に合わないからと言ってそのまんま口にするな。それから親子連れ。ツマンナーイとうろちょろする餓鬼を連れてくるな。ただでさえ餓鬼には刺激の強い人形が多いのだ。弁えろ。そして親自身。山海塾と言いたい気持ちは解る。でも言うな。兎に角、思ったことを全て大きな声で口にする、精神年齢の低い客に気分を害された。私が狭量なのか?
うちのが気に入った人形作家は吉田良。確かに非常に美しく、小柄ながらも存在感のある人形が多く且つそれらは皆力強い瞳を持っており、観ると感嘆の溜息を漏らさずにいられない求心力を持っていた。私が惹かれたのは伽井丹彌の作品。特にこの日記のタイトルにした、ひかるもの、は球体関節人形のお手本のような作りになっており、妖艶な唇の輝きと夜叉か菩薩かと私を惑わせる瞳が素晴らしかった。素晴らしいというか、欲しい。幾らするんだろう……考えるだに恐ろしい価格でありそうだ。因みに日本に於ける球体関節人形の第一人者である四谷シモンの人形は、一体500万〜1000万円らしい。伽井のひかるものに次ぐインパクトを齎した人形は、三浦悦子のバイオリン・ハープの対と思われる2体。この人形の特筆すべき点は着色だろう。失血部分と鬱血部分のコントラストが白い肢体に映えて暫く視線を逸らせなかった。井桁裕子の闘病日誌。この精密さには驚かされた。どの人面瘡も微妙に違う表情をしており、仕事の丁寧さが伺えた。期待外れだったのは土井典と四谷シモン。土井の作品全般、私は球体関節人形には思えなかった。狂態関節人形を模したオブジェ、でしかないのではないか。狂態、と誤入力で変換してしまったけれど、強ち外れていない気がするのでそのままとする。現代的過ぎたのも私を引かせる一因だったかもしれない。四谷シモンの作品について。私の目には、未来と過去のイヴを除く作品は綺麗に纏まり過ぎていた。綺麗ではある。精巧ではある。ただ、それだけ。小さく纏まっているという訳でもないのだけれど、どこかインパクトに欠けてしまっているように感じてしまった。完成されすぎてしまっているのかもしれない。以前の日記でも触れた三輪輝子の萌香。これはその他3体の人形と共に展示されており、萌香含む4体が同素材の衣類を纏っていた為に魅力が埋没してしまった感がある。
今回の展示の目玉はやはり天野可淡の作品たちだろう。だろうが……解った。私は和のテイストがある人形が基本的に好きなようだ。そして可淡の人形は洋風の雰囲気。一部に圧倒的支持を受けている恋月姫の展示作品も洋風。四谷シモンの作品も洋風。私が球体関節人形の存在を知り、ベルメールの人形に衝撃を受けた。それでも人形に求めるものは、和、だったようである。もうひとつ解ったこと。私にとって人形を中心とした芸術の最終形は、写真らしい。正直なところ、ネットで観た画像の期待を裏切られた人形がとても多かった。実物を観てしまうと、人形に宿る魂のようなものの存在を疑うものが多く、所詮は無機物、と思ってしまう作品が多かったのだ。美術館を出る際、うちのは吉田良の作品写真集を、私は今回の企画の纏め本を購入した。そして家で観た。やはり私には実物よりも、フィルムなどを通して二次元の世界に押し込まれた人形の方が魅力的だ。実物を観て、圧倒的な存在感に圧されたり、目を奪われたり、所有欲を掻き立てられたり、ただただ作家の情熱に感動したりと様々な感情を短時間に味わえたのは久しぶりのことであり、ヒキコモリ傾向の私には十分な刺激となり、行ってよかったと素直に言えよう。この球体関節人形展のパンフについての所感は後日書く予定。
この日はホワイトデイであり、美術館に行くことをメインの目的としたうちのとデートだった。美術館を出て折角だからと深川めしを食し、美味しかったけど高いねー、などと話しながら電車に乗り……私はうとうと。徹夜で出掛けてしまったのだ。またこの日は珍しくヒール靴を履いており、疲労は相当なもので予定していた「イノセンス」鑑賞は持ち越し。これは私の疲労のせいだけでなくうちのの体調不良と、ふたりの悲しき哉加齢を感じざるを得ない、1日に吸収できる情報量やそれに伴う感受性の減少の自覚もあった。ので、その後はうちのの携帯電話新規購入に付き合い、私へのホワイトデイのプレゼントを買ってもらい帰宅。そしてあっという間に眠りに就いた。ホワイトデイのプレゼントについては以前この日記でも候補を挙げて考えていた。そして取り敢えずちょっと覗こうと思ったアナスイのアクセサリ売り場で、ひとつのピアスに一目惚れ! シルバーとガーネットで作られた都内某デパートと大阪府内某デパート限定の物。即決。誕生石使用ということもありこちらが誕生日プレゼントに相応しかったのでは? という気もするけれど……気にしない。綺麗な物を観て、綺麗な物をプレゼントしてもらい、綺麗な1日だったように思う。余談。ホワイトデイということもあってか、デパートのアクセサリ売り場はカップルでいっぱいだった。人込みは嫌いだ。
服装/scolarの茶系花柄メタリックパープルライン入りカットソー+セレクトショップの紫の綿カーディガン+Spick&Spanのオフホワイトストレッチパンツ+インポート物のグレーのコート+メタリックパープルのパンプス+PORTERの黒い斜めかけバッグ
BGM/アルバム「筋少の大水銀」
球体関節人形展を観に、うちのと一緒に東京都現代美術館迄足を運んだ。私が球体関節人形の実物を観たのはこの日が初めて。正直な感想を。ベルメールの影響により、特異な形で日本で球体関節人形文化が発展したのは当然予備知識として持って出掛けた。そして生で観て……がっかり度40%。何が不満だったのか。それは私の思い描いていた球体関節人形と実物の球体関節人形の遥かなる乖離だ。球体関節人形と冠しているからには、どれも球体関節稼動が可能な人形だと思っていた。けれど行ってみると、稼動不可能な人形が多く、関節部分に球体らしき形の何かを嵌め込んでいるように見せかけて実はしっかりと接続されていて稼動不可能な人形が多かった。私は辞書通りに言葉を使ってくれないと戸惑う。球体関節人形と言うからには、関節部分に球体を使って稼動可能な人形でなければ腑に落ちない。球体関節人形もどき、の多さにがっかりしたのだ。もうひとつのがっかり部分。安っぽい黒ロリの、美しい人形に対する罵倒。キモチワルーイ。キモチワルイのはおまいの顔(以下略。恋月姫目当てなのは解った。三浦悦子の所謂ヴィジュアル系に好まれそうなサイバーな人形だったのも解る。でも。美術館には様々な人が様々な目的を持ってやってきているのだ。自分の趣味嗜好に合わないからと言ってそのまんま口にするな。それから親子連れ。ツマンナーイとうろちょろする餓鬼を連れてくるな。ただでさえ餓鬼には刺激の強い人形が多いのだ。弁えろ。そして親自身。山海塾と言いたい気持ちは解る。でも言うな。兎に角、思ったことを全て大きな声で口にする、精神年齢の低い客に気分を害された。私が狭量なのか?
うちのが気に入った人形作家は吉田良。確かに非常に美しく、小柄ながらも存在感のある人形が多く且つそれらは皆力強い瞳を持っており、観ると感嘆の溜息を漏らさずにいられない求心力を持っていた。私が惹かれたのは伽井丹彌の作品。特にこの日記のタイトルにした、ひかるもの、は球体関節人形のお手本のような作りになっており、妖艶な唇の輝きと夜叉か菩薩かと私を惑わせる瞳が素晴らしかった。素晴らしいというか、欲しい。幾らするんだろう……考えるだに恐ろしい価格でありそうだ。因みに日本に於ける球体関節人形の第一人者である四谷シモンの人形は、一体500万〜1000万円らしい。伽井のひかるものに次ぐインパクトを齎した人形は、三浦悦子のバイオリン・ハープの対と思われる2体。この人形の特筆すべき点は着色だろう。失血部分と鬱血部分のコントラストが白い肢体に映えて暫く視線を逸らせなかった。井桁裕子の闘病日誌。この精密さには驚かされた。どの人面瘡も微妙に違う表情をしており、仕事の丁寧さが伺えた。期待外れだったのは土井典と四谷シモン。土井の作品全般、私は球体関節人形には思えなかった。狂態関節人形を模したオブジェ、でしかないのではないか。狂態、と誤入力で変換してしまったけれど、強ち外れていない気がするのでそのままとする。現代的過ぎたのも私を引かせる一因だったかもしれない。四谷シモンの作品について。私の目には、未来と過去のイヴを除く作品は綺麗に纏まり過ぎていた。綺麗ではある。精巧ではある。ただ、それだけ。小さく纏まっているという訳でもないのだけれど、どこかインパクトに欠けてしまっているように感じてしまった。完成されすぎてしまっているのかもしれない。以前の日記でも触れた三輪輝子の萌香。これはその他3体の人形と共に展示されており、萌香含む4体が同素材の衣類を纏っていた為に魅力が埋没してしまった感がある。
今回の展示の目玉はやはり天野可淡の作品たちだろう。だろうが……解った。私は和のテイストがある人形が基本的に好きなようだ。そして可淡の人形は洋風の雰囲気。一部に圧倒的支持を受けている恋月姫の展示作品も洋風。四谷シモンの作品も洋風。私が球体関節人形の存在を知り、ベルメールの人形に衝撃を受けた。それでも人形に求めるものは、和、だったようである。もうひとつ解ったこと。私にとって人形を中心とした芸術の最終形は、写真らしい。正直なところ、ネットで観た画像の期待を裏切られた人形がとても多かった。実物を観てしまうと、人形に宿る魂のようなものの存在を疑うものが多く、所詮は無機物、と思ってしまう作品が多かったのだ。美術館を出る際、うちのは吉田良の作品写真集を、私は今回の企画の纏め本を購入した。そして家で観た。やはり私には実物よりも、フィルムなどを通して二次元の世界に押し込まれた人形の方が魅力的だ。実物を観て、圧倒的な存在感に圧されたり、目を奪われたり、所有欲を掻き立てられたり、ただただ作家の情熱に感動したりと様々な感情を短時間に味わえたのは久しぶりのことであり、ヒキコモリ傾向の私には十分な刺激となり、行ってよかったと素直に言えよう。この球体関節人形展のパンフについての所感は後日書く予定。
この日はホワイトデイであり、美術館に行くことをメインの目的としたうちのとデートだった。美術館を出て折角だからと深川めしを食し、美味しかったけど高いねー、などと話しながら電車に乗り……私はうとうと。徹夜で出掛けてしまったのだ。またこの日は珍しくヒール靴を履いており、疲労は相当なもので予定していた「イノセンス」鑑賞は持ち越し。これは私の疲労のせいだけでなくうちのの体調不良と、ふたりの悲しき哉加齢を感じざるを得ない、1日に吸収できる情報量やそれに伴う感受性の減少の自覚もあった。ので、その後はうちのの携帯電話新規購入に付き合い、私へのホワイトデイのプレゼントを買ってもらい帰宅。そしてあっという間に眠りに就いた。ホワイトデイのプレゼントについては以前この日記でも候補を挙げて考えていた。そして取り敢えずちょっと覗こうと思ったアナスイのアクセサリ売り場で、ひとつのピアスに一目惚れ! シルバーとガーネットで作られた都内某デパートと大阪府内某デパート限定の物。即決。誕生石使用ということもありこちらが誕生日プレゼントに相応しかったのでは? という気もするけれど……気にしない。綺麗な物を観て、綺麗な物をプレゼントしてもらい、綺麗な1日だったように思う。余談。ホワイトデイということもあってか、デパートのアクセサリ売り場はカップルでいっぱいだった。人込みは嫌いだ。
服装/scolarの茶系花柄メタリックパープルライン入りカットソー+セレクトショップの紫の綿カーディガン+Spick&Spanのオフホワイトストレッチパンツ+インポート物のグレーのコート+メタリックパープルのパンプス+PORTERの黒い斜めかけバッグ
BGM/アルバム「筋少の大水銀」
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