雛祭り

2004年3月3日 回顧
 現在3月5日日中。

 小学生の確か3年生のときのこと。雛祭りの日ではない或る日、学校から家に帰ると実父と作業着を着たオッサン数人が家にいた。オッサンらは私のピアノと確か7段飾りであっただろう雛壇及び雛人形を運び出そうとしていた。お父さん、何これ? この人たちは誰? 何してるの? ちょっとお父さんにピアノと雛人形を貸して。すぐにちゃんと戻ってくるから。いい夫ではなかったけれどいい父親だった実父のことが私はとても好きだったから、疑わずに信じた。ピアノも雛人形も戻ってくる日はなかった。これが私の雛祭りに関する思い出。同時に思い出したこと。数度だけれど、父と母と私の家族3人で夜の散歩をした。父か母が小さめのテレビを自転車の後ろに載せての散歩。何屋か判らなかったけれど、父か母がそこにテレビを置いてきて、帰りは何も載せていない自転車を押して帰った。大人になってから判った。あそこは質屋だったのだな。そしてあの普段は使っていなかった小さめのテレビは質屋に出し入れするための物だったのだな。それから私のピアノと雛人形はきっと借金のカタに持っていかれたか担保にされたかで、お父さんはその借金を返済できなかったから私の元に戻ってはこなかったのだな……。あのお雛様はまだこの世に存在しているのだろうか。それとも焼却処分でもされてしまったか。手元に戻ってきてなんて贅沢は言わない。せめて何処かで存在していて、誰かの節句を祝っていて欲しいとは思う。

 実父は借金塗れの人だった。事業失敗も原因のひとつ、呑む打つ買うも原因のひとつ。死後に遺産放棄をしたので私に父の借金が降りかかってくることはないが、1度だけ、遺産放棄の前だったか後だったかは覚えていないけれど母親に実父の残した借金額を書面で見せてもらったことがある。詳細な額迄は記憶にないが、約1億だったことは覚えている。銀行や消費者金融だけの額だったのか、街金も含めての額だったのかは知らない。3〜4年程前だったか、親と家裁に行った。私宛に街金であろうところから父の残した借金返済請求書が来た為に、家裁で遺産放棄手続済の書類をもらいに行ったのだ。その書類を送ってからは請求はきていないらしい。世の中には後継者が遺産放棄済と知っていても、ダメ元でその手の請求書を送ってくる業者もあるようだ。奇しくも家裁に行った日は、実父の誕生日だった。行く前に喫茶店で落ち合った親は、死んだ後迄こんな迷惑をかけて本当にあの人は……と嘆いていた。そんなあの人が私の実父であり、私の半分は実父でできている。今でも私は実父が好きである。親兄弟にも絶縁され、葬式も挙げてもらえなかった父だけれど好きだ。昭和1桁台生まれの父。

 離婚したと偽って母親と付き合って、母親との結婚直前に前妻を籍から抜いた父。母親が私を身篭っているときに母親のお腹を蹴ったという父。男が生まれたらコインロッカーに捨てると言っていたらしい父。遊びに行こう、と私を誘っては競艇場に私を連れて行っていた父。しょっちゅう愛人から自宅に電話があり、母親を悩ませていた父。母親と私を母方の親戚の家に遊びに行かせるにあたり馬券購入を頼み、私が熱を出したとの連絡を受けてすっ飛んできての第一声が、馬券は? だった父。事業が右下がりになり倒産して自堕落になっていった父。母親と私が家を出るときに、パチ屋に逃避した父。自力でトイレにも行けなくなり自分で救急車を呼んだ父。余命1週間にも拘わらず私以外には誰1人身内に見舞ってもらえなかった父。肝硬変で死んだ父。お情けで親が買っていた墓に入れてもらった父。碌な男じゃない。でも、これが、私の父親である。そして大好きな父親なのである。ここに書いていないいい面を私は沢山見てきたつもりだし、父親なりに私に愛情を注いでくれたと疑っていない。幼児だった頃の私を抱いた父の写真が一葉ある。父は笑顔だ。この父、一時期は物凄く甲斐性のある人だったらしい。その部分は私には遺伝しなかったようで、悪い部分ばかりが遺伝してしまったようだ。賭博好きとか、精神的な脆さとか。今の父親とは正反対である。呑む打つ買うは皆無に近いくらいしない。親に暴力も揮わない。趣味らしい趣味もなく、真面目一直線のような今の父親。私の性質は今の父親よりも実父に遥かに近い。今の父親を実の父親のように思ったことはない。あくまで、親の旦那。これは親が再婚したときから変わっていないスタンスだ。今の父親と親が結婚して良かったと思っているし、私は私でいろいろな面で感謝はしている。でもどうしても実の父親のようには慕えなかったし、恐らくは今後もそうだろう。昔は、実の親より育ての親、という言葉に悩まされた。今でも悩むことはあるが、だからといって気持ちに嘘はつけない。

 今、実父に近い存在がいる。うちのの父親だ。やはり呑む打つ買うだった人で、DVがあり、家族から絶縁などはされていないけれど疎まれている。これだけで私は歪んだ認知かもしれないけれど、うちのの父親に親近感を持ってしまっている。またうちのの父親は持病があり、摂生が必要なのに自己管理ができていない。ここはもう死んでしまった母方の祖父と被る。うちのの父親と母方の祖父と同じ持病であり、摂取食物の種類は違うけれど摂生できていないのも一緒。私はうちのの身内の中で、うちのの父親と一番仲良くなりたいと思っている。これに関してうちのは複雑そうである。少し前に、うちのの父親が持病の合併症によりやや大掛かりな手術をし、成功したらしい。良かった良かった。術後にうちのの母親から連絡があった。電話を取ったのは私。もしもし、うちのの母(仮名)だけど、黒猫(仮名)ちゃん? はい、ご無沙汰しています。元気にしてる? はい。そう、うちの(仮名)、いる? はい。うちの(仮名)に変わってくれる? はい。電話交代。手術のことはうちのからの伝聞。うちのの母親がいっぱいいっぱいなのも解ってるんだけどね。籍を入れている訳でもなし両家で挨拶したことがあるでなし私は所詮余所者だってことも解ってるんだけどね。だけどね……。

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