中の人が戻った模様
2003年11月9日 家族・メンヘル・健康など 現在11日。
今月1日付の日記に親の中の人が替わったと書いたが、帰省して替わっていなかったことが判明した。またはあの近辺の数日のみ、臨時勤務していたのか。それにしても戻ってきた中の人は相変わらずのトンデモ振りを発揮してくれ、私は帰省中に2度PD発作を起こし、帰宅直前に希死念慮が最高潮に達した為、主治医の元に寄って帰ったきた。私の主治医はヤブだがたまにいいことも言う。今日はそのたまの日であったようで、いいことを言ったくれた「普通・常識などの言葉を使いたがる人程、普通や常識的ではない人間だ」。激しく同意する。私の親が口にする文章のほぼ全てには、普通・常識・一般・みんななどの言葉が織り交ぜられている。これらの言葉は全て幻想だと思っている私には、この手の単語が混ざった瞬間、言葉は上滑りする。上滑りするとこちらの聞き方が適当になるのは仕方がないことだと思うのだが、とにかく親は私が、親の思う普通・常識・一般・みんな、を理解及び納得していない点に非常に立腹する。相変わらずの地軸っぷりであった。そんな親でも稀に、人それぞれ、という言葉を使うことがある。この場合、人それぞれの考え方を尊重するという意味ではなく、人それぞれだけれども親の意見に同調しない人間は異常だ、というニュアンスを含んでいる。帰り際の話で私にぶつけられた言葉は「あんたは人を踏み台にして利用することばかり考えている我侭な、言い訳ばかりしている人間だ」。勿論私は、常日頃から他者の誰もを踏み台として利用しようと考えている訳ではないし、言い訳ばかりしているということもない。けれども、言い分と言い訳の区別すらも付かない人間には、それが親であろうが利用してやろう的意図が、勝手に働いていた気もする。仕方がないではないか。親であっても莫迦なんだから。自分と同じ意見を持たない者の意見は全て、言い訳としか解釈できないような狭量な親の下に生まれた不幸を、私は本気で嘆いている。やはり子離れできていないというか……親と子が別人格の持ち主であるということを、知識としては知っていても理解・納得が追いついていないのだろう。
私の諸事情に詳しいどこかのサイトでこんな話が書かれていた。子が自立する際にその準備を全てしてしまうという、協力に見せかけた自立の阻止をする親がいる。正に私の親がこうであった。私が実家を出た原因はいろいろな事情が複合されての物だが、その中で一番大きかったのは、当時の彼氏と半同棲をして家に余り帰らなかった時期に親が興信所に依頼して、私を尾行させたことだ。親は心配が高まって取った末の依頼・行動だったと言う。気持ちが全く解らない訳ではない。けれど非常識だと思ったし、今でも極端すぎると思っている。この一件で私から親への信用はなくなった。今すぐにここを出なければ碌な目に遭わないと直感させられた。当時私には貯金がなかった為、友人に敷金礼金などを借金して部屋を探して出る準備をし、部屋を決めてから親に報告をした。親はその部屋が見たいと言い、保証人の問題もあるので承諾したところ、私が決めた部屋とは違うところに手付けを打ってきた。あの部屋は畳が良くない、と。畳が良くなかったのは確かだが……。そしてテキパキと家財道具を集めてくれた。感謝と挫折を同時に味わった。布団もカーテンもなしに出発するつもりだったところに思いがけない親心、そしてゼロから出発したかったのに親心による家財道具によってそれが叶わなくなったこと。私は親に反発するのが下手だ。因ってその家財道具にも甘えてしまった。それが今朝、物凄い話に変わっていた。そのとき私は家財道具を集めたくれた親に「そんなこと迄してくれなくていいのに」と言った筈であり、親はそれに「娘を送り出すのに最低限のことはしてやりたいという気持ちだから」と答えてくれた筈だ。その気持ちの良し悪しは、敢えてここでは問わない。前振りから察してもらえるだろう。ただ、こういうやり取りがあった筈なのだ。それが親の脳内ではこう変化していた。何もなしで送り出す訳にはいかなかったので家財道具を揃えてやった。あの子が自分からその家財道具を購入する際にかかったお金を返してきたら、それをそのまま貯金しておいてやろうと思っていた。なのに一銭も返してこなかった。……絶句。なんじゃそりゃ。そんな話なら私は最初から受け取らなかったぞ! あのときに言っていた、気持ち、って一体何だったんだ? 返してこなかった、の後にこう続いた。もしも私がうちのを選ぶならそのお金は請求しない。手切れ金とする。この手切れとは、親子の縁の手切れを意味する。
前の日記で最後の逃げ場は残してくれていると書いたが、それも親の脳内では翻っていた。私がうちのを選んだ場合、別れても戻ってはこさせない。うちのを選んだ時点で、または今年中に私がどちらを取るかの選択ができなかった時点で法的手段で親子の縁を切り、契約書だかなんだかを用意されるらしい。親子の縁を切るとは養子縁組している父親の籍から抜けるということであり、結婚歴もないのに今の苗字がみっつめの私としては、そうなったらどんな苗字になるのか興味深いところである。悠長なようだが所謂複雑な家庭環境で育った身としては、苗字という記号への興味が深いのだ。また親は泥沼に嵌りたくない為に契約書を用意するようなことを仄めかしていたが、余りにもな内容だった場合はこちらも弁護士を立てねばならない。金も時間もかかりそうで甚だ厄介である。だからといって、この厄介から逃げる為に実家に帰ったら私の病状が悪化するのは明らかであり、今回の件に関してはとにかく私は自分の病状がこれ以上悪化しない道を選びたいのだ。もっと言えば希死念慮に任せてお空の父親の元に今すぐにでも逃げたい。お空でない場所に逃げた場合は、地の果て迄も追いかけて判を押させる、と親は言っていた。好きにしてくれ。
主治医に一連の話をし、私はどっちに行くといいと思いますか? と訊いたところ本気で困った顔をしていた。一医者が患者の一生を左右するような問題に口出ししたがらないだろうというのは承知だ。しかし慢性的抑うつ状態にある私に、今、何かを決定するだけの判断力は薄い。全くない訳ではないがこうも話が拗れては薄くなる一方なので、主治医からのアドバイスが欲しかったのだが案の上、はぐらかされてしまった。けれど、どちらに行っても私が精神的に参ったときはサポートしてくれる、と言ってくれ、また最初に書いたいいことの後に「親御さんよりあなたの方がまともだ」と言ってくれたのには救われた。なのでまだ生きている。余談だが親子の縁を切った場合には住民票なども動かすことになるのだが、32条の変更手続が簡単に済みそうなのも、今の私には少しだけ明るい話である。
今月1日付の日記に親の中の人が替わったと書いたが、帰省して替わっていなかったことが判明した。またはあの近辺の数日のみ、臨時勤務していたのか。それにしても戻ってきた中の人は相変わらずのトンデモ振りを発揮してくれ、私は帰省中に2度PD発作を起こし、帰宅直前に希死念慮が最高潮に達した為、主治医の元に寄って帰ったきた。私の主治医はヤブだがたまにいいことも言う。今日はそのたまの日であったようで、いいことを言ったくれた「普通・常識などの言葉を使いたがる人程、普通や常識的ではない人間だ」。激しく同意する。私の親が口にする文章のほぼ全てには、普通・常識・一般・みんななどの言葉が織り交ぜられている。これらの言葉は全て幻想だと思っている私には、この手の単語が混ざった瞬間、言葉は上滑りする。上滑りするとこちらの聞き方が適当になるのは仕方がないことだと思うのだが、とにかく親は私が、親の思う普通・常識・一般・みんな、を理解及び納得していない点に非常に立腹する。相変わらずの地軸っぷりであった。そんな親でも稀に、人それぞれ、という言葉を使うことがある。この場合、人それぞれの考え方を尊重するという意味ではなく、人それぞれだけれども親の意見に同調しない人間は異常だ、というニュアンスを含んでいる。帰り際の話で私にぶつけられた言葉は「あんたは人を踏み台にして利用することばかり考えている我侭な、言い訳ばかりしている人間だ」。勿論私は、常日頃から他者の誰もを踏み台として利用しようと考えている訳ではないし、言い訳ばかりしているということもない。けれども、言い分と言い訳の区別すらも付かない人間には、それが親であろうが利用してやろう的意図が、勝手に働いていた気もする。仕方がないではないか。親であっても莫迦なんだから。自分と同じ意見を持たない者の意見は全て、言い訳としか解釈できないような狭量な親の下に生まれた不幸を、私は本気で嘆いている。やはり子離れできていないというか……親と子が別人格の持ち主であるということを、知識としては知っていても理解・納得が追いついていないのだろう。
私の諸事情に詳しいどこかのサイトでこんな話が書かれていた。子が自立する際にその準備を全てしてしまうという、協力に見せかけた自立の阻止をする親がいる。正に私の親がこうであった。私が実家を出た原因はいろいろな事情が複合されての物だが、その中で一番大きかったのは、当時の彼氏と半同棲をして家に余り帰らなかった時期に親が興信所に依頼して、私を尾行させたことだ。親は心配が高まって取った末の依頼・行動だったと言う。気持ちが全く解らない訳ではない。けれど非常識だと思ったし、今でも極端すぎると思っている。この一件で私から親への信用はなくなった。今すぐにここを出なければ碌な目に遭わないと直感させられた。当時私には貯金がなかった為、友人に敷金礼金などを借金して部屋を探して出る準備をし、部屋を決めてから親に報告をした。親はその部屋が見たいと言い、保証人の問題もあるので承諾したところ、私が決めた部屋とは違うところに手付けを打ってきた。あの部屋は畳が良くない、と。畳が良くなかったのは確かだが……。そしてテキパキと家財道具を集めてくれた。感謝と挫折を同時に味わった。布団もカーテンもなしに出発するつもりだったところに思いがけない親心、そしてゼロから出発したかったのに親心による家財道具によってそれが叶わなくなったこと。私は親に反発するのが下手だ。因ってその家財道具にも甘えてしまった。それが今朝、物凄い話に変わっていた。そのとき私は家財道具を集めたくれた親に「そんなこと迄してくれなくていいのに」と言った筈であり、親はそれに「娘を送り出すのに最低限のことはしてやりたいという気持ちだから」と答えてくれた筈だ。その気持ちの良し悪しは、敢えてここでは問わない。前振りから察してもらえるだろう。ただ、こういうやり取りがあった筈なのだ。それが親の脳内ではこう変化していた。何もなしで送り出す訳にはいかなかったので家財道具を揃えてやった。あの子が自分からその家財道具を購入する際にかかったお金を返してきたら、それをそのまま貯金しておいてやろうと思っていた。なのに一銭も返してこなかった。……絶句。なんじゃそりゃ。そんな話なら私は最初から受け取らなかったぞ! あのときに言っていた、気持ち、って一体何だったんだ? 返してこなかった、の後にこう続いた。もしも私がうちのを選ぶならそのお金は請求しない。手切れ金とする。この手切れとは、親子の縁の手切れを意味する。
前の日記で最後の逃げ場は残してくれていると書いたが、それも親の脳内では翻っていた。私がうちのを選んだ場合、別れても戻ってはこさせない。うちのを選んだ時点で、または今年中に私がどちらを取るかの選択ができなかった時点で法的手段で親子の縁を切り、契約書だかなんだかを用意されるらしい。親子の縁を切るとは養子縁組している父親の籍から抜けるということであり、結婚歴もないのに今の苗字がみっつめの私としては、そうなったらどんな苗字になるのか興味深いところである。悠長なようだが所謂複雑な家庭環境で育った身としては、苗字という記号への興味が深いのだ。また親は泥沼に嵌りたくない為に契約書を用意するようなことを仄めかしていたが、余りにもな内容だった場合はこちらも弁護士を立てねばならない。金も時間もかかりそうで甚だ厄介である。だからといって、この厄介から逃げる為に実家に帰ったら私の病状が悪化するのは明らかであり、今回の件に関してはとにかく私は自分の病状がこれ以上悪化しない道を選びたいのだ。もっと言えば希死念慮に任せてお空の父親の元に今すぐにでも逃げたい。お空でない場所に逃げた場合は、地の果て迄も追いかけて判を押させる、と親は言っていた。好きにしてくれ。
主治医に一連の話をし、私はどっちに行くといいと思いますか? と訊いたところ本気で困った顔をしていた。一医者が患者の一生を左右するような問題に口出ししたがらないだろうというのは承知だ。しかし慢性的抑うつ状態にある私に、今、何かを決定するだけの判断力は薄い。全くない訳ではないがこうも話が拗れては薄くなる一方なので、主治医からのアドバイスが欲しかったのだが案の上、はぐらかされてしまった。けれど、どちらに行っても私が精神的に参ったときはサポートしてくれる、と言ってくれ、また最初に書いたいいことの後に「親御さんよりあなたの方がまともだ」と言ってくれたのには救われた。なのでまだ生きている。余談だが親子の縁を切った場合には住民票なども動かすことになるのだが、32条の変更手続が簡単に済みそうなのも、今の私には少しだけ明るい話である。
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