不能者 後編
2003年11月27日 家族・メンヘル・健康など 現在、私が不能であるのには複数の原因がある。一通りやってみたいことはやり終えてしまった達成感、HIVなど性病への恐怖心、パキの副作用。どうにか不能から脱したいという気持ちは当然ある。性行為から遠ざかって早数年。その間、うちのが欲求不満を溜めていることに対する罪悪感もある。けれどその罪悪感は養われていることへの罪悪感と等しく、それこそ商売=売春行為と替わらない。全ての主婦は売春婦である、と言ったのは誰だったか思い出せないが、そういう側面は決して無視できない。そして私が似非主婦をさせてもらっていることの報償として、うちのにセックスを与えるのは間違っていると思う。先日、怖い夢を見た。妊娠する夢である。うちのに、妊娠する夢を見た、と言ったところ、良かったじゃん、と言われた。良くない。そのうちするんだから、とも言われた。したくない。そもそもセックスをしていないのに何故そんな夢を見たのか不思議だ。夢の詳細を書く。私は中学か高校の保健室で寝ていた。胎内に何かがいることが勘で判る。保健室の先生に話す。彼女は困惑し、私もそれ以上に困惑していた。そして堕胎の恐怖に塗れていた。産むという発想はその夢では出てこなかった。堕胎への罪悪感と恐怖心のみだった。因みに私に堕胎経験はない。そしてセックスそのものをしていないのだから、危険日どうこうの心配も皆無。夢診断はしていない。あんな物は何の当てにもならないし、増してやフロイト云々となると全て性的欲求に結びついてしまう。無駄なことはしないのだ。それでも気になる。
セックスに依存していた頃の私は大いなる勘違いをしており、ひとときの快楽や繋ぎ止めが無駄だと気付いてセックス依存から脱した。依存状態でなくとも、性行為は可能である。可能であるどころか、依存状態でなく性行為を楽しむ方が健全である。セックス依存から脱してセックスを余りしなくなった。その後、HIV検査を受け、今はもらったシロを大切にし過ぎている自覚がある。大切にするのは良いことだが、程度というものがある。彼氏ともセックスができないというのは不健全な潔癖だ。そんなことは解っている。キスはできる。キスでHIVは移らないという知識があるからだ。ところがその先の行為に進むと、俄然移る可能性が高まってしまう。挿入をしなくとも口唇愛撫で移ることはある。特に私はゴムフェラが苦手だ。ゴムの匂いと味がダメなのだ。香り付きのゴムも付けられた人口甘味料的な香り・味共に苦手である。ならば口唇愛撫を省いてセックスをすればいいではないか、と考える。しかし前編で書いたように壁越しのセックスに意味はないと思うし、ナマには恐怖が伴う。八方塞である。その八方塞の状態は蟻地獄であった。今は胸を触られることすら受け付けなくなってしまった。元々貧乳故に胸に強いコンプレックスを持っていたが、それでも触られることに嫌悪感迄は抱かなかった。それがセックスを恐れる余りに、それを連想させる諸々の行為が全てダメになった。唯一可能なのはキスだけである。
依存症の裏は恐怖症なのか。0か100か思考がここにも影響しているのかもしれない。0だと誰とも何もできない。100だと誰彼構わず何でもする。不自然だ。したいときにしたい相手とするのが自然な姿であろう。したい相手はいる。うちのとしたいと思う。それでも、したいとき、というときがない。依存していた頃、セックスは相手を繋ぎ止める手段だったと書いた。うちのはしなくても私と一緒にいてくれる。過去、精神的必要性に迫られてし続けたいたツケが時を経て今、やってきているのかもしれない。一緒に生活している異性が何年も性行為を拒んでいる現状は、うちのにとってかなりのストレスとなっている筈だ。それでも耐えてくれていることに感謝している。申し訳なく思いつつ甘えている。申し訳ない気持ちに基づくセックスとは、以下略。ループ。悪循環ループはどこかで断ち切らなければならないが、切り込み口が見つからない。
成熟した生物として性行為をするのは自然なことであり、しないことは不自然である。女性はいいセックスをしていると綺麗になる、という説がある。正しい。これは精神的充実ということだけではなく、女性ホルモンの分泌がセックスによって正しくなる所為である。今の私の女性ホルモンの分泌は、恐らく著しく悪くなっている筈だ。セックス依存という性的逸脱を繰り返していた頃も悪かっただろうが、その頃は彼氏がいつつも逸脱していた状態であり、今よりはかなりマシだったと思われる。精神的荒廃もあったが、充実もあったからだ。今は荒廃しかない。しかもこの荒廃は精神のみでなく肉体にも影響を兆している。私は諸事情により精神的には子供である。逆説も可。精神的に子供故に諸事情でもある。それでも小学生高学年から中学生レベルの貧乳を除いては、肉体は大人として成熟してしまっている。生殖器が月々の経血排出穴と化しているのは、私自身も不本意だ。痛みを齎すだけの器官など要らない。要らない物は捨ててしまえ……とは、こればかりはいかない。しかしこのままの状態が続けば、婦人病に罹り、必然として取り去る=捨てることにもなりかねない。貧乏性なので持って生まれた物は、できれば捨てずにきちんと使いこなしたい。しかも、きちんと、使いこなせれば他者であるうちのにストレスを与えずに済むという利点もあるのだ。
性欲とはどこから湧いてくるのだろう。昔は会う人・見る物・読む物、様々な場面で性欲を掻き立てられていた記憶がある。今は何に触れても掻き立てられることはない。むしろ直接的な接触には強迫的に嫌悪感が湧く。私にとって強迫といえば入浴関連のことが纏わる。思えばセックスに依存していた頃は、よく入浴していた。相手に不快感を与えない為には当然のことだろう。敢えて入浴不可能な野外での行為の背徳感はまた格別……などという話はさておき。人間のセックスは基本的に室内で行われる。その室内に設備として置かれた浴室を使うのも勿論だが、それ以前に、今日はヤるぞ! という日は入浴してから出かけたりしたものだ。その頃は入浴が苦ではなかったという例になるだろう。セックス依存だったということは、当時から自覚はなく、因って診断もくだされていなかったものの諸事情を抱えていたに違いないと思われる。諸事情の特徴として性的逸脱というのもあるのだ。私のPDも基本的にはこの諸事情に起因している。今と昔の違いは何か。後悔先に立たず。HIV検査を受けなければ良かったのかもしれない、と思っている。シロ判定により強迫的性的潔癖が芽生えてしまった。私以外にもHIV検査を受けた友人がいる。それでもセックスをしている。相手をそれだけ信用している証なのかもしれない。そして私は今、どの異性をも性的な面に於いて信用できていないのかもしれない。セイフティ・セックスに意義を見出せない点だけとっても不可思議だ。悪循環ループには多くの要素がある。どこから取り除けばいいのか見当がつかない。商売ではなく趣味として、健全な性行為を楽しめる日はいつやってくるのだろう。その日を迎える為に、私は何をすればいいのだろう。
BGM/1999.01.05「イチオシ祭り」、1999.12.25「全身焦燥家」、2000.07.26「SAPPUKEI TOUR」
セックスに依存していた頃の私は大いなる勘違いをしており、ひとときの快楽や繋ぎ止めが無駄だと気付いてセックス依存から脱した。依存状態でなくとも、性行為は可能である。可能であるどころか、依存状態でなく性行為を楽しむ方が健全である。セックス依存から脱してセックスを余りしなくなった。その後、HIV検査を受け、今はもらったシロを大切にし過ぎている自覚がある。大切にするのは良いことだが、程度というものがある。彼氏ともセックスができないというのは不健全な潔癖だ。そんなことは解っている。キスはできる。キスでHIVは移らないという知識があるからだ。ところがその先の行為に進むと、俄然移る可能性が高まってしまう。挿入をしなくとも口唇愛撫で移ることはある。特に私はゴムフェラが苦手だ。ゴムの匂いと味がダメなのだ。香り付きのゴムも付けられた人口甘味料的な香り・味共に苦手である。ならば口唇愛撫を省いてセックスをすればいいではないか、と考える。しかし前編で書いたように壁越しのセックスに意味はないと思うし、ナマには恐怖が伴う。八方塞である。その八方塞の状態は蟻地獄であった。今は胸を触られることすら受け付けなくなってしまった。元々貧乳故に胸に強いコンプレックスを持っていたが、それでも触られることに嫌悪感迄は抱かなかった。それがセックスを恐れる余りに、それを連想させる諸々の行為が全てダメになった。唯一可能なのはキスだけである。
依存症の裏は恐怖症なのか。0か100か思考がここにも影響しているのかもしれない。0だと誰とも何もできない。100だと誰彼構わず何でもする。不自然だ。したいときにしたい相手とするのが自然な姿であろう。したい相手はいる。うちのとしたいと思う。それでも、したいとき、というときがない。依存していた頃、セックスは相手を繋ぎ止める手段だったと書いた。うちのはしなくても私と一緒にいてくれる。過去、精神的必要性に迫られてし続けたいたツケが時を経て今、やってきているのかもしれない。一緒に生活している異性が何年も性行為を拒んでいる現状は、うちのにとってかなりのストレスとなっている筈だ。それでも耐えてくれていることに感謝している。申し訳なく思いつつ甘えている。申し訳ない気持ちに基づくセックスとは、以下略。ループ。悪循環ループはどこかで断ち切らなければならないが、切り込み口が見つからない。
成熟した生物として性行為をするのは自然なことであり、しないことは不自然である。女性はいいセックスをしていると綺麗になる、という説がある。正しい。これは精神的充実ということだけではなく、女性ホルモンの分泌がセックスによって正しくなる所為である。今の私の女性ホルモンの分泌は、恐らく著しく悪くなっている筈だ。セックス依存という性的逸脱を繰り返していた頃も悪かっただろうが、その頃は彼氏がいつつも逸脱していた状態であり、今よりはかなりマシだったと思われる。精神的荒廃もあったが、充実もあったからだ。今は荒廃しかない。しかもこの荒廃は精神のみでなく肉体にも影響を兆している。私は諸事情により精神的には子供である。逆説も可。精神的に子供故に諸事情でもある。それでも小学生高学年から中学生レベルの貧乳を除いては、肉体は大人として成熟してしまっている。生殖器が月々の経血排出穴と化しているのは、私自身も不本意だ。痛みを齎すだけの器官など要らない。要らない物は捨ててしまえ……とは、こればかりはいかない。しかしこのままの状態が続けば、婦人病に罹り、必然として取り去る=捨てることにもなりかねない。貧乏性なので持って生まれた物は、できれば捨てずにきちんと使いこなしたい。しかも、きちんと、使いこなせれば他者であるうちのにストレスを与えずに済むという利点もあるのだ。
性欲とはどこから湧いてくるのだろう。昔は会う人・見る物・読む物、様々な場面で性欲を掻き立てられていた記憶がある。今は何に触れても掻き立てられることはない。むしろ直接的な接触には強迫的に嫌悪感が湧く。私にとって強迫といえば入浴関連のことが纏わる。思えばセックスに依存していた頃は、よく入浴していた。相手に不快感を与えない為には当然のことだろう。敢えて入浴不可能な野外での行為の背徳感はまた格別……などという話はさておき。人間のセックスは基本的に室内で行われる。その室内に設備として置かれた浴室を使うのも勿論だが、それ以前に、今日はヤるぞ! という日は入浴してから出かけたりしたものだ。その頃は入浴が苦ではなかったという例になるだろう。セックス依存だったということは、当時から自覚はなく、因って診断もくだされていなかったものの諸事情を抱えていたに違いないと思われる。諸事情の特徴として性的逸脱というのもあるのだ。私のPDも基本的にはこの諸事情に起因している。今と昔の違いは何か。後悔先に立たず。HIV検査を受けなければ良かったのかもしれない、と思っている。シロ判定により強迫的性的潔癖が芽生えてしまった。私以外にもHIV検査を受けた友人がいる。それでもセックスをしている。相手をそれだけ信用している証なのかもしれない。そして私は今、どの異性をも性的な面に於いて信用できていないのかもしれない。セイフティ・セックスに意義を見出せない点だけとっても不可思議だ。悪循環ループには多くの要素がある。どこから取り除けばいいのか見当がつかない。商売ではなく趣味として、健全な性行為を楽しめる日はいつやってくるのだろう。その日を迎える為に、私は何をすればいいのだろう。
BGM/1999.01.05「イチオシ祭り」、1999.12.25「全身焦燥家」、2000.07.26「SAPPUKEI TOUR」
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