ハンス・ベルメールの仕事
2004年3月8日 本・映画・音楽など 現在10日日中。
ヒットラー率いるナチス全盛、芸術規制により逆に多くの芸術が生み出された。芸術を生み出す人は芸術家。ハンス・ベルメールもそのひとりである。シュール・レアリズムの括りに入るらしい。ベルメールの名を知ったのはほんの数日前……だと思ったけれど、どうも記憶の彼方に放置されていたらしい。というのも、ベルメールとその作品について調べていくと、随所に澁澤龍彦の名が出てきたのだ。どうやら学生時代に読み漁った澁澤が何本ものエッセイでベルメールについて語っていたらしい。それならば絶対に何処かでベルメールの名を目にした筈であり、エッセイの数本は読んでいた筈だ。なのに記憶の引出しを探らなければならなかったのは、私が澁澤に入ったきっかけがマルキ・ド・サドであり、読み漁っていた当時はサドの名ばかりを追っていてベルメールをスルーしてしまっていたからだろう。なんて勿体無いことをしていたのか。それとも当時ベルメールをスルーしたのは防衛本能が働いたのか。サドにしてもベルメールにしても芸術的観点からしたらバッド・テイストなものだろう。それが文章かそれ以外の表現方法かの違いであり、サドとベルメールには通じるところがあると、私は思う。私の視点からすれば、両者共に加虐趣味だ。
ベルメールは球体関節人形を作った人。そして比較的早くから、澁澤以前からも日本に紹介されていた芸術家である。澁澤は一部の者しか知らなかったベルメールの作品と名をより広めた功績者である。澁澤はベルメールを人形師として取り上げた。そして澁澤を通してベルメールを知った日本人が球体関節人形を作り始めた。その代表者が四谷シモンであり、私が人形師として四谷シモンの名を何故知っていたかがここで紐解けた。それはそうとして、或るサイトで澁澤の功罪を論じていた。功は日本で球体関節人形を発展させたこと、罪はベルメールを人形師として取り上げたこと。さて、私はこの日記の中でベルメールを芸術家と書いている。それはベルメールの遺した仕事の幅が広いからだ。絵画・版画・写真、そして人形造形。ベルメールの最初の作品は、写真集だ。内容は人形を作る過程・工程を写真に収めた物。そこに澁澤との軋轢が見つかる。澁澤はベルメールを人形師として見た。ということは、ベルメールの仕事の終点は人形の完成なのか。仮に人形の完成が終点であるならば、製作過程・工程、先は稼動させた写真は不要であっただろう。そして私の疑問が発生した。人形という芸術作品に於ける最終地点は何処なのか。完成させた人形か、人形を稼動させた姿を残すことか、はたまた製作過程が芸術なのか。ベルメールにとっての終点は解らないけれど、人形の完成が終点ではないことが想像できる。写真集の発刊や人形を撮影した写真に着色していることがこの想像の根拠である。
私が知る限り、ベルメールの作った人形は全て異形だ。頭のてっぺんから足の先迄全て、人間の形、を模した物はなかった。ベルメールが人形作りをしていた時代は、造形と解剖が急速に発展していた時代であるらしい。造形と解剖は紙一重であり、ベルメールの人形はそんな時代の混沌の象徴と言える気もする。人間を構成するパーツを分解≠解剖し、そのパーツを再構築。再構築に要するのはひとつの人間のパーツだけではなく、複数の人間のパーツを用いたりする。そんなベルメールの人形を見て、改めて自分の体を見る。関節毎に、内臓毎に、血管毎に、私の身体はパーツに分解できる。そして子供の頃の恐怖心を思い出す。私はヒトの手が怖かった。自分の手も怖かった。手は足よりも目に付く場所に設置されており、稼動する回数も足の指の比ではない。漠然と怖かった昔を思い出しつつ今、その恐怖の理由を考えた。手を手首から先の物と定義して、見る。小さい。その小さな面積と体積の中に20程の関節が備わっている。こんな箇所、身体の他のパーツにはない。しかもそれら関節が実によく動く。こうして日記をタイピングしている今このときもフル稼働だ。タイピングの最中、意識は手にない。表面化の意識は今考えていることを文章化することに集中しており、その意識が指先に信号を出している。ふと手を止め、同時に文章化という作業を放置する。そして手を見る。親指から小指迄、順に意識をして関節を曲げてみる。その様を凝視。不気味だ。身体の中の何処かを何かが通って手指を動かしていることを実感する。何処を、何が、通っているのかは知識でしか知らず、見てはいない。ずっと動かすこととその動きを意識しつつ見ていると、果たしてこの動きは本当に自分の脳が命令して動かしているのか、それとも違う何かが動かしているのか判らなくなる。これは、本当に怖い。
こんな怖さを凝縮した物がベルメールの人形だ。自分の身体を信用できなくなる。たまたまパーツがあるべきところにあるべき姿でついているだけで、これが自分の本当の本来の姿なのか懐疑心を抱いてしまう。抱かされてしまう。脚と腹部球体関節だけで構成されたベルメールの作品がある。乳房だけで構成された作品もある。これらも人形と呼ばれている。人形? 全体像として人の形を成していなくても人形? ならば人とは? 脚だけで、乳房だけで人と呼べてしまうのか? 人とされており、自分でもヒトと認識できている自分の姿形の意味を問う。意義も問う。答えは出ない。人≠ヒトは脳が司っている物ではないのか。脳の所在無くして人≠ヒトとしていいのか。そこで問われるのは自分の持つ人≠ヒトの形の概念であり、倫理だ。ベルメールの人形が、オブジェとのみ呼ばれるのなら、すんなりと納得できる。しかし彼の作った、人形、を私は人形として受け入れることができるかとなると、引っ掛かりを覚える。人形、という言葉の定義が解らなくなる。因って私の中ではベルメール=写真家・画家・版画家という肩書きがしっくりときて、人形師と言われると違和感が纏わりつく。ベルメールの人形は暴力的だ。人の破壊衝動の擬似体現とも思える。そこで疑問。ベルメールが日本の球体関節人形の祖とするならば、人形師の仕事の終点とは。人形という芸術作品に於ける最終地点は何処なのか。完成させた人形か、人形を稼動させた姿を残すことか、はたまた製作過程が芸術なのか。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
ヒットラー率いるナチス全盛、芸術規制により逆に多くの芸術が生み出された。芸術を生み出す人は芸術家。ハンス・ベルメールもそのひとりである。シュール・レアリズムの括りに入るらしい。ベルメールの名を知ったのはほんの数日前……だと思ったけれど、どうも記憶の彼方に放置されていたらしい。というのも、ベルメールとその作品について調べていくと、随所に澁澤龍彦の名が出てきたのだ。どうやら学生時代に読み漁った澁澤が何本ものエッセイでベルメールについて語っていたらしい。それならば絶対に何処かでベルメールの名を目にした筈であり、エッセイの数本は読んでいた筈だ。なのに記憶の引出しを探らなければならなかったのは、私が澁澤に入ったきっかけがマルキ・ド・サドであり、読み漁っていた当時はサドの名ばかりを追っていてベルメールをスルーしてしまっていたからだろう。なんて勿体無いことをしていたのか。それとも当時ベルメールをスルーしたのは防衛本能が働いたのか。サドにしてもベルメールにしても芸術的観点からしたらバッド・テイストなものだろう。それが文章かそれ以外の表現方法かの違いであり、サドとベルメールには通じるところがあると、私は思う。私の視点からすれば、両者共に加虐趣味だ。
ベルメールは球体関節人形を作った人。そして比較的早くから、澁澤以前からも日本に紹介されていた芸術家である。澁澤は一部の者しか知らなかったベルメールの作品と名をより広めた功績者である。澁澤はベルメールを人形師として取り上げた。そして澁澤を通してベルメールを知った日本人が球体関節人形を作り始めた。その代表者が四谷シモンであり、私が人形師として四谷シモンの名を何故知っていたかがここで紐解けた。それはそうとして、或るサイトで澁澤の功罪を論じていた。功は日本で球体関節人形を発展させたこと、罪はベルメールを人形師として取り上げたこと。さて、私はこの日記の中でベルメールを芸術家と書いている。それはベルメールの遺した仕事の幅が広いからだ。絵画・版画・写真、そして人形造形。ベルメールの最初の作品は、写真集だ。内容は人形を作る過程・工程を写真に収めた物。そこに澁澤との軋轢が見つかる。澁澤はベルメールを人形師として見た。ということは、ベルメールの仕事の終点は人形の完成なのか。仮に人形の完成が終点であるならば、製作過程・工程、先は稼動させた写真は不要であっただろう。そして私の疑問が発生した。人形という芸術作品に於ける最終地点は何処なのか。完成させた人形か、人形を稼動させた姿を残すことか、はたまた製作過程が芸術なのか。ベルメールにとっての終点は解らないけれど、人形の完成が終点ではないことが想像できる。写真集の発刊や人形を撮影した写真に着色していることがこの想像の根拠である。
私が知る限り、ベルメールの作った人形は全て異形だ。頭のてっぺんから足の先迄全て、人間の形、を模した物はなかった。ベルメールが人形作りをしていた時代は、造形と解剖が急速に発展していた時代であるらしい。造形と解剖は紙一重であり、ベルメールの人形はそんな時代の混沌の象徴と言える気もする。人間を構成するパーツを分解≠解剖し、そのパーツを再構築。再構築に要するのはひとつの人間のパーツだけではなく、複数の人間のパーツを用いたりする。そんなベルメールの人形を見て、改めて自分の体を見る。関節毎に、内臓毎に、血管毎に、私の身体はパーツに分解できる。そして子供の頃の恐怖心を思い出す。私はヒトの手が怖かった。自分の手も怖かった。手は足よりも目に付く場所に設置されており、稼動する回数も足の指の比ではない。漠然と怖かった昔を思い出しつつ今、その恐怖の理由を考えた。手を手首から先の物と定義して、見る。小さい。その小さな面積と体積の中に20程の関節が備わっている。こんな箇所、身体の他のパーツにはない。しかもそれら関節が実によく動く。こうして日記をタイピングしている今このときもフル稼働だ。タイピングの最中、意識は手にない。表面化の意識は今考えていることを文章化することに集中しており、その意識が指先に信号を出している。ふと手を止め、同時に文章化という作業を放置する。そして手を見る。親指から小指迄、順に意識をして関節を曲げてみる。その様を凝視。不気味だ。身体の中の何処かを何かが通って手指を動かしていることを実感する。何処を、何が、通っているのかは知識でしか知らず、見てはいない。ずっと動かすこととその動きを意識しつつ見ていると、果たしてこの動きは本当に自分の脳が命令して動かしているのか、それとも違う何かが動かしているのか判らなくなる。これは、本当に怖い。
こんな怖さを凝縮した物がベルメールの人形だ。自分の身体を信用できなくなる。たまたまパーツがあるべきところにあるべき姿でついているだけで、これが自分の本当の本来の姿なのか懐疑心を抱いてしまう。抱かされてしまう。脚と腹部球体関節だけで構成されたベルメールの作品がある。乳房だけで構成された作品もある。これらも人形と呼ばれている。人形? 全体像として人の形を成していなくても人形? ならば人とは? 脚だけで、乳房だけで人と呼べてしまうのか? 人とされており、自分でもヒトと認識できている自分の姿形の意味を問う。意義も問う。答えは出ない。人≠ヒトは脳が司っている物ではないのか。脳の所在無くして人≠ヒトとしていいのか。そこで問われるのは自分の持つ人≠ヒトの形の概念であり、倫理だ。ベルメールの人形が、オブジェとのみ呼ばれるのなら、すんなりと納得できる。しかし彼の作った、人形、を私は人形として受け入れることができるかとなると、引っ掛かりを覚える。人形、という言葉の定義が解らなくなる。因って私の中ではベルメール=写真家・画家・版画家という肩書きがしっくりときて、人形師と言われると違和感が纏わりつく。ベルメールの人形は暴力的だ。人の破壊衝動の擬似体現とも思える。そこで疑問。ベルメールが日本の球体関節人形の祖とするならば、人形師の仕事の終点とは。人形という芸術作品に於ける最終地点は何処なのか。完成させた人形か、人形を稼動させた姿を残すことか、はたまた製作過程が芸術なのか。
BGM/アルバム「二十世紀葬送曲」
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