欲目
2003年11月29日 家族・メンヘル・健康など 12月1日記。
昨日、うちのの親からうちのの携帯に電話があった。あちらの親もうちのと私の結婚に反対らしい。理由は私のPDや諸事情が確実に治るとは限らないものだし、そういう病気を抱えた人と一緒になるのは如何なものか、と。そして私がコスメオタクなことや麻雀好きだということで、金遣いも荒そうだし、と。年末年始にうちのの実家に帰省する為のチケットを既にふたり分確保してあるのだが、うちのの親としては私抜きで、うちのだけに帰ってきて欲しかったらしい。よく解らん。当人同士で合意してから、親に結婚したいという報告をするものだと、私は思う。ということは、自分の娘なり息子は選んだ相手に完全ではなくとも、まあ満足をしているということだろう。ならば子供の意思を尊重した上で、我が子が選んだ相手をよく知る為にも、その相手といろいろ話した方がいいと思うのだが、どうも世間の慣わしというのは違っているらしい。もっと言えば、きっとふたりで帰省しても、私は基本的に招かざる客故に蚊帳の外に置かれて話は進められるだろう。うちのが私のPDや諸事情について、言い方は悪いが上手く親御さんを言いくるめられるかどうか不安でもある。最早、納得させるとか理解させるとかの話ではなく、言いくるめる、という話になってきている。帰省迄の間に私がもっといろいろ調べて上手く説明させられるよう、うちのに教えていくことがたくさんある。試練だ。
私の親もうちのの過去が発覚して以来、うちのとの交際・結婚を猛反対して絶縁を突きつけてきた。うちのの親は絶縁迄は言い出さないとは思うが、難色を示している。これはどういうことか。自分の子供には、もっと相応しい交際乃至結婚相手が他にいると思っているからだと予測できる。正に親の欲目というものだ。うちのと私との間では、過去の過ちを背負った者と病気を抱えた者とで、まあいいバランスでないの? と相互理解できている。友人連中もこれに同意見である。しかし、私の親は私の病気を棚に上げ、うちのの親は過去の過ちを棚に上げ、この相手は如何なものか、と思っているようだ。結婚しようとしている当人たち以上に、親は客観性をなくしているように見える。言いくるめが成功したところで、うちのの親が結婚にOKを出すときは、まあ渋々であるだろう。うちのが望んでいた、せめて自分の家族くらいには祝福されて結婚されたい、は難しくなってきた。それでも帰省中に親との話が余りに拗れたら、実家を出て宿を取ってふたりで過ごそうと言ってくれたのは嬉しかった。うちのは親よりも私を優先してくれようとしている……と思っていいということだと、私は解釈している。うちのは昨日、帰省をやめてどこか違うところに旅行にでも行くか、と言い出した。うちのも親と話すのが億劫に思えてきているのだろう。私とて招かれざる客となっている現状に於いて、積極的にうちのの実家に行きたいとは既に思えていない。いや、行きたくない。けれどここでふたりで親との対峙から逃げたら状況悪化は明白なので、耐えねばならない。帰省の予定は4泊5日。こうなることが予測できていたから私は飛行機のチケットを取る際に、2泊3日でいいよ、と言っていたのに、うちのが高い交通費を出して折角帰るのだから少しでも長くいよう、と提案してきて私が折れた。言わんこっちゃない。しかも今は予測通りに私はなるべくなら来て欲しくない客となっている。肩身が狭い。しかもその間、明るく元気な嫁候補として振舞わなければならない。苦痛。途中で発作を起こしたりしたら、うちのの親の結婚反対度数は一気に上昇するだろう。けれど、発作はいきなりやってくる。コントロールできないものなので非常に怖い。また私は子供が苦手である。うちのの姉ふたりは既婚であり、小さな子供もいる。前回の年末年始に一緒にうちのの実家に行ったときも、私はつらかった。そのときは歓迎される客だったのだが、とにかく子供が苦手故に朝っぱらから夜遅く迄、一日中子供の騒ぐ声や泣き声が家に響いているのが嫌でならなかった。子供の大声は私が最も苦手なもののひとつである。PDとなった今、それに予期不安や発作が喚起されないとも限らない。むしろ発作を起こしてしまいそうだ。それでも発作を起こして倒れるのは禁忌。一体どうしろと!
また金遣いについては、うちのは私のパチなどによる使い込みは隠してくれるらしい。感謝。後はコスメや麻雀が、趣味の範囲、であることへの理解を得られれば、このうちのの親の持つ不安のひとつは解消されそうだが、コスメや博打への解釈は人によって大きく違うのが難関である。まずコスメ。私にとってコスメやメイクは趣味である。けれども世の女性の全てがそれらを楽しみとしている訳ではなく、人によっては、化粧は女性が人に会ったりする際の身嗜みと世で言われているので仕方なくしている、という人もいる。このタイプの人に限定品を予約したり行列に並んで購入するコスメフリークの楽しさを説明するのは難しい。また博打。これはそれなりに博打に精通している者にとっては博打の種類によって相手の嗜好が判るものだが、博打を打たない者の脳内では、麻雀もパチも手本引きも一緒くたになっている。これも金儲け博打とロマンを伴う博打の区別を解説するのは難しい。因みに私はロマンのない博打は嫌いなのだが。それはともかく、コスメにしても麻雀にしても、私にとっては趣味である。特に麻雀に於いては今年は一度もフリー雀荘に足を運ばず、ネット東風荘で妥協している状態だ。同じ物事であっても価値観が大きく違う相手に、自分の価値観を説明するのは難儀である。しかも今回は私自身が説明するのではなく、うちのが説明することになるだろう。イコール。うちのが私のコスメ及び麻雀が趣味であり、金遣い云々は関係ないということをきちんと説明してくれなければならず、うちのは当然コスメには興味はなく、麻雀も家族麻雀を嗜む程度である故に、私の趣味としてのそれらへの係わり方を熟知してくれているかどうか不安が残る。うちのが親に説明する際の病気・趣味それぞれのテンプレートを作成した方がいいかもしれない。
昨日のうちのの親とうちのの会話の中で、同情で結婚しても幸せにはなれないよ、と言われたらしい。非常に激しく遺憾である。うちのの親は私が自分の親と絶縁したことを引き合いに出してそのようなことを述べたのであろうが、私自身にとっては親との絶縁による不都合は少なくとも今のところは皆無だし、却って精神的に安定している。親と絶縁したからといって、同情に値する可哀相な子と見られるのは、激しく不本意である。いない方がいい親も存在している、ということはなかなか理解してもらいにくい事案である。しかも私の親のトンデモ振りは目の当たりにしなければ納得もしづらかろう。それでも。うちの・私共に、私の親はいない方がいい親と認識されている。うちのが、絶縁のきっかけになったことへの罪悪感は持っているかもしれないが同情はされていない。そして私たちはお互いの背負っている物を承知の上で、割れ鍋に綴じ蓋だしというような妥協を抜きに結婚を考えるに至ったのだ。互いの親をこんな風には言いたくないが、おまいらはすっこんでろ! という気持ちが強い。結婚は家と家との物という悪しき日本の風習は、さっさと消え失せてもらいたい。
昨日、うちのの親からうちのの携帯に電話があった。あちらの親もうちのと私の結婚に反対らしい。理由は私のPDや諸事情が確実に治るとは限らないものだし、そういう病気を抱えた人と一緒になるのは如何なものか、と。そして私がコスメオタクなことや麻雀好きだということで、金遣いも荒そうだし、と。年末年始にうちのの実家に帰省する為のチケットを既にふたり分確保してあるのだが、うちのの親としては私抜きで、うちのだけに帰ってきて欲しかったらしい。よく解らん。当人同士で合意してから、親に結婚したいという報告をするものだと、私は思う。ということは、自分の娘なり息子は選んだ相手に完全ではなくとも、まあ満足をしているということだろう。ならば子供の意思を尊重した上で、我が子が選んだ相手をよく知る為にも、その相手といろいろ話した方がいいと思うのだが、どうも世間の慣わしというのは違っているらしい。もっと言えば、きっとふたりで帰省しても、私は基本的に招かざる客故に蚊帳の外に置かれて話は進められるだろう。うちのが私のPDや諸事情について、言い方は悪いが上手く親御さんを言いくるめられるかどうか不安でもある。最早、納得させるとか理解させるとかの話ではなく、言いくるめる、という話になってきている。帰省迄の間に私がもっといろいろ調べて上手く説明させられるよう、うちのに教えていくことがたくさんある。試練だ。
私の親もうちのの過去が発覚して以来、うちのとの交際・結婚を猛反対して絶縁を突きつけてきた。うちのの親は絶縁迄は言い出さないとは思うが、難色を示している。これはどういうことか。自分の子供には、もっと相応しい交際乃至結婚相手が他にいると思っているからだと予測できる。正に親の欲目というものだ。うちのと私との間では、過去の過ちを背負った者と病気を抱えた者とで、まあいいバランスでないの? と相互理解できている。友人連中もこれに同意見である。しかし、私の親は私の病気を棚に上げ、うちのの親は過去の過ちを棚に上げ、この相手は如何なものか、と思っているようだ。結婚しようとしている当人たち以上に、親は客観性をなくしているように見える。言いくるめが成功したところで、うちのの親が結婚にOKを出すときは、まあ渋々であるだろう。うちのが望んでいた、せめて自分の家族くらいには祝福されて結婚されたい、は難しくなってきた。それでも帰省中に親との話が余りに拗れたら、実家を出て宿を取ってふたりで過ごそうと言ってくれたのは嬉しかった。うちのは親よりも私を優先してくれようとしている……と思っていいということだと、私は解釈している。うちのは昨日、帰省をやめてどこか違うところに旅行にでも行くか、と言い出した。うちのも親と話すのが億劫に思えてきているのだろう。私とて招かれざる客となっている現状に於いて、積極的にうちのの実家に行きたいとは既に思えていない。いや、行きたくない。けれどここでふたりで親との対峙から逃げたら状況悪化は明白なので、耐えねばならない。帰省の予定は4泊5日。こうなることが予測できていたから私は飛行機のチケットを取る際に、2泊3日でいいよ、と言っていたのに、うちのが高い交通費を出して折角帰るのだから少しでも長くいよう、と提案してきて私が折れた。言わんこっちゃない。しかも今は予測通りに私はなるべくなら来て欲しくない客となっている。肩身が狭い。しかもその間、明るく元気な嫁候補として振舞わなければならない。苦痛。途中で発作を起こしたりしたら、うちのの親の結婚反対度数は一気に上昇するだろう。けれど、発作はいきなりやってくる。コントロールできないものなので非常に怖い。また私は子供が苦手である。うちのの姉ふたりは既婚であり、小さな子供もいる。前回の年末年始に一緒にうちのの実家に行ったときも、私はつらかった。そのときは歓迎される客だったのだが、とにかく子供が苦手故に朝っぱらから夜遅く迄、一日中子供の騒ぐ声や泣き声が家に響いているのが嫌でならなかった。子供の大声は私が最も苦手なもののひとつである。PDとなった今、それに予期不安や発作が喚起されないとも限らない。むしろ発作を起こしてしまいそうだ。それでも発作を起こして倒れるのは禁忌。一体どうしろと!
また金遣いについては、うちのは私のパチなどによる使い込みは隠してくれるらしい。感謝。後はコスメや麻雀が、趣味の範囲、であることへの理解を得られれば、このうちのの親の持つ不安のひとつは解消されそうだが、コスメや博打への解釈は人によって大きく違うのが難関である。まずコスメ。私にとってコスメやメイクは趣味である。けれども世の女性の全てがそれらを楽しみとしている訳ではなく、人によっては、化粧は女性が人に会ったりする際の身嗜みと世で言われているので仕方なくしている、という人もいる。このタイプの人に限定品を予約したり行列に並んで購入するコスメフリークの楽しさを説明するのは難しい。また博打。これはそれなりに博打に精通している者にとっては博打の種類によって相手の嗜好が判るものだが、博打を打たない者の脳内では、麻雀もパチも手本引きも一緒くたになっている。これも金儲け博打とロマンを伴う博打の区別を解説するのは難しい。因みに私はロマンのない博打は嫌いなのだが。それはともかく、コスメにしても麻雀にしても、私にとっては趣味である。特に麻雀に於いては今年は一度もフリー雀荘に足を運ばず、ネット東風荘で妥協している状態だ。同じ物事であっても価値観が大きく違う相手に、自分の価値観を説明するのは難儀である。しかも今回は私自身が説明するのではなく、うちのが説明することになるだろう。イコール。うちのが私のコスメ及び麻雀が趣味であり、金遣い云々は関係ないということをきちんと説明してくれなければならず、うちのは当然コスメには興味はなく、麻雀も家族麻雀を嗜む程度である故に、私の趣味としてのそれらへの係わり方を熟知してくれているかどうか不安が残る。うちのが親に説明する際の病気・趣味それぞれのテンプレートを作成した方がいいかもしれない。
昨日のうちのの親とうちのの会話の中で、同情で結婚しても幸せにはなれないよ、と言われたらしい。非常に激しく遺憾である。うちのの親は私が自分の親と絶縁したことを引き合いに出してそのようなことを述べたのであろうが、私自身にとっては親との絶縁による不都合は少なくとも今のところは皆無だし、却って精神的に安定している。親と絶縁したからといって、同情に値する可哀相な子と見られるのは、激しく不本意である。いない方がいい親も存在している、ということはなかなか理解してもらいにくい事案である。しかも私の親のトンデモ振りは目の当たりにしなければ納得もしづらかろう。それでも。うちの・私共に、私の親はいない方がいい親と認識されている。うちのが、絶縁のきっかけになったことへの罪悪感は持っているかもしれないが同情はされていない。そして私たちはお互いの背負っている物を承知の上で、割れ鍋に綴じ蓋だしというような妥協を抜きに結婚を考えるに至ったのだ。互いの親をこんな風には言いたくないが、おまいらはすっこんでろ! という気持ちが強い。結婚は家と家との物という悪しき日本の風習は、さっさと消え失せてもらいたい。
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