現在24日日中。

 その昔、男女の付き合いや友人知人との付き合いに於いて、努力しなければ継続できない付き合いならそれ迄のこと! と思っていた。莫迦だった。努力と譲り合いをごっちゃにしていたのだ。相性というものは確かに存在している。けれど相性抜群=全ての趣味や思想が同じ、なんてことはありえない話なのだ。友人知人との付き合いでは無意識のうちに、努力≠譲り合い、と考えられていて、例えば私は洋食が食べたくても相手が和食が食べたいと言えば、じゃあ和食にしようか、と自然に言えていた。毎度片方だけが譲ることが続くようでは相手の我侭に振り回されているに他ならないので付き合いが遠のくけれど、私も相手もその都度臨機応変に相手の主張を聞き入れていればいいのだ。けれど、何故か男女の付き合いに於いて私は、努力=譲り合い、と考えており、こちらが譲らなければならない場合は、なんで私の言うことを優先してくれないの! 私のことが好きなら優先してくれるでしょ! というこの上ない自分勝手な考えを当然だと思い込んでいた。何故だろう、と考えた。過去に付き合っていた相手は全て年上の相手であり、精神的にもオトナな相手が多かった。故に私の我侭を子供をあやすように聞き入れてくれる相手が多かったのだ。このような関係の中で私は増長していったのだろう。

 うちのも年上であり、精神的にも基本的にはオトナな部分が多い。因って我侭の多くを聞き入れてくれていると思われる。それでも全ての我侭や主張をハイハイと聞いてくれはしない。仕方あるまい。生活を共にしているのだから、全て私の我侭や主張で成り立たせると生活そのものも破綻するであろうし、うちのは自我を全て押さえ込まねばならなくなる。生活=共存。違う環境で育った者同士が共存するには譲り合いが必要であり、この譲り合いこそが努力と呼べるものだと最近になってやっと気がついた。遅過ぎ。でも気付かせてくれたことには感謝。時々会ってデートして、の関係だけではきっと私は気付けなかっただろう。気付く迄にかなりの年月を要し、その間うちのはいろいろと我慢をしてきた筈だ。だからといって、これ迄に私に譲ってくれた部分を丸々譲って恩返しなどとは微塵も思わない。今後、譲り合いを念頭に共存していければと思う。まだ我侭だろうか。でも自我を殺して9割譲るなんてことは私にはできない。不可能。

 諸事情を持つ私が男女の付き合いに於いて、努力=譲り合い、と気付けたことだけでも大進歩だと自画自賛。譲り合いができないのが諸事情の特徴のひとつなのだ。私のことが好きならこれくらいできるでしょ、とレベル1の要求をする。叶えられてもまだ愛情を信用できない。今度はレベル2の要求をする。叶えられてもまだ(以下略。そしてこれは際限なく続けられ、レベルは100にも1000にも達する場合もあるし、達する迄に相手が根を上げて去っていく場合もある。前者なら今度は10000にも1000000にもレベルは上がり、後者ならやはり私のことを本当に愛してくれる人はいないんだ、と鬱々となり時には自傷などをして他者の気を惹く。こういう人に嫌われたり人間関係をぶち壊しにする要素満載の人格障害故に、私は自分のそれを、諸事情、と書く。これは自己愛が形成されていないことに起因する。自分の価値を自分で見出せないから、他者がどれだけ自分に尽くしてくれるかで自分の価値を計るのだ。所謂普通の人は実に莫迦げた行為だと思うだろう。けれど諸事情を持つ者は、他に自己肯定をする術を知らなかったり、知っていても信用できなかったりするのである。

 私は、努力=譲り合い、と知った時点で1歩進めたと思う。自分の意のままに動いてくれる他者など存在する筈がない。これ迄も頭では解っていた。けれど心が伴わず、どこかでそんな相手を探していた。うちのと付き合うとき、この人は私のことを全肯定してくれ、私のことを私が納得できるくらいの無償の愛情をくれる人だと思っていた。大間違い。全肯定なんかしてくれない。逆に全否定されることもある。無償の愛なんかくれない。見返りを求められることも少なくない。変だ。この人は私のことを好きじゃないんじゃないだろうか。何度もそう疑った。でも。年月を鑑みる。4年以上の月日。その間、ずっと生活を共にしてきてくれた。今も情緒不安定で我侭、昔は今以上に情緒不安定であり我侭だっただろう。喧嘩も多かったしトラブルも多かったし、別れ話迄進んだことも何度かある。それでも離れずに一緒にいてくれた。この年月は私に少し自信を与えてくれたし、その中で自分を見直すきっかけも多かった。うちのの精神年齢がもっとオトナだったらこうはいかなかったかもしれない。むしろ私の増長に拍車をかけた可能性が高い。うちのが過度……いや、適度にコドモだったからこそ見直せた部分が大きいだろう。

 他の、私と同じ諸事情を持った人が全てうちののような相手と巡り合うことで諸事情が改善されるとは思わない。人によっては慈愛の人・自己犠牲を善しとする人と巡り合うことで救われる人も多いと思う。私もうちのとの喧嘩の中で諸事情が悪化することもしょっちゅうで、診察中に主治医も頭を悩ませることがある。主治医が頭を悩ませるのは、うちのの心の中にも闇があると気付いていること・私の情緒が人間関係により針の振れ幅が余りにも広いからだ。努力=譲り合い、と私が気付いたとき。偉人を例に出すのも恐縮だけれど、ヘレン・ケラーが物に名前があると気付いたときの驚きに近かったのではないかと勝手に思っている。私の持つ概念からは何万光年も離れていただろう単語・行動がイコールだったのだから。次に私が気付くのが何なのか、そしてそれはいつなのか、全く解らない。今はただただ気付いたことを大切にし、実践していくことが大切だと考えている。そして気付く迄、私に付き合ってくれ更に今後も付き合ってくれるであろう、うちのに感謝している。この気付きを時間はかかるだろうし、目にはなかなか見えなかろうけれど徐々に実践していきたい所存。

BGM/アルバム「頽廃芸術展」

コメント