フォークロックという概念を知ったのは最近のことである。去年の夏だったか、愛しの君のメイン所属バンドではない、ブルース・ユニットのライヴに行こうとし、うちのに、ブルースってよく判らないからCD貸して、と頼んだところ、出されたものがボブ・ディランだった。幾らブルースに疎くとも、ディランがブルースでないことくらいは判る。莫迦にされたものである。ブルースのイメージは脳内に確固とある。ただそれを聴覚としてはっきりと認識したくて頼んだのだ。ディランの前には、誰だったかのボサノバを出され、サンバを出され……。きっと今ならホーミーを出してきそうだ。真面目に頼んでいるときは、ちゃんと応えてもらいたいものである。ディランはフォークロックだと知ったのは「アイデン&ティティ」を観てからだ。もしかしたら原作でも描かれていたかもしれないけれど、すっかり忘れていた。速くて重いのが好きな私としては、ディランは最初何も響いてこなかった。今、この日記を書きながらディランのCDをかけている。フォークロックの概念を知った上で聴けば、これはこれで悪くない。私にとって、音楽には予備知識が必要らしい。どんなに良いとされている曲であっても、速さと重さがなければ、今の私にはさほど良さを感じることができない。昔はもう少しマシな感受性を持っていた筈だ。パキシルの所為か? パキシルを服用し始めてから、感情も五感も鈍くなっている気がする。

 感受性が鈍るのは本当に悲しい。某巨大掲示板の某スレで、パキシルは飲むロボトミー、と書かれていた。某巨大掲示板の情報を鵜呑みにする程、私は莫迦ではない。だけど、極論過ぎるけれど、言い得て妙な感じである。確かにいろいろなものが鈍ってきている。かといって、パキシルなしで生活を営めるかといえば、否。昨今、掃除や炊事ができているのもパキやソラの恩恵である。いつになったら手放せるのか判らない。しかしパキやソラ以上に手放せない物がひとつある。煙草だ。喫煙を始めて10年以上経つ。履歴はセーラム→バージニア→サムタイムリラクシング→サムタイムスーパーライト。ときにはマイセンライトやマルボロメンソールを吸ったこともあるが、基本は5mg前後のメンソールである。リラクシングが一番好きだったのだが、廃盤になってしまった。何故に私の気に入るものは悉くと言っていい程に廃盤の運命を辿るのか。リラクシング然り、FSP然り。数多の廃盤品の中で、唯一特殊だった物はカバヤのプリンチョコ。これは昔から大好きで、店頭で見かけなくなった頃、嘆き悲しんだ。あんなに美味しいチョコはないのに……と。それが最近になって復活の兆し。喜ばしい。授業と授業の合間の休み時間、一服する代わりにプリンチョコで口寂しさを誤魔化していた頃を思い出す。しかし悲しきかな。ゴディバやロイズでトリュフチョコや生チョコの味を知ってしまった今、当時程の美味しさは感じられなくなってしまった。歳を取るとはこういうことか。

 先日、うちのとこんな話をした。歳を取ったなあ、と思うのはどんなときか。うちのの答え。会社で若い子たちの飲み会に誘われなくなったことに気付いたとき。成る程。社会人ならではの意見だろう。因みに、会社の若い子たちの飲み会の面子は皆20代らしい。私は、こそあどが増えていることに気付いたとき。ほらアレ〜〜の、えっとこの〜〜が、など。〜〜には名詞が入る。会話の中ですぐに固有名詞が思い出せず、こそあどでワンテンポ置いてから、固有名詞が出てくるのだ。意識して気をつけようと思う。それでも気をつけられるのは、こそあどの後で固有名詞がしっかり出てくるときだけだ。ほらアレ、あの、えーと、なんだっけ、アレだよアレ。こんなことも少なくない。脳細胞が物凄い勢いで減っているように思う。年の所為もあるだろうし、煙草などの所為もあるだろう。うちのが去年辺りから執拗に禁煙を誘ってきている。自分ひとりでやめるのは嫌なので、私も道連れにしようとしているらしい。知らん。私にとって煙草は、減煙したい気持ちはあるものの少なくとも今は欠かせない物なのだ。行動や気分を切り替えるとき、長時間何かに取り組むとき、煙草なしというのは考えられない。減煙したいのは健康面への心配からではなく、経済面からの考えである。煙草をやめれば2ヶ月にひとつ、ドゥ・ラメールのクリームが買えるな、などとときに思う。その都度、今の私に必要なのは、美容への気遣いよりも精神安定への気遣いだと改心する。

 それにしてもここ数日、私の肌荒れは余りにも酷い。右頬の下方に大きなニキビがみっつもできており、触ると痛みはないが痒みがある。痒みは痛みを和らげた感覚であるので、治りかけている証拠だろう。私の肌は丈夫であり、滅多にかぶれたりしない。たまに小さなニキビができることはあるけれど、ここ迄大きなニキビが複数できたのは久々だ。原因を探る。洗顔過多による皮脂の取り過ぎ。あり得ない。洗顔が行き届いていない故の皮脂過多。これには私の肌は慣れているので違うがする。ホルモンの乱れによる肌荒れ。これはありそうだが、この悪化は普段の生理時期のものとは明らかに違う。洗髪不足による髪や枕の汚れ。これにも慣れており且つニキビの位置からして違う。最近変えた基礎化粧品を思い出す。アレか! 去年雑誌の付録についてきたシスレーのクリームのサンプルだ。1回では使いきれない量だったので、小さなプラ容器を用意して移し変え、数回使って長らく放置して、今年に入って思い出し、変色が気になったけれど使ってしまった。自分の肌の丈夫さを過信していた。今後は変色・変臭した物は使わないことにしよう。勿体無がりの性分が激しく裏目に出てしまった。未開封の各種サンプルはまだ大丈夫だろうか。どれも早めに使ってしまおう。などと考えているのは、今日、入浴したからである。スッキリサッパリ。スキンケアはいつもの物を一通り使用。ボディケアに久々にボディバターを使った。変臭していた気がする……が、体だから平気だろう。平気であって欲しい。きっと水分が蒸発して香りが強まっていただけに違いない。悪臭を放っていた訳ではなく、元の香りがやや強くなっていただけだから。懲りていないと思うのは、気のせいだ。もし肌が荒れたとしたら歳の所為。……それも嫌だな。体調不良の所為にしよう。尤も、荒れないのが一番であるが。

BGM/アルバム「WORLD GONE WRONG」

コメント