そして試練は続く……
2003年11月15日 家族・メンヘル・健康など 現在16日。
昨日、4者会談……ならぬ、親の独演会に行ってきた。髪を切り、黒いコートを身に纏った親の気合十分な姿は、うちのと私を引かせるに十分な演出だった。判り易過ぎる。来るなりうちのに、私の将来を背負う覚悟はあるのか、と問い詰め、うちのが頷いたら、私に判を押せと言い、うちのにも保証人になれと言い、嫌味を言って帰って行った。要は話し合いにならなかったのである。話し合いをするから来い、と言って呼びつけたのは誰だ。こちらは話し合いを重ねた末、私の病状改善に努めるよう親に約束させる契約書を用意して行った。その契約書作成にあたり、うちのは私の逃げ道も用意してくれた。条件付での、別れる、にしたのだ。帰省を伴う別離は希死念慮の強い私の命がかかっていることであり、親子の絶縁や親の離婚は避けさせたいと思いつつも、現状のまま帰すことを懸念してくれたうちのの苦肉の策だ。出すには出したが、そんな物を出される迄もなく判っている、と言う。親らが幾ら私の病状改善に親身になっても私が聞く耳を持たない、と言う。そして、あなた方にそういう物を出す権利はない、と言う。権利って何だ。
親は親身の例として、転院やセカンド及びサード・オピニオンを付けることを前々から提案してきている、と言っていた。こんな単語は親は知らないので出てこず、回りくどくの説明だったが。確かに提案はされてきた。私が拒んでいた。それはPDや諸事情などの精神疾患患者にとって転院やセカンド及びサード・オピニオンを付けることは患者の混乱を招きやすく、今の主治医とやっと信頼関係が築け、しかも通院開始からまだ1年も経っていない私には早いと判断したからだ。親は以前から私のこの意見を、屁理屈、と一蹴していた。親が薦めてきた転院先は某大学病院である。テレビで某芸能人の諸事情を解寛させたと紹介されていたからだ。そして親は、私の諸事情に強い他の病院や医師を調べてなどはいない。また、親も私の病気について本を読んだりして勉強している、と言い別の某芸能人の名を挙げた。世間にPDの名を浸透させることに一役買っている人の名だ。何と言う本を読んだのか訊いたが、答えは返ってこなかった。女性週刊誌のことなのだろう。テレビや雑誌の情報を無駄だとは言わない。しかしそれだけで親身だの勉強しているだの言われても、ひとつも説得力はない。その辺をうちのは指摘しようとしててくれたが、話を遮るばかりでうちのの言いたいことは言えずじまいだった。聞く耳を持たないのは誰だ。
その場での私は、蚊帳の外だった。要所要所で言葉は挟んだものの、親はその言葉の殆どをスルーした。どれも屁理屈にしか聞こえなかったのだろう。途中で私の態度を親に注意された。話を聞く態度ではない、と。そのとき私は椅子の背に体重を預け、ぼんやりと煙草をふかしていた。蚊帳の外の観客がどのような姿勢で茶番を鑑賞しようと、劇中人物に関係ないと思いつつ見ていたのだ。注意を受け、蚊帳の外に置かれていることくらい私でも判る、と言ったら、親はそれ以上の追求はしてこなかった。とにかく酷い茶番だった。人として、けじめとして、法的にも、が出てくる出てくる。同じ言葉の反復は相手に印象付けるために、ある程度迄は有効ではある。しかし不必要なところに迄それらの言葉が挟まれると、重点を失い効果はなくなり、単なる出来の悪い脚本となる。人としてそうじゃないだろう、けじめとしてそれは違うだろう、法的にもそれは通らないだろう。そんな文脈で、自己正当化の為にこれらの単語を挟まれても困る。更に独演会開始直後に親は、自己正当化はしない、と言い切っていた。なのに出てくる台詞は上記のような物や、うちのが提出した契約書を見ての、そうやって文書にされなきゃいけない親なのかもしれないけれども。けれども、が付いた時点で正当化への準備となっていることに気付かないのか。気付かないのだろう。言う迄もなく、その後には言い訳や責任転嫁の言葉が続いていた。
そもそも最初から親らと私たちの論点が違っていた。前日迄の親とうちのとの電話での会話では、親がうちのに別離を迫り、別れる・もう会わないということを証明しろ、という物だった。だから条件付契約書を用意して行った。なのに独演会では別れろ的発言はなかった。おかしいではないか。うちのへの電話での詰問は、全く意味のないものであり仕事の邪魔をしたかっただけなのか。話が噛み合っていないことを私が指摘しても、父親は噛み合っていると言う。どんな脚本を渡されていたのか、非常に興味深い。こちらは別れる準備をして行き、あちらは絶縁の準備しかしてこなかった。一体何がしたかったのか皆目見当が付かない。うちのも私も親の性質の悪さを熟知している。なので話し合いにならないことは察知していた。一方的に別離を迫り、強引に同意させ、ひたすら捲くし立てて私を連れ帰るつもりなのだと覚悟をしていた。なのに幕が開いたらこの有様。予定とは違う映画館に間違って入ってしまったような錯覚を招いた。そうだ。これが私の親なのだ。話し合いと言いつつ、自分が出した結論を一方的に押し付ける。それが当初の話と違うものであっても気にしない。そういう人だ。絶縁上等。私は迷わず養子縁組解消の書類に判を押した。その保証人になるよう迫られたうちのは、かなり時間を置いてから判を押した。後日、私の元に親の遺産放棄の為の書類が送られてくるらしい。それにも私は判を押して返送する。これら手続終了後に私は住民票や本籍を移動させる手続に追われることになる。
親らが先に席を立ち、独演会は幕を閉じた。場所を変えてお茶を飲もうと移動している最中に、各種手続が面倒だ、と私が愚痴を溢していたらうちのが、この際だから籍を入れるか、と言ってくれた。親と私を絶縁させた故の責任感からの入籍ならば私は望まない。何度も確認した。この責任感が全く係わらないと言うのは、幾ら何でも嘘だろう。けれど、前々からそのつもりがあっての同棲・事実婚であり時期が早まっただけだ、と言ってくれた。本来は来年の夏に入籍することを私たちは考えていたのだ。予期せぬごたごたにより時期を早める、というのは理解も納得もでき、私にとっては各種手続の面倒さも軽減されて有難いので申し出を快諾させてもらった。お茶を飲みつつ、独演会の感想を述べ合った。何がしたかったんだろう? 自分で自分の首を絞めていることに気付いていないのか? 父親も何を考えているんだ? この先、親らはどうするつもりなのだろう? 疑問符のオンパレード。出された結論は、私以上の0か100か思考の人間がちょっと法律に凝り始めた末の行動としか思えない、となった。多分、正解だろう。因みにうちのが保証人に判を押すのに時間をかけたのは、茶番をマシにする為の演出だったと言っていた。真相は謎のままでもいい。
親とのこのような終幕に後悔はないのか? と何度もうちのに確認された。ない。少なくとも、今は。今後、後悔する日がこないとは言い切れない。けれど、今、自分が出せる最良の結論はこれしかないのだ。過去も未来も、今の積み重ねで成り立つ物だ。今の自分に嘘をついてより良い将来が待っているとは思えない。なるべくしてなった終幕。たまたまうちのがきっかけになっただけだ。うちのの母親にうちのが一連の流れをたどたどしく報告し、私も一言挨拶をした。たどたどしくなるのは仕方あるまい。このような話し合いという名に模られた独演会の存在など、巻き込まれた人間しか解らない物であり第三者に説明するのは困難だ。うちのの母親は寝込んでしまったらしい。その後、うちのの下の姉から、すぐの入籍はやめろ、と私が寝ている間に電話があったそうだ。私の親や私が勢いだけでこのようなことをしていると思われてしまったのだ。今日からうちのの家族への説得をしていかなければならない。
昨日、4者会談……ならぬ、親の独演会に行ってきた。髪を切り、黒いコートを身に纏った親の気合十分な姿は、うちのと私を引かせるに十分な演出だった。判り易過ぎる。来るなりうちのに、私の将来を背負う覚悟はあるのか、と問い詰め、うちのが頷いたら、私に判を押せと言い、うちのにも保証人になれと言い、嫌味を言って帰って行った。要は話し合いにならなかったのである。話し合いをするから来い、と言って呼びつけたのは誰だ。こちらは話し合いを重ねた末、私の病状改善に努めるよう親に約束させる契約書を用意して行った。その契約書作成にあたり、うちのは私の逃げ道も用意してくれた。条件付での、別れる、にしたのだ。帰省を伴う別離は希死念慮の強い私の命がかかっていることであり、親子の絶縁や親の離婚は避けさせたいと思いつつも、現状のまま帰すことを懸念してくれたうちのの苦肉の策だ。出すには出したが、そんな物を出される迄もなく判っている、と言う。親らが幾ら私の病状改善に親身になっても私が聞く耳を持たない、と言う。そして、あなた方にそういう物を出す権利はない、と言う。権利って何だ。
親は親身の例として、転院やセカンド及びサード・オピニオンを付けることを前々から提案してきている、と言っていた。こんな単語は親は知らないので出てこず、回りくどくの説明だったが。確かに提案はされてきた。私が拒んでいた。それはPDや諸事情などの精神疾患患者にとって転院やセカンド及びサード・オピニオンを付けることは患者の混乱を招きやすく、今の主治医とやっと信頼関係が築け、しかも通院開始からまだ1年も経っていない私には早いと判断したからだ。親は以前から私のこの意見を、屁理屈、と一蹴していた。親が薦めてきた転院先は某大学病院である。テレビで某芸能人の諸事情を解寛させたと紹介されていたからだ。そして親は、私の諸事情に強い他の病院や医師を調べてなどはいない。また、親も私の病気について本を読んだりして勉強している、と言い別の某芸能人の名を挙げた。世間にPDの名を浸透させることに一役買っている人の名だ。何と言う本を読んだのか訊いたが、答えは返ってこなかった。女性週刊誌のことなのだろう。テレビや雑誌の情報を無駄だとは言わない。しかしそれだけで親身だの勉強しているだの言われても、ひとつも説得力はない。その辺をうちのは指摘しようとしててくれたが、話を遮るばかりでうちのの言いたいことは言えずじまいだった。聞く耳を持たないのは誰だ。
その場での私は、蚊帳の外だった。要所要所で言葉は挟んだものの、親はその言葉の殆どをスルーした。どれも屁理屈にしか聞こえなかったのだろう。途中で私の態度を親に注意された。話を聞く態度ではない、と。そのとき私は椅子の背に体重を預け、ぼんやりと煙草をふかしていた。蚊帳の外の観客がどのような姿勢で茶番を鑑賞しようと、劇中人物に関係ないと思いつつ見ていたのだ。注意を受け、蚊帳の外に置かれていることくらい私でも判る、と言ったら、親はそれ以上の追求はしてこなかった。とにかく酷い茶番だった。人として、けじめとして、法的にも、が出てくる出てくる。同じ言葉の反復は相手に印象付けるために、ある程度迄は有効ではある。しかし不必要なところに迄それらの言葉が挟まれると、重点を失い効果はなくなり、単なる出来の悪い脚本となる。人としてそうじゃないだろう、けじめとしてそれは違うだろう、法的にもそれは通らないだろう。そんな文脈で、自己正当化の為にこれらの単語を挟まれても困る。更に独演会開始直後に親は、自己正当化はしない、と言い切っていた。なのに出てくる台詞は上記のような物や、うちのが提出した契約書を見ての、そうやって文書にされなきゃいけない親なのかもしれないけれども。けれども、が付いた時点で正当化への準備となっていることに気付かないのか。気付かないのだろう。言う迄もなく、その後には言い訳や責任転嫁の言葉が続いていた。
そもそも最初から親らと私たちの論点が違っていた。前日迄の親とうちのとの電話での会話では、親がうちのに別離を迫り、別れる・もう会わないということを証明しろ、という物だった。だから条件付契約書を用意して行った。なのに独演会では別れろ的発言はなかった。おかしいではないか。うちのへの電話での詰問は、全く意味のないものであり仕事の邪魔をしたかっただけなのか。話が噛み合っていないことを私が指摘しても、父親は噛み合っていると言う。どんな脚本を渡されていたのか、非常に興味深い。こちらは別れる準備をして行き、あちらは絶縁の準備しかしてこなかった。一体何がしたかったのか皆目見当が付かない。うちのも私も親の性質の悪さを熟知している。なので話し合いにならないことは察知していた。一方的に別離を迫り、強引に同意させ、ひたすら捲くし立てて私を連れ帰るつもりなのだと覚悟をしていた。なのに幕が開いたらこの有様。予定とは違う映画館に間違って入ってしまったような錯覚を招いた。そうだ。これが私の親なのだ。話し合いと言いつつ、自分が出した結論を一方的に押し付ける。それが当初の話と違うものであっても気にしない。そういう人だ。絶縁上等。私は迷わず養子縁組解消の書類に判を押した。その保証人になるよう迫られたうちのは、かなり時間を置いてから判を押した。後日、私の元に親の遺産放棄の為の書類が送られてくるらしい。それにも私は判を押して返送する。これら手続終了後に私は住民票や本籍を移動させる手続に追われることになる。
親らが先に席を立ち、独演会は幕を閉じた。場所を変えてお茶を飲もうと移動している最中に、各種手続が面倒だ、と私が愚痴を溢していたらうちのが、この際だから籍を入れるか、と言ってくれた。親と私を絶縁させた故の責任感からの入籍ならば私は望まない。何度も確認した。この責任感が全く係わらないと言うのは、幾ら何でも嘘だろう。けれど、前々からそのつもりがあっての同棲・事実婚であり時期が早まっただけだ、と言ってくれた。本来は来年の夏に入籍することを私たちは考えていたのだ。予期せぬごたごたにより時期を早める、というのは理解も納得もでき、私にとっては各種手続の面倒さも軽減されて有難いので申し出を快諾させてもらった。お茶を飲みつつ、独演会の感想を述べ合った。何がしたかったんだろう? 自分で自分の首を絞めていることに気付いていないのか? 父親も何を考えているんだ? この先、親らはどうするつもりなのだろう? 疑問符のオンパレード。出された結論は、私以上の0か100か思考の人間がちょっと法律に凝り始めた末の行動としか思えない、となった。多分、正解だろう。因みにうちのが保証人に判を押すのに時間をかけたのは、茶番をマシにする為の演出だったと言っていた。真相は謎のままでもいい。
親とのこのような終幕に後悔はないのか? と何度もうちのに確認された。ない。少なくとも、今は。今後、後悔する日がこないとは言い切れない。けれど、今、自分が出せる最良の結論はこれしかないのだ。過去も未来も、今の積み重ねで成り立つ物だ。今の自分に嘘をついてより良い将来が待っているとは思えない。なるべくしてなった終幕。たまたまうちのがきっかけになっただけだ。うちのの母親にうちのが一連の流れをたどたどしく報告し、私も一言挨拶をした。たどたどしくなるのは仕方あるまい。このような話し合いという名に模られた独演会の存在など、巻き込まれた人間しか解らない物であり第三者に説明するのは困難だ。うちのの母親は寝込んでしまったらしい。その後、うちのの下の姉から、すぐの入籍はやめろ、と私が寝ている間に電話があったそうだ。私の親や私が勢いだけでこのようなことをしていると思われてしまったのだ。今日からうちのの家族への説得をしていかなければならない。
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