現在、24日夕方。
昨日、友人からメールが届き添付ファイルで画像がついていた。最近飼い始めたジャンガリアンハムスター。友人の掌の上でちょこんとしている。友人はねこ希望だったらしいが旦那に却下されてハムに落ち着いたとのこと。画像だけで和む可愛さ。私の飼っている小動物2匹は共に現在4〜5kgあり、掌サイズだった頃の可愛さとはもう別物。可愛いには可愛いのだが……はあ、小さきものは可愛いことよ。小動物2匹を飼いつつ、私もハム購入を考えたことがある。一時期、いつも小動物の1匹のメシを買いに行っている某デパートペットコーナーに、パンダハムスター、なるものが売られていた。名前の通り白と黒のエクスタ……違う、白と黒のブチで大変に可愛く、何度店員さんに、ください、と言いかけたことか。しかし断念。うちの小動物は草食が1匹、雑食が1匹。雑食の方が絶対に殺る。というか、喰う。雑食のメシとして、あんな可愛いパンダハムスターをうちに囲う訳には行かない。うちの雑食は肉や魚には見向きもしない。その代わり野菜に激しい興味と執着を持って食べたがる。かかりつけの獣医さんにも笑われている。この雑食には長くに渡り某社のメシを食べさせ続けてきていたのだが、先日獣医の元にそれを買いに行ったところ、この春でこれは製造中止になる旨を伝えられた。……どうしたものか。草食の方に比べ、雑食の方がメシの種類が豊富である。故に飼い主は悩む。このメシに落ち付く迄にネットで調べに調べ、獣医と相談に相談を重ねてやっと決められた物だったのに。後数ヶ月の間に次を探さねば。面倒だ。おまいの食うもんなんだからおまいが選べ! と言ったらきっと、安価で質の悪い嗜好性にのみ富んだ物を選ぶのだろうな。こっちは少しでも健康に長生きして欲しくて悩んでいるのだが。
雑食用の現在のメシに落ち付く迄の試行錯誤中に、自作メシを作ってみたことがある。反応。軽く匂いを嗅いで前足でカッカッカッカッと容器に砂をかけるそぶりをしやがった。お気に召さなかったらしい。あのときの徒労感と敗北感ったらもう。去年末か今年の頭に、この雑食動物用の手作りメシのレシピ集を書店で見つけて買ってみた。まだ作ってはいない。ダラだから。そのうち作る。作ってはいないけれど、一通り目を通しはした。そして苦笑。最後の方に、一般的ではないけれど歴史あるレシピだから、と某草食動物の肉を使ったレシピが掲載されていた。某草食動物……私の今座っている場所の真後ろに生息している。こいつを捌けと? このレシピ集を購入したのには、人間用レシピに行き詰ったときに雑食用レシピをアレンジして作れば、人間用と雑食用と共に作れて一石二鳥! なんて思惑もあった。けれど読んでいて、え? と思われる材料がところどころに出現していることに気がついた。人間用にアレンジするには大蒜はそりゃああった方が美味かろう。でもこの雑食動物に大蒜は禁忌食物のひとつではなかったか? など。何処まで信用していいか見極めの難しいレシピ集。きっとノンオイルツナと白飯の混ぜごはん程度しか作れない気がする。眺めているだけで和むレシピ集だけに、実用性に欠けるのが残念無念。
先日から気になっていることがある。小動物らにメシをやるのは私の役割だ。なので起きたときと夜の2回、ちゃんとやっている。過眠や不眠で時間が定期的でないのはともかく。この間の土曜だか日曜だか、朝から晩迄延々眠りこけてやっと起きて、まずは小動物らのメシだ……と動き始めたときに、うちのがキッチンにいて雑食の方にジャーキーをやっていた。片手には草食用のドライフルーツ。おい。メシをやってくれ! おやつはやらんでいい! うちのは悪気があっておやつを与えているのではないことは解っている。ただ小動物らの健康管理への重点の置き方が私とは違っているのだ。私はまず健康ありきで滅多に必要不可欠とは言えないおやつ類はやらない。うちのは、完全室内飼いで楽しみの少ない小動物らにおやつという楽しみをあげたい。こういう違いの擦り合わせは難しい。おやつをやるなとは言わない。でもうちのがあげるおやつの量は、獣医が推奨する最上限の量を超えている。何度か指摘したけれど上記のように考え方のベクトルが全然違うのでもう私は何も言わなくなった。うちのへの諦めというのではなく、私はメシの係・うちのはおやつの係、と脳内決定した故だ。
小動物らの健康を思ってこういう係とどうにか自分を納得させているが、たまに如何ともし難い感情に襲われることがある。私は子供の頃、ごはんが好きではなかった。おやつ大好き、ごはんは2の次、3の次。因って、おやつを沢山くれる人はいい人、ごはんばかりくれる人は悪い人じゃないけれどいい人じゃない、と思っていた。この思考は小動物らも同じらしい。メシをやる私は配給係・おやつをやるうちのはとーってもいい人、と思っている節がある。従って表現力豊かな雑食はその傾向を顕著に表し、感情表現が下手でニヒルな草食も少しだけうちのの方がいい人と思っている素振りを見せる。気に入らん。なんで健康を慮っている私が蔑ろにされて、甘やかすだけのうちのが懐かれまくっているんだ! そしてふと思う。世の母親の多くは子供の健康を第一に考えるだろう。そして父親や祖父母などの子供との時間共有が少ない人間は甘やかすことで子供の気を惹く傾向がよくある。この構図が子供のいないうちでも、ペットを通して見て取れる。仮に子供ができたとして、うちのは私と一緒にきちんと健康を考えたり躾をしたりしてくれるのだろうか。現状を見る限りだと、平日の子供の世話はお前の仕事、休日は俺様が甘やかし放題、となりそうで怖いったらありゃしない。いいとこ取りしたいのは誰だって同じだ。私だって小動物らにおやつを沢山あげて今以上に懐かれたい。そこをぐっと我慢しているのが解らんか。解らんのだろうなあ……。育児に協力的な旦那、と自負という自己満足の中で女房に不満を溜めさせる男性への愚痴を多く見聞きする。私の実父もそうだったらしい。大人になってから親に聞いたことだが、実質は、怒る、が多かったことは棚に上げて叱る係は母親、それをフォローして甘やかす係が父親と役割分担されていたらしい。実態は判らない。実父は既に死んでいるので片方の意見だけを鵜呑みにするのは危険。仮定として親の意見がその言葉通りだったとしたら、今の私以上にストレスを抱え込んでいただろう。子供を叱る際に逃げ場の用意としてフォローする係も必要だ。ただそれがどちらか片方の親に偏ってはならないのではないか。ときに母親が叱り父親がフォローし、ときに父親が叱り母親がフォローする。理想論に過ぎないか。いや、両親がよく話し合って教育方針を固めれば可能な筈。偏りを感じたらその都度修正する。修正には柔軟性が必要だろう。うちのは将来的に子供が欲しいらしい。私は要らんが。私の心身が健康になったとし、子供を欲したとしてもうちのが柔軟性を持ってくれなければ怖い。話はそれからだ。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
昨日、友人からメールが届き添付ファイルで画像がついていた。最近飼い始めたジャンガリアンハムスター。友人の掌の上でちょこんとしている。友人はねこ希望だったらしいが旦那に却下されてハムに落ち着いたとのこと。画像だけで和む可愛さ。私の飼っている小動物2匹は共に現在4〜5kgあり、掌サイズだった頃の可愛さとはもう別物。可愛いには可愛いのだが……はあ、小さきものは可愛いことよ。小動物2匹を飼いつつ、私もハム購入を考えたことがある。一時期、いつも小動物の1匹のメシを買いに行っている某デパートペットコーナーに、パンダハムスター、なるものが売られていた。名前の通り白と黒のエクスタ……違う、白と黒のブチで大変に可愛く、何度店員さんに、ください、と言いかけたことか。しかし断念。うちの小動物は草食が1匹、雑食が1匹。雑食の方が絶対に殺る。というか、喰う。雑食のメシとして、あんな可愛いパンダハムスターをうちに囲う訳には行かない。うちの雑食は肉や魚には見向きもしない。その代わり野菜に激しい興味と執着を持って食べたがる。かかりつけの獣医さんにも笑われている。この雑食には長くに渡り某社のメシを食べさせ続けてきていたのだが、先日獣医の元にそれを買いに行ったところ、この春でこれは製造中止になる旨を伝えられた。……どうしたものか。草食の方に比べ、雑食の方がメシの種類が豊富である。故に飼い主は悩む。このメシに落ち付く迄にネットで調べに調べ、獣医と相談に相談を重ねてやっと決められた物だったのに。後数ヶ月の間に次を探さねば。面倒だ。おまいの食うもんなんだからおまいが選べ! と言ったらきっと、安価で質の悪い嗜好性にのみ富んだ物を選ぶのだろうな。こっちは少しでも健康に長生きして欲しくて悩んでいるのだが。
雑食用の現在のメシに落ち付く迄の試行錯誤中に、自作メシを作ってみたことがある。反応。軽く匂いを嗅いで前足でカッカッカッカッと容器に砂をかけるそぶりをしやがった。お気に召さなかったらしい。あのときの徒労感と敗北感ったらもう。去年末か今年の頭に、この雑食動物用の手作りメシのレシピ集を書店で見つけて買ってみた。まだ作ってはいない。ダラだから。そのうち作る。作ってはいないけれど、一通り目を通しはした。そして苦笑。最後の方に、一般的ではないけれど歴史あるレシピだから、と某草食動物の肉を使ったレシピが掲載されていた。某草食動物……私の今座っている場所の真後ろに生息している。こいつを捌けと? このレシピ集を購入したのには、人間用レシピに行き詰ったときに雑食用レシピをアレンジして作れば、人間用と雑食用と共に作れて一石二鳥! なんて思惑もあった。けれど読んでいて、え? と思われる材料がところどころに出現していることに気がついた。人間用にアレンジするには大蒜はそりゃああった方が美味かろう。でもこの雑食動物に大蒜は禁忌食物のひとつではなかったか? など。何処まで信用していいか見極めの難しいレシピ集。きっとノンオイルツナと白飯の混ぜごはん程度しか作れない気がする。眺めているだけで和むレシピ集だけに、実用性に欠けるのが残念無念。
先日から気になっていることがある。小動物らにメシをやるのは私の役割だ。なので起きたときと夜の2回、ちゃんとやっている。過眠や不眠で時間が定期的でないのはともかく。この間の土曜だか日曜だか、朝から晩迄延々眠りこけてやっと起きて、まずは小動物らのメシだ……と動き始めたときに、うちのがキッチンにいて雑食の方にジャーキーをやっていた。片手には草食用のドライフルーツ。おい。メシをやってくれ! おやつはやらんでいい! うちのは悪気があっておやつを与えているのではないことは解っている。ただ小動物らの健康管理への重点の置き方が私とは違っているのだ。私はまず健康ありきで滅多に必要不可欠とは言えないおやつ類はやらない。うちのは、完全室内飼いで楽しみの少ない小動物らにおやつという楽しみをあげたい。こういう違いの擦り合わせは難しい。おやつをやるなとは言わない。でもうちのがあげるおやつの量は、獣医が推奨する最上限の量を超えている。何度か指摘したけれど上記のように考え方のベクトルが全然違うのでもう私は何も言わなくなった。うちのへの諦めというのではなく、私はメシの係・うちのはおやつの係、と脳内決定した故だ。
小動物らの健康を思ってこういう係とどうにか自分を納得させているが、たまに如何ともし難い感情に襲われることがある。私は子供の頃、ごはんが好きではなかった。おやつ大好き、ごはんは2の次、3の次。因って、おやつを沢山くれる人はいい人、ごはんばかりくれる人は悪い人じゃないけれどいい人じゃない、と思っていた。この思考は小動物らも同じらしい。メシをやる私は配給係・おやつをやるうちのはとーってもいい人、と思っている節がある。従って表現力豊かな雑食はその傾向を顕著に表し、感情表現が下手でニヒルな草食も少しだけうちのの方がいい人と思っている素振りを見せる。気に入らん。なんで健康を慮っている私が蔑ろにされて、甘やかすだけのうちのが懐かれまくっているんだ! そしてふと思う。世の母親の多くは子供の健康を第一に考えるだろう。そして父親や祖父母などの子供との時間共有が少ない人間は甘やかすことで子供の気を惹く傾向がよくある。この構図が子供のいないうちでも、ペットを通して見て取れる。仮に子供ができたとして、うちのは私と一緒にきちんと健康を考えたり躾をしたりしてくれるのだろうか。現状を見る限りだと、平日の子供の世話はお前の仕事、休日は俺様が甘やかし放題、となりそうで怖いったらありゃしない。いいとこ取りしたいのは誰だって同じだ。私だって小動物らにおやつを沢山あげて今以上に懐かれたい。そこをぐっと我慢しているのが解らんか。解らんのだろうなあ……。育児に協力的な旦那、と自負という自己満足の中で女房に不満を溜めさせる男性への愚痴を多く見聞きする。私の実父もそうだったらしい。大人になってから親に聞いたことだが、実質は、怒る、が多かったことは棚に上げて叱る係は母親、それをフォローして甘やかす係が父親と役割分担されていたらしい。実態は判らない。実父は既に死んでいるので片方の意見だけを鵜呑みにするのは危険。仮定として親の意見がその言葉通りだったとしたら、今の私以上にストレスを抱え込んでいただろう。子供を叱る際に逃げ場の用意としてフォローする係も必要だ。ただそれがどちらか片方の親に偏ってはならないのではないか。ときに母親が叱り父親がフォローし、ときに父親が叱り母親がフォローする。理想論に過ぎないか。いや、両親がよく話し合って教育方針を固めれば可能な筈。偏りを感じたらその都度修正する。修正には柔軟性が必要だろう。うちのは将来的に子供が欲しいらしい。私は要らんが。私の心身が健康になったとし、子供を欲したとしてもうちのが柔軟性を持ってくれなければ怖い。話はそれからだ。
BGM/アルバム「ペテン師と空気男」
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