ダメダメ僻み厨
2003年12月17日 家族・メンヘル・健康など 体調が芳しくないと、心の調子も芳しくなくなってくる。筋肉痛が長引き、今も体中が痛い。そして昨日の夕方からいきなり凹みだした。何があったという訳でもないのに、猛烈に孤独感・閉塞感に襲われ、奈落のゴールへまっしぐら。2回睡眠を取っても切り替えられていないので、この凹みは長引きそうな悪寒。凹みの発端は、大切にされていない感である。昨日の夕方、うちのに送ったメールその1。以下、一部改定して引用。
筋肉痛+何があったと言うわけでもないが激しく陰鬱。
急に無性にうちのの下の姉さんの言葉が引っかかりだした。
「絶縁して一番つらいのは本人だから」
旦那さんにはそう思えても私には思えないのかなあ、
弟の嫁、しかも嫁候補なんざ所詮他人かよ……と。
「結婚は簡単なもんじゃない」
絶縁して一番つらいのは本人なんでしょ?
今回の場合、私でしょ?
ならもっと簡単にしてくれてもいいじゃない!ってね……。
皆に大切にされてるうちのが凄く羨ましいやら妬ましいやら。
嫌な感情だね。ごめん。でも書きたかったんだ。
気遣いクレクレの構って厨になりかかっている自覚あり。
洗濯物畳んで寝てます。。。
うちのからの返信。
まあ、あれだ。
ゴタゴタが続いているから、そういった責任抜きで
本当に一緒になりたいのかと俺に聞きたいんだと思うよ。
黒猫が一緒にいると本音が言いづらいとか、
そういった面に気を使ってのことで反対ではないと。
そこをきちんと説明すれば、あとは問題ないと俺は思ってる。
私からのメールその2。
慰め、ありがと。
反対されていないにしても「大事にされていない感」がちょっとね……。
まあ少なくとも今は他人様だし求めたって仕方がないことなんだけど。
余りにもうちのを大切にしてて私の事情や存在そのものが二の次になっている気が。
ごめんね。ひと寝入りしたけどまだ切り替えられていないや。
暫く引き摺っちゃうかも……。我ながら僻み厨でウザーです。。。
年末年始のうちのの実家への帰省がなくなったことでその場の重荷が消えはしたが、先を思いやられているのだ。私がいると本音が言い難い。私を他の間に置いておいても言い難い本音。もうこれは結婚への反対としか思えなくなってきた。うちのの身内の身近に、うつ病の人が数人いると言う。そしてその人々は話を聞く限り、重度のうつらしい。私もうつだと勘違いされており、周囲に重度のひとばかり→うつの症状は重度しかない→私もうつ病と勘違いされている→結婚反対。こんなチャート式思考に絡められてきてしまった。そしてうちのは身内にとても大切にしてもらえている。私にはもう大切にしてくれる身内はいない。身内がいた頃の大切にされ加減も歪んだ形だった。うちのが羨ましく妬ましく、悲しい。詮無いことを考えてしまっているのは解っている。解ってはいる。だがしかし。メールその1が最も正確な本音。何故、旦那さんにはそう思えて、同じ思いが私に適用されないのか。絶縁によって一番つらい思いをしているのが本人だと思っているなら、もっと気遣って欲しい。構ってチャンになってしまっている。陰鬱な気分に自己嫌悪が加わる。
昨日はうちのが早く帰ってきてくれた。うちのは、各種誤解は話せば解ける、と楽観視している。私は悲観視している。育った環境の違いだろうか。私の身内は話したからといって誤解が簡単に解ける人々ではなかったので。正直な話をした。年明けにうちのがひとりで帰省したとき、多分結婚反対を言い渡されるよ、と。そうしたらどうするの? と。うちのは育った環境により母親をとても大切にしている。≠マザコン。大切な母親に私との結婚を反対されたらどうするつもりなのか、きちんと聞いていなかったことも不安の一因になっていた。ので、率直に訊いた。泣きながら不安感と大切にされていない感のつらさについて話した。嬉しい答えが返ってきた。うちのに激しく感謝。でも私はうちのにだけでなく、うちのと同様にその身内にも大切にされたいのだ。私は自分の身内と絶縁したが、うちのの家族としてスムーズに歓迎されたかった。すんなりと新しい家族が欲しかった。現状、スムーズどころか歓迎されていない。その悲しさは消えていない。うちのは、それは誤解が解けてその先の話、と言っていた。それも一理ある。うちのの身内は、私の絶縁に伴う急展開についてこれていない。それならば、事態をそのまま受け止めて、絶縁して一番つらいのは本人だから、を私に当て嵌めて接して欲しかったという気持ちは残ってしまっている。メールにも書いたように、暫く引き摺りそうだ。今週の私は廃人だろう。人は皆、その人なりに一所懸命に生きていると思う。うちのも一所懸命。私も一所懸命。他者も一所懸命。それでも周囲からの大切にされ加減が、大切にされる方法に差異が生じるのは何故だ。私もうちののように皆に大切にされたい。諸行無常。
結婚は婚姻届1枚の提出とそれに伴う必要な諸手続、後は記念写真を撮るだけで済ませるつもりだったけれど、ここに来て皆に祝福されたい願望が沸いてきた。無宗教だけれども、ふたりだけで式を挙げて神からの祝福を得たいとか、友人連中を呼んで簡単なパーティーを開きたいとか。このパーティー、会費制で闇おむすび大会を希望。具に何が入っているか判らないようにして私が作る。なんでこんなところにネタを挟みたいのか……。いや、ネタ無しでも皆と会いたい気持ちが強いのだ。友人連中とは学校を卒業してからメールなどで連絡を取ったり、たまに個々に会ったりはしている。しかしなかなか皆で集まる機会というものが減ってきている。環境が違うのだから仕方がない。会おうと思っても仕事やら何やらで、友達付き合いが最優先事項になることは稀だ。ところが、冠婚葬祭は最優先事項となり易く、皆に集まってもらい易い。式や披露宴は諸々で無理だし、うちのも私も気恥ずかしさと金銭的事情により気乗りしていないものの、友人連中との気軽なパーティーならいいのではないかな、と前々から思っていた。よく身内だけで式や披露宴をする人がいる。私は昔からそれが嫌だった。身内の前で、この人としかもうセックスしません宣言、など恥ずかしくて居た堪れない。私にとって結婚式=この人としかセックスしません宣言なのである。歪んでいるのは承知。でも友人連中相手なら、しかも宣誓などがないならいいなあ、と。結婚しようとしまいと、身内がいようといまいと、基本的に人間はひとりだと思っている。身近な人間はその孤独感を薄めてくれる存在でしかないとも解っている。それでもこんな祝福されたい願望が強く沸いてきているのは、今の私が弱りきっているからだ。気持ちの切替がとことん下手。今後の課題のひとつだ。
BGM/アルバム「羅生門」
筋肉痛+何があったと言うわけでもないが激しく陰鬱。
急に無性にうちのの下の姉さんの言葉が引っかかりだした。
「絶縁して一番つらいのは本人だから」
旦那さんにはそう思えても私には思えないのかなあ、
弟の嫁、しかも嫁候補なんざ所詮他人かよ……と。
「結婚は簡単なもんじゃない」
絶縁して一番つらいのは本人なんでしょ?
今回の場合、私でしょ?
ならもっと簡単にしてくれてもいいじゃない!ってね……。
皆に大切にされてるうちのが凄く羨ましいやら妬ましいやら。
嫌な感情だね。ごめん。でも書きたかったんだ。
気遣いクレクレの構って厨になりかかっている自覚あり。
洗濯物畳んで寝てます。。。
うちのからの返信。
まあ、あれだ。
ゴタゴタが続いているから、そういった責任抜きで
本当に一緒になりたいのかと俺に聞きたいんだと思うよ。
黒猫が一緒にいると本音が言いづらいとか、
そういった面に気を使ってのことで反対ではないと。
そこをきちんと説明すれば、あとは問題ないと俺は思ってる。
私からのメールその2。
慰め、ありがと。
反対されていないにしても「大事にされていない感」がちょっとね……。
まあ少なくとも今は他人様だし求めたって仕方がないことなんだけど。
余りにもうちのを大切にしてて私の事情や存在そのものが二の次になっている気が。
ごめんね。ひと寝入りしたけどまだ切り替えられていないや。
暫く引き摺っちゃうかも……。我ながら僻み厨でウザーです。。。
年末年始のうちのの実家への帰省がなくなったことでその場の重荷が消えはしたが、先を思いやられているのだ。私がいると本音が言い難い。私を他の間に置いておいても言い難い本音。もうこれは結婚への反対としか思えなくなってきた。うちのの身内の身近に、うつ病の人が数人いると言う。そしてその人々は話を聞く限り、重度のうつらしい。私もうつだと勘違いされており、周囲に重度のひとばかり→うつの症状は重度しかない→私もうつ病と勘違いされている→結婚反対。こんなチャート式思考に絡められてきてしまった。そしてうちのは身内にとても大切にしてもらえている。私にはもう大切にしてくれる身内はいない。身内がいた頃の大切にされ加減も歪んだ形だった。うちのが羨ましく妬ましく、悲しい。詮無いことを考えてしまっているのは解っている。解ってはいる。だがしかし。メールその1が最も正確な本音。何故、旦那さんにはそう思えて、同じ思いが私に適用されないのか。絶縁によって一番つらい思いをしているのが本人だと思っているなら、もっと気遣って欲しい。構ってチャンになってしまっている。陰鬱な気分に自己嫌悪が加わる。
昨日はうちのが早く帰ってきてくれた。うちのは、各種誤解は話せば解ける、と楽観視している。私は悲観視している。育った環境の違いだろうか。私の身内は話したからといって誤解が簡単に解ける人々ではなかったので。正直な話をした。年明けにうちのがひとりで帰省したとき、多分結婚反対を言い渡されるよ、と。そうしたらどうするの? と。うちのは育った環境により母親をとても大切にしている。≠マザコン。大切な母親に私との結婚を反対されたらどうするつもりなのか、きちんと聞いていなかったことも不安の一因になっていた。ので、率直に訊いた。泣きながら不安感と大切にされていない感のつらさについて話した。嬉しい答えが返ってきた。うちのに激しく感謝。でも私はうちのにだけでなく、うちのと同様にその身内にも大切にされたいのだ。私は自分の身内と絶縁したが、うちのの家族としてスムーズに歓迎されたかった。すんなりと新しい家族が欲しかった。現状、スムーズどころか歓迎されていない。その悲しさは消えていない。うちのは、それは誤解が解けてその先の話、と言っていた。それも一理ある。うちのの身内は、私の絶縁に伴う急展開についてこれていない。それならば、事態をそのまま受け止めて、絶縁して一番つらいのは本人だから、を私に当て嵌めて接して欲しかったという気持ちは残ってしまっている。メールにも書いたように、暫く引き摺りそうだ。今週の私は廃人だろう。人は皆、その人なりに一所懸命に生きていると思う。うちのも一所懸命。私も一所懸命。他者も一所懸命。それでも周囲からの大切にされ加減が、大切にされる方法に差異が生じるのは何故だ。私もうちののように皆に大切にされたい。諸行無常。
結婚は婚姻届1枚の提出とそれに伴う必要な諸手続、後は記念写真を撮るだけで済ませるつもりだったけれど、ここに来て皆に祝福されたい願望が沸いてきた。無宗教だけれども、ふたりだけで式を挙げて神からの祝福を得たいとか、友人連中を呼んで簡単なパーティーを開きたいとか。このパーティー、会費制で闇おむすび大会を希望。具に何が入っているか判らないようにして私が作る。なんでこんなところにネタを挟みたいのか……。いや、ネタ無しでも皆と会いたい気持ちが強いのだ。友人連中とは学校を卒業してからメールなどで連絡を取ったり、たまに個々に会ったりはしている。しかしなかなか皆で集まる機会というものが減ってきている。環境が違うのだから仕方がない。会おうと思っても仕事やら何やらで、友達付き合いが最優先事項になることは稀だ。ところが、冠婚葬祭は最優先事項となり易く、皆に集まってもらい易い。式や披露宴は諸々で無理だし、うちのも私も気恥ずかしさと金銭的事情により気乗りしていないものの、友人連中との気軽なパーティーならいいのではないかな、と前々から思っていた。よく身内だけで式や披露宴をする人がいる。私は昔からそれが嫌だった。身内の前で、この人としかもうセックスしません宣言、など恥ずかしくて居た堪れない。私にとって結婚式=この人としかセックスしません宣言なのである。歪んでいるのは承知。でも友人連中相手なら、しかも宣誓などがないならいいなあ、と。結婚しようとしまいと、身内がいようといまいと、基本的に人間はひとりだと思っている。身近な人間はその孤独感を薄めてくれる存在でしかないとも解っている。それでもこんな祝福されたい願望が強く沸いてきているのは、今の私が弱りきっているからだ。気持ちの切替がとことん下手。今後の課題のひとつだ。
BGM/アルバム「羅生門」
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