朝食と言っても、先日大量に作って冷凍しておいたホットケーキを解凍してバターを塗って牛乳と一緒に出しただけである。それだけで、奇跡だ、ミラクルだ、と驚かれた。その言い方はないんじゃないかと問うたところ、今年初めての朝食に驚くのは当然だ、と。私の記憶では、今年に入ってから2〜3回は朝食を出したことがある筈。けれどそれがいつだったか思い出せない。ので、反論ができなかった。奇跡だ、ミラクルだ、と言われてもいいのだが、もう少し他に言い方があるだろう。普通に、有難う、戴きます、ご馳走さま、そんな風に言ってはもらえないものだろうか。単純に有難がってもらえると、また作ろう、という気になれるものを、こんな風に莫迦にされた言い方をされるとやる気を失くす。と告げたところ、期待していないんだから別に作らなくていいよ、との返事。期待されて裏切って怒られるよりも、期待されない方が楽ではある。楽ではあるが、少しくらい期待されたい気がしないでもない。どちらが楽なんだろう。
ことの発端は昨日のこと。現在過眠期真っ只中の私は、昨日は3時間程度しか起きていなかった。後はずっと布団の中でぐっすり。休日、うちのが私を起こすときの台詞は決まって、飯は〜? である。何でもいいというので、言われるがままに昼食を出した。昨日出したのは無印のレトルトグリーンカレーに解凍した白米を突っ込んだ物。これでオカンムリである。起きたばっかりでこんな辛い物を出すな! はあ……。でも何でもいいって言ったじゃない。何でもにも程があるらしい。知らん。起きたてに辛い物は怒られると学習したので、今後は辛くない物を出そう。うちのがその食事を摂っているとき、私はぼーっとしていた。食欲もなかったので何も食べず、うちのが食べ終えた食器を片付けてまた布団に入って寝た。寝ている間にうちのが髪を切りに出かけた。のは何となく記憶にあるけれど、その時間などは覚えていない。寝ていたから。安眠を取っていると、うちのから電話があった。今終わったけど出てくる? 寝ているんだから出て行く筈がない。行かない、と言って電話を切って数時間後、うちのが帰宅してきた。夕食は? 鍋なら1時間、と答える。そんなに待てないと言う。炒飯なら20分と答える。……もうカップ麺でいいと言われたのでお湯を沸かし始めた。私の分も必要だし、薬缶に多く水を張りガスにかける。いつ迄経ってもお湯が沸かない。水を多く張りすぎたらしく、ピーと沸騰音がなるより先に、薬缶の蓋などからお湯が溢れてきた。怒られた。こんな不必要に水を沸かす莫迦が何処にいる! ここです。カップ麺を作り、うちのに出す。文句を言いながら啜っていた。文句を言われても過眠期突入中の私にはどんな言葉も、はあ……である。そんなに文句を言うなら、何時くらいに帰るからメシの支度よろしく、と言っておいてくれれば良かったのに。鍋は今夜に持ち越し。
極々簡単な夕食を終え、また眠くなった私がごろごろしようとするとうちのがカリカリし始めた。もう寝ていろ! と強い語気で言う。あー、怒ってるよ……。しかも昨日は怒りが噴出していた模様であり、自ら小動物らの世話や掃除や洗い物をし始めた。いかん! これは非常にまずい事態。うちのがすすんで家事をするときは、必ず機嫌の悪いときなのだ。自分ですれば腹が立たないから、と言いつつこなす家事は実にいい加減で私が再度やらねばならない羽目になるし、何より機嫌が悪くなる。仕方なく小動物2の世話だけ私がした。うちのが居間に掃除機をかけ始めた頃に小動物2の世話が終わり、居間に戻るとうちのが掃除機を止めた。さあ寝ろ、早く寝ろ、とっとと寝ろ。もう起きていても碌なことがなさそうなので、言われるがままに布団に入った。寝る直前にソラナックスを入れることにも不機嫌。それは何だ? 抗不安薬。寝るのにそんな物が必要なのか。いや、寝る為に必要とかそーいうんじゃなくてね、血中濃度がね……。と説明したかったけれど、多分理解してもらえなかろう、と諦めて寝た。
結局昨日は3時間くらいしか起きていなかった気がする。過眠期はそういう日々が続く時期なのだが、うちのには理解不能であるらしい。解ってくれと言うのが贅沢なのだろうか。規則的な生活をしなければ、という気概は常にある。でも体が思うように動かない。真っ当な生活を営んでいる他者から見たら、私のような不眠・過眠の繰り返しは悲しき哉、本能のままに動いているようにしか見えないらしいのだ。うちの曰く、あんたの生活は人の生活ではなくケモノの生活だそうな。ここ最近の私の生活は非常にローテンションである。ローテンション故に寝逃げに走っている。真っ当な生活者からすれば、ローテンションだろうがなんだろうが、真っ当に朝起きて夜寝る生活をしてこそ、人間であるらしい。自己保身の為の寝逃げという発想や行動はヒトのソレではないらしい。因って最近の私はヒト以下の扱いを受けている。悲しき哉、悲しき哉。ヒトとしてのソレを取り戻すべく頑張っているつもりなのだが、特に俺様気質のうちのには理解が得られない。他者はともかく、うちのには理解してもらえないと悲しいのだが……。
さて、これからどうするべきか。うちのが出かける前に私も目が覚めたときは、朝食を出したいと当然思う。けれど朝食を出すことが日常になると、今度は出さない日に文句を言われることが目に見えている。このまま、うちでは朝食は出ないものだ、と思われている方が楽なのかもしれない。かといって、ずっと出さないことを基本にしてたまに出したときに、今朝のように奇跡だのミラクルだの言われるのも癪に障る。今朝、個人的な希望としては、うわ、朝ごはんだ! 有難う! という反応を期待していたのにこの有様。なんだか出した分だけ損した気分である。子供は褒められると褒められるよう努力する子に、貶されると所詮何をしても貶されるんだし、と自分に与えられた役割を自然と自分に課すようになるそうだ。体は大人でも精神的には子供の私。私がうちのに望んでいることは歪んだ幼少期を取り戻すべく、育て直し。どうか褒めて伸ばす教育を心掛けていただきたいものである。
ことの発端は昨日のこと。現在過眠期真っ只中の私は、昨日は3時間程度しか起きていなかった。後はずっと布団の中でぐっすり。休日、うちのが私を起こすときの台詞は決まって、飯は〜? である。何でもいいというので、言われるがままに昼食を出した。昨日出したのは無印のレトルトグリーンカレーに解凍した白米を突っ込んだ物。これでオカンムリである。起きたばっかりでこんな辛い物を出すな! はあ……。でも何でもいいって言ったじゃない。何でもにも程があるらしい。知らん。起きたてに辛い物は怒られると学習したので、今後は辛くない物を出そう。うちのがその食事を摂っているとき、私はぼーっとしていた。食欲もなかったので何も食べず、うちのが食べ終えた食器を片付けてまた布団に入って寝た。寝ている間にうちのが髪を切りに出かけた。のは何となく記憶にあるけれど、その時間などは覚えていない。寝ていたから。安眠を取っていると、うちのから電話があった。今終わったけど出てくる? 寝ているんだから出て行く筈がない。行かない、と言って電話を切って数時間後、うちのが帰宅してきた。夕食は? 鍋なら1時間、と答える。そんなに待てないと言う。炒飯なら20分と答える。……もうカップ麺でいいと言われたのでお湯を沸かし始めた。私の分も必要だし、薬缶に多く水を張りガスにかける。いつ迄経ってもお湯が沸かない。水を多く張りすぎたらしく、ピーと沸騰音がなるより先に、薬缶の蓋などからお湯が溢れてきた。怒られた。こんな不必要に水を沸かす莫迦が何処にいる! ここです。カップ麺を作り、うちのに出す。文句を言いながら啜っていた。文句を言われても過眠期突入中の私にはどんな言葉も、はあ……である。そんなに文句を言うなら、何時くらいに帰るからメシの支度よろしく、と言っておいてくれれば良かったのに。鍋は今夜に持ち越し。
極々簡単な夕食を終え、また眠くなった私がごろごろしようとするとうちのがカリカリし始めた。もう寝ていろ! と強い語気で言う。あー、怒ってるよ……。しかも昨日は怒りが噴出していた模様であり、自ら小動物らの世話や掃除や洗い物をし始めた。いかん! これは非常にまずい事態。うちのがすすんで家事をするときは、必ず機嫌の悪いときなのだ。自分ですれば腹が立たないから、と言いつつこなす家事は実にいい加減で私が再度やらねばならない羽目になるし、何より機嫌が悪くなる。仕方なく小動物2の世話だけ私がした。うちのが居間に掃除機をかけ始めた頃に小動物2の世話が終わり、居間に戻るとうちのが掃除機を止めた。さあ寝ろ、早く寝ろ、とっとと寝ろ。もう起きていても碌なことがなさそうなので、言われるがままに布団に入った。寝る直前にソラナックスを入れることにも不機嫌。それは何だ? 抗不安薬。寝るのにそんな物が必要なのか。いや、寝る為に必要とかそーいうんじゃなくてね、血中濃度がね……。と説明したかったけれど、多分理解してもらえなかろう、と諦めて寝た。
結局昨日は3時間くらいしか起きていなかった気がする。過眠期はそういう日々が続く時期なのだが、うちのには理解不能であるらしい。解ってくれと言うのが贅沢なのだろうか。規則的な生活をしなければ、という気概は常にある。でも体が思うように動かない。真っ当な生活を営んでいる他者から見たら、私のような不眠・過眠の繰り返しは悲しき哉、本能のままに動いているようにしか見えないらしいのだ。うちの曰く、あんたの生活は人の生活ではなくケモノの生活だそうな。ここ最近の私の生活は非常にローテンションである。ローテンション故に寝逃げに走っている。真っ当な生活者からすれば、ローテンションだろうがなんだろうが、真っ当に朝起きて夜寝る生活をしてこそ、人間であるらしい。自己保身の為の寝逃げという発想や行動はヒトのソレではないらしい。因って最近の私はヒト以下の扱いを受けている。悲しき哉、悲しき哉。ヒトとしてのソレを取り戻すべく頑張っているつもりなのだが、特に俺様気質のうちのには理解が得られない。他者はともかく、うちのには理解してもらえないと悲しいのだが……。
さて、これからどうするべきか。うちのが出かける前に私も目が覚めたときは、朝食を出したいと当然思う。けれど朝食を出すことが日常になると、今度は出さない日に文句を言われることが目に見えている。このまま、うちでは朝食は出ないものだ、と思われている方が楽なのかもしれない。かといって、ずっと出さないことを基本にしてたまに出したときに、今朝のように奇跡だのミラクルだの言われるのも癪に障る。今朝、個人的な希望としては、うわ、朝ごはんだ! 有難う! という反応を期待していたのにこの有様。なんだか出した分だけ損した気分である。子供は褒められると褒められるよう努力する子に、貶されると所詮何をしても貶されるんだし、と自分に与えられた役割を自然と自分に課すようになるそうだ。体は大人でも精神的には子供の私。私がうちのに望んでいることは歪んだ幼少期を取り戻すべく、育て直し。どうか褒めて伸ばす教育を心掛けていただきたいものである。
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