現在、30日早朝。

 今日は誕生日。昨日はプレ誕生日。なので家事はしなくていいデイに設定し、夕食はピザのデリバリ。正確には、家事をできなかったデイ。熱がずっと37.0℃前後で安定している。喉の痛みもピークは越えたようだが、まだなくなってはいない。ずっと背中に妙な汗をかいている。じめじめして気分が悪い。けれど入浴する元気はなく、ずっとババシャツをじめじめさせている。風邪による発汗ならば汗をかいたら着替えるのが定石。でも着替えない。洗濯物が増えるのが嫌だから。しかも今回風邪をひき始めてから風邪薬も飲んでいない。こめかみの辺りが締め付けられているように痛い。体調が悪い上に機嫌も悪い。両方共うちのが悪い。風邪はうちのに移されたし、機嫌はうちのに損ねさせられた。誕生日を迎えて心機一転、といろいろ考えていた出鼻を片っ端から挫かれた。でもこの苛々っぷりはちょっと変。生理が近い所為もあるのかもしれない。

 まず終電でうちのが帰宅。誕生日おめでとう、〜歳だね。いちいち歳を言わんでいい! ハイ、ケーキ。……コンビニのかよ。数年前、誕生日にコンビニケーキを出されて激怒していたのは誰だったか、と問いたかったが我慢。やや不服そうにしてみせると、コレじゃ嫌だったら明日自分で買ってきなさい。何が悲しくて自分のバースデイケーキを自分で買わにゃならんのか! 俺、近々会社辞めて自分で起業するから。ハア? 俺が無限責任者であんたが有限責任者ね。ちょっと待て! 会社を辞めるのや起業の目論見はいい。今社内で起きているゴタゴタの内容は前から聞いていたし。しかしだな、実際には名義だけとはいえ、おいそれとそんな役職に就くことはできん! 私自身にかかるリスクを自分で調べるから時間をくれ、と保留。このリスクをきちんと調べるには勉強が必要そうであり、厄介である。これが私の〜歳最初の仕事なのか。私が考えていた心機一転の開始が遅くなるじゃないか。心機一転にあたり思い描いていたプラン及びその内容を相談するも、飲んで帰ってきた上に家でも1本空けたうちのは、ちっとも真面目に聞いてくれやしない。おまけにパジャマですっぴんの私を、〜歳最初の写真だー、などと撮ろうとする。勘弁してくれ! 今は肌も荒れているしパジャマだし、こんなのが最初の写真になるのは嫌過ぎる。おまけに日付が変わって誕生日になってすら私よりも小動物をちやほや。いちいち苛々。碌な〜歳を送れそうにはない……。

 誕生日を迎え、〜歳になった、と当然判っているけれど他者にその数値を言われると嫌な気分になる。これは加齢が嫌だということではなく、精神的には未だ思春期を引き摺っているモラトリアムな私にとって年齢を具体的に言葉にされると、実年齢相応の精神的強さを持っていないことが恥ずかしいからだ。数字とは残酷な物で、幅がない。〜という答えが導き出されたら〜でしかないのだ。精神的にはコドモなのに世間的には大人を求められていることを実感させられる。諸事情解寛への道のりが遠い私にとって、これは苦痛でしかない。うちのは私がハッキリと歳を言われるのを嫌がる理由を女性に多い、オバチャン扱いをされたくない、という若さ頼りの自意識と勘違いしているらしい。違うのに。むしろ私は、ある程度の年齢を重ねた大人が他者、特に子供などに、オニイチャン・オネエチャン、と呼ばせたがる図を醜く思っている。加齢は素直に受け止め、歳相応に振舞うべきだ、と。若さが取柄というのはみっともないことであり、そこにしがみつくのは潔さが感じられない老醜とすら思う。私の年齢はオネーチャンとオバチャンの中間の値で、中途半端である。その中で若さに拘らず且つ加齢に甘えず自然に歳相応に背筋を伸ばして振舞えるのが理想だと考えている。が、如何せん中身が伴っていないのだ。精神年齢=実年齢なら、意地でも上記のように振舞う。でも諸事情でモラトリアム……。因って自分の精神年齢の幼さへの自覚が、実年齢を恥ずかしく思わせているのだ。いつか、堂々と胸を張って自ら年齢を言えるときを迎えたい。

 また年齢を言いたくない理由がもうひとつある。学生時代から描いていた人生設計をこなせなかったからだ。こなせなかった事実は変えられないものであり、それはそれとして認めるべきである。でもできない。何か悔しい。私の人生設計とは、24歳で結婚・26歳で出産、だった。うちのと出会ったのが24歳になる少し前。その時点で叶いっこなかったのは重々承知であり且つ今現在子供は要らないと思っている身として、人生設計の狂いに拘るのは滑稽だろう。自分の人生設計が上記のような部分以外にも大きく狂っており、それを素直に受け止められない自分がいる。偏屈ではなくモラトリアム。まだ何か、それが違う形であっても夢を持って人生再設計をできるのではないかという希望を捨てきれずにいるのだ。そこで心機一転。この心機一転のきっかけを与えてくれたのは、昨日の日記に書いたアレな校長だ。余りのアレっぷりに40本近いコラムを全部読んでしまった。昨日の日記を書いた時点で読んでいたのは5本程度。全部読んで解ったのは、この人物は多くの偏見に囚われており、自己愛が強く自慢好きで、男尊女卑思考の持ち主であり、老人最優先思想だということ。どんなオブラートに包まれていても所詮はオブラート。中身は丸見えである。そして全部を読んでみて大変面白く思った部分がある。大半のコラム、主張したいこと=オチは正しいのだ。道筋が違えばオチもけったいな物になることが大概であると思うのだが、正しいオチに持って行く迄の道筋が出鱈目。ツッコみどころ満載なのに正しく気分の悪いコラム。凄い思想と文才の持ち主である。悪い意味で。あ、予想通りの処女崇拝者だったことも追加。そして一番引っかかった部分。ピアス・茶髪は莫迦の象徴のような文脈。今でこそ地毛の黒髪だけれども一時期は茶髪・金髪にしており、現在ピアスホールを5つ持つ私は、この人物から見たらかなりの莫迦に見える筈である。そしてこんな奴は幾ら勉強をしようとしても、人としての基本がなっていないので利口にはなれまいと判断されると思われる。そんならちょっと勉強を始めてみようかな、と思った次第。今日明日中に参考書と問題集でも買ってこよう。その際の悩み。何から手をつけるか。資格取得系か学校教育系か。このことを昨夜、うちのに相談したかったんだけど……。

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