日記をつけ始めて一週間もあいたのは初めてか。で、その間何をしていたかと言うと、某巨大掲示板にて普段行きつけない板に出向きひたすらROMしたり、寝たり、ROMしたり、食べたり、ROMしたり……。何やってんだ、他にやることあるだろう! と自分の重い腰を無理矢理引っ立てては本屋に行って立ち読みしたり漫画を買ってきたりととにかく自堕落でした。反省。風邪ひいたり生理痛だったりってのを差し引いてもちょっとアレな一週間でした。因ってコレといったこともなかったので、この一週間分は思いつく侭にだらだらと。この一週間のリアルでの出来事で特筆すべきこと……。うちのと喧嘩したことくらいか。私はひとり暮らし時代に小動物らを飼い始め、ことある毎に周囲の友人知人に、私よりも小動物らを可愛がってくれる彼氏・旦那でなきゃ困るし嫌だ、と言ってきていた。うちのは小動物らをとても可愛がってくれている。小動物らはいわば私の連れ子のようなものであり、可愛がってくれていること自体にはとても感謝している。が、差をつけ過ぎで腹が立つことが少なからずある。むしろ日々腹が立っている。記号で表すならば、小動物2>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>小動物1≧私、くらい。確かに、今でも、私よりも可愛がって欲しいとは思っている。けれどここ迄差をつけてくれなくて結構。希望としては、小動物1・2≧私。

 うちのはDVの気があり、手をあげはしないけれど精神的に私を追い詰めるのが得意。うちでよくある出来事として、うちのが私にする、追い詰める為だけの質問、というのがある。例えば、今日は小動物2と遊んだか? という質問。どう答えてもお気に召さないらしい。遊んだ、と答えると本当に遊んでいても、嘘つくな。遊んでいない、と答えると、遊んでやれ。どう答えても怒られるので先日は答えないでいた。すると声を荒げて、返事しろ! 私は大声が苦手だ。特に自分に向けられる大声はどんな内容であれ威嚇されているように思えて萎縮してしまう。単純に大声は怖い。類似質問に、昼寝した? というのもある。した、と答えると、お前はぐうたらできていいよな。していない、と答えると、嘘つくな。答えないと(以下略。睡眠障害があるのも、不眠期と過眠期を繰り返しているのも知っているのに……。この手の質問をされると、親を思い出す。うちのの嫌な部分と親の嫌な部分は似ていて私はもしかして無意識のうちに自ら、負の連鎖、を求めてしまっているのかと悩んだ。ので、うちのと話をした。

 夏頃に籍を入れる予定である。両家の親や小姑のことはさて置くも、ふたりの間で解決しておかなければならない問題がひとつある。所謂、家族計画。私は自分の抱えている病気と環境のことを考えて子供は欲しくないと思っている。負の連鎖の恐怖。反して、うちのは将来的には子供を欲しいと思っている。いらねっての。結婚後に子供の有無について問題が表出する夫婦の話もよく見かけるので、数日前に真面目に話し合ってみた。私の主張。
・処方薬の都合により近年の妊娠は無理
・子育てに際してお互いの母親が取った行動は真逆であるものの根源は似ており負の連鎖が怖い
うちのからの質問。
・いつ断薬できるの?
・断薬しなくても某芸能人のとこは子供ができたぞ?
・負の連鎖に関してはふたりで協力すればどうとでもなるでしょ?
うちのは楽観的過ぎる……。断薬がいつになるかなんて私が知りたい。主治医に訊いてくれ。某芸能人の処方薬迄私は知らん。例え同じ薬だったとしても、私の処方薬は妊娠に関して精子には影響は見られずとも母体には多大な影響があるのだ。そして負の連鎖。私の持つ恐怖心をまずはおまいが取り去る努力をしてくれよ、と。例えば大声。確かに私は大声に対して過敏かもしれない。けれどこの過敏さがなくならなければ子供も大声に対して萎縮するように育ってしまうだろう。それから稼いでいる者=偉い、の発想。私はこの考え方が大嫌い。これは悪さをしている子供の親が、子供のすることだから、と言うのに通ずると思っている。子供のすることだから、と大目に見るのは他者であり、少なくとも自分の子供の悪さに対しての言い訳に使う言葉ではない。稼いできてくれている人=うちのに感謝するのは私。自分で言ってしまっていることに違和感を感じていないのは危ない。また片付け物。うちのはその辺に靴下を脱いでほっぽらかしにする。子供に示しがつかん。

 うちのの意見。薬に関してはまあ了解。大声はなるべく出さないようにする。稼いでいる者=偉い、の発想に対しては、事実じゃん。片付け物に関しては、お父さんは働いているんだからいいの、でいいじゃん。……話にならん。物事への発想の諸々が食い違っているのが、この話し合いでよく解った。いや、前々から思っていたことが決定付けられた、といった感じか。取り敢えず、私が断薬できて負の連鎖を断ち切る勇気が出た後でじゃないと子作りはできないし、そのことでうちのの実家の防波堤になってくれないと困る、と主張してみた。渋々了解はしてくれたけれど果たしてどうなることなら。今のところうちはセックスレスだし、私の断薬もいつになることやらだし、うちのは昨日辞職表明をしたようだしで、現実問題として子供云々は何年も後の話である。ただそれ迄にうちのの躾け直しと、うちのの実家が絡んだ話になったときの防波堤となってもらえるかどうかがこの話の根本だったのだ。防波堤はどうにかなりそうな気はするけれど、躾け直しに関しては気が遠くなる。私も躾け直してもらわなければならない部分が多々あり、お互いに直すべきところを直せていければベストだけれど問屋がそのように卸してくれるか。私は時間はかかるかもしれないけれど、心身の調子が良ければどうにかできる自信がある。理に適っていることならば納得して行動できるから。またこの、理、がネック。うちのにも私にも、社会通念としての、理、が大きく欠けている。欠けているところをフォローしあえるか。私は欠けている自覚があるので、常識や普通を教えてもらった上で理に適っていると思えば順ずるし、これ迄もそしてきたつもり。うちのは……理と気付かぬ環境遺伝の間で彷徨っているように見える。私から見て負の環境遺伝と思える部分を指摘しても、なかなかそれを認められないようだ。負の環境遺伝と見て育った常識の区別がなかなかつかないらしい。解る。私もそうだ。今でもその狭間で混乱を生じることがある。それでも私は昔よりは少しだけ客観性を身につけた。うちのにも身につけて欲しい。ふたりとも似た複雑さで、そして親が真逆の解決策を取って育てられた。この溝は深い。一緒に埋めていければいいのだけれど。

BGM/アルバム「怪人二十面相」

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