のび太は偉大なる作家である。彼の日記にはこう書かれている。
 「朝起きて、昼寝して、夜寝た。」
 どのような賞賛の言葉を浴びせてもこの日記を前にしては翳んでしまう。文章を書く上で、長文よりも短文の方が難しいと言われている。ひとつの言葉でより多くのことを表現し、長文では許される無駄を片っ端から排除しなければならない。小説の世界でも長編よりも短編に名作は少ないと感じる。それがのび太はどうだ。たった一行でその日一日の全てを要約できる才を持つ。少し学べば素晴らしい俳人になれるであろう。世で彼の才能はあやとりと射撃しか認められていない。しかし私は彼に多大なる文才を見る。彼のように無駄を省ききった文章を書けるようになりたいと思うものだが、これでは仕事が来ないのが難である。適度な無駄を散りばめなければ商業的には成り立たないのだ。そう思うとやはりのび太は作家よりも詩人に近いのか。この才が埋もれているのは非常に勿体無い。是非花を咲かせるべきである。

 人生は死ぬ迄の暇潰し、との名言を残したのは故・青山正明である。恐らく彼も胡蝶の夢の住人であったのではないか。この明言を逃げと捉える者も多い。つまらん人間である。人生に於いて何に重きを置くか。誰しもがモラトリアム期に考えることだろう。学問・仕事・恋愛など形而上の物事に重きを見出すことこそ逃げではないかと私は考える。人間の脳の7〜8割は眠っていると考えられている。形而上の物事に重きを置く人間は9割を眠らせているのではないだろうか。それを悪いとは思わない。彼らは生活という物に重きを置いているに他ならず、また生活がなければ生きていくことそのものが困難だからだ。けれど世捨て人とも称される私は青山正明に激しく同意する。正に今の私の現状がそうであるからだ。生きていくことに精一杯な人間は多いだろう。その反面、その日一日死なずに生き延びることに精一杯な人間もおり、私は後者である。人生に価値などない。死ねば全ては無になる。どのような生き方をしようと、どのような死に方をしようと、基本的に人は土へと帰る。私はいつ土に帰っても構わない。残されたひとつの夢は私という人間がこの世に生きていた証を残すことであり、それが叶えば自ら土へと帰る可能性もある。この世は余りにも私にとって生き難い世界なのだ。主治医も、私にとってこの世は生き難い世界だと明言している。

 少し前、近所のビルから空を飛ぼうとしたことがある。そのとき眠剤を入れて眠気が来るのを待った。眠気がきたところで恐怖心を薄めて飛ぼうとしたのだが、眠気がくる前に空から銀色の粉が舞ってきた。それを掴もうとしているうちに目が冴えてしまい、未遂に終わった。この話を親にしたとき、親はこう言った。あんたが死んだら私も死ぬわよ。阿呆かと思った。これが私の希死念慮に歯止めをかけられると思っているのか。自らの存在価値が他者である私にそれ程迄の影響を持っていると何を根拠に信じられるのか。自意識過剰。これらをひっくるめて主治医に話した。主治医が述べた意見は新鮮且つ衝撃であった。君の親は自分の人生を君に依存している。成る程。逆転の発想である。私の存在が親自身の存在価値であり、それを失ったら自分も生きていられないということだったのか。親を生かせる為に希死念慮を押さえ込もうとは思わないが、とにかくこの意見は新鮮であった。

 話は戻る。形而上の学問・仕事・恋愛などに重きを置いて生きている人々はそれらに依存しているのではないか。リストラに遭い廃人のようになってしまったという人の話をメディアはよく取り上げる。彼らは自らの存在価値を仕事のみに依存していた為、それを失うと同時に廃人と化すのであろう。何に重きを置くかは個々の問題であり関与する気は更々ないが、ひとつ言えることはあると思う。ひとつの物事のみに重きを置くのは大きな危険を孕んでいる。長くこの世に留まりたければ、重きをやや軽くして分散させておく方が利口だろう。これを逃げ道と呼ぶ人もいるかもしれないが、生き延びるための知恵である。何かを極めるにはそれに没頭しなければならない。それのみに重きを置く必要が生じる。しかしながら、何かを極める必要がある人間がこの世にどれだけいるか、果たして疑問である。貴方の代わりはいない。こんな台詞は嘘だ。虚言に惑わされてはならない。生き延びるには多芸でなくとも多趣味であるに越したことはない。

 と書き綴りつつも私は現在多芸でも多趣味でもない。別にこの世に留まりたいとは思っていないし、周囲に死ぬなと言われているから生きているだけなのでいいのである。死なないことで精一杯。ひとりだけ、昔働いていた職場で尊敬できる人がいた。中間管理職にあった50代の女性だ。彼女の仕事は私からは要領が悪く見えたがまあそれはともかく懸命にこなし、部下を大切にする為、上司に媚び諂うこともなく、人の世話を焼くことが好きであり、人に頼られれば実に親身になってくれる人であった。当然ながら人望も厚い。彼女は私を大切にしてくれたのでいろいろと話を聞いてもらった。彼女自身の苦労話も聞かせてもらった。彼女は多趣味でもあった。乙女心と大人としての自覚や責任を両立させていた女性。家庭も持っていた。仮に私が後20年、30年と生きるならば彼女のようになりたいと思う。容姿は年齢相当であるが内面から輝いており、自己卑下と自信のバランスを非常に上手に取っていた。職場から去って今は疎遠ではあるが、私は今でも彼女が好きだし尊敬している。

 定年を迎え仕事を失っても、彼女は活き活きと生活するに違いない。多趣味なので仕事に割かれていた時間をそちらに当てて、より充実した日々を過ごすであろう。子供をひとりの、自分とは別人格の人間と捉えていた。彼女はきっと子供が自殺未遂をしても我が親のような発言はしないに違いない。単純に未遂で終わったことを喜びそうだ。私の親も苦労人であり、その点では彼女との共通項があると言える。違いは多趣味かどうかだ。多趣味な人間は依存事項が多いのでそれらに気持ちが分散される。私の親は趣味らしい趣味もないので私への依存が強く、別人格だと理解はしていても納得ができていないようだ。なので親の発する言葉の多くは私の中で上滑りしている。私に親身になっている自分が好き、という気持ちが見え隠れする点に嫌悪を覚えることもある。私は親を嫌いではないが、苦手ではある。依存されるのは重い。私の抱えている諸事情は環境遺伝されると言われている。思えば確かに私の親にもその傾向が見て取れる。普通は治療に取り組まずとも40代にもなれば自然と解寛されると言われている諸事情であるが、50代半ばの私の親に解寛の気配は見えない。更に私の親は私にはない諸事情をもうひとつ持っていそうである。私は医者ではないので正しい診断はできないが、きっと合っているだろう。

 人生は死ぬ迄の暇潰し。激しく同意する。私は諸事情の解寛の目処が立っていないことに加え、元々子供嫌いなので遺伝子を残す気はないが、もし、仮に、子供を持ったとしたら書初めでこの言葉を書かせたいと思う。病んだ親が不健全な子供を育てることになりそうだ。やはり子供は持たない方が私には懸命であろう。うちのは欲しそうだが諦めてくれ。パキやソラや各種眠剤等を服薬している限りは叶わぬ夢だし、今は希死念慮を押さえるという約束を守ることで精一杯なのだ。ついでにこの日記の所在を探すのもできれば勘弁して欲しい。

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