現在12日。

 うちのベランダに時折他所の外飼い猫が入ってくる。するとうちの小動物2が過剰な反応を示す。ベランダの窓は基本的に閉めっぱなしなのだけれど気配で判るようで、ベランダの窓の傍で絨毯に爪を立てて警戒する。9日にもその猫が入ってきときに、小動物2の反応で解り、窓を開けて網戸越しに対面させた。小動物2は私の腕の中。私の腕や肩にぎりぎりと爪を立てつつ、外の猫を観察している。ここ迄はよくあること。この後がびっくり。小動物2が鳴き始めた。ウールルルールールー、ウルールルールールルー。明らかに普段の鳴き声とは違う。例えるなら発信音。淡々としていつつ微妙に音程を変えて。何かを発信しているような声。びっくり。小動物2は多彩な鳴き声を発し、この小動物を余り好きではない友人知人にも、この子の声は可愛い、と評されるのだけれど、このときの声はちっとも可愛くなかった。只の発信音。ベランダに入ってきた猫は場所をうちのベランダのすぐ傍に止めてある大家の車の上に移動して鎮座。そして小動物2の発信音を傍受している。外の猫は何も言わない。何してんだ、こいつら。外の猫は人間には聞こえない超音波でも発して、うちの小動物2と何らかの意思疎通をしているのだろうか。

 それはともかく。私は外飼い反対派である。このときの猫はよくうちのベランダに侵入してくる。猫飼いなので侵入してくる分にはいいのだけれど、ベランダに置いてあるゴミ袋を破こうとしてきたときには流石に腹が立った。うちの近所には野良猫も外飼い猫も多い。けしからん。近所の野良猫の1匹に、私が勝手にマダラと名付けている猫がいる。顔や体の模様がまだらだからマダラ。このマダラ、在る家で餌をもらっている。この家は近所の野良猫に庭で餌付けしている。以前その家の人に、お宅で飼っているんですか? と訊ねたところ、餌をやっているだけ、と答えられた。無責任だと腹を立てたがその場では、そうですか、と流した。或る日、マダラの片目が傷ついて殆ど開いていない状態だった。私にもそこそこ懐いていたマダラ。放っておけない。因って強引に捕獲して、行きつけの動物病院に連れて行って治療をしてもらい、飲み薬と目薬をもらってきた。うちの自腹である。本来なら餌付けしている家の人が気付いて連れて行くのが筋だと私は思っていた。飲み薬と目薬の件もありその家を訪ねて、マダラの目の不調の話をして薬をやってくれるよう頼んだ。その家の人に言われたこと。ふうーん、野良猫に親切だねえ。嘲笑混じり。飲み薬は与えてくれると請け負ってくれたものの、目薬はそっちでやってくれとのこと。仕方なく了承。当然ながら、あちらから治療費についての話は出てこなかった。私がマダラ捕獲時に引っかかれたときの傷にも触れてこなかった。私は自他共に認める猫好きだ。けれど野良猫は淘汰されて然るべきものと考えている。マダラはその人懐っこさからして、元々は誰かに飼われていた様子だった。何らかの人間の勝手な事情により捨てられてしまったのだろう。うちで飼えればベストだけれど既に我が家には小動物が2匹おり、現実問題として無理である。だから日常に於いて負傷を負った猫を病院に連れて行くことくらいしかできない。また負傷を負っていても、マダラでなければ連れて行かなかっただろう。マダラとその他の猫の違いは何か。マダラには餌をくれる人間の存在がある。そこでは水もやっている。要はライフラインが確保できている猫なのだ。ライフラインがある以上、例えあのまま片目が見えなくなってしまったとしてもマダラは生きていけてしまう。私は餌だけを与えて傷や病気の処置をしないその人の人間性を疑わずにはいられない。もしマダラがライフラインを確保できていない猫ならば、心の痛みを隠しつつも私はマダラの傷を放置しただろう。

 本来、野良猫という生き物は存在しない筈なのである。人間の都合で飼い始め、人間の都合で捨てられて、初めて野良猫となる。また捨てられた猫が繁殖をして野良猫が増える悪循環。私以外にもそれら野良猫を保護したいと思っていても、住居や経済的な事情でままならない人も多いと思われる。ある程度、野良猫への知識がある人は偽善的行為は行わない。偽善的行為とは、飼う気もないのに野良猫に餌を与える=ライフラインを作ることである。これは本当に罪作りなことであり、一部の人間の自己満足と偽善でしかない。飼えない人間が野良猫にしてやれることは、淘汰を待つことだけなのだ。一度は愛情を注がれて安全を確保してもらったのに、その後ポイッと捨てられた猫は不幸。捨てられた猫たちの間で生まれた安全を知らない猫も不幸。できればそれらの猫を全て飼いたい。猫が好きだから。飼って愛情を注いだり安全を確保してやれないのに偽善行為を行う人間を私は軽蔑している。

 猫の死因で最も多いのは、交通事故である。猫飼いにも2種類の人間がいる。ひとつは徹底室内飼い。ひとつは外飼い。後者の言い分としては、室内に閉じ込めるなんて猫が可哀相。中には元々野良だった猫を拾ってきて、外を知っている猫を室内に押し込めるのは残酷。もうね、阿呆かと。猫と会話が交わせる訳でなし、本当に猫が室内で飼われることに多大なストレスを感じているなどと何故に人間が判断できるのか。そもそも猫は本来自分で縄張りを決める生き物であり、その縄張りに実は広さはさほど必要ではない。ある程度のスペースと高さがあれば猫は自由に運動できる。それを知ってか知らずか、猫を外飼いにした上で交通事故に遭ったり猫が行方不明になったりして嘆き悲しむ飼い主がいる。莫迦の極み。飼い主に最も必要なのは、猫の習性を理解した上で飼っている子の安全を確保してやることではないのだろうか。自分の家の庭で餌だけやって後は放置など論外。餌をやる=ライフラインを作る=猫に責任を持つ、ではないのか。マダラはあのまま傷を放置していれば、片目が不自由になったことだろう。それでも餌を与えてくれる人がいれば生き長らえることだろう。これは猫にとって幸せなことなのか? 近所に小型犬を飼っている家がある。夕方、その犬を散歩の為に外に出す。リード無し。また躾が悪く通りがかる人に片っ端から走り寄り、キャンキャンと吠え立てる。飼い主は犬に甘ったるい声で、ダメよ〜、などと言って吠え立てられた人に謝ったりはしない。悪いと思っていないのだろう。当然その道は公道である。何度か飼い主に、散歩のときはリードを付けて下さい、と提言したことがあるが毎回スルーされている。うちの可愛いワンちゃんが人様に危害を加えるなんてある訳ないじゃない、とでも思っているのだろうか。お前にとっては可愛いワンちゃんでも、毎度吠えられる人間にとっては例え噛み付かれたりしていなくてもそれだけで不快なんじゃ! こういう奴に限って、犬が車に跳ねられたりしたら運転手に食ってかかって治療費云々慰謝料云々言うのだろうなあ。動物を飼うのも免許制にすればいいのに、と思う。

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