現在、12月3日深夜。
今日は、平成元年である。世間では今日は平成15年12月3日だが、日本で数百人のみ、今日は平成元年なのだ。私は今日が平成元年なひとりである。と書いていて、まるでアレな人のようだ、と思えてきたので解説を加える。都内某所で愛しの君の相方が平成元年時の衣装を、10年以上の時を経て身に纏いライヴを行うのだ。題して、一夜限りの平成元年。サブタイトルも付いているが、それは敢えて伏せる。解る人だけニヤリとしてくれれば嬉しいとが、果たしているのか? いろいろあって手放しとはいかないけれど、やはりライヴを観に行くのは久々なので大変に楽しみだ。愛しの君の相方の衣装は判っている。問題は愛しの君とドラマーの衣装だ。愛しの君はタイトルに沿って平成元年時の衣装を着る可能性が高いと思うのだが、一体ドラマーはどうするつもりなのだろう。このバンドはギターとベースはずっと変わらないが、ドラマーは数人替わっている。当時のドラマーが今夜のみ復活するとは思い難いので今のドラマーだとは思う。しかし何を着るのだろう。そう思うと、ドラマーを浮かせない為にも愛しの君は平成元年時の恰好をしないかも知れず、困っている。ステージ上のメンバーがどんな恰好をしようと、通常観客が困る必要は無いのに困っている。というのも、私はライヴの開始前にトイレで着替えをして、平成元年時の愛しの君に似た格好をしようかと考えていたのだ。コスプレイヤーではないので、誤解なきよう。
曲目も見当を付けづらい。タイトル通りに平成元年時のセットリストを元に演奏すると予測していたのだが、そうなるとまたドラマーが引っかかってくる。ドラマーが作った曲が入らなくなるのだ。そうでなくとも前回のライヴでドラマーの曲が無く、しかもライヴ終了時にベーシストがするメンバー紹介も待たずに裾に戻ったので、一部でギター・ベースvsドラムの不仲説が出てきているのだ。そんな不仲説が巷で囁かれる中で決行される、現ドラマー不在時の年を謳ったこのライヴ。本来の期待以外にも興味深く、意味深な雰囲気を感じさせられている。他のファンがどう思っているかは知らぬ存ぜぬ。他のファンについて、最近はなるべく考えないようにしている。ファンサイトも殆ど覗かなくなった。見るのはオフィシャルと某巨大掲示板のスレばかりである。愛しの君の表現も来年からは変える予定でいる。熱が冷めてきた訳ではない。それもこれも、コア寄りの出戻りファンからライトなファンへの転身を図ろうと思っているからだ。理由は、以前にも書いたようにコアなファンの中にはアレな人もいて朱に交わりたくないということと、来年は恐らく似非主婦から本業主婦に肩書きが変わるであろうから。旦那がいるのに他の男を愛しの君呼ばわりするのは、幾ら私でも気が引ける。旦那ではなく彼氏でも気を引かせろよ、という意見は却下。書類等がどうなっているかは判らないが実質的に実家と絶縁状態にある今の私にとって、あの紙切れ1枚の威力は大きい。女性は押しなべて売春婦。不能だけど。肩書きが変わっても中身は病人のまま変わらないけど。
今日の日記のタイトルに、平成元年、と付けなかったのは愛しの君がいるバンド以外にも話を繋げたかったからだ。愛しの君がいるバンドがデビューした少し後から聴き始め、今は離れてしまっているバンドが多々ある。そのバンドのひとつは今年ニュー・アルバムを1枚出したものの、それ迄は長らく活動停止同然の状態だった。今年のアルバムは聴いていない。評判がイマイチのようなので、機会があれば聴くか、というスタンスである。そのバンドが今度、DVDを出すという。そのタイトルにも続く言葉は違うが、一夜限りの、と付いているのだ。日本の音楽シーン全体が80年代懐古趣味になってきているようで嬉しいとは、流石に2バンドだけを取り上げて言うことはできまいが、自分の好きなバンドがそのようなことをしてくれるのは楽しい。こちらのバンドの一夜限り。矛盾を感じるのは私だけだろうか。一夜のライヴを収めた内容故のこのタイトルかもしれない。けれど、所有・保管のできるDVDという物に、一夜限りというのに違和感を覚える。愛しの君らの方はライヴなのですんなりと入ってきたが、個人的感想として、DVDでこのタイトルは如何なものかと思ってしまう。おまけにどうも私のお気に入りの曲が入っていないらしい。今年のアルバムの評判もイマイチ。因ってこのDVD、買わ……ないだろう。
上に80年代と書いた。80年代は私が陰気な熱を持って青春を謳歌した時代だ。少し前に某雑誌の某インタビューで、80年代は何も残さなかった時代、と言われているらしいことを知った。自分の青春時代をそのように評されて、いい気がする者は少ないのではなかろうか。私はやや嫌な気分になった。同様の感想を持った某劇団主宰者が、その想いを映画にした。その映画は年末公開される。某劇団主宰者はその当時、劇団と並行してバンド活動その他諸々をしていた人物だ。閑話休題。もしかしたら過去の日記に於いて、既に映画のタイトルと監督名を出しているかもしれない。確認するのが面倒なので気にしないで伏せたまま話を進める。某劇団主宰者は私に多大な影響を与えた、と今は思う。愛しの君らのバンドの全盛期と某劇団主宰者が音楽シーンにいた時期が被っており、私は当初両方を聴いていたのに、いつの間にか愛しの君らのバンドを離れて某劇団主宰者寄りのバンドを多く聴くようになっていたのだ。80年代、私の記憶の中で音楽シーンは二極化されている。片方が愛しの君らのバンドがデビューしたきっかけになったアレ。もう片方が某劇団主宰者が主宰していたインディーズのアレ。と書けば冒頭同様に、解る人だけ(以下略
ふと時計を見たら現在4時である。明日に備えて早寝しなければならないのに余談。以前友人に、この日記の1日分を書くのにどのくらいの時間がかかっているかを訊かれた。毎回2500〜3000wで1時間程度である。タイピングのスピードは他者よりもやや速めといったところか。検定を受けてはいないが、タイピストとして暫く仕事をしていた時期があり且つかな入力。PCを使い始めて5年以上経ち、これで他者よりも遅いのは恥ずかしい。ので昔、何種かのタイピング・ソフトやフラッシュで速度を測ろうとしたことがある。ダメ。ソフトは当時使っていたノートのキーの反応が悪く測定不能。お気に入りのフラッシュはローマ字入力専用。余談の上に話が逸れるとは、かなりテンションが上がっているということか。ここ数日、毎日うちのに、テンションが高い、と言われているのでそうなのだろう。パキ服用当初の躁転に、今の状態は似ている気がする。ライヴではバンド・メンバーも観客も体力勝負。それと月曜に体調不良で夕飯を作れなかったことのうちのへのお詫びと、体調不良を改善する為をひっくるめて、豪華なのにあっさりという夕食を作った。月曜からの体調不良の原因は見当が付いている。日曜の夜に久々に豪華なものを食したからだ。このテンションが明日のライヴで吉と出るか凶と出るか、豪華とあっさりを両立させた食事でどちらの効果が大きいか、楽しみやら怖いやら。
今日は、平成元年である。世間では今日は平成15年12月3日だが、日本で数百人のみ、今日は平成元年なのだ。私は今日が平成元年なひとりである。と書いていて、まるでアレな人のようだ、と思えてきたので解説を加える。都内某所で愛しの君の相方が平成元年時の衣装を、10年以上の時を経て身に纏いライヴを行うのだ。題して、一夜限りの平成元年。サブタイトルも付いているが、それは敢えて伏せる。解る人だけニヤリとしてくれれば嬉しいとが、果たしているのか? いろいろあって手放しとはいかないけれど、やはりライヴを観に行くのは久々なので大変に楽しみだ。愛しの君の相方の衣装は判っている。問題は愛しの君とドラマーの衣装だ。愛しの君はタイトルに沿って平成元年時の衣装を着る可能性が高いと思うのだが、一体ドラマーはどうするつもりなのだろう。このバンドはギターとベースはずっと変わらないが、ドラマーは数人替わっている。当時のドラマーが今夜のみ復活するとは思い難いので今のドラマーだとは思う。しかし何を着るのだろう。そう思うと、ドラマーを浮かせない為にも愛しの君は平成元年時の恰好をしないかも知れず、困っている。ステージ上のメンバーがどんな恰好をしようと、通常観客が困る必要は無いのに困っている。というのも、私はライヴの開始前にトイレで着替えをして、平成元年時の愛しの君に似た格好をしようかと考えていたのだ。コスプレイヤーではないので、誤解なきよう。
曲目も見当を付けづらい。タイトル通りに平成元年時のセットリストを元に演奏すると予測していたのだが、そうなるとまたドラマーが引っかかってくる。ドラマーが作った曲が入らなくなるのだ。そうでなくとも前回のライヴでドラマーの曲が無く、しかもライヴ終了時にベーシストがするメンバー紹介も待たずに裾に戻ったので、一部でギター・ベースvsドラムの不仲説が出てきているのだ。そんな不仲説が巷で囁かれる中で決行される、現ドラマー不在時の年を謳ったこのライヴ。本来の期待以外にも興味深く、意味深な雰囲気を感じさせられている。他のファンがどう思っているかは知らぬ存ぜぬ。他のファンについて、最近はなるべく考えないようにしている。ファンサイトも殆ど覗かなくなった。見るのはオフィシャルと某巨大掲示板のスレばかりである。愛しの君の表現も来年からは変える予定でいる。熱が冷めてきた訳ではない。それもこれも、コア寄りの出戻りファンからライトなファンへの転身を図ろうと思っているからだ。理由は、以前にも書いたようにコアなファンの中にはアレな人もいて朱に交わりたくないということと、来年は恐らく似非主婦から本業主婦に肩書きが変わるであろうから。旦那がいるのに他の男を愛しの君呼ばわりするのは、幾ら私でも気が引ける。旦那ではなく彼氏でも気を引かせろよ、という意見は却下。書類等がどうなっているかは判らないが実質的に実家と絶縁状態にある今の私にとって、あの紙切れ1枚の威力は大きい。女性は押しなべて売春婦。不能だけど。肩書きが変わっても中身は病人のまま変わらないけど。
今日の日記のタイトルに、平成元年、と付けなかったのは愛しの君がいるバンド以外にも話を繋げたかったからだ。愛しの君がいるバンドがデビューした少し後から聴き始め、今は離れてしまっているバンドが多々ある。そのバンドのひとつは今年ニュー・アルバムを1枚出したものの、それ迄は長らく活動停止同然の状態だった。今年のアルバムは聴いていない。評判がイマイチのようなので、機会があれば聴くか、というスタンスである。そのバンドが今度、DVDを出すという。そのタイトルにも続く言葉は違うが、一夜限りの、と付いているのだ。日本の音楽シーン全体が80年代懐古趣味になってきているようで嬉しいとは、流石に2バンドだけを取り上げて言うことはできまいが、自分の好きなバンドがそのようなことをしてくれるのは楽しい。こちらのバンドの一夜限り。矛盾を感じるのは私だけだろうか。一夜のライヴを収めた内容故のこのタイトルかもしれない。けれど、所有・保管のできるDVDという物に、一夜限りというのに違和感を覚える。愛しの君らの方はライヴなのですんなりと入ってきたが、個人的感想として、DVDでこのタイトルは如何なものかと思ってしまう。おまけにどうも私のお気に入りの曲が入っていないらしい。今年のアルバムの評判もイマイチ。因ってこのDVD、買わ……ないだろう。
上に80年代と書いた。80年代は私が陰気な熱を持って青春を謳歌した時代だ。少し前に某雑誌の某インタビューで、80年代は何も残さなかった時代、と言われているらしいことを知った。自分の青春時代をそのように評されて、いい気がする者は少ないのではなかろうか。私はやや嫌な気分になった。同様の感想を持った某劇団主宰者が、その想いを映画にした。その映画は年末公開される。某劇団主宰者はその当時、劇団と並行してバンド活動その他諸々をしていた人物だ。閑話休題。もしかしたら過去の日記に於いて、既に映画のタイトルと監督名を出しているかもしれない。確認するのが面倒なので気にしないで伏せたまま話を進める。某劇団主宰者は私に多大な影響を与えた、と今は思う。愛しの君らのバンドの全盛期と某劇団主宰者が音楽シーンにいた時期が被っており、私は当初両方を聴いていたのに、いつの間にか愛しの君らのバンドを離れて某劇団主宰者寄りのバンドを多く聴くようになっていたのだ。80年代、私の記憶の中で音楽シーンは二極化されている。片方が愛しの君らのバンドがデビューしたきっかけになったアレ。もう片方が某劇団主宰者が主宰していたインディーズのアレ。と書けば冒頭同様に、解る人だけ(以下略
ふと時計を見たら現在4時である。明日に備えて早寝しなければならないのに余談。以前友人に、この日記の1日分を書くのにどのくらいの時間がかかっているかを訊かれた。毎回2500〜3000wで1時間程度である。タイピングのスピードは他者よりもやや速めといったところか。検定を受けてはいないが、タイピストとして暫く仕事をしていた時期があり且つかな入力。PCを使い始めて5年以上経ち、これで他者よりも遅いのは恥ずかしい。ので昔、何種かのタイピング・ソフトやフラッシュで速度を測ろうとしたことがある。ダメ。ソフトは当時使っていたノートのキーの反応が悪く測定不能。お気に入りのフラッシュはローマ字入力専用。余談の上に話が逸れるとは、かなりテンションが上がっているということか。ここ数日、毎日うちのに、テンションが高い、と言われているのでそうなのだろう。パキ服用当初の躁転に、今の状態は似ている気がする。ライヴではバンド・メンバーも観客も体力勝負。それと月曜に体調不良で夕飯を作れなかったことのうちのへのお詫びと、体調不良を改善する為をひっくるめて、豪華なのにあっさりという夕食を作った。月曜からの体調不良の原因は見当が付いている。日曜の夜に久々に豪華なものを食したからだ。このテンションが明日のライヴで吉と出るか凶と出るか、豪華とあっさりを両立させた食事でどちらの効果が大きいか、楽しみやら怖いやら。
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