さよならの向こう側
2003年12月7日 メイク・ファッション・ピアス 記憶に頼りその後現品チェックをしつつ、所持衣類リストを完成させてみたところ、おかしなことになっていた。あった筈のヴィヴィアンのオレンジ色カットソーがない。オゾンの黄緑色カーディガンがない。いつ捨てたのか記憶にないのだが、なくなっている服の色の傾向からして、自分がブルーベースだと知ったときに処分したのだろう。昨日今日とで、200枚程の服を捨てた。悲しい。悲しい。布地に鋏を入れるとき、我が身を切られるかのように痛かった。さよなら、マント。さよなら、モンペ。心を痛めながら処分し、残った衣類はどうにか収納スペースに納まってはいるものの、未だ無理矢理詰め込んでいる状態である。今月を衣類使い捨て月間とすることで、どうにか出し入れし易くなるくらいまで減らすのが目標である。残った衣類は約350枚。今月中に300枚迄減らしたく思う。今日は本気で、もう暫く服を買わない、と決めた。余り着ていないのに色褪せてしまった服に鋏を入れるとき、物凄くつらかったからだ。こんなにつらい思いをしなければならないならば、もう今ある物がダメになる迄いらない。そう思った。今ある服を丁寧に沢山着よう、と考えてネットオークションのウォッチリストに入れていた物を全て削った。当分は覗かない。予定ではなく、決定である。
予想以上に所持衣類は多かった。今迄は漠然と多いなあ、と思っていただけだったが、実際に数えてみると550枚以上あった訳だ。単純計算で、365日洗濯の必要がない枚数である。ひとり分でこの数字は異常だ。昔自分が立てたスレッドの過去ログを読み返してみた。こんな数字を弾き出していた人はいなかった。そしてリストを作ってみて、世の多くの女性が呟くアレは嘘だ、と心から思った。私もよく言っていた言葉である。季節の変わり目に所持衣類の山を目にしながら、着る服がない。ない訳がない。流行に乗らない性質なので余裕で去年・一昨年の服が着られる。状態さえ良ければもっと前の物だって着られる。リストを作っていて実感した。かつてあれ程好きだったピンクハウスやパウダーの服は1着も残っておらず、定番もどきの服が多くなっていた。ピンクハウスやパウダーは、色柄によってこれはいついつのシリーズと、同趣向者の目には一目瞭然になる。ヒスやオゾンもその傾向はあるが、ピンクハウスなどに比べれば合わせられる服の幅も広く且つそのブランドのマニア的存在以外にも着られている服なので、さほど気にならない。因って着回し易い。ナショナルスタンダードやi.s、A.P.Cなどの無地物ともなると本当に融通が利く。いつだって手元に着る服はあるのだ。
リスト作成のアドバイスをくれた友人に、まだ途中段階ではあったが、できたところ迄の私のリストを送り意見を聞いた。猫とさくらんぼプリントが多いのでは? と言われた。ふむ。ツイードがなんでこんなにあるんだ? とも言われた。ふむ。お説ご尤も。けれどどれも微妙ながらに違うのだ……。頭では解っている。引き篭もり傾向の似非主婦に必要なボトムは、デニムのパンツとスカートがそれぞれ1枚ずつあれば事足りる。極論すれば他は全て、余計、と言えてしまう。ずらーっと並んだリストを見た友人は、まずブランド毎ではなくアイテム毎に並べ替えた方がいいのでは? と言っていた。作り始めが記憶頼りだったので、ブランド毎になってしまった旨を伝え、一通りの書き出しを終えたら色毎・アイテム毎のリストも作る予定だと伝えた。取り敢えず無理矢理ながらも収納できる程度には減らせたので、色毎・アイテム毎のリストは、今回作らないだろう。作らないが、リストを眺めていると所持衣類の偏りが見えてきた。ボルドーとピンクがとても多い。今年意図的に増やしたグレーも目立った。花柄も多数。チェックが思いの他多かったのが意外だった。無地はグレーと同じく今年意図的に増やした分には、それほど色の偏りはなかった。が、グレーにしても無地にしても増やさなくても良かったのではないか? という疑念が湧いた。増やした分、ヴィヴィアンやオゾンの服が消えていたときなどに減らした筈であり、まあ似合わせ難い色が減るのはいいのだが、それを着回す方法を考えた方が金銭的に合理的だったのではないか、と。きっと気のせいだろう。考えると精神衛生上よろしくなさそうなので、気にしない。
今回の衣類整理で学んだこと。鋏を必ず入れるべし。以前もオークション出品用などと謳って衣類を選り分け、出品用の物はデッドスペースに置いていた。これは余り効果がなかった。まず出品するのが面倒である。そして出品して売れた物はいいものの、残った物を1度着てから捨てようと考えていても、着てみるとまた愛着が湧いてしまったり、良い着回し方法が思い浮かんだりして一向に減らない。下手すると、これとこれを重ねて……あれを合わせたら可愛いかも! というような本末転倒な思い付きで、あれ、を買ってしまったりする。もういいや、と思ったら迷わず鋏。切ってしまえば、修繕名人でない私は諦めを付け易くなった。靴も減らす必要があり、よくよく検品してみたところ黴っぽくなっていた革靴や、ボアの禿げが発生していた靴があったので捨てた。30足以上ある靴の中でまだ履いたことがない物は、今月履いてみて歩き難ければ思い切り良く捨ててしまおう。衣類を処分したい者にとって、オークションやフリーマーケットは罠である。出品・出店迄に間が空いてしまうからであり、売れ残ることもあるからであり、上記のようなことになってしまう。思い立ったらすぐに動くべし。鋏を入れるべし。年末になると、今年を漢字一文字で表すと? というような話が出てくる。私にとって今年の一文字は、断。親との絶縁。衣類への思い入れとの決別。全てに決断が付き纏った。何とも嫌な年だった。来年は、祝、縁、慶などの漢字で表現できる年になればいいのだが、年末年始のうちのの実家への帰省が既に厄介事と成り下がっている今、不安は強い。負の力を断つことが今年の締めとなることを祈るばかりだ。
タイトルは愛しの君が或る決断・決別をしたときに詩を書いたと言われる曲から。
予想以上に所持衣類は多かった。今迄は漠然と多いなあ、と思っていただけだったが、実際に数えてみると550枚以上あった訳だ。単純計算で、365日洗濯の必要がない枚数である。ひとり分でこの数字は異常だ。昔自分が立てたスレッドの過去ログを読み返してみた。こんな数字を弾き出していた人はいなかった。そしてリストを作ってみて、世の多くの女性が呟くアレは嘘だ、と心から思った。私もよく言っていた言葉である。季節の変わり目に所持衣類の山を目にしながら、着る服がない。ない訳がない。流行に乗らない性質なので余裕で去年・一昨年の服が着られる。状態さえ良ければもっと前の物だって着られる。リストを作っていて実感した。かつてあれ程好きだったピンクハウスやパウダーの服は1着も残っておらず、定番もどきの服が多くなっていた。ピンクハウスやパウダーは、色柄によってこれはいついつのシリーズと、同趣向者の目には一目瞭然になる。ヒスやオゾンもその傾向はあるが、ピンクハウスなどに比べれば合わせられる服の幅も広く且つそのブランドのマニア的存在以外にも着られている服なので、さほど気にならない。因って着回し易い。ナショナルスタンダードやi.s、A.P.Cなどの無地物ともなると本当に融通が利く。いつだって手元に着る服はあるのだ。
リスト作成のアドバイスをくれた友人に、まだ途中段階ではあったが、できたところ迄の私のリストを送り意見を聞いた。猫とさくらんぼプリントが多いのでは? と言われた。ふむ。ツイードがなんでこんなにあるんだ? とも言われた。ふむ。お説ご尤も。けれどどれも微妙ながらに違うのだ……。頭では解っている。引き篭もり傾向の似非主婦に必要なボトムは、デニムのパンツとスカートがそれぞれ1枚ずつあれば事足りる。極論すれば他は全て、余計、と言えてしまう。ずらーっと並んだリストを見た友人は、まずブランド毎ではなくアイテム毎に並べ替えた方がいいのでは? と言っていた。作り始めが記憶頼りだったので、ブランド毎になってしまった旨を伝え、一通りの書き出しを終えたら色毎・アイテム毎のリストも作る予定だと伝えた。取り敢えず無理矢理ながらも収納できる程度には減らせたので、色毎・アイテム毎のリストは、今回作らないだろう。作らないが、リストを眺めていると所持衣類の偏りが見えてきた。ボルドーとピンクがとても多い。今年意図的に増やしたグレーも目立った。花柄も多数。チェックが思いの他多かったのが意外だった。無地はグレーと同じく今年意図的に増やした分には、それほど色の偏りはなかった。が、グレーにしても無地にしても増やさなくても良かったのではないか? という疑念が湧いた。増やした分、ヴィヴィアンやオゾンの服が消えていたときなどに減らした筈であり、まあ似合わせ難い色が減るのはいいのだが、それを着回す方法を考えた方が金銭的に合理的だったのではないか、と。きっと気のせいだろう。考えると精神衛生上よろしくなさそうなので、気にしない。
今回の衣類整理で学んだこと。鋏を必ず入れるべし。以前もオークション出品用などと謳って衣類を選り分け、出品用の物はデッドスペースに置いていた。これは余り効果がなかった。まず出品するのが面倒である。そして出品して売れた物はいいものの、残った物を1度着てから捨てようと考えていても、着てみるとまた愛着が湧いてしまったり、良い着回し方法が思い浮かんだりして一向に減らない。下手すると、これとこれを重ねて……あれを合わせたら可愛いかも! というような本末転倒な思い付きで、あれ、を買ってしまったりする。もういいや、と思ったら迷わず鋏。切ってしまえば、修繕名人でない私は諦めを付け易くなった。靴も減らす必要があり、よくよく検品してみたところ黴っぽくなっていた革靴や、ボアの禿げが発生していた靴があったので捨てた。30足以上ある靴の中でまだ履いたことがない物は、今月履いてみて歩き難ければ思い切り良く捨ててしまおう。衣類を処分したい者にとって、オークションやフリーマーケットは罠である。出品・出店迄に間が空いてしまうからであり、売れ残ることもあるからであり、上記のようなことになってしまう。思い立ったらすぐに動くべし。鋏を入れるべし。年末になると、今年を漢字一文字で表すと? というような話が出てくる。私にとって今年の一文字は、断。親との絶縁。衣類への思い入れとの決別。全てに決断が付き纏った。何とも嫌な年だった。来年は、祝、縁、慶などの漢字で表現できる年になればいいのだが、年末年始のうちのの実家への帰省が既に厄介事と成り下がっている今、不安は強い。負の力を断つことが今年の締めとなることを祈るばかりだ。
タイトルは愛しの君が或る決断・決別をしたときに詩を書いたと言われる曲から。
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