努力と我慢
2003年11月2日 家族・メンヘル・健康など 1日付の続きである。親の言葉が身に沁みたと書いた。それでも相変わらず上滑りしていた言葉もあった。これは親に限らず、誰に言われても上滑りする言葉だが「自分を大切に」「自分を粗末にしてはいけない」。これらの意味がよく解らないのだ。この言葉を構成している単語自体は当然判る。しかし具体的なところが全くと言っていい程に解らない。子供の頃から親にも親戚にも友人にも言われ続けている言葉である。昔は今よりも莫迦だったので漠然と解ったつもりになっていたけれど、よくよく考えてみるとこれは抽象的概念であり、深く訊くと人それぞれで具体例が変わる。他者からは私の生き方を含めて、自分自身の扱い方がとても粗末に見えるらしい。私にその実感はない。例えば水商売や風俗で働くこと、誰にでも股を開いていたこと、裏を抱えたうちのと同棲していること。これらは多くの他者からは非難に値することのようである。しかし私はそのときそのときで自分のしたいこと、自分に必要なことをしてきた及びしているだけであり、後悔もなければ自分を粗末にしている実感も伴っていない。
私の親にとって、我が子可愛さを抜きにして、うちのの株価はさほど高くなかったことが判明した。裏を打ち明ける前である。少しばかり救われた気がした。さっきも書いたようにうちのの寝起きは凶悪である。親はその実態を見てはいないものの私の話した範囲では知っている。親曰く「食と睡眠は一生付いて回る」。尤もである。これはうちのの寝起きの悪態が直らなければ、私は一生恐怖を感じつつ生きなければならないということに他ならない。うちで喧嘩が起きる多くは、うちのの寝起きの悪態に起因している。本人にも言ったことがある。寝起きの態度が直らなければ私でなくどんな女でも逃げ出したくなる、畳の上で死ねないよ、と。それくらい酷いのだ。友人たちはそれでも「寝起きだけ我慢すればいいじゃない。それ以外のところでは特に不満はないんでしょ?」と言う。不満は山程ある。「誰の金で生活できていると思っているんだ」が口癖となっているDVにも括られる金銭への考え方、「ごめんなさい」などの謝罪の言葉が言えない意固地さ、うちのの裏を知りつつも私に任せっぱなしなのに私への気配りが殆どなく長男であるうちのを甘やかしているとしか見えないうちのの親兄弟。他者によっては瑣末なことに見えるかもしれない。けれどこれら不満のどれもがその場だけではなく、一生付きまといそうなところにとても不安は感じている。
これ迄にも何度も言われてきたことであるが「一度同棲を解消して離れて付き合ってみたら?」という台詞がまた親から出てきた。これに対して親と生活を共にすることへの恐怖心が強く、ずっと頑なに拒否し続けていた。そして親のこの言葉は子離れできていない親自身が一人娘である私を手元に取り戻したいが為の言葉だと思っていた。一昨日、初めて真意を知った。うちのへの愚痴を私から何度も聞き、離れて冷静に考えてみると何か違うことが見えてくるのではないか、という意図だったらしい。成る程。確かにそうかもしれない。そして今、私の中で親への恐怖心は薄れている。親の中に前の人が戻ってこなければ、帰省が予定より長くなる可能性もある。ところがその後に続いた親の台詞が、私の中で大きな問題となっている。「自分を大切にして、そろそろちゃんと将来を見つめなくちゃね」。大切、よく解らない。将来、要らない。東風荘があって本当に良かった。なければまたパチ屋へ行っていたかもしれない。夢と現の境界が曖昧な人間にとって、現の将来などと言われても全く以ってピンとこないので本当に困っている。困ったときは寝逃げか何かへの依存で回避してきたが、今度はそうもしていられないようだ。
私のPD及び諸事情の症状は一進一退、一進二退を繰り返している。これ迄に私の諸事情は幼少期からの親子関係の縺れが原因だと書いたと思う。親子関係は今の人が親の中に留まっていてくれれば改善できそうな気配が感じ取れてきた。原因が解消されれば一気に治るか。残念ながら答えは否であろう。一進一退、一進二退はうちのの言動に左右されている面が強い。となると、原因が解消されても環境改善がなければ引きずってしまう可能性は高い。うちのの言動は直るのだろうか? と書きたいところだが、どうも、治るのだろうか? と書かなければならない程に深刻である。寝起きの悪態は頭ではいけないと判っているらしい。しかし気持ちが先走って言葉や行動に出てしまうようなのだ。カウンセリングの必要性を感じるが、うちのはそれを拒否している。拒否しなかったところで仕事に追われている現在、カウンセリングに割く時間はない……。うちのは私の主治医と一度会っている。うちのは主治医の言っていることが自分の質問への答えになっておらず、高みからはぐらかすようなことしか言っていなかったと怒っていた。主治医のはぐらかしはうちのへだけではなく私に対してもそうなので違和感は感じなかったのだが、うちのはかなりの苛立ちを感じたようだ。主治医はうちのを、彼も心の中にいろいろと闇を持っていそうだね、と言っていた。今も言っている。
私の親とうちのの共通点のひとつに、答えを急ぐ、というのがある。スラッシュ禅問答並みのスピードで自分の質問や疑問への回答が得られなければ気が済まず、苛立ちをすぐに表に出すのだ。バラード禅問答では遅過ぎるらしい。親はその点に於いては解寛してきているように一昨日の会話で感じた。うちのにも解寛する日はくるのだろうか……。解寛するには自覚が必要だと思う。けれど指摘しても全力で否定する。いろいろひっくるめて悪しき亭主関白の見本のようなうちのだ。これだけうちのを悪く書いていながら私が長く一緒にいるのは、眼鏡だから……だけではない。そうそうお目にかかれない程の環境への柔軟性に富んでいる人間なのだ。この長所により、うちのは比類なきダメ人間である私と一緒に暮らせている。環境への柔軟性は私もそれなりに自信がある。因ってその箱の中身も知っている。慣れと我慢が詰められた箱なのだ。
親が言った「努力と我慢は違う」。とても重要な言葉だと思う。これは私だけでなく他者にとっても混同しがちなものではないだろうか。私は現状を変えられるように狭いながらもできる範囲で努力をしてきた。この努力には我慢も含まれていた。一度分けて考えなければいけないようだ。お互いに分けて考えることにより、うちのと私の将来への展望が大きく変わりそうな気が……して怖いので逃避している。将来なんて要らないし。夢は叶えたいけれど将来は要らないというのは矛盾している。でも今の私の正直な気持ちである。矛盾は嫌いだ。因って自分の言動や感情が矛盾しているのはとても気分が悪い。答えを出したい。となると将来を考えるということから逃げていてはいけないのだろうが、どこから考えていいものか手がかりも見つからない。手がかりを闇雲に求めるのではなく、今の一進一退悪循環ループから抜け出せるのが理想。ひとりでできる作業ではないのがもどかしくてならなかった私に射してきた光が、我慢と粗末の関連性の見い出しというのは非常に悔しいものである。
ここ迄を読むと私の親はとても真っ当な人間のようだ。癪なので、一昨日から真っ当になったが、それ迄は真っ当ではないどころかトンデモと他者からも評される人間であったことは書かせてもらいたい。トンデモな部分もまだ残っている。「結局は薬局」という駄洒落を何かの格言と勘違いしていたり、「繰返しとは繰り返すから繰り返しなのだ」などの名言だか迷言だか判別に困る言葉を吐いたり。「努力と我慢は違う」という名言の後に聞いた為、これらの意味不明な言葉にもその場では妙に納得してしまった私は莫迦である。
私の親にとって、我が子可愛さを抜きにして、うちのの株価はさほど高くなかったことが判明した。裏を打ち明ける前である。少しばかり救われた気がした。さっきも書いたようにうちのの寝起きは凶悪である。親はその実態を見てはいないものの私の話した範囲では知っている。親曰く「食と睡眠は一生付いて回る」。尤もである。これはうちのの寝起きの悪態が直らなければ、私は一生恐怖を感じつつ生きなければならないということに他ならない。うちで喧嘩が起きる多くは、うちのの寝起きの悪態に起因している。本人にも言ったことがある。寝起きの態度が直らなければ私でなくどんな女でも逃げ出したくなる、畳の上で死ねないよ、と。それくらい酷いのだ。友人たちはそれでも「寝起きだけ我慢すればいいじゃない。それ以外のところでは特に不満はないんでしょ?」と言う。不満は山程ある。「誰の金で生活できていると思っているんだ」が口癖となっているDVにも括られる金銭への考え方、「ごめんなさい」などの謝罪の言葉が言えない意固地さ、うちのの裏を知りつつも私に任せっぱなしなのに私への気配りが殆どなく長男であるうちのを甘やかしているとしか見えないうちのの親兄弟。他者によっては瑣末なことに見えるかもしれない。けれどこれら不満のどれもがその場だけではなく、一生付きまといそうなところにとても不安は感じている。
これ迄にも何度も言われてきたことであるが「一度同棲を解消して離れて付き合ってみたら?」という台詞がまた親から出てきた。これに対して親と生活を共にすることへの恐怖心が強く、ずっと頑なに拒否し続けていた。そして親のこの言葉は子離れできていない親自身が一人娘である私を手元に取り戻したいが為の言葉だと思っていた。一昨日、初めて真意を知った。うちのへの愚痴を私から何度も聞き、離れて冷静に考えてみると何か違うことが見えてくるのではないか、という意図だったらしい。成る程。確かにそうかもしれない。そして今、私の中で親への恐怖心は薄れている。親の中に前の人が戻ってこなければ、帰省が予定より長くなる可能性もある。ところがその後に続いた親の台詞が、私の中で大きな問題となっている。「自分を大切にして、そろそろちゃんと将来を見つめなくちゃね」。大切、よく解らない。将来、要らない。東風荘があって本当に良かった。なければまたパチ屋へ行っていたかもしれない。夢と現の境界が曖昧な人間にとって、現の将来などと言われても全く以ってピンとこないので本当に困っている。困ったときは寝逃げか何かへの依存で回避してきたが、今度はそうもしていられないようだ。
私のPD及び諸事情の症状は一進一退、一進二退を繰り返している。これ迄に私の諸事情は幼少期からの親子関係の縺れが原因だと書いたと思う。親子関係は今の人が親の中に留まっていてくれれば改善できそうな気配が感じ取れてきた。原因が解消されれば一気に治るか。残念ながら答えは否であろう。一進一退、一進二退はうちのの言動に左右されている面が強い。となると、原因が解消されても環境改善がなければ引きずってしまう可能性は高い。うちのの言動は直るのだろうか? と書きたいところだが、どうも、治るのだろうか? と書かなければならない程に深刻である。寝起きの悪態は頭ではいけないと判っているらしい。しかし気持ちが先走って言葉や行動に出てしまうようなのだ。カウンセリングの必要性を感じるが、うちのはそれを拒否している。拒否しなかったところで仕事に追われている現在、カウンセリングに割く時間はない……。うちのは私の主治医と一度会っている。うちのは主治医の言っていることが自分の質問への答えになっておらず、高みからはぐらかすようなことしか言っていなかったと怒っていた。主治医のはぐらかしはうちのへだけではなく私に対してもそうなので違和感は感じなかったのだが、うちのはかなりの苛立ちを感じたようだ。主治医はうちのを、彼も心の中にいろいろと闇を持っていそうだね、と言っていた。今も言っている。
私の親とうちのの共通点のひとつに、答えを急ぐ、というのがある。スラッシュ禅問答並みのスピードで自分の質問や疑問への回答が得られなければ気が済まず、苛立ちをすぐに表に出すのだ。バラード禅問答では遅過ぎるらしい。親はその点に於いては解寛してきているように一昨日の会話で感じた。うちのにも解寛する日はくるのだろうか……。解寛するには自覚が必要だと思う。けれど指摘しても全力で否定する。いろいろひっくるめて悪しき亭主関白の見本のようなうちのだ。これだけうちのを悪く書いていながら私が長く一緒にいるのは、眼鏡だから……だけではない。そうそうお目にかかれない程の環境への柔軟性に富んでいる人間なのだ。この長所により、うちのは比類なきダメ人間である私と一緒に暮らせている。環境への柔軟性は私もそれなりに自信がある。因ってその箱の中身も知っている。慣れと我慢が詰められた箱なのだ。
親が言った「努力と我慢は違う」。とても重要な言葉だと思う。これは私だけでなく他者にとっても混同しがちなものではないだろうか。私は現状を変えられるように狭いながらもできる範囲で努力をしてきた。この努力には我慢も含まれていた。一度分けて考えなければいけないようだ。お互いに分けて考えることにより、うちのと私の将来への展望が大きく変わりそうな気が……して怖いので逃避している。将来なんて要らないし。夢は叶えたいけれど将来は要らないというのは矛盾している。でも今の私の正直な気持ちである。矛盾は嫌いだ。因って自分の言動や感情が矛盾しているのはとても気分が悪い。答えを出したい。となると将来を考えるということから逃げていてはいけないのだろうが、どこから考えていいものか手がかりも見つからない。手がかりを闇雲に求めるのではなく、今の一進一退悪循環ループから抜け出せるのが理想。ひとりでできる作業ではないのがもどかしくてならなかった私に射してきた光が、我慢と粗末の関連性の見い出しというのは非常に悔しいものである。
ここ迄を読むと私の親はとても真っ当な人間のようだ。癪なので、一昨日から真っ当になったが、それ迄は真っ当ではないどころかトンデモと他者からも評される人間であったことは書かせてもらいたい。トンデモな部分もまだ残っている。「結局は薬局」という駄洒落を何かの格言と勘違いしていたり、「繰返しとは繰り返すから繰り返しなのだ」などの名言だか迷言だか判別に困る言葉を吐いたり。「努力と我慢は違う」という名言の後に聞いた為、これらの意味不明な言葉にもその場では妙に納得してしまった私は莫迦である。
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